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  • 中華圏ゲームの発展史:1980〜90年代編|古市雅子・峰岸宏行

    2021-12-28 07:00  

    北京大学助教授の古市雅子さん、中国でゲーム・アニメ関連のコンテンツビジネスに10年以上携わる峰岸宏行さんのコンビによる連載「中国オタク文化史研究」の第10回。中華圏におけるオタク文化全体の中でも特に大きく開花することになったゲーム分野に光を当て、その発展の軌跡を辿っていきます。今回は1980〜90年代編。大陸に先駆けて日本コンテンツの流入窓口になっていた台湾でのパソコン産業の勃興を起点に、中華圏独自の人気エンタメジャンル「武侠」ものの取り込みを経て、いよいよ大陸でもオリジナルのPCソロゲームが隆盛を始めるまでの流れを概観します。
    古市雅子・峰岸宏行 中国オタク文化史研究第10回 中華圏ゲームの発展史:1980〜90年代編
     これまで9回にわたって、中国では日本のアニメ・コミック・ゲームを、テレビ・雑誌・インターネットなどのメディアや、個人・サークル・字幕組といった人々のムーブメントがリレーして繋げてきた歴史を紹介してきました。そうして日本のコンテンツを受容していくなかで、自国のオタク文化が形成され、オンライン小説を中心に独自の同人文化が発展し、同時に独自のプラットフォームが発展して、いよいよ独自のコンテンツ制作が軌道に乗る兆しを見せ始めます。それは、ゲームから始まりました。
     そこで今回からは、どのように現在のゲーム産業が発展していったのかをひもといていきたいと思います。具体的には、まず今回は1980年代から1990年代まで、台湾を起点とした中華圏におけるゲーム発展史、および日本のPCゲームの流入経過を分析します。そして次回以降は、様々な中国オリジナル作品が登場し、政府による様々な政策に翻弄され、最後に海外へと流れていく過程をまとめつつ、今後の中国におけるオタク層のゲーム消費について展望を述べたいと思います。
    台湾ゲームの黎明期
     大陸のゲームについて語るには、まず台湾に触れなければいけません。台湾と日本は1972年、国対国としての国交が断絶されて以降、民間レベルで往来があり、日本から様々な情報や産業、そして漫画や小説などコンテンツが流入しました。
     台湾は中華圏においては大陸に先駆けて日本コンテンツに触れた場所であり、のちに中華圏におけるその一大拠点となっていきます。 しかしこれはあくまでも、ファンによる私的な行動であり、企業の経済行為ではありませんでした。そのため、香港、台湾には多くの非正規の日本漫画出版社や音楽出版社が生まれました。1990年代に台湾はWTOに加盟するために複数回マラケシュ協定に基づく著作権法の改定を行うと同時に、漫画出版社である東立出版社が日本の版元から正式な許諾を受けた正規版書籍の出版を開始、台湾全土の非正規業者に対する「殲滅戦」を展開したため、追い詰められた非正規業者は対岸の中国大陸に渡りました。大陸が海賊版の温床といわれますが、実際は台湾非正規業者の影響もあるのではないかと推測します。
     そうした背景も踏まえつつ、1980年代から2000年までの中華圏のゲーム史を全体的に俯瞰してみると、始まりは1982年に設立された台湾の「第三波文化事業股份有限公司」に遡ることができます。これは台湾パソコン業界の雄で、パソコンやモニター等のデジタル機器を取り扱う企業、acerのメディア部門が独立した、中華圏最初のゲーム会社です。
     1982年といえば、有限会社シンキングラビットから発売されたコンピュータパズルゲーム『倉庫番』が登場した年です。1973年にセガとタイトーが日本初のコンピューターゲームを発表してから、1980年に『パックマン』(ナムコ)、『ウルティマ』(Origin Systems)、『ミステリーハウス』(Sierra Entertainment, Inc.)、PC初の3Dゲーム『3D Monster Maze』(Malcolm Evans)などが登場し、各国でコンピューターゲーム雑誌が創刊され、空前のPCゲームブームが到来した時期でした。
     第三波はacerの3つ目の子会社で、当時流行っていた情報革命を唱えた書籍、『第三の波』(アルビン・トフラー・1980)から名前を取ったと言われています。設立当時は家庭用コンピューター市場で上場を目指しますが、市場が思ったように伸びず、90年代にはゲームコンテンツの販売代理、ソフトウェア販売代理、雑誌、図書出版業務だけを残し、ハードウェア開発を諦めます。
     第三波は台湾だけではなく、中国大陸のゲーム業界にも大きな影響を与えました。『ヒーローズ・オブ・マイト・アンド・マジック』(ニューワールドコンピューティング・1995~)、「大航海時代」シリーズ(コーエーテクモゲームス・1990~)、「三国志」シリーズ(コーエーテクモゲームス・1985~)などの海外有名作品の代理店として活躍しています。これによって、日本の多くのゲームが台湾・香港を中心に広まっていきます[1]。
     1984年には「第三波金軟件排行榜」(第三波・ゴールデンソフトランキング)という自主制作ゲームのイベントを開始し、ゲーム開発の促進を目指します。のちに台湾のゲーム業界をけん引する企業「智冠科技」と「大宇資訊」は、第三波のイベントが会社設立のきっかけのひとつだったといいます。 この年には、中華圏初の商業ゲームを発売する企業「精訊資訊」(せいじんしじん)が設立されます。精訊が発表した「如意集」は欧米や日本などのゲームに比べると全体的なボリュームが小さかったといわれており、現在では当時のゲームのスクリーンショットや関連情報はほとんど出てきません。ですが、中華圏で始めて制作されたゲームとして、中華圏のゲーム史を語るときには必ず語られるタイトルであり、制作会社でもあります。 1990年代に入ると、台湾のゲーム黄金期とも言うべき時代に入りますが、「第三波」「精訊資訊」のほかに前述した「智冠科技」「大宇資訊」を合わせた四大企業がしのぎを削り、業界を拡大していきます。
     大宇資訊は「精訊資訊」創始者の一人、李永進が独立して起こした会社で、1990年にオリジナル武侠RPG「軒轅剣」(けんえんけん)シリーズの第1作を発売します。軒轅剣シリーズの最新作は2020年にPS4で発売された『軒轅剣 閻黒の業火』(けんえんけん えんこくのごうか・2020年)で、30年で12作という長寿作品となりました。1995年には『仙剣奇侠傳』を発表し、こちらもオリジナル武侠ゲームとして大ヒット、1999年にセガサターンへ移植されたほか、漫画、テレビドラマ、舞台などマルチメディア展開され、最新作『仙剣奇侠傳7』が2021年10月15日に発売されました。フィギュア会社のグットスマイルカンパニーからもヒロイン・趙霊児等のフィギュアが発売されています。
     智冠科技は1993年、金庸(きんよう・1924-2018)の武侠小説原作RPG『笑傲江湖』を制作し、中華圏における武侠ゲームの歴史が開きます。その後『倚天屠龍伝』、『鹿鼎記之皇城争覇』、『金庸群侠傳』といった大ヒットゲームを発表していきます。
    ▲図1 『笑傲江湖』パッケージ
    武侠とは
     こうした台湾産ゲームのベースとなった世界観が「武侠」(ぶきょう)と呼ばれる中華圏オリジナルの伝統的なエンターテインメントジャンルで、中華圏、つまり中国語圏に人々にとって日常生活にまで染み込んでおり、中国のゲーム、ひいてはコンテンツの発展を語る上では欠かすことのできない存在です。武侠は、ルーツを辿れば唐代まで遡ることのできる大衆小説のジャンルでしたが、近年は映画やドラマ、アニメ、ゲームなど中華系コンテンツにおいて非常に重要なジャンルとなっています。日本でも著名な「水滸伝」はこの武侠というジャンルの小説に位置づけられます。そのほか、『グリーン・デスティニー』や『セブンソード』、『片腕必殺剣』など香港、台湾映画のタイトルを見るとなんとなく雰囲気がわかる方もいるでしょうか。  簡単に言うと、「俠」、つまり己の信じる正義のために行動しようという精神、そしてその正義を「武」で表すという意味で、「武俠」と呼ばれています。中国の歴史的背景で描かれる群像時代劇といってもいいかもしれません。もともと、さまざまな武術の流派の使い手が、それぞれ得意な技や武器を引っさげて戦ったり、冒険したりするストーリー展開であったため、現代のエンターテインメント、特に二次元とは親和性が高く、今ではそこにファンタジーの要素もからませ、流派間の争いであったり、秘伝書をめぐる陰謀、正統、正義を司さどる正派と、悪、恐怖を代表し、異国から来たおかしな術を使うことも多い魔教との戦い、魔教内部のクーデター、正派どうしの併呑など、数々の事件が巻き起こるエンターテインメント作品となっています。
     たとえば、もっとも有名な武侠小説のひとつである『笑傲江湖』では、剣術の流派と魔教の戦いが描かれます。例えば主人公が属する五岳剣派や少林寺派、武当派の各流派は正派として描かれますが、五岳剣派内の内部闘争も重要なストーリーとして描かれますし、魔教も一つではなく、日月神教や五毒教など、それぞれの正義をもって行動します。五毒教の教主の娘が主人公と行動を共にしたり、五岳剣派の一派が主人公を殺そうとしたり、正派は絶対的な正義ではなく、魔教も絶対的な悪ではない、複雑なストーリーが展開し、見せ場がこれでもかと詰め込まれた一大エンターテインメントです。
     こうして武侠が中華圏に欠かせない現代的なコンテンツとして大きくなった背景には、大陸が大躍進運動や文革など国内が不安定な状況にあった1950年代以降、香港、台湾を中心に作品を量産した新派と呼ばれる作家の活躍があります。彼らが伝統にとらわれず、現代的な視点や表現方法を積極的に導入したことにより、武侠は現代のエンターテインメントとして、映画、ドラマなどいわゆるマルチメディア展開が始まり、香港を起点に東南アジアや世界各国のチャイナタウンまで、大きく羽ばたきます。
    ▲図2 武侠御三家の金庸、梁羽生、古龍
     新派作家の代表であり、武侠小説の御三家とも言われる、金庸、梁羽生、古龍の作品は、中華圏の映画やドラマ、ゲーム、アニメなど幅広いジャンルに多大な影響を与えています。誤解を恐れず、その作風をわかりやすく日本の漫画に例えるなら、起伏は大きくないが長く楽しめる梁羽生は『ナルト』。一動作ごとの描写は少なくとも、とりあえずカッコいい古龍は『ブリーチ』。独特なキャラクター性やストーリーの仕掛けが非常に秀逸な金庸は『ハンター×ハンター』と言えるでしょうか。 なかでも金庸は、飛び抜けて人気と影響力がある作家で、現在の武侠の基本的な設定はほとんど、金庸の作品群がベースになっているといっても過言ではありません。金庸小説原作のドラマ・映画は現在までに150本以上、古龍は180本以上あることから、彼らの影響力の大きさがうかがい知れます。
    1990年代台湾ゲームの躍進と凋落
     1990年代、台湾産ゲームの黄金期では、智冠が金庸作品シリーズを出し、大宇がオリジナル武侠作品である「軒轅剣」シリーズと「仙剣奇侠傳」シリーズを出していることから、武侠というジャンルとゲームの親和性がわかります。
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  • 小菅駅から古隅田川緑道、綾瀬川、東京拘置所、荒川河川敷へ|白土晴一

