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記事 20件
  • 岸本千佳×宇野常寛 京都の街から〈住み方〉を考える――人と建物の新しい関係(後編)(PLANETSアーカイブス)

    2020-01-31 07:00  
    550pt

    今朝のPLANETSアーカイブスは、人と建物の関係を結び直す“建物のプロデュース業”=不動産プランナーとして、京都を拠点に活動する岸本千佳さんのインタビューの後編です。 かつて京都に住んでいた宇野常寛とともに、東京と京都、地方における「住むこと」への意識の課題、そして多様なグラデーションの町・京都の可能性について語り尽くす、これからの「住」を考える対談です。(構成:友光だんご)※本記事の前編はこちら※本記事は2017年10月1日に配信された記事の再配信です。
    京都は町が拡大している
    ▲京都駅
    宇野 後編では、岸本さんが拠点を置く「京都」についてお話を伺っていきます。東京で不動産の会社に勤めたあと、独立する土地として京都を選んだのはなぜだったんでしょう? 
    岸本 京都という町については、他の都市とは違うという印象があるんです。東京に比べて建物が圧倒的に魅力的ですし、それを掘り起こしているプレーヤーも少ない。そこに可能性を感じたのが理由ですね。
    宇野 僕も京都に7年間ほど住んでいましたが、京都の人々の気質については、難しい人が多いなという印象があります。
    岸本 確かに悪い噂が広まりやすい面はあるかもしれませんね。でも逆に、いい評判も数珠繋ぎで広がるので、きちんとした仕事は評価されやすい土地柄だと思います。  それに京都は、東京とは違った意味で、京都は世界中から一目置かれている都市なんです。でも、そのブランド力に、生粋の京都人はあまり気付いていません。京都を客観的に見ることのできる人の方が価値を付与しやすいので、その点において、私にもできることがあるのかな、と思っています。
    宇野 岸本さんが京都に戻られたのはいつ頃ですか?
    岸本 2014年の11月でしたね。
    宇野 今起きている観光バブルが始まる直前ですね。京都が大きく変わり始めたタイミングで、不動産プランナーという新しい仕事を始めたんですね。
    岸本 今思うと凄いタイミングです。あの頃からの京都の変わりようは凄いですから。以前は市バスで外国人を見ることなんてありませんでした。よく地元の人たちは適応できているなと感じます。
    宇野 僕が京都に住んでいたのは1999〜2006年頃ですが、当時はこんなに海外からの観光客が町を歩いていませんでしたからね。ここ4、5年、京都精華大学で教えている関係で、頻繁に京都へ来ているんですが、「京都も変わったな」と感じながら、変な居心地の良さもあるんです。大人の男が昼間からラフな格好で歩いていても、大陸からの観光客だと思ってもらえる(笑)。いい意味で、放っておいてくれる町になりました。
    岸本 仕事柄、町中でよく写真を撮るんですが、そういう行為も以前と比べて許されるようになりましたね。私が住んでいるのは西陣で、観光地エリアではなく住むための町なのですが、今では路地にたくさんの観光客が来ますし、宿のあるエリアも、どんどん外へ広がっているんです。
    宇野 京都は今、町が拡大しているんですね。
    岸本 この2、3年で確実に変わっています。その一方で、誰も京都のことをきちんと見ていないとも感じるんです。観光地としてのミーハーな見方ばかりで、生活の場所としての視点がない。
    宇野 たとえば、僕は桂や久世橋のあたりが結構好きだったりする。京都の西側は東側と比べてるとファミレスやブックオフが点在する普通の住宅地なのだけど、その中に突然、1000年以上の歴史を持つ寺があったりする。あのハイブリット感が魅力だと思うんですよね。日常空間の中に、非日常が入り込んでいるような面白さがある。  岸本さんの著書『もし京都が東京だったらマップ』は、不動産業の経歴がある人ならではの本だと思いました。町というのは総論で語られがちなんだけど、この本では固有の建物にアプローチし、一駅一駅、建物一つ一つの個性に向き合っている。
    ▲出町柳
    岸本 ひとつのイメージでは括れない、モザイク状で多様性のある町が京都なんです。それがこの本で一番伝えたかったことです。

    【新刊】宇野常寛の新著『遅いインターネット』2月20日発売!

    インターネットは世の中の「速度」を決定的に上げた一方、その弊害がさまざまな場面で現出しています。世界の分断、排外主義の台頭、そしてポピュリズムによる民主主義の暴走は、「速すぎるインターネット」がもたらすそれの典型例といえます。インターネットによって本来辿り着くべきだった未来を取り戻すには今何が必要なのか、提言します。
    宇野常寛 遅いインターネット(NewsPicks Book) 幻冬舎 1760円

     
  • [オープン前夜特別座談会] 「遅いインターネット」は、世界の「語り口」を変えていくために(後編)

