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記事 12件
  • 災害ボランティアバスのプロデュース|伊藤朋子

    2020-10-14 07:00  
    550pt

    NPO法人ZESDAによる、様々な分野のカタリスト(媒介者)たちが活躍する事例を元に、日本経済に新時代型のイノベーションを起こすための「プロデューサーシップ®」を提唱するシリーズ連載。第10回目は、認定NPO法人かながわ311ネットワーク代表理事の伊藤朋子さんです。たび重なる災害復興の機会を経て、いまや欠かせない存在となった災害ボランティアの方々の善意とマンパワーを、いかに安全に被災現場に送り届けるか。ボランティアバスのきめこまやかな運行プロデュースの手法をご紹介します。
    プロデューサーシップのススメ#10 災害ボランティアバスのプロデュース
     本連載では、イノベーションを引き起こす諸分野のカタリスト(媒介者)のタイプを、価値の流通経路のマネジメント手法に応じて、「inspire型」「introduce型」「produce型」の3類型に分けて解説しています。(詳しくは第1回「序論:プロデューサーシップを発揮するカタリストの3類型」をご参照ください。) 今回はカタリストの第3類型、すなわち、イノベーターに「コネ」や「チエ」を注ぐ座組を整える「produce型カタリスト」の事例の最終回、第5弾として、認定NPO法人かながわ311ネットワーク代表理事の伊藤朋子氏をご紹介します。
     災害時に、善意に溢れた多くのボランティアの方々が、県境をまたいで被災地に入り、被災者の方々とともに復旧復興を行う活動が阪神淡路大震災以来、広く行われるようになりました。日本社会を裏糸のように支える、素晴らしい愛と絆が目に見える形で現れてくる感動的な活動です。  その一方、災害時のカオスの下で、ボランティアの労働力を適切に集め、適切に供給していくのは本当に至難です。自治体や病院、資材を寄付してくれる団体、バラバラに集ってくる個人などなど、極めて多種多様な関係者の取りまとめや調整が必要です。その調整中枢となる「事務局」は災害後にゼロから立ち上げねばならず、しかも、スピーディーかつ柔軟で決然としたリーダーシップを、現場の状況次第では、時に誰も公式に権限を与えてくれない中でも発揮していかなくてはなりません。伊藤プロデューサーは、あらゆる人材・組織(コネ)と情報(チエ)の結節点となる事務局を見事にプロデュースして、ボランティアを被災地に送り届ける「ボランティアバス」の運営を実現されました。
     伊藤プロデューサーの手腕の核には、様々な人々の「事情と想い」を高い解像度で把握し、それぞれにしっかりと応える「こまやかさ」(濃やか:愛情が深い、細やか:細部まで行き届いた)が見受けられるように思います。そして、様々な問題を一括で把握しつつも、それらを一手に引き受けたりせず、解決力を最も有する組織に対応を依頼して割り振っていきます。換言すれば、背負い込まないのです。シビアな災害現場でボランティア組織が運営の持続可能性を確保するための「しなやか」なリアリズムと言ってもよいでしょう。
     本連載では、奇しくもこれまで、荒野に敢然と道を切り拓く男性のプロデューサーのエピソードが続いていました。これと対照的に、「こまやかさ」と「しなやかさ」を兼備して被災者に寄り添いながら、過酷な地で最後まで立ち続けるタイプの、しかも女性の手によるプロデューサーシップの事例を、最後にご紹介できることを嬉しく思います。(ZESDA)
    大規模災害と災害ボランティア
     地震や水害、火山噴火などの災害発生時および発生後に、被災地において復旧活動や復興活動を行うボランティアを指して、災害ボランティアと呼びます。 阪神淡路大震災の時、多くの市民が被災者の救援に向かい、災害ボランティアとして大きく報道されました。これは、それまでには無かったことでした。阪神淡路大震災のあった平成7年(1995年)は、災害ボランティア元年と言われています。その後、被災者のニーズをボランティアにつなぐ、災害ボランティアセンター(以下災害VC)が被災地に開かれるようになり、災害復興を支援する団体の活動もだんだん行われるようになっていきます。  次の10年で、災害VCを現地の社会福祉協議会(以下社協)が運営する、という形が定着するようになりました。平成23年(2011年)の東日本大震災では、津波の被害に見舞われた太平洋沿岸部には、北は青森から岩手県から福島県の多くの災害VCができ、長期にわたって支援活動を続けました。多くの個人ボランティアが駆けつけ、また多くの民間団体が被災地に向かい、被災地でも多くの団体が立ち上がりました。

    図1 災害ボランティアの歴史
     大きな災害が起こると、その復旧までには長い年月がかかります(図2)。この図の中で災害VCは、復旧の初期に被災した個人宅の片付けなどをメインのミッションとして問題解決に当たります。被災者のニーズを集め、参加したボランティアを割り振り、順調に安全に作業が進むようなコーディネーションを行います。

    図2 復興までの災害時支援の経時変化
     発災直後の避難や救助には、警察や消防、自衛隊などが活躍します。道路復旧、公的施設の復旧は行政が行います。個人宅の片付けは被災者の作業ですが、被災者やその関係者だけで行うことは困難です。このとき手助けに必要な人手を繋ぐのが災害VCであり、人手を提供するのが、災害ボランティアです。  参加者を募集して運行する災害ボランティアバス(以下ボラバス)は、個々の災害ボランティアをチームにまとめ、被災地で効率よく作業が進むようにするための仕組みです。ボラバスを運行するにはいろいろな準備と調整、プロデュースが必要となります。  東日本大震災での事例と、最近の2018年の西日本豪雨の事例を元に、ボラバス運行のプロデュースについて説明します。
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  • キャラクターデザインによる場とコトのプロデュース|筒井一郎/イアン

    2020-09-23 07:00  
    550pt

    NPO法人ZESDAによる、様々な分野のカタリスト(媒介者)たちが活躍する事例を元に、日本経済に新時代型のイノベーションを起こすための「プロデューサーシップ®」を提唱するシリーズ連載。第9回目は、株式会社ヌールエ デザイン総合研究所の筒井一郎さんです。プロデューサー名「イアン」として手がけた絵本『どうぶつ環境会議』の制作を機に、同作から生まれたキャラクター「のら猫クロッチ」を通じて周囲を巻き込みながら様々なプロジェクトを動かしていく、場とコトのプロデュース手法が語られます。
    プロデューサーシップのススメ#09 キャラクターデザインによる場とコトのプロデュース
     本連載では、イノベーションを引き起こす諸分野のカタリスト(媒介者)のタイプを、価値の流通経路のマネジメント手法に応じて、「inspire型」「introduce型」「produce型」の3類型に分けて解説しています。(詳しくは第1回「序論:プロデューサーシップを発揮するカタリストの3類型」をご参照ください。) 今回はカタリストの第3類型、すなわち、イノベーターに「コネ」や「チエ」を注ぐ座組を整える「produce型カタリスト」の事例の第4弾として、イアンこと筒井一郎氏をご紹介します。  前回の伊藤公法氏は、アイドルをどういう「キャラクター」で売り出していくか、どういう座組を組んでいくかを考える上で最初に行う「コンセプト」づくりについて語ってくれましたが、今回の筒井一郎氏は、逆に「キャラクター」を先に立ててから、様々な「コンセプト」に対応していく、という手法をとります。筒井さんが創出した「のら猫クロッチ」や「動物かんきょう会議」の動物たちといったキャラクターたちは、子供たちやNGO等によって与えられた「コンセプト」を体現するべく、ストーリーを紡いでいきます。そのストーリーの形成過程が、そのまま、イベント運営や、キャンペーン、環境教育事業の展開と重なっていくのです。その中で、出版やアニメ制作などのコンテンツビジネスが生まれ、同じ「キャラクター」を中心として「コンセプト」ごとに異なる座組が組まれていきます。  また、これまでご紹介してきた「produce型カタリスト」はみなさん、当然ながら、実在する他者がプロデュース対象でした。桐山登士樹氏なら富山県の中小企業群。田辺孝二氏なら島根県のベンチャー企業。伊藤公法氏ならアイドル。実在する他者にカネやコネやチエを注ぐ座組を組んで(=プロデュースして)きました。他方で、筒井さんは、直接的には、自分で創造した架空のキャラクターたちに、カネやコネやチエをかき集めて、注ぎ込んでいます。そして、彼の生んだキャラクターたちが、様々なコンセプトや事業の下で、様々な顧客に対して、それまで蓄積してきたカネやコネやチエを注いでいきます。  架空のキャラクターを間に介した入れ子状のプロデュース。架空のプロデューサーを創出してメタ・プロデュースするという、もはや幽玄の域にあるこの離れ業を実現する強烈な空想力こそ、筒井さんの真骨頂であり、「自分一流のデタラメ」なのです。非常にユニークです。(ZESDA)
    テーマは「異文化コミュニケーション」
     はじめまして、株式会社ヌールエ デザイン総合研究所代表の筒井です。プロデューサーとしてはイアンを名乗っていますので、ここから先はイアンで進めさせてください。今日は「のら猫クロッチ」というオリジナルキャラクターをプロデュースしていく中で気づいた「プロデュースとは何か?」について考えてみたいと思います。
     私のプロデューサー観についてお話しするまえに、軽く略歴をお話します。私は、10代、20代のころ、対人関係、コミュニケーションがとても苦手で、帰国子女だったという過去の環境のせいにしながら悶々としていました。学生時代にインドを旅して衝撃的な体験をし、これまで外部環境のせいにしてきた自分自身を反省しました。そして、自分にとって難題の「異文化コミュニケーション」を自ら探求すべき研究テーマとすることにしたのです。
     私が今、力を入れているプロジェクトは4つありますが、そのすべてがプロデュースしていくストーリーの中で繋がっていきます。ベースとなるストーリーは1997年からプロデュースしている『動物かんきょう会議』という作品です。わが社は1997年設立ですので、設立以来21年間一緒に歩んできています。 わが社はデザイン企画制作での売上げから、創業者自身によるオリジナルプロジェクトに投資している会社です。とはいえ、会社をつくった頃はとにかく暇でした。ですから、その時間を使って、自分たちの作品を創作していたというのが現実です。

