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ゼロ年代における新自由主義の行方を描いていた『クロスゲーム』(後編)| 碇本学
2022-03-31 07:00550pt
ライターの碇本学さんが、あだち充を通じて戦後日本の〈成熟〉の問題を掘り下げる連載「ユートピアの終焉──あだち充と戦後日本の青春」。あだち充の現状最後の少年誌連載作品である『クロスゲーム』読み解きの完結編です。浅野いにおの『ソラニン』とも同時期の連載だった本作の底に垣間見える、2000年代前半の新自由主義的な時代性を捉え直す視点について検証します。 (前編はこちら)
碇本学 ユートピアの終焉──あだち充と戦後日本社会の青春第20回 ③ ゼロ年代における新自由主義の行方を描いていた『クロスゲーム』
『クロスゲーム』連載が開始された2005年ぐらいの空気感(承前)
浅野いにおが『ソラニン』のあとに2007年から「ヤングサンデー」で連載を開始しつつも、同誌が休刊したため「ビッグコミックスピリッツ」に移行した連載作品が『おやすみプンプン』だった。この作品の主人公であるプンプンは人としては描かれておらず、彼とその家族だけがらくがきのヒヨコのような姿であるなど実験的なシュルレアリスム表現がされていたが、その内容はまさに1970年代後半から1980年代前半生まれ(浅野いにおは1980年生まれ)の人たちの幼少期から青年期とリンクする、ゼロ年代中盤前の同時代性とシンクロするような物語だった。私は上京後に浅野いにお作品にリアルタイムでハマっていき、自分たちの世代の漫画家としてその作品に自分を重ねることができていた。
ちなみに「ビッグコミックスピリッツ」で2014年から連載が開始された『デッドデッドデーモンズデデデデストラクション』が、今年の3月に入って最終回を迎えて終わった。『デッドデッドデーモンズデデデデストラクション』はいわゆるディストピアものであるが、内容はクリストファー・ノーラン監督『インセプション』&『インターステラー』&『TENET』×『魔法少女まどか☆マギカ』の要素を感じさせる漫画だった。その組み合わせにおける並行世界であったり、3次元以上の4次元や5次元という高次元だったりといった世界の表現もされている。また、登場人物が元居た世界で起きた出来事を修正するために違う時間軸へ移動するなどの設定も含め、本作はこの20年近くに起きた現実世界とネット社会が当たり前に混ざり合うようになった世界を見事に漫画として表現しているように思う。 実際には令和4年に終了したわけだが、平成後期のゼロ年代以降のひとつの集大成的な表現でもあるように思える。それもあって、私としては浅野いにお作品は「戦後日本社会における平成的な青春」を描いていると思っていたのは間違いではなかったように感じている。
そして、当時リアルタイムで読むことができていなかった『ソラニン』と同時期に連載がされていた『クロスゲーム』を2020年代に改めて読むと感じるのは、この作品がもつほかのあだち充作品と圧倒的に違う点だ。それは前述したように星秀学園高等部野球部における一軍と二軍の戦いがメインになっていることである。
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東風凍を解く(はるかぜこおりをとく)〜桃始めて笑く(ももはじめてさく)|菊池昌枝
2022-03-29 07:00550pt
滋賀県のとある街で、推定築130年を超える町家に住む菊池昌枝さん。この連載ではひょんなことから町家に住むことになった菊池さんが、「古いもの」とともに生きる、一風変わった日々のくらしを綴ります。節分の集まりがきっかけとなり、近隣の方と一緒に朝に散歩を始めたという菊池さん。土地の記憶をたどりながら、はるか昔近江の地に降り立った渡来人や出雲族の記憶に思いを馳せます。
菊池昌枝 ひびのひのにっき第8回 東風凍を解く(はるかぜこおりをとく)〜桃始めて笑く(ももはじめてさく)
8:30 Walkers
2月6日から朝お散歩を始めた。そろそろ老化と健康という言葉が身にしみて、自力で生活できる体力を維持することが大切になってきた。しかし残念なことにトレーニングという名の運動系、学習系全てにおいて幼い頃から向いていなくて続けることがほぼ不可能に近い。最低限社会生活を営むために矯正してきたことはあるが、結局我慢できず苦しくなってしまい自分の感性で生きられる居場所を見出せなかったのだ。元来引きこもりがちで協調性に欠けており人前が苦手なので、よくぞ表面的にここまで取り繕ってきたと褒めてあげたいくらいだが、振り返ると現代で置かれた環境ではそうするしかなかったのだと思う。