    2021-12-27 07:00  

    リサーチャー・白土晴一さんが、心のおもむくまま東京の街を歩き回る連載「東京そぞろ歩き」。今回は、小菅駅から荒川に向けて歩きます。水害対策のために荒川放水路と綾瀬川に挟まれた小菅地区。用途を変えながらも長い間地元住民と接してきた川沿いの地形から、下町に暮らす人々の歴史を探ります。
    白土晴一 東京そぞろ歩き第9回 小菅駅から古隅田川緑道、綾瀬川、東京拘置所、荒川河川敷へ
     東京に出て、最初に住んだのは JR金町駅の沿線であった。  葛飾区金町は東京の東側の端っこで、水元公園を越えれば埼玉県三郷市、江戸川を越えれば千葉県松戸市という場所である。  今から数十年前なので、当時は田んぼがけっこう残っていて、大都会東京に出てきたというよりも、都市の近郊農村に引っ越してきたような気がした。  江戸川に近い場所であったため、窓を開ければ延々と伸びている高い堤防が眼に飛び込み、休日には河川敷のグランドで草野球の試合がいくつも行われ、堤防の上の道路を犬の散歩やランニングをしている人などがひっきりなしに通行しているというような土地で、山に囲まれた盆地の地方都市で生まれ育った私には、まったく馴染みのない風景が物珍しかったと記憶している。  特に驚いたのは、散歩がてらに河川敷を歩いている時に、30cmほどのデカいネズミのような動物が葦の中から飛び出してきたことだろう。東京に来て、そんな得体の知れない動物に遭遇するとは想像もしていなかった。  のちに、その動物は一部では「マツドドン」となどと呼ばれていて、1940年代に毛皮用に輸入されたものが逃げ出して繁殖したマスクラットという外来生物であることを知るが。  金町から都心に向かうにしても、常磐線の上り電車に乗って、中川、荒川、隅田川という大きな河川を渡っていかねばならない。  そのうち、常磐線に乗っていると、「今、三つ目の鉄橋を渡ったから、北千住が近いな」などと、越えた川で場所を把握するようにもなっていった。  つまり、私が最初に受けた東京の洗礼は、人混みでも、超高層ビルでもなく、関東平野の大きな河川とその周辺の生活環境ということになる。なんとなく意識下に「東京は平らな土地にデカい川が流れている」と刷り込まれてしまったのだ。  当然こういう風景は東京全体ではなく河川が集中する下町の話なのだが、高い堤防の連なる大きな川を見ると、今でも東京に出てきた頃の10代の自分を思い出す。  都心の繁華街や高層ビルよりも、都内の大きな河川の河川敷を歩くと、今でも「ああ、東京にいるんだな」と思ってしまう。
     だから、しばしば大きな川沿いの街を歩きたくなる。  そこで浅草から東武伊勢崎線(東武スカイツリーライン)に乗車し、荒川を越えた小菅駅で降りてみることにする。  葛飾区小菅は、下町を水害から守るために作られた人工の迂回水路の荒川放水路と、昔の荒川の分流であった綾瀬川に挟まれた三角形の地区である。

