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記事 12件
  • 近代都市・東京を再現する拡張型都市開発フィギュア「ジオクレイパー」とは? 製作者・内山田昇平インタビュー(PLANETSアーカイブス)

    2018-12-10 07:00  
    550pt

    今朝のPLANETSアーカイブスは「ジオクレイパー」の製作者・内山田昇平さんへのインタビューです。「都市開発トレーディングフィギュア」というユニークな発想の原点や、都市を8つのパーツに抽象化する中で見えてきたもの、そして「食玩ブーム」を基点とする日本ホビー文化の過去と現在について、宇野常寛がお話を伺ってきました。(聞き手:宇野常寛 構成:中野慧/構成協力:真辺昂) ※本記事は2015年11月25日に配信した記事の再配信です。

    ▲「ジオクレイパー」プロモーション動画
    https://www.youtube.com/watch?v=4Un0rQkw88k
    ジオクレイパーHP
    https://geocraper.localinfo.jp/
    Facebook
    https://www.facebook.com/geocraper/
    ■ Instagramの「#建物萌え」的な感覚から生まれた「ジオクレイパー」
    宇野 もともと僕はフィギュア全般が好きで、特に仮面ライダー関連の製品をよく集めているんです。メディコム・トイの「東映レトロソフビコレクション」や、竹谷隆之さんのS.I.Cシリーズにもハマっていて、このメルマガでメディコム・トイの赤司竜彦さんや竹谷さんにもインタビューしたりしています(笑)。
    (関連記事)
    日本の町工場から鮮やかに蘇る東映怪人たち――「メディコム・トイ」代表・赤司竜彦インタビュー
    "もし現実にいたら"を具現化する力――造形師・竹谷隆之に聞く三次元の〈美学〉と可能性
    内山田 なるほど、僕もその感覚はよくわかります(笑)。「東映レトロソフビ」は赤司さんの製品化のセンスがまたとてもいいですよね。
    宇野 僕は特撮フィギュアに限らず模型も含めたホビー全体が好きなのですが、秋葉原のホビー系の店を散策していたときに、たまたま店内に展示されていた「ジオクレイパー」を見て大変な衝撃を受けたんです。まず立体フィギュアとしての完成度がとても高いですし、6cm角でデザインされた建物のパターンを自由に組み合わせて遊べる「建築トレーディングフィギュア」というコンセプトも斬新ですよね。まずはこの発想の原点についてお伺いしたいのですが、内山田さんご自身はもともと建築がお好きだったんですか?
    内山田 うーん、「この建築家の作品が好き」という感覚は実はないですね。僕はキャラクター商品などの玩具・フィギュア業界でずっと仕事をしてきたんですが、もともと「建物萌え」というか、現代のビル群や高速道路のような東京の都市景観がすごく好きなんです。たとえば出張で大阪から新幹線で帰ってくると、新橋や品川あたりから急に建物がわあーっと立ち上がってきて、「あ、東京に帰ってきたな」と感じたりしますよね。高度成長以降に作られていったそういう「モダン」というか、近代都市としての東京の魅力を形にしたいという思いがありました。


    宇野 「ジオクレイパー」はどういうお客さんを想定して製作を始められたんでしょうか?
    内山田 当初想定していたのはInstagramを使っているような若い層ですね。僕はInstagramを初期の2010年頃からやっていたんですが、ビルの写真ばかり撮ってアップしたりしていました。「#高速道路」「#鉄塔」とか、あとは「#工場」というハッシュタグもあったりして、そういった様子を見ていて「建物のファンってたくさんいるんだ」ということに気付いて、その感覚を立体にしたら面白がってもらえるんじゃないかと思っていましたね。
    宇野 「ジオクレイパー」はうちの事務所にも置いているんですが、別に建築が好きというわけではないスタッフも「おしゃれでいいですね!」と言ってくれたりして、インテリアとしても優れた製品ですよね。
    内山田 やっぱりホテルとかに置いて、海外のお客様にお土産としてアピールしていきたいということは思っています。「都市」ってキャラクターフィギュアと違って文脈の理解がいらないですし、非常にわかりやすいコンセプトだとは思うので。
    宇野 これまで販売してきて、反響はいかがでしたか?
    内山田 やっぱり好き嫌いではなく、「理解してもらえるかもらえないか」ではっきりと分かれる、という感じですかね(笑)。
    宇野 単におもちゃ売り場で箱の中に1ピース置いてあるだけだと理解されにくいかもしれないですね。僕が秋葉原で見たときは実際に都市の景観としてディスプレイされていて、その問答無用の説得力にやられてしまったんです。
    内山田 僕も本当にそうだと思います(笑)。今年のワンダーフェスティバルでは3600個の巨大ジオラマを展示したんですが、そしたらやっぱり大反響でしたね。



    ▲ワンフェスでの展示写真
    宇野 具体的に、ユーザーはこの「ジオクレイパー」をどんなふうに楽しんでいるのでしょうか?
    内山田 モデラーの方が水没ジオラマを作ってくれてTwitterでバズったりしていましたね。あとは他のフィギュアと組み合わせて写真を撮っていらっしゃる方が多いです。特撮オタクの方など、比較的濃い人たちが買ってくれている印象ですね。

    ▲ジオクレイパーの水没ジオラマ(出典)
     


    (出典)
    宇野 実は僕も秋葉原で見かけたときにすぐに箱買いして、うちの事務所にあったウルトラマンとベムラーと組み合わせて写真を撮ったんです。それがこれなんですけど……。

    ▲ジオクレイパーと合わせたウルトラマンとベムラー(宇野撮影)
    内山田 おお、かなりよく撮れていますね! こんなふうに別のフィギュアと組み合わせて写真を撮ってアップしてくれている人が多いんですよ。楽しんでもらえて嬉しいです。
    ■「モダン」の結晶である東京のビル群・高速道路を再現したい
    宇野 「ジオクレイパー」の第1弾「東京シーナリー」は8つのパーツに限定して出されていましたよね。その「8つのパーツに限定する、それだけで街ができる」という発想もひとつのブレイクスルーだと思うんですが、なぜこういう形態で販売しようと考えたんでしょうか?

    ▲ジオクレイパー 東京シーナリー Vol.1 BOX
    内山田 発想の大元は食玩やトレーディングフィギュアですね。昔からトレーディングフィギュアって8個ぐらいの商品の定番セットでだいたい5000円〜6000円ぐらいの感覚なのですが、ジオクレイパーの第1弾として出した「東京シーナリー」もそのイメージで8つのパーツにしています。
    そもそも僕は今の会社を30歳で立ち上げて15年やってきたんですが、最初は『ファイナルファンタジー』のアクセサリーの販売代行からスタートしたんですね。そうこうしているうちに2000年代初めに「食玩ブーム」というものが起こって、ライト層を取り込むことにも成功してすごく盛り上がったんです。
    宇野 なるほど。実は食玩ブーム当時、僕は大学生だったのですが、「チョコエッグ」(海洋堂)の動物フィギュア、「名鑑シリーズ」(バンダイ)のウルトラマンや仮面ライダーのフィギュア、他にも「王立科学博物館」(タカラ)の宇宙ものとか、「タイムスリップグリコ」(海洋堂+グリコ)のレトロフィギュアを集めたりしていました(笑)。「ジオクレイパー」にはその食玩ブームの遺伝子が宿っているわけですね。
    内山田 ええ、「都市をフィギュアにしよう」という発想も食玩やトレーディングフィギュアから来ています。食玩のミニチュアには色んなものがあったわけですが、建物をモチーフにしたものもありました。そういった建物が並んだ「都市」の景観をフィギュアにしたいなあ、ということは昔からぼんやりと考えていたんですね。
    あとは、2009年にオリンピック誘致を目的に森ビルさんが作った1000分の1スケールの東京のジオラマをテレビで見たことも大きかったですね。「すごい」と思うと同時に「このジオラマ、欲しい」と思ってしまったんです(笑)。

    ▲森ビルが作った東京のジオラマ
    https://www.youtube.com/watch?v=4iGNTegpLZI
    宇野 その気持ち、ものすごくよくわかります(笑)。
    内山田 ただ、森ビルさんが作ったこのジオラマって5億円以上かかっているらしいんです。予算的に自分たちでは作ることはできないから、さすがに無理だよなぁとそのときは思っていました。でもテレビで都市の空撮の映像とかを見かけるたびに、「あの風景をジオラマにしたいなぁ……」という気持ちが蘇ってきて、その感情が抑えられなくなって、採算度外視でこの「ジオクレイパー」の開発を決意してしまいました。
    宇野 素晴らしいですね(笑)。他にも何かヒントになったものはあるんでしょうか?
    内山田 当然ながら『シムシティ』(注1)も発想の原点にありましたね。
    宇野 なるほど。『シムシティ』はゲーム内で建物や公共交通機関を作って自分の街を大きくしていくわけですが、「ジオクレイパー」は実際に立体のフィギュアで街を拡張できますからね。

    (注1)シムシティ:米マクシス社が販売するゲームソフト。交通と公共施設を作って街の発展を目指す。1989年に米国で発売され、その後日本でも初期PCゲームの定番ソフトとなり、その後はコンシューマー機でも展開されて都市経営シミュレーションゲームの雛形となった。


    ▲シムシティのプレイ画面(出典)
    内山田 ただ、モノづくりできる仲間にこの構想を話しても、最初は誰も理解してくれなかったんですよ(笑)。そもそも僕らは1/144の戦闘機のフィギュアを作ったり、もともと「シンメトリーな商品を作る」ということをやっていたんです。
    宇野 いまお話を伺っていて思ったんですが、昔700円くらいで売っていたブルーインパルス(航空自衛隊の戦闘機)ってもしかして……。
    内山田 あ、それはウチで出したやつですね。「J-wing」という雑誌とコラボさせてもらって出した商品なんですけど。
    宇野 やっぱり! 僕、これ買っています。そんなにミリタリー系に詳しいわけではないんですが、僕みたいなライトな模型ファンにとって、半彩色で接着剤無しで組み立てられるのってすごくちょうどよかったんです。

    ▲「Jウイング監修 MillitaryAircraftSeries vol.5 -航空自衛隊の戦闘機-」この号にブルーインパルスが付属していた 
    内山田 本当ですか! 嬉しいですね。この「ブルーインパルス」を作ったときに経験したことなんですが、戦闘機模型のユーザーって本当に目が肥えているんですよ。1/144スケールって当時としては先駆的なサイズだったんですけど、このスケールになってくるとリアル感がすごく問われてしまいます。当時うちの技術力はまだそこに追いついていなくて、ユーザーさんからは厳しい評価をいただいてしまいましたね。日本の濃いユーザーさんに満足してもらうためには本当にモールドの数ミリが生命線で、ちょっと太いだけでもうダメなんです。
    宇野 なるほど。普段から技MIX(注2)を愛好しているようなガチ勢のお客さんからしたらそうかもしれないですが、でも僕ぐらいのライトファンからしたらとても良い製品に思えたんですけどね。

    (注2)技MIX(ギミックス):トミーテックが販売する彩色済み戦闘機プラモデルのシリーズ。

    内山田 もちろん、そう言ってくださる方もたくさんいて、それは嬉しかったですよ。一方で、厳しいユーザーさんのリクエストに必死に応えていく過程で僕らの技術力が鍛えられたという部分もあったんです。そうして技術力が向上した結果として、「ジオクレイパー」の構想がだんだん具体化できるようになっていきました。仲間のCGデザイナーの人にラフを出してもらったらドンズバなものが上がってきたりとかですね。それで2012年ぐらいに仮試作を作り始めて、2014年の9月にようやく発売することができました。
    宇野 食玩のフォーマットでガチ勢と戦ってきた結果、技術が鍛えられていったんですね。
    内山田 「ジオクレイパー」の製作過程でも、東京タワーの方とライセンスの関係でお話しをしたときに「ここまで作りこまなくてもいいんじゃないですか?」って言われたんです(笑)。もちろん担当の方も大変理解のある方で、「ホビーメーカーさんってここまで作り込みますよね」という前提で冗談を言ってくれたんですけど、やっぱり「ここまでやる」のが日本のホビー文化なんです。タワーの中を通るエレベーターの支柱とか、省略してもいいんじゃないかという箇所はいくつかあったんですが、「そこで妥協したら文化じゃない」という思いでやりきってしまいましたね(笑)。
    ■ 「東京中の建物をサンプリングする」という発想
    宇野 「ジオクレイパー」は6cm角というこのサイズ感も絶妙だと思うんです。どういった経緯でこのサイズに決めていったんでしょうか?
    内山田 もともと「単にビルだけを作っても売れないだろうな」ということは思っていて、東京のランドマークといえば東京タワーなのでこれは絶対に入れようと決めていました。東京タワーの高さ333mを手頃なサイズにしようとすると高さ13cmがちょうどいい。そのまま縮尺していくとだいたい平面が6cm角に収まるんですが、そのスケールがちょうど2500分の1だった。「ジオクレイパー」が2500分の1サイズなのは東京タワーが基準になっているからなんです。
    宇野 なるほど。「ジオクレイパー」は東京タワー以外にも色々なビルをモデルに、ある種の類型化・抽象化を行ったキットになっていますが、その「パターン化」という視点が面白いですよね。この発想がどのようにして生まれたのかが気になっていたんです。
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  • イケダハヤト×石川涼×馬場正尊×宇野常寛×吉田尚記 東京再発見――いま、いちばんおもしろい街決定戦(前編) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.752 ☆

    2016-12-13 18:10  
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    イケダハヤト×石川涼×馬場正尊×宇野常寛×吉田尚記東京再発見――いま、いちばんおもしろい街決定戦(前編)
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.12.13 vol.752
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    今朝のメルマガは、2016年7月1日に渋谷ヒカリエで行われたイベント「東京再発見ーーいま、いちばんおもしろい街決定戦」(Hikarie +PLANETS 渋谷セカンドステージ vol.12)の内容を再構成してお届けします。2020年のオリンピックを控えた「東京」という街に、私たちは何を期待すべきなのかーー。ゲストに「VANQUISH」石川涼さん、不動産サイト「東京R不動産」を運営する馬場正尊さん、「まだ東京で消耗してるの?」でお馴染み、ブロガーのイケダハヤトさん、司会はニッポン放送アナウンサーの吉田尚記さんという豪華メンバーでお届けします。
    ▼プロフィール

