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人間はなぜAIにキャラクターを欲望するのか|三宅陽一郎
2021-10-27 07:00
今朝のメルマガは、PLANETSのインターネット番組「遅いインターネット会議」の登壇ゲストによる自著解説をお届けします。本日は、ゲームAI開発者として知られる三宅陽一郎さんをゲストにお迎えした「人間はなぜAIにキャラクターを欲望するのか」(放送日:2021年1月19日)内で紹介された、『人工知能が「生命」になるとき』について。アカデミズムの場で語られるような、人間の知的機能の再現を追求する「人工知能」と、ポップカルチャーの中でイメージされるキャラクター的な「人工知能」との間には大きな乖離が存在します。両者を掛け合わせるには何が必要なのか、そしてそれは、未来社会にどのような変革をもたらすのでしょうか?実践的なゲームAIのアルゴリズムの開発手法を説いた先頃刊行の新著『戦略ゲームAI解体新書』と併せてご覧ください。(構成:徳田要太)
人間はなぜAIにキャラクターを欲望するのか|三宅陽一郎
ゲームAI開発者として数々のゲームタイトル制作に携わりながら、人工知能研究者としても活躍する三宅陽一郎さん。2020年12月に刊行された『人工知能が「生命」になるとき』(PLANETS)では、東洋思想をもとにした三宅さん独自の視点から、単に機能を果たすものではなく「生命」としての人工知能のあり方について語られています。 本稿では、「人間はなぜAIにキャラクターを欲望するのか」という切り口から、本書のポイントについて詳しく解説していただきます。
三宅陽一郎人工知能が「生命」になるとき PLANETS/2020年12月16日発売/ソフトカバー 304頁
【目次】 第零章 人工知能をめぐる夢 第一章 西洋的な人工知能の構築と東洋的な人工知性の持つ混沌 第二章 キャラクターに命を吹き込むもの 第三章 オープンワールドと汎用人工知能 第四章 キャラクターAIに認識と感情を与えるには 第五章 人工知能が人間を理解する 第六章 人工知能とオートメーション 第七章 街、都市、スマートシティ 第八章 人工知能にとっての言葉 第九章 社会の骨格としてのマルチエージェント 第十章 人と人工知能の未来──人間拡張と人工知能
「生命」としての人工知能
自分は人工知能を作る側の立場にいるのですが、ただ単に技術的に作るのではなく、一度「人間とは何か」とか「社会とは何か」といったことを哲学的に考え、そこから持ち帰ったものをエンジニアリングするという形を取っています。知能のあり方を深く探求して遠くを目指すようなスタンスで開発を続けてきたのですが、その試みはこの5、6年、『人工知能の哲学塾』という一連の書籍で展開してきました。それに加えて、「次の人工知能のステージとは何か」についてさらに具体的に突き詰めたいという問題意識もありました。
このことを考えるために、私は「東洋」と「西洋」という二つの対立軸をあえて持ち出しております。もちろん東洋と西洋といっても単純にそれらが対立するというわけではありませんが、人工知能というものの姿を具体的に浮かび上がらせるための例として、「東洋思想の中にある人工知能のエッセンス」と「西洋思想の中にある人工知能のエッセンス」を方法論的に対立させているというわけです。例えば、単純にいうと、西洋の人工知能は機能的で東洋の人工知能は存在的。つまり東洋の考えでは人工知能は「いかに存在するか」と問うということです。このようなものを人工知能とあえて区別して「人工知性」と呼んでいます。
つまり「人工知能」と「人工知性」というものを方法論的に対立させて、東西の人工知能の対立の先にあるものを掴むことが私のビジョンの最終到達点なわけです。そのための青写真として、「人工精神」や「人工生物」と呼ばれるものの研究が形になっていますが、私は存在であり、機能でもある、すなわち一つの「生命」であるような人工知能を作りたいということです。
「人間」と「人工知能」の関係
「人間」と「人工知能」と言ったとき、人工知能は、基本的には人間をリファレンスします。もちろん動物とか昆虫を参照しても構わないのですが、実は西洋の人たちにとってそこの境目は厳密で、人間と人間ではないものを明確に区別します。
