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  • オリンピックシティに発生する「ボーダー」と「バウンダリー」、2つの"境界"に介入せよ!――建築家・白井宏昌の考える未来の東京の作り方(PLANETSアーカイブス)

    2019-05-03 07:00  

    今朝のPLANETSアーカイブスは、建築家の白井宏昌さんのインタビューです。内外の様々なオリンピック都市計画を研究してきた白井さんが提案する、“失敗しないオリンピック”にするための、たったひとつの冴えたやり方とは――?(聞き手:宇野常寛 構成:真辺昂+PLANETS編集部) ※この記事は2014年9月30日に配信された記事の再配信です。
    ▲『PLANETS vol.9 東京2020 オルタナティブ・オリンピック・プロジェクト』
    ■「負の遺産」としてのオリンピック・レガシー問題
     
    ――まず、白井さんがなぜオリンピックにこれほどまでにこだわって研究しているのか、その理由を教えてください。
    白井 最初は2008年の北京オリンピックがきっかけでした。中国には、CCTV(China Central Television=中国中央電視台)という国営のテレビ局があるんですが、北京オリンピックに合わせてCCTVの本社ビル立て替えプロジェクトが始まったんですね。その当時僕はオランダの設計事務所に勤めていたんですが、そのコンペに応募してみたら、たまたま一等になって、それから北京オリンピックに関わるようになったんです。
    それで北京に引っ越して現場近くの27階のビルに住むようになったんです。最初はビルから現場がよく見えていたのですが、そのうちに超高層ビルがものすごい勢いで建ち始めて、半年後には現場がまったく見えなくなってしまった。街の風景がまるっきり変わる様をリアルタイムで目の当たりにして、オリンピックが都市を変える力の凄まじさを思い知らされましたね。それから「オリンピックと都市」というテーマに強く興味を持つようになって、今度はロンドンに移って、研究をするようになりました。
    オリンピックの研究をやっていて何がいちばん面白いかっていうと、「成功例」じゃなくて「失敗例」なんですよ。ちなみに前回、1964年の東京オリンピックは「成功例」として位置付けられることが多いですよね。「オリンピックのおかげで東海道新幹線ができ、首都高が整備され、世界的にもオリンピックを契機に東京はファーストシティになった」、そう位置づけられています。これらの建造物は、成功例としての「オリンピック・レガシー(遺産)」です。
    しかし、1970-80年代に開催された大会を中心として、失敗例もたくさん生まれた。2000年以降、そういった「負の遺産」としてのオリンピック・レガシーの問題が注目されるようになって、IOC(国際オリンピック委員会)もこの問題をすごく気にするようになっていったんです。
    そんななかで、ロンドンの2012年のオリンピック招致戦略は、そのオリンピック・レガシーに初めてフォーカスしたものでした。ロンドンは「私たちは、IOCが気にしているレガシー問題に対して解決策を示せますよ」というプレゼンテーションを行って、見事に開催を勝ち取ったわけです。もちろん、ロンドンが開催を勝ち取った要因はそれだけではないですが、レガシーを考慮したプレゼンが与えた影響は大きかったと思います。
    ――なるほど。白井さんがそうやってオリンピックの歴史を研究していくなかで、特に面白いと思ったのはどんな部分なんでしょうか。
    白井 一番は、いろんなことが表裏一体になっていることですね。オリンピックを開催するとなると、どの国もアイキャッチな建築物をつくったりして世界中をびっくりさせようとする。1936年にナチス・ドイツ政権下で行われたベルリン・オリンピックがまさにそうですね。最近だと2008年の北京五輪もそうだと思います。
    そういうオリンピックの特定の期間中だけ花火のようにポンと上がるものって、その瞬間が派手であればあるほど、終わった後の悲惨さが際立ってしまう。その光と影の部分が本当に面白いなと思います。
    もう一つは、建築や都市の設計・デザインの世界のセオリーが、オリンピックにかぎっては通用しない場合があるということですね。たとえば「ミクスト・ユース Mixed Use」というセオリーがあって、これは「ある都市や建築物をつくるときに、単一ではなく色んな機能を入れた方が持続する」というものなんですが、これがオリンピックでは効かなかったりするんです。
    オリンピックではいろんな競技場が集まったオリンピックパークを造って、大会終了後はそこを一般の人も使えるスポーツ・コンプレックスにするのが一般的ですが、でも結局スポーツだけの機能だと長続きしない。機能が単一であるが故に持続させるのが難しいわけです。
    そこで、持続的に使われる施設にするためにいろんな機能を詰め込んでいくのですが、スポーツという特殊な機能が他のどんな機能と組み合えば有効な都市空間がつくれるかいう実践がまだあまりないので、そういう視点から見ても今回の東京五輪は面白いと思います。
     