きっかけは、町内の節分会の夜のことだった。氏子神社に適当に集まり境内の大きな木に鬼の仮面をくくり付け、子供も大人も「鬼は〜外♪、福は〜内♫」と豆まきをした。そのあと、大人たちで火を囲んで乾き物をつまみながら日本酒を紙コップで飲んでおしゃべりをした。それだけのことなのだがどこかコミュニケーションがとれている。強制ではなく先の長い日々を「もうすぐ春ですね」と助け合って生きている感じ。子供や老人にはこういう安心のなごみのひとときは季節に限らず良いものだなと感じる。最近顔を見なかった人たちの生存確認にもなる。火を囲みながら話題に出たのが「蕗の薹を取りにゆく」ということだ。これに便乗させていただこうということで、朝の散歩が始まった。
▲お参りと豆まきを早々に済ませて火にあたり一杯。
初日
8時30分に近所のおじちゃまのお導きで近所の都合がついた人たちが集合する。いつでも誰でもウェルカムだが、今のところ参加希望はあるもののそれぞれの仕事や家の都合で難しく、リタイア組、フリーランス、リモートワークの人しか集まれない。ひとまずストックをおじちゃまが準備してくださり3人でスタートだ。1時間から1時間半ほど歩く。平地はもちろんだが中山間地域へも行くので一回3キロ〜6キロ歩くことになる。「歩き」はついでであり季節感を味わい、町内の土地の記憶を学び、何かを介して人と会うのが目的になっている。 それなのに私は、初日に寝坊して電話にすら気づかず大失敗した。引きこもり生活は深夜型になりがちで、朝8時に起床というのは意識しても難しかった。お昼近くなって気落ちした私に、あるおじちゃまは蕗の薹と私を揶揄った絵葉書を持ってきてくださった。翌日からは気持ちをさらに入れ替えて参加。すると日々朝型になっていくのだ。不眠症の人は寝ようとしないで朝お散歩すると治りが早いかもしれない。オススメです。
▲新鮮な蕗の薹の葉っぱはお味噌汁に浮かべて食すだけで本当に美味しい。
▲道は春日局も歩いたという御代参街道。未だに未舗装で樹木が生い茂る道もある。
「お寺の掲示板大賞」候補を見つける
この街は寺社仏閣が本当に多い。お寺は仏教伝来と聖徳太子から始まり、大津京や平安京、戦国武将や近江商人などの影響が強いのだと思う。もちろんそれ以前は縄文弥生の日本人、渡来人が自然信仰の土台を作っていたはずだ。ひとつの集落につき寺社仏閣が必ずあり、お地蔵さんや祠を入れたらその数はかなり多いのではないか(聞いたところではおおよそ200寺社あるそうだ。ちなみに集落全体の人口は21000人だそうなので、およそ100人にひとつ寺社があることになる)。
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あなたに電動キックボードの声が聞こえるか(前編)|橘宏樹
2022-03-28 07:00550pt
現役官僚である橘宏樹さんが、「中の人」ならではの視点で日米の行政・社会構造を比較分析していく連載「現役官僚のニューヨーク駐在日記」。ロシアのウクライナ侵攻に対するリアクションが街のそこかしこに現れ、有事の空気感が漂う中で、先端的なニューヨーカーたちが日常の足として使う電動キックボードが象徴する、イノベーションに対するメンタリティについて考察します。
橘宏樹 現役官僚のニューヨーク駐在日記第3回 あなたに電動キックボードの声が聞こえるか(前編)
おはようございます。ニューヨークの橘宏樹です。世界の報道はウクライナ戦争一色ですね。どうしても、この話から始めざるを得ません。戦況や停戦交渉の行方は目まぐるしく変わり、毎日様々な情報が伝えられます。両軍の死者は増え、一般市民も大勢巻き込まれ、焼け出された難民がどんどん増えています。3月7日のニューヨーク・タイムズの一面には、迫撃から逃げ遅れた親子の遺骸の写真が大きく載りました。 3月11日、米国上院はウクライナへの緊急軍事・人道援助に136億ドルを充てる予算案を可決しました。野党共和党もすんなり支持しました。 ロシアがなぜウクライナ侵攻を行ったか。最も大きな刺激となったのは昨年11月10日の米国−ウクライナ憲章の改訂において、米国がウクライナの領土的・経済的安全を保障することを再度確認したということ、ウクライナのNATO加盟の支持を強めたことなどが理由とされています。ロシア側の視点については、学生時代からの友人であるテレビ東京豊島晋作キャスターのこちらの動画がよく伝えてくれていると思います。
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野球文化を創った冒険SF小説家・押川春浪は、なぜデビュー作で「大日本帝国万歳」を唱えたのか?(後編)|中野慧
2022-03-25 07:00550pt
ライター・編集者の中野慧さんによる連載『文化系のための野球入門』の第20回「野球文化を創った冒険SF小説家・押川春浪は、なぜデビュー作で「大日本帝国万歳」を唱えたのか?」(後編)をお届けします。 日本野球の「ポップカルチャー」化に貢献した押川春浪。日本SFの祖としても知られる彼の生い立ちと、デビュー作『海底軍艦』について分析します。(前編はこちら)
中野慧 文化系のための野球入門第20回 野球文化を創った冒険SF小説家・押川春浪は、なぜデビュー作で「大日本帝国万歳」を唱えたのか?