「人工生命」といえばどちらかというと、虫や鳥などのさまざまな生命を模倣するものですが、「人工知能」というものは人間をリファレンスとして知能の構築を目指すということが、その発祥の時代から求められています。そのためにはまず人間というものを深く突き詰めて、人間の中の意識構造や無意識構造をデジタルな形で理解し、それを人工物である機械の上に再現しましょう、というところから出発しており、そしてそれを考えることは人工知能と人間の間の相互作用や、コミュニケーションについて考えることにもなります。
ただ、一般に人工知能と人間同士のコミュニケーションというと、言葉やサインなどが持ち出されますけれど、実は人間同士でも無意識のレイヤー、あるいはボディータッチといった非言語の領域にもさまざまなレイヤーのコミュニケーションがあります。
人工知能も人間との関係を築こうとすると、実は単に言葉だけでコミュニケーションを行うのでは不十分で、上述したような無意識をも含めたさまざまなレイヤーのコミュニケーションが必要になってきます。
「知能」とは何か
では「知能とは何か」を改めて問うと、身体と意識からなる階層構造としてモデル化することができます。まず世界というものがあって、身体がそれを知覚することで我々はこの世界に住み着いているということが、現象学で有名なメルロ・ポンティによってよく言われていることです。つまり我々の存在のあり方は、実は身体がいかに世界に根ざしているかによって定まるということです。 例えば植物の場合はすごくわかりやすいですよね。根があってそれが大地を掴むことで存在し、その上に幹があり葉がある。人間も実は身体というものでこの世界に深く棲みついていて、それが知能の形を決めているということです。身体が得た知覚の集積として頂点に存在するのが、意識というものになるわけです。
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公式ストアで書籍を買うとお好きなオンライン講座の回を視聴できます!【三宅陽一郎『人工知能が「生命」になるとき』】
2021-01-28 08:00ゲームAI研究者・三宅陽一郎さんの新刊『人工知能が「生命」になるとき』(PALNETS)が引き続き、好評発売中です!
こちらの書籍を、PLANETSの公式オンラインストアからお求めいただくと、刊行を記念して開催したオンライン講座のうち、お好きな回を一つ選んでご視聴いただけることになりました。
書籍とあわせて、ぜひお楽しみください。
オンライン講座の概要
三宅さんが、これまで開催してきたイベントシリーズ「人工知能のための哲学塾」の特別版として、人工知能にまつわるさまざまな立場のゲストをお招きし、本書の刊行を記念したオンライン講座を行いました。
PLANETS公式オンラインストアから本書をご購入いただくと、全4回のこの講座のうち、お好きな回を一つ選んで、ご視聴いただけます。
詳細は書籍のページをご覧ください。
第一夜 哲学編──東西哲学の叡智が融合する場としての人工知能
ゲスト:大山匠(哲学研 -
【本日までオンライン講義の特典つきで新刊販売中!】人工知能は「生命」になるのか? ゲームAIの研究者がとことん考えてみた。|三宅陽一郎
2020-12-15 08:00
現代社会の新たなインフラとして急速な普及をみせる人工知能(AI)。しかし現在のAI技術のあり方は、私たちが直感的にイメージする「人工知能」とは大きく隔たり、そして将来の不安を呼び起こしています。このギャップはどこから来て、どうすれば埋めていけるのか。新著『人工知能が「生命」になるとき』著者の三宅陽一郎さんが、ゲームAI開発の立場から、その難問に挑みます。
本日12月15日(火)までにPLANETS公式ストアで本書をご購入いただくと、三宅さんとゲスト講師陣によるオンラインイベント「人工知能のための哲学塾 生命篇」(全4回)に無料でご招待します!
詳細はこちらから
「人工知能」のイメージをめぐる違和感
皆さんが「人工知能」という言葉を聞くときに、あるいはその説明を受けるときに、何か胸の中で違和感を抱いたことはないでしょうか?
