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  • 濱野智史『S, X, S, WX』―『アーキテクチャの生態系Ⅱ』をめざして 第1章 東方見聞録 #1-3 Googleというバベル―「フレーム問題」のリフレーム【不定期配信】

    2018-03-28 07:00  


    情報環境研究者の濱野智史さんの連載『S, X, S, WX』―『アーキテクチャの生態系Ⅱ』をめざして。世界の情報を体系化しようとするGoogleによって、長年「意味」を理解できないとみなされてきた人工知能には大きな変化が訪れています。21世紀の情報社会におけるAIの思想的意義について、濱野さんが論じます。

    人工知能研究者テリー・ウィノグラードの転向と、ハイデガー哲学
     Googleはなぜ巨大なデータベースを世界中に作り続けているのか。しかも第一回でも触れたように、人間にとって有用なWeb上のデータ(コンテンツ)そのものよりも、それを検索するためのメタデータ(検索用インデックス)のほうが容量的にも巨大であるという、転倒した状況を選択しているのか。
     普通に考えれば、それは「大量のデータを集めたほうが、機械学習の精度が高まるから」が答えになるだろう。しかし筆者が考えるに、Googleはもっと先を見据えている。Googleの創業者の1人ラリー・ペイジは、すでに2000年代初頭の時点で、ケヴィン・ケリーにこう答えたらしい。Googleは検索エンジンを作っているのではなく、「僕らが本当に作っているのは、AIなんだよ」と(『〈インターネット〉の次に来るもの』NHK出版、2016年)。
     この発言には重要な背景がある。それを読み解く手助けとなるのが、第一回でも触れた『コンピュータと認知を理解する―人工知能の限界と新しい設計理念』(フェルナンド・フローレスとの共著、産業図書、1989年)である。同書の主著者テリー・ウィノグラードは米スタンフォード大学に所属し、もともと同書を出す以前は人工知能研究者として著名な人物だった(その後、ラリー・ペイジの博士課程で指導したことでも知られる)。しかし彼は同書の中で、人工知能の限界を明確に認めた上で、むしろこれからのコンピュータ/ソフトウェア研究に求められるのは、いかに人間の意味的行為を〈解釈〉し、人間と融和したインターフェイスをデザインするかにあると主張した。
     こうした人工知能研究者の〈転向〉は、「AI(Artificial Intelligence)からIA(Intelligence Amplifier)」へともしばしば表現される。実際に同書が出版された90年代以降は、PC(パーソナル・コンピュータ)からiPhoheを始めとするスマートフォンまで、「いかにユーザーにとって使いやすいインターフェイスをデザインするか」をめぐって人々は躍起になった。Web・アプリ業界では、いま誰もが「デザイン思考」に基づき、「UI(ユーザー・インターフェイス)とUX(ユーザー・エクスペリエンス)」の日々の向上に励む。そうでなければ、誰もそのサービスやアプリを使ってくれないからだ。こうした状況への先鞭をつけた一人が、ウィノグラードだったのである。特に人工知能研究者自身によるAI批判という点で、少なからぬ影響を与えた書籍だったといっていい。
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  • 濱野智史『S, X, S, WX』―『アーキテクチャの生態系Ⅱ』をめざして 第1章 東方見聞録 #1-2 Googleというアトラス: 究極のデータベースの実現【不定期配信】

    2018-01-18 07:00  


    情報環境研究者の濱野智史さんの連載『S, X, S, WX』―『アーキテクチャの生態系Ⅱ』をめざして。サンフランシスコに到着した濱野さんは、Google Cloud Next ‘17に出席しました。そこで発表された「Cloud Spanner」の提供開始は、21世紀の情報社会においてどのような思想的意義を持つのでしょうか。
     前回の掲載からだいぶ時間が過ぎてしまった。不定期連載とはいえ読者諸兄には申し訳ない。また当初構想していた連載はより紀行文的な――リアルタイム性の高い散文――を予定していたのだが、編集部との方針相談もあり、だいぶ文体や構成から練り直す必要が生じた。これが遅れた理由の1つだが、もう1つの最大の理由は、目下本連載が対象としているGoogleおよび競合他社のクラウド戦略が、連載開始直後の2017年6月以降、加速度的に変化をもたらしており、著者としてはいかにそこから批評的に距離を置くか、書きあぐねていたのが正直なところである。とはいえ本連載は、筆者が所属する組織とは関係なく、あくまで一人の、社会学者でありフィールドワーカーによる、いささか思弁的で抽象的な情報社会の現在形に関する考察であることに変わりはないはずだ。今後もやや不定期な連載になってしまうかもしれないが、お許しをいただきたい。
    #1-2 Googleというアトラス: 究極のデータベースの実現

