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脚本家・井上敏樹エッセイ『男と×××』第27回「男と男 再び」【毎月末配信】
2017-04-28 07:00
平成仮面ライダーシリーズなどでおなじみ、脚本家・井上敏樹先生のエッセイ『男と×××』。仲良くなった高級鮨屋の大将は、昔少年院を出ていて……? 敏樹先生が聞いた、大将の若かりしころの「剛の者」たるエピソードの数々を披露します。
男 と 男 再び 井上敏樹
去年、なかなか面白い男に出会った。相手は鮨屋の大将である。B級グルメで有名な町にあって銀座並の店を構え、銀座並の高級鮨を握っている。白木のつけ台を隔て初めて大将と対面した時、私はそのただならぬ雰囲気に緊張した。大柄な体躯に彫りの深い顔、鋭い眼ー鮨屋というよりもイタリアンマフィアのようだった。何度か通ううちに一緒に飲もうという事になった。私は料理人と仲良くなるのが好きである。なにしろこちらを幸せにしてくれる尊敬すべき人々だ。特に鮨屋は、いい。握っている姿が祈りに似ていて美しい。そんな私の気持ちが伝わったのか、私たちはウマが合った。そしてその後も誘い誘われの関係が続き、大将は自分の来し方をぽつりぽつりと語るようになったのである。きっかけは私が『なぜ鮨屋になろうと思ったのか』と尋ねた時で、『少年院を出てなにか手に職をつけようと思ったから』というのが大将の答えだった。少年院、と聞いて俄然興味が湧いて来た。大将の方はなにか申し訳なさそうな口調である。もしかしたら私が引くとでも思ったのかもしれない。だが、こっちは仮りにも物書きである。引かず、食いつく。少年院に入るには色々と理由があるだろうが、詳しく聞いてみると大将の場合は同情の余地があった。
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【最終回】『騎士団長殺し』――「論外」と評した『多崎つくる』から4年、コピペ小説家と化した村上春樹を批評する言葉は最早ない!(福嶋亮大×宇野常寛)【月刊カルチャー時評 毎月第4木曜配信】
2017-04-27 07:00
話題のコンテンツを取り上げて批評する「月刊カルチャー時評」、最終回となる今回のテーマは『騎士団長殺し』です。いまや自己模倣を繰り返すだけの作家となりさがった村上春樹の新刊は、顔を失い、読者も見失い、批評すべき点の全くない小説でした。本メルマガで『ウルトラマンと戦後サブカルチャーの風景』を連載中の福嶋亮大さんと宇野常寛が、嘆息まじりに語ります。(構成:金手健市/初出:「サイゾー」2017年4月号)
▼作品紹介
『騎士団長殺し』
「第1部:顕れるイデア編」「第2部 遷ろうメタファー編」
著/村上春樹 発行/新潮社
『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』以来4年ぶりとなる長編小説。職業的肖像画家として暮らしていた主人公は、突然妻に離婚を言い渡される。妻には恋人がいた。長い放浪ののち、高名な日本画家が住んでいた小田原のアトリエに住み着いた彼は、そこでさまざまな人物や不思議な現象に出会う。
福嶋 『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(2013年/文藝春秋)が出たときにもここで対談をして、あのときは村上春樹の小説史上、これ以上のワーストはないと思っていた。今回の『騎士団長殺し』は、主人公が自分と同じ36歳ということもあって、最初は少し期待して読み始めたんですが、結論から言うと何も中身がない。あまりにも中身がなさすぎて、正直何も言うことがないです。村上春樹におけるワースト長編小説を更新してしまった。
構成から具体的に言うと、前半に上田秋成や『ふしぎの国のアリス』、あるいはクリスタル・ナハトや南京虐殺といった伏線が張られているけれど、どれも後半に至って全く回収されない。文体的にも、ものすごく説明的で冗長になっている。村上春樹は、その初期においては文体のミニマリズム的実験をやっていた作家です。デビュー当初に彼が敵対していたような文体を、老境に至って自分が繰り返しているような感じがある。ひとことで言うと、小説が下手になっているんですよね。彼くらいのポジションの作家として、そんなことは普通あり得ない。
宇野 まったく同感です。『1Q84 』(09~10年/新潮社)「BOOK3」以降、後退が激しすぎる。あの作品も伏線がぶん投げられていたり、後半にいくに連れてテーマが矮小化されていて、まぁひどいもんでした。村上春樹は95年以降、「デタッチメントからコミットメントへ」といって、現代における正しさみたいなものをもう一度考えてみようとしていたわけですよね。「BOOK3」も最初にそういうテーマは設定されているんだけど、結局、主人公の父親との和解と、「蜂蜜パイ」【1】とほぼ同じような、自分の子どもではないかもしれないがそれを受け入れる、つまり春樹なりに間接的に父になるひとつのモデルみたいなものを提示して終わる。村上春樹にとっては大事な問題なのかもしれないけど、物語の前半で掲げられているテーマ、つまり現代における「正しさ」へのコミットメントは完全にどこかにいってしまっているのはあんまりでしょう。ここからどう持ち直していくんだろう? と思っていたけど、『多崎つくる』も『騎士団長殺し』も、「BOOK3」の延長線上で相も変わらず熟年男性の自分探し。自分の文章をコピペしている状態に陥ってしまっていて、しかもコピーすればするほど劣化していて、目も当てられない。これでは最初から結論がわかっていることを、なぜ1000ページも書くんだろうという疑問だけが、読者には残されるだけです。
