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ミドルサイズのメディアだからできること──「紙の雑誌」の身体性を次の世代につなぐ|宇野常寛インタビュー(PLANETSアーカイブス)
2024-12-06 07:00
今朝のPLANETSアーカイブスは、グラフィックデザイン誌『アイデア』で本誌編集長・宇野常寛が受けたインタビュー記事の再掲です。2021年秋に創刊した雑誌『モノノメ』はクラウドファンディングで資金を集め、インターネットでの直販と一部の書店などで販売しました。なぜいま「紙の雑誌」をつくるのか。『モノノメ』第3号を制作準備中の宇野に、紙媒体で発信することの難しさと可能性について語ります。(聞き手=アイデア編集部、構成=藤井亮一/初出:「アイデア No.407」)
ミドルサイズのメディアだからできること──「紙の雑誌」の身体性を次の世代につなぐ|宇野常寛インタビュー(PLANETSアーカイブス)
──宇野さんはこれまでにも批評誌『PLANETS』を継続的に刊行してきました。主宰する出版社では多彩な書籍を刊行されていますし、ウェブマガジンやポッドキャストなどを使ったオンライン上での発信も続けています。なぜあらためて「紙の雑誌」である『モノノメ』を創刊されたのでしょうか。
2005年に創刊した『PLANETS』はインディペンデントで立ち上げた雑誌です。最初は同人誌でしたが、商業誌として流通するようになってから10年以上が経っています。2014年には版元として法人化し、落合陽一(*1)さんの単著を始めとする単行本も出版してきました。商業出版の経験を積んだうえで、あえてインディペンデントな流通に戻そうと思ってつくったのが『モノノメ』です。ちょうどコロナ禍が始まった頃から、SNS上の言論空間はいままで以上に息苦しくなりました。インスタントな承認欲求を満たす道具としてSNSはコストパフォーマンスがよすぎて、物事そのものについて考えなくなりました。つまり問題を解決することや再設定することではなく、どうコメントしたら自分の株が上がるかだけを考えるようになった。だからSNSのタイムライン大喜利から距離をおいて、自分の個人的な思考だけを追求したものをつくりたかったんです。ウェブマガジンは記事単位で読まれて完結してしまいますが、紙の雑誌であれば特定の記事を目的に購入したとしても、別の記事に出会うことがある。森に入って虫に刺されるような、事故的な世界の広がりを目指して雑誌をつくりました。
──Amazonや大型書店チェーンには卸さず、一部の信頼できる書店や直販ECショップでのみ販売するという流通形式も話題になりました。
流通を絞ったのは、本当に届けたい人にだけ届けようと思ったからです。ただ、このアプローチは成功したとは言いがたいですね。なかなか狙い通りに、読者を広げていくことができなかったと感じています。小規模出版社にとって特に大変なのは、流通です。当初は独自流通で頑張っていましたが、試行錯誤の結果としていまはトランスビュー(*2)とe託(*3)の合わせ技にしています。この会社の規模にあった流通形態を模索していて、次号の『モノノメ』はAmazonでも売ることになると思います。
──『モノノメ』の編集体制を教えてください。
創刊号と第2号は『PLANETS』の延長線上で制作しました。基本的には、ぼくと社内の常駐スタッフ3人くらいが関わっていて、外部の編集スタッフがひとりかふたり入るような体制です。ぼくも社員もその他の業務がいろいろあるので、状況に応じて少しずつコミットし
ています。2022年3月に2号を出してから、3号がなかなか出せていません。最大の理由はぼくが忙しいからで、それもあって3号では体制を刷新しようと考えています。もっと若い外の血、フリーランスや副業参加の編集スタッフを入れたいんです。
──なぜ若い世代を編集メンバーに入れたいのでしょうか。
こういう雑誌の編集長というのは、30代なかばくらいのする仕事だと思うんですよ。ぼくはもう45歳で、相対的に自分個人の書く仕事への関心が高くなっているし、若い世代の書き手との感覚的な断絶も感じています。10年くらい前に落合さんと出会ったとき、もう若手ではいられないなと思いました。いまは、落合さんや三宅香帆(*4)さんのようなぼくよりもずっと若い世代が台頭してきている。自分がおもしろいと考えるものをストレートにつくるだけでは、広がりがでないと思ってるわけです。だから、編集体制をもっと若返らせようと。それに、いまの若いフリーランスの編集者ってウェブメディアの仕事が中心なので、紙のデザインの経験が決定的に足りていない。ウェブって差し替えが簡単にできるから、画像の選定をほとんど考えていないような媒体が多いんですよね。紙のデザインでは、紙面に文字が多いから少し抜けた画像を載せようとか、あるいは逆に読者にストレスを与えるような画像を載せて視線を留めたいとか、画像を使って読むという体験を操作することができる。これって雑誌というメディアが消えても応用できる技術ですよね。紙の雑誌であること自体が大事というわけじゃないんです。ただ、ウェブメディアよりも一段階上のヴィジュアル管理が要求されることや、物理的なものをつくる工程管理といった経験は、単にテキストコンテンツを編集しているだけでは得られません。若い人にそれを伝えることには意味があると思っています。
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10年目の東北道を、走る|宇野常寛(後編)
2023-03-21 07:00
あの日から10年が過ぎた夏、僕(宇野)は石巻と気仙沼に暮らす二人の知人を訪ねることにした。その中で歩いた仙台、閖上、女川、そして陸前高田。10年後のいま、これらの土地を走ることではじめて見えるものたちとは。いまだ「復興」が続く土地で闘い続けるヒーローたちとの旅の記録。前編はこちら。(初出:『モノノメ 創刊号』(PLANETS,2021))
10年目の東北道を、走る|宇野常寛(後編)
石巻のヒーローたち
石巻は、10年前に僕が歩いた被災地の一つだった。石ノ森章太郎の生家に近く、少年時代の石ノ森は文化の香りを求めて郷里の山村から本屋と映画館のある石巻に通い詰めていたという。このような特別な関係から、石ノ森の愛したこの国の「萬画(石ノ森はマンガという文化の多様化と成熟を理由に、この字を充てていた)」の歴史と精神を伝える美術館が、この街に建てられている。僕が10年前にこの街を訪れた理由の一つが、この石ノ森章太郎と石巻の関係にあった。僕は当時石ノ森が生んだヒーロー──特に仮面ライダー──についての批評を書いていた。震災が起きて、津波が石巻を襲って、たくさんの人が死んだ。この街には石ノ森が生んだヒーローたちの像が街のあちらこちらに立っていたのだけど、その大半がこのとき一度流された。しかしそれでも、ある仮面ライダーの像が奇跡的に残っていた。僕はそのことをある新聞記事で目にして、この街に足を運んでみようと思ったのだ。この手の扇情的な記事に心を動かされたというよりは、その記事に添えられた写真の風景──廃墟に立つ仮面ライダー──を目にしてみたい、という不謹慎な動機が僕を動かしたのだ。 そのときのことを、僕は鮮明に覚えている。僕は友人とタクシーをチャーターして、まだ瓦礫も撤去されていない石巻の街を見て歩いた。そのとき、タクシーの運転手──当時50代半ばに見えた男性──は、津波で壊滅した市街地を案内しながらこう言った。「このあたりは、津波が来る前からダメだったんだ」と。そこは地方都市にありがちなシャッターの下りた、さびれた商店街だった。そこに津波が押し寄せてきてすでに経済的に、文化的に死んでいた街を物理的にも殺したのだ。 あれから10年──「復興」したはずの石巻の街は、やはりさびれていた。あの津波から生き残ったであろう、レトロモダンな店舗兼住宅の大半にシャッターが下りていた。何のために、この街は復興したのだろうか、と僕は思った。この街に来る途中で、僕たちはおそらくは人間が居住するには相応しくないと判断されたであろう沿岸の地区を高台から見下ろしていた。そこは近代建築の白と公園の緑に塗り分けられ、無菌室を思わせるクリーンで、そして無機質な明るさに満ちていた。それは古い漁師町にはお世辞にも似合うものではなかった。しかしこれがこの10年で、この街の人たちが(少なくとも民主主義の建前としては「選んだ」)復興の姿だった。人が住むのは難しいと判断した土地には無菌室のような公園を新造し、そして津波が来る前からさびれきっていた商店街をそのまま復興する。それがこの街の10年だったのだと僕は思った。そしてそんな2021年の石巻の街を、石ノ森章太郎の生み出したヒーローたちが見守っていた。
