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  • 『文化時評アーカイブス2013-2014』発売直前!――宇野常寛が語るメディアの未来と文化状況 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.041 ☆

    2014-03-31 07:00  

    『文化時評アーカイブス2013-2014』発売直前!宇野常寛が語るメディアの未来と文化状況
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.3.31 vol.041
    http://wakusei2nd.com


    今朝のほぼ惑は『文化時評アーカイブス2013-2014』の発売を前に、宇野が最近のメディアと文化状況について語った先月のサイゾーのインタビューを掲載します。
    (初出:サイゾー14年4月号)
     
     普段は、月々の話題コンテンツを取り上げて評している本連載だが、今回はちょっと趣向を変えて特別企画でお届け。本連載のホストであるところの宇野氏が、現在の日本のメディア状況を踏まえた文化論を展開する──。
     
    ◎構成:稲葉ほたて
     
     
     今回は月末に「文化時評アーカイブス」の今年度版が出るということで、久しぶりに2014年春現在の国内文化やメディアについて、総合的に話したいと思います。
     まず前提として僕は「サイゾー」の創刊時からの読者なのだけど、創刊(1999年)から15年経って、「文化」というものの位置付けが全然違ってきているという実感がある。一般的にそれはインターネットの拡大による変化、つまり情報が伝達される仕組みの変化だと思われているのだけど、実のところ僕にはこの間にもっと質的な変化、イデオロギー的な変化がこの国の文化空間にはあったと思っています。
     例えば15年前に小林弘人さんは日本版「WIRED」の延長線上での男性誌として、初期「サイゾー」を作った。いま思えば当時の「WIRED」が象徴していたのは、アメリカ西海岸的なIT技術やコンピュータカルチャーを日本の都市部のアーリーアダプターが吸収することによって、ポスト戦後的な新しいホワイトカラーの文化のスタンダードができることへの期待だった。しかし、今現在、それはまだあまり実現していないように思う。少なくとも当時小林さんが考えていたものとは、だいぶ異なる状況になっているんじゃないかと思うんですね。
     それは言い換えれば、当時小林さんが読者として想定していたはずの団塊ジュニアが新しい日本を、政治的にも文化的にも作れなかったということでもあると思う。団塊ジュニアという世代は、頭ではもう戦後日本社会は戻って来ないとわかっている人が多い。しかし、身体の部分、労働環境や家族形態はまだまだ戦後的なスタイルに捉われていて、その結果彼らの仕事はなかなか戦後的なものから離陸できない。
     例えばそれはインターネットの使い方にもそれはよく現れていて、ひと言で言うと団塊ジュニアはインターネットを使って”第二のテレビ”を作ろうとしてきたのだと思う。戦後文化を体現するテレビに対抗できる自分たちのメディアをどうもつのか、が団塊ジュニアのインターネット文化を担ったプレイヤーたちのテーマだったはずなんですね。
     確かに現在もテレビの中では、ネットもグローバリゼーションもなかったことになっているし、戦後的な標準世帯がいまだに支配的で、完全に昭和の延長線上にある世界が生き残っている。はっきり言ってテレビは形骸化した戦後社会の象徴だと思う。では団塊ジュニアが作った、そのカウンターとしてのインターネットはどうか。
     彼らの築き上げたネットの文化空間では、たしかにこうした戦後的な社会観は大きく後退している。でも、コミュニケーションの様式がまったく更新されていない。いまのソーシャルメディア、特にツイッターの文化を一言で表現すると「いじめ文化」ですよ。この数年で、半月に一回生け贄を見つけてきては、失敗した人間や失言した人間を総叩きするのが恒例になってしまった。そして、文化人や著名人もそれを扇動することでポピュラリティを得ていて、そこに中立を装いながらライトに参加する人間が毎回良識的な知性として持ち上げられる──そんな「世間」がすっかり出来上がっているわけです。
     これは皮肉な話で「あの頃」ぼくたちがテレビにうんざりしはじめたのは、その時代遅れのセンスに対してだけじゃなくて、こうした「いじめ文化」に対してでもあったはずなんですよね。しかし今のインターネットを眺めていると、これは「あの頃」に辟易とさせられたテレビのワイドショー文化の体現する「世間」とどこが違うんだろう、と思う。団塊ジュニアのやりたかったことは結局、多様な価値観が共存できる社会じゃなくて、自分たちが幅を効かせる「世間」を作ることだったのかという失望が、僕にはある。
     正直に言ってしまうと、現在の「サイゾー」の誌面にも、同じことは感じています。今の「サイゾー」は僕が大学生の頃に読んでいたような、一般誌では拾えない内容をつぶさに拾っていくメディアでは、もうないと思う。むしろ社会の中核にいる、団塊ジュニア世代のライトなカルチャー好きの、最小公倍数的な意見を拾うメディアになっているように思える。もちろん、こうした状況については、自己批判も含めて話しています。僕の世代のネットから出てきた言論人にとっても、他人事ではない。5年後には自分たちのやってることもそう言われている可能性がある。
     そんな中で僕は最近、以前から出していたメールマガジンを、週刊から日刊の毎朝配信に変更したんです。現在のソーシャルメディア文化って、「百の投稿を見ても一も残らない」。あまりに情報が供給過剰になっていて、ほとんどの人間がツイッターで回ってくる記事の見出しだけを眺めて、リンク先を読まずにリツイートして、情報を消費した気になっている。実際、そうしないと情報がさばけない状況があるのも事実だけど、そういうソーシャルメディア文化に対して、「一を伝えて十を知る」ような記事を配信することはできないかと考えたんです。
     だから、メインの記事は毎日1本しか配信しないし、記事の形式やサイズも徹底的に考えた。通勤時間の30分にだらだらタイムラインを見て過ごす人がいたとして、その時間を僕らの作り込んだ一つの記事をじっくり読ませることに使わせられないか。そんなふうに考えて取り組んだ結果、まだ最初の1カ月ではあるのだけど、僕自身もびっくりするくらいに購読者数がぐんぐん伸びています。
     よく「若者の活字離れ」と言われるけど、僕は嘘だと思ってるんですよ。単純に考えて、書かれた文字で人間がこんなにコミュニケーションしている時代はこれまでなかったわけです。インターネットのせいで、都市部のホワイトカラーや学生のほとんどの人が1日に平均して1万字から2万字は活字を読んでいるはずなんです。だからその1万字から2万字を、だらだらした会話や、「サイゾー」の飛ばし記事みたいな(笑)スカスカの記事ではなくいかに中身のあるものに変えていくか。ツイッターと戦って時間を奪うこと、しかし本のような閉じたメディアはになはらず、今のソーシャルメディア文化とは異なった開かれ方をすることで消費者の時間を奪っていきたい。
     ただ、そこで忘れてはいけないのは、人間のライフスタイルの変化を考えることなんですよ。例えば週刊誌が崩壊したのは、戦後的なサラリーマンが減ったからなのは間違いない。首都圏でいうと、東京の郊外に家を持っていて、専業主婦の妻がいて、1時間かけて都心に出てターミナル駅で乗り換える──そういう団塊世代を中心にした戦後的なホワイトカラーが、キオスクで朝買って電車や会社で読むものとして週刊誌はあったわけでしょう。これは誰の目にも明らかで、だからこそ内容もそこに特化していた。
     でも、日本のホワイトカラーのライフスタイルは大きく変化しつつある。現在の若い都市部のホワイトカラーは、基本的に共働きで、そのため専業主婦が少ない。したがって昔ほど郊外には住んでいない。さらにほとんどの人がスマートフォンを持っていて、通勤時間はインターネットに接続してソーシャルメディアをチェックしている。だからキオスクで週刊誌を買わない、という結論が導き出される。だから本来はこういう彼らの新しいライフスタイルにどう斬り込んでいくかという問題から、メディアを設計し直さないといけないのだけど、そういうことを意外と既存のメディアの編集者やプロデューサーは考えていない。
     だからそこに対して僕みたいな、小さいけど機動力のあるユニットを持っている人間がいろいろ実験してみるというのが世の中にとって必要だと思う。そしてかつての週刊誌が戦後的なホワイトカラーの文化と並走していたように、僕の発信する記事も新しいホワイトカラーの文化と並走していないといけない。と、いうか今は新しいホワイトカラーのための新しい文化を整備していくフェイズだと思っているんです。たとえば、文化人や企業家ひとつとっても、世の中には面白いことをやってる人間がまだまだたくさんいるのに、既存のメディアはほとんど拾えていない。そういう存在をどんどん僕のメルマガで紹介して、新しいホワイトカラーのスタンダードにしていきたい。
     これがかつて雑誌ファンで、赤田祐一さんや小林弘人さんに憧れていた自分なりの、インターネット時代におけるケリのつけ方だと思っています。
     
     
    ■2020年まで続いてゆく「裏オリンピック」計画
     
     ここまでは伝え方の話をしてきたけれども、少し内容の話もすると、何か社会的に大きな意味を持った文化的な提案を若い世代から出していきたいと思っています。
     そういう意味で最近、自分でプロジェクトチームを組んで手がけているのは、「オルタナティブ・オリンピックプロジェクト」です。これは20~30代の若い世代が中心になって、2020年の東京五輪のプランを提出する企画です。次号の「PLANETS」の特集になる予定で、発売後も2020年までのイベントやシンポジウムや展示会、メディア露出を通じて社会に対して提案を続けようと思っています。
     これは実は、先の話とも繋がっています。ロサンゼルス五輪以降、オリンピックのマスメディア化はどんどん進んできた。実際、テレビ業界は「これで20年まで生き延びられる」とホクホクしてる。
     そこに対して、僕らはインターネット時代のオリンピック・パラリンピックというものを提示したい。 
  • 「宇野常寛のオールナイトニッポン0(zero)金曜日~3月21日放送全文書き起こし!」☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.040 ☆

    2014-03-28 19:00  
    "第2回宇野フェス"に
    参加してくださったみなさん
    お疲れ様でした。
    そして今週もお聞き頂ありがとうございました。
    来週はいよいよ最終回。
    可能な限り
    みなさんのメール紹介していきますので、
    是非送って下さいね。
    uno@allnightnippon.com まで。

    <Playlist, 0321 2014>
    M1:佐賀県 / はなわ
    M2:だれかのために / AKB48
    M3:どんなに どんなに / シクラメン
    M4:LaLaLa〜くちびるに願いをこめて / 大森玲子
    M5:WAKE YOU UP / 島谷ひとみ
  • 働く女性が〈子どもを産む自由〉を得られる日は来るのか?――社会学者・水無田気流インタビュー☆ほぼ日刊惑星開発委員会・号外☆

    2014-03-28 07:00  

    働く女性が〈子どもを産む自由〉を
    得られる日は来るのか?
    ――社会学者・水無田気流インタビュー
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.3.28 号外
    http://wakusei2nd.com


