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  • 人間の「伸びしろ」を測定することは可能か? ──統計学的思考の教育への応用可能性 鳥越規央(統計学者)×藤川大祐(教育学者)(PLANETSアーカイブス)

    2020-11-06 07:00  
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    今朝のPLANETSアーカイブスは、統計学者でセイバーメトリクスの専門家でもある鳥越規央さんと教育学者の藤川大祐さんによる対談をお送りします。 野球において、統計学の手法を用いて分析するセイバーメトリクスという手法は、試合の戦略分析だけでなく、選手の育成方針の策定のためにも用いられています。では、その手法は教育にも応用することはできるのでしょうか。教育現場での事例を踏まえて、その可能性を探ります。 ※この記事は2015年10月28日に配信した記事の再配信です。
    鳥越先生の「セイバーメトリクス観戦講座」レポート
     鳥越先生による観戦講座が行われたのはまだ夏の暑さの残っていた8月29日。あいにくの曇り模様のなか、急造のPLANETS野球取材チームはたくさんの人でごった返す海浜幕張駅に到着しました。
     千葉ロッテマリーンズのチームカラーは白・黒・赤・グレーですが、駅で周りを見渡すと、もっとカラフルな出で立ちの人ばかり。色は、赤・黄・緑・ピンク・紫……これはもしや、ももクロ……!? 調べてみると案の定、ももクロのファンクラブ会員限定イベントが幕張メッセのイベントホールで行われていたようです。やはり現代は、アイドル一強時代なのか……?
     アイドルに負けない21世紀的な「野球2.0」はいかにあるべきかを構想しながら歩くこと15分、ようやくQVCマリンフィールドに辿り着きました。

     モノノフに席巻されていた海浜幕張駅とうって変わり、QVCマリン周辺は少し落ち着いた雰囲気。ロッテファンは昭和からの伝統的な野球応援スタイルと決別し、Jリーグのサポーターを参考に独自の応援スタイルを築き上げたと言われていますが、やはり若い人が多め。
     球場そばの「マリーンズ・ミュージアム」には球団の歴史を振り返る展示があり、単なるグッズ売り場というよりは、メジャー球団のボールパークに併設されている博物館のようでした。
     グッズショップには、写真のように球団の正式ユニフォームとは違う、オリジナルデザインのNEW ERAキャップが並んでいました。ただ単にユニフォームと同じキャップだと昭和の野球少年になってしまう恐れがありますが、それとわからないさりげないデザインで主張するところに、現代のファンを掴もうという工夫が感じられます。実はこうした取り組みは現在多くの球団が行っているのですが、特にロッテのグッズデザインは洗練されているようです。

    ▲グッズショップには様々なデザインのグッズが並んでいます。かつて野球場のグッズ売り場といえば掘っ立て小屋やプレハブのようなイメージでしたが、今はまるでセレクトショップのような雰囲気。文明はどんどん発達していく…

    ▲さっそく試合開始! 先発投手はロッテが左の古谷拓哉(ふるや・たくや)投手、オリックスが昨年ブレイクした西勇輝(にし・ゆうき)投手でした。

    ▲Macbookでデータを見ながら参加者に解説する鳥越先生。右下にはマリーンズのユニフォームに身を包んだ藤川先生の姿も。
     この日の参加者は30人ほど。鳥越先生の解説は、手渡されたトラベルイヤホンで聞くことができます。一緒に来た人と解説の感想をわいわいと言い合ったり、鳥越先生ご本人に直接質問したりすることができます。

    ▲(株)エアサーブの提供するトラベルイヤホン。普段は美術館の音声ガイドなどに使っているそうですが、球場で生観戦しながら解説を聞けるというわけです。他にもいろいろ応用できるかも……?
     また、ゲストとして鳥越先生のご友人というプロ野球選手のモノマネ芸人さんたちも登場。

    ▲左からニセ勇輝さん(西勇輝投手のモノマネ芸人)、伊藤ピカルさん(伊藤光選手)、小谷野ええ位置さん(小谷野栄一選手)。一般的にそれほど有名とはいえないオリックス選手のモノマネを選択されることに男気を感じます。ただ小谷野ええ位置さんは坂上忍のモノマネで定評を得るなど、みなさんレパートリーは豊富なよう。

    ▲そして、あれは、く、桑田さん……? 元メジャーリーガーも幕張に駆けつけました
     オリックス選手以外にも、巨人〜ピッツバーグ・パイレーツで活躍した桑田真澄さんのモノマネ芸人・桑田ます似さんが1イニングだけでしたがゲスト解説に登場し、桑田そっくりの語り口で参加者の笑いを誘っていました。
     試合は1回にいきなり糸井が2ランホームランを放ちオリックスが先制するも、その後ロッテ先発の古谷がオリックス西に負けじと好投。ロッテがじわじわと追い上げて6回に逆転に成功し、9回は守護神・西野が危なげなく試合を締めました。
     鳥越先生はデータから古谷の好投を予想、打球方向の傾向から8回のヘルマンの左中間二塁打を的中させるなど、プロ野球OBの解説にはない語り口が新鮮でした。