反逆児・押川春浪(方存)、そのヤンキー漫画顔負けの青春時代
押川春浪は本名を押川方存(おしかわ・まさあり)という。以下、SF作家の横田順彌氏のいくつかの著作から、春浪の少年・青年時代について述べていこう。 方存はすでに述べたように、日本におけるキリスト教教育の先駆者である押川方義(おしかわ・まさよし) -
ゼロ年代における新自由主義の行方を描いていた『クロスゲーム』| 碇本学
2022-03-24 07:00550pt
ライターの碇本学さんが、あだち充を通じて戦後日本の〈成熟〉の問題を掘り下げる連載「ユートピアの終焉──あだち充と戦後日本の青春」。あだち充の現状最後の少年誌連載作品である『クロスゲーム』読み解きの完結編です。『ナイン』以来のあだち充の「ラブコメ×野球」路線の集大成とも言える本作で描かれた主人公コウと青葉の恋愛描写の成熟度と、2005年の連載当時の文化シーンの空気感を振り返ります。
碇本学 ユートピアの終焉──あだち充と戦後日本社会の青春第20回③ ゼロ年代における新自由主義の行方を描いていた『クロスゲーム』(前編)
あだち充作品のほかの主人公たちよりも早く成熟に向かっていた樹多村光の諦観
2022年現在、「少年サンデー」での最後の連載作品となっている『クロスゲーム』は、それまでのあだち充作品の集大成的な要素がいくつも入っていた。しかし、本作は「ラブコメ×野球といえばあだち充」という王道の要素をおさえていながらも、ラブコメ具合は他の作品に比べると少しばかり薄く感じられる作品だった。 その理由としては最初のコミックス一巻で描かれた第一部【若葉の季節】において、主人公の樹多村光(以下「コウ」)とお馴染みであり、同じ誕生日に生まれた相思相愛だった月島若葉の突然の死があった。 物語のメインである当時、小学五年生のコウと小学四年生だった若葉の妹である月島青葉は喪失を抱えて思春期を過ごしていくことになる。第20回①で書いたように、この作品のラブコメの主軸は似ている者同士だから大嫌いだったふたりの物語として展開されていく。それもあってかラブコメというよりは多少シリアスな雰囲気が他の作品よりもあるものとなっていった。
このファーストヒロインである若葉の突然の死は、『タッチ』における上杉達也の双子の弟の上杉和也の交通事故に巻き込まれた死を、もう一度繰り返すような設定だった。すでに述べたように、『クロスゲーム』は担当編集者である市原武法が「逆『タッチ』を描いてほしいんです」という口説き文句によって始まった作品だったからだ。 和也が亡くなったのは達也と浅倉南が高校一年生の夏だった。絶妙なバランスで成り立っていた三角関係を構成していたうちの一人が欠けてしまったことで、残された二人は互いの本心を伝えることが難しくなっていく。和也の死は二人にとっては見えない壁のような役割を果たしていた。それゆえにその壁を越えていき、上杉達也が浅倉南に好きだと本心を告白するというクライマックスは読者の心に響き、彼らの思春期が終わっていくという成熟に向かっていくという物語になっていた。
亡くなった若葉のことが好きだったコウと特に姉の若葉に懐いていた妹の青葉の二人は若葉からすれば似た者同士であり、若葉はいつか青葉がコウのことが好きになる可能性を秘めていると感じているような描写もされていた。 「あだち充劇場」における主人公として、コウはどこか冷めた感じがあり、他の主人公よりも達観している部分があった。幼少期のコウは物事によく動揺するタイプだったが、小学生のときに将来は結婚するという約束をしていた若葉を失ったことで、成長と共に動じない性格に変わっていった。 コウはウソをつくのが昔から得意だったこともあり、自分のプレッシャーや不安などは表に出さない冷静さを持つようになり、どんな状況であっても周囲に気を遣ったり元気付ける役目を果たすようになっていく。そういう描写があることで飄々としたものを感じさせる登場人物だった。 また、彼自身は高等部から野球部に入ることになるが、野球選手としての成長は見られるものの、人間的な成長はほかの主人公に比べると少なく感じられるものだった。ある種の諦観のようなものを抱えて成長したことが大きかったのだろう。 だが、そんな感情的になることが少ない冷静なコウを変えるのはいつも青葉とのやりとりであり、彼女といる時だけは十代の少年らしさが滲み出てしまっていた。青葉がデートをするという話を妹の紅葉から聞くと動揺する一面があるなど、青葉に関しては感情的になることが度々あり、青葉が彼にとっては特別な存在だったということがわかる描写がなされていた。
一方、ヒロインとなる青葉は、中等部に引き続き高等部でも野球部に入るものの、中等部同様に練習試合には出場できるが、公式試合には出場できない。野球選手としての資質はほかの男子部員にひけをとらない才能があり努力もしていたが、性別の問題で自分のやりたい野球をめいっぱいできない存在として描かれていた。 コウは小学生時代に若葉の勧めもあり、青葉がこなしていたトレーニングを始める。中等部では野球部には入らなかったものの、そのトレーニングは継続していたので高校野球にも充分な肉体づくりができていた。小学時代に青葉にピッチングで負けたことで、彼女の投球フォームに憧れを持つようになった。青葉のピッチングフォームを見て真似ることで「ひじを痛めない理想的なフォーム」をコウは身につけることになる。つまり、『クロスゲーム』における主人公の樹多村光が甲子園出場を果たすようなピッチャーとなったのは、ほとんど青葉の影響と言って差し支えない。 青葉としては自分のピッチングフォームなどを真似ていたコウがどんどん実力をつけていったことで、大門秀悟率いる星秀高校一軍チームを倒して二軍チームを甲子園に出場できるほどのチームに引き上げられる投手だということはすぐにわかったはずだ。そして、表面上犬猿の仲であったものの惹かれる部分を表には出さないまま、女性ということで高校野球の公式戦には出場できない自分の高校野球への夢をコウに託すようになっていった。