    イケダハヤト(いけだ・はやと) 
    1986年神奈川県生まれ。2009年に早稲田大学政治経済学部を卒業後、半導体メーカー大手に就職。11ヶ月でベンチャー企業に転職し、ソーシャルメディア活用のコンサルタントとして大企業のウェブマーケティングのサポートを手掛ける。2011年からフリーランスとして独立。現在はプロブロガーとして活動している。2014年6月から高知県に移住。著書に「年収150万円でぼくらは自由に生きていく(星海社)」「武器としての書く技術(中経出版)」「新世代努力論(朝日新聞出版)」などがある。

    石川涼(いしかわ・りょう)
    1975年神奈川生まれ。静岡育ち。
    2004年よりVANQUISHをスタート。
    a Piece of cake!!!
    http://vanquish.jp/
    http://instagram.com/vanquishceo

    馬場正尊(ばば・まさたか)
    1968年佐賀県生まれ。1994年早稲田大学大学院建築学科修了。博報堂で博覧会やショールームの企画などに従事。その後、早稲田大学博士課程に復学。雑誌『A』の編集長を経て、2003年OpenA Ltd.を設立。建築設計、都市計画、執筆などを行う。同時期に「東京R不動産」を始める。2008年より東北芸術工科大学准教授、2016年より同大学教授。建築の近作として「観月橋団地(2012)、「道頓堀角座」(2013)、「佐賀県柳町歴史地区再生」(2015)など。近著は『PUBLIC DESIGN 新しい公共空間のつくりかた』(学芸出版,2015)、『エリアリノベーション 変化の構造とローカライズ』(学芸出版,2016)。

    【司会】吉田尚記(よしだ・ひさのり)
    1975年12月12日東京・銀座生まれ。ニッポン放送アナウンサー。2012年、『ミュ~コミ+プラス』(毎週月~木曜24時00分~24時58分)のパーソナリティとして、第49回ギャラクシー賞DJパーソナリティ賞受賞。「マンガ大賞」発起人。著書『なぜ、この人と話をすると楽になるのか』(太田出版)が累計13万部を超えるベストセラーに。マンガ、アニメ、アイドル、落語やSNSに関してのオーソリティとして各方面で幅広く活動し、年間100本近くのアニメイベントの司会を担当している。自身がアイコンとなったカルチャー情報サイト「yoppy」も展開中。
    ◎構成:高橋ミレイ
    イベントの動画はこちら。

    ■「東京」という都市にいかにして関わってきたか
    吉田 今日は司会進行をさせていただきます。ニッポン放送の吉田と申します。よろしくお願いします。では、今日の主催者たる宇野常寛さんにまずお話をしていただいてから、各登壇者の方の言葉をいただきたいと思います。
    宇野 皆さんこんばんは。評論家の宇野です。今日は東京についてもう1回考えてみたいと思ってこの集まりを開催しました。2020年の東京オリンピックが4年後に迫っているんですけど、はっきり言って嫌な予感しかしないわけですよね。例えば新国立競技場の問題もみっともないし、エンブレムのパクり問題もあった。こんなに予算かけてやる価値あるのかという話ばっかりじゃないですか。その上、誘致のときの賄賂疑惑まで出てきて、あわや返上かって話になっている。
    でも、よほどのことがない限り2020年ってやってきますよね。東京に住んでいる僕らは4年後のオリンピックに向けて街がガラッと変わる直撃を受けるわけですよ。そのなかで、この街に住んで暮らしている僕らが東京という街をどう再発見していったらいいのか。どう面白く楽しく、そして快適にクリエイティブに暮らしていったらいいのかっていうビジョンを持つタイミングなのかなと思っています。よろしくお願いします。
    吉田 次はお兄系ファッションをリードし続けているブランドVANQUISHの代表、石川涼さんです。よろしくお願いいたします。
    石川 よろしくお願いしまーす。
    吉田 VANQUISHについて少し説明していただけますか?
    石川 VANQUISHは2004年から始めたブランドです。今年109 MEN’Sが10周年を迎えましたが、そこをふくめて全国に10店舗くらいと海外にも店舗があります。僕は今年で41歳になりますが、20歳のときに上京してから20年ぐらい東京で暮らしています。
    吉田 東京に来るまでは、どんな住み替えをなさっていらしたんでしょうか?
    石川 神奈川で生まれたんですけども、幼稚園のときに引越しをして富士山の麓で20歳まで過ごしました。
    吉田 ありがとうございます。続きまして、不動産メディア、東京R不動産を運営するオープン・エーの代表馬場正尊さんです。
    馬場 こんにちはー。よろしくお願いします。俺だけ圧倒的に年上でアウェイな感じが……。47歳なんですけど。
    吉田 これまで、どんな住所遍歴をたどってきましたか?
    馬場 僕は九州の佐賀の伊万里市の商店街の煙草屋で生まれて、小さい頃はそこで育ちました。父親の都合で西九州、佐世保や福岡久留米とかをうろうろしていたので、九州から出たことがなかったんです。大学で初めて東京に出てきましたね。
    吉田 そこから20年前後ずっと東京にお住まいになっていらっしゃると。最初から不動産サービスをやってらっしゃったのですか?
    馬場 いや、僕の専門は建築の設計なんですよ。今でも収入のほとんどはオープン・エーっていう設計事務所の収入ですね。13年前にふとした理由があって、改造できそうな味があるボロ物件を自分で借りようと思ったら、探すすべがなくて探せない。だから自分で調べて、自由に改装できる古い物件ばかりを集めたブログを書き始めたんです。すると、「それを借りられないか?」ってメールがくるようになったので、東京R不動産っていう不動産仲介サイトを気まぐれに作ったら、どんどん皆が使ってくれて今に至ります。

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  • 【特別寄稿】門脇耕三「リオデジャネイロ・オリンピック 都市・建築の舞台裏」 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.671 ☆

    2016-08-19 07:00  
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    【特別寄稿】門脇耕三「リオデジャネイロ・オリンピック 都市・建築の舞台裏」
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.8.19 vol.671
    http://wakusei2nd.com


    今朝は建築学者の門脇耕三さんによる、リオデジャネイロ・オリンピックの都市と建設をテーマにした寄稿をお届けします。民間での再利用を前提とした競技施設が注目を集めていますが、実際に現地ではどのような建造物が建てられているのか。リオ五輪の建築的側面を、ブラジルの都市計画の歴史を踏まえながら解説していきます。
    ▼プロフィール

    門脇耕三(かどわき・こうぞう)
    1977 年生。建築学者・明治大学専任講師。専門は建築構法、建築設計、設計方法 論。効率的にデザインされた近代都市と近代建築が、人口減少期を迎えて変わりゆく姿を、建築思想の領域から考察。著書に『シェアの思想/または愛と制度と 空間の関係』〔編著〕(LIXIL 出版、2015 年)ほか。
    過去のリオ五輪関連記事はこちらから。
    日本人はリオ五輪から何を学ぶべきか――『オリンピックと商業主義』著者・小川勝氏インタビュー
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    『PLANETS vol.9』は2020年の東京五輪計画と近未来の日本像について、気鋭の論客たちからなるプロジェクトチームを結成し、4つの視点から徹底的に考える一大提言特集です。リアリスティックでありながらワクワクする日本再生のシナリオを描き出します。
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    連日のオリンピック関連の報道で、リオデジャネイロ(以下、リオと略す)の街並みや建物を目にする機会が多くなってきた。夏季オリンピックはこれまで、ヨーロッパで16回、北米で6回、アジアで3回、オセアニアで2回開かれてきたが、南米での開催は今回が初めてであり、その重責を負ったリオは、メキシコシティやサンパウロと並ぶ、南米屈指のメガ・シティでもある。リオは観光地としても世界的に有名だが、地球上での裏側に住まうわれわれにとっては、馴染みがある都市とは言いがたい。そこでこの記事では、リオ・オリンピックをさらに楽しむために、リオの都市計画とオリンピック施設の特徴を解説してみることにしよう。

    ▲リオデジャネイロ(出典)
    ■リオの成り立ちと発展
    リオはポルトガル人によって1502年に発見され、港町として整備されたが、都市としての発展は18世紀前半に内陸部で金鉱が見つかったことが契機となる。金の積出港として栄えだしたリオは、1763年にはブラジルの植民地政庁の所在地(首都)となり、1822年にブラジルがポルトガルから独立したあとも、長らくブラジルの首都として発展する。しかし19世紀中頃までのリオは、まだ小規模な都市に過ぎなかった。当時の人口構成は大半が奴隷で、ごく一部の自由労働者のさらに一部が支配エリート層をなすピラミッド型の社会階層であったが、リオは長い年月をかけて浸食された巨大な奇石がそびえ立ち、低地が丘陵や山で分断される特殊な地形をしているため、すべての社会階層が比較的近接して居住していたという。

    ▲リオのシンボルでもある奇石、ポン・ヂ・アスーカル(出典)
    19世紀末になると、ブラジルの工業化とともに、リオも巨大な労働市場を形成しはじめる。加えて、コーヒー産業の衰退に伴う農村部からの人口流入、帝政ロシアの支配地域で頻発したポグロム(流血を伴う反ユダヤ暴動)から逃れた移民の移入などにより、1872年に27万人だったリオの人口は、1900年には81万人にまで膨らむこととなる。そこで1902年に第5代大統領に就任したロドリゲス・アルヴェスは、都市計画家フランシスコ・ペレイラ・パソスをリオ市長に任命し、リオの都市改造を大規模に進めた。当時採用されたのはフランス式の都市計画であり、旧市街(セントロ)のシネランデア広場とその中心には、パリのオペラ座を模したという市立劇場や、リオ市庁舎、連邦司法文化センター(旧高等法院)など、パソスの主導により整備された新古典主義の建築が軒を連ねている。

    ▲リオデジャネイロ市立劇場(出典)
    当時のリオの人口増加は、1888年の奴隷制廃止も大きな要因のひとつであるが、これを契機に誕生したのが、大量の都市貧困層である。20世紀初頭のブラジル経済は好調であり、この時代には政府主導型の都市政策が数多く実施されたが、その目的は、都市貧困層が不法に立てた小屋が建ち並ぶスラムである「ファヴェーラ」を解消することであった。しかし実際には、貧困層を遠隔地に追いやり、富裕層を優先する都市整備が行われたため、以降のリオには、インフラが充実した富裕層の居住地域である南地域と、インフラが未発達で貧困層が住まう北・西地域に社会階層が分断された都市構造が定着することとなる。

    ▲リオのファヴェーラ(出典)


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  • 近代都市・東京を再現する拡張型都市開発フィギュア「ジオクレイパー」とは? 製作者・内山田昇平インタビュー ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.458 ☆

    2015-11-25 07:00  
    220pt
    【お詫び】本日配信の記事「近代都市・東京を再現する拡張型都市開発フィギュア「ジオクレイパ―」とは? 製作者・内山田昇平インタビュー」において、編集部のミスで一部画像が抜けておりましたので、完全版を再配信いたします。 ご購読いただいている読者の皆さまには、大変申し訳ございませんでした。スタッフ一同、再発防止に努めてまいります。今後ともPLANETSのメルマガ「ほぼ日刊惑星開発委員会」を楽しみにしていただけますと幸いです。
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    近代都市・東京を再現する拡張型都市開発フィギュア「ジオクレイパー」とは?
    製作者・内山田昇平インタビュー

    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.11.25 vol.458
    http://wakusei2nd.com


    今朝のメルマガは「ジオクレイパー」の製作者・内山田昇平さんへのインタビューです。「都市開発トレーディングフィギュア」というユニークな発想の原点や、都市を8つのパーツに抽象化する中で見えてきたもの、そして「食玩ブーム」を基点とする日本ホビー文化の過去と現在について、宇野常寛がお話を伺ってきました。

    ▼プロフィール
    内山田昇平(うちやまだ・しょうへい)
    株式会社カフェレオ、株式会社アルジャーノンプロダクト、日本卓上開発の代表取締役。ジオクレイパーのためにつくった日本卓上開発にて、拡張型都市開発トレーディングフィギュア「ジオクレイパー」を企画。2014年9月22日に第一弾である「東京シーナリー」を発売し、2015年10月にコンビナートをはじめとした拡張ユニットを発売している。

    ▲「ジオクレイパー」プロモーション動画
    https://www.youtube.com/watch?v=4Un0rQkw88k
    ジオクレイパーHP
    https://geocraper.localinfo.jp/
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    ◎聞き手:宇野常寛
    ◎構成:中野慧/構成協力:真辺昂
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    宇野 もともと僕はフィギュア全般が好きで、特に仮面ライダー関連の製品をよく集めているんです。メディコム・トイの「東映レトロソフビコレクション」や、竹谷隆之さんのS.I.Cシリーズにもハマっていて、このメルマガでメディコム・トイの赤司竜彦さんや竹谷さんにもインタビューしたりしています(笑)。
    (関連記事)
    日本の町工場から鮮やかに蘇る東映怪人たち――「メディコム・トイ」代表・赤司竜彦インタビュー
    "もし現実にいたら"を具現化する力――造形師・竹谷隆之に聞く三次元の〈美学〉と可能性
    内山田 なるほど、僕もその感覚はよくわかります(笑)。「東映レトロソフビ」は赤司さんの製品化のセンスがまたとてもいいですよね。
    宇野 僕は特撮フィギュアに限らず模型も含めたホビー全体が好きなのですが、秋葉原のホビー系の店を散策していたときに、たまたま店内に展示されていた「ジオクレイパー」を見て大変な衝撃を受けたんです。まず立体フィギュアとしての完成度がとても高いですし、6cm角でデザインされた建物のパターンを自由に組み合わせて遊べる「建築トレーディングフィギュア」というコンセプトも斬新ですよね。まずはこの発想の原点についてお伺いしたいのですが、内山田さんご自身はもともと建築がお好きだったんですか?
    内山田 うーん、「この建築家の作品が好き」という感覚は実はないですね。僕はキャラクター商品などの玩具・フィギュア業界でずっと仕事をしてきたんですが、もともと「建物萌え」というか、現代のビル群や高速道路のような東京の都市景観がすごく好きなんです。たとえば出張で大阪から新幹線で帰ってくると、新橋や品川あたりから急に建物がわあーっと立ち上がってきて、「あ、東京に帰ってきたな」と感じたりしますよね。高度成長以降に作られていったそういう「モダン」というか、近代都市としての東京の魅力を形にしたいという思いがありました。


