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  • 池田明季哉 “kakkoii”の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝 第三章 ビーダマン(2)「炎の魔神」がビー玉に宿した魂

    2019-06-20 09:00  
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    デザイナーの池田明季哉さんによる連載『"kakkoii"の誕生ーー世紀末ボーイズトイ列伝』。『スーパービーダマン』シリーズは、シリーズを重ねるごとにビーダマンに人格が付与され、『爆外伝』において完全なキャラクターとなりますが、同時に、物語からは人間が撤退します。そしてビーダマンは、鎧と人と機械の中間的存在から、それらの境界が完全に融解した存在へと深化します。
    『爆球連発!!スーパービーダマン』(以下『スーパービーダマン』)において、道具と人格の両義性を持つビーダマンというキャラクターは銃器のデザインと結びつき、不屈のフィジカルによって倫理を貫徹しようとするタマゴと、「軍人」あるいは「殺し屋」を彷彿とさせる20世紀的な男性の美学の体現者であるガンマというふたりのヒーローを生み出した。そしてその物語を通じて、ビー玉を発射する一種の銃器であるビーダマンがはらむ暴力を、倫理によって治める展開が描かれることになった。
    実はタマゴが得意とした「締め打ち」は、現実世界のビーダマンの玩具において大きな問題を引き起こしている。主人公であるタマゴの機体「フェニックス」シリーズは、パワーを重視しているという設定もあり、ビー玉発射の威力を増す方針で開発されていった。しかし硬く重いガラスでできたビー玉がプレイヤーの無茶な締め打ちによって撃ち出されることで威力が増し、競技中にプレイヤーが怪我をする事態が続出することになった。しかしビー玉の速度を限定することは、ただでさえ数少ないカスタマイズのパラメータを減らすことに繋がり、プレイバリューを大きく損なうことになる。そのため以降のビーダマンはパワーをどのように制御していくかを設計段階で考慮する必要に迫られ、締め打ちを構造上不可能にしたり、地面に設置しなければ発射できないような一種のセーフティを組み込むことで安全性を向上する工夫を余儀なくされていく。劇中で人間に向けてビー玉を撃つマダラがタマゴによって諌められるという物語は、相当に切実なものであったことは付記しておきたい。
    「人」の形をした「道具」
    『スーパービーダマン』において興味深いのは、ビーダマンに人格や魂を感じさせる描写がほとんどない点だ。初期にこそ、タマゴにとってビーダマンが「友達」であるという発言があるし、仮想空間内でビーダマンと一体化するというイベントも存在するのだが、ビーダマンに魂のようなものを感じる描写は基本的にはないといっていい。
    このことは『爆走兄弟レッツ&ゴー!!』(以下『レッツ&ゴー』)において、豪がマグナムに魂を見出し、マグナムが豪の叫びに応えることと対照的だ。ミニ四駆とビーダマンは、自動車と銃というアメリカ的な表象を象った同時代のカスタムホビー玩具という非常に似た位置づけながら、この点において決定的に異なっている。それぞれの作品で描かれる美学も異なったものになったのはそれゆえだ。
    このことは、デザインという観点から見れば、実に奇妙に思える。というのも、ミニ四駆が自動車という乗り物をベースにそのデザインを発展させたのに対して、ビーダマンは自律的に行動するロボットであったボンバーマンのデザインを基礎としている。あくまで「乗り物である」ということにこだわり機能的には必要ないコックピットにこだわったミニ四駆がむしろ魂を宿し、目があり瞳がある人型ロボットの形をデザインに残したビーダマンの方がプレイヤーの道具に徹した、という事実は、デザインとそこに宿る想像力が逆転しているように見えるからだ。
    この興味深い逆転は、ミニ四駆とビーダマンの、玩具としての性質の違いに根ざしている。ミニ四駆はいったん手を離してしまえば、直接操作することができないところに大きな特徴がある。ミニ四駆が魂の器たりえたのは、この直接的には操作できないという性質によるものであることはすでに論じたとおりである。一方、ビーダマンはあくまでプレイヤーが直接ビーダマンを操作し、トリガーを引いてビー玉を発射する。そこにはミニ四駆にあるような間接性が入り込む余地はなく、すべての結果はプレイヤーの操作と直接結びつき、身体の延長となる。ミニ四駆が「魂を持った乗り物」としての想像力を宿し、ビーダマンが「軍人」の美学にこだわったのは、そのインターフェースデザインによる必然といっていいだろう。
    後に『スーパービーダマン』の系譜は、威力を減衰させて直接打ち合う対戦形式を採用した2002年〜2005年の「バトルビーダマン」、タワーを破壊する間接競技へと切り替えグリップとトリガーを設けてより銃器に近いデザインとなった2005年〜2007年の「クラッシュビーダマン」へと受け継がれていく。やがて2011年〜2013年の「クロスファイト ビーダマン」では、キャラクター性を全面に押し出し基本的にすべてのビーダマンが人格を持ち会話する設定を取り入れた。これはスーパービーダマンの系譜が宿した想像力からは例外的と言えるもので、おそらくは他の玩具シリーズなどからさまざまな影響を受けている点で大変興味深いが、逆に言えばスーパービーダマンは顔を持ったそのデザインにもかかわらず、魂を持つまでに実に誕生から10年以上の歳月がかかったと考えることもできるだろう。
    「爆外伝」が描いたボンバーマンしかいない世界
    ボンバーマンというキャラクターが持つ両義性のうち、機械であるという点は競技に注力したスーパービーダマンの系譜において強調されていった。一方、人格を持つ点について拡張し、フィギュアとして発展していったのが、もうひとつのビーダマンの系譜「爆外伝」シリーズだ。
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  • 池田明季哉 “kakkoii”の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝 第三章 ビーダマン(1)スナイパーが殺し屋にならなかった理由

