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記事 22件
  • 週刊 宇野常寛のラジオ惑星開発委員会~6月23日放送Podcast&ダイジェスト! ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.103 ☆

    2014-06-30 07:00  
    220pt

    週刊 宇野常寛のラジオ惑星開発委員会~6月23日放送Podcast&ダイジェスト!
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.6.30 vol.103
    http://wakusei2nd.com

    毎週月曜日のレギュラー放送をお届けしている「週刊 宇野常寛のラジオ惑星開発委員会」。前週分の放送のPodcast&ダイジェストをお届けします。
    6月23日(金)21:00~放送
    「週刊 宇野常寛のラジオ惑星開発委員会」
    ▼6/23放送のダイジェスト
    ☆オープニングトーク☆
    ついに発売になった宇野の新刊! 『静かなる革命へのブループリント』という書名はもしかしたら『ここにだって天使はいる』になっていたかもしれなかった!?
    ☆ムチャぶりスケッチブック☆
    いろんな話題からニコ生アンケートでテーマを決定! 「AKBの握手会でおきた事件をめぐる報道」と「濱野智史さんプロデュースのアイドルPIPについて」の二本をお届けします。
    ☆48開発委員会☆
    僕とあなたのオタ活報告のコーナー。今回はスキャンダラスなメンバーの、SNSの使い方について語ります。
    ☆今週の一本☆
    宇野常寛が最近触れた作品について語るコーナー。『グランド・ブダペスト・ホテル』の、ちょっと気になる言い訳がましさとは?
    ☆ムチャぶりスケッチブック☆
    「女性都議へのセクハラやじ問題」について。21世紀的な感覚ではありえないような差別的な考えをもつオッサンは、マンガ『クローズ』主人公の坊屋春道に学べ!
    ☆延長戦トーク☆
    48開発委員会でも話題になった「アイドルとスキャンダル」について。

     
     
  • 帰ってきた『哲学の先生と人生の話をしよう』 第3回テーマ:「職場内の人間関係に関する悩み」 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.102 ☆

    2014-06-27 07:00  
    220pt

    帰ってきた『哲学の先生と人生の話をしよう』
    第3回テーマ:「職場内の人間関係に関する悩み」
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.6.27 vol.102
    http://wakusei2nd.com


    これまでの連載はこちらから
     

    ▲國分功一郎『哲学の先生と人生の話をしよう』朝日新聞出版
     
    一昨年よりこのメルマガで連載され大人気コンテンツとなり、
    書籍化もされた哲学者・國分功一郎による人生相談シリーズ
    『哲学の先生と人生の話をしよう』。連載再開第3回となる今回のテーマは「職場内の人間関係に関する悩み」です。社内の非効率な運営に抗うために必要なものと、職場の同僚に恋してしまったときに取るべき行動には、ある共通点があった――?
    それでは、さっそく今回寄せられた4つの相談を紹介していきましょう。




    ■匿名希望 23 女性 東京 IT会社のOL
     
    はじめまして。都内のIT会社に勤めている者です。
    昨年の末に今の会社に就職しました。周囲は若い人が多く、華やかな職場です。
    そのせいか、男性の同席する飲み会に誘われることが多く、困っています。
    私は世間話をするのがあまり得意ではなく、大勢で盛り上がるのも苦手です。
    どちらかといえば、好きな映画の話や、今何が流行っていて、どんなものが面白いかを延々話しているのが好きです。
    飲み会で真面目な話を始めると大抵顰蹙をかいますし、ぱーっと盛り上がって馬鹿みたいに騒ぐのは実りがなくて虚しく思ってしまいます。
    かといって、同席している男性と真面目な話をひっそりと始めると、好意を持っているように取られて面倒です。
    若くて華やかな女の子がいるだけで良いからと頻繁に声をかけられるのですが、そんなことに時間を割きたくないのにな……と落ち込んでいます。
    それより家に帰って映画を見たり書き物をするのに時間を使いたいのですが、職場の女の子からは「モテるのは今の時期だけだよ。今遊ばないでどうするの?」と冷ややかな目で見られてしまいます。
    何かと理由をつけては飲み会を断っているのですが、日に日に社内のチームの中から浮いてしまって、少し居心地が悪いです。(女子しかいない少数の仲良しチームで、私が一番年下です)
    男性の話ばかりするチームの人たちと少し距離を取りたいのですが、同じチームの中でどのようにふるまったら淡々と仕事に集中できるようになるのかな、と悩んでいます。
    小さな悩みかもしれませんが、ご助言いただければ嬉しいです。よろしくお願いいたします。
     
     
    ■illbevivi  22 男性 埼玉県 会社員
     
    國分先生、はじめまして。いつも様々な媒体での書き物を拝読させて頂いております。突然ですが、今回私が相談させて頂きたいことは、職場の同期社員に対する恋愛感情への対処法についてです。
    私はこの春大学を卒業し、就職した新社会人の男です。
    慣れない社会人生活に四苦八苦しながら、少しずつ仕事に楽しさを感じ始め、何とか今日までやってこれています。
    そんな生活の中で、同じ会社の同期社員の女性を好きになってしまいました。
    彼女は誰に対しても平等に接し、正直に不器用に、一生懸命に生き、よく笑う方です。そんな彼女の笑顔は周りの人間を知らず知らずのうちに惹きつけ、彼女はいつも人の輪の中心にいるような子です。
    そんな彼女の魅力にすっかり虜になってしまった私は、戸惑いのあまり、出会って日も浅いというのに想いを伝えてしまいました。(大学在学中から交流はありましたが、知り合ってから9ヶ月程度です。)
    私の告白を彼女は真摯に受け止めてくれましたが、会社というコミュニティの中で恋愛関係を持つことは避けたい、本当に信頼出来るパートナーとしか男女の関係にならない、とお断りされてしまいました。
    それからの二人の関係は以前の関係に戻りましたが、しかし、以前よりも互いに心を開くようになったと思います。
    二人の間でしか話せない愚痴や相談もし合うようになり、心を許してくれたのではないかと思います。
    そして時折好意を持たれているのではないか、という態度をされることも多くあります。私に「好き」と言わせるために意地悪な質問をしたり、私が彼女と仲の良い先輩社員に嫉妬してしまっていたら、その社員との関係を否定してきたり、都合良く解釈すれば、好意があるようにしか思えない態度です。しかし、事あるごとにあくまで友人だと釘を刺されてしまうのです。
    確かに彼女は誰に対しても平等に接する方で、誰に対してもいわゆる「思わせぶり」な態度を無意識にとってしまう方なので、仕方がないのだとは思います。
    そんな彼女と、近づきすぎず離れない、いびつな関係のまま、ここ数週間を過ごしています。
    こんな関係のせいか、職場でも彼女のことばかり意識してしまい、仕事に集中出来ない日ばかりです。そしていつも人の輪の中心にいる彼女に対して、嫉妬心すら覚えてしまうことも多々あります。
    私としては、仕事に集中するためにも早くこの不確かな感情、関係を処理してしまいたいと思います。
    しかし今再び想いを伝えて男女の仲になることを望めば、拒否されてしまうでしょう。このまま自分の気持ちを押し殺す選択も出来るのかもしれませんが、耐えられる自信がありません。
    やはり彼女がパートナーを選ぶ条件として望むように、本当に信頼出来るパートナーになるべく努力するしかないのでしょうか。
    人に信頼される、人を信頼するとは、どのようなことなのでしょうか。
    信頼とは、そもそも何なのでしょうか。
    是非國分先生のお知恵をお借り出来ないでしょうか。よろしくお願いいたします。
     
     
    ■たまこ 20代 女性 東京都 会社員・事務
     
    國分先生、はじめまして。
    私は繊維関係の会社で内勤をしています。今年から社会人になりました。
    職場にクソムカつく女性の先輩社員がいるのですが、この人と今後数十年にわたりうまくやっていく自信がありません。先日からその先輩は産休に入られているのですが、彼女が産休を終えて戻ってくる一年後までに、転職したいくらいの気持ちです。
    何がムカつくかというと、まず初日から嫌にキツい。無駄に厳しい。入社初日にいきなり作業を任されて、ビクビクしながらやって見せたら「殆どダメ」…ったりめ~~だろがぁ!?!…と、言いそうになりました。
    入社後一ヶ月経たない新入りに対して、「全体を見て行動しろ」「パートさんがやりやすいように気を配れ」だのいきなり言われて、それは自分の指導力の乏しさと怠慢を棚上げしてるんじゃないか…と、つい、恨みつらみを述べたくなってしまいます。
    私に甘えがなかったとは言い切れないのですが…。
    先輩社員が復帰してきた際に、私はどういう気持ちで迎えればいいのでしょうか。
    アドバイスをいただけたら嬉しいです。よろしくお願いします。
     
