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  • 帰ってきた『哲学の先生と人生の話をしよう』 ~第1回:「新しい環境」 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.062 ☆

    2014-04-30 07:00  

    帰ってきた『哲学の先生と人生の話をしよう』
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.4.30 vol.062
    http://wakusei2nd.com

    かつてこのメルマガで連載され、迷える子羊たちをときに励まし、そして時に突き落として来たあの伝説の人生相談が、満を持して再登場!!哲学者の國分功一郎さんが、ほぼ惑読者から寄せられた人生相談に答えていきます。
    ■もしプロさん(男性(30歳)奈良県、会社員)
     
    國分先生
    こんにちは。
    私は先日、業績等の理由から、今の職場を離れる事になりました。
    要するに近い内の解雇を言い渡されたのですが。
    一瞬、凹みましたがまだ独身ですし、これと言ったリスクもありませんでしたので、すぐに新しい仕事について考えだすことにしました。
    しかし、思いつきません。
    これまではキャリア系のITから教育の方面へと移ってきたのですが、それは「人のキャリアの形成のされ方」などに興味を持っていたからです。
    働き続ける中でそれらへの興味が徐々に後退していたのでしょうか、いま、改めて仕事を探そうという時に何を軸に探すべきか分からず、求人サイトの検索欄に何を入れることも出来ていません。
    是非何か、次の職をどうさがすべきか、アドバイスを頂ければ幸いです。
    よろしくお願いいたします。
     
     
    ■ 匿名希望(女性(42歳)愛知県、公務員)
     
    結婚11年目。夫が家計に5万以上入れなくなって半年。夜の生活がなくなって10年。私自身仕事しているため、あまりの不平の多さに耐えられず食事も作らなくなって8年程になります。同床に在らず同食もせず、勿論子供も出来るわけもなく、これでは夫婦とはいえません。又、安物の洋服を次々買い込む、読まない本などをいつまでも溜め込む性癖で、一部屋ゴミの山になっており、一度黙って捨てようとしたところ、私の私物を窓から次々に捨てられ、手術直後の身体を突き飛ばされました。勿論私の両親とも折り合いが悪く、人としても大いに疑問を感じざるを得ない状況です。
    いい加減愛想が尽き果てそうなものですが、何故か憎めずダメ息子のように面倒を見てしまいます。
    しかしながら、私とてまだ枯れたくありませんし、産んだ覚えもない40代のダメ息子の世話に残りの人生捧げたいとは思っていません。
    しかしどうしても別れ難い。それはくまのプーさんとかアンパンマンに似た風貌のせいなのか、はたまた子犬のように「棄てないで」と無言で訴える目のせいなのか、笑いの壺が同じであることなのか、日本の神々と天皇を心から崇敬している共有部分のせいなのか。
    私は夫と別れるべきなのか、新しい人生を見つけるべきなのか、悩んでいます。
     
     
    ■ 無縁社会の芥(男性(24歳)兵庫県、裁判所職員)
     
    はじめまして。いつも各種メディアでのご活躍を拝見・拝読しております。國分先生のざっくばらんな語り口調と物事の核心を突こうとする言説的態度が好きで、ファンになりました。
    今回、私は、「環境遷移と人間関係の構築」についての悩みを相談させていただきます。
    私は、地方公務員の両親の下に生まれ、18歳まで九州の地方都市で育ち、大学から関西で一人暮らしを始めて、かれこれ6年が経ちます。昔から「哲学的なもの」が好きで、学問としての哲学にも興味がありましたが、高校時代は「大学」のイメージがつかめず、また理系コースでもあったため、大学は広く浅く理工系の学問を学ぶ学部に進みました。大学では、武道系のサークルに所属し、3年生が終わるまで武道に没頭し、就活もしなかったため、今度は「就職」に対する具体的なイメージが掴めず、大学院に推薦入学しましたが、ブラックな研究室の環境に心身を擦り減らし、わずか半年で休学し、入学して1年で退学しました。
    一方、大学院に入学した頃から自然現象よりも「人間」の介在する社会現象に対する興味が強くなり、休学後、広く社会科学・人文科学を学ぶために、また同時に就職先を確保するために、公務員試験の勉強を始めました。半年ほど集中して勉強し、国家公務員・裁判所職員・某政令指定都市に合格し、悩んだ挙句に、司法への好奇心から裁判所を選び、今年の1月から働き始めました。
    私は、発達心理学的な「基本的信頼感の欠如」のために、幼い頃から内気で情緒が不安定であり、友人作りが極端に苦手でした。また、「仲良くしようとしてくる親が気持ち悪くて…」のケースと類似した家庭環境であったため、就職し、経済的に自立してからは親との縁を切りました。
    幸い、大学では武道を通じた人との出会いにより、ある程度自信がつき、また性格も明るくなりました。
    また、大学4年生の頃に、たまたま研究室が同じだったことから、当時学園のマドンナ的な存在だった女性(現在は某大手放送局のアナウンサー)と恋愛関係になりました。私の嫉妬心の強さが祟って、彼女には大学卒業前に振られてしまいましたが、彼女のおかげで異性に対する苦手意識もなくなりました。
    しかし、現在でも、恋人はおろか友人すら殆どおりません。
    私は、極めて真面目で完璧主義的な性格ですが、一方で自己愛と劣等感(および虚栄心)が強く、それ故に人生の各フェーズにおいて尽く自己開示に失敗し、人間関係を自ら破壊してきました。
    また、昔から、表層的には大変優良(上品、知的などの雰囲気から、見た目的なものも含め)な人物評価をいただくことが多く、元恋人のキャラクターを研究し、社交的・社会的な振る舞い方を習得してからは、話しやすさや爽やかさ、穏やかさに磨きがかかり、いっそう対人的な「見栄え」は良くなりました。
    しかし、私としては作りあげられた自分の表層的なキャラクターに不自然さを感じており、今まで転々と古い環境(人間関係)を捨てて(あるいは捨てられて)新しい環境を求めてきましたが、他者から承認されるのはいつも「魅力的に作った(作られた)私」であり、根暗な性格など悪い部分をも含めた「素直な私」を開示できる環境がなく、また他者のまなざしに対する自意識が枷となり、なかなか親密かつ長期的な人間関係を形成することができません。人間関係におけるキャラクター戦略に対してアイロニカルな没入の仕方をしてしまうため、環境には馴染めても孤独感は払拭できず、社会関係資本の乏しい自分の人生に空虚さを感じております。
    私は、今また、新しい環境を求めて転職活動をしておりますが、内心、際限のない「自分探し/居場所探し」的な活動を続けるべきか否かの判断に悩んでおります。
    全体としてまとまりがなくなってしまいましたが、人生に空虚さを感じる私に、何らかのご啓発を賜れればと思います。
    ※書き上げた文章を読み返してみると、段落の頭が殆ど「私は」で始まっていることに気づき、内心における他者の不在と自意識の強さを改めて感じました。
    ※相談の分量の目安を大きく超えてしまいましたが、私のナラティブを、今後、何らかの哲学的考察の種に使っていただければ幸いです。
     
     
    ■ 美和(女性(28歳)和歌山県、専門職)國分先生こんにちは。新生活とは少しかけ離れた質問かもしれないのですが。今までの自分とは決別したい気持ちがあり、また4月から仕事環境が変わることもあって、その気持ちが更に大きくなっています。決別したいと思っているのは、自分が何か希望していることがあってもそれを欲していることを自分から周りに伝えることが出来ず、しかし(私は無意識にしていることが多いですが)結果的に周りを振り回してしまっていたり、いつまでも手に入らなかった事柄などに執着しなかなか受け入れられないことなどです。どこかで、欲しいと思っていても結果的に手に入らなかった場合、私にとってはそれが非常に惨めで受け入れられず、だからこそ表面的には欲していることを出さなかったり、手に入らなくても傷ついていない振りをしているんだと思います。そんなことを何となく意識し始めた時に職場に気になる男性が現れました。尊敬出来るところが思く、また私とは違い素直な部分に惹かれました。今までの自分であれば、自分から行動せず、何も起こらなければそのままで、しかしながらいつまでも気持ちだけ引きずっているように思います。しかし、この4月から職場が変わったこともあり、今後1度は仕事で会う予定があるので、そこで思い切って自分の気持ちを伝えようかと考えています。しかし、私の中でどうしてもすっきりしない気持ちや不安があり、だからと言って、それが具体的に何なのか分からず。日々、もやもやしたままで居てもたっても居れず、相談のメールをしてしまいました。抽象的でまた相談内容がはっきりせず、申し訳ありませんが、何かお言葉を頂けると幸いです。よろしくお願い致します。
     
     
    ■ 黒七味(男性(26歳)東京都、雑誌編集者)国分先生、こんにちは。
    今年の春で社会人4年目の26歳男です。3年間働いてもほとんど成果を出せず、自分には現在の仕事に対する適性がないのだろうという思いが確信になりつつあり、この仕事への情熱も失ってしまいました。精神的にも肉体的にも疲弊しており、抗不安薬に頼ることもあります。検査では問題ないものの、さまざまな体調面の不良にも悩まされています(医者には自律神経失調症といわれ、ストレスをためないようにと言われています)。
    不規則な生活のため、このままではとても体が持たないと思い、転職をしたいと思っているのですが、そんな思いとは裏腹に体が動きません。現在の仕事に打ち込むこともできず、新しい環境を得るために動くこともできず、砂を噛むような思いで日々を過ごしています。会社でこのような悩みを相談できる人もいません。いったいどうすれば、この状況から抜け出すことができるでしょうか?
     
     
    ■連載再開 第1回:「新しい環境」
     
     皆さん、こんにちは、國分功一郎です。
     この度、プラネッツ・メルマガでの人生相談を再開することになりました。それについていろいろと思うところがありますので、まずそれを書きます。
     僕はこのメルマガで2012年から2013年にかけて毎週、人生相談の連載をしていました。これはかなりの人気になりまして、なんと、『哲学の先生と人生の話をしよう』(朝日新聞出版、2013年)という本にまでなりました。
     毎週の連載というのは本当に大変なんですが、僕自身もとても楽しくやっていました。締め切りギリギリの木曜の夜、眠い目をこすりながら書いていたんですけど、配信日である金曜日にツイッターなどで寄せられる読者の皆さんの感想がとてもうれしくて、それが力になっていました。
     本の後書きで書いたんですが、あれは一種の「人生相談運動」でした。読者の皆さんと僕が一体になって、なんだかよく分からない猛烈な力が出てきて、僕はそれに巻き込まれて書いていたんですね。だからはっきりと後書きで、あの運動の雰囲気はメルマガを講読して読んでくださっていた方々にしか分からないだろう、と書きました。本で読んでも分からないのです。それは「あまちゃん」を今からDVDで見てもあの時のおもしろさは全く分からないということと同じです。
     ワルター・ベンヤミンが、現代の複製技術の芸術作品はアウラを失っているということを言いましたけど、メルマガみたいなものであっても、アウラをもちうるのです。それは“時間”が関係しているからです。メルマガは定期的に配信されるものですが、当然のことながら、絶対に後から再構成できない、持続する時間の中で配信され、読まれている。それが取り戻せない、かけがえのない、持続を作り出します。
     ちょっと難しい言い回しをしてしまいましたが、僕が言ってるのは簡単なことであって、プラネッツ・メルマガでの人生相談は僕もとってもおもしろかったし、読者の皆さんにもかなり楽しんでいただけて、本当によかったんだけど、「あの人生相談をもう一度!」とどれだけ願っても、それはもう無理だということです。
     あの人生相談はもう終わりました。
     あの人生相談はもう二度とできません。
     書籍化された『哲学の先生と人生の話をしよう』を読んでくださった方からたくさん感想などをいただきました。メルマガと書籍を比べたら、読者の数は比較になりません。なんだかんだ言って、今でも書籍の力はすごいので、それまでとは比べものにならない数の読者の方にお読みいただけました。
     もしかしたら、そうした方々からご相談をお寄せいただけるかもしれません。でも、そうなると前回とは条件が全く異なることになりますね。以前連載していた時には、國分がどう答えるのかも未定だし、連載がどうなっていくのか全く分からないし、相談内容もあっち行ったりこっち行ったりだし、だいたい相談が集まらない(笑)。
     そういう中で、当時の読み手と書き手と、そして編集部の力であの連載が作り上げられたわけですね。とにかく相談が集まらないというのがキツい。そのキツさを乗り越えようと努力するところに、何か面白いものを作り出す力が生まれたわけです。「こんな相談、くだらねーからボツ!」とか思ってたけど、他に相談が来ないから、仕方なくこのボツ相談を何とか面白く読むとか(笑)。
     さて、こういうことを考えながら再開する連載です。ですから、連載ペースとか形式なんかも以前と同じにするわけにはいきませんでした。あれと同じことをやるというのは叶わないことだからです。
     で、今回、テーマを決めて、月一で、複数の相談に答えるということだけは決めたんですが、それ以外のことは決めておらず、またどうやっていいのかも分かりません。或る意味で、初めてやるよりも難しい状況です。
     ですので、あまり形式を決めることにこだわらず、その場で思いついたやり方で進めていきたいと思います。その点、どうかご了承ください。
     さて、今回は「新しい環境」をテーマにしました。四月ですので、新しい学校なり新しい職場なり、これまでとは異なる環境に入った人も多いと思います。まずは僕が「新しい環境」というテーマのもとで考えていることを書きます。 
  • 宇野常寛のラジオ惑星開発委員会~4月21日放送Podcast&ダイジェスト! ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.061 ☆

    2014-04-28 07:00  

    宇野常寛のラジオ惑星開発委員会~4月21日放送Podcast&ダイジェスト!
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.4.28 vol.061
    http://wakusei2nd.com

    毎週月曜日のレギュラー放送がスタートした「宇野常寛のラジオ惑星開発委員会」。前週分の放送のPodcast&ダイジェストをお届けします。
    4月21日(月)22:00〜放送
    「宇野常寛のラジオ惑星開発委員会」
    ゲスト:半田健人さん
     

     
    ▼4/21放送のダイジェスト
    ☆オープニングトーク☆
    今回は、画像で振り返る宇野常寛の一週間! 鎌倉に思いを馳せたり、ダイエットのため100キロカロリーカレーを食べたり、石岡良治さんにバースデーサプライズをしたり、佐賀県知事と対談をしたり。
    ☆ゲストトーク1☆
    ゲストに俳優の半田健人さんがいらっしゃいました! 「仮面ライダー555」の裏話も飛び出します。
    ☆48開発委員会☆
    このコーナーも半田さんと一緒にお送りします。半田さんがAKB48高橋みなみさんと共演したときのかわいいエピソード、半田さんの意外な推しAKB楽曲とは?
    ☆ゲストトーク2☆
    昭和歌謡について圧倒的な知識量を誇る半田さんに、その魅力を伺います。なんと、5/28発売の半田健人さん初のフル・アルバム「せんちめんたる」から、オリジナル楽曲を初披露していただきました! アーカイブ動画・podcastからもご視聴いただけます。
     
     
    ☆延長戦トーク☆
     
    PLANETSチャンネル会員限定のトーク延長戦。昭和歌謡について、より深いお話に…!
     