福嶋 手法的には『ねじまき鳥クロニクル』(94~95年/新潮社)あたりからの自己模倣になっていて、その終着点が『騎士団長殺し』だったということなんでしょうね。村上春樹が抱えているひとつの問題は、読者層を想定できなくなっていることだと思う。つまり、今の彼の読者層は『AKIRA』の鉄雄のように際限なく膨張して、もはや顔がなくなっている。例えば宮﨑駿だったら、知り合いの女の子に向けて作るというような宛先を一応設定するわけだけど、村上春樹にはそれがない。結果として、大きなマスコミュニケーションの中に溶けてしまって、自分の顔がない小説になってしまっている。村上春樹は本来、消費社会の寵児と言われつつも、顔がない存在・顔がない社会に対して抵抗していたわけでしょう。それが、ついに自分自身がのっぺらぼうになってしまった。とても悲しいことだ、と思います。
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更科修一郎 90年代サブカルチャー青春記〜子供の国のロビンソン・クルーソー 第7回 高田馬場・その3【第4水曜配信】
2017-04-26 07:00
〈元〉批評家の更科修一郎さんの連載『90年代サブカルチャー青春記~子供の国のロビンソン・クルーソー』は高田馬場編の3回目です。『漫画ブリッコ』を起点とする80年代ロリコンブームが、やがて90年代に「オタク文化の大衆化工作」へと変質していった時代を振り返ります。
第7回「高田馬場・その3」
消えたバーミヤンに驚いた筆者は、新目白通りを左折し、かつての通勤ルートである裏通りへ戻った。
裏通りの窪地には、高田馬場では珍しいオフィスビルがある。筆者が通勤していた頃は専門学校の校舎だったが、いつの間にか白夜書房本社ビルになった。
白夜書房の森下会長は、高田馬場で空きビルが出るとすぐに買うという癖があった。社員たちはよく笑い話にしていたが、経営者としては実に正しかった。
二十年前の時点でも、自社ビルを建てる出版社は潰れると言われていた。実際、アーケードゲーム雑誌『ゲーメスト』を出していた新声社が、自社ビルを建てた2年後に倒産していた。
しかし、森下会長は他社が手放した空きビルを安く買い叩くことでリスクを抑えていた。
そこまでして自社ビルを確保する必要があるのか?
あるのだ。
まず、自社ビルを倉庫で使えると、倉庫賃貸料が発生しない。これが外部の賃貸倉庫だと、在庫の本を出し入れするだけで、一冊2〜3円の手数料が発生する。このコストが単行本の許容返本率を大きく左右するのだ。
当然、編集部があるフロアの賃貸料も発生しないので、部署ごとに設定された総予算に余裕が出る。
元々、安価で販売される雑誌はほとんど儲からない、特に月刊漫画誌は出すだけで毎月、確実に赤字を垂れ流す。
編集部やレーベルの収益は、ほとんど大ヒット作品の単行本に支えられている。
出版という商売は、本質的に、確実な攻略法のない博打なのだ。
筆者はコアマガジン退社後、藤脇氏と『まんが編集術』(白夜書房)というインタビュー本を作ったが、『週刊少年ジャンプ』三代目編集長だった、故・西村繁男氏に伺ったところ、653万部の史上最高部数を達成した頃のジャンプでも、採算分岐点は96%だった。毎週、営業部が精緻に発行部数を調整しても、雑誌だけでは儲からないのだ。
なので、00年代に入ると、少年漫画誌でも30年以上の長期連載や過去のヒット作のリブートが頻発するようになった。少年漫画なのに。
これがマイナー系の漫画出版社だと、頼れる大ヒット作品も稀なので、確実にシングルヒットを積み重ねていくしかない。
担当営業の藤脇氏は、成年漫画のコミックスを8000〜10000部刷った場合、販売率70%がボーダーラインだと言っていた。損益分岐点は56〜62%くらいで、それを下回った漫画家は「二度と起用するな。代原でも禁止だ」と厳命されていた。
先輩編集が担当していたベテラン漫画家たちがこの数字を下回り、次々とクビになっていたが、平然と編集部に現れ、筆者と筆者が担当していた若手漫画家の悪口を言っては、代原扱いで載っていた。
先輩たちもあらかじめ台割をスカスカにして、代原を使わざるを得ない状況を仕組んでいた。
巻頭カラーで看板扱いの作品以外、次号予告をしない雑誌だったのだ。
今にして思えば、特に悪気もなく身内意識でやっていたのだが、当時の筆者は憤り、あらかじめ発注していた若手の原稿をスカスカの台割を見た瞬間にねじ込み、先に乗っ取る対抗戦術を採った。
結果、自分の担当作家だけで手一杯となり、編集者として一本立ちしたのだが、代わりにもう一人の同期が、雑用を一手に引き受ける羽目になった。
増刷こそ稀だったが、担当していた若手たちの販売率は総じて高く、席取り勝負になればこちらの言い分が通った。だいたい、クビになった作家を代原で載せていても、単行本にならない。
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【対談】泉幸典×三宅陽一郎 いつか僕らはロボットと服について語り合うだろう
2017-04-25 07:00
ロボットユニフォームブランド「ROBO-UNI(ロボユニ)」の開発をする泉幸典さんは、ロボットに服を着せるという行為がロボットと人間の関係をより良い形に変えると考えています。今回、人工知能開発者の三宅陽一郎さんと泉 幸典さんの対談が実現しました。ロボユニの開発秘話から、ユニフォームの果たすシンボル的な役割や内包する文化、ロボットが作る未来のカウンターカルチャーの可能性まで、縦横無尽に語り合いました。(構成:高橋ミレイ)
