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  • なぜ、Web2.0下の民主主義はうまくいかないのか:疫病と戦争の時代と脱プラットフォームの思想|宇野常寛

    2022-10-25 07:00  

    おはようございます。今朝のメルマガは、PLANETS編集長・宇野常寛の特別寄稿をお届けします。なぜ今日の情報環境における民主主義が行き詰まっているのか、『遅いインターネット』刊行後、コロナ禍を経たこの2年間で宇野が情報社会について考えていたこととは? 10/20(木)発売の新著『砂漠と異人たち』の概略とともに論じました。
    ※宇野常寛の新著『砂漠と異人たち』が好評発売中です!

    情報社会を支配する相互評価のゲームの〈外部〉を求め、「僕」は旅立った。 そこで出会う村上春樹、ハンナ・アーレント、コリン・ウィルソン、吉本隆明、そしてアラビアのロレンス――。20世紀を速く、タフに走り抜けた先人の達成と挫折から、21世紀に望まれる主体像を探る「批評」的冒険譚。
    なぜ、Web2.0下の民主主義はうまくいかないのか:疫病と戦争の時代と脱プラットフォームの思想|宇野常寛
    ブレグジット/トランプの衝撃が世界を揺るがした2016年から6年、コロナ・ショックとウクライナ戦争の渦中にある世界は、未だにリベラル・デモクラシーの乗り上げた巨大な暗礁に戸惑い続けている。
    その背景に大きく存在しているのがWeb2.0、とりわけSNSプラットフォームの中心化以降のインターネットとの相性の「悪さ」である。今回はこの問題をちょっと変わった角度から考えてみたい。具体的には、コロナ・ショックとウクライナ戦争から浮上する、情報と人間の不幸な関係とその突破口の手がかりを僕の前著『遅いインターネット』の議論をアップデートすることで、探り出してみたい。
    1.おさらい──2016年の敗北の問題(ブレグジット&トランプ)
     一般論だが、現在はグローバル化&情報化(この二者はセットである)のアレルギー反応のフェイズだと考えられている。アレルギー反応とは、状況がより加速するからこそ大きくなる摩擦の現れであって、決して流れが逆行しているのではないことに留意が必要だ。ある視点から見れば、グローバリゼーションは国際格差を縮小しているのだが(南北格差の縮小)、日本やアメリカのような20世紀の先進国においては概ね国内格差を拡大する(加工貿易によって安定していた、先進国戦後中流が没落する)側面がある。この国内格差の増大が、アレルギー反応の主原因だとされている。
     ローカルな国民国家からグローバルな市場へ。世界をもっとも強い力で動かす力はこの20年で大きく変化した。ローカルな国民国家に対する政治的な、時間のかかるアプローチ(革命)から、グローバルな市場に対する経済的な、時間のかからないアプローチへの変化だ。この、市場から社会を変革させるシリコンバレーの情報産業の精神を、ヨーロッパの左翼たちは「カリフォリニアン・イデオロギー」と名付け批判した。それは西海岸のヒッピーの脱社会性(サイバースペースに失われたフロンティアを求める)と、東海岸のヤッピー(スマートな経済人)の野合であり、資本主義に対する批判精神の喪失であるというのがその批判の骨子だが、皮肉なことに(良くも悪くも)このカリフォルニアン・イデオロギー的なものがもっとも強い力でこの20年間の世界を変えてしまった。そして、その変化で割を食った人々の反乱が始まったのが、あの2016年だった。それが、ブレグジットであり、トランプだった。
     イギリスのジャーナリストのデイヴィッド・グッドハートはブレグジットを分析した『The Road to Somewhere: The New Tribes Shaping British Politics 』(2017年)で、世界はAnywhereな人々(どこでも生きていける=グローバル化に対応したクリエイティブ・クラス)とSomewhereな人々(どこかでないと生きていけない=対応できないそれ以外の人々)に二分されている。そしてブレグジットはSomewhereな人々のAnywhereな人々への反乱であり、つながりすぎて、ひとつになりすぎた世界をもう一度、ばらばらにしたい、という訴え(そのため排外主義とも結びつく)というのがその診断だ。同じことが同年のドナルド・トランプのアメリカ大統領当選にも結びつく。比喩的に述べればシリコンバレーのアントレプレナー(Anywhere)に対してラストベルトの自動車工(Somewhere)が反乱を起こしたのだ。  このときSomewhereなラストベルトの自動車工はオバマケアを廃止するトランプを支持した。それはなぜか。理由はそれが実のところ経済ではなく、承認の問題だからだ。  グローバル資本主義というゲームのプレイヤーにはなれないSomewhereな人々が唯一社会変革に参加できるのが民主主義だ。そのため、Somewhereな人々はより切実に自分も世界に関与できるという実感を求めて政治に参加する。そしてその切実さと結びついたのが、今日の情報技術なのだ。

