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  • 「キミも東京を脱出してみたら?」――高知移住後のイケダハヤトが語る「地方に住み、働く」という果てなきブルーオーシャン ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.314 ☆

    2015-04-30 07:00  

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    「キミも東京を脱出してみたら?」――高知移住後のイケダハヤトが語る「地方に住み、働く」という果てなきブルーオーシャン
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.4.30 vol.314
    http://wakusei2nd.com



    高知移住後の状況を綴った「まだ東京で消耗してるの?」というチャレンジングなブログが話題のブロガー・イケダハヤトさん。「いつかは東京を抜け出したい」と語る宇野常寛が、そのイケダさんに「地方移住」の魅力についてお話を伺ってきました。
     
    ▼プロフィール
    イケダハヤト
    1986年神奈川県生まれ。2009年に早稲田大学政治経済学部を卒業後、半導体メーカー大手に就職。と思いきや会社の経営が傾き、11ヶ月でベンチャー企業に転職。ソーシャルメディア活用のコンサルタントとして大企業のウェブマーケティングをサポートし、社会人3年目に独立。会社員生活は色々と辛かったので。2011年からはフリーランスのプロブロガーとして、高知県を中心にうろうろしています。著書に「年収150万円でぼくらは自由に生きていく(星海社)」「武器としての書く技術(中経出版)」「新世代努力論(朝日新聞出版)」などがある。
     
    ◎聞き手:宇野常寛
    ◎構成:鈴木靖子
     
     
    ■ 移住して変わったこと
     
    宇野 僕は「ああ、俺、東京で消耗してるな〜」と思いながら、いつもイケダさんのブログを拝見しています。今日は、戦略的なことも含めて高知移住について伺っていきたいと思っています。まず、移住のきっかけからお聞かせいただけますか。
    イケダ 東京でライターというかブロガーというか、記者のような仕事をしていると、結局、みんな同じことを書いているんですよね。せっかくイベント会場に来たのに、隣にバイト記者がいて同じようなことを書く。これは、僕自身にはフラストレーションだったし、社会的なリソースの分配を間違えていると思ったんです。
     また、東京はコミュニティの圧力が強い。住む場所を変えるだけで、そこから脱せるのではないか?という仮説を持って移住しました。9か月が経ち、まさにその通りだなと思っています。
    宇野 読者への説明のためにあえて聞きますが、今のイケダさんの収入形態の配分は具体的にどうなっているんですか? 
    イケダ ブログの収入がほとんどです。40〜50万円をアフィリエイトで稼いで、バナー広告で15万円くらい。記事広告で5万円。最近はFacebookを使った有料コミュニティで30万円くらいの収入があります。基本的にブログ周辺のオンラインでできる仕事しかしていません。
    宇野 東京でフリーランスをしている人からしても、破格の収入といってもいいですよね。
    イケダ 自分でも面白いなと思うのが、移住してから収益が上がったんですよ。アクセスが1.8倍に伸びました。そのぶん、広告の単価もアフィリエイトの収益性も上がります。情報発信をしている人が少ない地域に行けば、そこのコンテンツを扱う人も少ない。移住したことによりコンテンツにオリジナリティが出たんです。高知の読者も獲得できて、感謝もされる。僕自身、移住してからのほうがブログを書くことが楽しくなりました。
    宇野 僕も正直、イケダさんが高知に移られてからのほうが、ブログをよく見るようになりました。生活費も下がったんじゃないですか? 
    イケダ 現在は築浅の2LDKのアパートに住んでいて、駐車場が1台分ついて家賃は6万3000円です。東京では多摩市に住んでいましたが、ちょうど今の倍でしたね。家賃は10万円超で、駐車場を入れるともっと高くなる。
    宇野 2LDKの間取りなら、都心だと18万円前後ですが、高知はその3分の1ですね。僕は東京暮らしが8年目になりますが、いまだに東京が好きになれない。家賃は高いし、移動も実は不便だし、なにより住んでいる人間がみんな「焦っている」。 
     何かを作りだすことより、コミュニケーションが優先され、そこに膨大なコストをかける。東京に来たときからずっと感じていたことですが、そういった環境が年々、嫌になっていく感じです。
    イケダ そういった煩わしいものからは、だいぶ解放されました。よく言われることですが、地方は人との距離感が近い。行政のトップの高知県知事にもすぐに話に行けて、そういうスピード感もすごくいいです。
    宇野 でも、自分がイケダさんと同じようなことができるかといったら、やはり難しい。週一のラジオ番組のレギュラーなど、やはり仕事の問題があるんですよね……。イケダさんは、いつ頃から収入のメインをブログに移したんですか? 
    イケダ 妻の妊娠がわかった約3年前くらいです。それなりにサイトの力があり、やればできることはわかっていたので、本気でやれば結構いけた感じです。
    宇野 それまでは、コンサルとライティングですよね? ライティングはともかく、コンサルは現場に行って打ち合わせをする必要がある一方、時間に比して効率はいい仕事です。それを捨てるのは勇気がいりませんでしたか。
    イケダ コンサルティングの売り上げは、月50万〜60万円でした。でも、コンサルをやめても、20万〜30万円あればなんとでもなると思っていました。コンサルをやめたぶん、ブログに集中すれば売り上げが上がることがわかっていたので、あまり抵抗はなかったですね。
    宇野 フリーランスでやっていくイケダさんは、親子3人で生活するのに、これだけの収入がなきゃいけないなと思う額はいくらですか? 
    イケダ 地方に移住すれば、年間300万円くらい現金があれば、まともな社会生活が余裕でできると思っていました。妻も働ける状態でしたし、そんなにお金の心配はしませんでした。
    宇野 でも、それは移住が前提条件で、東京にいたらプラス200万円は必要ですよね。
    イケダ 都心で子育てをするのは無理だとわかっていたので、移住前提で考えていたんです。うちの妻の職場は都心で、多摩市からだと通勤に一時間半。時短勤務になるので収入は下がる一方で、保育園料も6万円ほどかかる。2人目、3人目も考えたいので、そう考えるとさらに東京生活はハードルが高くなるんですよね。
     
     
    ■ 掘りつくされた東京からフロンティアを求めて
     
    宇野 こんなに東京が嫌いなのに移住しない理由はなんだろうと考えると、もうひとつは人間関係なんです。やはり、家族以外の人間、友達とか仕事仲間と会えなくなるのは寂しい。その点、イケダさんはいかがでしたか?
    イケダ 友達いないんですよ、あんまり(笑)。あんまりというか、友達という概念がよくわからないんです。かっこよくいうと、友達がいらないタイプの人間なので。そもそも東京時代も友達と遊んだことって、なかったですね。
    宇野 僕はホモソーシャルの権化のような人間で、いつも友達とツルんで遊んでいます(笑)。なので、自分の精神生活がつらくなったとき、それがなかったら……と思うと、やはり決断できない。
    イケダ 移住先に新しい友達を作ることもできますし、移住しても、これまでの縁が切れるわけではありませんから。
    宇野 そうなんですよね。しかも、その友達と会うのも、実際は月に2〜3回。メディア出演の仕事も月に2〜3回で、東京に出張したときに遊べば別にいいのではないかとも思うんです。だからこそ、やはり移住をしない理由は、仕事なんですよね。周りに同業者やクリエイティブな仕事をしている人がいないと、刺激にならないと思ったことはないですか?
    イケダ それはむしろ、逆ですね。東京の人から出てくる企画やコンテンツをおもしろいと思いません。バイラルメディアとかそうじゃないですか。
    宇野 素晴らしいですね(笑)。まったく同感です。今、インターネットは本来持っているポテンシャルを失っています。『食べログ』や『Ingress』といった、基本的に東京にいてこそ楽しめるサービスは成功していますが、インターネット本来の魅力は、誰でも場所も無関係に情報発信できることにある。
     インターネットジャーナリズムは行き詰まり、ほとんどの人間は、何も語るべきものを持たず、うまくやっている人間に石を投げることぐらいの能力がないことを、バイラルメディア問題やツイッターの炎上問題が証明してしまった。これを打開するにはどうしたらいいだろうと思っていたところに、イケダハヤトが高知に行って「やられた!」と思いました。
    イケダ 個人に限らず、地方っておもしろい人がいっぱいいます。そういう人たちが、まったく取材されていなかったりする。東京でのコンテンツの限界という問題意識を持って地方に来てみると、まだまだ語るべきおもしろいことがたくさんあると感じます。
    宇野 つまり、東京は発信能力を持った人間は多いけど、コミュニティが近接すぎて、みんな同じことを考えるようになった。事実上、コンテンツが貧困なのだと。一方、人口は少ないかもしれないが、地方にこそ手つかずの情報のソースが眠っている。
    イケダ 地方のコンテンツは読まれるんですよ。センスがいいメディアは、すでにその方向に動いています。東京で開拓しようとしても、すでに掘りつくされている感じがするので、フロンティアを求めていくなら、ローカルだと思います。
     
     
    ■ 地方都市が抱える現実
     
    宇野 その一方で、この9か月にイケダさんが直面した地方の厳しい現実ってありますか? 
    イケダ ひとつには雇用の問題ですね。地元が大好きでも、大学卒業のタイミングで仕事がないために、県外に出るというケースがあまりに多い。若者の雇用の必要性はみんなが思っていて、それは課題のひとつです。
     それと、社会問題に対する意識がさほど高くないと思います。おそらく高知だと、「LGBT」といった性的マイノリティの話などはあまり語られていないでしょうし、各種の貧困問題についても住民自体のリテラシーは高くない感じがします。そこはローカルメディアが頑張らないと、意図せず排他的になってしまう。
     あと、どの地方にも共通することですが、異端児っぽい子供たちが排除されてしまう傾向があります。おもしろいことを考えていたのに、地元のネットワークの中だと理解されず、親も公務員とか学校の先生になってほしい願望が強かったりするので、才能を潰されている若い子たちが実はいっぱいいるのではないかと思います。
    宇野 僕も地方出身者で、たまたま転勤族だったからそのコースに入らなかったけれど、うちの親も「学校の先生になってくれたらうれしい」というタイプの人間だったので、そうなっていた可能性は高い気がします。
     
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    配信記事一覧は下記リンクから更新されていきます。
    http://ch.nicovideo.jp/wakusei2nd/blomaga/201504

     
  • 井上敏樹エッセイ『男と×××』第8回「男と運2」 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.313 ☆

    2015-04-28 07:00  

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    井上敏樹エッセイ『男と×××』 第8回「男と運2」
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.4.28 vol.313
    http://wakusei2nd.com




    本日は平成仮面ライダーシリーズなどでおなじみ、脚本家・井上敏樹先生のエッセイ連載「男と×××」最新回をお届けします! 今回のテーマは前回に続き「男と運」。「タクシー運が悪い」とこぼす敏樹先生がこれまで遭遇してきた、あまりにも独創的すぎるタクシー運転手たちとは――?