    今回の「ほぼ惑」号外では、「PLANETS vol.8」に掲載され好評を博した社会学者・水無田気流さんへのインタビュー「『産める自由』を獲得するために」を無料掲載します。新年度を前に、これからの若者の〈働き方〉と〈結婚・家族〉の問題を考えるヒントになるかも――?
    ▼【イベント情報】
    本記事の水無田さんも登場!『本当に「意識が高くなければ生き残れない」のか?
    ――20代のための「キャリアとお金」のぶっちゃけ話』
    秋山進×竹内幹×小室淑恵×水無田気流×南章行×宇野常寛×堀潤【司会】
    チケットのご購入、ニコ生タイムシフト予約はこちらから。
    http://wakusei2nd.com/archiv
  • 切通理作×宇野常寛3万字対談「いま昭和仮面ライダーを問いなおす」 ――映画『平成ライダーVS昭和ライダー 仮面ライダー大戦 feat.スーパー戦隊』公開(勝手に)記念 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.039 ☆

    2014-03-27 07:00  

    切通理作×宇野常寛3万字対談「いま昭和仮面ライダーを問いなおす」
    映画『平成ライダーVS昭和ライダー仮面ライダー大戦 feat.スーパー戦隊』公開(勝手に)記念
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.3.27 vol.39
    http://wakusei2nd.com


    今朝のほぼ惑は「仮面ライダー」についての3万字対談。それも平成ではなく、「昭和」のライダーについてです。昭和の特撮作品のスタッフを数多く取材してきた切通理作氏と平成ライダーの評論を手がけてきた宇野常寛が魅力を語り尽くします。

     
    「変身!」のかけ声とともに、現在まで続くブームを起こした『仮面ライダー』とは何だったのか? 1970年代当時のヒーローとしての画期性、今も多くの人々の目を引くアイコンとなっているデザイン、スタッフの苦心が生んだアクションとドラマの化学反応、世界観や話作りのノウハウなど現代の「平成ライダーシリーズ」にも形を変えて引き継がれた要素……。ゼロ年代のあらゆるエンターテインメント作品を鋭く語ってきた評論家・宇野常寛と、昭和・平成の数々の特撮スタッフ取材を重ねてきた文筆家・切通理作が、昭和の『仮面ライダー』の魅力を語り尽くす!


    ▼プロフィール
    切通理作(きりどおし・りさく)
    1964年生、東京出身。和光大学人文学部卒。編集者経験を経て1990年代前半から文筆活動に携わる。『ウルトラマン』『仮面ライダー』シリーズをはじめとする特撮作品、その他の映像作品のスタッフインタビューや作品解説をはじめ、幅広く世相やサブカルチャーを網羅し、「キネマ旬報」「特撮ニュータイプ」「宇宙船」「わしズム」など数多くの媒体で活動。代表的な著書に、歴代ウルトラシリーズの脚本家に取材した『怪獣使いと少年』(宝島社)、写真家・丸田祥三との共著『日本風景論』(春秋社)、『特撮黙示録1995‐2001』(太田出版)、『山田洋次の<世界>』(ちくま新書)ほか。『宮崎駿の「世界」』(ちくま文庫)で第24回サントリー学芸賞を受賞。
     
    ◎構成:葦原骸吉
     
    ■原点としての「旧1号編」
     

    ▲仮面ライダー VOL.1 
     
    宇野 今回は映画『平成ライダーVS昭和ライダー』を記念して、歴代の昭和『仮面ライダー』を順を追って語っていきたいと思います。しかし僕は1978年生まれなので、昭和仮面ライダーの第一期、つまり初代『仮面ライダー』から『仮面ライダーストロンガー』まではリアルタイムでは接していなくて、本やビデオの後追いで知った世代なんです。だからまず、なんと言っても初代『仮面ライダー』(1971年)をリアルタイムで目撃した世代の、ファーストインプレッションをまず伺ってみたいなと思うのですが。
    切通 僕は圧倒的に仮面ライダーそのものに魅力を感じます。ライダーのデザインって、石ノ森章太郎(当時は石森章太郎)さんの漫画と実写で微妙に違うんですよ。漫画では触覚がホントの昆虫みたいにしなやかなんですけど、実写の、当時エキスプロにいた三上陸男さんが造型したライダーは、触覚がラジオのアンテナを曲げたみたいで、まるで町の工場で造ったような工作的な感覚に、当時のラジカセや自転車とか僕らの身近にある機械のデザインを見た時のような、なんとも言えない味わいを感じます。大人になってからも、あの顔の写真を一目見ただけで気持ちが持っていかれてしまうんです。
    宇野 僕も初代『仮面ライダー』の何が一番好きかというと、デザインとスーツの造形なんです。同じ特撮ヒーローものでも石ノ森さんのデザインワークは『ウルトラマン』の成田亨さんのものとはまったく違う。たとえば成田さんの場合、ゼットンは水牛がモチーフで、レッドキングも恐竜がモデルだろうけど、どちらもモデルになった生物の進化したものではなく、あくまで実在のものとはまったく別種の生物になっている。つまり成田さんは現実にはこの世界に存在しない、あたらしい生物を産み出す天才だった。対して、石ノ森さんはすでに存在する二つのモノを組み合わせる天才だった。クモ+人間でクモ男、カニ+コウモリでガ二コウモル、そもそも仮面ライダーのバッタの仮面にライダースーツというデザインを考えついたというだけでもう確実に天才だと思うんです。要するにウルトラマンが世界の外側から来訪した超越者で、仮面ライダーは僕たちのこの世界の内側から産まれ落ちた存在だという物語上の設定がデザインコンセプトにも通底しているわけですね。
    切通 あのライダースーツと一体化したような、レザーのしなりが感じられるボディラインも、見ていてシビれるものがあります。
    宇野 僕はウルトラマンシリーズも大ファンで、昭和ウルトラマンと昭和仮面ライダーの物語のどちらが面白いかと言えばやっばりウルトラのほうなんですよ。もともと昭和仮面ライダーはストーリー重視の番組ではないですしね。しかし、大野剣友会のアクションは洗練されていて何度観ても飽きないし、デザインについても仮面ライダーの方に惹かれるんです。持っている玩具も子どもの頃から仮面ライダーの方が多い。仮面ライダーのキャラクターデザインに接していると、世界との関係について感覚がひらかれるようなところがある。
    切通 なるほど、だから宇野さんの本『リトル・ピープルの時代』の表紙は1号ライダーなんですね。「どちらかといえば平成ライダーを熱く語っているのに、なんで昭和ライダーが表紙なのかな?」って思っていました。
    宇野 あれは装丁家の鈴木成一さんのアイデアですね。僕も出版社の担当さんも、表紙では仮面ライダーがテーマの本であることはむしろ隠して、村上春樹論だと思い込んで買った読者を驚かせようと思っていました(笑)。でも、鈴木さんがここは仮面ライダーのフィギュアを使うべきだと主張して、僕の私物を提供したんです。ちなみに、このフィギュアは海洋堂が昔発売していた1/4スケールの旧1号ですね。原型師は木下隆志さんです。
     

    ▲宇野常寛『リトル・ピープルの時代』(幻冬舎)
     
    切通 そうだったんですね。初代仮面ライダーが始まったとき、僕は小学校二年生だったんですが、クラスで一番優等生だった、みんなと遊ばないような子から、「すごい変な番組が始まった。なんか暗い感じの、キチガイ博士みたいなのが出てきて、人間を改造してる、見たこともないような番組なんだ」って感じに紹介されて、僕も「見なきゃ! いつやってるの?」と初めて見たのが「人喰いサラセニアン」の回(第4話)でした。それ以来毎週見るようになりましたね。女性が植物園で地中に引きずり込まれるのが印象的で、ホラーなテイストで、戦闘員もまだ全頭マスクではなくて、顔にサイケな模様を直接塗ってるし、暗闇にライダーのCアイが光って……スカッとするヒーローものっていうより、怪奇ものって感じの印象を持っていましたね。
    宇野 当時は等身大の変身ヒーローという概念自体がなかったんですね。
    切通 変身シーンもまだバイクで加速して姿が変わるという段階だったし、新しいセンスの番組を見ているという感覚がありました。そもそも『仮面ライダー』って名前が独特じゃないですか。『ウルトラマン』は全部英語、『月光仮面』は全部漢字。後の「キカイダー」や「イナズマン」もそうですが、石ノ森章太郎独特の日本語と英語が混ざったセンス。「仮面」って言葉自体もちょっと復古調で、新しいものと見知ったものがミックスされてる感じ。僕は最初、仮面の人がバイクに乗っている状態を「仮面ライダー」って呼ぶのかと思ってたんですけど(笑)。
    宇野 旧1号編(1〜13話)の前半って、当時の東映+石ノ森だからできた怪奇テイストで、たぶん一番原作の雰囲気を残している。本郷猛は自分が改造人間になってしまったことでずっと苦しんでいるし、ショッカーの作戦も日常の生活風景の中に潜む恐怖として非常にミステリアスに描かれている。この旧1号編前半のシリアスなモードが好きな人って多いですよね。でも、僕が好きなのはむしろ旧1号編の後半なんです。第10話以降は藤岡弘さんが撮影中のケガで降板しちゃって本郷猛のシーンは全部バンク、ライダーの声はショッカー首領役の納谷悟朗さんの弟の納谷六朗さんが演じている。六朗さんは『クレヨンしんちゃん』の園長とか『幽遊白書』の仙水の声で有名ですね。僕はあのときにライダーって従来のヒーローから解放されたところがあったと思うんです。要するに、平成の『仮面ライダー555』や『仮面ライダーディケイド』に続くような、「ライダーの中身は誰でもいい」「誰がライダーに変身してもいい」という感覚が結果的にあのときに生まれたんじゃないか、と。
    切通 藤岡さんの事故は当時とても有名で、子どもの僕も知ってましたが、一方僕は迂闊な子だったので、藤岡さんが事故後の1号ライダー編の新規撮影分には出てないことには気付かなかった(笑)。映像の使い回しで、声だって違ったのに。
    宇野 旧1号編の後半はシナリオの工夫も面白くて、たとえばゲバコンドルの回(第11話)は、当時助監督だった長石多可男さんが適当にでっち上げたストーリーですね。
    切通 藤岡さんが新規に出ないでどういう話が成立するか、助監督さんに書いてもらったストーリーから急遽選ばれたっていう回ですね。ライダーの相棒役であるFBIの滝和也が初めて登場する。
    宇野 意外と好きなのは怪人ヤモゲラスの回(第12話)です。この回はほとんど緑川ルリ子が主役じゃないですか。当時の真樹千恵子(現:森川千恵子)さんってちょっとはっとするような美人で、僕なんかは単に彼女がたくさん映って活躍するのを見ているだけでも楽しいんですよ。
    切通 森川千恵子さんは『アイアンキング』でも、敵の不知火一族十番目の影を演じていて、明るく健康的な風情なのにどこか影を背負った役柄を演じさせられているんですよね。どちらも物語の中途でいなくなるし。彼女の活躍は確かにレア感があります。緑川ルリ子は原作にも登場するキャラクターですしね。
    宇野 この回は、デンジャー光線っていう兵器を開発した博士を、ヤモゲラスが無理矢理ショッカーに協力させようとしてライダーと戦う話なんですけど、最後にヤモゲラスはその博士に反撃されてデンジャー光線で倒されちゃう。この話ではライダーは本当に添え物にすぎなくて、ときどき助けに来て暴れて帰っていくっていう位置づけですよね(笑)。でも、その何でもアリな感じがいいんですよ。
    切通 滝和也登場と、本郷編ラストである13話の間に挟まって、埋もれた感じのヤモゲラス回が宇野さんからすると印象的だというのは、面白いですね。いま見ると、本郷猛の場面を新規撮影できないから、ライダーを添え物にせざるを得なかったんでしょうけどね。
    宇野 それでもちゃんと番組として成立しているのがすごいと思うんです。こうしたエピソードの積み重ねが、結果的にだけれども、ヒーローものの射程というか、『仮面ライダー』という作品で許されることを広げている気がするんですよね。
    切通 そういう見方もあるのか。僕は旧1号編の後半というとやっぱり滝和也の存在が大きいんですけど、生身であれだけ戦える滝がその後レギュラーとして定着していくということ自体が、宇野さんの言う、単体ヒーローものでありながら射程を広げている部分なのかもしれないですね。2号ライダー編以降は、完全に二人のコンビものになっていきます。子ども心に、滝が最後はライダーに怪人を倒す役を譲っているのが大人だなと思ったりして見てました。
    宇野 あとトカゲロンの話(第13話)も大好きですね。後に劇場版や最終決戦に引き継がれていく再生怪人がズラリと並ぶ、あのお祭り感はここで開発されたわけでしょう?
    切通 それまで出てきた怪人が総登場する最初ですよね。戦闘員並みに弱くなってるんだけど(笑)。
    宇野 ショッカーの頓珍漢な作戦も好きです。サッカー選手を改造人間(トカゲロン)にして、その強靭なキック力で爆弾をシュートしてターゲットの研究所のバリアー(なぜか作中では「バーリア」と呼ばれる)を破るのが目的(笑)。爆弾の威力が問題じゃないのかよ、と。
    切通 人間を改造するところから描くんですよね。でも視聴者に同情心を持たせないためか、チームメイトにやたらぞんざいな態度を取る、チンピラみたいなサッカー選手に描かれているところが東映っぽくていい(笑)。トカゲロンは、見てる僕が当時はまだ<怪獣>っていうものがカッコイイんだという概念だけに縛られていたから、怪獣みたいなデザインの怪人が出てきたのが単純に嬉しかったですね。
     後に『クウガ』のプロデューサーとなる高寺成紀さんは、ウルトラマンや怪獣が好きでありながら、いち早くライダー怪人ならではの良さに気づいていたということなんですが、僕はまだそこまで目覚めてなかったのをいまは恥じています。
     
