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「ムジナの庭」では何が起きているのか(後編)|鞍田愛希子
2022-10-18 07:00
本日のメルマガは、就労支援施設「ムジナの庭」施設長・鞍田愛希子さんと宇野常寛との対談(後編)をお届けします。前編に引き続きムジナの庭が提供するプログラムを紹介していただきつつ、そこでのセミパブリックな空間づくりを手がかりに、今日の公共空間やコミュニティのあり方にまで議論を広げました。(構成:石堂実花、初出:2022年5月17日(火)放送「遅いインターネット会議」)
※本対談で登場する「ムジナの庭」へ訪問した詳細なルポルタージュは、『モノノメ#2』に掲載されています。詳細はPLANETS公式オンラインストアにて。
「ムジナの庭」では何が起きているのか(後編)|鞍田愛希子
「場」から「庭」へ
宇野 前編で愛希子さんが言っていた「家から庭へ」は、僕も最近考えていたことです。僕は専門としてメディア論に近いところにいるんですが、いまはインターネット=SNSのプラットフォームのコミュニケーションは、言葉中心のコミュニケーションで、相手が人間しかいない。よく社会は国家と家族の中間と言われますが、日本では東日本大震災の後に、口を揃えて「地域のコミュニティを大事にしよう」と言われ始めた。要するに国家と家族の中心にある、疑似家族的なコミュニティがここでは想定されていたと思うんですよね。もちろん、僕もそういうことは大事だと思ってきましたが、ちょっと限界も感じているんです。日本的な田舎のムラ社会とかただの地獄ですし、世田谷でクリエイティブクラスが金持ち喧嘩せずの心温まる自治ごっこみたいなのってただ経済格差で貧しい人と見たくないものを自分たちの視界から排除しているだけですからね。東京のクリエイティブクラスがセルフブランディングでやっている田舎暮らしと地方の商店街や農家のおじいちゃんおばあちゃんとの触れ合いのパフォーマンスはまあ、問題外として、実際にマクロで見るとSNS上のプラットフォーム上のテーマコミュニティ以外にその担い手は難しい。しかし、そのプラットフォームでは人間は人間同士の承認の交換しかできない。ここが問題だと思います。
僕の場合は「『場』から『庭』へ」という言葉で表現しているんですが、この場合の「場」はプラットフォームです。プラットフォーム上では、人間は人間としか会話しませんよね。誰かに評価されるという相互評価のゲームで動いているから、他の誰かに評価されること以外のことを考えなくなってしまう。そうなると、問題そのものにアプローチせず、「この問題についてどう発言したら評価されるか」しか考えなくなってしまう。これはすごく貧しいことのように思うんです。 対して「庭」は植物や土や昆虫など、人間以外のものごとにも触れられる場ですよね。しかも植物には人間が介在しなくても自生できるような生態系がある。人間が介在しなくても勝手にコミュニケーションしているものに触れることが、すごく大事な気がしています。人間関係や社会の外側にも世界があることを実感させてくれると思うんですよね。 そして庭は、いじれることが大事なんです。しかも、人間が介入できるけれど、完全に支配することはできない。いくら抜いても雑草は生えるわけです。だから常にメンテナンスしなきゃいけないし、いくらメンテナンスしても支配はできない。これが庭を触っているときの充実感だと思うんです。
鞍田 わたしも、庭から人間関係や心の問題を考えるきっかけをもらった気がしています。「ムジナ」でも、ある方がその場からいなくなるとか、誰か新しい方が入ってくる度に全体の雰囲気や関係性が一気に変わるんですが、これは生態系に近いなと思っています。 たとえばうちの場合は「お菓子を作る」「雑貨を作る」「庭の手入れをする」といったように、いろんなシチュエーションが自然に生まれます。そうすると、一方では活躍できなかった人たちが他方では急に尊敬され始めたりと、その人が違う側面を見せられる場所があるんですよね。 「庭」というキーワードで思い出したんですが、コンパニオンプランツという植物の組み合わせ方があります。たとえばアブラムシがすごく好きなお花を野菜の近くに植えて、その花があることで野菜を害虫から守ってもらう、というものなんですが、そういう配置換えやマッチングがしやすくなるよう、選択肢を増やしておくことこそが、わたしたちにできることだろうなと思っています。