     上は駅前に設置された周辺地域案内の地図を撮影したものだが、これを見れば川に挟まれた土地というのが良くわかると思う。  現在は東京下町となったこの辺りは、古来から河川が集中しており、江戸時代からいくつもの大規模な工事によって川がまとめられたり、流れが変えられたりしているので、川の来歴を説明するだけで大変な場所。しかし、だからこそ、水害を防ぐため、川沿いで生活するためのインフラ施設や景観が顕著に見てとれる土地と言える。

     ホームを降りてすぐに目に飛び込むのは、巨大な要塞のような東京拘置所。  小菅といえば、この東京拘置所抜きでは語れない。下りの東武伊勢崎線やJR常磐線の電車に乗れば、嫌でもこの巨大な施設が眼に飛び込んでくる。

     ちなみに手前の茶色の団地のような建物は、拘置所職員用の官舎。刑務官は、万が一の事態の際の緊急招集を想定して、拘置所に隣接もしくは施設内に官舎が建設されることが多い。  ホームから改札に向かうために階段を降りるが、この小菅駅ほど「高架駅とはこういうものである」と感じさせてくれる駅はないだろう。


     橋脚や梁が丸見えで、剥き出しコンクリートの高架下に、駅に必要最低限な改札と階段、エレベーター、トイレなどが設置されただけと言っていい。しかし、線路下の高架の床板が事実上の天井なので、上の空間がえらくオープンで解放感を生んでいる。仮設の駅という訳ではないが、経済性を追求したが故の奇妙な開放的な雰囲気がある。  ここ小菅駅は荒川放水路(現在の荒川のこと)の建設にともない、北千住―小菅間に鉄道橋を建設するための路線変更が行われたことで、大正13年(1924年)に建設された駅。この駅自体も河川の影響で生まれた施設と言えるだろう。  戦後の一時期営業が休止されていたが、昭和25年(1959年)に再び営業が開始された。そういう意味では路線選定の際にあらかじめ計画された重要駅というよりも、何かの都合で慌てて開業した駅という歴史を感じさせる作りだろう。 ホームに昭和の小菅駅を撮影した写真があったが、これを見ると昔は一つのプラットホームの両端に線路が隣接している現在の「島式ホーム」ではなく、向かい合うようにプラットホームが二つ並んでいる「相対式ホーム」であったらしい。



     また、現在の橋脚を連ねた高架ではなく、土を台形状に築き、その上に線路やプラットフォームを置く「盛り土方式」の高架駅だったことが分かる。荒川の堤防を越えて鉄橋近くに作られた駅であるので、この高さのプラットフォームになってしまうのだろう。駅舎やプラットホームに向かう階段も、後から無理やり作ったようで、現在の駅と同様に、最低限の駅として成り立てばよいという感じが、個人的には面白く感じてしまう。
     改札を出て駅前に出てみるが、そこは駅前というよりも住宅街の路地という感じで、コインロッカーと自販機が並んでいる程度。駅前というのにはあまりに殺風景である。


     古い地図で確認すると、そもそも明治の終わり頃は田圃しかないないような場所で、駅が建設された後の昭和前期にちらほら住宅が作られるようになったらしい。  その駅前の住宅地の中を南に進むと、東京拘置所の官舎が現れる。しかし、その官舎の前には、敵を防ぐ中世城館の堀のような水路がある。


     東京拘置所の周りだけに収監者の脱走を防ぐために作られた堀ではないか! と思ってしまうが、そんなことはない。  これは古隅田川と呼ばれる河川。現在の隅田川とは当然違う。  先ほども書いたが、このあたりは江戸から何度も河川改修や水害対策の工事が行われいる場所で、いくつかの河川がまとめられたり、流れの方向を変えられたりして、かつては川があったが今は違う場所を流れているということが多い。  しかし、川自体が完全に無くなった訳ではなく、暗渠化されたり、水量がかなり少なくなっているが、わずかに川として残っている所もある。そうした川は、「元○○川」や「古○○川」などと呼ばれることがある。  この古隅田川も、そうしたかつての大きな流れの痕跡のような川で、武蔵と下総の国境となっているほどの大河だったが、中川の灌漑工事などで工事によって水量が徐々に失われた結果、一時期は雑排水路(ドブ川)となるが、下水道整備でその役割もなくなり、現在はこのような姿で親水公園や親水遊歩道などが併設されている。  ただ、安政の大地震(1850年代に連続して発生した大地震)では、この古隅田川沿岸で液状化現象が大きな被害が出たという記録が残っている。今は小さくなっていても、川というのは何がしかの影響を土地に残しているので侮れない。  ちなみに現在の隅田川はかつては旧入間川の下流部分で、江戸時代の瀬替などの河川改修工事を経て大川と呼ばれたが、昭和に入って荒川の分流として隅田川と名付けられた河川。 このように江戸東京の河川はひどく入り組んだ歴史を辿っているこの古隅田川沿いを東の綾瀬方面に向かって歩く。
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  • アフガニスタンで起きていることについて、いま僕たちが考えるべきこと(後編)