    2020-01-30 07:00  
    550pt

    いよいよのオープンに向けて、鋭意準備中のPLANETSの新しいウェブマガジン「遅いインターネット」。脊髄反射的な発信の応酬ではなく、未知の他者を受け止める接続回路としてのインターネット本来の可能性を再起動させるため、個々のコンテンツ制作者たちには何ができるのか。「遅いインターネット」創刊準備座談会として、前編に引きつづき荻上チキさん、ドミニク・チェンさん、春名風花さんの3者をむかえ、「遅いインターネット」が採るべき戦略を検討します。 ※本記事の前編はこちら
    メタレベルのメッセージをいかに回復するか
    宇野 そう、インターネットそのものは否定しない。しかしその速度に人間が流されている状態には抵抗する。この距離感が大事なのだと思う。このふたつの立場は完全に両立すると思う。たとえば、ヘイトスピーチの発信者や歴史修正主義者に対してはベタに対抗することが大事で、「あなたの言っていることは、こういう資料で完全に否定されています」と、ファクトとして間違いだという声をベタに上げないといけない。もっとも、そういった声が届くのは、イデオロギー的な思考停止や発信の快楽の危険性に自覚的なメタ的な思考ができる層で、もう一方でこの層をしっかり育てるためのアプローチがが必要になると思うんだよね。
    荻上 メタレベルの思考は一定の訓練をした人でないと難しいですね。たとえば、差別の文脈でも、人種差別や女性差別の歴史を知った上で、今起きている現象をどう位置付けるか考えている人と、差別を自明のものとして身体化している人とでは、そもそも会話が成り立たないところがある。僕は、ある種の人々の生き方や振る舞いを、ネットを通じてそう容易く変えられるとは思っていない。 だけど、「シノドス」や「成城トランスカレッジ」を通じて、少なくともサイバーカスケードの発生の仕方を部分的に変えることには参画してきた。ネット上でデマが広がる構造自体は変えられないけど、間違ったデマが広がることで議論のリソースを奪われる状況を変えたくて、例えば、情報の流通を変えることでデマを流れにくくしたり、ウェブ上で進行しているフローに対しては、フェイクであることを指摘したり、より確かな資料を集めて公開したり。それは個人的に好きでやってきたことなんだけど、その中である種のデジタル・アクティビズムに対しては、基本的には肯定する立場なんですね。 先ほどドミニクさんはアカデミズムに戻った話をされていましたが、僕が10年ほどやっていた「シノドス」というサイトでは、アカデミックジャーナリズムを打ち出していて、スローニュースを前提とした情報発信においては、一定の蓄積があると自負しています。例えば、チリの民主化運動の報道を見れば、水道などの公共料金の値上げが100万人規模のデモに繋がったということは分かる。でも、なぜそうなったのか。このデモの意味について考えるためには、少なくとも新自由主義がもたらした影響や、その前の軍事政権時代にまで遡った語りが必要です。しかし、ニュースサイトの記事ではそういったロングタームでの語りは手に入らない。そこで、その問題を考えるための長尺の議論を、アカデミズムの知見のある人に執筆してもらい、再文脈化するわけです。 確かに脱文脈化が進んだことで、見出ししか見ない人、都合のいい読解しかしない人たちが増えたかもしれないけど、それでも意思決定権を持つような一部の人たちのために再構築された文脈を提供する、いわば「議論のテーブル」の作り直しをしたかった。その思いは今でも変わらなくて、ラジオをはじめとするいろいろな試みも、議論に参加する上で最低限、抑えておくべき文脈を再構築するものでありたいと考えている。「薬物報道ガイドライン」もそれが前提でつくられています。

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  • [オープン前夜特別座談会]「遅いインターネット」は、世界の「語り口」を変えていくために(前編)

    2020-01-29 17:00  
    550pt

    『PLANETS vol.10』での構想発表から1年余、いよいよのオープンに向けてPLANETSが鋭意準備中のウェブマガジン「遅いインターネット」。いまの“速すぎる”インターネットに対して、新たなメディアはいかに抗っていくべきか。「遅いインターネット」創刊準備座談会として、様々な角度から視点・立場でネットメディアでの言論発信や実装に取り組んできた荻上チキさん、ドミニク・チェンさん、春名風花さんをむかえ、この20年間のインターネット史の“失敗”を検証します。本記事の画像を一部、変更して再配信いたしました。著者・読者の皆様にご迷惑をおかけしましたことを深くお詫び申し上げます。【1月29日17時00分追記】
    「遅いインターネット」は何を目指すのか
    宇野 まず最初に、改めてこの「遅いインターネット」計画の趣旨の説明から始めたいと思います。今、僕たちは新しくウェブマガジンを始めようとしています。そのコンセプトは「遅いインターネット」。それは一言でいうと、速すぎる今のインターネットへの対抗運動です。 現在のインターネットは、タイムラインの情報の消費速度に合わせた、脊髄反射的なコミュニケーションがトラフィックの中心にあるけど、インターネットの可能性はそれだけじゃなかったはずだと僕は思うんです。もちろん速さもインターネットの武器のひとつだけど、進入角度とか、距離の取り方も含めて、インターネットの本当の可能性は、ユーザー側が情報に対する主導権を持つことができるところにあったのではないか。 僕らは二つのことを考えています。一つは、極めてベタにウェブマガジンをやる。そこではネットの旬の話題からは戦略的に背を向ける。もちろん、速報性の高いジャーナリズムに意味がないとは思わない。むしろ必要なことだと思うけど、それとは違う方向から攻めて、5年10年と読み継がれるような記事を更新してGoogle検索の引っかかりやすいところにおいておく。このウェブマガジンは、PV数に比例して得られる収益に依存したサイト運営を行わない。今のところオンラインサロンの収益とクラウドファディングで運営するモデルを考えています。そうじゃないと、どうしてもSNSの潮目を呼んだ「旬の話題」に扇状的な見出しをつけることになってしまう。 念頭にあるのは、欧米のスロージャーナリズムの流れです。月額数千円のサブスクリプションモデルで、都市部の知識人層向けに良質な調査報道のウェブ記事を配信するメディアが力をつけている。そういったメディアの共通点としては、非常に強力なコミュニティを持っていて、月額会員の支持者たちに向けた情報発信やワークショップを継続的にやっている。そのモデルをある程度、踏襲するつもりです。 ただ、僕はそこでスロージャーナリズムのように調査報道をやろうとは思わない。それは僕自身が文化批評の出身で、関心の中心が報道にないというのもあるけど、何より、良質な調査報道があっても、それを受け取る側のリテラシーが低いと、見出しだけを見てリツイートするので、結局フェイクニュースを鵜呑みにするようなことが起きてくる。なので、いわゆる調査報道とは違ったアプローチをしてみたい。時間をかけて新しい事実を掘り起こすのではなく、情報の洪水に晒されたときにそれを慎重に受け止められる知性のリテラシー、抽象的な言い方をすると、情報に対する距離の取り方とか進入角度とか、そちらに僕は関心がある。なので報道ではなくて批評という立場を、ここではあえてとりたい。