就労支援はいつかはなくなるのが理想的です。それがなかなかできないのは、まだ社会に認知が浸透していないからだと思います。たとえばもう少し、マッチングされて、庭のなかで、たとえば植物を植え替えるみたいな感じで変えていったら、急にコンパニオンプランツ的なはたらきをし始める、みたいなこともあるかなと思っています。
宇野 「『いい庭の条件』ってなんだろう」と考えると、まずは第一に生態系が豊かであることですよね。そこにいろんな植物や虫がいて、それぞれ固有のアプローチができるということ。 あとはやはり、人間がそこに関与して、うまくいけば手応えもある。ただし完全に支配することはできないという、このバランスが中距離感で、人間と世界との距離感として、程よい手触りを人々に与えてくれると思っています。僕は自己信頼のベースとは、こういうことなんじゃないかなと思ってるんです。
「ままならない」体験を通して出会うセミパブリックな空間
宇野 愛希子さんのお話を聞いて僕が思うのは、「家庭と病院の間のセミパブリックな空間」が失われているのではないかということです。今の社会は自己責任の範疇で何をしても許されるプライベートな空間と、完全にパブリックで、デオドラントでクリーンな除菌された空間に二分されています。僕はサブカルチャーの人間なので、後者のような空間からサブカル的な猥雑さは出てこないと思うんです。
鞍田 わたしは東京に出てからはじめて福祉の仕事に携わるようになったんですが、一番最初に感動したのが体臭でした。 私が働いていた施設では重度の精神疾患の方が多く、なかなかお風呂に入れない方もいました。そこで「そうか、人間ってこんな匂いをしていたんだな」と思い出したんですよね。「過去にこの匂いを嗅いだのはいつだっただろうか」と考えたときに、しばらく無臭の世界を生きていたということに気づきました。そうした手触りのような感覚は、ふつうに生きているなかで失われていくものです。 ちょうど東日本大震災のあとに「五感を取り戻す」というテーマの感覚的なワークショップをやっていた時期がありました。香りは人間の脳の本能的な領域に関わると言われていて、たとえば香りを嗅いだ瞬間に気分が変わることがあります。東日本大震災で心を痛めた方や精神疾患のある方にアロマを通したケアで関わるなかで、植物の香りや体臭は人間の気分を言葉に依らずに変える力があることを知りました。その香りをもう少し深めていったらできることがあるのかもしれない、と思ったのが、「ムジナ」の原体験としてありました。
宇野 言葉の外側のものを使うことは大事ですよね。僕は職業柄言葉を使う人間だからこそ、言葉の限界もよくわかっているつもりです。でも、どうしてももの書きは、言葉を無邪気に信じすぎていると感じることもあります。僕は言葉よりも、もっと「ままならなさ」みたいなものを基準に考えたほうがいいんじゃないかと思っています。生きる実感は、言葉を自由に操って「○○である」ということよりも、実際に自分が関わって対象が変化していく過程を体験するところにあると思うんです。
鞍田 ムジナの木彫で言うと、節があったり、木目に沿わない彫り方をすると、思うような形にならないことがあります。そうすると、思うような形にするにはどうすればいいかを考え始めたり、もう一個作ったらうまくできるんじゃないかと考えて「次は違うアプローチをしてみよう」と変わっていきます。そういう興味が頭の中をクリアにしていったり、身体のほうの記憶が正しくなったりしますよね。