    2019-04-11 07:00  
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    デザイナーの池田明季哉さんによる連載『"kakkoii"の誕生ーー世紀末ボーイズトイ列伝』。今回は1993年にタカラ社より発売された「ビーダマン」を取り上げます。ボンバーマンのデザインをベースに、〈銃器〉を暗喩するような機能的進化を遂げた同玩具は、コミックス版において、ある種の倫理性を提示するに至ります。
    本稿では、1984年のトランスフォーマーが、アメリカ市場を睨んだ再ブランディングに際して「自動車」と「銃」の対立を軸に据えたことを指摘した。その後「魂を持った乗り物」という想像力はミニ四駆に引き継がれ、90年代をかけて機械に導かれる美学を描いてきたことを確認してきた。
    実はミニ四駆が「自動車」にまつわる想像力を発達させたのとほぼ同時期に、「銃」をテーマにして発展したもうひとつのおもちゃシリーズがある。それが「ビーダマン」だ。
    ボンバーマンというデザインに宿った両義性
    「ビーダマン」は1993年にタカラ社から発売された玩具である。初期のビーダマンの構造そのものはいたってシンプルで、背中のトリガーを押すことによって、腹部のホールドパーツに固定されたビー玉を撃ち出す(転がす)ことができるつくりとなっている。
    ビーダマンとしてもっともよく知られているのは、ゲームメーカーであるハドソンのキャラクター「ボンバーマン」をかたどったものだ。当初は「ドンキーコング」や「ティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・タートルズ」をはじめとして、変わったところでは衛藤ヒロユキのマンガ『魔法陣グルグル』のニケとククリなど、他のキャラクターを用いた商品も発売されていたが、最終的に発展していったのは、このボンバーマンをベースにしたデザインであった。
    初期のボンバーマンビーダマン(リンク先参照)
    ビーダマンのデザインについて考えるために、まずはボンバーマンのデザインが成立した経緯についてかんたんに整理し、そこにどのような要素が含まれていたのかから確認していきたい。
    ボンバーマンのデザインの起源について紐解く上で、1983年にアメリカのブローダーバンド社から発売された『ロードランナー』というゲームに触れる必要がある。このゲームはいわゆる棒人間的なシンプルなグラフィックで構成されていたのだが、日本では1984年にハドソンがファミリーコンピュータへの移植を行うことになる。ここでハドソンは、主人公の「ランナーくん」と、爆弾をあやつる敵ロボット(この時点では名前はまだない)のデザインを作り起こした。このロボットのドット絵が、ボンバーマンのデザインの起源となる。
    ▲左に3体見えるのが爆弾ロボット。右がランナーくん(引用元)
    ファミコン版のパッケージでは、ロボットはディフォルメされながらもSF色の強い、ややレトロなテイストのあるデザインになっている。このパッケージとドット絵のどちらが先にあったのかは不明だが、ともかくロボットであるというアイデンティティは明確だといってよいだろう。
    ▲ファミコン版『ロードランナー』のパッケージ。画面左側から迫るロボットがのちのボンバーマン(引用元)
    『ボンバーマン』と題された最初のゲームはファミリーコンピュータ向けに1985年に発売された。これは1983年にハドソンが開発したパソコン用ゲーム『爆弾男』のシステムに、『ロードランナー』の物語とキャラクターを組み合わせたものとされている。そのためドット絵そのものは流用で変更されていないのだが、パッケージのデザインは大きく変わっている。
    ▲『ボンバーマン』のパッケージ(引用元)
    『ロードランナー』と比較すると、全体的にデザインの解像度が上がり、やや「リアル」なものになっている点は興味深い。ヘルメットを被りバイザーから目が覗くという要素は共通であるものの、顔の造形には当時ヒットしていた『機動戦士ガンダム』の影響を見ることもできるだろう。
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  • “kakkoii”の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝 第二章 ミニ四駆(5)「マグナムに叫ぶようにアレクサを呼ぶ」

    2019-02-27 07:00  
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    デザイナーの池田明季哉さんによる連載『"kakkoii"の誕生ーー世紀末ボーイズトイ列伝』。自動運転車は、なぜ「カッコいいもの」として社会に受け入れられないのか。マシンを手動で操作したい欲望と、AIによる自動運転技術。未来の自動車が抱える矛盾と、それを乗り越える想像力を、ミニ四駆に宿る物語性から考えます。
    「かっこいい」自動運転車は可能か?
    工業技術によって身体を拡張することで、主体と社会を短絡させる「乗り物」──その代表たる自動車こそが、20世紀における成熟の象徴として、男性的な美学の器として機能してきたことを、ミニ四駆のデザインを通じて確認してきた。
    だとすれば、情報化した21世紀における理想の男性的な成熟のイメージを考える上で、自動車の情報的なアップデートである自動運転車、および完全自動運転の分割的実装であるところの各種の運転支援技術について論じることは、避けて通れないだろう。
    自動運転技術は、それがごく近い将来かやや遠い未来であるかに議論はあるものの、やがてレベル5と呼ばれる完全自動運転を実現させることはほぼ確実と見られている。しかし自動運転車は、20世紀的な自動車の進化の形として期待されているにもかかわらず、美学を宿す器として、少なくとも「手動運転車」であるところの20世紀的な自動車と同等に「かっこいい」存在としては認められていない節がある。
    これはある意味では当然のことといえなくもない。たとえば20世紀初頭において、個人が所有できる乗り物の主流は馬車であった。この時代に登場した新しい乗り物であるところの自動車に対しても、同様の戸惑いと抵抗があったことは想像に難くない。手動運転車が20世紀の100年をかけて蓄積した美学に比肩するためには、ごく素朴に考えて21世紀の100年という厚みが必要になるはずだ。
    しかし同時に、20世紀初頭における「未来の乗り物」としての自動車への期待と美学が、その後100年の自動車文化を育んだこともまた確かだ。ゆえに21世紀初頭の本連載では、来るべき自動運転車にどのようなかっこよさを見出すことができるかを考えてみたい。
    もちろん、そのヒントになるのは、20世紀末にG.I.ジョーから変身サイボーグとトランスフォーマーを経てミニ四駆に宿った「魂を持った乗り物」という想像力だ。
    文化的に相容れない「自動車」と「自動運転」
    そもそもなぜ、自動運転車は20世紀的な自動車文化の文脈において「かっこいい」と思われていないのだろうか。そこには単純な嗜好の保守性やテクノフォビア以上の、自動車文化の美学に深く関わる問題がある。
    自動車の美学の中心に主体の拡張があると考えるとき、自動車が「直接操作できる」という感覚は極めて重要だ。たとえば20世紀でも、いわゆるATとMTを比較したとき、一般的に言ってMTの方が格が高い──「かっこいい」と考えられているのは、こうした自動車の位置づけを背景にしているといっていいだろう。
    こうした美学の上では、情報技術による運転支援技術は、たとえ機能として事故を防ぐ効果があるとしても、むしろ邪魔なものになってしまう。あらゆる判断を正確に行う完璧な主体であることを確認することでナルシシズムを記述する自動車文化と、ドライバーが不完全なことを前提に支援を行う自動運転技術は、美学の上で相性が悪いのだ。
    叫んでも加速しないから、ミニ四駆をやめる
    手動運転自動車の美学と自動運転技術、そしてミニ四駆の関係をわかりやすくするために、少しだけ個人的なエピソードを紹介したい。
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  • 近代都市・東京を再現する拡張型都市開発フィギュア「ジオクレイパー」とは? 製作者・内山田昇平インタビュー(PLANETSアーカイブス)

    2018-12-10 07:00  
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    今朝のPLANETSアーカイブスは「ジオクレイパー」の製作者・内山田昇平さんへのインタビューです。「都市開発トレーディングフィギュア」というユニークな発想の原点や、都市を8つのパーツに抽象化する中で見えてきたもの、そして「食玩ブーム」を基点とする日本ホビー文化の過去と現在について、宇野常寛がお話を伺ってきました。(聞き手:宇野常寛 構成:中野慧/構成協力:真辺昂) ※本記事は2015年11月25日に配信した記事の再配信です。