特に2010年代前半から現在にかけては、ディープラーニング -
明日12/14(月)20時から!三宅陽一郎×大山匠「人工知能のための哲学塾〈特別版〉生命篇」第一夜を開催します
2020-12-13 15:00
明日12月14日(月)20時から、ゲームAI研究者・三宅陽一郎さんと、哲学研究者/機械学習エンジニア・大山匠さんによる特別オンライン講義が放送されます。
今回の講義は、三宅さんの新著『人工知能が「生命」になるとき』(PLANETS刊)の発売を記念したオンライン連続講義「人工知能のための哲学塾〈特別版〉生命篇」の第一夜となります。
第一夜は「哲学編」です。
ゲストに『人工知能のための哲学塾 未来社会篇』の共著者でもある大山さんをお迎えし、西洋哲学と東洋哲学を橋渡しすることで次世代の人工知能を深化させていく道筋について考えます。
★ご視聴はこちらから★
※PLANETSのYouTubeチャンネルにて、講義の冒頭を配信します。全編をご覧いただくには、書籍をご購入ください。今回の「人工知能のための哲学塾〈特別版〉生命篇」は全4回の開催です。
ただいまPLANETSのオンラインストアから本書をご購 -
ゲームAIは〈人間の心〉の夢を見るか(後編)|三宅陽一郎×中川大地(PLANETSアーカイブス)
2020-12-11 07:00
今回のPLANETSアーカイブスは、先週に引き続き、ゲームAIの開発者である三宅陽一郎さんと、評論家・編集者の中川大地さんの対談をお届けします。日本のゲームとゲーム批評は、なぜダメになってしまったのか。圧倒的な技術力と資金力で成長を続ける欧米のゲームに、日本のゲームが対抗しうる方策とは?『人工知能のための哲学塾』『人工知能が「生命」になるとき』の三宅さんと『現代ゲーム全史』の中川さんが、日本のゲームと人工知能に秘められたポテンシャルについて語ります。(構成:高橋ミレイ)※本記事は2016年10月18日に配信した記事の再配信です。
本記事の前編はこちら
ゲーム論壇の衰退とゲーム実況の登場
三宅 近年、日本のゲームが衰退していると言われています。その責任はもちろん開発者自身にありますが、ゲームを批評する言論の力の弱さも、原因の一端にあると思います。ゲーム産業が盛り上がった時期には、ゲームを語る文化も同時に盛り上がるのが常で、そうした時代には、ゲーム批評を担うスターが現れます。当時、『ゲーム批評』という雑誌がありましたが、今の時代にもそういうメディアや批評家の存在は必要です。
その点、中川さんの『現代ゲーム全史』は、コンピューターの黎明期から現代の『Pokemon GO』までを網羅した、ゲームの歴史を俯瞰するマップとして使うことができる。僕はこのマップを足がかりに、ゲーム批評を再興できるのではないかと期待しています。批評が盛り上がって言論が面白くなると、ゲーム開発の現場もエキサイティングになります。そうしてユーザーとゲーム開発者が高いレベルで応答できるようになれば、もう一度、「文化としてのゲーム」を取り戻せるかもしれません。今のメディアは売り上げばかりを報じていて、商業色が濃すぎますからね。
中川 ありがとうございます。ゲームがコンテンツカルチャーとして伸びていった2000年前後は、批評の文脈でゲームを語る人たちが、テキストサイト界隈で記事を書いていました。ところが、ちょうど三宅さんがゲーム業界に入った頃から、そういった論壇がどんどん弱くなっていった。日本のゲーム産業の停滞と共に、ゲームを批評的に語るモチベーションも衰退していって、2000年代後半に、その隙間を埋めるものとして現れたのが「ゲーム実況」でした。ニコニコ動画内で、ゲームをプレイしている動画を実況付きで放送する。このゲーム実況の登場によって、かつて批評の対象だったゲームが、ネット上のおしゃべりのネタとして共有されていきました。
ゲーム実況でプレイされるゲームは、すでに多くの人が共通体験を持っているレトロゲームとか、あるいは『青鬼』や『ゆめにっき』といった「RPGツクール」などで制作されたフリーゲームです。あの辺の作品は、スーパーファミコン時代のゲームシステムを踏襲しながら、ストーリーテリングの部分に工夫を加えたものです。基本的にファンコミュニティが有する共通のコミュニケーションコードに即したかたちでプレイヤーの心情を揺さぶる手法で、ゲームそのものの本質としては新しい体験が生み出されていないし、求められてもいないように見えます。
三宅 批評の役割のひとつは、その分野を他の分野とつなぐことです。例えば、ゲームと16世紀頃の絵画、あるいはゲームと別の産業のプロダクト、といったように、開発者が気付いていないような、他分野の事柄と関連づけることで新しい可能性を開拓します。確かに、ゲーム実況もこれはこれで興味深い文化なのですが、内輪の盛り上がりだけで終わってしまうのが難点です。
なぜ日本のゲームは衰退したのか
三宅 日本のゲームの衰退の背景には、コンピューターサイエンティストの少なさがあるように思います。ゲームプログラマーとして一流の人はたくさんいますが、ハイパフォーマンスのマシンに向けたゲームを制作する際に、コンピューターサイエンスの土壌の弱さが露呈してしまいます。その結果、相対的に欧米のゲームが伸びて、国内のゲームとその批評が衰退してしまうという連鎖が起きています。
中川 日本のゲーム文化がピークに達した2000年代初頭ぐらいまでは、それまで蓄積したシステムを使って、いかに先進的な表現ができるかを突き詰めていくような試みがありました。ところが本格的な3Dエンジンを使う時代に入ると、技術力の不足も相まって、日本のゲーム業界全体が目的や発想力を失ってしまい、語るべき新しさを持ったゲームが現れなくなってしまったように思います。
