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記事 20件
  • どこまでも遠くへ届くもの―― 宇野常寛、『ゴーマニズム宣言SPECIAL 大東亜論』を読む(PLANETSアーカイブス)

    2020-02-28 07:00  
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    今朝のPLANETSアーカイブスは、『おぼっちゃまくん』『ゴーマニズム宣言』などで知られる「よしりん」こと、小林よしのり氏についての作家論です。「ネトウヨ」が存在感を増しているいま、「物語」の復権に力を尽くしてきた小林氏が取り組む新たな試みとは――?(初出:『ダ・ヴィンチ』2014年12月号) ※本記事は2014年12月18日に配信された記事の再配信です。
     先日、小林よしのり氏の勉強会(ゴー宣道場)のゲストに招かれ、登壇してきた。
     僕たちの世代にとって、よしりんは、小林よしのりという作家は避けては通れない存在だ。『おぼっちゃまくん』がテレビアニメ化もされ大ヒットしたとき、僕のクラスの男子はたいてい朝学校で顔を合わせると「おはヨーグルト」と挨拶を交わしていた。こうした「茶魔語」の流行にたいていの親と教師は眉を顰めていた。僕たちは、あのマンガの根底に当時のバブル的なものへのアイロニカルな風刺精神が横たわっていることになんか、まるで気づいていなかった。ただ、大富豪の息子と設定された主人公の自分の欲望に正直すぎる言動(そしてそれを実現し得る財力)と、そこから生まれるグロテスクな笑いに、とにかく圧倒されていた。
     そんな小林よしのりという作家が『SPA!』で時評マンガをはじめたときもやはり、僕たちは気がついたらすっかり目が離せなくなっていた。ある社会問題を考えるときに、人間がたどる思考の一歩一歩と、その原動力となる感情のゆらぎのひとつひとつを、小林よしのりは恐ろしいほど繊細なセンサーで捉え、そしてそれを卓越した力量で戯画化していった。ギャグ漫画家ならではのユーモアも交えて描かれるその誌面は、やはりグロテスクだった。グロテスクに誇張されることで、ものごとの本質を露呈させる力をもっていた。もちろん、その主張には同意できることもあるし、できないこともある。ただ、ここで僕が訴えたいのは、小林よしのりという作家の力は、何よりその高い表現力とそれを下支えする、人間の心情や業を捉える鋭敏なセンサーに支えられている、ということなのだ。僕の知る限り、小林よしのりはもっとも繊細な作家のひとりだ。
     さて、その日の「ゴー宣道場」のテーマは「幼児化する大人たち」と設定されていたが、議論は次第に現代における公共性をめぐるものへと進んでいった。小林氏が1990年代後半に参加した(そして後に決別した)「新しい歴史教科書をつくる会」の運動、そしてその流れで発表されベストセラーになった『新・ゴーマニズム宣言 戦争論』シリーズは、団塊ジュニア以下の世代の言論空間に絶大な影響を与えた。いわゆる「ネット保守」「ネット右翼」と呼ばれる層は、その後の2002年、日韓同時開催のワールドカップを契機に活性化し、現代においては一定の集票力を持つ政治勢力と言えるまでに成長している。そして、そのヘイトスピーチや、反社会性がたびたび問題視されるこの「ネトウヨ」のルーツと言われているのが、当時若者たちに絶大な影響力をもっていた小林よしのり氏の活動だっだ。もちろん、小林氏はヘイトスピーチを肯定していないし、するはずもない。むしろ、近年は戦前から続く正統派保守の立場から「ネトウヨ」的なヘイトスピーチ、カルト志向を徹底的に批判し、「ネトウヨ」たちの最大の標的の一人になっているくらいだ。
     しかし、いやだからこそ、小林氏は責任を感じているようにも思う。それが間接的な影響であったとしても、そしてそのメッセージが大きく誤解されていたとしても、結果的に自分の仕事が現在の「ネトウヨ」たちに結びついているのなら、自分が先頭に立って批判しなければならない、そんな覚悟のようなものを僕は小林氏から感じるのだ。僕は「ネトウヨ」たちのそれはもちろん、小林氏の語る歴史観や「公」の概念にも同意できないことのほうが多い。実際、僕も「左翼」「リベラル」として(!)何度か氏の批判の対象になったことがあるし、僕が反論を書いたこともある。しかし、それでもこの人の言論人としての、作家としての責任の取り方、時代の引き受け方にはどうしようもなく惹かれている、と言っていい。
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  • 小山虎 知られざるコンピューターの思想史──アメリカン・アイデアリズムから分析哲学へ 第6回 国際政治に振り回されたポーランドの論理学