    ▲地元ロッテが勝利し全身で喜びを表現する藤川先生
    「現場で解説を聞く」という新しい観戦スタイル──メディア論的観点から
    ──今回は鳥越先生と藤川先生のお二人に、「セイバーメトリクスや統計学的思考の教育への応用可能性」というテーマでお話を伺っていければと思うのですが、まずは今回の観戦講座について振り返ってみたいと思います。藤川先生はいかがでしたか?藤川 いや~、楽しかったですよ。「楽しい」って色々な意味があるんでしょうけれど、まず野球場で野球を見るということは基本楽しいわけですが、耳元で鳥越先生が解説してくれてこちらから質問できて、データに着目していくと目の前に起こっていることも確率的に説明がつくことが多かったじゃないですか。フィールドの雰囲気プラス知的な楽しさが重なって、本当に楽しい時間を過ごすことができましたよね。
    ──鳥越先生は「左投手の古谷に合わせてオリックス打線は右バッターを並べてきたけれど、それは逆効果だ」とおっしゃっていましたよね。
    鳥越 先発投手としての格で言えば古谷よりも西の方が上なわけで、戦前の予想もオリックス有利と出ていました。しかしスタメンが発表されたとき「おや?」って思ったんです。というのもオリックスのスタメンが糸井を除いてすべて右バッターだったんです。それまで調子のよかった左の小田裕也や駿太をはずして。たしかに古谷は左投手ですが、データを見ると右バッターに対する被打率が1割7分3厘(当日までのデータ、シーズン通算。185)と、じつは右打者のほうが得意な投手なんです。野球界では「左投手は左打者が得意」という定説があって、それは統計的にもある程度正しいのですが、古谷に関してはそれが当てはまらない。なので右バッターを並べるというオリックスの選手起用はよくなかった。それがオリックスの敗因のひとつでしょうね。
     あと、今日の試合をセイバーメトリクス的な観点からみていて良いと思ったのが、ロッテが角中(勝也)を2番に置いているということでした。日本野球ではとかく2番に出塁率がいいわけではないけども、バントは上手いという選手を置きがちですが、序盤のノーアウト1塁で送りバントをするのって統計的には悪手なんですよ。
     角中は以前首位打者を取っていて非常にシュアなバッティングをするバッターですが、彼を3番ではなく2番に置く。同じようにヤクルトでは川端慎吾(かわばた・しんご)という3番を打っていてもおかしくない打者を2番に置いていましたよね。こういったことは非常に良い傾向だと思います(その後、川端はセ・リーグ首位打者のタイトルを獲得、所属するヤクルトはセ・リーグを制覇した)。
    藤川 「2番は送りバント」っていうのはだいぶ廃れつつあるんじゃないですか?
    鳥越 いえ、たとえば今年のソフトバンクはまだ2番は打力のそこまで高くない選手を起用しています。ただソフトバンクには圧倒的な戦力がありますから、2番の起用に関しては相手チームにハンデを与えているものと思ってみています(笑)。本来なら柳田(悠岐)のような強打者を2番に置いたほうが得点はもっと増えますよ。(注釈:ただ2番に起用される選手の守備力はリーグ随一なので、そういう意味では必要不可欠な選手です、ただ打順が……。)
    藤川 おそらくデータを見ずにただグラウンドで見ていたら今日の試合も、「ロッテが逆転して逃げ切った」というストーリーにしかならないんですけど、データがあることによってどこにドラマがあるのかがわかるから、より深く楽しめるんですよね。
    鳥越 野球って「左ピッチャーには右バッターを当てろ」みたいなステレオタイプがたくさんあるんですけど、そういう「思い込み」に惑わされないようになるというのが、データで野球を観ることの面白さのひとつですね。
    ──藤川先生は教育学者として「エンタテインメントの方法論をどう教育に生かすか」や、メディアリテラシー教育について発言していらっしゃいますが、メディア論的な視点からみて今日の観戦講座の試みをどう感じましたか?
    藤川 鳥越先生の解説で面白かったのは、オリックスのヘルマンというバッターが左中間に打つ確率が高いというのと、守るロッテ外野陣の荻野・岡田・清田の守備範囲がすごく広いので、そのせめぎあいが見どころとおっしゃっていたところ、ヘルマンが本当に左中間にツーベースを打ったんですよね。もしテレビで見ていてそういう解説があったとしても、テレビはピッチャーとバッターを主に映すから、外野陣の守備位置までは見ることができないじゃないですか。その意味で、球場全体を見渡すことのできる視点から解説を聞くことの面白さを感じましたね。
    ──「予言を当てる」といえばジャイアンツ戦での江川解説なんかがありますけど、江川の場合は経験知とカンに基づいた「神がかり」のようなものであるのに対し、鳥越先生の解説は統計的な根拠に基づいたものなのでより身近に感じることができますよね。
    藤川 やっぱりテレビの画面にとって野球場って広すぎるんですよね。これは球場などのいわゆる「大箱」でやるAKBのコンサートでも感じるんですけど、200人とかのメンバーがウロウロしていても、スクリーンの画面に映るのって1人2人なんですよ。常に99%の人が映っていない。たとえば、私の推しメン(村山彩希さん)はそこまで推されているわけでもないので会場のビジョンに映る機会も少なく、肉眼で探すのが大変なんです(笑)。
     サッカーなんかはテレビでもフィールド全体を映すので選手の位置はよくわかりますけど、野球はテレビ中継では投手と打者以外に球場で他の選手が何をやっているのかよくわからない。球場だったらネクストバッターズサークルで「次は誰が代打に出てきそうだ」とかわかるじゃないですか。その意味で、自分で見る場所を選べる現場観戦は非常に価値がありますね。
    鳥越 もしマスメディア的に野球を盛り上げるんだったら投手と打者の「一対一勝負」をクローズアップしてドラマ性を盛り上げていくことになるんですが、データは一対一勝負以外の様々な場面で使えるので、テレビだけだとどうしても解説できることが制限されてしまうというのはありますね。
    ──数年前から楽天や横浜DeNAのようなIT系球団を中心に主催試合をニコ生やSHOWROOMなどでネット中継していて、ネタコメントが流れたり、アナウンサーのフリーダムな実況が面白かったりして非常に人気があります。横浜の場合、1試合のニコ生視聴者は20万人以上になることもあるんですが、無料公開だから球場に来なくなるんじゃないかと思いきや、スタジアムへの来場者も右肩上がりなんですよね。
    藤川 やっぱりメディアとスポーツってすごく重要な関係があるわけですけど、まずメディアで見て現場に行きたくなって、現場で楽しんで行けないときはメディアで楽しむというかたちですよね。で、従来は現場に行くと解説を聞けなかったんですよ。やっぱり今の時代は本当に楽しみたければ自分でデータ見たりしながら人の話も聞いていたい。ところが今回は鳥越先生が全部その場で調べてくれて、しかもそれをリアルタイムで教えてくれるわけですからね。
    鳥越 昔は横浜スタジアムや神宮球場で球場内FM放送といって、案内されたFMの周波数に合わせると誰でもDJのトークを聞けるというものがあったんですが、「ラジオ聞きながらだと集中してしまってファールボールに気づかないから危険」という理由で廃止になってしまった。でも今回は2階席からだったからそこまでファールボールの危険性もなかったですね。
     球場にラジオを持ち込んで実況中継を聞きながらみるのもいいのですが、「第1球投げた!」という、映像を見ていない前提の細かな実況が煩わしく感じてしまったり、radikoで聞くと5秒のズレが生まれてしまったりするんですよね。
    藤川 球場でピッチャーが投げたのを見た5秒後に「ピッチャー投げた!」っていう実況が流れてくるのは許しがたいですね。
    鳥越 そういう意味では、エアサーブさんのイヤホンガイドによる実況解説は聴講されたみなさんにもストレスを感じさせることはなかったと思います。
    藤川 誰でも聞けるというかたちではなく、特定のゾーンの人だけが聞けるシートを設けるなどしてプレミア感を出したほうがいいですよね。
    ──いまIT系の球団を中心に、様々なプレミアを付けたシートを少し高い値段で売り出していますが、それが当初の予想以上に売れているようです。砂かぶり席(球場のファールゾーンに新たに客席を設置してより臨場感が楽しめるようになっている。来場者にはファールボールの危険に備えてヘルメットとグローブが貸与される)が代表的ですが、スタジアムの上の方の座席を改造してパーティーができるような席種も販売されています。普通なら「チケットを値上げしたら売れないだろう」と思うのですが、むしろ様々な付加価値を乗せて高く売ることで全体の売上は増える。そういうビジネスモデルのひとつとして考えてみてもいいかもしれないですね。

    ▲広島カープの本拠マツダスタジアムに設置された内野パーティーデッキ。
    http://www.carp.co.jp/ticket/zaseki/partyfloor.shtml#deck