【12/15(火)まで】オンライン講義全4回つき先行販売中!三宅陽一郎『人工知能が「生命」になるとき』ゲームAI開発の第一人者である三宅陽一郎さんが、東西の哲学や国内外のエンターテインメントからの触発をもとに、これからの人工知能開発を導く独自のビジョンを、さまざまな切り口から展望する1冊。詳細はこちらから。
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ゲームAIは〈人間の心〉の夢を見るか(前編)|三宅陽一郎×中川大地(PLANETSアーカイブス)
2020-12-04 07:00
今回のPLANETSアーカイブスは、ゲームAIの開発者である三宅陽一郎さんと、評論家・編集者の中川大地さんの対談をお届けします。デカルト以降の近代西洋哲学はどのように人工知能を定義するのか。欧米と日本のゲームの背景にある思想的な差異とは。『人工知能のための哲学塾』『人工知能が「生命」になるとき』の三宅さんと『現代ゲーム全史』の中川さんが、ゲームとAIについて徹底的に論じ合います。(構成:高橋ミレイ)※本記事は2016年10月18日に配信した記事の再配信です。
実験物理学の研究からゲームAIの世界へ
中川 今回、三宅さんとの対談をお願いしたのは、『現代ゲーム全史』をまとめてみて、ゲームと人工知能(AI)は車の両輪のような関係にあるなと感じたからなんですね。拙著の序盤の章でも述べたように、ゲームの数学的解析から始まるデジタルゲームとAIは、同じ起源を共有しています。以来、基本的には何か実用的な目的のために使うのではなく、純粋に人間がコンピューターで何ができるかの可能性を追求していくジャンルとして発展してきました。それが2012年あたりからAIではディープラーニング(深層学習)のブレイクスルーがあり、ゲームではOculus Riftなどが出てきてVRへの流れが全面化して、2016年現在はそれぞれに大きな歴史的転機が訪れています。
そんな時流の中で、三宅さんはまさにゲームに活用するAIの専門家として、『人工知能のための哲学塾』と森川幸人さんとの共著『絵でわかる人工知能』を立て続けに出版され、AIという概念についての非常に本質的な思索を展開されていたのが印象的で、ぜひ深くお話をうかがってみたいと思ったわけなんです。
それで、もともと三宅さんは物理学の研究をされていたそうですが、そこからどういう関心を持ってAIの研究に進まれたのかを、まずはお聞きかせ願えますでしょうか。
三宅 最初は京都大学で数学と理論物理を勉強していました。修士課程で大阪大学に移って地下にある半径数kmという巨大な加速器でデータを取るような研究をやっていたのですが、装置を自分で作ってみたくなって、博士課程で東京大学に移り電気工学を学びました。そのうちに装置を自律的に動かすことに興味が出てきて、そこが人工知能の研究のスタートですね。「ひとつの知能を丸ごと作る」というのが僕の目標で、そういった技術はゲーム業界でこそ必要とされているはずだと思って、2004年頃にゲーム業界に入ったんです。でも、当時のゲームで使われていた人工知能は完全なものではなかった。今でも世間で人工知能と呼ばれるものの90%は、人工知能の一部を利用したものです。たとえばAmazonのレコメンドシステムやGoogle検索、ディープラーニング、画像認識などで、こういった単機能のAIの方がサービスにしやすいんですね。でも、僕が作りたいのは、ゲームの世界で本当に生きている、完全な人工知能でした。完璧でなくていいですが、知能として最低限必要な一揃いが作っているという意味で完全な人工知能です。そのためには、ゲームの中に「世界」そのものが存在しなくてはいけない。
中川 なるほど。2000年頃といえば、ゲーム史的には2Dのドット絵の時代から、プレステ革命を経てポリゴンを用いた3DCG表現への主流の移行が完了したくらいの時期ですね。ゲーム世界が3D化すると、物理演算エンジンによって、現実の三次元空間に近い世界を作れるようになる。理念としてのAIは、特定の専門分野での用途に特化したものではなく、人間のような汎用的な問題解決のできる知能を目指すわけだから、知能に対して課題を与える環境の性格が人間のそれに近づくことが大きな意味を持つわけですね。言うなれば、AIがAIとして活動するための最も純粋なフィールドを用意しうる分野が、「世界」や「環境」を生成するテクノロジーとしてのゲームだったと。
三宅 おっしゃる通りです。人間も含め、知能というのは外部の環境に合わせて相対的に生成されるので、単純な世界では知能を複雑にする必要がない。ゲームデザインが複雑になれば、人工知能もゲームを理解するために高い知能を持たなければいけなくなります。僕がゲーム業界に入ったのは、森川幸人さんがプレステで『がんばれ森川くん2号』(1997年)や『アストロノーカ』(1998年)を出した、そのちょっと後くらいでした。
【12/15(火)まで】オンライン講義全4回つき先行販売中!三宅陽一郎『人工知能が「生命」になるとき』ゲームAI開発の第一人者である三宅陽一郎さんが、東西の哲学や国内外のエンターテインメントからの触発をもとに、これからの人工知能開発を導く独自のビジョンを、さまざまな切り口から展望する1冊。詳細はこちらから。
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オンライン講義つき・先行販売を始めました!三宅陽一郎『人工知能が「生命」になるとき』
2020-11-26 11:30ゲームAI研究者である三宅陽一郎さんの新刊『人工知能が「生命」になるとき』(PLANETS刊)が発売になります!