    宇野 「ジオクレイパー」はどういうお客さんを想定して製作を始められたんでしょうか?
    内山田 当初想定していたのはInstagramを使っているような若い層ですね。僕はInstagramを初期の2010年頃からやっていたんですが、ビルの写真ばかり撮ってアップしたりしていました。「#高速道路」「#鉄塔」とか、あとは「#工場」というハッシュタグもあったりして、そういった様子を見ていて「建物のファンってたくさんいるんだ」ということに気付いて、その感覚を立体にしたら面白がってもらえるんじゃないかと思っていましたね。
    宇野 「ジオクレイパー」はうちの事務所にも置いているんですが、別に建築が好きというわけではないスタッフも「おしゃれでいいですね!」と言ってくれたりして、インテリアとしても優れた製品ですよね。
    内山田 やっぱりホテルとかに置いて、海外のお客様にお土産としてアピールしていきたいということは思っています。「都市」ってキャラクターフィギュアと違って文脈の理解がいらないですし、非常にわかりやすいコンセプトだとは思うので。
    宇野 これまで販売してきて、反響はいかがでしたか?
    内山田 やっぱり好き嫌いではなく、「理解してもらえるかもらえないか」ではっきりと分かれる、という感じですかね(笑)。
    宇野 単におもちゃ売り場で箱の中に1ピース置いてあるだけだと理解されにくいかもしれないですね。僕が秋葉原で見たときは実際に都市の景観としてディスプレイされていて、その問答無用の説得力にやられてしまったんです。
    内山田 僕も本当にそうだと思います(笑)。今年のワンダーフェスティバルでは3600個の巨大ジオラマを展示したんですが、そしたらやっぱり大反響でしたね。



    ▲ワンフェスでの展示写真
    宇野 具体的に、ユーザーはこの「ジオクレイパー」をどんなふうに楽しんでいるのでしょうか?
    内山田 モデラーの方が水没ジオラマを作ってくれてTwitterでバズったりしていましたね。あとは他のフィギュアと組み合わせて写真を撮っていらっしゃる方が多いです。特撮オタクの方など、比較的濃い人たちが買ってくれている印象ですね。

    ▲ジオクレイパーの水没ジオラマ(出典)
     


    (出典)
    宇野 実は僕も秋葉原で見かけたときにすぐに箱買いして、うちの事務所にあったウルトラマンとベムラーと組み合わせて写真を撮ったんです。それがこれなんですけど……。

    ▲ジオクレイパーと合わせたウルトラマンとベムラー(宇野撮影)
    内山田 おお、かなりよく撮れていますね! こんなふうに別のフィギュアと組み合わせて写真を撮ってアップしてくれている人が多いんですよ。楽しんでもらえて嬉しいです。
    ■「モダン」の結晶である東京のビル群・高速道路を再現したい
    宇野 「ジオクレイパー」の第1弾「東京シーナリー」は8つのパーツに限定して出されていましたよね。その「8つのパーツに限定する、それだけで街ができる」という発想もひとつのブレイクスルーだと思うんですが、なぜこういう形態で販売しようと考えたんでしょうか?

    ▲ジオクレイパー 東京シーナリー Vol.1 BOX
    内山田 発想の大元は食玩やトレーディングフィギュアですね。昔からトレーディングフィギュアって8個ぐらいの商品の定番セットでだいたい5000円〜6000円ぐらいの感覚なのですが、ジオクレイパーの第1弾として出した「東京シーナリー」もそのイメージで8つのパーツにしています。
    そもそも僕は今の会社を30歳で立ち上げて15年やってきたんですが、最初は『ファイナルファンタジー』のアクセサリーの販売代行からスタートしたんですね。そうこうしているうちに2000年代初めに「食玩ブーム」というものが起こって、ライト層を取り込むことにも成功してすごく盛り上がったんです。
    宇野 なるほど。実は食玩ブーム当時、僕は大学生だったのですが、「チョコエッグ」(海洋堂)の動物フィギュア、「名鑑シリーズ」(バンダイ)のウルトラマンや仮面ライダーのフィギュア、他にも「王立科学博物館」(タカラ)の宇宙ものとか、「タイムスリップグリコ」(海洋堂+グリコ)のレトロフィギュアを集めたりしていました(笑)。「ジオクレイパー」にはその食玩ブームの遺伝子が宿っているわけですね。
    内山田 ええ、「都市をフィギュアにしよう」という発想も食玩やトレーディングフィギュアから来ています。食玩のミニチュアには色んなものがあったわけですが、建物をモチーフにしたものもありました。そういった建物が並んだ「都市」の景観をフィギュアにしたいなあ、ということは昔からぼんやりと考えていたんですね。
    あとは、2009年にオリンピック誘致を目的に森ビルさんが作った1000分の1スケールの東京のジオラマをテレビで見たことも大きかったですね。「すごい」と思うと同時に「このジオラマ、欲しい」と思ってしまったんです(笑)。

    ▲森ビルが作った東京のジオラマ
    https://www.youtube.com/watch?v=4iGNTegpLZI
    宇野 その気持ち、ものすごくよくわかります(笑)。
    内山田 ただ、森ビルさんが作ったこのジオラマって5億円以上かかっているらしいんです。予算的に自分たちでは作ることはできないから、さすがに無理だよなぁとそのときは思っていました。でもテレビで都市の空撮の映像とかを見かけるたびに、「あの風景をジオラマにしたいなぁ……」という気持ちが蘇ってきて、その感情が抑えられなくなって、採算度外視でこの「ジオクレイパー」の開発を決意してしまいました。
    宇野 素晴らしいですね(笑)。他にも何かヒントになったものはあるんでしょうか?
    内山田 当然ながら『シムシティ』(注1)も発想の原点にありましたね。
    宇野 なるほど。『シムシティ』はゲーム内で建物や公共交通機関を作って自分の街を大きくしていくわけですが、「ジオクレイパー」は実際に立体のフィギュアで街を拡張できますからね。

    (注1)シムシティ:米マクシス社が販売するゲームソフト。交通と公共施設を作って街の発展を目指す。1989年に米国で発売され、その後日本でも初期PCゲームの定番ソフトとなり、その後はコンシューマー機でも展開されて都市経営シミュレーションゲームの雛形となった。


    ▲シムシティのプレイ画面(出典)
    内山田 ただ、モノづくりできる仲間にこの構想を話しても、最初は誰も理解してくれなかったんですよ(笑)。そもそも僕らは1/144の戦闘機のフィギュアを作ったり、もともと「シンメトリーな商品を作る」ということをやっていたんです。
    宇野 いまお話を伺っていて思ったんですが、昔700円くらいで売っていたブルーインパルス(航空自衛隊の戦闘機)ってもしかして……。
    内山田 あ、それはウチで出したやつですね。「J-wing」という雑誌とコラボさせてもらって出した商品なんですけど。
    宇野 やっぱり! 僕、これ買っています。そんなにミリタリー系に詳しいわけではないんですが、僕みたいなライトな模型ファンにとって、半彩色で接着剤無しで組み立てられるのってすごくちょうどよかったんです。

    ▲「Jウイング監修 MillitaryAircraftSeries vol.5 -航空自衛隊の戦闘機-」この号にブルーインパルスが付属していた 
    内山田 本当ですか! 嬉しいですね。この「ブルーインパルス」を作ったときに経験したことなんですが、戦闘機模型のユーザーって本当に目が肥えているんですよ。1/144スケールって当時としては先駆的なサイズだったんですけど、このスケールになってくるとリアル感がすごく問われてしまいます。当時うちの技術力はまだそこに追いついていなくて、ユーザーさんからは厳しい評価をいただいてしまいましたね。日本の濃いユーザーさんに満足してもらうためには本当にモールドの数ミリが生命線で、ちょっと太いだけでもうダメなんです。
    宇野 なるほど。普段から技MIX(注2)を愛好しているようなガチ勢のお客さんからしたらそうかもしれないですが、でも僕ぐらいのライトファンからしたらとても良い製品に思えたんですけどね。

    (注2)技MIX(ギミックス):トミーテックが販売する彩色済み戦闘機プラモデルのシリーズ。

    内山田 もちろん、そう言ってくださる方もたくさんいて、それは嬉しかったですよ。一方で、厳しいユーザーさんのリクエストに必死に応えていく過程で僕らの技術力が鍛えられたという部分もあったんです。そうして技術力が向上した結果として、「ジオクレイパー」の構想がだんだん具体化できるようになっていきました。仲間のCGデザイナーの人にラフを出してもらったらドンズバなものが上がってきたりとかですね。それで2012年ぐらいに仮試作を作り始めて、2014年の9月にようやく発売することができました。
    宇野 食玩のフォーマットでガチ勢と戦ってきた結果、技術が鍛えられていったんですね。
    内山田 「ジオクレイパー」の製作過程でも、東京タワーの方とライセンスの関係でお話しをしたときに「ここまで作りこまなくてもいいんじゃないですか?」って言われたんです(笑)。もちろん担当の方も大変理解のある方で、「ホビーメーカーさんってここまで作り込みますよね」という前提で冗談を言ってくれたんですけど、やっぱり「ここまでやる」のが日本のホビー文化なんです。タワーの中を通るエレベーターの支柱とか、省略してもいいんじゃないかという箇所はいくつかあったんですが、「そこで妥協したら文化じゃない」という思いでやりきってしまいましたね(笑)。
    ■ 「東京中の建物をサンプリングする」という発想
    宇野 「ジオクレイパー」は6cm角というこのサイズ感も絶妙だと思うんです。どういった経緯でこのサイズに決めていったんでしょうか?
    内山田 もともと「単にビルだけを作っても売れないだろうな」ということは思っていて、東京のランドマークといえば東京タワーなのでこれは絶対に入れようと決めていました。東京タワーの高さ333mを手頃なサイズにしようとすると高さ13cmがちょうどいい。そのまま縮尺していくとだいたい平面が6cm角に収まるんですが、そのスケールがちょうど2500分の1だった。「ジオクレイパー」が2500分の1サイズなのは東京タワーが基準になっているからなんです。
    宇野 なるほど。「ジオクレイパー」は東京タワー以外にも色々なビルをモデルに、ある種の類型化・抽象化を行ったキットになっていますが、その「パターン化」という視点が面白いですよね。この発想がどのようにして生まれたのかが気になっていたんです。

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  • 【保存版】2020年の東京はこうなる――主要6エリアの再開発計画からわかる未来像/ぽむ企画(無料公開) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 号外 ☆

    2015-09-21 17:00  
    220pt

    【保存版】2020年の東京はこうなる――主要6エリアの再開発計画からわかる未来像/ぽむ企画(無料公開)
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.9.21 号外
    http://wakusei2nd.com


    2020年の東京五輪計画と近未来の日本像について4つの視点から徹底的に考えた一大提言特集『PLANETS vol.9 東京2020 オルタナティブ・オリンピック・プロジェクト』(以下、『P9』)。その『P9』の中から、特に多くの人に読んでほしい記事をチョイスし、10日連続で無料公開していきます。
    第8弾となる今回は企画ユニット「ぽむ企画」さんの論考です。各デベロッパーの再開発計画から見えてくる2020年の東京近未来図とは?
    『PLANETS vol.9』連続無料公開記事の一覧はこちらのリンクから。
    ※無料公開は2015年9月24日 20:00 で終了しました。

    2020年のオリン
  • 知っておきたいオリンピックの歴史――クーベルタンの夢が拝金主義に陥るまで(白井宏昌) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 号外 ☆

    2015-09-20 17:00  
    220pt

    知っておきたいオリンピックの歴史――クーベルタンの夢が拝金主義に陥るまで (白井宏昌)
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.9.20 号外
    http://wakusei2nd.com


    2020年の東京五輪計画と近未来の日本像について4つの視点から徹底的に考えた一大提言特集『PLANETS vol.9 東京2020 オルタナティブ・オリンピック・プロジェクト』(以下、『P9』)。その『P9』の中から、特に多くの人に読んでほしい記事をチョイスし、10日連続で無料公開していきます。
    第7弾となる今回は建築家の白井宏昌さんによる「オリンピックと都市開発の歴史」です。五輪は都市をどう変えてきたのか? そしてその歴史の蓄積は、どのようにして2020年の東京五輪に結実していくのか――? 60年代以降の各大会の施設配置を「分散型」と「集約型」に分類しながら、大会後の施設活用や財政面での課題など、より俯瞰的な視点から分析します。
    『PLANETS vol.9』連続無料公開記事の一覧はこちらのリンクから。
    ※無料公開は2015年9月24日 20:00 で終了しました。
     「世界中の競技者を一堂に集めて開催される偉大なスポーツの祭典」は、その歴史を重ねるに従い、開催都市の景色を一変させるまでの影響力を持つようになった。スタジアムをはじめとした競技施設、選手村の建設、交通インフラの整備など、オリンピックは都市開発の「またとない機会」である反面、“その後”に大きな負の遺産を残すこともある。これまでの開催都市の“その後”から、2020年の東京が目指すべきものを考察する。
    ▼執筆者プロフィール
    白井宏昌〈しらい・ひろまさ〉
    1971年生。建築家、H2Rアーキテクツ(東京、台北)共同主宰。博士 (学術)明治大学兼任講師、東洋大学、滋賀県立大学非常勤講師。2007-2008年ロンドン・オリンピック・パーク設計 チームメンバー。2008年度国際オリンピック委員会助成研究員。現在も設計実務の傍ら、「オリンピックと都市」の研究を継続中。
    ■1960年以前――「都市の祭典」への道程
     オリンピックは「スポーツの祭典」であると同時に「都市の祭典」である――。
     これまでのオリンピックが開催都市に与えてきた影響を振り返ると、社会学者ハリー・ヒラーが発したこの言葉に大きく頷いてしまう。特にその舞台が都市の中心部となる夏季大会では、政治家、企業家が長年温めてきた都市再編の野望を実現する「またとないチャンス」を開催都市にもたらしてきた。
     とはいえ、このようなオリンピックと都市再編の密接な結び付きは、19世紀の終わりに、フランス人教育者ピエール・ド・クーベルタンが近代オリンピックの復興を唱えたときには存在しなかった。1896年に最初の近代オリンピックがアテネで開催されてからしばらくは、オリンピックはその存続を確固たるものとすべく、紆余曲折を経ることとなる。当初は、別の国際的イベントの一部として開催することで、何とかグロール・イベントとしての体裁を維持してきた経緯もあり、当然この時代にはオリンピックが開催都市の再編に大きな影響を及ぼしたとは言い難い。
     しかしながら、1908年にロンドンが世界初の「オリンピック・スタジアム」を建設すると、これに続く都市は「オリンピック・スタジアム」を都市あるいは国家を表象するものとして捉え、その後の遺産として都市に永続的に残るものとして計画するようになる。もちろんその具体的な利用に関してはどの都市も苦労することになるのだが、時代はオリンピックが建築と結びついた時代だったのである【図1】。