  • 音楽史の中の「カゲロウプロジェクト」――柴那典×さやわか×稲葉ほたてが語るボカロシーンの現在 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.060 ☆

    2014-04-25 07:00  

    音楽史の中の「カゲロウプロジェクト」
    柴那典×さやわか×稲葉ほたてが語る
    ボカロシーンの現在
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.4.25 vol.060
    http://wakusei2nd.com


    今朝の「ほぼ惑」は、中高生に絶大な人気を誇る「カゲロウプロジェクト」を取り上げます。『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』が話題の柴那典さん、『一〇年代文化論』を上梓したばかりのさやわかさん、ネットライターの稲葉ほたてさんで、「カゲプロ」ブームから見えてくるボカロの現在を語ります。
     「カゲロウプロジェクト」は、じん(自然の敵P)によりニコニコ動画上で発表されたボーカロイド楽曲を中心として、小説・漫画・アニメなどでメディアミックス展開されている作品群の総称である。関連動画の再生回数が3000万回、小説の売上も300万部に迫り、2013年5月発売の2ndアルバム『メカクシティレコーズ』はオリコン週間チャート1位を獲得、アニメ化も行なわれた。この2010年代を代表するヒットコンテンツが、10代から圧倒的な支持を受ける理由は一体どこにあるのだろうか。そして初音ミクを筆頭とするボーカロイド文化と「カゲロウプロジェクト」の複雑な関係とは――!?
     
    ◎聞き手/構成:中野慧
     
    ▼座談会出席者プロフィール
    柴那典〈しば・とものり〉
    76 年生まれ。ライター、編集者。音楽ジャーナリスト。ロッキング・オン社を経て独立。音楽やカルチャー分野を中心にフリーで活動。「ナタリー」「リアルサウンド」「サイゾー」「MUSICA」など数々のウェブメディア・雑誌媒体でインタビュー・記事執筆を手掛ける。初の単著『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』(太田出版)を2014年4月に発売。 
     
    さやわか〈さやわか〉
    74年生まれ。ライター、物語評論家。『クイックジャパン』『ユリイカ』などで執筆。音楽、漫画、アニメ、ゲーム、ネットなどジャンルを問わず批評活動を行っている。著書に『僕たちのゲーム史』(星海社新書)、『AKB商法とは何だったのか』(大洋図書)、『一〇年代文化論』(星海社新書)がある。
     
    稲葉ほたて〈いなば・ほたて〉
    ネットライター。「ねとぽよ」実質編集長。聞き手役のつもりで座談会で話してたら、喋りすぎて記名で登場することに。
     
     
    ■2011年、「千本桜」と「カゲロウデイズ」の登場で何が変わったのか
     
    ――さて、今回の「ほぼ日刊惑星開発委員会」は、アニメ化を機に、「カゲロウプロジェクト」がなぜこれほどまでに今の10代の心を掴んでいるかについて、ニコニコ動画やボーカロイド文化に詳しいお三方にお集まりいただいて見取り図を整理していこうという企画です。さっそく、「カゲプロ」やじん(自然の敵P)という作家の魅力について語っていただければと思うのですが……。
    稲葉 まずボーカロイドの歴史を振り返ってみた上で、じんの存在を位置づけるのがわかりやすいと思いますね。
    さやわか 「初音ミクやボーカロイドといっても世代があって……」という話をまず一般の人には理解してもらわないといけなくて、ここがややこしいところです。
    柴 その意味でいうと、「カゲロウプロジェクト」のじんさんが出てきた2011年ってすごく象徴的な年なんですよ。何の象徴かというと、ボカロカルチャーの歴史の切り替わりのタイミングになった、ということ。それ以前を振り返ると、まず音楽ソフトとしての「初音ミク」が発売されたのが2007年で、そのミクを媒介として音楽、イラスト、動画、3Dムービー、歌ってみた、踊ってみたなど、たくさんの人のクリエイションが連鎖して「初音ミク」という現象を創りあげていく、いわゆる「N次創作」によって生成された〈電子の歌姫〉のストーリーがあったわけです。
     で、その流れは2008年、2009年とどんどん加速していって、ピークになったのが2011年だった。その「初音ミク現象」を象徴する曲として、livetuneのkzさん【※1】が手掛けたGoogle ChromeのCM曲「Tell Your World」が2011年の12月に公開された。これは、映像と共にその「初音ミクの物語」を明示的に描いた曲として、一つのアンセムとなった。で、あれが完璧なアンセムになったがゆえに、それを超えることは相当に難しくなってしまった。
     
    【※1】kz(livetune)…ryo(supercell)と並んで、ボカロ草創期から現在に至るまで活躍を続けているボカロP/音楽プロデューサー。ClariSをはじめとしてTVアニメの主題歌も多数手掛けており、近年は中島愛、Fukase(SEKAI NO OWARI)、尾崎雄貴(Galileo Galilei)、BUMP OF CHICKENなどともコラボレーションしている。
     
    ▼ livetune feat.初音ミク「Tell Your World」(※Google ChromeのCMバージョン)

     
    さやわか 「Tell Your World」って、初音ミクを中心としたニコ動のN次創作的なクリエイター文化を礼賛する曲のようにも聞こえるけど、実はそれがもう移り変わりつつある、初期に人々が夢を抱いた初音ミク像はもうピークを過ぎているということをノスタルジックに描いた曲でもあるんですよね。つまり逆説的に2011年の変化を踏まえて作られた曲になっている。
     2011年って、後で話すけど「ボカロをメジャーに取り込もう」という動きがあった一方で、夏ぐらいにじんの「カゲロウデイズ」や、黒うさPの「千本桜」がブレイクしたりと色んな動きが重なった時期だった。
    柴 「千本桜」の初投稿が2011年の9月17日、「カゲロウデイズ」が九月30日ですね。黒うさPは、もともとボカロシーンの黎明期から活躍されてた人で、同人音楽の出自もあって、音楽でストーリーを語るタイプのクリエイターだった。2008年には「カンタレラ」のような物語性を持った曲を投稿してますしね。だから、黒うさPさんはもともとボカロシーンのトップランナーだったんだけど、「千本桜」という曲が彼の最大の、そしておそらく2010年代初頭のネット音楽シーンにおける最大のヒット曲になったのは、おそらく発表されたタイミングも要因として非常に大きいと思います。「千本桜」も、小説やミュージカルになってメディアミックス的な展開をしているわけで、「カゲロウプロジェクト」と共通した要素はある。
    さやわか 「千本桜」はPVを見ればわかりますけど、「初音ミク」というキャラクターそのものは、もうどうでもよくなっているんですよね。一応名前は使っているけど、初音ミクそのもののキャラクター性を意識したストーリーではなくて、登場人物の一人として初音未來という名前が与えられた女の子のキャラクターがいるというだけ。
     
    ▼黒うさP feat.初音ミク「千本桜」

     
    柴 「Tell Your World」があくまで「初音ミクとクリエイター」のストーリーであるのに対照的に、「千本桜」や「カゲロウデイズ」にはそれがないですよね。「カゲロウデイズ」に至っては、ボーカロイドのキャラクター性すら用いていない。オリジナルのキャラクターを、名前・性格・ビジュアル面も含めて作り、その人物たちの物語を語るという形式を取っているわけです【※2】。
     
    【※2】「カゲロウプロジェクト」には、主人公の「シンタロー」を始め、「エネ」「キド」「カノ」「セト」「モモ」「マリー」「アヤノ」「ヒビヤ」「コノハ」「ヒヨリ」などのオリジナルキャラクターが登場する。なお、pixivでは特に女性キャラクターの二次創作イラストの投稿が非常に盛り上がっている(ただし女性投稿者による非R-18がほとんどなので男性は期待せずに見に行ってください)。
     
    さやわか だから、じんさんが今やっていることは、「自分たちは『初音ミクの物語』にはとどまらないものだ」ということでもあるし、「そもそも初音ミクのようなキャラクターを重視する音楽とはぜんぜん違うものだ」ということでもある。ただ、初音ミクやボーカロイドが積み上げてきた基礎の上に成り立っている音楽であることはたしかだから、これを説明しようとするとややこしくなるんですね。
     
    ▼じん(自然の敵P) feat.初音ミク「カゲロウデイズ」

     
     
    ■現代のボカロシーンを語る上での最大のキーワードは〈中二病〉
     
    稲葉 その変遷というのに、世代交代の側面があったのが重要だと思うんですね。初期のボカロを支えた人たちと、その頃から顕著になって現在ランキング上位にあるような楽曲のファンは、実は別の人たちになってると思うんです。具体的には中高生の、それも特に女子ですよね。僕は彼女らにちょくちょく話を聞く機会があるのですが、よくボカロの思い出で話に上がるのは、ハチ【※3】、DECO*27【※4】、sasakure.UK【※5】さんあたりなんです。そうなると実態としては、2011年のもう少し前から、初期のうるさ型の音楽好きのようなアーリーアダプタから、ボーカロイドのファン層が入れ替わりはじめていて、それが顕在化したのがこの時期だったのだろうと思うんですね。
     
    【※3】ハチ…代表曲は「マトリョシカ」「パンダヒーロー」など。本名の「米津玄師」名義で自らボーカルを取る楽曲も発表しており、その1stアルバム「diorama」はオリコン週間チャート6位を記録。自ら動画やジャケットのイラストも手がけるマルチクリエイター。
    【※4】DECO*27(デコ・ニーナ)…代表曲は「モザイクロール」「弱虫モンブラン」など。バンドサウンドが特徴的なボカロP。柴咲コウ、TeddyLoidとともにユニット「galaxias!」としても活動。
    【※5】sasakure.UK(ササクレ・ユーケイ)…ゲームミュージック的な音作りと、宮沢賢治などに影響を受けた文学的な世界観をクロスオーバーさせた作風で人気を博している。代表曲は「ハロー*プラネット」「ぼくらの16bit戦争」など。
     
    さやわか じん以前の流れという意味では、ハチさんはすごく大きいですよね。後に音楽誌とかで特集されるようになったりして、最終的には音楽性を追求していく方向性に行くんだけど、彼はまさに、自分ではないもの=ボーカロイドのキャラクターに仮託しながら、「中二病」的な思春期の自意識を歌う、という楽曲のスタイルを作った。2010年夏の「マトリョシカ」ってすごい曲で、ヒネたポップスでかつ動画が凝っているという、今のボーカロイド楽曲のある種の雛形になっている。
     
    ▼ハチ feat.初音ミク・GUMI「マトリョシカ」

     
    稲葉 ある時期以降のボカロシーンを語る上での最大のキーワードは、「中二病」ですよね。いまの10代のある種のエンタメ文化を語る上でのキーワードでもありますが。
    柴 去年、初音ミクを始めとしたクリプトン・フューチャー・メディア社のキャラクターがホログラムで登場してライブをする「マジカルミライ」というコンサートに行ったんです。このイベントは面白いつくりになっていて、入場するとまずイラストの展示があって、フィギュアやミク像が飾ってある。その先でパソコンがあってソフトウェアのデモが動いている。で、「みなさんが知っているミクは実はこのソフトです」みたいなことがわかるようになっている。「ボーカロイド楽曲の作り方」のようなワークショップもあって、最後にコンサートがあるんですね。そして何より印象的だったのは、お客さんの年齢層が本当に若かったこと。中学生だけでなく、親と一緒に来ている小学生も多かった。
    稲葉 最近はもうボカロのファン層って小学生にまで降りていますよね。ボカロ関連の楽曲を小説にしている人たちなどに聞くと、読み手がどんどん低年齢化して小学生~中学生になってしまって、高校生になるとむしろお便りの数が少なくなるくらいだという話です。
    柴 振り返ると、2010年にはJOYSOUNDのカラオケ年間総合ランキングの上位10曲のうち5曲をボカロの曲が占拠しているということで話題になりましたよね。ただ、実は今はその状況は落ち着いてきているんです。2013年の総合ランキングだとTOP10には「千本桜」しかない。この曲は40代でもTOP10に入っていますからね。ただ、世代別でランキングを見るとまた違った風景が見えてくる。10代のランキングを見ると、TOP10に「千本桜」「脳漿炸裂ガール」「いーあるふぁんくらぶ」「六兆年と一夜物語」「天ノ弱」が入っている。つまり、相変わらず半分がボカロ曲である。
    さやわか というか、今や小中学生は「ボカロしか聞かない」ぐらいになっていますよね。
    稲葉 「脳漿炸裂ガール」と「いーあるふぁんくらぶ」がランキングに入っているのも、凄いスピードだと思いますね。拡散の速度がどんどん早くなっている。
     これは体感なんですけど、近年、下の世代に行くほどにニコニコ動画のランキングが異様な影響力を持ってるなと思うんです。「艦これ」が女の子に妙に広まってて、やたらその子たちがMMDを見てるのとか、おかしいと思いません? あれ、ニコ動のランキングで、年長の男性たちが盛り上がってるMMD杯だとかの動画を見てしまった影響以外に説明がつかない気がするんですよ(笑)。
     実際、1年半くらい前に、僕がファンの子たちに「カゲロウプロジェクトってどこで知ったの? テレビでも雑誌でも特集されていないじゃん」って聞いたら、「だってランキングで上位じゃないですか」と"決まってるじゃん"みたいな口調で返されたことがあって(笑)。
     
