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「山スカート」はなぜ生まれたのか? アウトドア誌「ランドネ」創刊編集長・朝比奈耕太に聞く ファッションとライフスタイルの接近(PLANETSアーカイブス)
2019-05-02 07:00
今朝のPLANETSアーカイブスは、「ランドネ」の創刊編集長・朝比奈耕太さんのインタビューをお届けします。近年、レジャーの一環としてアウトドアはすっかり定着し、高機能の登山用ウェアを街中で着ている人たちも珍しくなくなりました。2009〜2010年ごろには「山ガール」という言葉も話題となり、ファッションとアウトドアの垣根はますますなくなりつつあります。今回はそのファッションとアウトドアという2つの「文化」を結びつけ、登山やキャンプ初心者のバイブルとなったアウトドア誌「ランドネ」の創刊編集長である朝比奈耕太さんに、文化としてのアウトドアウェアの歴史を聞いてきました。(取材:小野田弥恵 構成:小野田弥恵、中野慧) ※この記事は2015年6月24日に配信された記事の再配信です。本記事のタイトルに誤記があったため、修正して再配信いたしました。著者・読者の皆様にご迷惑をおかけしましたことを深くお詫び申し上げます。【5月2日22時30分追記】
▲「ランドネ」創刊編集長の朝比奈耕太さん
■ アウトドア不遇の時代だった90年代後半から、「フィールドライフ」の創刊へ
――ランドネは現在に続くアウトドアブームの火付け役だと思うのですが、その創刊を手掛けた朝比奈さんは、そもそもなぜ「女性向けのアウトドア誌」を作ろうと思ったんでしょうか。
朝比奈 僕が最初にアウトドアに興味を持ったのは、もう20年近く前の1997年、シーカヤック(*1)の雑誌を制作したことがきっかけです。取材で奄美大島諸島を一週間かけてシーカヤックで周ったんですが、それはもう震えるほどの体験でした。無人島にテントを設営して、薪を集めたき火をし、海に潜って魚を突いて、じゃんけんで負けたらカヤックを漕いで商店までビールを買いに行く。「こんなに楽しいことがあるんだ」とすごく感動して、それ以来「雑誌の力でもっと多くの人たちをアウトドアに巻き込みたい」と思うようになりました。
その雑誌は休刊となってしまったんですが、他ジャンルの雑誌をつくりつつ、「アウトドア誌を作りたい」と会社にプレゼンをし続けていました。ですがタイミングが悪く、90年代後半から2000年代前半ってアウトドアが下火になった時期だったんです。ショップもメーカーも規模を縮小して、90年代まではたくさんあったアウトドア誌も数えるほどになってしまっていました。
そんなときに「R25」(*2)が2004年に創刊してフリーマガジンのブームが起きたのを見て「同じように広告料だけで無料のアウトドア誌をつくれないか」と思い立って制作したのが、今年で12年目になる「フィールドライフ」です。それから数年後に「ランドネ」を創刊できたのも、この雑誌が支持されたことが大きいですね。
(*1)シーカヤック…カヌーの一種で、シャフトの両端に水をかくパドルがついており、カヌーに比べ小ぶりで小回りの効く艇のことを「カヤック」と呼ぶ。川や湖などフィールドによってタイプが異なり、海で利用するものを「シーカヤック」という。海上散策から数泊に及ぶキャンプツーリングまで、用途に分けて艇の型もさまざま。
(*2)R25…リクルートホールディングスが発行する、25歳以上の男性をターゲットにしたフリーマガジン。2004年7月に創刊し、首都圏の主要駅や都心10区のコンビニ、大手書店などで無料配布されている。同年3月に期間限定配布したところ人気が出たため、創刊に至った。
――「フィールドライフ」といえば、よくショップに置いてある、アウトドアユーザーにはお馴染みのフリーマガジンですよね。
朝比奈 はい。最初は2〜3万部のスタートでしたが、おかげさまで現在は平均10万部ほどを刷って、たくさんのショップに置いてもらっていますね。
▲「フィールドライフ」1号目では、キャンプ、カヤック、クライミングなどを取り上げている
――「フィールドライフ」では、どういう人をターゲットにしていたんですか?
朝比奈 本当の意味での「初心者のユーザー」をターゲットにしていました。エイ出版社は「趣味の雑誌」をキーワードにいろんな雑誌・本をつくっていますが、雑誌を買ってくれるのってその趣味にエントリーしてから1〜2年目の人たち、つまり「初級〜中級者」が多いんですよ。始めようか迷っている本当の初心者の人たちは、数百円出してまで有料の雑誌を買わない。でも「フィールドライフ」は無料にすることで、逆に初心者に向けてつくることができたんですね。
――なるほど、それまでアウトドア誌では「初心者向け」のものが作りづらかったんですね。
朝比奈 それともうひとつ「フィールドライフ」が良かったのは、広告費さえ集まれば好きなように特集を組めることでした。山の雑誌って普通は「初夏に北アルプス特集をして、秋前に八ヶ岳の特集をする」というように季節ごとの制約があるんですが、そういった縛りがないので自由に遊び方を提案することができたんですね。
■ アウトドア人口拡大のカギは「女性」
朝比奈 僕が「フィールドライフ」で目指していたのは「アウトドア人口の拡大」でした。でも、どうしても越えられない壁として「女性ユーザーが増えない」ということがありました。自然のなかには虫もいるし、お風呂に入れないし、日焼けもするし、トイレだって不自由しますし、それらを解決する術(すべ)は基本的にないわけです。
ただ、そのハードルさえクリアすればもっともっと楽しいことが待っている――そのことを伝えたかった。そこで女性をイメージキャラクターにして表紙に登場してもらい、2年間色んなフィールドでアウトドアを経験し、どんどんスキルアップしていく姿を紹介していきました。1年目は国井律子さんに、その次はモデルのKIKIさんに登場してもらいました。そうやって地道にやっていけば女性のアウトドア好きも増える……と思っていたんですが、でもなかなか右肩上がりというわけにはいきませんでしたね。ようやく変化が見られるようになったのは2007年ぐらいのことです。
▲アイコンとなる女性モデルはあらゆるアウトドアをおよそ2年かけて経験し、成長して、次世代へ交代していく
――それは、どんなきっかけだったんでしょうか?
朝比奈 アウトドア業界にも、自動車業界でいうところの「モーターショー」のような国際規模のショーがあるんですが、そこで2007年ぐらいに急に女性向けのアウトドアブランドやラインが一斉に増え出したんです。カラーリングも彩り豊かになり、機能の面でも、バックパックなら女性のバストを締め付けない構造のストラップが登場したり、ウエアならウエスト部分を細く、ヒップ部分に余裕を持たせるような女性の身体を考慮したものが目立つようになりました。
それまでの女性用アウトドアギアって、男性市場のおまけくらいの位置づけで、ウエアも男性用のダウンサイジング版でしかなかったんです。もともと北米やヨーロッパって、日本に比べると女性のアウトドア人口は多かったんですけど、この時期から明らかに女性市場を拡大しようとする動きが起きていましたね。
■ 「山スカート」の誕生(2006年頃)
――この時期に女性市場を開拓する動きが出てきたのはなぜなんでしょうか。
朝比奈 ひと昔前に流行っていた「LOHAS(ロハス)」の一環で、健康的な生活をするべく公園でヨガをしたり、森のなかをハイキングしたりする女性が急増したのを受けて、2005〜2006年ごろからアウトドアメーカーが動き出したんだと思います。
この動きに気づいてすぐ、アウトドアメーカーの人たちに「来季はもう少し女性向けのウェアを拡大できないか?」と言って回ったんですが、その時期はまだ「売り場にスペースがないから……」と断られてしまうことが多かったですね。
そうこうしているうちに、「クラウドベイル」というブランドの来季商品にランニング用スカートが出ているのを発見して、「このスカートで山登りをしてみるのはどうだろう」と思ったんです。
――数年後に、「山ガール」と呼ばれる女性たちが高尾山などでこぞって履くようになった「山スカート」の原型ですね。
朝比奈 他ブランドでも似たようなものはいくつかありましたが、当初は山専用ではなかったと思います。初めはなかなか受け入れられませんでしたね。誰に話しても反応は良くなかったし、結局女性用の商品が広く市場に出始めたのはそれから2年後のことでした。
――以前取材したスポーツ/アウトドアショップのオッシュマンズの角田さんも、ランスカートについて「最初は全然受け入れられなかった」とおっしゃっていました。今ではすっかり当たり前になりましたが、「山スカート」も同様だったんですね。
▲のちにランドネで紹介されるようになった山スカート。カラフルなタイツと組み合わせる
■「アウタージャケットを1week着回し!」参考にしたのは女性ファッション誌
――そんな空気のなかで朝比奈さんは2009年に「ランドネ」を創刊したわけですが、どうやってそこまで漕ぎ着けたんでしょうか?
朝比奈 2008年に「フィールドライフ」の書店売り版としてアウトドアギアのカタログ号を作って、そのなかで「Out Girls」という企画を綴じ込みでやったんです。友人の編集者・福瀧智子さんが「女性向けのアウトドア誌を作りたい」と提案してくれていたのを受けて作ったものです。これが好評だったので、ようやく会社で企画が通って、女性向けのアウトドア誌として「ランドネ」を創刊することになりました。
▲ランドネの原型は、フィールドライフの綴じ込み企画だった
――雑誌の当初のコンセプトはどういうものだったんでしょうか?
朝比奈 朝比奈 ショッピングや美味しいものを食べに行くのと同じくらいの感覚で、ピクニックやキャンプに行ってくれたらいいなと思っていて、女の子を振り向かせる手法としてカラフルな「アウトドアファッション」を取り上げました。
僕個人は実践的なアウトドアが好みなので「格好から入るというのはどうなんだろう」という思いはありつつ、でもファッションがきっかけで自然の中で遊ぶ魅力に気づく人が増えてくれたらいいなと。だから当初の「ランドネ」はあえてアウトドア誌らしい作り方はしていなくて、当時人気のあった女性ファッション誌を研究して参考にしていましたね。 記事ではウエアを中心に紹介しつつ、コスメについても扱ったり、登山のみでなくあらゆるアクティビティを広く紹介したりして、今までにない広がりのあるアウトドア誌になっていたと思います。
――女性ファッション誌の作り方というのは、たとえばどういう部分を参考にしたんでしょうか?
朝比奈 「一週間の着回しをアウトドアウエアをベースに紹介する」というようなものです。中心は「街のアウトドアファッション」的なものでした。
▲女性ファッション誌ではよく見かける「1週間着回しコーデ特集」。”アウトドアウエアでハイキング”は、休日のお楽しみという位置づけになっている
――「アウトドアウエアを日常着としても活用しよう」という提案なわけですよね。
朝比奈 やっぱり「日常着でも使えるよ」ということをどうしてもアピールしないといけなかったんです。例えば登山の必須道具であるレインウエアは、高価なものだと5万円以上します。その値段だと購入までのハードルが高くなってしまう。だから、「日常使いもできます」というアピールが重要だったんですね。
■ 野外フェスから高尾山へ、そしてさらなる高みへ
朝比奈 それと初期の「ランドネ」の特徴のひとつに、さっき言った「山スカート」の提案があると思います。この頃にはメーカーさんも「女性のアウトドアブームの機運も高まっていますし、今度こそやりましょう」という流れになっていて、すんなり受け入れてもらうことができました。
僕達が最初に提案したのは、クライミングの聖地であるカリフォルニアのヨセミテで、80年代にクライマーたちの間で流行ったファッションでした。スカートやショートパンツに柄物のタイツを組み合わせた派手でクラシックなスタイルです。
▲サイケデリックなタイツを、スカートやショートパンツに合わせる
▲80年代のカリフォルニアのクライマースタイル。ヴィヴィッドカラーが眩しい。(40 Years of American Rock - Climbing | Climbing より)
――原色使いで、カラフルですね。女性としては、これを着て気分を上げたい気持ちがよくわかります。いつもの通勤服では地味に抑えている分、休みの日に自然のなかにいくなら、こういう色鮮やかな装いで気分を上げたいですよね。
朝比奈 当時の登山の世界ではこんなに派手な格好をする人はいなかったし、山のなかでおしゃれをするという発想自体が「あり得ない」ものでした。ただ、ウエアのデザインが派手なこと自体は悪いことではないんです。万が一遭難したとき、ウエアが派手なほうが発見されやすい。……という大義名分のもと、当時のランドネでは「カラフルな色の組み合わせでかわいくオシャレに登山を楽しもう」ということを提案していました。街のなかだと人目が気になるけど、山のなかでなら一層映えるし、何より「派手であればあるほど安全」という大義名分が背中を押してくれて、胸を張ってカラフルな格好ができるわけです。
▲「街中では人目が気になるけど、山中でなら…」という思い切りと、「派手なほうがリスク管理につながる」という大義名分が後押しする
――初期のランドネには、野外フェスのレポートも多いですよね。
朝比奈 朝比奈 ランドネが創刊した2009年ごろは、すでに野外フェスブームでした。音楽だけを楽しむのではなくて、よりアウトドア志向の、キャンプを伴ったかたちで行うフェスがある程度の市民権を得た時期ですね。
野外フェスでは雨具が必要だから、レインジャケットを購入する女性も多いし、バーナーやテントを購入する人もいる。これらはすべて登山でも活用できるものばかり。だから「山でも使ってみようよ」という提案ができる。そのため、当初はフェスの特集にもかなり力を入れてやっていました。
そうやってフェスに参加していた女性が、今度は一気に高尾山へ押し寄せた、という感じではないかなと思っています。つまり山に入った女性の第一波は、野外フェスですでにギアを揃えた人たち。第二波で、純粋に登山がしたくてウエアを購入した、という女性が入ってきたんだと思います。
▲野外フェスでも、登山でも、はじけるようにカラフルな装いが目立つ
――今見ると、彼女たちの装いは「森ガール」にも近い気がしますね。
朝比奈 「〜ガール」というのが流行ったのは2008年ごろからで、「山ガール」と言われだしたのもこのころです。
――「山ガール」という言葉を最初に使ったのは、やはりランドネなんですか?
朝比奈 いえ、ランドネでは一度も「山ガール」という言葉を使ってないんですよ。やっぱり流行り言葉になってしまうと消費スピードも早くなってしまいます。一過性のブームで終わらせたくはなかったんです。
■ ブーム定着後のネクストステップ――登山情報のニーズの高まり
――野外フェスを通じて登山を始めたり、アウトドアファッションを通じて登山を始めたりした女性は、どんな人たちだったんでしょうか。
朝比奈 普段は運動をまったくしない「文化系」の子たちが圧倒的に多かったですね。もともと運動が好きな子は自分でどんどん開拓していってしまいますから。あと、登山はウエアやギアを揃え、さらに交通費や宿泊費も含めるとどうしてもお金がかかるので、働いていて自分である程度自由にお金を使える、20代後半から40代前半の方が多かったですね。これは創刊から今も変わらない傾向です。
――20代後半以降なんですね。やっぱり、20歳すぎの女子大生くらいだと、なかなか山に登るところまでは行かないですよね。
朝比奈 アウトドアは街のなかで遊ぶことに飽きてきたころになってやっと「楽しいな」と思えるものなので、20代前半ぐらいだとまだその魅力に気づきにくいのかもしれません。
――メインの読者はやっぱり都市部に住んでいる方が多いんでしょうか?