     
    ■東京の都市構造は「分散型」で「わかりにくい」
     
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  • 白井宏昌 × 宇野常寛 リオ・オリンピックを総括する――興行と都市設計の視点から(HANGOUT PLUS 11月7日放送分書き起こし)【毎週月曜日配信】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.732 ☆

    2016-11-14 07:00  
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    白井宏昌 × 宇野常寛 リオ・オリンピックを総括する――興行と都市設計の視点から
    (HANGOUT PLUS 11月7日放送分書き起こし)
    【毎週月曜日配信】
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.11.14 vol.732
    http://wakusei2nd.com


    毎週月曜日22時よりニコ生で放送中の宇野常寛がナビゲーターを 務める「HANGOUT PLUS」。今回は2016年11月7日に放送された、建築家の白井宏昌さんをゲストに迎えた回の一部書き起こしをお届けします。
    リオ・オリンピックから私たちは何を学ぶべきなのか。「オリンピックと都市」を研究テーマにしている白井さんと宇野が、リオ・オリンピックが提示した新しい五輪の可能性や、それに伴う都市開発の難しさなどについて議論しました。

    ▲先週の放送はこちらからご覧いただけます
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    ▼プロフィール
    白井宏昌(しらい・ひろまさ)
    1971年生まれ。建築家、H2Rアーキテクツ(東京、台北)共同主宰。滋賀県立大学准教授。明治大学大学院兼任講師。2007~2008年 ロンドン・オリンピック・パーク設計チームメンバー。2008年 国際オリンピック委員会助成研究員。現在も設計実務の傍ら、「オリンピックと都市」の研究を継続中。博士(学術、都市社会学分野)
    「HANGOUT PLUS書き起こし」これまでの記事はこちらのリンクから。

    前回:HANGOUT PLUS 宇野常寛ソロトークSPECIAL(10月31日放送分書き起こし)