    井上敏樹エッセイ連載『男と×××』これまでの連載一覧はこちらから。
     

    ▲井上敏樹先生が表紙の題字を手がけた切通理作×宇野常寛『いま昭和仮面ライダーを問い直す[Kindle版]』も好評発売中!
     
    【PLANETSチャンネル会員限定! 井上敏樹関連動画はこちらから。】
    ・関連動画(1)
    井上敏樹先生、そして超光戦士シャンゼリオン/仮面ライダー王蛇こと萩野崇さんが出演したPLANETSチャンネルのニコ生です!(2014年6月放送)
    【前編】「岸本みゆきのミルキー・ナイトクラブ vol.1」井上敏樹×萩野崇×岸本みゆき
    【後編】「岸本みゆきのミルキー・ナイトクラブ vol.1」井上敏樹×萩野崇×岸本みゆき
    ・関連動画(2)
    井上敏樹を語るニコ生も、かつて行なわれています……! 仮面ライダーカイザこと村上幸平さんも出演!(2014年2月放送)
    【前編】「愛と欲望の井上敏樹――絶対的な存在とその美学について」村上幸平×岸本みゆき×宇野常寛
    【後編】「愛と欲望の井上敏樹――絶対的な存在とその美学について」村上幸平×岸本みゆき×宇野常寛
     
    男 と 運 2
     
               井上敏樹
     
     
     運と言えばタクシー運が悪い。仕事柄、というわけではないが私はよくタクシーを利用する。概ね理由はふたつだ。まず、ほぼ毎日二日酔いなので楽をしたい。駅まで行って階段を登り改札を抜けて階段を降りるなんて想像するだけでうんざりする。まるで遠い旅である。その点、タクシーならば話が早い。電話をかけて乗るだけだ。
     
     また、私は電車であれバスであれ見知らない人々と同じ密室に閉じ込められるのが怖いのだ。突然、誰かが怪人に変身するかも分からない。
     
     そう言えば子供の頃、電車に乗っていて不思議な体験をした事がある。その時、私はシートの隅に腰掛けていたのだが車内の床をなにやら奇妙なものが近づいて来たのだ。そいつは向かいの席の下の暗がりからガサゴソと私の足元に這い寄って来た。見ると、見事な大きさの毛蟹である。怖い、と思った。別に毛蟹が、ではない。昔も今も寧ろ好きだ。ただ、毛蟹は毛蟹でも電車の床を私に向かって這い寄って来る毛蟹が怖いのだ。
     
     話はそれで終わらない。私が呆然としていると、正面に座っていた老婆が突然立ち上がり猛然と毛蟹に襲いかかった。そうして鷲掴みにした毛蟹を私の目の前に突きつけて「これあんたのかい?」と尋ねて来る。私は激しく首を振ると老婆はまた違う客に同じように尋ねる。結局蟹の持ち主は現れず老婆は毛蟹を手提げに納めて電車を下りた。きっと家で食べるのだ。私は電車の床を這う毛蟹が怖いし毛蟹を捕まえて煮て食べる老婆も怖い。だから私はタクシーに乗る。
     
     タクシー運が悪い、と言っても当然頻度の問題もある。タクシーに乗る回数が多ければ妙なものに当たる確率も高くなる。
     
     最近では真っ直ぐな運転手というのがいた。タクシーを呼び、車に乗って行き先を告げる。私の家から目的地に行くにはUターンをしなければならないのだが、車は真っ直ぐに走り続ける。
     
    「私はバックが出来ないのです」
     
     私が文句を言うとそういう答えだ。
     
    「バックが出来ない、とは?」
     
    「だからバックが出来ないのです」
     
     あり得ない話だ。大体バックが出来なくて免許が取れるはずもない。私がその旨を問うと、「もちろんです。私も以前はバックが出来ました。ですが先日バックで事故を起こして以来トウラマになっているのです」
     
     なるほど。などと納得している場合ではない。一瞬、お宅ではバックの出来ない運転手を雇っているのか、とタクシー会社に通報してやろうと思ったがやはり止めた。考えてみれば可哀相な奴だ。結局、車は途方もない遠回りをして私を目的地へと運び、私は愉快でない額の料金を払った。
     
     それからキャンディ屋とポン引きがいた。キャンディ屋には三回遭遇した。シートにいくつかの籠がセットされていて何種類かのキャンディが山盛りになっている。色鮮やかなキャンディを見ているとくらくらして来る。女子供なら喜ぶかもしれないが私は甘いものが苦手である。それが、どうぞどうぞと勧めて来る。いらない、と言ってもまあおひとつと執拗である。
     
     二回目はタクシーに乗った瞬間すぐにしまった、と思ったが運転手の方も私の事を覚えていて、「お客さん、二度目だね。まあ、キャンディをどうぞ」とうれしそうだ。三度目には寧ろ感動した。
     
    ▼PLANETSの日刊メルマガ「ほぼ日刊惑星開発委員会」は4月も厳選された記事を多数配信予定!
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    http://ch.nicovideo.jp/wakusei2nd/blomaga/201504

     
  • 月曜ナビゲーター・宇野常寛 J-WAVE「THE HANGOUT」4月20日放送書き起こし! ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.312 ☆

    2015-04-27 07:00  
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    月曜ナビゲーター・宇野常寛J-WAVE「THE HANGOUT」4月20日放送書き起こし!
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.4.27 vol.312
    http://wakusei2nd.com

    大好評放送中! 宇野常寛がナビゲーターをつとめるJ-WAVE「THE HANGOUT」月曜日。ほぼ惑月曜日は、前週分のラジオ書き起こしダイジェストをお届けします!
     

    ▲先週の放送は、こちらからお聴きいただけます!
     
     
    ■オープニングトーク
     
    宇野 時刻は午後11時30分を回りました。みなさんこんばんは、評論家の宇野常寛です。今日はスペシャルウィークということで、ジブリ特集で送りいたします。スタジオジブリというのは、30年ちかく、日本の国民的アニメスタジオの位置を占めてきたわけなんですが、おかげで誰もがジブリの映画についての思い出があるんじゃないかと思います。僕もいろいろ思い出がありますね。最初にジブリアニメを観たのは家族で観に行った『天空の城ラピュタ』でした。まさに、宮﨑駿さんの個人スタジオだった二馬力という会社が、ちょうどジブリになっていく頃の作品ですね。あとは、高校時代のルームメイトの中村くんと『耳をすませば』を観に行きましたね。たぶん、僕がはじめて自分でお金を払って観たジブリ作品でした。
    大人になった今でこそ別の感想がありますけれど、当時の僕は『耳をすませば』は偽善くさくて説教くさくて、かなり嫌いでしたね。映画の中で、ヒロインの雫ちゃんに向かって相手役の聖司くんが「今の日本はカントリーロードではなく、資本主義に毒されたコンクリートロードしかないじゃないか」みたいなことを言うシーンがあるんですよね。もちろんこんな言い方はしていないですけど、でもまあそんな意味のことを言うわけですよ。そして、こう続けるんです。「でもそれでいいじゃないか、この汚れた世界を受け入れて強く生きていこうよ」的なことをね。これ、当時の僕は「うざいなあ」と思いましたね。「コンクリートロードでもいい」じゃなくて「コンクリートロードだからいい」に決まってるじゃんと、当時の僕は明確に思っていましたね。
     
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  • 「日常着としてのアウトドアウェア」はなぜ定着したのか? ――アメカジの日本受容と「90年代リバイバル」から考える(BEAMSメンズディレクター・中田慎介インタビュー) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.311 ☆

    2015-04-24 12:00  
    【お詫び】本日配信の「ほぼ日刊惑星開発委員会」ですが、編集作業に時間がかかってしまい、今朝の午前7時に配信することができませんでした。楽しみにしていただいていた読者の皆様、大変申し訳ございませんでした。さきほどより配信・公開いたしましたので、ぜひ、ご覧ください。今後ともPLANETSのメルマガ「ほぼ日刊惑星開発委員会」を楽しみにしていただけますと幸いです。
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     「日常着としてのアウトドアウェア」はなぜ定着したのか?――アメカジの日本受容と
    「90年代リバイバル」から考える
    (BEAMSメンズディレクター・中田慎介インタビュー)
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.4.24 vol.311
    http://wakusei2nd.com

    都市生活者の服装が脱スーツ化、カジュアル化するなかで、今や日常着として気軽に着られるようになったアウトドアウエア。しかし、なぜアウトドアウエアはここまで定着したのか?――その理由をファッションの歴史から辿っていくと、「アメカジ(アメリカン・カジュアル)の日本受容」に行き着きます。
    そこで今回は、日本にアメリカン・カジュアルとアウトドアウェアを紹介したパイオニアであり、今なお都市生活者のファッショントレンドを牽引するセレクトショップ「BEAMS」のメンズディレクター・中田慎介さんに、「アウトドアウエア受容の歴史」についてお話を伺ってきました。
      