    2021-12-24 07:00  
    おはようございます。
    今日はWebマガジン「遅いインターネット」の最新記事と、併せて読んでほしいおすすめ記事をご紹介します。
    先日公開されたのは、アフガニスタン紛争終結をめぐる、伊勢崎賢治さんへの特別インタビュー(後編)です。
    2021年8月15日、タリバンによるアフガニスタン全土の実効支配実現という形で終結したアフガニスタン紛争。現地には数百名の自衛隊員が動員され、日本国も事実上の「交戦国」となりましたが、そのことが国内世論で問題化されることはほとんどありませんでした。「遠い国の問題」では済まされない一連の事件について、“紛争解決請負人”である伊勢崎賢治さんに行ったインタビューの後編をお届けしました。
    今回の記事と併せて、こちらの記事も(もういちど)読んでみませんか?
    2011年の東日本大震災から、10年の歳月が過ぎました。コロナ禍という現在進行中の危機に人々の意識が上書きされるなか、戦
  • 第5章 現代社会に現れはじめたマタギたち ── デジタル狩猟文明がもたらす経済環境とライフスタイル|落合陽一

    2021-12-23 07:00  

    メディアアーティスト・工学者である落合陽一さんの新たなコンセプト「マタギドライヴ」をめぐる新著に向けた連載、第5章の公開です。グローバルな社会環境を構築するプラットフォームの限界費用が限りなくゼロに近づくことで、かえってローカルな風土や文化の特質がデジタル環境に表出する「デジタル発酵」化が進行中の現在。その条件下で出現し始めているバーチャルな「マタギ」としての人々のライフスタイルのあり方と、その社会経済的な基盤に何が求められるのかを考えます。