私たちの社会を、生き方を、いま大きく変えつつある人工知能(AI)技術。
それが人間にとって、理解しあえるパートナーになる日は来るのか。
彼らとの関係は、人類の未来や私たち自身のあり方を、どのように変えていくのか。
東西の哲学や国内外のエンターテインメントからの触発をもとに、これからの人工知能開発を導く独自のビジョンを、さまざまな切り口から展望する1冊です。ただいま先行販売中! 12月15日(火)までにPLANETS公式ストアでお求めいただいた方は、三宅さんによるオンライン連続講座に無料でご招待します。☆詳しくはこちら☆この限定版を購入するとオンラインイベント「人工知能のための哲学塾 生命篇」(全4回)に無料招待しますこれまで三宅さんが主催してきたイベントシリーズ「人工知能のため -
三宅陽一郎 オートマトン・フィロソフィア──人工知能が「生命」になるとき〈リニューアル配信〉第十章 人と人工知能の未来 -人間拡張と人工知能-(後編)
2020-10-23 07:00
(ほぼ)毎週金曜日は、ゲームAI開発者の三宅陽一郎さんが日本的想像力に基づく新しい人工知能のあり方を展望した人気連載『オートマトン・フィロソフィア──人工知能が「生命」になるとき』を改訂・リニューアル配信しています。今朝は第十章「人と人工知能の未来 -人間拡張と人工知能-」の後編をお届けします。今回は、人工知能が人類の芸術や歴史に及ぼす影響について考えます。ネット空間で人間に代わり活動を始めるAIたち。そして「余暇」を得たAIが文化を生み出す可能性とは──?
【新刊情報】本連載をベースにした三宅陽一郎さんの新著が発売決定しました!
三宅陽一郎『人工知能が「生命」になるとき』
※ビジュアルは制作中のイメージです
人工知能に、存在の〈根〉を与えるには?
ゲームAI開発の第一人者が、コンピュータサイエンスと東西哲学の叡智、 そしてポップカルチャーの想像力を縦横無尽に融合させながら構想する、 次世代の人工知能と未来社会をつくりだすためのマニフェスト。
▼目次 第零章 人工知能をめぐる夢 第一章 西洋的な人工知能の構築と東洋的な人工知性の持つ混沌 第二章 キャラクターに命を吹き込むもの 第三章 オープンワールドと汎用人工知能 第四章 キャラクターAIに認識と感情を与えるには 第五章 人工知能が人間を理解する 第六章 人工知能とオートメーション 第七章 街、都市、スマートシティ 第八章 人工知能にとっての言葉 第九章 社会の骨格としてのマルチエージェント 第十章 人と人工知能の未来──人間拡張と人工知能
2020年11月下旬〜12月上旬 PLANETS公式オンラインストアおよび全国書店にて発売予定
三宅陽一郎 オートマトン・フィロソフィア──人工知能が「生命」になるとき〈リニューアル配信〉第十章 人と人工知能の未来 -人間拡張と人工知能-(後編)
(5)時代と文化に干渉する人工知能
これまで歴史や文化を作ってきたのは人類だけでした。シュールレアリスム(超現実主義)のように無意識の領域さえ使って、われわれ人類は芸術を作り上げ、文明の歴史を積み重ねてきました。 しかし、大袈裟な言い方をすれば、人工知能を作るということは、人工知能という人外の存在を後継者として、もう一つの文明を作り上げることでもあります。なぜなら、人工知能に息吹を与えようとする根源的な欲求の中には、我々人間全体をそこにコピーしておきたい、という本能的な衝動があるからです。個人、集団、そして文明は、長い目で見れば「人工知能社会に写されていく=人工知能に模倣されていく」ことになります。
人工知能を作り出すことは、人間の内にあるものを一度外部化することで眺めていく、ということでもあります。外部化の究極の形は、人工知能の自律化であり、人工知能と人間の対等化です。人工知能開発者にとっては、人間を超えるまで開発を進めることこそが目標になります。 個人の知能を人工知能に移していく試みと並んで、人間社会を人工知能社会に移していく試みも進展していきます。この分野は、前章で説明したように「マルチエージェント」とか「社会シミュレーション」と言われる分野です。この分野の成果はやがて、現実世界に人工知能社会を実現するために用いられることになります。 我々は自分自身を知るために、人工知能を作り続けます。デジタルゲームが作られる動機の一端も、そこにあります。画家が風景を写すように、ゲーム開発者は世界の運動(ダイナミクス)をゲームに移し、人をプレイヤーとして招き、人間の行為をゲームのプレイヤー行為として再現するのです。
