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“kakkoii”の誕生――世紀末ボーイズトイ列伝 勇者シリーズ(7)「黄金勇者ゴルドラン」後編
2025-01-07 07:00
デザイナー/ライター/小説家の池田明季哉さんによる連載『"kakkoii"の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝』。「黄金勇者ゴルドラン」分析の最終編です。20世紀的な男性性の美学を鋭く批判する、「所有」や「支配」ではない「遊び」による成熟のイメージとは?
池田明季哉 “kakkoii”の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝
世界の王、リカちゃん人形
こうした道のりを経て、一行は最終的にレジェンドラへと達する。そしてレジェンドラ王の正体が明かされるわけだが、その名前はレディリカ・ド・レジェンドラであり、その外見は明確に「リカちゃん」として描かれる。
レジェンドラ王という存在については、次のように説明される。レジェンドラに至れば願いが叶うという伝説は、レジェンドラ王の後継者を選定し導くためのものであった。その冒険の過程で勇者たちと心を通わせた者だけがレジェンドラへ至り、次の王となる資格を得る。王に与えられる能力とは、今の宇宙を終わらせ、次の宇宙を思うままに創造する力である。レディリカもまたかつては人間であったのだが、レジェンドラを先代から引き継ぎ、現在の世界を創造した。
そして新たな世界を創造する能力が、タクヤたちに託される。タクヤたちはワルターやシリアスも交え、合議の上でどのような宇宙を創造するか結論を出す。それは「レジェンドラ王にはならず、今のまま冒険を続ける」というものだった。そしてこれまで奪い合ってきたパワーストーンを共有し、全員で口上を唱えて勇者たちを復活させる。そして彼らと共に、また新たな冒険へと旅立とうとするのである。
これはおもちゃを巡る想像力を問う極めて高度なメタフィクションだ。ここでレジェンドラ王が「リカちゃん」の姿を持つことは決定的な意味を持つ。「リカちゃん」は1967年から展開されている着せ替え人形のシリーズで、タカラ社を象徴する大ヒット商品である。すなわちレジェンドラ王とは、勇者シリーズを展開するタカラ社とその営みを象徴している。そして「現在の宇宙の終わり」とはアニメーションという物語の終わりと受け取ることができるだろう。宇宙を終わらせ次の宇宙をはじめるという営みは「高松勇者」自身が――いやそれ以前から連綿と行われてきた、物語による販促そのものとはいえないだろうか。
90年代半ば頃のリカちゃん。https://licca.takaratomy.co.jp/55th/album.html
本連載では、タクヤたちが経験してきた、そしてワルターやシリアスを救済してきた冒険の旅路は、子供の遊びそのものであると考えてきた。ゴルドランはワルターやシリアスが「大人」を目指す試みを挫くことで、「子供」とおもちゃの関係に立ち返り、その想像力による遊びの体験=冒険の旅こそが本質であるという美学を語ってきた。ところが映像作品という物語はいつか必ず終わりを告げてしまい、次の物語がはじまる。そして次の物語はまた新しいおもちゃをもたらし、そのサイクルが連綿と繰り返されてきた。しかし、映像が終わってもおもちゃはそこにあり続ける。では、そのとき冒険は、遊びは、おもちゃと共に過ごした時間は、どこに行ってしまうのだろう? 新たな物語によって上書きされ、消滅してしまうのだろうか?
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