    落合陽一 マタギドライヴ第5章 現代社会に現れはじめたマタギたち ── デジタル狩猟文明がもたらす経済環境とライフスタイル
    デジタル発酵の進展とマタギドライヴの出現
     ここまで見てきたように、デジタルネイチャー下では社会環境を構築するハードウェアやソフトウェアの限界費用がゼロに近づき、グローバルなプラットフォームの基底が磐石なものになっていく一方で、その環境を活かしたものづくりが高速化したりコストが逓減したりすることで、次第にインフラやサービスが地域の自然的・文化的風土に即した土着化を起こしていき、まるで世界各地の発酵文化のようにローカリティに根ざした生態圏が繁茂していくという文明史的な変化が、現在の世界では進行しつつあります。  ここからは、そうしたデジタル発酵化にともない、人々のライフスタイルがどのように変わっていくのか、そしてそれを支える経済的・社会的なバックグラウンドに何が求められるのかを考えていきたいと思います。
     すでに序章から第1章にかけて大づかみには論じたように、テクノロジー環境の進歩の結果、人々の生き方や人生観が狩猟採集社会のそれに近づきつつあります。そうした性向のことを我々はマタギドライヴと呼んでいるわけですが、それは社会全体として見れば一律で一様な変化というわけではありません。デジタルネイチャーの成立条件としては、もちろん発電所や海底ケーブル、データセンターといった物理的なインフラストラクチャーがあり、さらにその上でグーグルやアップルといった巨大プラットフォーマーたちが巨木のように基幹的なサービスを展開するという昔ながらの工業社会のスタイルが続くことが、もちろん大前提にあるからです。  ただし、それらを敷設すること自体がイノベーショナルだった段階が過ぎて、それらは究極的にはAIが差配する農園の管理のようなものになっていく。そこに従事して定住農耕民型のライフスタイルを担う人々は当面はマジョリティであり続けるとしても、限界費用の低下したインフラの巨木を利用可能になることで、その狭間で小さくプリミティブな試行錯誤が繰り返され、小さなイノベーションをともなう様々なデジタル発酵が連鎖的に起こるようになってくる。その担い手や利用者として、狩った獲物を農耕民と交易をしながら暮らす山岳の狩猟集団マタギのような存在が、定住的なライフスタイルを持つ近代社会の周縁で知らず知らずのうちに増殖していくという描像が、マタギドライヴの具体的な出現プロセスです。
     こうした変化は、多かれ少なかれあらゆるジャンルで起きていることですが、わかりやすいのはデジタルネイチャー化の初期の時点から発展してきたゲームソフトの市場でしょうか。当初のビデオゲームは、家電や半導体や娯楽機器の大量生産をともなう工業社会の周縁で、アーケードゲームやコンソール機といった媒体によって産業化を遂げたわけですが、現在では市場規模としてだいぶ下の方に下がっていて、かわりに限界費用の安いゲーム、たとえばスマートフォンやPC上でオンライン参加できるタイプのゲームの割合が非常に高くなってきています。
     その上で、さらにeスポーツのように世界中のプレイヤーが順位を競うようなライフスタイルが定着し、それが生業にまでなり始めているという流れは、まさにマタギドライヴ的な動向の典型と言えるでしょう。私自身もオンラインで『マジック:ザ・ギャザリング(MTG)』をよくプレイしますが、狩るものとして何を選ぶかは、ゲームやeスポーツにかぎらず様々にありえます。アイディアや資本がある人ならベンチャーを始めるでも良し、YouTuberになるでも良し、コンテンツを作るも良し。世界全体にコミットしていく立場の人であれば、現在の社会システムが達成できていない問題解決そのものをターゲットに据えたSDGs(持続可能な成長目標)のようなものを自らの人生の挑戦課題にしていくことでしょう。  そういったあらゆる対象を追い求めるためのインフラストラクチャーのコストがかなりの程度民主化された結果、ゴールとなる対象物を見つけては適度なリスクを取りながらそれを攻略するということが繰り返されるようになり、労働と余暇の垣根を越えて人生の意味になるという狩猟採集的なライフスタイルが、社会階層を問わず社会のあらゆる場面に生まれ始めているのです。
    マタギドライヴたちが持続的に生きられる環境条件とはなにか
     このように現生人類の登場以来、農耕によって人口容量が引き上げられるまでは地球上に500〜1000万人程度しか生存していなかったとされる狩猟採集型のライフスタイルが、いまや数十億人規模で共有されるようになったとき、それを支えるための生態環境上のリソースはいかにして持続可能なものにできるのでしょうか。   おそらくその問題は、もはや物質・エネルギー的な問題というよりも、資源の分配にかかわる社会的なインフラの問題なのでしょう。多くの文明論者などが語るように、産業革命以来のテクノロジーの発展や資本の蓄積を考えれば、いずれ長期的には人口動態的にも定常状態に向かうだろう人類の上半分くらいの境遇にいる人々が働かなくても生きていけるくらいの富は、十分に蓄積されてきている可能性が高い。そこに属する人たちの利便性や発信性は非常に上がっていますし、それを支えるだけの持続可能なエネルギー獲得の目処も立ちつつあります。化石燃料への依存による気候変動リスクは依然として大きな問題としてあり続けていますが、近い将来、再生可能エネルギーの普及を進めるにせよ、安定陸塊に載った地勢の国々では原子力を使い続けるという選択肢を取るにせよ、人類はなんだかんだで環境との平衡点を見つけだしていくのではないかと思います。  その意味では、かつてジョン・メイナード・ケインズが世界恐慌の時代に「孫たちの経済的可能性」というエッセイで論じたような人々から労働から解放される日は、確かに近づいてきているのだとは言えるでしょう。ただし、いわゆるグローバルサウスの状況からも明らかなように、その富の再分配が著しく不十分だということが、21世紀世界の現状です。現状の資本の再投下は、おそらく先進国でのITプラットフォーマーのような投資コストに回っていて、資本上の格差をますます拡大させていく方向へと動機づけられています。この構造こそが、大局的には現代の資本主義文明にとって最大の問題として残っていくことになるでしょう。
     それでは、社会全体に自らの狩りの対象を見出していけるだけのリソースが個々人に再分配されていく構造を、どのように築き直していくべきなのでしょうか。  私が出演したある番組で、日本からなぜ映画のクリエイターが出てこないのか、という話になりました。これは番組中にはなかなか結論が出なかったのですが、番組終了後にある大手配給会社の方が、「やはり配給会社の存在がネックなのでしょうね」という本音を吐露されていたのが印象的でした。これは非常に示唆に富んでいます。たとえば東宝は上場企業として非常にスコアがよく、内部留保も多いし利益も上がっている。けれども、そこからクリエイターに還元される構造にはなっていないのだそうです。それはなぜかと言うと、現在の資本主義の枠組みでは利益を優先的に還元しなければならいのは株主であって、クリエイターではないからです。だから、現場としてはクリエイターに有利な契約を結びたくても、トップの決断としては、会社の利益を目減りさせてまでクリエイターに還元することができないのである、と。  こうしたクリエイター搾取の構造は、いま多くのクリエイティブ業界で問題視されているようになっていますが、これは現在の資本主義が、マタギドライヴ的な生き方にとっては必ずしも最適とは言えない問題を本質的に抱えていることを意味します。つまり、巨大化した資本はそのままでは価値をクリエイトする側には分配されず、ある程度の規模になると資本そのものを自己拡大していく方向に向かっていく傾向にあります。たとえばある会社がスタートアップから新たなプラットフォームを立ち上げて成功したとして、順当に第二、第三のアマゾンやアップルになっていけるかと言えばさにあらず、ある段階ですでに覇権を獲得しているプラットフォーマーに買収されて、搾取構造の中に取り込まれていくという可能性の方が高くなっていく。最近の例では、Siriを作ったニュアンス・コミュニケーションズをマイクロソフトが相当大きな金額で買収したりしています。  そういう環境が厳然とある中で、マタギドライヴ的な生き方──つまり個人事業者規模のクリエイターやYouTuber、あるいはもう少し規模の大きなベンチャーの経営に携わっているような人々が今よりも持続可能に生きていけるようになるためには、資本主義のヒエラルキーからどのようにして離脱するか、もしくは資本主義のヒエラルキーをどう逆手にとって利用していくかの手立てが、必要になっていくことでしょう。
    r>gの世界に現代マタギはいかに介入するか
     大局的には、現状の資本主義環境では、クリエイターが創り出したもので株主を納得させることは至難の業です。というのは、経済学者のトマ・ピケティが『21世紀の資本』で述べたように、利子や配当など資本が自己増殖的に利益を生み出していくときの資本収益率rは、労働やイノベーションによって経済全体が発展していくときの経済成長率gよりも、長期的に見れば必ず大きくなっているからです。つまり、2度の世界大戦によって富裕層の資産がシャッフルされたり、未曾有の人口拡大ボーナスが起きたりと、特殊な条件が重なったことで戦後に高度経済成長が起き、驚異的にgが伸びて庶民が豊かになり分厚い中産階級が形成された20世紀の先進諸国の経済環境は、実は資本主義の歴史全体の中では、きわめて例外的な期間にすぎなかったというのが、ピケティの見解です。  そして、世界大戦後の成長ボーナスが行き着くところまで行き着き、IT革命を経て限界費用が0に近づきつつある21世紀現在では、再びr>gの条件が戻ってきている。つまり、富める者はますます富を拡大していくのに対し、貧しい者が成長の恩恵にあずかれるチャンスは放っておけばどんどん目減りして、格差を拡大する方向に向かっていく。
     そしてクリエイターが労働を通じて作り続ける価値というのは、基本的にはgの側の原動力となるものです。しかし現時点では、それはよほどのことがないかぎり、資本家が蓄積した資本によるrを超えることはありません。  したがって資本主義システムを前提にクリエイターが状況を改善するには、クリエイトされていく価値をうまくrに変換していく仕組みを作る必要があるわけです。となると、おそらくクリエイター自身がある種の株式会社を作り、その会社への出資を募るなどしてクリエーションそのものへの支援を集めるといった方式でしか、株式市場に立脚した金融資本主義の環境では成長が見込めません。私自身も一クリエイターとして、こうしたハッキングの手段を真剣に考えざるをえないと思っています。  そういう仕組みが機能しないのは、予測の立てやすい地価の変動や農産物の収穫や企業の業績とは異なり、クリエイターへの投資価値が現在価値だけでしか判定されていないためです。たとえばベンチャーキャピタルは、10社に投資したうち9社が失敗しても、1社から得られるキャピタルゲインで全体的には高い投資対効果が得られる前提で投資活動を行っています。しかし、株式売買においては一般的なそうした投資行動が、クリエイターへの投資においては見られない。現在価値だけで判断すると、株主に大きな利益をもたらす投資対象は限られるからです。起業家は未来価値で判断されるので、何者でもない人であっても金が集められる。その結果、10回に1回はイノベーションが生まれるわけです。他方、クリエイターへの投資に際しては未来価値ではなく現在価値で判断されるので、比喩的に言えば、東宝がいくらお金を持っていても、クリエイターの卵には1円も回らないのです。
     だからこそ現在価値に基づかない、クリエーションの未来価値まで含めたうえでの投資活動を、資本主義の文脈で行っていく必要があります。言わば、人の未来投資価値を買う権利を、多くの投資家に付与していかねばならない。資本がマタギを壊さないようにするためには、原理的には個人レベルでのrの未来価値を投資家たちに可視化し、その投資回収効率を上げるような試みをしていくという介入をしていくことが重要になるでしょう。
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  • インフォーマルコミュニケーションを考える|西田健志・消極性研究会 SIGSHY