    【新刊】宇野常寛の新著『遅いインターネット』2月20日発売!

    インターネットは世の中の「速度」を決定的に上げた一方、その弊害がさまざまな場面で現出しています。世界の分断、排外主義の台頭、そしてポピュリズムによる民主主義の暴走は、「速すぎるインターネット」がもたらすそれの典型例といえます。インターネットによって本来辿り着くべきだった未来を取り戻すには今何が必要なのか、提言します。
    宇野常寛 遅いインターネット(NewsPicks Book) 幻冬舎 1760円

     
  • 【新連載】高佐一慈 誰にでもできる簡単なエッセイ 第1回 咳払いシングルス決勝inルノアール

    2020-01-28 07:00  
    550pt

    今月から、お笑いコンビ、ザ・ギースの高佐一慈さんによる新連載が始まります! 高佐さんが日々の日常で経験した、くすりと笑える瞬間を書き留める本連載。第1回は、ルノアールで繰り広げられた、「咳払い」をめぐるささやかな戦いについてお届けします。
     みなさまはじめまして。ザ・ギースの高佐です。PLANETSのインターネットラジオ「オールフリー高田馬場」をご視聴頂いていた方はもしかしたらご存知かもしれませんが、ほとんどの方がはじめましてかと思います。ザ・ギースというお笑いコンビで活動している芸人です。「毒に冒された堺雅人」みたいな顔をしている方です。  去年の暮れ、PLANETS代表の宇野常寛さんから「エッセイを書かないか?」というお話を頂きました。エッセイなど、生まれてこのかた一度も書いたことがなく、そもそもエッセイとコラムの違いすら分かっていない僕が軽々と引き受けていいものかと悩んでいたのですが、宇野さんの「高佐くんなら書けるよ」というありがたい言葉と、僕のマネージャーの「名指しでエッセイをお願いされるなんて奇跡に近いですよ」という言葉に僕自身軽く舞い上がってしまい、「よろしくお願いします」とつい返答してしまったのでした。特にメッセージ性や、みなさまの知識になるような内容ではないので、他の方々の文章の箸休め的に読んでいただければと思います。  タイトルは、宇野さんが見に来てくれたギース単独ライブで行なった「誰にでもできる簡単な仕事」というネタから名付けることにしました。

     僕は芸人という仕事柄、喫茶店に行くことが多い。ネタを考えたり、本を読んだり、舞台の台本を覚えたり、行く理由は様々だ。最近は自身の配信動画の編集をすることもあり、ほとんど毎日どこかしらの喫茶店に行く。と言うと聞こえはいいが、実際はスマホゲームに手を出してしまい、作業そっちのけで、気付いたら蛍の光が流れてるということもしょっちゅうだ。喫茶店でパソコンを開いてるだけで仕事をした気になってるただの愚か者だ。  基本、家でもできる作業ばかりなのだが、家だとすぐにテレビを見てしまったり、ベッドに寝っ転がっていつの間にか寝てしまったりするので、体がその感覚を覚えてしまっているのか、家で仕事しようと思っても全くスイッチが入らない。そんなわけで今日も正月だというのにわざわざやってるかどうか電話で確認してまで、新宿のルノアールまで足を運び、スマホゲームの魔の手から逃れながら、この原稿をカタカタ書いている。
     喫茶店は、当たり前だが人が集まる場所だ。会話してる人たちもいれば、僕と同じように何かの作業をしている人、動画を見てる人、ゲームをしてる人など様々だ。そんな人が集まる場所に何時間も身を置いていると、ふとした瞬間に周りの人の仕草が気になってくる。
    【新刊】宇野常寛の新著『遅いインターネット』2月20日発売! インターネットは世の中の「速度」を決定的に上げた一方、その弊害がさまざまな場面で現出しています。世界の分断、排外主義の台頭、そしてポピュリズムによる民主主義の暴走は、「速すぎるインターネット」がもたらすそれの典型例といえます。インターネットによって本来辿り着くべきだった未来を取り戻すには今何が必要なのか、提言します。
     
