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  • 新しい読者のための「PLANETS vol.9」その読み方ーー宇野常寛インタビュー ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.252 ☆

    2015-01-30 07:00  
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    新しい読者のための「PLANETS vol.9」その読み方ーー宇野常寛インタビュー
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.1.30 vol.252
    http://wakusei2nd.com


    いよいよ発売となる新刊「PLANETS vol.9 東京2020 オルタナティブ・オリンピック・プロジェクト」(以下、P9)。本日のほぼ惑は「P9」発売を前に、編集長・宇野常寛がこれまでの「PLANETS」の歩みを振り返りつつ、完成した「PLANETS vol.9」のコンセプト・制作秘話を語ります!
    ▼参考記事
    ・宇野常寛ロングインタビュー 「2020年東京五輪に向けて、僕たちはどんな未来を構想し、そして実行していくべきか?
    ◎聞き手・構成:真辺昂
    理想のサブカルチャー総
  • (非)言語にとって美とはなにか――〈魔法の世紀〉をめぐって(落合陽一×石岡良治×宇野常寛) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.251 ☆

    2015-01-29 07:00  
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    ▼PLANETSのメルマガ「ほぼ日刊惑星開発委員会」2015年1月の記事一覧はこちらから。

     

    (非)言語にとって美とはなにか――〈魔法の世紀〉をめぐって(落合陽一×石岡良治×宇野常寛)
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.1.29 vol.251
    http://wakusei2nd.com


    本日は、昨年末に行なわれた「PLANETS Festival 2014」から、メディアアーティスト・落合陽一さんと、おなじみ批評家の石岡良治さん、そして宇野常寛との鼎談の模様をお届けします。落合さんの提唱する「映像の世紀から魔法の世紀へ」というコンセプトを基点に、ジェームズ・キャメロンやディズニー、クリストファー・ノーラン、Ingressなどにも触れながら、〈メディア〉と〈アート〉のその先の表現の可能性について語りました。
    ▼当日の動画はこちらから。(PLANETSチャンネル会員限定)


    ▼プロフィール

    落合陽一(おちあい・よういち)
    1987年生まれ。名前の由来はプラス(陽)とマイナス(一)。小さなころから電気が好き。
    コンピュータの未来をアートと研究の両面から追求するのがライフワーク。
    日本の巷では現代の魔法使いと呼ばれている。
    筑波大でメディア芸術を学び、2011年卒業、東京大学学際情報学府で修士号を取得(2013年)。米国MicrosoftResearchを経て、東大にて博士審査中(2014年)。情報処理学会新世代企画委員としてアカデミックの未来も考案中。
    筑波大学非常勤講師。これまでに研究論文はSIGGRAPHを始めとして有名な国際会議に採択され、作品はSIGGRAPH Art Galleryを始めとして様々な場所で展示された。情報処理推進機構よりスーパークリエータの称号、LAVAL VIRTUALよりグランプリ&部門賞、ACEより最優秀論文賞。
    HP: http://96ochiai.ws/
    ★PLANETSメルマガで好評連載中! 落合陽一『魔法の世紀』過去記事一覧はこちらから。


    石岡良治(いしおか・よしはる)
    1972年生まれ。批評家。跡見学園女子大学ほかで非常勤講師を務める。専門は表象文化論。著書に『視覚文化「超」講義』(フィルムアート社)がある。
    ◎構成:稲葉ほたて
    宇野 ここからはメルマガPLANETSでも大人気で、最近ではテレビにも出ている現代の魔法使い・落合陽一さんと、日本最強の自宅警備員であり、表象文化論やメディアアートの問題にも非常に知識があり、間違いなくリテラシーも日本最強である批評家の石岡良治さんをお迎えし、落合陽一さんのメルマガ連載のタイトルでもある「魔法の世紀」という問題提起について掘り下げたいと思います。よろしくお願いします。
    落合・石岡 よろしくお願いします。
    宇野 と、いうことで今日は「自宅警備員 vs 魔法使い」というテーマでいきたいと思います。ところで皆さん、この中で「メールマガジンで落合陽一の連載を読んだことがある」という人はどれくらいいますか?(手を挙げてもらう)
    さすが、かなり多くの人が読んでいますね。
    落合 ここにいる人口の40%くらいですね。この前講演会(http://peatix.com/event/60459/)で聞いたら2%でしたよ(笑)。
    宇野 一応、ここが本家本元ですからね。非常に反響の大きい連載であり、おそらく来年に本になると思うんですが、非常に大きなインパクトを持って迎えられるのではないかと早くも囁かれている連載です。この「魔法の世紀」という問題提起については、これまでの僕とのトークでは主にメディア論や面白い文化として、あるいは猪子さんと同じ括りのテクノロジーの問題として語られることが多かったと思うんですよ。
    でも、今回は本業が美術批評家でいらっしゃる石岡さんをお招きすることで、メディアアーティスト・落合陽一という側面にスポットを当てながら、この「魔法の世紀」について考えていく1時間15分にしたいと思っています。
    まず最初に、残り60%の観客のために、「魔法の世紀」という連載について、ご本人の口から軽く説明していただけますか。
    落合 この連載は、そもそも20世紀が「映像の世紀」だったということとの対比関係において、21世紀は「魔法の世紀」だと、捉える連載なんですね。
    例えば、21世紀になって、たくさんのコンピューターが溢れている世界になっていると思います。この中でスマホを持っていない人は?――1人ですか。みんなスマホを持っていますよね。5年くらい前だったらスマホを持っている人の方が少なかったわけで、どんどんコンピューターと我々の境界が変わってきている。その中で、どうやって文化が変わるのか、どうやって表現が変わるのか。そして、どうやって俺たちの考え方自体が変わっていくのか。それをコンピューターの歴史になぞらえながら語っていく連載です。
    例えば、昔はテレビが流していることが絶対で、CMをバンバン打てば商品が売れた。でも今の時代では、インターネットでみんなが違った考え方を持っている。高倉健が死んだ日に、ニコニコのチャンネルで観られている番組といったら、囲碁をやっている人は囲碁を見ているし、ポケモンをやっている人はポケモンを見ている。だけど、テレビをつければ高倉健が死んだことばかり流している。ここにはすごい乖離があるのですが、僕は後者の方がより”今風”だと思います。なぜなら我々はすでに共通の文脈を持っていないし、文脈がなくとも小さなコミュニティをWeb上で形成して楽しく生きてゆける。そのようにコンピューターが我々の生活や思考様式を変えうる中で、21世紀に通じる文化がどんなものかを、現在の段階で読み解きながら思想を作っていこうという連載です。
    宇野 そういった中で、この「魔法の世紀」をモチーフに、僕は石岡さんを落合くんにぶつけてみたかった。この連載を一言でいうと、「人々が平面のイメージ、その究極で言えば映像を共有することで社会を作っていく時代は終わる。なぜかといえば、情報テクノロジーというものが今どんどん画面の外に出てきているから」というものです。
    その中で、逆に石岡さんはやっぱり究極の二次元擁護者なわけですよ。特に映像イメージというものをいまの日本で最も肯定している批評家の一人が石岡さんだと思います。その石岡さんから、この「魔法の世紀」がどう見えるのかを、ちょっと一回マジで聞いてみたかったんですね。
    映像はモノの劣化コピーなのか
    石岡 なるほど。差し障りのあることを言わずに何かをdisるのは難しいのですが、簡単に言いますと僕がずっと学んできたものは、メディアアートみたいなものに対して最もシビアな「ザ・人文」の本道みたいなところです。僕はその成果を基本的には全部尊重しているつもりですが、やはりメディアアート的なものなどのある種の雑多さを嫌うタイプの文化・芸術観というものに対しては、ずっと違和感があったんです。

    ▲石岡良治『視覚文化「超」講義』フィルムアート社、2014年


    ▲宇野常寛(編著)、落合陽一ほか(著)『静かなる革命へのブループリント この国の未来をつくる7つの対話』河出書房新社、2014年
    『視覚文化「超」講義』は『静かなる革命のためのブループリント』と同時期に出たのですが、『ブループリント』を読んでいくつか後悔したところがありました。すごく雑に一ヶ所だけ言うと、僕は映像を映像だけで語ろうとは思わずに、ホビー――つまりおもちゃの趣味とか、SF映画のガジェット、例えば『バック・トゥ・ザ・フューチャー』に出てくる車とか――そういう装置と映像の関わりについて語ったつもりだったのですが、『ブループリント』でレゴブロックやミニ四駆の話を読んだときに、タミヤのミニ四駆を忘れていたと気づきました。あそこで僕は「タミヤはスケールモデル、及びミリタリーのプラモを作っているところ」で、それに対して「ガンプラはかっこいい」という擬似的な二項対立を作ってしまったんです。
    宇野 僕なりに、この『視覚文化「超」講義』という本を解釈すると、こうなるんです。いま世の中がどんどん情報ではなくて、体験にしか価値がなくなってきている。映像や音声といった情報は供給過剰に陥っていて、どんどん0円に近づいている。その結果、コミュニケーションというか体験にしか値段がつく時代になった。
    そんな世の中で、映像というものを体験的に解釈し直すためのコードを設定した、というのがこの本なんです。つまり「エクスペリエンスドリブンで映像というものを見てみるにはどうしたらいいか」ということを考えたのがこの本です。普通同じことをやると、二次創作論になってしまう。要するにどんな映像も二次創作的に視聴者が打ち返せばインタラクティブに楽しめる、というのがこの手の議論の王道だった。でも石岡さんはそれを排して、たとえば映像が映し出してしまったモノなどに注目することで、エクスペリエンスドリブンの時代の「映像」の楽しみ方を提案しているのだと思うんですよ。
    石岡 『ブループリント』に「革命」という言葉が入っていますよね。「革命」というと、マルクスは「世界の解釈を変えるんじゃなくて、世界を変えるんだ」と言ったみたいな話がある。そう考えて、「映像」と「魔法」と言ったときの落合くんのテーゼをそれに翻訳すると、映像というのはあくまでも「モノについてのイメージ」を色々いじってきたんだけれども、そうじゃなくて「モノそのもの」をいじってしまおう、ということになる。そうすると、モノとイメージの関係で言うと、モノを変えちゃうというのは、『ブループリント』の言葉だと革命になるし、「映像」と「魔法」の対比で言うと「魔法」の側になるかなという感じがしました。
    落合 俺はよく講演会や論文、ネットで「ここ50年間、映像は映像の世紀として生きてきたけど、映像の外側でも映像と同じように自由度を上げるというのが今世紀の最も重要なことだ」ってよく言っているので、まさしくその解釈で合っています。
    石岡 ただそれに関しては、僕は逆の言葉もちょっと言っておきたくて、そうするとやっぱり映像なんてものはただのペラい、現物に対する劣化コピーに過ぎないとかいう話になってしまう。これって多分、文化批評全般に対する大きな疑念とも結びつくと思うんですよ。社会的な批評と文化というものがどこかで分かれているとみなされ、文化が社会の劣化版とされている。僕がなぜ二次元派かというと、いま言った世界そのものを変化させるという話は、当然ながら文化の側にもダイレクトに結びついていると思うからです。
    落合 僕はCGの人間なので、実はCGこそが、我々のイマジネーションをフルに使える場所なのだと思います。
    なぜなら、コンピュータグラフィクスを生成するコンピューターのデータ空間には、重力もないし摩擦力もないし、何をやっても大丈夫だからです。だけど、こっちの現実世界の不自由さはすごいものがあって、いかに精巧な、リアリスティックな像を作ろうともCGの中の我々のイマジネーションの自由に比べたら大した表現にたどり着くことができない。ハリウッドの映画に見られるような画面の中のCGの方が表現としてやれることが圧倒的に多い。