     
    主役俳優の事故の生んだ「王道」の確立――「旧2号編」
     


    ▲仮面ライダー VOL.3
    宇野 僕は2号編(14〜39話)の初期も好きなんです。旧1号編って、まず石森色が強い状態で始まって、だんだん東映色に染まっていく過程だったと思うんですね。藤岡さんの事故でこの流れはぐっと加速して、主役交代後の2号編はもう完全に東映+シナリオの伊上勝さんが作った世界になっている。2号編になると「とにかくアクションをCM前と後の二回見せる」「そこから逆算してストーリーを組み立てて行く」という正しい娯楽活劇路線が完全に確立されているんですよね。
    切通 何か起こると一文字隼人が必ずバイクで通りかかるという。端的な導入でパッパッと進む。井上敏樹さんが父親の伊上勝さんを「親父の脚本は紙芝居だ」と言うゆえんですね。
    宇野 たとえば、怪人ピラザウルスの回(第16話&17話)なんてもう、すごいじゃないですか(笑)。ショッカーがプロレスラーを改造して、そのプロレスを見に来た政府要人を毒ガスで暗殺する、という謎の作戦を実行するんですよね。どう考えても、クライマックスにリングで仮面ライダーとピラザウルスが戦うシーンを撮るというアイデアが先にあって、そこに合わせてストーリーを強引にでっち上げている。
    切通 集まった観客の前でリング上の戦いを繰り広げるシーンはめちゃくちゃ興奮した! 先にライダーが倒れるところとかもドキドキしましたし。 
    宇野 最高に燃えるシュチュエーションを作るために、あそこまで強引なストーリーをでっち上げるイマジネーションって素晴らしいと思うんですよね。物語をアクションに正しく奉仕させている(笑)。
    切通 でも、あの話は2号ライダー編にしてはドラマがある方でしたよ。怪人にされたレスラーに弟がいて、最後に兄が元に戻って、弟が「お兄ちゃん怪人だったの!?」って言うと、一文字隼人が「怪人は死に、お兄さんは蘇ったんだ」って答える。一文字自身も改造人間なのに、その弟の前ではあえてそこを切り捨てて言い切っていますよね。そんな一文字に強さ、優しさを感じてジーンとなりました。
    宇野 一文字って終始明るいんですよね。本郷猛って、特に初期は孤独で暗いんだけどその分人間的な深みがあるキャラクターとして描かれていた。あれはあれで格好いいんだけれど、一文字隼人は、仲間や子どもの前でも、背負っているものを全部飲み込んで常に笑顔じゃないですか。あれがいいんですよね。
    切通 一文字のキャラクターには、あの頃の東映のテイストが入っていますよね。当時東映で、宮内洋さんも出てた『キイハンター』(1968〜73年)というアクションもののドラマがあって、ナレーションで「恋も夢も望みも捨てて」って言ってるのに、みんないつも遊んでるように冗談を言い合ってる。本当は、任務で個人の生活を犠牲にしてる部分もあるんだけど、表面は常に明るいっていう。一文字隼人もそんな感じですね。
    宇野 子ども心に疑問だったのが、第39話のクリスマスのエピソードでライダーが狼男を倒したあと、子どもたちへのクリスマスプレゼントとして自分で仮面ライダーグッズを配ってるんですよ。あれがちょっとおかしくて(笑)。今考えるとメタフィクションっぽいですよね。
    切通 当時からべつに感動したとかはないんだけど、でも妙に印象に残る場面ですね。ちゃんと憶えているし。
    宇野 あれって一文字だから配れるんですよね。本郷猛はキャラ的に配れないんですよ、たとえ新1号編の、少し明るくなった本郷でもちょっと無理がある。
    切通 なるほどね。しかもその翌週(第40話)に1号が帰って来る。
    宇野 当時は、いわゆるダブルライダー編ってすごく盛り上がったんじゃないですか?
    切通 やっぱりもうめちゃめちゃ期待して見ましたよ。お正月の放映だったし、お年玉もらったみたいな気持ちになるイベントでしたね。鹿児島ロケで、桜島が舞台でね。
    宇野 ダブルヒーローというもの自体がそれまであまりなかったんですよね。それだけで十分引きがあるのに、あのたった数話の中で、片方のピンチにもう片方が駆けつけたり、片方が一時洗脳されて敵に回ったりと、後の作品で踏襲されていくダブルヒーローものの脚本術がかなり開発されている。それが今観てもすごいなって思うんですよね。あとは、ライダーダブルキックですよね。あれはもう言葉の響きだけで感動します。僕、小学生の頃にレンタルビデオで観るまでは本でしか知らないんですよ。なのにもう、大好きでしたもん。
    切通 そうですよね。やっぱり、ドラマの『仮面ティーチャー』(2013年)や、『スケバン刑事2』(1987年)とかでダブルキックが出てくると妙に燃えるんですが、その原点はあそこでしょうね。ただ、あの回は見ていて「1号ってあんなに黒かったっけ? 最近は2号の方を見慣れてるからギャップ感じるのかな」って思ったんです。でもいま考えると、あれはあの時だけのマスクだったんですね。
    宇野 「桜島1号」と呼ばれるスーツですよね。フィギュアが発売されるときも必ず旧1号とは別のスタイルとして別個に商品化されていますからね。僕は旧1号のほうが好きな造形とカラーリングですけれど、旧2号と並べるのならやっぱり桜島1号じゃないとしっくり来ないものがあります。
     
     
    ■『V3』プロローグとしてのショッカーライダー編――「新1号編」
     

    ▲仮面ライダー VOL.16
     
    宇野 で、その後、本郷猛が本格的に復帰して新1号編(53〜98話)になるわけですね。
    切通 じつは、僕が一番好きなのは新1号編の後半(80〜98話)から、続く『仮面ライダーV3」前半の「26の秘密」編ですね。
    宇野 初代『仮面ライダー』は物語があってなきに等しいのですけれど、一番物語性があったのは初代から『V3』へ移りかわるこの時期ですよね。
    切通 ショッカーライダー編とかだよね。ショッカーに親兄弟を殺された人達が作ったアンチショッカー同盟っていう組織が出てくるんですが、それが、連合赤軍じゃないけど、立花藤兵衛やライダーとも立場が違って、組織としての規律を守るためには個人を犠牲にしようしたりする。三者三様の錯綜した対決の中で、しかも偽仮面ライダーが投入されて「8人の仮面ライダー」っていうタイトルも、敵味方入り乱れて8人っていう……あの辺りの感覚にもどこか興奮しましたね。
    宇野 ショッカーライダーが6人と、それに加えて1号と2号の8人ですね。ちなみに、ショッカーライダーって石ノ森さんの原作版の方が早く登場していますよね。しかも、本郷猛を殺してしまう役どころだった。
    切通 原作のテイストが少し入ってきた、っていう興奮もあったかもしれない。
    宇野 原作漫画だとショッカーが仮面ライダーを量産して、本郷猛が十二人の仮面ライダーに囲まれてフルボッコにされて死んじゃうじゃないですか。そのショッカーライダーの一人が一文字隼人で、戦闘中に脳に衝撃を受けて正気に戻り二代目の仮面ライダーになる。やっぱり仮面ライダーはウルトラマンと違って絶対の存在じゃないんですよね。あくまでショッカーが作った改造人間が一人脱走しただけの存在だから、量産も可能だし、条件さえ満たせば「誰でも仮面ライダーになれる」。この決してオンリーワン「ではない」ヒーローという設定は仮面ライダーならではのものだと思います。これは旧1号編の後半で藤岡弘さんが降板した結果生まれた「誰がライダーになっても構わない」というメタルールが、その後も適用されていると言えますよね。
    切通 だから「8人の仮面ライダー」というタイトルにぞわっとくるのかもしれない。同じライダーなのに敵味方入り乱れて8人いるあたりに、子どもながらにヒーロー性のゆらぎを感じていたのかもしれないですね。
     