ヒロインが自分の夢を主人公に託すことになるという設定は、前作のボクシング漫画『KATSU!』の水谷香月から青葉に引き継がれていると言える。香月は元プロボクサーだった父の影響もあり、幼少期から男同士の殴り合いに憧れていた。しかし女性であることでそれは叶わない現実であることも、成長するにつれて突きつけられるようになっていく。その夢を諦めることができたのは、ずっと胸に抱いていたボクシングの夢を主人公の里山活樹の才能に惚れることで、彼に託すことができたからだった。
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お香の伝統と現代のくらしの「交差点」でありたい(後編)|山田悠介
2022-03-22 07:00550pt
編集者・ライターの小池真幸さんが、「界隈」や「業界」にとらわれず、領域を横断して活動する人びとを紹介する連載「横断者たち」。今回は、和の香りの専門店「麻布 香雅堂」代表取締役社長の山田悠介さんに話を伺いました。江戸寛政年間より200年以上続くお香一家に生まれながら、実は「お香そのもの、めっちゃ好き」ではないという山田さん。後編では、そんな山田さんが、現代のライフスタイルにフィットした「和の香り」のあり方を探求するようになった軌跡をたどります。(前編はこちら)
小池真幸 横断者たち第8回 お香の伝統と現代のくらしの「交差点」でありたい
実は「お香そのもの、めっちゃ好き」ではない
覚醒作用と鎮静作用を併せ持ち、日常と非日常のあいだを行き来させてくれる、和の香り。山田さんはその魅力を、さまざまな他業界とのコラボレーションや、サブスクリプションサービスなどを通じて、お香にこれまで馴染みのなかった都市部の現役世代にまで届けようとしている。どうすれば多忙な若い人にもお香を楽しんでもらえるのか、試行錯誤を重ねる日々だという。
「サブスクリプションサービス『OKO LIFE』の会員の方々に答えていただいたアンケートの結果を見ると、気分の切り替えのために使っていただいている人が多いようです。コロナ禍になってリモートワークやお家にいる時間が増え、仕事とプライベートの境目がよくわからなくなる。そんな中でコーヒーなどいろいろな気分転換を試した中で、お香がとてもしっくりきたと。ただ、その気分転換の中身がどんなものなのかは、今探っているところです。朝昼夜それぞれで意味合いが違うと思いますし、先程お話ししたような神聖さを求めているときもあれば、そうでないときもあると思うんです。そもそも、本当に疲れていたり忙しかったりすると、いくら手軽にパッケージングしているとはいえ、『お皿に乗せて、火を付けて、片付ける』というプロセスを経る余裕すらない。そうした人にどうやって癒やしや気分転換を提供できるのかは、今後の課題ですね」
和の香りの魅力やその探求の軌跡について、ふんだんに語ってくれる山田さん。約200年続くお香一家に生まれ育ったという経歴もあわせると、彼に対して、“お香一筋”の人だというイメージを抱くのは自然だろう。しかし、意外にそうでもないらしい。誤解を恐れずに言えば、山田さんの中に明確な「やりたいこと」があるわけではないのだという。
「他業界・他業種の人とのコラボは、100%、向こうからお声がけいただいて始まります。僕はそっちのほうが断然得意で、『どんな人が』『どんな理由で』『どのくらいの量を求めている』という制限があるほうが頭が働きやすく、結果的にいいものが作れる。逆に、『●●万円予算があるので、とにかく好きな香りを作ってください!』と言われたら、困ってしまうでしょうね。お香の好き度合いって、人によっていろいろあると思います。めっちゃ好きな人もいれば、『そこまで興味ない』という人もいる。僕はもともと、その度合いは平均かむしろちょっと下で、そこまで興味がなかったんですよ。『絶対にこんな香りが作りたいんだ』と感情が溢れ、やりたいことが先行しているアーティスト気質ではなく、むしろ一歩引いて見ている。でも、『お香そのもの、めっちゃ好き』ではないからこそ、どんな人とでも、とにかく面白そうだったら先入観なく付き合ってみることができるのだと思います。僕が『一生ずっとお香一筋』だったら、『お酒や化粧品とのコラボなんて、香りに対して失礼だ』という考えになっているかもしれません」
意外な返答ではあったが、「お香そのものに強いこだわりがないからこそ、掛け合わせを探求できる」というロジックにはたしかに納得感がある。一体、彼は「お香大好き」ではないにもかかわらず、どういった経緯で現在のような精力的な活動に至ったのだろうか?