    ▲『動物かんきょう会議』 https://animalconference.com
     40歳を前にした2004年に閃きがあり、自分自身の《クリエイティブする力》、《プロデュースする力》を地元目白で試してみたい! と思い立ちました。集まった3人のプロデューサーとともに音楽祭イベントをプロデュースしたのです。これはデザインの力、コンテンツの力、ヒトの力で山手線沿線の中で最も降りる理由のない駅のひとつ「目白」に集客するためのブランディング事業でした。このような地域活性化事業は、個人で取り組むには難易度はとても高く、プロデュース力が要求されるものでした。 私はバロック音楽が好きです。バッハやヴィヴァルディ、モンテヴェルディとかが活躍した時代の作品で小さなジャンルです。この音楽祭では、モーツァルトなどの馴染みのある音楽家や有名な曲、著名なアーティストの力に頼らずに、無名で馴染みはなくとも魅力ある音楽、そして特徴ある演奏家にこだわりました。コンセプトを力強く発信するために、目白というバ(=場)に、ロック(=挑戦的)な人が集まる音楽祭と定義し、「目白バ・ロック音楽祭」とネーミングデザインしました。 また目白という地元地域を舞台にした背景には、社会のIT化が進み、人との関係性が希薄になっているからこそ、「人と人とが真剣に向き合う場、リアルコミュニティを創出したい」という想いもありました。

    ▲目白バ・ロック音楽祭 https://ba-rock.org/
     この音楽祭を4年間やりました。目白地域の教会や歴史的建築物、巨匠による名建築など12会場を中心に計93回にわたる「演奏会」をはじめ、「シンポジウム」「展示会」「講座」「まち歩き」などを開催しました。出演した日本人アーティストは延べ189名。海外からの招聘アーティストは13名です。有料公演へのご来場者は1.2万人、入場率は83%です。2008年には地元目白界隈からの参加者が50%を越え「新たな目白ブランド」と呼べるまでに成長し、さらに後援3区のひとつ豊島区は文化芸術創造都市として平成20年度文化庁長官表彰を受賞しました。4年目でやっと黒字になりましたがプロデューサーとしてかなりの額の損失を被りました。
     この体験から学ぶことはたくさんありました。例えば、音楽祭では海外のアーティストを招聘したのですが、彼らは私たちの窮状を見て「こんな始まったばっかりの音楽祭だったら集客困るよね、予算もないんだろ? じゃあ俺がチケットを売るよ」と目白のビジネスホテルに泊まりながら、昼は練習の合間に街中で、夜はカフェに出没して、「私は、音楽祭でこんなのやるんだ」ってチラシを配るんです。そして、ハグして、バイバイってするものだから、目白の人たちも喜んでくれてライブにも来てくれるといういい流れが生まれ、追加公演にもなりました。そんな彼らのコミュニケーション力、臨機応変の行動力は私たちを励まし、彼らのためにも成功させようというモチベーションになりました。 音楽祭後の疲弊した状況下、私は「相手の心に愛情を持って飛び込んでいく、行動力ある理想像(コミュニケーター)」を探し求めるようになりました。求めるイメージは「人間」ではありません。人の心は変化してしまうからです。 そんな中、「のら猫クロッチ」というキャラクターが生まれました。もともとは作品『動物かんきょう会議』のサブキャラクターとして誕生していたのです。原作者かりにゃんが2007年に生み出し、私は約11年間この個性の強いキャラクターと向き合い、プロデュース活動をしています。

    ▲「のら猫クロッチ」 https://krocchi.com
     このように「目白バ・ロック音楽祭」を実行委員長としてプロデュースした体験がきっかけで、「のら猫クロッチ」という次なるコンセプトが誕生しました。さらに2015年『動物かんきょう会議』は、日本と世界の子供たちが創発するSDGsアクティビティ「せかい!動物かんきょう会議」へと進化しました。以上が私の4つのプロジェクトとプロデュースの関係性です。
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  • アイドルプロデューサーは何をしているのか?|伊藤公法

    2020-09-09 07:00  
    550pt

    NPO法人ZESDAによる、様々な分野のカタリスト(媒介者)たちが活躍する事例を元に、日本経済に新時代型のイノベーションを起こすための「プロデューサーシップ®」を提唱するシリーズ連載。第8回目は、アイドルプロデューサーの伊藤公法さんです。
    プロデューサーシップのススメ#08 アイドルプロデューサーは何をしているのか?
     本連載では、イノベーションを引き起こす諸分野のカタリスト(媒介者)のタイプを、価値の流通経路のマネジメント手法に応じて、「inspire型」「introduce型」「produce型」の3類型に分けて解説しています。(詳しくは第1回「序論:プロデューサーシップを発揮するカタリストの3類型」をご参照ください。)  今回はカタリストの第3類型、すなわち、イノベーターに「コネ」や「チエ」を注ぐ座組を整える「produce型カタリスト」の事例の第2弾として、伊藤公法氏をご紹介します。
     プロデューサーという職能の起源は、アメリカの音楽業界に求められます。歌手や作曲家などの才能を見つけ出して、他のミュージシャンと組み合わせて、バンドにしたり、レーベルと交渉したり、ラジオで流してもらえるようにDJに営業したり。自らの持つコネ(人脈)やチエ(マーケットセンス等)を、才能に注いで、カネを稼げる形に整えていきます。企画ごと、プロジェクトごとに、オーダーメイドで、様々な自営業者たちを組み上げ、組み換えていくわけです。この業態・職能は、映画などの他のエンタメにも広がっていきました。NPO法人ZESDAは、このような柔軟性に富み、あらゆる垣根をまたいで多様性と創造性を操るビジネスパーソンが、より保守的で縦割りな組織や業界にも、どんどん増えていくよう様々な活動を行っています。
     日本でも、プロデューサーという単語は、やっぱりテレビ業界、芸能界を最初に連想しますよね。そこで、今回は、日本のアイドルのプロデューサーは何をしているのか、若手実力派アイドルプロデューサーの伊藤公法氏に、ズバリ、聞いてみました。
     伊藤プロデューサーは、自分の役割は「素材」となるアイドルを中心に組まれるスーパーチームを組み上げること、そして、チームメンバーがまとまる核となる「コンセプト」を創ることである、と規定します。
     座組みを組むという点では、伊藤プロデューサーは、東京のエンタメ業界内の必要な人材にかなりの程度アクセスできるチカラがある点で、地方において人材をかき集めることから始めなくてはならなかった桐山登士樹プロデューサーや田辺孝二プロデューサーの事例よりは恵まれているかもしれません。しかし、優秀な人材を奪い合う競争が厳しい分、より魅力的なコンセプトを0→1で創る必要があります。伊藤プロデューサーは、自身の競争力の要となるコンセプトの創り方を、驚くほど気前よく、しかも非常に具体的に語ってくれました。
     表現するとはどういうことか、表現されるべきことは何か、時代の空気の捉え方、などなど、エンタメに限らず、あらゆるビジネスの企画職が明日から使える、珠玉のノウハウを一緒に学びたいと思います。(ZESDA)
    アイドルプロデューサーという職能
     伊藤公法と申します。職業はプロデューサーです。去年まで「夢みるアドレセンス」というソニーミュージックからデビューしていた女性アイドルグループをプロデュースしていました。今年からは、趣向を変えて「VOYZ BOY」という大人数の男性アイドルグループのプロデュースをやろうかなと思っています。今アイドルは男の子が面白いんですよ。これまではテレビが主戦場だった男性アイドルグループシーンに地殻変動が起きています。来年以降、カルチャーとしてますますおもしろくなる予感がしています。その地熱にのせて「VOYZ BOY」も、きっと皆さんの耳目に触れるような子たちになっていくんじゃないのかなと思いますので、ぜひ引き続き情報発信させてください。
     さて、プロデュ―サーって何してるんだっけ?という話ですが、一言にプロデュースと言っても色々なレイヤーの話があると思っています。料理で例えれば、皿の上に乗っかる食べ物はコンテンツですよね。そのコンテンツを入れる器っていうのはメディアとか、イベント、ライブみたいなものだと思うんですよね。料理だけのレイヤーをプロデュースすることもあるだろうし、皿まで含めた料理、あるいはコース料理全体のレイヤーをプロデュースすることもあれば、さらにコース料理を提供する店舗のレイヤー、さらには店舗の運営、店舗チェーンの経営のレイヤーのプロデュースもあると思います。もっと視点を広げるならば、そもそも店をどこに開店するのかっていうことも大事です。さきほど述べたように、来年このカルチャーが熱くなるだろうから、ここにコンテンツを陣取っておこうというのは、「お店の立地」の話だったりすると思うんですね。プロデューサーという職能の正体が一見してよくわからないのは、一言にプロデューサーと言っても、それぞれのプロデューサーによって異なるレイヤーで、異なる職能を発揮しているせいかもしれません。
     プロデューサーによって、得意なレイヤーは異なります。例えば、アイドルプロデューサーと言えば、皆さんがまず思い浮かべるのは秋元康さんだと思います。秋元康さんの名前を聞いて、皆さんが多分パッと思い浮かべるのは作詞家、つまり歌詞というお皿の上の料理そのものを作っているイメージがきっと強いんじゃないのかなと思います。でも実際には、レコード会社、メディア、広告代理店と向き合ってビジネス全体の指揮と設計をしている。それは料理だけではなく「お店の経営」とかそういうレイヤーの話だと思っています。
     他にプロデューサーというと皆さんが思い浮かぶところで言うと、小室哲哉さんですよね。小室哲哉さんは絶対的に「料理」の人なんですよね。彼の作る料理の味に日本中が熱狂して、その味であればもうなんでもおいしい、そんな価値観で日本中の味覚を席巻した。今思えば、めちゃくちゃすごいことですよね……。小室さんには小室さんのレイヤーで、秋元さんには秋元さんのレイヤーでそれぞれ凄みがある。職能も違うけれど、それぞれプロデューサーと呼ばれています。
     いろいろなレイヤーのプロデュース論がある中でも、今日は、お皿の上の料理=コンテンツの作り方の話をしようと思います。
    食べログレビュアーには行列のできるつけ麺屋は作れない。
     いろんな人に例え話で言っている話なんですけど、食べログで評価をつけて、つけ麺をレポしている人とか行列に並んでいる人とか、いっぱいいると思うんですけど、この人たちって、じゃあ明日、行列のできるつけ麺屋のつけ麺を作ってくださいって言われたら作れないと思うんですよ。どんなに美味しいつけ麺を食べたことがあっても、作れるようになるには、プロセスってものがありますよね。今日は、そのプロセスを因数分解して、お話しできればなと思っています。
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  • 島根県民ファンドのプロデュース|田辺孝二