原点となったシリコンバレーでの挫折
――まずロボユニがどういうものかということと、なぜその事業を始めようと思ったのかという背景から、お願いします。
泉 ロボユニは、コミュニケーションロボットに特化した専用のアパレルブランドです。もともと私たちはホテルやレストランの接客スタッフが着用するユニフォームを作っているメーカーなんです。人のユニフォームを何十年も作ってきましたが、日本の少子高齢化が進み、特に接客業に関しては若い子たちがどんどん減ってきています。そうなるとユニフォームの需要も少なくなるので、人のユニフォームを作り続けたとしても、市場自体が縮小してしまいます。新しいアパレルのジャンルを自分たちで作っていかないと、五年後十年後、三十年後の事業が続かないと思ったのがロボットのユニフォームを作ろうと思った最初のきっかけです。
レストランやホテルの仕事は、昔はすべて人がしていましたが、今はビジネスホテルのチェックインがタブレットでできるようになるなど、機械に置き換わりつつあります。Pepperのようなロボットたちがガイドをしてくれるようにもなりました。そうなると、仕事の正確さだけで見れば、人間のアルバイトの子たちよりもロボットの方が上回るという現象が起きてくると思います。「人間の方がロボットよりも仕事できないね」と言われるような時代が来た時に、「さぁ、人間はどうしていくんだろう?」と思ったんです。そんな時代が来た時に人間が持つ、「人を喜ばせたい、良いサービスをしたい」という意志をテクノロジーの力で促進してあげられないかって思っていたんですね。
当初は、既存のユニフォームの中にデバイスを搭載させて、ゲストが近くにいることを振動によって知らせたり、お客様の不満を音声認識で拾って、本格的にお怒りになる前にバックヤードから責任者が出てきてお客様のクレームを最小限に抑えることを考えていました。提携先として、そのような技術を持つ会社を探すためにシリコンバレーに行ったところ、現地では技術はあっても前例がまったくないことが分かりました。僕はそれを聞いて、「あ、これいけるな」と思ったんですけれど、こうとも言われたんですね。「実現可能な技術があるのに商品やサービスが世の中にないということは、新規性があるからではなく、誰もそれを必要としていないからじゃないの?」と。その方は、「そんなものに金をかけるくらいなら、時間をかけてでも人材育成に力を入れていくべきだ」とおっしゃっていました。ラグジュアリーホテルに来るゲストは、なぜ高いお金を払うかと言えば、人と人とのコミュニケーションによる質の高いサービスによる感動を得たいからです。しかし、そこをテクノロジーに頼ってしまうと、人間の本質的な喜びとは違う方向に行ってしまうとも指摘されました。もう何もかもが「その通りだな」と思いましたね。
サンフランシスコから日本へ戻る飛行機の中で、行きの便では絶対いけると思っていたのに出た結論は真逆だったことに落ち込みながら、「そもそもなぜ僕は、あのような商品を考案したのだろう?」と考えました。すると実は僕自身が、既存のテクノロジーに人間が色んなものを付け加えた結果、やっぱり人間の方が素晴らしいという結論に至りたかったからだと気がついたんです。言い換えればテクノロジーを僕が敵だと思っていたからなんですね。それに思い至ったところで、「本来ならばテクノロジーは敵ではなく、人間の役に立つために作られているはずだ」という考えに立ち返ったんです。
そのような問いを立てた時、引き合いに出すのに分かりやすいテクノロジーがロボットでした。調べれば調べるほど、ロボットや人工知能の研究開発に携わっている方たちが、人間のことを深く研究して、日常的な動作など僕たちが当たり前にしている行動がいかに複雑な仕組みによって成り立っているのかを理解していることがわかりました。しかし多くの人たちは、ロボットたちが何をできるかさえ知りません。もっとそれを簡単に理解する方法があれば、人間はロボットとの付き合い方が分かるし、ロボットもさらに人の役に立つことができると思いました。それを伝える記号として、ユニフォームが大きな役割を持つと思ったんです。
ユニフォームがロボットと社会をつなぐ
泉 たとえばユニクロの黒のシャツを1枚買ったとします。それを家で着ていると単なる黒のシャツですが、同じ物を10枚買って皆が着てスターバックスで働くと、それはスターバックスのユニフォームになります。物は一緒なのにシチュエーションや組織といった環境を変えてしまうと、それは制服になるんです。明治時代、洋装が普及し始めた時に、日本で初めて近代ユニフォームを導入した組織が鉄道と警察と病院でした。世の中が混乱している中で窃盗が起こったり、病気になった場合、十分に教育を受けていない人たちも多くいるなかで、それは非常に役に立ちました。白衣を着ている人を見たら、「あの人が私たちの命を助けてくれる人だ」、あるいは泥棒に遭った時に警察官の服を着ている人がいたら、「あの人に言えばいい」と判断できる視覚的な認識記号になったのです。対象が何者かであるかを示す記号であることがユニフォームの根幹にあります。
パーソナルロボットは、各企業や各家庭の要望に応じた異なる使命を持っており、それぞれの分野に特化した膨大な知識が入っています。でもロボットたちは量産されたもので外見も均一なため、人間以上に個々のパーソナリティがありません。ですから大抵の人は、「こんにちは」とか「今何時?」くらいのレベルのことしかロボットに聞かないのです。しかしユニフォームがあれば、彼らがどう役に立つのかが子ども達やお年寄り、外国の人たちにも一目で分かるはずです。このような考えから着地した製品がロボットユニフォームです。
