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記事 27件
  • 本日21:00から放送☆ 今週のスッキリ!できないニュースを一刀両断――宇野常寛の〈木曜解放区〉2017.8.31

    2017-08-31 07:30  

    本日21:00からは、宇野常寛の〈木曜解放区 〉生放送です!
    〈木曜解放区〉は、宇野常寛が今週気になったニュースや、「スッキリ!!」で語り残した話題を思う存分語り尽くす生放送番組です。
    時事問題の解説、いま最も論じたい作品を語り倒す「今週の1本」、PLANETSの活動を編集者視点で振り返る「今週のPLANETS」、週替りアシスタントナビゲーターの特別企画、そして皆さんからのメールなど、盛りだくさんの内容でお届けします。
    ★★今夜のラインナップ★★メールテーマ…「テレビ番組の思い出」今週の1本…「仮面ライダーエグゼイド」アシスタントナビゲーター特別コーナー…「長谷川リョーの論点」 and more…
    今夜の放送もお見逃しなく!▼放送情報放送日時:本日8月31日(木)21:00〜22:45☆☆放送URLはこちら☆☆
    ▼出演者
    ナビゲーター:宇野常寛
    アシスタントナビゲーター:長谷川リョー(ラ
  • 【特別対談】岸本千佳×宇野常寛 京都の街から〈住み方〉を考える――人と建物の新しい関係(前編)

    2017-08-31 07:00  

    京都を拠点に活動する 「不動産プランナー」であり、『もし京都が東京だったらマップ 』の著者でもある岸本千佳さん。人と建物の関係を結び直す彼女のプロデュース業は、建築と不動産の間の壁を超えたところに生まれました。岸本さんが大きな影響を受けた不動産的なアプローチの先駆け「東京R不動産」の衝撃とは? そして、リノベーション第一世代と第二世代の違いとは? 岸本さんと宇野常寛が「住」のこれからについて考えます。(構成:友光だんご)
    クリエイティブな発想が必要とされない不動産業界
    宇野 岸本さんは「不動産プランナー」という肩書きで活動されていますが、具体的にどういったお仕事なのでしょうか?
    岸本 簡単にいうと「建物をプロデュースする仕事」です。まず、不動産の持ち主から相談を受けて、建物の使い方を提案します。提案が通ったら、設計や工事担当の人たちとチームを組んでリノベーションを行い、完成後の入居者を見つけて運営していく……というのが一連の流れです。この全てを一貫して一人で行っています。
    宇野 僕は岸本さんの著書『もし京都が東京だったらマップ』 で「不動産プランナー」という仕事があることを初めて知って、こういった仕事がなぜ今までなかったんだろうと思ったんですよ。世の中がもっと便利に、かつ面白くなることは間違いないのに。

    ▲『もし京都が東京だったらマップ』
    岸本 業界全体の問題として、「不動産」と「建築」の関係があまり良くなかったということが挙げられます。これまで不動産では、クリエイティブな発想は無いものとされてきたし、必要とされてもきませんでした。その一方で、建築にはクリエイティブなイメージがありますが、一般人にとっては少し敷居の高い世界だった思うんです。家を建てる際に設計士や建築家にお願いするのは、一部の限られた層の人ですよね。こうした距離感は業界内にもあって、私が大学で建築を学んでいたときも、先生が不動産業界を見下したように言う風潮がありました。
    宇野 「不動産」の人たちは坪面積あたりの収益には関心があるけど、そこから生まれる文化的なものには関心がない。かといって「建築」の人たちはその状況を軽蔑するばかりで、建てたあとの運用にはタッチしない、ということですね。
    岸本 そうなんです。でも、15年くらい前に馬場正尊さんの「東京R不動産」をきっかけに、不動産と建築の間をつなごうとする動きがやっと現れ始めたんです。
    「東京R不動産」の衝撃
    宇野 東京R不動産が出てくる以前は、住み方のレベルで文化的な表現をしたいと思っても、賃貸では無理でしたよね。面白い建物に住んでみたくても、家を買う、あるいはオーダーするといった建築的な選択肢しかなかった。しかし、持ち家だと今度は住み替えが難しくなってしまう。「住まう」ことを楽しむためには、不動産的なアプローチが必要なんです。そこに、東京R不動産が登場した。
    岸本 私は当時大学生で、太田出版の『東京R不動産』を読んで知ったんです。衝撃でしたね。それまで建築の世界では、建物が完成したあとのことは重視されていなかったんです。だからこそ、「いかに住むか」に価値を置いた東京R不動産の考え方は新鮮で、自分の目指すべき方向だと思いました。それで就職活動でも、いま世の中にある仕事では一番やりたい方向に近いと考えて、不動産業界に進みました。