    ▼みきとP feat. GUMI・鏡音リン「いーあるふぁんくらぶ」

     
     
    ■バンド文化とは別の形での集団制作
     
    柴 そこで重要なのが「中二病」的な感性なんですよね。じんさんの最大の魅力って、彼がインタビューで言っている言葉をそのまま借りて言うと、「かつて14歳だった自分がどれだけグッとくるかしか考えていない」ところなんですよね。彼は14歳の頃にロックバンドの音楽を聴いて大きな衝撃を受けたわけで。ボカロという形態を選んだわけだけど、彼の価値判断の基準は今もそこにある。それで、小中学生化している客層に対して、14歳の心を保ち続けているじんというクリエイターの言葉をダイレクトに届けることができている。
    ――ただ、それって旧来的なロックバンドのありかたが、中高生を惹き付ける求心力を失いつつあるということでもあるのかもしれないですよね。
    稲葉 じんはそういう意味では、従来のバンド文化的なものとは違うところから出てきた人と言えるのかもしれない。
     ただ、ニコニコには別の形でのバンド的なるものが生まれ始めていて、それは動画制作のチームですよね。DTM(※デスクトップ・ミュージック。PC上で打ち込むことですべての音楽制作を完結させることができる)の発達で、一人でも全部音楽を作れる状態になった一方で、絵師や動画師、あるいは歌い手まで含めた制作体制が登場し始めている。HoneyWorks【※6】とかもそうですよね。
     
    【※6】HoneyWorks…ボーカロイドオリジナル曲の制作チームで、代表曲は「告白予行練習」「ヤキモチの答え」など。最近ではベストアルバム『ずっと前から好きでした。』に関連した、戸松遥、神谷浩史、豊崎愛生、鈴村健一、阿澄佳奈、梶裕貴ら豪華声優陣もゲスト参加したアフレコ企画が話題となった。
     
    ▼HoneyWorks feat. GUMI「告白予行練習」

     
    柴 なるほど。これって非常にバンド的ですよね。いわば曲の作り手がフロントマンである、という。
    稲葉 カゲロウプロジェクトが一種の神話性を帯びている理由の一つに、「じんがぱっと上げた曲に、しづという特異な感覚を持った無名の絵師が連絡を取ってきて、さらに、わんにゃんぷーというアニメーションを動かせるクリエイターまで入ってきた」という流れがあると思うんです。
     そういう意味では実は、かつてのバンド的なつながりって、ボカロ界隈の若い作り手のあいだでも存在しているし、そういうロキノンのような音楽媒体が重視してきた、作り手の物語を求めるような心性は変わらないんじゃないかと思います。
    さやわか それに関して言うと、じんさんの作っているストーリーって、昔のバンド文化で歌われていたものとまったく違うかというと実はそうでもなくて、さっきのハチさんの例でも言ったように、登場人物に仮託しながら青春の切なさを歌っている。言ってしまえばバンプ・オブ・チキン的な物語なわけです。そういう意味では、別にフリッパーズ・ギターでもいいし。「ボカロだから」「初音ミクだから」ということにこだわりすぎてしまうと、そういう類似性を見過ごしてしまうだけで、実はやっていることはこれまでの音楽とそこまで変わらない、非常に普遍的なものなんですよね。
     

    ▲さやわか『一〇年代文化論』星海社新書
     
     
    ■「脱・初音ミク」の動きと、楽器としてのGUMI・IAの台頭さやわか ここまでの話をまとめると、2011年頃からじんさんみたいな人が出てきてボーカロイド楽曲の「物語化」を図った。そこでの「物語化」って、無意識にせよ意識的にせよ、キャラクターとしての〈初音ミクの物語〉から離脱しよう、という動きだったわけですよね。これは言い換えると、「初音ミク」「鏡音リン・レン」といったボーカロイド歌声ライブラリを販売し、ブランドとしてそれをコントロールしているクリプトン・フューチャー・メディア社の供給する物語から遊離するような動きでもあった。
    稲葉 実は2011年前後くらいから、作り手側でのクリプトン離れがありますよね。クリプトンによるブランドコントロールの熾烈さも、関係者の間では有名になっていった時期です。
     象徴的なのは、その頃からインターネット社のGUMI【※7】が本格的に台頭してきたことじゃないですか。GUMIって当初キャラクターとしては上手くハネてなかったのですが、この頃からどんどん「楽器」として使われ始めた。実際、GUMIは「楽器」として本当に優れた性能を持っているというんですね。そういうことは、この時期にボカロそのものが「楽器」としての側面が強くなっていったことと軌を一にしてると思うんです。
     
    【※7】GUMI(グミ)…インターネット社が販売するボーカロイド音源。声優・歌手の中島愛の声が採用されている。正式名称は「Megpoid(メグッポイド)」で、GUMIはボーカロイドキャラクターとしての愛称。
     
    柴 IA【※8】も非常に「楽器」的なボーカロイド音源ですね。キャラクター性がそんなにない。
     ボーカロイドのシーンを見ていくと、初音ミクって、やっぱり特別なキャラクターなんですよね。特に2012年から2013年にかけては、初音ミクがハイカルチャーと結びつく動きがあった。シンセサイザーの世界的なパイオニアである冨田勲が初音ミクを使って「イーハトーブ交響曲」というコンサートを行った。六本木の森美術館で開催された「LOVE展」では初音ミクが大きくフィーチャーされた。さらには、日本の電子音楽の第一人者である渋谷慶一郎さんがパリのシャトレ座でボーカロイド・オペラ「THE END」を開催した。そういう風に話題を作っていった。
     
    【※8】IA(イア)…1st PLACE社の販売するボーカロイド音源。正式名称は「IA -ARIA ON THE PLANETES-(イア・アリア・オン・ザ・プラネテス)」。歌手のLiaの歌声が採用されている。クリスタルボイスとも称される美しい歌声が特徴的で、GUMI同様にソフトとしての扱いやすさにも定評がある。なお「カゲロウプロジェクト」の多くの曲では、初音ミクではなくIAが使用されている。
     
     
    ■ボーカロイドをめぐるメディア報道の「ねじれ」とは?
     
    さやわか いま表立って現れてきているのは、その物語を離脱した人たちのつくる、初音ミクとはまったく関係のないかたちで結実しているものですね。
     2011年におそらく、大まかにみて3つの流れに分かれていったと思うんですよ、1つ目は「初音ミクをあくまでもキャラクターとして使いたい」という流れ、2つ目は「純粋に音楽の装置としてボーカロイドを使いたい」という流れと、3つ目は「そのいずれにも関係なく、物語の装置として使いたい」という流れです。
     それらがいろいろ拮抗したあげくに、クリプトンは「キャラクター」としての展開を意識してコンビニとタイアップしたりしつつ、一方で渋谷慶一郎さんや冨田勲さんみたいな人たちがいわば「ハイカルチャー」としての電子音楽とミクを接続させた。クリプトンはおそらくその路線に向けて舵取りしようとしているのではないでしょうかね。
    稲葉 その一方でリスナーサイドに目を向けると、おそらくはハチやDECO*27たちのような作り手が種を植え、2011年ぐらいから本格的に台頭してきた「女子中高生カルチャーとしてのボーカロイド」という流れがある。そして、既に実体としてのボカロ人気を本当に支えているのはその子たちです。でも、それがマトモな形で言説として扱われることは、まずない。むしろ古くからのファンには、ボカロを堕落させるライトユーザーみたいに言われることさえある。
     その「ねじれ」って、ボカロをめぐる言説のなかでもうずっと存在していて、そろそろ無理が出ているなと思うんです。ボーカロイド周辺の市場は凄く拡大しているけど、でも実態として売れてるのはHoneyWorksとか、あるいは隣接領域かもしれないけど、りぶ【※9】のような歌い手のCDでしょう。一方で良くも悪くも、その層で「THE END」の存在を知ってる子はまずいないですよ。
     
    【※9】りぶ…ニコニコ動画を中心に活躍する歌い手の一人(男性)。「そらる」や「ろん」など他の人気歌い手と同様に、歌唱した動画がオリジナル楽曲の再生回数を追い越すこともしばしば。2014年発売の2ndアルバム『Riboot』はオリコン週間チャートで2位となり、歌い手としての現時点での最高位を記録。
     
    ▼Neru×りぶ「人生は吠える 歌ってみた」

     
     
    ■ライブパフォーマーとしてのじんはこれからどうなる?
     
    柴 僕は音楽ライターなのでいろんなライブやフェスに行くんだけど、じんの去年夏のライブはすごく面白かったです。まず、お客さんがライブ慣れしていない。これは悪い意味ではまったくありません。
     じんの曲は基本的にJロックのマナーで作られているので、ロックフェスだったら「ここで右手を高く挙げる」とか「ここで左右に揺れる、飛び跳ねる」とか、いろんなグルーヴやリズムに対してアクションが自然に起こるようなポイントがあるんですよ。ロックの文脈ではないアイドルのライブだって、ファンの人たちが非常に統制された動きでサイリウムを振るような文化がありますよね。でも、じんのライブでは、そういう形式化したものが一切ない。
    さやわか ライブに初めて来たような人ばっかりで、戸惑っているようにも見えちゃいますよね。
    稲葉 僕は行っていないのですが、現地でライブを見た友人が言っていて印象的だったのは、「観客の背が低い」と。おっさんとおばさんは、大変に除け者感があったらしい(笑)。まあ、二人とも大学卒業したてくらいの年齢だったんですけど。しかも、後ろから「なんでこんなとこに大人がいるの?」っていう声が聞こえてきた、と言ってました(笑)。
     でも、そういう言葉が出てくるのって、要するに「これは私たちのものだ」という意識が生まれているってことですよね。そういういうユースカルチャー然としたものって今はほとんどない。じんという存在は、その中で一つそういう象徴になり始めているのかな、と思います。
    柴 もう一つ面白かったのは、じんもいるしボーカリストもいるし、バンドメンバーもいるのに、歓声が「人」に行かないということだったんです。もちろんボーカルのMCとかギターソロで「うおおおー」ってなるんだけど、どのタイミングで一番大きな歓声が上がるかっていうと、曲のイントロなんです。それで、「あとは聞く」。つまり、これから何の曲がかかるかわかったときに一番高揚する。ステージにいる人はその曲を演奏してくれる人であって、その人自身はスターではないんです。
    さやわか やっぱり物語のほうが大事なんですよね。アニメでたとえて言えば、たとえば『魔法少女まどか☆マギカ』の脚本を書いている虚淵玄という人物よりも、まどかやほむらというキャラクターや、そうしたキャラクターたちの関係性のほうに興味を持っている、というのに近い。
    柴 虚淵玄に対するリスペクトはあるけど、「虚淵さーーーん!!」とはならないですからね(笑)。
    さやわか あくまで一般のファンにとってはそうですよね。クリエイターは尊敬しつつも、やはりそれを演じている声優のほうが興味を持たれるし、キャラクターそのもののほうがもっといいわけですからね。それは普通のことだと思います。そういう意味ではじんさんのライブって曲で歌われている人物と演じ手が同一視される、「自作自演」を重視したかつての日本の音楽シーンから見ると、非常に変わった、目新しいものになっている。しかしそれだけにまだ発展途上な部分もあるわけで、そこをどうするかが今後の課題なのかなと思います。
    稲葉 これはぶっちゃけて柴さんに聞いてみたいんですが、じんってステージパフォーマーとしてはどのくらいの素質があるんでしょうか?
    柴 正直に言って、ライブとしての完成度はまだまだです。じんくんの同世代にKANA-BOONっていう去年ブレイクを果たしたバンドがいるけど、ロックバンドとしての佇まいと、かっこよさと、目の前の人を惹きつける力は、やっぱりそっちの方が強いんです。今のじんくんではKANA-BOONには敵わない。
    さやわか しかしだからといって「やっぱり自分はパフォーマーとして勝負する段階に至っていないんだ」ということで早々にライブ活動を切り上げてしまったらもったいないですよね。メディアミックスでアニメ化されたりグッズが出たりして、「みんなカゲプロは知ってるしアニメも楽しく見ました」という人が増えたとしても、あまり益はない。単純に面白い物語の供給者として評価されるだけでは、面白さの核にあったはずの、ボカロとか、物語と音楽の融合という要素が忘れ去られてしまう。
    柴 ただ、じんくんの曲が圧倒的な吸引力を持っているのは確かなんですよね。そして重要なのは、彼自身が「ステージに立つ」という文脈をようやく獲得したんということなんですよ。なぜライブに出る気になったかを聞いたら、彼は「自分は10代の子たちに爆弾を配った。僕がギターを弾くと、その子の中に動画のカタチで配られた爆弾が爆発する。僕はその起爆装置をやっているんです」と言っている。
     しかも、イントロで一番歓声が上がっていたということは、じんくんの言う「配った爆弾が爆発する」ということが事実として起こっていたわけです。そういうふうに、「ライブミュージシャンでもパフォーマーでもなく、起爆装置のスイッチャーである」という自己認識を持ってステージに立っているというのはすごいなと思いましたね。
     
    ▼じん feat. IA「オツキミリサイタル」

     
     
    ■「分散型」でなく「中央集権型」のインターネット
     
    柴 さきほどの稲葉さんの話にもありましたが、そもそもニコニコ動画って「ランキングがある」ということが強烈なフックになっていたんですね。
     当初はボーカロイド音楽はパッケージCDが出ていなかったから、セールスによる優劣なんてつきようがなかったんだけど、音楽ソフトとしての「初音ミク」が発売された直後に、sippotanといういちユーザーが「週刊VOCALOIDランキング」(最初の名称は「週刊みくみくランキング」)という番組を10月くらいからやって、そのおかげでランキング文化が根付いた。
     それにニコ動は再生回数、マイリスト数という2つの指標を持っていた。それゆえにメルトショック【※10】みたいなことも起こったわけですが。実は僕らがボーカロイド史を振り返ることができるのはランキングがあったおかげでもある。
     