    ▲横浜スタジアムに今年から新設された「ベースボールモニターBOXシート」。居酒屋のような席配置で友人たちと飲み会をしながら観戦できる。テーブル中央にはタブレットPCが設置されており、選手の成績やリプレイ、実況映像なども見ることが可能。
    ──もうひとつ今日の観戦講座で感じたのが、「鳥越先生の今の解説面白かったよね」というように、一緒に来た人や隣の席の人とコミュニケーションするきっかけになるということなんです。
    鳥越 そういうエリアシートって今までになかったわけですから面白いですよね。その場に集まった人でも仲良くなれるでしょうし。ほんと、そういうシートを売り出して欲しいですね。一消費者として(笑)
     実は今、アプリ開発を考えているんです。どういうものかというとスマホで音声が聞けて、そこに文字情報を入力してもらってニコ生のコメントみたいに実況者側が拾っていくというものです。ただスマホだけだと入力が大変なんですけどね。
     こういうことは野球だけではなく色んなスポーツで試せると思っていて、もちろんサッカーもそうですし、大相撲なんかでできたら面白いはず。
    藤川 大相撲こそ、現場で解説があったらものすごく楽しいでしょうね。解説なしで見てると何が何だかわからない。現場にいたら間合いも長いですし、立ち合いで力士が何回立ったかとか、そういう情報もあったらいいですよね。
    鳥越 チケットの売り方にしても、いろいろとデータを活用すれば見えてくるものは多いはずです。そういう意味でオリックスは集客にデータ解析を使ってるんですよ。ファンクラブサイトに書き込まれる文字をデータマイニングして、「今はこの選手が注目されてる」ということを弾き出して、その選手のグッズを強化して売りだしたりしています。
     もともとオリックスは観客動員数が少ないチームだったんですが、女性ファンにアピールするために「オリ姫」企画なんかをやっていますよね。実は関西の女性野球ファンって母数が非常に多いんですよ。もちろん阪神ファンを中心にですが。で、阪神の試合が甲子園で開催されていない日にオリ姫企画をやると、阪神ファンの女性が「じゃあ今日は私、オリ姫になる」と言って来るんですよ。
    ──昔は関西といえば南海ホークスや近鉄バファローズがあったりして競合が多かったけれど、パ・リーグでは在阪球団がオリックスだけになったから関西の野球好きは「セは阪神、パはオリックス」がひとつのかたちになるという。近年プロ野球チームが地方展開していったことの副産物かもしれないですね。
     集団には「均質性」と「多様性」のバランスが必要
    ──ここからは今日のテーマでもある「データや統計学的手法を教育にどう応用するか」を伺っていきたいと思います。まず基本的なところを藤川先生にお聞きしたいのですが、現代の教育現場では先生が持っている生徒一人一人のデータというのはどういうものなんでしょうか?藤川 教師によるというところはあるんですが、基本的には文部科学省が策定した学習指導要領に基づいて、教師が「評価基準」を設けます。これは、「知識・理解ができているか」を測るというものがあり、それに加えて「関心・意欲・態度」や「思考・判断・表現」といったものが加わります。到達目標を時間や単元で決めていって、どの子が目標に到達しているか/していないかを評価するというやり方です。こうしたことは、教師はまず義務としてやらなければなりません。
     一方でユニークな指導をしている先生のなかには「意外な発見を書く」ということをやっている方もいます。子供を見ているときに、予想通りの発見や予想通りの気付きだったら別に記録しておかなくてもよいですよね。しかし、「おとなしいと思っていた子が意外なところでリーダーシップを発揮している」とか「普段はすごく自信を持っている子が逆に物怖じしてしまっている」とか、そういう姿を見つけたら書く。これはその子を発見的に見ていくために有効なんです。
     さきほど鳥越先生は「人は人を思い込みで見てしまう」とおっしゃっていましたが、人間は多様な側面を持っているものですし、そもそも小中学生ぐらいの時期って人間はめまぐるしく成長するんです。一番気をつけるべきなのは、教師が子供のことを第一印象で決めつけてしまって、そうではない姿を見ても見ぬふりをして指導にあまり活かさないということ。固定観念というのはスポーツにかぎらず教育においてもとても怖いものなんです。
    鳥越 教育の評価基準について僕が感じているのは、ある2つの評価基準があったらそれを単純に足して2で割るような発想をしてしまっているということです。でもそうではなく5〜6個の要素をベクトルと見て、それを5〜6角形のマトリクスにしてその面積の大きさで評価する、そういうやり方のほうがいいのではないか。
    藤川 多元的に評価するということですね。
    鳥越 それと、昔は評価って相対評価だったじゃないですか。平均を3として、そこからどれだけ離れているかで成績を判断する。でも今は絶対評価で、「ここまでできたら4」「これが完璧にできたら5」というように判断する。そうなるとみんなが4とか5を取ることが可能で、差別化が難しくなってくると思うんですが、いまの実際の教育現場ではどういうふうに運用しているんですか?
    藤川 実際は「みんなが5にはなる」というのはなかなかないですね。教師が評価基準をきちんと作らなければいけないというプレッシャーがあって、みんなが簡単に到達できるような目標ばかりを設定することはありません。現実には、「やっぱりこの子はちょっと無理だよな」という子もいる。だからみんなが一番上の評価を取るというふうにはなりにくいのが現実ですね。
    鳥越 なるほど、絶対評価が相対評価に近づいてしまっているわけですね。しかしそれも学校ごとに微妙に違うものになってしまう。そうなるとやはり、推薦入試などで活用可能な統一的な指標としては成り立ちづらくなっていきますよね。
    藤川 だから高校・大学では、内申点を入試で使うことは難しくなっていますね。
    鳥越 その意味で、かつて批判された偏差値って本当は公平なシステムだったんですよね。偏差値って実は統計学的に非常に素晴らしい発明で、平均が50でそこからどれだけ離れているかを一律に測ることができた。個人の主観抜きに、自分が相対的にどこにいるかを冷静に判断することが可能だったわけですから。
     でも、なぜか偏差値だけが一人歩きして、評価が高ければ人格的に評価できる、というようなことになって批判の対象になってしまった。僕は偏差値の良さを再評価してもいいんじゃないかとは思うんですよね。
    藤川 ただ、入試で学生を選ぶ側からすると、偏差値はどうしても一元的な評価になりやすいし、何度も繰り返しやったらブレがなくなっていく。それで上位だからって本当にいいのかということはずっとあります。言い換えると、入試についてはもう少し偶然性があってしかるべきという部分があるんですよ。
     これは言い方がなかなか難しいのですが、入学者選抜のような場合にも、スポーツぐらいの確率論的な見方を持ち込んでみてもいいのではないかということなんです。これは決して、「適当に選べばいい」というわけではありません。
     そもそも学校教育って個人で学ぶものではないので、ある程度の幅の多様性を確保しておきたい。基本的に学校でも企業でもそうですが、均質的すぎる集団は脆いもの。ある程度の質を担保しつつも、ちょっと違うタイプの人もいるぐらいのバランスが、集団での指導をしやすいんです。
    ──学ぶときの共同体というものを考えたとき、多様性があったほうが共同体全体の活性化につながるということですか?
    藤川 多様であればあるほどいいというわけでもないんです。あんまりにもみんながバラバラだと何も一緒にできないですけど、均質的過ぎると発想が貧困になったり、均質さゆえにお互いが潰しあったり、一人ひとりの良さが発揮されにくくなる。だから多様性と均質性のバランスをとるという意識がすごく大事だと思いますね。小学校の学級経営や中学校の部活指導もそうです。均質すぎると異質な人が排除されていじめられてしまうということもあるので、逆に異質な人を活かすように集団を作っていくというのが教育をしていく上では常に課題ですよね。
     決定論的に緻密な評価を行って集団の構成を決めるのではなく、確率論的なブレを担保しておくということ。スポーツというエンタテインメントにしても、どっちかが有利だから必ずその通りになるというのではなく、確率論的に結果が覆ることがあるのが面白いわけですよね。
    ランダム指名はなぜ有効なのか──「偶然のチャンスをモノにする」ということ
    藤川 確率論ということでいえば、私はよく授業で「ランダム指名」をすることの有効性を言っています。どういうことかというと、先生から指名されたら、どんなにその課題が苦手であっても、他の子に助けてもらってもいいから全力で発表する。そのかわり、当たっていないときは自分のペースでゆっくりやってもいい。当たったときは集中してやって、そうでないときは無理せずというように、メリハリをつけるんですよ。たとえば算数の授業とかってどうしてもずっと活躍する子と、ずっと活躍しない子に分かれてしまう。そうなると先生はできそうな子にばっかり当てるんですよ。鳥越 50分で終わらせるという授業運営のことを考えるとどうしてもそうなってしまいますよね。
    藤川 でもそれでは、できない子はずっとできないままになってしまう。一方で、できない子にばっかり当ててしまうのも辛いわけですよ。
    ──「完全にランダムである」ということが重要なわけですよね。先生が、例えばあまりできない子に対して「これぐらいの簡単な問題だったらできるだろうな」という意図を持って指名するのもよいことではないと。
    藤川 やっぱり、先生の意図どおりに動かされていると思った瞬間、白けちゃう子はたくさんいます。そうではない運営をするというのが、授業技術的に大事なことなんですね。そういう意味で、ランダムで、時々自分が主役になる場が巡ってくることにすごく意味があるわけです。
     子供ってやっぱり突然目覚めることがあるんですよ。逆に言えばチャンスが来なければなかなか目覚めない。かといって毎回チャンスを与えられると辛く感じる。スポーツってよくそういうことがあるじゃないですか。たまたまチャンスを与えられたら偶然に打ってしまって、それで一皮むける、というような。
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  • 【インタビュー】森田創「差別」から生まれた自由空間としての戦前プロ野球・前編 (PLANETSアーカイブス)

    2019-04-05 07:00  
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    今朝のPLANETSアーカイブスは、草創期のプロ野球を描いたノンフィクション『洲崎球場のポール際』著者・森田創さんのインタビューです。戦前に始まったプロ野球の名勝負の舞台となったのが、現在の東京都江東区にあった「洲崎球場」でした。なぜ東京の東側でプロ野球文化が芽吹いたのか? 東京の都市構造やメディア環境の変貌が、大衆文化に何をもたらしたのかを語ってもらいました。(聞き手/構成:中野慧) ※この記事は2016年10月12日に配信された記事の再配信です

    森田創『洲崎球場のポール際 プロ野球の「聖地」に輝いた一瞬の光』講談社、2014年
    ■関東大震災、幻の「1940年東京五輪」と野球人気の高まり
    ――森田さんの『洲崎球場のポール際』は、草創期のプロ野球の歴史を、現在の東京都江東区にあった「洲崎(すさき)球場」を中心に描いていくというものでした。プロ野球は私たちにとっては生まれたときから当たり前にあったものであるがゆえに、どういう経緯を経て今の形になっているのかって、実はあまり知られていないのではないかと思います。
     そこで今回は、野球が文化や社会の状況とどのようにして絡み合いながら今のものになったのか、そこにどんな可能性があったのかについて伺っていければと思います。森田さんはもともとこの本を執筆する前から、戦前の野球に強く興味を持っていらしたんでしょうか?
    森田 もともと野球のなかでもプロ野球が好きでしたので、戦前に限らずどの時代も興味があったのですが、やっぱり戦前は記録も少なくてミステリアスですし、「伝説の大投手」沢村栄治【1】をはじめとして戦死してしまった選手も多くいて、悲劇的な部分もありますよね。そういうところに神話的な憧れを持っていた、ということはあるかもしれません。
     この本を書くに至った理由は単純で、それまでずっと狂ったように会社の仕事をしていたんですよ。劇場を作る仕事だったので、まさにプロ野球と同じ「興行」についてずっと考えている毎日で。その仕事がひと段落して、「何か違うことがやりたいな」と感じていたときにたまたまプロ野球の失われた球場についての本を読んで、「プロ野球は洲崎球場で始まった」ということを知ったんです。面白そうだからもっと調べてみようと思ったんですが、あまり資料も残っていないし、ほとんど何もわからなかった。それでムキになって調べているうちに、会社で本を作る仕事をしていた人に「そんなに調べているんだったら、本を書いてみれば?」と言われて書き始めた、という感じですね。