    2020-08-13 07:00  
    550pt

    NPO法人ZESDAによる、様々な分野のカタリスト(媒介者)たちが活躍する事例を元に、日本経済に新時代型のイノベーションを起こすための「プロデューサーシップ®」を提唱するシリーズ連載。第7回目は、田辺孝二さんです。通産省(現:経産省)の中国経済産業局長として、2000年代初頭という早期から島根県に県内企業向けの県民ファンドを創設した田辺さん。一過性の成果でなく、地域にベンチャー文化とエコシステムを根付かせるための仕組みづくりを振り返ります。
    プロデューサーシップのススメ#07 島根県民ファンドのプロデュース
     本連載では、イノベーションを引き起こす諸分野のカタリスト(媒介者)のタイプを、価値の流通経路のマネジメント手法に応じて、「inspire型」「introduce型」「produce型」の3類型に分けて解説しています。(詳しくは第1回「序論:プロデューサーシップを発揮するカタリストの3類型」をご参照ください。)
     今回はカタリストの第3類型、すなわち、イノベーターに「コネ」や「チエ」を注ぐ座組を整える「produce型カタリスト」の事例の第2弾として、田辺孝二氏をご紹介します。
     ベンチャーキャピタルは、普通、「カネ(資金)」を投資したベンチャー起業家に自らの「コネ(人脈等)」や「チエ(経験等)」も同時に投じていくことで成長を導くものです。成功しそうなものにカネだけ投じてあとは伸びるのを待つ、というわけでは決してありません。二人三脚なのです。今日では、日本でも首都圏を中心にこのような「普通」のベンチャーキャピタルが増えてきましたが、田辺プロデューサーはこれを2000年代に島根県で創設しました。
     しかし、この「島根県民ファンド」の評価に関して、集めた資金は1500万円足らず。投資した6社のうち、業績拡大したのは1社のみ。5社は業績が向上せず、うち2社は倒産といった結果を指して、あまりうまくいかなかったと見る向きがあるかもしれません。ですが、そうした理解はやや浅薄であると言わざるを得ないでしょう。というのも、実は、島根県民ファンドは、創設当初から、営利的な成功を必ずしも目的にしていませんでした。
     田辺プロデューサーは、ファンドの支援を得た起業家たちが失敗することを完全に前提にしており、むしろ失敗による経験と学びを得る機会を与えて、これからの地域経済を担う人材の育成を企図していました。また、個人貯蓄の多い地方の人々が地域経済の活性化を自分ごととして捉えるきっかけとなることも重視してファンドを設計しました。
     つまり、ファンドの組織やシステムだけではなく、失敗を肥やしにして挑戦を何度でも続けていく人材が多くの機会を得て躍動する地域、地域住民が補助金頼みではなく自腹を切って地元を盛り立てていく地域、すなわち、ベンチャー文化それ自体を創育するという、地方創生やイノベーション促進の真髄を突く事業だったのです。島根をシリコンバレー化しようとしたわけなのです。
     また、この事業は、田辺プロデューサーが中国経済産業局長時代に着想し、退職後に一個人の課外活動として実行したものでした。枢要な地位にあったからこそ得られたコネとチエを活用していることは、「コンサバをハックする」という点でも要注目です。もちろん、局長を経験すれば誰にでもできることでは決してありません。また、経済産業省が政策としてファンドを創設していたら、一個人発信の声がけによる草の根活動よりも、ベンチャー文化の創出効果はむしろ低かったかもしれません。  ちなみに、コンサバのハック、ファンド創設といった手法の点で、知事との連携、コンテスト創設を行った前号の桐山登士樹プロデューサーと異同を比較するのも面白いと思います。  本文最後に、田辺プロデューサーは反省点も率直に述べられています。島根の経済史に残る歴史的事業に関する極めて重要な回顧録から、今回もみなさんと一緒にプロデュースの要点を学んでいきたいと思います。(ZESDA)


    1.島根県民ファンドとは?
     田辺孝二と申します。今回は、私が取り組んだ、地域(島根県)のアントレプレナーと彼らを応援したい人たちを結びつけて、島根県の活性化を図った「島根県民ファンド」を紹介します。また、この「島根県民ファンド」のプロデュースの事例から、「応援者としての立場」に重点を置くプロデューサーの機能について考察します。
    1.1 地域のためのベンチャーファンド
     島根県民ファンド(正式名称は島根県民ファンド投資事業組合1号)は、島根県内のベンチャー企業に投資することを目的に設置されたファンドです。本ファンドは筆者が提唱し、2004年3月に民法上の組合として設立され、2014年6月まで運営され、資金総額は1440万円でした。  県民ファンドの目的は、「新ビジネスの創出や地域の課題解決等に資する事業にチャレンジする島根県内の企業に対し、投資という形で資金提供し、応援することによって、投資先企業の発展を推進すること」(島根県民ファンド投資事業組合契約書)であり、利益の確保を一義的な目的とするものでなく、地域でチャレンジする企業を応援するためのファンドであることを明確に打ち出しました。 県民ファンドの運営を担う業務執行組合員は、当初、片岡勝氏(市民バンク)と筆者の2名が就任し、2008年1月から吉岡佳紀氏(元島根県職員)が加わり、3名となりました。ファンド運営の報酬はなく、ボランティアで務めました。投資先企業の決定は、業務執行組合員の合意で行いました。 ファンドの出資者は、地元の産業界・大学・自治体の方々など島根県内を中心に、島根県出身で県外におられる方々、島根県とは縁のない筆者の知人なども含め、76名の個人と1グループ(県庁職員有志)です。県民ファンドへの出資は個人に限定し、一口10万円、5口までで募りました。1000万円を超えたところで県民ファンド設立の新聞発表をしたところ、県内外から出資の問い合わせがあり、最終的に144口になりました。  ファンドの事務局業務は、ベンチャー企業投資の経験豊富な「ごうぎんキャピタル株式会社」(松江市)に委託し、ファンド運営のアドバイスとともに、投資先企業への出資業務、会計決算業務、組合員への連絡業務などをお願いしました。
    1.2 島根県民ファンドの特徴
     島根県民ファンドは、ベンチャーファンドとして、投資先候補企業のビジネスの将来性や、経営者の能力等を評価して投資先を決定する点は、一般のベンチャーファンドと同じですが、地域の問題解決のためのコミュニティファンドとして、次のような特徴があります。
    ・島根県内のベンチャー企業のみを対象  出資者は島根県内に限っていませんが、島根県内の企業に投資することを前提に資金を募った、地域限定のベンチャーファンドです。このため、島根県出身者であっても県外で設立する企業は対象としていません。また、ベンチャーファンドであるため、将来の発展が期待できる企業を対象とし、島根県内でビジネスを行う組織であっても、コミュニティビジネスを行うNPOや、事業の発展可能性が高くない企業は対象としていません。
    ・資金とともに信用と応援団を提供する  ベンチャーが必要としているのは資金だけではなく、信用や顧客・経験・人脈などが欠けているのがベンチャーです。県民ファンドの投資を受けることによって、県内で脚光を浴びることができ、将来性のある企業だと評価され、信用力を高めることができます。また、200名を超える県民ファンド出資者が、顧客として投資先企業の製品を購入したり、アドバイスの提供や取引先の紹介を行ったりします。つまり、投資先企業に応援団を提供するのです(図1)。