    ▲デイヴィッド・グッドハート『The Road to Somewhere: The New Tribes Shaping British Politics 』(2017年)
    2.インターネットと民主主義
     いまとなっては、インターネットと民主主義が電子公共圏を用いた直接民主制の夢として、楽観的に語られていたのは遠い昔のことのように思える。ただ、2008年のバラク・オバマのアメリカ大統領当選時のインターネット利用は、むしろこうした明るい未来へのステップとして紹介されていた。オバマがインターネットを通じた、個人献金の爆増に支えられて当選した大統領であることは広く知られているが、それはインターネットがマイノリティたちの声なき声を可視化するという「夢」を実体化した結果であると考えられていた。
    ▲井上明人『ゲーミフィケーション:<ゲーム>がビジネスを変える』(2012)
    ・2010年代=「動員の革命」@津田大介の時代
    ▲津田大介『動員の革命 :ソーシャルメディアは何を変えたのか』(2012)
     続く2010年代のSNSを用いた市民運動──アラブの春、雨傘運動、日本の反原発デモも、当初は民主主義のアップデートとして肯定的に捉えられていた。しかしアラブの春は独裁政権を打倒し、大きな成果を上げるが、その副作用のポピュリズムでどの国も泥沼化する。あれ、こんなはずじゃ……と多くの人が思った。このあたりから、SNS×民主主義はマズいのではないか、という暗雲が出始める。  そして迎えた2016年の大統領選挙では、情報技術と民主主義の組み合わせのもたらす絶大な威力が悪い意味で証明されることになった。主にトランプ陣営のフェイクニュース攻勢と、Facebook等の個人ターゲティング広告の威力は絶大だった。オバマの開けたパンドラの箱を、トランプは最大限に活用した。こうして、SNS×民主主義はいよいよヤバいことが顕在化したのが2016年だった。欧米諸国を中心に、プラットフォーマーを規制し始めるが、当然決定的な歯止めにはならない。なぜならば。SNSのポピュリズムは大衆の欲望の問題だからだ。そして2020年、世界に「コロナ禍」がやって来た。
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  • 「ムジナの庭」では何が起きているのか(後編)|鞍田愛希子

    2022-10-18 07:00  

    本日のメルマガは、就労支援施設「ムジナの庭」施設長・鞍田愛希子さんと宇野常寛との対談(後編)をお届けします。前編に引き続きムジナの庭が提供するプログラムを紹介していただきつつ、そこでのセミパブリックな空間づくりを手がかりに、今日の公共空間やコミュニティのあり方にまで議論を広げました。(構成:石堂実花、初出:2022年5月17日(火)放送「遅いインターネット会議」)
    ※本対談で登場する「ムジナの庭」へ訪問した詳細なルポルタージュは、『モノノメ#2』に掲載されています。詳細はPLANETS公式オンラインストアにて。