     
    ■『仮面ライダー』第9クールとしての『V3』――『仮面ライダーV3』
     

    ▲仮面ライダーV3 
    宇野 当時の感覚だと『仮面ライダーV3』(1973年)は、新番組が始まったというより、『仮面ライダー』の第9クール目のように見えたということでいいんですか?
    切通 そう、だから『V3』の第2話「ダブルライダーの遺言状」が仮面ライダーの第100話なんです。『V3』の序盤には本郷猛と一文字隼人が当たり前のようにいて、V3こと風見志郎は彼らに改造されるわけですよね。で、本郷と一文字が大空に散るのが第2話。『仮面ライダー』の最終回はショッカーを追いつめるという意味での最終回で、『V3』の2話で1号と2号が最後を迎えるという意味での締めくくりになっている。つまり最終回と第1話がシンクロしてるわけですから、盛り上がらない方がおかしい(笑)。
    宇野 『V3』の初期のドラマは独特の緊張感がありますよね。V3はスペック的にはすごく強いんだけれど、風見志郎が経験不足のせいで初期は何かと苦戦するじゃないですか。色々教えてくれるはずの先輩1号と2号は生死不明になってしまうし。
     
  • 3Dプリンタは最後の一ピースでしかない――株式会社nomad代表・小笠原治の語る「モノのインターネット」の現在 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.038 ☆

    2014-03-26 07:00  

    3Dプリンタは最後の一ピースでしかない
    株式会社nomad代表・小笠原治の語る「モノのインターネット」の現在
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.3.26 vol.38
    http://wakusei2nd.com


    今朝の「ほぼ惑」に登場するのは、「さくらインターネット」の起ち上げメンバーで、現在は株式会社nomad代表取締役を務める小笠原治氏。ネット業界15年になるベテランの彼がいま興味があるのは
    「モノづくり」「場づくり」であるという。ネットを前提とした"新しいリアル"について宇野常寛と小笠原氏が語り合った。

    インタビュー終了後、株式会社nomadの入口奥にあるスタジオに案内されると、何台もの巨大な3Dプリンタが稼働する光景に出くわした。
     

     
    そして、テーブルの上にずらりと並ぶのは、作りかけの立体造形物の数々。だが、よく見ると何やら美少女フィギュアがやけに目につくような……。
    「日本では、やはりフィギュアなども多いですね。もちろん、一番多いのは僕らも何に使われるかわからない部品ですが。海外だと文房具なんかもよく作られているように感じます」
     

     
    そんな風に日本の3Dプリンタ事情を話しながら案内してくれたのは、株式会社nomad代表の小笠原治氏である。このスタジオは、氏の会社が運営する3DプリンティングセンターでIsaacStudioと呼ばれている。顧客にはDMM 3Dプリントなど国内大手が名を連ねる。
    株式会社nomad(公式HP)
    http://www.nomad.to/
    小笠原氏のインターネット業界での経歴は、国内最大手のホスティングサーバの老舗「さくらインターネット」の起ち上げなどを経て、既に15年に及ぶ。そんな彼が近年興味を持っているのが、なんとリアルでの「モノづくり」や「場づくり」。3Dプリンタだけでなく、飲食店やコワーキングスペースの経営にも乗り出しているという。
    今回、取材の中で見えてきたのは、それが決してインターネットからの「撤退」ではなく、むしろ彼なりのインターネット観にもとづくものであったことだ。メディア論に傾きがちな近年のインターネット論では見落とされがちな、「モノづくりのためのインターネット」の未来を、宇野と小笠原氏が話し合った。
    ▼プロフィール
    小笠原治(おがさはら・おさむ)
    1971年京都府京都市生まれ。株式会社nomad 代表取締役、株式会社ABBALab 代表取締役。awabar、breaq、NEWSBASE、fabbit等のオーナー、経済産業省新ものづくり研究会の委員等も。さくらインターネット株式会社の共同ファウンダーを経て、モバイルコンテンツ及び決済事業を行なう株式会社ネプロアイティにて代表取締役。2006年よりWiFiのアクセスポイントの設置・運営を行う株式会社クラスト代表。2011年に同社代表を退き、株式会社nomadを設立。シード投資やシェアスペースの運営などのスタートアップ支援事業を軸に活動。2013年より投資プログラムを法人化、株式会社ABBALabとしてプロトタイピングへの投資を開始。
     
    ◎構成・稲葉ほたて
     
     
    ■現在のインターネットが面白くない理由小笠原 あまり取材慣れしていないので、恐縮しています。そもそも宇野さんは僕のどこに興味持ったのですか?
    宇野 『ITビジネスの原理』の尾原和啓さんが主催しているディスカッションイベントで、小笠原さんと同じテーブルになったことがあったじゃないですか。そこで小笠原さんが「今のインターネットはつまらない」と言って、「これからは場づくりやモノづくりなんだ」と強調していたのが印象的だったんです。今日はまさに、その辺をじっくりと聞いていきたいんです。
    小笠原 なるほど。まず、あの言葉の大前提には「僕、インターネット大好き」があるんです。今のインターネットが残念なのは「だからこそ」なんですね。
    例えば「さくらインターネット」(※)は、僕と今の社長と前の社長が発起人だったのですが、もう3人とも全然違うレイヤーで生きてきた連中だったんです。僕なんて、小学生の頃こそマイコン少年だったけど、その後は田舎のヤンキーになってしまい、結局高校も行く気がなかったような人間ですよ。でも、そんな僕みたいな人間でも、インターネットは選択肢を広げてくれたし、多様性を認めてくれたんですね。
    僕は「インターネット」という言葉は、"インター"の部分が大事だと思うんです。プロトコルさえ合っていれば、あらゆるネットワーク同士が繋がっていくわけですよ。当時の僕は、言葉のような壁を超えて、色んな人が繋がり合えるような世界を夢見ていました。その延長線上で、きっと地理上の特性も薄れていって、人間がそれぞれの好みで共感しあうような日が来るんじゃないかと思ったりしてね。そんなインターネットが新鮮で、すごく楽しくて、僕は15年くらいそこに没頭していたんです。
    でも、いまふと周囲を見ると、そんなことにはなっていない。こんなことを言うと怒られるかもしれないけど、単に広告を販売するためのメディアに、お節介なソーシャル、そしてスマホゲームのインフラ……目立つのはそれくらいで、他はあまり目につきにくいんです。
    ※ さくらインターネット……ホスティングサーバを中心とする、データセンター事業およびインターネットサービス事業を行う企業。国内最大手の老舗で、GREEやはてな、mixi、最近ではSmartNewsなどの有名サービスが起ち上げ期から利用してきた。
     
     
    ■テレビ文化の延長線上でしかない「ネット文化」
     
    宇野 いまのお話は、要するに「最初のソーシャルメディア革命、ここ15年のインターネットで社会を変える運動は失敗した」ということですね。僕もそう思います。
    小笠原 もちろん、商業的に上手くいったのは事実なので、それ自体は良いことだと思っています。でも、その結果として、なんだか暇な時間の消費に使わされている気がしていて……。まあ、"お節介なソーシャル"なんて言いながら、僕もよくソーシャル上に張りついているし、周囲の方々が作っているソーシャルゲームをプレイして、それに課金だってしているわけです。でも、その時間って、本当はなにか物事を考えるのに使えたはずなんですよね。
    広告を載せたメディアにしても、かつて広告代理店の人がテレビCMを流すようなことを「コミュニケーション」と呼んでいたのを思い出すんです。でも、あれはある意図で一方的に情報を大量に流しているだけで、「何を言うか」より「誰が言うか」が大事な世界でした。でも結局、いま起きていることはそれがライトになって、多くの人に可能になっただけ。何も変わっていない気がするんです。
    宇野 いま小笠原さんが挙げたものは、ぜんぶテレビが生んだものだと僕は思うんですよ。現在のTwitter世間での陰湿ないじめ空間は80年代~90年代の"お節介なワイドショー"そのものだし、ソシャゲによる情報弱者からの時間収奪も現在のテレビバラエティや情報番組と同じ構造でしかない。広告についてはいわずもがな、テレビのCMが代表する代理店ビジネスが別のかたちで生き延びている。つまりは、バラエティ、ワイドショー、CMに該当するものがネットに置き換わっただけなんですよ。
    結局、日本のインターネットは、"第二のテレビ"のようになってしまったんです。テレビと広告代理店がバブル前後に作った日本的世間に反旗を翻そうとしてきたのに、気が付けば「センスが20歳若いテレビ」にしかなっていないんですね。
    小笠原 結局、誰かがピックアップしてきたものの増幅器にしかなっていないんですよね。だから、さっき挙げたような商売に乗れる3つしか話題にならない。その結果、確かに宇野さんの言うように、僕たちの周囲には「メディア論」みたいなものがやけに多くなっていますね。
    宇野 でも結局、メディアとしての側面って、インターネットのごく一部でしかないですよ。例えば、インターネットは、これまでとは違ったかたちでコミュニティを形成できるテクノロジーでもあるわけです。インターネットには地縁や血縁に基づかない、家族とも会社とも違う「100%自己責任で選んだ人間たちでコミュニティ」を作ることができる可能性がある。でも、そういう方向にはなかなか行かないでしょう。みんなインターネットをテレビや新聞の代わりに使うことばかりに夢中で、ネットでコミュニティを変えようとしない。
    小笠原 全くもって同意ですね。そう思ったときに、僕は当初の考えに戻ってみたんです。僕が大好きだったインターネットは、そもそもネットワークでコミュニティ同士を繋ぐものだった。じゃあ、まだ皆が目をつけていない場所にそれを作ればいいじゃん、と。
    そういう考えで、最近はIoTに取り組んでいます(※)。今年の頭に冒頭のイベントで話したときですら、尾原さんに「それを今年のキーワードに選んだの、あなただけだよ」と言われたのですが(笑)、結構周囲と喋っていると感触がいいんですよ。それで、まさに本格的に動いてみようと思っているところです。
    ※ IoT……「Internet of Things」の略称。日本語では「モノのインターネット」とも言われる。パソコンやサーバー、プリンタなどのIT関連機器だけでなく、自動車や家電などをインターネットに接続していく技術の総称。
     
