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いま必要なのは「実践」としての人類学だ(後編)|大川内直子
2022-01-27 07:00550pt
編集者・ライターの小池真幸さんが、「界隈」や「業界」にとらわれず、領域を横断して活動する人びとを紹介する連載「横断者たち」。今回は、文化人類学的調査手法を用いた行動観察に基づいてアイデアを生み出すアイデアファンド代表取締役の大川内直子さんに話を伺いました。後編では、大川内さんの新著『アイデア資本主義──文化人類学者が読み解く資本主義のフロンティア』に結実した、これからの資本主義システムの可能性と課題を展望しながら、人文知と企業社会の接点について考えます。(前編はこちら)
小池真幸 横断者たち第7回 いま必要なのは「実践」としての人類学だ(後編)
「脱資本主義」的言説への違和感
人類学とビジネスを横断した活動の背景にある、大川内さんの現代社会観をまとめたのが、2021年9月に刊行した初の著書『アイデア資本主義──文化人類学者が読み解く資本主義のフロンティア』だ。空間・時間・生産の領域でのフロンティアが消滅した現代、「アイデアが生産手段の前駆体としての位置づけを脱して、アイデアそのものが独立した投資対象になっている状況」である「アイデア資本主義」の時代になっていると論じている。
本書を読むとまず印象に残るのが、昨今の脱資本主義・脱成長的なトレンドに対して、明確に批判的なスタンスを取っている点だ。資本主義を「将来のより多い富のために現在の消費を抑制し投資しようとする心的傾向」と定義し、「入れ替え可能なシステムではない」と書いている。資本主義そのものを断罪するのでなく、できるだけ中立的にその功罪を評価していくべきだというスタンスは、学生時代より大川内さんの根底にあるという。
「私にもアンチ資本主義みたいな感覚はないわけではありません。もともとずっとアフリカに住んでみたいと思っていて、学生の頃からよく旅行していました。すると現実は、よくイメージされるような、自然に溢れて現地の文化が守られているアフリカ像とはやはり違っていて、伝統的な衣装やダンスが見世物になっている。観光客が来たときだけそれを着て踊ってお金をもらい、終わったら携帯で話しながらTシャツに着替えて帰る、ということが当たり前になっているんです。最初はとてもショックを受けて、『グローバル資本主義によって素晴らしい文化が売り物になってしまっている』という問題意識を感じました。その感覚は今もないわけではないですし、文化の多様性を維持することの重要性は感じています。ただ一方で、『この文化はずっとこうありなさい』と言うのもとても押し付けがましい、上から目線のスタンスだとも思いまして。別に変わりたければ変わればいいし、お金を稼ぎたければ稼げばいい。私が望む『古き良き時代』をずっと維持してくださいという考え方は、とても傲慢だなと考えるようになりました。アフリカに訪れている資本主義は、それはそれとして受け入れるのが自然なスタンスなのかなという感覚を、学生の頃から持っていたんです。ですから、資本主義の悪い側面ばかり見てしまうことにはとても違和感がある。実際にそのシステムを取り入れて発展させてきた面があるのだとしたら、功罪の『功』の部分もしっかりと評価すべきではないでしょうか」
そもそも「社会がこうあるべき」「これが正でこれが悪だ」という感覚自体、あまり強く持っていないという。むしろ大川内さんの根幹には「社会を観察していたい」という気持ちが第一にある。 例えば、著書ではフロンティア消滅後の資本主義の向かい先として「インボリューション(内へ向かう発展)」を挙げている。空間・時間・生産=消費そのものの拡大に限界が来ている現代、土地の再開発、高速取引、生産性の向上のように「内側」に向かう発展によって、経済拡大を志向するようになるということだ。ただ、株の高速取引などはわかりやすい例だが、直観的にはあらゆる領域で際限なくインボリューションが進行することは手放しで肯定しづらいようにも思える。しかし、大川内さんはそこに対する価値判断も慎重だ。
「もちろん、それによって心を傷つけられる人が出たり、公害が起きたり、環境破壊が起きたりするのは望ましくないという一般的な倫理感覚は持っています。でも、それ以外に『インボリューションの方向性はこうあるべきだ』みたいな思いは個人的にはあまり持っていなくて。良いと思おうが、悪いと思おうが、必然的に進んでしまうものであり、『ああ、無情』みたいな感覚があります。資本主義である限り避けようがないことだと思うんです」
詐欺と格差──アイデア資本主義が対峙する課題
ただ、客観視しているということは、もちろん手放しの肯定を意味しない。アイデア資本主義の時代になっているという現状認識こそあれ、大川内さんは決してそれを称揚しているわけではない。筆者がこの本を読んだ時に思い浮かんだ、アイデア資本主義下において生じうる二つの課題について見立てを聞くと、「私も間違いなく大きな問題だと思っていて、解決手段について自分なりに考えはじめています」と答えてくれた。
まずは、実態の伴わないアイデアに投資が集まってしまうリスク。著書でも、血液検査の画期的技術を開発したとして巨額の投資を集めたが、結局そうした技術は存在せず、詐欺罪で起訴されるに至った、アメリカのスタートアップ・セラノスの事例が紹介されていた。アイデアという、比較的実態の見極めづらいものが投資対象となっているがゆえに、セラノスの悲劇を繰り返すことになってはしまわないだろうか?