    「ムジナの庭」では何が起きているのか(後編)|鞍田愛希子
    「場」から「庭」へ
    宇野 前編で愛希子さんが言っていた「家から庭へ」は、僕も最近考えていたことです。僕は専門としてメディア論に近いところにいるんですが、いまはインターネット=SNSのプラットフォームのコミュニケーションは、言葉中心のコミュニケーションで、相手が人間しかいない。よく社会は国家と家族の中間と言われますが、日本では東日本大震災の後に、口を揃えて「地域のコミュニティを大事にしよう」と言われ始めた。要するに国家と家族の中心にある、疑似家族的なコミュニティがここでは想定されていたと思うんですよね。もちろん、僕もそういうことは大事だと思ってきましたが、ちょっと限界も感じているんです。日本的な田舎のムラ社会とかただの地獄ですし、世田谷でクリエイティブクラスが金持ち喧嘩せずの心温まる自治ごっこみたいなのってただ経済格差で貧しい人と見たくないものを自分たちの視界から排除しているだけですからね。東京のクリエイティブクラスがセルフブランディングでやっている田舎暮らしと地方の商店街や農家のおじいちゃんおばあちゃんとの触れ合いのパフォーマンスはまあ、問題外として、実際にマクロで見るとSNS上のプラットフォーム上のテーマコミュニティ以外にその担い手は難しい。しかし、そのプラットフォームでは人間は人間同士の承認の交換しかできない。ここが問題だと思います。
     僕の場合は「『場』から『庭』へ」という言葉で表現しているんですが、この場合の「場」はプラットフォームです。プラットフォーム上では、人間は人間としか会話しませんよね。誰かに評価されるという相互評価のゲームで動いているから、他の誰かに評価されること以外のことを考えなくなってしまう。そうなると、問題そのものにアプローチせず、「この問題についてどう発言したら評価されるか」しか考えなくなってしまう。これはすごく貧しいことのように思うんです。  対して「庭」は植物や土や昆虫など、人間以外のものごとにも触れられる場ですよね。しかも植物には人間が介在しなくても自生できるような生態系がある。人間が介在しなくても勝手にコミュニケーションしているものに触れることが、すごく大事な気がしています。人間関係や社会の外側にも世界があることを実感させてくれると思うんですよね。  そして庭は、いじれることが大事なんです。しかも、人間が介入できるけれど、完全に支配することはできない。いくら抜いても雑草は生えるわけです。だから常にメンテナンスしなきゃいけないし、いくらメンテナンスしても支配はできない。これが庭を触っているときの充実感だと思うんです。
    鞍田 わたしも、庭から人間関係や心の問題を考えるきっかけをもらった気がしています。「ムジナ」でも、ある方がその場からいなくなるとか、誰か新しい方が入ってくる度に全体の雰囲気や関係性が一気に変わるんですが、これは生態系に近いなと思っています。  たとえばうちの場合は「お菓子を作る」「雑貨を作る」「庭の手入れをする」といったように、いろんなシチュエーションが自然に生まれます。そうすると、一方では活躍できなかった人たちが他方では急に尊敬され始めたりと、その人が違う側面を見せられる場所があるんですよね。  「庭」というキーワードで思い出したんですが、コンパニオンプランツという植物の組み合わせ方があります。たとえばアブラムシがすごく好きなお花を野菜の近くに植えて、その花があることで野菜を害虫から守ってもらう、というものなんですが、そういう配置換えやマッチングがしやすくなるよう、選択肢を増やしておくことこそが、わたしたちにできることだろうなと思っています。
     就労支援はいつかはなくなるのが理想的です。それがなかなかできないのは、まだ社会に認知が浸透していないからだと思います。たとえばもう少し、マッチングされて、庭のなかで、たとえば植物を植え替えるみたいな感じで変えていったら、急にコンパニオンプランツ的なはたらきをし始める、みたいなこともあるかなと思っています。
    宇野 「『いい庭の条件』ってなんだろう」と考えると、まずは第一に生態系が豊かであることですよね。そこにいろんな植物や虫がいて、それぞれ固有のアプローチができるということ。  あとはやはり、人間がそこに関与して、うまくいけば手応えもある。ただし完全に支配することはできないという、このバランスが中距離感で、人間と世界との距離感として、程よい手触りを人々に与えてくれると思っています。僕は自己信頼のベースとは、こういうことなんじゃないかなと思ってるんです。
    「ままならない」体験を通して出会うセミパブリックな空間
    宇野 愛希子さんのお話を聞いて僕が思うのは、「家庭と病院の間のセミパブリックな空間」が失われているのではないかということです。今の社会は自己責任の範疇で何をしても許されるプライベートな空間と、完全にパブリックで、デオドラントでクリーンな除菌された空間に二分されています。僕はサブカルチャーの人間なので、後者のような空間からサブカル的な猥雑さは出てこないと思うんです。
    鞍田 わたしは東京に出てからはじめて福祉の仕事に携わるようになったんですが、一番最初に感動したのが体臭でした。  私が働いていた施設では重度の精神疾患の方が多く、なかなかお風呂に入れない方もいました。そこで「そうか、人間ってこんな匂いをしていたんだな」と思い出したんですよね。「過去にこの匂いを嗅いだのはいつだっただろうか」と考えたときに、しばらく無臭の世界を生きていたということに気づきました。そうした手触りのような感覚は、ふつうに生きているなかで失われていくものです。  ちょうど東日本大震災のあとに「五感を取り戻す」というテーマの感覚的なワークショップをやっていた時期がありました。香りは人間の脳の本能的な領域に関わると言われていて、たとえば香りを嗅いだ瞬間に気分が変わることがあります。東日本大震災で心を痛めた方や精神疾患のある方にアロマを通したケアで関わるなかで、植物の香りや体臭は人間の気分を言葉に依らずに変える力があることを知りました。その香りをもう少し深めていったらできることがあるのかもしれない、と思ったのが、「ムジナ」の原体験としてありました。
    宇野 言葉の外側のものを使うことは大事ですよね。僕は職業柄言葉を使う人間だからこそ、言葉の限界もよくわかっているつもりです。でも、どうしてももの書きは、言葉を無邪気に信じすぎていると感じることもあります。僕は言葉よりも、もっと「ままならなさ」みたいなものを基準に考えたほうがいいんじゃないかと思っています。生きる実感は、言葉を自由に操って「○○である」ということよりも、実際に自分が関わって対象が変化していく過程を体験するところにあると思うんです。
    鞍田 ムジナの木彫で言うと、節があったり、木目に沿わない彫り方をすると、思うような形にならないことがあります。そうすると、思うような形にするにはどうすればいいかを考え始めたり、もう一個作ったらうまくできるんじゃないかと考えて「次は違うアプローチをしてみよう」と変わっていきます。そういう興味が頭の中をクリアにしていったり、身体のほうの記憶が正しくなったりしますよね。
    宇野 たとえば模型は、今だったらデジタルスキャンしてまったく同じものを3Dプリンターで作ることができるんですが、そうやって完成したものって、まったくリアルじゃないんです。  つまり人間は模型の形状そのものではなくて、模型を作る過程でそのものの本質のようなものに触れている。「このオートバイは、この自重を支えるフレームがフォルムを決定しているのだな」とか、「この建築はこの屋根の曲線を見せるためにそれを支える柱や壁が最適化されている」とか、そういうことを直感的に受け取っているわけです。だから優れた模型作家はデフォルメするんです。実はデジタルスキャンで実物を、自動車とか建築物とかをそのまま縮小したモデルをつくっても、人間はあまりそれをリアルに感じない。だからスケールが小さくなっても「それっぽく」見えるためには、その対象の本質をとらえ、特徴を抽出して、そこをアピールしたような形で縮小するんです。そうすると、途端に「それっぽく」見える。だから、作家によってアプローチがぜんぜん違う。そこに個性も宿るわけです。  だから、前編でお話しされたムジナのブローチの話はすごくおもしろかったです。ムジナというものをリアルに置き換えてるのではなく、いったん作家さんがデフォルメしているわけですよね。その後一人ひとりがブローチを作ることで、自分にとっての「ムジナ性」みたいなものを抽出して表現していると思うんです。
    鞍田 そうですね。結果的にできあがったものはそれぞれ全然違います。
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  • 「ムジナの庭」では何が起きているのか(前編)|鞍田愛希子