    【※10】メルトショック…ニコニコ大百科をご参照ください。
    http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%83%A1%E3%83%AB%E3%83%88%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%82%AF
     
    稲葉 これは、ウェブサービスにおける作り手の思想の問題でもありますよね。北米に影響を受けたネット企業って、頑なにダイアリーにランキングを入れなかった「はてな」が典型ですけど、分散型のインターネットを志向するんですよ。ユーザーをフラットに扱うし、個々人の好みがマッチングしていくようなイメージでウェブを捉えている。
     それに対して、ニコニコ動画の運営思想って、実はかなり真逆を行っていると思うんです。本当に運営もユーザーもランキングが大好きだし、公式生放送やニコニコ大会議のような形でどんどんユーザーをステージに上げていく。ロングテールを充実させてマッチングを増やすというよりは、トップの牽引力でサイト全体のアテンションを拡大させる発想が強いですよね。
    さやわか 原初的なインターネットの美学って「中心を持たない」ということなんですよね。だから「2ちゃんねる」も、中心を持たず掲示板がばらばらに乱立するものとしてつくられている。しかしだからこそインターネットでは、やがてランキングが文化を生む装置として機能させられるようになったわけです。ツイッターだって結局、フォロワー数によって他人を推し量る装置として使う人も増えましたし。
     じんさんだって、もしかしたら自分の作りたいものとは違うかもしれないけど、ランキング上位を狙う、つまり「マス受けをする」ということを考えてカゲロウプロジェクトをつくっている。それは初音ミクやクリプトンの持っていた「分散型インターネット」の理想、原初的なインターネットの美学とは、少し違うものになってきているのかもしれない。
    稲葉 ニコニコ動画に関して言えば、そもそも開発時の話ですら、ライブステージの再現が一つコンセプトになっていて、動画コメントの発想もそこから生まれているという話がありますよね(※)。ホームビデオの置き場所として作られたYouTubeとは、設計思想の水準で鋭く対照をなしているんです。ドワンゴという会社は、ウェブを興行のツールとして捉えた、世界でも稀有な企業だと思うんです。
     面白いなと思うのは、そうやってステージに上げられてアテンションが集中したとき、作り手のモチベーションが一気に上がることです。ボカロPはどんどん作りこんでいくようになるし、歌い手はパフォーマンスを自発的に考え始める。手芸部だって料理だって同じですよね。もちろん僕も一般に知られていないお気に入りの投稿者は沢山いるけど、そういう話とは別に、ニコニコの最大の特徴はむしろこういう「凝集性」で、それこそが独自の文化を形成する要因になっていると思います。
     
    (※)『ニコニコ動画が未来をつくる ドワンゴ物語』佐々木俊尚(アスキー・メディアワークス・2009)
     
     
    ■少子化の時代なのに「10代しか狙ってない」コンテンツだから面白い!
     
    柴 僕はこないだ出た本の取材でクリプトンの伊藤社長に聞いたんですが、2013年の5月からニコニコ動画でもボカロ曲の再生数が落ち込んできている現状があるらしいんです。その理由を伊藤社長に聞いてみたんですけど、一つは「流行る曲調がみんな同じになってきている」と。新しい曲を聞いても、「これあの曲に似てる」と言われるようになってきている。
     要は「自分のつくりたい曲をつくる」というよりも「どうやったら売れるか、再生回数が増えるのか」と仕掛けを考える個人や企業が増えてきた、ということらしいんです。そういう動画は再生回数を稼ぐけれども傾向が似てくる。で、パターン化されてくるから関心がだんだん薄れていく。伊藤社長からはそう見えているんですね。
     

    ▲柴那典『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』太田出版
     
     
  • 宇多田ヒカル以降のJ-POPと「作詞」はこれからどうなる? ——作詞家・藤林聖子インタビュー ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.059 ☆

    2014-04-24 07:00  

    宇多田ヒカル以降のJ-POPと「作詞」は
    これからどうなる?
    ――作詞家・藤林聖子インタビュー
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.4.24 vol.059
    http://wakusei2nd.com


    今回の「ほぼ惑」は、作詞家・藤林聖子さんのインタビュー。日本のポップカルチャーに大きなインパクトを与えてきた作詞家・藤林聖子の創作の秘密に迫ります。

    藤林聖子は、アニメ・特撮・映画・ドラマの主題歌にとどまらず、J-POPやK-POPの様々なアーティストに歌詞を提供し、年間100本以上のリリックを生み出す、現代日本でも屈指の売れっ子作詞家である。作詞家としてはあの”秋元康”と並び称されうる存在と言っても過言ではない。そして、井上敏樹(脚本家)、白倉伸一郎(TVプロデューサー)と並んで、「平成仮面ライダーシリーズ」の各作品を語る上では最重要人物の一人でもある。
    今回、宇野常寛とPLANETS編集部は、その藤林さんのクリエイティブワークの秘密を探るべく、六本木の事務所を訪ねた。そこで明らかになった「平成ライダーシリーズ」主題歌の作詞の秘密、そして「宇多田ヒカル以降」と日本語ラップ、J-POPの関係とは――!?
     

    ▼プロフィール

    藤林聖子(ふじばやし・しょうこ)

    1995年作詞家デビュー。オフィス・トゥー・ワン所属。サウンドのグルーヴを壊さず日本語をのせるスキルで注目され、独特な言葉選びにも定評がある。
    E-girls の大ヒット曲「Follow Me」を始め、平井堅、水樹奈々、BENI、三代目J Soul Brothers、Hey!Say!JUMP、w-inds.、BIGBANG、BOA、T-ARA等様々なジャンルのアーティスト作品から、テレビアニメ『ONE PIECE』主題歌「ウィーアー!」「ウィーゴー!」、『ジョジョの奇妙な冒険』『ドキドキ!プリキュア』等の主題歌や仮面ライダーシリーズ、スーパー戦隊シリーズ、更にはドラマ主題歌、映画主題歌、その他CMソングまで多岐に渡って活躍。映像作品の芯を理解しアーティストの世界観として創り上げる能力とスピード感に定評がある。近年はアーティストのリリックプロデュースも手がけている。
    現在、NHKみんなのうたで放送中の藤林が書き下ろした「29Qのうた」(歌:つるの剛士)が話題沸騰中。
     
    【現在オンエア中】
    ●NHKみんなのうた『29Qのうた』(歌:つるの剛士)
    ●TOKYO- MX系他アニメ「M3~ソノ黒キ鋼~」主題歌 『Re: REMBER』/May’n
    ●テレビ東京系アニメ「マジンボーン」主題歌 『Legend Is Born』/加藤和樹
    ●NHK Eテレ 「すイエんサー」エンディングテーマ 『アンブレラシュークリーム』/すイエんサーガールズ
    ●TOKYO- MX系他アニメ「史上最強の弟子ケンイチ 闇の襲撃」主題歌『Higher Ground』/関智一・エンディングテーマ『BREATHLESS』/野水伊織 
    ●テレビ東京系アニメ「ガイストクラッシャー」主題歌『爆アツ!ガイストクラッシャー』/きただにひろし
    ●NHK Eテレアニメ 「くつだる。」テーマソング『マボロシ☆ラ部』/ 堀内まり菜・金井美樹・佐藤日向・島ゆいか
    ●TOKYO- MX、MBS 他アニメ「ジョジョの奇妙な冒険 スターダストクルセーダーズ」オープニングテーマ『STAND PROUD』/橋本 仁 
    ●読売テレビ系アニメ「金田一少年の事件簿」主題歌『Brand New Story』/東京パフォーマンスドール
    ●ANB系「仮面ライダー鎧武/ガイム」主題歌『JUST LIVE MORE』/鎧武乃風
    ●ANB系「烈車戦隊トッキュウジャー」エンディングテーマ『ビュン!ビュン!トッキュウジャー』/Project.R
    ●TOKYO‐MX 系他アニメ「彼女がフラグを折られたら」主題歌 『クピドゥレビュー』/悠木碧
     
    最新情報
    http://www.oto.co.jp/profile/profile.php?no=55
     
    ◎構成:葦原骸吉・中野慧
     
     
    ■偶然から「絶滅危惧種」の職業作詞家に宇野 藤林さんは10年以上にわたって、作詞家として第一線で活躍されているわけですが、正直言って僕も含めて、「職業作詞家」というもののことをそもそもよくわかっていないところがあると思うんです。と、いうか、作詞家ってどうやってなっていくものなのかが、前からすごく気になっていて(笑)。
    藤林 気になりますよね(笑)。私はもともと雑誌の編集やライターのような文章を書く仕事をやりたいと思っていたんですが、出版業界への入り口が分からなかったんですね。で、そのうち友達の友達みたいな感じで、たまたま作詞家の人と知り合いになったんです。私たちの世代だと、当時作詞家といえば「おニャン子クラブ」の秋元康先生のイメージがすごく強いので、「カッコ良い!」とか思って「私もやってみたいです!」と言ったら、その方が「じゃあやってみたら? 紹介しますよ」と勧めてくださったんです(笑)。
    宇野 なるほど。それまでは会社員をされていたりしたんですか?
    藤林 いえいえ、普通に東京に来て大学卒業後に専門学校に行ってたんですけど、なんとなく渋谷から先に行けなくなっちゃって、そしたらそういう知り合いができて……という。わりとストリート感の強いイメージで考えていただいて大丈夫です(笑)。
    宇野 なるほど、90年代当時の、ストリート感が溢れてる頃の渋谷の話ですよね。
     僕は今35歳ですが、僕が中学の頃の1990年代初頭から、たとえば小沢健二や、槇原敬之、大黒摩季のようなJ-POPのシンガーソングライターが増えてきましたね。なので逆に、今の時代の「職業作詞家」という存在はすごく面白いなと思っていて。
    藤林 そうですね、絶滅危惧種に近いと思います。当時事務所には阿久悠先生がいらしたので「作詞家がたくさんいるのかな」と思っていたのですが、いませんでした。この事務所は、作詞家を育てるスキームがあって「地道にいろんな所でお仕事できるようになりましょうね」という感じで教育されました。現・Flying Dogにいた女性ディレクターさんにはよく電話で何時間も相談に乗ってもらいましたね。昔はディレクターさんもそういう母心のような感じで接してくれる余裕があったんです。私は生え抜きで、もう18年ぐらいいます。
    宇野 藤林さんが影響を受けた作詞家さんはいらっしゃいますか?
    藤林 私はあんまり他の作詞家さんの歌詞を勉強したりしなかったんですが、あえて言うと、阿久悠先生と、康珍化(かんちんふぁ)先生ですね。阿久先生には、ロングインタビュー取材に同席させていただいたりしました。私と康先生は同じくBoAさんの作詞をしていたり、『仮面ライダーBLACK RX』(1988年)の主題歌を作詞なされていたので、勝手に親近感が湧いて、康先生の80年代アイドル物の歌詞をちょっと見たりしました。やっぱり歌詞に、いきなり「ボーンっ!」と行っちゃうような、突破力があるところがすごいですね。
    宇野 なるほど。藤林さんご自身はどんな楽曲やミュージシャンがお好きなんですか?
    藤林 わりと洋楽の方をよく聴いていてとくにR&Bが好きでした。最近は仕事で打ち込みの曲ばかり聴くので、プライベートでは生演奏っぽい曲を聴きます。たとえばエイミー・ワインハウスやジョン・メイヤー、ブルーノ・マーズのような比較的アコースティックな感じの人ですね。日本のミュージシャンでは久保田利伸さんも好きでした。今にして思うと、久保田利伸さんや鈴木雅之さんに詞を提供なされた銀色夏生さんには憧れがあったかもしれません。
     
     
    ■「先の展開を予見したライダー主題歌」が生まれた秘密
     
    宇野 僕が藤林さんの作詞を意識したのは、だいたい『仮面ライダーアギト』(2001年)の主題歌「仮面ライダーAGITO」あたりからなんです。
    藤林 『アギト』の主題歌はわりと、今も好きと言ってくださる方が多いですね。わりとシンプルなメロディーで、覚えやすかったのかな。
    宇野 覚えやすいし、シンプルなメロディながら、ちょっと変わった歌詞だと思ったんです。最初の歌い出しの「♪闇の中見つめてる/掴み取れ君求めるもの」という部分が、歌詞カードを見ると「 」の中に入ってるんですね。これは変わってますね。
    藤林 その部分は、曲調もですが、番組冒頭のアバンタイトル直後だから、天の声みたいな感じで聞こえたらいいと思って、ナレーション代わりの感覚なんです。だからその「 」が外れた所から現実に戻ってくるようなイメージで書いた記憶があります。
    宇野 そうなんですか。13年前からの疑問が氷解しました。平成ライダーシリーズの主題歌は、放送開始前に書かれているわけですが、どのように作詞しているんですか。
    藤林 歌詞を書くときは、大まかな企画書とプロット、最初の1、2話の台本が一冊になった物をいただきます。あとは、バンダイさんからのライダーのデザインとベルトの解説などをいただきます。それと、ときどき番組のプロデューサーさんと打ち合わせさせて頂いて、その時点での展望を聞いたりして作らせていただいてます。
    宇野 なるほど。いつも、まだ材料がない状態で歌詞を書いてるはずなのに「なんでこんなに作品世界にマッチしてるんだろう」と、ずっと不思議でした。
    藤林 そうですね、一番は私の「ライダー愛」だと思うんですけれど(笑)。あるプロデューサーさんのお話では、番組が一年もあるので展開に迷ったときは、スターティングポジションに戻って、主題歌を聴いて考えてくださっているそうです。最初に作詞家とのミーティングがあれば、「こういう展開にするはずだった」と思い出すこともあるのかもしれません。だとしたら、光栄です。
     『仮面ライダークウガ』(2000年)の高寺成紀プロデューサー(現:KADOKAWA)とは何回も打ち合わせさせていただきましたね。平成ライダーシリーズ最初の立ち上げということもあり、「昭和ライダーとの違いを出すにはどうするか?」という話になって、「じゃあどうしましょうか?」と聞き返したら、そのままずっと5分ぐらい考え込んでしまって、そのときはたしか夜中だったので「寝てしまったのかな?」と思ってしまったりしました。一番話し合いの時間も長く、直しも多かったのは高寺さんでしたね。
    宇野 なるほど、すごく高寺さんらしいエピソードですね。
    藤林 最近では、武部直美プロデューサー(東映)と最新作の『仮面ライダー鎧武』の打ち合わせをしたときですが、当然ですが武部さんもすごく特撮ヒーローにお詳しく「こういう曲でも良いと思うんですよね」と、かつてのヒーローソングで、「君の青春は輝いているか」という曲を聴かせてくださいました。
    宇野 ああ、『超人機メタルダー』(1987年)の主題歌ですね。ジェームズ三木さんの作詞で、ヒーローの名前が出てこない、当時としてはめずらしい曲ですね。
    藤林 さすがにお詳しいですね。武部プロデューサーは、きっとこういう方向性の歌詞のイメージをお持ちなんだろうなと思いました。今回は鎧武乃風こと湘南乃風さんが歌うということもあって、「♪信じた道を行け」というような命令形の歌詞とか、上から落とし込む様な言い回しをつくったのですが、「これで本当にいいのかな?」という躊躇も、最初はあったんですよ。でも、今まではそこまで「生きる」のようなテーマの歌詞をやってこなかったので、チャレンジしてみようと思って今のような歌詞にしてみたんです。
     歌っている鎧武乃風さんは人数の多いユニットですから、歌詞がストーリー的に繋がっていく感じより、飛び飛びでも大丈夫かなと思って、ちょっとお父さん的な目線があったり、主人公本人らしい目線があったりしますが、どこから取ってもすごくメッセージっぽく刺さるように書きましたね。
    宇野 それで言うと『クウガ』の主題歌は製作者の直接的な目線になっていたと思うんです。たとえば「♪時代をゼロから始めよう」というフレーズは、結果的に「仮面ライダーシリーズを復活させてやり直すんだ」という意味が込められているように聞こえますね。
    藤林 それはもうプロデューサーさんも意図していて、「昭和を引きずらないで、まったく新しいものを始めよう」のような想いがあったのかもしれませんね。
     歌詞の視点について言うと、『アギト』は若い主人公の成長譚でしたが、歌われた石原慎一さんはベテランの方なので、当時は無意識でしたけど、歌詞中の視点という意味でバランスを考えて作った面はあるかもしれません。平成ライダーシリーズはいつも、歌い手さんも主人公ではなく、第三者目線ですね。そのためダイレクトなイメージではなくなるのかと思いますね。自分がすごく照れ屋だから、あまり「俺が俺が」みたいな打ち出しができないのかもしれないですが。
     