    【図1】夏季オリンピック都市開発の変遷
     そしてオリンピックに必要とされる競技施設やアスリートのための宿泊施設である選手村を集約することで、オリンピックをきっかけに作られるのは、「建築」から、ある広がりを持った「地区」へと展開していく。
     この流れを作り出したのが1932年に第10回大会を開催したロサンゼルスであり、このオリンピック地区をさらに象徴的に作り上げたのがその次の1936年大会を開催したベルリンである。ナチス主導により政治的な意図を持って開催されたベルリン大会はベルリン郊外に複数の競技施設を集約し、象徴的なイベント空間を作り上げた。それは今日も、ナチスドイツの残した歴史的遺産として存続している。
    ■1960年以降――オリンピック都市の彷徨
     そしてこれらのオリンピック地区を戦略的に複数に作り、それらを結び付けるインフラを整備することで、オリンピックによる都市再編の影響を都市全域にまで広げたのが、1960年のローマ大会だったのである。この大会をもってして、初めて「オリンピック都市」の誕生とすることも可能であろう。
     ただ、この流れは当時すべての人々に好意的に受け入れられたのではない。特にスポーツの振興を最大の活動意義とする国際オリンピック委員会(IOC)にとっては、スポーツを都市再編のために「利用された」と捉える動きもあり、その是非は次大会の1964年の東京に持ち越された。
     ここで東京は、ローマをはるかにしのぐ規模でオリンピックを都市再編のために「利用する」こととなる。そして、その世界的アピールが後続の開催都市にオリンピックとは都市再編あるいは都市広告のための「またとない機会」というイメージを作り上げる。
     この流れは1976年のモントリオールでピークに達する。フランス人建築家ロバート・テイリバートによる象徴的なオリンピック・パークは当時のモントリオール市長による「フレンチ・カナダ」のアピールの場となるはずだった。
     だが、オリンピック・スタジアムは大会までに完成せず、その後30年にも及ぶ借金返済という大きな負の遺産を残すこととなる。オリンピック都市の「野望」が「苦悩」へと変容した事例であり、モントリオール大会は、オリンピックは「リスク」であるという新たな警笛を世界に発したマイル・ストーンとなったのだ。
     これと対極をなすように、次の1980年大会を開催したモスクワは、社会主義政策に基づく徹底した合理主義にのっとりオリンピックを開催する。さらに、その次のロサンゼルスは、徹底した既存施設の転用と公共資金の不投与という戦略で、経済的なリスクを回避。民間資金によるイベント運営という手法を導入することで、大会運営の黒字化にも成功する。
     このことが、オリンピック=チャンスというイメージを与えることとなり、再び開催都市にオリンピックを都市再編のきっかけとする機運を作り出す。イデオロギーの差こそあれ、モスクワもロサンゼルスも、その合理的な手法により、モントリオールの悪夢を払拭したのである。都市の美化と新たな公共拠点作りを目指した1988年のソウルや、地中海都市の復活をかけ、長期的な都市再編キャンペーンの一つとしてオリンピックを取り込んだ1992年のバルセロナにより、オリンピックは再度、都市再編の道具と化していくのである。
    ■2000年以降――オリンピック・レガシーの時代
     2000年代に入ると、オリンピックと都市の関係はさらなる変容を遂げることとなる。これまではオリンピックに向けて何ができるかに大きな注目が集まっていたのに対し、オリンピック後に何が残るか、あるいはそれらをどのように維持していくことができるかが重要視されてきたのだ。いわゆるオリンピック・レガシー(遺産)の問題である。
     これを主導したのが2001年よりそれまでIOCを率いてきたサマランチから会長の座を引き継いだジャック・ロゲである。商業化による拡大路線を追求してきたサマランチと異なり、ロゲが求めたのは巨大化したオリンピックの見直しと、オリンピック後の施設運営も視野に入れた施設計画の指針作りである。
     新旧IOC会長の視点の違いは、2000年大会の開催都市シドニーで、11万席を擁するオリンピック史上最大のオリンピック・スタジアムを眼にしたときの反応に如実に現れる。「これまで見た中で最高のスタジアム」と称賛したサマランチに対して、ロゲはその後の利用に大きな懸念を示したのだ。かくしてロゲの新たな戦略はオリンピック憲章や招致ファイルでの必要記載事項に「オリンピック・レガシー」が盛り込まれることで現実化していく。
     それに建築・都市計画のレベルで応えたのが、ロゲがIOC会長として仕切った2012年の開催都市ロンドンである。ロンドンは招致の段階から当時のIOCの最大関心事項「オリンピック・レガシー」をキーワードに招致活動を行い、競技会場の中心となったロンドン東部の「オリンピック・パーク」の長期的展望を具体的に示すことで、ニューヨーク、パリといった世界の強豪都市を抑えて勝利したのだ。招致後も仮設施設の積極的な利用や競技施設の減築など、「オリンピック期間中よりオリンピック後」を見据えた建築・都市計画を進めていくことになるのだが、その際「レガシー」という言葉がオリンピック開催による莫大な公共資金の投与を正当化するものとして使われた。
     当然のことながら、2020年に夏季オリンピックを開催する東京も、これまでのオリンピック都市の変遷、特に2000年以降IOCが取り組んできた「オリンピック・レガシー」重視の政策を取り込んだ都市再編の延長にあるものと捉えることができる。特に2020年夏季オリンピック招致を、レガシーの流布に尽力したジャック・ロゲの12年の任期の総決算として捉えた場合、その意義はとてつもなく大きい。
     この問いかけに、東京は1964年オリンピックのレガシーを再利用するヘリテッジ・ゾーン(代々木地区)と2020年後の新たなレガシーとなるベイ・ゾーン(湾岸地区)を想定し、異なる時間軸を持った「オリンピック・レガシー」を都市に作りだすというコンセプトで応えることなった。ロゲ体制のもと、2回目のオリンピック開催を目指す都市でこそ作りえた優等生的なコンセプトだと言えよう。
    ■2020年のトーキョー:分散型施設配置
     かくして、東京は56年の歳月を経て2度目のオリンピックを2020年に開催することとなるが、もちろんのことながらその空間作りは1964年とはかなり異なるものとなる。まず施設配置に関して、1964年の東京オリンピックでは代々木公園、神宮外苑、駒沢公園の3つの地区に競技施設を集約させたが、2020年では代々木、神宮外苑を含むヘリテッジ・ゾーンと湾岸のベイ・ゾーンの2つのエリアにイベントに必要とされる施設を「コンパクト」に配置すると招致時から一貫して強調されてきた。
     しかし、この「コンパクト」という言葉に惑わされてはいけない。というのも、2020年の東京が提唱する「コンパクト」な施設配置は歴史的には「コンパクト」と言えない節があるからだ。 
  • 公式認定「Yelpエリート」の基準が曖昧なワケは?――Yelpコミュニティマネージャー中澤理香が語る"口コミ"が生まれる運営 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.397 ☆

    2015-08-27 07:00  
    220pt
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    公式認定「Yelpエリート」の基準が曖昧なワケは?――Yelpコミュニティマネージャー中澤理香が語る"口コミ"が生まれる運営
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.8.27 vol.397
    http://wakusei2nd.com


    「地域ポータルサイト」とは、たとえば東京都豊島区に住んでいるなら豊島区の、様々な飲食店やクリニックといった「そこでしか受けられない」サービスの情報をネット上で一覧できるようにしようという試みです。誰もが「あったら便利だな」と思うため、これまで様々なかたちで試みられてきたのですが、成功事例はなかなか生まれせんでした。
    しかし、その「地域ポータル」というサービスを「グローバルに」展開し、日本でも急成長を遂げているのが「Yelp」です。今回はコミュニティマネージャーを務める中澤理香さんに、そのYelpの運営思想について聞いてきました。

    ▼プロフィール
    中澤理香(なかざわ・りか)
    1988年生、東京都出身。早稲田大学文化構想学部を卒業後、ミクシィに入社。サービスディレクターとしてスマホアプリやwebサービス等の立ち上げに携わる。退職後、フィリピン留学・サンフランシスコでライター活動等を経て、2014年8月よりYelp日本初のコミュニティマネージャーとして、東京のマーケティング責任者を務める。
    Yelp:http://www.yelp.co.jp/
    ◎聞き手・構成:稲葉ほたて
    ■ Yelp(イェルプ)とはなにか
    ――まずはYelpがどういうサービスなのかを教えていただけますでしょうか。
    中澤理香(以下、中澤):基本的には、「地域のローカル情報をユーザーが共有する」サービスです。日本では2014年4月に進出が始まって、その日本で初めてのコミュニティマネージャーとして私が東京の担当者になりました。
    Yelp日本語版のTOPページ。(URL)
     Yelpは日本ではまだまだ知られていませんが、アメリカでは既に日常で使うローカル情報メディアとして地位を確立しています。実際、Yelpにジョインする前にサンフランシスコに住んでいた時期があるのですが、現地では生活に欠かせないサービスになっていました。
    ――「海外の食べログみたいなものでしょ」と思っている人も多いのかなと思います。
    中澤:確かに飲食店のローカル情報は多いのですが、それに留まらない地域情報を提供しているのが特徴だと思います。Yelpは会社のミッションとして、「To connect people with great local businesses」という言葉を掲げているんです。つまり、人々と素敵なローカルビジネスをつなぐという思想が強くあるんですね。
     だから、海外のYelpには地域の医者や車の修理工、弁護士事務所や税理士事務所の情報もたくさんあるし、刺青師なんかにレビューが沢山ついていたりするんですね。向こうにはタトゥー文化がありますから。
     そういう中でサクセスストーリーも生まれています。例えば職業訓練を受けたホームレスが水道屋を開業して、Yelpでのレビューの高評価から地域で愛される水道屋になったエピソードが話題になったこともありました。
     基本的には大手のチェーン店が強くなりがちなビジネスにおいて、優れた活動をしている個人や小規模の店舗をエンパワーメントしていくことを大事にしているんですよ。
    ――インターネットの思想を、ローカルビジネスの領域に持ち込んだサービスなんですね。
    中澤:そうです。だけど、あくまでもそれを評価するのはユーザーであるという考え方も徹底しています。
     ですから、店舗が編集できる情報にはかなり大きく制約をかけているし、検索結果で特定の店舗を有利に表示するような広告サービスもつけていません。情報の「aucenticity(真実性)」を重視していて、それはユーザーの評価から生じてくるものだと考えるんです。
    ■ 「国家」ではなく「都市」を単位に考える
    ――かなりインターネットの思想に"潔癖"なサービスだという印象を受けるのですが、CEOは所謂「ペイパルマフィア」の人ですよね。
    中澤:そうです。
     ただ、CEOのジェレミー・ストッペルマンは、派手な人が多いペイパル出身者の中では、あまり目立った存在ではないですね(笑)。それに、色々な意味でシリコンバレーのCEOとしては変わっていると思います。そもそも自分の作った会社を10年間も売らずにおいて社長を続けていること自体が、シリコンバレーでは異例です。
     そもそも彼は、ペイパルではソフトウェアエンジニアリングの責任者を務めた技術者でした。今でも本社のプロダクトチームに席があって、そこに座って仕事をしています。ビジネスの戦略や提携にも、ほとんど関わっていません。
     とにかく純粋にユーザーが使いやすいものを作ることだけに注力していて、この10年間でユーザー数を増やすための無理な博打は打ったことは一度もない。それどころか、ユーザー獲得のための広告費すらほとんど打っていない。良質なサービスを作り、コミュニティマネージャーが各都市でコミュニティを形成していく――それだけを続けてきたのがYelpです。
     このジェレミーの気が長いというか、長距離ランナーみたいな思想は、Yelpという会社全体に大きく反映しているように思います。
    ――ずいぶんとのんびりしたやり方というか……そうなるとYelpがここまで伸びた勝因が気になるのですが、そもそもどういう経緯で始まったサービスなんですか?
    中澤:ジェレミーがペイパルで働いていた時期、次々に周囲が起業していたんです。ジェレミー自身も2004年頃にハーバードビジネススクールに1年だけ通ったのですが、その夏休み、良い歯医者を探していたときに、役立つ情報がないことに愕然としたそうです。そこで、今で言う「ヤフー知恵袋」みたいなサービスを作ったそうです。ただし、不特定多数ではなく、友達限定で質問を投げかけるサービスでした。これがYelpの原型になっています。
     コミュニティ活動を重視するようになったのは、その後のことです。最初はユーザーがオフ会を勝手に主催していたのですが、そこに当時数名だった社員が行ってみたら、大盛り上がりしてしまったそうです。そこで公式でもオフ会を主催するようになりました。そして、ここで見つけた「イベントを主軸にしたコミュニティ運営」というのが、その後のYelpのユーザー獲得の肝になっていきました。

