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  • 京都アニメーション 2ストロークのリズム(後編)|石岡良治

    2024-02-29 07:00  

    今回のメルマガは、批評家・石岡良治さんの「京都アニメーション」論をお届けします。現代アニメシーンとの直接的な接続を見出せるであろう、2010年代の京アニ作品を歴史的にどのように位置付けるべきか。「けいおん!」や「Free!」シリーズ、『氷菓』などをメルクマールとして、ゼロ年代的感性の転換を経た現代アニメ史の一つの系譜をたどります。 (初出:2023年9月29日放送「石岡良治の最強伝説 vol.66 京都アニメーション作品」、構成:徳田要太)前編はこちら:京都アニメーション 2ストロークのリズム|石岡良治
    バンドアニメとしての『けいおん!』から考える時代性
     『けいおん!』についてもう少しコメントすると、これも『CLANNAD』と同じく「2ストローク」のリズムで2シーズンの物語を描いた作品です。個人的にはテンポの良さからして1期のほうが好みではありますが。
     正直当時は『けいおん!』を「バンドアニメ」としては見ていませんでした。いま聞くとサントラのクオリティがとても高いと思うんですが、当時は「いや、これはロックバンドのアニメではないのでは?」と難癖を付けていたタイプですね。2022年の『ぼっち・ざ・ろっく!』との違いは何かというと、『ぼざろ』の楽曲が邦ロックとして完成度が低いなどと言っている人はごく少数派だということです。これはフレームが逆転したと思います。むしろ当時は『けいおん!』の楽曲が「ロックとしてすごい」と言うほうが難易度の高い批評行為だったと思います。
     『映画けいおん!』(2011)はロンドンに行くエピソードで当時は大丈夫かと心配したんですが、しっかりリアリティラインを保っていましたね。裕福な家庭で育った女子高生がフェスで大成功を収めるとかそこまでの達成ではなく、ちょっとした日本にかんするフェスでライブをしたという、あり得る程度の描写に収まっています。ただ、ここはやはり現在とは時代が違っているところもあって、いま『けいおん!』を放送したら貧困キャラがいないことを理由に嫌われていた可能性もあると思います。『ぼざろ』には廣井きくりという風呂なしアパートのお姉さんキャラがいますし、『BanG Dream! It's MyGO!!!!!』でも主要キャラに貧困キャラがいないと思いきや、まさかの超貧困キャラの存在が最終回で明らかになりますからね。日本のアニメはそこまで変わってしまいました。今だったらいわゆる「きらら系」を含めて、一人くらいは貧困キャラがいないとリアリティーがないと言われてしまう時代だと思うので、隔世の感がありますね。
     このテーマをどこまで遡れるかというと、恐らく『きまぐれオレンジ☆ロード』(1984〜)くらいからでしょう。同作の主要キャラが住んでいるマンションは80年代で言うゴージャスマンションで、いま見ると少し古い、いわゆるバブルマンションです。ちょうどあれぐらいから貧困キャラが減っていって、つまり80年代後半ごろから続いた世界観が、とうとう2010年代に終わったということですね。