    ジェームズ・キャメロンは何が凄いのか
    落合 現実世界での表現が不自由でコンピューターの中の表現が自由、しかもハリウッドには金がものすごいたくさんある。それが現状で、それをどうやって変えていくかを考えるのが、僕は一番良いと思うのです。そこで、今日、僕は一つ問題提起をしたいんです。
    コンピューターというと、みんなコンピューターの革命者を想像して、ご多分にもれず「スティーブ・ジョブズすげえ」と思うわけですが、俺の中では最近は「ジェームズ・キャメロンすげえ」なんですよ。だって、ハリウッドの興行収入を上から数えていくと、一位『アバター』、二位『タイタニック』なんですよ。で、ちょっと下のほうに『ターミネーター2』がある。ハリウッドって、80年代からCG業界に金をバンバン突っ込んでいて、自分自身をどれだけイマジネーションから自由にするかっていうことを、実はすごい金を使ってやってきたんですよ。
    確かにスティーブ・ジョブズはiPhoneを売ったかもしれないし、Macも売ったかもしれない。でも、ジェームズ・キャメロンは表現という世界で、『アバター』一発で2700億円ですよ。日本のAR(オーグメンテッド・リアリティー)産業を最初から最後まで積分しても、『アバター』一本に全然勝てない。ハリウッドは自分たちの末期、コンピューターによる自由表現が映画を変えていくし産業も変わっていくことを最初からわかっていたから、コンピュータグラフィクスという本丸の産業をあらかじめ買い取って、自分の金で育てておいたわけです。
    石岡 今日、色々と準備しながらTwitterを見ていたら、「Ingressが東京でイベントをやっていたときに、緑色サイドの人たちが青島とグアム島と襟裳岬で巨大三角形を作って、日本全土を緑色サイドの陣地にした」という、まさに今日一番のアツい出来事があったんですよ。
    Ingressというのは、スマホアプリを使って三角形で現実の地形を囲んでいくゲームなのですが、まず緑側がそういう三角形を作ってしまった。それに対して、青色サイドの廃人が襟裳岬に向かって、4時半とか5時くらいのイベント終了間際に破壊して、「崩れたー」とか「おおー」とか言ってイベントが盛り上がっていた。
    僕が面白かったのは、その三角形に一個だけ襟裳岬という日本の場所が入っていたことですね。襟裳岬という一点がギリギリ行ける範囲にあったのが大事で、そうじゃなかったらただのチートです。本当に外から囲っていたらどうしようもない。僕はどちらかというと自宅派なんだけれども、そういうのを見ているとIngressをやりたくなってきますね。
    宇野 この「キャメロン vs Ingress」は、結構面白い対比だと思います。それはつまり、「結局、映像の世紀の臨界点はどこなのか」ということなんです。さっきのキャメロンの話から導きだされるのは、「すべての映画はアニメになる」ということですね、これはもともとは押井守の言葉です。 
  • 東京2020への道筋――五輪は都市をどう変えてきたか(白井宏昌)【PLANETS vol.9先出し配信】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.250 ☆

    2015-01-28 07:00  
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    ▼今月のおすすめ記事
    ・パラリンピアンはインターフェイスである――パラリンピックの歴史と現状(浅生鴨)【PLANETS vol.9先出し配信】
    ・國分功一郎「帰ってきた『哲学の先生と人生の話をしよう』」 第9回テーマ:「逃げること」
    ・宇宙の果てでも得られない日常生活の冒険――Ingressの運営思想をナイアンティック・ラボ川島優志に聞く
    ・井上敏樹書き下ろしエッセイ『男と×××』/第5回「男と女4」
    ・ほんとうの生活革命は資本主義が担う――インターネット以降の「ものづくり」と「働き方」(根津孝太×吉田浩一郎×宇野常寛)
    ・『Yu-No』『To Heart』『サクラ大戦』『キャプテン・ラヴ』――プラットフォームで分かたれた恋愛ゲームたちの対照発展(中川大地の現代ゲーム全史)
    ・リクルートが儲かり続ける理由――強力な3つのループが生んだ「幸せの迷いの森」 (尾原和啓『プラットフォーム運営の思想』第6回)
    ・1993年のニュータイプ──サブカルチャーの思春期とその終わりについて(宇野常寛)
    ・駒崎弘樹×荻上チキ「政治への想像力をいかに取り戻すか――2014年衆院選挙戦から考える」
    ・"つながるのその先"は存在するか(稲葉ほたて『ウェブカルチャーの系譜』第4回)
    ・宇野常寛書き下ろし『「母性のディストピア2.0」へのメモ書き』第1回:「リトル・ピープルの時代」から「母性のディストピア2.0」へ
    東京2020への道筋――五輪は都市をどう変えてきたか(白井宏昌) 【PLANETS vol.9先出し配信】
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.1.28 vol.250
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    いよいよ1/31(土)に発売となる「PLANETS vol.9 東京2020 オルタナティブ・オリンピック・プロジェクト」。メルマガ先行配信の第2弾は、建築家の白井宏昌さんによる「オリンピックと都市開発の歴史」です。
    五輪は都市をどう変えてきたのか? そしてその歴史の蓄積は、どのようにして2020年の東京五輪に結実していくのか――? 60年代以降の各大会の施設配置を「分散型」と「集約型」に分類しながら、大会後の施設活用や財政面での課題など、より俯瞰的な視点から分析します。
     

    ▲実際の「PLANETS vol.9」の誌面から。
     
     「世界中の競技者を一堂に集めて開催される偉大なスポーツの祭典」は、その歴史を重ねるに従い、開催都市の景色を一変させるまでの影響力を持つようになった。スタジアムをはじめとした競技施設、選手村の建設、交通インフラの整備など、オリンピックは都市開発の「またとない機会」である反面、“その後”に大きな負の遺産を残すこともある。これまでの開催都市の“その後”から、2020年の東京が目指すべきものを考察する。
     
    ▼執筆者プロフィール
    白井宏昌〈しらい・ひろまさ〉
    1971年生。建築家、H2Rアーキテクツ(東京、台北)共同主宰。博士 (学術)明治大学兼任講師、東洋大学、滋賀県立大学非常勤講師。2007-2008年ロンドン・オリンピック・パーク設計 チームメンバー。2008年度国際オリンピック委員会助成研究員。現在も設計実務の傍ら、「オリンピックと都市」の研究を継続中。
     
     
    1960年以前――「都市の祭典」への道程
     
     オリンピックは「スポーツの祭典」であると同時に「都市の祭典」である――。
     これまでのオリンピックが開催都市に与えてきた影響を振り返ると、社会学者ハリー・ヒラーが発したこの言葉に大きく頷いてしまう。特にその舞台が都市の中心部となる夏季大会では、政治家、企業家が長年温めてきた都市再編の野望を実現する「またとないチャンス」を開催都市にもたらしてきた。
     とはいえ、このようなオリンピックと都市再編の密接な結び付きは、19世紀の終わりに、フランス人教育者ピエール・ド・クーベルタンが近代オリンピックの復興を唱えたときには存在しなかった。1896年に最初の近代オリンピックがアテネで開催されてからしばらくは、オリンピックはその存続を確固たるものとすべく、紆余曲折を経ることとなる。当初は、別の国際的イベントの一部として開催することで、何とかグロール・イベントとしての体裁を維持してきた経緯もあり、当然この時代にはオリンピックが開催都市の再編に大きな影響を及ぼしたとは言い難い。
     しかしながら、1908年にロンドンが世界初の「オリンピック・スタジアム」を建設すると、これに続く都市は「オリンピック・スタジアム」を都市あるいは国家を表象するものとして捉え、その後の遺産として都市に永続的に残るものとして計画するようになる。もちろんその具体的な利用に関してはどの都市も苦労することになるのだが、時代はオリンピックが建築と結びついた時代だったのである【図1】。
     

    【図1】夏季オリンピック都市開発の変遷
     
     
     そしてオリンピックに必要とされる競技施設やアスリートのための宿泊施設である選手村を集約することで、オリンピックをきっかけに作られるのは、「建築」から、ある広がりを持った「地区」へと展開していく。
     この流れを作り出したのが1932年に第10回大会を開催したロサンゼルスであり、このオリンピック地区をさらに象徴的に作り上げたのがその次の1936年大会を開催したベルリンである。ナチス主導により政治的な意図を持って開催されたベルリン大会はベルリン郊外に複数の競技施設を集約し、象徴的なイベント空間を作り上げた。それは今日も、ナチスドイツの残した歴史的遺産として存続している。
     
     
    1960年以降――オリンピック都市の彷徨
     
     そしてこれらのオリンピック地区を戦略的に複数に作り、それらを結び付けるインフラを整備することで、オリンピックによる都市再編の影響を都市全域にまで広げたのが、1960年のローマ大会だったのである。この大会をもってして、初めて「オリンピック都市」の誕生とすることも可能であろう。
     ただ、この流れは当時すべての人々に好意的に受け入れられたのではない。特にスポーツの振興を最大の活動意義とする国際オリンピック委員会(IOC)にとっては、スポーツを都市再編のために「利用された」と捉える動きもあり、その是非は次大会の1964年の東京に持ち越された。
     ここで東京は、ローマをはるかにしのぐ規模でオリンピックを都市再編のために「利用する」こととなる。そして、その世界的アピールが後続の開催都市にオリンピックとは都市再編あるいは都市広告のための「またとない機会」というイメージを作り上げる。
     この流れは1976年のモントリオールでピークに達する。フランス人建築家ロバート・テイリバートによる象徴的なオリンピック・パークは当時のモントリオール市長による「フレンチ・カナダ」のアピールの場となるはずだった。
     だが、オリンピック・スタジアムは大会までに完成せず、その後30年にも及ぶ借金返済という大きな負の遺産を残すこととなる。オリンピック都市の「野望」が「苦悩」へと変容した事例であり、モントリオール大会は、オリンピックは「リスク」であるという新たな警笛を世界に発したマイル・ストーンとなったのだ。
     これと対極をなすように、次の1980年大会を開催したモスクワは、社会主義政策に基づく徹底した合理主義にのっとりオリンピックを開催する。さらに、その次のロサンゼルスは、徹底した既存施設の転用と公共資金の不投与という戦略で、経済的なリスクを回避。民間資金によるイベント運営という手法を導入することで、大会運営の黒字化にも成功する。
     このことが、オリンピック=チャンスというイメージを与えることとなり、再び開催都市にオリンピックを都市再編のきっかけとする機運を作り出す。イデオロギーの差こそあれ、モスクワもロサンゼルスも、その合理的な手法により、モントリオールの悪夢を払拭したのである。都市の美化と新たな公共拠点作りを目指した1988年のソウルや、地中海都市の復活をかけ、長期的な都市再編キャンペーンの一つとしてオリンピックを取り込んだ1992年のバルセロナにより、オリンピックは再度、都市再編の道具と化していくのである。
     
     
    2000年以降――オリンピック・レガシーの時代
     
     2000年代に入ると、オリンピックと都市の関係はさらなる変容を遂げることとなる。これまではオリンピックに向けて何ができるかに大きな注目が集まっていたのに対し、オリンピック後に何が残るか、あるいはそれらをどのように維持していくことができるかが重要視されてきたのだ。いわゆるオリンピック・レガシー(遺産)の問題である。
     これを主導したのが2001年よりそれまでIOCを率いてきたサマランチから会長の座を引き継いだジャック・ロゲである。商業化による拡大路線を追求してきたサマランチと異なり、ロゲが求めたのは巨大化したオリンピックの見直しと、オリンピック後の施設運営も視野に入れた施設計画の指針作りである。
     新旧IOC会長の視点の違いは、2000年大会の開催都市シドニーで、11万席を擁するオリンピック史上最大のオリンピック・スタジアムを眼にしたときの反応に如実に現れる。「これまで見た中で最高のスタジアム」と称賛したサマランチに対して、ロゲはその後の利用に大きな懸念を示したのだ。かくしてロゲの新たな戦略はオリンピック憲章や招致ファイルでの必要記載事項に「オリンピック・レガシー」が盛り込まれることで現実化していく。
     それに建築・都市計画のレベルで応えたのが、ロゲがIOC会長として仕切った2012年の開催都市ロンドンである。ロンドンは招致の段階から当時のIOCの最大関心事項「オリンピック・レガシー」をキーワードに招致活動を行い、競技会場の中心となったロンドン東部の「オリンピック・パーク」の長期的展望を具体的に示すことで、ニューヨーク、パリといった世界の強豪都市を抑えて勝利したのだ。招致後も仮設施設の積極的な利用や競技施設の減築など、「オリンピック期間中よりオリンピック後」を見据えた建築・都市計画を進めていくことになるのだが、その際「レガシー」という言葉がオリンピック開催による莫大な公共資金の投与を正当化するものとして使われた。
     当然のことながら、2020年に夏季オリンピックを開催する東京も、これまでのオリンピック都市の変遷、特に2000年以降IOCが取り組んできた「オリンピック・レガシー」重視の政策を取り込んだ都市再編の延長にあるものと捉えることができる。特に2020年夏季オリンピック招致を、レガシーの流布に尽力したジャック・ロゲの12年の任期の総決算として捉えた場合、その意義はとてつもなく大きい。
     この問いかけに、東京は1964年オリンピックのレガシーを再利用するヘリテッジ・ゾーン(代々木地区)と2020年後の新たなレガシーとなるベイ・ゾーン(湾岸地区)を想定し、異なる時間軸を持った「オリンピック・レガシー」を都市に作りだすというコンセプトで応えることなった。ロゲ体制のもと、2回目のオリンピック開催を目指す都市でこそ作りえた優等生的なコンセプトだと言えよう。
     