    【1】沢村栄治:1934年に行われた日米野球でメジャーリーグ選抜と対戦して好投し、その後始まったプロ野球では巨人でエースとして活躍したが、日中戦争・太平洋戦争に従軍し1944年に27歳の若さで戦死した。背番号「14」は巨人の永久欠番となっている。なお、漫画『ダイヤのA(エース)』の主人公・沢村栄純の名前は沢村栄治へのオマージュ。

    ――戦前から東京都内には野球場がいくつかあったようですが、洲崎球場のように戦後にはなくなってしまった球場って他にあるんですか?
    森田 戦前で消えたのは洲崎球場だけですね。もともと昭和15(1940)年に東京でオリンピックが開催されるはずだったんですよ。日本の戦前の都市計画って、そのオリンピック構想に縛られているところがあるんです。まず今の東京の原型となったのは、大正12(1923)年の関東大震災後の「帝都復興計画」ですね。そのときに、昭和通りとか地下鉄銀座線とか、今でも使われているインフラでももっとも古いものができました。その後、いわば「第二期」の都市計画のベースになったのが昭和15年の東京五輪です。この「幻の東京五輪」は、昭和11年の7月31日に開催が決定し、実は今の駒沢オリンピック公園――昭和39(1964)年の東京五輪でも使われたところです――にメインスタジアムを置く計画でした。ところが昭和13(1938)年、日中戦争の激化とともに泣く泣く中止となってしまいました。
    ――当時の駒沢って、今のように住宅街だったわけではないんですよね。
    森田 もう、ほとんど『北の国から』みたいな感じですよね。牛の鳴き声が聞こえるような。ただ、昭和15年の東京五輪計画って、昭和39年の東京五輪でも多くの部分が踏襲されていたりするんですよ。馬事公苑で馬術をやるとか、戸田公園でボートをやったのもそうですし、39年の東京五輪では女子バレーボールが「東洋の魔女」と呼ばれて金メダルを獲得したわけですけど、あれも駒沢の体育館で行われました。なぜ駒沢に巨大な体育館が作られたかというと、やはり昭和15年の東京五輪計画を踏襲したからですね。
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  • 【インタビュー】稲見昌彦「ヒトと超人の境界面――身体拡張のアクチュアリティ」(PLANETSアーカイブス)

    2018-09-03 07:00  
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    今朝のPLANETSアーカイブスは、東京大学先端科学技術研究センター教授の稲見昌彦さんのインタビューをお届けします。「身体拡張」や「超人スポーツ」で知られる稲見先生が、自身の関心領域についての議論を縦横無尽に展開。哲学的な領域を包括しつつある昨今の工学的知見を元に、テクノロジーによって拡大化・細分化される人間の「自己」あるいは「身体」の新たな定義について考えます。(構成:神吉弘邦) ※この記事は2016年8月17日に配信した記事の再配信です。
    稲見昌彦『スーパーヒューマン誕生!人間はSFを超える』 ■3層のレイヤーから見える世界
    宇野 2月に刊行された稲見先生のご著書『スーパーヒューマン誕生!人間はSFを超える』、拝読いたしました。この本の中で扱っている話題と、今の稲見先生の研究領域とは、どのくらいつながっているのでしょうか?
    稲見 これまで主にやっていたテーマは「人間拡張」でしたが、現在の研究テーマは「人体の再設計や再定義」や「心の身体の問題」です。今回の書籍では、前者の方が今の時代に多くの人に伝わる話題だという判断で、そちらをメインに書いています。
    今の研究分野に名前を付けるなら「身体情報学分野」でしょうか。今年春に、東京大学先端科学技術研究センターに異動したときに、研究分野名を自由につけて良いというので、そう名乗っています。今は興味の対象がそちらに向かっているので「人間拡張工学分野」とは付けませんでした。
    宇野 この本では、ヴァーチャルリアリティとロボットの話題が一冊にまとめられていますが、この分野を包括的に表すような言葉はないんでしょうか?
    稲見 私はVR、ロボットを包含する学問領域名として、「身体情報学」と名付け、身体を情報システムとして理解、設計することを目指しています。身体拡張はその第一段階と考えています。旧来的には「ヒューマン-マシン インタフェース」や「コンピュータ-ヒューマン インタラクション」になるんでしょうが、こういった伝統的なヴァーチャルリアリティの分野が研究していたのは、情報世界と物理世界、つまりデジタル-フィジカルの関係をどう設計していくかでした。
    情報技術はニコラス・ネグロポンティの著書『ビーイングデジタル』で語ったように、すべてがデジタルに移行しようとしています。その両者の中間的なところに「タンジブル」があったりして、物理-情報界面領域はいま落合陽一先生も取り組んでいるところですね。
    この物理世界と情報世界を対比する考え方に対し、私は最近サイバネティクスの始祖であるノーバート・ウィーナーに倣って、世界を「自分が直接制御できるもの」と「自分が直接制御できないもの」に分けて捉えることを提案しています。そして自らの可制御領域を押し広げて行こうというのが「人間拡張」の考え方です。
    その考え方を基本とし、”We”という概念を考えます。「自分が直接制御できるもの」と「自分が直接制御できないもの」は、「自己」と「それ以外」と言い換えることができます。ここで主語を「自己」ではなく「我々」に転換する、つまり"I"から"We"へと考え方を広げることで、これはまさに我々人類が制御可能な領域を広げるというエンジニアリングによって目指すべき目標となります。
    このエンジニアリングの世界にも界面があって、それは「可制御界面」と捉えられます。その外側に広がっているのは「観察できるもの」と「観察できないもの」の世界で、ここでも主語を"We"に置き換えることによって、新たな技術により観察可能な世界つまり「可観測界面」を広げるという、サイエンスの目標と捉えることができます。そして、学問全般が目指す目標は人類にとっての「理解界面」を押し広げることかもしれません。
    まとめると「制御できる世界」「観察できる世界」そして「理解できる世界」。この3層のレイヤーが、テクノロジーによってどう変わっていくかに興味があります。
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  • 犬飼博士 安藤僚子 スポーツタイムマシン 第4回 「絶対カワイイものつくる! オープンに向け結集した山口の地元力」【不定期連載】

    2017-08-24 07:00  
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    山口に新しいeスポーツのための装置「スポーツタイムマシン」を作った犬飼博士さんと安藤僚子さんのタッグが、制作当時を振り返る連載『スポーツタイムマシン』。今回の執筆は安藤さん。2013年6月23日、犬飼さんよりも先に山口入りした安藤さんは、7月6日の初日に向けて設営を開始します。「カワイイ」ものを作りたいという安藤さんの思いに、地元の人の力がどんどん集まってきます。