    2020-02-27 07:00  
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    分析哲学研究者・小山虎さんによる、現代のコンピューター・サイエンスの知られざる思想史的ルーツを辿る連載の第6回。周囲の大国によって領土割譲を繰り返されてきたポーランドの不運な歴史が、アメリカに落ち延びた数学者アルフレッド・タルスキら、オーストリア的な知の継承者たちの運命をいかに変えたのか。戦間期に花咲いた「ルヴフ・ワルシャワ学派」の足跡を中心に辿ります。
    ▲逆ポーランド記法を採用したヒューレット・パッカード社の関数電卓HP-35。通常の電卓とは違って「=」ボタンがない。 By Mister rf - Own work, CC BY-SA 4.0,
    「逆ポーランド記法」の由来
     今回は、「オーストリア的」な要素を持つ国のひとつ、ポーランドに焦点を当てるのだが、まずは「逆ポーランド記法(Reverse Polish Notation)」の話から始めたい。逆ポーランド記法とは、計算式の表記法の一種である。我々に馴染みの深い通常の数学では、「1+2」のように、数字(1や2)が演算子(+や-)の前および後に位置する表記法が採用されている。だが、逆ポーランド記法では「12+」というように演算子の前に数字が並ぶ。いかにも奇妙な表記法に見えるかもしれないが、この数式「12+」が「1と2を足す」というように、日本語と同じ語順で読めるということに気づかれただろうか。このことに気づけば、むしろ通常の表記法を特に不都合を感じずに使えていることの方が不思議に思えてくるかもしれない。  逆ポーランド記法はいくつかの点で通常の表記法よりコンピューター上の処理に適している。たとえば、カッコがあってもなくても計算する順序が変わらないため、カッコは無視して計算できる。そのため、ヒューレット・パッカード社が1970-80年代に発売した関数電卓で採用され、広く知られるようになった。  ちなみに、「逆」がつかない、ただの「ポーランド記法」もある。この表記法では、「+12」というように演算子の後に数字が並ぶのだが、こちらがオリジナルである(だからこそ「逆」ポーランド記法なのである)。ともあれ、どちらも「ポーランド」式だとされていることには変わりない。その理由は、最初の開発者がヤン・ウカシェヴィチ(Jan Łukasiewicz)というポーランド人だったからだ。  ウカシェヴィチは、別にポーランドで関数電卓の開発に携わっていたのではない。また、フォン・ノイマンのようにアメリカに移住して開発に携わったのでもない。逆ポーランド記法が最初に提案された論文では、その元になった表記法として、ウカシェヴィチの著作が参照されているのだが、その著作のタイトルは『現代形式論理学の観点から見たアリストテレスの三段論法(Aristotle&#39s Syllogistic from the Standpoint of Modern Formal Logic)』という。ウカシェヴィチは、記号論理学を用いてアリストテレスを研究する論理学者だったのだ。  本連載の第3回でも触れたが、記号論理学は19世紀終わりから20世紀にかけて、フレーゲやラッセルらの手によって生まれる。これを用いて古代ギリシャの哲学者であるアリストテレスを研究するとはいったいどういうことなのだろうか。どうしてどのようなことが行われることになったのだろうか。これらの問いに答えるためには、まずはポーランドという国家が辿った数奇な運命を眺めてみよう。
    国家間の争いに振り回されたポーランドの都市ルヴフ
     第二次世界大戦の前まではポーランドが現在の位置になかったことはご存知だろうか。現在のポーランドは、第二次世界大戦以前のポーランドと比べると西寄りに位置する。第二次世界大戦でドイツとソ連に占領されたポーランドは、ポツダム会談の結果、東部をソ連に割譲し、代わりとなる領土を西側に位置する敗戦国のドイツから獲得することになったからだ。この結果、ある都市がポーランド領からソ連領に移ることになった。その都市は、ウカシェヴィチが生まれ育った都市であり、現在ではウクライナに位置するリヴィウ(Lviv)、ポーランド語ではルヴフ(Lwów)という。もっとも、ルヴフは第二次大戦後にソ連領になるまでずっとポーランド領内にあったというわけでもなかった。本連載の第2回でも触れたが、1772年のポーランド分割により、ポーランドのガリツィア地方がオーストリア帝国に割譲される。ルヴフはこのガリツィア地方の首都なのである。こうしてオーストリア帝国の都市となったルヴフは、レンベルク(Lemberg)と呼ばれるようになる。ポーランド時代のルヴフは、ガリツィア地方最大の都市であり、ポーランド全体でも主要都市の一つだったのだが、オーストリア領のレンベルクとなることにより、広大な帝国の片隅にある一地方都市になってしまったのである。
    ▲第二次世界大戦前後でのポーランドの位置の変化。東側のグレーの領域がソ連に割譲され、西側のピンクの領域をドイツから獲得する。 By radek.s - Own work, CC BY-SA 3.0,
     1819年、時のオーストリア皇帝フランツ1世により、レンベルクに大学が再建される(それ以前のポーランド時代から大学はあったが、ナポレオン戦争によるオーストリア財政の悪化により閉鎖されていた)。とはいえ、一地方都市に過ぎないレンベルクの大学には特に目立ったところは何もなかった。だが、20世紀に入ってから大きな変化が訪れる。最初の一歩は、1895年にカジミェシュ・トファルドフスキ(Kazimierz Twardowski)という哲学者が赴任してくることだった。
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  • 『ザ・ピーナッツバター・ファルコン』──追われているのに癒やされる? 語りすぎないふたりの安らかなロードムービー|加藤るみ