石巻の駅の前には大きなビルがある。もともとそこは震災の10年以上前にできたデパートだった。街の外側の資本が強引に、地元の商店街の反対を押し切って進出したものだった。そして、デパートと商店街は共倒れになった。そもそも衰退していた商店街はデパートに客足を奪われてとどめを刺され、そしてデパートもまた想定した利益を上げることができずに撤退した。気がつけば、石巻の商業の中心は少し離れた場所にあるイオンのメガモールに移動していた。デパートは罪滅ぼしのように、店舗ビルを寄付して去っていった。石巻市は市役所機能をそのビルに移したが、1階に何のテナントも入ることなく、「空き家」状態が2年以上続いた。それを見かねたイオンが、半ば土地への救いの手として温情的に入居した。こうして、石巻は駅前にイオンと一体化した市役所が立つ街になった。そしていま、その入り口を仮面ライダーV3が仁王立ちで守っている。仮面ライダーは、ある意味においてまだ廃墟の上に立っていた。
必要なのは「復興」ではない
そして、僕たちはそのさびれたものをそのまま復興した商店街の中のある場所を訪れていた。「IRORI 石巻」と名付けられたそこは、「石巻2・0」と名付けられた運動の拠点だ。この旅の目的の一つが、この10年間、この運動を主導してきた人物──松村豪太さん──に会うことだった。
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10年目の東北道を、走る|宇野常寛(前編)
2023-03-14 07:00
あの日から10年が過ぎた夏、僕(宇野)は石巻と気仙沼に暮らす二人の知人を訪ねることにした。その中で歩いた仙台、閖上、女川、そして陸前高田。10年後のいま、これらの土地を走ることではじめて見えるものたちとは。土地と人間の関係について改めて考える旅の記録。(初出:『モノノメ 創刊号』(PLANETS,2021))
10年目の東北道を、走る|宇野常寛(前編)
10年目の、旅のはじまり
2021年の夏がはじまろうとしていたある日、僕は編集部のスタッフたちと東北地方へ旅立った。より具体的には、あの地震と津波で被災したいくつかの土地に向けて出発した。10年の時間が過ぎて、3月11日の節目が終わって、復興予算も削られて、復興を旗印に誘致されたはずのオリンピックからはいつの間にか復興という主題が消し去られてしまって、あらゆる意味で忘れられようとしている土地を、僕たちは訪ねることにしたのだ。 僕たちの旅は、最終的には二人の人物に会うことを目的にしていた。一人は、僕の高校の先輩にあたる人物で、もう一人は個人的に参加している研究会で知り合った人物だった。そしてどちらも、民間に生きる市民の立場から津波の被害を受けた地元の街の復興に携わっていた。僕は彼らの話を、彼らが暮らす街に身体を運んだ上で率直に聞いてみたい。そう考えたのだ。 そして僕は地図を広げて、二人の暮らす石巻と気仙沼を中心にその周辺に足を伸ばす計画を立てた。旅に出る前に最初に決めたことがある。それは「いい話」とか、「ひどい話」を探しに行くことは絶対にしない、ということだ。ただその土地を歩いて、目にして、耳にして、触れたものを淡々と記録すること。その上で、その意味を考えることをこの旅のルールにした。 そして結論から述べると、僕たちが触れた東北の街は、山は、海は、とても美しかった。両親ともに東北(青森と山形)の生まれで、自分も八戸で生まれている僕は夏の東北──と言っても、あの広大な地域のひとつひとつの土地はそれぞれまったく違う顔を持っていて、僕が知っているのはそのうちいくつかに過ぎないのだけど──が、とても気持ちのいい場所であることを経験している。しかし、そこに展開されていた人間の世界は、人間同士のネットワークは閉じていて、ねじれていて、不必要に絡まっていて、その結果としてその土地に暮らす多くの人々と、その土地との関係もひどくゆがんでしまっている。そう、僕は改めて感じた。 ここに載せた写真は僕たちが目にした土地の姿をそのまま写し取ったもので、そして僕の文章はその土地の姿を直視できない、どこかでゆがんでしまった人間の世界のことを記述したものだ。カメラのレンズと人間の目、このふたつの視界の間にある落差を、感じてもらえたらと思う。そして、このふたつの視界をどう結び直すかを、一緒に考えてもらえたらと思う。
荒浜と閖上──異界の海と空
僕たちが最初に訪れたのは、仙台市の郊外の荒浜だった。震災前、ここは夏に海水浴客で賑わう場所だった。およそ800世帯、2100人ほどが住んでいた集落は、10年前の津波でほぼ完全に流され、約1割にあたる186人が死亡した。集落は復興されず、住民は内陸に移住し、海水浴場も閉鎖されたままだ。避難場所として多くの住民の生命を救った荒浜小学校は廃校となり、その校舎の遺構を中心とした公園開発が進行している……ということだったが、実際に足を運んだ僕たちが目にしたものは端的に述べれば廃墟、だった。いや、それは廃墟ですらないだろう。すべては10年前に流されてしまって、そしてその流された跡は最低限の地ならしがされただけで(計画はあるのかもしれないが)放置されていた。そこにあったのは、ただただ広い空と、砂浜と、そしてその砂浜から続く平坦な荒れ地だった。仙台は市街地を抜けるとすぐ田園が広がっているのだけれど、その水田が海に近づくと麦畑になり、そしてある地点からこの放置された荒れ地になる。その先に、このかつて海水浴場だった砂浜が広がっている。砂浜には名前の知らない雑草が密集していて、それらが黄色い穂をつけて揺らいでいる。圧倒的な空白がそこにあって、それを松たちが見守っている。10年前の津波で、不自然にある地点から下の枝を失って、歪んだ松たちだ。自然のもたらした不自然な空白。明るい異界。人間の世界と地続きなのだけれど、切り離された土地。明らかにそこは、僕たちの生活世界とは異なる論理で記述された場所だった。僕はそこを歩きながら考えた。もし自分がこの土地に暮らしていて、中学生か高校生くらいの年齢だったらときどき、自転車に乗って一人でここを訪れて本を読んで過ごしていただろう、と。そして、この異界は誰か意図して作り上げたものではない。ただ、自然がそうしただけのものを、人間の知恵と力が追いつかなくて放置していた結果そうなっているだけだった。
僕たちはその足で名取市の閖上(ゆりあげ)という土地へ向かった。ここもあの津波で集落がほぼ丸ごと流されて、跡形もなくなっていた場所だった。犠牲者は700人以上に達した。僕たちは復興のアイコンとなった「かわまちテラス閖上」と名付けられた、土地の食材を扱う店舗を中心としたショッピングモールを見学した。そこは、たぶんありったけの祈りと、被災をバネにこの土地をもっと豊かで、気持ちのいい場所にしたいという前向きな願いがぎゅっと詰まったような、細部までしっかりデザインされた空間と建物だった。しかしコロナ禍の影響か人影はまばらで、印象的なのはその周囲の、荒浜と同じように事実上放棄された荒れ地のほうだった。 そこには、大量の消波ブロックが並べて保管してある場所や、整地だけされて何年も放置されているであろう雑草の目立つ場所が点在していた。人間たちはこの土地に暮らすことを諦めていた。そして暮らす代わりに、何かを作ろうとはしているようだった。しかし、10年経ってもそれがかたちにはなっていなかった。流されたあとに、何を作ってよいかわからない。そのことが、この国が直面している貧しさのすべてを表しすぎているように僕には思えた。