    ▲「ジオクレイパー」プロモーション動画
    https://www.youtube.com/watch?v=4Un0rQkw88k
    ジオクレイパーHP
    https://geocraper.localinfo.jp/
    Facebook
    https://www.facebook.com/geocraper/
    ■ Instagramの「#建物萌え」的な感覚から生まれた「ジオクレイパー」
    宇野 もともと僕はフィギュア全般が好きで、特に仮面ライダー関連の製品をよく集めているんです。メディコム・トイの「東映レトロソフビコレクション」や、竹谷隆之さんのS.I.Cシリーズにもハマっていて、このメルマガでメディコム・トイの赤司竜彦さんや竹谷さんにもインタビューしたりしています(笑)。
    (関連記事)
    日本の町工場から鮮やかに蘇る東映怪人たち――「メディコム・トイ」代表・赤司竜彦インタビュー
    "もし現実にいたら"を具現化する力――造形師・竹谷隆之に聞く三次元の〈美学〉と可能性
    内山田 なるほど、僕もその感覚はよくわかります(笑)。「東映レトロソフビ」は赤司さんの製品化のセンスがまたとてもいいですよね。
    宇野 僕は特撮フィギュアに限らず模型も含めたホビー全体が好きなのですが、秋葉原のホビー系の店を散策していたときに、たまたま店内に展示されていた「ジオクレイパー」を見て大変な衝撃を受けたんです。まず立体フィギュアとしての完成度がとても高いですし、6cm角でデザインされた建物のパターンを自由に組み合わせて遊べる「建築トレーディングフィギュア」というコンセプトも斬新ですよね。まずはこの発想の原点についてお伺いしたいのですが、内山田さんご自身はもともと建築がお好きだったんですか?
    内山田 うーん、「この建築家の作品が好き」という感覚は実はないですね。僕はキャラクター商品などの玩具・フィギュア業界でずっと仕事をしてきたんですが、もともと「建物萌え」というか、現代のビル群や高速道路のような東京の都市景観がすごく好きなんです。たとえば出張で大阪から新幹線で帰ってくると、新橋や品川あたりから急に建物がわあーっと立ち上がってきて、「あ、東京に帰ってきたな」と感じたりしますよね。高度成長以降に作られていったそういう「モダン」というか、近代都市としての東京の魅力を形にしたいという思いがありました。


    宇野 「ジオクレイパー」はどういうお客さんを想定して製作を始められたんでしょうか?
    内山田 当初想定していたのはInstagramを使っているような若い層ですね。僕はInstagramを初期の2010年頃からやっていたんですが、ビルの写真ばかり撮ってアップしたりしていました。「#高速道路」「#鉄塔」とか、あとは「#工場」というハッシュタグもあったりして、そういった様子を見ていて「建物のファンってたくさんいるんだ」ということに気付いて、その感覚を立体にしたら面白がってもらえるんじゃないかと思っていましたね。
    宇野 「ジオクレイパー」はうちの事務所にも置いているんですが、別に建築が好きというわけではないスタッフも「おしゃれでいいですね!」と言ってくれたりして、インテリアとしても優れた製品ですよね。
    内山田 やっぱりホテルとかに置いて、海外のお客様にお土産としてアピールしていきたいということは思っています。「都市」ってキャラクターフィギュアと違って文脈の理解がいらないですし、非常にわかりやすいコンセプトだとは思うので。
    宇野 これまで販売してきて、反響はいかがでしたか?
    内山田 やっぱり好き嫌いではなく、「理解してもらえるかもらえないか」ではっきりと分かれる、という感じですかね(笑)。
    宇野 単におもちゃ売り場で箱の中に1ピース置いてあるだけだと理解されにくいかもしれないですね。僕が秋葉原で見たときは実際に都市の景観としてディスプレイされていて、その問答無用の説得力にやられてしまったんです。
    内山田 僕も本当にそうだと思います(笑)。今年のワンダーフェスティバルでは3600個の巨大ジオラマを展示したんですが、そしたらやっぱり大反響でしたね。



    ▲ワンフェスでの展示写真
    宇野 具体的に、ユーザーはこの「ジオクレイパー」をどんなふうに楽しんでいるのでしょうか?
    内山田 モデラーの方が水没ジオラマを作ってくれてTwitterでバズったりしていましたね。あとは他のフィギュアと組み合わせて写真を撮っていらっしゃる方が多いです。特撮オタクの方など、比較的濃い人たちが買ってくれている印象ですね。

    ▲ジオクレイパーの水没ジオラマ(出典)
     


    (出典)
    宇野 実は僕も秋葉原で見かけたときにすぐに箱買いして、うちの事務所にあったウルトラマンとベムラーと組み合わせて写真を撮ったんです。それがこれなんですけど……。

    ▲ジオクレイパーと合わせたウルトラマンとベムラー(宇野撮影)
    内山田 おお、かなりよく撮れていますね! こんなふうに別のフィギュアと組み合わせて写真を撮ってアップしてくれている人が多いんですよ。楽しんでもらえて嬉しいです。
    ■「モダン」の結晶である東京のビル群・高速道路を再現したい
    宇野 「ジオクレイパー」の第1弾「東京シーナリー」は8つのパーツに限定して出されていましたよね。その「8つのパーツに限定する、それだけで街ができる」という発想もひとつのブレイクスルーだと思うんですが、なぜこういう形態で販売しようと考えたんでしょうか?

    ▲ジオクレイパー 東京シーナリー Vol.1 BOX
    内山田 発想の大元は食玩やトレーディングフィギュアですね。昔からトレーディングフィギュアって8個ぐらいの商品の定番セットでだいたい5000円〜6000円ぐらいの感覚なのですが、ジオクレイパーの第1弾として出した「東京シーナリー」もそのイメージで8つのパーツにしています。
    そもそも僕は今の会社を30歳で立ち上げて15年やってきたんですが、最初は『ファイナルファンタジー』のアクセサリーの販売代行からスタートしたんですね。そうこうしているうちに2000年代初めに「食玩ブーム」というものが起こって、ライト層を取り込むことにも成功してすごく盛り上がったんです。
    宇野 なるほど。実は食玩ブーム当時、僕は大学生だったのですが、「チョコエッグ」(海洋堂)の動物フィギュア、「名鑑シリーズ」(バンダイ)のウルトラマンや仮面ライダーのフィギュア、他にも「王立科学博物館」(タカラ)の宇宙ものとか、「タイムスリップグリコ」(海洋堂+グリコ)のレトロフィギュアを集めたりしていました(笑)。「ジオクレイパー」にはその食玩ブームの遺伝子が宿っているわけですね。
    内山田 ええ、「都市をフィギュアにしよう」という発想も食玩やトレーディングフィギュアから来ています。食玩のミニチュアには色んなものがあったわけですが、建物をモチーフにしたものもありました。そういった建物が並んだ「都市」の景観をフィギュアにしたいなあ、ということは昔からぼんやりと考えていたんですね。
    あとは、2009年にオリンピック誘致を目的に森ビルさんが作った1000分の1スケールの東京のジオラマをテレビで見たことも大きかったですね。「すごい」と思うと同時に「このジオラマ、欲しい」と思ってしまったんです(笑)。

    ▲森ビルが作った東京のジオラマ
    https://www.youtube.com/watch?v=4iGNTegpLZI
    宇野 その気持ち、ものすごくよくわかります(笑)。
    内山田 ただ、森ビルさんが作ったこのジオラマって5億円以上かかっているらしいんです。予算的に自分たちでは作ることはできないから、さすがに無理だよなぁとそのときは思っていました。でもテレビで都市の空撮の映像とかを見かけるたびに、「あの風景をジオラマにしたいなぁ……」という気持ちが蘇ってきて、その感情が抑えられなくなって、採算度外視でこの「ジオクレイパー」の開発を決意してしまいました。
    宇野 素晴らしいですね(笑)。他にも何かヒントになったものはあるんでしょうか?
    内山田 当然ながら『シムシティ』(注1)も発想の原点にありましたね。
    宇野 なるほど。『シムシティ』はゲーム内で建物や公共交通機関を作って自分の街を大きくしていくわけですが、「ジオクレイパー」は実際に立体のフィギュアで街を拡張できますからね。