     
    ■ピッピちゃん 20代 女性 埼玉県 学校教員
     
    はじめまして。私は教員の仕事をしている20代です。
    今年から新しい学校に配属されることになりました。
    いまの学校では、細かいことにこだわる上司が多くて窮屈です。おおらかな先輩も少数ながらいらっしゃいますが、彼らの発言は軽視されてしまいがち。私はどちらかといえば大雑把な性格なので毎日しんどいです。
    たとえば、賞味期限切れのヨーグルトが冷蔵庫の中にあっただけで、朝礼で「食中毒が広まったらたいへんだ」と注意されたりします。
    また、仕事の性質上残業代がつかないのですが、『残業して遅くまで頑張ってる人は偉い』的な空気がどことなくながれており、だらだら残ってる人が多くて先に帰りづらいです。
    そして『自分を追い込むこと』に酔ってる方が多く、精神疾患で休職する方が多いのにも頷けます。
    子どもたちと触れ合うことはとても楽しいのですが、職員室の人間関係がとてもたいへんで、憂鬱な日々を送っています…。
    なんとかやり過ごすアドバイスがあれば教えていただきいと思い、ご相談しました。どうぞよろしくお願い致します。
     どうも、國分です。
     「職場内の人間関係」をテーマに相談を募集しました。僕としては組織の問題、業務を円滑に進めるための組織運営の課題など、そういったことが相談として寄せられるのを予測していたんですが、ふたを開けてみると、そうななりませんでしたね。「ちょっとビジネスっぽいのもいいだろう」と思って出したテーマだったんですけど、やはり人が悩むのは、ビジネス的なことより、パーソナルなことなんでしょう。
     でも、とりあえずはいつものように、最初に考えていたことを書きますね。相談にお答えするにあたっては全然役に立たない話かもしれないんですが、職場の問題として僕が考えていたのは、実は民主主義のことです。
     最近、大きな流れとして民主主義は劣勢にあります。評判が悪い。「民主主義」という言葉そのものを挙げてこれを叩いていなくても、民主主義的な運営方法・決定方法そのものは、様々な場面で攻撃されています。その際、根底にある考えというのは次のようなものです。
     民主主義的に皆の意見を汲み上げて決定を下すやり方は時間がかかるし、効率が悪い。それよりも、トップにいる者が決定を下す方が効率よく状況に対応できる。したがって、トップに判断の権限を集中させることは、民主主義という尊重されるべき建前こそ蔑ろにされるものの、組織を効率よく効果的に運営することにつながる…。
     こんな考えですね。
     僕はこの考えが間違っていると思うんですけど、それは「民主主義が大切だ!」「民主主義を蔑ろにするとは何ごとか!」といった教条主義的な民主主義信仰から言うのではありません。全然視点が違うんです。僕のは
     「あのさ、トップに判断を任せれば効率よくなるなんて、本当考えていることの数が少ないよね。そういうことやってたら効率悪くなるってことも分かんないの?」
     って発想なんです。つまり、効率的な組織運営を目指すならば、やはり民主主義的にならざるを得ないという発想です。そう発想する理由はいくつかありますが、いずれも簡単なことです。
     まず、トップが何でも勝手に決定を下していたら、その決定に従わされる方はどう思うでしょうか。もちろん気にくわないわけです。自分たちの意見を聞いてもらえないのだから、やる気がなくなるわけです。いかなる組織運営もモラール[目的を達成しようとする意欲や態度のことで、道徳意識を意味するモラルとは区別されます]の問題を無視できない。特に経営というのはそういうところに細心の注意を払って行われるし、経営学ではモラールを高い水準で保つかについてたくさんの研究の蓄積があります。そういう経営あるいは経営学的な視点が全く欠けているのに、まるで自分がビジネス的センスを持っているかのように錯覚した人間が抱くのが、先のような「トップダウンの方が効率的」という短絡的発想です。
     次にトップに立つ者の限界があります。トップに決定権を集中させると、その人間が独裁的になることが考えられ、またそれがしばしば批判されます。確かにそういうこともあります。しかし、現実に最も多く起こるのは、一人の人間が独裁的になるというより、その人間の周囲にいる取り巻きが、分野ごとにバラバラに勝手な決定を下すようになるという事態です。
     一人の人間にできることは限られています。権限ならばどんな人間にもいくらでも付与できますが、しかし、その権限を使いこなす能力をその人間に付与することはできません。強大化した、あるいは肥大化した権限は、はっきり言って誰にも使いこなせない。するとどうなるか。その人は周囲に相談します。そして周囲にいる人間が事実上の決定を下すようになるのです。「あなたにこの件は任せる」となって、もはや相談すら行われなくなることもしばしばです。
     そうした事態が増えていくと、各分野で行われる決定のプロセスに、もはや最終責任者であるトップの人間すら全く関われないようになってしまいます。しかも、形の上ではトップが決めていることになっているのだから、この事態をルールや権限に基づいて批判し、是正することもできない。アナーキーに近い状態が訪れることになるのです。しかも、事実上の決定者は各分野に別々に活動しているから全体のことを知りません。自分の見えている範囲の情報だけで決定を下すようになる。効率的な全体の運営が損なわれることは言うまでもありません。
     三つめは失敗に関わることです。人は必ず失敗します。間違えます。そうした時には、失敗したり、間違えたりした人間は責任を取らなければなりません。すなわち、何らかの不利益を甘受しなければならない。責任を担うに際して与えられた地位からの降格などが、そうした甘受すべき不利益の代表です。ところが、もちろんそれは不利益ですから、蒙りたくないわけです。隠したり、ごまかしたりできるなら、そうしたいわけです。そして、隠したり、ごまかしたりするのに十分なだけの権限がその人間に与えられていたらどうするでしょうか。隠したり、ごまかしたりするでしょう。やりたくて、できるなら、やるんです、人間は。
     しかし、そこで隠されたり、ごまかされたりしたのは、失敗であり、間違いです。それは何らかの不利益を組織の全体に及ぼすから失敗であり間違いであるわけです。では、それを隠したり、ごまかしたりしたらどうなるか。その不利益が是正されずに、そのまま残り続けることになります。一度、隠したり、ごまかしたりした人間は、もうそれを止められません。ですから、同じことは繰り返されます。隠され、ごまかされた失敗ないし間違いは、最終的に累積し、組織に壊滅的な打撃を与えることになるでしょう。分かりやすい例は粉飾決算なんかですね。
     哲学者のハンナ・アレントが、ベトナム戦争時におけるアメリカ政府の政策決定過程を詳細に調査したCIAの秘密報告書「ペンタゴン・ペーパーズ」という文章を分析しているんですが(「政治における噓」、『暴力について』〔みすず書房〕所収)、その中に笑えない話が出てきます。ベトナム戦争遂行を支える理論として当時、「ドミノ理論」というのがありました。一つの国が共産主義化すると、周辺の国々もドミノを倒すように共産主義化するという理論です。僕もそういう理論に基づいてベトナムの共産主義化を阻止するという理由でベトナム戦争が行われたのだと思っていました。
     ところがCIAが作成した「ペンタゴン・ペーパーズ」によると、政府内で「ドミノ理論」などというものを信じていたのはたった二人だけだったというのです。どういうことでしょうか。これは、泥沼化してもうどうしようもなくなった戦争に、もっともらしい理由を与えるためにでっち上げられた理論に過ぎなかったということです。噓に噓を重ねて続けられた戦争は、その噓を更に続けるための理論まで生み出したのです。
     他にもいくらでも理由を挙げることができますが、トップに権限を集中することが組織運営の非効率化をもたらすというのは明らかです。というか、絶対王政の時代にそのやり方がどうしようもない事態を生み出し、それに対する反省から民主主義も出てきたのです。歴史的にこっちの方がいいという考えで採用されてきたものなのです。
     民主主義は公開性を原則としています。様々なデータを原則的に民衆に公開するということです。そこから決定に至るまでには時間がかかります。しかし、長い目で見れば、このやり方こそが、組織の効率的運営を生むのです。「トップに判断の権限を集中させることは、民主主義という尊重されるべき建前こそ蔑ろにされるものの、組織を効率よく効果的に運営することにつながる」などと言っている人間は、歴史も現場もビジネスも分かっていないのに自分が現実を知っているかのように振る舞っているという意味で、ある種の中二病にかかっているようなものです。
     そしてこうした判断の愚かしさは、仕事の現場にいれば、非常に強く実感できることであろうと思います。上が勝手に物事を決めていたら、誰でもイヤになります。権限がトップに集中すると取り巻きが強い影響力を持つようになります。失敗をごまかせるのはもちろん、権限が過剰だからです。モラールを高め、組織全体を考えた決定を下し、失敗の隠蔽を避ける、そのためには公開性に基づいた民主主義的な運営がはやり必要です。それがあればすべて問題なく事が運ぶという意味ではありません。そうではなくて、いかなる場合も、民主主義的な運営を基礎とし、その上で事業や運営に全力で取り組まねばならないということです。
     さて、ここまで読んできて、「恋愛とか嫌な上司とかいわゆる付き合いの悩みに答えるのに何の役に立つんだよ」と思われた方も多いと思います。僕も最初は「毎回、最近考えていることを書くことにしているから、まずはとりあえず書くか」という気持ちで書き始めました。しかし、書いているうちに一つのことに気がつきました。そしていま書いたことは実は無意味ではないという考えに至りました。
     今回の四つの悩みに共通しているのは、自分に対する自信のなさではないでしょうか。自分には飲み会よりも大切なことがあるのに、それをはっきりと打ち出せない。仕事に打ち込んで人に信頼されるようになりたいが、それができない。クソむかつく先輩社員のおかしな業務命令に対してはっきりとものが言えない。些末なことばかり気にする職場で、「自分を追い込む」ことに酔っている連中に囲まれていて、先に帰宅することもできない。
     四つの悩みを並べてしまうのは乱暴かもしれませんが、僕には、「それはおかしい」とか「これが正しいのだから私は正しいことをやる」といった態度に出られない、自信のなさこそが悩みの根底にあるように思いました。ではどうしたらいいか。 
  • 「愉快な東京オリンピック破壊計画」はありうるか ――ニッポン放送アナウンサー・吉田尚記が語るポリティカル・フィクションの可能性 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.101 ☆