  • 〈光の巨人〉は復活するかーー『ULTRAMAN』清水栄一+下口智裕 宇野常寛コレクション vol.7 【毎週月曜配信】

    2020-01-27 07:00  
    550pt

    今朝のメルマガは、『宇野常寛コレクション』をお届けします。今回取り上げるのは、清水栄一+下口智裕のコンビが手掛ける『ULTRAMAN』です。戦後日本への批評性を内包した巨大ロボットや巨大怪獣のシリーズ作品が、時代の変化により転換点を迎える中で、本作が試みる「巨大なもの」に対する想像力の回復、その更新の可能性について論じます。 ※本記事は「原子爆弾とジョーカーなき世界」(メディアファクトリー)に収録された内容の再録です。
     ロボットというものに、ここ数年ほとんど惹かれなくなった。中高時代の僕は遅れてきた80年代ロボットアニメのマニアだった。中学時代は「機動戦士ガンダム」シリーズのプラモデル(いわゆる「ガンプラ」)に小遣いの大半を遣っていたし、高校時代は当時の盛り上がりについて知りたくて、街中の古本屋をめぐって当時のアニメ雑誌(『OUT』や『アニメック』)を買い漁っていた。インターネットがまだ十分に普及していないころ、田舎町で十年以上前のアニメの情報を得るのは、ほんとうに大変だった。やがて『新世紀エヴァンゲリオン』のヒットをきっかけにした第三次アニメブームがやって来た。ブームの最中に、古のロボットアニメやSFアニメについての本もたくさん復刊された。しかしそのころからゆっくりと、僕は「ロボット」への興味を失っていった。少年少女が機械の身体に「乗り込んで」活躍するというイメージに、あまり面白みを感じなくなっていったのだ。単に歳をとって、僕はもう少年と言える年齢ではなくなってしまったことだけが原因ではないと思う。その一方で、僕はむしろ二十歳を過ぎてから平成「仮面ライダー」シリーズに夢中になって、この十年をほぼ玩具収集に費やしているくらいなのだから。僕はたぶん、この時期から「ロボット」という意匠そのものに興味を失っていったのだと思う。  考えてみれば日本的「ロボット」というのは奇妙な存在だ。アイザック・アシモフの「ロボット三原則」が示すように「ロボット」とは創作物の中に結実した「人工知能の夢」そのものだったはずだ。たとえば『鉄腕アトム』がそうだった。3・11を経た今となっては皮肉なものにしか感じないが、手塚治虫は「原子力」が代表する科学技術の進歩の象徴として人工知能/人工生命としての「ロボット」を用いたのだ。しかし、そのライバル的存在だったと言える横山光輝は『鉄人28号』を少年が「操縦する」ものとして描いた。父親(的存在)の開発した機械の身体を操って、少年が大人社会に混じって活躍する──。リモコンで少年が操縦する「鉄人」は男子の成長願望の受け皿として機能する代わりに、「人工知能の夢」を失ったと言えるだろう。そして、祖父のつくりあげた鋼鉄の身体に少年が「乗り込んで」「操縦する」ロボット──『マジンガーZ』の登場とヒットによって、「日本的ロボット(アニメ)」という表現ジャンルは確立していった。それは巨大な機械の身体を得ることで子どもが子どものまま大人のように機能する=正義を執行する=社会にコミットする装置として、少年たちの支持を得ていった。
    【新刊】宇野常寛の新著『遅いインターネット』2月20日発売! インターネットは世の中の「速度」を決定的に上げた一方、その弊害がさまざまな場面で現出しています。世界の分断、排外主義の台頭、そしてポピュリズムによる民主主義の暴走は、「速すぎるインターネット」がもたらすそれの典型例といえます。インターネットによって本来辿り着くべきだった未来を取り戻すには今何が必要なのか、提言します。
     
  • 岸本千佳×宇野常寛 京都の街から〈住み方〉を考える――人と建物の新しい関係(前編)(PLANETSアーカイブス)