    2020-02-26 07:00  
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    加藤るみさんの「映画館(シアター)の女神」、第2回では、わずか17館での上映から口コミで大ヒットとなった映画『ザ・ピーナッツバター・ファルコン』を紹介します。ダウン症の青年と無骨な老漁師の交流が描かれたロードムービーから、忙しい日常の中で人と真摯に向き合う大切さを学びます。
    皆さま、おはようございます。加藤るみです。
    今回はまず、最近「エキサイティングだったこと」を報告させてください。 ……というより、ここからは私の自慢話です。
    私、実は懸賞やキャンペーンに応募することが結構好きで、人から言われて気づいたんですが「懸賞オタク」なんです。
    懸賞好きになったのは小学生の頃です。任天堂のゲーム雑誌に絵葉書を送って、それが雑誌に掲載されことが、私の懸賞人生の始まりでした。 そのときもらった特別な図書カードを、私はいつも筆箱に入れて、さりげなく小学校で自慢していました。 ただ結局、その図書カードはなくしちゃったんだけど……。
    こうして懸賞が好きになった私は、大人になってからも懸賞やキャンペーンに意欲的に応募し続けて、商品券やお米や電化製品などゲットして地味に結果を残してきたのですが、なんと数日前、私の懸賞人生一番といってもいいくらいのビッグキャンペーンに当選してしまったのです……。
    懸賞オタクは当選に味を占めてくると、わりと当たりやすい低倍率のキャンペーンに応募しがちになるのですが、今回はたまたま目についたから応募した超・超・超高倍率のキャンペーンに当選してしまい、その結果、以前から私が夢見ていた「スペシャルな体験」をできる感じになってしまいました(しかも、映画が絡んでます)。
    「選ばれる人間」か「選ばれない人間」かと訊かれたら、どちらかといえば私は「選ばれる人間」の方かなと自分でも思ってはいたのですが(イヤなヤツ!)、「まさかこれが当たるとは……」といった感じで、未だに信じられない気持ちです。
    と、これだけほのめかしておきながら、内容についてはまだ詳しくは言えないというオチです、ごめんなさい。多分、5月くらいにはベラベラ喋り散らかしてると思います。 誰かに言いたくてしょうがなくて、フライング自慢をしてしまった私をお許しください。 そのスペシャルな体験をしてきたら、またここで報告をしたいと思います。
    「映画館の女神」ならぬ「懸賞の女神」に選ばれし女の続報を、どうかお楽しみに!
    さて、今回紹介する作品は、『ザ・ピーナッツバター・ファルコン』。 ジョージア州サバンナ郊外の大自然を舞台に、プロレスラーを夢見るダウン症の青年と孤独を抱える無骨な漁師が奇跡のように出会い旅をするという、じんわり心が温まる優しいロードムービーです。 2019年3月のSXSW映画祭ではプレミア上映で観客賞を受賞し、アメリカでは17館という小規模公開から最終的に1490館にまで上映規模が広がり、異例の大ヒットを記録しています。
    ▲『ザ・ピーナッツバター・ファルコン』
    物語は、養護施設で暮らすダウン症の青年ザックが養護施設を脱走するところから始まります。
    親に捨てられ、閉鎖された空間で生活を送るザックは、プロレスラーになることを夢見てパンイチで外の世界へ飛び出してしまいます。 この冒頭のシーンに『ショート・ターム』(2013)とのデジャヴを感じて、さっそく傑作の予感がしました。
    そんなザックが出会ったのは、兄を亡くし失意の日々を送っていた漁師タイラー。 すっかり心の荒んだタイラーは他人の獲物を盗み、ボートで逃走してしまいます。 理由は違うけれど、追われる身となったふたりが出会い、一緒に旅をすることになります。
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  • 相田みつをゲーム|高佐一慈

    2020-02-25 07:00  
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    お笑いコンビ、ザ・ギースの高佐一慈さんの連載『誰にでもできる簡単なエッセイ』。新宿のファミレスで暇そうな女子高校生のグループに遭遇した高佐さん。彼女たちが退屈しのぎに始めた「相田みつをゲーム」なる遊びに興味を持ちますが……?
    高佐一慈 誰にでもできる簡単なエッセイ第2回 相田みつをゲーム
     都内のファミレスに行った。店内に天使の絵が飾られている激安イタリアンレストランだ。ファミレスの中でも最も価格帯が安いという理由のせいか、顧客も学生が多い。僕も大学生の頃よく利用していた。  夕方の16時くらいだったが、場所が新宿ということで、店内は割と混雑していた。僕はタバコを吸うので通常は喫煙席に座るのだが、喫煙席は満席で何分待つかもわからない状態だったので、禁煙席に案内してもらった。
     一人で席に着き、この店で一番コストパフォーマンスが良いと思われる、イタリアの都市の名前が付けられたドリアとドリンクバーを注文し、スマホを開きながら料理を待っていると、隣のテーブルから騒がしい声が聞こえてきた。見ると、制服を着た女子高生5人グループが料理を食べ終えたテーブルでキャッキャと談笑している。皆うっすら化粧を施し、ピアスをし、5人のうち一人は金髪である。ハーフというわけではなく、顔立ちは純日本人といった面持ちなので、恐らくカラー剤で染めたのだろう。校則が緩いのか、はたまた校則を無視して染めたのか、いずれにせよこの時間にファミレスにいるということは、家に帰って真面目に宿題をやったり、部活動に勤しんだりするタイプの学生ではないということである。
     僕は高校が男子校であり、それもカトリックの進学校だったこともあり、学校帰りは寄り道などせず、まっすぐ家に向い、次の日の宿題をしているような真面目な学生だった。なのでこういったいわゆるギャルの女子高生が普段どんな会話をしているのかにとても興味があり、なんとなく隣のテーブルの会話に耳をそば立てた。
     「なんかダルいよねぇ〜」 「マジで超ヒマなんだけどぉ〜」 「確かに〜」
     ヒマなら部活に所属して汗かいたらいいだろと思うが、そういうことではなく、こうやって彼女たちなりにコミュニケーションを楽しんでいるのだろう。  すると、料理を全て食べ終え、この何も無い時間に本当に飽き始めたのか、一人が言った。
     「ねぇ、ゲームしようよ。ゲーム」
     今時の女子高生が一体どんなゲームをするのかに多少興味が湧いたが、どうせスマホゲームか何かだろう。そう思った僕の耳にゲーム提案者の甲高い声が飛び込んできた。
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  • 【動画アップのお知らせ】加藤貞顕×宇野常寛 誰もが「書く」ことをはじめた時代のメディアのあり方をゼロから考える

    2020-02-21 17:30  
    ピースオブケイク代表取締役CEO・加藤貞顕さんと、編集長・宇野常寛による対談の動画をアップロードしました!
    https://www.nicovideo.jp/watch/1582108023
    この対談は、2020年2月13日に有楽町の複合店舗「micro FOOD & IDEA MARKET」にて行われたものです。
    すべての人がSNSなどを通じて、自分の体験をシェアできるようになった現代において、読むこと・書くことの意義はどのように変化しているか。また、読むこと・書くことにおいて、どんなスキルが求められているか。
    cakesやnoteなど、クリエイターのプラットフォームを運営する第一人者である加藤さんと議論しました。
    皆さまぜひご視聴ください!
    ちなみに、本日2月21日(金)22時〜は、宇野常寛の新著『遅いインターネット』の編集者である、幻冬舎・箕輪厚介さんと宇野によるYouTubeLIV
  • 私は如何にして執筆するのを止めてアイドルを愛するようになったか――濱野智史が語る『アーキテクチャの生態系』その後(PLANETSアーカイブス)