     BEAMSの創業は1976年。セレクトショップもファストファッションのお店もなかった原宿で、6坪のセレクトショップとしてスタート。アメリカで爆発的人気だったカリフォルニア文化を日本に紹介し、ファッション好きの若者たちの心を掴みました。その後、様々なブランドとのコラボレーションでも注目を集め、数多のレーベルを擁して新たなトレンドを生み出し続けています。
     今回PLANETS編集部は、ビームス メンズディレクターで、創業当時のコンセプトである「アメリカンライフショップ」=アメリカン・カジュアルを提案し続けるレーベル「BEAMS PLUS」のディレクターでもある中田慎介さんに、「アメリカン・カジュアルとアウトドアウエア受容の歴史」について聞いてきました。
     
    ◎聞き手・構成:小野田弥恵、中野慧
    ◎写真提供:BEAMS
     

     

    ▲今年3月にリニューアルオープンした、フラッグシップショップの「ビームス 原宿」。
     
     
    ■ アメカジ受容のなかで派生したアウトドアウエアブーム
     
    ――ここ最近、恵比寿や渋谷あたりで、パタゴニアのハードシェルやダウンを着て、アークテリクスやグレゴリーのザックを背負って会社に通勤するサラリーマンの姿を当たり前に見かけるようになりました。本来なら山で着るような高機能なアウトドアウエアを街でも着るというファッション文化が定着しつつありますよね。
     なぜそうなってきているかの理由を考えていくと、消費者像として浮かび上がるのはまず “アウトドア層”――自転車通勤をしている人とか、土日に登山を楽しむ人たちです。
     そして、もうひとつ欠かせないのが、“アメリカンカジュアル層”だと思っていて、BEAMSが創業した70年代アメリカの西海岸のライフスタイルが日本に入ってきて、この流れで例えばパタゴニアのようなアウトドアウエアブランドに出会った人も多いのではないでしょうか。
     そこで今回は、アメカジやアウトドアウエアのタウンユースを紹介したパイオニアであるBEAMSからみた、「ファッションとしてのアウトドアウエア」の受容の歴史をお聞きできればと思います。
    中田慎介(以下、中田) なるほど。まず僕は、直近の理由としては東日本大震災が大きいんじゃないかと思っています。うちの会社では特に顕著なんですが、「なるべく公共交通関だけに頼らず通勤しよう」ということで、今まで禁止されていた自転車通勤がむしろ推奨されるようになったりしていますよね。そうなると当然、全天候型のウェア、つまりアウトドアウエアが必要になってくる。
     たしかにBEAMSは、セレクトショップとしてアウトドアブランドを取り入れたという意味ではパイオニアだと思います。「BEAMSがパタゴニアのフリースを日本に初めて入れた」と言ってもいいはず(笑)。なので、「BEAMSから見た日本でのアウトドアウエアファッションの流行と定着」という観点からお話することはできるかな、と思います。
     私がディレクターをやっている「BEAMS PLUS(ビームス プラス)」は、レーベルのコンセプトとして「アメリカの黄金期」と呼ばれているベトナム戦争以前の1945〜65年に完成されたウェアや、当時のものづくりをベースにしてきました。そこで私は配属された当時から、アメリカのファッションの歴史のノウハウみたいなものを叩き込まれてきたんです。ここでは僕が学んだものが厳密に正しいかどうかは別にして、分かる範囲のことをお話させてもらいますね。
     

    ▲ビームス メンズディレクターの中田慎介さん(撮影:編集部)
     
     そもそも洋服文化の発祥の地はヨーロッパで、1800年代にヨーロッパから今のアメリカ大陸に渡ってきました。当時はアメリカの広大な土地を東西にガンガン行き来して文化を広めていった時代です。そのため何を取り込むにも素早い動きが必要とされた。当然、輸入された洋服に対しても、アメリカ大陸で使えるような機能性を追加し、デザインをし直さなければならなかったわけです。このプロセスによって、のちの「大量生産」という流れが生まれていきます。
     こうした時代背景のなかで生まれたアメリカン・ファッションのルーツとなるカテゴリーは4つあって、ビジネススーツに代表される「アメリカントラディショナル」、肉体労働のための「ワーク」、兵士の服である「ミリタリー」、そして「スポーツ」ですね。これらのカテゴリーにおいて、例えばミリタリーなら「死なないためにどれだけ動けて丈夫で機能的な軍服を作るか」といった機能性に関わるディテールやデザインが完成したのが、第二次大戦後からベトナム戦争までの「アメリカの黄金期」と言われる時期です。
     当時は戦争景気でとにかくお金があったので、素材開発もさかんに行われています。対燃の素材をどこよりも早く開発して、「MA−1」というフライトジャケットを生み出したのもアメリカでした。いわゆる「アメリカンカジュアル」の源流とされる4つのジャンルは、時代の勢いに乗るかたちで、職業服つまり「ユニフォーム」としてのスタイルを完成させていったわけです。
     しかし、ベトナム戦争が始まって間もない1965年以降になると、「ユニフォーム」だったものが、しだいに「ファッション」として表現されていくようになる。いわゆるカウンターカルチャーの時代に突入していくわけです。
     
     
    ■ カウンターカルチャーから生まれた「アメリカン・カジュアル」
      
    ――カウンターカルチャー世代の若者たちが、「ユニフォームとしての機能」に特化していたこれらの服に、ファッションとしての意味を新たに見出していったということですよね。
    中田 それまでのアメリカには、「どこの家にも大きい車があって、テレビがあって、子どもたちは真面目で、髪を横分けしている」という、親世代が作った”American Way of Life”と言われる理想と現実があったんですね。
     ベトナム戦争の泥沼化によって、親世代を単純にリスペクトできなくなった若い世代が、イメージ戦略によって作られたこれらの概念を壊していったわけです。ファッションに置き換えるならば、着崩すことに楽しさを見出していったということですね。たとえば、それまで野球の試合や練習でしか着られなかったベースボールシャツが、70年代〜80年代になるとファッションとして着られるようになるわけです。
     それから大量生産・大量消費の時代でモノが飽和状態になったことで「節約しよう」という流れが起きて、古着ブームが生まれる。「ラグビーのユニフォームも普段着としても着れば一石二鳥」ということになってくる。こういった流れから、「ユニフォーム」と「ファッション」の流れがリンクしてきたんじゃないか、と私は思いますね。
     もうひとつわかりやすい例を出すと、ヒッピーがミリタリーシャツを着るようになったのも、まさにアンチテーゼですよね。要するに「ミリタリーっていうのは人を殺すための服じゃない。平和をうたうための服なんだ」というカウンターです。ひとつの意味しかもたなかった「ユニフォーム」に、まったく逆の意味をもたせて「ファッション」にしたというわけです。
    ――『フォレスト・ガンプ』に出てくるヒッピーも、ミリタリーを着ていましたよね。
    中田 そうそう。ちなみにフォレスト・ガンプが履いていた代表的なスニーカー、「ナイキ コルテッツ」のオリジナルカラーを、BEAMSエクスクルーシブで販売していました。映画のなかでフォレスト・ガンプがプレゼントされたスニーカーで、白地に赤いスウォッシュが入ったものです。この春にリニューアルした原宿店の目玉アイテムでもあります。
     

    ▲フォレスト・ガンプ [DVD]トム・ハンクス (出演), ゲイリー・シニーズ (出演), ロバート・ゼメキス (監督) 
     

     

    ▲ナイキ コルテッツ オリジナルカラー
     
     
    ■ いま起こりつつある「90年代リバイバル」
     
    ――『フォレスト・ガンプ』といえば舞台は1960〜70年代ですが、90年代の映画でもあるわけですよね(公開は1994年)。最近いろいろな分野で「90年代」の再解釈が流行していますが、このアイテムもその流れからきているものなのでしょうか。
    中田 たしかに90年代ブームという枠で動いている部分はありますね。90年代の特徴としては、異素材をミックスさせているのがポイントです。
    ――90年代ブームのひとつとして、BEAMSは昨シーズン、スポーツミックススタイルも提案されていましたよね。パタゴニアを着てアークテリクスのザックを背負って……というスタイルの原型って、1970年代にはすでにアメリカにあったんですか? 
    中田 やはりカウンターカルチャー全盛期にある程度完成されたんじゃないでしょうか。証券マンが象徴するようなビジネススタイルへのカウンターとして、70年代は放浪の旅をするバックパッカーたちのスタイル(ヒッピー)が出てきたわけです。今までスーツを着て街を歩いていた人が、「こんなものは必要ない」といってスポーツウェアを着てザックを背負って旅に出る。そこで彼らは「スポーツウエアの機能って、スポーツ以外でも役立つじゃん! 日常でも着られる!」と気づいて、日常生活に取り入れるようになっていったんでしょうね。
    ――そういったアメリカのカジュアルウエアのトレンドが、日本に入ってきたのはいつぐらいなんでしょうか?
    中田 アメリカンカルチャーが本格的に入ってきたのはやっぱり70年代でしょうね。当時のアメリカはカウンターカルチャーの影響で人種差別がなくなっていった時代なので、日本人もある程度渡航しやすくなり、情報が入りやすい環境になっていった。BEAMS創業時のメンバーもこの頃カリフォルニアに渡っています。
     
     
    ■ パタゴニアを日本に紹介したのもBEAMSだった?
     