    ▲藤林さんからいただいたおみやげのCD
     
     
    ■藤林作詞のポイントは「アクセントを合わせる」
     
    宇野 僕は詩人の水無田気流さんとJ-POPの歌詞分析の授業を大学で行ったことがあるんですが、1990年代中盤の小室哲哉さん以降、「踏切の前であなたを待ってる」といった具体的なシーンではなく、抽象的で観念的に「この世界の歴史の中、私はあなたを〜」といった歌詞になっているんです。藤林さんはやはり、「小室以降」の作詞家さんだと強く感じますね。
    藤林 わざとそっちに寄せている面もありましたね。以前、私は「大人っぽい」ということを「余裕のある、何でも笑い飛ばせる」と解釈していたんですが、ある他の音楽関係者の方が、「私の痛みを云々」といった観念的なフレーズのほうが大人っぽいと思っていらして、私の感覚とは違って話がうまく通じなかったことがあります。世の中的には小室さんが作ったそういう感じをアーティストっぽいとか、大人っぽいって言うんだなと学んだ時期はありましたね。
    宇野 あの時期の小室さんって、間違った英語を意図的に歌詞に入れていますよね。ネットでもよく話題になっていましたが、「Feel Like dance」とかって明らかに文法的に間違っている。でも今聴くと、音として単純に使ってるんですよね。その後の浜崎あゆみさんのようなアーティストは「具体的な描写はしない」「英語を音として使う」という小室メソッドで歌詞を作っていっているわけです。
     1980年代後半以降、J-POPは「英語を日本語の歌にどう入れるか」に悪戦苦闘してきたと思うんです。小室さんのように英語フレーズを単に音として使ったり、サビだけ英語にするといった試行錯誤があったあとに出てきた藤林さんの歌詞は、日本語と英語の接続がすごく滑らかで、完成度が高いと思いますね。
    藤林 ありがとうございます。2000年ごろのR&Bブームの時期に「どうしたらグルーヴを壊さないように、スムーズに曲に日本語が乗るんだろう?」と、すごく試行錯誤したんです。そこで学んだコツは、「楽曲のリズムと歌詞のアクセントを合わせる」ことなんですね。
     
  • 【現代ゲーム全史】新城カズマ、野尻抱介、築地俊彦……数々の才能を輩出したプレイバイメール ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.058 ☆

    2014-04-23 07:00  

    【現代ゲーム全史】
    新城カズマ、野尻抱介、築地俊彦……
    数々の才能を輩出したプレイバイメール
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.4.23 vol.058
    http://wakusei2nd.com

    今朝の「ほぼ惑」は、PLANETS副編集長の中川大地氏による月イチ連載「現代ゲーム全史」。前回にひき続いて、90年代前半のゲームの状況を論じていきます。従来のデジタルゲーム中心のゲーム史では語られてこなかったPBM(プレイバイメール)を取り上げた文章に注目です。
    ■パソコン通信の普及とネットワークゲームの夢
     
     この時期に特徴的な民生の情報技術環境として、とりわけ〈仮想現実の時代〉の指標に相応しいのが、電話回線とモデムを用いたパソコン通信サービスであろう。マイコンブームが一段落した1980年代後半あたりから、アスキーネットやPC−VAN、ニフティサーブといった会員制の商用サービスやアマチュアの草の根BBSが急速に普及。ほとんどCUIによるテキスト上のやりとりのみに限定されていたが、電子メールや掲示板、チャットといった現在当たり前となっている基本的なネットコミュニケーションのツールが、この時期に一般化していったのである。
     そうしてコアなパソコンユーザーたちの間に、現実の人間関係とは別の「バーチャルコミュニティ」らしきものの手触りが普及していくようになると、今度はそのコミュニティをモニタ上のグラフィカルな仮想空間として表象しようという欲望が、必然的に立ち現れてくる。その欲望をいち早く具現化したのが、ニフティサーブと連動して90年に始動した『富士通Habitat』だった。これは米ルーカスフィルム社が1987年からコモドール64向けに提供していた『Habitat』のライセンスを富士通が取得し、CD−ROMを標準搭載した初の国産パソコンであるFM-TOWNSシリーズ専用のクライアントソフトとして供給を開始した、ビジュアルチャットサービスである。まるでコンピューターRPGでキャラクターメイキングをするような感覚で、300種類ほどの選択肢からユーザーは好きな顔を選びつつボディとともにカラーリング等を行い、自分の身代わりの図像をカスタマイズして他人の作成した同様の図像とともに同じ空間を共有するという仕様は、各種フィクションで描かれてきたサイバースペースの概念を、可能なかぎりの技術で具現化しようという発想に他ならなかった。
     このユーザーの仮想空間における代理表象は「アバター」と呼ばれ、以後の同様のネットサービスでの一般名称として定着していくことになる。
     それぞれのアバターは、自分の家を持つことができ、他人のアバターと同じ町でチャット会話やアイテム交換、あるいはボールを取り合うなどのミニゲームを行うことができた。プレイヤー層はまだごく少数のパソ通ユーザーに限られていたが、オラクルと呼ばれる「神」に見立てられた管理者や選挙で選ばれた町長などの自治的な管理の下、アバター同士の「結婚」や人間関係のトラブルも含め、コミュニケーションそのものを目的とした仮想社会での暮らしを、日本人が初めて大規模に味わった例だった。
     回線速度も遅く、コミュニケーション以外のゲームとして遊べる要素も限られていたため、本格的なオンラインゲームと呼ぶには萌芽的ながら、のちに様々ゲームタイトルやサービスで一般化する『Second Life』や『どうぶつの森』、『アメーバピグ』など、アバターコミュニケーション型のサービスの原型を形成していたと言えるだろう。
     『富士通Habitat』はNECのPC-9800シリーズやアップルのMacintoshなどにもプラットフォームの幅を広げながら、リニューアルを重ねて息の長いサービスになってゆくが、従量制ですぐに高額になる電話回線環境の未整備などが災いし、さほど一般的な認知度を得る存在にはなりえなかった。この時点では他社に同種のサービスの流行を招くようなこともなく、デジタルテクノロジーに依存したゲームのネットワーク化には、まだ時期尚早であった。同時期には任天堂がファミコンについても通信アダプタを発売し、野村證券などが株式情報の提供や売買を行えるシステムを試験的に導入していたが、こうした実用と娯楽の垣根を越えたシステムが定着することはなく、バブルの徒花として消えてもいた。しかしこれらの先駆的な事例が、ゲームやデジタル技術が目指すべき「夢」の像を提供し、「今はできないがいずれはそうなるべき未来」として、ネットワーク化の潮流が1990年代を通じて準備されていくことになるのである。
     
     
    ■商業PBMという文芸ムーブメント
     
     だが、〈仮想現実〉を志向するゲームの同時期のネットワーク化へのうねりとしては、そうしたハードウェア依存のテクノロジー側のアプローチと並行して、むしろ文化やソフトウェアの側で空前絶後の試みがあった。商業プレイ・バイ・メール(PBM)ないしメイルゲームと呼ばれる、郵便を使って参加する大規模RPGジャンルの勃興である。遠隔地に住むプレイヤー同士が、郵便を使ってチェスやボードSLGを遊ぶ小規模なPBMの文化はアメリカなどで先行して存在していたが、日本で起こった商業PBMの特徴は、数百人から数千人規模のプレイヤーが同時参加するストーリー志向のライブゲームだった点である。
     この背景には、コンピューターRPGの普及にともない、1980年代後半からパソコンゲーム雑誌にグループSNEによる『ダンジョンズ&ドラゴンズ』のリプレイ企画『ロードス島戦記』(1986〜87年)が掲載されるなど、テーブルトークRPGのプレイ人口の裾野が広がっていたことがある。このブームに乗じて、RPGのみならずSLG、さらにはゲームブックや各種のカードゲーム、ボードゲーム等、国内外の新作ゲームが専門誌での紹介などを通じて継続的に紹介され、のちに「非電源系」と総称されることになるマニアックなシーンが形成されつつあった。加えて雑誌メディアでは、いわゆる読者投稿コーナーの延長線上に、「Beep」誌の『ヤタタウォーズ』(1985〜86年)や「ゲームグラフィックス」誌の『フィクショナル・トルーパーズ』(1987〜88年)など、簡単な読者参加型ゲームの誌面企画が行われるケースも増えていた。つまりは日本の雑誌文化に根強かった読者投稿によるファンダムの形成力が、パソコン通信の発達と並行して、大規模参加型ゲームの実施基盤を整えていたのである。
     こうした土壌から派生するかたちで、遊演体が1988年に運営を開始した初のメイルゲームが、『ネットゲーム'88』であった。同社はもともと、テーブルトークRPG『ビヨンド・ローズ・トゥ・ロード』(1989年)発売のために設立されたゲーム制作会社だったが、『88』はそのプロモーションを兼ねて実施された試験的な事業だった。プレイヤーはまず、最初に与えられる日本神話やクトゥルフ神話に材を取った伝奇ホラー的な世界観説明に沿って、現代日本に紛れ込んだ怪物側の勢力とそれを迎え討つ人間側の2サイドに分かれ、規定の職業などから、物語の登場人物となる自らのキャラクターを作成する。そして月に一度送付されてくる「朝々ジャーナル」なる、新聞社のグラフ誌を模した架空の報道誌に記されているニュースの裏に隠された怪異の真相に迫るべく、選択式の定番行動か、任意の文章によるフリーアクションをハガキに記載してホスト会社に送付。遊演体のゲームマスター陣は、その行動を機械的に、あるいは人力で判定処理し、各プレイヤーに次号のジャーナルとともに定型または個別の小説形式のアウトプットを返送するという月間ターンの繰り返しで、1年間のシナリオが展開されていった。
     もっともらしい写真を表紙に使った「朝々ジャーナル」の体裁や、謎解きのためには日本神話や考古学、民俗学などゲーム外のマニアックな知識の学習までもが要求されるなど、現実とゲームの境界を意図的に曖昧にした『88』の手法は、2000年代のインターネット時代になってアメリカで登場するARG(Alternative Reality Game:代替現実ゲーム)のスタイルをも大きく先取りするものだった。
     このライブゲームの「ネットゲーム」たるゆえんは、一人一人のプレイヤーに与えられる情報が限定されているため、ジャーナルの交流欄などに掲載される投稿などを通じて他のプレイヤーと手紙で連絡を取り、それぞれが得た情報を総合して事件の背景を読み解かなければ、効果的なアクションが取れない点にある。この必要性から、同じ事件を追うプレイヤー間の個人的な交流が生まれ、さらに能動的な者は同人ベースで情報誌を制作したり、プライベートイベントを開催したりして、情報交換や交流のハブになるというプレイスタイルが発生する。人間側と怪物側が富士の樹海で対決する会戦など、ハイライト時には大勢のプレイヤーが自律的に役割分担する共同作戦行動なども行われた。
     このようにして、多くの人々が1年間にわたる架空の出来事を「もうひとつの現実」として共有する擬似社会を形成し、同期しながら一つの巨大な物語を築き上げていくという希有なムーブメント型のRPGのスタイルが、ほとんどデジタルネットワーク技術の支援なしに出現していたのである。否、デジタルネットワークの機能と普及度が貧弱で、誰もが容易に繋がれる環境ではなかったからこそ、手間暇を惜しまない同人創作的な参加意識と高いリテラシーを持ったタイプのプレイヤーグループが、ホビー雑誌メディアのフィルタリングを通じて集まってきたとも言える。他方、それを捌いていくゲームマスターの側には、SF・ミステリー畑や戦史・ミリタリー畑など、アニメやコンピューターゲームの浸透で衰退しつつあった当代最高レベルのハードコアなエリートおたく層が結集。不特定多数向けの一般エンターテインメント作品ではまず展開不可能な、衒学的な知識やマニアックな趣味を惜しみなく投入した世界観やシナリオを展開するという構図があった。
     こうした特異なゲーム形態が、さらに間口を広げて展開されたのが、『88』終了後1年を経て遊演体が実施した次作『ネットゲーム'90 蓬萊学園の冒険!』であった。プレイヤーは、日本列島の南海に浮かぶ宇津帆島に築かれた生徒数10万人を超える巨大学園・蓬萊学園高校の新入生となり、「地球最後の秘宝」をめぐる動乱に参加する。学園冒険ものという取っつきやすい枠組みの中で、メインストーリーを追う以外にも部活動や学校行事といった多様な交流機会ができた点が、前作に比しての特徴だ。そのぶん、公式ジャーナルである「蓬萊タイムズ」などの表紙も写真ではなく中村博文によるアニメ的なイラストになるなど、世界観の虚構性が高まり、現実との地続き感のあるARG的な趣向はいささか希薄になったと言える。
     それでも現代日本が舞台であり、学園の歴史が幕末・明治期からプレイ当時までに至る近代史と詳細に呼応した設定がなされていたり、『南総里見八犬伝』や『封神演義』といった古典からの引用、宇津帆島の先住民族に沖縄やアイヌに連なる架空の言語や民俗の設定があるなど、プレイヤーの教養を試す現実世界の知識や現象との照応性は依然として高かった。そしてそのシナリオは、連続猟奇殺人事件や秘境調査、小国家レベルの生徒会選挙やそれに端を発するクーデターや内戦といった展開、さらには地球内部の空洞世界だったという「秘宝」の正体とそれをめぐる選択など、およそ他メディアにおける「学園もの」のイメージを大きく逸脱するスケール感で展開。『88』のようにプレイヤー陣営全体が二つに分かれて互いに出し抜き合いながら勝敗を争うシビアさこそはなかったものの、適確に事件を読み解いて物語の中で活躍するためには、現実の人生で問題解決するのと同様、それなりの努力やセンスが必要だった。
     とはいえ『蓬萊』の真の醍醐味は、そうした物語の本筋では活躍できずとも、プレイヤーの側から学園内のサークルや施設、ムーブメント等の設定をゲーム内のアクションや同人誌での活動を通じて提案し、ゲームマスターや他のプレイヤーの承認を受けることで自らの居場所を自由に築いていけた点にあった。この性格により、蓬萊学園は空前の人数規模で集団創作するシェアード・ワールドとなり、1年間のゲーム終了後も小説シリーズやテーブルトークRPG、スーファミ版のコンシューマーゲームなどのメディアミックス展開も開かれている。
     こうして他のプレイヤーとの競争や協力を通じてメインストーリーでの活躍を目指す「目的型」の〈闘争(アゴン)〉的なゲーム性と、デジタルでの『Habitat』などと同じように仮想社会内での交流やロールプレイ生活それ自体を楽しむ「環境型」の〈模擬(ミミクリ)〉的なそれとが様々な塩梅で複合した集団文芸の営みとして、日本独自の商業PBMの基本スタイルが確立されたのである。
     以後、翌92年からは『88』『蓬萊』のスタープレイヤーたちをゲームマスターに起用するかたちで、遊演体に続いて参入したホビーデータ社がスペースオペラSFジャンルの『クレギオン』シリーズを開始。一人のゲームマスターが担当するシナリオを小さなブランチ制に分け、ロストテクノロジーの探索や星間戦争、政治劇やラブコメ等、それぞれのブランチごとのテーマを多彩にするなど、先行ゲームよりも大勢の参加キャラクターがストーリー上で自らの望む活躍ができるような工夫が加えられていった。この両社が競い合うかたちで、あまり一般的には知られない規模ながらも商業PBMのシーンが立ち上がり、以後さらなる参入企業を迎えつつ、インターネット普及以前の90年代を通じて、根強いホビージャンルとして隆盛していくことになる。
     加えて、プレイヤー集団ごとに膨大なストーリーテキストを量産する環境と、高度なSFやミリタリー知識をアニメ的なキャラクター文化に結びつける手法は、のちにライトノベルと呼ばれるようになるゲームの影響が強いキャラクター小説群の中でも、ハードなジャンル小説寄りの作風の書き手を輩出する母体ともなった。例えば遊演体のゲームマスターからは新城カズマや賀東招二、同社のプレイヤーからホビーデータのマスターになった野尻抱介や築地俊彦といった作家陣がデビューを飾ったほか、編集サイドやデジタルゲームなどのコンテンツ業界にも少なからぬ人材が輩出されている。いわば、多士済々のマニアが競い合ったフィクショナルな「もうひとつの現実」での成功体験やトラウマが、それぞれに新たなフィクションコンテンツを増殖させていく強烈な動機と能力を、参加者たちの現実の人生に刻みつけたのである。
     