    2014-06-26 07:00  


    「愉快な東京オリンピック破壊計画」はありうるか
    ――ニッポン放送アナウンサー・吉田尚記が語る
    ポリティカル・フィクションの可能性

    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.6.26 vol.101
    http://wakusei2nd.com

    今回のPLANETS vol.9(P9)プロジェクトチーム連続インタビューに登場するのは、ニッポン放送アナウンサー・吉田尚記さん。2008年には特派員として北京オリンピックの取材も経験した"よっぴー"は、なぜ2020年の東京オリンピック破壊を企てているのでしょうか?


    【PLANETS vol.9(P9)プロジェクトチーム連続インタビュー第9回】 
    この連載では、評論家/PLANETS編集長の宇野常寛が各界の「この人は!」と思って集めた、『PLANETS vol.9 特集:東京2020(仮)』(略称:P9)制作のためのドリームチームのメンバー
  • 『静かなる革命へのブループリント』発売記念インタビュー「宇野常寛が考える"社会と個人"を繋ぐ新しい回路とは」 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.100 ☆

    2014-06-25 07:00  

    『静かなる革命へのブループリント』発売記念インタビュー「宇野常寛が考える"社会と個人"を繋ぐ新しい回路とは」
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.6.25 vol.100
    http://wakusei2nd.com

    本日より全国の書店、Amazonにて発売開始となる、宇野常寛の新刊『静かなる革命へのブループリント――この国の未来をつくる7つの対話』。今回の「ほぼ惑」では、この対談集に込めた意図と、そして宇野常寛がいまこの社会に対して抱く問題意識について、1万字にわたるインタビューをお届けします。

    ◎聞き手/構成:稲葉ほたて
     

    ▲宇野常寛・編著『静かなる革命へのブループリント――この国の未来をつくる7つの対話』河出書房新社

     
     
    ■ P8はそれまでのPLANETSの倍以上も売れた
     
    ――このメルマガの読者にはお馴染みの話だとは思うのですが、この本を読んだ読者には「あれ、
  • 『ガンダム』の現在――石岡良治×中川大地×堀田純司+宇野常寛【特別座談会】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.099 ☆

    2014-06-24 07:00  
    220pt

    「『ガンダム』の現在」
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.6.24 vol.099
    http://wakusei2nd.com


    今日のほぼ惑は、「自宅警備塾」でもおなじみ石岡さんの単著『視覚文化「超」講義』刊行記念!石岡良治、中川大地、堀田純司、宇野常寛の4人で行われた、「ガンダム」についての座談会をお届けします。
    初出:『PLANETS SPECIAL 2011 夏休みの終わりに』


     
     
    ■多世代対応産業としての「ガンダム」
     
    宇野 なぜ今「ガンダム」なのかという話からしたほうがいいと思うんですね。『00』の映画や『UC』のDVDなど、ファンは「ガンダム」の近況を知っていますが、一般的には『ガンダム』(1st)は懐かしアニメの部類。なのに、なぜ30年以上経っても語らなければいけないのかと。僕は31歳ですが、中高生時代、「ガンダム」は”終わったコンテンツ”と言われていました。あれは80年代のアニメブーム時代のコンテンツで、1st~『Z』で基本的には終わっている。その後、「SDガンダム」シリーズで玩具としては生き残っていたけれど、新作アニメはヒットせず、アニメブームの中核でもなく、富野監督の存在すら忘れ去られていく。それが、『新世紀エヴァンゲリオン』がブームになった頃、庵野秀明によって富野ガンダムが注目されるようになり、関係書籍も増えてきた。そして99年に『∀』が放映され、ゼロ年代になってからは『SEED』が放映、「マスターグレード(MG)」シリーズを中心にガンプラも増えて、再び盛り上がってきた。そんな印象があります。
    堀田 よく言われることですが、1979年当時、思春期に1stを見ていた人が30歳をこえて自分で企画を動かすようになった。それがゼロ年代初頭ということも一つにはありますね。それと、『エヴァ』で書き換えられたものは多いと思いますが、アニメについて公に語ることのハードルも下がっていたという事情もあったと思います。「日経ビジネス」誌が”キャラクターによるブランディング効果”を特集したのが97年。日本社会全体がキャラクタービジネスの大きさや深さに、目を向け始めていました。ちなみに、現在、1年間に発売される「ガンダム」関係のものを全て買うと250万~300万円かかるというデータがあるそうです(笑)。
    宇野 ちょうど2000年に「ガンダムビックバンプロジェクト」がありましたよね。その中核の一つが『∀』。商業的にはあまり成功しなかったけれど、それからMGや団塊ジュニア向けのコンテンツが充実してきて、その一方で『SEED』を中心とした十代、二十代、しかも男女双方に向けたコンテンツが出てきた。
    堀田 ガンプラは『SEED』シリーズが一番売れているそうです。1stシリーズより売れていると。
    宇野 「ガンダム」は一見、80年代の懐かしアニメと思われていながら、実は商業作品としてブレイクしたのはゼロ年代前半で『SEED』がその中核であることを、団塊ジュニアの一人として、石岡さんはどう思われますか?
    石岡 僕や堀田さんは『W』の放映時は腐女子需要を取り込むことに対してちょっと引き気味だったんですが、『SEED』の頃になると、それは、原点の1stにもあったんだなと思うようになってきました。1stが元々女性人気から火が点いたことを考えると、意外と『SEED』は1stのコンセプトの一部を普通に継承したんじゃないかと。
    堀田 石岡さんの意見に大賛成。1stでガルマがシャアに言った「フフ……よせよ、シャア。兵が見ている…」、あのセリフを入れた富野さんの天才性は凄い。あれがなかったら、「ガンダム」はこんなにブレイクしていなかったと思います。
    宇野 その血を、『00』や「SEED」シリーズ、特に初代の『SEED』が受け継いでいるわけですね。
    石岡・堀田 そうそう。
    宇野 そして、2004年の『ガンダム』25周年時には講談社で分冊百科『ガンダムヒストリカ』に、翌05年からは劇場版『Z』三部作の公開に合わせて『Zガンダムヒストリカ』の制作に携わっていたのが中川さんだったんですが、やはり主要購買層は団塊ジュニアでしたか?
    中川 二つピークがありました。一つは確かに70年代前後生まれの団塊ジュニア世代なんですが、もう一つは当時の十代後半から二十代前半。明らかに『SEED』から入った世代が過去作を遡っている現象が起きていましたね。で、『SEED』以降の世代まで旧作の伝承効果を担っていたのは、やはりゲームでしょう。産業的な意味での1stの最大の画期性は、端的に言ってアニメの関連商品の基盤を超合金の玩具からプラモデルに変えたことでした。しかし90年代以降は、ドット絵の時代には「SD」系、ポリゴン以降はリアル系の格闘アクションを通じて、「ガンダム」ブランドは延命してきたわけです。
    宇野 「ガンダム」は30年間で、様々な層に支持される化け物コンテンツとして日本社会に定着したと考えていいわけですよね?
    堀田 ええ。「ガンダム」は中年男性がコアファン層というイメージが持たれがちですけど、そうとはいえない。多世代キャラとして展開されていますね。
    宇野 「日本にはアニメ・特撮・ガンダムというジャンルがある」というジョークがありますが、あながち冗談ではないと思うんです。『ガンダムA』という雑誌は、現在も30万部近く出ているんですが、これは凄い数字ですよ。『週刊少年サンデー』が80万部くらいですが、「ガンダム」1コンテンツで、かつ月刊誌なのに。実際、雑誌の中身を見れば、「ガンダム」というものが、世間一般で思われているガンダム像とはかけ離れていることがよくわかると思うんです。安彦良和さんの『ORIGIN』福井晴敏さんの『UC』という二大看板があり、アニメディアにあるような「お父さんにしたいキャラは?」的な人気投票企画もあり、当然『SEED』や『00』作品もあり。「ガンダム」が世代や性別を貫く一大産業であることが、『ガンダムA』に表れていると思うんです。
    堀田 「少年誌は“少年”と冠していても中心読者とともに年齢層があがる」ということがあったりする。どこかで年齢層を思い切って下げるべきなんでしょうけど、それが難しい。けれど、サンライズ作品は年齢層を維持することを重視しますね。サンライズがプロデュース集団であることが、その理由かもしれません。サンライズのメインはプロデューサー的なスタッフ。その点で、クリエイティブな意識とプロデューサー的なコンテンツ開発の意識とがうまくマッチして回っているのかもしれませんね。
    宇野 一口に「ガンダム」と言っても、誰も全体像を把握できないくらいに肥大化しているコンテンツなわけですが、テレビ放映の最新アニメは『三国伝』、『UC』はOVAで『ORIGIN』は漫画。この幅の広さも凄いですよね。
    堀田 『サザエさん』や『ドラえもん』ですらこうはなっていませんからね。
     