    ――BEAMSが原宿で創業したのは76年ですが、当時は「UCLAの学生の部屋」がコンセプトだったんですよね。
    中田 70年代中盤当時、日本でも古着やカウンターカルチャーがブームだったんですけど、実は当時の原宿は、今のような「古着の街」というイメージは、まだそこまで強くなかったんです。
     70年代のカウンターカルチャー的な古着文化の発祥の地はニューヨークとされているんですが、実際に花開いたのはサンフランシスコで、カリフォルニアの陽気さのなかでみんなが古着を着るようになり、サーフィンやスケートボードといったいわゆる「横ノリ」のスポーツがどんどん発展した。このカリフォルニア文化に70年代の日本人はすごく憧れを抱いていて、だからBEAMS創業時は「アメリカンライフショップ」というのがコンセプトで、アメリカのカルチャーを紹介するお店だったんですね。
     

    ▲2009年に発売されたPOPEYE × BEAMSのムック「All about USA」(マガジンハウス)のひとコマ。70年代当時の「POPEYE」誌上でBEAMSが紹介されています。「POPEYE」の創刊はBEAMSと同じく1976年で、中田さんによればほとんど”同期”のような間柄だそう。(撮影:編集部)
     
    ――当時のBEAMSの店舗には、どんなアイテムを置いていたんですか? 
    中田 ワークウェアならスミスのオーバーオール、ラングラーのウエスタンシャツ、リーバイス® の501、ナイキのスニーカーをベースにしたローラースケートもありました。他にはベーシックなボーダーTシャツとか、ブーメランとかフリスビーのようなお土産モノですとか、それこそUCLAの生協に行ったら買えるようなロゴのTシャツとかも置いていたようですね。
     あとは、すでにパタゴニアのスタンドアップショーツも買い付けていたそうです。80年代には、パタゴニアのフリースの名作とも言われる「シンチラジャケット」を日本に紹介していますね。
     

    ▲パタゴニア シンチラスナップTフーディ
     
    ――当時、カリフォルニアに住む人はパタゴニアのフリースをファッションとしてすでに着ていたんですか? それとも、あくまでアウトドアウェアとして着られていたものを日本で「ファッション」として売り出したんでしょうか。
    中田 パタゴニアがフリースを開発したのは70年代後半ですね。当時、現地の人たちが日常着としても着ていたかは定かではありませんが、BEAMSはあくまで「ファション」として売り出しています。
     そもそもパタゴニアは、1957年にカリフォルニアで誕生した、ロッククライミング用品の製造をするための会社でした。衣料品の輸入や製造販売も行うようになり、1973年に新たに衣料品部門として「パタゴニア」という名称のブランドをスタートさせました。
     昔はアウトドアウエアというものがなくて、クライミングをするときもコットンとかウールとか、雨に濡れたとたんに機能しなくなるものしかなかったんですね。「それならば自分たちでつくろう」と、クライミング用品を売っていたパタゴニアが衣料品も作り始めた。そうなったときに、「水分を吸収しない化学繊維によるウエアにしたい。さらに保温性もほしい」ということでウエアとして生まれたのがフリースです。
     
     
    ■ 大ヒットしたアイテム「アロー」(アークテリクス)は日本でどう受容されてきたのか?
     
    ――パタゴニアともうひとつ、今のアウトドアウエアブームを引っ張る存在としてアークテリクスがあると思います。ブランドの定番モデル「アロー」を背負っている社会人や大学生を本当によく見かけますよね。この「アロー」は、ファッションアイテムとして紹介され始めたのはもう10年以上前からだと思いますが、当初はどちらかというとアウトドアのアイテムというよりも、日本の80年代以降の「DCブランド」的な感覚の延長線上であったり、その後の「裏原系」と共振するようなものとして人気が出ていた印象があるのですが……。
     

    ▲アークテリクス アロー
     
    中田 アークテリクスは日本に限らずとても人気のあるブランドですが、「アロー」自体は日本以外ではもう売っていなかったりするんですよ。アウトドアブランドのプロダクトとしてはファッション性が非常に強いのが理由かもしれません。
     
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  • 【お詫び】今日の「ほぼ惑」配信が遅れます

    2015-04-24 07:00  
    本日配信予定の「ほぼ日刊惑星開発委員会」ですが、現在、編集作業に時間がかかっているため、今朝の午前7時配信を中止といたしました。楽しみにしていただいていた読者の皆様、大変に申し訳ございません。
     
    準備が完了し次第、配信となりますので、今しばらくお待ちいただければ幸いです。何卒、よろしくお願いいたします。
     
     
    PLANETS編集部
  • 早すぎた魔法使いと世界を変えた四人の弟子(落合陽一『魔法の世紀』第6回) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.310 ☆

    2015-04-23 07:00  
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    早すぎた魔法使いと世界を変えた四人の弟子(落合陽一『魔法の世紀』第6回)
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.4.23 vol.310
    http://wakusei2nd.com



    今回は、メディアアーティスト・落合陽一さんの好評連載『魔法の世紀』の最新回をお届けします。
    なぜ今、現実世界にコンピューティングが物象化していく状況(=魔法の世紀)が訪れたのか? CADやヘッドマウントディスプレイの原型となるテクノロジーを開発した科学者アイバン・サザランドと、その弟子たちの系譜から紐解いていきます。

    落合陽一『魔法の世紀』これまでの連載はこちらのリンクから。

     
     
    「魔法が世界に満ちるまで」
     
    お久しぶりです、落合陽一です。最近、無事に博士になりました。先月まで博士論文を書いていてしばらく時間が取れなかったので、久々の執筆になりました。博論は計算機を用いた場の制御に関するもので、魔法の世紀で連載してきた話の「理系バージョン」みたいなものです。無事に博士号をいただきました。
     
    今回は時間が開いてしまったので、ひとまず仕切り直しというわけで、おさらいの会にします。前回までは、映像の世紀から魔法の世紀に変遷するにあったっての美の変化やアート価値、静から動への変化、テクノロジーやデザインということについて語ってきました。
     
    それに対して、今回はなぜこの世界にコンピューティングが物象化しているのか、という時代性の問題を見直してみようと思います。そのために、以前紹介したコンピュータ科学者・アイバン・サザランドの論文やその弟子への系譜を見ていくことで、サザランドが語った魔法的な価値観がどう引き継がれ、どう世界に溶け込んでいったのかを考えてみようと思います。
     
     
    「ヴァーチャルリアリティの息吹」
     
    アイバン・サザランドはマサチューセッツ工科大学(MIT)を卒業しています。彼の博士指導教官はクロード・シャノンです。
    シャノンとは、標本化定理や暗号理論、情報理論、デジタル回路の研究などで世界一有名な情報学者です。彼が修士号取得時に著した「継電器及び開閉回路の記号的解析」は「20世紀に最も重要で有名な修士論文」と評されるほどのもので、電気回路のスイッチングを論理式に対応づけることで、現代のデジタル回路を成す「デジタル論理回路」の基礎を作ったものです。
     
    では、そんなクロード・シャノンの弟子であるアイバン・サザランドはどんな人物だったのでしょうか。
    シャノンがコンピュータの数学的記述法や通信・暗号の基礎を作ったなら、さしづめサザランドは人間とコンピュータが関わる対話的基礎を築いていった人物だと言えるでしょう。
    アイバン・サザランドの初期の業績において重要なものは、コンピュータグラフィクス分野の開拓とヴァーチャルリアリティ分野の開拓です。まず、彼がコンピュータフラフィクス分野を生み出したのは1963年のことです。まだメインフレームが当時のコンピューティングの中心だった頃、アイバン・サザランドは世界初のインタラクティブコンピュータグラフィクスシステムであるSketchPadを、MITのメインフレーム(TX-2)の上で実装し、1963年に博士号を授与されました。
     
    ▲Ivan Sutherland : Sketchpad Demo (1/2)
    SketchPadは今でいうとCADの前身のようなシステムで、タブレットで直接絵を描くことのできるIllustratorのようなものです。その斬新性は、50年後の今見ても明らかです。この功績により、アイバン・サザランドは後のチューリング賞、クーンズ賞、京都賞などを受賞します。
     
    ▲アイバン・E・サザランド(第28回京都賞受賞者)からのメッセージ
     
    続いて、アイバン・サザランドはヴァーチャルバーチャルリアリティの礎を築きはじめます。ハーバードの教官を務めていた1968年、彼は指導学生であったボブ・スプロウルとともに世界初のHMDを開発したのでした。
     
    ▲Ivan Sutherland - Head Mounted Display
    アイバン・サザランドの教鞭の変遷は、それ自体が現代のヴァーチャルリアリティと、コンピュータヒューマンインタラクションの足跡そのものです。ボブ・スプロウルはカーネギーメロン大で教鞭をとった後、サザランドとともにコンサルティングファームを起業しました。それがサンマイクロシステムズに買収されて、後のサンマイクロシステムズ研究所の母体となります。ここから生まれたプログラミング言語やユーザビリティ研究が、やがて1990年代のUNIXブームやその後のインターネットユーザビリティの立役者となります。現代のUNIXサーバやプログラミング言語に関する研究はサンマイクロシステムズのラボラトリーから出芽したものが多いです。
    スプロウルだけではありません。後のコンピュータアプリケーションにおけるキーマンのほとんどが、彼のラボラトリーの卒業生なのです。
     
     
    そして、1968年にアイバン・サザランドはユタ大学に移ります。ユタ大学は当時コンピュータグラフィクス分野で非常に有名な大学でした。マーティン・ニューエルがモデリングしたユタティーポットは今でも使用されているリファレンスオブジェクトで、そこにはユタ大学の名前が現在でも残されています。
     
    ▲ユタティーポット
     
    言ってみれば、これは当時のUnityちゃんや初音ミクみたいな、3D表示するサンプルのオブジェクトです。ユタ大学に移ったサザランドは、コンピュータグラフィクスの研究をするとともに、ここでも多くの博士学生を育てました。ここでの彼の教え子たちがコンピューティングのアプリケーションを拓いていくことになります。その筆頭が、かの有名なアラン・ケイです。
     
    ここまでの話からもわかると思いますが、魔法の世紀の基礎概念は、アイバン・サザランドの系譜をなぞっていくことで、読み解けるのです。しかし、実は1975年を最後に、アイバン・サザランドはコンピュータグラフィクスやこうしたインタラクティブなアプリケーションエリアを離れてしまいました。そして、当時のことについては、口を閉ざすようになりました。
     