宇野 たとえば模型は、今だったらデジタルスキャンしてまったく同じものを3Dプリンターで作ることができるんですが、そうやって完成したものって、まったくリアルじゃないんです。 つまり人間は模型の形状そのものではなくて、模型を作る過程でそのものの本質のようなものに触れている。「このオートバイは、この自重を支えるフレームがフォルムを決定しているのだな」とか、「この建築はこの屋根の曲線を見せるためにそれを支える柱や壁が最適化されている」とか、そういうことを直感的に受け取っているわけです。だから優れた模型作家はデフォルメするんです。実はデジタルスキャンで実物を、自動車とか建築物とかをそのまま縮小したモデルをつくっても、人間はあまりそれをリアルに感じない。だからスケールが小さくなっても「それっぽく」見えるためには、その対象の本質をとらえ、特徴を抽出して、そこをアピールしたような形で縮小するんです。そうすると、途端に「それっぽく」見える。だから、作家によってアプローチがぜんぜん違う。そこに個性も宿るわけです。 だから、前編でお話しされたムジナのブローチの話はすごくおもしろかったです。ムジナというものをリアルに置き換えてるのではなく、いったん作家さんがデフォルメしているわけですよね。その後一人ひとりがブローチを作ることで、自分にとっての「ムジナ性」みたいなものを抽出して表現していると思うんです。
鞍田 そうですね。結果的にできあがったものはそれぞれ全然違います。
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「ムジナの庭」では何が起きているのか(前編)|鞍田愛希子
2022-10-11 07:00
本日のメルマガは、就労支援施設「ムジナの庭」施設長・鞍田愛希子さんと宇野常寛との対談をお届けします。植物に触れること、手仕事をすること、人と触れ合い感情を表現することをつなげた心身のケアを通じて、就労へのサポートプログラムを実践するムジナの庭。施設利用者へのケアを実現する「居心地のいいみんなの庭」はどのように成り立っているのか、サービス・空間設計の両面から解説していただきました。(構成:石堂実花、初出:2022年5月17日(火)放送「遅いインターネット会議」)
※本対談で登場する「ムジナの庭」へ訪問した詳細なルポルタージュは、『モノノメ#2』に掲載されています。詳細はPLANETS公式オンラインストアにて。
「ムジナの庭」では何が起きているのか(前編)|鞍田愛希子
居心地のいいみんなの「庭」を目指して〜「ムジナ」に込めた思い
宇野 本日のテーマは3月に刊行した雑誌『モノノメ』の第2号でも特集させていだだいた、就労支援施設「ムジナの庭」です。就労支援施設と聞いてピンとこない方もいると思うのですが、いろんな分野の障害を持っている方が働けるようになるために職業的な訓練を受ける施設のことです。
「ムジナの庭」は植物に触れたり、手仕事をすることで人と触れ合い、感情を表現することなどをコンセプトにした心身のケアのプログラムをユニークに展開されている施設です。今日は『モノノメ』2号の解説編のような形で、「ムジナの庭」の主宰者である鞍田愛希子さんをお迎えして、一緒に「ムジナの庭」について考えてみたいと思います。愛希子さん、今日はよろしくお願いします。
鞍田 よろしくお願いします。
宇野 「ムジナの庭」は完成してからまだそこまで日が経っていない施設なので、取材として踏み込んで話すのはもしかしたらちょっと迷惑なんじゃないかという迷いがあったんです。でも、非常におもしろい試みをしていることをパートナーの鞍田崇さんからも伺っていたので、ぜひともお願いしたいと思って取材させていただきました。 今日はまず愛希子さんのほうから改めて「ムジナの庭」の試みについてご紹介いただいて、そのうえで「ムジナの庭」の試みを通じて僕らが考えるべきことなどに議論を広げていけたらいいなと思っています。それではよろしくお願いします。
鞍田 ありがとうございます。こうやってお話しするのが初めてなので、ガチガチなんですが(笑)。よろしくお願いします。
いまご紹介いただいた通り、「ムジナの庭」は就労継続支援B型事業所と言って、一般企業での就労が難しい方のために働く場を提供したり、段階を踏んで就労へ向かっていくためのサポートを行う福祉施設になります。「ムジナの庭」は昨年の3月、ちょうど1年前に開設したばかりで、「何歳からでもリスタートできる社会へ」というスローガンをもとに立ち上がりました。このスローガンには、どんな生きづらさを抱えていたとしても、誰もが未来に安心し、何度でもチャレンジを続けられるよう、いつでも帰れる家のような場所でありたいという願いが込められています。