    ※このテキストは2016年11月7日放送の「HANGOUT PLUS」の内容の一部を書き起こしたものです。
    ■ リオが示した「ゆるいオリンピック」の可能性
    宇野 ぶっちゃけ、リオ・オリンピックはどうでした?
    白井 いち観客というか、いちオリンピックファンとしては、最初あまり関心を持っていなかったんですが、日本がたくさんメダルを獲って、そのおかげで最終的には盛り上がった印象を受けましたね。一方で研究者の目から見ると、やはり2020年のことが頭にありました。東京でのオリンピックが決まったときに、「成熟型のオリンピックであるロンドンから学べ」「リオからは学ぶことはない」と言われてましたよね。そう言われると逆のことを考えたくなって。リオからも学ぶことがあるのではないかと思って観ていたら、いくつか発見があったんです。もちろん、リオはロンドンや東京のような先進国というか、成熟した都市から見ても学ぶことはあったというのが感想です。
    宇野 例えば、リオ・オリンピックは情報公開についてはちゃんと行われていたと評価されていますよね。東京オリンピックはそこがグダグダで、入札の過程も全く不透明で、「なぜこんなに予算が膨らんでいるんだ」と問題になっている。リオに関しては、いろいろと問題はあったけど、情報公開自体はちゃんとしていた。ちゃんとしていたが故に、あれだけ炎上したという言い方もできるんですよね。
    白井 それはありますよね。ロンドンオリンピックで良かったのは情報公開だと思うんですよ。例えば、スタジアムができたときに、行政や組織の人が自慢げに「こんなのできました! 見てください!」と冊子を作ったりネットで発信したり、ものすごい熱意を持って情報公開をしていたんですね。それによって賛否は起こるんだけれど、やはりこれはすごく良かった。対して東京は情報が全然出てこなくて、むしろ「隠してるんじゃないの?」みたいな雰囲気がある。
    宇野 そこに小池百合子の付け入る隙があったわけですけれどね。
    白井 そうですよね(笑)。リオ・オリンピックも情報公開に消極的かと思っていたら、実際は全然違っていて、すごくちゃんと情報発信していました。冊子もグラフィックスがすごくカッコよくて。そこは東京よりもきちんとできているようで驚きましたね。
    宇野 競技数も30近くあったんですが、その割には予算も膨らみ過ぎなかったという好意的な意見もありますね。
    白井 予算は最終調整などが難しい部分があると思うんですが、最終的にはうまくやった気がしますね。
    宇野 その反面、リオ・オリンピックではいくつかのトラブルもあって、そこは例年のオリンピックに比べてどうでしたか?
    白井 先進国ではありえないようなことが起きてましたよね。プールの水が緑になるとか。でも、終わってみれば大したことではなかった。競技のスケジュールをちょっと変更をすればやりくりできちゃう程度のことなんですよ。今のオリンピックは「こんなことは起きちゃいけない」というルールでガチガチになっていて、リオはそういう面では粗相が多々あったけど、終わってみれば、僕らが考えていたほど大した問題ではなかった。これは東京へ向けてのヒントになると思ったんですよね。
    宇野 リオ・オリンピックは、旧第三世界で行われた初のオリンピックですよね。これまで先進国の大都市でしかオリンピックは行われていなかったのが、初めて旧第三世界の都市で行われた。そこで治安や工期の遅れといったいろんな問題が指摘されたけれど、終わってみると「思っていたより事故らなかった」という評価なんですよね。
    白井 その通りですね。個人的に記憶に残っているニュースは、近年のオリンピックは自然環境への配慮を重視していますよね。それで「環境に優しいゴルフ場を作りました」と喧伝していたんですが、競技が始まったらコースに動物が出没してプレーが中断されているんですよ。リオのこういった「ゆるさ」って、僕らから見るとありえませんよね。
    宇野 「アマゾン川流域って自然が豊かなんだなぁ」みたいな感動すらありましたね(笑)。
    白井 僕らはオリンピックに対して構えすぎていることに気付かされた。それがリオ・オリンピックの最大の教訓でした。
    宇野 面白いですね。「オリンピックはもっとゆるくてもいいのでは」と。

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    PLANETSの日刊メルマガ「ほぼ日刊惑星開発委員会」は今月も厳選された記事を多数配信します! すでに配信済みの記事一覧は下記リンクから更新されていきます。
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  • 知っておきたいオリンピックの歴史――クーベルタンの夢が拝金主義に陥るまで(白井宏昌) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 号外 ☆

    2015-09-20 17:00  

    知っておきたいオリンピックの歴史――クーベルタンの夢が拝金主義に陥るまで (白井宏昌)
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.9.20 号外
    http://wakusei2nd.com