僕たちは荒れ地を抜けて、近くの大きなイオンモールに入って、スターバックスのラテとユニクロでセール中だった春物のアウターで冷えた身体を温めた。その日は夕方が近くなると、海風は一気に冷たくなって、僕たちの手足の筋肉はすっかり固くなっていた。荒れ地の中に設けられた広い道路を走ると、「津波ここまで」と書かれた標識があって、そしてそこを通り過ぎて少し走ると見慣れた風景が──ロードサイドに大型の量販店が立ち並ぶ、あのどの地方にも見られる変わり映えのしない風景──が広がっていた。しかしその見慣れた景色が、疲れた僕の身体には少し優しく映った。
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すでにサイバースペースの半ば支配下にある実空間において、建築的アプローチの果たすべき役割とは|宇野常寛
2023-02-14 07:00
本日のメルマガは、PLANETS編集長・宇野常寛の情報社会論をお届けします。Web2.0の失敗は、実空間に対してどのような影響を与えたのか。情報社会が抱える諸問題に対して、サイバースペースと実空間の双方から取れる抵抗戦略を提示します。(初出:『建築と社会』誌2022年8月号)
すでにサイバースペースの半ば支配下にある実空間において、建築的アプローチの果たすべき役割とは|宇野常寛
編集部から2030年に考えられる社会と文化の変化について、というテーマを受け取ったのだが、これが悩ましい。もちろん、相応の説得力のある賢い文章をその回答に充てることはそれほど難しくない。データの羅列と、それを意味づける横文字によってその説得力を増すことも、手間はかかるがある種の語り口がテンプレートとして確立しているので精神的な労力はむしろ低くて済むだろう。しかし、私に求められているのは「そういうこと」ではないはずだ。文化批評に足場を置く私がここで述べるべきは、むしろ建築という領域から社会にアプローチする際につきまとう、目に見えない不安のような予感を門外漢だからこその視点で言語化することではないかと思うのだ。それは端的に述べれば、もはや建築的なアプローチは社会を得る力を持ちえない、という予感なのだと思う。
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宇野常寛インタビュー<情報過多の時代に市民(=主体)はどうあるべきか>
2023-01-10 07:00
明けましておめでとうございます。今年もPLANETSをよろしくお願いいたします。新年最初のメルマガは、PLANETS編集長・宇野常寛の特別インタビューをお届けします。最後のフロンティアとして20世紀末に登場したインターネットが、逆に人々を閉じ込めている現代社会。その「外部」はどこにあるのか、長いコロナ禍の中で熟成させてきた思考を展開してもらいました。(初出:「週刊読書人」2022年11月4日号(3463号))
情報社会における市民=主体はどうあるべきか
──パンデミックの蔓延、人々のインターネットへの常時接続、未曾有の状況の前に放棄された思考、民主主義という制度に支持された監視と統制……閉塞した現状をいかにして開くことができるのか。その思考実験が、異人たちの人生と思想を通じ、弛まず繰り返される本でした。
宇野 この本はコロナ禍の中で書かれた本で、その影響はやはり大きいです。ただ、僕の関心はたぶん世間とはかなり変わっていて、このパンデミックがインフォデミックに支えられていたことにあります。たとえば「コロナは風邪に過ぎない」とか、「特定の国家の生み出したウイルス兵器だ」といったデマや陰謀論が随分と流布し、影響力を持ちました。これらの言葉を信じた人は、単に愚かだったというよりは「わからない」ことに耐えられなかったのだと思います。二〇二〇年の時点で、COVID-19は人類にとって未知の存在でしたが、それをどうにかして理解可能なものにして受け止めるために、デマや陰謀論に縋ったのだと思います。また、「新しい生活様式」は新しい格差を生むと批判する人たちは、「新しい再分配」を進めるよりも「古い生活様式」に回帰することを主張しがちです。格差を批判する割には、感染爆発のときエッセンシャルワーカーがまっさきに犠牲になることには無頓着です。これは一例ですが、こういう端的に愚かな言説が支持を集めてしまうのは、要するに人間がウイルスという問題そのものにはほとんど関心をいだいていない、というか直視できなかったという現実があったように思います。人間は、新型コロナウイルスという未知の物事との手探りのコミュニケーションから逃避して、代わりに正解のわかっている人間間の相互評価のゲームに逃避したのだと思います。
ただ、正確には、コロナ禍はこの傾向を加速しただけで、それ以前から現代人はSNSの相互評価のゲームに没入して、物事そのものには触れられなくなっていたはずです。SNSのプラットフォームが普及して以降、人間はある問題に対してその解決法を探ったり、問題そのものの妥当性を検討するよりも、どう解答すると他のプレイヤーから評価を獲得できるかを考えるようになった。これが、ほとんどのプレイヤーが情報発信の能力を持つ社会を支配する相互評価のゲームです。たとえばこの国の民主主義にしても、この国の第二極は、支持者向けの言論ポルノとして第一極への対決姿勢を示し過ぎている、と批判されます。ところが真の野党を作らなければいけないと主張する第三極も、結局同じことをしている。第一極に対し劣勢な第二極を後出しジャンケン的に嘲笑することで、コンプレックス層を動員することに夢中になってしまっている。しかし残念ながら、全ての人が発信能力を持つこの相互評価のゲームにおいては彼らの戦略は有効なものでほとんど定石と言っていい。
この相互評価のゲームでは、既に大勢の人が話題にしている内容にコミットすること、そしてその話題についての主流派の意見に対してYESと言うかNOと言うか、潮目を読んでどちらかの意見を扇情的に投稿することが、最も簡単に承認を得る方法です。そのことに危機感を持って『遅いインターネット』では、二十一世紀初頭におこった送り手と受け手が明確に分かれていたメディアの時代から、全てのプレイヤーが受信者と発信者を兼ねるプラットフォームへの変化について、メディアの立場から介入してみたいと考えました。そして今回の『砂漠と異人たち』は、そこから一歩推し進めて、情報社会における市民=主体は、どうあればよいのかを考えてみようとしたのです。
今までとは違う言葉で話すこと
──民主主義とは「承認の再分配の装置」であり、Somewhereにとっての「世界に素手で触れる手触りを与える装置」だとも書かれていました。
宇野 この社会をとりまくゲームは二層構造になっています。イギリスのジャーナリスト、デイヴィッド・グッドハートは現代のクリエイティブ・クラスのような「どこでも」生きていける人々のことをAnywhere、前世紀の労働者のような「どこかで」しか生きていけない人々をSomewhereと呼んでいます。
現代の資本主義社会で、世の中を自分の手で変え得ると実感できるのは、グローバルな情報産業や金融産業のごく一部のプレイヤーだけです。彼らは国民国家という枠を超えて、グローバルな資本主義にコミットし、求心力の強いサービスや商品を投入することで、世界中の人々の生活を直接変えていきます。
かつてはTBSの日曜劇場のような世界観が生きていて、モノづくりを中心とした作業に従事することで、一労働者が国の経済発展に寄与し世界に関われていると実感できていた。しかしいまは、世界を前進させている産業はグローバルなものに変っています。このような社会では民主主義が、Somewhereが世界に素手で触れるための数少ない回路になっているんです。