朝比奈 最も多いのは関東近郊で、あとは大阪などの都市圏が中心です。大型書店があることも大きいと思いますが、そもそも山の近くに住んでいる人たちは外遊びを欲しないというのもありますね。実際、山が好きで麓に移住した人も、案外山に行かなくなっちゃうんですよ。ないものねだりというか、都会で仕事をしていてストレスを感じれば自然が恋しくなるし、その逆もまた然りなんでしょうね。
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音楽フェス、都市型バーベキュー、フリークライミング――〈アウトドア〉は社会をどう変えたのか(アウトドアカルチャーサイト「Akimama」滝沢守生インタビュー・後編) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.617 ☆
2016-06-14 07:00チャンネル会員の皆様へお知らせ
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音楽フェス、都市型バーベキュー、フリークライミング――〈アウトドア〉は社会をどう変えたのか(アウトドアカルチャーサイト「Akimama」滝沢守生インタビュー・後編)
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2016.6.14 vol.617
http://wakusei2nd.com
今朝のメルマガでは、音楽フェスからアウトドアまでを幅広く扱う情報サイト『Akimama(アキママ)』を運営する株式会社ヨンロクニ代表・滝沢守生さんへのインタビュー後編をお届けします。前編のテーマは「アウトドアと音楽フェスの歴史」でしたが、今回は「フェス以降」のアウトドアがどうなっていくのかについて、さらに深掘りして伺いました。
前編はこちらのリンクから。
▲Akimama アウトドアカルチャーのニュースサイト
▲Akimamaを運営する株式会社ヨンロクニ代表・滝沢守生さん(写真:編集部)
◎聞き手・構成:小野田弥恵、中野慧
■フェスのユーザーマッピングと、ブームのゆくえ
――いまの日本の各フェスのユーザー層は、それぞれどう色付けできるでしょうか。
滝沢 出演しているアーティストにかなり依存してますよね。フジロックに行く層は、洋楽好きなロック層ですからちょっと世代は上がりますし、J-POPを聞いているような若い子たちはなかなか参加しづらいかもしれません。
千葉と大阪で日替わりで開催されているSUMMER SONICは、洋楽も邦楽もメジャーアーティストのおいしいとこ取りができて、しかも都市型。日本で最もユーザーの年齢層の幅が広いフェスだと思います。ただ、会場の半分は屋内ですからインドアです。逆に言えば装備がいらないから参加しやすいんですね。
それと、洋楽は知らないけど日本人アーティストが好きな若い子たちが一番入って行きやすいのは、茨城県のひたちなか海浜公園で開催されているROCK IN JAPAN FESTIVALですね。日本人アーティストのみのラインナップで、天候もフジロックのように荒れることが少ないので装備もほとんど要らず、トイレ等の設備も整っているので敷居が低い。参加者も、どちらかというと街場のライブにも行くような子たちですね。他にも、中小規模のフェスはどんどん増えています。
――そうして成熟してきたフェスブームは今、もしかしたら曲がり角にきているのかなと思ったのですが。
滝沢 ええ、来ていると思いますね。イベントはすでに飽和状態で、特色を出せなければ淘汰されていくと思います。成功例でいえば「GO OUT JAMBOREE」などでしょうね。ここでやっているのはキャンプインに特化した、おしゃれキャンパーフェスというものです。買い物をメインにしつつ、ラインナップは多くはありませんが、今のフェスの中心にいるような旬なアーティストをブッキングしています。
昔は「夏フェス」と呼ばれていましたが、実は今、夏にやるイベントってそれほど多くなくて、それよりも、春や秋の方が多いんです。3月から11月の終わりまで、至るところでフェスをやっていますね。
地方フェスの場合は、全国的な知名度はないけれど地域でちょっと有名な先輩バンドをいっぱい呼んで、自治体とも組んで「地域のお祭り」へと押し上げようとしています。イベントは収支がないと立ち行かないものですが、それだけを追いかけていてもダメで、身の丈にあった規模で、町興しの側面にも気を配りながら時間をかけてファンを作っていくようなイベントは残っていくでしょうね。
野外フェスは、登山、カヌーなどのアウトドアアクティビティのいちジャンルとしてすでに定着したと思います。一方で、フェスがこれからどれだけ淘汰されるかはわかりません。フジロックだってなくなるかもしれない。けれど、フジロックがなくなったとしても、夏のアウトドアのイベントとして、これからもフェスは供給され続けていくと思います。
――アウトドア全般におけるユーザー層もどんどん変化していますよね。登山でも、以前に比べて親子連れをよく見かけるようになったし、フジロックでもファミリー層がぐっと増えてきています。
滝沢 フジロックは今年で20周年になるので、20年前に二十歳だった人はもう今は40歳。そうなると小学生くらいの子がいてもおかしくない世代だから、そろそろ「じゃあみんなでフジロックに行ってみようか」ということが当たり前に起きる。フェスとファンが一緒に成長して、次世代につながっていく。実は親子3世代で来ている人もいたりして、これは他のフェスでは見られない現象ですね。
――家族の恒例行事というか、まるで冠婚葬祭のようなものになり始めていると。
滝沢 やっぱり、フェスは新しい「お祭り」の形なのかな、と思います。フジロックがあと10年〜20年続けば、もっとトラディショナルなお祭りになる気もしますね。ただ、「アウトドアは不況のときに流行る」とよく言われるので、時代の流れ次第でどう変化していくかはまだまだわかりません。
▲フジロックのメインステージである「グリーンステージ」(写真:sumi☆photo)
――ちなみにフェスの新たな動きといえば、2015年にお台場で開催され3日で9万人を動員した「ULTRA JAPAN」のような試みもありますよね。
滝沢 今は世界的にEDMブームですから、遅かれ早かれああいった流れは日本にも必ず来ると思っていましたし、「ULTRA」のような音楽イベントは今後もっと大きくなる可能性はあると思います。ただ、EDMフェスは「踊る」という機能に特化したもので、そこにはアウトドア的なペーソスがもともとないですから、EDMとアウトドアが結びつく可能性は低いんじゃないかな、と思います。
――なるほど。当初、アウトドアと音楽という2つのジャンルが「フェス」という旗印のもとに合流することで大きなムーヴメントになっていったと思うのですが、その2つが今また分かれようとしている――「ULTRA」のようなEDMフェスの隆盛は、そのことを象徴しているのかもしれないですね。
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音楽フェス、都市型バーベキュー、フリークライミング――〈アウトドア〉は社会をどう変えたのか(アウトドアカルチャーサイト「Akimama」滝沢守生インタビュー・前編) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.595 ☆
2016-05-19 07:00チャンネル会員の皆様へお知らせ
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音楽フェス、都市型バーベキュー、フリークライミング――〈アウトドア〉は社会をどう変えたのか(アウトドアカルチャーサイト「Akimama」滝沢守生インタビュー・前編)
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2016.5.19 vol.595
http://wakusei2nd.com
これまでPLANETSメルマガでは、スポーツ・アウトドア・ファッション・ライフスタイルが渾然一体となった新たなカルチャーの輪郭を描き出すべく、いくつかの記事を不定期で配信してきました。今回は、1970年代〜現在までのアウトドアの歴史を「野外音楽フェス」を軸に紐解いていこうと、音楽フェスからアウトドアまでを幅広く扱う情報サイト『Akimama(アキママ)』を運営する株式会社ヨンロクニ代表・滝沢守生さんにお話を伺いました。
《これまでの本シリーズのダイジェスト》
近年、都市住民を中心としてランニングやヨガやフリークライミング(ボルダリング)、登山などのアウトドア・アクティビティを生活やレジャーに取り入れる動きが活発化しています。かつてはスポーツといえば学校の球技系部活が中心となっていましたが、個人でも取り組めて、かつ「競う」のではなく「楽しむ」趣味の一貫として、または運動不足に悩むデスクワーカーたちが健康維持のために行うものとしてのスポーツが存在感を増しています。水面下で起こっているこの巨大な変化を私たちはどう捉えればいいのだろう――そんな問題意識から、このシリーズはスタートしました。
最初にPLANETS編集部は、「ライフスタイル化するスポーツとアウトドア」の様々なギアをパッケージングして販売し、好評を博しているスポーツセレクトショップ「オッシュマンズ」の営業計画・販売促進担当マネージャー・角田浩紀さんにお話を伺うことにしました。
都市生活とスポーツの融合が生み出す”新たなライフスタイル”とは!? ――「アメリカ生まれのスポーツショップ」オッシュマンズを取材してみた
角田さんによれば、「今の東京の都市生活者たちのライフスタイル・スポーツの文化は、アメリカの東海岸と西海岸の文化を融合させた独自のものだ」とのこと。さらに、アウトドアウェアのような機能性の高い服を日常着として着る文化はアメリカ発であるものの、そこにさらに「ファッションとしての文脈」を加えたのは、80年代の日本のファッション業界だったようです。
そこで今度は、アウトドア&スポーツウェアが日常着として日本社会で受容された経緯について「ファッション」の側から明らかにすべく、BEAMSの中田慎介さんにお話を伺いました。
「日常着としてのアウトドアウェア」はなぜ定着したのか? ――アメカジの日本受容と「90年代リバイバル」から考える(BEAMSメンズディレクター・中田慎介インタビュー)
中田さんによれば、カウンターカルチャー全盛の60年代アメリカでは、スーツをはじめとしたビジネススタイルへの反発からワークウェアがヒッピーたちの支持を得た、とのことでした。「文脈の読み替え」として、機能的な服がファッション文化において意味を持つようになったのでした。
さらに、アウトドアウェアの日本受容が進むなかで、日本の80年代以降の「DCブランド」的な感覚の延長線上で「ファッションアイテム的なモノ」として位置付けられたことが、文化の拡大において大きな役割を果たしたそうです。
一方で、純粋なアクティビティとしての「アウトドア」の側面からは、現在までの状況をどう捉えられるのだろうか、という疑問も浮かびます。そこで今度は、アウトドア誌「ランドネ」(エイ出版社刊)の朝比奈耕太編集長にお話を伺いました。
「山スカート」はなぜ生まれたのか? アウトドア誌「ランドネ」編集長・朝比奈耕太に聞くファッションとライフスタイルの接近
かつては男性の趣味と思われていたアウトドアが女性に人気となり、メディア上で「山ガール」と名付けられ話題になったのは2009〜2010年ごろのこと。もともと運動に無縁の「文化系女子」たちがカラフルなウェアに身を包み、続々とアウトドアに参入していくようになりました。その結果、昔ながらの登山者たちとの対立構図なども生まれつつ、アウトドア・アクティビティの楽しみ方は多様性を増していっている、とのことでした。
ここまで3人の方に取材を重ね、なかでもオッシュマンズの角田さん、「ランドネ」の朝比奈さんが口を揃えて語っていたのは「アウトドアブームの拡大にはフジロックが大きな役割を果たした」ということでした。
そもそも「文化系」のものである音楽フェスがきっかけとなってアウトドアへの入口が大きく開いたとすると、「フェスを中心としたアウトドアの歴史」も描くことができるのではないか。そんな関心から、今回は音楽フェスからアウトドアまで幅広く扱う情報サイト『Akimama(アキママ)』を運営する株式会社ヨンロクニ代表・滝沢守生さんにインタビューをお願いすることにしました。
*
『Akimama』は、フェスや登山、キャンプなど、アウトドアに関する情報を網羅するウェブメディアとして2013年よりスタートしました。運営は、これまで20年以上アウトドア業界に携わってきた編集者、ライター、カメラマンなど、その道のエキスパートたちによって行われています。自らの視点と自らの足で入手した一次情報をいち早くニュースとして配信、ビギナーからベテランまで幅広いアウトドアユーザーに、オンリーワンな情報ツールとして親しまれています。
サイトを立ち上げた代表の滝沢さんは、山岳専門誌を出版する「山と溪谷社」に勤務、その間、1976年に創刊された月刊誌『Outdoor』にて6年間編集デスクを務め、その後、独立。これまで数多くのアウトドアメディアに携わるだけでなく、フジロックのキャンプサイトの運営責任者を10年務めるなど、野外イベントの制作・運営などもを行うアウトドア業界の第一任者として広く活躍されています。そこで、アウトドアカルチャーの歴史と変遷を熟知する滝沢さんに、1970年代に日本にはじめて到来したアウトドアムーヴメントから2000年代のフェスの隆盛までを振り返っていただきながら、これからのフェスやキャンプ、アウトドアブームはどう変化していくのかについて、お話を伺いました。
◎聞き手・構成:小野田弥恵、中野慧
▲Akimama アウトドアカルチャーのニュースサイト
■思想と分離された70年代のアウトドアファッション
――『Akimama』は、アウトドアのなかでは気軽なフェスから、登山、クライミング、バックカントリー、女子も気になる “アウトドアごはん”に“ファッション”など、アウトドアカルチャー全体の旬な情報を発信していますよね。「なんとなくアウトドアに興味がある」という人でもとっつきやすい一方で、山岳ガイドや専門店のスタッフによる寄稿など、読み応えのある記事も多い充実したメディアだと感じています。
滝沢 ありがとうございます。もともとは、僕がアウトドア雑誌で編集をしていたときから一緒に仕事をしていた仲間のライターやカメラマンらと「ウェブで自分たちのアウトドアのメディアを作れないか」とよく話していたのがきっかけです。「出版不況だし、紙ではなく、自分たちの拾ってきたリアルな情報をニュースとして伝えるウエブメディアを作ってみよう」というようなノリで始めました。
誰もやっていないことをやりたかったので、今のところは非常に手応えを感じています。ただ、しっかりとお金を使って綺麗なデザインにしたり、SEO対策をしたりと、ウェブの世界で常套手段とされているようなことは、まだまだあんまりできていないんです。月に2回、編集会議と称して勉強会のような形で、いろいろな専門家の方を招き、サイトについての意見を聞きながら、ちょっとずつ自分たちも学びながらやっています。今も試行錯誤中、という感じですね。
――今日は「フェスを中心としたアウトドアの歴史」をテーマにお話を伺っていきたいのですが、まず滝沢さんが長年アウトドアメディアに携わってきたなかで、ご自身の印象としてアウトドア誌が最も盛んだったのはいつごろなんでしょう?
滝沢 雑誌『Outdoor』(山と溪谷社刊)が創刊されたのが1976年、『BE-PAL』(小学館刊)は81年ですから、70年後半から80年ぐらいが、日本のアウトドアの草創期ではないでしょうか。そもそも日本のアウトドアって1970年代のアメリカ西海岸のライフスタイルやグッズを紹介した『Made In USA Catalog』(マガジンハウス刊)の刊行をきっかけに、アウトドアグッズを組み合わせたファッションスタイル「ヘビーデューティー」の流行、つまりファッションの輸入によってもたらされたものなんです。
当時のカリフォルニアはカウンターカルチャーの絶頂期でした。もともと、1950~1960年代中盤のアメリカ西海岸では、ビートジェネレーションを背景に、資本主義やベトナム戦争に異を唱える学生や反体制運動家によって自然回帰を求める「バックパッキング革命」が起こっていました。東海岸のエスタブリッシュな人間が、自然への回帰やエコロジーの思想を求め、バックパックに荷物を詰めて都市から荒野へ旅に出よう、というものです。そういった思想を背景に広がったのがアメリカのアウトドアムーヴメントだったんです。
しかし1970年代に日本に輸入されたのは、アウトドアのなかのファッションやギアのみで、思想は二の次、ともいうべきものでした。アウトドアのアイテムは、当初は「新しいファッションアイテム」という側面が注目されたんですね。一方で、フライ・フィッシングやバックパッキングなどの目新しいアクティビティは、輸入されると同時に、スタイルとともに、その思想もしだいに広まっていきました。
▲Akimamaを運営する株式会社ヨンロクニ代表・滝沢守生さん(撮影:編集部)
■日本の元祖山ガールは、戦前の女学校登山?
――日本におけるアウトドア文化の受容の初期段階において、「ファッション」の部分が先行していたわけですね。独特でとても面白い現象のように思います。そもそも70年代まで、「アウトドア」という言葉は日本にはなかったということなんでしょうか?
滝沢 そうですね。1978年に出版された子ども用のキャンプ読本などを読んでも、「アウトドア」の「ア」の字も出ていないんですよ。ただ、「アウトドア」という言葉がなくても、すでに行為そのものは成立していました。今でこそ、山に登る女性を「山ガール」と呼んだりしてちょっと特別な現象のように言いますけど、実はそのルーツは戦前の「高等女学校【1】」なんですよ。今でも地方の学校で、年に一度、“学校登山”を行事として行っている学校もありますが、あれはもともと戦前の女学校でちょっとしたブームになって定着したものなんです。
【1】高等女学校:戦前の日本で、女子に対して中等教育(現在の日本の学校制度における中学校・高等学校の教育課程)を行っていた教育機関。主に12〜17歳の5年間を修業年限としていた学校が多い。
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「山スカート」はなぜ生まれたのか? アウトドア誌「ランドネ」編集長・朝比奈耕太に聞くファッションとライフスタイルの接近 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.351 ☆
2015-06-24 07:00
「山スカート」はなぜ生まれたのか?アウトドア誌「ランドネ」編集長・朝比奈耕太に聞くファッションとライフスタイルの接近
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2015.6.24 vol.351
http://wakusei2nd.com
近年、レジャーの一環としてアウトドアはすっかり定着し、高機能の登山用ウェアを街中で着ている人たちも珍しくなくなりました。2009〜2010年ごろには「山ガール」という言葉も話題となり、ファッションとアウトドアの垣根はますますなくなりつつあります。
今回はそのファッションとアウトドアという2つの「文化」を結びつけ、登山やキャンプ初心者のバイブルとなったアウトドア誌「ランドネ」の朝比奈耕太さんに、文化としてのアウトドアウェアの歴史を聞いてきました。
これまで主に男性の趣味と思われていた「アウトドア」が女性に人気となり、メディア上で「山ガール」と名付けられ話題になったのは2009〜2010年ごろのこと。カラフルな防水ジャケットや伸縮性のあるタイツ、スカートなどを組み合わせ、オシャレなウェアで登山やキャンプ、野外フェスを楽しむ女性が目立つようになりました。女性のファッションにこうした「機能」を売りにしたアウトドアウェアが流れ込むようになり、レジャーとしてのアウトドアブームも現在まで拡大の一途をたどっています。
そんなブームを牽引したのが、2009年に創刊されたアウトドア誌「ランドネ」(エイ出版社)。カジュアルにウェアを着こなしながら、楽しく登山やキャンプに足を運ぶ女性たちのあいだで広く読まれた雑誌です。今回はその「ランドネ」編集長の朝比奈耕太さんに、女性ファッションとアウトドアの関係についてお話を伺ってきました。
◎聞き手:小野田弥恵
◎構成:小野田弥恵、中野慧
▲「ランドネ」編集長の朝比奈耕太さん
■ アウトドア不遇の時代だった90年代後半から、「フィールドライフ」の創刊へ
――ランドネは現在に続くアウトドアブームの火付け役だと思うのですが、その創刊を手掛けた朝比奈さんは、そもそもなぜ「女性向けのアウトドア誌」を作ろうと思ったんでしょうか。
朝比奈 僕が最初にアウトドアに興味を持ったのは、もう20年近く前の1997年、シーカヤック(*1)の雑誌を制作したことがきっかけです。取材で奄美大島諸島を一週間かけてシーカヤックで周ったんですが、それはもう震えるほどの体験でした。無人島にテントを設営して、薪を集めたき火をし、海に潜って魚を突いて、じゃんけんで負けたらカヤックを漕いで商店までビールを買いに行く。「こんなに楽しいことがあるんだ」とすごく感動して、それ以来「雑誌の力でもっと多くの人たちをアウトドアに巻き込みたい」と思うようになりました。
その雑誌は休刊となってしまったんですが、他ジャンルの雑誌をつくりつつ、「アウトドア誌を作りたい」と会社にプレゼンをし続けていました。ですがタイミングが悪く、90年代後半から2000年代前半ってアウトドアが下火になった時期だったんです。ショップもメーカーも規模を縮小して、90年代まではたくさんあったアウトドア誌も数えるほどになってしまっていました。
そんなときに「R25」(*2)が2004年に創刊してフリーマガジンのブームが起きたのを見て「同じように広告料だけで無料のアウトドア誌をつくれないか」と思い立って制作したのが、今年で12年目になる「フィールドライフ」です。それから数年後に「ランドネ」を創刊できたのも、この雑誌が支持されたことが大きいですね。
(*1)シーカヤック…カヌーの一種で、シャフトの両端に水をかくパドルがついており、カヌーに比べ小ぶりで小回りの効く艇のことを「カヤック」と呼ぶ。川や湖などフィールドによってタイプが異なり、海で利用するものを「シーカヤック」という。海上散策から数泊に及ぶキャンプツーリングまで、用途に分けて艇の型もさまざま。
(*2)R25…リクルートホールディングスが発行する、25歳以上の男性をターゲットにしたフリーマガジン。2004年7月に創刊し、首都圏の主要駅や都心10区のコンビニ、大手書店などで無料配布されている。同年3月に期間限定配布したところ人気が出たため、創刊に至った。
――「フィールドライフ」といえば、よくショップに置いてある、アウトドアユーザーにはお馴染みのフリーマガジンですよね。
朝比奈 はい。最初は2〜3万部のスタートでしたが、おかげさまで現在は平均10万部ほどを刷って、たくさんのショップに置いてもらっていますね。
▲「フィールドライフ」1号目では、キャンプ、カヤック、クライミングなどを取り上げている
――「フィールドライフ」では、どういう人をターゲットにしていたんですか?