     
    ■『コラムス』『ぷよぷよ』における「落ちものパズル」の新展開
     
     
  • 実写版映画公開(勝手に)記念! 宇野常寛×吉田尚記が語り尽くすパトレイバーの到達点と限界 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.057 ☆

    2014-04-22 07:00  

    実写版映画公開(勝手に)記念!
    宇野常寛×吉田尚記が語り尽くすパトレイバーの到達点と限界☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.4.17 vol.054
    http://wakusei2nd.com

    現在、実写版映画が絶賛公開中の「機動警察パトレイバー」。ニッポン放送アナウンサー吉田尚記と、弊誌編集長・宇野常寛というパトレイバーをこよなく愛する二人が語る、その到達点と限界、そして、いまパトレイバーに宿る可能性とは――!?
    10年以上ぶりの新作となる実写版『THE NEXT GENERATION パトレイバー』も公開され、話題沸騰中の「機動警察パトレイバー」。劇場版第二作『機動警察パトレイバー 2 the Movie』を人生でもっとも愛する映画の三本のひとつに掲げる批評家・宇野常寛が、またしても(勝手に) 実写版映画の公開を記念して対談を行います。
    今回の相手は、宇野をして「自分の数倍パトレイバーを愛している男」と言わしめるニッポン放送アナウンサー・吉田尚記。パトレイバーを愛しすぎた男二人が語り倒す、その到達点と限界。そして現代日本に必要とされる“パトレイバー”とは……?
     

    ▼プロフィール
    吉田尚記(よしだ・ひさのり)
    1975年生、ニッポン放送アナウンサー。慶應義塾大学文学部卒業後、1999年にニッポン放送に入社、制作部アナウンサールームに配属。以来、「オールナイトニッポン」シリーズ、「ミューコミ」などの番組を担当。現在は「ミュ~コミ+プラス」などを担当しており、2012年にはギャラクシー賞DJパーソナリティ賞を受賞。自身のラジオ番組ではTwitterなどネットを積極的に活用し、さらには自らトークイベント「吉田尚記の場外ラジオ #jz2」を開催するなど、その先駆的な取り組みが注目されている。放送業界でも一、ニを争うアニメやゲームのオタクとしても知られる。愛称は「よっぴー」。
     
    ◎構成:三溝次郎
     
     
    ■ファースト・インプレッション~二人のパトレイバー体験宇野 よっぴーのパトレイバー初体験は?
    吉田 初体験は、たぶん初期OVAシリーズの1巻なんですよ。当時いた中高一貫校で、アニメーション研究会の人たちが上映会をやっていたのですが、たまに『トップをねらえ!』や「パトレイバー」をみたいなマイナー作品をやっているときがあって、そこによく通っていたんです。
    そこで、たまたま初期OVAがまだ最後まで出切ってない時期に観ました。そのときから、パトレイバーは僕にとって人生で一番面白い作品です。もうどっぷりハマって、現在に至るまで飽きない。中学生くらいの頃って、そういうことがあるじゃないですか。
    初めて企業ドラマや産業ドラマのような作品を観たのが、パトレイバーだったんです。現代社会と地続きにある大人の物語を、初めて自分でチョイスしたのだと思います。
    僕は、『機動戦士ガンダム』を子どもの頃に浴びるように見ている世代なんです。でも、ガンダムは、自分でチョイスして観たものではない。そりゃ街に行けばガンダムの駄菓子はいっぱい売ってるし、ガンプラはおもちゃ屋に山のように積んであるし、チャンネルをひねるとしょっちゅう再放送をやってる。でも、そういうものとしてあるだけで、やはり僕らからするとガンダムはチョイスしたものではなかったんです。
    しかも大抵は、中学高校になったときに、みんな一回アニメを卒業するじゃないですか。そのときに、卒業した子に「幼稚だよ」と言われても、卒業していない子の側だった僕が「いや、全然幼稚じゃないじゃん」と返せるコンテンツだったんですよ。
    宇野 僕の場合は、最初に触れたのは、たぶんTV版ですね。小5か小6のときで、最初に観たのは第2話だったんですよ。第二小隊が召集されて配置決めのために模擬戦をやる話で、遊馬が野明にわざと負けてやったり、野明と香貫花が無駄に対抗意識を燃やして決勝戦で張り合ったりするんですよね。そんな若者の微妙な人間関係を後藤隊長が「これからどうしようかな」と見ている。そういう雰囲気が今までのアニメになかった感じがして、引き込まれていったのが最初ですね。だから当時は、なんとなくリアルで大人っぽいドラマとして興味をもったんですよ。当時のテレビドラマはトレンディドラマの全盛期だったので、ああいうのは薄っぺらいしあまりリアルには思えないんですよ。むしろ僕はパトレイバーの、あのぱっとしない第二小隊の面々のぱっとしない日常のほうにリアリティを感じていた。
    それから2、3年経って中学生になったとき、初めて自分でビデオレンタルの会員証を作った際に、最初に借りたのがパトレイバーの劇場版(劇場版第1作の『機動警察パトレイバー the Movie』)なんですよね。レンタルショップで、「え、パトレイバーの映画なんてあるんだ」と感動するんですよ。当時はOSという言葉もよく知らなかったのだけど、レイバーがみんな同じプログラムを使うようになったとき、そこにウィルスが仕込んであると大変なことになるというのは、なんとかわかるわけです。そういう世界観って、バブルの頃の田舎の中学生には衝撃なんですよね。TV版の方は人間ドラマとして面白いというくらいだったのが、映画版で世界観にぐっと興味がいくわけです。
    吉田 僕は「NEW OVAシリーズ」は、1話から10話までをVHSで持っていて、11話から16話までをLDで持ってるんですよ。この辺が自分の映像体験を物語るなあ、と思います(笑)。
    宇野 物語ってますね(笑)。
    吉田 当時、1話から16話まで揃えると貰えるグッズの中に、篠原重工のノベルティの電卓があったんですよ。このノベルティシリーズは種類が結構たくさんあって、その中にカードラジオとかもあったんですね。当時のグッズって、いいところで下敷きとかフィギュアですから(笑)、そこに篠原重工の電卓がきた瞬間に衝撃を受けるわけですよ。
    しかも、よく見ると“昭和七十何年度創立 何十周年記念”とか書いてあって、それを学校で使っているのを見た友達が「ねえ、これ間違ってない?」と言うのを見て、少しニヤリとしたりする(笑)。そういう、「自分たちだけがわかっている」という感覚が当時ありました。現在では主流になっている、現実とフィクションの境い目を縫っていくようなことを一番始めにやった作品だと思うんです。
    僕はその後、SFとかも好きになるわけですが、多くのSFのように社会批判だとは気付かせないんですよね。ロボットの魅力みたいな素朴なところで子どもを引き入れて、最終的に「一番やばいのは押井守だろ?」というところまで連れて行ってしまう感じも、パトレイバーの凄いところでした。
    宇野 僕も、まさにそのルートですね。最初はキャラクタードラマとして好きだったのが、世界観の方に魅せられていってしまい、最終的には押井信者になっていく。
     