    僕の知る限りで、サザランドがこのことに触れたのは、まさに当時の業績で受賞した京都賞の講演の際のことです。1975年、サザランドは隠面処理のアルゴリズムに関するサーベイ論文を出版しました、その際に、彼は「隠面処理のアルゴリズムは一見違うアルゴリズムであっても、同種のソーティングの問題でしかない」と気づいたのだそうです。サザランドは、「それがグラフィクスにかける自分の情熱が消えていった瞬間だった」と言いました。また、彼が想像したようなインタラクティブシステムを行うには当時のコンピュータは貧弱であり、実現までの道筋も遠かったのだと思います。
    1975年以降のアイバン・サザランドは、分散システムの研究に移っていきました。そして、こうしたユーザーインターフェイスにまつわる研究からは姿を消したのです。
     
     
    「パーソナルコンピューティングの夜明け前」
     
    しかし、サザランドが撒いた種は、その後のコンピュータの歴史の中で大きく育ち続けました。
     
    とりわけ、コンピュータの使い方が積極的に議論された当時のユタ大学で、サザランドが指導に関わった学生たちからは、アプリケーションユースの歴史に名を残した人々が幾人も登場しました。
    その中でも、ジェームス・クラーク、アラン・ケイ、ジョン・ワーノック、エド・キャットムルの4人は代表格です。コンピュータの歴史に詳しい人であれば、彼らが業務アプリケーションからハリウッドのCGまで、各分野において巨大な業績を残した人物であることを知っていると思います。アイバン・サザランドがユタ大学で教鞭を持っていたあの時代、そんな彼らが一つの時間を共有していたことは、まるで「トキワ荘」のようなものだと思います。それは、後のコンピューティングの歴史を切り開く一ページと言えるでしょう。
     
    ▲ジェームズ・クラーク
    画像出典:ジェームズ・クラーク (事業家) - Wikipedia 
     
    まず、ジェームス・クラークは、後にシリコングラフィクスを起業して、ネットスケープを起ち上げた人物です。第一次ヴァーチャルリアリティブームや、黎明期のハリウッドのコンピュータグラフィクスソフトウェアのほとんどは、実はシリコングラフィクスのワークステーション上で動くものでした。コンピュータグラフィックス計算に特化したワークステーションを数多く輩出し、シリコングラフィクスは一時代を築きました。
    ネットスケープのモザイクコミュニケーションズは、その上場益をもとに1994年、ジェームス・クラークが創業したものです。これは、みなさんが知っているネットブラウザの先駆けで、WWWへインターネットブラウザを用いてアクセスするというサービスでした。このようにクラークの業績は、インタラクティブグラフィクスや映画のテクノロジー基盤の提供を経て、インターネットの普及にまで渡ります。彼の存在は、この世界にコンピュータグラフィクスやインタラクティブアプリケーションのテクニックが普及していく原動力の、少なくとも一部をなしていたと言っても過言ではありません。
     
    ▲アラン・ケイ
    画像出典:アラン・ケイ氏が描く未来のパソコン像(前編) - ニュース - nikkei BPnet 
     
    次にあげるのは、アラン・ケイです。既にこの連載でも取り上げている、コンピュータ史における最も有名な人物の一人です。「未来を予知する最も確実な方法はそれを作ることだ」という格言で、一般には広く知られているかもしれません。
    彼もまた、ユタ大学でアイバン・サザランドの影響を受けた一人でした。アラン・ケイはパロアルト研究所の研究員時代に、グラフィカルユーザーインターフェースをもつコンピュータ(Alto)や、オブジェクト志向言語(Small Talk)をもつコンピュータなどの、現在のコンピュータに極めて近いコンポーネントをもつシステムを次々と発明しました。GUI付きのAltoを見たスティーブ・ジョブズが、それを真似してMacintoshを作ったというのは有名な話です。そして、いまや彼のDynabook構想はタブレットやスマホへと受け継がれています。ユーザーインターフェースという観点で、現在のコンピュータを作ったのは彼であると言っても過言ではないでしょう。
    ▲ジョン・ワーノック
    画像出典:ジョン・ワーノックとは - コンピュータ偉人伝 Weblio辞書 
    ジョン・ワーノックについては、他の三人に比べるとご存知な方は少ないかもしれません。しかし、実は皆さんの生活に最も身近なところで活躍している人物です。というのも、彼はPostscriptの発明者であり、あのAdobeの創業者にして社長でもあります。そう、Illustrator、Photoshop、PDFリーダー、Flashなどの製品を生み出している、あのAdobe社の創業者なのです。彼の製品は生活のあちこちに溶け込んでおり、ソフトウェア的な面でデジタル世界でのクリエイションを支えています。
     
    ▲エド・キャットムル
    画像出典:エド・キャットムル - Wikipedia 
     
    そして、最後の一人が、エド・キャットムルです。エド・キャットムルはルーカスフィルムでコンピュータグラフィクスチームを立ち上げ、その後チームで独立して、Pixarを創業した人物です。現在でも、キャットムルはPixar社の社長を務めています。
    コンピュータグラフィクスを使ってどういうコンテンツを作るか、またディズニーコンテンツとデジタルコンテンツの親和性を用いてどうやって訴求していくか。彼の存在は、魔法の世紀のコンテンツを語る上で欠かせません。
     
    さて、本当に今のデジタル世界の数多くのものが、この時代のユタ大学から芽吹いたものだとわかったと思います。サザランドが手放した研究テーマを引き継いだ彼の弟子たちは、VRブーム、ネットブラウザ、タブレットやGUI、オブジェクト志向言語の原型、CADCAMソフト、印刷出版、ハリウッド映画などを生み出し、やがてコンピュータ産業の花形を切り開く中心的人物となり、社会を大きく変革したのでした。
     
     
    「旅の終わりと継承」
     
    それにしても、こうした世界を変革した4人の源流にあるサザランドの研究テーマとは、結局のところ、どういうものだったのでしょうか。
     
    僕が思うに、魔法の世紀という視点で最も重要なのは、サザランドが「創造性」や「リアリティ」のような、いかにも人間の領域の問題だとされてきたものを、コンピュータの補助によって巧妙に扱えるようにして、現実に解ける問題として捉えてきたことです。つまり、芸術や現実などの人間的知性を扱うような観点で、人間の価値観をアップデートしうる技術がコンピュータによって可能だということを明らかにしたのでした。
    おそらく、サザランドには「適切なプログラミングを用いて魔法を実現する」ための自由な発想があったのだと思います。事実、サザランドの「究極のディスプレイ」に関する思想は、現在のVRの手法や、二次元画面のディスプレイに縛られたものではありませんでした。それは、究極的には物体の存在そのものをコントロールできる部屋を生み出すという思想にまで繋がっていました。
     

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  • いつか、空気を読まないために――吉田尚記『なぜ、この人と話をすると楽になるのか』 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.309 ☆

    2015-04-22 07:00  
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     いつか、空気を読まないために――吉田尚記『なぜ、この人と話をすると楽になるのか』
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.4.22 vol.309
    http://wakusei2nd.com

    本日のメルマガは、宇野常寛による『なぜ、この人と話をすると楽になるのか』(吉田尚記)論をお届けします。「空気を読めない」といつも怒られている僕たち(?)に対して、その対処法を解説しベストセラーとなった、よっぴーさんの『なぜ楽』。そこに隠された「一番大きなメッセージ」を読み解いていきます。
    初出:『ダ・ヴィンチ』2015年(KADOKAWA)

     

    ▲吉田尚記『なぜ、この人と話をすると楽になるのか』太田出版 1111円(税別)
     
     
     ニッポン放送のアナウンサー・吉田尚記と知り合ったのは、一昨年のことだ。僕がニッポン放送の深夜番組(『オールナイトニッポン0』)を担当していたとき同社の偉い人が、僕と気が合いそうな男がいると紹介してくれたのだ。それまで僕と吉田はお互い相手のTwitterのアカウントはフォローしていたが、これといって交流はなかった。向こうがどう思っていたかは知らないが、僕のほうはどこからともなく流れて来た彼のtweetの内容、たしか彼のメディア論というか、ラジオ論のようなものが気になってフォローしたのだと思う。
     その後、僕と吉田はニッポン放送で顔を合わせるたびに雑談を交わすようになった。しかし決定的に仲良くなったのは、彼が僕を彼の主宰する対談イベント「#jz2」に呼んでくれたことだと思う。ここで僕と吉田はメディア論、特にラジオ論とソーシャルメディア論で白熱し、有り体に言って意気投合した。そして気がつけば吉田は僕のメールマガジンやインターネット放送の常連出演者(もちろんアナウンサーとしてではなく、いち「論客」としての登場だ)になり、いまでは月に一度は何らかのかたちで議論している。
     だからほとんど当たり前のように、吉田が二冊目の本を出版することになったとき僕のところにLINEでゲラが送られて来て、そして当たり前のように販促のコメントを僕が書いて、当たり前のように出版記念イベントに出演することになっていた。
     しかし、今回僕が同書『なぜ、この人と話をすると楽になるのか』について取り上げようと思ったのはそれが吉田の本だからではない。この本は同時代の物書きとして、しっかりアンサーしなければならない本だと感じたからだ。
     