    ▲『東京R不動産』

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  • 更科修一郎 90年代サブカルチャー青春記~子供の国のロビンソン・クルーソー 第11回 水道橋から神楽坂へ・その3【第4水曜配信】

    2017-08-30 07:00  

    〈元〉批評家の更科修一郎さんの連載『90年代サブカルチャー青春記~子供の国のロビンソン・クルーソー』、今回は水道橋から神楽坂への3回目です。神楽坂通りを登った善国寺の割烹で豆腐膳を食べながら、90年代のサブカルチャー界隈の裏側を振り返る更科さん。話題は「神憑り」と言われた更科さんの編集技術の源泉へと及んでいきます。
    第11回「水道橋から神楽坂へ・その3」
     神楽河岸を横目に、飯田橋から神楽坂下へ入るとすぐの場所に、かつて「ツインスター」というディスコがあった。  1992年12月のオープン時はジュリアナ東京など、バブル期以来の盛り場であった芝浦ウォーターフロントの大店の影に隠れていたが、90年代中盤になると、ボディコンお立ち台ブームは沈静化し、大店は次々と閉店した。  数少ない大店となったツインスターは、90年代末、パラパラの聖地として脚光を浴びたが、世の流れはユーロビート主体のディスコから、テクノ主体のクラブカルチャーへ移行していた。そのため、パラパラ系のイベントと並行して、コスプレイヤーのダンスパーティーも頻繁に行われていた。  筆者が仕事で神楽坂に足を運んでいたのは、2003年の閉店直前だが、その頃にはコスプレダンパばかり目立つようになっていた。コスプレ文化に依存することで、このディスコは辛うじて生き延びていた。裏を返すと、オタクカルチャーにはバブル期が遅れてやってきていた。
    ■■■
     現在、ツインスターの跡地はフレンチレストランになっているが、神楽坂という街は、小洒落たフレンチやイタリアンがうんざりするほど多い。花街特有の路地を、欧米の街角に見立てているのだろう。脇の小路へ入れば、隠れ家風の店もやたらと多い。  フレンチやイタリアンは好きだが、神楽坂のそれらは、一見で入るには敷居が高い。というか、神楽坂の飲食店の大半は、男が独りで入ることを想定していない。昔からそういう街で、仕事で来ていた頃も、ランチは古い洋食屋や喫茶店で済ませていた。  洋食屋と言えば、ブラッスリー・グーというビストロのランチが美味かったが、矢来町を跨いで箪笥町の方まで足を伸ばさなくてはならない。都営大江戸線の牛込神楽坂駅が近いが、午後の用事は反対側の江戸川橋寄りだ。  陽射しはどんどん強くなる。行って戻るほどの気力はない。  恵比寿に新東記というシンガポール料理の有名店があり、神楽坂にも支店がある。一時期、よく会食で使っていて、海南鶏飯(チキンライス)や肉骨茶(バクテー)をランチで提供していたな、と思い出した。  筆者は老抽(甘い中国醤油)で黒々としているマレーの肉骨茶が好きで、胡椒主体のシンガポール肉骨茶はそれほどではないのだが、念のためスマートフォンで確認すると、2014年で閉店していた。支店は2011年オープンだったから、3年しか続かなかったことになる。  液晶画面の時計表示を見ると、ちょうど12時だった。こうなったら、イチかバチか「宮した」へ行ってみるか。

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  • 【インタビュー】丸若裕俊 茶碗に〈宇宙〉をインストールする(前編)

    2017-08-29 07:00  

    日本の伝統文化の再発見やエコロジーというテーマは、消費社会へのアンチテーゼとしてのライフスタイルの象徴となりつつありますが、実のところそれらは看板を変えた消費主義の一部に過ぎないという問題を抱えています。株式会社丸若屋の代表、丸若裕俊さんは日本の伝統的な文化や技術を現代にアップデートする取り組みをしています。彼の独自性のある仕事はどのような発想から生まれるのでしょうか? 編集長の宇野がお話を伺いました。