人々が政治的に声をあげることは、一概に否定すべきことではありません。ただ自分が世の中に関わり得る証のために、手段ではなく目的として、政治的発言を消費する人たちはまた別の話です。敵対勢力への攻撃的な政治的発言を通し、ほかのプレイヤーから承認を得ようとするときに、デマや陰謀論に取り込まれやすい。こうした動きが現在世界中で観察されています。
──「ハラリの語る妥当さの無力と、ウエルベックのパフォーマンスの哀しい空回りのあいだに、いま僕たちは生きている」とありました。多くの人が、自分が信じたいものを信じ発信する時代に、シンプルな主張を伝えることがいかに難しいのか、つくづく感じるところです。
宇野 たぶんハラリも、正しい言葉が人を動機付けないことなどわかっているんです。ただ一方にオードリー・タンのような彼から見ればやや踏み込みすぎた技術主義者が現れたときに、自分たちの現状を確認するための良心的で常識的な発言を、国際的な知識人として繰り返さざるを得なくなっている。対してウエルベックの露悪的なパフォーマンスは二〇世紀文学の言葉が、この現実に対して無力であることを自覚しているためのものだと思うのだけれど、結局は自分はなにもかもわかっている人間なのだと自分に言い聞かせたい人の、幼稚なナルシシズムへのヒーリングにしかなっていない。
世代の違う二人のパフォーマンスは、いままでとは違う言葉で話さなければ、この状況の突破口を探すことは難しいと感じさせます。僕はハラリと同世代ですが、ハラリのような責任は幸いにして負っていないので、もっとミーハーで不真面目な言葉も用いて、この状況に一石を投じられないかと考えているんです。
──第二部のロレンス篇は、一緒に走らせてもらったかのような読後感でした。この旅の過程でどんどん景色が変わり、時には景色を堪能するために速度を落としたり、回り道したり……。そして、衝撃の結末が待っていました(笑)。
宇野 そこはぜひ、本で読んで楽しんで欲しいです(笑)。
高校生のときに、映画『アラビアのロレンス』を観て以来、ずっと興味をもっていて、いつかロレンスについて書きたいと思っていました。コロナ禍でロレンスのことをより考えるようになったのは、彼が世界の「外部」を目指して、砂漠に向った人物だったからです。現在のインターネットによってもたらされる閉塞とは、外部幻想の飽和なのだと思うのです。
そもそもコンピュータは、フロンティアの果ての西海岸で生まれた、革命の世紀の敗北の落とし子です。自己の内面の変革から世界の見え方を変えようとした、ヒッピーカルチャーの一ジャンルがシリコンバレーの源流の一つです。サイバースペースはそもそも、資本主義の外部を捏造するはずだった。それが二十一世紀に入り、新たなフロンティアとして資本主義に取り込まれ、結果人類をより強く縛り付ける繭になった。インターネットはその成立ちから、社会の外部にはなり得ぬ装置だという皮肉です。
僕の中で外部幻想によって自壊した人間の象徴がロレンスだったので、彼について書くことで、シリコンバレー的夢の破綻に、現代人はどう向き合うべきかが探れるのではないかと考えました。
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宇野常寛インタビュー<僕たちの自由のための戦い>
2022-11-25 07:00
本日のメルマガは、PLANETS編集長・宇野常寛の特別インタビューをお届けします。「水曜日は働かない」ことで実現する社会との関わりや「議論」のあり方、ライフスタイルの変化にとどまらないその真髄が語られます。(初出:週刊読書人2022年7月8日号)
【イベント情報】本日19時〜青山ブックセンター本店(渋谷)にて、宇野常寛が浅生鴨さんと対談します。題して、“それっぽい「いい話」と、この悪いやつを叩き潰せという怒号にあふれたこの世界を生きるために、「情報」との付き合い方をもう一度考えてみよう”。浅生さんの新刊『ぼくらは嘘でつながっている。』&宇野の新刊『砂漠と異人たち』の発売記念イベントです。たくさんの方のご参加をお待ちしています!お申し込みはこちら。
宇野常寛インタビュー<僕たちの自由のための戦い>
引き算から始める、自分デザインの暮らし方
──この本は宇野さんの日常から語り起こされ、多様な要素が入り交じりながら、読み進むと一続きのメッセージが立ち上がってくるようです。改めて批評とは何かということを感じさせられる本でもありました。
宇野 数年前からエッセイ的な語り口が、今の自分に必要なのではないかという思いがありました。SNSが浸透して誰もが手軽に発信できるようになり、多くの人が自分の半径五メートル以内のことを饒舌に語るようになっています。たとえばコンビニで出会ったマナーの悪い客に対して腹を立てたとか、韓国料理屋でおいしいキムチクッパを食べたとか。また天下国家についても饒舌に語りますよね。イーロン・マスクのツイッター買収について、ウクライナ情勢について、あるいは岸田政権の支持率について。SNSで天下国家についてひたすら怒っている人たちもいますが、どうも自分でものを考えているようには思えない。半径五メートルと天下国家の話が、乖離しているように見えます。インスタントな承認を獲得するためにSNSのタイムラインの潮目を読んで、既に話題になっているものに言及し、その中で支配的な論調にイエスと言うかノーと言うかを選択しているだけなのではないか。
そうだとしたら忌々しき事態で、そこからどのように言論を回復していくのかを考えると、自分が手で触れて実感できる半径五メートルの世界が、天下国家の大きな話に繫がる回路が必要なのだと思うんです。
だから、僕はこんな距離感と進入角度で、普段の暮らしから世の中をこのように見ているのだと、国や社会を考える筋道を、面白く肯定的に示したいと考えています。この本はその試みの一つなんです。
──本のタイトルにもなっている「水曜日は働かない」は、画期的な宣言であり提案ですね。水曜を休みにすることで、全ての曜日が休日に接続するという。コロナ禍の生活環境の変化にも即しているように思います。以前、英文学者の外山滋比古さんが、週休二日制になって人々は日曜に憂鬱になるようになった、と言っておられたのを思い出しました。日曜だけ休みだった時代、土曜の半ドンが程よく楽しかったそうです。「水曜日は働かない」という言葉は、時代を映す社会批評にもなっていると思います。
宇野 僕が「水曜日は働かない」と言い始めたのは二〇一九年後半ですが、その後コロナ禍となり「暮らしかた改革」などと言われるようになりました。ただいわゆる「週休三日制」は、金曜か月曜を休みにして三連休を作ろうという話です。二日休むのと三日休むのとでは回復力が違いますし、それも一案だと思うのですが、その上で僕が「水曜日を休みに」と言うのは、ハレの日とケの日を分けないという考えからなんです。つまりキラキラした休日を過ごすために、労働者として暗黒の平日を生きるというのではなく、ウィークデーにも自分なりの楽しみをもって、自分で自分の暮らし方や働き方をデザインしていきましょうよと。それで週の真ん中の水曜日を休みにするという、休日と平日の境目がなくなるような提案をしているんです。
──一方では、「水曜日しか働かない」とか、「水曜日すら働かない」と言っておられます。仕事とは、宇野さんにとってどのようなものですか。
宇野 そうですよね(笑)。そういう意味では、僕は世界とのチューニングがうまくいっている方なのかもしれません。休日に、旅行に行くとか、映画館に行くとか、そういう時間の使い方も時にはしたいけど、もっと何でもないことをして過ごしたい。まず午前中に街を走って、お昼は少しも妥協せず好きなものを食べて、お風呂に入って一休みした後に、好きなカフェで書き物をしたいんです。そして夜は好きな本を読んだり、映画を見たり、模型を作ったりして就寝するというのが、僕の理想の休日です。僕にとって仕事の一部である執筆が、休日にしたいことの一つでもあるんですよ。