「嘘のアイデアや実現詐欺は言うまでもなく、本当に実現するつもりで頑張ったけれど、結果的にポシャるという話ももちろんたくさんあります。というか、投資がどんどんモノづくりの前段階の、不確かなものに対して行われるようになっている以上、そうしたリスクは付き物です。全部のアイデアが成功するような社会になるわけはありません。ただ、そのリスクを和らげる手段はありうるなと思っています。例えば、アイデアのアナリストのような人たちが出てくるかもしれません。株式だって、個人がそれぞれの銘柄を分析するのはなかなか難しいので、アナリストがついて定期的にレポートするじゃないですか。その分析を見て、売り買いを考えたりする。それと同じように、アイデアについてもアナリストがいて、点数やレーティングをつけて評価されていくかたちはあり得るかなという気がしています。それから、アイデアのIPOのようなものもあり得ると考えています。アイデアにおける経営と資本の分離のようなことが起こり、アイデアがパブリックになり、監査が入ったりいろんな人の目に触れたりするようになる。そして、先ほど触れたアナリストの分析なども参照しながら、アイデアを直接評価できない人でもアイデアを理解して投資するかどうかを決められるようになる世界はあり得るのではないでしょうか」
たしかに、よいアイデアが正当に評価されるエコシステムが構築されれば、セラノスの悲劇は防げるかもしれない。ただ、そうなったときにより一層深刻化してくる恐れがあるのが、アイデアの格差の問題だ。結果的に引き起こされる経済的な格差はある程度再分配可能だとしても、アイデアの有無で社会的成功が左右される、ある種の実力至上主義社会が到来したときに、アイデアなき者たちの社会的承認が欠如してしまわないか。2021年4月に刊行されたマイケル・サンデル『実力も運のうち──能力主義は正義か?』でも主題として論じられていたが、メリトクラシー社会における承認の問題は、昨今のいわゆる先進国が対峙する重大な課題となっている。アイデア資本主義下においては、その課題がより深刻化してしまわないか?
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いま必要なのは「実践」としての人類学だ(前編)|大川内直子
2022-01-26 07:00550pt
編集者・ライターの小池真幸さんが、「界隈」や「業界」にとらわれず、領域を横断して活動する人びとを紹介する連載「横断者たち」。今回は、文化人類学的調査手法を用いた行動観察に基づいてアイデアを生み出すアイデアファンド代表取締役の大川内直子さんに話を伺いました。アカデミア外でも人類学への注目が高まっている昨今、その知はいかにして応用されていくべきなのか。これからの資本主義システムの可能性と課題にも目配せしながら、人文知と企業社会の接点について考えます。
小池真幸 横断者たち第7回 いま必要なのは「実践」としての人類学だ(前編)
人類学ブームの功罪
ここ数年、「人類学」という単語を目にすることが増えた。書店に足を運べば、「◯◯の人類学」というタイトルの書籍がいくつか目にとまる。デザインやリサーチといった領域を中心に、ビジネスの中でも人類学的思考の活用が模索されるようになった。
もちろん、日本において、人文系の学問領域がアカデミア外でも注目を集めること自体は新しいことではない。1980年代のニュー・アカデミズム、ゼロ年代の社会学ブーム……そうしたトレンドは定期的に訪れる。ただし、その先達たちの顛末を見ても、コマーシャリズムの中で持ち上げられることが、功罪どちらの要素も併せ持つことはたしかだろう。昨今の人類学への注目の高まりは、一体どのようなポジティブな変化を引き起こしていて、どのような問題点をはらんでいるのだろうか?