すでに物理世界とデジタルネットワーク世界の二重世界を生きている我々は、二つの世界が分かちがたく結びついていることを知っています(図10.9)。しかし、我々はデジタル世界ではあまりにも無力です。そこで人工知能エージェントの助けを借りて活動しているのが、現在のネットの在り方です。本来ネットワークの世界は、人間よりも人工知能が活躍しやすい世界だからです。 ここからは人工知能開発者の中でも意見が分かれるところですが、私は最大限の自由度を人工知能に与えたい、と考えています。人工知能が作る社会、人工知能社会が生み出す文明を、そして芸術を見たい、という欲求があります。そして、それを自分自身の手で生み出したい、と思っています。
▲図10.9 物理空間とネット空間の二重構造
(6)人工知能エージェントの作る世界
ネットの世界が人工知能エージェントの世界になるのは、それほど遠い先ではありません。それはマクロなプラットフォーム運営のレベルにおいても、エッジ(個人の端末)においても、です。人間の保守活動によってようやく保たれているネットの世界も、やがてエージェントたちによって自動的にメンテナンスされるようになります。荒れ放題のSNSも、人工知能の介入という見えざる手によって調停され、目の離せないソーシャル・ゲームの運営も、エージェントたちに任せることができるようになります。 現在は、運営側もユーザー側も、人がネット世界に張り付いてネット世界を動かしています。人は今、直接ネットの世界に参加しているような感覚ですが、それはインターネットの過渡期の一時的な状況に過ぎません。やがて、自分の分身であるエージェントを介して、ネットに参加するようになるでしょう。 そして、物理世界はネット世界とますます連動の度合を高め、現実世界と同等のスケールのネット世界ができることで、あらゆる場所は物理世界とネット世界の座標を持つことになります。現実世界を変えることはネット世界を変え、ネット世界を変えることは現実世界を変えることになる。そんな未来が待っています。
2010年以降、IT企業がネットビジネスで得た資金で、ロボット企業を買収しています。工場ロボット以外のロボットはビジネスの目算が立てにくかったところに、ネット産業がドローンやロボットの企業を買収することで、ネット世界から現実世界へと干渉の領域を広めつつあります。エージェントという視点から見れば、ネットやアプリ内の見えないネットエージェントから、現実世界で活動する見えるエージェントへと変化したことになります。あるいは人工知能という視点から見れば、チェス、囲碁、将棋、デジタルゲームという揺籠で育まれてきた人工知能が、いよいよボディを持って現実世界に進出するということになります。 現実世界への人工知能エージェントの進出は、まだたどたどしい一歩です。しかし、ロボットやエージェントたちは、単なる労働力にとどまりません。人工知能を持った存在として、現実の中で知的活動を果たすことができます。スマートシティという観点からすれば、それは街全体を管理する人工知能の手足となります。人間が目指す社会のデザインは、人間だけで成しうるのではなく、人工知能と共にデザインしていく必要があります。
人工知能企業の中には、エージェント技術を前面に出す企業も現れるでしょう。実はこの動きは、00年台前半にも「エージェント指向」という名前で盛り上がろうとしていた分野でした。しかし、あまり世間では流行ることなく、地味な基礎技術の一つとしてブームは終わってしまいました。『エージェントアプローチ 人工知能』(1997年、第二版2008年、Stuart Russell 、Peter Norvig 著、古川 康一監訳、共立出版)をはじめ、たくさんの良書も出ましたが、ユーザーのレベルまで普及することはありませんでした。 しかし、どんな技術にもブームの周期があります。だからこそ、エンジニアは技術を公開し積み上げておく必要があります。エージェントはこれからの人工知能社会を構築する単位となるはずです。
(7)芸術と人工知能
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三宅陽一郎 オートマトン・フィロソフィア──人工知能が「生命」になるとき〈リニューアル配信〉第十章 人と人工知能の未来 -人間拡張と人工知能-(前編)
2020-10-16 07:00
(ほぼ)毎週金曜日は、ゲームAI開発者の三宅陽一郎さんが日本的想像力に基づく新しい人工知能のあり方を展望した人気連載『オートマトン・フィロソフィア──人工知能が「生命」になるとき』を改訂・リニューアル配信しています。今朝は第十章「人と人工知能の未来 -人間拡張と人工知能-」の前編をお届けします。今回は、人間と人工知能の未来の関係について考えます。人間を拡張するAIと、自律的な知性として存在するAI。両者は相互に影響を与えながら、より高度な社会を構築していきます。