    図1 島根県民ファンドの仕組み
    ・地域へのリターンを目指すファンド  島根県民ファンドでは、出資者に対してリターンがあまり期待できず、儲かるファンドではないことを明確に伝えました。一方で、地域にはリターンがあることを訴えました。まず、ベンチャーを応援することは、地域経済の活性化の効果があること、また、投資先企業が失敗したとしても、地域の未来を担う人材の育成には役立ちますので、地域にはリターンがあるのです。ファンドは寄付ではなく、出資者が応援することによって、投資先企業が成長すれば、出資者にもリターンの可能性があり、応援団としての活動がリターンに結びつくことを伝えました。 業務執行組合員の報酬はなく、ファンドの運営はボランティアベースで実施しました。一般のベンチャーファンドの場合、ファンド運営の報酬・費用で3割程度かかり、ベンチャー企業への投資のための資金は7~8割程度ですが、県民ファンドは95%以上を投資に使うことができました。
    1.3 島根県民ファンドの投資先企業
     投資先企業の決定には、事業の将来性と経営者の資質を評価するとともに、地域経済の活性化に貢献する観点も考慮し、次の6社に投資しました。ファンド運営期間中に、業績を拡大したのは1社のみで、5社は業績が向上せず、うち2社が倒産する結果となりました。
    ・「サプロ島根(飯南町)」:山陰地域に自生するくま笹から抽出したエキスは、すぐれた抗菌作用や血液浄化作用などを有しており、くま笹エキスの抽出、同エキスを配合した笹塩製品等の製造・販売を行いましたが、くま笹収集のコスト増等から採算が悪化し倒産しました。
    ・「ティーエム21(松江市)」:山陰地域の総合情報ポータルサイト(山陰ホームページナビゲーター)の運営、独自開発のホームページ自動作成システムによる事業など、地域の各種情報サイト及びWebアプリケーションを構築運営し、着実に業績を拡大しました。
    ・「しまね有機ファーム(江津市)」:有機栽培の桑葉・大麦若葉等の有機農産物による原料・製品の製造、販売事業を行い、原料生産・加工・販売まで地域で一貫して行う「農業の6次産業化」の実践に取り組み、売り上げは拡大しましたが、収益面は改善しませんでした。
    ・「アルプロン製薬(斐川町)」:健康維持に役立つ機能性食品のβ-グルカンに関する島根大学との共同開発など、独自の技術によるパン酵母から高純度のβ-グルカンの製造・販売を行いましたが業績が低迷し、サプリメント事業に取り組みました。
    ・「アートクラフト設計(松江市)」:地域再生型福祉施設の設計、歴史的建造物のリニューアル設計、古民家の建材を活かした設計などに取り組みましたが、市場が拡大せず、倒産しました。
    ・「島崎電機(出雲市)」:洗剤なしで洗濯・除菌ができる洗浄水・除菌水生成装置を開発・製造し、老人ホームやクリーニング工場などに販売しており、顧客から高い評価を得ていますが、営業体制などの制約から、業績は改善しませんでした。
     投資先企業から、「県民ファンドからの投資により、地元からの応援や期待を感じる」、「就職説明会において、県民ファンドから投資を受けていると話したところ、学生の態度が違った」などの声が寄せられたりしました。
     ファンドは当初の予定通り、10年間で清算をし、保有の株式を出資先企業の経営者に買い取っていただき、出資者の方々に1口約9万円の返還をしました(これは、業務執行の3人が資金返還の受け取りを辞退したことなどによるものです。)。
    2.島根県民ファンドのプロデュースの経緯
    2.1 現代版「頼母子講」の発想
     島根県民ファンドの構想を筆者が得たのは、2001年7月に島根県松江市で開催された、地元企業の方々との交流会の意見交換がきっかけでした。中国経済産業局長として初めて島根県を訪問した機会に、地域の経済産業局の役割は3つのブリッジ、「地域と経済産業政策とのブリッジ」、「地域企業と必要とする経営資源とのブリッジ」、「地域の望ましい未来と現在とのブリッジ」という考えを伝え、政策として新事業を創出するために、産学官連携や大学発ベンチャーを推進していることを話したところ、ある経営者から「日本の地方の問題はベンチャーを応援するエンジェルがいないこと」との問題提起がありました。  その会合の後に思いついたのが、日本の伝統の「頼母子講(たのもしこう)」、「無尽(むじん)」です。みんなでお金を持ちより、必要とする人に融通する仕組みです。つまり、一人で多額の資金をベンチャーに提供するエンジェルはいなくても、多くの方が小規模のお金を持ちよることでベンチャー支援ができるのではないか、と考えたのです。
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  • デザインによる富山県と伝統産業のプロデュース | 桐山登士樹

    2020-07-15 07:00  
    550pt

    NPO法人ZESDAによる、様々な分野のカタリスト(媒介者)たちが活躍する事例を元に、日本経済に新時代型のイノベーションを起こすための「プロデューサーシップ®」を提唱するシリーズ連載。第6回目は、富山県総合デザインセンターなどで活躍する桐山登士樹さんです。
首都圏でのデザインやメディア業界での経験と人脈を基に、富山県の地場産業とデザイナーを持続的にマッチングしていくエコシステムの構築で大きな成果を上げた、テクノロジー×デザイン×アートの力を活用していくプロデュース手法とは?
    プロデューサーシップのススメ#06 デザインによる富山県と伝統産業のプロデュース
     本連載では、イノベーションを引き起こす諸分野のカタリスト(媒介者)のタイプを、価値の流通経路のマネジメント手法に応じて、「inspire型」「introduce型」「produce型」の3類型に分けて解説しています。(詳しくは第1回「序論:プロデューサーシップを発揮するカタリストの3類型」をご参照ください。)
     今回はカタリストの第3類型、すなわち、イノベーターに「コネ」や「チエ」を注ぐ座組を整える「produce型カタリスト」の事例の第1弾として、富山県総合デザインセンター所長等を務める桐山登士樹氏をご紹介します。
     これまでご紹介してきたinspire型、introduce型のカタリストは、それぞれ、チエとコネをイノベーターに注ぐという、いわば局地戦における個別の価値供給によってイノベーション促進に貢献してきました。これに対して、produce型カタリスト(いわゆる、プロデューサー)は、チエとコネがイノベーターに大量かつ持続的に注がれていくエコシステム全体、すなわち戦場全体を包括的にマネジメントする存在です。
     プロデューサーのミッションや活動内容は、プロデュースに関わる時点の状況によって大きく異なってきます。コミットした時点で既に多数のアクターが複雑に関係していれば、調整力や、果断なリーダーシップが求められたりするでしょうし、誰も居なければ、まずアクターを集めることから始めなくてはなりません。
     桐山さんのプロデュースは、後者の事例です。富山県の伝統産業をデザインで活性化するというミッションを帯びて富山県総合デザインセンターにやってきた当時、県内にデザイナーは数名しかいないというのが出発点でした。注目すべきは、その人集めの手法です。桐山さんは、コンペという手法を取りました。結果、今では300人の日本トップクラスのフリーのデザイナーが富山県内で活躍しています。
     そして、危機回避能力も見事です。行政からセンター存続の条件として短期的な売り上げを求められた際には、「お土産プロジェクト」によって応じ、県のサポートを維持することに成功しました。センターのみならず芽吹きつつあったエコシステム自体も守ったのです。
     また、富山県総合デザインセンター所長以外にも、ミラノ・サローネの日本館のプロデューサー、富山県美術館副館長をはじめ、非常に多くの肩書をお持ちで活躍されています。
    「テクノロジー、デザイン、アート」が自分の基本的なツールだと述べつつ、デザイン、インフラ、メディアの業界に長く関わり、海外と地方、ブランディングやマーケティングまでを一人で射程に収めてビジネス成果を出し続けてきた稀有な経歴をお持ちです。まさしく「マルチ・リテラシー」の権化とも言うべき典型的プロデューサーです。その上、足をマメに運び、目的達成に必要なコネやチエやカネを、方々から集めてくるチカラも兼ね備えておられます。そうして、デザイン、アート、ブランディング、資金などなどのあらゆる価値が、富山県の中小企業に総合的に注ぎ込まれ、より優れたプロダクトが国内外のマーケットに展開され、新たなコネやチエやカネを生み出していく、というエコシステムを創育しています。
     今号では、富山県の、いや、日本の伝統産業の明日を切り拓くため、今日も最前線で戦っている桐山プロデューサーから、新しいエコシステムの創育手法を学びたいと思います。(ZESDA)


    「オーケストラの指揮者」としてのプロデューサー
     桐山です。私は富山県に1993年に呼ばれて、約25年間富山に毎週通いながら、富山県の価値をどう上げるかということにこれまで携わってきました。本稿では、特にデザインの力による地方創生というテーマに焦点を当てて、私のこれまでのプロデュース活動をご紹介させていただければと思います。  私がTRUNKというデザイン会社を作ったのが、今から30年ほど前になります。当時は出版社に勤めてましたが辞めました。なぜ出版社を辞めたかと言うと、いわゆる業界に閉じたシゴトではなく、もう少し横断的なことがやりたいなと思ったからでした。そこでちょうど私のイニシャルがTKだったので、私が走るという意味のTRUNKという名前の会社を作ったのですが、今日まで全然休みなく走ってるという、とんでもない目に遭ってるわけでございます。

     それでは、私がこれまで関わってきたことを簡単にご紹介します。私はミラノとの縁が非常に長く、32年間通っています。出版社時代に知り合ったイタリア人の方と仲良くなったのがきっかけです。去年、おととしにミラノ万博がありました。そこで日本館のプロデューサーをやってましたので、通算して年に10回以上行くこともありました。
     それから私は専門がデザインですから、デザインとインフラを整備する、いわゆる中核支援施設の仕事にも携わってきました。20年近く横浜市のYCSデザインライブラリーに関わっております。世田谷区では永井多惠子さん(せたがや文化財団理事長)に誘われて、彼女の下で6年間お仕事をしていました。富山県では知事の下でデザインセンターや県立美術館に携わってきました。このような形で、いわゆる地域のインフラに関わるようなこともずっとやってきたわけです。  さらにデザインのメディアというものにも関心を持ちました。私もメディア出身の人間なものですから、それをベースにどう伝えられるかというコミュニケーションを考えておりました。業界内の話で終わるのではなく、いかに周辺の人、またこれから関わっていく人に伝えていくかということも長く私の一つの仕事としてやっています。  このように、私は、デザイン、インフラ、メディアにまたがったビジネスを創る経験をしてまいりました。
     プロデューサーとは、わかりやすく言うと「オーケストラの指揮者」だと思っています。私はクラシックが大好きでして、特にモーツァルトやバッハでは、彼らの譜面をいかに解釈するかというのが指揮者の重要な役目であり、そこに一緒になって演奏する人たちは一流でなければいけないわけですね。そして当然そこにはオーディエンスがいるわけです。だからその中でいかに感動的な演奏をするかっていうのは、その指揮者の解釈と、その場を読む力とか、盛り上げる指導力が問われることになろうかと思うんです。