     
    ■「回転率の逆を行け、滞在時間を増やせ」
     
    宇野 いや、本当にそんなこと考えているのは小笠原さんだけだと思いますよ(笑)。要するに小笠原さんはいま、インターネットの時代”だからこそ”の「モノづくり」と「場づくり」を考えている。その背景を今日は話してもらおうと思って来たんです。
    小笠原 ……うーん。今のタブレットやスマホでは、なかなか与えきれない要素についての話なんです。まあ、味覚や触覚のような五感も使いますし……。
    宇野 いや、何を言いたいかというと、ここで言葉をしっかり選ばないと「アナログ説教厨」みたいに思われてしまうということです(笑)。でも、小笠原さんは決して単に「デジタル技術に溺れるとアナログな人間の温かみが……」なんてことを考えている訳じゃない。むしろ冒頭におっしゃったようにインターネットが好きで、インターネットの時代「だからこそ」の「もの」と「場所」をつくろうとしている。
    小笠原 なるほど(笑)。わかります。ちょっと話が飛びますが、一つ例を出します。
    3年ほど前、六本木にawabarという立ち飲み屋を作ったんです。今でこそ本当に色んなお客さんが来てくれて、お陰様で毎日楽しくやっていられるのですが、最初の頃は誰も来ませんでした。周囲からは「急に飲食店なんか始めて、何やってるの?」と言われましたね(笑)。

    awabar(http://awabar.jp/)の外観写真。でも、awabarでは最初からずっと、店に来た数少ないお客さんのログを取り続けていたんです。飲食店の経営ってちっともデータ化されてないから、すぐ「回転率がどうこう」みたいな話になってしまうでしょう。でも、それは本当か、と思って。
    僕が考えていたのは、ウェブ風に言うなら、お客さんの「滞在時間」を上げることなんです。回転率を高めることをまず考えるという飲食店経営の常識とは違うかもしれない。でも、最初は机上の空論だったものを試行錯誤しながら形にしていったら上手く行くことなんて、ウェブでもよくある話でしょう。
    だから、スタッフにも「回転率の逆を行け、滞在時間を伸ばせるかチャレンジしてみろ」と言いました。おすすめする飲み物の値段も最初はあえて高めに置いて、そこから徐々に落としたりしながら、平均滞在時間のデータを取っていきました。事前に立てた仮説は、30分の滞在単価が900円、1人の来店単価は1800円だったのですが、滞在単価はピッタリ当たったけれども、来店単価が1400円くらいで伸び悩んでしまったんですね。
    そこで僕は次に、お客さんとしゃべるスタッフ数を増員したんですよ。人は長く居ると、飲み物ぐらいは頼んでくれますからね。しかも、僕らはお得意さんのことも少しは知っていますから、それを元にスタッフが人を紹介したりして、コミュニケーションを盛り上げるんですね。飲食店員と言うより「コミュニケーションマネージャー」みたいなイメージです。
    その結果、滞在単価は700円になったけど、来店単価は2200円になりました。みんな1時間半以上いてくれるようになって、全体の売上も伸びました。まあ、この滞在時間を伸ばして客単価を上げる手法は、実はウェブサービスのテクニックそのものなんですけどね(笑)。
    宇野 面白いですね。情報技術がこういうかたちで発展するまで、僕たちは人間の心理やコミュニケーションをこれほどコントロールできるとは考えていなかったはずなんですよ。でも、この10年、インターネットを中心にそのノウハウが積み上がって、社会全体にそれが共有され始めている。僕の考えではインターネットの普及はメディアの在り方をマスからソーシャルに変えたこと以上に、人間のコミュニケーションや、コミュニティの「空気」を可視化してコントローラブルにしたことで社会を変えたと思うんです。今のお話も、まさに後者の変化がもたらしたものですよね。
    小笠原 ウェブの考え方は、もっと色々な場所で使えるんじゃないかと思っていますね。僕としては、ウェブで行われてきた壮大な実験を、まずはリアルの極小の場所で試してみたかったんです。だから、わざわざ10坪の小さい店を選んだわけで。
    ちなみに、集客の仕方も色々とウェブサービスをヒントにしているんですよ。
    例えば、イベントの際にどうやったら人を誘いやすいかと考えたときに、「やはり、無責任に誘えるのがいいだろう」と思いついたんです。そこで、幹事の人がお金を集めなくてもいいキャッシュオンにしたんです。そうすれば、どれだけ人が来ようが、幹事は気楽なものでしょう。そのときに思い描いていたのが、「mixiの中でコミュニティを作るくらいの気軽さ」です。まあ、最近はFacebookイベントみたいになっていますが(笑)。
    あと、10坪しかない店なので、50人も来たら溢れちゃうんです。でも、ウチの店は外から店内が見えるようにしているので、周囲の人が「何だ何だ」とやってくる。これ、Twitterの「バルス祭り」みたいなものですよ(笑)。「あそこ、いつも混んでて入れねえ」「すげえ」みたいな。そんなときに、皆から「会ってみたい」と思われているような人がちょうど店に来ていて、TwitterでつぶやいたりFacebookでチェックインしてくれたりして、それで評判になっていきました。
     
     
    ■3Dプリンタはものづくりの最後の一ピースでしかない
     
    宇野 この視点はやはり「メディアとしてのインターネット」に拘泥している思考からは出てこない。僕は78年生まれで、ブロードバンドの普及期に大学生だった。その世代から見ると、当時のインターネットって、今思うとやけに「文化」としての側面が強いんですよね。インターネットで変わるのはニュースメディアだったり、ゲームだったり、マニアックな趣味のお店の通信販売が手軽になったり基本的に文化の領域だという印象があった。しかし、ここ10年で完全に変化は「生活」の領域に降りてきたと思うんです。
    僕はよく言うのですが、社会が変わるときには、まずは想像力のレベルで――つまり「文化」のレベルで変革が起きる。次に、それが実現していくことで、「生活」が変化していく。そして、最後に「生活」の必要性から、「政治」が変化していくんです。
    そういう意味では、現在のインターネットは「文化」の次にある第二段階としての「生活」の領域に入り始めている。実際、ネットなしでは僕はショッピングもできないし、銀行決済もほとんどネットバンキングにしているので、金融活動そのものが成り立ちません。何より、ここに辿り着くのだって、「Google マップ」がないと難しい。こういう「生活」の話というのは、おそらくリアルでの「モノづくり」と大きく繋がるような話だと思うんです。
    小笠原 まさに、そうですね。例えば、3Dプリンタがものすごく騒がれていて、僕自身も手がけていますが……でも、あれって「モノづくり」に必要な環境でいうと、最後の一ピースの話でしかないんですよ(笑)。

    ▲特に大きかった3Dプリンタ。購入価格を聞いてみると、目玉が飛び出しそうな額でした……。3Dプリンタが活きるのは、アリババ(※)を筆頭に部品やモジュールを探せばすぐに手に入って、さらには複数の販売者と交渉までできてしまうなどのような、この5年くらいに生まれた環境があってこそなんです。
    例えば、アリババで同じモジュールを売っている業者を見つけたら、その5社くらいとチャットでつないで、同時に見積依頼をしたりするわけです。ほとんど、「一人オークション」ですよ(笑)。しかも例えば、10万個くらい頼んでやっと1個100円くらいになる部品でも、いざ探してみたら1000個の発注でも150円くらいで出荷してくれる連中が見つかるんです。そうなると、少量生産が可能になるわけですね。3Dプリンタが騒がれる土台には、こういう環境の整備があるんです。
    宇野 まさに第一段階が終わったからこそ、第二段階があるわけですね。

    ▲株式会社nomadのオフィス1Fには、3Dプリンタで作成された沢山の模型やフィギュアが展示されている。
    ▲3Dプリンタで作られたスマホケースも(汗)。宇野がTwitterに流したら大ウケでした……。 
  • 大島優子が高みに登るとき――女優としての自由/アイドルとしての自由 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.037 ☆

    2014-03-25 07:00  

    大島優子が高みに登るとき
    女優としての自由/アイドルとしての自由
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.3.25 vol.037
    http://wakusei2nd.com


    今朝のほぼ惑はお蔵出し2本立て。1本目は、昨日に引き続いてのAKBネタ。卒業を控えての3月23日の感謝祭が話題を呼んだ大島優子に対しての宇野からのエールです。
    【お蔵出し】「優子、自由になれ!」
    (初出:「FLASH」2014年3月17日発売号)

     
     大島優子の存在がはじめて気になったのはドラマ「マジすか学園」だった。四天王を従え、学園のトップに君臨する不良少女を演じる大島には圧倒的なカリスマ性があった。当時の僕はAKB48についての知識はほぼゼロに等しく、同作が当時のAKB48内におけるメンバーのプレゼンスや人間関係をネタにした二次創作的ドラマであることもよく分かっていなかった。しかし何の文脈も共有していない僕のような視聴者にも、この大島優子という存在が役柄を超えて、何かの高みに達している存在であることはすぐに分かった。僕は今でも、女優・大島のベストシーンは同作のオープニングで髪をかきあげるシーンだと確信している。配下を従えて見栄を切る大島の圧倒的なオーラに、何度見てもゾクゾクとさせられる。
     その後、映画やテレビドラマで大島優子を目にすることが多くなったが、僕がこれらの作品群における大島から「マジすか」第一作のようなインパクトを受けることはなかった。そこにいたのは何でもソツなくこなす優等生としての大島であり、圧倒的な高みに到達した人間だけが持つオーラをまとったあの優子先輩ではなかった。もちろん女優とはそういう仕事で、自分を殺してでも作品に奉仕しなければならないケースも多いだろう。その意味で大島優子が優秀な女優であることは既に証明されていたと言ってもいいのだが、それは僕の見たい大島ではなかった。
     そしてその間、僕の見たい大島は常にステージの上にいた。たとえば昨年の総選挙の日がそうだった。気がつけば僕はAKB48にどっぷり浸かり、その日にはなんとフジテレビの中継席で解説をつとめていた。僕は生放送の準備で慌ただしくしていて、開票前に行われたコンサートをじっくり見ることはできなかった。しかしそれでも、大島がひとりステージのいちばん高い場所に現れて「泣きながら微笑んで」を歌いはじめた瞬間、会場の空気が一変し人々の意識がほとんどの席からは豆粒のようにしか見えない大島の小さな身体に集中していったのが分かった。とんでもない女だな、と舌を巻きながらも僕はずっと彼女に見とれていた。ステージの上の大島は、いつだってどこだって最高の存在でい続けた。その強すぎる力が逆に心配になるくらい、彼女はいつも最高だった。
     総選挙のその日、まさかの指原莉乃の1位獲得に会場は揺れた。指原の1位が確定すると、ぞろぞろと帰り始める「アンチ」たちの姿が目立ち始めた。そのとき、大島はとっさにマイクをとって口を挟んだ。「今回の総選挙は笑える」「楽しい選挙で良かった」と。僕はこの大島の発言は、指原の1位獲得のドラマに水をさすものではないかと感じ、大島はどうしてしまったのだろう、と思ったものだった。しかし、今考えれば大島は会場の暗転する雰囲気を一気に粉砕すべく、笑いを取ろうととっさに口を挟んだのだ。20代半ばの考えることにしては、できすぎている。本当に「いい奴」で、そしてよく出来たお嬢さんだと思うが、できすぎるが故にたくさんのものを背負いすぎてしまっているようにも僕には思えた。その積載過剰な姿は、そして過剰さに耐えられてしまうすごさと危うさは、映画やドラマで真摯に「役柄に奉仕してしまう」女優としての大島の姿を僕に想起させた。
     