    こんにちは。安藤です。前回は犬飼さんが、主に東京で開発されたスポーツタイムマシンのデザインやプログラムの事を書きましたが、今回は私が山口での制作の話を書きます。スポーツタイムマシン4回目の連載は、4年前の2013年6月23日、3回目の山口入りのことから書きはじめます。この日から、スポーツタイムマシンのオープンまで、いよいよ山口での滞在制作のスタートです。
    滞在制作スタート! ライバル(?)たちの動向を横目に
    YCAMへ着くやいなや、すぐに2年前の山口国体のメイン会場だった維新百年記念公園陸上競技場へ移動。山口市の職員で陸上スポーツ少年団のコーチをしている金子さんが県にかけあってくださり、国体で使った陸上用床材を貸していただけることになりました。維新百年公園は山口県の施設で、YCAMからも車で10分くらいのところにあります。最初に山口を訪れた時、地元の人がスポーツする場所を見学したいと思い、犬飼さんと見学に来た場所でした。レノファ山口FCの試合も小学生の陸上競技大会をリサーチしに来たのもこの公園です。 前回2回目の山口滞在では、足りないお金を工面するために山口中を駆け回ってました。募金箱を首から下げて歩き、とにかくいろんな人を紹介してもらい会って話し、お金だけでなく人材や機材の提供もお願いを続けていました。
    6月17日ブログ「スポーツタイムマシンを一緒につくろう!」 
    その成果が、山口県から国体で使った床材をお借りできるということにつながり、幸先の良いスタートとなりました。OPENまであと2週間、久しぶりに戻った山口市の街中を歩くと、YCAM10周年記念祭が始まる前のソワソワとした気配が感じられました。スポーツタイムマシンの会場がある山口市中心商店街には、外灯にフラッグが吊り下げられ、いたるところにポスターが貼られています。おなじLIFE BY MEDIAの出展仲間のブースも着々と建設されていました。 
     LIFE BY MEDIAでは、私たちを含め3組の作家が選ばれました。 そのうちの一人が、西尾美也さん。ナイロビにアーティスト留学の経験を持ち「服」をテーマに活動しているアーティストです。 様々な芸術祭でよく名前を目にするくらい活躍しており、滞在型制作に慣れた先輩アーティストという印象でした。山口では、市民の人から要らなくなった服を集めて、服の貸し借りができるパブリックなワードローブを作る「パブローブ」という作品の制作でした。 会場は商店街の中心的存在、井筒屋百貨店の目の前の広場でした。西尾さんはまだ山口入りしておらず、作品を展示する為の木造の屋台やポスターなどの制作は、YCAMスタッフが手配をして、彼が来なくとも既に出来上がっていました。3組とも同じ予算での制作です。与えられた、限られた予算の中で、無駄な行動や出費をしないで効率よく制作を進めている様子が伝わってきました。
    西尾美也「パブローブ」ウェブサイト
    一番乗りで山口入りしていたのは、深澤孝史さん。深澤さんも、様々な芸術際での滞在制作を手掛けているアーティストです。 お金ではなく自分の得意なことを銀行に預けて、預けた人同士が、得意なことを貸し借りできる「とくいの銀行」という作品です。西尾さんの会場のすぐ斜め前の、小さくてきれいな空き店舗が会場でした。店内を覗くと、店舗を銀行の支店に見立てるべく、深澤さんと地元の人で内装の準備を着々と進めていました。
    深澤孝史「とくいの銀行」ウェブサイト
    滞在制作に慣れている2人と比べ、アーティストとして新参者の私たちスポーツタイムマシンは、無駄に動き足掻いているだけで、まだ何も出来上がっておらず、ずいぶん置いていかれている気持ちでした。
    東京を出る前、念のためブログでこんな呼びかけをしておきました。
    6月18日ブログ「【募集】山口で会場づくりを手伝ってくれる人!」
    スポーツタイムマシンの会場に着き、東京から送った荷物を下しYCAMの町中展示担当の伊藤友哉さんが帰ると、何もない広い会場にポツンと一人投げ出された気持ちになりました。何からすれば良いのか…。とりあえず段ボール箱を机にPCを立ち上げ、ひとりでブログを書きました。 誰か手伝ってくれる人が入ってくるかもしれないという期待から、わざと入口近くに座っていましたが、通りすがりのおばあさんが「何か出来るのか?」とのぞき込んでくるだけでした。明日から本格的に現場施工の開始です。
    本当に誰か来てくれるのだろうか? 前回山口に滞在した時にお会いして手伝いのお願いをした人たちは、本当に来てくれるのだろうか? 不安と孤独感でこの日を終えました。
    少しずつ現れ始める山口コミュニティの底力
    6月24日(月)、現場初日。 午前中に訪ねてくれたのは、舞台照明を専門に施工しているottiの伊藤馨さんと秦電機工業の秦睦雄さんの2名。どうしてもプロでないとお願いできない、壁づくりと電気配線の作業は事前に伊藤さんに依頼していました。 プロが2名も居るとさすがに心強く、サクサクと明日からの工事の段取りの打ち合わせが進みました。しかし、私たち以外に、元々100円ショップだったこの空き店舗に映像とかけっこが出来るスポーツのタイムマシンができるなんて誰も分からないだろう、という不安は拭えません。少しでも町の人に気づいてもらいたい、関わりを持ちたい。手書きの「スポーツタイムマシン建設現場工程表」を表に貼り出し、模型と、手伝ってくれる人募集のチラシを置いて、中の工事の様子の見える化を試みました。

    ▲スポーツタイムマシン建設現場工程表

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  • 【特別再配信】稲見昌彦「ヒトと超人の境界面――身体拡張のアクチュアリティ」

    2017-08-18 07:00  
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    「身体拡張」や「超人スポーツ」で知られる、東京大学先端科学技術研究センターの稲見昌彦教授 。稲見先生にお話を伺いながら、哲学的な領域を包括しつつある昨今の工学的知見を元に、テクノロジーによって拡大化・細分化される人間の「自己」あるいは「身体」の新たな定義について考えます。
    (構成: 神吉弘邦/本記事は2016年9月20日に配信した記事の再配信です )

    3層のレイヤーから見える世界
    宇野 2月に刊行された稲見先生のご著書『スーパーヒューマン誕生―人間はSFを超える』、拝読いたしました。この本の中で扱っている話題と、今の稲見先生の研究領域とは、どのくらいつながっているのでしょうか?
    稲見 僕これまで主にやっていたテーマは「人間拡張」でしたが、現在の研究テーマは「人体の再設計や再定義」や「心の身体の問題」です。今回の書籍では、前者の方が今の時代に多くの人に伝わる話題だという判断で、そちらをメインに書いています。
    今の研究分野に名前を付けるなら「身体情報学分野」でしょうか。今年春に、東京大学先端科学技術研究センターに異動したときに、研究分野名を自由につけて良いというので、そう名乗っています。今は興味の対象がそちらに向かっているので「人間拡張工学分野」とは付けませんでした。う、全員の思惑がどうもフワフワしてるんですよね。公式サイトのあらすじを読み返しても、いまいち掴めない(笑)。確かに、“非統合”の可能性がここにはあるのかもしれない、と思わされますね。
    宇野 この本では、ヴァーチャルリアリティとロボットの話題が一冊にまとめられていますが、この分野を包括的に表すような言葉はないんでしょうか?
    稲見 私はVR、ロボットを包含する学問領域名として、「身体情報学」と名付け、身体を情報システムとして理解、設計することを目指しています。身体拡張はその第一段階と考えています。旧来的には「ヒューマン-マシン インタフェース」や「コンピュータ-ヒューマン インタラクション」になるんでしょうが、こういった伝統的なヴァーチャルリアリティの分野が研究していたのは、情報世界と物理世界、つまりデジタル-フィジカルの関係をどう設計していくかでした。
    情報技術はニコラス・ネグロポンティの著書『ビーイングデジタル』で語ったように、すべてがデジタルに移行しようとしています。その両者の中間的なところに「タンジブル」があったりして、物理-情報界面領域はいま落合陽一先生も取り組んでいるところですね。
    この物理世界と情報世界を対比する考え方に対し、私は最近サイバネティクスの始祖であるノーバート・ウィーナーに倣って、世界を「自分が直接制御できるもの」と「自分が直接制御できないもの」に分けて捉えることを提案しています。そして自らの可制御領域を押し広げて行こうというのが「人間拡張」の考え方です。
    その考え方を基本とし、”We”という概念を考えます。「自分が直接制御できるもの」と「自分が直接制御できないもの」は、「自己」と「それ以外」と言い換えることができます。ここで主語を「自己」ではなく「我々」に転換する、つまり"I"から"We"へと考え方を広げることで、これはまさに我々人類が制御可能な領域を広げるというエンジニアリングによって目指すべき目標となります。
    このエンジニアリングの世界にも界面があって、それは「可制御界面」と捉えられます。その外側に広がっているのは「観察できるもの」と「観察できないもの」の世界で、ここでも主語を"We"に置き換えることによって、新たな技術により観察可能な世界つまり「可観測界面」を広げるという、サイエンスの目標と捉えることができます。そして、学問全般が目指す目標は人類にとっての「理解界面」を押し広げることかもしれません。
    まとめると「制御できる世界」「観察できる世界」そして「理解できる世界」。この3層のレイヤーが、テクノロジーによってどう変わっていくかに興味があります。

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  • 犬飼博士 安藤僚子 スポーツタイムマシン 第3回 「山口の人にバトンを渡すため、まず僕らの全力疾走」【不定期連載】