    (注1)シムシティ:米マクシス社が販売するゲームソフト。交通と公共施設を作って街の発展を目指す。1989年に米国で発売され、その後日本でも初期PCゲームの定番ソフトとなり、その後はコンシューマー機でも展開されて都市経営シミュレーションゲームの雛形となった。


    ▲シムシティのプレイ画面(出典)
    内山田 ただ、モノづくりできる仲間にこの構想を話しても、最初は誰も理解してくれなかったんですよ(笑)。そもそも僕らは1/144の戦闘機のフィギュアを作ったり、もともと「シンメトリーな商品を作る」ということをやっていたんです。
    宇野 いまお話を伺っていて思ったんですが、昔700円くらいで売っていたブルーインパルス(航空自衛隊の戦闘機)ってもしかして……。
    内山田 あ、それはウチで出したやつですね。「J-wing」という雑誌とコラボさせてもらって出した商品なんですけど。
    宇野 やっぱり! 僕、これ買っています。そんなにミリタリー系に詳しいわけではないんですが、僕みたいなライトな模型ファンにとって、半彩色で接着剤無しで組み立てられるのってすごくちょうどよかったんです。

    ▲「Jウイング監修 MillitaryAircraftSeries vol.5 -航空自衛隊の戦闘機-」この号にブルーインパルスが付属していた 
    内山田 本当ですか! 嬉しいですね。この「ブルーインパルス」を作ったときに経験したことなんですが、戦闘機模型のユーザーって本当に目が肥えているんですよ。1/144スケールって当時としては先駆的なサイズだったんですけど、このスケールになってくるとリアル感がすごく問われてしまいます。当時うちの技術力はまだそこに追いついていなくて、ユーザーさんからは厳しい評価をいただいてしまいましたね。日本の濃いユーザーさんに満足してもらうためには本当にモールドの数ミリが生命線で、ちょっと太いだけでもうダメなんです。
    宇野 なるほど。普段から技MIX(注2)を愛好しているようなガチ勢のお客さんからしたらそうかもしれないですが、でも僕ぐらいのライトファンからしたらとても良い製品に思えたんですけどね。

    (注2)技MIX(ギミックス):トミーテックが販売する彩色済み戦闘機プラモデルのシリーズ。

    内山田 もちろん、そう言ってくださる方もたくさんいて、それは嬉しかったですよ。一方で、厳しいユーザーさんのリクエストに必死に応えていく過程で僕らの技術力が鍛えられたという部分もあったんです。そうして技術力が向上した結果として、「ジオクレイパー」の構想がだんだん具体化できるようになっていきました。仲間のCGデザイナーの人にラフを出してもらったらドンズバなものが上がってきたりとかですね。それで2012年ぐらいに仮試作を作り始めて、2014年の9月にようやく発売することができました。
    宇野 食玩のフォーマットでガチ勢と戦ってきた結果、技術が鍛えられていったんですね。
    内山田 「ジオクレイパー」の製作過程でも、東京タワーの方とライセンスの関係でお話しをしたときに「ここまで作りこまなくてもいいんじゃないですか?」って言われたんです(笑)。もちろん担当の方も大変理解のある方で、「ホビーメーカーさんってここまで作り込みますよね」という前提で冗談を言ってくれたんですけど、やっぱり「ここまでやる」のが日本のホビー文化なんです。タワーの中を通るエレベーターの支柱とか、省略してもいいんじゃないかという箇所はいくつかあったんですが、「そこで妥協したら文化じゃない」という思いでやりきってしまいましたね(笑)。
    ■ 「東京中の建物をサンプリングする」という発想
    宇野 「ジオクレイパー」は6cm角というこのサイズ感も絶妙だと思うんです。どういった経緯でこのサイズに決めていったんでしょうか?
    内山田 もともと「単にビルだけを作っても売れないだろうな」ということは思っていて、東京のランドマークといえば東京タワーなのでこれは絶対に入れようと決めていました。東京タワーの高さ333mを手頃なサイズにしようとすると高さ13cmがちょうどいい。そのまま縮尺していくとだいたい平面が6cm角に収まるんですが、そのスケールがちょうど2500分の1だった。「ジオクレイパー」が2500分の1サイズなのは東京タワーが基準になっているからなんです。
    宇野 なるほど。「ジオクレイパー」は東京タワー以外にも色々なビルをモデルに、ある種の類型化・抽象化を行ったキットになっていますが、その「パターン化」という視点が面白いですよね。この発想がどのようにして生まれたのかが気になっていたんです。
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  • 日本の町工場から鮮やかに蘇る東映怪人たち――「メディコム・トイ」代表・赤司竜彦インタビュー(PLANETSアーカイブス)

    2018-11-19 07:00  
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    今朝のPLANETSアーカイブスは、トイメーカー「メディコム・トイ」代表の赤司竜彦さんへのインタビューです。ソフビに関するディープな趣味の話題から、日本の「ものづくり」の本質と未来像。さらに、文化の世代継承をめぐる対話が繰り広げられました。怪人やヒーローたちのレトロな造形と鮮やかな色彩にも注目です。(構成:有田シュン) ※この記事は2015年2月27日に配信した記事の再配信です。
    ■日本の地場産業「スラッシュ成型」を活用すべく誕生した
     
    宇野 僕は普段、評論家として活動しつつメルマガの編集長としていろいろな記事を出しているんですが、時々完全に自分の趣味の世界の記事を出しているんです。そんな僕が今一番ハマっているものが「東映レトロソフビコレクション」シリーズです。ほぼ毎月買っています!
    赤司 本当ですか?(笑)
    宇野 そのくらいハマっているんです。それに「ハイパーホビー」(徳間書店)が休刊になったことが非常にショックで、僕はこれからどうやって「東映レトロソフビコレクション」の最新情報をゲットすればいいのだろうと途方に暮れていたんですが、「もう自分で取材に行くしかない」という結論に至り、今日お伺いした次第です。
     

    ▼メディコム・トイの運営するソフビ総合情報サイト「sofvi.tokyo」
     
    赤司 なるほど! ありがとうございます。
    宇野 今日はこの「東映レトロソフビコレクション」シリーズを手掛けてらっしゃる、赤司さんのお仕事について伺っていきたいと思います。そもそもこの「東映レトロソフビコレクション」シリーズを立ち上げたきっかけは何ですか?
    赤司 まずちょうど三年くらい前に、いわゆる日本の地場産業であるソフビを作る上でのスラッシュ成型を持つ工場の仕事がない、というお話をひんぱんに聞くようになってきたんです。当時は、大体ソフビ商品の9割が中国で生産されていたという時期だったのですが、その話を聞いて改めて「今、日本の工場はそんなに大変なんだ」「じゃあ日本の工場でできる仕事を何か考えないと」と考えるようになりました。
     ただ、弊社も日本での製造自体は、会社の創業当時以来12年くらいブランクがあったんです。そんな時にとあるメーカーの同世代の方からソフビ工場をいくつか教えてもらい、「東映レトロソフビコレクション」を作りたいんだけど、と相談したんです。
     そしたら、皆さん「えっ、メディコムさんってうちでやるんですか?」と意外にもびっくりされていました。もちろん中国と比べて、日本の方は製作費が高いというような背景はあったものの、「こんな小さなソフビフィギュアを作れるんだ」という技術力の高さもあって、ちょっとずつ仕事を始めたんです。
     そして一番最初に出たのが、『仮面ライダー』の「ドクガンダー」と『人造人間キカイダー』の「グレイサイキング」の2つです。2011年の発売です。なぜ『キカイダー』かというと、「なんで『キカイダー』のスタンダードのソフビはないんだろう」っていう夢を見たからなんです(笑)。 
     