    2020-02-21 07:00  
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    今朝のPLANETSアーカイブスは、情報環境研究者・濱野智史さんのインタビューです。2008年にネットカルチャー分析に多大な影響を与えた著書『アーキテクチャの生態系』を刊行、 後にアイドルグループ「PIP」のプロデューサーとしても活躍した濱野さんに、その間の問題意識の変遷から、日本のソーシャルメディア、さらにはISISまで幅広く語ってもらいました。(構成:稲葉ほたて) ※本記事は2015年7月30日に配信された記事の再配信です。
    ■『アーキテクチャの生態系』その後
    ――今日は『アーキテクチャの生態系』の文庫化にあわせて、この本が出た当時のことや濱野智史さんの現在の考えについてお聞かせいただきたいと思います。まず、この本を久々に読み返してみて、実はもう今のネット文化とはだいぶかけ離れた世界の話を書いているな、と思いました。
    濱野:僕としても、過渡期のことを書いた自覚がある本なんですよ。
    初音ミクも、すごく立派な存在になったものだと思うのですが、もうあの頃のハチャメチャさは失われてしまった。マネタイズを考えるとなると、既存の手法に近づくのは仕方ないですよね。だって、今やミクなんて最も使いづらいIPになっていて、近年のアイドル文化以前のアイドルみたいでしょう(笑)。生身の人間でないだけにコントロールしやすかったということの裏返しなんですが。
    ニコニコ動画にしても、今思えば僕にとっては初期の、ニコニコ生放送を始める前の時期が面白かったんですね。
    その後のドワンゴさんの動きで大きかったのは、確かにニコニコ生放送です。あれにプレミアム会員は優先的に視聴できる権利をつけることで、会員数が一気に伸びて成功した。ただ、その結果として運営がそういう方向に寄ってしまった。もちろん、生放送は生放送で、頭のおかしい配信者ばっかりで神がかって面白かった時期もあったんです。それに、技術的にもストリーミングのほうが伸びしろがあって、何よりもユーザーも面白がったのも事実です。
    だから、こうなったのは必然ではあるのですが、やはりこの本を書いた時点での「ニコニコ動画」の絵は、ニコニコ自身が捨てたということになるとは思います。まあ、完全に捨てたというのは言いすぎなんですけど。
    ――淫夢動画のようなアングラな場所では、匿名のN次創作だって健在ですしね。ただ、表に見せられるカルチャーとしては、実は地下アイドルという文化の勃興と並行するかたちで、歌い手やゲーム実況者みたいなステージ文化が大きく台頭していったというのが、その後のニコニコ動画の歴史であるように思います。
    濱野:YouTuberなんかも、そういう流れの延長線上で「お金になるから」という理由で登場してきた人たちですよね。
    2年くらい前に、月刊カドカワさんのニコニコ動画特集に寄稿したとき、「ドワンゴは早くアイドルを作れ」と書いたんです。その時点で、アイドルにとっての劇場文化の重要性はわかっていたので「ニコファーレをとっととアイドルのための劇場にすればいい」と書いたのですが、結果的にはニコニコ超会議がある種アイドルと会える場所として機能していきましたね。
    ただ、ドワンゴさんは、やはり自分たちでコンテンツを作るのには抵抗があるんでしょう。KADOKAWAと組んだことからも分かるように、コンテンツは属人性を大きくしたほうが強くなるのは理解していると思うんです。でも、そのときに自分たちの趣味のようなものが反映されるのには抵抗があるんだろうな、と。川上さんのようなネット技術畑出身の人は、プラットフォームとしての中立性にこだわっていて、特定のコンテンツに肩入れするのは避ける、どうもそういう感覚がある気がします。在特会のチャンネルが開かれるのを拒まなかったのだって、そういう発想が根底にあるんじゃないかな、と。
    ■ 2007年に起きたオタク文化の変貌
    ―― 一方で読み返してみて驚いたのが、当時は「Webの未来を書いた本」に見えたこの本が、むしろ今読むと、あの時期に表に出てきたゼロ年代前半のネット文化の秀逸な解説本に見えてしまったことです。
    濱野:目次を見れば分かるのですが、この本は過去の話をひたすら書いてる本ですからね。
    実際、ニコニコ動画の盛り上がりにしてもいくつかの歴史的要因がありますからね。2000年代までのオタク文化の積み重ねがあり、ブロードバンドやパソコンの浸透率があり、動画まで含めた一通りのマルチメディアがウェブに揃った時期だったというのがあって……という、その文脈をひと通り解説しようとした結果、「アーキテクチャの生態系」というまとめ方になったのかなと思います。
    ――今となってはニコニコもネット有名人たちの集まりのようになっているし、あの頃に匿名のN次創作があれほど盛り上がっていた文脈も、年々見えづらくなっている気もします。N次創作だって、実はゼロ年代前半のネットの同人文化で流行していたものですよね。別にニコニコ動画で急に生まれたものではないんですよね。
    濱野:はい、もちろんそうですよね。それでいうと、90年代後半から2000年代前半くらいまでのいわゆる「ホームページ」って、同人活動の一環として自分のイラストを公開したりするような場所としても機能していましたよね。実際、2000年代にこの本を書いていた頃、会社で大学生のネット利用実態の調査をすると、ホームページを作る人は腐女子だとかのオタクばかりだったんですよ。アニメのキャラクターのイラストを描いたり、ドリーム小説を書いたり、掲示板を置いてコミュニケーションしたり、という。