     
    ■絶対付き合えます~泉野明と職業倫理
     
    宇野 ここでキャラクターに話を移すと、だから野明、香貫花、しのぶ、熊耳と四人ヒロインがいる中で、僕はやっぱりしのぶさんが好きなんですよ(笑)。
    吉田 うん、そうですね。押井派はそうなりますよね。
    宇野 押井派はやっぱりしのぶさんが好きだし、ゆうき/出渕だと野明になるし、伊藤和典だと香貫花になる……みたいな感じだと思うんですよね。だから、「二課の一番長い日」のときに、遊馬は花を持って行って香貫花の方に声をかけるわけでしょう。
    吉田 僕はもうダントツ、野明だなー。
    宇野 小学生の頃は野明が好きだったんですよ。遊馬とくっつけばいいのになあ、と思っていたし漫画版のあの健全なデートのエピソードなんかも好きだったんですよね。でも、漫画版の物語が進むとどんどん説教臭くなっていくんですよね。そして最終巻で、野明がイングラムにビシっと指をささせて、「君、間違ってるよ!」とグリフォンに乗ったバドに説教するじゃないですか。あれを読んだときに、「ああ、野明と付き合えないな、俺」と思ったんですよ(笑)。あそこで「君、間違ってるよ!」とビシッと言う子は人間として好ましいと思うし、同僚としてリスペクトもできるけど、それでは付き合えないなと思ったんです。
    吉田 あー……ちょっとわかるな……。
    宇野 そういう思い入れ方をしてる時点で、何かアウトなことになってる気はするんですけど(笑)。
    吉田 でも、泉野明と付き合えるかという論はありますね。
    宇野 ありますよね! 野明って可愛いけど付き合えないじゃないですか。
    吉田 そういうふうに言う人が多そうな気がしますね。
    宇野 チームに居たらすごくいいと思いますよ、あの子は。楽しいですよね。
    吉田 「モテない」みたいなことをネタにして、わかりやすくコミュニケーションを取れそうな感じが、すごくありますよね。
    宇野 付き合えます?
    吉田 絶対、僕は付き合えますね(笑)。だって、デートの回とかあるじゃないですか。それが元々描かれていたのは、グリフォン編の一番はじめですからね。漫画版の最後は覚えてます?
    宇野 覚えてます。野明の顔に傷があって、遊馬が「いざとなったら俺が」みたいな事を……。
    吉田 そう。「そんときゃ俺が」です。台詞まで覚えてます(笑)。それで、野明が「はい~?」って言うでしょう。
    宇野 あの一言があった方がよかったかは、ファンの間でも議論が分かれてますよね。
    吉田 僕は、どっちもありだと思う。でも結局、ありかなしかで言うと、いまだに結論は出てないですね。
    宇野 あれは本当に難しいところですよね。特にTV版と漫画版に関しては、野明と遊馬の物語だから二人の関係性について何らかの結論が必要なんです。
    おそらく、初期ヘッドギアは「野明と遊馬は恋愛関係じゃないんだ」という前提で制作していたと思うんです。しかし、後にヘッドギアの中でも意見が分かれていって、TV版から入ってきた監督の吉永さんになると、もっと恋愛の方に振りたい気持ちがあったのではないかと思う。と、いうか後から入って来た人間には、あの二人はカップルにしか見えない。だから吉永さんが監督した初期OVA7話では野明が遊馬をデートに誘うんですよね。ここは明確にスタッフ間でキャラの解釈がブレている。でも、そのブレが結果的に、視聴者に「この二人は付き合いそうで付き合わないけどどうなんだろう」という絶妙な"やきもき感"として機能していたと思うんですよね。
    吉田 そこでいきなり「ゆうきまさみ論」を言ってしまうと(笑)、だから『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』を書いてしまったんじゃないでしょうか。あれって結局、野明と遊馬の代理戦争でしょう? 最後までちゃんと戦い切らせるとこうなるという話ですよね。
    宇野 パトレイバーは青春群像の物語なので、必然的に野明たち新人警官が大人になって、一人前の警官になっていく話を描く必要があるわけです。ただ、そこで押井さんならば、国家や社会のような大状況に対してどう自分を位置づけるのかがテーマになるのに対して、ゆうきさんは職業倫理を身につけることで立派な社会人になる、という方向に行くんですね。そこに分岐点があるのだなと、よく思っています。
    吉田 たぶん、僕が全映画で一番好きなシーンは、パトレイバー1で遊馬が 「やっぱ警官は人命尊重を貫いとくもんだ」「野明の真下だよ」と言うシーンなんです。あの辺のシーンには、職業倫理を守った人間が報われることへの、”してやったり感”があるじゃないですか。どうやら、一番好きなのはそういうところなんですよね。
    宇野 なるほどね。僕は圧倒的に押井派なんですよ。やっぱりパトレイバー2で警察官を辞める覚悟で後藤隊長のもとに再結集する第2小隊にぐっと来る。と、いうかこの好みの差はそのままニッポン放送の社員でいる人間と、数年で会社員をドロップアウトしてしまった人間との世界観の違いな気もするな(笑)。
    吉田 それもあるかもしれないですが(笑)、僕は結局、古典落語とか人情噺が好きなんですよ。もちろん、職業倫理を守った人間が報われる根拠はないから、それは宗教です。けれども、僕はその宗教が好きなんです。あの世界では、職業倫理に則った人たちが、その職業倫理の中では少なくとも救われているんでしょう。将軍としては負け戦でも、部下としては「俺たちは正しいことをやって、実際に何万人か救いましたけど、何か?」と充実感を持って言えるじゃないですか。
    結局、部下のやっていることはとても子どもっぽくて、親が責任をとってくれているから、それで済んでいるだけなんですけどね。でも、彼らはそれでいいわけです。
    宇野 それは、90年代に思春期を送った人間にしかわからないことかもしれないですね。
    あの頃、もう職業倫理にしか公共性への回路はないと、ある意味でみんな思いつめていたじゃないですか。左翼的なイデオロギーは問題外だし、かといってそれに変わる思想はなく、エコノミック・アニマルもバブル崩壊後はいよいよカッコ悪くなってきた。そんな時代に「世の中のために」とがんばろうと思える唯一の回路が職業倫理だったと言われていたんですよね。論壇ではある時期の「ゴーマニズム宣言」や、その時期小林よしのりさんのブレーン的存在だった浅羽通明さんがこうした言説を担っていたし、フィクションの正解でその精神を体現したもののひとつがパトレイバーだと思うんです。特にゆうきさんの漫画版やパトレイバー1は、その結晶ですね。
    吉田 榊さんが、そのエースですよね。
    宇野 しかし、現在はその思想がどんどん凋落してしまい、ほとんど顧みられてもいない。というのも、やりがいや職業倫理に誇りを持てる職業は、多くの人間にはほとんどないことが判明してしまった。そう考えたときに、パトレイバーの思想はいま、説得力を持つものではないのかもしれません。でも、だからこそ、もう少し別の形でそれを再現できないかなとは思いますけどね。たとえ最終的に辿り着くメッセージは同じものでも、現在の状況に対応した別の見せ方をしていけないかと思うんですよ。
     
     
    ■内海課長は全然ふざけた人には見えない~80年代の面白主義は悪なのか
     
    吉田 そういう意味では、後藤喜一にブレがないのはすごいですよ。後藤喜一は、漫画版でも映画版でもあまりブレがない。映画版だとやや感情を出し過ぎますが、それは「大長編ドラえもん」におけるジャイアンと同じ理屈なのであって。
    宇野 普段の後藤隊長のすっとぼけたキャラがあるから、パトレイバー2の「だから遅すぎたと言ってるんだ!」が効くわけですよね。
    吉田 それがなくなってしまったら、「踊る大捜査線」の和久さんになってしまう(笑)。ドラマ全体でいうと、後藤喜一と内海課長の二人が生まれたことが大きいんですよ。あんなキャラは、それまでになかったです。別に、しのぶさんは既存のキャラクターの系譜の中にいなくはないですからね。野明とか遊馬も、キャラクターとしての斬新さはないです。彼らが輝きだしたのも、結局はこの二人の配置あってこそだと思います。
    宇野 僕は内海さんのモデルって、中沢新一だと思うんですよ。
    吉田 え? 全然イメージないです。
    宇野 顔が若い頃の中沢新一に似ているし、なにより内海さんは80年代の面白主義の権化じゃないですか。
    ゆうきさんと違って、当時15、6歳の頃の僕には、80年代の面白主義に対して「もっと地に足をつけろ」と言うことにリアリティが持てなかったんです。僕の住んでいた田舎にはそもそも80年代の浮かれた空気は届いていなかったですしね。だから僕はむしろどちらかというと、自分が体験してきた90年代前半の、浮かれたバブルからの逆反動としての「もっと真面目に生きろよ、職業倫理を大事にしろよ」というモードの方に反発がありましたね。この時期テレビも音楽もぐっと「感動」路線に舵を切るじゃないですか。大事MANブラザースバンドとかKANとか。あれが嫌で嫌で。
    だから、内海さんがラスボスでなければならない理由や、それに対して「君、間違ってるよ」と説教しなければならない理由は、ピンと来ていなかった。いま思えば、あれって80年代の面白主義を追求していくと、いつの間にかシャレにならない悪を肯定してしまうよ、人身売買とかに加担していてヤバいでしょ、という話なわけです。平行して起こっていたオウム真理教の事件を考えると、実にクリティカルな想像力だったと思う。でも、当時の僕にはそれがわからなくて、一瞬だけゆうきさんから距離ができたんです。
    吉田 僕の場合は、ゆうきまさみからの派生では、火浦功とか"とり・みき"の方にいってしまいますね。やはり、80年代的面白主義とその裏にあるSF感が大事なのだと思います。
    ただ、火浦功と"とり・みき"がどこにアンカーされているかと言えば、古典落語なんですよ。翻って考えると、ゆうきまさみは落語的なようで落語ではない。すると、より落語的な火浦功に行くわけですが、そこからさらに繋ぐと、今度は新井素子や大原まり子あたりにいくわけです。すると、彼女たちとゆうきまさみはまた繋がるんです。
    つまり、円になっているのだけど、僕の一番深い根っこにあるのは、たぶん古典落語なんです。なぜかと言うと、自分が生まれた地域というのが、本当に落語みたいなことが起きるような場所だったからなんですけどね(笑)。
    だから、僕の中では内海課長は全然ふざけた人には見えないんです。「こいつがシリアスなドラマに組み込まれてるのを初めて見た」というモードがあったんだと思いますね
    宇野 当時の僕には、「なんでこんな敵と一生懸命戦ってたのか」がわからなかったですけどね。人身売買なんてしてたらそれは端的な悪であり、80年代的な面白主義じゃなくてもいいだろう、と思いました。悪いのは人身売買で面白主義じゃない。いい面白主義と悪い面白主義があるだけじゃないかって高校生の僕は思ったんですよね。
    吉田 いや、あれは結局そうは描かれてないんですよ。頼まれてそういうことをしているだけなんでしょう。バドに対する距離感で言っても、「あれはバドを救っているのじゃないのか?」と思うんです。芸者の身請けみたいなものにすら見えますね。
    宇野 もちろん今になって思えばそうなんですけど、そうなると逆に当時ゆうきまさみが一生懸命描こうとしていた倫理感って、ものすごくまっとうで、そして普通のことだと思うんですよ。それだけに僕はあれがわざわざフィクションで描かなければいけないことなんだろうか、と思うんですよね。なんだか、中学の日教組の先生が道徳の時間にカマす説教みたいに聞こえちゃう。
    ゆうきさんが漫画版の最後に遊馬の告白を描いたのは、彼なりに踏み出したんだと思いますね。野明と遊馬の恋愛に踏み込んでいくのは、パトレイバーの世界を壊すことを意味しますからね。でも最終回でゆうきさんはそれを描いて、パトレイバーにケリを付けた。そして、ゆうきさんはそうやってモラトリアムの物語から先に踏み込んだとき、良くも悪くも『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』のような単なる「いい話」しか描けなかった。あの漫画ってメチャクチャ巧いけれど、メッセージが凡庸すぎて僕は読むのが辛かった。こんな現実世界にありふれたお説教を何でこんなよくできたフィクションを通じて享受しなきゃいけないのか、って(笑)。
    きっと、あれを描いたとき、ゆうきさんは自分が何を捨てようとしているのか、わかっていたはずなんです。だけど、彼はそっちを選んだ。この歳になってみると、それはすごく勇気のいる決断だなと思います。だけど、当時の僕は……一言でいうと「寂しかった」のだと思いますね。
     
     
    ■パトレイバー2が否定しようとしたもの~押井守の臨界点と読み違い
     
    吉田 それで言うと、ゆうきまさみはまさに青春の作家で、野明と遊馬が「そんときゃ俺が」「はい~?」というやりとりになるわけですが、押井守はしのぶが柘植に手錠をかけて手を取っていこうとするじゃないですか。もう、全然違う男女関係なんですよね(笑)。
    宇野 当時の僕は、あれをすごく格好いいと思ったけど、いま見ると、あの団塊世代的なロマンチシズムが逆に恥ずかしいんですよね(笑)。当時は、聖書の『ルカによる福音書』の第12章51節とか暗唱できたんですけどね。「我、地に平和を与えんために来たと思うなかれ」みたいな。パトレイバーのせいで、旧約聖書を文語体で暗唱できる男とかになっていた(笑)。
    吉田 それ、いっぱいいる! いっぱいいるよ、そういう人(笑)! ……まあ、僕は暗唱まではいきませんでしたけど。
    宇野 当時はやはり高2病をこじらせていたから、柘植としのぶの方が大人に見えてましたね。いま見ると「この団塊親父的ナルシシズムにうんざりだぜ」とか思うんだけれど(笑)。
    結局、『機動警察パトレイバー 2 the Movie』はオッサンたちの話になってるんですよ。そして、ゆうきまさみが最後に野明に「はい~?」と言わせたことによって、パトレイバーの世界を失ってしまったのと同じく、押井守の方も、あそこでしのぶが手錠をかけてしまったことで、やはりパトレイバーの世界ではなくなってしまったわけです。
    吉田 うん、そう思います。だから今度の実写で気になるのは、"パトレイバーではないもの"として成立するかですね。
    宇野 パトレイバー2は、いま思うと「パトレイバー的なもの」を否定することによって、終わらせようとした作品ですね。最後は全員、警官を辞めてしまうわけですから。それにはっきり言って、戦闘ヘリとか戦車が出てきたら、レイバーなんて役に立たないって身も蓋もない現実を描いてしまった。
    吉田 事実、ハンガーが襲撃されるシーンで、ほぼ全滅してますからね。
    宇野 イングラムよりはるかに強いはずのヴァリアントも、起動するまでもなくボコボコに倒されてしまう。伊藤和典やゆうきさんが築き上げてきたモラトリアムの世界なんていうのは最初からあり得ない、嘘だと示しているわけです。
    押井守の『TOKYO WAR』というパトレイバー2のノベライズで、二課の同窓会で進士が「僕たちの夏は終わったんですよ」と言うシーンがあるんです。まさにパトレイバー2は冬の映画で、ゆうきまさみとは違う形でケリを付けようとした。やっぱりパトレイバーは基本的にモラトリアムの物語であって、そこから先に踏み込もうとすると作品自体を否定するしかないんだと。
    吉田 ひとつ特徴的なのは、「なぜ押井守はグリフォンを全く描かないのか」じゃないですか?
    宇野 それは、たぶん押井さんの中にああいうものが仮想敵たりうる感覚がなかったんじゃないですか。
    吉田 まあ、どう考えてもグリフォンは出渕モノですしね。
    宇野 あと、押井さんの場合は、80年代面白主義も敵にはならない。ロボット同士の力比べのような、80年代のオタク的な感性を肯定するか否かなんていうのは、押井守にとっては極めてどうでもいい問題だったことに尽きるんだと思います。
    吉田 しかし、ゆうきさんには、どうでもよくなかった。よく彼は『鉄人28号』だと言ってますよね。頭の良さで戦える、コントローラーを使った戦闘のほうがロボット同士の戦いよりも重要でそれがやりたかったのだ、と。僕も、そこにはすごくシンクロするんですよ。
    その戦いを大人の味付けでやると、たぶん面白くないんです。やはり少年漫画の味付けでないといけない。大人の世界だったら、それって管理が甘いだけの、ゆるい人たちが出てくる物語になってしまいますから(笑)。だから、誰でも観られるという意味で、実はゆうきまさみ版の方が物語の器としては大きいのかもしれないな、と思ったりもします。
    宇野 というか、押井守はそういう管理の甘い大人たちしかいない、どうしようもない世の中でいかに戦っていくのかを描いている人だと思うんですよ。そしてそんな管理の甘い大人たちの姿を具体的に描いてしまうと、とてもショボい話になるから、押井守はそういうバカな大人たちの生む状況を描写することしかしない。たとえば「パトレイバー2」では、そんな馬鹿な大人たちが生んだ状況がひたすら作中のニュースとして報道されて、それをひたすら後藤と荒川が解説することで成り立っている。あの映画はそんな「管理の甘い大人たち」が生んだ状況で何が起きているかを正確に把握した一握りの賢者たちが、いかに知的ゲームを戦うかを描いた作品ですよ。あれは、かなりアクロバティックな作りをしていると思いますね。
    吉田 それにしても押井守はなぜここに来てパトレイバーを撮っているんでしょう……理由がなさすぎて困ってしまうんですよ。
    宇野 ですよねぇ。「パトレイバー2」って、「もはやパトレイバーは成立しない」ことを映画にした作品ですからね。
    吉田 押井守のルートで行くなら、本当は『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』になるわけじゃないですか。先ほどのダメな日常の中の賢者の戦いという話だって、もう『イノセンス』までで全部やってますよ。そして、そちらに出口はなかったわけです。そこで結局、押井さんは燃え尽きているのかなあ。
    宇野 実は僕は、『パトレイバー2』から『GHOST IN THE SHELL』に展開するところで、押井さんは決定的に間違えたと思っているんです。 
  • 宇野常寛のラジオ惑星開発委員会~4月14日放送Podcast&ダイジェスト! ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.056 ☆