    360年の間に変貌してしまった九谷焼との出会い
    宇野 僕が丸若さんの存在を初めて知ったのは、テレビ番組に出演した時でした。事前に制作チームから「皆さんにとって一番カッコイイものを持って来てください」という宿題をもらって、そのときに一緒に出演した猪子さんが丸若さんの作った名刺入れを持ってきたんです。そして先日、その猪子さんの関係で長崎でご一緒させてもらったときに丸若さんについて調べたところ、めちゃめちゃ面白いことやっているなと思ったのがきっかけです。ぜひともお話をじっくりお聞きしたいと思っていました。まず最初に、丸若さんが何者で、なぜ今のようなお仕事をしているのか、というところから説明して頂けますか?
    丸若 僕、生まれは東京なんですけど、家が横浜の中華街や元町のエリアだったんです。なので色々な人種の方が住んでいました。みんな自己主張が強くて、国籍同士の持つ歪みのようなものもありました。たとえば「お父さんは米軍の人だけど、顔を見たことがありません」という感じですね。そういうリアリティがあるところにいたので、物心ついた時からアイデンティティに関心を持っていました。そういう環境にいたこともあって、僕からは西洋文化がすごくカッコよくて自由に見えました。日本とは対極ですよね。学校とかも日本だと「あーせい、こーせい」と上から言われますが、西洋のカルチャーって「何やりたいの? 俺はこれだよ」と聞くようなフラットさや主体性があったから、圧倒的にこちらの方がカッコイイと思っていました。社会人になった時には、アパレルの世界へ行ったんです。僕がやっていたのはDIESELというイタリアのクラフトカルチャーを牽引するブランドです。デニムブランドとして日本でも成長し始めた頃に上メンバーが知り合いだった縁で参加しました。そこで面白おかしく過ごしていたんですけど、ちょうどファストファッションが日本に入って来た時期でもあったんですよ。
    宇野 それっていつぐらいのことですか?
    丸若 ZARAとかが広く普及してきた2006年くらいですかね。これがけっこう衝撃でした。2週間に1回新作が入ってきて、それが2週間後にはセール対象商品になっている。従来のアパレル業界から見れば常識外れもいいところで、もう訳が分からなかったんです。その中で自分の居場所を見失ってしまったというか、アパレルに強くときめかなくなっちゃったんです。もともと放浪癖がある上に、そんな状態になっちゃった。でもお金がないから、海外に行くこともできず、バックパックで日本国内をふらふらすることにしました。
    その時に、ある人に「伝統工芸に興味ある?」って言われて九谷焼の職人さんに会いに行ったことが転機になりました。最初は、美術館に連れて行かれて、そこにあった360年前に作られた器を見た時に、すごくびっくりしました。カルチャー好きだった自分としては、その器のデザインが持つ土着性も相まって半端なくかっこよく見えた。それでそれが欲しいと思ったわけです。連れてきてくれた人に「買いに行きたい」と言って、その直売店に連れて行かれたんですが、お店で売っているものは、さっき見たものと全然違う。最初、ギャグだと思ったほどです。「これじゃなくて、さっきのやつが欲しい」って言ったら「いや、これが今の九谷焼です」って言われてすごくショックを受けました。
    宇野 技術が360年の間にすっかり変貌しちゃったんですね。
    丸若 そうなんです。もう安物っていうか劣化したクローンしかなかったわけですよ。それで、へこみながらもある窯元の所に行ったら、幸いなことに、その窯元さんは僕がイメージしていたような魅力を持っていました。
    伝統文化を殺したのは、ハイカルチャーと近代以降の工業社会
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  • 【特別再配信】京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録 第9回 宇宙世紀と大人になれないニュータイプたち

    2017-08-28 07:00  



    本誌編集長・宇野常寛の連載『京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録』、今回のテーマは1980年代の富野由悠季です。『Zガンダム』『逆襲のシャア』を通して明らかになった「成長物語としてのロボットアニメの限界」について論じます(この原稿は、京都精華大学 ポピュラーカルチャー学部 2016年5月13日の講義を再構成したものです/2016年10月7日に配信した記事の再配信です )。
    「キレる若者」カミーユが迎えた衝撃の結末――『機動戦士Zガンダム』