    ▲YelpがIKEAとコラボして開催したイベントのひとコマ。家具の組み立て選手権を行っている。
    ――とはいえ、こういうローカルBBSとかローカルSNSの類で、グローバルプラットフォームになり得たのはYelpくらいだと思うんです。何が成功の要因だったのでしょうか?
    中澤:それは、いつも聞かれる質問ですね(笑)。でも、別に凄いことはやっていないと思います。
     他の競合他社とYelpが一つだけ違ったのは、最初のサービスをサンフランシスコだけに絞ったことなんですよ。
     他のサービスは外へと拡大することを考えた結果、結局、単なる広く浅いサイトにしかならなかったんです。一方でYelpは徹底的に狭い場所で濃いサービスを展開した結果、ユーザーのコミュニティに熱気が生まれて、レビューが次々に書かれていくループがどんどん回転していき、ついにはサンフランシスコの地域情報におけるナンバーワンサイトになりました。
     その後のYelpの歴史は、こうやってゼロから新しい都市を開拓していくことの繰り返しです。でも、それを繰り返すことで、プラットフォームの機能はどんどん充実していくし、コミュニティ運営のノウハウもどんどん溜まっていくわけです。
    ――まさに元楽天執行役員の尾原和啓さんがPLANETSの連載で論じた、プラットフォーム運営の基本どおりに展開したわけですね【※】。
    中澤:今でもYelpは、基本的には国単位でサービスを見ていないんです。
     もちろん言語の問題があるので、全く国のことを考えていないというのは言いすぎなのですが、ことコミュニティ運営という点では、やはり「東京」「大阪」「福岡」のように都市の単位で見るんです。これは海外でも同じで、フランスやイギリスというくくりよりは、パリやロンドンのように都市の単位で考えていますね。

    【※】
    「最初に広く浅いコミュニティを狙ってはいけない」ということです。なぜなら、ユーザーの熱量がない場所には、全く投稿数もなく読者も増えないからです。そのため、My SpaceにしてもFacebookにしても、海外のSNSは非常に特殊なカテゴリの、狭くて濃い対象から徐々に広げていきました。(出展:mixiが流行した理由"をサイト設計から理解する)

    ■ プラットフォームにとってイベントとは
    ――中澤さんは、そんなYelpの日本進出における最初のコミュニティマネージャーでもあったわけですよね。
    中澤:新卒でミクシィに入社して新規事業やサービスの立ち上げなどに携わってにいたのですが、一昨年に退職してからはしばらく海外に語学留学したり、サンフランシスコで過ごしたりしていたんです。
     アメリカで生活していると、Yelpは本当に生活に欠かせないツールなんですよ。そんなときに前職の同僚から、Yelpが日本進出の最初のメンバーを探していからと聞いて、いまの上司となる人とお茶したんです。そのときにオフィスに行って話を聞き、興味が湧いてコミュニティマネージャーの採用試験に応募しました。
    ――コミュニティマネージャーというのは、各地域でコミュニティを盛り上げて地域情報をドンドン追加してもらうように動きまわる担当者ということでいいですか。
    中澤:だいたい合ってると思います(笑)。
     日本では私が東京の担当者として最初に採用されましたが、現在は大阪などの様々な地域に担当者が一人ずつ採用されています。
     ちなみに、コミュニティマネージャーはオフィスも特にないし、仕事の時間も自由に決められます。そうして自分の足で街を歩いてまわれ、という考え方なんですね。打ち合わせも、地域で話題のカフェにあえて行ったりしています。
     ただ最近、アメリカでは新しい取り組みも始まっています。コミュニティマネージャーほどフルコミットはせずに、ユーザーが週に何時間かだけ運営の手伝いをする「コミュニティアンバサダー」という制度が試されています。これが上手く回れば、コミュニティマネージャーが出向かない都市でもYelpを発展させられる可能性があります。
    ――そろそろ今日の本題に入りたいのですが、Yelpで特徴的なのはこのコミュニティ運営の独自ノウハウにあると思うんですよ。例えば、先ほども話に出たように、Yelpはかなりイベントドリブンでサービスを伸ばしていますが、これは効果的だからやっているわけですよね?
    中澤:効果はありますね。
     格好良く言うと「エンゲージメントが深まる」という言い方になるのですが、要はYelpがユーザーの「自分ごとになる」という感じです。具体的には、イベントに来たユーザーがどんどんサイトに投稿してくれるきっかけになるという効果がありますね。
    ――たぶん、ウェブサービスの最先端で近年発見された面白いトピックが、コミュニティ運営におけるイベントの有効性だと思うんです。ニコニコ動画なんて、イベントドリブンのサービスになってるのが良い例ですね。でも、単純に露出だけを考えると、イベントの数字って特に大きいわけではないでしょう。その有効性がどこから生じるのかを、あまりみんなうまく説明できていないと思うんです。
    中澤:Yelpって最初にも述べたように、多くの人にはブラウザから検索で見に行く情報サイトなんです。
     でも、そこにあるコンテンツはヘビーユーザーが投稿したもので、その人たちのコミットメントは凄まじいものがあるんです。サイトへの貢献度で言えば、送り手と受け手の間には、もう何十倍もの圧倒的な差があると言っていいんじゃないかと思います。
     ハッキリ言えば、そこに来た10人のユーザーの1人でも、そういう送り手のユーザーに転換してくれれば、その人が何十倍も動いてくれるわけですから十分に効果があるんですよ。
     イベントの良いところを言うと、そういうユーザーを効率よく生み出すことにあります。
     ネットの1PVもイベントに足を運んだ人数も、露出という数字だけで見れば同じかもしれない。でも、そこにあるコミットメントはぜんぜん違うんです。結局のところ、ネットのPVの多くは、Twitterで流れてきたリンクを踏んで、すっと通り過ぎていくようなものでしかない。でも、イベントはそういうものではないと思うし、イベントへの参加自体がコミットメントを上げていくんですね。

    ▲Yelpイベントの様子

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  • インテリアデザインの現在形――〈内装〉はモノとヒトとの間をいかに設計してきたか(浅子佳英×門脇耕三×宇野常寛「これからのカッコよさの話をしよう」vol.4) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.325 ☆

    2015-05-19 07:00  
    220pt
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    インテリアデザインの現在形――〈内装〉はモノとヒトとの間をいかに設計してきたか(浅子佳英×門脇耕三×宇野常寛「これからのカッコよさの話をしよう」vol.4)
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.5.19 vol.325
    http://wakusei2nd.com


    本日のメルマガは、浅子佳英さん、門脇耕三さん、宇野常寛による好評の鼎談シリーズ「これからのカッコよさの話をしよう」第4弾です。今回のテーマはインテリアデザイナー/批評家である浅子さん企画による「インテリアデザインの現在」。最新のショップデザインひしめく表参道・中目黒を巡り、リノベブーム以降のインテリアデザインを考えます。

     
    ▼これまでの記事
    (vol.1)これからの「カッコよさ」の話をしよう――ファッション、インテリア、プロダクト、そしてカルチャーの未来
    (vol.2)無印良品、ユニクロから考える「ライフデザイン・プラットフォーム」の可能性(「これからの『カッコよさ』の話をしよう」第2弾)
    (vol.3)住宅建築で巡る東京の旅――「ラビリンス」「森山邸」「調布の家」から考える(浅子佳英×門脇耕三×宇野常寛「これからのカッコよさの話をしよう」第3弾) 
     
    ▼プロフィール
    門脇耕三(かどわき・こうぞう)
    1977年生。建築学者・明治大学専任講師。専門は建築構法、建築設計、設計方法論。効率的にデザインされた近代都市と近代建築が、人口減少期を迎えて変わりゆく姿を、建築思想の領域から考察。著書に『シェアをデザインする』〔共編著〕(学芸出版社、2013年)ほか。
     
    浅子佳英(あさこ・よしひで)
    1972年生。インテリアデザイン、建築設計、ブックデザインを手がける。論文に『コムデギャルソンのインテリアデザイン』など。
     
    ◎構成:中野慧
    ◎撮影:編集部
     
     
     ある春の晴れた日の午後、浅子佳英さん、門脇耕三さん、宇野常寛の3人はデザインとインテリアのメッカ、表参道に降り立ちました。
     

    ▲表参道の交差点。収録当日は天気にも恵まれていました。
     
     浅子さんの案内のもと一行がまず向かったのは、イソップ青山店。
     

    ▲イソップ 青山店
     
     〈イソップ〉はオーガニックなスキンケア、ヘアケア、ボディケア製品を販売し世界的に人気を得ているオーストラリア・メルボルン発のブランド。この青山店は日本初のショップで、建築家・長坂常さんのデザインによるもの。元あった内装を引き剥がし、スケルトンにして空間を広く使ういわゆるリノベーションなのですが、壁や天井は塗装すらされておらず、別の場所で解体された住宅の廃材や家具を再利用しているのが特徴です。
     
     そして次に向かったのは、表参道の大通りから少し入った場所にある「イザベル・マラン東京」。
     

    ▲表参道にある「イザベル・マラン東京」
     
     〈イザベル・マラン〉は、フランスのファッションブランド。インテリアデザインはフランスの若手建築家集団CIGUË(シグー)によるもので、〈イソップ〉同様、もともとあった建物のリノベーション。ファッションブランドとしては珍しく木造の建物の2階をショップにしていて、やはり元々あった内装はすべて引き剥がし、木の軸組は全て露出しています。そこに異素材として、FRP(繊維強化プラスチック)でできた大きな照明やフィッテイングルームが挿入されています。
     
     そして次に訪れたのは、ハイブランドの旗艦店ひしめく表参道の通りに面した〈セリーヌ〉でした。
     

    ▲CELINE(セリーヌ)表参道店
     
     こちらは〈イソップ〉や〈イザベル・マラン〉とは対照的に、床面積も広く2階建てでとても豪華な作りです。〈イザベル・マラン〉と同じくフランスのファッションブランドですが、こちらはどちらかというと昔ながらのハイブランド。〈セリーヌ〉の外観・内装をひとしきり見た後、再び青山方面に向かいました。
     

    ▲途中、話題の「ブルーボトルコーヒー」(写真2F)を通り掛かりましたが人が多かったのと、「まあ、ここはええよ、、」(浅子さん)ということで華麗にスルー……。
     
     そして青山の裏通りの細い道を行くと、そこには何やら要塞のような建物が……。
     

    ▲〈トム・ブラウン〉旗艦店(南青山)
     
     この〈トム・ブラウン〉は、50〜60年代のアメリカ黄金時代やケネディ大統領のファッションにインスピレーションを受けた服を販売するニューヨーク発のブランド。浅子さんによればこの要塞のような外観は、お店の内部を「黄金時代のアメリカ」として演出するため、外界から完全に切断する役割を果たしているのだそう。
     
     表参道・青山エリアでは最後に浅子さんおすすめのブランド〈リック・オウエンス〉の店舗を見学した後、中目黒に移動し、2000年代以降流行したライフスタイルショップの代表格〈1LDK〉へ。そして浅子さんの自宅兼アトリエにて座談会を収録しました。
     

    ▲中目黒にある〈1LDK〉。
     
     
    ■ 9.11/リーマンショック以降のリノベブームと〈中目黒的なもの〉
     
    宇野 今回はインテリアデザイナーを本業とするーー最近は建築家的な仕事、あるいはプロダクトデザイン的な仕事のほうが目立って来ているような気もしますがーー浅子佳英さんプレゼンツによる「東京インテリア巡り」です。まずは企画者の浅子さんから今回の趣旨の説明をお願いします。
    浅子 今のインテリアデザインは「リノベーション」が重要なキーワードになっているのですが、まずはそこに行く前にファッションとの関係から語るのが良いと思います。
     ファッションの世界では数年前から、「ノームコア」という言葉が話題になっています。ノーマルのハードコアという意味なので、そもそも語義矛盾のような言葉なのですが、いわゆる霜降りのジーンズとか白い靴下とか「ちょっとダサい人たちが着る普通の服をオシャレに見せる」というトレンドが生まれました。言ってしまえば「一般人のコスプレ」ですね。アメリカでまず話題になり、昨年あたりから日本でも言葉自体は定着してきました。ただ、これってもともとは様々なファッションの流行が行き着いた先のちょっとスノッブで嫌らしいものなんだけど、それがコピーのコピーのコピーのようなかたちで日本に入ってきた頃には「シンプルで定番の服を着ている人がオシャレなんだ」というような、逆転したかたちで受容されてしまいました。そこで象徴的なキーワードとして「スローフード」や「中目黒」がアイコンになったというわけです。
     今日見たなかでは、最後に行った中目黒の〈1LDK〉がわかりやすい例ですね。ノンウォッシュのジーンズにコットンシャツ、スウェットパンツにNEW BALANCEだったり、黒縁眼鏡にニットキャップなど、形としては普通なんだけど、上質な素材で作られているものだったり、定番品や日常で使えるもの、日々の暮らしで使えるものが逆転して流行のアイテムになっています。いわば「暮らし」がテーマなので食器なども一緒に売っています。
     話は変わりますが、90年代後半から2000年代前半にかけて中目黒がエリアとして急に注目されたことで地価が上がり、それまであった面白い店が出て行ってしまい、ダメな店ばかりが増えて行くという現象が起こりました。
    門脇 中目黒も、それ以前の原宿や代官山と同じような運命を辿ったわけですよね。ジェントリフィケーションによって地価や家賃が上昇して、実験的なショップを構えることのリスクが相対的に高くなってしまうという。そうなると、「その街のイメージ」を安易にコピーして貼り付けたようなショップが増えていきます。
    浅子 まさにそういう話で、〈1LDK〉はそんなふうに中目黒が駄目になったあと、メインの川沿いではなく裏通りに出店し、いわば中目黒が復活するための下支えをしたような店なんですね。そういう経緯もあって、僕は〈1LDK〉自体はとても好きなんですが、最近の中目黒周辺には、そのコピーのコピーのような感じでニット帽と食器を売るライフスタイル系のお店ばかりになっています。また同じ事を繰り返している。
     

    ▲〈1LDK〉の内装。シンプルでベーシックなアイテムが並んでいます。
    画像出典:http://1ldkshop.com/shop_info
     
    宇野 こんなこというとおしゃれな自意識をもった皆様方に怒られそうだけど、中目黒のああいったお店で売っているようなすごくシンプルな定番アイテムや、ライフスタイル系の食器とかって、無印良品で十分じゃない? って思ってしまうんだけど……。
    浅子 (笑)たしかにそのとおりで、ひとつひとつのアイテムを見たら普通のものばかりで、それをちょっとオシャレっぽくレイアウトしているだけに見えますよね。もちろん、それぞれの商品にもその文脈を知っている人には読み取れる違いがきちんとあるのですが、その差異は「サードウェーブ系男子」で話題になったおぐらりゅうじ氏も指摘しているように、NBの生産国の違いなど、外から見ればごく小さなものです。
     さらに重要なのは、その定番アイテムを細かく読み解いていくと、ジーンズにしてもニットキャップにしても、スニーカーにしてもすべて元々はアメリカの大量生産品だということです。なので、これらは元を辿ると、9・11やリーマン・ショックでアメリカが自信をなくしていくのと並行して進んだ現象だと思っています。つまり、未来志向でどんどん新しいものを生み出すのではなく、「古き良きアメリカを取り戻したい」という欲望の現れです。その象徴としてひとつ挙げられるのが、表参道で見た〈トム・ブラウン〉のようなブランドではないかな、と。
     