朝比奈 本当の意味での「初心者のユーザー」をターゲットにしていました。エイ出版社は「趣味の雑誌」をキーワードにいろんな雑誌・本をつくっていますが、雑誌を買ってくれるのってその趣味にエントリーしてから1〜2年目の人たち、つまり「初級〜中級者」が多いんですよ。始めようか迷っている本当の初心者の人たちは、数百円出してまで有料の雑誌を買わない。でも「フィールドライフ」は無料にすることで、逆に初心者に向けてつくることができたんですね。
――なるほど、それまでアウトドア誌では「初心者向け」のものが作りづらかったんですね。
朝比奈 それともうひとつ「フィールドライフ」が良かったのは、広告費さえ集まれば好きなように特集を組めることでした。山の雑誌って普通は「初夏に北アルプス特集をして、秋前に八ヶ岳の特集をする」というように季節ごとの制約があるんですが、そういった縛りがないので自由に遊び方を提案することができたんですね。
■ アウトドア人口拡大のカギは「女性」
朝比奈 僕が「フィールドライフ」で目指していたのは「アウトドア人口の拡大」でした。でも、どうしても越えられない壁として「女性ユーザーが増えない」ということがありました。自然のなかには虫もいるし、お風呂に入れないし、日焼けもするし、トイレだって不自由しますし、それらを解決する術(すべ)は基本的にないわけです。
ただ、そのハードルさえクリアすればもっともっと楽しいことが待っている――そのことを伝えたかった。そこで女性をイメージキャラクターにして表紙に登場してもらい、2年間色んなフィールドでアウトドアを経験し、どんどんスキルアップしていく姿を紹介していきました。1年目は国井律子さんに、その次はモデルのKIKIさんに登場してもらいました。そうやって地道にやっていけば女性のアウトドア好きも増える……と思っていたんですが、でもなかなか右肩上がりというわけにはいきませんでしたね。ようやく変化が見られるようになったのは2007年ぐらいのことです。
▲アイコンとなる女性モデルはあらゆるアウトドアをおよそ2年かけて経験し、成長して、次世代へ交代していく
――それは、どんなきっかけだったんでしょうか?
朝比奈 アウトドア業界にも、自動車業界でいうところの「モーターショー」のような国際規模のショーがあるんですが、そこで2007年ぐらいに急に女性向けのアウトドアブランドやラインが一斉に増え出したんです。カラーリングも彩り豊かになり、機能の面でも、バックパックなら女性のバストを締め付けない構造のストラップが登場したり、ウエアならウエスト部分を細く、ヒップ部分に余裕を持たせるような女性の身体を考慮したものが目立つようになりました。
それまでの女性用アウトドアギアって、男性市場のおまけくらいの位置づけで、ウエアも男性用のダウンサイジング版でしかなかったんです。もともと北米やヨーロッパって、日本に比べると女性のアウトドア人口は多かったんですけど、この時期から明らかに女性市場を拡大しようとする動きが起きていましたね。
■ 「山スカート」の誕生(2006年頃)
――この時期に女性市場を開拓する動きが出てきたのはなぜなんでしょうか。
朝比奈 ひと昔前に流行っていた「LOHAS(ロハス)」の一環で、健康的な生活をするべく公園でヨガをしたり、森のなかをハイキングしたりする女性が急増したのを受けて、2005〜2006年ごろからアウトドアメーカーが動き出したんだと思います。
この動きに気づいてすぐ、アウトドアメーカーの人たちに「来季はもう少し女性向けのウェアを拡大できないか?」と言って回ったんですが、その時期はまだ「売り場にスペースがないから……」と断られてしまうことが多かったですね。
そうこうしているうちに、「クラウドベイル」というブランドの来季商品にランニング用スカートが出ているのを発見して、「このスカートで山登りをしてみるのはどうだろう」と思ったんです。
――数年後に、「山ガール」と呼ばれる女性たちが高尾山などでこぞって履くようになった「山スカート」の原型ですね。
朝比奈 他ブランドでも似たようなものはいくつかありましたが、当初は山専用ではなかったと思います。初めはなかなか受け入れられませんでしたね。誰に話しても反応は良くなかったし、結局女性用の商品が広く市場に出始めたのはそれから2年後のことでした。
――以前取材したスポーツ/アウトドアショップのオッシュマンズの角田さんも、ランスカートについて「最初は全然受け入れられなかった」とおっしゃっていました。今ではすっかり当たり前になりましたが、「山スカート」も同様だったんですね。
▲のちにランドネで紹介されるようになった山スカート。カラフルなタイツと組み合わせる
■「アウタージャケットを1week着回し!」参考にしたのは女性ファッション誌
――そんな空気のなかで朝比奈さんは2009年に「ランドネ」を創刊したわけですが、どうやってそこまで漕ぎ着けたんでしょうか?
朝比奈 2008年に「フィールドライフ」の書店売り版としてアウトドアギアのカタログ号を作って、そのなかで「Out Girls」という企画を綴じ込みでやったんです。友人の編集者・福瀧智子さんが「女性向けのアウトドア誌を作りたい」と提案してくれていたのを受けて作ったものです。これが好評だったので、ようやく会社で企画が通って、女性向けのアウトドア誌として「ランドネ」を創刊することになりました。
▲ランドネの原型は、フィールドライフの綴じ込み企画だった
――雑誌の当初のコンセプトはどういうものだったんでしょうか?
朝比奈 朝比奈 ショッピングや美味しいものを食べに行くのと同じくらいの感覚で、ピクニックやキャンプに行ってくれたらいいなと思っていて、女の子を振り向かせる手法としてカラフルな「アウトドアファッション」を取り上げました。
僕個人は実践的なアウトドアが好みなので「格好から入るというのはどうなんだろう」という思いはありつつ、でもファッションがきっかけで自然の中で遊ぶ魅力に気づく人が増えてくれたらいいなと。だから当初の「ランドネ」はあえてアウトドア誌らしい作り方はしていなくて、当時人気のあった女性ファッション誌を研究して参考にしていましたね。 記事ではウエアを中心に紹介しつつ、コスメについても扱ったり、登山のみでなくあらゆるアクティビティを広く紹介したりして、今までにない広がりのあるアウトドア誌になっていたと思います。
――女性ファッション誌の作り方というのは、たとえばどういう部分を参考にしたんでしょうか?
朝比奈 「一週間の着回しをアウトドアウエアをベースに紹介する」というようなものです。中心は「街のアウトドアファッション」的なものでした。
▲女性ファッション誌ではよく見かける「1週間着回しコーデ特集」。”アウトドアウエアでハイキング”は、休日のお楽しみという位置づけになっている
――「アウトドアウエアを日常着としても活用しよう」という提案なわけですよね。
朝比奈 やっぱり「日常着でも使えるよ」ということをどうしてもアピールしないといけなかったんです。例えば登山の必須道具であるレインウエアは、高価なものだと5万円以上します。その値段だと購入までのハードルが高くなってしまう。だから、「日常使いもできます」というアピールが重要だったんですね。
■ 野外フェスから高尾山へ、そしてさらなる高みへ
朝比奈 それと初期の「ランドネ」の特徴のひとつに、さっき言った「山スカート」の提案があると思います。この頃にはメーカーさんも「女性のアウトドアブームの機運も高まっていますし、今度こそやりましょう」という流れになっていて、すんなり受け入れてもらうことができました。
僕達が最初に提案したのは、クライミングの聖地であるカリフォルニアのヨセミテで、80年代にクライマーたちの間で流行ったファッションでした。スカートやショートパンツに柄物のタイツを組み合わせた派手でクラシックなスタイルです。
▲サイケデリックなタイツを、スカートやショートパンツに合わせる
▲80年代のカリフォルニアのクライマースタイル。ヴィヴィッドカラーが眩しい。(40 Years of American Rock - Climbing | Climbing より)
――原色使いで、カラフルですね。女性としては、これを着て気分を上げたい気持ちがよくわかります。いつもの通勤服では地味に抑えている分、休みの日に自然のなかにいくなら、こういう色鮮やかな装いで気分を上げたいですよね。
朝比奈 当時の登山の世界ではこんなに派手な格好をする人はいなかったし、山のなかでおしゃれをするという発想自体が「あり得ない」ものでした。ただ、ウエアのデザインが派手なこと自体は悪いことではないんです。万が一遭難したとき、ウエアが派手なほうが発見されやすい。……という大義名分のもと、当時のランドネでは「カラフルな色の組み合わせでかわいくオシャレに登山を楽しもう」ということを提案していました。街のなかだと人目が気になるけど、山のなかでなら一層映えるし、何より「派手であればあるほど安全」という大義名分が背中を押してくれて、胸を張ってカラフルな格好ができるわけです。
▲「街中では人目が気になるけど、山中でなら…」という思い切りと、「派手なほうがリスク管理につながる」という大義名分が後押しする
――初期のランドネには、野外フェスのレポートも多いですよね。
朝比奈 朝比奈 ランドネが創刊した2009年ごろは、すでに野外フェスブームでした。音楽だけを楽しむのではなくて、よりアウトドア志向の、キャンプを伴ったかたちで行うフェスがある程度の市民権を得た時期ですね。
野外フェスでは雨具が必要だから、レインジャケットを購入する女性も多いし、バーナーやテントを購入する人もいる。これらはすべて登山でも活用できるものばかり。だから「山でも使ってみようよ」という提案ができる。そのため、当初はフェスの特集にもかなり力を入れてやっていました。
そうやってフェスに参加していた女性が、今度は一気に高尾山へ押し寄せた、という感じではないかなと思っています。つまり山に入った女性の第一波は、野外フェスですでにギアを揃えた人たち。第二波で、純粋に登山がしたくてウエアを購入した、という女性が入ってきたんだと思います。
▲野外フェスでも、登山でも、はじけるようにカラフルな装いが目立つ
――今見ると、彼女たちの装いは「森ガール」にも近い気がしますね。
朝比奈 「〜ガール」というのが流行ったのは2008年ごろからで、「山ガール」と言われだしたのもこのころです。
――「山ガール」という言葉を最初に使ったのは、やはりランドネなんですか?
朝比奈 いえ、ランドネでは一度も「山ガール」という言葉を使ってないんですよ。やっぱり流行り言葉になってしまうと消費スピードも早くなってしまいます。一過性のブームで終わらせたくはなかったんです。
■ ブーム定着後のネクストステップ――登山情報のニーズの高まり
――野外フェスを通じて登山を始めたり、アウトドアファッションを通じて登山を始めたりした女性は、どんな人たちだったんでしょうか。
朝比奈 普段は運動をまったくしない「文化系」の子たちが圧倒的に多かったですね。もともと運動が好きな子は自分でどんどん開拓していってしまいますから。あと、登山はウエアやギアを揃え、さらに交通費や宿泊費も含めるとどうしてもお金がかかるので、働いていて自分である程度自由にお金を使える、20代後半から40代前半の方が多かったですね。これは創刊から今も変わらない傾向です。
――20代後半以降なんですね。やっぱり、20歳すぎの女子大生くらいだと、なかなか山に登るところまでは行かないですよね。
朝比奈 アウトドアは街のなかで遊ぶことに飽きてきたころになってやっと「楽しいな」と思えるものなので、20代前半ぐらいだとまだその魅力に気づきにくいのかもしれません。
――メインの読者はやっぱり都市部に住んでいる方が多いんでしょうか?
朝比奈 最も多いのは関東近郊で、あとは大阪などの都市圏が中心です。大型書店があることも大きいと思いますが、そもそも山の近くに住んでいる人たちは外遊びを欲しないというのもありますね。実際、山が好きで麓に移住した人も、案外山に行かなくなっちゃうんですよ。ないものねだりというか、都会で仕事をしていてストレスを感じれば自然が恋しくなるし、その逆もまた然りなんでしょうね。
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インテリアデザインの現在形――〈内装〉はモノとヒトとの間をいかに設計してきたか(浅子佳英×門脇耕三×宇野常寛「これからのカッコよさの話をしよう」vol.4) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.325 ☆
2015-05-19 07:00※メルマガ会員の方は、メール冒頭にある「webで読む」リンクからの閲覧がおすすめです。(画像などがきれいに表示されます)
インテリアデザインの現在形――〈内装〉はモノとヒトとの間をいかに設計してきたか(浅子佳英×門脇耕三×宇野常寛「これからのカッコよさの話をしよう」vol.4)
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2015.5.19 vol.325
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本日のメルマガは、浅子佳英さん、門脇耕三さん、宇野常寛による好評の鼎談シリーズ「これからのカッコよさの話をしよう」第4弾です。今回のテーマはインテリアデザイナー/批評家である浅子さん企画による「インテリアデザインの現在」。最新のショップデザインひしめく表参道・中目黒を巡り、リノベブーム以降のインテリアデザインを考えます。
▼これまでの記事
(vol.1)これからの「カッコよさ」の話をしよう――ファッション、インテリア、プロダクト、そしてカルチャーの未来
(vol.2)無印良品、ユニクロから考える「ライフデザイン・プラットフォーム」の可能性(「これからの『カッコよさ』の話をしよう」第2弾)
(vol.3)住宅建築で巡る東京の旅――「ラビリンス」「森山邸」「調布の家」から考える(浅子佳英×門脇耕三×宇野常寛「これからのカッコよさの話をしよう」第3弾)
▼プロフィール
門脇耕三(かどわき・こうぞう)
1977年生。建築学者・明治大学専任講師。専門は建築構法、建築設計、設計方法論。効率的にデザインされた近代都市と近代建築が、人口減少期を迎えて変わりゆく姿を、建築思想の領域から考察。著書に『シェアをデザインする』〔共編著〕(学芸出版社、2013年)ほか。
浅子佳英(あさこ・よしひで)
1972年生。インテリアデザイン、建築設計、ブックデザインを手がける。論文に『コムデギャルソンのインテリアデザイン』など。
◎構成:中野慧
◎撮影:編集部
ある春の晴れた日の午後、浅子佳英さん、門脇耕三さん、宇野常寛の3人はデザインとインテリアのメッカ、表参道に降り立ちました。
▲表参道の交差点。収録当日は天気にも恵まれていました。
浅子さんの案内のもと一行がまず向かったのは、イソップ青山店。
▲イソップ 青山店
〈イソップ〉はオーガニックなスキンケア、ヘアケア、ボディケア製品を販売し世界的に人気を得ているオーストラリア・メルボルン発のブランド。この青山店は日本初のショップで、建築家・長坂常さんのデザインによるもの。元あった内装を引き剥がし、スケルトンにして空間を広く使ういわゆるリノベーションなのですが、壁や天井は塗装すらされておらず、別の場所で解体された住宅の廃材や家具を再利用しているのが特徴です。
そして次に向かったのは、表参道の大通りから少し入った場所にある「イザベル・マラン東京」。
▲表参道にある「イザベル・マラン東京」
〈イザベル・マラン〉は、フランスのファッションブランド。インテリアデザインはフランスの若手建築家集団CIGUË(シグー)によるもので、〈イソップ〉同様、もともとあった建物のリノベーション。ファッションブランドとしては珍しく木造の建物の2階をショップにしていて、やはり元々あった内装はすべて引き剥がし、木の軸組は全て露出しています。そこに異素材として、FRP(繊維強化プラスチック)でできた大きな照明やフィッテイングルームが挿入されています。
そして次に訪れたのは、ハイブランドの旗艦店ひしめく表参道の通りに面した〈セリーヌ〉でした。
▲CELINE(セリーヌ)表参道店
こちらは〈イソップ〉や〈イザベル・マラン〉とは対照的に、床面積も広く2階建てでとても豪華な作りです。〈イザベル・マラン〉と同じくフランスのファッションブランドですが、こちらはどちらかというと昔ながらのハイブランド。〈セリーヌ〉の外観・内装をひとしきり見た後、再び青山方面に向かいました。
▲途中、話題の「ブルーボトルコーヒー」(写真2F)を通り掛かりましたが人が多かったのと、「まあ、ここはええよ、、」(浅子さん)ということで華麗にスルー……。
そして青山の裏通りの細い道を行くと、そこには何やら要塞のような建物が……。
▲〈トム・ブラウン〉旗艦店(南青山)
この〈トム・ブラウン〉は、50〜60年代のアメリカ黄金時代やケネディ大統領のファッションにインスピレーションを受けた服を販売するニューヨーク発のブランド。浅子さんによればこの要塞のような外観は、お店の内部を「黄金時代のアメリカ」として演出するため、外界から完全に切断する役割を果たしているのだそう。
表参道・青山エリアでは最後に浅子さんおすすめのブランド〈リック・オウエンス〉の店舗を見学した後、中目黒に移動し、2000年代以降流行したライフスタイルショップの代表格〈1LDK〉へ。そして浅子さんの自宅兼アトリエにて座談会を収録しました。
▲中目黒にある〈1LDK〉。
■ 9.11/リーマンショック以降のリノベブームと〈中目黒的なもの〉
宇野 今回はインテリアデザイナーを本業とするーー最近は建築家的な仕事、あるいはプロダクトデザイン的な仕事のほうが目立って来ているような気もしますがーー浅子佳英さんプレゼンツによる「東京インテリア巡り」です。まずは企画者の浅子さんから今回の趣旨の説明をお願いします。
浅子 今のインテリアデザインは「リノベーション」が重要なキーワードになっているのですが、まずはそこに行く前にファッションとの関係から語るのが良いと思います。
ファッションの世界では数年前から、「ノームコア」という言葉が話題になっています。ノーマルのハードコアという意味なので、そもそも語義矛盾のような言葉なのですが、いわゆる霜降りのジーンズとか白い靴下とか「ちょっとダサい人たちが着る普通の服をオシャレに見せる」というトレンドが生まれました。言ってしまえば「一般人のコスプレ」ですね。アメリカでまず話題になり、昨年あたりから日本でも言葉自体は定着してきました。ただ、これってもともとは様々なファッションの流行が行き着いた先のちょっとスノッブで嫌らしいものなんだけど、それがコピーのコピーのコピーのようなかたちで日本に入ってきた頃には「シンプルで定番の服を着ている人がオシャレなんだ」というような、逆転したかたちで受容されてしまいました。そこで象徴的なキーワードとして「スローフード」や「中目黒」がアイコンになったというわけです。
今日見たなかでは、最後に行った中目黒の〈1LDK〉がわかりやすい例ですね。ノンウォッシュのジーンズにコットンシャツ、スウェットパンツにNEW BALANCEだったり、黒縁眼鏡にニットキャップなど、形としては普通なんだけど、上質な素材で作られているものだったり、定番品や日常で使えるもの、日々の暮らしで使えるものが逆転して流行のアイテムになっています。いわば「暮らし」がテーマなので食器なども一緒に売っています。
話は変わりますが、90年代後半から2000年代前半にかけて中目黒がエリアとして急に注目されたことで地価が上がり、それまであった面白い店が出て行ってしまい、ダメな店ばかりが増えて行くという現象が起こりました。
門脇 中目黒も、それ以前の原宿や代官山と同じような運命を辿ったわけですよね。ジェントリフィケーションによって地価や家賃が上昇して、実験的なショップを構えることのリスクが相対的に高くなってしまうという。そうなると、「その街のイメージ」を安易にコピーして貼り付けたようなショップが増えていきます。
浅子 まさにそういう話で、〈1LDK〉はそんなふうに中目黒が駄目になったあと、メインの川沿いではなく裏通りに出店し、いわば中目黒が復活するための下支えをしたような店なんですね。そういう経緯もあって、僕は〈1LDK〉自体はとても好きなんですが、最近の中目黒周辺には、そのコピーのコピーのような感じでニット帽と食器を売るライフスタイル系のお店ばかりになっています。また同じ事を繰り返している。