    2020年の東京五輪計画と近未来の日本像について4つの視点から徹底的に考えた一大提言特集『PLANETS vol.9 東京2020 オルタナティブ・オリンピック・プロジェクト』(以下、『P9』)。その『P9』の中から、特に多くの人に読んでほしい記事をチョイスし、10日連続で無料公開していきます。
    第7弾となる今回は建築家の白井宏昌さんによる「オリンピックと都市開発の歴史」です。五輪は都市をどう変えてきたのか? そしてその歴史の蓄積は、どのようにして2020年の東京五輪に結実していくのか――? 60年代以降の各大会の施設配置を「分散型」と「集約型」に分類しながら、大会後の施設活用や財政面での課題など、より俯瞰的な視点から分析します。
    『PLANETS vol.9』連続無料公開記事の一覧はこちらのリンクから。
    ※無料公開は2015年9月24日 20:00 で終了しました。
     「世界中の競技者を一堂に集めて開催される偉大なスポーツの祭典」は、その歴史を重ねるに従い、開催都市の景色を一変させるまでの影響力を持つようになった。スタジアムをはじめとした競技施設、選手村の建設、交通インフラの整備など、オリンピックは都市開発の「またとない機会」である反面、“その後”に大きな負の遺産を残すこともある。これまでの開催都市の“その後”から、2020年の東京が目指すべきものを考察する。
    ▼執筆者プロフィール
    白井宏昌〈しらい・ひろまさ〉
    1971年生。建築家、H2Rアーキテクツ(東京、台北)共同主宰。博士 (学術)明治大学兼任講師、東洋大学、滋賀県立大学非常勤講師。2007-2008年ロンドン・オリンピック・パーク設計 チームメンバー。2008年度国際オリンピック委員会助成研究員。現在も設計実務の傍ら、「オリンピックと都市」の研究を継続中。
    ■1960年以前――「都市の祭典」への道程
     オリンピックは「スポーツの祭典」であると同時に「都市の祭典」である――。
     これまでのオリンピックが開催都市に与えてきた影響を振り返ると、社会学者ハリー・ヒラーが発したこの言葉に大きく頷いてしまう。特にその舞台が都市の中心部となる夏季大会では、政治家、企業家が長年温めてきた都市再編の野望を実現する「またとないチャンス」を開催都市にもたらしてきた。
     とはいえ、このようなオリンピックと都市再編の密接な結び付きは、19世紀の終わりに、フランス人教育者ピエール・ド・クーベルタンが近代オリンピックの復興を唱えたときには存在しなかった。1896年に最初の近代オリンピックがアテネで開催されてからしばらくは、オリンピックはその存続を確固たるものとすべく、紆余曲折を経ることとなる。当初は、別の国際的イベントの一部として開催することで、何とかグロール・イベントとしての体裁を維持してきた経緯もあり、当然この時代にはオリンピックが開催都市の再編に大きな影響を及ぼしたとは言い難い。
     しかしながら、1908年にロンドンが世界初の「オリンピック・スタジアム」を建設すると、これに続く都市は「オリンピック・スタジアム」を都市あるいは国家を表象するものとして捉え、その後の遺産として都市に永続的に残るものとして計画するようになる。もちろんその具体的な利用に関してはどの都市も苦労することになるのだが、時代はオリンピックが建築と結びついた時代だったのである【図1】。