    2017-05-09 07:00  
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    山口に新しいeスポーツのための装置「スポーツタイムマシン」を作った犬飼博士さんと安藤僚子さんのタッグが、制作当時を振り返る連載『スポーツタイムマシン』。今回は、山口と東京で見つけた仲間たちの協力のもと、スポーツタイムマシンが少しずつ形になっていく様子を、犬飼さんの視点から語ります。
    こんにちは犬飼です。
    今回は前回の安藤さんに引き続きスポーツタイムマシンを作るための山口のリサーチと、主に僕が行った電子プログラム開発部分のお話しをさせていただきます。
    展示開始は2か月後です。
    YCAMの人たちからは「間に合わせてね」とやさしい言葉と厳しい目つきで指定されております。そんな緊張感ある時期のお話しです。 
    プロジェクトが目指すゴールのデザイン
    ライフバイメディアというテーマの作品であるスポーツタイムマシンの事前リサーチ。つまり山口のライフサイズを調べる活動は、僕たちが山口を知ることと同時にスポーツタイムマシンをいっしょに”作って”、”運営して”、”遊ぶ”ための仲間探しでした。
    「こんにちは。突然すみません。」
    「こんな場所にこんなマシンを設置しようと思っています。」
    「このアイデアはどう思いますか?」
    「このマシンを7月にオープンさせるので一緒に作りませんか?」
    「物もお金も人も足りないのです。協力してくれませんか?」
    こんな会話をあっちこっちでする旅です。
    安藤さんは内装というモノ、僕はコトの設計と制作をおこないます。
    コトの設計というのは、ある物や者の間にある「関係」をデザインするということです。
    スポーツタイムマシンというモノと山口を、人々の関係を作っていく、それがこの時に僕が始めたことです。
    今回は電子プログラムだけでなく人や町、商店街そのものがメディアになるための事前リサーチで、人と会う行為そのものが制作になっていきます。
    コトをデザインする手法の一つに、僕がずっと携わってきたゲームデザインがあります。モニター画面の中だけのゲームではなく、モニターを飛び出してしまったゲームのデザインです。
    ゲームデザインでは、なんらかのゴールと報酬を用意します。
    報酬では失礼なのでプレゼントと言い換えます。
    山口の人たちに用意したプレゼントは”笑顔になってもらうこと”だと
    この段階で決めました。
    初対面の人にはわざわざ「笑顔をプレゼントします」とは言いませんが
    少し仲良くなって負担を多くかけてしまう仲間には、「あなたを含め、山口の人が自ら行動して内発的に笑顔になってもらうように頑張りましょう」と伝えていました。
    僕は当時のブログにこう書きました。

    YCAM10周年のお祭りを、YCAM、商店街、山口市、県、県外の人たち全員で参加して盛り上がるイベントにして、みんなを笑顔にしたいのです。
    笑顔があればいいです。
    ただそれだけなのです。
    そして
    その先にはもっと大きな
    絶対イエーイはあるはずなんです。
    (中略)
    25年前、石井聰互さんが、キューブリックの「2001年宇宙の旅」等をさして絶対映画というのがあるんだと言いました
    その先です
    人類はもう25年も拡張をしてきたのです
    絶対イエーイ
    ジョン・レノンがピースというように、
    ジェーン・マクゴニガルがエピックウィンというように
    ぼくは絶対イエーイというんです。
    (ブログ 絶対イエーイはあるんですよ。)

    つまらないレトリックに聞こえてしまうかもしれませんが、お祭りやスポーツ、遊びで得たい報酬は「楽しくなる気持ち」しかなく、それが得られたとき身体というデバイスに表示されたものが笑顔であり、僕らは“口角の上がり具合”で楽しんでくれたと認識するしかないという意味です。
    安藤さんは、この時期しきりに「ゼッテーかわいい物を作る」と言っていました。
    安藤さんは“かわいい物”、僕は“笑顔”を。
    この2つは、この山口から数年たった今もなおゴールとして掲げられています。
    デザインをするメディアの差からこのような言葉の差が生まれます。
    安藤さんがなにかをつくると、かわいいものが出来上がってくるのですが
    「そのかわいいって何?」という僕の質問にはなかなか言葉が出てきません。
    うーんと眉間にしわを寄せて睨んでくるか無視されます。
    信じてとにかく任せるしかないのです。信頼しています。待ちます。
    ですが、待っているだけでは平行してするべき僕の作業もすすまないので困ることもあります。「それ、かわいくない。」僕はずっとこの安藤さんが何度も口にする「かわいい」について苦心します。
    コトのデザインとして内発的な「かわいい」をめぐるデザインのやりとりは、また後の連載でふれたいと思います。
    とにかくスポーツタイムマシンを“作って”、“運営して”、“遊ぶ”あいだに「笑顔とかわいい」をプレゼントできるようになることが全員の共通の目標として、山口に触れていったのです。

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  • 犬飼博士 安藤僚子 スポーツタイムマシン 第2回 「山口のライフサイズをさがして」【不定期連載】

    2017-03-28 07:00  
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    犬飼博士さんによる連載「スポーツタイムマシン」。今回から制作のパートナーでもある安藤僚子さんが執筆に加わります。全く新しいeスポーツのための装置「スポーツタイムマシン」を作ることになった二人がタッグを組んだ経緯や、山口で活動を始めた頃の様子を安藤さんが振り返ります。

     はじめまして、空間デザイナーの安藤僚子です。
     連載第1回では、2013年のお正月に私が犬飼博士さんを焚きつけて、山口情報芸術センター(YCAM)の10周年記念祭で企画された公募展示「LIFE by MEDIA国際コンペティション」への応募案として、「スポーツタイムマシン」のアイデアが誕生。同年4月、審査を経て見事に受賞するまでの発端の経緯を、犬飼さんが語ってくれました。
     今回は私の視点から、山口を初めて訪問していよいよスタートした、スポーツタイムマシンの作りはじめの時の様子を振り返ってみたいと思います。
     しかし、その前にまず、私と犬飼さんがタッグを組んだ経緯を、すこし遡ってお話ししておきます。

    ▲完成した「スポーツタイムマシン」の様子
    凸凹タッグのはじまり
     2013年のお正月に犬飼さんを焚き付けた、これがそのメールです。
    スポーツタイムマシンの始まり | スポーツタイムマシンで走ろう! Sports Time machine Blog
     今は2017年の3月なので、もう4年前です。どうしてこんなメールを送ったかというと、このころ私が抱いていたある不安と希望からでした。
     私は店舗などの商業施設の設計の仕事をしているのですが、IT時代に実店舗よりもECサイトにお金をかける企業も多くなり、私のような実空間をデザインする仕事はそのうち必要とされなくなるのだろうか、という不安を感じていました。
     でも私たちの身体は、この実空間にある……。情報と空間をうまく融合させることが、今後の自分の大きな課題になると考えていました。犬飼さんと一緒に仕事をした、日本科学未来館の常設展示「アナグラのうた」の開発で、その思いは一層強くなりました。このプロジェクトは、まさに空間情報科学がテーマでした。
     私のような物質空間(アトムの世界)でモノをつくっている人と、犬飼さんのように情報空間(ビットの世界)でモノを作っている人同士が対話し、考え、モノを作ることに、豊かな未来の可能性と希望を感じたのです。
     一方で、「アナグラのうた」がある場所は国立の科学館です。お金を払い、科学を学ぶ意識のある人しか訪れない特別な場所です。誰もが普通に生活をしている場所に「アナグラのうた」のような空間と情報を融合させた幸せな場をつくることはできないのだろうか。もっと実生活に落としていかないと意味がないのではないか、という満足しきれない思いも生まれました(もっとも、それは今だからこそ言える言葉で、2013年当時の私は、そんな悩みを言語化することさえできない状態だったのですが……)。
     ともあれ、漠然とした思いで悶々とする中、「LIFE by MEDIA国際コンペティション」の公募を見つけ、犬飼さんにメールを出したことから、前回の経緯にあるように、「スポーツタイムマシン」はスタートしたのでした。
    受賞決定! まずはブログをつくろう
     そして、受賞の連絡が来たのが4月の頭、正式発表が4月中旬。
     その時の感想を正直に言うと、「えっ、本当に決まっちゃった!?」
     私たちが受賞したコンペは、賞金として制作費100万円と1往復分の交通費が支給され、山口での滞在場所は用意してもらうという、いわゆるレジデンスアーティストと呼ばれる滞在制作型の公募でした。
     しかし、スポーツタイムマシンの構想は、実のところ100万円では機材費も開発費も足りません。それは、選んだYCAM側も承知の上でのことでした。
     さらに、LIFE by MEDIAの開催日は7月6日。制作期間は、ほんの2ヵ月ちょっと。
     お金も時間も足りない、なんとも無計画なアイデアを作ることになってしまいました。どこから手をつければよいのだろうか?
     4月中は2人でそんな話を繰り返しながら、まだ「つくる」という実感を持てない、モラトリアムな期間だったように思います。
     そんな中、犬飼さんから「まずはブログをつくろう。」という提案がありました。犬飼さんのすごいところは、なんでも動画で記録をするところです。映画監督をやっていたからかもしれないのですが、すぐ録画して、youtubeにアップして、ブログで公開する。
     デザイナーの私は、「作品は形になってから発表するもの」という固定観念があったので、まだできるかどうかもわからないアイデアを公開するという提案には驚きました。
     4月26日、スポーツタイムマシンのブログがスタートします。
     今後スポーツタイムマシンで起こっていくことを記録していくため、これから出会う人々に私たちが何をしているのか説明するため、私たち自身が何をしているのかを整理するために。
     これでもう、後戻りはできなくなりました。
    初めてのYCAM訪問で受けたプレッシャーと衝突
     そんな凸凹タッグで、いよいよ山口に行ったのは5月7日。
     私も犬飼さんも、地方でありながら優れたテクノロジーと研究能力を持ち、先進的なメディアアートを発信することで有名なYCAMの存在は知っていましたが、実際に訪問するのはこれが初めて。メディアアートの作品を見るためだけに山口へ行くほどではなかったし、山口で作られた作品がその後東京で上演させることも多いので、気になる施設だけど、なかなか訪れる機会がなかったのです。
     いろいろ不安はあったものの、国際コンペで選ばれたことは純粋に嬉しく、初めて訪れる場所で、しかも招かれて行くという、ちょっとした旅行気分もありました。そして、なんだかんだ作ることが好きな私は、憧れのメディアアートのセンターで創作の場をもらえることに、ワクワクした気持ちでYCAMに向いました。