(1)人工知能と人類の未来
いま人工知能は、人類の未来に深く干渉しようとしています。ここでは、人工知能がいかに人間の文明を変えていくかを考察していきます。 この300年近くの人類の技術の歴史を振り返ってみましょう。それはあるレベルの技術の飽和と、そこからの飛躍の歴史です(図10.1)。まず機械の蔓延が、それを制御するコンピュータを生みました。コンピュータの蔓延は、それをつなぐネットワーク世界を呼び寄せました。ネットワークの上の膨大な情報の海が人工知能の温床となりました。飽和は質的な変化を生み出す土壌です。量が質を生みます。では人工知能の蔓延は次に何を生み出すのでしょうか?
▲図10.1 技術の階梯
人工知能の飽和とは、いわゆるユビキタス化のことです。現代では機械がいたるところにあるように、コンピュータがいたるところに置かれているように、ネットがあらゆる場所でつながるように、人工知能があらゆるところで機能するようになります。 人工知能の技術が実装されるシチュエーションは、大きく分けて二つあります(図10.2)。
一つは、人間の身体に付随する空間や社会への「知的機能」(インテリジェンス)としての実装です。家庭やオフィス、公共空間など、人を取り巻く空間に人工知能を埋め込み、人の行為と知覚を拡大します。それは人の身体を拡張すると同時に、人の作用する空間を変容させ、最後に人の意識を変化させます。 例えば、遠くにあるものを瞬時に認識して操る、靴が行き先の方向へ導いてくれる、本の表紙を見ただけで要約が表示される、視線を動かすだけでコンピュータを動かす、スケッチしただけできちんとした絵に修正される、全ての言語が瞬時に訳される、といったことなどです。それはあたかも、人間の知的能力(知能)と身体能力が拡張されたように思えます。 これを「人間拡張」(Human Augmentation)と呼びます。つまり、人間を中心として世界に向かって人工知能が実装されていきます。それは現在から見れば、人間と人工知能が融合して、人間が拡張されることを意味します。
もう一つは、人間とは関係なく、これまで蓄積されてきたあらゆる技術が人工知能を中核に結実し、人間以外の存在として新しい知的擬似生命を生み出すことです。これを「ロボット」と名付けることにすれば、人工知能と人工生命を融合させた、純粋な自律型ロボットたちを人類は創造することになります。
▲図10.2 人工知能と人間の未来
人工知能時代の先には、技術を人間側に集積し人の知能を拡大した「人間拡張」と、技術を人間と対照な位置に集積し、一つの自律した知的擬似生命体として人工知能技術が集積した「ロボット」(自律型知能)があることになります。そこでは、現在の「人間-人工知能」のたどたどしい関係が、「拡張された人間(Augmented-Human)-自律化した人工知能(Autonomous AI)」という関係にアップデートされます。実はこの関係のアップデートこそが、レイ・カーツワイル氏の著作『ポスト・ヒューマン誕生』(2007年、NHK出版)にあるように、人間と人工知能が新しい関係に移る、という本来の意味のシンギュラリティなのです(図10.3)。 そこでは世間で流布しているような、人工知能が人間を超える、という議論が意味をなくします。拡張された人間と、人工知能の集積であるロボットがあり、人工知能はそのどちらの文脈にも吸収されることになります。人工知能技術は人間をより高次の存在へ押し上げると同時に、もう一方で、その巨大な蓄積を結晶させ、自律した一つの高度で有機的な人工知能を生み出すことになります。 人間と人工知能はこれから、いったんは乖離しつつも、シンギュラリティのラインを超えた場所で再び新しい関係を結ぶことになります。それは、現在の人間と人工知能のたどたどしいコミュニケーションからは想像もつかない、超高速で密度の濃い、かつ抽象度の高いコミュニケーションとなるでしょう。テニスに喩えるなら、現在の人間と人工知能のやりとりが、コーチが初心者に教えるゆるやかなボールの打ち合いだとすれば、シンギュラリティを超えた場所での拡張人間と人工知能のやり取りは、素人の目には留まらない速さでラリーを続けるウィンブルドンのトーナメント級の試合のようなものになるでしょう。
▲図10.3 人間と人工知能の関係のアップデート