     本書の概要を簡易に説明しよう。吉田は同書をどちらかといえばコミュニケーションが苦手な「コミュ障」のための本だと位置づける。吉田はいう。自分は本来まさにその「コミュ障」の典型例であると。しかし自分はうっかりアナウンサーという職業に就いてしまった。そしてその結果、コミュニケーション力を「学習」することになったのだ、と。吉田曰く、同書はコミュニケーションという「ゲーム」の攻略本である。ここでいう「コミュニケーション」とは要するに個人的な会話を通じた社交術のようなものだと思えばいい。
     幼少期から「もっと空気を読め」と言われ続けて、そしていまも何かのきっかけで場違いな食事会に呼ばれてしまうたびに気まずい思いをしながら早く帰りたいなと考え続けている僕にとって、同書は仕事を忘れてページをめくることのできる実践本でもあった。
     たとえば同書で吉田はコミュニケーション力を、「空気を読む」力を、雑談という視点から説明する。いわゆる「コミュニケーション力の低い」「空気の読めない」(僕のような)人間は「雑談」ができない、いや雑談に興味が持てないのだという。僕らのような人間はつい、日常の何気ない会話にまで目的を求めてしまう。自分の知的関心を満たしてくれる視点や、未知の情報を期待してしまう。もしくはそれらを相手に与える達成感を期待してしまう。しかし、それは、間違いだと吉田は言う。吉田は同書で「コミュニケーションの目的はコミュニケーションである」と断言する。そう、いま僕が挙げたようなコミュニケーションの「目的」は実は人間対人間のコミュニケーションではなくとも得られるものだ(人間対モノ、人間対情報、など)。人間同士のコミュニケーションでなければ得られないもの、それは会話が盛り上がることによって得られる高揚感でしかないのだ。
     コミュニケーションは原理的に自己目的化する──この理解は、古くは携帯電話のメール交換、現在においてはLINEなどのアプリケーション上での1対1のコミュニケーションを想定したショートメール交換を想定すれば分かりやすいだろう。こうしたサービス上で繰り広げられるやりとりの何割かは、確実に自己目的化している。「いまから行く」「○○をもってきて」といった目的のあるコミュニケーションと同じくらい、ここでは単に返信してほしい、「既読」をつけてほしいだけのやり取りが交わされているはずだ。ここで人間が求めているのはおそらく「承認」だ。決して積極的な尊敬や愛情ではないだろう。自分の存在をゆるく肯定してくれることの安心感を、ここで人間は求めているのではないか。だからこそ、こうしたコミュニケーションは家族や恋人ではない友人間で行われやすいのではないか。こちらが膨大なコストをかけずとも、小さな承認を返してくれる関係、ローコスト・ローリターンの承認を求める性質を人間は持っているのではないか。
     電子メールはこうしたやりとりとその過程を可視化してくれるわけなのだが、考えてみれば日常会話も同様だ。僕たちは会話のきっかけにほぼ無意識のうちに「今日は暑いね」とか、「こんな朝早くにお疲れさま」とか、他愛もない話題を用いている。もちろん、ここで本当に気温の高さを話題にしたい人間はまずいないだろう。ここで人間は、目の前の相手とこれからささやかな承認を交換して、ローコストに小さく気分よくなりたいというサインを送っているのだ。
     そして、僕のような「コミュ障」の人間にはこれができない。いや、正確にはこれが不快なのだ。特に関心が強いわけでもない人間と、特に関心が強いわけでもない話題をしてまで、小さく気分よくなんかなりたくない。そんな時間があるなら、家に帰って本を読みたい。ずっとそう思って30年以上生きて来たわけだ。(だから僕はいわゆる「飲みの席」というやつが大嫌いで、そのせいでお酒を飲まなくなったようなものだ。)
     しかしそのことで、随分と世の中が生きにくいのもたしかだ。僕が5年しか会社員を続けられず、目処がついた時点でフリーランスに転向してしまったのも、要は自分で能力的な適性がないことを分かっていたからだ。そして僕より3つ年上で、そして会社員をまだ続けている吉田はそんな僕らに、なるべくストレスなく「空気を読む」方法を解説している、というわけだ。
     吉田はいう。「コミュニケーションとは目の前の相手と一緒にゴールを目指す協力型のゲームだ」と。そう、コミュニケーションの目的がコミュニケーションでしかないのなら、そのゴールは「楽しく会話すること」それ自体でしかあり得ない。吉田はコミュニケーションが自己目的化する理由を、そしてコミュニケーションが協力型のゲームであることを解説した上で、「空気を読む」方法を伝授する。たとえば「聞き上手であること」がそれだ。コミュニケーションに「目的」が必要だと思っている僕たちはつい、中身のある会話をしなければと考えて、まずは自分から情報を発信してしまう。しかし、これは協力ゲームとしての会話としては悪手でしかない。特定の目的を強力に設定された情報発信ほど、相手に取って打ち返しにくいものはない。もちろん、相手がその話題をしたくて仕方がないと分かっている場合は違う。しかし、ここで問題となっている社交的な「雑談」では逆だ。ここで一番アンパイな配球は、聞き役に回ることだ。「今日は暑いね」といった類いの発言には、これといった中身はない。しかし、この一手が有効なのはこの種の発言が「これからあなたと楽しく、小さくお互い負担にならない程度に時間を共有したい」というメタメッセージを伴っているからだ。従って吉田はタモリのトーク番組におけるゲストへの定番の質問「髪切った?」こそ「神の一手」だと断言する。相手に(ゆるくポジティブな)関心をもっていることを伝えつつ、決して負担にならない程度のゆるいアンサーを、それもかなりの自由度で求める。これこそが、協力型ゲームとしての会話(コミュニケーション)における定石中の「定石」なのだそうだ。
     僕はこうした吉田の展開するコミュニケーション論に、基本的に同意する。そして実際にこうやって社交的な「会話」のメカニズムを解説されることによって、コミュ障がこの種の中身のない会話を楽しむことができるようになるケースも多いのではないかと思う。ゲームとして捉えることで、本来楽しめない無目的な会話をテクニカルに攻略する=盛り上げることで(別の意味で)楽しめるようになる。そして、そのことが結果的に「コミュ障」の解消につながる。実際、同書で告白されているように吉田自身がそうだったに違いないのだから。僕自身、ああ、高校生か大学生のころにこの本に出会いたかった、という感想をもったことも、ここに告白しておこう。
     
     その上で、僕は思った。この本は、最後の最後で一番大きなメッセージを意図的に書かなかった本だ、と。もちろん、それは否定的な意味ではない。それはむしろ、吉田が書かないことで読者に伝えようとしたメッセージが、この本を強烈に支えていることを意味するのだ。
     
     同書は徹頭徹尾この社会は「空気を読む」という行為で成り立っていて、そしてその社会の成員である僕たちはこの「空気を読む」ことから逃れられないという前提で書いてある。たしかに僕もそう思う。コミュニケーションは原理的に自己目的化するものでしかないと僕も考える。もっと言ってしまえば、自己目的化したコミュニケーション、つまり関係性それ自体にも価値が宿ると僕も考えている。もしかしたら僕のほうが吉田よりも積極的に、美しい存在があるのではなく美しい関係性があるだけだ、と考えている側の人間であるとすら思う。たぶん、僕と吉田の世界に対する理解はほとんど離れていない。しかし、そこから先のアプローチはまったく違う。
     この本で吉田はいわば「どんな箱に行っても空気が読めるようになる」テクニックについて考えている。しかし僕は違う。僕は個人が選べる箱のバリエーションを可能な限り増やすことを考えている。
     たとえば僕は「いじめ」問題に対する処方箋はひとつしかないと思っている。それは「クラス」という箱をなくすこと、「クラス」という箱から逃げやすくすることだ。小学校低学年から授業選択制を導入し、児童には今より早い段階で「与えられた箱の空気を読む」訓練ではなく、「自分に合った箱」を探す訓練を積ませる。もちろん、ここには「自分に合わない箱とは距離を取る」訓練も含まれる。オールドタイプの日本人には、そんなことでは忍耐力のない子どもが増えるだけだと思われるかもしれない。しかし、それは考えが浅い。自分に合った箱を探すため、複数のコミュニティに接続しながら試行錯誤していくためには与えられた箱の空気を読むためのものとはまったく異なる忍耐と柔軟で強靭な知性が必要だ。
     吉田の分析と主張に、僕は完全に同意する。しかし、いやだからこそ僕はできることならば最初から空気なんか読みたくないと思うのだ。コミュニケーションのためのコミュニケーションに時間とエネルギーを使いたくないと思ってしまう。
     

    ▼PLANETSの日刊メルマガ「ほぼ日刊惑星開発委員会」は4月も厳選された記事を多数配信予定!
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    http://ch.nicovideo.jp/wakusei2nd/blomaga/201504

     
  • 実況者のファンは誰なのか? 闘会議から見えるオタクの現在 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.308 ☆

    2015-04-21 07:00  
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     実況者のファンは誰なのか?闘会議から見えるオタクの現在(宇野常寛×稲葉ほたて)
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.4.21 vol.308
    http://wakusei2nd.com

    本日は、今年初めに行われ大盛況となったniconico主催の新たなイベント「闘会議2015」をめぐる、宇野常寛と稲葉ほたての対談をお届けします。〈実況〉に〈ゲーム〉が従属しているという状況が明らかになった今回の「闘会議」。かつて総合芸術の最新型だった〈ゲーム〉は、プラットフォーム優位の時代にどこへ向かうのかを考えます。
    初出:「サイゾー」2015年4月号(サイゾー)
     
    ▼作品紹介
    「闘会議2015~ゲーム大会とゲーム実況の祭典~」
    開催/15年1月31日、2月1日 幕張メッセにて 主催/niconico
     テレビCMなども打って大々的に開催された、ニコニコ動画にとって初となるゲーム特化のイベント。任天堂をはじめ、バンダイナムコやスクウェア・エニックス、セガ、ソニーといったコンシューマー時代からのメーカーに加え、LINEやサイバーエージェント、ガンホーほかソーシャルゲーム企業もブースを出展。ニコニコ動画で高い再生数を誇る「ゲーム実況」の実況主たちが登壇するイベントも人気を集めた。最終的に、リアルでの来場者数は3万5786人(ネットでは574万6338人)。
     