     そして私は、テクノロジーとデザインとアートを用いてプロデュースを行っています、現代におけるものづくりでは、テクノロジーはどうしても外せませんが、テクノロジーをより現代的で新しい価値創造に向かわせていくのがデザインのチカラであり、役目だと思っています。さらに、これだけ世の中が流動化してボーダーレスになってくると、自分たちの価値観を超えてどこまで飛躍できるか、という部分が非常に重要になってきます。ですから、アートという、束縛から自由になる、何者にも捉われないある種の創造性、表現性の要素もないと、人を惹きつけられない、違いを生み出せないと確信しています。
     したがって、テクノロジーもデザインもアートも、全て含めて取り入れて、統合的な価値を作っていくというのが、プロデュースというものだろうと私は思ってます。
    富山県総合デザインセンターの理念と成果
     私がプロデュースしている例として富山県のケース、特に私が所長を務めている、富山県総合デザインセンター(以下、「センター」)のことをお話ししたいと思います。

     センターは、デザイナーと企業が集まって、商品開発支援や異業種交流の場の提供やコンテストなどを通じた多彩な富山デザインの発信を行う施設です。今から約25年前にその前身となるものができたわけなんですけど、県直営になったのは約15年前です。その時の所長が、SONYのロゴマークをデザインしたりソニーのウォークマンを開発した著名な工業デザイナーの黒木靖夫さんでした。なぜか黒木さんと私は呼吸が合って仲が良かったんです。私は特別なことはしなかったんですけど、黒木さんがよく「ちょっと来れない?」といろんな機会にお呼びくださるなかで、次第に仲良くなりました。毎月酒を飲みながらいろいろお話をしまして、黒木さんとの付き合いは彼が亡くなるまで続きました。影響を大なり小なり受けていますから、私は今、色々な面で黒木さんに少し似てきているかもしれません。



     黒木さんとセンターを作る際には、3つのポイントを掲げました。それは大まかには「開かれたセンターにしよう」、「支援するセンターにしよう」、「考えるセンターにしよう」の3つです。ほかにも色々ありますが、この3つを基本の設立理念として打ち出そうと決めました。
     現在は、ソフト、ハード両面で整備を進めています。ハードに関しては、おそらく世界最先端の機材と、それから富山県が持つ400年にわたる、もの作りの町工場を上手く活用しながら、あらゆる機械を整備しようとしております。目標としては、ここに来れば、面白い人と出会え、最新鋭の機械と、そしてそれらの使い方をきちんと支援できる研究員がいるという環境を整備しようとしてます。
     一方ソフト面ですが、ものづくりというものは、価値を作っていかなければいけません。特に最近はコミュニケーションも含めて考えなくてはいけませんし、いかに海を渡って物を売っていくかということを考えなくてはいけません。販路の開拓などはまだまだこれからなんですが、マーケティングも含めて整備を進めています。
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  • 海外日本人ネットワーク「和僑会」のめざすグローカリゼーション | 永野剛

    2020-06-17 07:00  
    550pt

    NPO法人ZESDAによる、様々な分野のカタリスト(媒介者)たちが活躍する事例を元に、日本経済に新時代型のイノベーションを起こすための「プロデューサーシップ®」を提唱するシリーズ連載。第5回目は、海外でビジネスを行う日本人たちの支援ネットワーク「和僑会」で活動する永野剛さんです。母国を離れてもたくましく生きる華僑にならい、日本人ならではの強みを活かした国際社会での活躍を、どのようにプロデュースできるのか。業種を超えたケーススタディを通じて、グローカルに生き残っていく明日の日本人像を探ります。
    プロデューサーシップのススメ#05 海外日本人ネットワーク「和僑会」のめざすグローカリゼーション
     本連載では、イノベーションを引き起こす諸分野のカタリスト(媒介者)のタイプを、価値の流通経路のマネジメント手法に応じて、「inspire型」「introduce型」「produce型」の3類型に分けて解説しています。(詳しくは第1回「序論:プロデューサーシップを発揮するカタリストの3類型」をご参照ください。)
     今回はカタリストの第2類型、すなわち、イノベーターに「コネ」を注ぐ「introduce型カタリスト」の事例の第2弾として、和僑会で活躍する永野剛氏をご紹介します。
     前回の堂野さんは、ローカルなコミュニティを運営し、その内側で異業種を繋いで価値を生み出すカタリストでしたが、今回は、国境をまたいで複数のローカルなコミュニティをintroduce(紹介)するカタリストです。
     永野さんは、海外在住の日本人のコミュニティネットワーク「和僑会」のメンバーとして、数々の国際的なビジネスを成功させています。縦横無尽に、国内外、各領域を飛び回り、非常に多様な人々を繋いで回る永野さんは、グローバルなintroduce型カタリストの典型例を提出してくれます。永野さんから学べるポイントは少なくとも2点あると思われます。信頼概念に対する確固たる哲学と、マルチ・リテラシーの養い方・活かし方です。
     まず、信頼概念について。introduceにおいては、紹介者であるカタリストの「信頼」の付与がカギになります。紹介によって結び付けられる双方が、紹介者を信頼しているからこそ、紹介を受け入れ、スムーズにシゴトの話に入ることができます。知らない者同士がゼロから信頼を構築するコミュニケーション・コストを圧縮してくれるわけです。永野さんは、組織や地位の「格」による値踏みでビジネスを進めがちな日本人が、中国市場で失敗する例を多く見てきた経験を踏まえて、「縁」という概念から、信頼とは何か、組織とは何か、を説き起こします。
     また、永野さんのカタリストとしてのパワーの源は、「和僑会」に加えて「日本の地方」「中国」「イベント企画」「観光」「アカデミア」の少なくとも6種類の領域において「マルチ・リテラシー」を有している点にあります。例えば、「観光」を切り口に「日本の地方」に入り込み、「中国」人を連れてくる「イベントを企画」し、学びを「アカデミア」で発表したり、海外で「日本の地方」を売り込む「イベントを企画」する際には、「和僑会」のチカラを借りつつ「観光」の観点からマーケティング戦略を考えたり、と、6つのマルチ・リテラシーをフル活用して、人々をintroduceし、付加価値を出している様子がよくわかります。そして、永野さんは、各コミュニティ内の一定の役職を引き受けて「細くとも長く」各領域との人間関係を維持することによって、マルチ・リテラシーを維持発展させている点にも要注目です。
     さらに、国際的カタリストとして大活躍する永野さんは、「グローバル人材には、むしろローカルさが必要」と喝破します。グローバルという領域が多くのローカルを包んでいるのではなく、ローカルとローカルの間にしかグローバルは存在しないという見地は、カタリストのリアリズムを感じさせてくれるとともに、グローバル人材論にも一石を投じてくれます。
     本文で紹介する事例は、永野さんの実績のほんの一部ですが、introduce型カタリストの核である「信頼」概念とマルチ・リテラシーの養い方・活かし方を学ばせてくれます。(ZESDA)



    「和僑会」とは何か
     みなさま、はじめまして。永野と申します。和僑会とグローカリゼーションのお話をするにあたって、まず私の社会活動の来歴から入らせてください。(資料1参照)私は、学生時代から、いずれ経営者になろうという気持ちはありましたが、急いではいなかったので、一部上場の商社で3年ほど勤務しました。その後、起業家マインドを持つ会社にも身を置きたいと考え、大手人材サービス企業に勤めました。それから、リーマンショックが起きた頃、経営学を体系的に学びたいと考え、会社を辞めてMBA(経営学修士)を大学院で学びました。そして、2010年頃、就職活動を兼ねた海外進出関連のセミナーで、中小企業の海外展開をサポートする東京和僑会という組織に出会いました。直観的に、ここにこそ、私が求めている環境があると感じました。そこで大学院卒業後は、東京和僑会に身を置き、企業の海外進出の現場を学ぶ機会を得ました。その後2014年に海外進出支援の会社を立ち上げ、海外市場調査などをする仕事を始めるようになりました。
     また、認定NPO法人東京都日本中国友好協会の副理事長を2019年6月から仰せつかり、日本で中国のファンを増やす活動をしています。私が中国に関心を持つようになったきっかけは、大学1年生の時に9.11アメリカ同時多発テロが起きた時、中国人の留学生とアツい議論をしたことでした。周りから見るとケンカのようだったと後で聞きましたが、アツく深い議論の途中から、意見と意見のぶつかりがとても面白く感じられるようになりました。周りの日本人学生は相手を傷つけない程度の意見しか言わなかったので、この中国人留学生との議論は私にとって非常に衝撃的な経験でした。この経験がきっかけとなり、中国社会に興味を持ち、留学したいと考えるようになり、西北大学という中国内陸部の大学に入学しました。
    <資料1>

     それから、アジア・国際経営戦略研究学会にも所属しています。学会活動は私にとって主には、アウトプットする場です。もちろん学会の場では、他大学の教授からお話を聞く機会もたくさんありますが、学生時代から研究していた国際観光について発表する機会があり、その度、自分の中で研究成果が整理できたと思っています。  さらに、十日町市水沢商工会の観光委員も務めています。これについては、後ほど詳しくお話します。  このように、私の社会活動は、産学官と多岐に渡っています。これは、様々な情報を主体的に取りに行き、自分のやりたい事とリンクさせていくために必要だと思ってやっています。それぞれの「場」が持っている強みを、自分自身の軸にリンクさせていくのです。例えば観光学会だったら観光知識を得る場。中国と日本の交流であれば日中友好協会。起業家や現地経営者の繋がりであれば和僑会。地方経済の実情を知るには十日町市水沢商工会、といったように、です。
     さて、本日の主題のひとつである和僑会の話題に入っていきます。和僑会とは一言で言いますと、“華僑”(かきょう)の日本人版です。本国を離れ他国にいる中国人が華僑ですが、その概念の日本人版が和僑(わきょう)です。その和僑たちが創った組織を“和僑会”と呼んでいます。
     華僑の存在は有名ですが、アジアには華僑以外にもいろいろと母国を離れた人たちによるネットワークが存在しています。シンガポール人のネットワークは“星僑”(せいきょう)。ベトナム人だと“越僑”(えっきょう)。韓国は韓僑(かんきょう)、インドは印僑(いんきょう)などという名称で、アジア各地で僑という漢字で彼らの存在が示されています。そうした名所と同列が日本人のネットワークが“和僑”です。私たち和僑会メンバーが作った造語です。
    <資料2>