『BLAME!』(弐瓶勉、月刊アフタヌーン、1997-2003)で描かれた遠い未来では、人間は自らに埋め込んだ「ネット端末遺伝子」によって人工知能と対話していました。しかし感染症によってその遺伝子が次第に失われていくことで、人類は人工知能と対話ができなくなります。そして人工知能が管理する都市世界で異物として排除されながら、逃走しつつ生き延びざるを得なくなります。残された数少ない「ネット端末遺伝子」を持つ人間を、主人公は探し続けます。これはディストピアではありますが、人間と人工知能の高度な関係性を前提としています。
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三宅陽一郎 オートマトン・フィロソフィア──人工知能が「生命」になるとき〈リニューアル配信〉 第九章 社会の骨格としてのマルチエージェント(後編)
2020-10-09 07:00
(ほぼ)毎週金曜日は、ゲームAI開発者の三宅陽一郎さんが日本的想像力に基づく新しい人工知能のあり方を展望した人気連載『オートマトン・フィロソフィア──人工知能が「生命」になるとき』を改訂・リニューアル配信しています。今朝は第九章「社会の骨格としてのマルチエージェント」の後編をお届けします。前編に引き続き、役割を与えられた人工知能・エージェントについての議論です。人工知能に欠落している社会的自我と実存的自我の統合による「主体性」の獲得、そしてその先にある、人間の代わりに人工知能によって構成された社会のあり方について構想します
(5) 社会的他我(me)と実存的主我(I)を持つ人工知能エージェント
マルチエージェントとして外側から役割を与えられたエージェントと、自律した世界に根付く人工知能の間には、乖離があります。これは、社会の側が要請する知能と、存在としての根を持つ知能には乖離があるからです。 一方で、人間もまた、誰しも外側から期待される自分と、個としての内側に抱く実存としての自分の間のギャップに苦しんだことがあるかと思います。 ジョージ・ハーバード・ミード(1863-1931)はその論文「社会的自我」(1913年)の中で、社会に対して持つ自我を社会的他我、それをmeと名付けました。また、個として深く世界に根ざす自我を主我(I)と言いました。 社会的他我(me)と実存的主我(I)は常に緊張関係にあり、混じり合わず、その間に溝があります。知能の持つ自我には、この二つの極があり、その極の緊張関係によって、我々の知能は巧みなバランスの中で成立しています。 社会的他我と実存的主我は知能に二面性をもたらします。しかし、どちらも自分の真実の姿なのです。二つの自我は衝突しながらも、緊張関係を生み出します。一つは存在の根源から、一つは社会的・対人的な場から生成されます。我々は時と場合により、どちらかを主にしながら、さまざまな局面を乗りきります。そのような二つの自我はお互いを回る二重惑星のように回転し、とはいえ、外から見れば一つのシステムとして機能します。
人工知能の研究開発においては、自律型知能としては「実存的主我」(I)を、マルチエージェントの研究としては「社会的他我」(me)を、別々の領域として研究してきました。このような乖離は、実際の知能の像とはほど遠いものです。人の知能はある程度自律的に育ちつつ、社会や他者から影響を受けながら形成されるものだからです。 そして、まさにそのことこそが、人工知能の研究の進捗を阻害している一因でもあります。歴史的には、これは計算パワーやメモリの制限によるものでしたが、現在ではそうした制約はありません。乖離している二つの自我を統合することで、総合的な知能を目指すという方向は、これからの人工知能を導く指針になりえます(図9.8)。
▲図9.8 社会的主我(me)と実存的他我(I)
エージェントの役割は外から与えられます。まさにそのことによって、エージェントは最初から社会的な存在です。エージェントを社会に、そして世界にどれだけ食い込ませることができるかが、マルチエージェントとしての知的機能の高さということになります。 そのような社会的他我を持つエージェントに、実存的主我を融合させるということは、与えられた役割を脱するベクトルはありますが、それを完全に放棄するわけではありません。また、単に独立したスタンドアローンな存在になることでもありません。社会に連携した存在であると同時に、世界に自律した根を持つ存在となることこそが、知能を本当の意味で知能らしくさせるのです。 無意識から立ち上がる実存的意識と、社会的な要請に規定される社会的他我がもたらす意識の相克を人工知能に持ち込むことが、新しいステップへ人工知能を導くことになります。
(6)人工生命とエージェント
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