    ▼対談者プロフィール
    稲葉ほたて(いなば・ほたて)
    インターネットで生まれるカルチャーへの考察・取材等を行う。
     
    ▼関連記事
    新しいゲーム文化はユーザーから生まれる――「ニコニコ闘会議2015」会場レポート
     
     
    ■ 闘会議で明らかになった「実況生主好きの女子中高生」と「昔ながらの男性オタク」の分断
     
    宇野 「闘会議2015」(以下、「闘会議」)には、公式放送のコメンテーターとして最終日の午後から参加したんだけど、正直カルチャーショックだった。まず目についたのは、若い女子が実況生主【1】系のブースに大量に押しかけていたこと。彼女たちが「アイドル」として生主や実況者を消費していて、その動員力もすごい。いや、もちろん「歌ってみた」「踊ってみた」の頃からある現象なんだろうけど、それ以上のショックだった。
     それに合わせて、客層の断絶も感じた。例えば中村光一【2】さんの来場に盛り上がる往年のサブカル/ゲーム好きと、実況生主好きの女子中高生という2つの世界観に分かれていて、それらが基本的には没交渉という(笑)。
     ただ、こうした断絶も含めて、ここにはいま「ゲーム」をめぐる状況が全部詰まっていると思った。要するに、スマホがプラットフォームのひとつとして定着した現代のゲーム業界地図がきれいに出ていたと思うのね。大手ソフトメーカーとガンホーのような新興勢力が並んで、中央にはかたくなにスマホを拒否している任天堂が独立して静かに鎮座している、みたいな(笑)。そしてそれとは別にニコニコ動画を中心に、実況というゲームプレイを見るだけ、つまりコミュニケーションツールとしてのゲームという文化が定着した。
     ゲームバブルの崩壊からさらに二重三重の破壊があって初めてゲーム業界の硬直化が結果的にほぐれて、全体性を記述しうるイベントができるようになったんだな、というのが僕の大雑把な感想だね。
     
    【1】実況生主
    ここでは、ゲームのプレイ動画を「実況」放送する配信者のことを指す。以後の「ゲーム実況者」「実況者」も同様。ひたすらゲームの内容をしゃべりながらプレイする動画を流しており、ニコニコ動画の初期からあったジャンルだったが、ここ数年で一気に存在感を増している。ゲームの腕だけではなく、しゃべりの面白さやキャラの強さなども人気のポイントになる。若年層に絶大な支持を受け、人気実況者4人のユニット「M.S.S Project」は昨年3月に渋谷公会堂でライブイベントを開催した。
    【2】中村光一
    ゲームクリエイター。スパイク・チュンソフト代表取締役、ドワンゴ取締役。『ドラゴンクエスト』をつくった人物のひとりとして知られる。その他代表作に『弟切草』『トルネコの大冒険 不思議のダンジョン』『かまいたちの夜』ほか。
     
    稲葉 ニコニコ動画の初期は、同人文化が盛り上がっていったシーンを経験したオタクたちの作ったカルチャーで、目立つ担い手は明らかに男が多かったんです。ところが、その後ボカロや歌い手の勢力が強くなるにつれ、10代女子のユーザーが増えていった。宇野さんは「断絶」と言いましたが、それも奇妙な断絶の仕方になっていて、いわゆるかつての同人的なサブカルチャーを相当変質した形で引き継いでいるのが実は10代女子のカルチャーなんです。『艦隊これくしょん』に続いてDMMが出した『刀剣乱舞』【3】が女子に爆発的に受けているのがわかりやすい例ですが、これは近年のオタクカルチャー全体における隠れた論点です。深夜アニメのタイムラインで興奮してるアニメアイコンって、実はいま女子が相当に多いじゃないですか。
     
    【3】『刀剣乱舞』
    DMMゲームズとアダルトゲームメーカー・ニトロプラスによる「刀剣育成」シミュレーションゲーム。ブラウザゲームで、ユーザーは「物に宿る心を目覚めさせて引き出す能力者"審神者"となり、武具から目覚める戦士「刀剣男士」を司る。彼らを束ねた「白刃隊」を率いて、過去に干渉して歴史を改変しようとする「歴史修正主義者」を討伐してゆく。今年1月のサービス開始から即ヒットしており、pixivランキング上位を同作の二次創作が占めるようになっている。
     
    宇野 オタクの人数の割合として、起業したり制作側に回るのは男性が多いから目立っていなかっただけで、アニメやマンガはもともと女性ユーザーが多いという説はずっとあるんだよね。それがニコ動経由で、歌い手文化などをきっかけにゲームに流れ込んできたというのは有力な仮説かもしれない。
    稲葉 それに加えて、この10年くらい、二次創作の現場を含めて女性のオタク業界に関しては「ステージの下で盛り上がる」という文化がずっとありました。ジャニーズやV系、2・5次元舞台などの流れの中で、ネタが投下されたときの盛り上がり方が共有されている。そういうステージカルチャーへのリテラシーがあった上で、いろんなジャンルにいたファンたちが「ゲーム実況が面白いらしい」という情報を得て参入してきているようです。
    宇野 これは僕がよく言うことだけど、そもそも今の男性向けのアイドルブームも、AKBの「宝塚文化の密輸入」から始まっているからね。そして間接的にV系の文化なども入ってきていると思う。つまりステージカルチャーやファンコミュニティの文化においては、女性のほうが先進的なんだよね。そしていまや、より複雑化した素人の神格化に突入していて、それがおそらく今のゲーム実況者ブームなんだと思う。「ゲーム実況ブーム」じゃなくて「ゲーム実況者ブーム」だということがポイント。
    稲葉 これはすごく重要ですね。というのも、実はブームといってもニコニコでのゲーム実況者の数自体は増えていないんですよ。近年のステージカルチャーの特徴に、ステージと客席間の疑似恋愛的関係が挙げられますが、これは実況者も同じ。つまりファンが増えても「ステージ下でキャーキャー言っているのが楽しいから、ステージに上がろうとしない」ということが起こる。
     ただ、そもそも「実況」の文化って、ニコニコに限らずネットの中に古くからあるカルチャーなんです。みんなで「バルス」と書き込むこと【4】かもしれないし、あるいは2ちゃんねるでスレを立てて、ということかもしれないけど、テキストなり音声なりでリアルタイムの事象を追いかけながら、わいわい盛り上がるという。それを擬似同期的に実装した場所で生まれたのがニコニコの実況で、その中でいまはゲームがいちばん人気がある、という視点が重要です。最近は、ゲーム実況者が別のジャンルの実況もやっているのがいい例で、「旅動画」【5】なんかも広義の実況でしょう。これはつまり、ゼロ年代のカルチャー論でよくいわれていたような「ゲームや音楽にネットワークが入ってくることによってネタ消費になった」というところから7〜8年が経って、「ネタ消費の仕方そのものに形式やジャンルがあって、楽しみ方にパターンがある」ということが構造化されて見えてきたんだと思うんです。そして、もはやゲーム実況を考える上では、実況こそが本質にあって、ゲーム論は二義的なものでしかないというくらいに事態は反転した。そうなると、もうこういう「遊び」の分析に焦点を合わせないと、カルチャーを語るのは難しい。
     
    【4】みんなで「バルス」と~
    アニメ『天空の城ラピュタ』がテレビで放映される際、リアルタイムで視聴している人たちが劇中の展開と同時にツイッターに「バルス!」と書きこむのがここ数年お約束となっている。13年8月の放映時には秒間14万3199ツイートという過去最高の数字に到達し、ツイッター運営側を驚かせた。
    【5】「旅動画」
    人気実況者が各地に旅行にいく様子を撮影した動画。『水曜どうでしょう』風の企画などもある。
     
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  • 月曜ナビゲーター・宇野常寛 J-WAVE「THE HANGOUT」4月13日放送書き起こし! ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.307 ☆

    2015-04-20 07:00  
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    月曜ナビゲーター・宇野常寛J-WAVE「THE HANGOUT」4月13日放送書き起こし!
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.4.20 vol.307
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    大好評放送中! 宇野常寛がナビゲーターをつとめるJ-WAVE「THE HANGOUT」月曜日。ほぼ惑月曜日は、前週分のラジオ書き起こしダイジェストをお届けします!
     

    ▲先週の放送は、こちらからお聴きいただけます!
     
     
    ■オープニングトーク
     
    宇野 時刻は午後11時30分を回りました。みなさんこんばんは、評論家の宇野常寛です。結論から言うとですね、僕は川崎フロンターレのサポーターデビューをしようかと思っています。昨日ですね、日曜日だったんですけど昼間に横浜で仕事があったんですよ。それで、帰りに少し遊ぼうかなと思って、なんか僕向けのイベントとかやってないかな、とネットで検索したら、あったんですよ。まさに僕向けで、ドンピシャなものが。川崎でですね、仮面ライダーショーをやっていたんですよ。 仮面ライダーのグッズを鬼のように買いあさっている僕ですけど、普段はさすがにこの年なので、子供向けのヒーローショーとかは行かないんですよ。でもね、その日はちょっと違って特別だったんです。なんと、仮面ライダー3号とその愛車のトライサイクロンが展示されているというんですよ。
    みなさん仮面ライダー3号って知っていますか? 普通に考えたら、仮面ライダー3号といえばいわゆる仮面ライダーV3のことですよね。でも、3号とV3はちょっと別の存在なんですよ。この仮面ライダー3号というのは、いま公開している映画『スーパーヒーロー大GP 仮面ライダー3号』に登場する仮面ライダーのことですね。これはちょっと大人向けの映画で、ショッカーがタイムマシンみたいなもので歴史を書き換えて、仮面ライダー1号と2号を倒して世界征服しちゃった世の中が舞台なんです。そのとき、1号と2号を倒すために作った改造人間が仮面ライダー3号なんですよね。つまり、仮面ライダー3号はショッカー側の悪の仮面ライダーというわけです。演じているのは、みっちーこと及川光博さん。愛車はバイクじゃなくて自動車で、その名前がトライサイクロンなんです。初代仮面ライダーが使っていたサイクロンというオートバイを、そのままクルマにしたようなデザインなんですけど、もうね、この仮面ライダー3号もトライサイクロンも、鼻血が出るくらいカッコいいんですよ。個人的にはフィギュアとミニカーの発売を本当に心待ちにしているんですが(笑)。
    いずれにせよそんな僕のもとに、3号とトライサイクロンの実車展示のニュースが舞い込んできたわけですよ。「これは行くしかない!」と思って、すごくテンション上がっちゃって、途中の新丸子駅というところに生まれて初めて降りて、等々力の陸上競技場に行くことにしました。 
     
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  • ハイカルチャーからポピュラー文化まで、「カルチャーを横断的にみる」ことは可能か?(『石岡良治の視覚文化「超」講義外伝』第3回) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.306 ☆