「ムジナの庭」にはいくつかコンセプトがあります。まずは「眠っている身体感覚を取り戻す」。ふと嗅いだ香りや、ふいに投げかけられた言葉、何気なく食べているもの、作業に没頭する時間、いつの間にか心や体に作用している要因をキャッチして、自分なりの暮らし方を見つけていきます。 私は大学を卒業して最初の仕事が植木屋だったんですが、学生時代は不眠症で気分も抑うつ気味だった私が、植木屋になったら急にぐっすり眠れたという経験があります。学生時代は、ただの運動不足だったんですよね(笑)。木を切っているときの香りや感触を通してメキメキと人間らしさを取り戻したという実感もあり、「ムジナの庭」でもそういうことを大事にしたいと思っています。
もう一つのコンセプトは、「居心地のいいみんなの庭」です。 「ムジナの庭」は武蔵小金井というJR中央線の駅から10分もかからない場所にあるんですが、ここは坂下(さかした)と呼ばれる地域で、近くに「はけ」と言われる崖が続いています。近くに「ムジナ坂」という坂があるんですが、この坂が「ムジナ」の由来のひとつでもあります。 このあたりは夜はとても暗くて、「女の子が通るとムジナに襲われるよ」といった感じで、「ムジナ」があまりいい意味で使われていなかったようです。この名前をつけるのも地域の方にすごく反対されました(笑)。でも、この坂が都道の建設で無くなってしまうかもしれないという話を聞いて、その土地の記憶として残しておきたいという思いもあり、この名前にしました。
目の前にある古いお寺には保存樹木にも指定されている大きな木が多く、毎日何十羽、何百羽といる鳥の声が聞こえてきます。「ムジナの庭」の2階は水平窓になっているので、180度緑が眺められる空間の中でぼーっとしたり、畳のある空間で寝転がったり、ハンモックで休んだりできます。そんな、みんなが共有できる庭やリビングのようなのびのびと暮らせる場所を作りたいという思いが立ち上げ当初からありました。
「ムジナ」という言葉を「同じ穴のムジナ」という言葉で聞いたことのある方も多いと思いますが、通常はアナグマのことを指します。ただ、古くはタヌキや狐、イタチなんかも、みんなムジナと呼ばれていました。巣穴を掘るのが得意で、とても大きな巣穴を掘るんですが、そこに勝手にタヌキや狐が居着いても、一緒に住んでしまうんです(笑)。この感覚がすごくいいなと思っています。穴を掘るのが得意な人は巣を作ったり、草を集めたい人は草を集めてくる。「ムジナの庭」という名前にはそんな、それぞれが得意なことで活躍しながら共に暮らしていける場を作りたいという思いを込めています。 ムジナは「害獣」と言われることもありますが、それは人間にとっての害であって、環境が変われば「害獣」ではありません。私は最近「障害」という言葉をあまり使いたくないという思いがあって、自分の中で「障害」と「害獣」が結びついて、「ムジナ」は象徴的な動物だな、と思っています。
「リバイブ=再活性化」をテーマとした活動
「ムジナの庭」では3つのプログラムを用意しています。就労支援施設なので働くことを通してお金を稼ぐことがベースではありますが、それに加えて「ケア」に力を入れています。
毎日一緒にご飯を食べる人がいれば自然と元気が出たり、昼間にしっかり体を動かせれば夜が眠りやすくなったり、日々誰かと顔を合わせれば笑う時間も増えますよね。そうした当たり前のことを一つずつ繰り返していく。これを毎日続けていくことで心と体の回復を促すようなプログラムを用意しています。
1つめのプログラムは「生活と仕事」です。これは主に手仕事の作業のことを指します。たとえば月に一度のオープンアトリエでは、お客様をお招きしてカフェを開いています。そこでは普段作っている雑貨やアロマ製品、庭で手入れしたハーブを使って作ったお菓子や、雑草を使ったコースターなどを販売しています。