    まあ、ブログもない時代の、リア充なライトオタクが出てくる以前の話です。学校でおおっぴらにオタク趣味を言えない人が、ネットで仲間を探したり、作品を公開していて、そういう大学生たちの半年に一回のオフ会としてコミケがあった……そういう時代です。
    ――たぶん、そういう空気の中でゼロ年代前半を通じて、HPや2ちゃんねるで、M.U.G.E.NやBMSやAAやMADなどが盛り上がっていき、ニコニコ動画の登場で最盛期を迎えたというのが、2015年から振り返ったときのN次創作の歴史だと思います。実はあの2007年頃って、そういうマグマのように溜まっていたゼロ年代前半のオタク文化が一気に噴出した時期でもありますよね。
    濱野:そうそう、あの2006年から2007年の頃って、ちょうど「涼宮ハルヒの憂鬱」が大ヒットして、明らかにぱっと見がオタクではない子たちが、「私、オタクなんです」と言い出した時期なんです。ちょうど動画サイトが登場して、アニメをネットで見られるようになり、10代の暇を持て余している層の共通のネタ元としてアニメが機能してはじめたんです。
    そのときに、4,5人でパッと集まって盛り上がれるコンテンツを作るときに、アニメはとても「便利」なものだと発見されたんですね。というのも、「踊ってみた」や「コスプレ」のような、何かのテンプレをもとに真似したりアレンジするためのデータベースが、オタク文化には豊富にあったんです。その構図は現在の「MixChannel」に至るまで変わらないですね。
    ――二次元のオタク文化が市民権を得た背景には、動画サイトの存在があった。まあ、そこでみんなが見ていたのは、違法にアップロードされたものでしょうけど(笑)。
    濱野:しかも、「涼宮ハルヒの憂鬱」って、当時としては作り手も若くて、それまでのアニメとは雰囲気も違っていたんです。なにしろ、当時の我々は「えっ、萌え要素って極限すれば3つでいいんだ」と驚きましたからね(笑)。別に10人とか20人なんて要らない、意外とツンデレとドジっ子とクールキャラくらいでイケる。これが衝撃だった。そういう話も含めて、新しい空気をまとっていたアニメでした。
    実際、2007年に高校生を調査したときには、すでに「私たち、学校に"SOS団"を作ってるんです」みたいなことを言う子たちがかなりいました(笑)。ニコニコ動画でも「踊ってみた」をいろんな大学のサークルがやってましたよね。
    ――こういうゼロ年代前半の深夜アニメブームやネット文化の文脈を押さえた上で、硬派なネット論を語れる人材として、濱野さんが必要とされた瞬間だったのかなと思いました。
    濱野:当時は世界的にフラッシュモブが話題になっていた時期でもあって、みんなで簡単に参加して同期する娯楽がネット文化全体としても流行っていました。そういう文脈を踏まえて書かれた本でもありますね。
    ■ アイドルへの興味に連続性はあったのか?
    ――それにしても、ここまでゴリゴリとアーキテクチャだけで議論を進めていく硬派な本は、このあと出てこなかったですね。最近になると、もうプラットフォームの運営者が表に出てくるので、そうなると中の人の「運営思想」を直接聞いていく発想の方が強いですよね。Facebookやニコニコ動画も、今だったらザッカーバーグや川上さんなんかの発言から分析しようと思うのが普通でしょうし。
    濱野: まあ、そりゃ創業者にインタビューした方が話も早いですよね(笑)。Facebookの本にしたって、結局はザッカーバーグに取材したものになる。でも、僕はそういうのには関心がないんです。だって、「運営」の本って、結局は「その人がそう思いました」という話にしかならないでしょう。日本人が好む歴史って、戦国時代にしても幕末にしても、人物伝ばかり。でも、そういう属人的な話には興味がないんですよ。
    ――でも、その後に濱野さんが興味を向けたグループアイドルって、まさに仕組みをいかに運用していくかという「運営」の力が勝負を決める場所ですよね。
    濱野:確かに。アイドルって要は人間そのものがコンテンツですから、「運営」すらも消費対象として重要になる。
    AKBもそう。AKBがここまで大きくなったのは、巨大化してもいまだに「運営≒秋元康」が2ちゃんねるを見ていることだと思うんですよね。運営は2ちゃんねるが燃えると分かって燃料を投下して、2ちゃんねるのユーザーも「秋元の野郎」と返していく。いわゆる理想の民主主義の形というか、市民が討議しあって世論が熟して、政治家が選ばれて……というハーバーマスが理想とするような「公共圏」的な結託ではなくて、そこでは運営とオタクがともに文脈をズラしてツッコミ続ける「ネタ的コミュニケーション・システム」としての結託と連鎖が、今でも行われているんですよ。そこは、運営が2ちゃんねるを一切見ないふりをしたと言われているハロプロとの大きな違いですね。あっちは、DVD化の際にオタのコールを全てカットして販売したりしてたそうですから。
    ――その辺のテクニックって、やはり秋元康さんなんでしょうか?
    濱野:秋元さんが「2ちゃんねるまとめ」をプリントしたものを会議なんかで見ていた、という話は聞きますね。少なくともオタは運営もメンバーも見ていると思うからこそ、「イエーイ見てるー?」状態になってモチベ高く2ちゃんねるとかに書き込みをするわけで、非常に独特の空間になっている。
    そもそも秋元さんはラジオの放送作家上がりの人で、ハガキ職人的な世界観をよく知っているわけですよね。ああいうハガキ職人の文化は、匿名性がとても強くて、そのコミュニケーションもディスクジョッキーと真正面から語るよりは、延々とハシゴ外しを繰り返して、ズラし続ける感じ。