    2020-01-24 07:00  
    550pt

    今日のPLANETSアーカイブスは、京都を拠点に活動する 「不動産プランナー」であり、『もし京都が東京だったらマップ 』の著者でもある岸本千佳さんと宇野常寛の対談です。人と建物の関係を結び直す彼女のプロデュース業は、建築と不動産の間の壁を超えたところに生まれました。岸本さんが大きな影響を受けた不動産的なアプローチの先駆け「東京R不動産」の衝撃とは? そして、リノベーション第一世代と第二世代の違いとは? 岸本さんと宇野常寛が「住」のこれからについて考えます。(構成:友光だんご) ※本記事は2017年9月1日に配信された記事の再配信です。
    クリエイティブな発想が必要とされない不動産業界
    宇野 岸本さんは「不動産プランナー」という肩書きで活動されていますが、具体的にどういったお仕事なのでしょうか?
    岸本 簡単にいうと「建物をプロデュースする仕事」です。まず、不動産の持ち主から相談を受けて、建物の使い方を提案します。提案が通ったら、設計や工事担当の人たちとチームを組んでリノベーションを行い、完成後の入居者を見つけて運営していく……というのが一連の流れです。この全てを一貫して一人で行っています。
    宇野 僕は岸本さんの著書『もし京都が東京だったらマップ』 で「不動産プランナー」という仕事があることを初めて知って、こういった仕事がなぜ今までなかったんだろうと思ったんですよ。世の中がもっと便利に、かつ面白くなることは間違いないのに。

    ▲『もし京都が東京だったらマップ』
    岸本 業界全体の問題として、「不動産」と「建築」の関係があまり良くなかったということが挙げられます。これまで不動産では、クリエイティブな発想は無いものとされてきたし、必要とされてもきませんでした。その一方で、建築にはクリエイティブなイメージがありますが、一般人にとっては少し敷居の高い世界だった思うんです。家を建てる際に設計士や建築家にお願いするのは、一部の限られた層の人ですよね。こうした距離感は業界内にもあって、私が大学で建築を学んでいたときも、先生が不動産業界を見下したように言う風潮がありました。
    宇野 「不動産」の人たちは坪面積あたりの収益には関心があるけど、そこから生まれる文化的なものには関心がない。かといって「建築」の人たちはその状況を軽蔑するばかりで、建てたあとの運用にはタッチしない、ということですね。
    岸本 そうなんです。でも、15年くらい前に馬場正尊さんの「東京R不動産」をきっかけに、不動産と建築の間をつなごうとする動きがやっと現れ始めたんです。
    「東京R不動産」の衝撃
    宇野 東京R不動産が出てくる以前は、住み方のレベルで文化的な表現をしたいと思っても、賃貸では無理でしたよね。面白い建物に住んでみたくても、家を買う、あるいはオーダーするといった建築的な選択肢しかなかった。しかし、持ち家だと今度は住み替えが難しくなってしまう。「住まう」ことを楽しむためには、不動産的なアプローチが必要なんです。そこに、東京R不動産が登場した。
    岸本 私は当時大学生で、太田出版の『東京R不動産』を読んで知ったんです。衝撃でしたね。それまで建築の世界では、建物が完成したあとのことは重視されていなかったんです。だからこそ、「いかに住むか」に価値を置いた東京R不動産の考え方は新鮮で、自分の目指すべき方向だと思いました。それで就職活動でも、いま世の中にある仕事では一番やりたい方向に近いと考えて、不動産業界に進みました。

    ▲『東京R不動産』
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  • 【新連載】加藤るみの映画館(シアター)の女神 3rd Stage ☆ 第1回『ロングショット 僕と彼女のありえない恋』

    2020-01-23 07:00  
    550pt

    今回より、加藤るみさんの「映画館(シアター)の女神」の第3シーズンが始まります。第1回で取り上げる作品は『ロングショット 僕と彼女のありえない恋』。 失業中の元ジャーナリスト(男性)と才色兼備のアメリカ国務長官(女性)による、ご都合主義ありの格差恋愛が、最後は魅力的なカップルになっていくという、るみさん大絶賛のラブコメを紹介します。
    皆さま、お久しぶりです。加藤るみです。 『加藤るみの映画館の女神』が3rdシーズンと題して帰ってきました!
    私事ですが、2020年から東京から大阪に拠点を移しました。 まだ何も結果に繋がっていない歯痒さが常にありますが、一個ずつできることを探しながら毎日を過ごしています。 そんな種まき作業をしているなかで、さっそく映画紹介の仕事を大阪でする第一の壁にぶつかりました。 3rdシーズン始まってすぐこんな話題でいいのかしらと思いながら書いていますが、今の私の現状を伝えれたらと思います。
    東京では、公開前作品の試写会が毎日のようにあって、新作をいち早く観てレビューをしていました。 次々と出てくる作品を公開前にレビューできることは、映画紹介の仕事をする上で強みでもあります。 ですが、大阪は東京と比べて試写が圧倒的に少ないです。 東京で行われる映画のマスコミ試写は、大作系だと5〜10回以上、ミニシアター系の作品でも2〜6回程試写があります。 大阪では、試写がある作品で1〜3回程です。ミニシアター系の試写はほぼ無いと言ってもいいでしょう。試写で観れない作品はサンプル対応でDVDを借りることもできますが、作品によっては権利の関係でサンプル対応していないこともあります。 これが、賞レースに絡んでいる作品だったりするので先に観てレビューできないのは痛いです。 東京の前は名古屋で活動していたので地方の試写事情について軽くは知ってはいたものの、やはり実際に来てみると東京という恵まれた映画環境の素晴らしさが身に染みました。 年始から、今まで東京でお世話になっていた配給会社さんや宣伝会社さんにたくさん問い合わせをしてるんですが、まだ大阪で試写は1回も観れていない状況です。 なので、試写が観れない分その時間を配信系オリジナル(主にNetflix、Amazonプライム)を攻めてみようかなと考えています。 まだまだ自分の活動スタイルを模索中ですが、関西の映画館事情もこれから紹介できたらと思います。 地方在住映画ファンの味方になれるよう、大阪から映画界を盛り上げれるよう、試行錯誤しながら発信していきたいと思います。
    さて、今回紹介する作品は、『ロングショット 僕と彼女のありえない恋』です。現在公開中の作品で、まだ2020年が始まって間もないですが、私の年間ベスト入りは確実な超イチオシのラブコメです!
    ▲『ロングショット 僕と彼女のありえない恋』
    この作品は『プリティ・ウーマン』('90)の男女逆転版とも言われている話題作で、一言で言うと現代アメリカに対する、ブラックユーモアも満載なシニカルラブコメディです。 物語は、失業したばかりの元ジャーナリストのフレッドがアメリカの国務長官として活躍するシャーロットとパーティーで再会したことから始まります。失業してお金もなければ地位もない、オマケにファッションセンスもないヒゲ面のフレッドが、才色兼備のバリキャリウーマンシャーロットと恋に落ちるという、ラブコメによくありがちな美女と野獣的な格差恋愛は、「うんうん、このありえないロマンティック展開こそがラブコメだよね!」と、しょっぱなからラブコメ好きのハートをがっしり掴んできます。
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  • 成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)宮藤官九郎(9)『タイガー&ドラゴン』(後編) 笑えない噺なんか、誰も聞きたくないだろ?