    (画像出典)
     『ガンダム』に端を発した第二次アニメブームは1980年前半で沈静化し、ブームを盛り上げたアニメ雑誌の文化も衰退してしまいます。理由は色々ありますが、まずひとつはヒット作があまり続かなかったこと。そしてもうひとつ大きかったのは、少年たちの支持がジャンプを中心とした大手マンガ雑誌の人気作品のアニメ版へと移っていったことが挙げられます。そうなるとアニメ雑誌も人気作を中心にした特集が組みにくくなり、1985、6年頃にはどんどん潰れてしまったわけです。 そういった状況だったので、アニメファンの間では再びブームの中核になる作品の登場が待ち望まれていました。要するに「『ガンダム』の続編を作ってくれ」という声がアニメ業界やファンのあいだで大きくなっていたんです。そうした声を受けて制作されたのが、初代『ガンダム』の直接の続編である『機動戦士Zガンダム』(1985年放送開始)でした。 『Zガンダム』の舞台は、『ガンダム』の一年戦争から7年後の世界です。初代『ガンダム』放映後に流れた現実世界の年月とだいたい同じ年数が経っているという設定です。前作の主人公であるアムロやそのライバルのシャアも登場し、みな年をとっています。これは当時としてはすごく斬新でした。前の戦争で「ニュータイプ」というある種の超能力者として覚醒し、地球連邦軍のエースパイロットに成長したアムロは、その能力を政府から危険視されて閑職に回され、屈折した人間になってしまっているんです。前作で成長したはずの主人公がいじけた大人になってしまっているというのはなかなか衝撃的ですよね。富野由悠季は「実際に宇宙世紀に生きていたら登場人物はこうなっているはずだ」というシミュレーションをここでも徹底しています。 『Zガンダム』では新しく設定された主人公、カミーユ・ビダンという高校生の少年が、前作のアムロと同様に戦争に巻き込まれ、成り行きでガンダムに搭乗して戦っていきます。どういうストーリーなのか、第1話の映像を観ていきましょう。

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  • 【新連載】宇野常寛『汎イメージ論 中間のものたちと秩序なきピースのゆくえ』第一回 中間のものについて(1)【金曜日配信】