    【図1】夏季オリンピック都市開発の変遷
     そしてオリンピックに必要とされる競技施設やアスリートのための宿泊施設である選手村を集約することで、オリンピックをきっかけに作られるのは、「建築」から、ある広がりを持った「地区」へと展開していく。
     この流れを作り出したのが1932年に第10回大会を開催したロサンゼルスであり、このオリンピック地区をさらに象徴的に作り上げたのがその次の1936年大会を開催したベルリンである。ナチス主導により政治的な意図を持って開催されたベルリン大会はベルリン郊外に複数の競技施設を集約し、象徴的なイベント空間を作り上げた。それは今日も、ナチスドイツの残した歴史的遺産として存続している。
    ■1960年以降――オリンピック都市の彷徨
     そしてこれらのオリンピック地区を戦略的に複数に作り、それらを結び付けるインフラを整備することで、オリンピックによる都市再編の影響を都市全域にまで広げたのが、1960年のローマ大会だったのである。この大会をもってして、初めて「オリンピック都市」の誕生とすることも可能であろう。
     ただ、この流れは当時すべての人々に好意的に受け入れられたのではない。特にスポーツの振興を最大の活動意義とする国際オリンピック委員会(IOC)にとっては、スポーツを都市再編のために「利用された」と捉える動きもあり、その是非は次大会の1964年の東京に持ち越された。
     ここで東京は、ローマをはるかにしのぐ規模でオリンピックを都市再編のために「利用する」こととなる。そして、その世界的アピールが後続の開催都市にオリンピックとは都市再編あるいは都市広告のための「またとない機会」というイメージを作り上げる。
     この流れは1976年のモントリオールでピークに達する。フランス人建築家ロバート・テイリバートによる象徴的なオリンピック・パークは当時のモントリオール市長による「フレンチ・カナダ」のアピールの場となるはずだった。
     だが、オリンピック・スタジアムは大会までに完成せず、その後30年にも及ぶ借金返済という大きな負の遺産を残すこととなる。オリンピック都市の「野望」が「苦悩」へと変容した事例であり、モントリオール大会は、オリンピックは「リスク」であるという新たな警笛を世界に発したマイル・ストーンとなったのだ。
     これと対極をなすように、次の1980年大会を開催したモスクワは、社会主義政策に基づく徹底した合理主義にのっとりオリンピックを開催する。さらに、その次のロサンゼルスは、徹底した既存施設の転用と公共資金の不投与という戦略で、経済的なリスクを回避。民間資金によるイベント運営という手法を導入することで、大会運営の黒字化にも成功する。
     このことが、オリンピック=チャンスというイメージを与えることとなり、再び開催都市にオリンピックを都市再編のきっかけとする機運を作り出す。イデオロギーの差こそあれ、モスクワもロサンゼルスも、その合理的な手法により、モントリオールの悪夢を払拭したのである。都市の美化と新たな公共拠点作りを目指した1988年のソウルや、地中海都市の復活をかけ、長期的な都市再編キャンペーンの一つとしてオリンピックを取り込んだ1992年のバルセロナにより、オリンピックは再度、都市再編の道具と化していくのである。
    ■2000年以降――オリンピック・レガシーの時代
     2000年代に入ると、オリンピックと都市の関係はさらなる変容を遂げることとなる。これまではオリンピックに向けて何ができるかに大きな注目が集まっていたのに対し、オリンピック後に何が残るか、あるいはそれらをどのように維持していくことができるかが重要視されてきたのだ。いわゆるオリンピック・レガシー(遺産)の問題である。
     これを主導したのが2001年よりそれまでIOCを率いてきたサマランチから会長の座を引き継いだジャック・ロゲである。商業化による拡大路線を追求してきたサマランチと異なり、ロゲが求めたのは巨大化したオリンピックの見直しと、オリンピック後の施設運営も視野に入れた施設計画の指針作りである。
     新旧IOC会長の視点の違いは、2000年大会の開催都市シドニーで、11万席を擁するオリンピック史上最大のオリンピック・スタジアムを眼にしたときの反応に如実に現れる。「これまで見た中で最高のスタジアム」と称賛したサマランチに対して、ロゲはその後の利用に大きな懸念を示したのだ。かくしてロゲの新たな戦略はオリンピック憲章や招致ファイルでの必要記載事項に「オリンピック・レガシー」が盛り込まれることで現実化していく。
     それに建築・都市計画のレベルで応えたのが、ロゲがIOC会長として仕切った2012年の開催都市ロンドンである。ロンドンは招致の段階から当時のIOCの最大関心事項「オリンピック・レガシー」をキーワードに招致活動を行い、競技会場の中心となったロンドン東部の「オリンピック・パーク」の長期的展望を具体的に示すことで、ニューヨーク、パリといった世界の強豪都市を抑えて勝利したのだ。招致後も仮設施設の積極的な利用や競技施設の減築など、「オリンピック期間中よりオリンピック後」を見据えた建築・都市計画を進めていくことになるのだが、その際「レガシー」という言葉がオリンピック開催による莫大な公共資金の投与を正当化するものとして使われた。
     当然のことながら、2020年に夏季オリンピックを開催する東京も、これまでのオリンピック都市の変遷、特に2000年以降IOCが取り組んできた「オリンピック・レガシー」重視の政策を取り込んだ都市再編の延長にあるものと捉えることができる。特に2020年夏季オリンピック招致を、レガシーの流布に尽力したジャック・ロゲの12年の任期の総決算として捉えた場合、その意義はとてつもなく大きい。
     この問いかけに、東京は1964年オリンピックのレガシーを再利用するヘリテッジ・ゾーン(代々木地区)と2020年後の新たなレガシーとなるベイ・ゾーン(湾岸地区)を想定し、異なる時間軸を持った「オリンピック・レガシー」を都市に作りだすというコンセプトで応えることなった。ロゲ体制のもと、2回目のオリンピック開催を目指す都市でこそ作りえた優等生的なコンセプトだと言えよう。
    ■2020年のトーキョー:分散型施設配置
     かくして、東京は56年の歳月を経て2度目のオリンピックを2020年に開催することとなるが、もちろんのことながらその空間作りは1964年とはかなり異なるものとなる。まず施設配置に関して、1964年の東京オリンピックでは代々木公園、神宮外苑、駒沢公園の3つの地区に競技施設を集約させたが、2020年では代々木、神宮外苑を含むヘリテッジ・ゾーンと湾岸のベイ・ゾーンの2つのエリアにイベントに必要とされる施設を「コンパクト」に配置すると招致時から一貫して強調されてきた。
     しかし、この「コンパクト」という言葉に惑わされてはいけない。というのも、2020年の東京が提唱する「コンパクト」な施設配置は歴史的には「コンパクト」と言えない節があるからだ。 
  • 東京2020への道筋――五輪は都市をどう変えてきたか(白井宏昌)【PLANETS vol.9先出し配信】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.250 ☆