     
    ■『00』の挑戦をどう評価するか
     
    宇野 今回は『00』『UC』『ORIGIN』『三国伝』この4本を中心に話を進めますが、まず『00』から。『SEED』は「ガンダム」中興の祖であるという話が出たわけですが、『00』はどう位置づけますか?
    中川 『SEED』は「21世紀のファーストガンダム」を掲げた原点回帰だったから、対立の背景を宇宙開発からバイオテクノロジーに変えて現代めかしてはいても、作劇のレベルで二大陣営の総力戦という20世紀的な図式は変わらなかった。対して『00』は明らかに9.11以降のテロ戦争の世界を描こうというコンセプトで作られた初めての「ガンダム」ではありましたね。
    石岡 僕は『00』には期待していたんですが…。モビルスーツのフォルムは野心的でしたよね、「ガンダム」各作品のフォルムを取り入れようとしていたと思う。特にテレビ版第1期は『∀』のフォルムすら取り入れようとしていた。ディテールを複雑にするのではなく、シルエットでシンプルに形を見せようとして、陣営ごとにメカデザイナーを変えるなど細かい工夫もありました。最初のやる気は素晴らしいと感じました。
    宇野 水島監督ですしね。それと、70年代に戦記物をやるなら世界大戦物で1stになったように、『00』は、今、戦記物をやるならテロと極めて自然にやっています。『Z』は早すぎたテロ・内戦物という気がしますが。
    石岡 西暦で設定していることも含めて、今世紀の問題に応じようとしていた意欲は高かったですよね。
    宇野 『SEED』が1stのリメイク色が強かったことに対して、『00』は新しいスタンダードを出そうとする意欲はあった、しかし!そうはならなかった、というコンセンサスが取れたようです(笑)。水島監督にインタビューをしたとき、現代性の高い直球社会派アニメを「ガンダム」でやっていく、という所が 『00』の基本だと感じたんですよ。かつ、『SEED』の長所も取り入れ、男性向けのメカと戦記物+女性向けのキャラ萌えという二重戦略で行くんだなと。「これはゼロ年代アニメの当たるパターンだ」と思って、そのまま行くのかと思いきや……。1期はあまりテンションが上がらないなという感じでしたね。
    石岡 ”武力介入”という言葉は面白かったんだけど、介入行動自体は意外にショボかったり。
    宇野 1期の終盤、ロックオンの死ぬあたりが盛り上がったくらい。けれど、2期があるからと、流していたわけですよね。で、2期になって「さて、どう落とし前をつけるんだろう」と思ったら、伏線は全然回収されないわ、Mr.ブシドーが出てくるわ、中途半端に『コードギアス』化するわ……。僕は、2期で崩れたという印象が強い。
    石岡 『00』は俯瞰すると『X』並に地味な印象なのですが、細部をみると『SEED DESTENY』よりも派手なギミックをいっぱい使ってしまっている。で、劇場版で宇宙人を出さざるを得なくなってしまった理由は、『00』には『∀』の月光蝶システムのような要素があるわけですが、2期終盤で色々やり過ぎたからですね。刹那の乗るダブルオーライザーの放つGN粒子で怪我が治ったり、それどころか、人々の間にある、あらゆるわだかまりがどんどん解消していくんです。劇場版では、金属製のELSの攻撃よりもその粒子を使ったクアンタムバーストのほうが凄かった。
    宇野 劇場版については、「マクロス化問題」がありますね。確かに、劇場版は意欲作だけど『00』の企画の発端を考えると、当初の志は完全に捨てていた。ストーリーを「マクロス」化して、後は、キャラがいかに格好よく戦うかという方向に舵を切ってしまったと思うんです。これはゼロ年代のMBSアニメが取っていた男女二重戦略の崩壊を表しているんだけれど、それが当たっているから結果オーライ。
    中川 結局90年代以降の「ガンダム」って、SFやミリタリー系の男性カルチャーをどれだけ希薄化していったかが成功の関数になっていますよね。『00』は当初、男性的なミリタリズム要素をかなり残していたものの、最終的には『W』的なイケメンチームバトル性だけに収斂されていった。
    石岡 僕は、キャラデザ原案の高河ゆんの漫画が好きなんですが、彼女の作ったキャラクターで、キャラクター性とテーマ性とのマッチングがうまくいったのは、ティエリアだけだと思います。リボンズはパっとしなかった。テレビ版も劇場版も、美味しい所はだいたいティエリアが持っていっていますしね。特にテレビ版の第2期は、ティエリアのお陰でなんとか見続けられたと思っていますよ。
    宇野 元々「ガンダム」というものは、世の中にフロンティアというものがなくなった完結した世界の中で、いかに人は生きるのか、といったことをやっている作品。そこで劇場版『00』は「マクロス」化することで、他者=外側からやってくる者に対してどう接するのかという新しい面を描いたけれど、他者の象徴として、あの金属生命体はどうでしょう? 石岡さんは、あの世界で一番他者性のあるのは、ティエリアだと思うんですよね?
    石岡 はい。僕は“木星”というキーワードが重要だと思うんです。これはガンダム世界では外宇宙の要素ですよね。けれど、『00』では外宇宙よりも、内宇宙=ヴェーダつまりコンピュータシステムから出てきたティエリアという存在が、結果的には一番他者性がありリアリティを掴めていた。それと、ソレスタルビーイングのメンバーが喪男と喪女ばかりの集団ということも併せて考えると、内宇宙的なテーマが合っていたと思うんです。そうならなかったのは、スタッフの問題かもしれないですが。
    宇野 外宇宙からやってきた金属生命体で他者性を出すよりも、テクノロジーの発達により生まれたティエリアのような存在、つまり我々の内側に他者が生まれることのほうが、リアリティがあるのではないかと。
    石岡 そういうことですね。
    中川 ただ、イオリア・シュヘンベルグの計画の中に異星体との「対話」が入っていたという設定は、むしろ木星を外部性というよりは人類のインナーな普遍的古層の隠喩として捉え返している気がする。2期では、当初は人類を国家や民族によらず裁定する超越的な存在として設定されていたソレスタルビーイングが、エゥーゴ的なショボいレジスタンスになってグダグダになってしまいましたが、劇場版のあの設定は当初のコンセプト性への強引な回帰だった気もしていて、その力業はちょっとだけ評価してます(笑)。
     
     
    ■時代を映す「モビルスーツ」観の変容
     
    宇野 ロボットアニメには、子供の成長願望を満たす使命もあるから、博士や軍事技術者の父や祖父が子供にロボットという大きな身体を与え、子供はそれに乗り社会的自己実現を果たすのが王道でした。『マジンガーZ』から『エヴァ』まではその流れがあったけれど、『00』はそういう比喩関係を自覚的に、いや、恐らく自覚していないんだろうけど、壊してしまっているんですよね。エクシアや00やクアンタは刹那のアクセサリー的なもの。モビルスーツは完全に美少年たちのアクセサリーになっていて、アバ ターやツイッターのアイコンのようなキャラクターのアイデンティティを強化するためのアイテムに、良くも悪くも成り下がっている。
    石岡 それは、可能性でもありますよね。
    宇野 ええ、『SEED』や『00』の得た可能性は、それじゃないかと。だからこそ、ガンダムというものは唯一無二の存在ではなくて良くて、ガンダム同士のバトルも『G』から始まって常態化しているわけです。80~90年代に、 
  • 週刊 宇野常寛のラジオ惑星開発委員会~6月16日放送Podcast&ダイジェスト! ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.098 ☆