    2017-08-25 07:00  

    今回から、本誌編集長・宇野常寛による連載『汎イメージ論 中間のものたちと秩序なきピースのゆくえ』が始まります。<ズートピア>のジュディが語った「現実は厳しい」という言葉が指し示した、グローバル/情報化を支える多文化主義とカリフォルニアン・イデオロギーの敗北。まずはその理由について論じます。 (初出:『小説トリッパー』2017夏号)
    1 ウサギのジュディと二〇一六年の敗北
    Real life is messy. We all have limitations. We all make mistakes. Which means―hey, glass half full!―we all have a lot in common. And the more we try to understand one another, the more exceptional each of us will be. But we have to try. So no matter what type of animal you are, from the biggest elephant to our first fox, I implore you: Try. Try to make the world a better place. Look inside yourself and recognize that change starts with you. It starts with me. It starts with all of us.
     その日、ウサギのジュディは言った。「現実は厳しい」と。「私たちには限界がある。私たちは間違いを犯す」と。そしてだからこそ「楽観主義が必要だ」と。「私たちには共通点がある。お互いを知れば、お互いの違いも明らかになる。だからこそお互いを知る必要がある。自分がどんな人種でも。大きなゾウでも、そしてズートピア警察初のキツネでも」
     これはウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオのアニメ映画〈ズートピア〉の結末でヒロイン(ウサギのジュディ)が行う演説の一説だ。
     ジュディの言う「厳しい現実」とは何か。それは二〇一六年に私たちが直面していた現実そのものだ。巨大なゾウから小さなネズミまで、そしてウサギのような草食動物からキツネのような肉食動物まで、じつに様々な動物が共存する夢の街〈ズートピア〉――それは多文化主義の理想を追求した今日の欧米社会そのものであり、そして映画の中で〈ズートピア〉を襲った危機――種の間に発生した憎悪を原動力にしたマイノリティの排斥運動――とは、世界のあらゆる場所でその反動が噴出したこの二〇一六年に私たちが直面していた危機そのものだった。
     アニメの中でウサギのジュディは〈ズートピア〉の理想を守るために奮闘する。自らの内なる偏見に向き合い、それを克服し、相棒の肉食動物(キツネのニック)と協力して種の対立を扇動する政治家と対決し、その陰謀を暴き出す。そして事件は解決しハッピーエンドを迎えた物語の結末で彼女は改めてこう述べるのだ。「現実は厳しい」と。
     実際に現実は厳しかった。〈ズートピア〉が公開された数カ月後にイギリスの国民投票はEUからの離脱を支持し、そしてさらにその数カ月後には、人種間に「壁を作れ」と扇動して恥じないドナルド・トランプがディズニーを産んだアメリカ合衆国の第四十五代大統領に就任したのだ。そう、この〈ズートピア〉は近年の欧米に台頭する排外主義の、グローバリゼーションへのアレルギー反応に対する政治的メッセージを前面に押し出した作品だった。
     広く知られている通りディズニーのアニメーションは戦中戦後に政治的なプロパガンダとして利用された歴史がある。これらの作品でナチスの軍需工場での強制労働の悪夢にうなされ、日独への敵対心と殲滅の必要性を説くドナルド・ダックの姿を目にすれば、今日を生きる人々の多くは驚愕するはずだ。このとき、映像は、劇映画は、アニメーションは、現実からまだ充分に独立していなかった。
     しかし、七十年後にディズニーのアニメは決定的に現実と対決していた。しかも、そこでアニメが戦っていたものは違った。それは外側ではなく内側から生まれた敵だった。だからこそウサギのジュディは「私たちには限界がある。私たちは間違いを犯す」と、自分たちに言い聞かせなければならなかったのだ。
     しかし、ウサギのジュディの願いも虚しく、現実は逆方向に舵を切った。〈ズートピア〉の理想は敗北したのだ。
     そう、二〇一六年は人類にとって二つの意味で敗北の一年だった。
     このとき人々が経験したのは、前世紀の人類がたどり着いた一つの理想(多文化主義)と、今世紀の人類が期待する最大の理想(カリフォルニアン・イデオロギー)の敗北だった。多文化主義とカリフォルニアン・イデオロギー、これらはグローバル/情報化を支える両輪であり、それぞれ政治的アプローチ(多文化主義)と経済的アプローチ(カリフォルニアン・イデオロギー)をもって、それらを実現するための思想だった。
     しかし、この二つの理想はいま、危機に瀕している。グローバル/情報化はかつての先進国と後進国の格差を決定的に縮小する一方で、それと引き換えにそれぞれの国内の格差を拡大していく。平均的なアメリカ人と平均的なソマリア人との格差は(相対的には)大きく縮小されたその一方で、アメリカ人同士の格差はこれまで以上に拡大する。こうして、多文化主義の甘い理想は摩擦の大きな移民社会の現実に裏切られ、カリフォルニアン・イデオロギーに基づいたイノベイティブな情報産業の世界展開は二〇世紀的な工業社会に置き去りにされた人々を遺棄しつつある。その結果として、世界中でグローバル/情報化に対するアレルギー反応が噴出する。精神的にも、経済的にも、まだ国民国家という名の境界のある世界を必要とする人々の怨嗟がいま、世界中を覆い尽くそうとしているのだ。
     そしてこの巨大な反動は、まさに多文化主義とカリフォルニアン・イデオロギーを牽引してきた二つの「先進国」で顕在化した。EUからの離脱を支持したイギリスの国民投票、そしてドナルド・トランプに勝利を与えたアメリカ大統領選挙――これらはいずれもグローバル/情報化に対する世界規模でのアレルギー反応の噴出であり、そしてなし崩し的に実現されつつある「境界のない世界」への反動だった。これが、二〇一六年の敗北だ。
     そう、「境界のない世界」はいま、敗北しつつある。特にカリフォルニアン・イデオロギーにとって、これは最初のつまずきであったと言っても過言ではないだろう。

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  • 本日21:00から放送☆ 今週のスッキリ!できないニュースを一刀両断――宇野常寛の〈木曜解放区〉2017.8.24