こうした活動の裏側には「再活性化」という意味の「リバイブ」というテーマがあります。大学を卒業して植木屋として働いていたときに、剪定した枝をウッドチップとして再利用することが多かったんですが、ものすごくお金がかかるうえに、ウッドチップにした場合でもほとんどがゴミになってしまうのを見て「せっかくこんなにいい匂いがしているのにもったいない」と思っていました。その経験から、「ムジナの庭」では水蒸気蒸留というアロマを作る事業もやっています。 これからお話しする建築のリバイブもやっていますし、元気を失ってしまった人をどう再活性化させていくかという、人に対するリバイブもやっています。そう考えると、「ムジナの庭」のすべての活動のテーマが「リバイブ」であるとも言えます。
2つ目のプログラムは「からだプログラム」です。この写真に写っているのは鍼灸師のスタッフで、プログラムの一環でお灸をやっているところです。足つぼやアロマもやっているんですが、体に直接アプローチするので、たとえば「眠れないから薬を飲む」というよりは「眠れないときにどう体を使えば眠れるようになるか」ということがわかるように、みんなで確認しながら行っています。
3つ目の「こころプログラム」では北海道で有名な「べてるの家」の当事者研究や、SST(ソーシャル・スキルズ・トレーニング)などを取り入れた活動をしています。 最近ではヘアメイクとポートレート撮影をするプログラムもやりました。第三者が関わったり、普段しないアプローチによって変わっていく心の在りようもテーマとして挙げているので、クリエーターやアーティストの方々に関わっていただきながら、従来の自己理解やコミュニケーションのプログラムだけではない、少し変わったアプローチをしています。
これはプログラムの一環で木工作家の三谷龍二さんの指導のもと、みんなで作ったムジナのブローチです。三谷さんもいろんなブローチをこれまで手掛けられてきた方ですが、30年ぶりの新作としてこの形を考えてくださったそうです。
この日は参加者一人ひとりが、一匹のムジナを2時間くらいかけて仕上げました。彫刻刀自体握るのが小学生ぶりという方ばかりで、みんな黙々と集中して取り組んでいました。
これは三谷さんが最初に作ってくださった小冊子です。この中には、「ムジナが住んでいる土の中を想像してね」「森の中ってどんな感じかな」「ムジナってどんな形だっけ」と書いてあって、まずイマジネーションの世界からムジナを生き物として捉えるところからブローチに落とし込んでいくのが面白かったですし、とても温かい時間でした。
三谷さんには実は十年以上お世話になっていますが、今回のワークショップでは三谷さんがもともとものづくりに対して持たれている価値観や思いを、小冊子の扉に書いていただきました。
『モノノメ』でもお話しさせていただいたんですが、「集中しましょう」「考えるのをやめましょう」と言われても簡単には実行できないですよね。たまたま「これ可愛いから作ってみよう」と思ったら集中していた……という結果論のほうが大事なのかなと思っています。プロセスにこだわるよりも、結果そうなっていた、という仕掛けをできるだけ柔らかく、面白く作りたいなと思っています。
この日は3月なのに季節外れの雪が降っていたのも相まって、不思議な体験でした。作業の間も鳥の声が聞こえたり、コリコリというような木の感触ややすりで削る音が聞こえたりして、マインドフルネスのような体験になりました。この活動の様子はYouTubeでも公開していますので、ぜひ見てみてください。
建築としての「ムジナの庭」
鞍田 「ムジナの庭」はもともと「小金井の家」と呼ばれていた住宅を改装した施設です。もとは1979年に建てられた家で、設計は建築家の伊東豊雄さんです。 実はもともと建築家の安藤忠雄さんに話があったそうなのですが、予算の規模が少なかったために当時まだ若手だった伊東さんへお電話し、代わりに伊東さんが作られたという経緯があるそうです。断熱材が入っていないので、夏は暑く、冬は寒い倉庫のような作りの建物になっていますが(笑)、当時は水平窓が珍しかったのもあり、建築家のなかでは話題になったお家だったようです。