三宅 人工知能は環境を理解したり何かを推論したり、なるべく人間に近づける形で発展してきましたが、このようにロボットにユニフォームを着せるという視点は、我々人工知能開発者にとっては盲点でした。大抵の人工知能は特化型人工知能と言って、株式の予測やレコメンドシステム、あるいはお料理ロボットといった、特定の問題を解くための人工知能として開発されます。さらにそれらの人工知能が体を持つことで、バーチャルな空間から現実世界に進出しようとしているのが今の大きな流れです。
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【春の特別再配信】京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録 第1回 〈サブカルチャーの季節〉とその終わり
2017-04-24 07:00
「2017年春の特別再配信」、第2弾は本誌編集長・宇野常寛による連載『京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録』の第1回です。テーマは戦後の若者カルチャーの変遷。60年代の学生運動の挫折から、サブカルチャーの時代の到来、米国西海岸で生まれたカリフォルニアン・イデオロギーの拡大と、サブカルチャーの時代の終焉まで、1960年代から2000年代までの世界的な文化状況を、俯瞰的に論じます(この原稿は、京都精華大学 ポピュラーカルチャー学部 2016年4月15日の講義を再構成したものです/2016年5月13日に配信した記事の再配信です)。
宇野常寛が出演したニコニコ公式生放送、【「攻殻」実写版公開】今こそ語ろう、「押井守」と「GHOST IN THE SHELL」の視聴はこちらから。
延長戦はPLANETSチャンネルで!
はじめに――〈オタク〉から考える日本社会
これから半年間、「サブカルチャー論」という授業を担当する宇野と言います。もしこの中で僕のことを知っている人がいたら、たぶんワイドショーやテレビの討論番組に出演して、社会問題についてしゃべっているところを見た、という人がほとんどだと思うのですけれど僕はどちらかといえば社会ではなく文化の評論家で、専門はサブカルチャーです。特にアニメやアイドルといったオタク系の文化を題材にしてきました。
この授業はそんな人間が、なぜ社会問題について語るようになったのか、というところからはじめたいと思います。僕という人間と社会のとかかわりから、サブカルチャーと現代社会のかかわりについて考えるところを議論の出発点にしたい。
というのも、僕がニュース番組に出ると「あんな奴をテレビに出すな」という苦情がいっぱい来るんですよ(笑)。なぜなら、僕は生放送中にまったく「空気を読まない」からです。
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京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録 第19回 アイドルアニメと震災後の想像力【金曜日配信】
2017-04-21 07:00
本誌編集長・宇野常寛による連載『京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録』。今回は「戦後アニメーションと終末思想」をテーマにした講義の最終回です。〈現実=アイドル〉に敗北したあと、〈虚構=アニメ〉は何を描くべきなのか?(この原稿は、京都精華大学 ポピュラーカルチャー学部 2016年6月10日の講義を再構成したものです)
〈現実=アイドル〉が〈虚構=アニメ〉を追い越した
こういった感覚は、アニメとインターネットの関係にも言えるわけです。アニメを含めた映像は原理的に虚構の中に閉じている。作家が演出し、編集したつくりものを視聴者はただ受けとることしかできない。しかしインターネットは原理的に半分は虚構だけれども半分は現実に接続してしまっている。どれだけ作り手が虚構の世界を完璧に作り上げても、受け手という現実がそれを打ち返すことができる。ニコニコ動画にコメントがつくように、虚構がそれ自体で完結できない。双方向的なメディアであるインターネットは、原理的に虚構の中に完結できず、現実に開かれてしまう。
震災後の日本に出現したのは、まさにこの感覚だったと思うんですね。「ここではない、どこか」、つまり完全な虚構に入り込んでしまうのではなく、現実の一部が虚構化している。日常の中に非日常が入り込んでいる、とはそういうことです。
この2011年頃は、アニメからアイドルへと若者向けのサブカルチャーの中心がはっきりと移行していった時期に当たります。AKBに先行して2006年頃にブレイクしたPerfumeにしても元は広島のローカルアイドルで、この時期にライブアイドルブームが起こり始めていました。インターネットの登場によって、アイドルというものがテレビに依存しなくても成立するようになってきた。小さい規模であればライブの現場+インターネットで盛り上がれるわけです。AKB48は2005年に結成されたわけですが、2008年ぐらいまでは今ほどテレビに出ておらず、そうしたライブアイドルとして着実に人気を伸ばしていました。
これ以前の80年代にもアイドルブームは起こりましたが、当時はテレビを中心とした「メディアアイドルブーム」でした。しかし21世紀のライブアイドルブームはテレビに依存せずに伸びてきて、同時にサブカルチャーの主役にも躍り出たわけです。