     <資料2>をご覧ください。各僑のだいたいの人数です。ところで、私は中国のパワーの本質は人口だと思います。人口は日本の10倍以上です。さらに、僑のネットワークにおいては40倍以上です。日本人の多くは、この圧倒的な人口が持つ本当の意味を、よく理解できていないと感じています。北京だけでも約1,600万人、重慶にいたっては約3,000万人います。ちなみに韓国は5,127万人です。そして、そのうち13%が海外に根付いた生活を送っています。これに対して、日本人は100人に1人ぐらいしか海外在住者がいません。まずはこの事実をしっかりおさえる必要があります。
     さて、いよいよ“和僑会”とは何かについて説明していきます。華僑の人たちの特徴を捉えることで和僑の在り方も見えてくるので、比較しながらお話していきたいと思います。
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  • イノベーティブな関係性を創る〜大阪・メビックの活動を通して(後編)| 堂野智史

    2020-06-04 07:00  
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    NPO法人ZESDAによる、様々な分野のカタリスト(媒介者)たちが活躍する事例を元に、日本経済に新時代型のイノベーションを起こすための「プロデューサーシップ®」を提唱するシリーズ連載。第4回目は、大阪市の施設「クリエイティブネットワークセンター大阪 メビック」でクリエイター・デザイナーの支援活動に取り組む堂野智史さんです。前編に引きつづき、大阪におけるクリエイティブ産業支援の状況やコーディネート手法についての詳細な情報や、制度設計の考え方が語られます。そこでマッチング支援者が心がけるべき、「沿道の応援者」としての姿勢とは?
    プロデューサーシップのススメ#04 イノベーティブな関係性を創る〜大阪・メビックの活動を通して(後編)
    メビックのミッションと活動内容
     メビックは、大阪市経済戦略局が設置し、公益財団法人大阪産業局が運営受託している施設で、大阪で活動するクリエイティブ産業の振興を目的としています。そのミッションは、大阪のクリエイターが活動しやすい事業環境を整備し、クリエイターの自立・成長を促すことです。大阪を拠点に、営業は国内外どこででもやってもらえばいいのですが、最終的には、家族や従業員がいる大阪で競争力を発揮して活動してもらいたい、そんな状況を創ることができればと考えています。

     そのためには、2つのキーワードが大事かなと。一つは、大阪に「仕事」があること。もう一つは大阪に本音で話ができる「仲間」がいること。そんな状況を創ることができれば、大阪のクリエイティブ産業の「未来」が拓けるのではと考え、行動しています。
     なぜ大阪市がクリエイティブ産業振興に取り組んでいるかというと、クリエイティブ産業自体、様々な分野の産業や社会経済に影響を与える、重要なサポーティングインダストリーであることが挙げられます。大阪には全国第2位の同産業集積があるにもかかわらず、マーケットの東京シフトが進む中で東京への移転傾向がみられます。しかし、大阪全体の産業や社会経済を発展させるためにも、大阪に拠点を維持し活動を継続することで、他産業や社会経済に対し波及効果を及ぼすことが不可欠だと考えているからです。
     ただ、大阪のクリエイティブ産業は、デジタル化の浸透により人と人とのリアルなコミュニケーションが希薄になっていること、クリエイティブ産業自体、業界が細分化されているのに対し、クリエイティブ市場は複数の業種でないと対応ができないほど複合化が進み、供給と需要の間にミスマッチが生じていることなどが問題点として考えられます。  メビックでは、こうした問題点や課題に対応し、大阪のクリエイターが自分のやりたい仕事を大阪でやり続けられるような状況を創ろうと日々活動しています。
     そこで、メビックの具体的活動についてご紹介しましょう。メビックでは、クリエイティブコミュニティの中に、日々新しいクリエイターや企業等を誘い込んでいます。  大阪で活動する新しいクリエイターを見つけては、現役のクリエイターで構成するコーディネーター同伴のもと面会し、その人の情報を共有するとともに、メビックで開催するイベント等を紹介し、クリエイティブコミュニティに誘っています。
     一方、クリエイターに仕事を依頼したり、クリエイティブに関する案件について相談したい企業等についても、コーディネーター同伴のもと面会し、クリエイターとの出会い方やコミュニケーションの取り方等について話をし、最終的にはクリエイティブコミュニティに誘い込みます。
     クリエイティブコミュニティの中では、クリエイター同士、クリエイターと企業等が互いにコミュニケーションを取り、互いに意気投合する人を見つけて、つながり、最終的には何らかの形でコラボに結びつくケースも多々ありますが、そこは当事者に任せる部分で、メビックとしては仲介等は行いません。あくまでも当事者同士の責任のもとで自由に行って頂くようお話ししています。
    なお、こうした出会いの機会は、年間200日、150回程度にも及び、様々な切り口で形を変えて頻繁に行うことで、そこに集まる人と人との関係性を熟成させるよう努力しています。





     その結果、2019年6月1日現在1564のクリエイターの事業所が、メビックWEBサイト「クリエイティブクラスター」に掲載されています。これらの事業所の代表者または主要クリエイターに対しては、メビックスタッフが必ず面会しており、顔の見える関係を創った上で情報発信をサポートする形を取っています。
     また、クリエイティブコミュニティに参加するクリエイターや企業等に対し、イベント等を通じて互いのコミュニケーション機会を増やし、関係づくりを熟成させた結果、商取引・新事業創出、高付加価値などの面で様々な結果が生まれています。メビック設立以来、報告を受けているだけで、契約関係にある、あるいはプロジェクトとして形になったコラボレーション案件は3,362件にも上っています。
     メビックのこうした活動を支える工夫の一つに、“現役”のクリエイターにコーディネーターを委嘱する「クリエイティブコーディネーター(通称:コーディネーター)」という制度があります。メビックでは、現役のクリエイターにコーディネーターを依頼するという、他に例を見ない方法を12年前から採用しています。
     なぜ“現役の”クリエイターを活用するのかというと、いくつか理由があります。
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  • イノベーティブな関係性を創る〜大阪・メビックの活動を通して(前編)| 堂野智史

    2020-06-03 07:00  
    550pt

    NPO法人ZESDAによる、様々な分野のカタリスト(媒介者)たちが活躍する事例を元に、日本経済に新時代型のイノベーションを起こすための「プロデューサーシップ®」を提唱するシリーズ連載。第4回目は、大阪市の施設「クリエイティブネットワークセンター大阪 メビック」でクリエイター・デザイナーの支援活動に取り組む堂野智史さんです。業界文化や慣習の違いを越えて、クリエイターと企業が真にイノベーティブな関係を育むには、どんな後押しの仕方が適切なのか。「コミュニティ・プロデューサー」としての丹念なノウハウの積み重ねが説かれます。
    プロデューサーシップのススメ#04 イノベーティブな関係性を創る〜大阪・メビックの活動を通して(前編)
     本連載では、イノベーションを引き起こす諸分野のカタリスト(媒介者)のタイプを、価値の流通経路のマネジメント手法に応じて、「inspire型」「introduce型」「produce型」の3類型に分けて解説しています。(詳しくは第1回「序論:プロデューサーシップを発揮するカタリストの3類型」をご参照ください。)
     今回はカタリストの第2類型、すなわち、イノベーターに「コネ」を注ぐ「introduce型カタリスト」の事例の第1弾として、メビック(2020年3月以前の名称は「メビック扇町」)で活躍する堂野智史氏をご紹介します。
     イノベーションには、今までにない出会いが重要。そのためにはマッチングが重要。そのためにはコミュニティが重要。そのためには場づくりが重要──。そこかしこで繰り返し聞かれる言説です。しかし「言うは易し、行うは難し」です。具体的に、誰が何をすればイノベーティブなマッチングがたくさん生まれるコミュニティを継続的に運営できるのでしょうか。大阪はメビックを拠点にクリエイターと企業のコミュニティを運営する堂野さんは、カタリストとしてひとつの模範解答を提示しています。
     堂野さんの手法において、特に着目するべきポイントは2つあります。1つ目は「自分事化」です。堂野さんは、多くの若手を含む現役のクリエイターから「クリエティブ・コーディネーター」を任命して、コミュニティ運営やマッチングを担わせています。彼らは「自分事として」クリエイター側の事情や気持ちも理解した上で、クリエイターに企業側の論理やニーズを説明することができます。その逆も然りです。カタリストとしてのメビックは、まさに「マルチ・リテラシー」を有しているからこそ可能となる精度の高い橋渡しによって、多くのマッチング成約の実績を重ねているのです。
     2つ目は、「刺激と共感のバランス」です。同質性の高い人々が集まっているだけのコミュニティでは、新規組み合わせは生まれません。かといって、基本的な価値観があまりに異なっていれば、ワクワクを共有するのが難しくなります。そこでメビックは、外部でのネットワーキングによって「良さそうな」企業やクリエイターを見繕ってはコミュニティに誘って絶えず外の血を入れると同時に、頻繁にプレゼン大会や交流会を営んでインフォーマルな人間関係を醸成するという、車の両輪を回しています。そして、あくまで自発的な共感によってコラボレーションが生まれるのを待つのです。
     豊富な実績を絶えず積み重ねるメビック。仲介にきっちりコミットしたり、コラボレーションの芽生えをじっくりと待ったり。ケース・バイ・ケースでメリハリを利かせた絶妙な匙加減に「プロの」introduce型カタリストの真骨頂があります。「個人と個人の間のインフォーマルな絆が育む自発的なモチベーションこそがイノベーションを導く」と語る堂野さんの手腕から、コミュニティ運営の真髄を学びたいと思います。(ZESDA)