もともとサブカルチャー批評から出発しているので、社会に物申したいとか、著述業で有名になりたいというのではなく、この作品の素晴らしさを世界に訴えられなければ討死!! みたいな、若者特有の思い込みに駆動されていた時期がありました。自分の外側にある大事なものへの愛を追求した結果として、社会と接続することになったんですよね。若い頃はそれが生きづらさでもあったけど、四十歳を過ぎてこういう社会との繫がり方もありなんだと思えるようになった気がします。
──「水曜日は働かない」もそうですが、目次に「ない」「ない」「ない」と、否定が並ぶのが面白いですね。「マラソン大会は必要ない」けど他に大事なものがあるとか、「僕たちに酒は必要ない」けど代わりに必要なものがあるとか。引き算のうまさを感じました。
宇野 世の中には、誰かや何かを排除することでメンバーシップを確認したり、自分がマジョリティの側にいることを確認して安心するという、分断を生む否定が多すぎる気がしています。僕は引き算は、気軽に物事を始めるために使うべきだと思うんです。たとえば社会人のキャリア相談や大学生の就職活動セミナーでは、自分のやりたいことをみつけて、夢に向かって目標を立てて邁進しなさい、というようなことを言われます。でもそれでは何かを始める前に、足し算、足し算で息苦しくなると思うんです。そうではなくて、いやいや飲み会に行くのを止めてみませんかとか、親に言われたからって持ち家を買うことを、必ずしも考えなくていいんじゃないですかとかね。そうすべきと思われていることを一回やめてみると、社会との間に距離ができて、自分の中に余裕が生まれます。その余剰で、自分に必要な何かを足すことが、初めてできるのではないかと思うんです。
ここからどこにでも行けると思えるメディアを
──「僕たちに酒は必要ない」の「リア充」の使い方も面白く気になりました。「リア充」とは充実した私生活を送る人への羨望と揶揄が入り混じるような言葉かと思います。宇野さんが敢えて、これからリア充自慢をしますと宣言し、その先で、ソーシャルメディアに動員されない生活の楽しみや新しい文化の発見について語るのを、面白く読みました。
宇野 「飯の友の会」の話ですね。僕が主宰するPLANETS CLUBでは、勉強会の他、メンバーが自主的に企画して、皆で軽井沢へ走りに行ったり、美術展に行ったりすることもあります。そもそも僕はコミュニティが苦手な性質ですが、それでも大人同士が趣味を通じて楽しく過ごす回路を、この社会の中に作ることは意味があるのではないかと思うんです。誰でもちょっとした前向きさがあれば、日常に充実した楽しみを発見できることを示したかったし、「リア充」に対してエクスキューズとわかる書き方をすることで、笑い飛ばしていい言葉なんだと示したかった。あるいはエクスキューズを入れなければ揶揄されるような世の中って嫌だよねとか、そんないくつかの意図を込めています。
──雑誌『モノノメ#2』の話になりますが、「観光しない京都2022」の、久世橋の話が響きました。久世橋という観光的にはなんでもない場所に、宇野さんはいつも来たくなるのだと。「この場所は僕にいつも、自分はここからどこにでも行けるのだと思わせてくれた」。「ここからどんな場所にも、物事にもつながっていく。そう思えるメディアをつくりたいと自分は思っていたのだ」、この言葉にハッとさせられました。
見田宗介さんは若い頃、「アンチテーゼは一見フレッシュでオリジナルに見えるけれど、それはただの流行商品で、ネガティブな思想は結局弱い」と語っておられます。現状を捉えながら常にその先を示そうとされたようです。見田さんの思想と同じワクワク感を、久世橋についての宇野さんの言葉にも感じました。
宇野 何でこの橋が好きなのか、自分でも長いこと不思議に思っていました。京都に住む直前は、北海道にいたのですが、北海道では隣町に行くのに半日かかるから、覚悟を決めて出かけないとならないんです。京都に越して、隣の町に日帰りで行けるという感覚が、新鮮に蘇りました。そういう感覚と相まって桂川の水脈が──鴨川と木津川、その先で淀川に合流し大阪湾へと注ぐのですが──自分はどこにでも行けるのだと思わせてくれたんですよね。
久世橋は、本当に何でもない橋です。でも「イナイチ」と通称される、京都から阪神に抜ける国号171号線にかかる橋だから、地元の人はみな知っています。あの橋が何かの理由で不通になると、京都の物流はまずいことになる。久世橋は、ハブなんです。
ぶらぶら散歩していて楽しいとか、カフェでゆっくり本を読みたいのは、京都中心部の鴨川付近です。でもメディアの仕事は、久世橋的でなくてはならない。これには自戒も込めていて、『モノノメ』は責任編集の個人のカラーの強い媒体なので、どうしても僕の理想の世界を見せるようなものになっていくんです。それがよさでもあると思うのですが、いかにも「宇野らしい」というような予定調和に落とし込むことは避けたい。雑誌であるからには、結論が出ずに判断が保留になっているものとか、当りか外れかまだわからないけど、何か予感を抱かせるものを、積極的に入れていかなければならない。そう思っています。
共進化と無関心的歓待の公共空間
宇野 見田宗介さんの話が出ましたが、『群像』七月号から「庭の話」という連載を始めました。それには、見田さん=真木悠介さんの『自我の起原』から引用しています。この本は進化生物学のリチャード・ドーキンスにインスパイヤを受けた、真木さんのロマンチックな哲学が展開するもので、もっともめざましい高度な共進化の例として、ミツバチとクローバーの関係が挙げられています。何が素晴らしいと言って、花は自分の繁殖のために、虫という異種を誘惑するようにできているんです。そして認知能力が優れている人間は、その高度な共進化の豊かさについて理解し、だからこそ花を美しいと思うのだと言うわけです。そうした想像力がなければ、遺伝子を残すことに直接貢献しない、宗教や文化といった社会的活動を、人間が持つことはありえない。人間には花を美しいと思える回路があるからこそ、宗教や文化が展開するということになります。僕はこの見田さんの考え方が好きなんです。
現在の情報社会では、同種を誘惑し合うゲームに多くの人が勤しんでいます。そのことが物事に対するアンテナを低くしてしまっている。人間を人間たらしめるのは、同種間の相互評価のゲームを超えたところにある、むしろ自己滅却の欲望とか、究極的には死への想像力みたいなものなのではないか。人間の認知能力は、自己の保存の快楽と同時に、他者による自己の解体の快楽も理解することができる。「花」的コミュニケーションの多様な豊かさは、表現に関わる人間として忘れてはいけないと思っています。
人間同士の相互評価のネットワークの外にあるのは、モノやコトです。それは時に久世橋であり、ウルトラマンの怪獣フィギュアであり、東京の森のカブトムシ採集であるわけですが、物事にしっかり接続されたメディアを作ることが、僕のポリシーです。
多くの人が、人の顔色を見て発言しすぎているし、タイムラインの潮目を読んでいるだけで、物事そのものを語っていない。物事そのものに接続しないと、思考は鈍り、世界はどんどん平板で狭くなっていくんです。
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なぜ、Web2.0下の民主主義はうまくいかないのか:疫病と戦争の時代と脱プラットフォームの思想|宇野常寛
2022-10-25 07:00
おはようございます。今朝のメルマガは、PLANETS編集長・宇野常寛の特別寄稿をお届けします。なぜ今日の情報環境における民主主義が行き詰まっているのか、『遅いインターネット』刊行後、コロナ禍を経たこの2年間で宇野が情報社会について考えていたこととは? 10/20(木)発売の新著『砂漠と異人たち』の概略とともに論じました。
※宇野常寛の新著『砂漠と異人たち』が好評発売中です!