ここまで話してきたことを考えれば、それは当然の流れなわけです。そもそもアニメにアイドルを持ち込んだ80年代の『マクロス』でもライブシーンが重視されていました。当時のアイドルブームというものを意識して、実際の3次元のアイドルに負けないような映像を作ろうという意識がすごく強かったんですね。『マクロス』シリーズはその後も連綿と続いていくわけですが、近作『マクロスF』(2008年放映開始)の劇場版を観ると、それがより顕著になっていることがわかると思います。
▲劇場版マクロスF~サヨナラノツバサ~ [DVD] 中村悠一 (出演), 遠藤綾 (出演), 河森正治 (監督)
2012年には、秋元康が企画・監修した『AKB0048』というアニメが放映されました。近未来の宇宙を舞台に、伝説のアイドルグループ「AKB48」の名を継承したアイドルたちが、戦場にやってきてライブをして戦争に干渉するというストーリーです。これは本当に『マクロス』そのままの内容ですが、実際にアニメ制作は『マクロス』のスタッフがかなり関わっているんですね。
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『コードギアス』の複層的シナリオ展開はなぜ可能になったのか/『石岡良治の現代アニメ史講義』第5章 今世紀のロボットアニメ(6)【不定期配信】
2017-04-20 07:00
「日本最強の自宅警備員」の二つ名を持つ批評家・石岡良治さんによる連載『現代アニメ史講義』。今回は、キャラクター劇とポリティカル・フィクションを巧みに両立させた『コードギアス』のシナリオ展開について考察します。(※4/24(月)20:00より、石岡さんの月1ニコ生「最強☆自宅警備塾」も放送予定! 2017年冬クールのアニメを徹底総括します。視聴ページはこちら)
時間の経過とともに可能になりつつある名作ロボットアニメの評価
前回の配信直後、2017年3月17日に『交響詩篇エウレカセブン』の劇場版三部作(『ハイエボリューション』)が発表になりました。この符合には少し驚きましたが、『エウレカセブン』と『コードギアス』の比較が、2010年代後半に再び可能になるということで、にわかに現代性を帯びてきた感があります。現状で『ハイエボリューション』の興味深いところと不安点を簡単に挙げると、テクノユニットのHardfloorから新曲「Acperience7」を提供されていることは興味深いと言えるでしょう。パワーバランスの変化ゆえに可能になったところもあるとはいえ(”Anime”の存在感など)、オリジナルにおける「サブカル的意匠」の意味合いもリブートしていく意気込みをみることができるからです。不安点としては、すでに『エウレカセブンAO』という後日談があるために、『コードギアス』と比べると三部作の出口にかなりの縛りがかかっていることでしょう。いずれにせよ、旧作のリブートとはいえ、思わぬ形で「2010年代のロボットアニメ」が活気付けられた印象があります。
もう一つロボットアニメ関連の興味深いニュースとしては、マクロス35周年プロジェクトとして『マクロスF』のシェリル・ノームの新曲発表が挙げられます。こちらは『マクロスΔ』の直後ということもあり、『マクロスΔ』は『マクロスF』のインパクトを超えられなかったのか、という雰囲気も若干漂いますが、アイドルアニメの源流の一つでもある『マクロス』シリーズの強みが出ているように思います。
さて、だいぶ長々と周辺事情へと迂回した感はありますが、『コードギアス』の意義を改めて考えてみましょう。日本アニメ史における『コードギアス』の位置は、冷静にみるならば「SクラスとまではいえないAクラスのヒット作」(『クリティカル・ゼロ』より)といったところでしょう。ロボットアニメの中では『機動戦士ガンダム』や『新世紀エヴァンゲリオン』と同等のインパクトを後世に残したとまでは言えないが、ジャンルの歴史では大きな存在感を持ち、ゼロ年代アニメの中ではかなり人気のあった作品、といった認識が共有されているように思われます。
私もおおむねそうした見解には同意なのですが、今回改めて見直してみたところ、たとえSではないにせよAAないしはAAA作品とみることができるのではないか?と主張できるように思います。むしろ、『コードギアス』以後の十年間によって(『魔法少女まどか☆マギカ』が事後的にサブジャンルを生み出し、アニメ史的意義を増したように)重要性を増したとみています。これはちょうどヒット作でありながらかなり批判されていた『ガンダムSEED』が、今では古典の一つとなっているように、『コードギアス』についても時間を経た評価の変化をみてみたうえで、現代的意義について考えてみたいということです。
トリッキーな主人公としてのルルーシュ
『コードギアス』を雑にまとめてしまうならば、「もしも夜神月が妹を守るために「優しい世界」を求めたとしたら?」となると思います。ルルーシュの造形が『DEATH NOTE』の夜神月をヒントにしていることは明白ですが、そこに加えられたアレンジが、他の数多あるデスゲーム系作品と一線を画する結果となっているのでしょう。シナリオのメインプロットや諸勢力がどんどん移り変わっていったようにみえる『コードギアス』ですが、「妹のナナリーを守る」という軸は最初から最後まで徹底していて、しかもそのようなシスコン要素についても、終盤では一捻り加わえられているんですね。「優しい世界」は、今ではろくでもないネットミームになってしまっていますが、もともとはコードギアスのルルーシュが求めた世界を指していました。夜神月には妹がいますが、特に守るべきキャラというわけではありませんでした。いずれもピカレスクロマンとして描かれつつも、ルルーシュの行動原理が「妹ファースト」であるところは、ややもするとヌルくなりかねないわけですが、『R2』の18話から19話にかけて、「第二次東京決戦」の結果ナナリーの安否が不明になったため、せっかく成立した「超合集国」を台無しする勢いで取り乱し、部下一同をドン引きさせるという展開を混ぜることで、「妹ファースト」の危うさを、終盤の物語を加速させるモチーフとして活用していました。