  • 【特別対談】高橋栄樹×宇野常寛 大林宣彦「So long ! The Movie」を語り尽くす ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.036 ☆

    2014-03-24 07:16  

    【特別対談】高橋栄樹×宇野常寛 
    大林宣彦「So long ! The Movie」を語り尽くす 
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.3.21
    http://wakusei2nd.com


    AKBファンのみならず映画好きの間でも物議をかもした大林宣彦監督の問題作「So long!」。今朝はAKB48のドキュメンタリー映画やMVを多数手がけてきた高橋栄樹監督を迎えて宇野常寛とその魅力を熱く語り合います。
    AKB48ほか数々のミュージック・ビデオをはじめ、2本のAKBドキュメンタリーのメガホンを取った高橋栄樹監督が昨年10月、こんなツイートをして話題になった。“僕が思うAKB48最高のMVは、大林宣彦監督の「So long !」(全長版)”――。「So long !」は2013年2月20日に発売されたAKB48のシングルだが、大林宣彦の監督したMVの全長版は、AKBファンだけでなく、映画ファンや大林ファンの間でも物議を醸した超のつく問題作である。この「So long !」問題をぜひ語りたいと、高橋監督に熱いラブコールを送り続けたのが評論家の宇野常寛。そして、ついに対談が実現した。
     
    ▼プロフィール
    高橋栄樹(たかはし・えいき)
    ミュージック・ビデオ監督、映画監督。凸版印刷映像企画部所属。AKB48の楽曲では「軽蔑していた愛情」「桜の花びらたち2008」「大声ダイヤモンド」「10年桜」「涙サプライズ!」「言い訳Maybe」「ポニーテールとシュシュ」「上からマリコ」「ギンガムチェック 高橋栄樹監督ver.」「永遠プレッシャー」などを演出。AKBドキュメンタリー映画の2本目と3本目、『DOCUMENTARY of AKB48 Show must go on 少女たちは傷つきながら、夢を見る』と『DOCUMENTARY of AKB48 No flower without rain 少女たちは涙の後に何を見る?』も監督した。他にMVを手がけたアーティストはTHE YELLOW MONKEY、ゆず、Mr.Children、CHAGE&ASKA、明和電機など。
     
    ◎構成:稲田豊史
     
     
    【MV】So long !  / AKB48[公式]
    ※この動画はショートバージョンです。大林宣彦監督のフルバージョンを視聴するには、こちらのDVD付きシングル「So long!」をご購入ください。
     
    ■50ページの台本を3日で撮影した「So long !」
     
    宇野 高橋監督とはほんとうにお会いしたかったんです。「大声ダイヤモンド」も「10年桜」も「上からマリコ」も「ギンガムチェック 高橋栄樹監督Ver.」も大好きで……でも、今回こうして取材をお願いしたのにはきっかけがあるんです。それが先日、高橋さんがTwitterに書かれていた“僕が思うAKB48最高のMVは、大林宣彦監督の「So long !」(全長版)”という発言ですね。あれを見た瞬間に、もうこれは1度この「So long !」問題についてじっくり語り合う以外にないんじゃないかと思って、勇気を出してお願いしてみました。
    高橋 あれは、あのときわりと思いつきで書いただけなので、あんな反響があると思ってなかったです(笑)。
    宇野 「So long !」ってなんというか、ほんとうにヤバい映像だと思うんですよ。そもそも尺が64分もあるし(笑)、ほとんどのAKB48ファンは気づいていないと思いますけれど、その時点での大林監督の最新作の映画『この空の花 長岡花火物語』(12)の続編になっている。何の説明もなく、単館公開の超カルトムービーの続編が、何十万という単位でバラ撒かれている。この時点でとんでもないことになっている。そして、映像を見るとさらに凄まじいことになっているという……。
    高橋 僕はどうしても「So long !」を客観的に観られないところがあって……。ひとつには、僕はあの現場に参加していたからです。と、いうのは、ちょうどあのときAKB48のドキュメンタリー映画の3作目『DOCUMENTARY of AKB48 No flower without rain 少女たちは涙の後に何を見る?』を撮っておりまして。その撮影の途中で、今度のシングルは大林監督がミュージック・ビデオを撮るらしいというお話が聞こえてきたんです。それでこれは是非、現場を見学させて頂きたい!みたくなってしまって、ドキュメンタリーにかこつけて馳せ参じるしかないだろう、と(笑)。
     ただ、いくらこちらの思いが強くても、そうそう気軽に現場にはお邪魔出来ないだろうと思っていたところ、幸いにも大林映画のデジタル化という波に乗る事が出来まして(笑)。大林監督はご存知のとおり、『この空の花』から完全にデジタル撮影に切り替えられて、撮り方がフィルム時代からすごく変わったんです。全部で7台くらいのビデオカメラで芝居を同時に撮るという方法になっていたと思います。だからあのとき大林監督はからは、機材はなんでもいいから、とにかくたくさんのカメラを揃えて、徹底的に撮って欲しいという指示を頂きました。しかも芝居を撮るだけではなくて、スタッフの写り込むメイキング的な場面も撮って欲しい、と。これだったら僕らドキュメンタリー班もお役に立てることはあるのかな、と思ってたら、撮影直前になってAKB48の映像プロデューサーである北川謙二さんから、「人手が足りないので、セカンド・ユニット的なかたちでカメラを回して欲しい」とご連絡頂いたんです。という事情で、MVをあまり客観的には観られないのが正直なところです。
    宇野 具体的にはどのシーンを撮影されたんですか?
    高橋 冒頭の雨が降っている田んぼで、珠理奈とまゆゆが会話しているところが一番多いと思います。大林組の名キャメラマンである三本木久城さんと、セカンドの僕と、ドキュメンタリーのステディカムの、ほぼ3台で撮ってます。あと、ぱるるが出てくる、鯉の養殖の……
    宇野 鯉屋の娘なのに、名前があゆ(笑)。
    高橋 はい、そこです。
    宇野 しかしお話を伺うと、なんというか、なし崩し的にすさまじい現場に参加することになったんですね……。
    高橋 しかも、いつまでたっても台本が来ない。撮影の3日前になって、オールスタッフという全体の会議が催され、そこで初めて台本を頂きました。そのとき初めて、原稿用紙に書かれた台本が50ページ以上もあるのが分かったんですよ(笑)。通常、1枚1分という計算なので、50何ページだとすると……。
    宇野 恐ろしい。想像しただけで脂汗が出てくる。
    高橋 そうしたら大林監督、「これを1週間で撮るのなら50ページはよくある話だけど、3日で撮るというのは、どういうことだと思いますか、みなさん?」と。当然、誰も答えられない。すると監督が「これはね、傑作ができるんです」と仰った(笑)。端的に「すげえな」って思いました。すでに大林マジックが発動している…。
    宇野 伝説だ……。
    高橋 まさにレジェンド。で、その50何ページかの台本を、ひとつずつ説明していかれるんですよ。「シーン○○。夢、私服。未来、私服。撮影場所、山古志。途中のここからグリーンバックで夢、制服に変わり、未来も制服に変わります」みたいな。“夢”“未来”が役名であることも、その場で初めて説明されました。まあ、ワンシーンの中にロケとグリーンバックが混在してるのもすごいんですけど、役名、衣装、ロケ場所、これが延々50ページにわたって説明されると、それだけで長岡(新潟のロケ場所)の夢と未来と、現実と幻想みたいな不思議な説話を聞かされているような、独特な催眠効果がありました。
    宇野 (笑)。仕上がった作品を観て、どう思われました?
    高橋 やはり圧倒的な映像のマジックを感じましたね。現場はある意味、複数のカメラが闇雲に芝居を撮影してる節もなかった訳ではありませんが、それが編集によってここまで構築されるのかと。合成ショットにしても、桜の布みたいなものを被って皆でわーっとみんなで走るところなんて、僕らが観客としてスクリーンで観てきたいわゆる大林調な画面な訳ですけど、それがどのように作られるのかも間近で知ることが出来たし。貴重な体験でした。MV作品としては相当、変わっているとは思います(笑)。変わってはいるけど、ここまでやるともはや感動するしかないという圧倒のされ方。素直に感動しました。
     