    ▲東映レトロソフビコレクション グレイサイキング(『人造人間キカイダー』より)
     
    宇野 なるほど(笑)。 
    赤司 なんで当時作られていなかったんだろう……。まあ多分、20時台のオンエアだったとか、あんまり子供が観てなかったとかいろんな理由があったのかもしれないですけど、あったら欲しいなぁ、から始まっているんです。そこからライセンス周りで半年くらいかけて何とか東映さんにご尽力いただいて、ライセンスをオープンしていただけるような環境ができてきて。そこから、やっと実際に商品を作り始めることになったわけです。 
    宇野 全国のソフビオタクにとってはなるほど、っていう感じのお話ですよね。最初に雑誌で見た時は、「あ、なんか変わったものが始まったな」と思っていたんですが、実際に現物を見てみるとびっくりするくらいクオリティが高くて、「ああ、これはもう集めるしかないぞ!」と思いました。僕はたぶん『仮面ライダーV3』の「ガマボイラー」ぐらいから買い始めました。(2013年10月発売)
     

    ▲東映レトロソフビコレクション ガマボイラー(『仮面ライダーV3』より)
     
    赤司 そこから遡るのは結構大変ですね。
    宇野 大変でした。だから中古ショップで買い漁ったり、ヤフオクを駆使して集めました。ザンブロンゾあたりが結構大変でしたね。
     
     
    ■「東映レトロソフビコレクション」シリーズの制作体制
     
    宇野 どういう体制で制作されているのでしょうか。
    赤司 熊之森恵という原型師さんを中心に据えて、その他の6人の原型師さんチームにオペレーションを任せます。当然原型師さんごとに技術的な差やスピードの違いもあるのですが、その辺を熊之森さんがうまくコントロールしてくれています
    宇野 レトロ感のあるスタンダードサイズでありながら、造形の精度は21世紀のレベル。当時のスタンダードソフビが結果的に持っていたデフォルメの面白さというものを、ものすごく引き出しているアイテムになっていると思います。
    赤司 あまり具体的に定義したことはないんですけど、ネオレトロとか言われているようなジャンルなんだろうとは思うんですよね。当然マーケットには、レトロをレトロのまま再現することしか認めない!という方もいらっしゃるんですが、実はレトロという方向性で商品の構成とアレンジを詰めていくと、意外と物足りなく感じるようになったり、色々な玩具を見た上でレトロな方が物足りないって感じる方が多いのも事実なので、そこらへんのさじ加減はさすが熊之森アレンジといったところですね。
    宇野 本当にそうですよね。でも、僕はこのスタンダードサイズのソフビの頃はまだ生まれていなくて、スカイライダーの方の『仮面ライダー』(1979年放送)の一年前に生まれているので、後からビデオで70年代の特撮とかを見て好きになった世代なんですよ。
     ですので、スタンダードサイズのソフビとか全然知らないで育っているんです。同サイズの500円ソフビとか700円ソフビしか知らないで生きているのですが、この「東映レトロソフビコレクション」を見た時に、70年代の東映キャラクターの良さというものが150%引き出されていると非常に感動したんです。本当にそれぞれのキャラクターの魅力というものを、とてもうまく引き出すデフォルメになっていると思います。
     他のスタンダードサイズのレトロソフビというのは、言ってしまえば当時の思い出をリフレインしているだけの商品になっていると思うんです。でも「東映レトロソフビコレクション」シリーズは、明らかにこのサイズでデフォルメすることを利用して、元のキャラクターの魅力を引き出すというゲームを戦っています。
    赤司 ありがとうございます。私もキャラクターの魅力を引き出すという点では、このアレンジは有効だと感じています。 
    宇野 現代の造形センスとすごく合っていて、特にこの「ドクガンダー」のカラーリングとか……!
     

    ▲東映レトロソフビコレクション ドクガンダー(※成虫。『仮面ライダー』より)
     
    赤司 ニヤっとしちゃいますよね。 
    宇野 個人的なエピソードになりますが、中古ショップでまず「ドクガンダー」の「ワンフェス2012冬開催記念モデル」を買ったんです。これは素晴らしいなと思って飾っていたんですが、カタログ見てたらオリジナル版もどうしても欲しくなって、そっちはそっちでまたヤフオクに出た瞬間を狙って落札。以来、毎日眺めてます。どうやったらこのカラーリングにたどり着くことができるんでしょうか。
    赤司 たぶん、世代的なものもあるのかもしれないですね。自分たちからすると、意外とナチュラルなカラーリングなんですよ。劇中に出てきた「ドクガンダー」を、70年代のフィルターに通すとこんな感じになるだろうなあと。ソフトビニールという素材を使ってキャラクターをどうディフォルメ、カリカチュアするかというメソッドに、70年代風でありながら、そこだけではないみたいなところがきっとあるんでしょうね。
    宇野 そこがやはり、このシリーズの魅力だと思います。ただ当時のスタンダードサイズのソフビを再現しました、っていうシリーズだったら、たぶん僕は買ってないと思います。
    赤司 なるほど。その辺りはさじ加減の問題ですよね。一個一個の商品を見てみると、原型師さんによって微妙にテイストは違うんですけど、最後に熊之森さんがうまくアレンジをしてくれるんです。
     生産の方のメソッドになって、ちょっとテクニカルな話になっちゃうんですけど、元々作った粘土原型を一度蝋(ワックス)に置き換えるんですが、この作業は全部熊之森さんがやっていて、そこで彼独自のテイストとかアレンジが施されます。そうしながら最後に蝋を落としているんですが、その工程が一番シリーズとしての統一感を出しているところなんじゃないかな、という気がします。
    宇野 なるほど。ちなみに、このラインナップはどう決められているんですか?
    赤司 僕と熊之森さんが、ほぼ一日かけて半年分くらいを決めます。
    宇野 第一弾が「ドクガンダー成虫」という恐ろしい決断を下されたわけですが、結果的に大傑作だったと思います。このセレクションはどこから生まれてきたんですか?
    赤司 意外とここは明快です。当時、バンダイさんが出していたソフビの中で、頭から消していって、たぶん一番最初に欠けているのが「ドクガンダー 幼虫」なんです。そこで、「幼虫はダメだろう!」という話になって、最終的に成虫になったという感じだった気がします(笑)。
    宇野 そうだったんですね! その後の「スノーマン」、「ザンブロンゾ」という2号編の怪人が最初に来てるのもそういう理由ですか?
    赤司 そうですね。この辺も、やっぱり最初は立体化に乏しいものを作っていこうという発想からだと思います。 
    宇野 「ガニコウモル」とかは有名怪人だし、なんとなくわかるんですけど、「スノーマン」「ザンブロンゾ」、「イソギンジャガー」って結構すごいラインナップですよね。
     

    ▲東映レトロソフビコレクション イソギンジャガー(『仮面ライダー』より)
     
    赤司 なぜ「イソギンジャガー」を選んだかというと、この回は石ノ森章太郎先生が監督をされているんですよ。

     
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  • “kakkoii”の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝 第二章 ミニ四駆(4)「もうひとりのディカプリオ、もうひとつのプリウス」