    2022-10-11 07:00  

    本日のメルマガは、就労支援施設「ムジナの庭」施設長・鞍田愛希子さんと宇野常寛との対談をお届けします。植物に触れること、手仕事をすること、人と触れ合い感情を表現することをつなげた心身のケアを通じて、就労へのサポートプログラムを実践するムジナの庭。施設利用者へのケアを実現する「居心地のいいみんなの庭」はどのように成り立っているのか、サービス・空間設計の両面から解説していただきました。(構成:石堂実花、初出:2022年5月17日(火)放送「遅いインターネット会議」)
    ※本対談で登場する「ムジナの庭」へ訪問した詳細なルポルタージュは、『モノノメ#2』に掲載されています。詳細はPLANETS公式オンラインストアにて。

    「ムジナの庭」では何が起きているのか(前編)|鞍田愛希子
    居心地のいいみんなの「庭」を目指して〜「ムジナ」に込めた思い
    宇野 本日のテーマは3月に刊行した雑誌『モノノメ』の第2号でも特集させていだだいた、就労支援施設「ムジナの庭」です。就労支援施設と聞いてピンとこない方もいると思うのですが、いろんな分野の障害を持っている方が働けるようになるために職業的な訓練を受ける施設のことです。
     「ムジナの庭」は植物に触れたり、手仕事をすることで人と触れ合い、感情を表現することなどをコンセプトにした心身のケアのプログラムをユニークに展開されている施設です。今日は『モノノメ』2号の解説編のような形で、「ムジナの庭」の主宰者である鞍田愛希子さんをお迎えして、一緒に「ムジナの庭」について考えてみたいと思います。愛希子さん、今日はよろしくお願いします。
    鞍田 よろしくお願いします。
    宇野 「ムジナの庭」は完成してからまだそこまで日が経っていない施設なので、取材として踏み込んで話すのはもしかしたらちょっと迷惑なんじゃないかという迷いがあったんです。でも、非常におもしろい試みをしていることをパートナーの鞍田崇さんからも伺っていたので、ぜひともお願いしたいと思って取材させていただきました。  今日はまず愛希子さんのほうから改めて「ムジナの庭」の試みについてご紹介いただいて、そのうえで「ムジナの庭」の試みを通じて僕らが考えるべきことなどに議論を広げていけたらいいなと思っています。それではよろしくお願いします。
    鞍田 ありがとうございます。こうやってお話しするのが初めてなので、ガチガチなんですが(笑)。よろしくお願いします。
     いまご紹介いただいた通り、「ムジナの庭」は就労継続支援B型事業所と言って、一般企業での就労が難しい方のために働く場を提供したり、段階を踏んで就労へ向かっていくためのサポートを行う福祉施設になります。「ムジナの庭」は昨年の3月、ちょうど1年前に開設したばかりで、「何歳からでもリスタートできる社会へ」というスローガンをもとに立ち上がりました。このスローガンには、どんな生きづらさを抱えていたとしても、誰もが未来に安心し、何度でもチャレンジを続けられるよう、いつでも帰れる家のような場所でありたいという願いが込められています。
     「ムジナの庭」にはいくつかコンセプトがあります。まずは「眠っている身体感覚を取り戻す」。ふと嗅いだ香りや、ふいに投げかけられた言葉、何気なく食べているもの、作業に没頭する時間、いつの間にか心や体に作用している要因をキャッチして、自分なりの暮らし方を見つけていきます。  私は大学を卒業して最初の仕事が植木屋だったんですが、学生時代は不眠症で気分も抑うつ気味だった私が、植木屋になったら急にぐっすり眠れたという経験があります。学生時代は、ただの運動不足だったんですよね(笑)。木を切っているときの香りや感触を通してメキメキと人間らしさを取り戻したという実感もあり、「ムジナの庭」でもそういうことを大事にしたいと思っています。
     もう一つのコンセプトは、「居心地のいいみんなの庭」です。 「ムジナの庭」は武蔵小金井というJR中央線の駅から10分もかからない場所にあるんですが、ここは坂下(さかした)と呼ばれる地域で、近くに「はけ」と言われる崖が続いています。近くに「ムジナ坂」という坂があるんですが、この坂が「ムジナ」の由来のひとつでもあります。  このあたりは夜はとても暗くて、「女の子が通るとムジナに襲われるよ」といった感じで、「ムジナ」があまりいい意味で使われていなかったようです。この名前をつけるのも地域の方にすごく反対されました(笑)。でも、この坂が都道の建設で無くなってしまうかもしれないという話を聞いて、その土地の記憶として残しておきたいという思いもあり、この名前にしました。