情報社会を支配する相互評価のゲームの〈外部〉を求め、「僕」は旅立った。 そこで出会う村上春樹、ハンナ・アーレント、コリン・ウィルソン、吉本隆明、そしてアラビアのロレンス――。20世紀を速く、タフに走り抜けた先人の達成と挫折から、21世紀に望まれる主体像を探る「批評」的冒険譚。
なぜ、Web2.0下の民主主義はうまくいかないのか:疫病と戦争の時代と脱プラットフォームの思想|宇野常寛
ブレグジット/トランプの衝撃が世界を揺るがした2016年から6年、コロナ・ショックとウクライナ戦争の渦中にある世界は、未だにリベラル・デモクラシーの乗り上げた巨大な暗礁に戸惑い続けている。
その背景に大きく存在しているのがWeb2.0、とりわけSNSプラットフォームの中心化以降のインターネットとの相性の「悪さ」である。今回はこの問題をちょっと変わった角度から考えてみたい。具体的には、コロナ・ショックとウクライナ戦争から浮上する、情報と人間の不幸な関係とその突破口の手がかりを僕の前著『遅いインターネット』の議論をアップデートすることで、探り出してみたい。
1.おさらい──2016年の敗北の問題(ブレグジット&トランプ)
一般論だが、現在はグローバル化&情報化(この二者はセットである)のアレルギー反応のフェイズだと考えられている。アレルギー反応とは、状況がより加速するからこそ大きくなる摩擦の現れであって、決して流れが逆行しているのではないことに留意が必要だ。ある視点から見れば、グローバリゼーションは国際格差を縮小しているのだが(南北格差の縮小)、日本やアメリカのような20世紀の先進国においては概ね国内格差を拡大する(加工貿易によって安定していた、先進国戦後中流が没落する)側面がある。この国内格差の増大が、アレルギー反応の主原因だとされている。
ローカルな国民国家からグローバルな市場へ。世界をもっとも強い力で動かす力はこの20年で大きく変化した。ローカルな国民国家に対する政治的な、時間のかかるアプローチ(革命)から、グローバルな市場に対する経済的な、時間のかからないアプローチへの変化だ。この、市場から社会を変革させるシリコンバレーの情報産業の精神を、ヨーロッパの左翼たちは「カリフォリニアン・イデオロギー」と名付け批判した。それは西海岸のヒッピーの脱社会性(サイバースペースに失われたフロンティアを求める)と、東海岸のヤッピー(スマートな経済人)の野合であり、資本主義に対する批判精神の喪失であるというのがその批判の骨子だが、皮肉なことに(良くも悪くも)このカリフォルニアン・イデオロギー的なものがもっとも強い力でこの20年間の世界を変えてしまった。そして、その変化で割を食った人々の反乱が始まったのが、あの2016年だった。それが、ブレグジットであり、トランプだった。
イギリスのジャーナリストのデイヴィッド・グッドハートはブレグジットを分析した『The Road to Somewhere: The New Tribes Shaping British Politics 』(2017年)で、世界はAnywhereな人々(どこでも生きていける=グローバル化に対応したクリエイティブ・クラス)とSomewhereな人々(どこかでないと生きていけない=対応できないそれ以外の人々)に二分されている。そしてブレグジットはSomewhereな人々のAnywhereな人々への反乱であり、つながりすぎて、ひとつになりすぎた世界をもう一度、ばらばらにしたい、という訴え(そのため排外主義とも結びつく)というのがその診断だ。同じことが同年のドナルド・トランプのアメリカ大統領当選にも結びつく。比喩的に述べればシリコンバレーのアントレプレナー(Anywhere)に対してラストベルトの自動車工(Somewhere)が反乱を起こしたのだ。 このときSomewhereなラストベルトの自動車工はオバマケアを廃止するトランプを支持した。それはなぜか。理由はそれが実のところ経済ではなく、承認の問題だからだ。 グローバル資本主義というゲームのプレイヤーにはなれないSomewhereな人々が唯一社会変革に参加できるのが民主主義だ。そのため、Somewhereな人々はより切実に自分も世界に関与できるという実感を求めて政治に参加する。そしてその切実さと結びついたのが、今日の情報技術なのだ。
▲デイヴィッド・グッドハート『The Road to Somewhere: The New Tribes Shaping British Politics 』(2017年)
2.インターネットと民主主義
いまとなっては、インターネットと民主主義が電子公共圏を用いた直接民主制の夢として、楽観的に語られていたのは遠い昔のことのように思える。ただ、2008年のバラク・オバマのアメリカ大統領当選時のインターネット利用は、むしろこうした明るい未来へのステップとして紹介されていた。オバマがインターネットを通じた、個人献金の爆増に支えられて当選した大統領であることは広く知られているが、それはインターネットがマイノリティたちの声なき声を可視化するという「夢」を実体化した結果であると考えられていた。
▲井上明人『ゲーミフィケーション:<ゲーム>がビジネスを変える』(2012)
・2010年代=「動員の革命」@津田大介の時代
▲津田大介『動員の革命 :ソーシャルメディアは何を変えたのか』(2012)
続く2010年代のSNSを用いた市民運動──アラブの春、雨傘運動、日本の反原発デモも、当初は民主主義のアップデートとして肯定的に捉えられていた。しかしアラブの春は独裁政権を打倒し、大きな成果を上げるが、その副作用のポピュリズムでどの国も泥沼化する。あれ、こんなはずじゃ……と多くの人が思った。このあたりから、SNS×民主主義はマズいのではないか、という暗雲が出始める。 そして迎えた2016年の大統領選挙では、情報技術と民主主義の組み合わせのもたらす絶大な威力が悪い意味で証明されることになった。主にトランプ陣営のフェイクニュース攻勢と、Facebook等の個人ターゲティング広告の威力は絶大だった。オバマの開けたパンドラの箱を、トランプは最大限に活用した。こうして、SNS×民主主義はいよいよヤバいことが顕在化したのが2016年だった。欧米諸国を中心に、プラットフォーマーを規制し始めるが、当然決定的な歯止めにはならない。なぜならば。SNSのポピュリズムは大衆の欲望の問題だからだ。そして2020年、世界に「コロナ禍」がやって来た。
高佐一慈『乗るつもりのなかった高速道路に乗って』PLANETS公式ストアで【オンラインイベントのアーカイブ動画&ポストカード】の特典付で販売中!
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[特別無料公開]「遅いインターネット」最大の危機(『水曜日は働かない』第3部第4話)|宇野常寛
2022-09-30 07:00
本日のメルマガは、PLANETS編集長・宇野常寛の新著『水曜日は働かない』(ホーム社)から一部を特別無料公開してお届けします。今回お届けするのは、宇野の前著『遅いインターネット』執筆時のとあるエピソード。本書執筆中、なかなか筆が進まない時期があったという宇野に対して、脚本家・井上敏樹先生が送ったある「アドバイス」とは……?