    ▲トム・ブラウン青山店の内装。50〜60年代の「古き良きアメリカ」を忠実に再現している。
    画像出典:トム ブラウン世界2店舗目の旗艦店公開 イメージはオフィス | Fashionsnap.com 
     
    宇野 なるほど! 2000年代にピクサーがCGアニメーション映画でやっていたような「古き良きアメリカ的男性性の回復」というノスタルジー消費が、ファッションやショップデザインの文脈でも起きていたというわけだよね。
    浅子 そうなんですよ! そもそも今のリノベーションブームには、シアトル発でポートランドやニューヨークにも出店して人気となった「エースホテル」が大きな役割を果たしています。それこそ、セコハンで買った大量生産品の古き良きアメリカの家具だったり、あまり作りこんでいないDIY的な内装のホテルで、すごく人気が出たんです。
     

     

    ▲アメリカ西海岸、オレゴン州はポートランドにある「エースホテル」。ちなみにポートランドは、「ブルーボトルコーヒー」を代表格とする「サードウェーブコーヒー」の発祥地でもあります。(この流れについて詳しくは佐久間裕美子さんの著書『ヒップな生活革命』(朝日出版社)をご参照ください)
    画像出典:http://www2.acehotel.com/ja/brochures/portland/
     
     僕自身は〈トム・ブラウン〉もエースホテルもとても好きなんですが、その劣化コピーの劣化コピーになってくると「古いものをそのまま使うのはいいことなんだ」というようなとてもベタな需要の仕方になってしまう。洋服で言うならノームコアのように「長く使える定番品を着ることが消費社会への抵抗なんだ」というような変な受け取られ方をしてしまう。
     でもこのままだと何も新しいものが生み出されません。この流れにどうやって対抗していくか、というのがここ5~6年のデザイン界のテーマだと僕は思っています。そのための対抗策のひとつとして「ラグジュアリーなもの」をどうやって現代的に表現していくか、というのがあるんじゃないか。ひとつは、最初に見た青山の〈イソップ〉を手掛けた長坂常さんのように、元々あった空間や物の意味を転換させるというのがありますね。
     

    ▲「イソップ 青山店」の内装
    画像出典:http://www.aesop.com/jp/article/aesop-aoyama-jp.html
     
     また、その次に見た〈イザベル・マラン〉では、古い建物をそのまま生かしつつも、FRPのようなハイテクな素材を混ぜたりして異種混合戦のような面白い空間をつくろうとしています。
     

    ▲「イザベル・マラン東京」の内装。もともとあった建物の骨組みを剥き出しにつつ、ブティック的な清潔感・高級感も同時に演出している。
    画像出典:http://www.isabelmarant.com/jp/stores/asia/japan/tokyo/1366-shibuya-ku.html
     
     さらに違う方向性だと、表参道で見た〈セリーヌ〉のように、箱自体はすごくシンプルなのに、ひとつひとつの作りが超絶豪華で見たことのない素材の使い方をするというものもあります。今の時代は、奇抜な形態のものばかりを並べるとウソっぽくなりすぎて醒めてしまう。だから大前提としてシンプルであることは引き受けつつ、そこにどういう介入や新しい提案ができるのかというのが、今の時代のインテリアデザインの課題なんじゃないかと思っています。
     

    ▲「セリーヌ表参道店」の内装。OSB(木材をチップ状にして固めた合板)などの安価な素材から大理石まで、さまざまな材料をミックスした什器が使われている。
    画像出典:https://www.celine.com/jp/celine-stores/asia-pacific/japan/tokyo/omotesando
     
     
    ■ 暫定一位としての〈セリーヌ〉
     
    宇野 今日見たいくつかのお店は、要は20世紀的なものを批評的に表現しているわけですよね。〈イザベル・マラン〉なら、20世紀半ばまでの工業社会がテーマで、そのために当時つくられたもともとの建物に機能として必要とされていた柱や配線をあえて剥き出しにすることで内装にしている。そしてもちろん、それだけだと単なる乱雑なものになってしまうから、配線をきっちりしたり新しい素材を入れ込んだり、色んな介入を行うことによってデザインとして完成している…って理解でいいですか?
    浅子 イザベル・マランというブランド自体は、工業社会が前面的なテーマになっている訳ではないと思いますが、インテリアをデザインしているシグーは自分たちで工房を持ち、本国のフランスでは手作業も行なっているので基本的にはその理解でいいと思います。
    宇野 一方で〈トム・ブラウン〉は2000年代のピクサーのように、黄金時代アメリカの「古き良き男性性」を現代的な感覚のなかで利用していくというものだろうし、〈セリーヌ〉はバブリーな贅沢さを、今の感覚で見てもダサくならないようにシンプルの中に過剰さを埋め込んでいる。今日見て回って、なんとなくこれくらいのことは想像がついたのだけど、浅子さん自身が今日見たなかで一番評価が高いのはどこなんですか?
    浅子 今のところは〈セリーヌ〉ですね。その理由は、現代的な潮流に合わせてリノベーション的な感覚を前面化するだけではなく「ラグジュアリー」について最も真剣に取組んでいるように見えるからです。
     また、〈セリーヌ〉にはもう一つ文脈があって、実は現在の〈セリーヌ〉表参道店は、これまでに改装を3回しているんですね。そもそも〈セリーヌ〉は老舗ブランドのひとつなわけですが、欧米の老舗ブランドって1990年頃から、そのままでは生き残れないからと新しいクリエイティブ・ディレクターを登用するようになりました。有名なのは〈シャネル〉のカール・ラガーフェルド、もうやめてしまいましたが、〈ルイ・ヴィトン〉のマーク・ジェイコブスなどです。
     そのような流れの中、〈セリーヌ〉も、2008年からフィービー・フィロという女性デザイナーをクリエイティブ・ディレクターに登用し、そのときにパリと東京のショップデザインも変えました。フィービー・フィロはこの時の改装も担当しているんですが、それらは、元あったインテリアをほぼそのまま残し、プラスターボード(石膏を紙で固めた下地材として使われる最も安価な材料)を仕上げとして、しかも嫌味たっぷりに裏返して使っていたのです。要はわざと工事中のような表層にしつつも、中の什器や服は今のように優雅でたっぷりと並べられていた。これってマダムが買うような高級ブランドとしてはありえないことで、もうそれだけで事件だったんですよ。
     そして昨年、2014年に今のようなシンプルでありつつラグジュアリーなお店に改装したのですが、お客さんからすると仮設のようなショップのあとにあれを見せられるわけで、驚きもより大きくなる。その2つの物語をつくったから〈セリーヌ〉は面白いと思うんですよね。
    門脇 僕も〈セリーヌ〉は素直に良いなと思いました。現代のデザインって虚構だけでは成立しないんですよね。「自分でばしっとキメながら、自分でツッコむ」というようなメタ視点がないと面白くない。〈セリーヌ〉はまさに、ラグジュアリーなものを作っておいて「全部ハリボテですよ」というネタばらしみたいなことをやっている。
     今日見たものはショップデザインで、10〜20分ぐらい居る場所だから、その中で長い時間を過ごす建築デザインの分野ではあまり参考になる感じではないんですけど、短時間しかいないとはいえ、キメキメのデザインをして「これかっこいいだろ!」っていうのは今はもう無理なんだなと改めて思いました。そこに酔いきれずに冷めた目をしているもう一人の自分を発見してしまって、居心地の悪い気分になる。
    宇野 僕が今回見たなかで一番辛いなと思ったのって〈トム・ブラウン〉なんですよね。あれぐらいテーマパークにしてしまうと、もちろん洗練されているんだけど、観光で鎌倉の大仏を見に行くような感覚でしかアクセスできない。
     その点、〈イザベル・マラン〉はシンプルライフ&スローフードの現代的な感覚に寄せるという点ではよくできていると思う。浅子さんも門脇さんも嫌いかもしれないけれど、あれって20世紀半ばまでの工業社会のイメージのパロディであると同時に、インテリアとしては最低限におさめて、つまり柱や配線自体をインテリアにするだけにとどめて、あとはただひたすら棚と台があって、そこにはどんな商品でも並べられるようにしてある。そして半分はその並べた商品のカラーで店の雰囲気が決まるわけだから、これは意外とどんなライフスタイルや文化、具体的には商品も許容できる内装だと思うんです。実際、ああいう内装のヴィレッジ・バンガードもあれば自然食の店もあるわけでしょう?
     

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    配信記事一覧は下記リンクから更新されていきます。
    http://ch.nicovideo.jp/wakusei2nd/blomaga/201505

     
  • 情報化される実空間と都市再編――不動産ポータルは日本の「住」をどう変えたのか /井上高志(不動産ポータル「HOME'S」運営 株式会社ネクスト代表取締役)インタビュー ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.285 ☆

    2015-03-19 07:00  
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    「情報化される実空間と都市再編――不動産ポータルは日本の「住」をどう変えたのか」
    井上高志(不動産ポータル「HOME'S」運営 株式会社ネクスト代表取締役)インタビュー

    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.3.19 vol.285
    http://wakusei2nd.com


    本日のメルマガは、不動産ポータル「HOME'S」を運営する株式会社ネクスト代表・井上高志さんへのインタビューです。この10年で「HOME’S」のような不動産ポータルは家探しの定番サイトとしてすっかり定着しましたが、そこで井上さんは日本の「住」にどんな革命を起こしていたのか? そしてさらに、中古住宅・リノベーションを有効活用した「これからの住まい方」まで、じっくりとお話を伺ってきました。

     

    ▼プロフィール
    井上高志(いのうえ・たかし)
    株式会社ネクスト 代表取締役社長
    1968年生まれ。青山学院大学経済学部卒。新卒入社した株式会社リクルートコスモス(現、株式会社コスモスイニシア)勤務時代に「不動産業界の仕組みを変えたい」との強い想いを抱き、独立して1997年に株式会社ネクストを設立。インターネットを活用した不動産情報インフラの構築を目指し、不動産・住宅情報サイト『HOME'S(ホームズ)』を立ち上げ、掲載物件数No.1のサイトに育て上げる。2011年からは『HOME'S』のアジア展開にも着手。2014年には世界最大級のアグリゲーションサイトを運営するスペインのTrovit Search, S.Lを子会社化。日本のみならず世界で情報インフラの構築を進め、国籍や言語に関わらずスムーズに住み替えができる仕組み創りを目指す。
     
    ◎聞き手:宇野常寛
    ◎構成:稲葉ほたて
     
     
    宇野 今日は、井上さんに不動産ポータル以降の「住まう」ということについて、お伺いしたいんです。
     僕がホームズをはじめて知ったのは2000年代の半ばです。当時は、インターネットが本格的に台頭してきて、ネットユーザーのほとんどが不動産ビジネスがポータル化していく流れを不可避だと感じはじめていたはずなのですが、当の不動産関係者のほうは「ブログって何?」という状態だったと思うんです(笑)。リクルートの「住宅情報(現SUUMO)」も、大して状況は変わらなかったと思いますね。
     ところが、そういうふうに広告屋や出版屋が見よう見まねでネットをやっている中で、明らかにホームズだけが異彩を放っていた。インターネットの文脈で、正しくプラットフォーム運営を行っていたポータルサイトだったと思うんです。当時、みんな表立っては絶対に言わなかったけど、内心は「HOME’Sに追いつけ追い越せ」だったと思うんですよ。
     そこでまず聞きたいのですが、不動産ポータルというのは、もしかしてホームズさんの発明と考えてよいのですか?
    井上 スタートが一番早かったのは、間違いありません。
     僕がリクルートを辞めたのは1995年の7月でした。そして、9月には見よう見まねで、手打ちでホームページを作っていますから、実はスタートはWindows 95よりも早いくらいです。まあ、当時の掲載件数は数百件程度だったので、今となってはポータルと呼べるか怪しいところですけどね。ただ、日本語のページで不動産情報が集積されたサイトは、他にはありませんでした。そういう黎明期を経て、徐々に物件数を増やしながら、商用サービスとしてスタートしたのが1997年の4月です。その時点でも、やはり一番早く着手していると思います。
     当時の僕らの勝算は、料金プランにありました。前職がリクルートだったので、いずれは必ず「住宅情報」でネットに攻めてくるだろうと確信していたので、彼らのコスト構造では絶対に参入できない徹底的な価格破壊モデルを行いました。当時は、紙媒体の「住宅情報」で1軒分を2週間だけ掲載するのに、1万5千円が相場でした。それを僕たちはWeb媒体である強みを活かして、1万5千円で載せ放題のモデルにしました。これで初期は、一気に契約件数を伸ばしています。
     ただ、決して順風満帆だったわけではありません。やはり、先行者メリットを享受できたのは90年代の後半だけで、00年代に入ると、リクルートとアットホームという老舗の大資本が後追いで入ってきて、営業力であっさりと加盟店数を抜かしてしまいました。そのときに、SEO対策を素早く行って検索エンジン経由のユーザー数を大幅に伸ばしたのが、現在も生き残れている要因でしょうね。
    宇野 ただ、僕が見た00年代半ばのホームズは、やはりウェブサービスとして群を抜いていたと思いますよ。極端に言ってしまえば、ホームズを見てみんな作っていたくらいだと思います(笑)。確かに、リクルートやアットホームの方が営業力も高くて、その点で井上さんたちは危機感を抱かれていたのかもしれない。でも、当時の彼らは結局のところ、インターネットを単に紙媒体が置き換わっただけのものとしか思っていなかったように見えます。
     それに対して、ホームズはSEO対策も含めて、不動産のポータルサイトとしてやるべきことをキッチリとやっていたし、新しい機能を貪欲に追加していた。他と比べて明らかに使いやすかったし、地図検索のような全く新しい機能が登場してくる。やはり鮮烈でした。
    井上 他者とウチの違いを聞かれたときには、リクルートやアットホームはメディアで、我々はプラットフォームなのだと答えています。実際、彼らは基本的には外注で作っていて、紙の文化なんですよ。それに対して我々はネット専業で、エンジニアたちが日々ユーザーのことを考えながら、スパイラル型で作っていくわけですね。
     それに、ビジネスモデルも全く違うわけです。リクルートのスタイルでは、結局のところ大都市圏のお金をいっぱい払ってくれるクライアントを増やすのが一番重要です。でも、僕らは稚内の情報だって、鹿児島の情報だって、青森の情報だって、全部広げて取っていくのが重要です。だから、僕らの創業時からの目標は国内に6千万件ある不動産情報を全てデータベース化して、インフラになることなんです。現在は、なんとか1800万件まで来たところですね(*)。
    (*)居住中の物件も含む。
     