     目の前にある古いお寺には保存樹木にも指定されている大きな木が多く、毎日何十羽、何百羽といる鳥の声が聞こえてきます。「ムジナの庭」の2階は水平窓になっているので、180度緑が眺められる空間の中でぼーっとしたり、畳のある空間で寝転がったり、ハンモックで休んだりできます。そんな、みんなが共有できる庭やリビングのようなのびのびと暮らせる場所を作りたいという思いが立ち上げ当初からありました。
     「ムジナ」という言葉を「同じ穴のムジナ」という言葉で聞いたことのある方も多いと思いますが、通常はアナグマのことを指します。ただ、古くはタヌキや狐、イタチなんかも、みんなムジナと呼ばれていました。巣穴を掘るのが得意で、とても大きな巣穴を掘るんですが、そこに勝手にタヌキや狐が居着いても、一緒に住んでしまうんです(笑)。この感覚がすごくいいなと思っています。穴を掘るのが得意な人は巣を作ったり、草を集めたい人は草を集めてくる。「ムジナの庭」という名前にはそんな、それぞれが得意なことで活躍しながら共に暮らしていける場を作りたいという思いを込めています。  ムジナは「害獣」と言われることもありますが、それは人間にとっての害であって、環境が変われば「害獣」ではありません。私は最近「障害」という言葉をあまり使いたくないという思いがあって、自分の中で「障害」と「害獣」が結びついて、「ムジナ」は象徴的な動物だな、と思っています。
    「リバイブ=再活性化」をテーマとした活動
     「ムジナの庭」では3つのプログラムを用意しています。就労支援施設なので働くことを通してお金を稼ぐことがベースではありますが、それに加えて「ケア」に力を入れています。
     毎日一緒にご飯を食べる人がいれば自然と元気が出たり、昼間にしっかり体を動かせれば夜が眠りやすくなったり、日々誰かと顔を合わせれば笑う時間も増えますよね。そうした当たり前のことを一つずつ繰り返していく。これを毎日続けていくことで心と体の回復を促すようなプログラムを用意しています。

     1つめのプログラムは「生活と仕事」です。これは主に手仕事の作業のことを指します。たとえば月に一度のオープンアトリエでは、お客様をお招きしてカフェを開いています。そこでは普段作っている雑貨やアロマ製品、庭で手入れしたハーブを使って作ったお菓子や、雑草を使ったコースターなどを販売しています。
     こうした活動の裏側には「再活性化」という意味の「リバイブ」というテーマがあります。大学を卒業して植木屋として働いていたときに、剪定した枝をウッドチップとして再利用することが多かったんですが、ものすごくお金がかかるうえに、ウッドチップにした場合でもほとんどがゴミになってしまうのを見て「せっかくこんなにいい匂いがしているのにもったいない」と思っていました。その経験から、「ムジナの庭」では水蒸気蒸留というアロマを作る事業もやっています。  これからお話しする建築のリバイブもやっていますし、元気を失ってしまった人をどう再活性化させていくかという、人に対するリバイブもやっています。そう考えると、「ムジナの庭」のすべての活動のテーマが「リバイブ」であるとも言えます。

     2つ目のプログラムは「からだプログラム」です。この写真に写っているのは鍼灸師のスタッフで、プログラムの一環でお灸をやっているところです。足つぼやアロマもやっているんですが、体に直接アプローチするので、たとえば「眠れないから薬を飲む」というよりは「眠れないときにどう体を使えば眠れるようになるか」ということがわかるように、みんなで確認しながら行っています。

     3つ目の「こころプログラム」では北海道で有名な「べてるの家」の当事者研究や、SST(ソーシャル・スキルズ・トレーニング)などを取り入れた活動をしています。  最近ではヘアメイクとポートレート撮影をするプログラムもやりました。第三者が関わったり、普段しないアプローチによって変わっていく心の在りようもテーマとして挙げているので、クリエーターやアーティストの方々に関わっていただきながら、従来の自己理解やコミュニケーションのプログラムだけではない、少し変わったアプローチをしています。
     これはプログラムの一環で木工作家の三谷龍二さんの指導のもと、みんなで作ったムジナのブローチです。三谷さんもいろんなブローチをこれまで手掛けられてきた方ですが、30年ぶりの新作としてこの形を考えてくださったそうです。

     この日は参加者一人ひとりが、一匹のムジナを2時間くらいかけて仕上げました。彫刻刀自体握るのが小学生ぶりという方ばかりで、みんな黙々と集中して取り組んでいました。
     これは三谷さんが最初に作ってくださった小冊子です。この中には、「ムジナが住んでいる土の中を想像してね」「森の中ってどんな感じかな」「ムジナってどんな形だっけ」と書いてあって、まずイマジネーションの世界からムジナを生き物として捉えるところからブローチに落とし込んでいくのが面白かったですし、とても温かい時間でした。