    2018-11-06 07:00  
    550pt

    デザイナーの池田明季哉さんによる連載『"kakkoii"の誕生ーー世紀末ボーイズトイ列伝』。『レッツ&ゴー』における〈成熟〉の失敗は、乗り物を通じた暴力の否定であり、ひいては自動車にまつわる〈男性性〉の拒否を意味します。90年代末に描かれたその想像力は、トヨタ・プリウスに象徴される、00年代の世界的な自動車のパラダイム転換を予見していました。
    バトルレースと『レッツ&ゴー』の倫理
    『レッツ&ゴー』におけるミニ四駆の美学は、成熟を拒否している──この結論は、20世紀末ボーイズトイを通じて新しい成熟のイメージを発見しようとする本連載の趣旨からすると、奇妙に思えるだろう。しかしここで考えたいのは、こしたてつひろが、なぜ理想的な成熟を描けなかったのか──いや、描かなかったのか、ということだ。
    その理由は、『レッツ&ゴー』シリーズにおける敵の描写によく表れている。シリーズを通じて烈や豪(あるいは烈矢や豪樹)の前に立ちはだかる敵は交代していくのだが、勝利のためならばマシンを破壊しても構わないという思想を持っている点では執拗なまでに一貫している。
    こうした思想、およびこれに基づくマシンへの直接攻撃を容認するレギュレーションには、アニメ化された際に「バトルレース」という名前が与えられている。通常のレースにバトルレースを持ち込む、あるいはバトルレースそのものを主流のレギュレーションとして推進しようとする敵との緊張がドラマの軸に据えられている。敵が勝利という結果にこだわることは、重要なレース結果の不自然なまでに軽い描写と表裏一体である。『レッツ&ゴー』において、レースにおける勝利という社会的価値を通じて男性性を追求し自己を実現しようとすること──ミニ四駆と社会を接続することで「大人」を目指す営みは、暴力や破壊と深く結びついている。
    ▲「WGP編」に登場するイタリア代表のマシン、ディオスパーダ。刃物が仕込まれており、レース相手を切り裂く(むろん反則である)。 『爆走兄弟!!レッツ&ゴー(12)』p36
    ▲「MAX編」に登場する敵、ボルゾイ。バトルレースを是とするボルゾイレーシングスクールを主宰する。 『爆走兄弟レッツ&ゴーMAX(1)』p96
    だから『リターンレーサーズ』において、F1レーサーとなった豪が危険なドライビングを繰り返していることは、解決されるべき重大な問題として描かれる。これはレースを扱った物語作品において、むしろ例外的な価値観といっていいだろう。勇気を持ってリスクを取り、勝利を掴もうとする精神は、それが意図的に事故を引き起こそうとする悪意あるものでない限り、肯定的に描かれることの方が多いからだ。たとえば先代の『四駆郎』だけを見ても、四駆郎たちは命がけのレースに自ら身を投じていったし、その源流たる自動車文化を象徴する源駆郎が参加していたのは、死のレースといわれる「地獄ラリー」だった。成長した四駆郎もまた、こうした過酷なレースに身を投じていったことが示唆されていた。いうなれば四駆郎たちや豪は、成熟を目指した結果、バトルレースに身を投じてしまっているのだ。
    ▲クラッシュしたときのパーツは、武勇伝を語るものとしてではなく「いましめに」飾られている。 『爆走兄弟レッツ&ゴー!!ReturnRacers!!(1)』p16
    『レッツ&ゴー』は、確かに成熟を拒否している。しかしこしたてつひろがバトルレースを徹底して悪として描き、自らの生命を危険にさらし続ける豪の成熟のあり方を露悪的に描いたことは、乗り物を通じて社会と短絡した主体が引き起こす暴力を容認しないという倫理的な態度だったといっていい。ここでこしたてつひろが拒否したものは成熟そのものではなく、『四駆郎』までは引き継がれていた、20世紀の自動車文化における男性性のイメージなのだ。
    ミニ四駆が「魂を持った乗り物」という中間的な存在として描かれた理由も、そこにある。自動車は、工業技術によって身体を拡張し、主体にレバレッジをかけて社会に接続する。その拡張感は、自動車を直接操作しているという感覚に支えられたものだ。こしたてつひろはミニ四駆が操作できないことを肯定的に捉え、ここに「魂」という想像力を介在させて操作を間接化することでいったん主体から切断した。そしてさらにミニ四駆をスポーツとして社会からも切断することで、主体と社会の間で機能する緩衝としての役割を与えた。
    こしたてつひろの慧眼は、比喩的にいうなら、ミニ四駆が「交通事故を起こさない自動車」であることを発見した点にある。言い換えれば、進歩を目指しながらも暴力と結びつかない形で、政治的に正しく男性性を追求する可能性を、ミニ四駆という「おもちゃ」の中に見いだしたのだ。
    もうひとつのトヨタ・プリウス
    20世紀的な男性文化・自動車文化の批判的継承として、こしたてつひろが『レッツ&ゴー』で描いた想像力は先見的かつ重要だ。
    実は自動車の文化史においてこれとちょうど相似形を描いている出来事がある。それはレオナルド・ディカプリオによるトヨタ・プリウスの再発見だ。
    ▲レオナルド・ディカプリオ主演『ウルフ・オブ・ウォールストリート』
    ▲トヨタ・プリウス。写真は2003年から2011年にかけて生産された二代目。
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  • “kakkoii”の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝 第二章 ミニ四駆(3)「ここに戻ってきた少年たち、どこにも行かない少年たち」

    2018-10-17 07:00  
    550pt

    デザイナーの池田明季哉さんによる連載『"kakkoii"の誕生ーー世紀末ボーイズトイ列伝』。「魂を持った乗り物」という新しいミニ四駆観に基づき、走る目的そのものとしてのミニ四駆の価値を確立するに至った『爆走兄弟!!レッツ&ゴー』。しかし、その続編では主人公たちの〈成熟〉の困難が露骨に描き出されます。
    ミニ四駆第一次ブームにおいて『ダッシュ!四駆郎』(以下『四駆郎』)の中心になっていたのは、父を目指す「親子」の物語と、現実に肉薄しようとする「ホビー」の美学が結びついた、垂直的な構造だった。しかし、皮肉にも四駆郎が大人になった姿は描かれることはなかった。
    連載の前回(参照)で、第二次ブームを支えた『爆走兄弟!!レッツ&ゴー』(以下『レッツ&ゴー』)およびその続編『爆走兄弟!!レッツ&ゴーMAX』(以下『レッツ&ゴーMAX』)において、ミニ四駆が「魂を持った乗り物」という想像力を宿したことを確認した。
    それでは「魂を持った乗り物」から、果たしてどのような成熟のイメージを引き出すことができるのだろうか。引き続き、『レッツ&ゴー』シリーズの展開を追いながら、レーサーたちの成熟がどのように扱われていたのかを確認していきたい。
    地平線の彼方から、今ここにあるミニ四駆へ
    結論から言えば、『レッツ&ゴー』の登場人物たちが成熟した姿は、基本的に描かれない。それどころか、『四駆郎』と比較するとラストシーンは極めて淡白なものだ。
    『レッツ&ゴー』最終巻では、烈と豪の所属する日本代表チーム「TRFビクトリーズ」の世界グランプリ(WGP)における戦いが描かれる。TRFビクトリーズは、そこでライバルであるイタリア代表チームやドイツ代表チームを破って勝利する。しかし物語における描写は決勝レースの一部分の決着のみにとどまり、果たしてTRFビクトリーズが優勝できたかどうかはわからないまま終結してしまう。TRFビクトリーズが最終的に優勝したことがわかるのは、続く『レッツ&ゴーMAX』1巻の冒頭においてだ。ただしここでも驚くほど描写は簡潔で、総ポイント数最多で優勝した旨が、台詞で説明されるのみである。
    ▲第一回世界GP、終了の瞬間。 『爆走兄弟レッツ&ゴーMAX(1)』8-9p
    おそらくは『レッツ&ゴー』の連載終了時点では、既に『レッツ&ゴーMAX』という続編の企画は固まっていたと思われる。アニメや模型の展開など、さまざまなメディアに横断的に展開した本作にとって、連載時期などの関係上不本意なラストになってしまったのではないか、と想像することもできるかもしれない。
    しかし満を持して描かれたはずの『レッツ&ゴーMAX』のラストでも、やはりレースの決着は白熱したものにならない。物語における最終レースは、世界王座に輝いたTRFビクトリーズに、烈矢と豪樹たちルーキーチームが挑戦するという構図になっている。ルーキーチームは健闘するのだが、当初強敵として現れながらやがてルーキーチームに加わったネロのマシンが、それまでの攻撃的なスタイルが祟って走行不能になってしまう。このトラブルによって、ルーキーチームはあっさり敗北してしまうのである。
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  • "kakkoii"の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝 第二章 ミニ四駆(2)「ミニ四駆のコックピットには誰が乗っているのか」