    2014-06-23 07:00  
    220pt

    週刊 宇野常寛のラジオ惑星開発委員会~6月16日放送Podcast&ダイジェスト!
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.6.23 vol.098
    http://wakusei2nd.com

    毎週月曜日のレギュラー放送をお届けしている「週刊 宇野常寛のラジオ惑星開発委員会」。前週分の放送のPodcast&ダイジェストをお届けします。
    6月16日(金)21:00~放送
    「週刊 宇野常寛のラジオ惑星開発委員会」

    ▼6/16放送のダイジェスト
    ☆オープニングトーク☆
    強烈な腹痛で深夜に病院に向かった宇野常寛に次々と襲いかかった悲劇とは!? 迫真のレポートです。
    ☆スケッチブックトーク☆
    いろんな話題からニコ生アンケートでテーマを決定! 今週は小林よしのりさんについて。AKBドキュメンタリー映画のパンフレットに収録される座談会の場で、よしりん先生が吼えた「まゆゆこそ真の保守じゃ!」、その真意とは?
    ☆48開発委員会☆
    僕とあなたのオタ活報告のコーナー。ついに再開したAKBの全国ツアーについて、2013年のドームツアーと比べて語ります。
    ☆ゲストコーナー☆
    民主党の衆議院議員・小川淳也さんをお迎えしました! 民主党再生へのシナリオから、地方と都市の問題、シャアのモノマネがうまい共通の友人の話まで、たっぷり語り合います。
    ☆延長戦トーク☆
    スケッチブックトークの続きをお届け。テーマはなんと、ムチャぶりで「ダウンタウン浜ちゃん不倫で謝罪」! 宇野常寛はどんなコメントをしたのか、要チェック!?

     
  • 【現代ゲーム全史】「サウンドノベル」と『不思議のダンジョン』――J−RPGの行き詰まりがもたらした対照的な「原点回帰」 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.097 ☆

    2014-06-20 07:00  
    220pt

    【現代ゲーム全史】
    「サウンドノベル」と『不思議のダンジョン』――J−RPGの行き詰まりがもたらした対照的な「原点回帰」
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.6.20 vol.097
    http://wakusei2nd.com


    今日のほぼ惑は、大好評の中川大地さんによるゲーム史連載。今回は90年後半代に日本におとずれた北米ゲームカルチャーの衝撃と、J-RPGの「原点回帰」の時代について解説します。


    ■FPSの登場による北米ゲームカルチャーの変動
     
     そしてゲーセンを中心に起こった日本での格ゲーブームとほぼ時を同じくして、アメリカでは様々な意味で対照的な「対戦」型ゲームの潮流が胎動していた。立役者は、ハッカー上がりのプログラマーであるジョン・ロメロやジョン・カーマックらが立ち上げた、テキサス州のイド・ソフトウェア社。彼らは1992年、PC−DOS向けゲームタイトル『Wolfenstein 3D』をリリースする。これは、第二次世界大戦期のドイツのWolfenstein城を舞台に、囚われたアメリカ軍人であるプレイヤーの目から見たままの視点で立体的に描画される城内の迷宮を探索し、襲いくるナチス兵などの敵キャラクターを次々と撃ち殺していくという概要のガンシューティング式のゲームであった。
     プレイヤーが画面内の標的を銃で撃っていくというビデオゲームは、それこそ現実空間での射的遊びを置き換えたような銃型コントローラーを用いるガンシューティングとして黎明期から存在してきたが、本作では自分の銃が握り手ごと画面中央部に描画される。そして自分自身もキーボードからの操作で自由に移動しながら、静的な的ではなく動き回ってこちらを攻撃してくる敵を、先に射線上にとらえて倒していかなければならない。
     そんな現実の銃撃戦さながらの体験性を、一般のPC上でも味わえるような巧みなプログラム技術で、初めて本格的に実現させたのである。
     こうした主観視点型の画面デザインは、例えば『ウィザードリィ』のようなダンジョン探索型のRPGや、『Red Baron』のようなフライトシミュレーター等の系譜上に考えることができる。これらのゲームでは、シンプルなワイヤーフレーム等の時代から一貫して、人間の目が見たままの立体空間を平らな画面上に描出する線遠近法に従う描画手法が追求されてきた。これはまさに、近代絵画におけるリアリズム絵画の支配力の強さと同様の、西洋文明における基本的な空間認識の根強さでもある。その強固な空間性に基づいて、ゲーム分野においては描画テクノロジーの進歩にともなって幾何学的な線画だけの最低限の表現から徐々にドットグラフィックの色彩や形態の具象度を高めていく一方、さらに時間性の面でも、会敵戦闘をRPGのターン制バトル等のように不連続化せず、あくまで連続的な時間の流れの中でのリアルタイムな銃撃アクションとして描くことを目指す、徹底した「現実」への漸近を目指した結果のメルクマールとして登場したのが、『Wolfenstein 3D』だったわけである。
     本作を皮切りに、こうした素朴きわまりないモダニスティックな理念を愚直に追求し、マシンスペックの向上をひたすら〈仮想現実〉空間の描画の細密化と、シームレスアクションの高度化に費やしていくタイプのゲームタイトルが、堰を切ったように作られていくようになる。やがて一大ジャンルを形成するこれらの作品は、FPS(First Person Shooting Game:一人称視点型シューティングゲーム)という、近代小説の語り口の人称分類とよく似た命名でカテゴライズされるようになっていく。
     この普及への流れを一気に押し進めたのが、イド社が翌93年にリリースした次作『DOOM』であった。今度は火星基地に取り残された宇宙海兵隊員がモンスターを駆逐していくというSF調の舞台に趣向を変えつつ、『Wolfenstein 3D』で成功したFPSの基本的なゲームデザインを踏襲発展。さらに精細でおどろおどろしいグラフィックがゲーマーたちを魅了したのみならず、決定的だったのは、PC同士をネットワーク接続することで4人までのプレイヤー同士が協力ないし対戦することのできるマルチプレイモードが搭載されていたことだ。これにより、FPSの呼称どおり一人一人のプレイヤーは自分のPCからの視野情報しか持てない中で同じ3Dマップ空間を共有し、互いの姿を探し求めて撃つか撃たれるかのスリルを味わう、まるでサイバースペース内で遊ぶサバイバルゲーム(エアガンで撃ち合う戦争ごっこ)のような体験性が切り拓かれることになった。
     これにより、複数のコンピューターがLAN(Local Area Network)接続されている施設などを中心に、多くの中毒者たちが生み出されてゆく。PC−DOSを中心とした当時のパソコン用OSの環境では、LANを構築するにはそれなりの専門知識や値の張る機材が必要だったため、家庭用ゲームのユーザーに比べれば、『DOOM』のマルチプレイを享受できるのはかなりのハイエンドユーザー層に限られてはいた。だが、その壁を乗り越え、商用パソコン通信サービスの掲示板などを通じて情報交換したファンたちが、各自のPCを誰かの自宅などに持ち寄って構築する「LANパーティ」と呼ばれるプレイング文化が、全米で大きく加速されていったのである。
     手軽に持ち運び可能な高性能のノートPCなどはまだ登場しておらず、ゲームを快適に稼働させるには嵩の張るCRTを備えたフルスペックのデスクトップPCが必要だったから、自動車での運搬が前提だ。数人分のPCを並べて設置できるガレージなどのスペースの確保も含め、ホームパーティ文化が土壌にある、アメリカらしい光景と言えるだろう。
     このあたりは、同時期に進行していた日本発の『ストII』などの対戦格闘ゲームの文化が、集積化した都市空間に特有のゲーセン空間で華開いていたのとは対照的な現象だ。こちらの対戦文化が、書き割りのようなフラットなステージ画面上にキャラクターの図像というプレイヤーの代理表象を置き、サイドビュー型の視点でバトルフィールドの全景を視野に入れながら同時に感情移入するという、いわば浮世絵的な空間構成でできている点も含めて、日米の文化特性の違いが、またしてもゲームデザインとプレイ環境の両面で前面化したケースとなった。
     さらにはファンカルチャーの面でも、『DOOM』の場合は開発中からカーマックらがハッカーコミュニティにマップの生成やゲーム内要素に関するプログラムツールのソースコードを公開していたために、ユーザーがキャラクターやアイテム、背景などの外見を自らカスタマイズする「MOD(Modification)」と呼ばれる改造データが流通する文化にも火が付いた。同時期の日本のゲームファンの活動が、「ゲーメスト」などの雑誌投稿や同人誌などで出来合いのキャラクターの関係性やバックストーリーなどを二次創作するマンガ・アニメ的なオタク表象文化の方向に流れがちだったのに対し、 
  • なぜ"マイルドヤンキー"を描けなかったのか――松谷創一郎×宇野常寛が語る『クローズ EXPLODE』 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.096 ☆