「近いけど、遠い」存在だったお香
山田さんが香雅堂の仕事を本格的に手伝うようになったのは、25歳の時。大学生の頃、興味本位でアルバイトとして少し手伝ったことはあるものの、社会人になって仕事として携わるつもりは「その瞬間までなかった」。幼少期に香道を習ったこともなく、お香はすぐ側にありながらも、まったくもって近しい存在ではなかったという。
「私には兄もいるのですが、兄も私も、父母に『香りを聞け』『香木の見方を覚えておけ』『香道のお稽古をしろ』とは、一回も言われた記憶がなくて。この店舗の上の階が実家なので、お香は物理的には近いものではあったのですが、意識としては本当に遠いものでした。家で父が香木を整理していたときの香りなどが記憶に染み付いているので、反抗期のときの複雑な感情を含め、『お香イコール父』という印象はあったかもしれませんが。ただ、職業や生き方として意識したことは、まったくありませんでしたね」
そうして山田さんは、慶應義塾大学経済学部を卒業した後、お香とはまったく関係のないIT系企業に就職。働く中で教育領域への関心が強まり、会社自体は1年半で退職した。次の動き方を決めるまで、しばしモラトリアム状況に置かれることになったが、「そういえば、うちの店、このご時世なのにまだ伝票が手書きだったよな」と思い出したという。そうして、当面のつなぎとして、香雅堂を手伝い始めた。すると、結婚や東日本大震災など公私ともに目まぐるしい変化が起こる中で、気づけばフルタイムで働くようになっていたという。ファミリービジネスや家業といったキーワードから縁遠い筆者としては、「家業を継ぐ」というのは一大決心を伴うものだと想像していたので、山田さんの肩の力の抜け具合が、意外に思えた。
「『人生をお香に捧げるぞ!』と覚悟を決めたような瞬間も、多分なくて。性格的なところが大きいと思うのですが、これからもずっとない気がします。もちろん、今はお香も好きなことの一つではあります。知識や経験が少しずつ増えていく中で、その楽しさもどんどんわかってきましたし、知的好奇心も刺激されている。本能的に感じる、香りの良さにも純粋に惹かれますしね。ですから、これからもお香とは長く付き合っていきたいと思っています。ただ、あるタイミングで気合を入れて、『すべてを懸けるぞ!』みたいな気持ちにはなっていなくて。両親も未だにお店や香道に関わり続けていますし、細く長く、ゆるーく好きなことを続けていきたいんです。教育領域への興味も、今も変わらず続いているので、何か香雅堂の事業の中で位置付けができないかと考えていますしね」
30年で約10倍の価格に。立ちはだかる「香木バブル」
最初は「つなぎ」として、山田さんが香雅堂を手伝い始めたのが2011年。それから10年以上が経った。さまざまな壁を乗り越えてきたであろうことは想像に難くないが、その中でも特に大きかった出来事が、ここ10年ほどで一気に加速した「香木バブル」だという。
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中野駅から四季の森公園、平和の森公園へ〈後編〉 |白土晴一
2022-03-18 07:00550pt
リサーチャー・白土晴一さんが、心のおもむくまま東京の街を歩き回る連載「東京そぞろ歩き」。前回に引き続き中野の街を歩きます。治安が保障された「Secure city」としての東京はどのように作られてきたのか。社会統制を担った警察や監獄といった施設の戦前から戦後にかけての歴史を探ります。前編はこちら。
白土晴一 東京そぞろ歩き第12回 中野駅から四季の森公園、平和の森公園へ〈後編〉
さっそく、前回の続きから。 前回は中野を歩き、近代日本の軍事施設跡について解説しながら、スパイ学校として名高い「陸軍中野学校」が昭和14年に中野へ移転したことについて述べた。 「陸軍中野学校」は昭和12年(1937年)に、「謀略の岩畔」こと科学的諜報組織創設の推進者であった岩畔豪雄中佐、戦時中のヨーロッパで「星機関」という諜報ネットワークを作り終戦後にソ連で獄死した秋草俊中佐、理論派の憲兵将校として名高かった福本亀治中佐を中心に設立されたスパイ養成学校である。 変装、潜入、尾行や破壊工作、錠前破りなどのスパイ技術を習得した工作員を養成するための陸軍参謀本部直轄の学校で、講師にはスリや鍵師、甲賀流忍術第14世を名乗る武術家の藤田西湖のような多種多様な人材が招かれている。 当初は九段坂の愛国婦人会本部の別棟を拠点にしていたが、昭和14年(1939年)にこの中野囲町にできた軍事施設群の中に移転。しかし、秘密機関であるため存在は秘匿されており、隣接する中野憲兵学校の生徒たちもまったく知らなかったらしい。 スパイ養成学校なので、一般の人々の間で目立たずに行動しなければならず、生徒は髪を伸ばし、敬礼もせず、普通の服装。 戦後に出版された憲兵学校卒業生の回顧録などを読むと、隣は軍関係の施設らしいが、軍人っぽくない髪の毛が伸びた男たちが出入しているため、「何の建物なのだ?」と不審に思う者もいたという。 この「陸軍中野学校」の出身者たちは、戦前戦中に世界中に送られ、中には外交官としての身分でアフガニスタンに潜入した者や、ドイツに亡命していたインド独立運動の闘士スバス・チャンドラ・ボースをトップに据えたインド国民軍(INA)を支援した特務機関「光機関」の要員となった者など、情報戦の最前線で戦うことになっていく。 日本史上最大規模のインテリジェンス要員養成所であったのは間違いない。 こんな秘密のスパイ学校、現在の中野に何か痕跡が残っているのか? と思われる方もいるだろうが、一つだけある。 それは中野四季の森公園の道路を挟んだ向こう側にある東京警察病院の敷地内。