この問いについて考えるため話をうかがったのが、人類学的思考をアカデミア外に応用する挑戦の真っ只中にいる、大川内直子さんだ。彼女は東京大学大学院総合文化研究科で文化人類学を専攻し、修士課程修了後、日本学術振興会特別研究員(DC1)に内定し研究者の道を突き進むと思いきや、これを辞退。みずほ銀行での勤務を経て、文化人類学的調査手法を用いた行動観察に基づいてアイデアを生み出す、アイデアファンドを設立した。 現在は国際大学GLOCOM主任研究員も兼任しながら、アイデアファンドで企業向けのリサーチやコンサルティングに取り組んでいる。2021年9月には、初の著書『アイデア資本主義──文化人類学者が読み解く資本主義のフロンティア』も上梓した。文化人類学とビジネス、アカデミアと企業社会を架橋する〈横断〉者である。
大川内さんはなぜ、伝統的な文化人類学の世界から飛び出し、企業社会への応用という道を選んだのだろうか? アカデミア内外を架橋する張本人として、昨今の人類学への注目の高まりの功罪を、いかにして見ているのだろうか? 話をうかがっていると、彼女が考える「実践」としての文化人類学のあり方、さらには昨今の脱資本主義的トレンドへの違和感まで話題が広がり、これからの資本主義システムの可能性と課題が浮かび上がってきた。
「人類学とは実践である」国内外で広がる、アカデミア外への応用
「人類学者のフィールドワーク」と聞いて、どんなシーンを思い浮かべるだろうか。アフリカの奥地に数年間滞在し、現地住民と生活を共にしながら、その文化に深く入り込んで調査を進める──そんなイメージを持っているかもしれない。しかし、大川内さんの経営するアイデアファンドが実施してきたフィールドワークは、一般に思い浮かべられがちな伝統的な人類学のそれとは、少し趣が違っている。
「普通の人の家の部屋にお邪魔させてもらって、その中でずっと観察するんです。通勤通学の途中にずっと張り付いていることもあります。もちろん、許可は取っていますよ(笑)。また、人ではなく、場にフォーカスする形でフィールドワークを行うこともあります。例えばバーの調査だったら、私がお客さんを装ってずっとその店にいます。お客さんが最初はどういうものを頼むのか、どういう会話をしたタイミングで追加注文をするのか、店主との会話を楽しむのか……、そんなことをずっと観察していますね。コロナ以降はなかなか『家に行かせて』と言いづらくなったので、自分で家の中を撮ってもらったり、Zoomをつないで家の様子が見えるように何時間も映してもらったり、Zoomで何度もインタビューしたりと、スタイルを変えざるを得なくなってはいますが」
もちろん、このフィールドワークはあくまでも企業の事業開発や商品開発に活かすための知見を得ることが目的であり、論文を書くためのそれとは別物だ。ただし、大川内さんはこうしたフィールドワークも「人類学」の一つだと考えている。なぜなら、人類学とは「実践」だからだ。
「文化人類学者の船曳建夫先生も『人類学とは態度である』という旨のことをおっしゃっていましたが、私の考えでは、人類学は別に方法論がかっちり決まっているわけではなくて、調査の仕方も一人ひとり全然違います。その場その場で気になっていることを聞いているという側面が強いので、再現性も検証可能性もあまり高くなく、“技”としての性格がとても強くなっている。たまたま面白いフィールドに行けるかどうかにも左右されますし、事件が起こって突然面白くなることもあるので、運の要素に大きく影響を受ける。もちろん、分析や論文の切り口、まとめ方などに関する方法論もありますが、それはあくまでも人類学の一部に過ぎません。きちんと大学に勤めて調査をして、論文にすることだけが人類学的な正しい行いとして考えられがちですが、必ずしもそうでなくともいいのではないかと私は考えています。アウトプットが論文でなく、製品や会社の組織、ボランティア活動であっても、フィールドを自分の目線で関与しながら知ろうとする実践そのものを人類学として捉えてもいいのではないでしょうか」
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