このように、『DEATH NOTE』フォロワー作品の多くと比べても、今なお設定の絶妙さが光る『コードギアス』ですが、これから初めて見る人にとっては、作画の面では必ずしも新しさが感じられないかもしれません。原案をCLAMPが担い、木村貴宏がデザインしたキャラクターは個性的で、今でもファンが多いですが、ゼロ年代アニメをヴィジュアル面で刷新した京アニやシャフトの作品と比べると、画作りの点ではやや古くみえるかもしれないと思います。『ガン×ソード』の延長上にあるといえばよいでしょうか。なので、『コードギアス』がゼロ年代アニメの諸要素を結集させているといいつつも、画面設計などの点では90年代後半からゼロ年代前半にかけてのアニメに近いところがあるかもしれません。
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香港行政長官選挙を終えて|周庭
2017-04-19 07:00
香港の社会運動家・周庭(アグネス・チョウ)さんの連載『御宅女生的政治日常――香港で民主化運動をしている女子大生の日記』。非民主的だと周庭さんが批判する行政長官選挙は、予想通りの結果を迎えることとなりました。しかし、選挙が終わると、予想外の事件が周庭さんを待ち受けていました。(翻訳:伯川星矢)
御宅女生的政治日常──香港で民主化運動をしている女子大生の日記第7回 香港行政長官選挙を終えて
前回、みなさんに香港の非民主的な行政長官制度を紹介しました。先日3月29日に行政長官選挙が終わり、新たな行政長官――林鄭月娥(りんてい・げつが/キャリー・ラム)氏が選出されました。
正直なところ、今回の選挙結果は完全に予想通りといえるものでした。行政長官選挙で勝つために最も重要なのは、一般市民からの支持ではなく、中央政府からの「祝福」だからです。選挙期間中、メディアはどの官僚が林鄭月娥氏を支持するよ -
三宅陽一郎 オートマトン・フィロソフィア――人工知能が「生命」になるとき 第零章 人工知能を巡る夢【不定期配信】
2017-04-18 07:00
ゲームAIの開発者である三宅陽一郎さんが、日本的想像力に基づいた新しい人工知能のあり方を論じる『オートマトン・フィロソフィア――人工知能が「生命」になるとき』。人工知能はいかにして誕生したのか。その背景となった西欧世界における医学・工学・哲学の発展史を踏まえつつ、人工知能と東洋的思想との接続の可能性について考えます。
1. 知能とは何か?
「知能とは何か?」という問いは人間の最も深淵な問いである。しかし、この問いを思索のみから探求することはできない。この問いの答えを得るためには、思索し、行動し、仮説を立て、実験し、実際に作ってみて、再び反省する、という哲学、科学(サイエンス)、工学(エンジニアリング)の絶え間ない連携した活動が必要である。それが人工知能という試みである。
この連載の出発点として、目指すべきところをあらかじめ明確にしておきたいと思う。この連載は全十回に渡って「知能とは何か?」を探求する。その方向は3つである。一つは「知能を解明する」という純粋なサイエンスの探求、一つは「知能を作る」というエンジニアリングの探求、一つは「知能とは何か?」を探求する思弁的探求である。この3つの探求を同時に行うというのが、人文科学、自然科学、哲学を横断する「知能学」そのものの姿である、この3つを少し詳しく見ていこう。
図 人工知能をめぐる活動
2. 3つの探求のクロスロード
「知能とは何か?」という問いは哲学的な思弁の深淵へ向かって軌道が伸びている一方で、実際に知能を作り出そうとするエンジニアリングの可能性の平野が広がっている。また作ることで知るのがエンジニアリングなら、知るために分解して行くのがサイエンスである。知能を知ろうというサイエンスは、多面的なサイエンスであり、一つの分野の形を取らず心理学、精神医学、生物学を横断している。また社会学、人類学、あらゆる人文科学は、「知能とは何か?」という問いの周りに展開された科学である。これが知能を巡る学問「知能学」の持つ地平である。
人工知能を生み出す人間の欲求は、科学、工学、哲学の3つの衝動に起因している。
科学的衝動 「人間や動物の知能を分解して理論を作りたい」
工学的衝動 「人工知能を作り出し、実際に世の中を変革したい」
哲学的衝動 「知能と人工知能の探求から、生きている意味を解明したい」
人工知能に関わる人々がこのような欲求を持つのは、人工知能が人間から独立した対象として生み出す機械やソフトウェアと異なる傾向があるからである。知能とは我々自身であると同時に、探求し作り出す対象である。この単純な事実が、通常の科学と人工知能の探求の様相を大きく異なるものにする。
図 人工知能をめぐる3つの欲求
我々は知能を内側から生きている存在である。人間という(自然)知能が(人工)知能を作り出そうとするというトートロジーの中に「人工知能」の開発の運動はある。人工知能を作ろうとする者にとって、知能は対象であると同時に、我々自身をもう一度作り出そうとする「鏡像構造創造的な体験」である。常に自己を見つめつつ、その写し姿を電子回路の中に掘り起こして行く。そこで人工知能という分野は、知能を対象化することでサイエンスとなり、 自らを探求するという意味で哲学的となり、それを作り出そうとする意味で工学的となるのである。