▲〈1LDK〉の内装。シンプルでベーシックなアイテムが並んでいます。
画像出典:http://1ldkshop.com/shop_info
宇野 こんなこというとおしゃれな自意識をもった皆様方に怒られそうだけど、中目黒のああいったお店で売っているようなすごくシンプルな定番アイテムや、ライフスタイル系の食器とかって、無印良品で十分じゃない? って思ってしまうんだけど……。
浅子 (笑)たしかにそのとおりで、ひとつひとつのアイテムを見たら普通のものばかりで、それをちょっとオシャレっぽくレイアウトしているだけに見えますよね。もちろん、それぞれの商品にもその文脈を知っている人には読み取れる違いがきちんとあるのですが、その差異は「サードウェーブ系男子」で話題になったおぐらりゅうじ氏も指摘しているように、NBの生産国の違いなど、外から見ればごく小さなものです。
さらに重要なのは、その定番アイテムを細かく読み解いていくと、ジーンズにしてもニットキャップにしても、スニーカーにしてもすべて元々はアメリカの大量生産品だということです。なので、これらは元を辿ると、9・11やリーマン・ショックでアメリカが自信をなくしていくのと並行して進んだ現象だと思っています。つまり、未来志向でどんどん新しいものを生み出すのではなく、「古き良きアメリカを取り戻したい」という欲望の現れです。その象徴としてひとつ挙げられるのが、表参道で見た〈トム・ブラウン〉のようなブランドではないかな、と。
▲トム・ブラウン青山店の内装。50〜60年代の「古き良きアメリカ」を忠実に再現している。
画像出典:トム ブラウン世界2店舗目の旗艦店公開 イメージはオフィス | Fashionsnap.com
宇野 なるほど! 2000年代にピクサーがCGアニメーション映画でやっていたような「古き良きアメリカ的男性性の回復」というノスタルジー消費が、ファッションやショップデザインの文脈でも起きていたというわけだよね。
浅子 そうなんですよ! そもそも今のリノベーションブームには、シアトル発でポートランドやニューヨークにも出店して人気となった「エースホテル」が大きな役割を果たしています。それこそ、セコハンで買った大量生産品の古き良きアメリカの家具だったり、あまり作りこんでいないDIY的な内装のホテルで、すごく人気が出たんです。
▲アメリカ西海岸、オレゴン州はポートランドにある「エースホテル」。ちなみにポートランドは、「ブルーボトルコーヒー」を代表格とする「サードウェーブコーヒー」の発祥地でもあります。(この流れについて詳しくは佐久間裕美子さんの著書『ヒップな生活革命』(朝日出版社)をご参照ください)
画像出典:http://www2.acehotel.com/ja/brochures/portland/
僕自身は〈トム・ブラウン〉もエースホテルもとても好きなんですが、その劣化コピーの劣化コピーになってくると「古いものをそのまま使うのはいいことなんだ」というようなとてもベタな需要の仕方になってしまう。洋服で言うならノームコアのように「長く使える定番品を着ることが消費社会への抵抗なんだ」というような変な受け取られ方をしてしまう。
でもこのままだと何も新しいものが生み出されません。この流れにどうやって対抗していくか、というのがここ5~6年のデザイン界のテーマだと僕は思っています。そのための対抗策のひとつとして「ラグジュアリーなもの」をどうやって現代的に表現していくか、というのがあるんじゃないか。ひとつは、最初に見た青山の〈イソップ〉を手掛けた長坂常さんのように、元々あった空間や物の意味を転換させるというのがありますね。
▲「イソップ 青山店」の内装
画像出典:http://www.aesop.com/jp/article/aesop-aoyama-jp.html
また、その次に見た〈イザベル・マラン〉では、古い建物をそのまま生かしつつも、FRPのようなハイテクな素材を混ぜたりして異種混合戦のような面白い空間をつくろうとしています。
▲「イザベル・マラン東京」の内装。もともとあった建物の骨組みを剥き出しにつつ、ブティック的な清潔感・高級感も同時に演出している。
画像出典:http://www.isabelmarant.com/jp/stores/asia/japan/tokyo/1366-shibuya-ku.html
さらに違う方向性だと、表参道で見た〈セリーヌ〉のように、箱自体はすごくシンプルなのに、ひとつひとつの作りが超絶豪華で見たことのない素材の使い方をするというものもあります。今の時代は、奇抜な形態のものばかりを並べるとウソっぽくなりすぎて醒めてしまう。だから大前提としてシンプルであることは引き受けつつ、そこにどういう介入や新しい提案ができるのかというのが、今の時代のインテリアデザインの課題なんじゃないかと思っています。
▲「セリーヌ表参道店」の内装。OSB(木材をチップ状にして固めた合板)などの安価な素材から大理石まで、さまざまな材料をミックスした什器が使われている。
画像出典:https://www.celine.com/jp/celine-stores/asia-pacific/japan/tokyo/omotesando
■ 暫定一位としての〈セリーヌ〉
宇野 今日見たいくつかのお店は、要は20世紀的なものを批評的に表現しているわけですよね。〈イザベル・マラン〉なら、20世紀半ばまでの工業社会がテーマで、そのために当時つくられたもともとの建物に機能として必要とされていた柱や配線をあえて剥き出しにすることで内装にしている。そしてもちろん、それだけだと単なる乱雑なものになってしまうから、配線をきっちりしたり新しい素材を入れ込んだり、色んな介入を行うことによってデザインとして完成している…って理解でいいですか?
浅子 イザベル・マランというブランド自体は、工業社会が前面的なテーマになっている訳ではないと思いますが、インテリアをデザインしているシグーは自分たちで工房を持ち、本国のフランスでは手作業も行なっているので基本的にはその理解でいいと思います。
宇野 一方で〈トム・ブラウン〉は2000年代のピクサーのように、黄金時代アメリカの「古き良き男性性」を現代的な感覚のなかで利用していくというものだろうし、〈セリーヌ〉はバブリーな贅沢さを、今の感覚で見てもダサくならないようにシンプルの中に過剰さを埋め込んでいる。今日見て回って、なんとなくこれくらいのことは想像がついたのだけど、浅子さん自身が今日見たなかで一番評価が高いのはどこなんですか?
浅子 今のところは〈セリーヌ〉ですね。その理由は、現代的な潮流に合わせてリノベーション的な感覚を前面化するだけではなく「ラグジュアリー」について最も真剣に取組んでいるように見えるからです。
また、〈セリーヌ〉にはもう一つ文脈があって、実は現在の〈セリーヌ〉表参道店は、これまでに改装を3回しているんですね。そもそも〈セリーヌ〉は老舗ブランドのひとつなわけですが、欧米の老舗ブランドって1990年頃から、そのままでは生き残れないからと新しいクリエイティブ・ディレクターを登用するようになりました。有名なのは〈シャネル〉のカール・ラガーフェルド、もうやめてしまいましたが、〈ルイ・ヴィトン〉のマーク・ジェイコブスなどです。
そのような流れの中、〈セリーヌ〉も、2008年からフィービー・フィロという女性デザイナーをクリエイティブ・ディレクターに登用し、そのときにパリと東京のショップデザインも変えました。フィービー・フィロはこの時の改装も担当しているんですが、それらは、元あったインテリアをほぼそのまま残し、プラスターボード(石膏を紙で固めた下地材として使われる最も安価な材料)を仕上げとして、しかも嫌味たっぷりに裏返して使っていたのです。要はわざと工事中のような表層にしつつも、中の什器や服は今のように優雅でたっぷりと並べられていた。これってマダムが買うような高級ブランドとしてはありえないことで、もうそれだけで事件だったんですよ。
そして昨年、2014年に今のようなシンプルでありつつラグジュアリーなお店に改装したのですが、お客さんからすると仮設のようなショップのあとにあれを見せられるわけで、驚きもより大きくなる。その2つの物語をつくったから〈セリーヌ〉は面白いと思うんですよね。
門脇 僕も〈セリーヌ〉は素直に良いなと思いました。現代のデザインって虚構だけでは成立しないんですよね。「自分でばしっとキメながら、自分でツッコむ」というようなメタ視点がないと面白くない。〈セリーヌ〉はまさに、ラグジュアリーなものを作っておいて「全部ハリボテですよ」というネタばらしみたいなことをやっている。
今日見たものはショップデザインで、10〜20分ぐらい居る場所だから、その中で長い時間を過ごす建築デザインの分野ではあまり参考になる感じではないんですけど、短時間しかいないとはいえ、キメキメのデザインをして「これかっこいいだろ!」っていうのは今はもう無理なんだなと改めて思いました。そこに酔いきれずに冷めた目をしているもう一人の自分を発見してしまって、居心地の悪い気分になる。
宇野 僕が今回見たなかで一番辛いなと思ったのって〈トム・ブラウン〉なんですよね。あれぐらいテーマパークにしてしまうと、もちろん洗練されているんだけど、観光で鎌倉の大仏を見に行くような感覚でしかアクセスできない。
その点、〈イザベル・マラン〉はシンプルライフ&スローフードの現代的な感覚に寄せるという点ではよくできていると思う。浅子さんも門脇さんも嫌いかもしれないけれど、あれって20世紀半ばまでの工業社会のイメージのパロディであると同時に、インテリアとしては最低限におさめて、つまり柱や配線自体をインテリアにするだけにとどめて、あとはただひたすら棚と台があって、そこにはどんな商品でも並べられるようにしてある。そして半分はその並べた商品のカラーで店の雰囲気が決まるわけだから、これは意外とどんなライフスタイルや文化、具体的には商品も許容できる内装だと思うんです。実際、ああいう内装のヴィレッジ・バンガードもあれば自然食の店もあるわけでしょう?
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「日常着としてのアウトドアウェア」はなぜ定着したのか? ――アメカジの日本受容と「90年代リバイバル」から考える(BEAMSメンズディレクター・中田慎介インタビュー) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.311 ☆
2015-04-24 12:00【お詫び】本日配信の「ほぼ日刊惑星開発委員会」ですが、編集作業に時間がかかってしまい、今朝の午前7時に配信することができませんでした。楽しみにしていただいていた読者の皆様、大変申し訳ございませんでした。さきほどより配信・公開いたしましたので、ぜひ、ご覧ください。今後ともPLANETSのメルマガ「ほぼ日刊惑星開発委員会」を楽しみにしていただけますと幸いです。
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「日常着としてのアウトドアウェア」はなぜ定着したのか?――アメカジの日本受容と
「90年代リバイバル」から考える
(BEAMSメンズディレクター・中田慎介インタビュー)
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2015.4.24 vol.311
http://wakusei2nd.com
都市生活者の服装が脱スーツ化、カジュアル化するなかで、今や日常着として気軽に着られるようになったアウトドアウエア。しかし、なぜアウトドアウエアはここまで定着したのか?――その理由をファッションの歴史から辿っていくと、「アメカジ(アメリカン・カジュアル)の日本受容」に行き着きます。
そこで今回は、日本にアメリカン・カジュアルとアウトドアウェアを紹介したパイオニアであり、今なお都市生活者のファッショントレンドを牽引するセレクトショップ「BEAMS」のメンズディレクター・中田慎介さんに、「アウトドアウエア受容の歴史」についてお話を伺ってきました。
BEAMSの創業は1976年。セレクトショップもファストファッションのお店もなかった原宿で、6坪のセレクトショップとしてスタート。アメリカで爆発的人気だったカリフォルニア文化を日本に紹介し、ファッション好きの若者たちの心を掴みました。その後、様々なブランドとのコラボレーションでも注目を集め、数多のレーベルを擁して新たなトレンドを生み出し続けています。
今回PLANETS編集部は、ビームス メンズディレクターで、創業当時のコンセプトである「アメリカンライフショップ」=アメリカン・カジュアルを提案し続けるレーベル「BEAMS PLUS」のディレクターでもある中田慎介さんに、「アメリカン・カジュアルとアウトドアウエア受容の歴史」について聞いてきました。
◎聞き手・構成:小野田弥恵、中野慧
◎写真提供:BEAMS
▲今年3月にリニューアルオープンした、フラッグシップショップの「ビームス 原宿」。
■ アメカジ受容のなかで派生したアウトドアウエアブーム
――ここ最近、恵比寿や渋谷あたりで、パタゴニアのハードシェルやダウンを着て、アークテリクスやグレゴリーのザックを背負って会社に通勤するサラリーマンの姿を当たり前に見かけるようになりました。本来なら山で着るような高機能なアウトドアウエアを街でも着るというファッション文化が定着しつつありますよね。
なぜそうなってきているかの理由を考えていくと、消費者像として浮かび上がるのはまず “アウトドア層”――自転車通勤をしている人とか、土日に登山を楽しむ人たちです。
そして、もうひとつ欠かせないのが、“アメリカンカジュアル層”だと思っていて、BEAMSが創業した70年代アメリカの西海岸のライフスタイルが日本に入ってきて、この流れで例えばパタゴニアのようなアウトドアウエアブランドに出会った人も多いのではないでしょうか。
そこで今回は、アメカジやアウトドアウエアのタウンユースを紹介したパイオニアであるBEAMSからみた、「ファッションとしてのアウトドアウエア」の受容の歴史をお聞きできればと思います。
中田慎介(以下、中田) なるほど。まず僕は、直近の理由としては東日本大震災が大きいんじゃないかと思っています。うちの会社では特に顕著なんですが、「なるべく公共交通関だけに頼らず通勤しよう」ということで、今まで禁止されていた自転車通勤がむしろ推奨されるようになったりしていますよね。そうなると当然、全天候型のウェア、つまりアウトドアウエアが必要になってくる。
たしかにBEAMSは、セレクトショップとしてアウトドアブランドを取り入れたという意味ではパイオニアだと思います。「BEAMSがパタゴニアのフリースを日本に初めて入れた」と言ってもいいはず(笑)。なので、「BEAMSから見た日本でのアウトドアウエアファッションの流行と定着」という観点からお話することはできるかな、と思います。
私がディレクターをやっている「BEAMS PLUS(ビームス プラス)」は、レーベルのコンセプトとして「アメリカの黄金期」と呼ばれているベトナム戦争以前の1945〜65年に完成されたウェアや、当時のものづくりをベースにしてきました。そこで私は配属された当時から、アメリカのファッションの歴史のノウハウみたいなものを叩き込まれてきたんです。ここでは僕が学んだものが厳密に正しいかどうかは別にして、分かる範囲のことをお話させてもらいますね。
▲ビームス メンズディレクターの中田慎介さん(撮影:編集部)
そもそも洋服文化の発祥の地はヨーロッパで、1800年代にヨーロッパから今のアメリカ大陸に渡ってきました。当時はアメリカの広大な土地を東西にガンガン行き来して文化を広めていった時代です。そのため何を取り込むにも素早い動きが必要とされた。当然、輸入された洋服に対しても、アメリカ大陸で使えるような機能性を追加し、デザインをし直さなければならなかったわけです。このプロセスによって、のちの「大量生産」という流れが生まれていきます。
こうした時代背景のなかで生まれたアメリカン・ファッションのルーツとなるカテゴリーは4つあって、ビジネススーツに代表される「アメリカントラディショナル」、肉体労働のための「ワーク」、兵士の服である「ミリタリー」、そして「スポーツ」ですね。これらのカテゴリーにおいて、例えばミリタリーなら「死なないためにどれだけ動けて丈夫で機能的な軍服を作るか」といった機能性に関わるディテールやデザインが完成したのが、第二次大戦後からベトナム戦争までの「アメリカの黄金期」と言われる時期です。
当時は戦争景気でとにかくお金があったので、素材開発もさかんに行われています。対燃の素材をどこよりも早く開発して、「MA−1」というフライトジャケットを生み出したのもアメリカでした。いわゆる「アメリカンカジュアル」の源流とされる4つのジャンルは、時代の勢いに乗るかたちで、職業服つまり「ユニフォーム」としてのスタイルを完成させていったわけです。
しかし、ベトナム戦争が始まって間もない1965年以降になると、「ユニフォーム」だったものが、しだいに「ファッション」として表現されていくようになる。いわゆるカウンターカルチャーの時代に突入していくわけです。
■ カウンターカルチャーから生まれた「アメリカン・カジュアル」
――カウンターカルチャー世代の若者たちが、「ユニフォームとしての機能」に特化していたこれらの服に、ファッションとしての意味を新たに見出していったということですよね。
中田 それまでのアメリカには、「どこの家にも大きい車があって、テレビがあって、子どもたちは真面目で、髪を横分けしている」という、親世代が作った”American Way of Life”と言われる理想と現実があったんですね。
ベトナム戦争の泥沼化によって、親世代を単純にリスペクトできなくなった若い世代が、イメージ戦略によって作られたこれらの概念を壊していったわけです。ファッションに置き換えるならば、着崩すことに楽しさを見出していったということですね。たとえば、それまで野球の試合や練習でしか着られなかったベースボールシャツが、70年代〜80年代になるとファッションとして着られるようになるわけです。
それから大量生産・大量消費の時代でモノが飽和状態になったことで「節約しよう」という流れが起きて、古着ブームが生まれる。「ラグビーのユニフォームも普段着としても着れば一石二鳥」ということになってくる。こういった流れから、「ユニフォーム」と「ファッション」の流れがリンクしてきたんじゃないか、と私は思いますね。
もうひとつわかりやすい例を出すと、ヒッピーがミリタリーシャツを着るようになったのも、まさにアンチテーゼですよね。要するに「ミリタリーっていうのは人を殺すための服じゃない。平和をうたうための服なんだ」というカウンターです。ひとつの意味しかもたなかった「ユニフォーム」に、まったく逆の意味をもたせて「ファッション」にしたというわけです。
――『フォレスト・ガンプ』に出てくるヒッピーも、ミリタリーを着ていましたよね。
中田 そうそう。ちなみにフォレスト・ガンプが履いていた代表的なスニーカー、「ナイキ コルテッツ」のオリジナルカラーを、BEAMSエクスクルーシブで販売していました。映画のなかでフォレスト・ガンプがプレゼントされたスニーカーで、白地に赤いスウォッシュが入ったものです。この春にリニューアルした原宿店の目玉アイテムでもあります。
▲フォレスト・ガンプ [DVD]トム・ハンクス (出演), ゲイリー・シニーズ (出演), ロバート・ゼメキス (監督)
▲ナイキ コルテッツ オリジナルカラー
■ いま起こりつつある「90年代リバイバル」
――『フォレスト・ガンプ』といえば舞台は1960〜70年代ですが、90年代の映画でもあるわけですよね(公開は1994年)。最近いろいろな分野で「90年代」の再解釈が流行していますが、このアイテムもその流れからきているものなのでしょうか。
中田 たしかに90年代ブームという枠で動いている部分はありますね。90年代の特徴としては、異素材をミックスさせているのがポイントです。
――90年代ブームのひとつとして、BEAMSは昨シーズン、スポーツミックススタイルも提案されていましたよね。パタゴニアを着てアークテリクスのザックを背負って……というスタイルの原型って、1970年代にはすでにアメリカにあったんですか?