    2015-01-28 07:00  
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    東京2020への道筋――五輪は都市をどう変えてきたか(白井宏昌) 【PLANETS vol.9先出し配信】
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.1.28 vol.250
    http://wakusei2nd.com


    いよいよ1/31(土)に発売となる「PLANETS vol.9 東京2020 オルタナティブ・オリンピック・プロジェクト」。メルマガ先行配信の第2弾は、建築家の白井宏昌さんによる「オリンピックと都市開発の歴史」です。
    五輪は都市をどう変えてきたのか? そしてその歴史の蓄積は、どのようにして2020年の東京五輪に結実していくのか――? 60年代以降の各大会の施設配置を「分散型」と「集約型」に分類しながら、大会後の施設活用や財政面での課題など、より俯瞰的な視点から分析します。
     

    ▲実際の「PLANETS vol.9」の誌面から。
     
     「世界中の競技者を一堂に集めて開催される偉大なスポーツの祭典」は、その歴史を重ねるに従い、開催都市の景色を一変させるまでの影響力を持つようになった。スタジアムをはじめとした競技施設、選手村の建設、交通インフラの整備など、オリンピックは都市開発の「またとない機会」である反面、“その後”に大きな負の遺産を残すこともある。これまでの開催都市の“その後”から、2020年の東京が目指すべきものを考察する。
     
    ▼執筆者プロフィール
    白井宏昌〈しらい・ひろまさ〉
    1971年生。建築家、H2Rアーキテクツ(東京、台北)共同主宰。博士 (学術)明治大学兼任講師、東洋大学、滋賀県立大学非常勤講師。2007-2008年ロンドン・オリンピック・パーク設計 チームメンバー。2008年度国際オリンピック委員会助成研究員。現在も設計実務の傍ら、「オリンピックと都市」の研究を継続中。
     
     
    1960年以前――「都市の祭典」への道程
     
     オリンピックは「スポーツの祭典」であると同時に「都市の祭典」である――。
     これまでのオリンピックが開催都市に与えてきた影響を振り返ると、社会学者ハリー・ヒラーが発したこの言葉に大きく頷いてしまう。特にその舞台が都市の中心部となる夏季大会では、政治家、企業家が長年温めてきた都市再編の野望を実現する「またとないチャンス」を開催都市にもたらしてきた。
     とはいえ、このようなオリンピックと都市再編の密接な結び付きは、19世紀の終わりに、フランス人教育者ピエール・ド・クーベルタンが近代オリンピックの復興を唱えたときには存在しなかった。1896年に最初の近代オリンピックがアテネで開催されてからしばらくは、オリンピックはその存続を確固たるものとすべく、紆余曲折を経ることとなる。当初は、別の国際的イベントの一部として開催することで、何とかグロール・イベントとしての体裁を維持してきた経緯もあり、当然この時代にはオリンピックが開催都市の再編に大きな影響を及ぼしたとは言い難い。
     しかしながら、1908年にロンドンが世界初の「オリンピック・スタジアム」を建設すると、これに続く都市は「オリンピック・スタジアム」を都市あるいは国家を表象するものとして捉え、その後の遺産として都市に永続的に残るものとして計画するようになる。もちろんその具体的な利用に関してはどの都市も苦労することになるのだが、時代はオリンピックが建築と結びついた時代だったのである【図1】。
     