    2021-12-22 07:00  

    消極性研究会(SIGSHY)による連載『消極性デザインが社会を変える。まずは、あなたの生活を変える。』。今回は西田健志さんの寄稿です。オンライン会議などリモート環境の弱点として指摘されることが多いのが、予定外の雑談のようなインフォーマルコミュニケーションが取りづらいこと。「決められていない」からこそ発生する豊かな交流の場を、どうすれば意図してデザインすることができるのか。この矛盾した命題を、徹底的に考えます。
    消極性デザインが社会を変える。まずは、あなたの生活を変える。第22回 インフォーマルコミュニケーションを考える
    リモート環境を不可避的に経験する中で感じる悲喜こもごもについては、オンラインコミュニケーション技術(#6)、チャットツールの活用(#15)、周辺体験のデザイン(#17)、など、この連載でも複数の視点から語られてきました。
    私自身も同じような経験をしてきているのですが、同じく消極性研究会メンバーの栗原さんや簗瀬さんよりも輪をかけて消極的な性分だからか、個人的には比較的心穏やかに過ごせている方なのかなとバックナンバーを読み返しながら感じています。大学はオンライン授業になりましたが、COVID-19以前から各種コミュニケーションシステムを利用して消極的な学生からも意見を引き出せるよう工夫して授業をしていたのが功を奏して、その延長線上で慣れ親しんだ授業ができています。
    そんな私でもずっと頭を悩ませてきたのがゼミ(研究室)の運営です。週に1度のオンラインミーティングで進捗を共有するだけではちょっとした困りごとの相談などがすぐにできないし、日頃がんばっている様子がお互いに見えていないと一体感が得られないし、研究のペースやモチベーションを保ちにくくなってしまいます。悪い意味でも心穏やかという感じでしょうか。
    このような経験をしてきたのは私たちだけではなく、あるいは大学だけで見られた現象でもなく、おそらく一般的によく見られる現象だったはずです。実際、2021年3月に開催された「情報処理学会 インタラクション2021」において発表された「在宅勤務が職場の関係性及びメンタルヘルスに及ぼす影響」という研究では、在宅勤務ではつながりの弱い同僚間のコミュニケーションが減少することやそれに伴って不安感が増大することが報告されています。
    インフォーマルコミュニケーションとアウェアネス
    リモート環境になっても進捗報告ミーティングや仕事上必ず必要なやりとりなどはなくなりません。ビデオ会議ツールやチャットツールを使えばそれほど不自由しないからです。失われがちなのはインフォーマルなコミュニケーション、つまり議題・スケジュール・参加者などがあらかじめ計画されておらず、偶発的に発生するコミュニケーションです。
    実は、リモート環境でインフォーマルコミュニケーションが減ってしまうという問題はコミュニケーション支援技術の研究分野では古くから(少なくとも1990年代から)着目されていて、お互いに今どういう状況にいるかが伝わりづらいせいで話しかけるきっかけがつかみにくいことがその主たる原因だというのが定説になっています。それぞれの人が今どうしているかに関する情報を「アウェアネス」と呼び、リモート環境でもアウェアネスを共有できるようにすることでインフォーマルコミュニケーションを促進しようとする様々な技術が提案されています。
    わかりやすい研究事例でいうと、お互いの仕事場をカメラで撮影して随時共有するシステムの研究などは1992年に発表されています(Portholes : Supporting Awareness in a Distributed work Group (CHI 1992))。
    ところが、それからおよそ30年後のコロナ禍にあって、こうしたシステムが日の目を見たという話はそれほど聞かなかったように思います。常に自分を映しているカメラがあってそれをどこかで誰かが見ているというのは何か嫌だなと感じた人も多いのではないでしょうか。アウェアネスを共有、つまり相手の状況を知ることの利便性は自分のプライバシーを失うこととトレードオフの関係にあるというわけです。同じ時間に同じ場所にいてお互いに状況を共有している状態は自然と受け入れることができているのに、それがインターネット越し、テクノロジー越しになるとどうも気持ち悪いという問題がなかなか解決できていないままなのです。
    この問題に対してのおもしろいアプローチの一つとして、照明やごみ箱などの日用品の状態を遠隔地で同期させる、つまり自分の家の照明を点灯させると相手の家の照明も点灯する、ごみ箱のふたを開け閉めするとそれも連動するSyncDecorというシステムが提案されています。
    SyncDecorはその研究目的として遠距離恋愛支援を掲げていたこともあって、かなりプライバシーに配慮した形でのアウェアネス共有を実現できていると思いますが、専用の日用品が必要なことに加え、多人数でのアウェアネス共有には適していません(多人数で照明を連動させたら部屋がディスコになってしまいます)。
    共有タイマーによるインフォーマルコミュニケーション支援
    これに対して、昨年度、私の研究室で行われたある卒論では、今どうしているかを逐一共有するのではなく、もともと共有しているスケジュールに合わせてみんなで生活するという方法を研究しました。みんなが同じタイミングで休憩するのであれば、いちいち確認する必要もないというわけです。コミュニケーション支援技術研究の流れから言うと逆転の発想という感じがしますが、時間割に合わせて勉強しつつ休み時間には休憩しながら雑談する、誰しも経験したことがある学校生活のようなごく自然な発想だと言えるでしょう。
    具体的に実施したのは25分作業と5分休憩の30分サイクルを繰り返す集中方法「ポモドーロ法」を参考に、グループメンバーでオンラインコミュニケーションシステム上に集まってポモドーロタイマーを画面共有しながら各々作業に取り組み、休憩時間になったらミュートを解除するという実験です。
    私の研究室ではこの方法を実践しながら1週間のリモート夏合宿を実施し、もう一つ別の研究室でも概ね同様の実験に協力していただきました。
    ▲ポモドーロタイマーをリモート環境で画面共有する実験のスクリーンショット
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  • マトリックス、政策起業家、平成の「ヒット曲」、2021年アニメ総特集……12~1月の生放送・動画のお知らせです

    2021-12-21 07:00  
    おはようございます。PLANETS編集部です。 今日は、12~1月の生放送・アーカイブ動画と、おすすめの関連コンテンツについてご案内します。
    【これから放送】
    12/22(水)石岡良治の最強伝説 vol.45 テーマ:マトリックス
    今回の石岡良治の最強伝説は、「マトリックス」を大特集!
    1999年に公開された第1作目は世界中で大ヒットし、4億6000万ドル以上の興行収入を記録。続編の『マトリックス リローデッド』『マトリックス レボリューションズ』含め、 多くの観客に衝撃を与えました。
    今月いよいよ続編の『マトリックス レザレクションズ』が公開されるなか、世界中を惹きつけたマトリックスシリーズの魅力について、ウォシャウスキー姉妹のフィルモグラフィーも絡めて、批評家・石岡良治が語ります!
    2022/01/14(金)遅いインターネット会議「政策起業家」が行き詰まりの日本を変える可能性を徹底的に
  • ネオアニマ in アートマーケット|近藤那央