中田 やはりカウンターカルチャー全盛期にある程度完成されたんじゃないでしょうか。証券マンが象徴するようなビジネススタイルへのカウンターとして、70年代は放浪の旅をするバックパッカーたちのスタイル(ヒッピー)が出てきたわけです。今までスーツを着て街を歩いていた人が、「こんなものは必要ない」といってスポーツウェアを着てザックを背負って旅に出る。そこで彼らは「スポーツウエアの機能って、スポーツ以外でも役立つじゃん! 日常でも着られる!」と気づいて、日常生活に取り入れるようになっていったんでしょうね。
――そういったアメリカのカジュアルウエアのトレンドが、日本に入ってきたのはいつぐらいなんでしょうか?
中田 アメリカンカルチャーが本格的に入ってきたのはやっぱり70年代でしょうね。当時のアメリカはカウンターカルチャーの影響で人種差別がなくなっていった時代なので、日本人もある程度渡航しやすくなり、情報が入りやすい環境になっていった。BEAMS創業時のメンバーもこの頃カリフォルニアに渡っています。
■ パタゴニアを日本に紹介したのもBEAMSだった?
――BEAMSが原宿で創業したのは76年ですが、当時は「UCLAの学生の部屋」がコンセプトだったんですよね。
中田 70年代中盤当時、日本でも古着やカウンターカルチャーがブームだったんですけど、実は当時の原宿は、今のような「古着の街」というイメージは、まだそこまで強くなかったんです。
70年代のカウンターカルチャー的な古着文化の発祥の地はニューヨークとされているんですが、実際に花開いたのはサンフランシスコで、カリフォルニアの陽気さのなかでみんなが古着を着るようになり、サーフィンやスケートボードといったいわゆる「横ノリ」のスポーツがどんどん発展した。このカリフォルニア文化に70年代の日本人はすごく憧れを抱いていて、だからBEAMS創業時は「アメリカンライフショップ」というのがコンセプトで、アメリカのカルチャーを紹介するお店だったんですね。
▲2009年に発売されたPOPEYE × BEAMSのムック「All about USA」(マガジンハウス)のひとコマ。70年代当時の「POPEYE」誌上でBEAMSが紹介されています。「POPEYE」の創刊はBEAMSと同じく1976年で、中田さんによればほとんど”同期”のような間柄だそう。(撮影:編集部)
――当時のBEAMSの店舗には、どんなアイテムを置いていたんですか?
中田 ワークウェアならスミスのオーバーオール、ラングラーのウエスタンシャツ、リーバイス® の501、ナイキのスニーカーをベースにしたローラースケートもありました。他にはベーシックなボーダーTシャツとか、ブーメランとかフリスビーのようなお土産モノですとか、それこそUCLAの生協に行ったら買えるようなロゴのTシャツとかも置いていたようですね。
あとは、すでにパタゴニアのスタンドアップショーツも買い付けていたそうです。80年代には、パタゴニアのフリースの名作とも言われる「シンチラジャケット」を日本に紹介していますね。
▲パタゴニア シンチラスナップTフーディ
――当時、カリフォルニアに住む人はパタゴニアのフリースをファッションとしてすでに着ていたんですか? それとも、あくまでアウトドアウェアとして着られていたものを日本で「ファッション」として売り出したんでしょうか。
中田 パタゴニアがフリースを開発したのは70年代後半ですね。当時、現地の人たちが日常着としても着ていたかは定かではありませんが、BEAMSはあくまで「ファション」として売り出しています。
そもそもパタゴニアは、1957年にカリフォルニアで誕生した、ロッククライミング用品の製造をするための会社でした。衣料品の輸入や製造販売も行うようになり、1973年に新たに衣料品部門として「パタゴニア」という名称のブランドをスタートさせました。
昔はアウトドアウエアというものがなくて、クライミングをするときもコットンとかウールとか、雨に濡れたとたんに機能しなくなるものしかなかったんですね。「それならば自分たちでつくろう」と、クライミング用品を売っていたパタゴニアが衣料品も作り始めた。そうなったときに、「水分を吸収しない化学繊維によるウエアにしたい。さらに保温性もほしい」ということでウエアとして生まれたのがフリースです。
■ 大ヒットしたアイテム「アロー」(アークテリクス)は日本でどう受容されてきたのか?
――パタゴニアともうひとつ、今のアウトドアウエアブームを引っ張る存在としてアークテリクスがあると思います。ブランドの定番モデル「アロー」を背負っている社会人や大学生を本当によく見かけますよね。この「アロー」は、ファッションアイテムとして紹介され始めたのはもう10年以上前からだと思いますが、当初はどちらかというとアウトドアのアイテムというよりも、日本の80年代以降の「DCブランド」的な感覚の延長線上であったり、その後の「裏原系」と共振するようなものとして人気が出ていた印象があるのですが……。
▲アークテリクス アロー
中田 アークテリクスは日本に限らずとても人気のあるブランドですが、「アロー」自体は日本以外ではもう売っていなかったりするんですよ。アウトドアブランドのプロダクトとしてはファッション性が非常に強いのが理由かもしれません。
▼PLANETSの日刊メルマガ「ほぼ日刊惑星開発委員会」は4月も厳選された記事を多数配信予定!
配信記事一覧は下記リンクから更新されていきます。
http://ch.nicovideo.jp/wakusei2nd/blomaga/201504
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【再配信】無印良品、ユニクロから考える「ライフデザイン・プラットフォーム」の可能性 ーー浅子佳英×門脇耕三×宇野常寛「これからの『カッコよさ』の話をしよう」第2弾 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 号外 ☆
2015-02-21 16:30※メルマガ会員の方は、メール冒頭にある「webで読む」リンクからの閲覧がおすすめです。(画像などがきれいに表示されます)
無印良品、ユニクロから考える 「ライフデザイン・プラットフォーム」の可能性 (浅子佳英×門脇耕三×宇野常寛「これからの『カッコよさ』の話をしよう」第2弾)
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2015.2.21 号外
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「ほぼ惑」では不定期で過去の好評記事を再配信中! 今回は昨年10月に配信した、建築家の門脇耕三さん、インテリアデザイナーの浅子佳英さん、そして宇野常寛を交えた鼎談シリーズ「これからのカッコよさの話をしよう」第2弾をお蔵出しします。 この回のテーマは、「無印良品」「ユニクロ」です!
今月PLANETSチャンネルに入会すると、前回記事(これからの「カッコよさ」の話をしよう ――ファッション、インテリア、プロダクト、そしてカルチャーの未来)も読むことができます!
なお、この「カッコよさ」鼎談シリーズの第3弾「住宅建築でめぐる東京の旅」は来月初旬に配信予定です。戦後の住宅建築の名作をまわりながら、「住まい」のデザインと機能について考えます。そちらもお楽しみに!
▼プロフィール
門脇耕三(かどわき・こうぞう)
1977年生。建築学者・明治大学専任講師。専門は建築構法、建築設計、設計方法論。効率的にデザインされた近代都市と近代建築が、人口減少期を迎えて変わりゆく姿を、建築思想の領域から考察。著書に『シェアをデザインする』〔共編著〕(学芸出版社 、2013年)ほか。
浅子佳英(あさこ・よしひで)
1972年生。インテリアデザイン、建築設計、ブックデザインを手がける。論文に『コム デ ギャルソンのインテリアデザイン』など。
◉構成:中野慧
ファストファッション、IKEAやニトリ、アップル製品など、ゼロ年代以降の私たちの生活に欠かせなくなった様々な「モノ」と「デザイン」について考えた前回の鼎談企画「これからの『カッコよさ』の話をしよう」。第2弾となる今回は、鼎談の収録前に、まず実際に門脇・浅子・宇野の3氏で、銀座の街にある様々なお店を廻ることにしました。
3氏がまず足を運んだのは、世界一巨大な規模を誇るユニクロ銀座店。
▲銀座の中央通沿いにある、ユニクロ店舗でも世界最大のグローバル旗艦店「ユニクロ 銀座店」。12階建てだそうです。
▲床から天井まで隙間なく服が並んでいます。
▲Tシャツフロア。フロア全体に多種多様なデザインのTシャツがひしめいていました。ぶらぶらと見ていたら、浅子さんが当日着ていたスヌーピーTシャツと似たようなデザインのものを発見。「このTシャツけっこう高かったのにw!」(浅子さん)
▲女性ものの丈長のスウェットシャツが気になるという門脇さん。このあと「XLサイズなら僕でもダボッと着れそう」とのことで、お買い上げになっていました。
ユニクロ銀座店の次に3人は、ユニクロ銀座店と渡り廊下でつながっているお隣のドーバーストリートマーケット(コム・デ・ギャルソンの川久保玲氏がトータルプロデュースするセレクトショップ)へと向かいました。
▲ドーバーストリートマーケット ギンザ。
渡り廊下を渡るとそこには、ユニクロとはまるで別世界が広がっていました。好対照だったのはお店のレイアウト。通路は広く取りつつも縦にぎっしりと服を並べるユニクロと違い、様々なアイテムがゆったりと店内に配置されていました。
ドーバーストリートマーケットを出た一行は、「無印良品 有楽町店」へ向かいました。
▲無印良品有楽町店。ここもかなりの大型店舗です。
▲無印良品の家。
無印らしいアースカラーの服が並ぶ店内を分け入っていくと、目に入ってきたのはスチールの外壁(「金属系サイディング」というものだそう)の、「家」でした。そう、最近、無印では「無印良品の家」を販売しているとのこと。コンパクトなサイズながら、吹き抜けと、ガラス張り(でも断熱性も高いそうです)による採光のよさもあって、見た目以上にゆったりとした住空間。「暮らしに合わせて間取りが変えられる」とのことです。(出典:「無印良品の家」ホームページ )
その後、一行はクロムハーツ、ミュウミュウ(MiuMiu)、Aesop(イソップ)、フライターグなどを回ってこの日の街歩きを終えました。
■ユニクロとコム・デ・ギャルソン、何が明暗を分けたのか?
宇野 まず簡単に前回のおさらいをすると、今の時代のファッションは、ノームコア(※ノーマル+ハードコアという意味の造語。スティーブ・ジョブズの「いつも黒のタートルニットにジーンズ」というスタイルに代表されるような、極めてシンプルなファッションのこと。最近のファストファッションの隆盛を受けたトレンドでもある)的なものが優位になっている。そしてその潮流は一部で「身体自体を鍛えるのが真のオシャレであり、自分の身体さえしっかり鍛えていれば着るものはなんでもいい」という五体満足主義的な思想に回収されつつある。それはファッションが本来持っていた「やせっぽちでも太っていても、工夫しだいでカッコよく、気持ちよくなれる」という、文化としての豊かさがやせ細ってしまっているということでもある。こういう現状に対する違和感は共有されていますよね。
そこに対して例えばデザイナーである浅子さんは、ノームコア的なものを批判して「新しいラグジュアリー」のような価値を提示していくことが必要なのではないかという立場でした。
また、鼎談のなかで見えてきたのは、ファッションだけでなく、インテリアや建築のような「デザイン」と言われる世界ではどこでも、90年代以降に似たようなことが起こっているのではないか、ということでした。
今日は第二弾ということで、ファストファッションからデザイナーズブランドまで、銀座のいろいろなお店を実際に回ってきたわけですが、みなさんは改めてどう感じましたか?