    【図1】夏季オリンピック都市開発の変遷
     
     
     そしてオリンピックに必要とされる競技施設やアスリートのための宿泊施設である選手村を集約することで、オリンピックをきっかけに作られるのは、「建築」から、ある広がりを持った「地区」へと展開していく。
     この流れを作り出したのが1932年に第10回大会を開催したロサンゼルスであり、このオリンピック地区をさらに象徴的に作り上げたのがその次の1936年大会を開催したベルリンである。ナチス主導により政治的な意図を持って開催されたベルリン大会はベルリン郊外に複数の競技施設を集約し、象徴的なイベント空間を作り上げた。それは今日も、ナチスドイツの残した歴史的遺産として存続している。
     
     
    1960年以降――オリンピック都市の彷徨
     
     そしてこれらのオリンピック地区を戦略的に複数に作り、それらを結び付けるインフラを整備することで、オリンピックによる都市再編の影響を都市全域にまで広げたのが、1960年のローマ大会だったのである。この大会をもってして、初めて「オリンピック都市」の誕生とすることも可能であろう。
     ただ、この流れは当時すべての人々に好意的に受け入れられたのではない。特にスポーツの振興を最大の活動意義とする国際オリンピック委員会(IOC)にとっては、スポーツを都市再編のために「利用された」と捉える動きもあり、その是非は次大会の1964年の東京に持ち越された。
     ここで東京は、ローマをはるかにしのぐ規模でオリンピックを都市再編のために「利用する」こととなる。そして、その世界的アピールが後続の開催都市にオリンピックとは都市再編あるいは都市広告のための「またとない機会」というイメージを作り上げる。
     この流れは1976年のモントリオールでピークに達する。フランス人建築家ロバート・テイリバートによる象徴的なオリンピック・パークは当時のモントリオール市長による「フレンチ・カナダ」のアピールの場となるはずだった。
     だが、オリンピック・スタジアムは大会までに完成せず、その後30年にも及ぶ借金返済という大きな負の遺産を残すこととなる。オリンピック都市の「野望」が「苦悩」へと変容した事例であり、モントリオール大会は、オリンピックは「リスク」であるという新たな警笛を世界に発したマイル・ストーンとなったのだ。
     これと対極をなすように、次の1980年大会を開催したモスクワは、社会主義政策に基づく徹底した合理主義にのっとりオリンピックを開催する。さらに、その次のロサンゼルスは、徹底した既存施設の転用と公共資金の不投与という戦略で、経済的なリスクを回避。民間資金によるイベント運営という手法を導入することで、大会運営の黒字化にも成功する。
     このことが、オリンピック=チャンスというイメージを与えることとなり、再び開催都市にオリンピックを都市再編のきっかけとする機運を作り出す。イデオロギーの差こそあれ、モスクワもロサンゼルスも、その合理的な手法により、モントリオールの悪夢を払拭したのである。都市の美化と新たな公共拠点作りを目指した1988年のソウルや、地中海都市の復活をかけ、長期的な都市再編キャンペーンの一つとしてオリンピックを取り込んだ1992年のバルセロナにより、オリンピックは再度、都市再編の道具と化していくのである。
     