    ――つまり、深夜ラジオみたいな場所は、視聴者と番組の運営スタッフの距離が非常に近い"プレ・インターネット"になっていて、そこで秋元さんはネット的な感受性を鍛えられていた……という感じですか。
    濱野:そうですね。『前田敦子はキリストを超えた』(編注:2012年に出版された濱野さんの著書/ちくま新書)では、そうした運営論というか、秋元康論は一切書かなかったですけど、実はAKBが成功した理由への僕なりの回答は、そこにあるんですよね。それどころか、秋元康という人は、ずっとそれだけをやってきた人なんじゃないか、と。AKBは、彼が80年代からやってきたことが、2ちゃんねるやTwitterが大きな力を持ってしまう時代に、突然マッチしてしまっただけなんです。
    ただ、大きくなっても運営がそういうコミュニケーションを恐れなかったのは、本当に凄いですけどね。実はこういう文化を作ったのはハロプロだったのだけど、さっきも言ったように彼らは受け手の意見は聞かないふりをした。まあ、2ちゃんねるの話なんてまともに聞くわけないですから、別にそれって悪いことでもなんでもないですよ(笑)。それに対して、逆にAKBは運営が明らかに「聞いてまーす!」という態度で、悪ノリ的にユーザーと結託しようとした。そこが凄かった。
    ――この『アーキテクチャの生態系』が登場した当時、クリエイティビティが宿っているのは、ユーザーなのかアーキテクチャなのか、みたいな議論がありましたが、それに対して、いまこの場で濱野さんがおっしゃっているのは、両者をコーディネートする媒介としての「運営」が肝になってくるという話にも聞こえますが……。
    濱野:それはそうなのですが……やっぱり、僕がそういう話をやりたくはないんですよ、うん。
    ――でも、そうなるとウェブサービスに対して「運営」から分析していく流れにも、必ずしも話がわかりやすいからだけでない、理論的な根拠があると言えませんか。
    濱野:確かにそうなんですけどね……。でもその一方で、「これじゃあ、秋元さんが死んだら終わりじゃん」とも思ってしまうんですね。それは日本文化のある種の弱さというか弱点でもあって、要するに一代限りのワンマン社長で文化が終わっていくのではダメだと思うんです。そこはアーキテクチャに落としこむ必要があると思うんです。普遍化したい、という欲求が社会学者としてある、というのかな。
    ――いや、この話を掘り下げたいのは、濱野さんのその後の活動とこの本の連続性を聞いてみたいからなんです。それこそニコニコ動画なんてその後、実況者や歌い手の疑似恋愛と結びついた文化が大きく台頭して、社員たちが「もうイベント会社だよね」と自嘲するくらいにイベントドリブンのサービスになってしまい、さらに当時は裏に隠れていた川上さんがニコニコの運営論を自ら話すようになったわけですよ。今思えば、これってアイドルブームと並行する動向です。その後の濱野さんはインターネット論から一見して離れたように見えて、理論の水準ではやはりこういう日本的インターネットの最先端の動向と並走していたと思うんです。
    濱野:なるほど! まあ、そういう意味では、僕はグループアイドルにしか興味がないというのはありますね。グループアイドルって、要はメンバー一人ひとりにピンで立っていけるほどの実力はないんです。でも、そういう娘たちを集めると、メンバー同士やファン同士や運営との関係性で、驚くほど多くの物語が勝手に生まれていく。そのダイナミズムが面白い。
    そしてこのグループアイドルで重要になるのが、仕組みなんです。アイドルって、別に歌も踊りも重要じゃないから、とにかく「人」の”配置”と”構成”が全てであるとしか言いようがない。ポジションとか、曲順とか、そういうのですね。PIPなんて最初のうちはカバーしかやってないから、曲すら重要じゃない。ただ、誰がどういう順番でどこで何を歌うか。それだけをひたすら設計し、設定する。、何人グループにするか、誰をどういう仕組みで選抜するか、みたいな配置と構成の設計が、全体の動向を大きく左右するんです。それは、僕があの本で書いた意味での「アーキテクチャ」とは厳密には違いますが、やはりプログラミングに近い何かがあるのは事実です。
    実際、僕のPIPでの主な仕事なんて、ライブの曲順を決めながら「いや、この順番では着替えが発生するな」と順番をいじり続けることだとかで、ほとんどソートというか順序づけをしているだけです。ところが、本当にそれだけのことから、もうおよそ人間世界にある様々な情動が勝手に生成されてきて、あらゆるものをドドドドドと巻き込んでいくんです。これ、なかなか体験していない人には伝わらないかもしれないんですけどね。
    ――そう聞くと、『アーキテクチャの生態系』の問題意識からアイドルに向かう連続性は見えてきますね。
    濱野:以前、学生時代にネトゲ廃人だった友人にアイドルの説明をしたら、完全にネトゲの用語で意思疎通ができたことがあるんですよ。
    例えば、AKBの人気が持続している理由として、「NMBとかSKEとかどんどん作っていって、新規が入りやすいようにしてるんだよ」と言ったら、「ああ、なるほど、新鯖を作るってことか!」と言われて、「そうそう!」みたいな(笑)。
    ――グループアイドルの運営とネトゲの運営はそっくり(笑)。
    濱野:そっくりどころか、実はほとんどネトゲの運営手法と同じなんですよ。運営がやたらと2ちゃんねるの板に張り付いて、どんな悪口を書かれているか確認して対処するとか、そういう話まで含めて(笑)。