    2014-06-19 07:00  
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    なぜ"マイルドヤンキー"を描けなかったのか
    ――松谷創一郎×宇野常寛が語る『クローズ EXPLODE』
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.6.19 vol.096
    http://wakusei2nd.com


    ゼロ年代国内映画市場に大きなインパクトを残した『クローズZERO』『ZERO Ⅱ』。
    そして今春、キャストと設定を一新して公開されたさらなる続編『クローズ EXPLODE』は、
    高橋ヒロシが作り出したこの「鈴蘭」という箱庭世界にどうアプローチしたのか!?国内映画の動向に詳しいライター/リサーチャーの松谷創一郎と、大の『クローズ』好きでもある宇野常寛が語った。

    初出:『サイゾー』2014年6月号(サイゾー)
     
    近年のヤンキーマンガの金字塔である『クローズ』が、最初に映画化されたのは07年の『クローズZERO』だ。小栗旬・山田孝之主演の“イケメン映画”としても人気を博してヒットを果たした同作は09年に続編『ZEROⅡ』も公開された。そしてこの春、さらなる“新章”として再び『クローズ』映画が登場。キャストも設定も一新された『EXPLODE』、そのワルさのほどは──?◎構成:藤谷千明
    ▲『クローズEXPLODE』

    監督/豊田利晃 脚本/向井康介、水島力也 出演/東出昌大、柳楽優弥、勝地涼ほか 配給/東宝 公開/14年4月12日 高橋ヒロシのマンガ『クローズ』映画化シリーズの新章と位置づけられ、前2作から出演者を入れ替えた新作。前作『ZERO』の3年生たちが卒業したことにより空席となった鈴蘭高校の頂点を目指す内部抗争に加え、不安定な状態にある鈴蘭を狙う他校や周辺地域のヤクザらアウトローが絡み合う、盛大な勢力争いが始まる──。

    【対談出席者プロフィール】松谷創一郎(まつたに・そういちろう)
    1974年生まれ。著書に『ギャルと不思議ちゃん論』(原書房)、『どこか〈問題化〉される若者たち』(共著/恒星社厚生閣)など。
     
     
    ■『クローズ』新章――大ヒットした『ZERO』2作を超えられるのか?
     
    宇野 『クローズ EXPLODE』(以下、EXPLODE)は今年の邦画の中では面白いほうだけど、『クローズZERO』(以下、ZERO)【1】、『クローズZEROⅡ』(以下、ZEROⅡ)【2】の前2作ほどのエポック感はなかったですね。野心的なことをやろうとした形跡はあるけど、あまり成功しているとは言えない。前2作は映画界全体と闘っていたというか、国内のエンタメシーン全般に対してインパクトがあったと思うんだけど、今回はすでに確立された『クローズ』ブランドの中での比較的大きい花火にしかなっていない感じがした。及第点と褒められる映画の中間くらいにある作品かな、と。
    松谷 僕も同じ感想ですね。
    宇野 松谷さんは本作を、今年の邦画の中でどう位置づけますか?
    松谷 日本映画自体が去年から引き続いて低調な状況です。企画が細っている中で、「貴重なアクション映画」であることは特筆すべきことでしょう。日本映画は、アクションが弱いですからね。こうした中でシリーズものの『EXPLODE』は内容も及第点、興行収入もおそらく10億円を超えるでしょうから、十分に健闘してる。ただ、『ZERO』の興行収入25億円、『Ⅱ』の30億円と比べると弱いし、「Yahoo!映画」のレビュー点数が前2作に比べて異様に低い。原作や前作ファンが、かなりがっかりしていることがうかがえます。
    宇野 一言でいうと、『ZERO』ってゼロ年代の邦画ブームの、一番いい時期の大花火だったんですよね。あの時期は、メジャーシーンでヒットを狙いながらも、いや、メジャーだからこその大予算を用いてチャレンジングなことをやれる空気があって、そして作品的にも成果を残したものがいくつかあった。その代表例が『ZERO』と『告白』だったと思う。
    松谷 06年に21年ぶりに邦画のシェアが洋画を逆転し、以降現在まで好調な日本映画の波を作ってきた作品のひとつといえるでしょうね。07年に『ZERO』、09年に『ZEROⅡ』、10年に『告白』。ゼロ年代後期の日本映画を語る上で、『ZERO』はもっと見直されてもいい作品です。
    宇野 そういういい流れがあったのに、その遺伝子が今はあまり残っていないんだなということが、今の邦画の状況をみるとよくわかる。その中で『EXPLODE』はすごく健闘しているんだけど、前2作や原作といかに闘うかというところで力尽きていて、独自の表現を確立するまでには至っていない。
    松谷 マンネリ感もありますよね。ただ、それはキャストで克服できる問題だとも思いました。だって浅見れいなが一番よかったと思うくらい、前2作と比べてキャラが弱まっていた。主人公の鏑木旋風雄【3】役の東出昌大の演技も決して良くなかった。この撮影は『ごちそうさん』【4】の前でしょうしね。
    宇野 『ごちそうさん』をやって鍛えられた後の今の東出くんなら、もっといけただろう、と。
    松谷 そう。ただ、脇役もそんなに良くなかったんですよ。『ZERO』は、線が細くて作品的にはどうしても狂言回し的な役回りになる小栗旬【5】を、山田孝之や高岡蒼甫といった役者がしっかりとバックアップしていた。一応今回も、柳楽優弥(強羅徹役)【6】がいたけれど、それでも弱かった。
    宇野 あとは勝地涼(小岐須健一役)【7】が与えられた役割を一生懸命こなしてるくらいかな。あれだけたくさん登場人物がいた中で、あの2人しか印象に残ってない。『ZERO』の2作を踏襲しようとし過ぎていて、例えば強羅のキャラクターって、ほぼ『ZERO』の芹沢多摩雄(山田孝之)【8】から貧乏っていう設定を抜いただけじゃない。というか、そもそも今回はキャラが多すぎたと思う。
    松谷 キャラが立ってないんですよ。三代目J Soul Brothersの2人(ELLY、岩田剛典)は特にそうでした。例えば『ZEROⅡ』で漆原凌(綾野剛)【9】が傘を差して出てきたシーンはすごく記憶に残ってるじゃないですか。彼はあれが出世作になりましたよね。そういう掘り出し物な感じの役者が今回はいない。
    宇野 今回でいうと早乙女太一【10】が本当はそうなるはずで、悪くないけど柳楽優弥に負けてたよ。藤原一役の永山絢斗【11】も同様で、悪くはないんだけど……という。総合点は決して低くないんですよね。主演の東出くんも、演技力には問題があったかもしれないけど、フィジカル的な存在感はあったと思う。脚本に関しても「これだけ勢力がいて話がまとまるのかな?」と思ったけど、終わった後には「よくまとめたな」という印象を持った。でもやっぱりヤクザやOBのオッサンのドラマに頼っているところが弱いとも思う。
     原作の『クローズ』の世界では大人や女性がほぼ出てこず、不良男子高校生だけが存在する世界になっているでしょう? あれって要は今でいう「マイルドヤンキー」的な世界観の先駆けだと思うんですよ。「守るべき女」とか「反抗すべき教師」や「超えるべき父」がいない世界で、ヤンキーはアウトローでもなんでもなく、趣味でケンカをしているだけ。
     けれど、今ようやくオヤジ論壇がマイルドヤンキー的なものに気づき始めたことが象徴的だけれど、東京の鈍感なホワイトカラー層を観客に巻き込むには、従来のヤンキー観やアウトロー観に接続するためのクッションが必要だったと思うんですよね。だから、『ZERO』では大人や女子を配置していて、まさに「ゼロ」というか『クローズ』の世界観の入門になっていた。その「『クローズ』とは何か」というメタ解説的な要素は今回も踏襲されていたけれど、『EXPLODE』の場合はそれを構造ではなくてセリフや安っぽいトラウマエピソードで説明していて、僕は「そういうのが全部キャンセルされているのが”鈴蘭”なのに」と思った。
     もっというと、『ZERO』2作はそのまま「高橋ヒロシ」と「三池崇史」だった。つまり、「マイルドヤンキー」的世界観の代名詞である『クローズ』と、三池監督が撮ってきた日本のヤクザ映画が、そのまま滝谷源治と父親(岸谷五朗)の関係になっていた。そうやってその2つの中間をうまく立てて、学園の外側の要素を本当に最小限にして「鈴蘭入門」のドラマを作ることができていたんだけど、『EXPLODE』はドラマを構成しているのが鈴蘭の外側にいる人たちになってしまっていた。
    松谷 そこはやっぱりプロデューサーの山本又一朗【12】の考えなんだと思いますよ。脚本にクレジットされている「水島力也」は山本さんの変名ですが、もう還暦を迎えている人だから、「理由なく何かを目指す」ということが考えづらいのかもしれない。結果、今回も「父親との葛藤」みたいな動機付けをしてしまったのでしょう。
    宇野 その「理由なく何かを目指す」ことが気持ちいいっていうのが高橋ヒロシイズムなのに、そこを理解しないで描いてしまっていたんじゃないか。「なんでガキの喧嘩に夢中にならないといけないんだ」という藤原のセリフがあったけど、あれはまさに脚本家の叫びだと思うんですよ。原作に対して無理解な人間が、無理やり自分に言い聞かせるために饒舌に言い訳を重ねているみたいな印象を受けた。原案を山本又一朗が握っているとはいえ、豊田利晃【13】監督と向井康介【14】脚本なわけですよ。90年代サブカルの血を引いたゼロ年代中堅コンビがビッグタイトルに挑戦した結果、ベテラン三池崇史と若手の武藤将吾【15】のコンビの『ZERO』に負けてしまったというか。前2作からのマンネリを回避するためにいろんな策を講じていたのもわかるし、複雑なプロットをなんとかしようと頑張っていたとは思うんだけど。
     