     三谷さんには実は十年以上お世話になっていますが、今回のワークショップでは三谷さんがもともとものづくりに対して持たれている価値観や思いを、小冊子の扉に書いていただきました。
     『モノノメ』でもお話しさせていただいたんですが、「集中しましょう」「考えるのをやめましょう」と言われても簡単には実行できないですよね。たまたま「これ可愛いから作ってみよう」と思ったら集中していた……という結果論のほうが大事なのかなと思っています。プロセスにこだわるよりも、結果そうなっていた、という仕掛けをできるだけ柔らかく、面白く作りたいなと思っています。
     この日は3月なのに季節外れの雪が降っていたのも相まって、不思議な体験でした。作業の間も鳥の声が聞こえたり、コリコリというような木の感触ややすりで削る音が聞こえたりして、マインドフルネスのような体験になりました。この活動の様子はYouTubeでも公開していますので、ぜひ見てみてください。
    建築としての「ムジナの庭」
    鞍田 「ムジナの庭」はもともと「小金井の家」と呼ばれていた住宅を改装した施設です。もとは1979年に建てられた家で、設計は建築家の伊東豊雄さんです。  実はもともと建築家の安藤忠雄さんに話があったそうなのですが、予算の規模が少なかったために当時まだ若手だった伊東さんへお電話し、代わりに伊東さんが作られたという経緯があるそうです。断熱材が入っていないので、夏は暑く、冬は寒い倉庫のような作りの建物になっていますが(笑)、当時は水平窓が珍しかったのもあり、建築家のなかでは話題になったお家だったようです。
     これは竣工当時の写真ですが、いままたこの同じような造りに戻しています。この黄色の柱もグレーになっていた時期があったり、床がクッションフロアになっていたり、寒すぎたり暑すぎたのか、途中仕切りとして壁や扉を作っていた時期もあったりと、かなりの回数の改装を重ねてきた建物のようです(笑)。

     これが2021年時点の写真です。建築家の大西麻貴さん、百田有希さんの建築設計ユニット、「o+h」さんに改修をお願いしました。百田さんはもともと伊東事務所で働いていた方で、大西さんは大学生の頃から伊東さんとコラボレーションされていて、二人は師弟関係でもありました。せっかくなので伊東さんの建築をよく知った方にお願いしたいと思い、たまたまご縁あったこともあって改修をお願いしました。

     これが改修前ですね。1階がまだ子供部屋のままです。

     これは高野ユリカさんという写真家の方が撮り下ろしてくださっている写真です。「小金井の家」が「ムジナの庭」になる、その変遷を追った書籍を、伊東さんとo+hさんが一緒に作ってくださっていて。改修前から撮りためていただいたものになります。

     この頃は柱の色が違いますよね。壁が真ん中にあって、子ども部屋を二つに分けていた時期のようです。私たちが入る直前に手直しされてグレーにわざわざ塗られたそうなんですが、直後に私たちが戻してしまって、工務店さんががっかりしていました(笑)。

     これが今の状態です。一番変わっているのが窓ですね。今は四角い窓が吹き抜けの上のところにあります。本当はこれを腰高で全部抜いてスタッフがみんなの様子を見られるようにしたい、とお願いしていましたが、o+hさんが伊東さんに相談に行ったときに、すごく緻密な模型を作ってくださって「この壁はあったほうが良いな」とおっしゃったみたいで。「好きにしたらいい」と言ってくださったみたいなんですが、この壁は残したほうが良いという判断があって、最終的に四角に抜くというかたちに収まった感じです。

    宇野 空間設計に人間関係というか、コミュニケーション観の違いが見えますね。ある空間と別の空間が、もっときっちり分けられている空間が良いのか、それともある空間と別の空間の境界が曖昧で、どこかでゆるゆるとつながっている空間がいいのかという。
    鞍田 そうですね。今はあそこの窓から「ごはんできたよ」という会話が上下で生まれたりするんですが、上を全部取らなかったことで向こう側に隠れられる、心理的な安全性が保てるような空間にもなっていると思います。畳のスペースなので、「からだのプログラム」でお灸をしたり、足ツボをするスペースになっています。  これが、くり抜いた窓から見た2階のキッチンですね。こちらは1階で、もともとの子ども部屋が改装されてキッチンになった部分です。

     これは2021年の2月、「ムジナ」を開設する1ヵ月前に伊東さんが来てくださったときの様子です。o+hのお二人も来られて、この小金井の家を担当されていた泉さんという方も一緒に来てくださって、当時の話を伺いました。伊東さんも四十年ぶりに遊びに来られたということで、すごく喜んでくださっていました。