「遅いインターネット」最大の危機(『水曜日は働かない』第3部第4話)|宇野常寛
去年の夏、僕は完全に『遅いインターネット』の執筆に行き詰まっていた。この本は僕にとってふたつの目的で書いた本だった。第1に、僕がこれからはじめる「遅いインターネット」計画についてのマニフェストと、そこに至る背景の分析を示して世の中に対して問題提起を行うこと。第2に、その背景となる分析として僕がこれまで考えてきたメディアや政治、あるいは経済についてのさまざまな思考を一冊にまとめることだ。後 -
[特別無料公開]窓ぎわにトットちゃんはもういない(『水曜日は働かない』第2部第1話)|宇野常寛
2022-07-01 07:00
本日のメルマガは、PLANETS編集長・宇野常寛の新著『水曜日は働かない』(ホーム社)から一部を特別無料公開してお届けします。本書の第2部「2020年代の想像力」第1話で綴られた「窓際にトットちゃんはもういない」。黒柳徹子のベストセラー『窓ぎわのトットちゃん』を読んだ宇野常寛が、「規格外の個性」を排除しがちな今日の情報環境と、その居場所について思いを馳せます。
窓ぎわにトットちゃんはもういない(『水曜日は働かない』第2部第1話)|宇野常寛
黒柳徹子がその少女時代を綴った『窓ぎわのトットちゃん』は、1981年に発売と同時に大きな反響を呼び、戦後最大のベストセラーのひとつに数えられている。その発行部数は累計800万部、世界35ヶ国以上で翻訳出版され、日本発の児童書の代表的な存在になっている。 僕がこの本を知ったのは小学生の頃で、このうちの「畠の先生」というエピソードが切り出されて国語の教 -
【新連載】ものの茶話 心の安らぎとものの関係を考える|丸若裕俊×宇野常寛
2022-06-20 07:00
本日のメルマガは、EN TEA代表・丸若裕俊さんとPLANETS編集長・宇野常寛との対談連載「ものの茶話」第1回をお届けします。「茶」や「工芸」といった日本の伝統文化のアップデートを志す丸若さん。この対談では丸若さんが出会った伝統的な「道具」の魅力を紹介、それらを現代人が使う意義について宇野常寛と語り合いました。(構成:徳田要太)
丸若裕俊×宇野常寛 ものの茶話 #01 心の安らぎとものの関係を考える
「もの」を通して日常の「間」を楽しむ
宇野 これまで僕と丸若さんは対談連載「ボーダレス&タイムレス──日本的なものたちの手触りについて」を通して、「喫茶」というものの再定義についてずっと話してきています。そして昨年に創刊した雑誌「モノノメ」ではお気に入りの「もの」について語る連載もしてもらっています。これは、丸若さんが茶と工芸、ふたつの領域にまたがる活動をしていることの表れなのだけど、ここでは後者の「もの」について考えることを、これまでとはちょっと違ったかたちでやってみようと思っています。「モノノメ」の連載はコンセプトをかっちり固めてやっているのだけど、こちらは肩の力を抜いて、単に丸若さんが心惹かれたものについて、僕が聞き手になって深堀りしていくという形式でやってみたいと思います。
丸若 改めて本日はよろしくお願いします。お相手が宇野さんなので、真面目なことをいろいろとお話ししようかと思ったんですけれど、今日は逆に宇野さんに甘えて、いつもの自分の感じを届けられたらいいかなと思っています。
宇野 そうですね、普段着でいきましょう。ちなみに丸若さん今日はどんなことをされていたんですか?
丸若 「お茶のメーカーを運営している」というと「普段何をやっているんだ」と気になると思うんですが、社長室にいてパソコン作業をこなしているのかというと、全然違っていて。今はコロナ禍だから控えめにはしていますが、基本日々どこかに移動しているんです。今日は高知県にいて、一日中銘水を探していました。
宇野 探すって、水源を探して汲みにいくとかいうことですか?
丸若 そうそう。湧き水がある場所を地元の詳しい人たちに聞いていました。なぜこんなことをするかというと、やっぱりお茶をおいしく飲むためには水が大切だからです。あるいは今日も道中でいろいろな人との出会いがあったわけですが、今日ご紹介する道具などは、やはり人との出会いを繰り返すなかで生まれた思い出が詰まっているものでもあります。
宇野 なるほど。当たり前のように東京にいるものだと思ってたから、まさか高知にいるなんて思わなかったですよ(笑)。
丸若 EN TEAというプロジェクトをするなかで、お茶に表現をこめるために、いろいろな人に出会ったり、旅だったりをしてさまざまなことを吸収しています。今日お話しする「道具」というのも、自分の人生の中でいつも大切にしてるものです。そういった、普段EN TEAではなかなか伝える機会がないことを、この場でお話しできたらいいなと思っています。お茶でも飲みながら、茶話程度な雰囲気で、かなりニッチだと思うんですけれど、一緒に楽しんでもらえたらなと思います。
宇野 本題に入ろうかなと思いますが、今日丸若さんには二つのものを持ってきてもらっています。一個ずつ紹介してもらって、そこからお話を広げていけたらなと思っています。
丸若 では最初に紹介するものですが、これ何かわかります?
▲出典
宇野 曲げわっぱですか?
丸若 さすが宇野さん。
宇野 一応、東北出身なので……。
丸若 秋田県にある秋田杉でできた曲げわっぱで、これはお弁当箱なんです。多くの方が知っているお弁当箱の形は、「小判型」と言われるもう少し背が低いものをイメージすると思うんですけど、僕が今日ご紹介するのは「きこり弁当」というタイプのものです。もちろん宇野さんは持ってないですよね?
宇野 持ってないですね。僕には弁当を家で作って持ち歩くという習慣がまったくないので。
丸若 実は僕もそうで、弁当を持って出歩いたりはしないんです。じゃあなんで紹介したかというと、少し見方を変えるとこれはおひつとして使えるからなんです。今日はこのおひつの話からしたいなと思っています。もちろん僕は、昔の日本に良いものがたくさんあったと思っていますが、一方で今でも使えるものと使えないものはやはり明確にあると思っています。それはデザインの問題ということ以上に、用途の問題であると思うんですよね。そもそも生活習慣がその道具を前提とするものではなくなってしまったということです。たとえば現代では炊飯器を使えば簡単にお米を炊くことができますが、実は本当に美味しくご飯を食べるには炊いた後にもう一手間加える必要があって、そこで使われるのがおひつなんです。炊きあがった瞬間はもわっと湯気が立ってお米一粒一粒はつやつやしていますが、お米にとって本当に良い状態にするためには、その後でおひつの中に入れて温度を冷ましつつ、無駄な水分をならしていく必要があるんです。
宇野 43年間生きてきていま初めて知ったんですけど、あのつやつやの状態がベストなわけではないんですね?
丸若 そうなんですよ。もちろん今の炊飯器の中にはそれに限りなく近い状態にできるものもあるんですけれど、やっぱり本来の状態はおひつでこそ出来あがります。ただおひつというと、お寿司屋さんでちらし寿司を作るときのようなものがイメージされますが、あれを所持するのはさすがに難しい。そうなったときに、同じ機能を果たせるのがこの曲げわっぱなんです。僕はまずごはんを炊いた後、この中にお米を入れておくんですよ。それで10分から20分くらい待っていると、この中でちょうどいい状態にしてくれます。木材でできているというのがポイントで、余分な水分を取って温度を一定にしてくれるんです。それを昔の人は生活の知恵で知っていたんですね。実際に食べてみるとびっくりしますが、冷めていてもお米がべちゃべちゃにならないで本当に美味しいんです。現代人は忙しくて毎日は使えないかもしれないけれど、こうして家の中で少しひと手間加えるだけで生活が楽しくなります。白米が好きな人にはこの柴田慶信商店さんというブランドがおすすめで、使っていて愛着が沸きますし、かれこれ20年近く愛用しています。
宇野 20年はすごいですね。丸若さんはその曲げわっぱがおひつの代替品になるということを知ってて買ったんですか?