    2020-01-22 07:00  
    550pt

    ドラマ評論家の成馬零一さんが、90年代から00年代のテレビドラマを論じる『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』。今回は『タイガー&ドラゴン』の後編です。古典落語を下敷きに不器用な二人の主人公の生き方を描いた本作が最後に辿り着いたのは、「笑えない現実」に対して、「笑い」はいかに向き合うのかというテーマでした。
    『タイガー&ドラゴン』では、古典落語を下敷きにして現代(2005年)を舞台にしたドラマが展開されるのだが、ドラマ評論家として耳が痛かったのが、第3話「茶の湯」だ。
     竜二(岡田准一)の経営する洋服屋「ドラゴンソーダ」はメッシュ素材のダサい服ばかりなので閑古鳥が泣いていたが、そこに「原宿ストリートファッションの神様」と言われるトータルプロデューサー・BOSS片岡(大森南朋)が現れ、「キテるね」「ヤバいね」と絶賛する。竜二はBOSS片岡とコラボすることになり、片岡が主催するクラブイベント・ドラゴンナイトの入場券代わりとなるリストバンドのデザインを発注される。 一方、ヤクザの噺家、林家亭子虎こと山崎虎児(長瀬智也)の前には淡島ゆきお(荒川良々)という男が現れる。淡島はジャンプ亭ジャンプという高座名を持つ落語家でアマチュア落語のチャンピオン。古典落語を得意とする粟島は虎児の師匠・林家亭どん兵衛(西田敏行)に弟子入りするが、どん兵衛が口座にかけようとしていた演目「茶の湯」を先に喋り挑発する。 どん兵衛と淡島、ふたつの「茶の湯」を聞いた虎児は「どっちが面白かった?」と、どん兵衛に聞かれ「笑ったのは淡島のだ、でも、もう一回聞きてえと思ったのは師匠のだ」と答える。
    どん兵衛「……なるほど、確かに演る人間によって印象はガラッと変わる、それが古典落語の面白いところだ、正解なんてのぁ無いんだ、お前さんがどうアレンジするか……」 虎児「いや……アレンジしねぇ」 どん兵衛「んん?」 虎児「こいつの見てて思った、若いとか経験が浅えとかそんなの言い訳になんねえよ、今度こそ古典をきっちりやりてえ……いや、やる」 (宮藤官九郎『タイガー&ドラゴン(上)』(角川文庫)「茶の湯」の回)
     一方、淡島はどん兵衛から「人に何かを教わるという姿勢が出来てない」と、弟子入りを断られる。  師匠から教わった古典落語をそのまま高座で話す虎児。寄席ではそこそこ受けるがネットの掲示板では「子虎も終わった」という酷評の嵐、荒々しいキャラクターと古典を下敷きに現代を舞台にしたデタラメな落語が受けていたのだが、その持ち味を壊してしまったのだ。  対して竜二はデザインのOKが中々出ない。打ち合わせの席には代理店や雑誌編集者、クラブのオーナー、ミュージシャンが同席して意見を言う。一方、BOSS片岡は要領を得ず、挙げ句の果てに、決まったはずのデザインは別のものに変えられてしまう。商品は売れたが、自分のものではないと思った竜二は、売上と商品を突き返し、BOSS片岡とのコラボを解消する。
     虎児はイベントに押しかけ、BOSS片岡に啖呵を切る。
    虎児「お前等が軽々しく『来てる』だの『終わってる』だの言うたんびに一喜一憂してるヤツがいるんだよ、何故だか分かるか? 必死だからだよ、必死にどーにかなりてえ、カッコいいもん作りてえ、面白えもん作りてえって身体すり減らしてやってるんからだよ、分かるか? 自分の言葉に責任持て」(同書)
     竜二は落語家でありながらテレビで汚れ仕事をして家族を養う兄のどん太(阿部サダヲ)とも、寄席で古典落語にこだわる父親のどん兵衛とも違う「自分の好きなものだけ作って、それで売れてみせますよ、直球ですけど」と言う。 これに対し虎児は「俺も自分が面白えと思う話で笑い取ってやるよ」と返す。 落語やファッションを題材にしているためか『タイガー&ドラゴン』にはタレントやクリエイターの心の叫びが透けてみえる。特に面白いのは虎児の立ち位置で、本人は古典をやりたいと思っているが、世間が求めているものは、粗暴な振る舞いだったりする。ヤクザで「笑い」がわからない粗暴な男が、寄席とは場違いゆえにそのキャラクターが消費される姿と、竜二のダサいファッションセンスが気まぐれに消費されていく姿が対になっているが、若者向けサブカルチャーの一つとして色モノ的に消費されたくないが、古典をしっかりと演じるほどの基盤もまだ出来上がっていないという、宮藤たち作り手の心境が“直球”で描かれていたと思う。
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  • 橘宏樹 GQーーGovernment Curation 第13回 国債 ~国債は誰のものか。グラフの「註」を読み解く~