     実は「ムジナの庭」をお願いするより前から、伊東さんと大西麻貴さんが東日本大震災の後に作られていた「東松島こどものみんなの家(以下、みんなの家)」にとても共感していたところがあったので、今回改修をお願いすることができてとても嬉しかったです。  「みんなの家」は、まだ被災者の方々が仮設住宅に住んでたときに「みんなのリビングのような、共有できるスペースがあるといいよね」という発想のもとにデザインされた空間です。それぞれが別々に暮らしながら、セミパブリックな共有できるスペースがあるというところがとてもいいなと思っていました。「ムジナ」も、たとえばそれぞれひとり暮らしをしている人にとって、暮らしの中で一緒に共有できる「庭」やリビングのような場所であればいいな、と思っていて、そういう場の在り方を体現したいということを伊東さんにもお伝えできたのは、とても嬉しかったです。
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  • あなたの持ちものを欲しがる人に売ることをビジネスとは言わない(後編)|橘宏樹

    2022-10-04 10:19  

    【訂正とお詫び】 本記事において編集部のミスにより画像の一部訂正があるため、再配信を行いました。読者の皆様にはご迷惑をおかけし、深くお詫び申し上げますと共に、再発防止に編集部一同努めて参ります。このたびは大変申し訳ございませんでした。
    現役官僚である橘宏樹さんが、「中の人」ならではの視点で日米の行政・社会構造を比較分析していく連載「現役官僚のニューヨーク駐在日記」。安倍元首相の外交姿勢と、これまで論じてきたユダヤ系アメリカ人の経済的影響力から、これからの日本の国際社会での立ち位置について考察します。
    橘宏樹 現役官僚のニューヨーク駐在日記第6回 あなたの持ちものを欲しがる人に売ることをビジネスとは言わない(後編)
     おはようございます。橘宏樹です。今年のニューヨークの夏は去年に比べてもかなり暑かったです。35度を超える日も少なくありませんでした。日差しが強く目を射られるので、通勤時はサングラスをかけて電動キックボードに乗っていました。
     さて、四十九日も過ぎましたが、7月初旬の安倍元総理の暗殺は大変な衝撃でした............。あらためて振り返っても信じられない事件ですし、個人的には、なんというか、今でも実感が湧いてきません......。演説や国会答弁の動画をついつい見てしまいます。もちろんニューヨークでも多くのメディアが報じました。深い悲しみと日本人への同情とともに、日米関係を一層盤石にした功績を讃える内容がほとんどです。特に、真逆のキャラクターであったオバマとトランプの両方とうまく付き合うことができた稀な指導者としての評価が高いです。私の仕事上のカウンターパートからも一斉に弔文が送られてきました。事件直後には99歳のヘンリー・キッシンジャー元国務長官までもが自ら足を運んでNY総領事館に記帳に訪れていました。現在、国葬が妥当かどうかについて国内で議論があることも報道されています。
    安倍元首相死去 米の日本大使館などに元閣僚や外交官らが弔問(2022年7月12日 NHK)
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     また、7月末には岸田総理がニューヨークの国連本部でのNPT(核兵器不拡散条約)運用検討会議に出席して演説を行いました。日本の総理として初めてのことです。5項目からなる「ヒロシマ・アクション・プラン」を発表し、核の傘の下に居ながらも核不拡散を希求する、という難しい立ち位置については、国際社会から批判も理解もある中、広島選出の岸田総理の「核兵器のない世界」への強い思いが、出来る限り国際社会に示されたかたちです。グティエレス国連事務総長もこれに呼応して8月6日に広島を訪問してくれましたし、2023年に被爆地・広島でG7サミットを開催することにもなりました。
    ▲ニュージャージー州側から見るウォール街。中央の最も高い建物がワン・ワールド・トレード・センター。
     さて、ニューヨークの力強さの源としてのユダヤ人コミュニティについて、2回にわたって考えてきました。文面からは伝わりにくかったかもしれませんが、どう描出するか非常に苦しみました。「ユダヤ人は~」というトピックは、そう書き出しただけで、人種差別として誤解されるリスクすら生じてしまうほど、国際社会において非常にセンシティブな話題ですし、そもそも、ルーツも所得も宗派慣習も非常に多様な彼等を一括りにして議論することも困難です。そこで前編では、まずその多様さや分布についてデータで確認し、中編では、勝ち組ユダヤ人の「勝利の方程式」について、彼らの歴史を振り返りながら、これからの日本が学べそうなポイントにしぼって、なんとか洞察を試みてみました。
     三部作最終編となる本稿では、ユダヤ人と日本人の間の「縁」についてお話ししたいと思います。両者の間には共闘や助け合いの歴史があるだけでなく、特にニューヨークで、イノベーションを興すパートナーとして、とても相性が良い面があると思います。これからの日本の生存戦略の提案も含めて論じてみたいと思います。
    対露戦争での共闘
     日本・ユダヤ関係史で最初の重要なエピソードは、やはりなんといっても、日露戦争時のユダヤ系銀行家ジェイコブ・シフと日本政府の「共闘」だと思います。