    ▲山口情報芸術センター(YCAM)全景
     しかし、実際に現地に到着し、LIFE by MEDIAの企画者である田中みゆきさんとの打ち合わせが始まると、旅行気分は一気に吹き飛びます。
     彼女の要望はたった一つ。
     「YCAMの10周年祭として、ふさわしいクオリティの作品にしてください」。
     突きつけられる現実。私たちとしては、「実際この予算では作れないのは明確なんだから、100万円で作れる規模に縮小したプランで制作します」と言うと、YCAMとしては「そんなもののために100万円払えません。応募してきたんだからちゃんとつくってもらわないと困る」となる。まあ、当然ですね……。
     制作費が足りない、時間がない、土地勘がない。
     そんなことは、受賞したときから分かっていました。それに加えて新たに重くのしかかったのが、スポーツタイムマシンというまだ形のないアイデアによって、私たちの思いだけでなく、山口の人々のためのフェスティバルを盛り上げないといけないという使命をも背負ったことです。
     この使命に対して、私は考え始めました。「与えられた予算で、なんとか実現するにはどうしたらいいか?」と。
     ところが、犬飼さんの感想は全然違ってました。
     「なぜ山口市民でもない僕たちが市民を楽しませなきゃならないの? なぜスポーツタイムマシンをYCAM10周年という3ヶ月だけのお祭りを盛り上げるために作らないといけないの?」
     びっくしりた私は、その後、5月21日のブログにこんなことを書いています。

    「安藤です。今日、考えた事を書きます。私と犬飼さんの2人で始めたプロジェクトですが、実は2人はかなり考え方が違うタイプであること。
    犬飼さんはアーティストで、私はデザイナーであると思う。
    アーティストは社会に問題を提議し、デザイナーは社会の問題を解決するとよく言われる。職能が違うと言うか、考え方のアプローチが全く違う。
    私と犬飼さんもそうで、2人の考え方は違うことが多いです。
    犬飼さんは、スポーツタイムマシンという新しいスポーツのあり方を山口の人にインストールできれば、後は本来は山口の人達でこのマシンを作るのが良いと言う。私はあくまでも作ることにこだわっていて、私たちで考えて真剣に作ったものを山口の人たちに体験してもらって、初めて何かを伝えられるのだろうと思っている。
    この2人の禅問答のような膨大な話し合いの先にどういうタイムマシンが生まれるのか!?」
    (アーティストとデザイナー | スポーツタイムマシンで走ろう! Sports Time machine Blog)

     凸凹タッグではじめたスポーツタイムマシンは、これほど考え方が違う2人でつくるという宿命も背負っていたのでした。初めての山口への訪問は、犬飼さんとのバトルの日々の始まりでもあったのです。


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  • 【新連載】犬飼博士 スポーツタイムマシン 第1回 私はスポーツタイムマシンです【不定期連載】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.728 ☆

    2016-11-08 07:00  
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    【新連載】犬飼博士 スポーツタイムマシン第1回 私はスポーツタイムマシンです【不定期連載】
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.11.8 vol.728
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    今朝のメルマガは、犬飼博士さんによる新連載「スポーツタイムマシン」です。2013年夏、山口県山口市の商店街に突如現れた「スポーツタイムマシン」は、ゲームとスポーツが融合した、全く新しいeスポーツのための装置です。国内外の賞を受賞したメディアアートでもあるこの作品は、どのような経緯で生まれたのでしょうか。知られざる誕生秘話をお届けします。
    ▼プロフィール
    犬飼博士(いぬかい・ひろし)

    1970年、愛知県生まれ、eスポーツプロデューサー、ゲーム監督。つながりと笑顔を生むツールとして、ゲームとスポーツに着目。スポーツとITを融合した作品発表、大会運営等を手がける。 現代的なスポーツマンシップとしてスペースマンシップを提唱。 人工知能やシンギュラリティを巻き込んだ次世代の「遊び」を研究開発中。
    「私はスポーツタイムマシンです。2013年夏 山口につくられた、世界で最初のスポーツのタイムマシンです。」

    ▲スポーツタイムマシンが最初に置かれた山口県山口市の中心商店街
     
    これはスポーツタイムマシン自身が、繰り返しみなさんに語りかけるメッセージの一部です。スポーツタイムマシンはその名の通り、「スポーツ」の「タイムマシン」です。人々が楽しく遊んでいる姿を記録し、未来に再生して遊ぶためのマシンです。
    まずは、このスポーツタイムマシンの体験とはどんなものかを説明しようと思います。

    スポーツタイムマシン(動画)
    商店街の中を歩いていると、どこからともなく楽しい音楽が聞こえてきます。
    その音の出処をさがすと、大きなキリンの人形や、太鼓、跳び箱、黒板、万国旗など、まるで運動会のようなカラフルな装飾の入り口。
    ガラスドアを開けて一歩中に踏み込むと、25メートルの長いスクリーンと、そのスクリーンの前に敷かれた25メートルのレーンが現れます。
    スクリーンの反対側には、無数のカラフルなカードが壁一面に貼られていて、さまざまな手書きのメッセージが書かれています。
    このカードは、過去に体験した人たちの記録であり感想です。

    ▲壁一面に貼られたカラフルなカード
     

    ▲ カードにはQRコードとメッセージが書かれています
    この中から一枚のカードを選び、スタート地点のお姉さんに渡すと、お姉さんはカードに記載されたQRコードをノートパソコンに読み込みます。
     
    「出走準備ができました」とスポーツタイムマシンの声が部屋に響き、スタートラインに立ちます。
    「位置について」
    スクリーンが暗くなり、音楽が鳴り止みます。静まり返る場内。
    「よーい」
    「……ドン!」
    合図と同時にスクリーンが明るくなり、勢いのある音楽が流れ始めます。

    ▲スクリーンの前のレーンを疾走する女の子
    スクリーンには、女の子と同じ大きさの影が投影され、女の子と一緒に走り始めます。隣を走る影に負けないように、女の子は全力で走ります。
    お母さんや友達が「がんばれー」と手を叩いて応援をします。

    ▲25メートルのレーンの端まで走ったら折り返して戻って来ます
    「折り返し地点です」
    25メートルを走り切って、壁付近で折り返して戻ってくる女の子。その後をスクリーンの影も追いかけます。終着地点は最初のスタートラインです。女の子がラインを通過すると同時に「ゴールです」とスポーツタイムマシンの声が鳴り響きます。
    「勝ったー!」
    女の子と見ていた友達は大喜び。拍手をして健闘をたたえます。
     

    ▲ ゴールの後はみんなでリプレイを見ます
    スクリーンでは、すぐさまリプレイが始まります。
    小さな2つの影が、25メートルのスクリーンを端まで走って、ふたたび戻ってきます。先ほどの女の子が走ったときの様子が影として記録され、スクリーンに投映されているのです。
    このようにスポーツタイムマシンでは、スタートからゴールまでの間、レーンの中で起きた出来事を記録して、再生できるマシンです。女の子は、自分自身のカードを壁の中から選び、そこに記録された過去の自分とかけっこしていたのです。
     
    走り終えた女の子は、息を切らせたまま、お姉さんから新しいカードを受け取り、日付や名前、感想やイラストを書いて壁に貼ります。こうして、また新しい対戦相手のデータが一つ増えていくのです。

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  • 戦後の日本野球は何を生み出し何を失ったのか――『洲崎球場のポール際』著者・森田創インタビュー(後編) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.718 ☆

    2016-10-25 07:00  
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    戦後の日本野球は何を生み出し何を失ったのか『洲崎球場のポール際』著者・森田創インタビュー(後編)
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.10.25 vol.718
    http://wakusei2nd.com



    今朝のメルマガは、草創期のプロ野球を描いたノンフィクション『洲崎球場のポール際』著者・森田創さんのインタビューの後編をお届けします。
    プロ野球人気の高まりと逆行するように衰退していく六大学野球。その一因となったのは、GHQが推奨したラジオ中継の存在でした。今後の大学野球のあり方や、沢村栄治ら往年の名選手たちの伝説的プレーはどう捉えるべきかなど、草創期の記憶を辿りながら戦後の野球文化について考えます。