    2015-04-17 07:00  
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    ハイカルチャーからポピュラー文化まで、「カルチャーを横断的にみる」ことは可能か?(『石岡良治の視覚文化「超」講義外伝』第3回)
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.4.17 vol.306
    http://wakusei2nd.com


    本日は、”日本最強の自宅警備員”こと批評家の石岡良治さんによる連載『視覚文化「超」講義外伝』の第3回をお届けします。今回は石岡さんが著書『視覚文化「超」講義』で挑んだ課題でもある、ハイカルチャーからポピュラー文化まで、「カルチャーを批評的にみる」ということの現代的な困難について解説していきます。
    「石岡良治の視覚文化「超」講義外伝 」これまでの連載はこちらのリンクから。
    ※本連載は、PLANETSチャンネルニコ生「石岡良治の『視覚文化「超」講義』刊行記念講義」(第1回放送日:2014年7月9日)の内容に加筆・修正を加えたものです。
     
     
    ■ 『「超」講義』は当初、「ポピュラー文化入門」というタイトルだった
     
     前回までは『視覚文化「超」講義』のメタ解説が中心でしたが、ここからはオフレコ的なこぼれ話を織り交ぜて講義していきます。本書を本文通りに扱っていくことも可能なのですが、本書に書いていないことも、次回以降は扱っていこうと考えています。
     
     本書では年代の話を直接的には語っていません。
     50〜60年代は第2〜3回で語っています。この時代は動画・視覚イメージ的にいえば「テレビの時代」です。それも録画不可能な「テレビの時代」です。
     70〜90年代は第3〜4回で語っています。ここはメロドラマ・ホビー・ゲームを扱っています。ここは「ビデオの時代」と考えます。いわゆるサブカル厨の「ノスタルジア」の由来は、DVD以前のビデオテープの時代です。ビデオテープはBlu-rayやDVDと異なり、何百回と視聴することで磨耗し観れなくなるんですね。したがって、この時代はアナログメディアの時代とも言えます。
     00〜10年代については第4〜5回で語っています。人文分野では扱われることがあまり多くないミリタリー問題について、少し踏み込んで書いています。要するに人文系の芸術論・文化論ではミリタリーは扱いにくい題材だということです。兵器や軍隊を「ホビー」として愛好するまなざしですね。しかし、アニメを考えるときにミリタリー要素は無視できません。これを『宇宙戦艦ヤマト』『機動戦士 ガンダム』『新世紀 エヴァンゲリオン』問題として扱っています。この時代は「ネットの時代」です。
     
     このようにユニットを設定しながら、第2〜3回、第3〜4回、第4〜5回と重なりながら少しずつ現在に近づく系列を作っています。本書がこういう構成になった理由の一つとして、複数のストーリーを脳内に走らせたがるという、私の性格が影響しています。文章ではこのようなことは上手くいきにくいんですね。複数のストーリーラインを同時に走らせようとする結果、悪文になってしまうからです。でも、本書では、時代や分野の問題など、複数のプロットを同時に走らせるつもりで書きました。物語的な文章の進行力も今後身に付けたいと考えています。「あとがき」にも本書には課題がたくさんあると書いてありますが、執筆中に私自身が色々と学びました。自分disメモをつけたりしましたね。時々その通りの批判がきたときには、やっぱり落ち込みますが、備えはできていた感じです。「散漫で浅い」みたいなのですね。
    この講義では、そうしたあたりを補いながら語っていきたいと思います。有料会員の方にはより具体的なリクエストを後で受けつけていきたいと思っています。
     
     さっそく話したいことは、「あとがき」に書いている話で、ここについてもう一度簡単に話したいと思います。集中講義を紙面で行うというのが本書のコンセプトです。ただし、私の屈折した考えもあって、本書をいわゆる学問分野の本にしたくはありませんでした。あえて学問の分野で定義するならば、表象文化論になります。私は人に「何の専門家であるか?」と問われると言葉に詰まるところがあるんですが、このような正直な心境もこの本には影響しています。
     プロフェッショナルとアマチュアの区別があります。私は本書で扱っている分野のほとんどについてプロフェッショナルではないと思っています。私はアマチュアという言葉は良い意味で使えると思っています。アマチュアという言葉には「愛好家」という意味合いもあるからです。しかし、「プロ意識の欠如」のような甘えとしてはアマチュアを名乗りたくないです。
    もう一つ、想定読者についても考えました。フィルムアート社ホームページでの動画では、高校生の私が欲しかった本と語っています。今高校生である90年代後半生まれの人が読んでくれるといいなという願望があります。高校生である私が好んで読み、大学生の私がdisるであろうバランスで執筆しました。つまり意識の高い大学生がdisるぐらいの感じが理想な感じです。ヌルくしているのではなく、削った要素の問題です。削っていった要素には、このままいったら雑誌「映画秘宝」系の雰囲気が生まれるかも、というものが多数あった。第2回の『BTTF PART.3』のウエスタンの世界の話で、マカロニ・ウエスタンというジャンルそのものの話を延々議論することを当初考えていました。しかし、これを全部削りました。『ジャンゴ 繋がれざる者』のレオナルド・ディカプリオの悪役ぶりがジェームズ・キャグニーに似ていた、みたいな話を延々していました。
     
     『BTTF』のテーマソング『The Power Of Love』のダサい感じが私は大好きです。
     

    ▲Back To The Future - The Power Of Love
     
    この曲を演奏するヒューイ・ルイス&ザ・ニュースは、サブカルオタに時に盛大にdisられます。『アメリカン・サイコ』という映画で、クリスチャン・ベールがバブル期の広告代理店に勤める嫌なヤツの役を演じていますが、彼は劇中ヘッドホンで気持ちよさそうにヒューイ・ルイス&ザ・ニュースを聴いています。殺したい相手を部屋に招いて、ヒューイ・ルイス&ザ・ニュースのアルバム『スポーツ』のうんちく話を述べる。バブル経済のもっともくだらないカルチャーに、役職の名だけの副社長の空疎なポストモダントークが混ざる、というネタなんですが、こういう話題についても語っていました。とはいえ私は秘宝系ボンクラ美学に違和感を持っています。全部が嫌いなわけではないけど、「ボンクラな俺」という自意識は批評性を失いやすいと考えています。
     
     当初はタイトルも「ポピュラー文化入門・教科書」となっていたのですがが、入門とか教科書というのが嫌だったので削除しました。ハンドアウトとともに、パソコンを使用した動画および画像イメージの複窓講義をフィルムアート社で行いましたが、そこで重視したのは、ホビー分野がなぜ芸術・文化論で取り扱われにくいかということです。一部ホビーは国家主義に乗っかるものだったり、オカルトにありがちな非科学主義のようなものがあるので、取り扱いがクリティカルなんだと思うんですね。たとえばサブカルを扱うときに、「書泉」のフロアーの話はされない。これは現代の文化論の大きな隙間だと思っています。宇野常寛さんの『静かなる革命へのブループリント この国の未来をつくる7つの対談』の対談や、「ほぼ日刊惑星開発委員会」で宇野さんの色々な方へのインタビュー、このような話は現代の文化論に最も欠けている不可欠なパーツであると思っています。
     本書のブックフェアでは、本文に登場しない本もいくつかあげています。ひとつが大見崇晴さんの『「テレビリアリティ」の時代』、本書はテレビドラマの話をあまりしなかったので載せるところがなくて削除しました。しかし、本書に載せたかった。ほかにアーネスト・アダムスとヨリス・ドーマンズの共著『ゲームメカニクス おもしろくするためのゲームデザイン』をあげています。この本はテクニカルな本なのですが、重要だと思っています。テレビゲームの研究は翻訳書があまりなかったので、ケイティ・サレンとエリック・ジマーマンの共著『ルールズ・オブ・ゲーム』しか紹介できなかったので、そのエッセンスをもう一歩先に進めている本として選びました。この2つの本が、本書から先に進めたいときに必要な本でした。最初の計画ではシューティングゲームの系譜について語ることも考えていんですね。東方プロジェクトなどについて、FPSの系譜を絡めながら色々語るつもりでした。しかし、この分野は端的に好きなので、クリティカルな部分が減ってしまうと考えました。
     

    ▲アーネスト・アダムス (著),ヨリス・ドーマンズ (著), バンダイナムコスタジオ (監修)『ゲームメカニクス おもしろくするためのゲームデザイン』ソフトバンククリエイティブ 、2013年
     
     当初、本書は2300円の予定でした。発行部数を増やして200円価格を落とすという判断をフィルムアート社の方にしていただきました。リスクも大きかったのですが、なんとか重版が決まりそうです(2015年4月現在、三刷が出ています)。
     
     もうひとつこぼれ話として、フィルムアート社ホームページの動画は21分バージョンと2分バージョンの2つが載っています。最初は7〜8分の動画1本と考えて即興撮りしたら、結果的に21分になってまいました。それで、この動画だけだと長いのでショートバージョンを撮ったところ、4分になってしまい、2、3回撮り直しました。見ていただければお分かりになると思いますが、ショートバージョンのほうはとてもすっきりしています。なぜかというとショートバージョンの動画はラストテイクだからです。ロングバージョンはファーストテイクです。
     

    ▲『視覚文化「超」講義』(フィルムアート社)石岡良治さん Short Ver
     
     さきほどの繰り返しになりますが、私はディケイド区切りに意味を持たせたかったんですね。しかしそれは、ある時代について語るとき、別の人が語るとしたら別の歴史を語れるであろう、という考えからです。つまり、本書で語られるヒストリーがすべてであるという認識は持っていません。現代は情報が多いので、本書に載ってない方向からも歴史を語ることはできます。たとえば本書の「デロリアン」が「仮面ライダー」だったら、宇野さんの『リトルピープルの時代』のような本が出来上がる、といった感じです。
     
    ▼PLANETSの日刊メルマガ「ほぼ日刊惑星開発委員会」は4月も厳選された記事を多数配信予定!
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    http://ch.nicovideo.jp/wakusei2nd/blomaga/201504