     
    2020年のトーキョー:分散型施設配置
     
     かくして、東京は56年の歳月を経て2度目のオリンピックを2020年に開催することとなるが、もちろんのことながらその空間作りは1964年とはかなり異なるものとなる。まず施設配置に関して、1964年の東京オリンピックでは代々木公園、神宮外苑、駒沢公園の3つの地区に競技施設を集約させたが、2020年では代々木、神宮外苑を含むヘリテッジ・ゾーンと湾岸のベイ・ゾーンの2つのエリアにイベントに必要とされる施設を「コンパクト」に配置すると招致時から一貫して強調されてきた。
     しかし、この「コンパクト」という言葉に惑わされてはいけない。というのも、2020年の東京が提唱する「コンパクト」な施設配置は歴史的には「コンパクト」と言えない節があるからだ。 
  • パラリンピアンはインターフェイスである――パラリンピックの歴史と現状(浅生鴨)【PLANETS vol.9先出し配信】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.249 ☆

    2015-01-27 07:00  
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    ・"つながるのその先"は存在するか(稲葉ほたて『ウェブカルチャーの系譜』第4回)
    ・宇野常寛書き下ろし『「母性のディストピア2.0」へのメモ書き』第1回:「リトル・ピープルの時代」から「母性のディストピア2.0」へ

    パラリンピアンはインターフェイスである ――パラリンピックの歴史と現状 (浅生鴨) 【PLANETS vol.9先出し配信】
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.1.27 vol.249
    http://wakusei2nd.com


    いよいよ1/31(土)に発売となる「PLANETS vol.9 東京2020 オルタナティブ・オリンピック・プロジェクト」。ほぼ惑では一足早く本誌の記事を先行配信していきます! 初回は浅生鴨さんの解説による「パラリンピックの歴史と現状」です。
    「福祉」から「競技スポーツ」へと次第に変貌を遂げ、ますますオリンピックとの違いが失われつつある現代のパラリンピック。こうした障害者スポーツの進化が、今まで私たちが自明のものとしてきた「人間観」や「公平性」の概念を揺るがしつつある現状をリポートします。

    ▲実際の「PLANETS vol.9」の誌面から。
     世界最高峰の障害者スポーツ大会、パラリンピック。治療の一環、あるいは社会復帰のための活動として、その歴史を刻み始めたパラリンピックは、回を重ねながら「競技スポーツ」として進化を遂げてきた。そして、ここ数年の義肢装具の飛躍的な進歩によって、パラリンピックのあり方そのものが変わろうとしている。そこで競われるべきは鍛え抜かれた身体なのか、装具の性能技術なのか? パラリンピアンにつきつけられる問題について、我々もただの“観客”ではいられない。その先を見据えるために、本稿ではパラリンピックの歴史をひも解いていく。
    ▼執筆者プロフィール
    浅生鴨〈あそう・かも〉
    作家・クリエイティブ・ディレクター。名前は「あ、そうかも」という口癖が由来のダジャレ。著書に『中の人などいない@NHK_PRのツイートはなぜユルい?』NHK_PR1号名義(新潮社)、「エビくん『」日本文藝家協会・文学2014』収録(講談社)など。『yomyom』(新潮社)で「終焉のアグニオン」を連載中。@aso_kamo
     現在の日本で、パラリンピックを全く知らないという人は、ほとんどいないだろう。あえて説明するなら、4年に一度、オリンピックの終わった後に開催される障害者のスポーツ大会だと言えば、たぶん、誰もがすぐにわかるはずだ。2012年に開催されたロンドン大会には、164の国と地域から、およそ4300人もの選手が参加。参加者数だけでなく、競技レベルの高さからも、パラリンピックはまちがいなく世界最高峰の障害者スポーツ大会だ。
     とは言うものの、日本では長い間、障害者によるスポーツは福祉政策の対象として扱われてきたわけで、今でもそう考えている人は、案外と多い。走り幅跳びの佐藤真海選手が、東京オリンピック・パラリンピック招致活動の最終プレゼンテーションで心に残るスピーチをしたことから、今はパラリンピックにも少しは関心が集まっているようだし、単なる社会参加やリハビリテーションを目的としたものじゃなく、トップアスリートたちによる本格競技スポーツなのだという考え方も広まり始めてはいるものの、それでも、まだ多くの人には、障害者が足りない何かを補いながら一生懸命にがんばっているスポーツなんだよね、障害者にしてはなかなかやるよね、といった程度の認識しかされていないのが現状だ。実際、テレビ放送の視聴率はゼロに近い数字だし、放送してもほとんど反響はないというのが現実で、まだまだ純粋な競技スポーツとして認めてもらえているとは言いづらいところがある。
     確かにパラリンピックは医療や社会福祉を目的として始まったものだし、今でもそういった側面がないわけじゃない。それでも、およそ70年近くの間に、多くの関係者が尽力し、少しずつ競技スポーツとしての地位を確立してきたのだ。本稿では、そうしたパラリンピックの歴史をおさらいしておこうと思う。
    障害者スポーツ大会の成立
     第1回パラリンピック大会とされているものは、今から55年前、近代オリンピックの開始から半世紀ほど遅れた1960年に開かれた。これは、もともとイギリスのストーク・マンデビル病院の医師、ルードヴィッヒ・グッドマンが、戦争で脊髄などを損傷した兵士たちのために開催したスポーツ大会から始まっている。もちろん、ストーク・マンデビル病院よりもずっと以前から、障害者がスポーツをすることはあった。でも、それはやっぱり社会復帰や治療を目的にしているものが中心で、19世紀後半になるまでは、純粋な競技スポーツとして扱われたものは、どうやらほとんどなかったようだ。
     本格的な障害者スポーツ競技の出発点は、20世紀初めのドイツ。聴覚障害者のためのスポーツ団体が創立、以降、ヨーロッパの各国でも障害者によるスポーツクラブや競技団体が数多く作られるようになる。1924年には、現在のデフリンピックの基になった国際ろう者スポーツ競技大会がパリで開かれるなど、国際的な大会も開催されている。
     そして、第二次世界大戦後の1948年7月28日、前述のストーク・マンデビル病院で「手術よりスポーツ」という理念の基に、患者たちのためのスポーツ大会が開かれた【写真1】。実は、この翌日にロンドンではオリンピックの開会式が行われている。わざわざこの日に大会を企画したグッドマン医師は、おそらくオリンピックのことを意識していたのだろう。「失われたものを数えるな。残っているものを最大限に生かせ」という言葉を残したグッドマン医師は、後に障害者スポーツの父と呼ばれるようになる。

    【写真1】1948年にストーク・マンデビル病院で開かれた車椅子アーチェリー大会
     この後、ストーク・マンデビル病院のスポーツ大会は毎年開かれ続けるが、1952年にオランダの選手たちが参加したことから、この年の大会を第1回国際ストーク・マンデビル大会と位置づけることになった。記録によれば、この時には、およそ130の選手が、6種目を競ったようだ。
     ストーク・マンデビル大会は回を重ねるごとに参加する国が増え、1960年にISMGC(国際ストーク・マンデビル大会委員会)が創設された。
     ところが、ストーク・マンデビル大会は車椅子を使用している障害者だけのもので、それ以外の障害者は参加できなかった。そこで1961年に、他の障害者スポーツのための国際機関の設立が準備され、1964年にISOD(国際身体障害者スポーツ機構)が創られた。車椅子を使うか使わないかによって、二つの国際的な障害者スポーツ機関が存在することになったのだ。
     ISMGCは、毎年開かれる大会のうち、オリンピックのある年だけはオリンピックの開催国でストーク・マンデビル大会を開こうという方針を定めた。この方針に則り、1960年のオリンピック開催国イタリアのローマで、第9回国際ストーク・マンデビル大会が開かれた。この大会に参加したのは23か国からの選手、およそ400人だとされている。
     このローマ大会が、後に第1回パラリンピックとされるのだが、当然ながらこの大会は、車椅子を使用している障害者のためだけのものだった。
    東京大会から始まった「パラリンピック」
     だから、そういう意味では1964年の東京大会が、本質的なパラリンピックの始まりだったと言えるのかも知れない【写真2】。

    【写真2】1964年パラリンピック東京大会のポスター
    (写真提供/日本障がい者スポーツ協会)
     
  • 【再配信】3Dプリンタは最後の一ピースでしかない――株式会社nomad代表・小笠原治の語る「モノのインターネット」の現在 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 号外 ☆

    2015-01-26 07:15  
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    ・"つながるのその先"は存在するか(稲葉ほたて『ウェブカルチャーの系譜』第4回)
    ・宇野常寛書き下ろし『「母性のディストピア2.0」へのメモ書き』第1回:「リトル・ピープルの時代」から「母性のディストピア2.0」へ



    【再配信】3Dプリンタは最後の一ピースでしかない―株式会社nomad代表・小笠原治の語る「モノのインターネット」の現在

    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.1.26 号外
    http://wakusei2nd.com


    「ほぼ惑」では不定期で過去の好評記事を再配信中! 今回は昨年3月に配信した、「さくらインターネット」の起ち上げメンバーで現在は株式会社nomad代表取締役を務める小笠原治さんへのインタビューです。ネット業界15年になるベテランであり、現在ではDMM.make AKIBAの事実上のプロデューサーの一人としても知られる小笠原さんの興味はいま、「モノづくり」「場づくり」にあるといいます。ネットを前提とした"新しいリアル"について宇野常寛と小笠原氏が語り合いました。【2014.3.26配信】
    インタビュー終了後、株式会社nomadの入口奥にあるスタジオに案内されると、何台もの巨大な3Dプリンタが稼働する光景に出くわした。

    そして、テーブルの上にずらりと並ぶのは、作りかけの立体造形物の数々。だが、よく見ると何やら美少女フィギュアがやけに目につくような……。
    「日本では、やはりフィギュアなども多いですね。もちろん、一番多いのは僕らも何に使われるかわからない部品ですが。海外だと文房具なんかもよく作られているように感じます」