3. 知能感受性
知能には知能を感じ取る力がある。これを私は知能感受性と呼ぶ。知能を感じ取る力、この人はこんな知能があるな、この熊はこんな知能を持っているな、このキャラクターはこれぐらいの知能を持っているな、という総合的に知能を感じ取る力である。誰もが持っている力だが、適切な言葉がないので、こう呼ぶことにする。ゲームAI開発の現場で私が作り出した言葉である。ユーザーにこのキャラクターをどんなふうに知能として感じてほしいか、という点を実現することにデジタルゲームのAI開発は終始すると言って良い。
知能感受性は五感を基にするが、より高次の総合的な感覚である。知能は知能に対して厳格である。動物にせよ、生物にせよ、相手の知能を感じ取ることは自分の生存に切実に関わる問題だからである。初めて会った相手に、森で出会う動物に、敵に、どのような知能を感じ取るということで、動物は行動を決定するのである。
この鋭敏過ぎる感覚は時にあらゆるものに知能を見出すことになる。風に、森に、川に、あらゆる森羅万象に知能を感じ取る。あらゆるものに知能を見出すのが森の文化であり、所謂「八百万の神」感であり、あらゆる生命を横のつながりの中で捉える感覚である。一方で、砂漠の文化とは、極めて対象化され序列化された文化である。人工知能でいえば「神―人間―機械」という縦の知能の序列を与えることである。便宜上、前者の森の文化を東洋的、後者の砂漠の文化を西洋的と本書では呼ぶことにする。
4. 擬人化・自動化・知能化
「擬人化」という言葉がある。世界の中でいろいろなものを人に見立てて、話かけたり聴き入ったりすることだ。人は人の似姿を求める。ファンタジーや神話ではいろいろなものが人の似姿を取る。コンピュータが出現する以前から、人は自らの知能と良く似たものを作り出したいという欲求を持っていたのである。
一方で「自動化」という思想がある。人間の代わりに肉体労働・知能労働を「自動化する」という思想である。そういった欲求は当初は産業革命で「自動化」(オートメーション)という形で明確化され広められた。まずは身体の「自動化」がなされ、たくさんの機械たちが人間の代わりに力仕事を、ロボットは物理的な組み立ての仕事をするようになった。しかし、その本質的延長として人間の頭脳の中の活動も、同じ動力で再現できたら、というアイデアがあったことだろう。「フランケンシュタイン」(メアリー・シェリー、1818年)、「R.U.R.」(ロボットの語源、カレル・チャペック、1920年)、が書かれたのも、そんな産業革命以来の「自動化」の流れの中であった。
また「知能化」という概念がある。これは現在に第三次AIブームと呼ばれている2010年来の潮流の中で「ディープラーニング」と並ぶ最も大きな特徴である。「知能化」とは、ロボットやゲームキャラクターのように、一つの新しい知能をまるごと生み出す、のではなく、既にあるものに知能を付与する、というアプローチである。ドアに知能を付け登録した顔の人にのみ開く、デジタルサイネージ(電子ポスター)にカメラを付け前に立った人物を認識して広告を変える、自動車に知能をつけて自動運転をさせる、家電に知能をつけて入れたものを判定して自動的に食料や調理をアレンジする、などがそうだ。このように「知能化」によって、現実を変革していくというのが「知能化」である。
人工知能はこの「擬人化・自動化・知能化」の3つを内包しており、「エージェント化、オートメーション、インテリジェンス化(スマート化)」と呼ばれる。それぞれの背景には、錯綜した人間の人工知能への欲求が隠れている。
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【春の特別再配信】実写版映画公開(勝手に)記念! 宇野常寛×吉田尚記が語り尽くすパトレイバーの到達点と限界
2017-04-17 07:00
「2017年春の特別再配信」と題しまして、「アニメ」をテーマに編集部のおすすめ記事を再配信します。今回は 2014年に上映された実写版映画「機動警察パトレイバー」をめぐる、ニッポン放送アナウンサー吉田尚記さんと、弊誌編集長・宇野常寛の対談です。パトレイバーをこよなく愛する二人が語る、その到達点と限界、そして、いまパトレイバーに宿る可能性とは――!?(構成:三溝次郎/本記事は2014年4月17日に配信した記事の再配信です) 宇野常寛が出演したニコニコ公式生放送、【「攻殻」実写版公開】今こそ語ろう、「押井守」と「GHOST IN THE SHELL」の視聴はこちらから。延長戦 はPLANETSチャンネルで!(延長戦のタイムシフトは2017年4月18日(火)23:59まで)
10年以上ぶりの新作となる実写版『THE NEXT GENERATION パトレイバー』も公開され、話題沸騰中の「機動警察パトレイバー」。劇場版第二作『機動警察パトレイバー 2 the Movie』を人生でもっとも愛する映画の三本のひとつに掲げる批評家・宇野常寛が、またしても(勝手に) 実写版映画の公開を記念して対談を行います。
今回の相手は、宇野をして「自分の数倍パトレイバーを愛している男」と言わしめるニッポン放送アナウンサー・吉田尚記さん。パトレイバーを愛しすぎた男二人が語り倒す、その到達点と限界。そして現代日本に必要とされる“パトレイバー”とは……?