    2017-08-24 15:00  

    本日21:00からは、宇野常寛の〈木曜解放区 〉生放送です!
    〈木曜解放区〉は、宇野常寛が今週気になったニュースや、「スッキリ!!」で語り残した話題を思う存分語り尽くす生放送番組です。
    時事問題の解説、いま最も論じたい作品を語り倒す「今週の1本」、PLANETSの活動を編集者視点で振り返る「今週のPLANETS」、週替りアシスタントナビゲーターの特別企画、そして皆さんからのメールなど、盛りだくさんの内容でお届けします。
    ★★今夜のラインナップ★★メールテーマ…「出身地について」アシスタントナビゲーター特別コーナー…「井本光俊、世界を語る」 and more…
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    ▼出演者
    ナビゲーター:宇野常寛
    アシスタントナビゲーター:井本光俊(編集者)
    ▼ハッシュタグ
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  • 犬飼博士 安藤僚子 スポーツタイムマシン 第4回 「絶対カワイイものつくる! オープンに向け結集した山口の地元力」【不定期連載】

    2017-08-24 07:00  


    山口に新しいeスポーツのための装置「スポーツタイムマシン」を作った犬飼博士さんと安藤僚子さんのタッグが、制作当時を振り返る連載『スポーツタイムマシン』。今回の執筆は安藤さん。2013年6月23日、犬飼さんよりも先に山口入りした安藤さんは、7月6日の初日に向けて設営を開始します。「カワイイ」ものを作りたいという安藤さんの思いに、地元の人の力がどんどん集まってきます。

    こんにちは。安藤です。前回は犬飼さんが、主に東京で開発されたスポーツタイムマシンのデザインやプログラムの事を書きましたが、今回は私が山口での制作の話を書きます。スポーツタイムマシン4回目の連載は、4年前の2013年6月23日、3回目の山口入りのことから書きはじめます。この日から、スポーツタイムマシンのオープンまで、いよいよ山口での滞在制作のスタートです。
    滞在制作スタート! ライバル(?)たちの動向を横目に
    YCAMへ着くやいなや、すぐに2年前の山口国体のメイン会場だった維新百年記念公園陸上競技場へ移動。山口市の職員で陸上スポーツ少年団のコーチをしている金子さんが県にかけあってくださり、国体で使った陸上用床材を貸していただけることになりました。維新百年公園は山口県の施設で、YCAMからも車で10分くらいのところにあります。最初に山口を訪れた時、地元の人がスポーツする場所を見学したいと思い、犬飼さんと見学に来た場所でした。レノファ山口FCの試合も小学生の陸上競技大会をリサーチしに来たのもこの公園です。 前回2回目の山口滞在では、足りないお金を工面するために山口中を駆け回ってました。募金箱を首から下げて歩き、とにかくいろんな人を紹介してもらい会って話し、お金だけでなく人材や機材の提供もお願いを続けていました。
    6月17日ブログ「スポーツタイムマシンを一緒につくろう!」 
    その成果が、山口県から国体で使った床材をお借りできるということにつながり、幸先の良いスタートとなりました。OPENまであと2週間、久しぶりに戻った山口市の街中を歩くと、YCAM10周年記念祭が始まる前のソワソワとした気配が感じられました。スポーツタイムマシンの会場がある山口市中心商店街には、外灯にフラッグが吊り下げられ、いたるところにポスターが貼られています。おなじLIFE BY MEDIAの出展仲間のブースも着々と建設されていました。 
     LIFE BY MEDIAでは、私たちを含め3組の作家が選ばれました。 そのうちの一人が、西尾美也さん。ナイロビにアーティスト留学の経験を持ち「服」をテーマに活動しているアーティストです。 様々な芸術祭でよく名前を目にするくらい活躍しており、滞在型制作に慣れた先輩アーティストという印象でした。山口では、市民の人から要らなくなった服を集めて、服の貸し借りができるパブリックなワードローブを作る「パブローブ」という作品の制作でした。 会場は商店街の中心的存在、井筒屋百貨店の目の前の広場でした。西尾さんはまだ山口入りしておらず、作品を展示する為の木造の屋台やポスターなどの制作は、YCAMスタッフが手配をして、彼が来なくとも既に出来上がっていました。3組とも同じ予算での制作です。与えられた、限られた予算の中で、無駄な行動や出費をしないで効率よく制作を進めている様子が伝わってきました。
    西尾美也「パブローブ」ウェブサイト
    一番乗りで山口入りしていたのは、深澤孝史さん。深澤さんも、様々な芸術際での滞在制作を手掛けているアーティストです。 お金ではなく自分の得意なことを銀行に預けて、預けた人同士が、得意なことを貸し借りできる「とくいの銀行」という作品です。西尾さんの会場のすぐ斜め前の、小さくてきれいな空き店舗が会場でした。店内を覗くと、店舗を銀行の支店に見立てるべく、深澤さんと地元の人で内装の準備を着々と進めていました。
    深澤孝史「とくいの銀行」ウェブサイト
    滞在制作に慣れている2人と比べ、アーティストとして新参者の私たちスポーツタイムマシンは、無駄に動き足掻いているだけで、まだ何も出来上がっておらず、ずいぶん置いていかれている気持ちでした。
    東京を出る前、念のためブログでこんな呼びかけをしておきました。
    6月18日ブログ「【募集】山口で会場づくりを手伝ってくれる人!」
    スポーツタイムマシンの会場に着き、東京から送った荷物を下しYCAMの町中展示担当の伊藤友哉さんが帰ると、何もない広い会場にポツンと一人投げ出された気持ちになりました。何からすれば良いのか…。とりあえず段ボール箱を机にPCを立ち上げ、ひとりでブログを書きました。 誰か手伝ってくれる人が入ってくるかもしれないという期待から、わざと入口近くに座っていましたが、通りすがりのおばあさんが「何か出来るのか?」とのぞき込んでくるだけでした。明日から本格的に現場施工の開始です。
    本当に誰か来てくれるのだろうか? 前回山口に滞在した時にお会いして手伝いのお願いをした人たちは、本当に来てくれるのだろうか? 不安と孤独感でこの日を終えました。
    少しずつ現れ始める山口コミュニティの底力
    6月24日(月)、現場初日。 午前中に訪ねてくれたのは、舞台照明を専門に施工しているottiの伊藤馨さんと秦電機工業の秦睦雄さんの2名。どうしてもプロでないとお願いできない、壁づくりと電気配線の作業は事前に伊藤さんに依頼していました。 プロが2名も居るとさすがに心強く、サクサクと明日からの工事の段取りの打ち合わせが進みました。しかし、私たち以外に、元々100円ショップだったこの空き店舗に映像とかけっこが出来るスポーツのタイムマシンができるなんて誰も分からないだろう、という不安は拭えません。少しでも町の人に気づいてもらいたい、関わりを持ちたい。手書きの「スポーツタイムマシン建設現場工程表」を表に貼り出し、模型と、手伝ってくれる人募集のチラシを置いて、中の工事の様子の見える化を試みました。