     
    ■「So long !」はアニメである
     
    宇野 ところで高橋監督が「So long !」を“AKB48最高のMV”と評価する理由ってなんなんでしょう?
    高橋 震災と原発について、アイドルを通じてここまで言及した作品って他にないと思うんですよ。インディーズ映画ならまだしも、超メジャーのグループでここまでやる先進性に驚きました。僕もAKBドキュメンタリーの2作目、『DOCUMENTARY of AKB48 Show must go on 少女たちは傷つきながら、夢を見る』(12)のときに震災と被災地支援をテーマとしたのですが、原発の問題まではまだ未知の部分が多かったです。
    宇野 『傷つきながら、夢を見る』ではAKB48というグループを震災と原発と重ね合わせていましたね。どちらも、人間が自分の手で産み出したものでありながら、もう誰にも止められないものになっているということをAKB48の被災地慰問のシーンと、内部トラブルのシーンを交互に配置するだけで成し遂げてしまった。カメラに「映ってしまった」ものの力を編集で最大限に引き出した傑作だと思います。
    高橋 ありがとうございます。
    宇野 対照的に、大林監督は『この空の花』で、「戦争」と「震災・原発」を統合しようとしていましたけど、それって無理なんですよ。震災があると日本がバラバラになってしまう、瓦礫もみんな受け入れたがらないし、西日本の人は原発のことを忘れたくて仕方がない。東北の中でさえも、たぶん分裂がある。そうした状況下でもう1度、人々の心をひとつにしなければならない。そのために戦争の記憶を召喚しよう。それが『この空の花』ですよね。
    高橋 宇野さん、「ダ・ヴィンチ」にも書かれていましたよね。「戦争」と「震災・原発」は違うと。
    宇野 戦後と現代とでは、そもそも名前も知らない人間同士が同じ社会を形成する「つながり」のしくみみたいなものが根本的に違うと思うんです。だから昔のように、大きな傷跡の物語をみんなで共有して心をひとつにしよう、という考えにはどうしても無理が生じてしまう。震災後の「絆」という言葉の空回りが象徴的ですけれど、今の世の中で大きな傷を共有しようとすると、むしろひとつの大きな物語に乗っかれない人々がたくさん出て来て、どんどん社会はバラバラになってしまう。大林監督はそれが分かっているので、なんとか物語の力で無理矢理にでもばらばらなものをひとつにつなごうとしていく。
     そして監督のこうした意図は物語面以上に、形式面や技術面に表れていると思うんです。この映画はなぜか『この空の花』の続編でもあり、長岡の観光ビデオでもあり、そして当然AKB48のMVでもある。つまりまったく異質な性格を持ついくつかの映像が無理矢理ひとつに統合されている。しかも技術的にも3台カメラ体制で撮ったバラバラの素材を、まるでアニメのようにつなぎ合わせて、無理矢理ひとつにまとめているわけですからね。
    高橋 しかもご自分でナレーションまでされている。
    宇野 『ふたり』(91)で、なぜかエンディングテーマを久石譲とふたりで歌ってる、あれを思い出しましたよね。あのときも愕然としましたが(笑)。演出的にもかなり序盤からメタフィクションの要素が強い。冒頭からまゆゆがナレーションを読む姿が挿入されているし、画面上でもずっと生者と死者の世界が混在している。あのミッキー・カーチスの演じるおじいさんはどう考えても幽霊でしょう? ただ、監督がこうしたアクロバティックな手法を駆使すればするほど、むしろもう物語の力ではばらばらのものはひとつにまとまらないな、と逆に思ってしまって……
    高橋 意図的に混乱や破綻を招いてるとしか思えないですね。現場もそうでしたから。秋元康さんも、わりと意図的にお祭りのような混乱状況を設定して、その中でモチベーションや精度を高める手法を取ってらっしゃいますけど、大林監督の場合、もうちょっと監督自身の狂気に近いものを感じます。50ページを3日で撮る進行は、明らかに混乱が起こるわけで、大林監督はその混乱を楽しんでるというよりは、混乱の渦中に自らも飛び込んで行かれるように思えました。
    宇野 映画というものは統合的なメディアだと思うのですが、この映画という枠組みの中であえて解離的なアプローチをすることで表現できるリアリティがあるというのが大林監督の決定的な演出哲学だと思うんですけど、AKB48というシステムもまた極めて解離的ですよね。簡単に言えば、単に自分の推しメンにしか興味ないやつが、いっぱいいるし、推しメンや推しグループごとに見え方がまったく違う。そして、中心点があるようで、実はなく、たくさんのコミュニティや文脈が並行的に存在している。
    高橋 AKBの持っている、果てしなく中心がなくて、いろんなものが乱立していることと、「So long !」で登場人物が次々と紹介されていく映画の構造って、震災や原発の状況と近いですね。
    宇野 かつてのテレビのように中心から周辺に中央から「みんなひとつになろうよ」と物語を発信しても、むしろつながりを破綻させてしまうのが今という時代だと思うんです。そうではなくて、ばらばらのものを数珠つなぎのようにばらばらのまま、中心を持たない状態でつないでいくやり方じゃないと、大きな流れにはなっていかない。AKB48も少なくともある時期まではそうやって大きくなっていったわけですからね。
     
     
    ■完全に演技を捨てている? 大林作品
     
    宇野 「So long !」を観て改めて考えたのですが、大林監督が70年代からやってきたことって実は映画というものの行き先を考える上で、ものすごく大きいことではないかと改めて思ったんです。僕はいま映画って世界的に「アニメと特撮」になってきていると僕は思うんです。
    高橋 アニメと特撮?
    宇野 映画は今、カメラが撮ってしまったリアルものを取り込むものではなく、演出家の意図したものだけが存在できる世界を表現するためのものになりつつあるということです。たとえば、岩井俊二からエイブラムスまで用いている、意図的に「手ぶれカメラ」の映像を用いてライブ感を獲得した手法はもうかつてのような威力は持っていないと思うんです。なぜならば、僕たちはいま、YouTubeやUstreamで実際に「手ぶれ」しているリアルな映像を見ているからですね。偶然カメラが撮ってしまったものを活かす力は、インターネット上の映像の方が圧倒的に強い。その結果、映画にできることは作家の、演出家の意図したものだけが存在出来る純度100%の虚構を提供することだけになってきている。言い換えるなら、“動いているもの”を見せる表現だった映画は“止まっているもの”をつなぎ合わせてつくる表現に変化しつつあるということです。それがたとえば『アバター』や『ゼロ・グラビティ』であり、この10年興行収入の上位を占め続けているアメコミ・ヒーロー映画群である、と。これらの作品では演出家の配置したいものしか存在しない、完全にコントロールされた映像だからこそ表現できるものを追求しているわけですが、要するにこれはアニメ的、特撮的な表現の追求です。そして、大林監督は70年代からずっとそれをやってきた。今回の『So long !』もそう。グリーンバックの前に立って台詞を読んでいるメンバーと長岡の背景を合成してテロップを入れる、なんてほぼ美少女ゲームの画面設計ですよね(笑)。しかし、これが世界的にいま映画という表現が傾いている方向でもある。日本だと、中島哲也監督の『告白』(10)はそうですね。
    高橋 ええ、よくわかります。
     
  • 「宇野常寛のオールナイトニッポン0(zero)金曜日~3月14日放送全文書き起こし!」☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.035 ☆

    2014-03-21 19:00  
    3/14UNOゼロ
    お聞き頂いたみなさん
    今週もありがとうございました。
    _
    きょうは先週とうってかわり
    スペシャルゲストに
    自由民主党副幹事長の平将明さんに
    お越し頂きました。
    政治の役割は、
    環境をととのえること!!
    (生き方はその人が選ぶので、
    そのサポートを充実させる目的で)
    国民年金への不安に対する答えは、
    現状『1番有利な金融商品』とのこと。
    (自分の財政と国の財政どちらが潰れずに続くか...)
    平さんお忙しい中ありがとうございました。
    _
    <Playlist, 0314 2014>
    M1: フレンズ / マナカナ
    M2: 届かなそうで届くもの / NMB48
    M3: パラレル / KEYTALK 
    M4: 君は何かができる / 99 HARMONY
    (アーナーキーリクエスト from いちげん さん)
    M5: FLY ME TO THE MOON / FRANK SINATRA
    (平さんリクエスト)
    M6: 約束 / 新居昭乃
  • 【号外】ニッポンの「働く」をめぐる言説を問いなおす――宇野常寛による書き下ろし「文化系のための脱サラ入門」再掲載 ☆ほぼ日刊惑星開発委員会・号外☆

    2014-03-21 07:00  

    ニッポンの「働く」をめぐる言説を問いなおす
    ――宇野常寛による書き下ろし「文化系のための脱サラ入門」再掲載
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.3.21 号外
    http://wakusei2nd.com


    今回の「ほぼ惑」号外では、「働き方」に対する宇野常寛の考えをまとめた書き下ろしエッセイ
    「文化系のための脱サラ入門」を無料公開します!(※2011年末のコミックマーケットにて頒布されたものです)
    この10年で厳しくなったと言われる労働環境の裏側で、当時サラリーマンだった宇野常寛が獲得していった「自由」とは一体どのようなものだったのか――? 宇野個人の体験談から、ニッポンの“働く”をめぐるクリティカル・ポイントを抉り出しています。
    文化系のための脱サラ入門
    (初出:2011.12.31 コミックマーケットにて頒布)
     
     
    ■はじめに
     
    ▼こんにちは。評論家の宇野常寛です。今日
  • 小沢の"いっちゃん"から、前田の"あっちゃん"へ――光文社・青木宏行インタビュー ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.034 ☆

    2014-03-20 07:00  

    小沢の"いっちゃん"から、前田の"あっちゃん"へ
    光文社・青木宏行インタビュー
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.3.14 vol.030
    http://wakusei2nd.com

    今朝のメインコンテンツである元「FLASH」編集長"あおきー"さんのインタビューには、オウム事件の話が出てきます。その一連の騒動の幕開けとなった地下鉄サリン事件が起きたのは19年前の今朝、つまり1995年3月20日の朝でした。そこで今日は特別に、宇野が昨年オウム事件について朝日新聞に答えたインタビューを掲載いたします。
    【3.20 特別掲載】宇野常寛のオウム事件へのコメント
    (初出:朝日新聞・2013/3/20)
    (本稿は、新聞の表記ルールやコンプライアンスの関係で不本意になった表現をリカバーするために、掲載時の内容から改稿しております)
     
     僕が批評や世相に関心を持ったきっかけはオウム真理教の一連の事件です。地下鉄サリン事件当時は男子高の寮に住んでいましたが、サティアンにジャンクフードが乱雑に積み上げられた様子や、空気清浄機を「コスモクリーナー」と呼ぶオタクっぽいノリから、自分たちの日常に近い生々しさを感じて怖かった。そんな時、宮台真司や大塚英志さんのオウムに関する評論を読み、とても考えさせられるものがあった。
     オウムは過渡期の現象だったと思います。先進国では1960年代末までに学生運動が挫折し「社会を変えることが、そのまま自己実現につながる」という、マルクス主義など大きな物語への信頼が失われた。その後台頭したのが、ヒッピーやドラッグ、オカルトなどのカウンターカルチャーです。共通点は「世の中を変えるのではなく、薬や修業で自分自身の意識を変える」という方向性です。
     だが、多くのヒッピーが環境保護運動に積極的だったように、実は彼らは「世の中を変える」ことをあきらめきれなかった。オウムは日本におけるその典型例です。最初は、ヨガや瞑想で自分を変えることで、世の中の見え方が変わることを追求していたが、それでは飽きたらずに衆院選に出馬。それが挫折すると、社会を全否定するテロに走った。要するにオウムは、マルクス主義の代わりにオカルト思想を持ち出すことで、自己実現と社会変革との直接的な結びつきを取り戻そうとしたのです。オウムの暴走は、こうした「自分の内面を変えることで世界の見え方を変える」ことを社会変革の代替物とする思想の敗北だったと思います。かつての「革命」とは別のかたちで社会を変えるビジョンが必要だったのでしょうが、20世紀の若者たちはそこにたどり着けなかった。
     オウムの事件後、「オカルトの時代」は終わったと思います。今でもパワースポット巡りなど「スピリチュアルブーム」はありますが、現世利益実現の手段に過ぎず、反社会性はない。クーデターを起こそうとするカルト集団も出てこないでしょう。
     理由は二つあります。一つは、孤立した若者たちが手軽にインターネット上のコミュニティーに接続し、自分の居場所を見つけられるようになったことです。寂しかったから麻原の元に集った、というのがオウム信者たちの本音でしょう。昔だったらカルト宗教しか受け皿がなかったような純粋でプライドの高い若者たちが、今ではアイドルのファンクラブやニコニコ動画のコミュニティーに加入して趣味の世界で仲間を見つけ、充足している。人々がこれほど簡単に地縁や血縁から離れて、自由に結びつける時代はなかった。資本主義とネットの潜在力がオウムの問題を半ば自動的に解決してしまった、とも言えます。
     もう一つの理由は、人々が社会を変えようとする時に「革命で体制を転覆する」という過激なモデルを考えなくなったことです。マルクス主義の失敗に加え、アニメーションやファンタジーの世界でも、80~90年代にはやっていた「世界が滅びる」というハルマゲドンものはすたれてしまった。当時はまだ社会が安定していたので、逆に「日常が壊れる」ことへの憧れがありましたが、今は本当に世の中がおかしくなっているので、むしろ平和な日常を描いた作品が受ける時代。「退屈な日常を打破するためにテロを起こす」というオウムのような発想で若者の気持ちをつかむのは難しい。ただし、僕が「終わった」と考えるのは社会現象としてのオウムです。数人の同志がいればテロは起こせる。オウム関連団体への監視を緩めていいとは思いません。
     インターネットのような個人の発信装置の発達は、社会参加、社会変革のあたらしいイメージを生みつつあります。今後、社会を変えようとする時に主流となる考え方は、「革命」的な体制転覆ではなく、既存の体制を前提としつつ一人ひとりが積極的に発信することを通じて、コミュニティー間のバランスを調整し、効率的で公平な社会を実現することでしょう。
     たとえば米国のウォール街を包囲した人々は、格差是正を訴えているだけで革命を目指してはいない。日本の原発デモも「原発で一部の集団が得る利益に比べ、国民全体が被るリスクが大きすぎる」ことへの異議申し立てで、究極的には効率や公平の問題と考えられます。まあ、いわゆる「放射能」の人たちはそうは思わないのでしょうが。
     効率や公平の実現は実は難しくて大きな問題です。「革命」という物語に酔うのではなく、人々が個々の生活実感に基づき自由に情報発信することが、社会全体のムーブメントにつながり、バランス調整が達成される。そんな社会に向かえればいいと考えています。(聞き手・太田啓之)