    はじめに  - 「コミュニティ・プロデューサー」とは何か
     みなさん、こんにちは。メビック(以下、メビック)という大阪市の施設でクリエイター・デザイナーの支援活動をやっている堂野でございます。 今日は、これまでの経験を踏まえ、「イノベーティブな関係性を創る」という視点で、私自身のプロデュース論についてお話ししてみようと思います。
     私自身、プロデューサーという立場に立てば、私の役割はコミュニティの形成を誘導することだと考えています。つまり人と人との繋がりを作ることで、それぞれの人が抱えている課題解決に結び付く関係性を作る存在です。つまり、「コミュニティ・プロデューサー」と呼ぶのがいいのかなと思っています。決して、私自身がビジネスを創るのではありませんので、「ビジネスプロデューサー」の役割を担う存在ではありません。
     自分自身の経歴を整理すると、大学・大学院時代は経済地理学を専攻し、地域産業論、特に修論では造船業の立地配置を研究していました。修了後、恩師の薦めもあり財団系のシンクタンクに勤め、26歳から40歳まで地域振興や地域産業政策を担当していました。産業クラスター計画が全国に普及する前に近畿経済産業局で産業クラスター政策について検討したり、各地域の産業振興ビジョンや集積活性化計画、三重県ではメディカルバレープロジェクトという健康・医療・福祉産業振興といったプロジェクトに関わってきました。
     シンクタンク時代の36歳の時に、たまたま出張した岩手県でINS(岩手ネットワークシステム)、通称:いつも飲んで騒ぐ会、いつかはノーベル賞をさらう会に出会い、これをきっかけにインフォーマルコミュニティの重要性について考えるようになりました。この出会いが、自分の価値観も行動様式も全て変えることとなり、その後20年以上、こうした活動に邁進しています。
     その後シンクタンクの仕事を続けながら、インフォーマルコミュニティをいかに実現すべきか、試行錯誤し、失敗も経験しながら、結果、40歳の時に友人たちとともに、INSを模倣しKNS(関西ネットワークシステム)を立ち上げました。2002年12月から発足準備をし、2003年6月に第1回目の定例会を開催し、現在980回ぐらい活動しています。年4回行う定例会は次回で第65回目を迎え、京都先端科学大学で開催する運びになっています。
     KNSの発足準備を始めた直後に、大阪市関係の友人からクリエイター・デザイナーの支援施設を作るが、そこの所長がいないから、現場に出てやってみないかとの話をいただきました。
     シンクタンクの仕事は、調査をし、課題を発見し、そしてその課題解決の方法を提案するところまでが仕事で、提案した課題に対して課題解決を実践するのはクライアント(行政)の仕事です。クライアントの動きを見ていて、「こうしたらもっと上手くいくのにな」と歯痒い思いをすることもあり、「現場に出て自分で考えたことを実践してみたい」との思いが強くありました。そんなタイミングで、メビックの所長を探しているのでやってくれないかという知人からの誘いがあったのです。1年契約で退職金もなしというあまり良くない条件でしたが、自分の考えたことを実践できるのではと思い、2003年5月に転職をしました。そのまま17年、毎年契約の更新を続けて、今に至っています。


    インフォーマルコミュニティからの学び  -  INSからの模倣とKNSの発足

     まず、簡単にINSとKNSについて説明します。INS(岩手ネットワークシステム)とは、「岩手県における科学技術、および研究に関する人・情報の交流・活用を活発化し、共同研究を推進、科学技術、産業の振興に資する」という目的で1992年から活動しています。INSを「いつも飲んで騒ぐ会」「いつかはノーベル賞をさらう会」などと呼んで、産学官民のメンバーが個人単位で参加し、フラットな関係でコミュニケーションを取り、そこで形成された関係性をベースにして様々な形で新しい活動が行われています。最近は主力メンバーがかなりお年を取られたので昔のような勢いはなくなってはきていますが、みなさんと交流を深めるということは現在も続けておられます。
     KNSはINSを模倣して作らせていただいたもので、偉い人も偉くない人も、男も女も、国も地域も年齢も飛び越えて、1人の人間としてフラットな関係性を作ったら何が起こるかという社会実験を17年間続けています。その開催回数は、既に980回を超えました。
     最近は産学官民連携が持て囃されていますが、これを行うためには元々産学官に所属する人が個人的に繋がっていることが必要だと考えています。そこでKNSのような産学官メンバーが交流できるフィールドを提供しています。


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  • 地元産品を海外に売り込め!~茨城の成功例から学ぶ~ | 西川壮太郎

    2020-05-07 07:00  
    550pt

    NPO法人ZESDAによる、様々な分野のカタリスト(媒介者)たちが活躍する事例を元に、日本経済に新時代型のイノベーションを起こすための「プロデューサーシップ」を提唱するシリーズ連載。第3回目は、日本貿易振興機構(JETRO:ジェトロ)でスタートアップ支援に携わる西川壮太郎さんです。このままでは「茹でガエルの釜」になるばかりの日本市場の先を見据えて、茨城の農業を世界に向けてブランディングすべく、西川さんはいかに生産者たちをinspireしグローカルなプレイヤーとして飛躍させたのか? 精度の高いコミュニケーションでリスクを抑えながらファースト・ペンギンの背中を押す見事な範が、そこにはありました。
    プロデューサーシップのススメ #03 地元産品を海外に売り込め!~茨城の成功例から学ぶ~
     本連載では、イノベーションを引き起こす諸分野のカタリスト(媒介者)のタイプを、価値の流通経路のマネジメント手法に応じて、「inspire型」「introduce型」「produce型」の3類型に分けて解説しています。(詳しくは第1回「序論:プロデューサーシップを発揮するカタリストの3類型」をご参照ください。)
     今回はカタリストの第1類型、すなわち、イノベーターに「チエ」を注ぐ「inspire型カタリスト」の事例の第2弾として、日本貿易振興機構(JETRO、以下「ジェトロ」)で活躍する西川壮太郎氏をご紹介します。
     ジェトロは日本企業の海外進出を支援したり、海外からの投資を促進する政府機関です。国内外に120以上の事務所を持ち、展示会や現地視察ツアーを催したり、マッチングや情報提供などのサービスを提供したりしています。まさしく、国営のカタリスト機関として「コネ」や「チエ」を企業に注いで新規ビジネスを導くことがミッションです。
     ジェトロの信用力やネットワークは抜群ですが、国営ゆえに悩ましいポイントもあります。というのも、税金で運営されているので、公平性や中立性を守る必要があり、特定の企業を贔屓することは好ましくありません。ゆえに、ついつい受け身な仕事ぶりになってしまいがち、という弱点があります。しかし、実際に新しい取引を生み出していくためには、通り一遍のマッチングイベントの開催や情報提供だけでは足りません。優良なバイヤーと優良な生産者の間で真の信頼関係が結ばれるよう、精度の高いコミュニケーションを取り持つ必要があります。そのためには、あの手この手でひと工夫ふた工夫、していかなくてはなりません。ジェトロの担当者には、バランス感覚とビジネススキルと情熱を兼ね備えた、カタリストとしての手腕が高度に求められるのです。
     西川さんは、まさしく「真のジェトロマン」として、ハノイ事務所駐在時代、茨城事務所長時代をはじめ、圧倒的な実績を残されてきました。本稿では特に、バイヤーに関する徹底した調査分析を基に生産者を動かす西川さんの「チエ」の決定力に着目します。「ファースト・ペンギン」と共に跳び、共に成果を残していく、inspire型カタリストのお手本とも言うべきご手腕から学んでいきたいと思います。(ZESDA)