    ▲スポーツタイムマシン建設現場工程表

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  • ジョシュア・ウォン×周庭「香港返還20周年・民主のゆくえ」前編

    2017-08-23 07:00  


    香港の社会運動家・周庭(アグネス・チョウ)さんの連載『御宅女生的政治日常――香港で民主化運動をしている女子大生の日記』。今回は2017年6月14日に東京大学駒場キャンパスで行われた講演「香港返還20周年・民主のゆくえ」の内容をお届けします。立教大学の倉田徹教授の解説のもと、ジョシュア・ウォンさんと周庭さんが、民主を求める香港の学生によるここ5年間の活動について語りました。(構成・翻訳:伯川星矢)
    ※文中の役職は、講演当時のものです。

    倉田 本日は多数のご来場ありがとうございます。こんなに人の入った講演会でお話をすることは滅多にありませんが、もちろん皆様のお目当ては私でないことは、よく承知しています。

    会場 (笑)。
    倉田 こちらにいらっしゃるのは黄之鋒(ジョシュア・ウォン)さんと周庭(アグネス・チョウ)さんです。香港衆志という政治団体で幹部を務めていらっしゃいますが、ジョシュアくん
  • 福嶋亮大『ウルトラマンと戦後サブカルチャーの風景』第三章 文化史における円谷英二 3 プロパガンダと新しい知覚(2)【毎月配信】