    元「FLASH」編集長であり、数々のAKB関連書籍を手掛けてきたあおきーの愛称で知られる青木宏行さん。アイドルの推し遍歴から今後の展望まで、少年時代から遡ってお話を伺いました。


    ▼プロフィール
    青木宏行(あおき・ひろゆき)
    1961年生まれ。慶應義塾大学法学部卒。光文社エンタテインメント編集部編集長(「FLASH」元編集長)。熱狂的なAKBファンとして知られ、数々のメンバーの写真集を手がける。ニックネームは「あおきー」。
    http://plus.google.com/107216298476713194997/
     
    ◎構成:稲垣知郎+PLANETS編集部
     
    ■謎の編集者”あおきー”を生い立ちから解き明かす
     
    ― 今日はAKBヲタの皆さんにはお馴染み”あおきー”こと青木さんを丸裸にしようと思ってお呼びしました(笑)。
    と、いうことで今日は青木さんの生い立ちからお伺いしたいのですが。
    父親は高校の教師で、化学を教えていましたが、もともと実家が酒屋で、小さい頃から配達をしたり、お酒をついだりして手伝っていましたね。
    お店が水沢市(現・奥州市)の繁華街にあって、バーやスナックから注文が来て、夜に持っていくんです。冬は、雪の中を自転車の後ろにビールをケースごと乗せて配達していました。
    実際に酒屋を手伝いながら、商売にサービスがいかに大切かを学びましたね。
    ― 後に出版社に入られるわけですが、少年時代から本には関心があったんでしょうか?
    家のすぐ側に本屋が3つもあったんで、一日に何度も本屋に行ってましたし、本や雑誌を読むのは好きでしたね。北杜夫に感想文を書いて、本人から返事が来たこともありました。
    漫画雑誌は、ちょうど僕の子どもの頃からどんどん増えていったんです。物心ついた頃に、マガジン、サンデー、チャンピオン、ジャンプの週刊マンガ誌4誌が揃って、毎週全部読んでました。それにビックコミックオリジナルとか派生漫画誌がどんどん増えていったんですが、高校卒業するまで全部買って読んでましたね。
    マスコミに行きたいと思ったのは、周囲の影響ですね。元々おじいさんが朝日新聞にいて、やめて地元で新聞社を作っていたり、親戚のおじさんがテレビ局にいたりして、わりとメディア関係の人が親戚に多かったんです。田舎ではあったんですが、割とマスコミを身近に感じていました。
     
     
    ■映画製作に明け暮れた大学時代
     
    ― 大学は、慶應義塾大学の法学部ですね。当時、印象に残った出来事はありますか?
    大学生活は、映画を見て、芝居を見て、バイトをしての繰り返しでしたね。
    映画研究会に入ったのですが、ぴあのフィルムフェスティバル(PFF)というのがあって、それに作品を提出しました。自主映画制作にはお金がかかるんで、結構バイトしましたよ。ケーキ屋やスキーショップの売り場をやったりして、六本木のパブで働いたり。フィルム代や制作費として、20万円くらいためて、自分でシナリオを書いて、クラブが年に3本作る映画の候補作品に応募するんです。
    自分のシナリオが選ばれたら、主演女優を決めて、カメラマンやADのチームを作って、映画を制作できるんです。それが一番の思い出ですかね。
    ― 付き合いたかった子をヒロインに抜擢した……みたいなエピソードはないですか(笑)?
    クラブで一番可愛いなと思った子をヒロインにしましたね(笑)。記憶喪失の女の子の役柄で、一人暮らしの主人公の前に突然現れて、一緒に住み始めるんですが、ある日帰ったら突然いなくなっているんです。お互いに恋心が芽生えた頃に、記憶が戻っていなくなってしまうという物語です(汗)。エンディングは御茶ノ水で撮ったのですが、御茶ノ水の街で、その子とすれ違うんですね。でも向こうはまったく気がつかない(苦笑)。
    ― なんか、『冬のソナタ』のような展開ですね(笑)。
    あとは、芝居もよく見ていました。当時、野田秀樹さんの夢の遊眠社とか、鴻上尚史さんの第三舞台がすごい好きだったんです。年に30本くらい見ていましたね。
    映画研究会なんで、映画も年200本くらい映画館で見ていました。当時は、ビデオもないし、池袋文芸地下とかオールナイトでまとめ見してました。あとは映画の配給会社でバイトしたり、新宿の映画館でもぎりのバイトもしましたね。
    ― 聞いていると、当時はかなりの映画青年という感じですね。そこから出版社を目指したキッカケはあったんですか?
    ミーハーだったんでしょうね(笑)。
    光文社は、「女性自身」のほかに、「週刊宝石」が、出来たばっかりだったんです。そういう週刊誌的な情報も好きだったんです。
    マスコミに行けないんだったら東京にいなくてもいいかなと思って、地元の銀行も一応受けて内定をもらっていたのですが、結局光文社に入りました。
     
     
    ■最初は政治班の記者だった
     
    それで83年に光文社に入ったのですが、最初は業務部に配属されました。そこで、女性自身やJJ、CLASSYや文庫の担当をしました。そこで、印刷のことや予算管理や出版の仕組みを勉強しました。それは今、AKBの本を作るときにも生きています。業務部には4年ほどいました。
    ― その後がフラッシュですが、まさに写真週刊誌の黄金時代ですよね。
    フラッシュの創刊が、87年の10月で、それから半年後の88年4月に異動しました。
    その頃は写真週刊誌の全盛期で、5誌合わせると部数も合わせると400万部くらいで新聞と肩を並べるくらいの部数ですよ。フラッシュ、フライデー、フォーカスの3Fだけでも300万部以上発行していました。その中でやっていたので、記事の反響もすごいんですよ。自分のやった記事がワイドショーに取り上げられたり、影響力も強くすごく面白かった時代ですね。
    最初は政治班になりました。安倍晋三総理のお父さんが総理を狙っている時代の、永田町担当です。永田町には番記者制度があって、大手新聞、テレビ以外は情報が入らないんですよ。懇談にも入れなくて、そんな永田町の「鉄のカーテン」の中をいかに人脈を作って情報を集め、取材していくかが主な仕事でした。
    ですから、当時は、永田町の「小沢のいっちゃん、鳩山のゆきちゃん」と熱く語っていたのが、今は「前田のあっちゃん、柏木のゆきちゃん」に変わったわけです。やっていることは基本変わってないですね(笑)。
    政治部のあとは、ずっとニュース担当をやっていました。
    どういう仕事かというと、例えば88年のソウルオリンピックでは、記者兼カメラマンとして現地に2週間、1人で行きました。橋本聖子や小谷実可子の時代ですね。忘れられないのが、カールルイスとベンジョンソンの100メートル一騎打ちを間近で撮影したときのことです。記者席でカメラを構えて、決定的瞬間を取ろうと待ち構えていたんですが、勝利するジョンソンがゴールを走り抜けていく瞬間のシャッターを切ろうとしたら、前の記者がワッと立ったんです(笑)。だから、僕の写真には記者の頭が半分写っているんです。そういう写真の難しさも学びましたね。
     
     
    ■あおきーVSオウムーー個人情報に懸賞金がかかる!
     
    オウム事件もありました。
    元々、オカルトとかのミステリー系や面白い動物ネタが好きで、朝日新聞の地方版を毎週全部読んだり、地方紙をとったりして地方面をチェックしていました。ムーとかオカルト情報誌もチェックして、よくネタにしていましたね。
    そうしたら、あるとき本屋のミステリー雑誌コーナーを見ていたら、空中浮遊できる人がいるという記事があったんです。これは面白いと思ってコンタクトを取ったら、オウム心理教の新実という人が僕のところに来た(笑)。それで、「面白いですねー、今度取材して良いですか」と聞いたら、「今度、富士山で修行するんで、ぜひ来てくださいよ」と言われたんです。
    なんでも、富士山の麓ででっかい水槽をつくって、そこに水を入れてその中で24時間暮らすというんですね。「こんなことできる人いたら、すごいスクープだ! 」となったわけです。もちろん半信半疑ですが(笑)。
    ところが、記者に行ってもらったら、なんかおかしいんですよ。
    よく見たら水槽の中にさらに穴が掘ってあって、その中に人が入っているんです。それで息ができるようにしていた。結局、富士山まで行ったのに水が漏れて水槽にたまらず、失敗ということになって、すごすご帰ってきたんですね。
    でも、そのときの写真が、そのあとすごく大活躍するんですよ。実はその取材のときに、麻原はもちろん、上祐とかそうそうたる幹部たちの写真を全部撮っていたんです。
    ― そして、地下鉄サリン事件が起きた。
    そこから、オウムは相当に取材しましたね。例えば、麻原が捕まったあと、オウムの秘密のアジトが埼玉にできたということで、それを記事にしたんです。そうしたら記事にする前に池袋メトロポリタンに呼び出されました。
    すると、そこに変な弁護士もいて、ずっとビデオを撮っているんです。それで、〇〇新聞の記者は土下座して謝ったとか、その記者の家の前に猫の死骸が置かれたりとか悪いことが起こるかもしれないとか言って脅すんです。「それでも書くのか」、と。「お前の親も含めて、個人情報をネットにアップするぞ」とまで言われましたね。
    ― それって完全に脅迫じゃないですか(笑)。っていうか青木さん完全にオウム真理教に狙われていますね。