     
    ■ ホームズは「情報の非対称性」をいかに解消したか
     
    宇野 この5年くらいのインターネット業界は、とにかく「ソーシャル」だったわけじゃないですか。でも、井上さんはひたすらデータベースを整備して検索性を上げていって、最適化していくことが価値を産んでいくんだという思想を崩していませんね。
     今となっては、ホームズのように、ここまで徹底的に検索できなかったものをひたすら検索させることで突き進んできた会社は、そうはないように思うんですよ。
    井上 それは、ありますね(笑)。ただ、日本の不動産業界とソーシャルは、あまり相性が良くないかもしれませんね。
     アメリカのように不動産のエージェントが弁護士や会計士と並び称される専門職であれば、ソーシャル的なサポートにも意味があるでしょう。でも、日本の不動産仲介業には、そういうノウハウはありません。逆にユーザー側の口コミはというと、そもそも転居にはそんなに回数がないので、セミプロが沢山いる分野になり得ない。外食であれば、毎日行く機会があるわけで「食べログ」のような口コミサービスは成立しますが、なかなか不動産では信頼性のある情報にはならないですよね。
     結局のところ、日本の不動産の問題点は「情報の非対称性」なんですよ。とすれば、まず重要なのは、真っ当な情報が沢山ある状態を作ることなんです。そのために必要なのは、やはりソーシャルよりも、まずはデータベースの充実だと思いますね。
    宇野 不動産ポータルという文化が日本に定着したことで、不動産業界や日本人の住まい方に変化はありましたか?
    井上 まさに大きく解消されたのが、この不動産における「情報の非対称性」ですよ。
     僕がホームズを作った背景には、情報の囲い込みや隠蔽によって儲けている不動産業界への怒りがあったんです。例えば、仲介業でよくあるのが、あえて見劣りのする物件を先に2,3件見せたあとで、自分のマージンが高い物件を見せて、「これは最高の掘り出し物ですね」なんて言うような手法です。当時の僕は、そういうやり方が横行しているのに憤慨していました。
     だから、僕は6千万件のデータベースを作りたいと言い続けるんです。全てのデータが目の前にあって、誰もが見られる状態になり、不動産会社の評価・ランキングまで作ってしまう。そうなれば、もう良い業者にならなければ絶対に淘汰されていくわけです。
    宇野 僕はホームズの地図検索が出てきたときに驚いたんです。だって、実際にその物件がどこにあるかという情報は、ほとんど半ば意図的に隠されていたものでしょう。当時の僕は衝撃を受けました。
    井上 宇野さんが仰るように、どこよりも早く地図検索を始めたのはウチです。なんでも一番でやるのが好きな会社なのですが、お陰で業界とすったもんだはありました(笑)。物件の位置がわかると、オーナーのところに直接行かれてしまうんですね。
     そもそも、今の若い人には信じられない話かもしれないですが、2000年代前半までは間取り図すらも載せない風潮でしたからね。間取りも写真も載せずにおいて、とりあえずお客さんから電話をかけてもらって、「じゃあ、店に来て下さい」と言って営業をかけようという発想です。そこで僕たちは、間取りや写真の数が多いものほど、ソート順で上にあげていくという発想で対応しました。これでクリックレートは劇的に変わるわけですよ(笑)。その結果、2000年頃にはせいぜい10%だった間取りや写真の掲載率が、たった3年程度で90%まで上昇したんです。
    宇野 いや、当時の僕は色んな条件で検索して遊んでいたのですが、もう東京に全く別の地図が出現してきた気がしたのを覚えています。僕らが普段見ている風景とは全く違う世界が広がりだして、「ファミリー物件は意外とこんなところにあるんだ」とか「この辺りは意外と人気がないんだ」とかが一目で分かるんです(笑)。
    井上 ええ。こういう情報技術を通じた「見える化」を進めてきたことで、物件情報以外にも「ここは住みやすいエリアなんだっけ」というような、周辺情報まで可視化されていきました。実は、ここは意外と見過ごされがちな、大きな変化だと思いますね。
     
     
    ■ 不動産のフリーワード検索が機能しなかった理由 
     
    宇野 よくプラットフォームを運営していると、「意外とユーザーはこういうものを求めているんだな」という発見があると聞くんです。井上さんにも、長年の経験で見えてきたことはありますか?
    井上 「フリーワード検索」の話が、それかもしれないですね。よく不動産の調べ方で、都道府県を検索させて、次に賃貸か売買か、売買なら中古か新築か、などを選ばせるでしょう。でも、僕はそれを業界の押し付けにすぎないと思うんです。だって、そもそも通勤エリアが川崎だったとして、別に居住地は東京でも神奈川でもいいし、場合によっては千葉でもいいわけじゃないですか。
     だから、そういう人間が全体で3分の1くらいはいるはずだと思って、「フリーワード検索」という機能を入れてみたんです。これは「海が見える」とか「二世帯住宅」とか、好きなワードでグーグルライクに検索して、住居を選べる仕組みです。絶対にこっちのほうが便利だと思って出したら……なんと、実際には全体の1割しか使ってくれませんでした(笑)。
    宇野 自分のライフスタイルから逆算して住まいを探すという文化が、そもそもユーザーにまだ定着していないんですね。不動産ポータルなんて、ついこの間まで世界に存在していなかったものですし。
    井上 まだ過渡期なんですね。ユーザーの方も、不動産ポータルで探すときには、都道府県を選択して、次に駅の路線か地域か、あるいは通勤通学時間なのかを選択して……みたいな風に、もう探し方を「こういうものだ」と学習してしまっていて、まだ抜け出せずにいます。
     そこで次に考えているのが、レコメンデーションエンジンです。まだ開発途上ではありますが、最終的な目標としては、例えばユーザーの行動履歴を見ながら、「この人は現在、賃貸から売買の方へと意識が変化し始めている。でも、資金繰りのところで躊躇しているようだ」なんて解析して、「住宅ローンのいろは」みたいなページのコンテンツをレコメンドして見せてしまうくらいにはしたいですね。
     とにかく、情報をどんどんパーソナライズして、人間の感性の変化に合わせながら、その人間の「今」のタイミングにぴったりな情報を提供するのが良いと思うんです。
    宇野 つまり、ユーザーが自分のライフスタイルを検索できるレベルまで言語化できないのならば、その支援装置を作ってしまおう、というわけですね。ただ、例えば僕は「模型オタク」なのですが、「模型がいっぱい飾れるところ」で検索しても、まだ引っかからなそうですね。実は模型好きにとっては日照は「害悪」なんです。だから、日当たりが良い部屋にコレクションを置かざるを得ないときは、もう遮光カーテンを選んで買っていますからね(笑)。とはいえ、街の不動産会社ならば対応できるかというと……。
    井上 いやいや、対応できないです。単純に良い情報を教えてくれるだけならば、もう機械の方が自分にフィットしたものを与えてくれるようになっていくでしょう。そもそも不動産仲介事業者というのは、別にライフスタイルの提案ができる人たちではありませんから。むしろ、そこはリフォームやリノベーションの会社の領域ですね。彼らであれば、お客さんのニーズを聞きながら、提案はできると思います。
     
     
    ■ 「生活スタイルの提案」はアルゴリズムにはできない?
     
    宇野 実際のところ、不動産業界というのはすごく古い業界だと思うので、僕のようにいい歳をした大人が趣味の模型をメインの条件で部屋探しをするなんて、絶対に想定してないでしょうからね。
     それにしても、明らかに最近のホームズは、ライフスタイル提案の方に舵を切られていますよね。インテリア事業や介護事業への進出は、その現れだと思います。ただ、僕がそこで気になるのは、井上さんはデータベース整備によるプラットフォーム運営に限界を感じて具体的な価値観を提示する方に向かっているのか、それともむしろプラットフォーム運営の必然として価値観の提示の方へと向かっているのか、一体どっちなのだろうかということです。
     

    ▲『HOME'S介護』:有料老人ホームやサービス付き高齢者向け住宅など、さまざまな高齢者向けの住まいを探すことができる介護施設検索サイト。
     

    ▲『HOME'S Style Market』:インテリア・家具・雑貨のECサイト。
     
    井上 それは、中期戦略の中で明確に決めていて、その戦略を「DB+CCS」と呼んでいます。
     物件からインテリアまで含めた巨大なデータベース(=DB)を構築する一方で、コミュニケーション・アンド・コンシェルジュ・サービス(=CCS、Communication and Concierge Serviceの略)を構築する。これは、お客様とコミュニケーションしながらコンシェルジュする機能を、人間と機械・システムによるハイブリッド型で提供するのですが、そこでは巨大なデータベースが必要になるわけです。さらに、この膨大なデータへの検索をレコメンデーションエンジンで支援したり、ザッポスのようにコールセンターを設けて、「あなたにとってのピッタリはこれでしょう?」と提供したりして、マッチングを進めるのです。まあ、本来はここのマッチングは、不動産仲介会社がやるべき仕事なんですけどね。
    宇野 今のお話で重要なのは、もはやレコメンドそのものはもはやプログラムの方が将来的に発展していき、人間に残されているのは価値の提案そのものになっていると考えていることだと思うんです。

     
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  • 住宅建築で巡る東京の旅――「ラビリンス」「森山邸」「調布の家」から考える(浅子佳英×門脇耕三×宇野常寛「これからのカッコよさの話をしよう」第3弾) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.284 ☆

    2015-03-18 07:00  
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    住宅建築で巡る東京の旅――「ラビリンス」「森山邸」「調布の家」から考える(浅子佳英×門脇耕三×宇野常寛「これからのカッコよさの話をしよう」第3弾)
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.3.18 vol.284
    http://wakusei2nd.com


    本日は、好評の「これからのカッコよさの話をしよう」第3弾をお届けします。今回のテーマは「住宅建築」。浅子佳英さん、門脇耕三さん、宇野常寛の3人で、東京にある3軒の住宅建築を巡りながら「住まい」のデザインと機能について考えました。
    ▼これまでの記事
    ・これからの「カッコよさ」の話をしよう――ファッション、インテリア、プロダクト、そしてカルチャーの未来
    ・無印良品、ユニクロから考える「ライフデザイン・プラットフォーム」の可能性(「これからの『カッコよさ』の話をしよう」第2弾)
     
    ▼プロフィール
    門脇耕三(かどわき・こうぞう)
    1977年生。建築学者・明治大学専任講師。専門は建築構法、建築設計、設計方法論。効率的にデザインされた近代都市と近代建築が、人口減少期を迎えて変わりゆく姿を、建築思想の領域から考察。著書に『シェアをデザインする』〔共編著〕(学芸出版社、2013年)ほか。
     
    浅子佳英(あさこ・よしひで)
    1972年生。インテリアデザイン、建築設計、ブックデザインを手がける。論文に『コムデギャルソンのインテリアデザイン』など。
     
    ◎構成:中野慧
     
     
     「これからのカッコよさ」鼎談シリーズ第3弾となる今回は、門脇さんの発案で、都内にある3軒の有名住宅を一日かけて周りました。最初に訪れたのは80年代の集合住宅の代表作のひとつである、杉並区下井草の「ラビリンス」。そして90年代から00年代的方法論の最高傑作とされる「森山邸」を訪れ、その後はJR南武線に乗って多摩地区に向かい、2010年代的なリノベーション住宅である「調布の家」を訪れました。それぞれの時代精神を象徴する3つの住宅から見えてきた、これからの「住まいとライフスタイル」が向かうべき未来とは――?
     