    2017-08-22 07:00  

    文芸批評家・福嶋亮大さんが、様々なジャンルを横断しながら日本特有の映像文化〈特撮〉を捉え直す『ウルトラマンと戦後サブカルチャーの風景』。政治性と距離を置き、徹底的に技術を志向した円谷英二はそれゆえに「あどけなさ」や「子供」の目線を持っていました。それらはやがてウルトラシリーズへと繋がっていくこととなります。
    主体なき技術者のあどけなさ
     今日の私たちは国策映画に対して強い警戒心を抱くし、それは当然である。ただ、国策映画を愛国的イデオロギーの権化としてむやみに悪魔化するのは、認識を曇らせるだけだろう。戦時下において、国家は映画や写真のテクノロジーを収奪したが、技術者も国家を表現の場として利用した。そして、この国家と技術者の共犯関係のなかでときにジャンルの越境も生み出される。国策映画はジャンル間のコミュニケーションの場でもあった。
     現に、戦争と美術と言えば必ず名前のあがる一八八六年生まれの画家・藤田嗣治も、円谷の特撮と無関係ではなかった。藤田は戦時下に多数の戦争画を手掛けたが、真珠湾攻撃の場面を描くにあたって『ハワイ・マレー沖海戦』の巨大なオープンセットを頻繁に見学に訪れていた。監督の山本嘉次郎は「秋の陽の、カッカと燃えるようなオープンで、藤田画伯は例のオカッパ頭に大きな経木製の海水帽子をかぶり、毎日毎日、作りものの真珠湾の写生をしていた」と述懐し、こう続けている。
     水深は、人間の腰の上くらいまである。満々とたたえられたプールの水面に、赤トンボが沢山飛んで来て、卵を産みつけていた。その赤トンボを食おうとして、ツバメが襲って来る。このミニチュア(模型)の比率からすると、赤トンボが丁度戦闘機の大きさになる。その戦闘機が爆撃機に食われまいとして、壮絶快絶の一大空中戦が、ニセ真珠湾の上で演じられていた。  それをオカッパの藤田さんが、無心に描いている後姿はまことにアドケないものがあった。[13]
     国策映画であったにもかかわらず、海軍が『ハワイ・マレー沖海戦』の製作への協力を渋ったため、円谷たちはやむなくアメリカのグラフ誌に載った情報をもとにオープンセットを作った。敵国の雑誌のイメージを複製したこの「作りものの真珠湾」をさらに「写生」して描かれた藤田の《十二月八日の真珠湾》(一九四二年)はまさに複製の複製、シミュレーションのシミュレーションに他ならない。しかも、この絵画作品では敵も味方も姿が見えず、ただ真珠湾中央に白い水柱が爆撃の結果として屹立し、その周辺に煙が立ち上るだけである(この構図は海軍省報道部提供の真珠湾写真の「視覚的追体験」でもある[14])。藤田は文字通り「人間不在」の特撮のオープンセットを忠実に写生したのだ。そのせいで、本来最もドラマティックであるはずの太平洋戦争開戦の場面は、人間を介さない静かな自然現象のようにも見えてくる。
     そして、この何重にもメディア化・仮想化された複製芸術家・藤田嗣治の根底に「あどけなさ」があったという山本嘉次郎の観察は、彼の戦争画の特性を図らずも鋭く言い当てていた。例えば、美術評論家の針生一郎は、戦争画を量産した藤田のことを辛辣に批判している。
    おそらく、戦争はこの精神不在、技術至上の画家にとって、第一に、題材と技法の拡大をもたらす点で、第二に、権勢欲と弥次馬根性を満足させてくれる点で、わくわくするような昂奮の的だったのだろう。藤田の仕事はすでにレディ・メイドだから、どんなオーダー・メイドでも利くのだ、と当時語った木村荘八の言ほど、適切な批評はないだろう。[15]
     メディアの寵児であった藤田は、すでに川端の『浅草紅団』にも「パリジェンヌのユキ子夫人」同伴でカジノ・フォーリーのレビューを見学に訪れる「パリイ帰りの藤田嗣治画伯」として登場しており、新感覚派のメカニズムの文学とも早い段階で交差していた。岡崎乾二郎が指摘するように、藤田は「受動的」なメディウム(霊媒)として「自分自身の身体さえ環境のひとつ」にしてしまった主体なき画家だが[16]、この巫女的アーティストとしての藤田が、メディアと機械の形作る戦時下の「メカニズム」において誰よりも輝いたのはある意味で当然である。

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