    2021-12-20 07:00  

    ロボットクリエイターの近藤那央さんが、新しいロボットのかたち「ネオアニマ」が実現する社会について考察する連載「ネオアニマ」。今回は来年の個展に向けた新たな取り組みと、それらを出展したアートマーケットについてのレポートです。「ネオアニマ」のユニークな世界観は、果たしてシリコンバレーの人々にどのように受け入れられたのでしょうか。
    近藤那央 ネオアニマ 第6回 ネオアニマ in アートマーケット
    アメリカでの生活も早くも4年目になっていますが、テックのイメージが強いシリコンバレーの中で、細々とでも制作を続けていられる理由が、サンノゼのコミュニティにあります。お察しの通り、この地域はテック企業を中心とした資本主義の社会で、かなり文化的なトピックが少ない場所です。物価の高さから、アーティストがアート活動だけで生きていくのはほぼ不可能です。
    そんな場所でも、いや、そんな場所だからこそローカルのアートシーンを盛り上げようと活動されている、ギャラリー経営者のCherriさんという方がいます。私は、そのギャラリーに訪れていくつかアートを購入させていただいた事がきっかけで、コミュニティギャラリーでの展示や、アートマーケットへの出展の機会をいただいたりしました。こういった機会があるということが、どこにも所属がない個人のアーティストの制作における非常に力強いサポートになっています。


    今年は、8月、9月、10月のそれぞれ第1週目の金曜日の夜に開催されたアートマーケットに出展しました。そこで、製作中のネオアニマや絵画を展示して、道ゆく人からさまざまなコメントをいただいて自分の制作物について新鮮な視点をもらったり、人々に説明したりする中ではじめて言語化できた作品にまつわるストーリーがありました。 今回はそのアートマーケットでの話を中心に、製作中の新作についてや、同時に展示した絵画など、私の作品に共通するテーマについても書きたいと思います。
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  • アフガニスタンで起きていることについて、いま僕たちが考えるべきこと(前編)

    2021-12-17 07:00  
    おはようございます。
    今日はWebマガジン「遅いインターネット」の最新記事と、併せて読んでほしいおすすめ記事をご紹介します。
    先日公開されたのは、アフガニスタン紛争終結をめぐる、伊勢崎賢治さんへの特別インタビューです。
    21世紀の幕開けと共に、テロリストの脅威を世界に知らしめた9・11テロ事件。直後に始まったアフガニスタン紛争はアメリカ史上最長の戦争となり、2021年8月、多国籍軍陣営の敗北という形で終止符が打たれました。
    終戦直前に行われた、タリバンによるアフガン全土の実効支配実現を、民主主義国家はどのように受け止めるべきなのか。長年、国連の平和維持活動に参加し、アフガニスタンの武装解除に携わってきた伊勢崎賢治さんに、じっくりとお話を伺いました。

    今回の記事と併せて、こちらの記事も(もういちど)読んでみませんか?
    特別企画「オルタナティブ・オリンピック/パラリンピック・プロジェクト再考
  • オリンピックの「負の遺産」から、東京をもう一度考える|重松健

    2021-12-16 07:00  

    2021年、招致から7年ほどの歳月をかけて予想外の展開を重ねた東京オリンピックがついにその幕を閉じました。今回は、世界中で数々の建築やランドスケープデザインを手掛けてきたLaguarda.Low Architects 共同代表の重松健さんと一緒に、オリンピックという大きな祭りを終えた新国立競技場周辺を歩いてきました。「都心環状線はすべて公園に変えるべき」という大胆な「東京G-LINE」構想を提唱している重松さんの目に、この国のオリンピックレガシーはどう映ったのでしょうか。(聞き手:宇野常寛、構成:石堂実花)
    オリンピックの「負の遺産」から、東京をもう一度考える|重松健
    2021年8月某日、都内。建築家の重松健さんと評論家の宇野常寛が、オリンピックが閉幕した後の神宮外苑周辺をぐるりと一周歩いてまわってきました。NYに拠点を持ち、世界各国で建築・マスタープラン等を手掛けてきた重松さん。実際に国立競技場周辺の環境を見て、何を感じたのでしょうか。
    ▲当日重松さんと一緒に歩いたルート。信濃駅から出発して国立競技場前を通り、渋谷方面へ抜けました。
    ▲取材当日の新国立競技場付近。
    ▲オリンピック・パラリンピック開催期間中は立ち入り禁止になった道路がいくつかありました。
    ▲競技場脇を通る首都高4号新宿線
    ▲首都高を撮影する重松さん。
    オリンピックレガシーを有効的に活用するためには
    ──新国立競技場を見に行ったのは今日が初めてだったそうですが、いかがでしたか?
    重松 建築としては美しいなと思いましたね。ただ、ホームスタジアムを作っても年間で10、20くらいしかホームゲームがないなかで「あと340日をどうするんだ」という課題はどの国のスタジアムでも抱えている問題です。オフィスを加えてみたり、商業施設を加えてみたり、欧州リーグ見放題な住宅を作って、それが付加価値になって売れたり、こういったいろんな前例があるなかで、新国立競技場はそういう総合的な感じにはならなかったので、今後どうなるのかな、という気はします。
    ──レガシー活用の目玉として入札を募集していましたが、入札者がいなくて入札が延期されたというニュースもありましたね。
    重松 そうですよね。一括で企業に貸して「あそこを運営してください」というのは難しそうなので、たとえばあの施設全部を満員でフル活用しなくても、10分割ぐらいしていろんなイベントができるような仕様に変えてみるのはありだと思います。そしてその使い方を内側に閉じ込めずにどう周辺と連携した使い方ができる大事だと思います。
    ──誘致が決まった直後には、「都心に近いところに大箱を」というニーズに応えるかたちでしっかり運営できるような複合施設を期待されていた記憶がありますが、そうはならなかった。僕も「オルナタティブ・オリンピック・プロジェクト」をやったときに、このエリアのことが気になりました。都心のとてもいい場所にあるのに、特定の用事、具体的にはスポーツの大会を始めとするイベントに参加するためだけに行って、終わったらただ帰ってくるしかないエリアになってしまっている。食事するところも少なければショッピングするところも少ない。緑が気持ちがいい場所なのでランナーは多いんですが、逆に言うとランニングでもしない限りなかなか行かないようなエリアになってしまっているように思います。
    重松 オリンピック誘致の委員会を務めていた猪瀬直樹さんとお話しさせていただいたときには、「オリンピックの一番の意義は、スポーツを浸透させて、みんながスポーツをやるようになることだ。そうすると健康寿命が延びて、医療費問題を解決する」とおっしゃっていました。ただ、結果的に今回のオリンピックは結局スポーツを競技場の中につめこんでしまって、街に浸透させることができなかったと思います。今のお話にあったように、ランニングコースと合わせて、その周りにもっといろんな目的を持たせるようなものを作っていく必要があったのかな、と。
     今はどんな開発でも、建物内のコンテンツだけで人を惹きつけるような魅力はもう作れません。となると、まず人が自然と集まるような魅力的な公共空間を作ることが大事であって、そこに対して境界線をなるべく曖昧にしながら商業や住宅、オフィスなどの民間開発を行うと、相乗効果で魅力的な環境とビジネスが成り立っていきます。  たとえばこれは最近うちの会社が中国の深圳でやったプロジェクトです。ここは海浜公園も含めて僕らがマスタープランを描いて、そこにアートギャラリーと商業と住宅とオフィスを入れました。このように、公共空間と民間開発の境界線を完全になくしたらどうなるかを実験的にやってみました。