     
    ■豊田利晃監督復活作?「内面」を捨てた面白さ
     
    松谷 豊田監督の話をすると、復帰後の3作が正直、悪い意味で「よく今の時代にこんなことできるな」というような作品ばかりでした。ユナボマー事件をヒントにした『モンスターズクラブ』(12)は主人公が自問自答してるだけだし、『I’M FLASH!』(12)も新興宗教の教祖がどんどん内閉的になる作品。そこに『EXPLODE』がきたから、考えようによっては、今回「復活」と捉えていいんじゃないかと思うんです。豊田監督は自分で脚本を書くし、『青い春』『空中庭園』以外はオリジナル作品。そんな彼が、演出だけでもここまでエンターテインメントなことができる、ということを証明したとも言えるわけです。もちろん、そこには若い頃の『ポルノスター』にあったようなゴツゴツした才気みたいなものは見られないですが。
    宇野 結局それって、豊田さんのような、ゼロ年代のインディーズ系、単館系の映画をつくってきた90年代サブカルに出自を持つ映画監督たちの、現代的な疎外感を男の子の自意識問題に仮託するアプローチの文法自体が古くなっているってことなんじゃないかな。
    松谷 でしょうね。中年監督の若者気分がいかにくだらないかってことなんですよ。でもそれは映画ムラでは温存されてしまう。映画マニアや評論家は映画しか見ないし、そういう自意識問題を抱えている中年ばかりだから。そう考えると今回の豊田監督の使い方っていうのは、うまい落とし所を見つけたと思えます。
    宇野 このくらいの世代の監督って2系統あると思うんですよね。ひとつは「山下敦弘マイナス才能」というか、男の子の自意識問題と童貞マインドをどう維持するかにしか興味がないような一群。 
  • 人間の意識を変革するECサイトは可能か?――理論物理学者・北川拓也が楽天で得た「哲学」 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.095 ☆

    2014-06-18 07:00  
    220pt

    人間の意識を変革するECサイトは可能か?
    ――理論物理学者・北川拓也が楽天で得た「哲学」
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.6.16 vol.093
    http://wakusei2nd.com

    今朝の「ほぼ惑」は、楽天株式会社でデータサイエンスチームを率いる、弱冠29歳の執行役員・北川拓也さんへのインタビューをお届けします。理論物理学の研究者だった北川さんは、なぜインターネットを生業としたのか? そして、「プラットフォーム主義」「"意識高い"系現象」の切っても切れない関係とは!?

    名門・灘の中高を卒業後に、ハーバード大学に進学して数学・物理学をダブルメジャー、ともに最優等の成績を収めて卒業。研究者としては15本以上の論文が『Science』をはじめとする国際雑誌に取り上げられた――そんな理論物理学の日本人研究者が、いまネットビジネスの世界に転身してデータサイエンティストの仕事をしている。弱冠29歳の楽天株式会社執行役員・北川拓也氏である。メディアで彼を見かけたことのある人も多いかもしれない。 今回、PLANETS編集部は品川の楽天株式会社を訪問して、そんな華々しい経歴ばかりが語られがちな北川氏が、一体どんな思想を背景に現在の仕事に取り組んでいるのかを聞いた。宇野が興味をいだいた「行動変容」という概念をキーに、現代のウェブサービスの「プラットフォーム主義」の背景にある知の潮流、「"意識高い"系現象」の背景にある問題、そしてウェブサービス事業者はその中で何が成しうるのかなど、議論は様々に広がりを見せた。
     
    ◎聞き手/構成:稲葉ほたて
     

    ▲北川拓也
     

     
    ■ 理論物理学からeコマースへ
     
    宇野 北川さんって、ビジネス誌のインタビューなどでは、とにかくすごい人という扱いで出てますよね。ただ、今日はそうではない、哲学者・北川さんの側面を掘っていこうと思うんです。 北川 なんと……。まあ、宇野さんと話したら、勝手にそうなる気がします(笑)。
    ――まずは、北川さんが理論物理学からビジネスの世界に飛び込んだ理由を聞きたいです。学術で華々しいキャリアを築いていながら、実業界に飛び込んでくる人ってあまり日本ではいないので、何か考えがあったのではないかと思います。
    北川 物理学って、いい意味でも悪い意味でも非常に成熟した学問です。明確に考えたわけではないですが、この時代における物理は存分に楽しめた、という思いがあったんだと思います。同時にニュートンが活躍していたような黎明期の発見の喜びというのに憧れるところもありました。 だから、今の時代だからこそ出来ることを満喫しようと思ったんですね。そこで気になったのが、AppleやTwitterのようなイノベーションを起こしている企業たちでした。こういう世界に飛び込んで、そこを理解してみたくなったんです。
    実際に飛び込んでみると、やはり知的刺激にあふれた世界でした。発見できるものの量が全く違うんです。僕は研究者時代に、他の研究者と共同でとある物質の非常に稀にしか存在しない状態を全く違った方法で実現する手法を提案したんですよ。その提案を証明しようという実験が行われたりしてこの研究分野は盛り上がっているのですが……黎明期に比べてやはりそういう発見はレアだと思います。哲学的な広がりという意味でも、物理学はあまりにも世界観が完成されすぎていました。そうなると正直に言って、「僕がやらなくてもいいんじゃないか」という気になりますよね。 宇野 なるほど、では北川さんがネット屋になって得た、最も大きな哲学的な広がりは何なんですか? 北川 「人間が物を買うこと」への理解ですね。具体的には、「人間はブランド服をサイト上でどういう風に探すのか」などの問いになるのですが、それへの解答の裏に哲学が隠れています。
    例えば、水を3日間飲んでいない人が、「君の目の前にある3つの箱のどれかに水が入っている」と言われたら、その人は水が出てくるまで箱を開けるはずです。でも、単に可愛いiPhoneケースが欲しいだけの人は、おそらくそれほどの欲望で選ばないでしょう。要は「衝動買い」と「必然買い」の差なのですが、それがどう行動に現れて、どういう数値で見ていくかを考えていく作業は、人間の欲望とは何かを考えることそのものです。
    そうすると、既存の購買の理論について、自分なりに思うことが出てきます。例えば、経済学の需給曲線って「人間はなるべく安い価格で買いたい」という前提で作られている理論ですが、本当にそうなのか。むしろ、みんなお金を払うことで幸せになっている気がする。
    宇野 いやあ、僕も今回の選挙で50枚買いましたからね(笑)。例えば、自分が応援したい人のためであれば、お金を遣うのはとても楽しいことですよ。
    よく広告代理店の人が、「この商品を宣伝してくれたらクーポンをあげます」みたいな企画をやってるでしょう。僕はあれって逆だと思いますね。むしろ、「お金を払ってくれれば素材を貸すから、好きに遊んでいいよ」が正解だと思うんです。人間は自分の好きなもののためにはお金を払いたいんです。そういう消費を快楽と結びつける議論は、既存の理論では弱いと思いますね。
    北川 そういう消費にまつわるような哲学的な問いかけや疑問が、こういうウェブビジネスの中で一歩進んだ形で数値的に理解されていくんだと思います。
     