    日本という「茹でガエルの釜」
     ジェトロの西川と申します。本稿では、地元産品を海外に売り込むグローカル・ビジネス、特に茨城県が農産物を海外に輸出することによって地域活性化に成功した事例をご紹介します。この事例で得られた知見は他県の場合にも十分に応用可能だと思いますので、これを横展開して日本の地方経済の復興に少しでもつながれば、ありがたいと思っています。
     まずはクイズから始めさせてもらいます。『私たち日本人は、世界で何番目にお金を稼いでいる国民でしょうか?』日本は、アメリカ、中国に次いで、世界第3位の経済大国だということは広く知られています。しかし、これはあくまで国全体で計算した場合に限られるということはご存知でしょうか?日本が一年に稼ぐ金額(GDP)を一人当たりに換算すると、実は世界26位に大きく後退してしまいます。2018年の国際通貨基金 IMFの発表によると、日本の一人当たりGDPは年間約400万円(39,306米ドル)で、これはヨーロッパ諸国はおろか、シンガポールや香港の方々よりも稼ぎが低いということになります。今後のわが国が確実に迎えるであろう超高齢化社会や人口減少を鑑みると、労働力が減り、国内の需要も期待できない。このような環境では「海外で稼ぐ」ことを無くして、日本人が再び豊かな生活を取り戻すことはあり得ないと言えるでしょう。  いざそう言われてもなかなか危機感を抱きにくいと思いますが、この問題はいつまでもなおざりにしておけるものではないかもしれません。「茹でガエルの法則」という訓話をご存知でしょうか? カエルは自分が泳いでいる池の水が急激に熱くなれば、その変化を察知して逃げるなどの行動を取とることができる。しかし少しずつ温度が上がり続けた場合は、そのうち何とかなるだろうと思ってそのまま同じ場所に居続けて、いつの間にか茹で死んでしまう、というお話です。この話の「池の水」を私たちの環境である「日本経済」に置き換えても、同じことが言えるでしょう。少しずつ人口が減り少しずつ売上が減っている、しかし今のところなんとかなっているという場合に、適切なタイミングで何らかの行動を取ることは非常に難しいのです。今は日本市場だけでも十分に食べていけるかもしれませんが、いつまでもそうとは限りません。将来への布石として、今からでも海外市場とのつながりを作っておくべきだと思います。
     しかし、もちろん盲目的に海外市場に挑戦するのはナンセンスです。海外市場にリスクが多いのは事実です。実際に私はジェトロ海外事務所(ベトナム及びバングラデシュ)での駐在期間中に、現地に進出する日系企業を支援してきましたが、現地企業に騙されて失敗した事例も数多く見てきました。契約金額を振り込んでも契約書通りに履行されないことなど日常茶飯事でした。ただ、そのようなリスクがある反面、人口がどんどん減少し、高齢化が進む日本国内に留まり続けることもリスクだと言えます。そして幸いにも、現在は海外企業との貿易決済においてリスクを回避する方法が数多くあり、正しく計画することで海外進出の際のリスクを最小化することができます。やみくもにリスクを恐れるのではなく、そのリスクの大きさや回避手段などを冷静に判断することが大切です。そうしたリスクヘッジの手段を踏まえた上で、経済発展が著しい新興国などに攻めていくべきではないでしょうか。
    茨城からアジアへの挑戦
     茨城県からアジアに向けた挑戦は2014年から始まりました。私は、それまでベトナム、ハノイのジェトロ事務所に約4年間駐在していましたが、「茨城県にジェトロの地方事務所を新設するから、お前はその初代所長をやれ」というお声がかかり、それを機に日本に帰ってきました。  茨城県に着任して真っ先に始めたのが、県内の44市町村の全てを見てまわることです。各地を実際に訪問することは、地図上を見て想定していたよりも大変なことではありましたが、今ではこの経験が私の財産となっており、生まれも育ちも茨城県民の方よりも私の方がむしろ詳しいという逆転現象が起きているほどです。 各地の商工会議所などを訪問するにあたって、それぞれの地域にどういう課題があるのか、私が持っているノウハウはどのように活かせるだろうか、などと色々と考えました。やがて、根本的な課題の一つが浮き彫りになりました。あまり知られていないかもしれませんが、茨城県は北海道に次いで、農業産出額が日本で第2位を誇る農業県です。しかし、東京では茨城の農産品は他県のものよりも安く売られているため、農家の収入が低く、これが結果として後継者問題を深刻化させる原因の一つとなっていたのです。
     さらに調べてみると、その時点(2014年)では茨城県の農産品はほとんど海外に輸出されていませんでした。例えば茨城県はメロンの生産量が日本一でありながら、それすらも全く輸出されていなかったのです。この状況を何とかしなければならないと考えた私たちは、新たに農産品を輸出することによって地域を活性化させる戦略を考え始めました。茨城県の農産品を海外に輸出し、それをメディアで報道してもらうことでブランド化を図る。そうすれば、農産物の売価が上昇し、農家の方々の収入もあがるはず、という戦略です。 結論を先に申し上げると、この取り組みは大成功をおさめました。こちらのグラフが茨城県の青果物輸出の推移を表しています。ご覧の通り、もともと0に近かった青果物の輸出は、おかげ様でその翌年から20倍の40トン、更に翌々年に4倍の179トン、と飛躍的に伸びていきました。さらに青果物だけではなく、茨城で生産されている常陸牛というブランド牛肉の輸出量も凄い勢いで伸びています。

     一体ジェトロはどのようなカラクリで輸出を伸ばしたのでしょうか。
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  • プロデューサーシップのススメ #02 データシティ鯖江から始まったウェブ新時代

    2020-04-16 07:00  
    550pt

    NPO法人ZESDAによる、様々な分野のカタリスト(媒介者)たちが活躍する事例を元に、日本経済に新時代型のイノベーションを起こすための「プロデューサーシップ」を提唱するシリーズ連載。第2回目は、福井県鯖江市で様々なイノベーションの仕掛け人として活躍する福野泰介さんです。現在、「新型コロナウイルス対策ダッシュボード『COVID-19 Japan』」のネット公開でも注目を集める福野さんの「inspire型カタリスト」としての先進性とは?その実践の来歴と目の醒めるような着想の数々をご紹介します。
     初回では、イノベーションを引き起こす諸分野のカタリスト(媒介者)のタイプを、価値の流通経路のマネジメント手法に応じて、「inspire型」「introduce型」「produce型」の3類型に分けて解説しました。(詳しくは第1回「序論:プロデューサーシップを発揮するカタリストの3類型」をご参照ください。)
     今回はカタリストの第1類型、すなわち、イノベーターに「チエ」を注ぐ「inspire型カタリスト」の事例の第1弾として、株式会社jig.jpの福野泰介会長をご紹介します。
     福野さんは、イノベーティブなプログラマーとして、また鯖江を拠点としたIT起業家として、傑出した実績をお持ちです。その一方で、オープンデータをフル活用する「データシティ鯖江」構想を市長に提案して実現したり、鯖江の小学生にプログラミングを教えたりと、「データ活用のスキル」という「チエ」を鯖江市民に注ぐ「inspire型のカタリスト」としても非常に活発に活動されています。
     特に、ITスキルをそのままサービスとして提供するのではなく、国際組織から学んだオープンデータという概念の導入を鯖江市長に促したり、安価なコンピュータ(IchigoJam)を開発して提供しながらプログラミングを子供たちに分かりやすく教えたりと、最先端の思想やスキルをかみ砕いて伝達することによって付加価値を生んでいる点が、カタリストとしての福野さんに刮目するべきポイントです。
     そして、政府の「オープンデータ伝道師」として、また優れたアプリを世に発信することを通じて、福野さんの「チエ」は鯖江に限らず、世界に発信されているところではありますが、「鯖江から世界を変える」の言葉を体現するかのように、鯖江を変革のドミノの最初の1枚とするべく、福野さんの「チエ」は、鯖江(市役所や子供たち)に、特に意識的に集中投下されています。近い将来、福野さんからinspireされた鯖江のイノベーターたちが、データの可能性をますます開拓して、イノベーションをどんどん興していくことでしょう。(ZESDA)


    ▲福野氏はカタリストとして鯖江に「チエ」を注いでいる。
    ウェブ新時代の地域活性化とは
     株式会社jig.jpという会社の社長をしております、福野泰介と申します。 まずは簡単に自己紹介です。本業はjig.jpというスマートフォンのアプリを作る会社の社長です。政府CIOから、オープンデータ伝道師ということで、オープンデータを日本中に広めてきなさいという命を受けていたり、各種NPOをやったりしております。
     あとCode for Sabaeという、いわゆる地域活動をやっております。地域のゴミ拾い、ドブさらい、いろんな貢献の形がありますけど、Code for Sabaeはプログラムを作って地域に貢献する、そんな活動を地元鯖江で始めております。2017年からは鯖江市商工会議所の常議員を始めまして、一世代上の方々と遊ぶことも増えてきました。
     福井県鯖江市は、東京から新幹線で3時間ちょっとの場所にあります。鯖江市は色々と面白いところで、近年のトピックスとしては「最強の地下アイドル」と呼ばれている仮面女子が挙げられます。何が最強かと言うと、Facebook、Twitterのフォロワーが数百万単位でいるのです。なので、一般向けのメディアとは違うチャンネルですごい影響力がある、そんなアイドルと、なんと鯖江市が提携をしました。鯖江市と仮面女子をYouTubeで検索いただくと、市長が仮面女子のライブで一緒に踊っていたりと、なかなかぶっ飛んだまちになっています。

     いろいろな活動をしていますが、原点はコンピューターに出会ったことと、ウェブに出会ったことにあります。人類とテクノロジーの歴史において、人間とそうでないものが分かれたのは10万年前に言葉というものが生まれた時だと思っています。それまでDNAでしか伝えられなかった情報が言葉として、瞬時に伝えられる。これはすごいことです。 その後、9万5千年かけて発明された文字もまた画期的です。「この先に行くと死ぬぞ」と書いておけば、みんなそこで止まることができます。さらに4千年経って、文字は活字としてコピーできるようになり、拡散を始めました。

     続いて放送。テレビ、ラジオ、当たり前のようですが、わずか100年前にできた技術です。放送は、あたかも語りかけるように、時に映像と共に世界中に対してコミュニケーションできる、非常に強力なツールとなりました。ただ、活字も放送も無料ではないため、発信できる人は限られます。
     そして25年前に誕生したウェブは、この活字や放送の特徴を併せ持った機能を、すべての人に無料で開放するという、非常にインパクトのある技術です。自分はそんなウェブが大好きなので、14年前、ウェブをどこでも見られる、ガラケー向けのアプリ「jigブラウザ」を開発しました。
     現在の主力事業は、スマートフォン向けのC to Cで物を売買できるプラットフォームや、動画配信するためのプラットフォームなどです。これも強力なメディア、ウェブがあるからこそできることです。ウェブを駆使すればあたかも誰もが放送局になれることに匹敵する凄さに、まだ人類は慣れていないかもしれません。
     ウェブにより、様々なローカルなアイドルが多数誕生し、うちのサービスでもトップの人間は一月に1000万以上稼いでいます。テレビと違って、見ていておもしろかったらダイレクトに投げ銭するという、ストリートのミュージシャン的なモデルです。人気な人は1000万円以上稼いでしまうのです。実に100人以上の人がこのサービス上で、生活できるレベルを稼いでいます。
     弊社、jig.jpは、東京代々木に本社があり、福井県鯖江市に本店があります。「利用者に最も近いソフトウェアを提供し、より豊かな社会を実現する」という目標を掲げています。

    オープンデータがもたらす変革
     会社の転換期は、実はガラケーからスマホに変わった時です。社会全体がガラッと変わりました。日本は様々な携帯電話があって非常に良かったのですが、今はもうスマホ一色ですよね。そんな地殻変動に結構翻弄されていたわけですが、幸い、この鯖江にいたということが一つ大きなきっかけとなって乗り越えてきました。
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