    2020-01-21 07:00  
    550pt

    現役官僚の橘宏樹さんが「官報」から政府の活動を読み取る連載、『GQーーGovernment Curation』。今回のテーマは「国債」です。国家予算の約3割を占める国債ですが、近年は海外投資家の保有比率が増えています。現在の国債価格は、マイナス金利政策の影響で上昇傾向にありますが、この保有比率の変化は、景気回復後の日本経済のファンダメンタルズに、大きな変化をもたらすことになるかもしれません。
    (写真出典 Alice Pasqual on Unsplash)
    こんにちは。橘宏樹です。国家公務員をしております。このGovernment Curation(略してGQ)は、霞が関で働く国民のひとりとして、国家経営上本当は重要なはずなのに、マスメディアやネットでは埋もれがちな情報を「官報」から選んで取り上げていくという連載です。どんな省益も特定利益にも与さず、また玄人っぽくニッチな話を取り上げるわけでもなく、主権者である僕たちの間で一緒に考えたいことやその理由を、ピンポイントで指摘するという姿勢で書いて参ります。より詳しい連載のポリシーについては、第一回にしたためました。
    【新連載】橘宏樹『GQーーGovernment Curation』第1回「官報」から世の中を考えてみよう/EBPMについて
     そして、今更ですが、新年あけましておめでとうございます。本年もGQをよろしくお願いいたします。2017年12月が第1回で、その後拙著の刊行記念エッセイ全5回の連載を挟みつつではありますが、早いものでGQも3年目に突入です。これまでの12回を振り返ってみると、①EBPM、②水道法、③農業、④教育、⑤通商、⑥金融、⑦社会保障、⑧会計検査、⑨入国管理、⑩公務員人事、⑪SDGs、⑫防衛と、一応、各行政分野に万遍なく触れて来れた感じなのかなと思います。
     また、当初は毎月の連載を目指していたのですが、昨年は業務の方が色々と詰まってしまいまして、だいたい2か月に1度くらいの投稿になってしまいました。書きたいことはたくさんあるのですが、体力、気力、時間といった条件を揃えるのがなかなか難しかったです。しかし、昨年末の人事異動で環境は改善したと思いますから、また気持ちも新たに令和の官報を解説していきたいと思います。
     さて、まずは昨年11月、12月を振り返りますと、最後まで大きな出来事が目白押しでしたね。天皇即位のパレードや祝賀行事、東京オリンピックのマラソンの札幌開催決定、「桜を見る会」問題の紛糾(本当に立場上コメントが難しいです...)、日韓軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の失効回避、沢尻エリカ被告の覚せい剤所持、中曽根元首相の死去、ペシャワール会中村哲医師の死去、IRをめぐる収賄容疑、カルロス・ゴーン氏の逃亡などなど。海外では、アメリカとイランの緊張が高まり、両国のシビれる判断から戦争が一旦回避されたり、英下院総選挙の保守党勝利を受け今月末のEU離脱が確定したり、相変わらず激動の日々です。
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     そんななか、いつものように、スポットの当たっていない重要な官報はないかなと検索しておりました。で、当初は、2019年11月の「農産物輸出促進法」の成立について取り上げようかなと、思いました。以前本稿でも取り上げたEUとのFTAとも非常に深く関連します。
    橘宏樹『GQーーGovernment Curation』第5回 通商 逆襲の自由貿易~日欧EPA~
     EU等が求める、産地がどこかを証明したり、放射性物質の検査をクリアしていることを証明したりする「輸出証明書」を都道府県等が発行できるようにすることがポイントの一つですが、輸出証明書の発行の単位と、ブランド戦略の単位は、必ずしも同じではないのではないか、ということを論じようかと思ったのです。愛媛県産のミカンには愛媛県が、和歌山県産のミカンには和歌山県が、輸出証明書を発行するわけですが、大量注文に対応できるようにロットを確保するべく、小っちゃな産地でくくらないで「ジャパン・オレンジ」で売り出さないといけないのではないか、と。このことは以下の機会に「ミカンはワインに学ぶとよいのではないか。」という見出しで論じたことではあります。
    橘宏樹「父性のユートピア」をあきらめない(『現役官僚の滞英日記』刊行記念エッセイ第三部・最終回)
     しかし、年末、通常業務のなかで、とある統計の最新値を目にして、ちょっと驚いたことがありました。国債に関する、とある数値が、僕が記憶していた「大体この程度の数字だろう」という値よりも少し大きくなっていたのです。何かが直ちにどうである、というようなことは言えないのですが、なんというか、「地味にゾッとする」ものを感じたのです。とはいえ、国債という分野は、専門性も高く、議論百出で、ある種の機微にも触れるトピックですから、この感覚をお伝えするには言葉選びもなかなか慎重にしなくてはなりません。なので、GQで取り扱うのを一瞬、躊躇ったのですが、この「地味にゾっとした感触」を共有することこそがGQの本来の使命であろうとも思い直しまして、やはり今号で取り上げることにしました。折しも1月は通常国会が開催され令和2年度予算が審議されますから、GQ1月号としてもふさわしいと思われます。以下、そういう意味で、挑戦となります。
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  • 原子爆弾とジョーカーなき世界――『ダークナイト ライジング』宇野常寛コレクション vol.6 【毎週月曜配信】