     そう考えると『中二病』と『氷菓』(2012)には生活感があると思います。なお『氷菓』のエンディングでは少女キャラのフェチ表現が盛り込まれていて、これが一部視聴者からの顰蹙を買っていました。つまり『ふもっふ』から『AIR』のノリで、男性オタクノリの身体フェチ表現を「エンディングだからサービスしてもいいよね」と思って実践してみたら作風に合わないと判断されたわけです。これは結構重要なことだと思います。実はこれこそが私の現代アニメに対するモチベーションで、2010年代ぐらいから男性向けの女性身体表現、つまり覗き見アングルとボディーパーツ強調表現の扱いが変わっていって、その「終わりの始まり」が『氷菓』に見出せるわけです。
    フロンティアとしてのアニメ表現
     『Free!』にもさらに触れておこうと思いますが、私は凛といういわゆる「ギザ歯」キャラがお気に入りです。なぜギザ歯キャラを好むかというと、恐らく歯列矯正をしいてない人のアレゴリーだからでしょうね。凛は違いますが、かなりの確率で貧乏キャラなんですね。
     『劇場版 Free!-the Final Stroke-』(2021、2022)のネタバレを含みますが、これは終盤のオーストラリアのシーンがポイントです。現地の踏切で電車が通り過ぎたとき、主人公の遥と凛が線路を挟んで向き合うんですね。そして遥と凛がメインカップルのようでいて、必ずそこに真琴が割り込むという構図を最後まで徹底していました。遥が「受け」となっているようでいながらその他のキャラたちを攻略する(ここは解釈がわかれるところですが)、ある種のハーレムラブコメの様相を呈しています。
     作中にはスウェーデン出身のアルベルトという、世界記録保持者が登場し遥と対決するわけですが、この辺りのリアリティラインの保ち方は巧みだと思います。つまり遥は個人種目の100m自由型では敗北するんだけれども、100m×4の団体リレーでのタイムではアルベルトを超えるわけですね。ギリギリファンタジーとして成り立つところに落とし込んでいます。
     『Free!』は長く続いているシリーズなだけあって、京アニ作品では意外と独自の立ち位置を示していると思います。一見するとひたすら上半身裸のメンズたちをサービスし続けるだけの作品に見えるかもしれませんが、私は実はこの作品には出崎統イズム、あるいは梶原一騎イズムとでも言うべき思想が宿っていると思います。つまり『巨人の星』『エースをねらえ!』のようなスポコンものの王道です。昭和期には「世界最強が日本人ではない競技で日本人の天才がどこまでやれるのか」という問題に挑んだ作品がいくつかあって、梶原一騎はその典型でしょう。ところが現代では、大谷翔平や藤井聡太などフィクションのリアリティーラインが書き変わるレベルの競技者が登場しているので、遥の活躍は現実的に許容できる範囲に収まっています。そう考えると『Free!』は実はしっかりスポーツものの作品として作られていたことがわかります。
     また2023年に第2期が始まった『ツルネ』では、女性が嫌悪感を抱かずに済む、それでいてイリーガル感がありそうでない絶妙なラインに落とし込んだ、小学生少女と高校生によるカップリング要素を堂々と展開しています。一度最盛期を極めたアニメスタジオは安定して緩やかに老舗となっていく道をたどると思うんですが、私はこれらの要素はどちらも現在のアニメに求められている表現としては十分フロンティアだと思っています。
    通過儀礼からの超越
     さて、冒頭で紹介した「通過儀礼」および『現代アニメ「超」講義』で論じた彼岸への超越の断念、「川を渡ること」「カップルが同じ方向を見つめているけれど違うものを見ている」という主題は次のようなことに関係しています。
     