     これはソフトオープニングのときの様子です。よくよく見ると、お店がまだ60%ぐらい内装工事中で開いていません。それでもこれだけの人たちを呼び寄せることができたのは、公共空間との魅力共創のひとつの可能性を証明できたと思っています。そこに戦略的にレストランやカフェ、目的性のあるものが出てくると、観光で来てる人もいれば、ランニングする人もいたり、ここの住宅のコミュニティの人が来たりと、色々な人が集まる場所になる。

     一体的に海浜公園をここまで作りこむとかなりメンテナンス費がかかってくるので、この周辺施設であがってきた収益で、メンテナンス費をカバーするというビジネスモデルも含めてつくったプロジェクトです。これは、日本でも十分適用できるモデルだと思います。
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  • 氷室冴子──認められたい娘|三宅香帆

    2021-12-15 07:00  

    今朝のメルマガは、書評家の三宅香帆さんによる連載「母と娘の物語」をお届けします。今回は小説家・氷室冴子が描いてきた母娘関係をめぐる考察です。「働く女」として従来の女性像を追求する「母」との対立を自らのエッセイに綴った氷室の母親観を、1984年の小説『なんて素敵にジャパネスク』での母の不在から読み解きます。
    三宅香帆 母と娘の物語第四章 氷室冴子──認められたい娘 
    1.弱い母──団塊の世代とその後
    第一章、二章で扱った萩尾望都と山岸凉子はそれぞれ1949年生まれ、1947年生まれのほとんど同世代だった。つまりは団塊の世代である。 萩尾望都作品は、自らの弱さによって娘を支配しようとする母に対し、母をゆるそうとする方向に向かったことを第一章で確認した。第二章で扱った山岸凉子作品は、娘の性を抑圧し貞淑を求める母に対し、性を抑圧した先には他人を受け入れることのできない娘がただそこにいるだけであることを示していた。 萩尾・山岸両作品の共通点は、娘を支配や抑圧しようとする母自身が、基本的には「弱い母」であることだ。 萩尾作品においては、むしろその弱さの原因である傷を共有することによって、母娘は繋がっている。コンプレックスや罪悪感、その弱さやみじめさこそが、むしろ母娘を離れがたい関係性たらしめている。父息子ならば父は強い存在なので彼を倒して自分が強くなれば終わりなのだが、母娘は母が弱い存在でありその弱さを共有しているからこそ、娘は罪悪感から倒すという選択肢を取ることができない。ならば母から離れ、そして彼女の弱さをゆるすほかない、と萩尾作品は示す。 あるいは山岸作品は、自身の性を嫌悪し、貞淑を求められる娘たちを描く。欲望を去勢され、性を遠ざけた娘たちの、遠くない原因は母親にあった。山岸作品における母親は、母親たち自身もまた、父権制による被害者でもある。ただ娘を愛することができない弱い存在である。そして娘に、父権制が求めるとおりに、貞淑を求める。母と娘は、性の嫌悪というその一点を共有することになる。 両作品とも、母の弱さが前提となっているのである。序章で見た通り、母娘問題は上野や信田、斎藤によって以下のような構造で説明されていた。 1 母と娘は身体を共有した分身であると感じられ、母に対して娘は自己嫌悪に陥る。 2 娘にとって母は、自分の犠牲になった存在であるからこそ、娘が自責の念を持つ。 つまり「娘が母の支配から抜け出せないのは、娘の自己嫌悪と自責感によるものだ」。これはまさに萩尾と山岸の描く、母の弱さを大前提としている。母は自分と同じくあるいは自分よりも弱い存在であり、だからこそ嫌悪したり罪悪感を覚えたりする、という構図だ。 しかしこれは、はたして時代が変わっても考慮すべき前提だろうか。母娘の問題をいつまでもこの同じ構造で説明してもいいのか、という疑問は湧いてくる。 萩尾と山岸はどちらも1969年デビュー(萩尾は「ルルとミミ」、山岸は「レフトアンドライト」)だが、デビューから10年以上経った1980年代以降になって、やっと母娘の物語を直接的に描くことになる[1]。男女雇用機会均等法が施行されたのが1986年だったことを考えると、母は父権制に従属する弱い存在であるという前提も、時代の影響を受けているだろう。 初回で取り上げた母娘批評の書き手たちのそれぞれの生まれ年は、信田さよ子は1946年、上野千鶴子は1948年、斎藤環は1961年。信田と上野はほぼ萩尾・山岸と同世代である。斎藤は第三章で扱った吉本ばなな(1964年生まれ)と同世代と言える。 もちろん信田や斎藤の問題意識は、臨床の場で母娘の問題をよく耳にすること、それが団塊ジュニアに多かったことなどを著作で挙げているので、彼女たちの問題意識は同世代と同じものだと言うのは早計だ。しかしやはりそれでも萩尾・山岸世代の後で、母娘の問題を取り上げたフィクションがいかにして変化していったか、を紐解いていくことは重要だろう。母娘問題を考える時に参照するときのフィクションの刷新が必要なのだ。 本章で取り上げる氷室冴子は1957年生まれである。次章で取り上げる松浦理英子は1958年生まれ。そして第三章で取り上げた吉本は1964年生まれだった。この氷室・松浦・吉本という、主に1980年代から活躍した三人の女性作家を紐解くことによって、時代の変化に伴う母娘問題の変化が分かるかもしれない。
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