    そんな風に日本の3Dプリンタ事情を話しながら案内してくれたのは、株式会社nomad代表の小笠原治氏である。このスタジオは、氏の会社が運営する3DプリンティングセンターでIsaacStudioと呼ばれている。顧客にはDMM 3Dプリントなど国内大手が名を連ねる。
    株式会社nomad(公式HP)http://www.nomad.to/
    小笠原氏のインターネット業界での経歴は、国内最大手のホスティングサーバの老舗「さくらインターネット」の起ち上げなどを経て、既に15年に及ぶ。そんな彼が近年興味を持っているのが、なんとリアルでの「モノづくり」や「場づくり」。3Dプリンタだけでなく、飲食店やコワーキングスペースの経営にも乗り出しているという。
    今回、取材の中で見えてきたのは、それが決してインターネットからの「撤退」ではなく、むしろ彼なりのインターネット観にもとづくものであったことだ。メディア論に傾きがちな近年のインターネット論では見落とされがちな、「モノづくりのためのインターネット」の未来を、宇野と小笠原氏が話し合った。
    ▼プロフィール小笠原治(おがさはら・おさむ)
    1971年京都府京都市生まれ。株式会社nomad 代表取締役、株式会社ABBALab 代表取締役。awabar、breaq、NEWSBASE、fabbit等のオーナー、経済産業省新ものづくり研究会の委員等も。さくらインターネット株式会社の共同ファウンダーを経て、モバイルコンテンツ及び決済事業を行なう株式会社ネプロアイティにて代表取締役。2006年よりWiFiのアクセスポイントの設置・運営を行う株式会社クラスト代表。2011年に同社代表を退き、株式会社nomadを設立。シード投資やシェアスペースの運営などのスタートアップ支援事業を軸に活動。2013年より投資プログラムを法人化、株式会社ABBALabとしてプロトタイピングへの投資を開始。
    ◎構成・稲葉ほたて
    現在のインターネットが面白くない理由
    小笠原 あまり取材慣れしていないので、恐縮しています。そもそも宇野さんは僕のどこに興味持ったのですか?
    宇野 『ITビジネスの原理』の尾原和啓さんが主催しているディスカッションイベントで、小笠原さんと同じテーブルになったことがあったじゃないですか。そこで小笠原さんが「今のインターネットはつまらない」と言って、「これからは場づくりやモノづくりなんだ」と強調していたのが印象的だったんです。今日はまさに、その辺をじっくりと聞いていきたいんです。
    小笠原 なるほど。まず、あの言葉の大前提には「僕、インターネット大好き」があるんです。今のインターネットが残念なのは「だからこそ」なんですね。
    例えば「さくらインターネット」(※)は、僕と今の社長と前の社長が発起人だったのですが、もう3人とも全然違うレイヤーで生きてきた連中だったんです。僕なんて、小学生の頃こそマイコン少年だったけど、その後は田舎のヤンキーになってしまい、結局高校も行く気がなかったような人間ですよ。でも、そんな僕みたいな人間でも、インターネットは選択肢を広げてくれたし、多様性を認めてくれたんですね。
    僕は「インターネット」という言葉は、"インター"の部分が大事だと思うんです。プロトコルさえ合っていれば、あらゆるネットワーク同士が繋がっていくわけですよ。当時の僕は、言葉のような壁を超えて、色んな人が繋がり合えるような世界を夢見ていました。その延長線上で、きっと地理上の特性も薄れていって、人間がそれぞれの好みで共感しあうような日が来るんじゃないかと思ったりしてね。そんなインターネットが新鮮で、すごく楽しくて、僕は15年くらいそこに没頭していたんです。
    でも、いまふと周囲を見ると、そんなことにはなっていない。こんなことを言うと怒られるかもしれないけど、単に広告を販売するためのメディアに、お節介なソーシャル、そしてスマホゲームのインフラ……目立つのはそれくらいで、他はあまり目につきにくいんです。
    ※ さくらインターネット……ホスティングサーバを中心とする、データセンター事業およびインターネットサービス事業を行う企業。国内最大手の老舗で、GREEやはてな、mixi、最近ではSmartNewsなどの有名サービスが起ち上げ期から利用してきた。
    テレビ文化の延長線上でしかない「ネット文化」
    宇野 いまのお話は、要するに「最初のソーシャルメディア革命、ここ15年のインターネットで社会を変える運動は失敗した」ということですね。僕もそう思います。
    小笠原 もちろん、商業的に上手くいったのは事実なので、それ自体は良いことだと思っています。でも、その結果として、なんだか暇な時間の消費に使わされている気がしていて……。まあ、"お節介なソーシャル"なんて言いながら、僕もよくソーシャル上に張りついているし、周囲の方々が作っているソーシャルゲームをプレイして、それに課金だってしているわけです。でも、その時間って、本当はなにか物事を考えるのに使えたはずなんですよね。
    広告を載せたメディアにしても、かつて広告代理店の人がテレビCMを流すようなことを「コミュニケーション」と呼んでいたのを思い出すんです。でも、あれはある意図で一方的に情報を大量に流しているだけで、「何を言うか」より「誰が言うか」が大事な世界でした。でも結局、いま起きていることはそれがライトになって、多くの人に可能になっただけ。何も変わっていない気がするんです。
    宇野 いま小笠原さんが挙げたものは、ぜんぶテレビが生んだものだと僕は思うんですよ。現在のTwitter世間での陰湿ないじめ空間は80年代~90年代の"お節介なワイドショー"そのものだし、ソシャゲによる情報弱者からの時間収奪も現在のテレビバラエティや情報番組と同じ構造でしかない。広告についてはいわずもがな、テレビのCMが代表する代理店ビジネスが別のかたちで生き延びている。つまりは、バラエティ、ワイドショー、CMに該当するものがネットに置き換わっただけなんですよ。
    結局、日本のインターネットは、"第二のテレビ"のようになってしまったんです。テレビと広告代理店がバブル前後に作った日本的世間に反旗を翻そうとしてきたのに、気が付けば「センスが20歳若いテレビ」にしかなっていないんですね。
    小笠原 結局、誰かがピックアップしてきたものの増幅器にしかなっていないんですよね。だから、さっき挙げたような商売に乗れる3つしか話題にならない。その結果、確かに宇野さんの言うように、僕たちの周囲には「メディア論」みたいなものがやけに多くなっていますね。
    宇野 でも結局、メディアとしての側面って、インターネットのごく一部でしかないですよ。例えば、インターネットは、これまでとは違ったかたちでコミュニティを形成できるテクノロジーでもあるわけです。インターネットには地縁や血縁に基づかない、家族とも会社とも違う「100%自己責任で選んだ人間たちでコミュニティ」を作ることができる可能性がある。でも、そういう方向にはなかなか行かないでしょう。みんなインターネットをテレビや新聞の代わりに使うことばかりに夢中で、ネットでコミュニティを変えようとしない。
    小笠原 全くもって同意ですね。そう思ったときに、僕は当初の考えに戻ってみたんです。僕が大好きだったインターネットは、そもそもネットワークでコミュニティ同士を繋ぐものだった。じゃあ、まだ皆が目をつけていない場所にそれを作ればいいじゃん、と。
    そういう考えで、最近はIoTに取り組んでいます(※)。今年の頭に冒頭のイベントで話したときですら、尾原さんに「それを今年のキーワードに選んだの、あなただけだよ」と言われたのですが(笑)、結構周囲と喋っていると感触がいいんですよ。それで、まさに本格的に動いてみようと思っているところです。
    ※ IoT……「Internet of Things」の略称。日本語では「モノのインターネット」とも言われる。パソコンやサーバー、プリンタなどのIT関連機器だけでなく、自動車や家電などをインターネットに接続していく技術の総称。
    「回転率の逆を行け、滞在時間を増やせ」
    宇野 いや、本当にそんなこと考えているのは小笠原さんだけだと思いますよ(笑)。要するに小笠原さんはいま、インターネットの時代”だからこそ”の「モノづくり」と「場づくり」を考えている。その背景を今日は話してもらおうと思って来たんです。
    小笠原 ……うーん。今のタブレットやスマホでは、なかなか与えきれない要素についての話なんです。まあ、味覚や触覚のような五感も使いますし……。
    宇野 いや、何を言いたいかというと、ここで言葉をしっかり選ばないと「アナログ説教厨」みたいに思われてしまうということです(笑)。でも、小笠原さんは決して単に「デジタル技術に溺れるとアナログな人間の温かみが……」なんてことを考えている訳じゃない。むしろ冒頭におっしゃったようにインターネットが好きで、インターネットの時代「だからこそ」の「もの」と「場所」をつくろうとしている。
    小笠原 なるほど(笑)。わかります。ちょっと話が飛びますが、一つ例を出します。
    3年ほど前、六本木にawabarという立ち飲み屋を作ったんです。今でこそ本当に色んなお客さんが来てくれて、お陰様で毎日楽しくやっていられるのですが、最初の頃は誰も来ませんでした。周囲からは「急に飲食店なんか始めて、何やってるの?」と言われましたね(笑)。

    awabar(http://awabar.jp/)の外観写真。でも、awabarでは最初からずっと、店に来た数少ないお客さんのログを取り続けていたんです。飲食店の経営ってちっともデータ化されてないから、すぐ「回転率がどうこう」みたいな話になってしまうでしょう。でも、それは本当か、と思って。
    僕が考えていたのは、ウェブ風に言うなら、お客さんの「滞在時間」を上げることなんです。回転率を高めることをまず考えるという飲食店経営の常識とは違うかもしれない。でも、最初は机上の空論だったものを試行錯誤しながら形にしていったら上手く行くことなんて、ウェブでもよくある話でしょう。
    だから、スタッフにも「回転率の逆を行け、滞在時間を伸ばせるかチャレンジしてみろ」と言いました。おすすめする飲み物の値段も最初はあえて高めに置いて、そこから徐々に落としたりしながら、平均滞在時間のデータを取っていきました。事前に立てた仮説は、30分の滞在単価が900円、1人の来店単価は1800円だったのですが、滞在単価はピッタリ当たったけれども、来店単価が1400円くらいで伸び悩んでしまったんですね。
    そこで僕は次に、お客さんとしゃべるスタッフ数を増員したんですよ。人は長く居ると、飲み物ぐらいは頼んでくれますからね。しかも、僕らはお得意さんのことも少しは知っていますから、それを元にスタッフが人を紹介したりして、コミュニケーションを盛り上げるんですね。飲食店員と言うより「コミュニケーションマネージャー」みたいなイメージです。
    その結果、滞在単価は700円になったけど、来店単価は2200円になりました。みんな1時間半以上いてくれるようになって、全体の売上も伸びました。まあ、この滞在時間を伸ばして客単価を上げる手法は、実はウェブサービスのテクニックそのものなんですけどね(笑)。
    宇野 面白いですね。情報技術がこういうかたちで発展するまで、僕たちは人間の心理やコミュニケーションをこれほどコントロールできるとは考えていなかったはずなんですよ。でも、この10年、インターネットを中心にそのノウハウが積み上がって、社会全体にそれが共有され始めている。僕の考えではインターネットの普及はメディアの在り方をマスからソーシャルに変えたこと以上に、人間のコミュニケーションや、コミュニティの「空気」を可視化してコントローラブルにしたことで社会を変えたと思うんです。今のお話も、まさに後者の変化がもたらしたものですよね。
    小笠原 ウェブの考え方は、もっと色々な場所で使えるんじゃないかと思っていますね。僕としては、ウェブで行われてきた壮大な実験を、まずはリアルの極小の場所で試してみたかったんです。だから、わざわざ10坪の小さい店を選んだわけで。
    ちなみに、集客の仕方も色々とウェブサービスをヒントにしているんですよ。
    例えば、イベントの際にどうやったら人を誘いやすいかと考えたときに、「やはり、無責任に誘えるのがいいだろう」と思いついたんです。そこで、幹事の人がお金を集めなくてもいいキャッシュオンにしたんです。そうすれば、どれだけ人が来ようが、幹事は気楽なものでしょう。そのときに思い描いていたのが、「mixiの中でコミュニティを作るくらいの気軽さ」です。まあ、最近はFacebookイベントみたいになっていますが(笑)。
    あと、10坪しかない店なので、50人も来たら溢れちゃうんです。でも、ウチの店は外から店内が見えるようにしているので、周囲の人が「何だ何だ」とやってくる。これ、Twitterの「バルス祭り」みたいなものですよ(笑)。「あそこ、いつも混んでて入れねえ」「すげえ」みたいな。そんなときに、皆から「会ってみたい」と思われているような人がちょうど店に来ていて、TwitterでつぶやいたりFacebookでチェックインしてくれたりして、それで評判になっていきました。
    3Dプリンタはものづくりの最後の一ピースでしかない
    宇野 この視点はやはり「メディアとしてのインターネット」に拘泥している思考からは出てこない。僕は78年生まれで、ブロードバンドの普及期に大学生だった。その世代から見ると、当時のインターネットって、今思うとやけに「文化」としての側面が強いんですよね。インターネットで変わるのはニュースメディアだったり、ゲームだったり、マニアックな趣味のお店の通信販売が手軽になったり基本的に文化の領域だという印象があった。しかし、ここ10年で完全に変化は「生活」の領域に降りてきたと思うんです。
    僕はよく言うのですが、社会が変わるときには、まずは想像力のレベルで――つまり「文化」のレベルで変革が起きる。次に、それが実現していくことで、「生活」が変化していく。そして、最後に「生活」の必要性から、「政治」が変化していくんです。
    そういう意味では、現在のインターネットは「文化」の次にある第二段階としての「生活」の領域に入り始めている。実際、ネットなしでは僕はショッピングもできないし、銀行決済もほとんどネットバンキングにしているので、金融活動そのものが成り立ちません。何より、ここに辿り着くのだって、「Google マップ」がないと難しい。こういう「生活」の話というのは、おそらくリアルでの「モノづくり」と大きく繋がるような話だと思うんです。
    小笠原 まさに、そうですね。例えば、3Dプリンタがものすごく騒がれていて、僕自身も手がけていますが……でも、あれって「モノづくり」に必要な環境でいうと、最後の一ピースの話でしかないんですよ(笑)。

    ▲特に大きかった3Dプリンタ。購入価格を聞いてみると、目玉が飛び出しそうな額でした……。3Dプリンタが活きるのは、アリババ(※)を筆頭に部品やモジュールを探せばすぐに手に入って、さらには複数の販売者と交渉までできてしまうなどのような、この5年くらいに生まれた環境があってこそなんです。
    例えば、アリババで同じモジュールを売っている業者を見つけたら、その5社くらいとチャットでつないで、同時に見積依頼をしたりするわけです。ほとんど、「一人オークション」ですよ(笑)。しかも例えば、10万個くらい頼んでやっと1個100円くらいになる部品でも、いざ探してみたら1000個の発注でも150円くらいで出荷してくれる連中が見つかるんです。そうなると、少量生産が可能になるわけですね。3Dプリンタが騒がれる土台には、こういう環境の整備があるんです。
    宇野 まさに第一段階が終わったからこそ、第二段階があるわけですね。

    ▲株式会社nomadのオフィス1Fには、3Dプリンタで作成された沢山の模型やフィギュアが展示されている。▲3Dプリンタで作られたスマホケースも(汗)。宇野がTwitterに流したら大ウケでした……。 
  • 月曜ナビゲーター・宇野常寛 J-WAVE「THE HANGOUT」延長戦1月19日放送書き起こし! ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.248 ☆

    2015-01-26 07:00  
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    ・駒崎弘樹×荻上チキ「政治への想像力をいかに取り戻すか――2014年衆院選挙戦から考える」
    ・"つながるのその先"は存在するか(稲葉ほたて『ウェブカルチャーの系譜』第4回)
    ・宇野常寛書き下ろし『「母性のディストピア2.0」へのメモ書き』第1回:「リトル・ピープルの時代」から「母性のディストピア2.0」へ





    月曜ナビゲーター・宇野常寛 J-WAVE「THE HANGOUT」延長戦1月19日放送書き起こし!

    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.1.26 vol.248
    http://wakusei2nd.com


    大好評放送中の、宇野常寛がナビゲーターをつとめるJ-WAVE「THE HANGOUT」月曜日。月曜日は、前週分の延長戦ニコ生の書き起こしをお届けします!