この警察病院の北側の隅、早稲田通りから覗けるところに、「陸軍中野学校跡」と記された記念碑がある。 戦後に卒業生有志によって組織された中野学校校友会が作ったもので、後ろ側には創設者の1人である福本亀治氏の謹書もある。
植え込みの中にあるため、早稲田通りを通る人もほとんど気づかない。 しかし、秘密戦士を送り出すという学校の記念碑だけに、この身を隠しているような佇まいは何かを感じさせるものがある。 この「陸軍中野学校跡」の碑の隣には、「摂政宮殿下行啓記念 大正十二年五月二十八日」と記された記念碑もある。 大正12年で摂政宮殿下ということは、のちの昭和天皇のことを指している。大正天皇は体が丈夫ではなく、皇太子であった裕仁親王、のち昭和天皇はこの時期は摂政として父の公務を代わりに執り行っていたが、この中野にも公務で訪れており、その記念ということになる。摂政時代の昭和天皇がどこを訪れたかは、後ろを見ると「軍用鳩調査委員会」という文字で分かる。
日本では明治から軍事用の伝書鳩(軍鳩)を使用し始め、大正8年にこの碑にある「軍 用鳩調査委員会」が軍用鳩の飼育と訓練を調査と普及を行うための組織として創設された。 この組織の事務所は中野電信隊の中に設置されていた。電信も伝書鳩も、当時の軍隊にとっては重要な通信インフラなので、一緒なのも不思議ではない。 しかし、スパイと鳩の記念碑が並んでいるのは、何かシンボリックではある。 旧約聖書「創世記」に登場するノアの方舟の物語では、大洪水に備えてノアの一家はすべての動物のつがいを乗せていたが、陸地を探すために鳩を放つとオリーブを咥えて戻ってくるという下りがある。 このため、鳩は平和の象徴以外に、偵察兵やスパイに喩えられることもあるからだ。 情報を持って行き来するという意味で、スパイと軍鳩は同じ情報戦に従事したもの同士で、今は仲良くひっそりと中野の片隅に並んでいるというのも運命的ではあるのだろう。この記念碑のある東京警察病院は平成20年(2008年)に千代田区富士見から移転してきたもので、病床が400床を超え、救急隊から搬送される傷病者を担当する基幹的病院であり、国が定めた災害拠点病院にも指定されている。
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世界は自分の認知に過ぎない(後編)|猪子寿之
2022-03-17 07:00550pt
チームラボの代表・猪子寿之さんの連載「連続するものすべては美しい」。今回は、豊洲の「チームラボプラネッツ」の作品をめぐる対話です。植物をモチーフにした作品から、植物の特異な進化史を概観しつつ、「ボーダレス」という思想について改めて問い直します。前編はこちら。(構成:杉本健太郎)
猪子寿之 連続するものすべては美しい第7回 世界は自分の認知に過ぎない(後編)
アートを生活空間に持ち込み、分配可能なものにする
猪子 豊洲の「チームラボプラネッツ TOKYO DMM」を去年の夏に拡張したんだよ。屋外に2つの庭園を作ってね。苔庭(『呼応する小宇宙の苔庭 - 固形化された光の色, Sunrise and Sunset』)とフラワーガーデン(『Floating Flower Garden: 花と我と同根、庭と我と一体』 以降、「フラワーガーデン」)をやってみた。これも自然物を使った造形物だね。 苔庭にまだ人類が見たことがないような色の卵をたくさん置いてさ。もはや何色かわからない、何色と一言では言えないような装置ね。見たことがないような光の色を再現性がある形で作りたいと思った。複雑な色で61色で構成されてる。
▲『呼応する小宇宙の苔庭 - 固形化された光の色, Sunrise and Sunset』 https://planets.teamlab.art/tokyo/jp/ew/resonating_microcosms_mossgarden_planets/
▲『Floating Flower Garden: 花と我と同根、庭と我と一体』 https://planets.teamlab.art/tokyo/jp/ew/ffgarden_planets/
宇野 人類が見たことがないような色っていうのは、もう少しかみ砕いて言うとどういうものなの?