▲THE NEXT GENERATION パトレイバー/第1章 [Blu-ray]
ファースト・インプレッション~二人のパトレイバー体験
宇野 よっぴーのパトレイバー初体験は?
吉田 初体験は、たぶん初期OVAシリーズの1巻なんですよ。当時いた中高一貫校で、アニメーション研究会の人たちが上映会をやっていたのですが、たまに『トップをねらえ!』や「パトレイバー」をみたいなマイナー作品をやっているときがあって、そこによく通っていたんです。
そこで、たまたま初期OVAがまだ最後まで出切ってない時期に観ました。そのときから、パトレイバーは僕にとって人生で一番面白い作品です。もうどっぷりハマって、現在に至るまで飽きない。中学生くらいの頃って、そういうことがあるじゃないですか。
初めて企業ドラマや産業ドラマのような作品を観たのが、パトレイバーだったんです。現代社会と地続きにある大人の物語を、初めて自分でチョイスしたのだと思います。
僕は、『機動戦士ガンダム』を子どもの頃に浴びるように見ている世代なんです。でも、ガンダムは、自分でチョイスして観たものではない。そりゃ街に行けばガンダムの駄菓子はいっぱい売ってるし、ガンプラはおもちゃ屋に山のように積んであるし、チャンネルをひねるとしょっちゅう再放送をやってる。でも、そういうものとしてあるだけで、やはり僕らからするとガンダムはチョイスしたものではなかったんです。
しかも大抵は、中学高校になったときに、みんな一回アニメを卒業するじゃないですか。そのときに、卒業した子に「幼稚だよ」と言われても、卒業していない子の側だった僕が「いや、全然幼稚じゃないじゃん」と返せるコンテンツだったんですよ。
宇野 僕の場合は、最初に触れたのは、たぶんTV版ですね。小5か小6のときで、最初に観たのは第2話だったんですよ。第二小隊が召集されて配置決めのために模擬戦をやる話で、遊馬が野明にわざと負けてやったり、野明と香貫花が無駄に対抗意識を燃やして決勝戦で張り合ったりするんですよね。そんな若者の微妙な人間関係を後藤隊長が「これからどうしようかな」と見ている。そういう雰囲気が今までのアニメになかった感じがして、引き込まれていったのが最初ですね。だから当時は、なんとなくリアルで大人っぽいドラマとして興味をもったんですよ。当時のテレビドラマはトレンディドラマの全盛期だったので、ああいうのは薄っぺらいしあまりリアルには思えないんですよ。むしろ僕はパトレイバーの、あのぱっとしない第二小隊の面々のぱっとしない日常のほうにリアリティを感じていた。
それから2、3年経って中学生になったとき、初めて自分でビデオレンタルの会員証を作った際に、最初に借りたのがパトレイバーの劇場版(劇場版第1作の『機動警察パトレイバー the Movie』)なんですよね。レンタルショップで、「え、パトレイバーの映画なんてあるんだ」と感動するんですよ。当時はOSという言葉もよく知らなかったのだけど、レイバーがみんな同じプログラムを使うようになったとき、そこにウィルスが仕込んであると大変なことになるというのは、なんとかわかるわけです。そういう世界観って、バブルの頃の田舎の中学生には衝撃なんですよね。TV版の方は人間ドラマとして面白いというくらいだったのが、映画版で世界観にぐっと興味がいくわけです。
吉田 僕は「NEW OVAシリーズ」は、1話から10話までをVHSで持っていて、11話から16話までをLDで持ってるんですよ。この辺が自分の映像体験を物語るなあ、と思います(笑)。
宇野 物語ってますね(笑)。
吉田 当時、1話から16話まで揃えると貰えるグッズの中に、篠原重工のノベルティの電卓があったんですよ。このノベルティシリーズは種類が結構たくさんあって、その中にカードラジオとかもあったんですね。当時のグッズって、いいところで下敷きとかフィギュアですから(笑)、そこに篠原重工の電卓がきた瞬間に衝撃を受けるわけですよ。
しかも、よく見ると“昭和七十何年度創立 何十周年記念”とか書いてあって、それを学校で使っているのを見た友達が「ねえ、これ間違ってない?」と言うのを見て、少しニヤリとしたりする(笑)。そういう、「自分たちだけがわかっている」という感覚が当時ありました。現在では主流になっている、現実とフィクションの境い目を縫っていくようなことを一番始めにやった作品だと思うんです。
僕はその後、SFとかも好きになるわけですが、多くのSFのように社会批判だとは気付かせないんですよね。ロボットの魅力みたいな素朴なところで子どもを引き入れて、最終的に「一番やばいのは押井守だろ?」というところまで連れて行ってしまう感じも、パトレイバーの凄いところでした。
宇野 僕も、まさにそのルートですね。最初はキャラクタードラマとして好きだったのが、世界観の方に魅せられていってしまい、最終的には押井信者になっていく。
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