     
    2000年以降――オリンピック・レガシーの時代
     
     2000年代に入ると、オリンピックと都市の関係はさらなる変容を遂げることとなる。これまではオリンピックに向けて何ができるかに大きな注目が集まっていたのに対し、オリンピック後に何が残るか、あるいはそれらをどのように維持していくことができるかが重要視されてきたのだ。いわゆるオリンピック・レガシー(遺産)の問題である。
     これを主導したのが2001年よりそれまでIOCを率いてきたサマランチから会長の座を引き継いだジャック・ロゲである。商業化による拡大路線を追求してきたサマランチと異なり、ロゲが求めたのは巨大化したオリンピックの見直しと、オリンピック後の施設運営も視野に入れた施設計画の指針作りである。
     新旧IOC会長の視点の違いは、2000年大会の開催都市シドニーで、11万席を擁するオリンピック史上最大のオリンピック・スタジアムを眼にしたときの反応に如実に現れる。「これまで見た中で最高のスタジアム」と称賛したサマランチに対して、ロゲはその後の利用に大きな懸念を示したのだ。かくしてロゲの新たな戦略はオリンピック憲章や招致ファイルでの必要記載事項に「オリンピック・レガシー」が盛り込まれることで現実化していく。
     それに建築・都市計画のレベルで応えたのが、ロゲがIOC会長として仕切った2012年の開催都市ロンドンである。ロンドンは招致の段階から当時のIOCの最大関心事項「オリンピック・レガシー」をキーワードに招致活動を行い、競技会場の中心となったロンドン東部の「オリンピック・パーク」の長期的展望を具体的に示すことで、ニューヨーク、パリといった世界の強豪都市を抑えて勝利したのだ。招致後も仮設施設の積極的な利用や競技施設の減築など、「オリンピック期間中よりオリンピック後」を見据えた建築・都市計画を進めていくことになるのだが、その際「レガシー」という言葉がオリンピック開催による莫大な公共資金の投与を正当化するものとして使われた。
     当然のことながら、2020年に夏季オリンピックを開催する東京も、これまでのオリンピック都市の変遷、特に2000年以降IOCが取り組んできた「オリンピック・レガシー」重視の政策を取り込んだ都市再編の延長にあるものと捉えることができる。特に2020年夏季オリンピック招致を、レガシーの流布に尽力したジャック・ロゲの12年の任期の総決算として捉えた場合、その意義はとてつもなく大きい。
     この問いかけに、東京は1964年オリンピックのレガシーを再利用するヘリテッジ・ゾーン(代々木地区)と2020年後の新たなレガシーとなるベイ・ゾーン(湾岸地区)を想定し、異なる時間軸を持った「オリンピック・レガシー」を都市に作りだすというコンセプトで応えることなった。ロゲ体制のもと、2回目のオリンピック開催を目指す都市でこそ作りえた優等生的なコンセプトだと言えよう。
     
     
    2020年のトーキョー:分散型施設配置
     
     かくして、東京は56年の歳月を経て2度目のオリンピックを2020年に開催することとなるが、もちろんのことながらその空間作りは1964年とはかなり異なるものとなる。まず施設配置に関して、1964年の東京オリンピックでは代々木公園、神宮外苑、駒沢公園の3つの地区に競技施設を集約させたが、2020年では代々木、神宮外苑を含むヘリテッジ・ゾーンと湾岸のベイ・ゾーンの2つのエリアにイベントに必要とされる施設を「コンパクト」に配置すると招致時から一貫して強調されてきた。
     しかし、この「コンパクト」という言葉に惑わされてはいけない。というのも、2020年の東京が提唱する「コンパクト」な施設配置は歴史的には「コンパクト」と言えない節があるからだ。 
  • オリンピックシティに発生する「ボーダー」と「バウンダリー」、2つの"境界"に介入せよ!――建築家・白井宏昌の考える未来の東京の作り方 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.168 ☆

    2014-09-30 07:00  

    オリンピックシティに発生する
    「ボーダー」と「バウンダリー」、
    2つの"境界"に介入せよ!
    ――建築家・白井宏昌の考える
    未来の東京の作り方
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.9.30 vol.168
    http://wakusei2nd.com


    今冬発売予定のPLANETSの新刊「PLANETSvol.9」(以下、P9)。特集を「東京2020」とし、2020年の東京とオリンピックの未来図を描きます。
    【PLANETSvol.9(P9)プロジェクトチーム連続インタビュー第12回】
     
    この連載では、評論家/PLANETS編集長の宇野常寛が各界の「この人は!」と思って集めた、『PLANETS vol.9特集:東京2020』(P9)制作のためのドリームチームのメンバーに連続インタビューしていきます。2020年のオリンピックと未来の日本社会に向けて、大胆で、しかも実現可能な夢のプロジ