猪子 光が固形化されて、パキパキしたまま混ざってるようなもの。普通はグラデーションになるんだけどさ、もっと光がパキっと固形化されたまま混ざってる。
宇野 グラデーションにならないように技術を用いてるってこと?
猪子 そう。今までグラデーションで色があいまいに混ざっていくみたいなのはよくやってたんだけど、もっとパキパキのまま色が混ざってる。
宇野 ちょっと不気味だよね(笑)。通常とは違う色の見え方を表現することで、どういう感覚を引き起こしてたの?
猪子 色の概念を更新できたらいいなと思ってさ。色は無限のグラデーションなんだけど、どうしても言葉による認識が先走っちゃって限界を作っちゃう。でも本当は色って境界なく無限にあるグラデーションなんだよ。
宇野 グラデーションにならない色って、けっこう違和感を覚えるわけだよ。「境界のない世界」を擁護するというチームラボのポリシーに照らすと、その違和感によって、色は本来グラデーションであることを逆説的に思い起こさせるのかもね。
猪子 そこまで考えてなかったけど、そういうことにしようかな(笑)。
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野球文化を創った冒険SF小説家・押川春浪は、なぜデビュー作で「大日本帝国万歳」を唱えたのか?(前編)|中野慧
2022-03-15 12:44550pt
ライター・編集者の中野慧さんによる連載『文化系のための野球入門』の第20回「野球文化を創った冒険SF小説家・押川春浪は、なぜデビュー作で「大日本帝国万歳」を唱えたのか?」(前編)をお届けします。 しばしば「精神主義」の歴史として語られがちな日本野球ですが、実際には天狗倶楽部をはじめとする一部の文化人が、娯楽としての野球を自発的にプレイする歴史がありました。※3月15日7:00配信の本記事につきまして、一部、最終稿と異なる状態で配信してしまいましたため、修正して再配信いたします。著者・読者の皆様にご迷惑をおかけしましたことを、深くお詫び申し上げます。【3月15日13:00追記】
中野慧 文化系のための野球入門第20回 野球文化を創った冒険SF小説家・押川春浪は、なぜデビュー作で「大日本帝国万歳」を唱えたのか?