    ▲前回放送はこちらでもお聴きいただけます!
    「THE HANGOUT」延長戦
    宇野 深夜の溜まり場「THE HANGOUT」延長戦のお時間がやって参りました。この延長戦では、ラジオ放送では読み切れなかったお便りを読んでいきます。最近たくさんもらっています。まずは、ラジオネーム、となりの宇宙人さん。
    「宇野さんこんばんは。一昨日センター試験を受けました。僕は大丈夫だと思いますが、友人が英語の試験で回答をずらすというマークミスをして、しかもどこまでずれているかもわからないそうです。マークミスする方が悪いというのもあると思いますが、それで一年の努力が吹き飛ぶのは厳しいですね」

    宇野 人間っていうのは運の支配から逃れられなくて、それで人生の6割か7割くらいが決まっちゃうんですよ。交通事故でこれだけの人が死んでいる世の中ですからね。もちろん、交通事故っていうのも完全に運とは言えないような、人災っていうのもいっぱいあると思うんですけど、ほんとに運としか言いようのないことで命を失う人もたくさんいるわけですよね。だからそれで割り切れっていうのも、ちょっと残酷かもしれないけどね。これはもう、本人が自分の中でどうやって処理するかっていう問題だけですよね。そこに対して、周りの人間がどれだけサポートできるかっていう、本人が割り切るための理屈とかね、物語を考え付くのかっていう、そういう問題ですね。僕はこういう問題っていうのは、はっきり言って文化とか宗教のレベルでは処理できないと思っています。合理性のレベルでは処理できないのでね。もし友人にアドバイスをするんだったら、どうすればこの人が次のステージに行けるんだろう、という視点から言った方がいいと思いますね。
    これはラジオネーム、今高さんです。

    「受験といえば、昨年高校受験だったのですが、受験の日の3日前に雑誌のプレゼントで横山由依さんのサイン入りチェキが当たって家に届いて、めっちゃテンションが上がってノリノリで、オレ絶対受かるわ! と思って受けたら受かった思い出があります」

    宇野 なんだよこれー、さりげなく自慢も入ってるよ(笑)。サイン入りチェキとか持ってないよ。マジかー、最近握手会も仕事で行けてないからなあ。ちょっとあれですね、僕も頑張って写メ会の再販とか申し込みます。
    これはですね、受験にまつわるエピソード。これは、足利のyoutuberさんからです。

    「僕は中卒なので受験というものを経験したことがありません。よく、高校に行かなかったことを後悔しているだろう、というふうに言ってくる人がいますが、全く後悔してないですね。何と言いますか、学歴というペナルティーを背負いつつ、高卒アンド大卒で生活している同級生の生活ぶりには、仕事の愚痴など聞いていると、あれ、大差ないじゃん、とか思って、勝った気がしちゃうんですよね。おまけに、今フリーで働いているので、時間も結構自由が利きます。海外に貧乏旅行へ行ったりもしますが、そんな話を同級生の友達に話したりすると、妙に攻撃をくらうんですよね。休みがなくて旅行に行っている暇もないという気持ちからか、お前も真面目に働いた方がいいよと言われちゃうんです」

    宇野 まあね、みんな自分の人生を否定したくないんですよね。僕の友達のお母さんに、名古屋の郊外で40年、もしかすると50年くらい専業主婦を続けている人がいるんです。そういった人はどうしても女性の社会進出とかには厳しくなるし、僕の友達もまさにいまシングルマザーと付き合っていて結婚を考えているんだけど、「頼むからコブ付きだけはやめてね」とか、平気で言うらしいんですよ。それで、何の悪気もないんですよね。僕の感覚からしてみると、そんな親とは縁を切ってお前はもう好きな人と結婚すべきだっていうふうにいつも言っているんですけどね。でも、彼女の世界観からしてみると、戦後的な核家族こそスタンダードで正義っていう価値観のまま半世紀近く生きてきちゃったから、今更それを覆すことってできないんですよ。それを覆しちゃうと、彼女のプライドとか全てが崩壊するからね。どんなに間違っていることでも、時代遅れになったものだとしても、自分が数10年単位で築き上げてきた人生を絶対否定できないんですよね。そうやって、人間は老いていくんですよ。僕は、若さ=素晴らしい、とまでは思わないけど、人間は老いることによって確実にできなくなることがあるんです。その限界というものに関しては、しっかり見据えておかないといけなくて、絶対に僕自身も例外じゃないんですよね。だから、僕が焦っているってわけじゃないけど、できることは今やっておこうって思って生きているのはそういう理由なんですけどね。
    次はですね、ラジオネーム鼻からぼたもちさんです。

    「宇野さんこんばんは。今日のテーマは受験ということですが、私は受験したことがありません。中学受験もしていないし、高校受験も単願だったので受験の苦労を知りません。次は大学受験ですが、まだ高校一年生なので本当にこれで受かるのか…という感じです。で、高校一年生のうちはまだ遊んでも大丈夫ですか?」

    宇野 この人アレですね、年齢15歳ですね。高校一年生でね。なんかね、うちの妹にそっくりです。僕は親が転勤しまくっている時期に子供だったので、ものすごく転校しているんですよ。でも、10歳下の妹は、家が札幌にほぼ落ち着いた頃に小学校に上がるか上がらないかの歳だったので、ほぼ札幌生まれ札幌育ちで、このままたぶん死ぬまで札幌にいるんじゃないかと思われる人間なんですよ。で、地元の公立の小学校と中学校に行って、高校も近くて、札幌市のほぼ南区で完結しているんですね。今は就職して、何駅か離れた多少遠いところに勤めていますけど。まぁ、それでも何駅かですね。
    で、同じ兄弟でもこんなにリアリティが違うのか、って驚くくらい、もう世界観が全然違うんですよね。特に妹なんて、彼女が5歳のとき僕は家からいなくなっているので、たまに会うときも、本当に親戚のおじさんが帰ってきた春休みみたいな感じなんですよね。それで、父親が死にかけていて、僕が家を切り盛りしていた一時期があって、母親もいろいろ看護疲れで参っちゃってね。で、弟は就職して家を出ていたので、妹と僕で主に家にいた時期があって、そのときにわりかし仲良くなったんです。なんというか、歳の離れた友達として再会したような感じがあるんですよね。
    僕は5年以上同じところに住んだことがないような人生をある時期まで送っていたので、そういった人間と、半径数百メートルで完結する人間とでは、同じ親に育てられてもこんなに違うのかっていうくらい、世界観やリアリティが違うんですよねえ。あ、まだ全くメールの質問に答えてないですね(笑)。えー、高校一年生のうちはまだ遊んでいても大丈夫ですか? という質問でしたが、今日の放送の延長線上で言うんだったら死ぬ気で勉強してくださいって言うしかないですね。そうじゃないと僕みたいなダメな人間になりますよ。僕は本当に運が良くてここにたまたまいるだけなので、大学を受けるつもりなら今からやっておいた方がいいですね、はい。僕はこのテーマに関しては本当に保守的です(笑)。
    これはラジオネーム、すがっちさんです。

    「宇野さんこんばんは。2年しか経っていないこともあって、大学受験の記憶が強いです。進路選択や勉強法など、今考えると後悔も多いですが、受験勉強を通じて読解力は鍛えられたのかなと思っています。高校時代に読むことができなかったような本を今は手に取ることができますし、何より理解することに対しての姿勢が変わった気がします。宇野さんが受験を通じて学び、得たと感じたものがあれば教えてください」

    宇野 この人ね、メールをね放送直前の23時29分に送ってくれているんですよ。これは、絶対今日の放送がこういう内容になると思っていなくて言っていますよね(笑)。僕が受験から学び得たことは、大人しく勉強しておけば良かった、だけですね。はい。
    これはラジオネーム、ビスちゃんぽんさんです。

    「テーマは受験。思い出したのは高3の時です。12月ごろに受けたセンター試験の模試の点が当時800点満点で400点そこそこで、学年でも有数の不出来な結果でした。それからの1か月半、必死こいて勉強した結果、本番のセンター試験では250点ぐらい高い得点を取りました。結果、その好成績によって私は予備校の良いクラスに入って楽しい予備校生活を過ごすことができました」

    宇野 ってこれ、受かったって話じゃないんだ(笑)。

    「受験生のみなさんには辛いかもしれないけど、最後の最後まで燃え尽きずに試験勉強をもう少しだけ重ねてみてほしいなと思います」

    宇野 説得力はゼロですね(笑)。次行きましょう、ラジオネームしょうまこさん。

    「宇野さんこんばんは。僕の中学校では、高校受験の次の日に学校に集まって自己採点するのが慣習でした。僕も自己採点をして、志望校合格ラインを超える点数だったので、安心しながらくつろいでいたら、突然友人に、『俺のも採点してくれない?』と言われました。採点自体は簡単な作業なのですが、もし悪い点数だったとき、その友人に伝えるのが苦しいので正直迷ったのですが、結局採点してあげました。すると、予想通りに微妙にヤバい点数で、すごく切ない気持ちになったのですが、その点数を正直に伝えました。この時、僕は思いました。自己採点は自分でするものだと」

    宇野 まあ、自己採点ですからね(笑)。

    「結局その友人も高校には受かったので今では笑い話ですが、僕はあれから他人の採点をすることはやめました」

    宇野 まあ、やめた方がいいですよね。僕は中学の時かな、塾の試験を自己採点していて、出来が悪いと返ってくるのが嫌なので、自己採点をあえてしない方が精神衛生上いいなと思っていながらも、ついしちゃうっていうジレンマにずっと苦しんでいましたね。あと、試験の時に、本当はもっと試験の点数を上げるために見直しとかに時間を使った方がいいのに、自己採点をしないとこの先が不安だから一生懸命問題用紙に自分の解答を書きこんだりする時間に追われて結局計算ミスを見逃すみたいなことがありましたね。
    これは、ラジオネームやーのさん。

    「宇野さんこんばんは。僕が受験で印象に残っているのは、入社試験でのことです。いくつか受けていた会社のうちの、ひとつの入社試験の開始時間を勘違いしてしまい、会場に着いた時には誰もいない状態ということがありました。そこで改めて反省して、気合が入ったのが良かったのか、現在の会社に入社することができたので、笑える話になりました。人生で最も冷汗が出た思い出です。受験生のみなさん、前日の追い込みも大事ですが時間と会場の確認も忘れず試験に臨んでください」

    宇野 これねー、この年になると最後の1日や2日あがいても仕方ないからコンディションを保つ方が大事だってわかるんだけど、10代だと直前の詰め込みとか意味があるんじゃないかとか思っちゃいますよね。なんか、確実に自分がパワーアップしているっていう確証が得るようなことをして、安心したくなっちゃうんですよね。こういうところで、肝っ玉がどれくらい座っているかとか、度胸があるかが出るなって思いますね。特に10代の場合、差が出ると思いますね。大人になると結構、頭の良さとかあるいは準備の周到さでカバーできるんですけどね。
    構成作家・戸田 名古屋の大学を受けるときだったんですけど、俺も受験に遅刻して、初めて名古屋に行って、その途中の電車がわからず、特急に乗ってしまってとんでもないところで降りて、もう戻っても間に合わないってことがわかって、そのまま新幹線に乗って広島帰って、当時付き合っていた彼女とラブホテルにこもってました。
    宇野 いい話ですねー。
    戸田 それで、試験終わって帰ってくる時間くらいに帰るっていう。
    宇野 いいですねー、偽装旅行(笑)。
    戸田 いやいや、俺はそんなだったのに、宇野さんは偽装旅行でもちゃんと旅行していて、偉いなって思ったんです。格の違いを感じました(笑)。
    宇野 僕、本当に札幌市内の友達の家に泊まって、市内から親に「いま仙台」とか電話したよね。
    戸田 すげぇなー(笑)。
    宇野 はい、次はラジオネーム、P交換条約さん。

    「僕も宇野さんと同じように浪人していた頃、駅地下のビルで『銭ゲバ』とかを座り読みし、図書館でマリリン・モンローの映画を観て過ごしていました。ちなみに言うと、地下にあったゲーセンのめちゃめちゃ古いインベーダーゲームを黙々とやっていました。そして宇野さんのように、今の時期に必死になって大学に入れました」

    宇野 いやー、他人とは思えないですね! 駅地下のビルで読んでいる本が『銭ゲバ』ってところがまたいいですね。僕はちょうどそのころ札幌にブックオフができて、そこに行っていましたね。そこで『吉祥天女』とかを読んで、すごく感銘を受けて。上下巻なんですけど、上巻を読んでショックを受けて、これは買って読もうと思って、立ち読みで読んだ『吉祥天女』を、上下巻買って持っていて。で、そしたら喫茶店代がちょっと惜しくなって、いま思うと中途半端に金持っていたから喫茶店に入れば良かったんですけど、当時僕は無駄なことに金は使わない主義だったので、座り読みできるところを探した結果、札幌駅の地下街にたどり着いて、そこでホームレスの隣で読んでいました。ちょっと臭かったけど(笑)。そこで『吉祥天女』読んで、震えましたね。
    これはツイートですね、作業場のサドさんです。