    2018-05-31 07:00  
    550pt

    デザイナーの池田明季哉さんによる連載『"kakkoii"の誕生ーー世紀末ボーイズトイ列伝』。第一次ミニ四駆ブームと『ダッシュ!四駆郎』について論じた前回に続いて、今回は第二次ブームと『爆走兄弟レッツ&ゴー!!』とフルカウルミニ四駆が宿した「キャラクター」性に迫ります。
     第1次ミニ四駆ブームを支えた『ダッシュ!四駆郎』(以下『四駆郎』)が1992年に連載を終えた後、それを引き継ぐ形で1994年から1999年まで「コロコロコミック」誌上に連載されたのが、こしたてつひろ『爆走兄弟レッツ&ゴー!!』(以下『レッツ&ゴー』)だ。
     『レッツ&ゴー』は原作となる漫画版と平行して、アニメ化されている。アニメ版は、展開が原作を追い越してしまったことから独自の解釈を強く打ち出していくことになった。アニメ版におけるミニ四駆描写の特徴(具体的にはスケール感を錯覚させるカメラアングルや、ミニ四駆の高いコントーラビリティ)も重要ではあるのだが、ここではこしたてつひろが手がけた漫画版を中心にして論じていきたい。
     『四駆郎』では、父を目指す「親子」の物語と現実を目指す「ホビー」という価値観が結託した、垂直的な構造によって支配されていた。これに対して『レッツ&ゴー』では、「兄弟」を描く物語と「スポーツ」的な価値観による、水平的な構造を軸にして展開していくことになった。
    ▲こしたてつひろ『爆走兄弟レッツ&ゴー!!(1)』(小学館てんとう虫コミックス、1994年)
    矮小な「大人」と無数の「兄弟」
     『レッツ&ゴー』は、そのタイトル通り、星馬烈と星馬豪という兄弟を主人公とした物語だ。兄の烈は頭がよくテクニカルなセッティングが得意で、そのマシン「ソニックセイバー」もコーナリング重視とされている。対して弟の豪はスピード重視のセッティングを好み、愛車「マグナムセイバー」も直線を得意とするマシンとなっている。烈が小学校五年生で豪が四年生と年齢に差をつけてあること、どちらかといえば豪に感情移入させるような作りになっていることは、烈のような優秀なレーサーを不器用な豪が目指していくような構造にすることも十分可能だったことを思わせる。しかし実際には、烈と豪は異なるスタイルを持った対等なレーサーであることが強調されていくことになる。
     『レッツ&ゴー』の第一回においては、豪がレース中にマグナムを破損させてしまい、烈がそれを助けるという展開が描かれる。しかし第二回においては、豪がスタイル重視で搭載したライトが、停電で真っ暗になってしまったコースで烈(および他のレーサーたち)を助ける構図になっている。この第二回では、ソニックとマグナムの両方がレース過程で大破しており、烈と豪は失格になりながらも二台を繋ぎ合わせたマシンで走ることを決断する姿が描かれる。この第一回から第二回までの流れは、烈と豪の兄弟が、異なるがゆえに互いの欠点を補完していく存在であることを印象づけるものだ。この烈と豪の対等な関係は、物語を通じて、チームメイトとなる他のレーサーたちや、ときには対戦するライバルたちにまで、オープンに拡張されていく。
    ▲破損したマグナムセイバーを支えるソニックセイバー。『爆走兄弟レッツ&ゴー!!(1)』42p
     ここで強調しておきたいのは、「兄弟」を増やしていくような水平的な拡張に、「大人」が含まれていることだ。
     『レッツ&ゴー』においては、星馬兄弟の父親は、戦後中流的な「普通のサラリーマン」として描かれており、ミニ四駆に大きな関わりを持たない。代わりに烈と豪に「セイバー」を託す役割を与えられているのは、ミニ四駆の開発者である土屋博士だ。土屋博士は、劇中では過去飛行機のパイロットであったことが語られてこそいるものの、レーサーではなくあくまでマシンの開発者に徹する。『四駆郎』における源駆郎のような偉大な「父」としては描かれず、それどころかコミックリリーフとして笑いを誘うような役割が与えられてさえいる。またレーサーであり大会をナビゲートするミニ四ファイターも、概ね同様の扱いがされている。こうした大人たちが意図的に「子供っぽく」、あるいは『四駆郎』時代の水準からいえば矮小に描かれるのは、象徴的な意味での「父」の出現と、垂直的な構造の復権を回避するためだろう。本作における「大人」は、あくまで「兄弟」の延長にある存在として定義されており、こうした工夫からは、水平的な構造を徹底的に維持しようとする姿勢が見てとれる。
    ▲土屋博士は無邪気で子供っぽい側面が強調して描かれる。『爆走兄弟レッツ&ゴー!!(4)』21p
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  • 池田明季哉 "kakkoii"の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝 第二章 ミニ四駆(1)「皇帝(エンペラー)は地平(ホライゾン)に辿り着いたか」