  • 京都アニメーション 2ストロークのリズム|石岡良治

    2024-02-27 07:00  

    今回のメルマガは、批評家・石岡良治さんの「京都アニメーション」論をお届けします。『CLANNAD -クラナド-』をはじめとするゼロ年代の代表作で確立された制作スタイルは、どのように現代まで継承されているのか。近年話題を集めている『響け!ユーフォニアム』最新シリーズ以降の展望も交えつつ、元請スタジオとしてアニメ史に名を刻んだ「京アニ」の約20年間を振り返ります。 (初出:2023年9月29日放送「石岡良治の最強伝説 vol.66 京都アニメーション作品」、構成:徳田要太)
     「京都アニメーション 2ストロークのリズム」というテーマで京アニ作品について分析しようと思います。「2ストロークのリズム」が何かは後述しますが、シンプルに言うと『CLANNAD -クラナド-』(2007〜)と、続編にあたる『CLANNAD 〜AFTER STORY〜』(2008〜)のように、シリーズの第1期終了から少し期間を空けてから続編を展開するパターンをモデルにすることができます。最近の作品では「ツルネ」シリーズもそれにあたります。
     今回はファン・ヘネップ『通過儀礼』(岩波文庫、2012)での論をもとに分析していきます。京都アニメーションの青春もの、たとえば『MUNTOシリーズ』では、あるヤンキーカップルが川を渡り切ったあとで周りのキャラクターたちが拍手するシーンがあるわけですが、ああいうのはまさに通過儀礼ですよね。
     このテーマは青春ものでは重要ですし、それに加えて私は宮崎駿アニメを「ゆきて帰りし物語」としてプロット化するよくみられる慣習も実際には通過儀礼の言い換えだと思っています。儀礼というのは簡単に言うと祭りのことで、まず一般社会から分離して何かイベントを行う。その後もう一度社会に戻ってくるということで、これがいわゆる「ゆきて帰りし物語」ですね。ポイントは「PASSAGE」という言葉で、和訳すると「通過」「通路」といった意味になります。ヴァルター・ベンヤミンの「パサージュ論」の「パサージュ」はアーケード商店街の原型のような場所ですが、、近代における消費の場としての通路の重要性を説いています。これはあらゆる成長モデルを、事実上の通過儀礼モデルとしてみなすことが可能だということです。しかしポイントは「何でも『成熟』でいいのか?」という問題で、この辺りはやはり改めて捉え直してみる価値があると思います。「青春もの」に対して「テンプレ的ないい話」とみなして嫌いな人は一定数いますよね。なぜ嫌うかというと、おそらくは通過儀礼の3区分(分離、過渡、統合)のうちの「統合」に回収されてしまうからでしょう。
     これを典型的に示している京アニ作品といえば『中二病でも恋がしたい!』(2014)、とりわけ主人公の小鳥遊六花です。彼女は『マビノギオン』などのウェールズ神話を読みまくるような世界に閉じこもっていたところから、恋をすることで(一般社会への統合を経て)成熟したわけですよね。その落とし所が「教育的」にみえるのは否めないかもしれません。
     また、逆に「統合が欺瞞である」と主張したい場合には、「終わりなき過渡期」というものに直面する必要があると思います。こうした問題は、子ども向け作品にとどまらないとはいえどこかで「成長」が問われるアニメを語るときには、必ず問われてしまうものだと思っています。
    2023年時点での京アニへの展望
     それでは具体的な作品について、現時点での最新作『特別編 響け!ユーフォニアム アンサンブルコンテスト』(2023)から話を始めようと思います。この作品は京アニにとって良いきっかけになったのではないでしょうか。というのは、同時期に放送されていてわたしをはじめとした一部のアニメファンの話題をかっさらった作品に『BanG Dream! It's MyGO!!!!!』(2023)があります。こちらのシリーズ構成・脚本を務めた綾菜ゆにこと、『ユーフォ』の原作者・武田綾乃との対談があります(「アニメ「BanG Dream! It's MyGO!!!!!」綾奈ゆにこ×武田綾乃対談」)が、ここで興味深いのが、武田が『ユーフォニアム』の番外編『飛び立つ君の背を見上げる』では「尖ったことをやっている」と明言していることです。私はこの対談の勢いに乗って、京アニが『飛び立つ君の背を見上げる』をアニメ化すべきではないかとすら思っています。この対談では二人とも「百合」について熱く語っていますが、言うなれば「ドロドロ展開の百合もの」は勢いを増しているように思われるジャンルなので期待しています。京アニの今後の一つのフロンティアとして強く推していきたいところですね。
     もう一つ、2023年6月にKAエスマ文庫に動きがありました。賀藤招二の『MOON FIGHTERS!』と吉田玲子『草原の輝き』が秋頃に同時に発売されるようです。これが何の布石かというと、一時期は停滞していたエスマ文庫からの京アニメディアミックスに動きがあるということです。両方かどうかはわからないとはいえ、どちらかはアニメになるのではないでしょうか。
     正直ここ数年の京アニ作品は、続編と完結編が大半だったと思うんですが、ここにきて新作のアニメ化の可能性が浮上しています。とくに2024年に放映される『ユーフォニアム』の3年生編が終わった後に、いろいろ動きがあるのではないかと思っています。
     それと、『バジャのスタジオ』『バジャのスタジオ〜バジャの見た海〜』二部作についても触れておこうと思います。センシティブな話題になりますが、これは三好一朗(木上益治)が監督を務め、今はなき京アニの第1スタジオに捧げられた作品です。2019年以降NHKで放映されているので、第1スタジオの追悼となってるうえに木上益治の遺作にもなっています。この作品は『MUNTOシリーズ』と並び、この時期、具体的に言うと2019年までの京都アニメーションというのは結局木上益治によって成立していたことを示すベンチマーク的作品でしょう。木上益治はアニメーターとしても名高く、たとえば『AKIRA』(1988)において、金田が下水道に侵入するシーンや、『CLANNAD』の「風子参上」、『日常』(2011)の「校長 VS 鹿」などが有名です。こうしたクオリティの高い作画は大体彼がやっていましたし、京都アニメーションが納期をしっかり守るスタジオで、かつ安定した原画マンもたくさんいたというのは、要するに彼が育成の天才でもあったということですよね。
    「通過儀礼」としての『CLANNAD -クラナド-』