浅子 やっぱりユニクロが今強いのは、面白いデザインの服を揃えているわけではないけれど、カラーバリエーションやちょっとしたデザインの違いの製品を大量に揃えていて、その「多くのものから一つを選ぶ」という体験自体に楽しさがあるからなんだと思いましたね。
宇野 ショッピングにゲーム的な楽しさがあるということですよね。
浅子 そうです。銀座店は特に、12階建てなのにもかかわらず、フロアのレイアウトがほとんど同じだったりして、あの感じは僕自身はそんなに好きじゃないんだけど、実際に上から下まで全部見て回ると本当にゲーム空間にいるようで面白かったです。
門脇 ユニクロの店内のレイアウトは「とにかく下から上まで整然と服を並べる」という思想ですよね。対照的だったのはそのあとに行ったドーバーストリートマーケットで、店内に余白をたくさん取っていました。あれは「アート的に見せる」というテクニックなんだけど、物量としてはユニクロよりも全然少ないですよね。そうすると服の一点一点が高くならざるをえない。置いているモノはカッコいいんだけど、トータルで見るとどうしても元気がないように見えてしまった。
浅子 僕は立場的にコム・デ・ギャルソンを擁護するしかないんだけど、たしかに銀座店は少しゆったりしすぎているかもしれないですね。ただ、最初にできたロンドンのドーバーストリートマーケットはとてもエキサイティングな空間です。もともとオフィスか何かだった建物に、川久保玲やセットデザイナーなどが介入して百貨店にしてしまっている。たとえばエスカレーターでなく階段で登らないといけなかったりとか、フロアの使い方もわけのわからないことになっていて。
そもそもドーバーストリートマーケットの面白さって、コム・デ・ギャルソンというブランドが、自分たちの服を売るだけではなく様々なブランドの服を売ったり、アーティストの作品を展示するスペースをつくったり、ある種のプラットフォームとしてお店を構えたところにあると思うんですよ。
ただ銀座のお店はやっぱり、「ギンザコマツ」という百貨店の建て替えで用意された空間に出店しているから、そういう面白い化学反応が起こらなかったんだと思います。だからそこを責めるのはちょっと気の毒な感じがするんですよね。
門脇さんは店内のレイアウトのことを指摘されたけど、インテリアのデザイナーとして言うとやっぱり余白というか、そもそも白い壁が良くないと思う。確かに白い壁にするとニュートラルであるかのようにふるまいながらも簡単に綺麗に見せることができるんだけど、それは何も考えていないということの裏返しでもあるんですよね。
門脇 結局現代アートもそうだけど、白いところにポツーンと何かゴミが置いてあるだけでアートに見えたりするんですよ。それ以外の見せ方を開発できてないのはちょっと残念だった。そういう意味ではユニクロの見せ方のほうが面白かったですよね。
宇野 ユニクロって、ある時期まではフリースだったり、インナーや寝間着を買うお店というイメージで捉えられていましたよね。で、誰が着てもそこそこ似合うものを、豊富なカラーバリエーションで提供していたのがフリース時代だとすると、今は第2段階、いわばUT(=ユニクロのTシャツ)以降の時代に入っていると思うんですよ。
UTって色々な企業のロゴだったり、スヌーピーやディズニーなどのキャラクターイラストに、多種多様なカラーバリエーションを掛け合わせるという発想でつくられていますよね。あれってインターネット以降の感覚だと思っていて、要するに統一されたフォーマットに多様なコンテンツを流し込むことで無限にバリエーションを生成できるということだと思うんです。そういう思想が商品ラインナップだったり、レイアウトの方法とも結びついていて、UTという独特のジャンルを生んでいるんじゃないか、と。
門脇 フォーマットが決まっているからこそ多様な表現が生まれてくる、ということですよね。僕には商品そのものとしてあれが良いのかどうかピンと来ないところがあるけど、でもあれだけのバリエーションがあるなかで選ぶという体験はたしかに楽しかった。さっきもスウェットを買ったけれど、たぶんドーバーストリートマーケットに並んでても買わないんじゃないかな。たくさんのバリエーションが並んでいるなかで気に入ったものを見つけて、買ってしまう。そういう体験を含めて買っている気がしますね。
■「バブルの鬼子」としての無印良品
宇野 これは都市部に限った話かもしれないけど、ユニクロと無印良品ってもうインフラみたいになっているじゃないですか。「あ、この街って駅前にユニクロと無印あるんだ、便利だね」とみんな思ったりする。だからこの2つの企業って、日本の生活文化においては非常に強いと思うんだけど、でも今日見ていて改めて思ったのは、ユニクロはまだ無印を倒せていないということなんですよ。要するに今の無印良品はライフスタイルそのものを提案できているけど、ユニクロはまだそこまで行けていない。
たとえばユニクロの主力製品であるヒートテックひとつとっても、「冬のファッションで重ね着させない」ということを目標にしたもののはずです。厚着させないということは、つまり「こういう身体が美しい」とか「こういう屋内ライフスタイルが気持ちいい」という提案であるはずで、それを延長していくと僕たちの身体観やライフスタイルの変革へと結びついていくはず。でも、今のユニクロのラインナップからはまだ「新しいライフスタイルの提案」まで読み取ることはできない。アイテム1個1個の持っている快楽やゲーム性に留まっていて、総合的なビジョンがまだないんだなあ、と思ってしまいました。
一方で無印は、僕の考えでは言わばディフェンディング・チャンピオンだと思うんですよ。あそこに行くと衣食住全部ある――というか、今は家具だけでなく家まで売っているわけですからね。総合的なライフスタイルを提案できているわけです。たとえば僕はあの透明の衣装ケースも使っているし、食べ物にしても僕はMUJIカフェによく行くし、無印カレーも大好きなんですよ。
そもそも、無印良品のコンセプトって基本的に「アンチバブル」だったわけですよね。80年代の消費社会=バブル的な価値観に対して距離をとりつつ、かといってニューエイジや昔のヒッピーのように消費社会を全面的に批判するわけでもなく、要するに「消費社会に対してはこれぐらいの中距離で付き合いましょう」というライフスタイルを提案している。
浅子 いや、それもあるけれど、その前にみんな忘れているのは、僕らが子どもの頃の昭和の時代って、ともかくダサイもので溢れていたんですよ。布団がなぜか花柄だったり、家具も変な色に塗られていたり、ほとんどの家庭にはわけのわからないデザインのものがいっぱいあって、子ども心にあれがすごく嫌だったわけですよね。そこに対して無印は、「柄のない布団のほうがいい」というようなニュートラルでフラットでシンプルなデザインを提案し、支持を受けた結果、今やそれがスタンダードにまでなったと。
宇野 無印だけが、モノだけでなく「こういうライフスタイルがいい」という世界観を提示するに至っているんじゃないかなと思うんです。そしてそれは90年代以降の世界的な潮流ともマッチしていた。たとえば宮台真司さんがよく言っているけど、スローフードが好きな奴って、エアコンの効いた部屋でスターバックスのコーヒーを飲みながら環境問題の本を読んで悩んだふりをしている人なんですよ。要するにスローフードとはグローバル資本主義下におけるアッパーミドル向けの優秀な商品にすぎないわけです。でも、それでいいと思う。だから無印良品は強い。僕も大好きです。あの「素材を大切にした」シリーズのカレーやスープのレトルトパウチは家に常備している。あれは、「レトルトのスローフード」という矛盾するコンセプトが同居しているわけなんですが、そこが素晴らしい。
門脇 レトルト食品を排除するのではなく、レトルトをいかに美味しくて栄養バランスもいいものにしていくかという発想ですよね。ただ、無印の提案しているライフスタイルって、今ではちょっと古くなってしまっている気もするんです。「家族で郊外に住み、お父さんは電車で都心に通勤する」という昭和的モデルのバージョンアップで、まだその先に突き抜けられていないというか。
宇野 無印はやはりバブルの落とし子なので、どうしてもそうなってしまうところはありますよね。それに、当初のコンセプトである「アンチバブル」が実はすごく狭いイデオロギーなので、その価値観が押し付けがましいと感じる人も多いと思うんですよ。たとえばこれだけ無印大好きな僕でさえも、ほぼアースカラーオンリーの衣料や、家具類の「柔らかい木目」のゴリ押しはちょっとしんどく感じることがある。浅子 正直、僕もそう思っていますよ。
門脇 無印良品ってすごく哲学がしっかりしていて、「文明は共通化して文化は差異化する」という未来予測を展開しています。つまりグローバル化のなかで「感じのよい暮らしをリーズナブルに」という方向性はぶれずに追求していきつつ、それだとほかの国や地方、あるいは「無印的価値観にドンピシャな世代」以外には展開できないから、地域性や時代性に紐付いた文化で彩っていくということになるんだと思いますが、それだとどうしても既成の価値観を無印的にセレクトすることになってしまうから、まったく新しいものを生み出すことが難しくなってしまう。
無印も本当は「新しいラグジュアリー」のようなものを追求すべきなんだけど、そもそものコンセプトが「オルタナティブなスタンダード」なので、クリエイションに根拠を与えるものが既にあるものにしかならない。無印のインパクトって確かに大きいし、それがいよいよ浸透してきた勢いも感じますが、次の時代を考えるとそこが弱いところだと思うんですよね。
浅子 無印のデザインって文化の多様化と言うにはちょっと一本調子すぎますよね。たとえばヤンキーが作るわけのわからないバイクのようなものって、文化の多様化そのものだと思うけれど、そういうデザインのものは絶対に製品ラインナップに入ってこない。だからすごく偽善的な感じがするわけです。これは無印だけでなく、アップルのデザインにも言えることだと思うんですけど。
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【再配信】これからの「カッコよさ」の話をしよう ——ファッション、インテリア、プロダクト、そしてカルチャーの未来(浅子佳英×門脇耕三×宇野常寛)☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 号外 ☆
2015-02-14 17:30※メルマガ会員の方は、メール冒頭にある「webで読む」リンクからの閲覧がおすすめです。(画像などがきれいに表示されます)
【再配信】これからの「カッコよさ」の話をしよう――ファッション、インテリア、 プロダクト、そしてカルチャーの未来(浅子佳英×門脇耕三×宇野常寛)
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2015.2.14 号外
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「ほぼ惑」では不定期で過去の好評記事を再配信中! 今回は昨年8月に配信した、建築家の門脇耕三さん、インテリアデザイナーの浅子佳英さん、そして宇野常寛を交えた鼎談をお蔵出しします。
テーマはこれからの「カッコよさ」について。ユニクロを代表とするファストファッションに隠されたイデオロギーとは? そして、男子のカッコよさが向かう未来とは――?
なお、この「カッコよさ」鼎談シリーズの第3弾「住宅建築でめぐる東京の旅」が今月末に配信予定です。戦後の住宅建築の名作をまわりながら、「住まい」のデザインと機能について考えます。そちらもお楽しみに!
▼プロフィール 門脇耕三(かどわき・こうぞう)
1977年生。建築学者・明治大学専任講師。建築構法、建築設計、設計方法論を専門とし、公共住宅の再生プロジェクトにアドバイザー/ディレクターとして多数携わる。
浅子佳英(あさこ・よしひで)
1972年生。インテリアデザイン、建築設計、ブックデザインを手がける。論文に『コム デ ギャルソンのインテリアデザイン』など。
◎構成:池田明季哉、中野慧
■六本木には「カッコよさ」が必要だ――文化を更新するために
宇野 今日は「これからのカッコよさの話をしよう」ということで、ごく私的に声をかけてお二人に集まってもらいました。なんでいきなりこんなことをはじめたかという話からしたいのですが、きっかけは先日僕が登壇したイベントのあるパネラーの発言です。それはどんな発言かというと、「身体自体を鍛えるのが真のオシャレであり、自分の身体さえしっかり鍛えていれば着るものはなんでもいい」というものなんですよね。
僕はこの発言を耳にしたとき、正直愕然としたんですよ。その人は「痩せっぽちな人間や太った人間がどんな服を着ても似合わない」とか言うわけですが、それってほとんどナチスの五体満足主義と変わらない。自分が障害をもっていたり、健常者でも60代や70代になって筋力が落ちてきたら絶対にそんなことは言えないと思うんですよね。こんな発言が「リベラル」を自称する知識人から出てしまったことに、軽いめまいがした。
そしてもうひとつ。この五体満足主義的なナルシシズムは文化的にあまりにも貧しい発想なんですよね。だってどんな体形の人間でも工夫次第でカッコよく、かわいく、あるいは気持ちよく過ごせるということがファッションの本質だし、それがなければファッションというか、文化自体が無意味なはずでしょう。でも、その場ではみんな「なんていいことを言うんだろう」みたいに頷いていた。それを見て、これは本当にどうにかしないといけないと思ったんです。
最近、僕は自分のお客さんが、比喩的に表現して中央沿線や代官山、中目黒といった東京西部と六本木が代表する都心のど真ん中、どちらにいるのかをすごく考えているんです。中央沿線や代官山というのは、戦後的な中流文化の、とくに90年代以降の「文化系」の象徴ですね。こうした東京西部の「いい街」には戦後的な文化が残っているけれど形骸化して久しい。仕事ができない編集者ほどゴールデン街で飲みたがる。「本や映画が好き」なんじゃなくて、「本や映画が好きな自分が好き」なだけな人たちですね。
対して六本木側に集まっているのはITや外資など、この二十年優秀な人たちがどっと流れ込んでいったジャンルが強い。彼らは、地頭が良くてポジティブで学習意欲も高くいけれど、壊滅的に話がつまらない(笑)。学習意欲も高くて、セミナーや勉強会が大好き。とにかく「自分のパフォーマンスを引き上げる」ことには一生懸命だけど、引き上げたパフォーマンスで何をやっていいかわからない。なんでそうなるかというと、彼らは効率化が得意だけれど、文化がないからですよ。
そしてあの日、例のイベントで例の五体満足主義発言にうんうん肯いていたのは、見事にこの六本木クラスタだった。要するに、自分の外側に大事なものがない空疎なナルシシストは、あっさりと五体満足主義的な差別者になってしまうってことなんですよね。
実は僕が東京で7-8年活動して出した結論は、自分の読者層としてはとりあえず後者に賭けようということなんです。前者は底に穴の開いた洗面器のようなものなので、いくら水を注いでも意味がない。だから今は文化的に貧しくても、後者の高い学習意欲に応えようと思って、そのイベントも意図的に六本木系が集まる場所とパッケージングで開催したのだけど、彼らが単に文化的にスカスカなだけじゃなくて、諸手を挙げて、先述したような排他的なナルシシズムに結びついてしまうことがわかって、正直ぞっとしたんですよね。
少し解説を加えると、六本木的な、あるいはその参照元のアメリカ西海岸的な文化というのは、計算で設計主義的に「良い生き方」や「正しいあり方」を規定できると考えているところがある。でもそんなことは本当はありえなくて、究極的にはオカルトと結びついてしまい、五体満足主義や優生思想と結びついた危険なイデオロギーに至ってしまう。これは彼らのルーツにニューエイジ思想があるから。ニューエイジというのは要するに疑似科学で複雑化して拡散した社会の全体性を記述できる、という発想ですからね。それがテクノロジーを根拠に「よい生き方」を規定できるという発想に結びついている。先日のイベントでの五体満足主義への支持も、これに近いものがある。
ただ、こういったものに対抗する言論として「文化というのは計算不可能なものだ」「計算不可能な他者に出会うためにリアルに回帰せよ」という東京西部的なアナログ懐古主義は頭が悪すぎる。どう考えても、この10年余りのデジタル文化はアナログな人間のコミュニケーションや自然環境を究極の乱数供給源としてむしろ積極的に利用することで、文化的多様性を育んで発展しているわけでしょう? アナログとデジタルがむしろ結託している今、東京西側的な考え方に戻っても意味がない。
問題はむしろ、現代のデジタル文化がもつ文化的な多様性を、西海岸カルチャーを歪めて受け取った六本木の意識高い系たちがきちんと消化できずに、五体満足主義に傾いて文化を否定する方向に傾いていることだと思うんですよね。
浅子 僕は「効率を求めること」自体は間違っていないと思うんです。実際にそれで豊かになるということもある。でも計算可能であるというスタンスのどこかに、自分はこれが好きだとか、カッコいいと思えるものがないと、結局は保守的なものに回帰してしまう。すごく古い肉体的な価値というか、たとえば「顔が男前なやつがかっこいい」といった観念に囚われてしまう。僕は宇野さんの言うニューエイジ的な考え方が、保守回帰に繋がるのが怖いんですよね。そうなると文化的にも面白くなくなってしまうから。
宇野 一応、断っておくと僕は六本木系のスタイル、つまりシンプルで効率的なライフスタイルの美学というのはよくわかるんです。僕自身、いつも夏はTシャツと短パンで過ごしているし、その服も基本的には無印良品とユニクロとH&Mでしか買わない。それも安いからではなくて、飾り気のない、シンプルなデザインのものが好きだからですしね。交通事故にあってやめてしまったけれど自転車ももともと好きだし、生で食べてもおいしい野菜を取り寄せて食べるのも大好きで、そういった生活を気持ちがいいと思っている。ただその美学を肯定するロジックが、身体論というマジックワードを盲目的に振りかざす五体満足主義や優生思想しかないというのは、非常に問題だと思うんです。もっとそういったシンプルライフを、カッコよさとか、気持ち良さの次元で肯定する言葉が必要なんですよ。つまり「(身体を鍛えることこそが究極のおしゃれなので)ユニクロでもいいんだ」というのではなく、「(シンプルな)ユニクロのデザインがカッコイイんだ」という論理じゃないといけないと思う。実際に、僕はそう思っているし。
門脇 いまの話は時代的な位置付けも踏まえて理解した方が良いんでしょうね。いまのカジュアルとかつてのカジュアルはだいぶ違った状況に置かれていると感じます。かつては「フォーマル」というものが厳然として成立していたからこそ、敢えてカジュアルな格好をすることがカッコ良かった。でも今は、「絶対にフォーマルな格好をしなくてはならない」という場面がどんどん少なくなっています。現在のユニクロ的なるものの隆盛は、「フォーマルが瓦解している」という状況とも関係しているのではないでしょうか。
浅子さんは、スーツはあと十年以内に滅びるってよく言っていますよね。「滅びる」というのは比喩的な表現だとは思いますが、スーツを着なくてはならない場面が極端に少なくなるだろうことは間違いない。スーツはある意味での様式であって、「クールビズ」といった考え方に代表されるように、それを着ることが必ずしも合理的ではないからです。シンプルライフ的な志向は、スーツのような封建的でフォーマルな形式から「より合理的に、自由に生きよう」というマインドへとシフトしたことによって起こっている側面があるのは間違いないと思います。「ノームコア」(※ノーマル+ハードコアという意味の造語。スティーブ・ジョブズの「いつも黒のタートルニットにジーンズ」というスタイルに代表されるような、極めてシンプルなファッションのこと)のような、シンプル・イズ・ベストを極端に進めたトレンドの存在もそうした流れの上にあるのでしょう。でも、それは宇野さんが指摘するように、優生学的な流れに合流しかねない危険も孕んでいる。一方でモード・ファッションでは、「ありのままの身体」を肯定する動きが主流で、「理想的な身体」を仮定することに警鐘を鳴らすような試みが常にありましたよね。