    2018-03-15 07:00  
    550pt

    デザイナーの池田明季哉さんによる連載『"kakkoii"の誕生ーー世紀末ボーイズトイ列伝』。トランスフォーマーを扱った第一章に続き、第二章ではミニ四駆を取り上げます。黎明期から第一次ブームを振り返り、漫画『ダッシュ!四駆郎』とその登場マシン「皇帝(エンペラー)」に託された成熟のイメージを読み解きます。
     おもちゃ、特に理想のイメージを象ったフィギュアの歴史には、子供が目指すべき理想の成熟のイメージが色濃く表れている。この連載ではその中でも、80年代〜90年代、20世紀末に日本で流行したいわゆる「ボーイズトイ」と呼ばれるおもちゃ群のデザインをヒントに、新しい男性的な美学「kakkoii」について考えてきた。
     ここまで、84年にスタートし、おもちゃ主導で展開したボーイズトイの金字塔とも言えるトランスフォーマーについて、日本のプロダクトをアメリカ向けに展開する際のブランドであったというその出自に注目し、それゆえに日本的でもアメリカ的でもある新しい主体のあり方についての想像力を宿したことを指摘した。
     トランスフォーマーは、自動車であるときには乗り物でありながら、変形すれば異星の機械生命体として乗り込むことができない存在になる。これによって、乗り手という主体に従う身体の延長であった自動車は、乗り手とコミュニケーションを行うことで乗り手を成熟に導く新しい想像力へと変化した。いわばトランスフォーマーとは、「乗り込めない乗り物」という矛盾をはらんだ存在であり、さらに言えばコミュニケーションを通じて主体が乗り手と入れ替わる「魂を持った乗り物」であったのである。
     今回は、トランスフォーマーとほぼ同じ時代に展開しながら、「自動車」というモチーフを別の形で発展させたおもちゃについて論じることで、この「魂を持った乗り物」という概念とその美学について掘り下げていきたい。
     そのおもちゃとは、タミヤ社のミニ四駆である。
    35年続くミニ四駆という「模型」
     ミニ四駆は、タミヤ社から発売されている、走行機能を持った模型の一種だ。モーターとバッテリーを搭載して四輪駆動で自走する。ステアリング機能は持たず、バンパーに取り付けられたローラーを利用して、専用サーキットの壁に沿って走行する。サーキットを走行させて速度を競うレーシングホビーとして楽しむのが基本的な遊び方となる。マシンを一旦スタートさせれば操作することができないので、事前のカスタムやコースに合わせたセッティングが、比重という意味では実際のモータースポーツ以上に重要になる。
    ミニ四駆は80年代初期にはじまり、35年以上支持されている長寿ブランドである。そのためその歴史とデザインの流れを整理しながら、個別のデザインとそこに宿った成熟にまつわる想像力について掘り下げていきたい。
     ミニ四駆はその歴史の中で、三度のブームを迎えたと言われている。区分についてはいくつか議論もあるのだが、この連載では1982年からの「黎明期(ミニ四駆誕生〜レーサーミニ四駆)」、1986年代からの「第一次ブーム(ダッシュ!四駆郎)」、1994年からの「第二次ブーム(爆走兄弟レッツ&ゴー)」、そして2012年からの「第三次ブーム(ジャパンカップ復活以降)」に分けて扱っていく。
    「実車の模型」から「RCの模型」へ
     ミニ四駆を開発しているタミヤ社は、もともと戦後に設立された建築材の加工会社であったが、60年代からはその技術を活かした精密なプラスチック製のスケールモデルメーカーとして知られるようになった。自動車や戦車といった実在の工業製品を、徹底的な取材に基づき一定の縮尺で精密に再現したタミヤ社の商品は、世界的にも高く評価されている。

    ▲タミヤ 1/12 ビッグスケールシリーズ No.32 ホンダ RA273。1967年に発売されて以来、幾度となく再販されている。大きなスケールを活かして、徹底的な取材に基づいて実車を精緻に再現した傑作キット。
     70年代からは動力模型にも力を入れており、無線操縦による模型自動車、いわゆる「RC」「ラジコン」のメーカーとして、こちらも世界中で人気を博している。
     80年代に登場したミニ四駆は、タミヤ社の製品の中では比較的新しいカテゴリーということになる。現在のタミヤ公式ウェブサイトのメインナビゲーションの項目は最も左にある「新製品」から「スケール」「RC」「ミニ四駆」の順番で並んでおり、これは時系列であると同時に、タミヤというメーカーが持つアイデンティティのプライオリティをも示していると見ることもできるだろう。

    ▲2018年現在のタミヤ公式ウェブサイト。
     現在でこそメインナビゲーションの一角を占めてさえいるミニ四駆だが、発売された当初はあくまでRCの廉価版という位置付けだった。「ミニ」四駆という名称は、当時人気を博していた四輪駆動のオフロード用RCモデルが実際の自動車に近い本格的な構造を持った比較的高価な商品であったことに対して、樹脂成形のパーツを中心とした簡素な構造を持った安価な商品であることを印象付けるために選ばれたものだった。
     最初期のミニ四駆は、基本的には実車をモチーフとした「走る模型」であった。1982年に発売された最初の「ミニ四駆」は、「フォード・レインジャー」と「シボレー・ピックアップ」の2台だったが、この頃のミニ四駆は安価な模型として相応のディフォルメがされてはいるものの、基本的に実車を精密に再現しようという方向性でデザインされていた。その後1984年には、「コミカルミニ四駆」という名称で、実車をモチーフにしながらも強いディフォルメを加えたモデルが続く。この段階では、まだサーキットを用いた本格的なレースは想定されていなかった。
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  • 池田明季哉 "kakkoii"の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝 第一章 トランスフォーマー(4)「乗り込めない3DCG、乗り込めるおもちゃ」【不定期配信】

    2017-12-20 07:00  
    550pt

    デザイナーの池田明季哉さんによる連載『"kakkoii"の誕生ーー世紀末ボーイズトイ列伝』。今回はトランスフォーマー編の最終回として、特に初期映画版トランスフォーマーのおもちゃがデザインされたプロセスに着目しながら、ハリウッドが見落としてしまったトランスフォーマーのもうひとつの可能性を指摘します。
    「変形フィギュアをぐにゃっと曲げて変形させることはできない」
     ここまで、映画版トランスフォーマーが、暴力というアメリカン・マスキュリニティの重力から逃れらず、新たな男性性の可能性を獲得することに失敗してきた10年の歴史を整理してきた。
     それではトランスフォーマーという表象が、再び新しい成熟のイメージの担い手となることはできないのだろうか。「kakkoii」の器となることができた1984年のトランスフォーマーと、保守的な男性性の重力から自由になれなかった2007年以降のトランスフォーマーは何が違うのだろうか。
     そのヒントは、むろん、おもちゃのデザインにある。
     この連載がおもちゃのデザインを主題としていながら、映画版トランスフォーマーについてはほとんど映画の物語内容についてしか論じていないことを、不思議に思う読者もいるかもしれない。しかし逆説的に、映画の物語内容について論じるしかなくなっているという事態にこそ、問題を解決するヒントを見いだすことができる。
     1984年のトランスフォーマーが、日本でつくられたおもちゃをアメリカ向けに再パッケージしたブランドだったことは前回述べた。しかし映画版のトランスフォーマーは、全く異なるプロセスでデザインされている。
     先に結論を述べよう。映画版トランスフォーマーの決定的な分岐点は、アメリカ軍にフェティッシュな憧れを抱くマイケル・ベイに監督を任せたことでも、マーク・ウォールバーグというアメリカン・ヒーロー映画の常連を主役に据えたことでもない。3DCGの可能性を過大評価し、そしてそれによって結果的におもちゃを過小評価してしまったことだ。
     ハリウッドのブロックバスター映画ともなればその機密性は徹底しており、映画版トランスフォーマーのおもちゃのデザインがどのようなプロセスで行われたのかを正確に把握することは難しい。しかしそれが非常に複雑なものであり、かつ映画サイドとおもちゃサイドの緊張関係を伴っていたことは、幾つかの情報から窺い知ることができる。
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