    「懐かしいね、アテネ書房よく世話になったと思う。宇野さんあなたは最高だよ。たぶん中央図書館でお会いしてそうだ。おいら無職だったから最高の時間つぶしだったよ」

    宇野 いいですねー、本当にすれ違ってたいかもしれないですね! もしかしたら僕が『吉祥天女』を読んでいた時に隣でごろ寝していた人かもしれませんね、この方が(笑)。
    これはですね、ラジオネーム銀河さん。

    「宇野さんこんばんは。受験、もう二度とやりたくないと思いつつ、43歳になった今も資格試験などで受けざるを得ない生活を続けています。受かったものも、落ちたものもありますが、一番ショックだったのは、大学受験よりも数倍頑張って受けた資格試験に自分が落ち、同時に受けたかみさんが受かったのが悔しさでいっぱいでした。でもその受験失敗の悔しさが、その後の生活に前向きにつながっています」

    宇野 これ、家庭内の地位みたいな物に影響があったでしょうね(笑)。
    戸田 嫁さんだけ受かるって(笑)。
    宇野 結構、人生の失敗って相対評価なんですよね。僕がぬくぬくと浪人をしていたというか、自分の人生に当時疑問を持っていなかったのは、周りの人間が僕と同じように浪人していたり、あるいは大学に入って速攻引きこもりになって、1年目から留年が確定しているような、超ダメ人間集団だったせいで、みんな人生裏街道歩んでいるからいいやっていうふうに思っていた側面も大きいですね。周りにもうちょっと意識の高いキラキラした、推薦で有名市立大に入って将来はマスコミみたいな奴らが僕らのグループに1人や2人いればよかったんだけど、残念ながらそういった人間は全然いないので、しかも僕はそういった奴らが大っ嫌いなので、本当に今いろいろざまーみろと思っている所実はあるんですけど(笑)、まあ、そういうグループじゃなかったい別にいいかみたいな感じでやっていたところもありますね。
    ダメ人間の集まりですけど、楽しかったですよ! 浪人中も、奥村っていう友達が、当時ヨシムラ荘っていうわりと潰れかけた下宿にいて、でもそこは潰れかけているが故にすごく居心地がよくて、みんなの溜り場になっていて。ある人間はひたすらパワプロをやって、ある人間は僕の持ち込んだ漫画を読み、ある人間はパソコンで三国志をやりがら、ゲームなんか家に帰ってやればいいのに、みんな溜まってそこでずっとゲームやったり漫画読んだりとか。夜中にカップ焼きそばとかみんなで食ったりしていましたね。結構楽しかったなあ。近くに奥村の家の下宿の近くに学生向けの中華飯店があって、そこに三大定食があるんですよ。肉野菜定食、肉たま定食、肉玉ねぎ定食っていう三大定食があって、全部ジャンクな豚肉野菜定食なんですけど、それが大盛り無料なんですよ。500円で、大盛り無料で、ご飯も野菜も山盛りで、あとは中華スープがついて。それを食べると20歳前後の食べ盛りの男でも一日もつんですよ。みんな金ないから、そこで肉野菜炒めの大盛りを腹いっぱい食べて、ずーっと漫画読んでゲームするっていう、そんな溜まりを方していましたね。
    続きましてラジオネームがんばっている中年さん、43歳の方です!

    「たまに残業中に聞いています。正直なコメントにいつも若さを感じています。がんがんいってください。本日の議題は受験ですが、私の経験上、有名国立大学出身者が非常に有利な社会人生活を送れるのは、今の時代も同じと感じています。私は早稲田大学理工科学部で、大手商社に入社。社長になりたいという夢を追い続けひたすら働きましたが、結局は有名国立大学出身者がシード権を有し、どのポスト競争も不公平さを感じました。20年努力をしましたが、社長までの道のりが困難だと判断して、3年前に退職。現在はベンチャー企業を立ち上げ、やっと商社時代の給料の半分を得られるようになりました」

    宇野 厳しい業界ですね。

    「何が言いたいかというと、有力上場企業には非常に根強い国立大学派閥が存在し、かなりの力を有しています。そりゃそうですよね。次の有力ポストには出来るだけ後輩を優先するのが自然の流れです。二浪してでも有名国立大学を目指すのは十分に価値があります。東大、京大、一橋大です。宇野さんには理解できないかもしれませんが、これが現実です。受験生にどうせやるならとはっぱをかけたいとという気持ちでメールをしました。ちなみに私は現在東京百人町でクリーニング業を営んでいます。今は社長として別な道で楽しんでいます。決して20年間は無駄と思いませんが、ご参考まで」

     
  • 國分功一郎「帰ってきた『哲学の先生と人生の話をしよう』」 第9回テーマ:「逃げること」 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.247 ☆

    2015-01-23 12:00  
    220pt

    【お詫び】本日配信の「ほぼ日刊惑星開発委員会」ですが、編集作業に時間がかかってしまい、今朝の午前7時に配信することができませんでした。楽しみにしていただいていた読者の皆様、大変申し訳ございませんでした。本日正午より配信・公開いたしましたので、ぜひ、ご覧ください。今後ともPLANETSのメルマガ「ほぼ日刊惑星開発委員会」を楽しみにしていただけますと幸いです。※メルマガ会員の方は、メール冒頭にある「webで読む」リンクからの閲覧がおすすめです。(画像などがきれいに表示されます)
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    ・宇宙の果てでも得られない日常生活の冒険――Ingressの運営思想をナイアンティック・ラボ川島優志に聞く・井上敏樹書き下ろしエッセイ『男と×××』/第5回「男と女4」・ほんとうの生活革命は資本主義が担う――インターネット以降の「ものづくり」と「働き方」(根津孝太×吉田浩一郎×宇野常寛)・『Yu-No』『To Heart』『サクラ大戦』『キャプテン・ラヴ』――プラットフォームで分かたれた恋愛ゲームたちの対照発展(中川大地の現代ゲーム全史)・リクルートが儲かり続ける理由――強力な3つのループが生んだ「幸せの迷いの森」 (尾原和啓『プラットフォーム運営の思想』第6回)・1993年のニュータイプ──サブカルチャーの思春期とその終わりについて(宇野常寛)
    ・駒崎弘樹×荻上チキ「政治への想像力をいかに取り戻すか――2014年衆院選挙戦から考える」
    ・"つながるのその先"は存在するか(稲葉ほたて『ウェブカルチャーの系譜』第4回)
    ・宇野常寛書き下ろし『「母性のディストピア2.0」へのメモ書き』第1回:「リトル・ピープルの時代」から「母性のディストピア2.0」へ




    國分功一郎「帰ってきた『哲学の先生と人生の話をしよう』」 第9回テーマ:「逃げること」

    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.1.23 vol.247
    http://wakusei2nd.com




    お待たせしました! 哲学者・國分功一郎先生による大人気連載『哲学の先生と人生の話をしよう』最新回をお届けします。今回のテーマは、「逃げること」です。
     

    『哲学の先生と人生の話をしよう』連載第1期の内容は、
    朝日新聞出版から書籍として刊行されています。


    ▲國分功一郎『哲学の先生と人生の話をしよう』(朝日新聞出版、2013年)
    書籍の続編となる連載第2期「帰ってきた『哲学の先生と人生の話をしよう』」の最新記事が読めるのは、PLANETSメルマガ「ほぼ日刊惑星開発委員会」だけ!過去記事はこちらのリンクから。

    それでは、さっそく今回のテーマ「逃げること」について、寄せられた相談をご紹介していきます。ビスちゃんぽん 31歳 男性 千葉県 勤務者
    連載、いつも楽しく拝読させて頂いております。
    お目汚し申し訳ございませんがどうぞ宜しくお願いします。
    自分のこれまでの人生を振り返ると苦しいことから逃げ続けてばかりの人生だったような気がします。
    中学受験、大学受験、その後の学生生活、職に就いた後もそこから逃げるように楽をできる方向ばかりの生き方をしてきました。
    結果、私は何を得ることもなく、空虚な人間に成り下がっている、そんな感覚が常に自分の何処かにあり、空虚であることを肯定するかのようなルサンチマンで己を日々ダラダラと生かしているようにも思います。
    周りに救われ、周りを傷つけて私が存在していることは明らかなのに、周りを救うことができない自分は、1人の人間としてこれで良いものか、と悩むこともしばしばです。
    そこから脱却しようと克己すれば良い、というシンプルな結論もよく考えますが、その過程にある努力が苦しくて目を逸らし、逃げようとする意識のために、結局は何事も実現できておりません。
    こんな随分な年齢になって伺うのも恥ずかしいことなのですが、自分の「逃げること」に対して歯止めをどうかければ良いか、などという益体もないことをつらつらと考える自分にも辟易します。
    相談、悩みというには余りにも空疎でまとまっていない内容で気が引けるのですが、ご笑覧下されば幸いです。
    谷新九郎 27歳 男性 東京都 会社員
     國分先生、こんにちは。
     僕は生活の節々で「大切な問題について考えるのを避けて、日常的な些細なことにかまけているのではないか」と感じることがあります。大切な問題というのは、はっきり書いてしまうと「老いる」ということであり、「いつか死ぬ」ということです。
     昔から夭逝というものに憧れていて、若くして死んだ戦国武将や芸術家がカッコよく思えてなりませんでした。中高生の時分、漠然と「自分も25くらいで死ぬのかな」と思っていたら、そういうこともなく、それからというものなんとなく「ずるずると生き永らえている」という印象があります。
     キャリアアップや自己実現のために努力することはもちろん素晴らしいことですし、趣味に打ち込むのも友人と談笑するのも楽しいのですが、どこか「問題を先送りにしている」という感覚がぬぐえず、時折虚無的になってしまう自分がいます。
     じゃあ逃げずに死ねばよいのではないか、といわれると困ってしまうのですが(因みに卒業論文はデュルケームの『自殺論』でした)、老いについて考えることから逃げず、逆に肯定的に捉えることはできるのでしょうか。何かアドバイスをいただければ幸いです。
    ぽてりん 29歳 男性 東京都 会社員
    國分先生
    いつも楽しく拝見させていただいております。
    「逃げること」という今回のテーマ聞き、自分が幼少の頃より嫌なことがあるとすぐにベッドに逃げ、母に叱られた記憶を思い出しました。
    成人した現在においてもその逃げ癖は、私の行動に影響を及ぼしていると思います。
    例えば、私は知り合い程度の人間と同じエレベーターに乗るのが嫌いです。互いに話すことがなくなり、沈黙してしまう空気、それに耐えられないのです。
    ですので、以前、事務所があったビルの7階までエレベーターを使用せず、逃げるように毎日地下1階から階段で上ってきたこともありました。
    自分の行動を規制する「逃げること」とは何なのかが、私自身よく分かりません。
    國分先生にお聞きしたいのは、「逃げること」とは何か、どこまでが「逃げること」
    (例えば、物質へ自分の気持ちを投射することなど。嫌なことがあった時、空を見上げると曇り空から雨がしとしと降ってきて、その天気が自分を慰めてくれていると感
    じる行為なども逃げることに入るのか?)
    なのかです。
    抽象的で申し訳ございませんが、先生のご意見をお伺いできれば幸いです。
    逃げ癖人生を歩んでいる私ですが、逃げたことからは逃げられないとは思っております。蛇足でした。
    ちんおんち 25歳 男性 千葉県 無職
    自分にとって都合のよい世界で生きたいんですけど、自分の知る限りそんな世界はどこにもなくて辛いです。どこかそういう世界に逃げたいです。
    どこに行っても「人としてこうあるべき」っていう圧力があって、どこかにそういうのが全くない世界がないかなぁって思ってます。
    都合のよい世界を作るために努力する気はないです。面倒くさいから。
    求めてるのは無条件で自分のことを肯定して生かしてくれる世界なんですけど、そういうこと言うと軽蔑されるのも嫌です。何もかも嫌です。
    ネットとかだと「じゃあ死ね」って言われますけど、死ぬのも努力が必要だから嫌です。
    やっぱり自分みたいに現実から逃げたい逃げたいと思ってる人は死んだほうが良いんでしょうか? それならどうしたら楽に死ねますか? 教えて欲しいです。よろしくお願いします。
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
     どうも、こんにちは國分です。 
     今回は「逃げる」がテーマなんですけど、すみません、ちょっと読者の方を不快にさせるようなことを書きますね。
     なんか、質問がつまんなかったです。
     「ああ、そんなもんなんだ」って思いました。
     だってどれも、「自分は逃げちゃ行けないところで逃げてしまうから、どうしたらいいか」という質問ですよね。
     そういう「逃げる」っていったいどういう意味ですか?
     どういう意味なのかはっきりしませんけど、そうやって「逃げて」いても生きていけるんでしょ。
     そこにあるのは、「自分は本当はもっとイケてるはずだ」という、理想からのズレに対する意識だけじゃないですか。ただそれだけじゃないですか。
     「逃げる」が、理想とのギャップを埋められないって意味になってる。
     逃げるってのは、そういうことじゃありませんよ。
     危険があって、それを察知して、その危険を避ける。それが逃げるってことです。
     ダラダラしてるとか、問題を先送りしてるとか、沈黙に耐えられないとか、それはあなたがそういう人間だというただそれだけのことです。
     自分がどういう人間であるのかを受け入れられていない、ただそれだけ。
     なのに、よく分からない理想像をどこからか学んできて、それと自分が違うから「逃げる」って言葉を利用している。
     まぁ、死にたいって言ってるちんおんちさんが正直なのかもしれないですね。生きているのって本当に大変だから。
     僕はですね、逃げたいのに逃げられない、どうやったら逃げられるだろうかという質問を期待していました。それこそ、考えるべき問題です。
     会社からどう逃げるか、親からどう逃げるか、DVからどう逃げるか、今の地位や生活を捨てて、迫り来る戦争からどう逃げるか……。たくさんあるじゃないですか。
     なんで、こうなっちゃうんでしょうか。
     つーか、どう思いますか?
     「逃げちゃダメだ!」ってフレーズが頭の奥深くにこびりついているって感じじゃないですか?
     このフレーズ、通俗的すぎるでしょ。なんで逃げちゃいけないの? わけわかんね。
     危なかったら逃げるんだよ。
     だって、危ないって分かっているのに逃げずにいい気になって立ち向かっていく奴がいたら、「バカだな、あいつ」って思うでしょ?
     「どうしても逃げてしまいます」って言う人は、「自分はバカになりたいです」って言いたいんですか? そうじゃないんだったら、単に「逃げる」って言葉の使い方がおかしいんですよ。
     もちろん、さまざまな理由で逃げられない、逃げられなくなるケースがあります。逃げるべきなのに逃げられないのだとすれば、これこそ考察に値するケースですよね。どういう可能性があるのかを考えることができる。
     すこし話を発展させます。
     「あなた方がそういう人間だというただそれだけのこと」って書きました。
     人間があれこれの性格や傾向をもっているというのは、いったいどういうことでしょうか?
     最近、「徳」についてよく考えるんです。僕はこの言葉が嫌いでした。哲学では、一般的に、保守的な思想の持ち主が徳の話をしますので。
     でも、「徳」を違う仕方で理解できると分かって、これがおもしろく感じられるようになってきたんです。
     薬物依存やアルコール依存の女性たちが互いに助け合う自助グループのお話を聞いたのがきっかけでした。 
  • 宇宙の果てでも得られない日常生活の冒険――Ingressの運営思想をナイアンティック・ラボ川島優志に聞く ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.246 ☆