    当日の宇野のツイートはこちらから。
    http://twilog.org/wakusei2nd/date-150122
     
     
    ■周辺環境からの〈切断〉と内部への〈演出〉――80年代の「ラビリンス」(杉並区井草/設計:早川邦彦建築研究室、1989年)
     
    宇野 今日のテーマは「建築めぐり」ということですけど、まずこのコンセプトメイクをした門脇さんから今日の趣旨説明をお願いします。
    門脇 今日は80年代、90年代から00年代、2010年代の各年代の建築デザインを代表するような、現在でも「カッコいい」と思える3つの有名な住宅建築を周りました。建築にはヒトの生き方そのものをデザインするようなところがあるので、いつの時代も「カッコイイ生き方・ライフスタイルとはどういうものか」を考えているところがあるんだけれども、その「カッコよさ」がどんな世界観・空間観に基づいているのかを紐解きつつ、そもそも各時代の「カッコよさ」が、周辺領域のどういう文化と関連しながら形成されていったのかも考えていきたいと思っています。
     最初に行った「ラビリンス」は、80年代トレンディドラマの代表格である『抱きしめたい!』(1988年放映、フジテレビ系)で、主演のW浅野(浅野温子・浅野ゆう子)のうち、浅野温子のほうが住んでいたマンションを設計した早川邦彦さんの作品なんですね。そのマンション(=「アトリウム」)は中野区にあったんですが、すでに取り壊されてしまっていることもあって、下井草にあるこの「ラビリンス」を訪れることにしました。これはいわば「デザイナーズマンションの走り」ですね。
     

    ▲「ラビリンス」の外観。中庭を囲むように敷地の周縁部に建物が配置されています。
    (写真提供:早川邦彦建築研究室)
     

    ▲フジテレビ開局50周年記念DVD 抱きしめたい! DVD BOX
     
    浅子 「アトリウム」も、この「ラビリンス」と同じくパステルカラーが全面的に使われているのですが、さらに尖った色とデザインで水盤まであったんですよ。あそこまで作り込んだ外部空間は中々ないのでもう一度見たかった! 最近は80年代的なもののリバイバルがあり、それこそ復活したKENZOにはとても似合ったはず。なくなったのがとても残念ですね。 それはともかく、2つとも、中庭を公共スペースとして大きく取り、その周りを住戸で固めるという設計になっています。
     

    ▲各住戸への階段は複雑に張り巡らされています。
    (写真提供:早川邦彦建築研究室)
     
    門脇 我々は建物のブロックとしてのまとまりを「ボリューム」と言うんだけれど、ボリュームの中庭側はさまざまな色で彩られていますが、街並みと連続する道路側は実は落ち着いた色に塗られています。そのことによって、中庭側に足を踏み入れた瞬間にハッとするような、すごく特異な「カッコいい」世界が、まさに「演出」されている。
    浅子 一方で各住戸の内部のプランは割とオーソドックスで、そんなに特殊なものではないんですよね。
    宇野 ちなみにあの中庭の共用部はどう使われてたんですか?
    門脇 詳しいことはわかりませんが、基本的にはあまり使われていないと思います。ただ、集合住宅として考えると、あそこで家族の記念撮影とかはしたんじゃないかな。普通のマンションって家族写真を撮りたくなるような場所はないけれど、集合住宅にそういうフォトジェニックなスペースがあるというのはすごく良いことだと思います。
    浅子 あとは、集合住宅の機能的なこととは別に、階段を抜けると全然違う場所にたどり着くという「迷路」のような空間自体を作りたかったということもあると思います。
    門脇 迷路性と関連させると、「ラビリンス」は面ごとにさまざまな色が塗られていて、それが重層的に重なることによって、奥行きのようなものが作り出されています。建築的には色々ルーツが考えられますが、すぐに指摘できるのが、建築史家であり建築家でもあったコーリン・ロウによる「透明性」についての議論です。コーリン・ロウは、モダニズムの代表的な建築家であるル・コルビュジェの作品分析を通じて、さまざまな面が重なり合って奥行き感が生まれるような空間を、視線は抜けなくても体験的には「透明」であると位置付け、後の建築に大きな影響を与えました。「ラビリンス」の色の塗り方は、カラースキームとしてもコルビュジェの作品に通じるものを感じますので、モダニズムの文脈との結びつきは強く感じます。
     ただやっぱり、当時の80年代の日本のポップカルチャーとの結びつきも大きい気はしますね。
    浅子 さっきの『抱きしめたい!』もそうだし、今改めて見ると、色使いに関してはわたせせいぞうのイラストや、江口寿史の『ストップ!! ひばりくん!』に近いものがある。 ポップさや、 アメリカ的な物をそれこそ平面的に取り入れる80年代のあのちょっと浮かれた感じの世界観。やっぱり建築史的なルーツとは別に、他ジャンルとの近接性を感じますよね。
     

    ▲わたせせいぞう 卓上ポストカードカレンダー 2014年度版
     

    ▲ストップ!!ひばりくん!コンプリート・エディション 2
     
    門脇 80年代のイラストって、ベタに塗った面の上に星や三角形などの記号的なアイコンを散らせたりするなど、面としての重層性で奥行きを出すという方法で、作り方としては近い感じがある。
    浅子 2015年の感覚でみると、そもそも共用部をあれだけ広く取るというのがいまいち理解できないはず。だって、普通に考えたら、あの空間には何の機能もないしメンテナンスも大変だし、それだったら一つ一つの住戸がもっと広いほうがいいですよね。ただ、当時の感覚からすると、建築家というのは、それなりの規模の建築を作る場合には、そこに住む住人のためだけではなく、周囲の人々のために公共空間を作らなければならないという意識があったんですよ。実際にあそこが公共的な役割を持てていたかどうかは別にして。
    宇野 しかしこれは単純なツッコミですけど、下井草のど真ん中にああいう建物があったとして、周辺住民は景観被害のように捉えなかったんですか?
    門脇 周辺にはきちんと配慮していて、敷地を囲むように建物を配置して、周辺と切断した上で、中に独自の空間を生み出しているんですよね。だからこそ「演出」的な感じを強く受けるとも言える。けれどもそのように「表」と「裏」を作らざるをえなかったことへの反動として、90年代、00年代の「裏表のない世界」への志向につながっていく。同じ頃、周辺領域にもトレンディドラマのようなキメキメの世界観から自然体へという流れがあって、おそらく建築界にも共通した雰囲気はあったんじゃないかな。
     

    写真提供:早川邦彦建築研究室
     
     
    ■90年代・00年代デザインの結晶としての「森山邸」(東京都南部/設計:西沢立衛建築設計事務所、2005年)
     
    門脇 そうした中で、90年代になると、たとえば雑誌なんかだと文字組みを均一にしていって、すべてがフラットなものが「カッコいい」とされる時代になっていくわけです。その流れの中に、次の「森山邸」も位置付けられると思います。
     

    ▲「森山邸」の外観。大小様々なかたちの「箱」が並んでいて、それぞれが住人の部屋になっています。オーナーの森山さんによれば、左側の建物の屋上スペースでは住人同士でバーベキューをしたり、さらにはここで出会って結婚した方までいらっしゃるそうです。
    (C)TakeshiYAMAGISHI
     
     ちなみに「森山邸」の設計者の西沢立衛(にしざわ・りゅうえ)さんは、妹島和世さんとプリツカー賞(建築界でももっとも権威ある賞)を受賞していて、お二人は世界的な建築家ユニットです。
     この住宅は「ラビリンス」のような演出された空間とは違って、「日常世界にいかにフラットに連続させていくか」という問題意識に基づいているように思えます。周辺から切断された特異な世界を差し込むのではなく、外の世界との連続のなかからどのように日常を豊かにしていくか、というアプローチをしているんですね。
    浅子 これまで見た事のないほど強烈で新しいデザインでありながら、小さな建物の多い周囲の街並みに溶け込むようにもなっているんですよね。
     あと「森山邸」が特徴的なのは、塀がないこと。「ラビリンス」はある種の閉ざされた世界をつくっていたけれど、こちらは小さな庭をいっぱい配置しながら敷地の外側の世界とも完全に連続している。
     

    ▲下町風景の残る周辺の街並みにもそれほど違和感なく溶け込んでいます。
    (C)TakeshiYAMAGISHI
     
    宇野 あれは非常に素晴らしいと思いましたね。敷地内の地面や木を、窓の配置や採光を工夫することで間接的に取り込んでいく。建物外の環境に対して切断的でなくて連続的な空間になっているわけですよね。
     さらにいえば、それほど広大とはいえない敷地のなかでも、窓の位置や大きさを使って部屋ごとに取り込む風景を変えているじゃないですか。あの狭い空間の中に、あれだけ多様な文脈を共存させるという設計は舌を巻くものがある。
    浅子 「森山邸」もラビリンスと同様に集合住宅なのですが、一見適当に箱をばらまいているだけに見えて、たとえば隣の棟の窓がふたつとも開いていると、自分の窓から他人の家の窓を貫通してさらにその先が見える、というように実はとても緻密な設計がなされている。写真だと平面的に見えるんだけど、実際にはすごく奥行きが感じられますよね。
    宇野 その上で、ちゃんとプライベートな空間も確保されていて、非常に計算されていますよね。今日(収録は1月下旬)は雨だったこともあって家の中がすごく寒かったんだけど、その問題さえなければ、ビジュアル的・空間的には一番魅力的な住宅だと思いました。
    浅子 実際、この「森山邸」がこの十数年の住宅建築のなかではもっとも素晴らしい建築だと言ってもいいと思いますよ。宇野さんの言っている寒さの問題にしても、それほど広くない敷地のなかにたくさんの部屋を共存させるためにはどうしても壁を薄くせざるをえないというところもある。要は外壁を間仕切り壁のように扱っているわけで、建物ひとつひとつそして庭がそれぞれ部屋になっていて、リビング、ベッドルーム、キッチンやお風呂がそれぞれ独立し大量にばらまかれているわけだから。
     

    ▲建物の中にも外にも読書やお茶ができるスペースが。ちなみにこの棟の梯子を登った上の階には「茶室」があります。
    (C)TakeshiYAMAGISHI
     

    ▲森山さん専用のバスルーム。こちらも独立した建物になっています。森山さん曰く「露天風呂のように使っていて、雪の日なんかはとてもお風呂が楽しいんです」。共同風呂ではないのに他の住人の方も時折「借りたい」と言って入るんだそう。
    (C)TakeshiYAMAGISHI
     
    門脇 「森山邸」では、私的な領域を細かくして敷地にばらまいた結果、公共スペースも細かくなっているわけですが、小さな公共スペースは親密な雰囲気を醸し出しはじめていて、私的領域と公共的領域が境目なく混じり合ってしまうんだよね。
    宇野 住民がよく屋上でバーベキューをしているって話が象徴的ですよね。ただ、僕が気になったのは入居者のライフスタイルというか、センスがどの部屋も似たり寄ったりになっていたこと。
    浅子 共通チケットが要る、ということですね。
    宇野 意外と住むのが難しい部屋で、若い人がうっかり住んじゃうとことごとく代官山のショウウィンドウのような、いわゆる「オシャレ」な生活が並んでしまうことになってしまうんだと思う。
    門脇 ある程度他人の部屋が見えてしまうということによって、むしろ自分の生活をディスプレイする欲求が生まれてしまう。
    宇野 やっぱり限界があると思うのは、ここには変態は住めないこと。生活が丸見えだから。特に日本の場合、ある特定の文化的コミュニティの中で承認されているライフスタイル以外は、あそこまでオープンにすることはできない。浅子さんの言う通り、暗黙のうちに特定の文化圏の住人であるというアピールを要求されてしまっていると思うんだよね。建物を取り巻く文化状況とのかかわりの中で、Facebookのリア充写真投稿がみんな同じパターンになるのと近い現象が起こってしまっていると思う。
    門脇 80年代的作り方は「演出」的だから、物語的なアイテムをたくさん使っているんですよね。壁をチェック状にペイントしてみたりだとか。それはあくまで見せる場所、つまり公的な領域でしか発露しなかったのだけど、「演出」だからこその非日常性にも到達できた。その非日常性が私的領域にも及べば、「変態」と表現されるような異質なものの宿り代にもなり得たかもしれませんが、それはいずれにしても「表」と「裏」の切断をもたらしかねない。ジレンマですね。
     デザイン言語的にも、80年代的な「演出」に対する反動として、90年代から00年代は徹底的に抽象性を志向した時代です。建築にはもともと屋根とか庇(ひさし)とか、雑多なものがくっついてくるんですが、そうした雑多なものを徹底的に排除して、四角いシンプルなかたちにして、色も白で、というようにダイアグラム的に空間をつくろうという意識が強い。で、「森山邸」になると「集合住宅を解体して四角の箱にしてばら撒くという論理的な操作だけで空間が作れますよ」というダイアグラム的方法論の達成に至るわけです。
     ところがそうした表現は、浅子さんがこれまで2回の座談会で指摘してきたような「白いもの」、つまりアートギャラリーのような空間に近づいてしまう。「白いもの」は00年代に蔓延しきった結果、文化的な記号としても作用するようになってしまったから、そこで宇野さんの言っているような排他性の問題も生まれてしまうんだと思います。
    浅子 屋根だったら雨を受けて下に流すという機能があるし、壁だったらまた違う機能があるんだけど、例えば森山邸は屋根も壁も床も同じ鉄板で出来ている。本来は別々の材料で、別々の作り方で作っていたものを1つの要素で作ってみようという挑戦をした結果、デザインとしては極端にシンプルになったのだけど、なってしまったとも言える。
    宇野 ウェブデザインもそうだけれど、ああいった一種のミニマリズムって、画一的なプラットフォームの上に多様なコミュニティを花開かせるために採用されているものじゃないですか。でも建築の場合、森山邸のような達成ですらも、多様性を生むことに成功していないような気がする。これはどうしてなんでしょうか?
    門脇 建築の場合は「プラットフォームであろう」としても、それ自体がどうしても形を持ってしまうんですよね。
    浅子 つまり、コンテンツの側面がどうしても出てきてしまって、単純なプラットフォームだけにはなりえない。「森山邸」のデザインも様々な人を受け入れるプラットフォームとしての機能より、この見た事のない新しく面白いデザインの家に住みたい、というコンテンツの機能のほうが大きいんじゃないかと思うんです。
    宇野 つまり建築という存在自体が、定義的にミニマルであり得ないと。ミニマルというイデオロギーにはなり得るけど、ミニマルなプラットフォームにはなり得ない。
    門脇 建築が存在を感じさせないようなものになり得るのであれば、それこそオープンなプラットフォームだと言えるんでしょうが、建築のデザインとして、それは白くてミニマルなものではない、ということなのでしょうね。
     
     
    ■多様なものを包摂する「住まい」とは?――「調布の家」(調布市調布ケ丘/設計:青木弘司建築設計事務所、2014年)
     
    門脇 この新たに生じた問題をどう乗り越えるのかということについて、ひとつの解答を示していると思えるのが、最後に見た「調布の家」です。
     

    (C)TakeshiYAMAGISHI

    ▲一見普通の集合住宅の1階・2階と屋根裏部分をぶち抜き、三階建ての居住スペースにリノベーションした「調布の家」。3階から下を見ると2階部分とガラスで隔てられた1階部分が少し見えます。
    (C)TakeshiYAMAGISHI
      
     この住宅は「建築が本来持っていた雑多な要素はそのまま扱っていいんじゃないか」という思想で作られている。その建築の雑多な要素ひとつひとつをデザインとして自律させて、バラバラに見せていくと、建築のスケールが空間未満に小さく解体されて、家具とか人とか犬とか、建築以外の要素とも混じり合ってしまう。そういう作り方ですね。
     また、「調布の家」は敢えて仕上げを剥がしたり、逆に仕上げをしていたり、古いものを残したり、新しいものを作ったりと、とにかく情報を増やすような設計になっています。
     

    ▲2階部分。写真右下の暖炉の熱が上下の階に行き渡り、室内はとても暖かかったです。
    (C)TakeshiYAMAGISHI
     
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