浅子 有名な話ですが、コム・デ・ギャルソンの服に、瘤(こぶ)のついたドレスがあったんです。囚人服みたいで背中や腰に瘤がついているんだけど、ドレスになっているというもの。あとは背の低い人やおじいちゃんのモデルを使ったりもしていました。それ以外にも当時アヴァンギャルドと呼ばれていたファッションブランドは、普通だったらファッションの俎上に上がらないような肉体に対して美を見出す方法論を構築していた。でも今は、そういった流れがスコーンと全部抜けてしまっていますよね。
▲コム・デ・ギャルソンの「こぶドレス」
出典:http://munstylisti.jugem.jp/?month=201101
門脇 今はモードの影響力が小さくなっているように感じますね。
浅子 売れなくなってしまったんですよね……。だから結構いろんなことが重なってこういう状況になっている、というのはあるかもしれません。
僕は最近、インテリアツアーというのをやっているんですよ。そこでいろんなお店を一年間くらい見て回りました。高級なアパレルブランドや、高級な家具屋さんも見に行ったのですが……90年代やゼロ年代の初頭に比べると、全然お客さんがいないんです。こういった場所も、それこそスーツと同じように、20年くらいでほとんどが市場から退場してしまうんだろうなと肌で感じました。
宇野 昔だったらボーコンセプトで買わなければいけなかったものが、全部イケアとニトリで買えるようになってしまいましたからね。
浅子 しかもイケアとニトリの商品がそれほど粗悪なものかというと、そうではない。確かに比べればモノとしては高級な家具屋さんの方がいいけれど……。
宇野 価格が1/6とか1/8ですからね。
浅子 そう、だからそれはそれで構わないのではないか、というのも一方ではあります。でも自分の好きな文化ですからね。以前はそういうお店のダメな所を見ても「こいつらダメだな」と言っていられたんですが、今はこのままだと本当に滅んでしまうという危機感が強くて、どう守るかという方に考えが反転しています。
▲ニトリの家具
出典:公式サイトより
■空虚なパロディとしてのカフェ風デザイン――FABが作るべき未来
浅子 あと、つい最近、「インテリア特集」という小さな冊子を作ったんです。その序文に、90年代以降のインテリアデザイン、特にブティックのデザインについて書いたんですが、インテリアデザインの流れを90年代から整理してみたんです。
まず90年代の最初は、80年代のバブルやポストモダンへの反動からミニマルが流行りました。今も建築家として活躍しているジョン・ポーソンの作品や、カルバン・クライン、ジル・サンダーのような、線が少なくてシンプルなデザインが流行したんです。
それが90年代の半ばから大きな変化があるんです。ミレニアムという世紀の変わり目であることから近未来的でフューチャリスティックなデザインが求められたことに加えて、90年代の不況がITバブルなどの影響で回復したこと、さらにそこに大流行したミニマルの反動で少し面白いデザインが欲しいという流れが合流して、90年代半ばから2000年代の半ばにかけて、すごく多種多様な面白いデザインのブティックが一気に出てくるんです。フューチャー・システムズが手がけたコム・デ・ギャルソンのインテリアもそうだし、ルイ・ヴィトンもそうだし、ヘルムート・ラングもそうです。
なぜ急にブティックのインテリアデザインが多様化したかというと、やはりインターネットの登場が大きかった。それまでブティックというのは、実際に足を運べる人だけが見られるものでした。でもインターネット以降は、ブティックを作るとそれがプレスリリースや雑誌やオンラインの記事になって、写真がその日のうちに世界中で見られるようになった。だから空間を作ることそのものが、そこに行ける人だけでなく、そこに行けない人たちへの広告にもなるようになったんです。だから各メゾンはこぞって大きな投資をして、自分のブランドの価値を上げるためにいろんな実験を行った。
でも悲しいことに、2001年に9.11が起きてしまった。非常に社会が不安定になり、旧来の価値が破壊された結果、反動で価値観自体が保守化してしまうんです。さらにリーマンショックなどで景気が悪くなったこともあって、雑多な多種多様なデザインというものを、だんだん許容することができなくなっていく。だから2003年くらいまではすごく面白いのに、ゼロ年代後半にかけてインテリアデザインは不毛の時期を迎えて、すごくつまらなくなっていくんですよ。
門脇 それはファッションそのものの流れとも連動しているんでしょうね。同時多発テロ以降のファッションは、「安心感を求める人々の心を反映するように、天然繊維、手仕事への傾倒、あるいはTシャツを代表とする合理的な定番服など、人々の見慣れたファッションを提示し、ファスト・ファッションと呼ばれる合理性に基づいた安価なコピー服を世界規模で広げた」という指摘もあるようです(※新居理絵「ヘルムート・ラングとその創造的世界」(『ドレスタディ』Vol.56)参照)。
浅子 そうなんです。ではその流れで今のインテリアデザインを見るとどうか。街を見て貰えればわかると思うのですが、Tシャツやチノパンと共に食器を売るような、「ライフスタイルショップ」というのがすごく増えています。でもそれらのインテリアのデザインは、躯体を残して仕上げを剥がし、足場板をどこかに貼って、手描きの金文字のサインをガラスに書き、最後に工場で使われていたようなアンティークのスチールのペンダントライトをぶら下げて終わり、みたいなものばかりです。結局これらは全て、「輝いていた50年代のアメリカを取り戻そう」というパロディで、本当にパッケージが保守化しているんです。そういうことがブティックやカフェで同時に起きている。これは価値観自体が新しくないし、さすがに不毛だと思います。
門脇 日本の今の流れも長引く不況や東日本大震災から来る保守化の流れに位置付けられるのでしょうか。
浅子 この先10年くらいこれが続くと思うと、デザイナーとしては正直うんざりしますね。
宇野 荻上直子監督の『かもめ食堂』の世界ですね。言わば「北欧おばちゃんニューエイジ」というか……。なんだろうなあ、僕自身はスローフード的な暮らしはすごく憧れる。でもあの映画を支配する強烈なイデオロギーというか、無言の排他性がどうしても苦手で……。ライダーキックで破壊したい(笑)。
浅子 でもあれが中目黒とかでは強いんですよ。まさにああいうカフェが山ほどありますから。
門脇 カフェ風というか、ああいった自然素材や古びたものを適当にパッチワークしていくものって、すごくまずいと思うんですよ。
あるとき赤坂の草月会館であった建築界の重鎮たちのパーティに呼んでもらったことがあったんですが、それがすごく80年代的な空気だったんですよ。天井はミラー張りだし、カウンターにはシャンパンが注がれたシャンパングラスがきれいに並んでいるし、「ああ、バブルってこういうことだったのか」みたいな感じ(笑)。
でもそのスタイルが、すごくかっこいいなと思ったんです。もちろん今の時代とは感覚がズレています。でも、そこには彼らの世代が何をカッコイイと思っているのかがしっかりと表象されている。それは空間のデザインばかりでなく、来ている人のファッションや、パーティでの振る舞いなども含めて、あるトータリティを持っていて、「人はこうやって生きるのがカッコイイ」という人生観というか、哲学のようなものを感じさせるものでした。だからああいう空間を含めたトータルなカッコよさを、僕たちの世代が残せないと負けだなと思いました。そう考えたときに、古びたもので安心してしまうのはまずいだろうと。
浅子 そう、だから今こそ「これがカッコいいんだ!」というものが必要なんですよね。
僕がいますごく重要だと思っているのが、80年代に活躍したフランス人のフィリップ・スタルクというデザイナーです。彼はホテルのインテリアデザインなどを手がけたのですが、僕は彼のやったことの本質って「デザインの民主化」だったと思うんです。
スタルクの手がけたインテリアデザインがどのようなものだったかというと、ものすごく大きい4mくらいあるようなわざとらしいぐらい豪華な鏡を立てかけるとか、必要ないくらい大きなドレープのカーテンをぶら下げてみるとか、あるいはそれまでは同じ椅子を並べるのがセオリーだったホテルのロビーに、全て違うデザインの椅子を並べる、というようなものだったんです。そこでは世界各国の有名デザイナーの椅子と、土産物屋で買ってきたような椅子が等しく並べられていた。
インテリアデザインというのは、突き詰めると、どうしてもどこかで権威的になってしまうものです。でもスタルクはその価値を転倒させて、民主化しようとした。そういった意味で、すごく重要な役割を果たしたデザイナーです。
これを踏まえた上で今後のことを考えると、デザイナーの役割が見えてくると思うんです。今、レーザーカッターや3Dプリンターの普及によって、FABと言われるようなムーブメントが流行していて、デザイナーでない一般の人たちが、自分でモノを作れるようになっている。これはスタルク以降のデザインの民主化の流れにある運動だと言える。この流れは止められないし、今後の大きな流れのひとつになるのは間違いない。でも、一般の人たちというのは、ともすると「これがカッコいい」という思想がないまま、例えば雑誌で見たものをそのまま作ってしまうので、価値観の転倒どころか逆に保守回帰してしまう。これは非常に問題です。だから今こそ「一般の人たちがカッコいいと思えるようなもの」を、デザイナーは作らないといけないんじゃないかと思うのです。
▲スタルクによるインテリアデザイン
出典:Stark.com
■「もしデザイナーズブランドとユニクロの服が同じ価格だったら、ユニクロを買う人のほうが多いのではないか?」
宇野 さっきも言ったけれど、僕はユニクロや無印良品、H&Mをなぜいいと思うかというと、そこに美学を感じるからなんです。ファストファッションは効率化と最適化の産物だと思われているけど、当然そこに実は美的なイデオロギーが存在する。ファストファッションをデフレカルチャーの一端として切り捨てるのではなく、その明確な思想に基づいたデザイン自体をしっかりと分析することが必要なんじゃないかと思うんですが。
門脇 まず無印良品に関して僕の雑感を言うと、男子のファッションはきれいめなお父さんスタイルという感じで、まったく惹かれません。でも女子は意外といい。ファッション雑誌でいうと90年代のオリーブ・anan系の価値観を色濃く受け継いだような感じがして、ある種のコスプレとして成立している。無印好きそうな女子のスタイルって想像できますよね? ちゃんとスタイルになっているんです。
宇野 無印良品には、高度消費社会に対してこれくらいの中距離で行きましょう、という明確なメッセージがありますよね。あの白と黒とネイビーしか使わないデザインが、そうした強力なイデオロギーに基づいていることは誰の目にも明らかです。あれは非常に分かりやすいでしょう?
無印良品だけではなく、ユニクロにもそういったイデオロギーがあると思うんですよ。だからデザイナーの固有名詞で語るようにユニクロを語ることだってできるはずなんです。そういった視点を持てずに、デザイナーズブランド対ファストファッションみたいな問題の立て方をしてしまうところに弱さがあるのではないか。
浅子 ただ、一応言っておくと、ファストファションについては剽窃、パクリの問題がありますよね。あるファストファションはコレクションでめぼしいものをピックアップして彼らが売る前に店頭に出してしまうというのも言われています。これは流石に問題です。
また、ユニクロはTシャツとかフリースとか、どちらかというと生活必需品に近い、生活に必要な洋服で売り上げを伸ばしたブランドというイメージはありますけどね。だからカラーバリエーションがあるということ自体が圧倒的に重要で、必要なものしか買わない人たちにも色を選ぶという意味でファッションに必要な喜びを与えたからすごく成功した。
宇野 色の問題一つとっても、ユニクロにせよH&Mにせよ、日本だとそれまでスポーツウェアとかアウトドアウェアでしか使わないようなのような蛍光色や派手な色を取り入れているわけでしょう? 単に安いからではなくて、僕はユニクロにしかないものを求めているつもりなんですよね。色合いだけじゃなくて、デザインや着心地にも同じことが言えるんじゃないかと思う。要するに固有名詞のデザイナーが、ユニクロのデザインに、単に勝てていないだけなのではないでしょうか。実は同じ価格でもユニクロを買う人が結構いるんじゃないかというのが僕の仮説です。ユニクロのデザインも、単にデフレジャパンのスカスカのものとしてではなく、イデオロギーとして支持されているんですよ。
門脇 僕は服を見るとき発色とかをけっこう気にする方なんですが、ユニクロはよく見るとかなり独特の色使いをしているせいだからなのか、そんなに気にならないんですよね。
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【ほぼ惑ベストセレクション2014:第5位】無印良品、ユニクロから考える「ライフデザイン・プラットフォーム」の可能性 ーー浅子佳英×門脇耕三×宇野常寛「これからの『カッコよさ』の話をしよう」第2弾 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 号外 ☆
2014-12-29 11:10
【ほぼ惑ベストセレクション2014:第5位】無印良品、ユニクロから考える「ライフデザイン・プラットフォーム」の可能性 ――浅子佳英×門脇耕三×宇野常寛「これからの『カッコよさ』の話をしよう」第2弾
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2014.12.29 号外
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2014年2月より約1年にわたってお送りしてきたメルマガ「ほぼ日刊惑星開発委員会」。この年末は、200本以上の記事の中から編集長・宇野常寛が選んだ記事10本を、5日間に分けてカウントダウン形式で再配信していきます。第5位は、建築学者・門脇耕三さんとデザイナー・浅子佳英さんによる連続鼎談企画「これからの『カッコよさ』の話をしよう」第2弾、「無印良品・ユニクロ論」です!(2014年10月14日配信)これまでのベストセレクションはコチラ!
▼編集長・宇野常寛のコメント
この鼎談シリーズ自体はもともと、「ノームコア」(編註:ノーマル+ハードコアという意味の造語。極めてシンプルなファッションのこと)の持つある種の「五体満足主義」に対しての反発から始まった企画です。で、この無印やユニクロの思想を考えた回はスピンオフ的な内容だけれど、結果的にすごく盛り上がった。次回以降は再びデザインの話に戻っていくので、そちらも楽しみにしていてほしいと思っています。
これから世の中が変わっていくために一番必要なのは、無印良品やユニクロのような「総合的なライフスタイルを提案しているプレイヤー」が、ECサイトのようなところから新たに出てくることではないかと思っています。こういったPB(編註:プライベートブランドのこと。独自のブランドとして企画し、小売も行う無印良品やユニクロのような業態のこと)から消費文化やライフスタイルを考えるというシリーズは別の企画として進めていきたいと思っていて、とりあえずいま僕が考えているのはセブン-イレブンですね。そちらも来年ぜひ楽しみにしていてほしいと思っています。
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・これからの「カッコよさ」の話をしよう――ファッション、インテリア、プロダクト、そしてカルチャーの未来
▼プロフィール
門脇耕三(かどわき・こうぞう)
1977年生。建築学者・明治大学専任講師。専門は建築構法、建築設計、設計方法論。効率的にデザインされた近代都市と近代建築が、人口減少期を迎えて変わりゆく姿を、建築思想の領域から考察。著書に『シェアをデザインする』〔共編著〕(学芸出版社 、2013年)ほか。
浅子佳英(あさこ・よしひで)
1972年生。インテリアデザイン、建築設計、ブックデザインを手がける。論文に『コム デ ギャルソンのインテリアデザイン』など。
◎構成:中野慧
ファストファッション、IKEAやニトリ、アップル製品など、ゼロ年代以降の私たちの生活に欠かせなくなった様々な「モノ」と「デザイン」について考えた前回の鼎談企画「これからの『カッコよさ』の話をしよう」。第2弾となる今回は、鼎談の収録前に、まず実際に門脇・浅子・宇野の3氏で、銀座の街にある様々なお店を廻ることにしました。
3氏がまず足を運んだのは、世界一巨大な規模を誇るユニクロ銀座店。
▲銀座の中央通沿いにある、ユニクロ店舗でも世界最大のグローバル旗艦店「ユニクロ 銀座店」。12階建てだそうです。
▲床から天井まで隙間なく服が並んでいます。
▲Tシャツフロア。フロア全体に多種多様なデザインのTシャツがひしめいていました。ぶらぶらと見ていたら、浅子さんが当日着ていたスヌーピーTシャツと似たようなデザインのものを発見。「このTシャツけっこう高かったのにw!」(浅子さん)
▲女性ものの丈長のスウェットシャツが気になるという門脇さん。このあと「XLサイズなら僕でもダボッと着れそう」とのことで、お買い上げになっていました。
ユニクロ銀座店の次に3人は、ユニクロ銀座店と渡り廊下でつながっているお隣のドーバーストリートマーケット(コム・デ・ギャルソンの川久保玲氏がトータルプロデュースするセレクトショップ)へと向かいました。
▲ドーバーストリートマーケット ギンザ。
渡り廊下を渡るとそこには、ユニクロとはまるで別世界が広がっていました。好対照だったのはお店のレイアウト。通路は広く取りつつも縦にぎっしりと服を並べるユニクロと違い、様々なアイテムがゆったりと店内に配置されていました。
ドーバーストリートマーケットを出た一行は、「無印良品 有楽町店」へ向かいました。
▲無印良品有楽町店。ここもかなりの大型店舗です。
▲無印良品の家。
無印らしいアースカラーの服が並ぶ店内を分け入っていくと、目に入ってきたのはスチールの外壁(「金属系サイディング」というものだそう)の、「家」でしたーー。そう、最近、無印では「無印良品の家」を販売しているとのこと。コンパクトなサイズながら、吹き抜けと、ガラス張り(でも断熱性も高いそうです)による採光のよさもあって、見た目以上にゆったりとした住空間。「暮らしに合わせて間取りが変えられる」とのことです。(出典:「無印良品の家」ホームページ )
その後、一行はクロムハーツ、ミュウミュウ(MiuMiu)、Aesop(イソップ)、フライターグなどを回ってこの日の街歩きを終えました。
■ユニクロとコム・デ・ギャルソン、何が明暗を分けたのか?宇野 まず簡単に前回のおさらいをすると、今の時代のファッションは、ノームコア(※ノーマル+ハードコアという意味の造語。スティーブ・ジョブズの「いつも黒のタートルニットにジーンズ」というスタイルに代表されるような、極めてシンプルなファッションのこと。最近のファストファッションの隆盛を受けたトレンドでもある)的なものが優位になっている。そしてその潮流は一部で「身体自体を鍛えるのが真のオシャレであり、自分の身体さえしっかり鍛えていれば着るものはなんでもいい」という五体満足主義的な思想に回収されつつある。それはファッションが本来持っていた「やせっぽちでも太っていても、工夫しだいでカッコよく、気持ちよくなれる」という、文化としての豊かさがやせ細ってしまっているということでもある。こういう現状に対する違和感は共有されていますよね。
そこに対して例えばデザイナーである浅子さんは、ノームコア的なものを批判して「新しいラグジュアリー」のような価値を提示していくことが必要なのではないかという立場でした。
また、鼎談のなかで見えてきたのは、ファッションだけでなく、インテリアや建築のような「デザイン」と言われる世界ではどこでも、90年代以降に似たようなことが起こっているのではないか、ということでした。
今日は第二弾ということで、ファストファッションからデザイナーズブランドまで、銀座のいろいろなお店を実際に回ってきたわけですが、みなさんは改めてどう感じましたか?