「一高中心史観」の問題とはなにか
前回までは、明治末期の日本で野球文化が -
お香の伝統と現代のくらしの「交差点」でありたい(前編)|山田悠介
2022-03-14 07:00550pt
編集者・ライターの小池真幸さんが、「界隈」や「業界」にとらわれず、領域を横断して活動する人びとを紹介する連載「横断者たち」。今回は、和の香りの専門店「麻布 香雅堂」代表取締役社長の山田悠介さんに話を伺いました。約1500年の歴史があり、日本の伝統文化と密接なかかわりを持ってきた「お香」。現代のライフスタイルにフィットした、「和の香り」のあり方を考えます。
小池真幸 横断者たち第8回 お香の伝統と現代のくらしの「交差点」でありたい
現代のライフスタイルに「お香」を取り入れる
コロナ禍になってからというものの、ライフスタイルにおける試行錯誤を、より一層重ねるようになった。自宅で過ごす時間を少しでも上質なものにしようと、瞑想の習慣を取り入れようとしてみたり(せっかく買った坐蒲は、完全に乾かした洗濯物置き場となってしまった)、魚を捌くスキルを身に着けようとしてみたり(せっかく買った出刃包丁は、購入から1年近く経った今でも、開封すらされていない)、ハンドドリップの珈琲、煎茶やほうじ茶を飲むようにしてみたり(これはある程度定着している)……さまざまな角度からライフスタイルの変革に取り組み、死屍累々を積み重ね、そのうちのいくつかは生活習慣となっていった。
そんなささやかなチャレンジの一つに、「お香を焚いてみる」というものがあった。インターネットの海でたまたま、「お香のサブスクリプションサービス」なるものを見かけたのがきっかけだ。季節のお香を毎月プロが選び、原材料や文化的背景が記されたリーフレットと共に届けてくれるという。これまでの人生で、「お香」に関する何かに触れた記憶といえば、ほぼ「お線香」くらい。その香りそのものはなぜだか幼少期より嫌いじゃなかったが、まさか自発的に生活の中に取り入れる日が来るとは思っていなかった。このサブスクリプションサービスは、20〜30代でも親しみやすいような、小綺麗で比較的キャッチーなデザインでパッケージングされており、不思議と食指が動いた。後から聞いたところによると、同世代の知人も何人か、ほぼ同時期に同じサービスに申し込んでみていたらしい。ちなみにお香に関しては現在も、たまに疲れた夜に焚いてみるなど、生活習慣の一部として生き残っている。
今回インタビューした山田悠介さんは、このお香の定期便「OKO LIFE」の運営者であり、同サービスを手がける和の香りの専門店「麻布 香雅堂(以下、香雅堂)」の代表取締役社長。1,500年の歴史を持つお香の世界の中で、業界慣習にとらわれず、化粧品やお酒、ゲームとのコラボレーションなど、他領域のプレイヤーと積極的に手を組みながら、新たな楽しみ方のスタイルを模索する〈横断者〉である。 山田さんはなぜ、お香文化と現代のライフスタイルの架橋に取り組むようになったのか? 深淵なるお香文化の歴史や特徴、そして彼の歩みと想いに迫っていくと、“お香に首ったけ”ではないからこそ実現している、「交差点」としての価値創出のかたちが浮かび上がってきた。
産地にも製法にも、謎が多い「和の香り」
麻布十番駅から、徒歩5分経たず。大通りから路地に入った、およそ「東京都港区」という響きが持つギラギラとしたイメージとは対極にある静かな通りに、香雅堂はある。店に入ると、上品で心地よいお香の香りに包まれる。京都で江戸寛政年間より200年以上続く薫香(編注:お香の香料のこと)原料輸入卸元「山田松香木店」をルーツに持ち、七代目の次男だった山田さんの父が独立。1983年に麻布十番で開店したのが、この香雅堂だ。山田さんは、二代目当主である。店舗の二階、香道(詳しくは後述するが、お香を楽しむ芸道のこと)の稽古や体験教室が行われる和室にて、インタビューを実施した。 香木や香道具、香りにまつわる雑貨の販売はもちろん、お香文化にまつわる幅広いプロダクトやサービスを手がけている香雅堂。先程触れたサブスクリプションサービス「OKO LIFE」のほかにも、化粧品の香りの調合やカクテルの香りの監修、オンラインゲーム『刀剣乱舞』をテーマとした香りと香袋の開発、一般向けの香道の体験教室の開催、さまざまな一般人の香りにまつわる物語を集めたウェブマガジン「OKOPEOPLE」の運営……幅広く手を広げている。山田さんによると、事業の軸は「先祖代々得意としている『和の香り』でできることの探求」だという。
▲香木の一例。後編でも詳述するが、上質なものだと、この小さな一片に、車一台買えるほどの値がつくことも珍しくないという。
そもそも「和の香り」の源泉は、「香木」と呼ばれる樹木だ。通常、香木と呼ばれる種は「白檀」「黄熟香」「沈香」の3つだけ。主な原産地は東南アジアやインドで、さまざまな内的/外的要因によって樹木が変質することで香木になると言われているが、その正確な原産地や変質メカニズムは詳らかになっていない。それゆえ、人工的に作ることもできないという。 この香木を刻んだり、粉末状にしたり、それを調合したりしたものが「お香」だ。調合の際は、香木に加え、八角やクローブ、シナモンといったスパイス、さらには貝殻、植物の樹脂などを混ぜ込むこともある。お香の形態はさまざまで、削った香木をそのまま「炷(た)く」(炭の熱で間接的に温める)こともあれば、調合して棒状にした「線香」の形で焚くことも(仏事の際に用いるいわゆる「お線香」もこの一種)。巾着などの袋に入れて「香袋」(匂い袋)にしたり、手紙と一緒に添えて「文香」にしたりすることもある。こうしてお香の香りをかぐこと一般を、和の香りの世界では「聞く」と呼ぶこともある。
▲線香は、こうした「お香立て」に一本ずつ立てて焚くのが一般的。長さや材質にもよるが、一本はたいてい約30分ほどで燃え切る。
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