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  • 坂本崇博(意識が高くない僕たちのための)ゼロからはじめる働き方改革 第3回 働き方改革って何ですか?

    2020-02-20 07:00  
    550pt

    会社員としての自分自身の人生の充実のため、10年以上前から自発的に「働き方改革」の実践と普及活動を開始した「働き方改革アドバイザー」こと坂本崇博さん。今回は世に蔓延するお上任せの「コレジャナイ働き方改革」への違和感から、坂本さんがいかにして労働者個々人にとっての「私の働き方改革」を見出していったのかの思考プロセスの核心が語られます。
    「私の働き方改革」とは
     日本を挙げた「コレジャナイ働き方改革」がどんどん広がる様子を、私はただ傍観しているわけにはいきませんでした。「私の働き方改革」を掲げるものとして、このヘンなブームに正面からぶち当たることは必然でした。そしてぶち当たってみて、改めて「私の働き方改革」について考える機会が得られたことは、私にとっては良い機会であり、幸いでした。
     私にとっての働き方改革とは、無理やり早く帰らされたり、制度が変わったり、オフィス環境が変わることではありません。ひょっとするとこれらは「働かせ方改革」と呼べるものかもしれません。  そう言えば2017年ごろ、「働き方改革より先に、働かせ方改革をすべきだ。」という論調もありました。しかしこの論調は私から言わせれば「何を今さら」なのです。 前述の通り、日本企業はこれまでは「働かせ方改革」一辺倒でした。OA、ICT、制度改革などなど、会社側は色々な環境改革を行い、従業員の仕事内容、仕事方法を変えてきました。その流れに浸かった多くの働き手は、「働き方というのは、自分で変えるものではなく、上が変えるべきもの。」という固定概念を抱くようになったのかもしれません。
     以前は環境が変われば仕事が変わりました。もしくはそれら環境を使わないと仕事が進まないので、変わることは必然でした。 労働者は自らの働き方を自分で変えられるという意識は薄れ、次第にマニュアル化・標準化された仕事をこなすようになり、上司も、決められたプロセスで決まった仕事をすることを管理する「現状維持管理人」になっていきました。
     しかし、今の時代、「自分たちで自分たちの働き方を変える」ことに着目することが必要だと感じています。  つまり、私にとっての働き方改革とは、1人1人が、「〇〇のため、自分の働き方をもっと良くしたい」というパッションのもと、自らが改革者となって自身や周囲「やる事・やり方・やる力」を変えていく(生産性を高めていく)活動です。 言うなれば「私の働き方改革」です。会社の働き方改革ではなくて。
     これは「働き方改革は自己責任。文句言っていないで1人1人がんばれ!」という精神論的な話や、経営責任放棄の話ではありません。私はそうした「社畜的な考え」は大嫌いです。 「自分で自分の働き方を変える」というのは、部下への押し付けではありません。経営も管理職も従業員も、それぞれが自分自身でできる改革をして生産性を高める活動をするべきだし、自分自身でどうしようもないことについては、上の階層など然るべき部署・担当・経営層に働きかけるべきだと考えます。
     つまり、「自分や組織がより充実することに時間を振り向けられるようになるために、各自が自分の職制に沿って自分や周囲へ働きかけ、生産性を高めていく活動」が働き方改革なのです。

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  • 與那覇潤 平成史──ぼくらの昨日の世界 第9回 保守という気分:2005-06(後編)

    2020-02-19 07:00  
    550pt

    今朝のメルマガは、與那覇潤さんの「平成史──ぼくらの昨日の世界」の第9回の後編をお届けします。ゼロ年代の中盤に進行した「昭和回帰」は、虚構みならず思想の世界にまで蔓延します。新たなテクノロジーとベタなノスタルジーの結合が着々と進行する中、飛ぶ鳥を落とす勢いだった堀江貴文氏の逮捕、いわゆる「ライブドア事件」が発生します。
    ノスタルジアの外部
    「いまの世界の支配者は押しつけがましい西欧育ちの資本主義経済で、この支配者は自分の原理にしたがわないアジール〔避難所〕を、どんどんつぶしてきた。それに対抗できる原理が、天皇制にはあるかもしれないのである。  もしも天皇制がグローバリズムに対抗するアジールとして、自分の存在をはっきりと意識するとき、この国は変われるかもしれない。そのとき天皇は、この列島に生きる人間の抱いている、グローバリズムにたいする否定の気持ちを表現する、真実の「国民の象徴」となるのではないだろうか」[18]
     主張の中身はこのころの宮台真司氏とほぼ同じですが、文体の柔らかさからわかるように、著者は宮台さんではありません。中沢新一さんが前年来の『週刊現代』での連載をまとめた『アースダイバー』(2005年)の結論部で、同作は好評を博しシリーズ化。浅田彰と並ぶポストモダンのスターだった中沢氏は、宗教学者としてオウム真理教を持ち上げた過去が事件後に批判され、しばらく不遇だったのですが、04年の『僕の叔父さん 網野善彦』(同年に死去した網野をめぐる回想記)、06年の『憲法九条を世界遺産に』(爆笑問題の太田光との対談)などヒットを連発し、バブル期に比肩する人気を取り戻しています。
     『アースダイバー』という表題は、アメリカ先住民の世界創造の神話からとられたもので、同書は縄文時代の海岸線を記した地図を片手に中沢さんが東京を歩き、民俗学・国文学的な知見も交えて「いまいる場所の意味」を探究してゆく紀行エッセイです。さすがに本人も、これを学問とは思っていないでしょう。驚くのは、2003年にトム・クルーズが渡辺謙(アカデミー賞候補となり、ハリウッドでの地位を確立)や小雪と共演して話題になった『ラスト・サムライ』について、「言われてみれば、サムライの生き方や死に方の理想は、たしかにインディアンの戦士の伝統として伝えられているものと、そっくり」だと素朴に受けとり、なぜなら東日本のサムライは縄文の狩猟文化の系譜をひくからだと解説するところ[19]。「あえて」ですらなく、完全にベタなのです。
     テロとの戦争にせよ、過酷な市場競争にせよ、とにかく眼前に展開する米国主導のグローバル化が耐えられない。そうではない居場所を提供してくれる原理なら、かつて「右翼的」と批判された天皇でも、「封建的」なサムライでも、「未開」と呼ばれてきたインディアンでもかまわない。そうした追いつめられた切迫感を秘めつつも前面には出さず、あくまで「こんな風に街を歩くと、日々の風景が豊かになりますよ」とほんわかしたタッチで進むのは中沢節の力でしょう。単行本の巻末には、中沢さんの手許にあったのと同じ「アースダイビング・マップ」も封入されて、読者が実際に追体験できるようになっていますが、こうした虚実ないまぜで「演出された過去」を楽しむノスタルジア・ツーリズムは、この時期いっせいに多分野で開花していました。
     ゼロ年代半ばの「昭和回帰」はちょっと驚くほどで、映画では50年代末の高度成長初期を描く『ALWAYS 三丁目の夕日』と、70年安保時の青春群像に託して在日問題をとりあげた『パッチギ!』がともに2005年。宇野常寛さんが批判的に触れていますが[20]、興味深いのは「同時代」を描いて成功した作家やモチーフすら、すぐこの傾向に吸い込まれることで、クドカンこと宮藤官九郎(脚本家)が落語に材をとった『タイガー&ドラゴン』で伝統志向に傾くのも05年。男子シンクロを描く映画『ウォーターボーイズ』(01年)が端緒になった、「冴えない若者どうしが奇矯なプロジェクトで自己実現を果たす」という語り口を、60年代に衰亡する炭鉱地帯を救った常磐ハワイアンセンター(福島県いわき市)の実話に応用した『フラガール』は06年です。その他、テレビドラマでは山崎豊子や松本清張など、昭和の社会派サスペンスのリバイバルがあり、出版界でも宮台・中沢より明白に「右」を志向する形で、武士道道徳の復権をうたう藤原正彦『国家の品格』(2006年)がベストセラーになりました。