浅子 やっぱりユニクロが今強いのは、面白いデザインの服を揃えているわけではないけれど、カラーバリエーションやちょっとしたデザインの違いの製品を大量に揃えていて、その「多くのものから一つを選ぶ」という体験自体に楽しさがあるからなんだと思いましたね。
宇野 ショッピングにゲーム的な楽しさがあるということですよね。
浅子 そうです。銀座店は特に、12階建てなのにもかかわらず、フロアのレイアウトがほとんど同じだったりして、あの感じは僕自身はそんなに好きじゃないんだけど、実際に上から下まで全部見て回ると本当にゲーム空間にいるようで面白かったです。
門脇 ユニクロの店内のレイアウトは「とにかく下から上まで整然と服を並べる」という思想ですよね。対照的だったのはそのあとに行ったドーバーストリートマーケットで、店内に余白をたくさん取っていました。あれは「アート的に見せる」というテクニックなんだけど、物量としてはユニクロよりも全然少ないですよね。そうすると服の一点一点が高くならざるをえない。置いているモノはカッコいいんだけど、トータルで見るとどうしても元気がないように見えてしまった。
浅子 僕は立場的にコム・デ・ギャルソンを擁護するしかないんだけど、たしかに銀座店は少しゆったりしすぎているかもしれないですね。ただ、最初にできたロンドンのドーバーストリートマーケットはとてもエキサイティングな空間です。もともとオフィスか何かだった建物に、川久保玲やセットデザイナーなどが介入して百貨店にしてしまっている。たとえばエスカレーターでなく階段で登らないといけなかったりとか、フロアの使い方もわけのわからないことになっていて。
そもそもドーバーストリートマーケットの面白さって、コム・デ・ギャルソンというブランドが、自分たちの服を売るだけではなく様々なブランドの服を売ったり、アーティストの作品を展示するスペースをつくったり、ある種のプラットフォームとしてお店を構えたところにあると思うんですよ。
ただ銀座のお店はやっぱり、「ギンザコマツ」という百貨店の建て替えで用意された空間に出店しているから、そういう面白い化学反応が起こらなかったんだと思います。だからそこを責めるのはちょっと気の毒な感じがするんですよね。
門脇さんは店内のレイアウトのことを指摘されたけど、インテリアのデザイナーとして言うとやっぱり余白というか、そもそも白い壁が良くないと思う。確かに白い壁にするとニュートラルであるかのようにふるまいながらも簡単に綺麗に見せることができるんだけど、それは何も考えていないということの裏返しでもあるんですよね。
門脇 結局現代アートもそうだけど、白いところにポツーンと何かゴミが置いてあるだけでアートに見えたりするんですよ。それ以外の見せ方を開発できてないのはちょっと残念だった。そういう意味ではユニクロの見せ方のほうが面白かったですよね。
宇野 ユニクロって、ある時期まではフリースだったり、インナーや寝間着を買うお店というイメージで捉えられていましたよね。で、誰が着てもそこそこ似合うものを、豊富なカラーバリエーションで提供していたのがフリース時代だとすると、今は第2段階、いわばUT(=ユニクロのTシャツ)以降の時代に入っていると思うんですよ。
UTって色々な企業のロゴだったり、スヌーピーやディズニーなどのキャラクターイラストに、多種多様なカラーバリエーションを掛け合わせるという発想でつくられていますよね。あれってインターネット以降の感覚だと思っていて、要するに統一されたフォーマットに多様なコンテンツを流し込むことで無限にバリエーションを生成できるということだと思うんです。そういう思想が商品ラインナップだったり、レイアウトの方法とも結びついていて、UTという独特のジャンルを生んでいるんじゃないか、と。
門脇 フォーマットが決まっているからこそ多様な表現が生まれてくる、ということですよね。僕には商品そのものとしてあれが良いのかどうかピンと来ないところがあるけど、でもあれだけのバリエーションがあるなかで選ぶという体験はたしかに楽しかった。さっきもスウェットを買ったけれど、たぶんドーバーストリートマーケットに並んでても買わないんじゃないかな。たくさんのバリエーションが並んでいるなかで気に入ったものを見つけて、買ってしまう。そういう体験を含めて買っている気がしますね。
■「バブルの鬼子」としての無印良品
宇野 これは都市部に限った話かもしれないけど、ユニクロと無印良品ってもうインフラみたいになっているじゃないですか。「あ、この街って駅前にユニクロと無印あるんだ、便利だね」とみんな思ったりする。だからこの2つの企業って、日本の生活文化においては非常に強いと思うんだけど、でも今日見ていて改めて思ったのは、ユニクロはまだ無印を倒せていないということなんですよ。要するに今の無印良品はライフスタイルそのものを提案できているけど、ユニクロはまだそこまで行けていない。
たとえばユニクロの主力製品であるヒートテックひとつとっても、「冬のファッションで重ね着させない」ということを目標にしたもののはずです。厚着させないということは、つまり「こういう身体が美しい」とか「こういう屋内ライフスタイルが気持ちいい」という提案であるはずで、それを延長していくと僕たちの身体観やライフスタイルの変革へと結びついていくはず。でも、今のユニクロのラインナップからはまだ「新しいライフスタイルの提案」まで読み取ることはできない。アイテム1個1個の持っている快楽やゲーム性に留まっていて、総合的なビジョンがまだないんだなあ、と思ってしまいました。
一方で無印は、僕の考えでは言わばディフェンディング・チャンピオンだと思うんですよ。あそこに行くと衣食住全部ある――というか、今は家具だけでなく家まで売っているわけですからね。総合的なライフスタイルを提案できているわけです。たとえば僕はあの透明の衣装ケースも使っているし、食べ物にしても僕はMUJIカフェによく行くし、無印カレーも大好きなんですよ。
そもそも、無印良品のコンセプトって基本的に「アンチバブル」だったわけですよね。80年代の消費社会=バブル的な価値観に対して距離をとりつつ、かといってニューエイジや昔のヒッピーのように消費社会を全面的に批判するわけでもなく、要するに「消費社会に対してはこれぐらいの中距離で付き合いましょう」というライフスタイルを提案している。
浅子 いや、それもあるけれど、その前にみんな忘れているのは、僕らが子どもの頃の昭和の時代って、ともかくダサイもので溢れていたんですよ。布団がなぜか花柄だったり、家具も変な色に塗られていたり、ほとんどの家庭にはわけのわからないデザインのものがいっぱいあって、子ども心にあれがすごく嫌だったわけですよね。そこに対して無印は、「柄のない布団のほうがいい」というようなニュートラルでフラットでシンプルなデザインを提案し、支持を受けた結果、今やそれがスタンダードにまでなったと。
宇野 無印だけが、モノだけでなく「こういうライフスタイルがいい」という世界観を提示するに至っているんじゃないかなと思うんです。そしてそれは90年代以降の世界的な潮流ともマッチしていた。たとえば宮台真司さんがよく言っているけど、スローフードが好きな奴って、エアコンの効いた部屋でスターバックスのコーヒーを飲みながら環境問題の本を読んで悩んだふりをしている人なんですよ。要するにスローフードとはグローバル資本主義下におけるアッパーミドル向けの優秀な商品にすぎないわけです。でも、それでいいと思う。だから無印良品は強い。僕も大好きです。あの「素材を大切にした」シリーズのカレーやスープのレトルトパウチは家に常備している。あれは、「レトルトのスローフード」という矛盾するコンセプトが同居しているわけなんですが、そこが素晴らしい。
門脇 レトルト食品を排除するのではなく、レトルトをいかに美味しくて栄養バランスもいいものにしていくかという発想ですよね。ただ、無印の提案しているライフスタイルって、今ではちょっと古くなってしまっている気もするんです。「家族で郊外に住み、お父さんは電車で都心に通勤する」という昭和的モデルのバージョンアップで、まだその先に突き抜けられていないというか。
宇野 無印はやはりバブルの落とし子なので、どうしてもそうなってしまうところはありますよね。それに、当初のコンセプトである「アンチバブル」が実はすごく狭いイデオロギーなので、その価値観が押し付けがましいと感じる人も多いと思うんですよ。たとえばこれだけ無印大好きな僕でさえも、ほぼアースカラーオンリーの衣料や、家具類の「柔らかい木目」のゴリ押しはちょっとしんどく感じることがある。
浅子 正直、僕もそう思っていますよ。
門脇 無印良品ってすごく哲学がしっかりしていて、「文明は共通化して文化は差異化する」という未来予測を展開しています。つまりグローバル化のなかで「感じのよい暮らしをリーズナブルに」という方向性はぶれずに追求していきつつ、それだとほかの国や地方、あるいは「無印的価値観にドンピシャな世代」以外には展開できないから、地域性や時代性に紐付いた文化で彩っていくということになるんだと思いますが、それだとどうしても既成の価値観を無印的にセレクトすることになってしまうから、まったく新しいものを生み出すことが難しくなってしまう。
無印も本当は「新しいラグジュアリー」のようなものを追求すべきなんだけど、そもそものコンセプトが「オルタナティブなスタンダード」なので、クリエイションに根拠を与えるものが既にあるものにしかならない。無印のインパクトって確かに大きいし、それがいよいよ浸透してきた勢いも感じますが、次の時代を考えるとそこが弱いところだと思うんですよね。
浅子 無印のデザインって文化の多様化と言うにはちょっと一本調子すぎますよね。たとえばヤンキーが作るわけのわからないバイクのようなものって、文化の多様化そのものだと思うけれど、そういうデザインのものは絶対に製品ラインナップに入ってこない。だからすごく偽善的な感じがするわけです。これは無印だけでなく、アップルのデザインにも言えることだと思うんですけど。 -
【ほぼ惑ベストセレクション2014:第8位】都市生活とスポーツの融合が生み出す”新たなライフスタイル”とは!? ――「アメリカ生まれのスポーツショップ」オッシュマンズを取材してみた ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 号外 ☆
2014-12-28 11:00
【ほぼ惑ベストセレクション2014:第8位】都市生活とスポーツの融合が生み出す”新たなライフスタイル”とは!? ――「アメリカ生まれのスポーツショップ」オッシュマンズを取材してみた
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2014.12.28 号外
http://wakusei2nd.com
2014年2月より約1年にわたってお送りしてきたメルマガ「ほぼ日刊惑星開発委員会」。この年末は、200本以上の記事の中から編集長・宇野常寛が選んだ記事10本を、5日間に分けてカウントダウン形式で再配信していきます。第8位は、「アメリカ生まれのスポーツショップ」オッシュマンズへの取材記事です!(2014年10月28日配信)これまでのベストセレクションはコチラ!
▼編集長・宇野常寛のコメント
僕はネット以外で買い物をするときは新宿に行くことが多い人間です。で、たとえば新宿伊勢丹のメンズ館が前提としている「都市の大人の男のライフスタイル」より、東南口のオッシュマンズが提示している都市生活の方が圧倒的に気持ちよく格好いいものに見える。そういう感覚を言語化しようということを最近ずっと考えていて、「だったらとりあえず取材してみよう」と思って行ってきたのがこの記事です。
取材に行ってみてわかったのは、予想以上に売り場の人たちにも僕と同じような風景が見えているということ。いま日本の都市部に立ち上がっている、エクササイズやスポーツを取り込んだホワイトカラーのライフスタイルって、グローバルなクリエイティブ・クラスのライフスタイルと似ているようでどこか違っていて、日本の、東京の独特の文脈を帯びている。そういう「ポスト戦後」の日本のホワイトカラーのライフスタイルに、言葉によって輪郭を与えていく仕事を、来年は追求したいと思っています。
1985年に日本に登場して以来、都市生活者のスポーツライフを支えてきた「オッシュマンズ」。以後30年に渡り、ランニングやヨガ、サーフィン、トレッキングなど、あらゆるスポーツブームのニーズに応えてきたセレクトショップです。85年の原宿店を皮切りに、町田、新宿、吉祥寺、千葉、池袋、二子玉川、そして最近ではアウトレットの軽井沢と、少しずつ店舗を拡大しています。
今回、宇野常寛とPLANETS編集部はこのオッシュマンズ発祥の地である原宿店を訪問。同店の魅力と歴史に加え、スポーツを取り込んだこれからのライフスタイルについて、株式会社オッシュマンズ・ジャパン営業計画・販売促進担当マネージャーの角田浩紀さんにお話を伺ってきました。
◎聞き手・構成:小野田弥恵、中野慧
▲オッシュマンズ原宿店
■西海岸とNYのライフスタイルが合流して生まれた、東京独特のアウトドアウェア文化
――原宿にたくさんある他のお店と比べると、オッシュマンズさんの立ち位置って独特だと思うんです。ファッションとして考えると、例えば原宿界隈にあるセレクトショップやデザイナーズブランドとは明らかに系統が違う。かといって、たとえばB&Dなどのような、機能性を重視したスポーツ店というわけでもない。そこで、まずはお店づくりのコンセプトについてお伺いしたいのですが。
▲オッシュマンズ・ジャパン営業計画・販売促進担当マネージャーの角田浩紀さん
角田 オッシュマンズは元々、1932年にアメリカ・テキサス州のヒューストンで生活雑貨店としてスタートしました。その後、経済成長とともに人々の間に芽生えた「スポーツを取り入れた快適なライフスタイル」へのニーズに応える形で、スポーツショップへと進化していきます。
オッシュマンズが日本に進出したのは1985年で、株式会社イトーヨーカドー(現:セブン&アイホールディングス)と業務提携した当初から「アメリカ生まれのスポーツショップ」というコンセプトが前提としてありました。ここでいうスポーツというのは、ランニングやサーフィン、トレーニング・フィットネスなどの生活に組み込めるスポーツのことですね。
日本では90年代にアメカジブームが起きたこともあり、“アメリカのショップにありそうなもの”というのは重要な基準だったんです。2000年代半ばからは視野を広げて、カナダやヨーロッパのメーカーも幅広く扱うようになり、アメリカだけにこだわらなくなりました。しかし今でも、アメリカのカルチャーを発信するという部分は根強く残っていますね。
――ここでいう“アメリカのカルチャー”って、具体的にはどういうものなんですか? 発祥の地のヒューストンがあるアメリカ南部の文化ともだいぶ違うように思うのですが。かといって、サンフランシスコやポートランドのような西海岸の文化とも少し違うような気がします。
角田 意識しているのは、アメリカの「西と東の文化」ですね。西はワシントン州からカリフォルニアまでのいわゆる“西海岸沿い”、東はニューヨーク。特にニューヨークは東京と似ているんです。オフィス街があって生活意識が高い人たちが住んでいて、公園はランナーで溢れかえっていて、ヨガをやっている人もすごく多い。西海岸では上半身裸でランニングをしている人も多いので、ランナーのスタイルもニューヨークのほうが日本にはなじみ深い。この、都市とスポーツが融合したニューヨークのライフスタイルと、いわゆるアメリカを象徴するような西海岸のサーフィン文化やアウトドア文化、大きく分けてこの二つのカルチャーを取り込んでいます。
▲店内にはアウトドアグッズがいっぱい。
――なるほど。つまりここ東京で、アメリカの西と東、両方の文化とスタイルを融合させた、独特な流れが作られてきているということなんでしょうか?
角田 バイヤーも、東海岸に買い付けにいくときはニューヨーク経由で行くことが多いので、ニューヨークのランナーが集まる公園だったり、付近のランニングショップの様子はチェックしています。ニューヨークはランニングの文化が非常に盛んですから、定点観測の場所として非常に重要ですね。
ちなみに当店では最近、ナイトラン向けのマナーグッズを展開しているんです。なぜかというと、東京のランナーは社会人の方が多いので、夜遅くに走る人が多いからです。そのため、安全面やドライバーへの配慮として、反射板や光るものをつけるのもひとつのマナーなんじゃないか、という提案ですね。例えばこの「POWER Stepz」はシューズの紐部分に装着すると、ランニング中に足が地面に着地するたび、光るようになっているんですよ。こういった商品をアメリカから直輸入しているんです。
▲「ナイトラン」向けのグッズコーナー。
▲「POWER Stepz」。叩いて衝撃を与える(=ランニング中に靴が地面に着地する)とそのたびごとに光ります。
――シューズと合わせて紹介することで、マナーを啓蒙していくんですね。
角田 ヨガコーナーでも、ウエアやグッズを販売するだけでなく、ヨガがどのようなものなのかを知って頂くために、開店前に先生を呼んで朝ヨガ教室を行うなどしています。また、「いつでも・どこでも・だれでも」をキーワードに無料のヨガアプリも作成して、気軽にヨガが行える環境も提供しています。今後はヨガグッズから派生する、オーガニック食品やスムージーを作るミキサー、アロマなど、ヨガから広がる生活様式の提案も視野に入れていますね。
▲「朝ヨガ」の様子
――ヨガを取り入れたライフスタイルの提案、ということですね。
角田 そうですね。“スポーツショップで展開している”という説得力を活かせればいいなと。例えばこの「Backjoy」という腰カバーも非常によく売れているんですよ。オフィスなどで椅子とおしりの間に敷くことで、骨盤と背骨が自然な状態で座れるようにしてくれるんです。
▲「Backjoy」
―― 一見スポーツと関係なさそうですが、確かに“スポーツショップに置いてある腰カバー”ってすごく効き目がありそうな感じがします。先ほどもお話されていますが、確かにいずれも生活のなかに取り込まれたスポーツや、その延長線上にあるライフスタイルを提案しているという印象を受けました。
■ヨガブーム、ランニングブームはどのようにして起こっていったのか
――長年このお仕事をされている角田さんからは、これらのライフスタイル型のスポーツのブームやトレンドがどう移り変わってきたように見えているんでしょうか?
角田 一号店である原宿店がオープンした1980年代中頃は、ちょうどアメリカで起きたフィットネスブームが日本にも到来していたころでした。当時はエアロビクスと呼ばれていて、原宿にはスタジオや専門店がたくさんあったんです。このころ、爆発的に売れたのがReebokのフィットネスシューズ「フリースタイル」ですね。もともとエアロビをする人たちから支持されて、ファッションとしても人気に火がついた。で、90年代になるとサーフィンブームが到来する。男性はショートのサーフボード、女性はボディーボードで海に入るようになった。このころは「QUIKSILVER」というサーフブランドから登場した女性向けの「ROXY」が大人気でした。茶髪のロングヘアをくくって、シープスキンのブーツを合わせるのが流行っていましたね。
ヨガブームが始まったのは2000年代前半ですね。フィットネスブームのときの「体づくり」の延長として始めた人が多かったんじゃないでしょうか。一時は爆発的ブームになって、ナイキのヨガマットが飛ぶように売れた時期が2000年代半ばです。それまではヨガをやるスタジオもそれほど多くなかったですし、ウェアやマットがどこでも売っているわけではなかったので、すごく売れましたね。今はネット通販はもとより、ファストファッションのお店や、ホームセンターでもヨガグッズが売っていますので、ブームというよりは完全に定着していますね。
さきほどお話しした「朝ヨガ」は、「やってみたいけどどこでやればいいかわからない」という人への入り口としてやっている部分があります。やっぱりヨガスタジオやスポーツクラブのヨガ教室にいきなり行くのは、初めての人にはハードルが高かったりしますからね。
――そうなんですね。ランニングブームに関してはどのように見ていらっしゃいますか?
角田 ランニングブームが始まったのは、ヨガブームよりも少しあとの2004、5年ぐらいでしょうか。最初にバイヤーが、東海岸で「ランスカートというものがある」という情報を持ってきたんですが、最初は「さすがにこれはちょっとないかなぁ」と我々も思っていたんです。でも、いまはランスカートもすっかり市民権を得ていて、ランニングでオシャレも楽しむというスタイルが定着していますよね。
そういった流れが大きくなってきたタイミングで東京マラソンも始まったりして、ランニングを生活のなかに取り入れている人がすごく多くなっていますね。
――ランニングブームはなぜこんなにも定着したんでしょうか?
角田 やっぱり健康意識が高まってきたからでしょうね。それと、これはまったく個人的な意見なんですが、消費の仕方そのものが変わってきているように思います。「モノを買ってそれを所有して満足する」というよりも、生活の中身のクオリティに対する意識が強くなってきているように感じていて、その表れのひとつとしてランニング文化の定着があるのかなと思います。
■アウトドアウェアをファッションとして着る文化は日本特有のものだった!?
――アウトドアのブームに関してはいかがでしょうか。
角田 アウトドアブームが起きたのは2006、7年ごろからでしょうか。もちろん80年代後半から90年代ごろにもブームになっていて、L.L.Beanなどが流行りましたが、当時は実際にそれを着て登山に行く人はそこまで多くなかったんじゃないでしょうか。
本格的にブームになってきたのは、男性向けアウトドアファッション誌の「GO OUT」(2007年創刊、三栄書房)が創刊されたころでしょうね。その頃から「アウトドアウエアを街でも着る」というのが流行り始めた。
▲「GO OUT」創刊第2号(2008年3月28日発売、三栄書房)この時期が面白かったのは、アウトドアウエアのトレンドを受けて、実際に登山に行く人が増えたことですね。それまで中高年の聖地だった高尾山が、カラフルなウエアを着たいわゆる「山ガール」でいっぱいになった。
そうそう、「山ガール」文化に関しては女性向けアウトドア誌の「ランドネ」(エイ出版社)の影響も大きかったと思います。
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