丸若 僕はやっぱりまず視覚的なものに惹かれるので、最初は見た目だけで選びました。後から、昔の使われ方と今の用途とでは明確に合致しないかもしれないということを考えたり調べたりするなかで知りました。
宇野 おひつって、やはり昔の大家族の時代の、基本三世帯以上が住んでいて子供も複数いるような家庭で使われていたから、大きいサイズが多いですよね。だからたぶん曲げわっぱをおひつ替わりに使うとしたら、今の一人暮らしか二人暮らしの家庭が一番多いわけで、そうしたときに曲げわっぱを作っている職人たちは考えていないと思うんですけど、結果的にすごくちょうどいいサイズに収まってますよね。
丸若 それが、現代と昔の用途を照らし合わせてもののとらえ方を変えていく楽しみですね。作り手の人たちと知り合ったことで、「こういう使い方もいいんだ」ということを知るようになりました。なぜこれを使っているかというと、やっぱりお茶を作っているので「お茶漬け」にすごく興味があるんですよ。「どうやって冷や飯を作るか」と考えたときに、やっぱりこのおひつで作った冷や飯でお茶漬けにすると、全然味が違うんです。
宇野 ちなみに丸若さんはさっきデザインに惹かれたと言いましたけど、このデザインだったら現代のクリエイティブクラスに支持されがちな、シンプルなスタイルとも非常に調和しますよね。
丸若 そうですね。そこがおもしろいんですよね。「きこり弁当」と言われるくらいなので、きこりの人たちが使っていた弁当箱なわけです。だからそこにデザイナーもいなかったし、ましてやトレンドもない。使いやすさと丈夫さだけが追求されていて、そしてそこに柴田慶信商店さんの美意識が乗っかって結果的にこういうデザインになっています。非常に偶然的、奇跡的に生まれているものだと思っているんです。
宇野 この道具を使うことのポイントは、ひとつ「間を置く」ということじゃないかと思うんです。僕なんかは炊飯器からごはんを直接山盛りにしてがっつきがちなんだけれど、そこにあえて一回おひつに移すという工程を挟む。そこの一拍置く、一段階挟むことの豊かさをどう捉えるかが大切だと思います。
丸若 最近禅が少しブームになっていますけど、僕もああいうものに触れるときに思うことがあります。現代の人たちは、あらゆる情報を頭(理性)で処理しようとしてしまっている。昔は、昔から日本語でも「腹を立てる」とか「腹を割って話す」「腹が座ってる」などと言うように、やっぱり感覚知的なものはおへその上あたりにあるというふうに考えていたから、理論知と感覚知は分離していたと思うんですよね。そこにはしっかり「間」が存在していた。だけど現代ではその間がぎゅっと潰されてしまっている。豊かさというものも、すごく表面的なところで得ようとしているけど、実はいろんなところに散らばっているものだと思います。
宇野 ぜいたくな時間を過ごす、豊かな時間を過ごすといったときに、とりあえず効率よく何かを吸収するとか、手っ取り早く何かを片付けていくという方向に意識が向かいがちだと思います。でもそれは一見時間を節約しているように思えるけれど、結局切り詰めた時間でまたすぐにコストパフォーマンスの良い作業をこなしていこうとしてしまって、それを無限反復していくだけだと思うんですよね。だから豊かな時間を過ごそうと思うんだったら、そういった、手っ取り早く何かを時短的に処理していくということから背を向けなきゃいけないと思うんですよ。そう考えると、せいぜい口の中にごはんがある数十秒なんだけど、その数十秒を味わうために、一回おひつに移して冷やす・蒸らすといったことを考えることが、自分で自分の生活時間を豊かに演出するための最初の一歩になる気がするんですよね。
丸若 そうなんです。結局一日というのはあっという間に終わってしまって、できることなんて限られている。人間の一日なんて無駄だらけだと思うんですよ。だから、たとえば一個二個手間を増やすことで何かが大きくロスをするかというと実は違っていて、「わざわざ」をすることによって、むしろ整理される。ちょっと隙間を与えると、脳は自動的に情報を整理しようと動いてくれるわけです。そういう実感を得られる時間が必要だと思います。
たとえば道具選びもそういう感覚で選んでいいと思うんですよね。今日紹介するものは二つともそうなんですが、そのものが育っていくというか、時間の経過と共に変化する期間を感じられるものが良いと思います。ものがある種の魂を持っているようにも感じられて、それと触れ合っているといろいろな学びがあります。この弁当箱も最初買ったときの色とは変わってきていますけど、それがいい風合いだな、とか。
宇野 この柴田慶信商店さんというブランドは、職人さんならではのアプローチで、曲げわっぱというものを、伝統を引き継ぎながらも現代の感性に合うように提供できていると思います。そのあたりの柴田さんのアプローチについて解説していただきたいのですが。
丸若 僕が柴田さんとお付き合いするようになったのはけっこう前です。そのとき柴田さんたちがこの曲げわっぱを心から愛していて、本当に美しいものだと思って接してるんだということがわかったんですよね。丹念にひと手間加えることの積み重ねで、木の弁当箱がここまできれいになるんだな、と。具体的なポイントとしては、天板と側面の角度が少しだけ丸みを帯びているんです。これがあるかないかで表情ががらっと変わるので、今後柴田さんの品を見ることがあったら、ここの部分に注目してみてほしいです。個人的にはこの部分にかわいらしさを感じてすごく好きですね。
でもこのデザインができるにあたって、何か若い感性が入っていたのかというと、実はこのスタイルを築いた方は、バリバリ昔の秋田弁を話す僕よりずっと年を重ねている方で、東京の文化がどういうものなのかということを想像すらしていないと思うんですよね。もちろん世界中から声がかかっていて、東京にも来る機会があったけど、どこであろうとスタイルは一貫している。どこのホテルでも同じように作業をしているし、やっぱりものと向き合っているんですよね。
一般的な曲げわっぱとの違いがどこにあるかというと、言ってしまえば「曲げわっぱを曲げわっぱでなくした」というところです。たとえばさっきお話ししたように角を取ったり、目の細かい良い秋田杉を選んだりと、形だけ見れば至ってシンプルなんですが、よくよく見ると、柴田さんの品は「それ柴田さんのですよね」ということがみんなわかります。また、ほとんどの商品が木材に塗装をせず白木のまま作られているので、本当にごまかしがきかないというか、手触り的にも自然物のまま作られている。そういう細かいところの積み重ねで、柴田さんならではの曲げわっぱになっているんですね。
生活様式に根付いた「もの」
宇野 ありがとうございます。では次の品を紹介していただけますか?
丸若 さっきは木材のものを紹介しましたが、今度は焼きものです。僕自身、お茶をはじめとする伝統工芸と言われるものに興味を持つようになったきっかけが焼きものなんです。日本って、本当に世界に誇る焼きもの大国で、これだけ多くの産地があって、これだけいっぱい湯呑みを見かけるところはない。少しわかりにくいかもしれないんですけど、画像を用意しました。
▲東屋さんのジューサー「恋ひとしずく」(出典)
宇野 これは上から見た写真ですね。これだけ見るとZZガンダムの頭部に少し似ていますが……。
丸若 さすがですね。宇野さんの見立ては(笑)。残念ながらこれはガンダムとは関係なく、ジューサーなんです。焼きものというとどうしてもやわらかいフォルムが多いんですが、これはすごくシャープなんですよねこの上部の突起物で半分に切った柑橘なんかを絞るわけです。
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