     
    ■ 「行動変容」から「意識変容」へ
     
    宇野 以前にお会いしたとき、北川さんがおっしゃっていた「行動変容」という概念について考えてみたいんです。
    北川 ありがとうございます。ただ、「行動変容」そのものは、ビジネス寄りの発想から出てきたものです。僕らのような科学者は、つい物事の理解それ自体に一生懸命になってしまうけど、ビジネスバリューという点で重要なのは「行動変容」――つまり、人間の行動をどう変えていくか――に焦点を当てて問題を解いていくことなのだという話です。
    例えば、人間は服とアクセサリーを一緒に買う傾向があると単に理解しても仕方ない。重要なのは、「どうすれば服とアクセサリーを一緒に買わせられるか」と問いを立てることです。そういう「行動変容」の問いを立てた瞬間に、ビジネスバリューが生まれるんですよ。そう考えると、マーケティングの本質は「行動変容」を考えることだとさえ思うんです。
    宇野 行動にアプローチすることは個人の意識にアプローチすることだという発想、たとえば成熟した市民を育てて投票行動を変えていこう、みたいな「市民化」の議論が今でも社会の主流ではあると思うんですよ。そしてこれもさんざん議論されてきたことだと思うのですが、意識に訴えるプロセスを飛ばして人間の行動変容に直接アプローチするような社会設計の考え方が、情報技術の発展を背景に再検討されはじめている。しかし逆に人間の意識の領域にアプローチしないとどうしようもないことや、意識を変えたほうが早い問題にアプローチすることが苦手になってしまったのが、今のプラットフォーム主義の限界のようにも思うんです。
    北川 そういう点では、僕が本当に訴えたかったのは、「行動変容」が人間の「意識変容」を生むのではないかということなんですよ。
    例えば、現在の日本は物質的に豊かですよね。だけど、そうであるが故に意識を少し変えるだけで、一気に幸せの度合いが上がる気がします。実際、質量保存の法則がある以上、物って増えないわけですよ。でも、昔の人が「お腹が空いても、想像力で人間は幸せになれる」と言ったように、物の見方を変えるのはいくらでもできる。そして、その先には「幸せの度合いの違い」のようなものが現れてくる気がして、僕が本当に興味があるのは、実はここなんです。
    ――順番が逆なんですね。「意識変容」から「行動変容」に落とすのが従来の人文系の考え方なら、むしろ「行動変容」を「意識変容」に落とす方法を考えたい、と。で、その先で本当に興味があるのは、「人間の幸せとは何か」という問題である……。
    北川 物事の捉え方を変えることで、人間は幸せになれるというのは僕の基本的な考え方です。まあ、宗教家みたいですが(笑)、例えば髪型を変えれば周囲の見方も変わって、自分の意識も変わる……みたいな話だと思えば、実践的な話だと思いませんか。そういうことが、実はeコマースで出来るんじゃないかと思うんですね。
    ただ、やっぱり成功例がない。結局、宇野さんの言うように「行動変容」の自己目的化に留まっていると思います。上手く技術モデルを作れたら面白いのですが。日本の漫画業界なんかは、そういう雰囲気がある気もしますが……。
    ――漫画業界ということでは、ジャンプ編集部はそうかもしれないですね。アンケートシステムを上手く利用しながら、独自色の強いクリエイターを育てていますよね。
    宇野 ただ、僕がサブカルチャーの評論家だからそう思ってしまうのかもしれないけど、結局そういう発想が上手く行ってるのは、サブカルチャーの世界だけな気もするんですよね。
    今までの話は、『ウェブ進化論』の梅田望夫と『アーキテクチャの生態系』の濱野智史の違いという言い方もできるんです。僕らに近い界隈では、尾原和啓とけんすうの違いと言ってもいいかもしれない。やはり尾原さんは、どこかでエリートの運営者が先導するプラットフォーム主義を信じているし、けんすうは「行動変容」から「意識変容」の流れだけに価値を見出している。二人ともやりたいことは似ているけど、方法論は対照的だと思うんです。
    北川 僕も、わざわざ物理学みたいな一握りのエリートが先導する世界を抜けだしてここに来たわけで、けんすうさん的な発想はありますね。それに、世界的な潮流そのものがけんすうさん的な方向に進んでいる気もします。
    宇野 言ってしまうと「行動変容」はサイコロを振って出た目から、その意味を考えるような発想なわけですよね。
    北川 そう、そうなんです! 例えば、僕のいた理論物理学というのは、ニュートン以来、ひたすら理論のデザインを更新し続けてきた世界なんですね。でも、僕が一番好きな物理学者はそういう伝統から少し外れた人で、ロシアのランダウという天才物理学者なんです。
    彼の凄いところは、その思想の柔軟性ですね。彼は、超電導のような未知の現象を説明するときに、まずは起こったことから現象論を作りあげて、そのあとに背景にある理論を構築してみせたんです。超電導の仕組みは、本当は非常に難しい話だったのですが、彼の見出した現象論によって理解が50年は早まったと思います。
    ――ランダウの相転移論の話ですよね。ああいう風にランダウが現象論から一種の物理的直感でシンプルなモデルを作り上げたようなことを、ECサイトでやってみたいということですか?
    北川 まさにそうですね。それは、「行動変容」を「意識変容」に変えていくという話そのものだと思うんです。
    宇野 こういう話を楽天の役員がするのは、大きな皮肉のように僕は思いますね(笑)。ここまでの話は、「行動変容」を自己目的化しているプラットホームの常識に対する懐疑ですよね。
    北川 それは良いポイントです。だって、このビジネスモデルのままだと、僕らはいつか負けるんですよ。プラットフォームで勝ちに行く事業者は、それより下のレイヤーでプラットフォームが変わったときに乗り換えられてしまうんですよ。今なら具体的には、PCからスマホへのシフトですよね。だからこそ、もっと本質的なレベルで「売買」とは何かを問う戦いに持ち込む必要があるんだと思います。
     
     
    ■ 日本人は行動と感情が乖離している
     
    宇野 「行動変容」の自己目的化に話を戻すと、六本木のあたりにいるIT関係者の人たちって、「行動変容」が自己目的化して「意識変容」につながっていなくて、その結果として自分探しをしてしまっている気がします。おそらく、これは非常に新しい現象だと思うんです。彼らは自分のパフォーマンスを引き出すための方法論にはどん欲だけど、その能力を使ってやりたいことがない。自分以外に好きなものがない人が多いでしょう?
    北川 日本人に独特な状況ではないでしょうか。僕がいつも強烈に感じるのは、日本人は行動と感情が乖離しているということです。普通は行動を起こしたとき、もっと感情を伴うはずなんです。でも、日本人はなぜかそうならない。「意識変容」が上手く起きないのもその結果ではないかという気がするんです。
    ――西海岸ではどうなんですか?
    北川 僕の経験では、アメリカ人は基本的にそんなことはありません。やっぱり、彼らはもっと素直なんですよ。これはずっと考えている問題なのですが、やはり究極的には、よく言われる「建前と本音」の文化が根底にある気がします。
    宇野 つまり、「意識変容」というのは本来、気持ちいい行動によって、自然と"パッション"が湧き出てくるという話なのに、それが単なる"ファッション"になっている。「勝間和代現象」とか、その典型だったと思いますね。本来は「自分を向上させて、年収を上げたり家族と幸せになろう」という話だったのが、いつの間にか「向上している私が好き」という話になっていた。
    北川 まさにそういう構造があると思うんですよ。 
  • 小池美由、宇野事務所に来たる!「宇宙かくれんぼ」発売記念、掟破りの逆インタビュー! ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.094 ☆

    2014-06-17 07:00  

    小池美由、宇野事務所に来たる!
    「宇宙かくれんぼ」発売記念
    掟破りの逆インタビュー!ダイジェスト!
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.6.17 vol.094
    http://wakusei2nd.com

    『文化時評アーカイブス2013-2014』カバーガールで、「宇野常寛のオールナイトニッポン0(ZERO)」、TV東京系「ゴッドタン」への出演でも話題の、小さなスーパーアイドル・小池美由さん。誰にでもタメ口で喋る軽快なトークも魅力の小池さんが、高田馬場の宇野常寛事務所まで遊びに来てくれました!
    ▼小池美由さんインタビューのダイジェスト動画はコチラ!
     

    (※インタビュー動画の完全版は近日公開予定です!)
     
    ◎構成:小出整
     
     
    ■【小池、宇野事務所にあらわる!】
     
    ■「宇野は印税生活してるの?」
     
    小池 みなさーん、小池美由ですよろしくお願いしまーす! ということで、今