     2017年3月。SFOすなわちサンフランシスコ国際空港に到着した私は、まずGoogle本社の見学へと向かった。通称、Googleplex(グーグルプレックス)。それは10の10の100乗乗という途方もなく莫大な数「googolplex」から取られたものであり、Googleの社名の由来にもなっていることはよく知られた話であろう。
     Googleplexはしかし素っ気ない、本当にそれくらいしか形容しようのない、田舎の大学のキャンパスのような場所だ(実際にGooglerは「キャンパス」と呼ぶ)。広大なキャンパスの中には、複数のオフィス棟が無数に存在している。ちなみに見学者は、オフィス棟の中にはセキュリティの関係で入ることは許されない。ほぼ唯一見学者に許されるのは、まずGoogleの記念品を購入できるGoogle Storeだ。といってもApple Storeのようなものを想像してはいけない。Tシャツやペン、サングラスといった、よくあるような安価なお土産が陳列されているだけの「お土産屋さん」である。
     そしてもう一つは、Google創業時の歴史を伝える一種の「展示室」のようなスペースだ。しかし、これもまた実に飾り気のない、よくある自治体がつくった無料の展示スペースのような場所だ。Googlerが創業当初の頃、立ちながらパソコンを置いてミーティングをするのに最適な、「自作感たっぷり」のベンチ型テーブル(ホームセンターで購入した脚立と板で作成されている)が陳列されていたのが、印象的だった。言葉遊びをするつもりはないが、要はこのベンチ(長椅子)がGoogleの「ベンチマーク(測量における水準点。比べる同類物との差が分かるような、数量的や質的な”指標”)」だとでもいいたげなように見えた。とにかくそこには「創業者」のような人間らしさを装飾する要素がどこにもないのだ。少くとも社史を「人間像」を通じて輝かしく見せる、といった発想はない。そういった印象を筆者には与える空間だった。
     これは後に思想的に整理することになるが、そもそもGoogleには(人文的意味での)「美(意識)」が欠けている。そう断言してよいだろう。キャンパスの建物も、全くといっていいほど、いわゆるポストモダン建築に見られるような「アヴァンギャルドさ」のようなものは特に感じられない。少なくとも、Appleが2017年現在も建造中の新社屋(Apple Park)のような、建築への意志は見られない。生前、スティーブ・ジョブズはこの新社屋を建設するにあたって、社員が自然と美しいデザインを意識するようにとの狙いを込めたというが、そうした考えは見られない。これに対して実際Googleは、建物に限らず、例えばよくある(ハーマン・ミラーのような)「高級なオフィスチェアー」を購入することはしないという。なぜならそうした「固定費」への投資は創造性とは無縁だからだといった記述が『How Google Works』の中にも出てくる。
     けだしGoogleにとって美とは無駄なコストなのだ。近代思想を代表/体現する建築家たちの命題の1つに「機能的なものは美しい」(ヴァルター・グロピウス、ル・コルビジェ、丹下健三……誰もがそれを口にする)というものがある。しかしまるでGoogleは美を気にしない。Googleにとってデザインとは、A/Bテストを通じてビッグデータによって選択/淘汰されるものが行き残った帰結にすぎない。小林秀雄はかつて「美しい花がある。花の美しさというものはない」といったが、Googleならむしろこういうだろう。「美しい花はデータによる投票で決まる」と。
     ……そんな思索に耽りつつ筆者は淡々とキャンバスを歩いた。あとひとつ印象に残っているのは、Googleplexのほぼ中心、全社ミーティングが行われるという大講堂のそばに、T-rex(ティラノサウルス)の像が立てられていたことくらいだろうか。これには「巨大な恐竜のような会社になるな(図体だけ巨大になると、いつか滅びてしまう)」というメッセージが込められているという。果たして「巨大」とは何か。もはやそれは「見えるもの」では測れない時代が来ている。そのことを、筆者は次の日から嫌というほど思い知ることになる。

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  • 濱野智史『S, X, S, WX』―『アーキテクチャの生態系Ⅱ』をめざして 第1章 東方見聞録 #1-1 NRT発: 3/6~3/7~3/6: on United【不定期配信】

    2017-06-13 07:00  


    情報環境研究者の濱野智史さんの新連載『S, X, S, WX』―『アーキテクチャの生態系Ⅱ』をめざして が始まります。来たるべき時代の情報社会/現代社会を読み解くための試論を展開しようとする濱野さん。第1章では、Googleを訪ねるために西海岸へと向かいます。
    『S, X, S, WX』
    ―『アーキテクチャの生態系Ⅱ』をめざして
    第1章 東方見聞録
    #1-1 NRT発: 3/6~3/7~3/6: on United
     2017年3月6日、私は太平洋の上にいた。ユナイテッド航空、NRT17:55発 SFO10:10着の便だ。そのとき私は洋上にてある夢を見ていた。だが、それは眠る時にみる夢のことではない。夢よりも深い覚醒のなか、私がこれから本連載を通じて、いや人生を通じて現実のものとしたい、夢である。
     その内容は、かつて筆者が宇野常寛との共著『希望論』(NHKブックス、2012年)と小熊英二編著『平成史』(河出書房新社、2012年)に寄稿した小論「情報化:日本社会は情報化の夢を見るか」に書きつけたことである。その要約は後者から引用すれば次のようなものとなる:

     日本の情報化は、インフラ層の普及・整備という点では成功したが、アプリケーション層(特に経済/政治領域)においては、さしたる変化ももたらしていない(中略)。それは、変化を望まない既存勢力にとっては「成功」であろう。しかし日本社会全体にとっては、少なくともグローバルな規模でポスト工業社会への移行は進んでいることは明らかである以上、「失敗」であろう。せいぜい成功しているといえるのは、インフラの価格破壊を実現し、百科事典や音楽やアニメを無料でダウンロード可能にするという、デフレ消費を推し進めたくらいのものである。
     こうした見立ては、「日本の情報化はカスだった」という印象を与えかねないかもしれない。しかしこれはあながち間違いではない。前節の冒頭でも見たように、結局のところ情報化は、情報収集や消費行動といった「消費」の領域に影響を強く及ぼしている傾向が強い。イノベーションを生み出す、政策をつくる、といった「生産」の領域では、まだまだ情報化ないしはネットワーク・メディアはさしたる影響を及ぼしているとは言いがたい。比喩的にいいかえれば、インターネットはいまだ「夜」の世界のメディアなのだ。社会の実権を握り、動かしている政治や大企業の「昼」の世界は、いまだにマスメディアとハイアラーキー(階層型組織)によって動いている。日経新聞を読んで組織内のうわさ話に聞き耳を立てる。それがいまだに日本社会の中核を縛っている。
     これはあくまでデータの裏付けを欠いた想像にすぎないが、インターネット(特に匿名掲示板)がしばしばオタクたちのしがない遊戯空間だと思われていたのにも、それなりの構造的背景があるのかもしれない。実社会ではまともにコミュニケーションのできない、正規雇用にもついていないからこそ時間の有り余った、引きこもり気味のオタクが、匿名空間で息巻くという姿が、戯画的にこれまで抱かれてきた。(中略)
     しかしこれは少し引いた目線で見れば、平成期において、それまでの昭和的枠組み(大企業での正規雇用といったメンバーシップ)が温存され、そこから「こぼれ落ちた人々」(貴戸理恵論文)たちが、「生きづらさ」の解消と承認欲求を求めて、インターネット空間を夜な夜なさまよっている、という図式ではないのか。あるいは自分たちの怒りや不満が既存の政治勢力やメディアには通っていない不満を抱える人々ではないだろうか。彼/彼女らは、昭和期から強固に残存する「昼」の世界の諸制度なり組織なりにぶつかり、それが変えられるという希望を失っている。だからこそ、誰もが肩書きを外して自由に発言し自由に暴れまわることのできるインターネット空間に夜な夜な出没するしかない。つまりは「昼」の世界への失望と無気力が、「夜」の世界での熱量に転換させられるほかないのである。はなはだ客観性は欠いているけれども、もし平成期における日本のインターネットがどうしようもなく「ダメ」で「厄介」なものに見えるとしたら、そうした下部構造が背景にあるのではないか。
     しかし、もし仮にそうなのだとしても、私達はそろそろ情報化の空間を夜の領域にとどめておくのをやめる時がきている。そこが「夜」の領域だというのならば、私達はアメリカ社会の借り物ではない、しごくまっとうで正しい「夢」を見なければならない。本書に収められた各論文は、インターネットを使って私達が何をすればいいのか、何の制度改革に向かって声を集め、それをどこに届ければいいのかを、これ以上はないというほどに明らかにしている。社会保障、教育、労働政策に悩む者たちが、ネットで声を集め、知恵を出しあい、団結しあって、それを何らかの政治勢力に伝え、有効な「票集団」として結集すること。インターネットという自由で双方向なメディアがあれば、既存の政治を縛ってきた「地方」や「組織・団体」の枠を超えて、そうしたコミュニケーションと団結が可能なはずだ。それは胸踊るような「革命」の夢とは違うかもしれないけれども、現にいま、私達の社会が共有すべき夢であるように思われる。
     
    筆者「情報化:日本社会は情報化の夢を見るか」前掲書

     私はなぜ西海岸へ向かうのか。それは「現にいま、私達の社会が共有すべき夢である」と断言するためであり、かつ、いまや日本社会だけではなく、国際社会全体が共有すべき夢となったからだ。その理由はのちに述べる。まずは、なぜ私が2017年3月上旬、アメリカ西海岸へフライトしたのか。その背景と経緯から述べることにしよう。
     
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