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  • 與那覇潤 平成史──ぼくらの昨日の世界 第9回 保守という気分:2005-06(前編)

    2020-02-18 07:00  
    550pt

    今朝のメルマガは、與那覇潤さんの「平成史──ぼくらの昨日の世界」の第9回の前編をお届けします。郵政事業の民営化をめぐる、いわゆる郵政選挙の圧勝と、8月15日の靖国参拝を置き土産に、2006年、小泉純一郎は総理の座を安倍晋三へと禅譲します。それは、グローバルな新自由主義とノスタルジックな保守主義の、蜜月の時代の始まりでもありました。
    リベラルと改革の離婚
     時代の凪が明けた平成17~18(2005~06)年は、ポスト55年体制の政治文化が大きく転換した二年間でした。小泉純一郎政権の最末期を象徴するふたつの事件──2005年9月11日の衆院選(いわゆる郵政選挙)と06年8月15日の靖国神社参拝を経て、9月26日は後継の第一次安倍晋三内閣が発足します。
     なにがどう変貌したのか。平成初頭の非自民連立政権による小選挙区制の導入以来、長らく続いてきたリベラルと「改革」の幸せな結婚が、このとき破綻した。むしろ昭和がおわり自民党が下野した際には、だれも予想だにしなかった「保守」こそが、時代のキーワードとして抗いがたく浮上してくる。「リベラルの凋落と国民の保守回帰」は、しばしば2012年末からの第二次安倍政権について指摘されますが、その原点はあきらかに、ゼロ年代なかばのこの時期にあったのです。
     2004年から郵政民営化担当相を務めていた竹中平蔵さんは粘着質な人で、小泉退陣と同時に政界を退いたのちに公表した回想録(06年12月刊)では、入閣中にメディアから浴びた批判を抜粋して、逐一やり返しています。面白いのは、その方向性です。2003年に不良債権の強行処理にあたった際、竹中は過激すぎると批判したのは保守系の『読売新聞』で、逆に生ぬるいと正反対の方向から発破をかけたのが、市場重視の『日本経済新聞』とリベラル派の『毎日新聞』。同年9月には小泉再選をかけた自民党総裁選(反改革派の三名が挑戦するも敗北)がありましたが、このとき構造改革路線を断固応援したのは『朝日新聞』で、むしろ『読売新聞』は景気回復優先に転換せよと唱えていた[1]。
     平成の後半には、市場競争での「負け組」は経済効率を悪化させるから退場しろという冷たい発想は、保守派のマッチョイズムから来るものだ。そうした「新自由主義」を批判し、福祉の充実や弱者との共生を唱えるのがリベラルだとするコンセンサスが、政界や論壇で広く共有されるようになります。しかし、それは小泉政権の中途までは存在しなかった構図でした。じっさい、小泉政治の総決算となる郵政民営化に反対して自民党を(一時的に)追われた「造反組」の主流は、ナショナリストとして知られる亀井静香や平沼赳夫をはじめ、復党後に第二次安倍政権で重用される古屋圭司(国家公安委員長)や衛藤晟一(首相補佐官)など、同党でも折り紙つきの「保守派」たちでした。
     郵政解散とは、小泉首相の宿願だった郵政事業を民営化する法案が、自民党内から大量の造反(=議場での反対)を出しながらも衆議院では可決されたのち、参議院で否決。このとき小泉氏が「国民の考えを聞きたい」としてまさかの衆院解散に踏み切り、しかも造反者を公認せず、刺客と呼ばれた対立候補を送り込んだものです。いわば党から追放された造反組の一部は、このとき国民新党(綿貫民輔代表。代表代行に亀井静香)・新党日本(代表は長野県知事だった田中康夫)というミニ政党を結成しますが、これは1955年に始まる自民党史の大きなエポックでした。

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    インターネットは世の中の「速度」を決定的に上げた一方、その弊害がさまざまな場面で現出しています。世界の分断、排外主義の台頭、そしてポピュリズムによる民主主義の暴走は、「速すぎるインターネット」がもたらすそれの典型例といえます。インターネットによって本来辿り着くべきだった未来を取り戻すには今何が必要なのか、提言します。
    宇野常寛 遅いインターネット(NewsPicks Book) 幻冬舎 1760円

     
  • WEBマガジン「遅いインターネット」始動しました!

    2020-02-17 20:30  

    PLANETSによるあたらしいWEBマガジン「遅いインターネット」がオープンしました。

    現在のインターネットは人間を「考えさせない」ための道具になっています。かつてもっとも自由な発信の場として期待されていたこの場所は、いまとなっては最も不自由な場となっています。

    そこで私たちは一つの運動をはじめます。いまのインターネットは「速すぎる」。

    私たちはいまあえて速すぎる情報の消費速度に抗って、少し立ち止まって、ゆっくりと情報を咀嚼して消化できるインターネットの使い方を考えてみたいと思っています。

    いま必要なのは、もっと「遅い」インターネットだ。それが私たちの結論です。
     

    今日は、三つの記事を公開しました。

    一つめは、編集長・宇野常寛による「遅いインターネット宣言2020」。

    二つめは、西野亮廣さんへのインタビュー「爪や髪の毛のように、あるいはトイレのように。そして午後4時くらい