    2014-04-21 07:00  

    宇野常寛のラジオ惑星開発委員会~
    4月14日放送Podcast&ダイジェスト!
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.4.17 vol.054
    http://wakusei2nd.com

    毎週月曜日のレギュラー放送がスタートした「宇野常寛のラジオ惑星開発委員会」。
    前週分の放送のPodcast&ダイジェストをお届けします。
    4月14日(月)22:00〜放送
    「宇野常寛のラジオ惑星開発委員会」
     
    ▼4/14放送のダイジェスト

    ☆オープニングトーク☆
    名古屋での討論番組収録の現場で、自称・仕事認知厨の宇野常寛が、堀ちえみさんから認知をもらう! 収録後の雑談で、堀ちえみさんが話題にした意外なタイトルとは。
    ☆テーマトーク☆
    今回のテーマは「地方」についてメールを募集。地元自慢やあるあるネタが送られてくるかと思いきや、真面目に地方の問題を問うお便りをいただき、トークが展開していきました。
    ☆48開発委員会☆
    あなたのヲタ活報告のコーナー。総選挙を前に卒業発表が続くなか、菊地あやかさんの卒業に関するメールが届きました。
    ☆今週のぶっちゃけ話☆
    宇野常寛が実践している、大事な場面で緊張しないための秘訣を大公開!

     
  • 〈リアル参加型オリンピック〉を超やりたい!!――チームラボ代表・猪子寿之の考える東京五輪2020 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.055 ☆

    2014-04-18 07:00  

    〈リアル参加型オリンピック〉を超やりたい!!
    ――チームラボ代表・猪子寿之の考える
    東京五輪2020
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.4.18 vol.055
    http://wakusei2nd.com

    今朝の「ほぼ惑」は、P9チーム連続インタビューの第5回。 チームラボ代表・猪子寿之さんの登場です。 2020年のオリンピック開会式や演出について、 いま猪子さんが考えていることについて聞いてきました。

    【PLANETS vol.9(P9)プロジェクトチーム連続インタビュー第5回】この連載では、評論家/PLANETS編集長の宇野常寛が各界の「この人は!」と思って集めた、『PLANETS vol.9 特集:東京2020(仮)』(略称:P9)制作のためのドリームチームのメンバーに連続インタビューしていきます。2020年のオリンピックと未来の日本社会に向けて、大胆な(しかし実現可能
  • "信じる"ことと"すれ違う"こと ――木皿泉『ハルナガニ』舞台レポート ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.054 ☆

    2014-04-17 07:00  

    "信じる"ことと"すれ違う"こと――木皿泉『ハルナガニ』舞台レポート
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.4.17 vol.054
    http://wakusei2nd.com

    今朝の「ほぼ惑」は、PLANETSの番組やイベントでもお馴染みの編集者・両角織江さんによる木皿泉の新作舞台『ハルナガニ』の観劇レビューと、宇野による木皿泉論です。
    《木皿泉脚本の舞台「ハルナガニ」の公式HPはこちらから》
    http://www.umegei.com/schedule/354/
    東京公演(シアタートラム)4/7-4/27
     
    ▼執筆者プロフィール
    両角織江(もろずみ・おりえ)
    フリー編集者。漫画や雑誌など節操なく何でもやっています。
    昨年出た「文藝別冊木皿泉」(河出書房新社)の制作に少し関わらせていただきました。
     
     
    ■「演劇の想像力で描く木皿泉の『信じる』世界」(両角織江)
     

    「ハル
  • "天然の革命児"が指原莉乃と切りひらくテレビの未来 福田雄一インタビュー ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.053 ☆

    2014-04-16 07:00  

    "天然の革命児"が指原莉乃と切りひらくテレビの未来
    福田雄一インタビュー
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.4.15 vol.053
    http://wakusei2nd.com

    今朝の「ほぼ惑」に登場するのは、「勇者ヨシヒコ」シリーズ、『指原の乱』で有名な放送作家の福田雄一氏。"絶妙に失礼"な指原が可能にした『指原の乱』の面白さに始まり、現在のテレビをめぐる問題へと話は進みました。


    ▼プロフィール
    福田雄一(ふくだ・ゆういち)
    1968年生まれ。放送作家、演出家、映画監督。劇団ブラボーカンパニー座長。近年の作品は、バラエティ番組で『ピカルの定理』『いきなり黄金伝説』、DVDオリジナル作品で「THE3名様」シリーズ、テレビドラマで『33分探偵』『東京DOGS』「勇者ヨシヒコ」シリーズ、映画で『大洗にも星はふるなり』『HK/変態仮面』『俺はまだ本気出してないだけ』など。自身も出演し、演出も手がけるテレビ東京系『指原の乱』は、業界視聴率ナンバーワン番組と評判だ。5月30日には指原莉乃主演の監督作『薔薇色のブー子』が、初夏には桐谷美玲主演の監督作『女子ーズ』の劇場公開がそれぞれ控えている。
     
    ◎構成・稲垣知郎、稲田豊史
     
     
    ■福田雄一のさっしー観
     
    宇野 AKBファンには『指原の乱』(13年10月~14年3月)でおなじみの福田雄一さんですが、実は僕は福田さんがAKBに関わる以前に、インタビューさせてもらったことがあるんですよね。
    福田 あのときの宇野さんのインタビューは本当に気に入っているんです。引っ越ししたとき、妻に雑誌類を全部捨てられたんですけど、あれだけは残してもらいました(笑)。
    宇野 そう言ってもらえると嬉しいです(笑)。去年『AKBINGO!』で再会して、そしてまた『ヨシヒコ』あたりのことを聞きたいなって思っていたら『指原の乱』がもう面白くて仕方なくて……。もう福田雄一と指原莉乃のコンビもここまできたか、と。
    福田 彼女とは、『ミューズの鏡』(12年1~6月)の撮影初日に初めて会ったんです。そのときに何となくお芝居を付けてもらいながら一日一緒に過ごして、「ああ、この子で『裸足のピクニック』をやりたいって思ったんですよ。
     
    【編集部注】『裸足のピクニック』は矢口史靖監督の初監督映画作品。1993年公開。ある女子高生がどんどん不幸になっていく姿を描いたブラックコメディー。指原主演の『薔薇色のブー子』は本作の内容を彷彿とさせる。
     
    『裸足のピクニック』って、無表情で感情がよく分からない女の子がどんどん不幸に見舞われていく話じゃないですか。無表情で何考えているかわからないということは、よほど佇まいの面白さがないと、その子を中心に映画は回っていかない。で、さっしーって決して芝居が上手ではないですし、表情がうまく作れるわけでもないし、女優としてなんの取り柄もないけど、とにかく佇まいが非常に面白かったんですよ。ポッと立たせた時になんとなくほっとけない、つい見てしまう。それで『裸足のピクニック』がはまるなあと。
    宇野 当初さっしーとはどんなコミュニケーションを?
    福田 当時の僕は『勇者ヨシヒコ』で話題になったので、けっこう仕事の引き合いがある状況でした。でも指原は、僕の作品は1本も見たことないって言うし、そもそも俺のこと全然知らないって(笑)。
    宇野 さすが、さっしーですね。
    福田 でも、俺のこと知らないっていうのが逆に嬉しくなっちゃって。好きなんですって言われると背負うものがあるじゃないですか。好かれてるからがんばらなきゃとか。でも、知らないって言われるといい感じでスーって気を抜けるんですよ。これは楽しめるぞって。
    宇野 なるほど、これでいじり倒せるぞと(笑)。
    福田 あと、あいつが待ち時間にセットの隅に座って、ボーッと考えているのを見ると、いじりたくてしょうがなくなるんですよ。「そんなこと言わないでくださいよー」って困らせてやりたい。生意気なこと言うと、秋元さんもきっと同じ気持ちなんだと思います。その感じが麻薬みたいなもので、さっしーと離れられない(笑)。業界の方は、僕がずっと秋元さんにさっしーと組まされてるって思ってるかもしれないんですけど、すべてのドラマに僕のほうから呼んでいるのが紛れもない事実です。
    宇野 さっしーはもう「福田ファミリー」に入ってるんですね。ムロツヨシさんや山田孝之さんと同じで。
    福田 彼女の中ではそうなってないですけど(笑)。すごいのは、秋元さんやテレビ局や電通の方たちが集まって喋っているとき、その8割9割は指原の話なんですよ。アイツこんなこと言いやがったよ、ムカつくだろ、とか。秋元さんは「いい大人が集まって指原の話ばっかりするのムカつくから、別の話をしようぜ」って言うんだけど、必ず10分後には指原の話に戻ってて、3時間とか話してる(笑)。そんな女の子ってなかなかいないですよね。
    宇野 一昨年の8月に共著で出した『AKB48白熱論争』って、最初は総選挙の後の感想戦から始まっているので、さっしーのスキャンダルの前なんですよ。にもかかわらず、よしりんがさっしーのことを嫌いだっていうのがきっかけで、ずっとさっしーの話ばっかりしてるんですよ。その後、もう1回収録したんですけど、それまでの間に例の文春のスキャンダルがあって、また彼女の話。気がついたら俺たちはさっしーの話しかしていなかった。要するに、世界は指原さんを中心に動いてるんですよ(笑)。
     

    ▲「指原の乱」DVD-BOXは7月23日発売予定!
     
     
    ■『指原の乱』がネタにした「電通」と「テレビ」
     
    宇野 さっしーはその後、福田さんの監督作『俺はまだ本気出してないだけ』にも出演し、そしてレギュラー番組として『指原の乱』が生まれるわけですが、あれってすごく変な番組だと思うんですよ。あの企画はどうやって始まったんですか?
    福田 僕のドラマも映画も、発想の原点は基本的にはバラエティなので、やってないとすごく不安なんですが、そのとき僕が関わっていたのが『新堂本兄弟』だけだったんです。あれはトークバラエティなのでバラエティ脳を使うってとこまで行き着いていない。それで電通さんとかに、バラエティをやらせて欲しいってことをずっと言っていたんですよ。そうしたら、テレ東の深夜2時くらいだったら全然いいですよって言われて、『水曜どうでしょう』が真っ先に浮かびまして。それで、誰とやりたいかなって考えて出てきたのが、さっしーだったんです。
    宇野 福田さんの考える『水曜どうでしょう』の魅力はなんですか?
    福田 『水曜どうでしょう』の醍醐味って、大泉洋さんのとめどない文句だと思うんです。この前、大泉さんに直接聞いたんですけど、「俺は正論を言ってるだけなんだ。ただ立場が弱いだけなんだ。俺は常に正論を言う弱者なんだ!」って(笑)。それはすごく良い言葉で、指原にも当てはまる。彼女もずっと正論を言っているんですよ。なんでこうじゃないんだ!
    って。それをあの絶妙なブサイク面で言うから、面白い。それを秋元さんに言ったら「たしかにあいつがテレビで、ちょっとそこは電通さんでなんとかなんないですかね~って言ってたら面白いよね」って言ってくれたんです。
    宇野 電通(笑)。
    福田 じゃあ指原が電通っていうワードを口にできる番組って何だろうと考えたら、やっぱりあいつの絶妙な失礼を駆使して、業界のものすごく偉い人に食い込んでいって、自分の夢を叶える内容かなと。それでタイトルは『指原の乱』が一番良いだろうなと思ったわけです。
    宇野 『指原の乱』にはビックリしましたね。構造自体は昔の80年代から90年代にかけての、テレビに勢いがあった頃の「業界の裏側見せちゃいますよ」的なものなんだけど、こういうの、今はやらなくなってるじゃないですか。「裏側見せます」って言ったって所詮はテレビ、ネットでダダ漏れしている情報にはかなわないですし。
    でも、この番組ははっきり言って心ある若者からは嫌われている「テレビ」と「電通」を、アイドルがメタ的にいじり倒すことによって、8、90年代のときには触れられなかったものに触れてしまっている。言い換えると、テレビが最後のパンツを脱いでしまっている。だから、2013年に、テレビはここまで来てしまったんだなって思いましたよ。だって、どれだけオーディションの過程を見せても、女の子の涙を見せても、楽屋ネタや内輪ネタを見せても、「電通さん何とかしてくださいよ」って言葉はさすがに出ませんから(笑)。
    福田 電通は今まで絶対、表に出てこなかったフィクサーですからね。基本的に僕と指原が喋った部分の8割はカットされているんですけど、そこには電通へのおもしろすぎるメッセージがいっぱい含まれています。ちょっと具体的には言えないんですが(笑)。