     1904年、日露戦争開戦を決意した日本政府は、巨額の軍事費用(当時の日本の国家予算の約9年分に比敵)を公債の発行によってまかなおうと考え、高橋是清日銀副総裁(当時)らをロンドンに派遣し、引受先を探す交渉に当たっていました。しかし、当時、いかに評価急上昇中の日本(ちょうど「坂の上の雲」の時代)とはいえ、円の信用力への疑問、最後は超大国ロシアが勝つだろうという観測、英露王室同士は姻戚関係にあることなどから、当初、ロンドンでの日本国債発行は極めて絶望的な状況でした。
     しかし、とある晩餐会の席上、高橋是清の隣に、当時の米国ユダヤ系経済界のリーダー的存在であった銀行家のジェイコブ・シフが座り、意見交換を行いました。その翌日、シフが巨額の日本国債の引き受けとアメリカでの転売を決めたことから、形勢が一気に好転します。
     シフは、もともと新興国への投資に熱心なタイプであった上に、仲間が持ち掛けてきた、日本の外国債をロンドンからニューヨークに転売して、金融市場としてのニューヨークの地位を高める起爆剤として利用しようという計画にも関心を寄せていました。  同時に、シフは、熱心な政治活動家でもありました。中編でも触れましたが、当時、帝政ロシアは大規模なユダヤ人迫害(「ポグロム」)」を行っており、シフはこれに強い反感を抱いていて、セオドア・ルーズベルト大統領にも働きかけるなど、同胞の救済に尽力していました(シフは、世界的に大きな影響力を有する「米国ユダヤ人委員会(AJC:ユダヤ人の市民権向上のための国際的なアドボカシー団体)」の創設メンバーのひとりでもあります)。こうして、シフは、銀行家としての経済的動機とユダヤ人としての政治的動機から、莫大な額の日本国債を引き受け、日本政府に資金を提供し対露戦争を支援したわけなのです[1]。  この軍資金調達の成功がなければ、日本はおそらく日露戦争に負けていたでしょう。明治天皇も、シフのハイリスクな決断と支援に感謝し、皇居で会う初めての外国民間人として単独で謁見し、旭日大綬章の叙勲を行っています。  シフの思い切った新興国への投資や、日本債のニューヨークでの転売構想、米欧をまたぐ豊富な人脈には、中編で触れた「チャレンジへの執着」「あなたが持っていないものを、欲しがっていない人に売る」「ユダヤ人ネットワーク」の破壊力の真骨頂が見出せますね。
    ▲グッゲンハイム美術館の外観。ユダヤ人富豪の「鉱山王」ソロモン・R・グッゲンハイムのコレクションを収蔵。
    ▲グッゲンハイム美術館内観。らせん状階段に沿って絵画が展示されている。この日はカンディンスキーの特別展が開催されていました。
    ホロコーストと「命のビザ」
     そして、日露戦争から約40年後、今度は日本人がユダヤ人を助けることになります。第二次大戦中、ナチスによる大迫害(「ホロコースト」)から逃れようと海外脱出を試みるユダヤ難民に対して、杉原千畝(ちうね)リトアニア領事代理、根井三郎在ウラジオストク総領事代理、建川美次駐ソビエト連邦大使らは、人道上の使命感から、時に外務本省の訓令に背きつつ、ビザを発給して出国を助けます。特に、6000人ものユダヤ人を救出した「東洋のシンドラー」杉原千畝氏の美談は映画化され、欧米でも”Persona Non Grata(「好ましからざる者」の意)”の英名で上映されています。
    杉原氏以外にも「命のビザ」(週刊NY生活 2021年2月24日)
    映画 Persona Non Grata(「杉原千畝」) (2015)
     また、杉原千畝が発給したビザで命を救われたユダヤ難民の一部は、リトアニアからウラジオストクを経て、福井県・敦賀港に上陸しました。命からがら逃れてきた彼らに、敦賀市の人々は、着物や食べ物、寝床などを提供して生活をサポートしました。温かい庇護を受けたユダヤ難民の感謝の思いは深く、敦賀の街が「天国(ヘブン)に見えた」と語る声も伝えられています。敦賀市にはその際のエピソードや史料を展示する施設「敦賀ムゼウム(ポーランド語で資料館の意)」があり、ホロコースト・サバイバーの子孫を始め、多くのユダヤ人の来訪を受けています。敦賀市からニューヨークに渡ったユダヤ難民も多く、とあるユダヤ系ニューヨーク市議会議員は敦賀ムゼウム来訪の折、祖父の名前が入った史料を見つけたとのことです。
    ユダヤ系住民、敦賀市に感謝状=杉原氏「命のビザ」避難民迎え入れ-NY
    ユダヤ難民の遺族が日本側に謝意 NY総領事と面会(Daily Sun New York 2020年7月23日)
    ▲人道の港敦賀ムゼウムで展示されている大迫辰雄氏のアルバム。外交官のみならず、ウラジオストクから敦賀市への移送を担当したJTB大迫辰雄氏なども、心を込めて彼らを遇したことが伝えられています。(人道の港敦賀ムゼウム ウェブサイトより)
    JTB職員 大迫辰雄の回想録 ユダヤ人輸送の思い出
     ユダヤ人社会には、両親や祖父母の命を救ってくれた多くの日本人に対する感謝の念が、今も根強く残っています。我々の先祖に深い恩義を感じてくれているということ、その想いが子孫にまで受け継がれているという事実は、多くの日本人も知っておいてよいことだと思います。
    ▲杉原千畝氏(wikipediaより)
    ▲建川美次氏(wikipediaより)
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