    2015-01-22 07:00  
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    ・駒崎弘樹×荻上チキ「政治への想像力をいかに取り戻すか――2014年衆院選挙戦から考える」
    ・"つながるのその先"は存在するか(稲葉ほたて『ウェブカルチャーの系譜』第4回)
    ・宇野常寛書き下ろし『「母性のディストピア2.0」へのメモ書き』第1回:「リトル・ピープルの時代」から「母性のディストピア2.0」へ




    宇宙の果てでも得られない日常生活の冒険――Ingressの運営思想をナイアンティック・ラボ川島優志に聞く

    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.1.22 vol.246
    http://wakusei2nd.com


    本日の「ほぼ惑」は、社会現象ともなりつつある位置情報ゲーム「Ingress」の担当者・川島優志さんへのインタビューをお届けします。運営側の川島さんは現在のIngressブームをどう見ているのか? そしてこれまでの家庭用ゲームにも、数多のウェブサービスにもできなかった「現実をHACKする」エンターテインメントの真の可能性とは――?

    位置情報を用いたゲーム「Ingress」について、たびたびPLANETSでは取り上げてきた。
    ▼関連記事
    ・世界と自分を一直線に繋げる――睡眠時間を削ってまで散歩がしたくなる、位置情報ゲームIngress(イングレス)って何?(中津宗一郎)
    ・地理と文化のシーソーゲーム――Ingress(宇野常寛)今回「ほぼ惑」は、このIngressの担当者であるナイアンティック・ラボ(Niantic Labs)の川島優志氏にインタビューすることに成功した。宇野との対話は、「食べログ」や「コロプラ」などの位置情報サービスから、クリストファー・ノーラン監督の『インターステラー』との比較にまで及び、Ingressの背景にある思想を考える内容になった。▲川島優志氏
    ◎聞き手:宇野常寛、稲葉ほたて
    ◎構成:稲葉ほたて
    ハリウッドに対抗できるのはIngressだけ
    宇野 先日、うちの事務所裏にある結婚式場のマリア像が「高田馬場聖母」という名前をつけられて、ポータルに登録されていて、もう愕然としたんです。「ナイアンティック・ラボはこれを通していいのか、騙されているぞ」と(笑)。東京は結構そういうものが多いですが、外国でもこういう事例はあるんですか?
    ▲「高田馬場聖母」
    川島 「どうなんだ」っていうのはいっぱいありますよね(笑)。
    台湾の台北に立っている電信柱に装飾された通信ボックスがついているんです。その一つ一つの電信柱がポータルとして申請されていて、現地の人も「こんなにあっていいのか」と言ってるそうです(笑)。あまりにふさわしくないものは、ユーザーからのフィードバックで消していますが、基本的にはまあ、不思議なものは全てポータルになりつつありますよね。
    ――Ingressはユーザーも面白いですけど、運営も良い意味でいい加減ですよね。
    宇野 いや、でもIngressはまだ死人が出ていないことのほうが不思議なくらいじゃないですか。僕は『頭文字D』を最も多くの人間をリアルで死に追いやった漫画だと思っているのですが(笑)、下手をするとアレよりも危険かもしれない。
    川島 確かにリスクはあって、以前、巨大なリンクを張るために飛行機をチャーターして、アラスカに飛んだ人がいたんです。ところが、アラスカに降り立ってポータルで作業している20分の間に、エンジンが凍り付きそうになったらしくて、一歩間違えればそこで凍死してしまう状況に陥ったそうです。大変な冒険です。
    宇野 僕は今、ハリウッドに唯一対抗できそうなエンターテイメントがIngressだと思っているんです。
    現在のハリウッドで流行している作品って、ピクサーやディズニーのようなアニメとX-MENや『ゼロ・グラビティ』のような特撮になっていて、徹底的に作り込まれた物語なんです。90年代に流行したような、手ブレさせてリアリティを出すような映像がYouTubeに無限に溢れかえる時代になった結果、映画館にわざわざ観に行くような映像の役割は、むしろ徹底的に作家によってコントロールされた純度100%のファンタジーという方向になりだしている。
    そういう流れの真逆にあるのが、おそらくIngress的なものでしょう。ユーザーが自分たちで物語をどんどん生成していくプラットフォームとしての究極形と言えるのではないでしょうか。
    川島 先日、日本が覆われたときに「現実がいかに予想外で面白いか」を思いました。本当に、そのまま映画にできるくらいの色んなストーリーが、毎日のように世界中で起きています。
    例えば、1年くらい前にオブジェクトを13個ほど世界に散らばらせて、リンクを繋いでそれを運ぶという「大玉ころがし」みたいなものを初めてやりました。レジスタンスはブエノスアイレスに運んだら勝ちで、エンライテンドはサンフランシスコに運んだら勝ちというルールでやったのですが、もう大冒険でした。
    例えばロシアでは、「今からすぐにヴォルゴグラードへ飛んでくれ」みたいな指令が飛ぶわけです。それに対して「いつだ」「4時間後のフライトで飛んでもらわなければ間に合わない」なんて話し合い、「よし、俺が行く」みたいな展開になったそうです。ハリウッドもかくやのスリリングな物語ですよね。Ingressによって、予想を超える形で「現実ってこうだったのか」というのが「見える化」されるのは面白いところです。
    コロプラとIngressの違いとは?
    宇野 まず、僕のGoogleに対する考えを言うと、Googleがネット上のサイトを検索するサービスだった時代って随分と昔のことだという認識なんです。
    だって、もはや僕らが普段の生活で検索エンジンを使うときって、実は飲食店を探すか知らないワードを調べるときくらいで、僕なんかはGoogleはもう食べログとWikipediaのインデックスくらいの感覚さえあります(笑)。この10年でわかったのは、人間の吐き出すWebページなんて、所詮はいくつかのキラーサイトに集中してしまうだけだということで、そこに向けてコンテンツを作ることが僕にはそれほど重要とは思えなくなっています。
     
  • 井上敏樹エッセイ連載『男と×××』第5回「男と女4」 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.245 ☆

    2015-01-21 07:00  
    220pt

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    ・"つながるのその先"は存在するか(稲葉ほたて『ウェブカルチャーの系譜』第4回)
    ・宇野常寛書き下ろし『「母性のディストピア2.0」へのメモ書き』第1回:「リトル・ピープルの時代」から「母性のディストピア2.0」へ




    井上敏樹エッセイ連載『男と×××』第5回「男と女4」

    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.1.21 vol.245
    http://wakusei2nd.com


    本日の「ほぼ惑」は、平成仮面ライダーシリーズなどでおなじみ、脚本家・井上敏樹先生のエッセイ連載『男と×××』の第5回。先日放送されたTVドラマ『オリエント急行殺人事件』の三谷幸喜オリジナル脚本から、「女の執念に満ちたラブストーリー」を読み解きます。(本文中に、アガサ・クリスティの名作ミステリ『オリエント急行殺人事件』や、今回の三谷幸喜版のネタバレがありますので未見の方はご注意ください)

    井上敏樹エッセイ連載『男と×××』これまでの連載一覧はこちらから。

    ▲井上敏樹先生が表紙の題字を手がけた切通理作×宇野常寛『いま昭和仮面ライダーを問い直す[Kindle版]』も好評発売中!
    【PLANETSチャンネル会員限定! 井上敏樹関連動画はこちらから。】
    ・関連動画(1)
    井上敏樹先生、そして超光戦士シャンゼリオン/仮面ライダー王蛇こと萩野崇さんが出演したPLANETSチャンネルのニコ生です!(2014年6月放送)
    【前編】「岸本みゆきのミルキー・ナイトクラブ vol.1」井上敏樹×萩野崇×岸本みゆき
    【後編】「岸本みゆきのミルキー・ナイトクラブ vol.1」井上敏樹×萩野崇×岸本みゆき
    ・関連動画(2)
    井上敏樹を語るニコ生も、かつて行なわれています……! 仮面ライダーカイザこと村上幸平さんも出演!(2014年2月放送)
    【前編】「愛と欲望の井上敏樹――絶対的な存在とその美学について」村上幸平×岸本みゆき×宇野常寛
    【後編】「愛と欲望の井上敏樹――絶対的な存在とその美学について」村上幸平×岸本みゆき×宇野常寛
    男 と 女 4
               井上敏樹
     先日、二夜に渡って放送された三谷幸喜脚本の『オリエント急行殺人事件』を観た。アガサ・クリスティ原作の名探偵ポワロシリーズの傑作で、ハリウッドで映画化された事もあるから知っている人も多いだろう。
     豪華列車の個室で殺人事件が発生する。容疑者は十二人の乗客たち。ポワロは乗客それぞれに尋問を重ね、その灰色の脳細胞を駆使して犯人にたどり着く。実は十二人全員が犯人だった、という当時としては画期的だったに違いないシチュエーショントリックである。
     被害者の男は裁判では証拠不十分で無罪になったが誰もが知る極悪人で、男に恨みを持つ十二人が結託して殺人を犯したのだ。
     もちろん三谷版でもこのストーリーの骨格はそのまま踏襲されているのだが、名探偵ポワロならぬ勝呂武尊(すぐろたける)役の野村萬斎を始めとする魅力ある俳優陣と三谷氏の工夫で大変見応えのあるものに仕上がっていた。
     第一夜で三谷氏は事件発生から解決までを全て描き切っている。ここで『完』としてもいいぐらいだ。だが、三谷版『オリエント急行殺人事件』の本当の見せ場は第二夜にあり、こちらの方はほぼ三谷氏のオリジナルである。
     
  • ほんとうの生活革命は資本主義が担う――インターネット以降の「ものづくり」と「働き方」(根津孝太×吉田浩一郎×宇野常寛) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.244 ☆

    2015-01-20 07:00  
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    ほんとうの生活革命は資本主義が担う――インターネット以降の「ものづくり」と「働き方」(根津孝太×吉田浩一郎×宇野常寛)

    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.1.20 vol.244
    http://wakusei2nd.com