    2020-01-20 07:00  
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    今朝のメルマガは、『宇野常寛コレクション』をお届けします。今回取り上げるのは、2012年のクリストファー・ノーラン監督の映画『ダークナイト ライジング』です。前作において、行為それ自体の自己目的化により、超越的「悪」の体現に成功していたジョーカー。しかしその続編で描かれたのは、左翼的な物語に回帰し原子爆弾を炸裂させようとする「小さな父たち」の姿でした。 ※本記事は「原子爆弾とジョーカーなき世界」(メディアファクトリー)に収録された内容の再録です。
     勘弁してほしいと、心の底から思った。別に彼女に悪意があったわけじゃないだろう。それはむしろ、善意からの行為のはずだった。映画に与えられたモヤモヤとした気持ちを、僕に共有して欲しいという感情の表れのはずだった。それだけに、怒ることもできなかった。それでも、僕はあのとき「○○さんからあなたのウォールに書き込みがありました」と携帯電話に通知を受けて、何事だろうと確認した瞬間に目の前が真っ暗になった。あわててブラウザを閉じたけれど「原子爆弾」という文字と「前作ほど感銘は受けなかった」というフレーズだけはしっかりとこの目に焼きついていた。  それはアメリカ在住の友人がFacebookの僕のウォールに書き込んだ、『ダークナイト ライジング』の長文感想だった。しかも、結末までが詳細に記されたいわゆる「ネタバレ」全開の文章だった。そして、同作は日本公開までまだ一週間以上の時間を必要としていた。
     僕は事務所のデスクに前作『ダークナイト』に登場したヴィランであるジョーカーのフィギュアを飾っている。四年前に出会ったあの衝撃を、僕はまだ忘れられてはいない。あれは出口のない物語だった。この十年のアメコミ・ヒーロー映画が隆盛する中で、9・11という存在は大きくその物語たちに影を落としていたはずだ。あの日国際貿易センターと一緒に、古き良きアメリカの正義は何度目かの、そして決定的な崩壊に直面した。たとえばあの精神的外傷(トラウマ)がなければ『スーパーマン リターンズ』は間接的な家族回復の物語として「帰って」くることはなかっただろうし、『Mr.インクレディブル』がパロディであるがゆえにむしろ批評的に古き良きアメリカの正義=父性の回復を中心的な主題として据えざるを得なかったのもそのせいのはずだ。それはクリストファー・ノーランの手によって何度目かの復活を遂げた映画『バットマン』シリーズも例外ではない。『バットマン ビギンズ』は原作群の複数のエピソードを巧みに下敷きにしながらも、その中核には幼き日に父親を亡くしたブルース・ウェインが、自らコウモリの仮面をかぶることで父を仮構する(ことで疑似的に回復する)エピソードが据えられた。もはや誰も失われた父=古き良きアメリカの正義を回復することはできない。ではいかにして、回復したふりをするのか、という問いがこれらのヒーロー映画ではただひたすら反復されている。そもそも近代社会とは、宗教の代わりに超越的なものが存在するかのように振る舞うこと=物語(たとえばナショナリズムやマルクス主義)を語ることではじめて社会が保たれるものだ……なんて講釈が聞こえて来そうだが、ここで大事なのはそんな常識の確認ではない。ヒーロー映画という、商業的な要請として「正義」や「暴力」を描かされてしまう物語群は、作者たちの意図や原作のモチーフを超えてこの社会へのメタ的な視線が半ばメタ的に入り込んで「しまう」ということだ。原理的には存在できない無謬の正義のヒーローを描くことは、社会というフィクションを描くことと同義なのだ。
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