これは竣工当時の写真ですが、いままたこの同じような造りに戻しています。この黄色の柱もグレーになっていた時期があったり、床がクッションフロアになっていたり、寒すぎたり暑すぎたのか、途中仕切りとして壁や扉を作っていた時期もあったりと、かなりの回数の改装を重ねてきた建物のようです(笑)。
これが2021年時点の写真です。建築家の大西麻貴さん、百田有希さんの建築設計ユニット、「o+h」さんに改修をお願いしました。百田さんはもともと伊東事務所で働いていた方で、大西さんは大学生の頃から伊東さんとコラボレーションされていて、二人は師弟関係でもありました。せっかくなので伊東さんの建築をよく知った方にお願いしたいと思い、たまたまご縁あったこともあって改修をお願いしました。
これが改修前ですね。1階がまだ子供部屋のままです。
これは高野ユリカさんという写真家の方が撮り下ろしてくださっている写真です。「小金井の家」が「ムジナの庭」になる、その変遷を追った書籍を、伊東さんとo+hさんが一緒に作ってくださっていて。改修前から撮りためていただいたものになります。
この頃は柱の色が違いますよね。壁が真ん中にあって、子ども部屋を二つに分けていた時期のようです。私たちが入る直前に手直しされてグレーにわざわざ塗られたそうなんですが、直後に私たちが戻してしまって、工務店さんががっかりしていました(笑)。
これが今の状態です。一番変わっているのが窓ですね。今は四角い窓が吹き抜けの上のところにあります。本当はこれを腰高で全部抜いてスタッフがみんなの様子を見られるようにしたい、とお願いしていましたが、o+hさんが伊東さんに相談に行ったときに、すごく緻密な模型を作ってくださって「この壁はあったほうが良いな」とおっしゃったみたいで。「好きにしたらいい」と言ってくださったみたいなんですが、この壁は残したほうが良いという判断があって、最終的に四角に抜くというかたちに収まった感じです。
宇野 空間設計に人間関係というか、コミュニケーション観の違いが見えますね。ある空間と別の空間が、もっときっちり分けられている空間が良いのか、それともある空間と別の空間の境界が曖昧で、どこかでゆるゆるとつながっている空間がいいのかという。
鞍田 そうですね。今はあそこの窓から「ごはんできたよ」という会話が上下で生まれたりするんですが、上を全部取らなかったことで向こう側に隠れられる、心理的な安全性が保てるような空間にもなっていると思います。畳のスペースなので、「からだのプログラム」でお灸をしたり、足ツボをするスペースになっています。 これが、くり抜いた窓から見た2階のキッチンですね。こちらは1階で、もともとの子ども部屋が改装されてキッチンになった部分です。
これは2021年の2月、「ムジナ」を開設する1ヵ月前に伊東さんが来てくださったときの様子です。o+hのお二人も来られて、この小金井の家を担当されていた泉さんという方も一緒に来てくださって、当時の話を伺いました。伊東さんも四十年ぶりに遊びに来られたということで、すごく喜んでくださっていました。
実は「ムジナの庭」をお願いするより前から、伊東さんと大西麻貴さんが東日本大震災の後に作られていた「東松島こどものみんなの家(以下、みんなの家)」にとても共感していたところがあったので、今回改修をお願いすることができてとても嬉しかったです。 「みんなの家」は、まだ被災者の方々が仮設住宅に住んでたときに「みんなのリビングのような、共有できるスペースがあるといいよね」という発想のもとにデザインされた空間です。それぞれが別々に暮らしながら、セミパブリックな共有できるスペースがあるというところがとてもいいなと思っていました。「ムジナ」も、たとえばそれぞれひとり暮らしをしている人にとって、暮らしの中で一緒に共有できる「庭」やリビングのような場所であればいいな、と思っていて、そういう場の在り方を体現したいということを伊東さんにもお伝えできたのは、とても嬉しかったです。
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