    本日のほぼ惑は、昨年12月13日の「PLANETS Festival」にて行なわれたデザイナー・根津孝太さんとクラウドワークス代表・吉田浩一郎さん、そして宇野常寛の鼎談をお届けします。対談集『静かなる革命へのブループリント』(以下、『ブループリント』)にも登場し、「クルマ」と「働き方」というそれぞれ別の分野で変革を起こしつつある2人のイノベーターはいま、どんなことを考えて活動しているのか。『ブループリント』以降の視点から徹底的に語りました。 
    ▼当日の動画はこちらから。(PLANETSチャンネル会員限定)

    ▼プロフィール


    根津孝太(ねづ・こうた)
    1969年東京生まれ。千葉大学工学部工業意匠学科卒業後、トヨタ自動車入社。愛・地球博 『i-unit』コンセプト開発リーダーなどを務める。2005年(有)znug design設立、多くの工業製品のコンセプト企画とデザインを手がけ、企業創造活動の活性化にも貢献。賛同した仲間とともに「町工場から世界へ」を掲げ、電動バイク『zecOO (ゼクウ)』の開発に取組む一方、トヨタ自動車とコンセプトカー『Camatte (カマッテ)』などの共同開発も行う。パリ Maison et Objet 経済産業省ブース『JAPAN DESIGN +』など、国内外のデザインイベントで作品を発表。グッドデザイン賞、ドイツ iFデザイン賞、他多数受賞。2014年よりグッドデザイン賞審査委員。



    吉田浩一郎(よしだ・こういちろう)
    株式会社クラウドワークス 代表取締役社長 兼 CEO。
    1974年兵庫県生まれ。登録会員数24万人、4万社超の企業が利用する日本最大級のクラウドソーシングサービス『クラウドワークス』(http://crowdworks.jp/)創業者。ヤフー、ベネッセ、テレビ東京等と提携しており、電通グループや伊藤忠グループ、サイバーエージェント、リクルートグループ等から15億円を超える出資を受ける。日経ビジネス「日本を救う次世代ベンチャー100」選出。著書に『クラウドソーシングでビジネスはこう変わる(ダイヤモンド社)』等がある。
    ◎構成:中野慧
    オープン・イノベーションと「残りの9」の関係
    宇野 この座談会では「産業から社会を変える」というテーマで、カーデザイナーの根津孝太さん、そしてクラウドワークス代表の吉田浩一郎さんとトークをしていきたいと思います。それでは改めてご紹介します、PLANETSのイベントではすっかりお馴染み、カーデザイナーで「znug design」代表の根津孝太さん、そしてクラウドワークス代表の吉田浩一郎さんです。
    根津・吉田 よろしくお願いします。
    宇野 根津さんはもともとトヨタのカーデザイナーで、今は独立してクルマだけではなくいろんなデザインを手掛けていて、「デザインによって世の中をどう変えていくのか」というお仕事をされている方です。
     吉田さんは「クラウドワークス」というクラウドソーシングサービスを運営していて、一言で言うと個人が会社に所属するのではなく、ネットワークに繋がることによって仕事をしていく働き方の実現を目指している。
     対談集『静かなる革命へのブループリント』では、一番最初に根津さんとの対談、二番目に吉田さんとの対談が載っているんですね。僕はこの2人って、まったく異分野のようでいて、抽象的なレベルではすごく近いことをやっていると思うんです。根津さんは「クルマ」もしくは「ものづくり」、吉田さんは「働き方」。ともに戦後日本を支えてきたシステムそのものですが、それが耐用年数を過ぎ、社会全体にある種の閉塞感を生んでいる。
     普通は「じゃあしっかりグローバル化に対応しよう」と考えるんですが、この2人はそうではない。根津さんはたとえば、これまで日本のものづくりのスタンダードだった「トヨタイズム」を否定しているわけではないし、吉田さんも単純に日本的な雇用環境=つまり「正社員」をベースにした社会を否定しているわけでもない。2人とも「日本ならではのアップデート」を考えているわけです。
     『ブループリント』で収録した対談からおよそ一年が経ったんですが、この一年でどうお二人のビジョンが変わっていったのかを訊いてみたいと思います。
    吉田 私はやっぱり、20世紀的な「大企業で正社員が働く」ということを中心に据えた在り方がターニングポイントを迎え、もうすぐ正社員比率が50%を切るという世の中になっている今、働くインフラが未整備になっている状況を何とかしたいと思って日々仕事をしていますね。
    根津 『ブループリント』の対談のなかで吉田さんは「既存の正社員的な働き方もあってもいいけれど、そうではない働き方を広げていきたい」ということをおっしゃっていましたよね。僕が仕事をしている自動車業界って、やっぱり皆さんが思っているとおりの堅い業界で、働き方や組織の組み方はまだまだ動かしづらい。最近トヨタでも、一回アウトソーシングした技術系の会社の一部をもう一度本体に取り込むなんてことをしていましたが、まだまだすごく迷っていますね。
     で、これは本の中でも言いましたが、結局トヨタを辞めたあとのほうが、会社の中に残っている面白い人たちと繋がって仕事ができるようになるんですよ。吉田さんの取り組んでいらっしゃることも、要は「個人と大きな企業が組んででシナジーを起こす」ということだと思っていて。
    吉田 なるほど。ちなみに根津さんがトヨタにいたとき、なんで社内の面白い人たちと組むことができなかったんですか?
    根津 「僕、あの人と組んで仕事したいんですけど」って社内にいる状態で言ったら、それはただのわがままですよね(笑)。
    吉田 なるほど(笑)。でも、21世紀ってもはや「わがまま」ぐらいしか価値を持たない気がするんです。世の中の仕組みすべてがコモディティ化というか、誰がやっても変わらないようになっていくなかで、「わがまま」ぐらいのほうがワクワクするじゃないですか。
    根津 その通りですよね。僕は会社にいたときも自分なりにアンダーグラウンドで動きまわったりしていたんですけど、それをカタチにして価値にするのが難しかった。だから辞めちゃうほうが早いかなと思ったんですね。
     でも吉田さんのやっているようなフレームを上手く使って、社会保障も込みで独立してもやっていけるようになれば、「会社と個人のシナジー」がもっと有機的なかたちで実現できるんじゃないかと思ったりしますね。
    吉田 根津さんに一つ訊いてみたいんですけど、今までにない面白いクルマを考えたとして、それを世に出すには安全面での規制が立ち塞がるんじゃないかと思うんです。自動車ってやっぱり、人の生命を預かる器じゃないですか。
    根津 それはすごく大きい問題ですね。たとえば僕は『zecOO(ゼクウ)』っていう電動バイクをつくっていて、僕がスケッチを書いてから試作品が完成するまで、すごい人たちと組んだこともあって、だいたい3ヶ月ぐらいでした。それはそれで大変だったんですが、でも試作品をつくるハードルが1だとすると、製品として実際に発売されるまで持っていくには10ぐらいかかるんです。
    吉田 なるほど。我々がやっていることって要はオープン・イノベーションで、直近だとネスレさんがキットカットの新しいお菓子をうちのユーザーさんと組んで、クラウドソーシングで企画・デザインしていこうとしているんです。そういうやり方を最終的にはクルマの製品化とかにも使ってほしいんですけど、やっぱり「残りの9」というか製品化までが大変なわけですよね。
     で、私が気になるのは、その「残りの9」って果たしてコモディティ的な仕事なのか、それとも結構ノウハウが詰まっているものなのか、ということなんです。
    根津 その「残りの9」にはノウハウが詰まっていますね。大手のメーカーには、散々辛酸を舐めながらも製品化まで持っていく経験を積んでいる人たちがたくさんいて、そういう人がどんどん独立してもっと自由に活動できるようになったら面白い。機械やシステムにそういったノウハウの部分を任せるのは難しいですし、やっぱり人に属している部分がまだまだ大きいですから。
    本当にイノベーティブなものは「コミュニティ」と「プラットフォーム」のどちらから生まれるのか?――DMM.make AKIBAから考える
    宇野 これってすごく重要なポイントで、その「残りの9」――つまり、製品化までのノウハウやテクニックって、いわゆる企業文化のなかでしか蓄積されていないし、そもそも明文化されていない。結局コミュニティとか文化のレベルでしか養っていけないということですよね。
     これからはそれを、今の硬直した日本の大企業の外側にいかにつくっていけるかが大事になっていく。で、この問題に関して僕はなんとなく答えに近いものが出ているんじゃないかと思っていて、例えばDMM.make AKIBAというものが最近話題になっていますよね。
     どういう場所かというと、要は個人やユニット単位でイノベーティブなものづくりをする人たちのためのシェアオフィスなんですよね。ここでは今までは大企業の研究所にしかなかったような、プロダクトをつくるための環境――3Dプリンターを筆頭に、高圧電流を流す発生装置だったり、マイナス80℃にしても壊れないかテストできる箱だったり、そういった高価な機材が使えるようになっている。でも実はあの場所の一番の強みって、「コミュニティ」としての機能を備えているところだと思うんです。
    根津 実は僕、まさにそのDMM.make AKIBAに引っ越すんですよ(笑)。宇野さんのおっしゃるとおりで、僕があそこに引っ越す第一の理由は「人の繋がり」です。
     ちょうど昨日、SFCの学生さんから「ベンチャーで新しいものをつくりたいので相談に乗ってください」と言われて話をしたんですけど、DMM.make AKIBAに引っ越す話をしたら、その学生さんも「あ、僕もこないだ部屋借りました」って言っていて。やっぱりあの中にいることで、化学反応がより加速しやすいんじゃないかと思うんです。
    宇野 DMM.make AKIBAの事実上のプロデューサーである小笠原治さんって、さくらインターネットの創業陣の一人だったんですよ。つまり90年代後半のインターネット黎明期=テキストサイト時代に、サーバー屋としてイノベーティブなことが起こる環境をネット上に整備した人間なわけです。その彼が、いまDMM.make AKIBAをつくっている。これってすごく大きな思想的転換だと思うんです。
     はっきり言ってしまうと、実はあの場所ってアメリカから入ってきたオープン・インターネットのポピュリズム的な思想から切れている。いや、建物の壁には「Open Share Join」ってドーンって書いてあるんだけど、Openだけは条件つきの「オープン」じゃないかと思っていて、中に入る人をすごく選んでいてある種のエリーティズム的な空間になっているわけです。
     そこで僕が気になるのは、吉田浩一郎はあの場所をどう思うのかということ。つまり、クラウドソーシングって、未だに生き残っているオープン・インターネットの数少ない夢のひとつじゃないですか。
    吉田 うーん、私は小笠原さんとも友人なのでそれを前提にして言いますけど、エリーティズムは嫌いですね(笑)。私はやっぱり学歴コンプレックスもばりばりありますし、ものづくり工場でゼロからやってきた人間だから、そういう意味ではオープン・インターネット、オープン・イノベーションが大好き。いま、3Dプリンターを始めとしたテクノロジーの力で、今まで陽の当たらなかった才能ある人たちがどんどん出てこられるようになってきている。定年退職したシニアの人も子育て中のママも、独学でプログラミングやデザインを学んで稼げるようになってきている――そうやって、既存の組織に属していない個人が、横の繋がりで自由にモノや文化をつくってくことに夢を持っていますよ。
    宇野 僕の理解では、小笠原さんのやっていることってアップルっぽいんです。つまり最初から厳選された人々で狭いコミュニティをつくっていくとイノベーティブなものが生まれるという発想です。これはどちらかといえば、アメリカのハクティビズムに通じるオープンの思想が、日本ではこういった防波堤の中でしか通用しないというジレンマに彼がぶちあたったからじゃないかと思うんです。一方で吉田さんの思想は、それと真逆でグーグルに近いんじゃないか。グーグルはいわゆるオープン・インターネットですからね。
    吉田 そう、でもグーグルだと何でもグーグルの人が判定していて、それってあんまりワクワクしないなぁと思うんです。
     Rubyっていうプログラミング言語があって、これはオープンソースで運営されていて、上がってきたプログラムの可否は「コミッター」という評議員によって判定されるんです。彼らは企業に所属しているわけじゃない。評価する側もオープンなわけです。ああいったやり方のほうがワクワクするなぁ、と思ってしまいますね。
    宇野 あえてディベート的に突っ込むと、あの小笠原治がなぜDMM.make AKIBAに、つまりネットからモノに行ったかって、抽象化していうとネットがポピュリズム(=オープン・インターネット)と組み合わさると「悪い場所」になってしまうからだと思うんです。
     つまり、今のツイッターを中心とするネット文化って、ポピュリズム的に繋がりすぎてしまった結果、言葉の最悪な意味での日本的な「ムラ社会」が全国規模で形成されてしまった。炎上マーケティングが蔓延し、ワイドショー的な「いじめ文化」になってしまったわけです。上場したクラウドワークスも今後さらに規模が大きくなっていくと、やがてはその問題にぶつかるんじゃないでしょうか。
     で、これって2通りの考え方があって、要はコミュニティになっていくのか、プラットフォームになっていくのかだと思います。