    ▼プロフィール
    森田創(もりた・そう)
    1974年5月21日、神奈川県出身。1999年、東京大学教養学部卒業。同年、東急電鉄入社。現在、広報部勤務。2014年10月、初めての著書『洲崎球場のポール際』(講談社)を発刊し、翌年のミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。2016年7月、戦前のテレビ開発を追ったノンフィクション『紀元2600年のテレビドラマ』(講談社)を刊行。

    森田創『洲崎球場のポール際 プロ野球の「聖地」に輝いた一瞬の光』講談社、2014年
    ◎聞き手/構成:中野慧
    本記事には、前編と中編があります。
    ■「GHQの意向を汲んだライブコンテンツ」としての戦後プロ野球
    ――戦前は大学野球が非常に人気があって、後発のプロ野球は大学野球に負けていたということですが、その力関係が並列ないしはプロのほうが上になっていったのはいつぐらいなのでしょうか。
    森田 これはいろんな議論があって「長嶋茂雄が昭和33(1958)年に巨人に入るまでは人気も実力もプロ野球より六大学のほうが上だった」という人もいますが、僕は実力自体はプロのほうが上だったと思います。六大学は週末しか試合がなくて年間30試合が最大なんですが、プロは最初の年は別としても昭和12(1937)年から100試合前後やっているわけで、それだけたくさんの試合をしていればどんどんうまくなりますよね。しかもプロ野球選手は野球で生計を立てていくしかないから危機感も全然違う。
     戦争直後のゴタゴタの時期には、兵隊に取られて戦死してしまった選手もたくさんいたので一時的にプロのレベルは下がったようですが、昭和30(1955)年ごろには戦前のレベルに戻ったと言われています。
    ――人気の面ではどうでしょうか。
    森田 人気面は、長嶋がプロ入りするぐらいまでは六大学のほうが上だったかもしれません。ただそれはあくまでも東京地区の話で、全国的にはプロ野球のほうが人気だったと思います。
     メディア論的な観点から言えば、戦前も真珠湾攻撃の日までテレビが実験放送されていましたが、主要なメディアはやはりラジオ。終戦直後、GHQはそのラジオを「民主主義を広めるためのツール」として活用したんです。当時のGHQにとって、日本人の赤化を防ぐことが至上命題で、そのための特効薬が天皇制とベースボールだったわけですが、ベースボールはアメリカの国技であり、GHQの信じる「民主主義」と相性が良かったんですね。実際にGHQは大量のゴムを日本に持って来て、何十万個という軟式ボールを全国に配り、野球のさらなる普及を図っています。
     で、当時のラジオは今のように切れ目なく放送していなかったんですが、GHQが出した指示は「切れ目なく放送せよ」。そのためにプロ野球が一気に中継されるようになったんです。ラジオは夕方の時間であればニュースや芸能、ラジオドラマがあるんですが、午後に放送するものが少なかった。当時のプロ野球は昼間にやっていたので、空白地帯を埋めるのに都合が良かったんです。こうして野球人気は一気に高まっていったんです。
     もちろん戦前からラジオでプロ野球中継をやってはいたんですが、一番良いアナウンサーは六大学野球、なかでも早慶戦の実況中継を担当するという位置づけで、プロ野球はあくまでも1〜2年目の駆け出しアナウンサーの練習台だったんです。当時のプロ野球って六大学野球に対抗するためにもっとスピーディーにやろうという方針で、試合展開が早くて平均で80〜90分ぐらいで試合が終わっていた。テレビのような映像のない状態でヴィヴィッドに、かつ的を射た実況をしなければいけないので、アナウンス技術を磨くためには良い素材だったんですね。戦前に駆け出しだったNHKの志村正順さんのような人が、戦後には中堅どころになっていて、彼らの実況をコアにしてプロ野球中継がどんどん人気が高まっていったんです。
    ■戦後日本社会のなかの六大学野球
    ――最近、六大学野球は各大学の校風を象徴するようなポスターを制作していて、ネットでも話題になっていました。ただ不思議なのが、果たしてそこまでして人々は六大学野球に対して盛り上がらなければいけないのか? ということだったんです。
    森田 まあ、六大学の人たちの側からすれば「六大学野球は人気がなければいけない」という思いがあるんでしょうね。大学のプロモーションとしても六大学野球は効果的なコンテンツだったので。

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  • 知られざる「大衆文化」としての戦前プロ野球――『洲崎球場のポール際』著者・森田創インタビュー(中編) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.708 ☆

    2016-10-11 07:00  
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    知られざる「大衆文化」としての戦後プロ野球『洲崎球場のポール際』著者・森田創インタビュー(中編)
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.10.11 vol.708
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    今朝のメルマガは、草創期のプロ野球を描いたノンフィクション『洲崎球場のポール際』著者・森田創さんのインタビュー中編をお届けします。戦前のプロ野球は、当時の東京都民にどのように受容されていたのか。洲崎球場と東京下町をホームとしたプロ球団の可能性や、当時人気絶頂だった大学野球と黎明期のプロ野球の関係について語ってもらいました。
    ▼プロフィール
    森田創(もりた・そう)
    1974年5月21日、神奈川県出身。1999年、東京大学教養学部卒業。同年、東急電鉄入社。現在、広報部勤務。2014年10月、初めての著書『洲崎球場のポール際』(講談社)を発刊し、翌年のミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。2016年7月、戦前のテレビ開発を追ったノンフィクション『紀元2600年のテレビドラマ』(講談社)を刊行。

    森田創『洲崎球場のポール際 プロ野球の「聖地」に輝いた一瞬の光』講談社、2014年
    ◎聞き手/構成:中野慧
    インタビュー前編はこちら。
    ■新聞社・鉄道会社と絡み合いながら発展した戦前プロ野球
    ――野球というスポーツの発展は、マスメディア、特に読売グループとの関係を抜きにしては語れないと思います。戦前から東京の下町地域で読売新聞がシェアを伸ばしていったということでしたが、そこには様々な背景があったわけですよね。
    森田 昭和10年代は東京の東側に市街地が拡大し新住民がたくさん移り住んできたわけですが、その地域を走っていたのが京成電鉄です。読売新聞社主の正力松太郎は、京成電鉄の社長だった後藤圀彦(ごとう くにひこ)と大親友だったんです。正力はこの沿線に着目して「谷津遊園」という遊園地や、谷津球場という巨人軍の練習場を京成と作ったんです。この谷津遊園は、今は「谷津バラ園」となっています。ちなみに浦安にディズニーランドができたのも、正力と京成電鉄の関係によるところが大きかったんです。

    ▲読売新聞社主(当時)の正力松太郎。プロ野球だけでなく、戦後のテレビ放送や原子力発電の普及において大きな役割を果たした。(画像出典)
     前回お話ししたように読売は、山の手のインテリの住む地域では朝日や日日新聞に勝つことができなかった。だから下町に目を付けたんです。しかも紙面も、小難しいことは言わずに誰でもわかるようなものにしたわけですが、なかでも興味深いのは日本の新聞で初めて「都内版」を作ったことです。その第1号が「江東区版」でした。何をやったかというと、冠婚葬祭のニュースや人探しとか、とにかく住民の名前を載せたんです。そうすると「ご近所の◯◯さんが新聞に出てる」ということで、住民の人たちも人情で買いたくなる。この企画のコンセプトは、「政治とか経済とかそういう小難しいことはいいから、『自分ごと』として新聞を読んで貰えるようにしよう」ということだったわけです。
     本紙のほうでも「エロ・グロ・ナンセンス」という言葉を作って、そのテーマに絞って記事を作っていった。そういった取り組みが下町の庶民の心を捉えたんですね。
     発足当初のプロ野球って、そういった都市の発達・新住民の流入と密接に関係するビジネスだったんです。昭和11年のプロ野球発足時は、巨人、大阪タイガース(現・阪神タイガース)、阪急(現・オリックス・バファローズ)、名古屋軍(現在の中日ドラゴンズ)、名古屋金鯱軍、東京セネタース(西武を経営母体としていたが現在の埼玉西武ライオンズと直接の関係はない)、そして洲崎球場を本拠とした大東京軍(現在の横浜DeNAベイスターズの前身のひとつ)の7球団でスタートしたものなんですね。このうち巨人、名古屋軍、名古屋金鯱軍、大東京軍の4球団は新聞社を母体としていて、残りの3球団は鉄道会社を母体としていた。当時のプロ野球は本業だけで回収できるビジネスモデルではなく、鉄道会社は観客輸送による運賃増、新聞社なら新規読者の開拓による購読料収入増を織り込まないと、なかなか成り立たないものだったんです。

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