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記事 20件
  • オリンピックシティに発生する「ボーダー」と「バウンダリー」、2つの"境界"に介入せよ!――建築家・白井宏昌の考える未来の東京の作り方 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.168 ☆

    2014-09-30 07:00  

    オリンピックシティに発生する
    「ボーダー」と「バウンダリー」、
    2つの"境界"に介入せよ!
    ――建築家・白井宏昌の考える
    未来の東京の作り方
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.9.30 vol.168
    http://wakusei2nd.com


    今冬発売予定のPLANETSの新刊「PLANETSvol.9」(以下、P9)。特集を「東京2020」とし、2020年の東京とオリンピックの未来図を描きます。
    【PLANETSvol.9(P9)プロジェクトチーム連続インタビュー第12回】
     
    この連載では、評論家/PLANETS編集長の宇野常寛が各界の「この人は!」と思って集めた、『PLANETS vol.9特集:東京2020』(P9)制作のためのドリームチームのメンバーに連続インタビューしていきます。2020年のオリンピックと未来の日本社会に向けて、大胆で、しかも実現可能な夢のプロジ
  • 週刊 宇野常寛のラジオ惑星開発委員会~9月22日放送Podcast&ダイジェスト! ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.167 ☆

    2014-09-29 07:00  

    週刊 宇野常寛のラジオ惑星開発委員会
    ~9月22日放送Podcast&ダイジェスト!
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.9.29 vol.167
    http://wakusei2nd.com


    9月22日(月)21:00~放送
    「週刊 宇野常寛のラジオ惑星開発委員会」▼パーソナリティ
    宇野常寛
     

    ▼9/22放送のダイジェスト
    ☆OPトーク☆
    風邪で病院に行った宇野常寛が目撃した、日本の医療の現実とは!? そして、この動きに対抗するための、二つの方法とは?
    ☆むちゃブリスケッチブック☆
    番組Dのトミヤマが選んだいくつかのお題から、ニコ生アンケート機能でトピックを選ぶコーナー。今週は「iPhone6発売」「NHKスペシャル『日本新生』収録の裏話」の二本をお届け。
    ☆48開発委員会☆
    トークライブアプリ「755」での、川栄李奈さんへの反応について。さらに「心のプラカード」評と、みるきーソロデビューに期待することを語ります!
    ☆エンディングトーク☆
    今回の放送で予告されていた重大発表とは、10月スタートの宇野常寛のラジオ新レギュラー番組J-WAVE「THE HANGOUT」!
    ☆延長戦トーク☆
    会員限定の延長戦部分では、新番組についての意気込みを語ります! 記念すべき一曲目のリクエスト曲は…?


     
  • 國分功一郎「帰ってきた『哲学の先生と人生の話をしよう』」 第6回テーマ:「だらしなさに関する悩み」☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.166 ☆

    2014-09-26 07:00  

    國分功一郎「帰ってきた『哲学の先生と人生の話をしよう』」 第6回テーマ:「だらしなさに関する悩み」
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.9.26 vol.166
    http://wakusei2nd.com


    一昨年よりこのメルマガで連載され大人気コンテンツとなり、書籍化もされた哲学者・國分功一郎による人生相談シリーズ『哲学の先生と人生の話をしよう』。2ndシーズンの連載第6回となる今回のテーマは「だらしなさに関する悩み」です。
    ▼連載第1期の内容は、朝日新聞出版から書籍として刊行されています。國分功一郎『哲学の先生と人生の話をしよう』(朝日新聞出版、2013年)
    ▼國分功一郎の人生相談「帰ってきた『哲学の先生と人生の話をしよう』」
    最新記事が読めるのはPLANETSのメルマガ「ほぼ日刊惑星開発委員会」だけ!
    過去記事はこちらのリンクから。


     
     
    【1】「だらしのない自分がとても許せません」おたこ 39歳 女性 近畿
     
    絵をかいています。
    「だらしない」を憎んでいます。心のそこから憎んでいます。
    それなのに、わたしの仕事場は散らかり放題。消しゴムのカスや、描き損じの紙に、交換して整理されまいままの名刺、積み重なった本、文具、いろいろなものが散らかってまったくもってだらしない環境で働いています。
    だらしのない自分がとても許せません。
    所有するものを必要最低限におさえると、散らかりも最低限に抑えられるような気がしたので持ち物をとても少なくするよう心がけているのですが、最低限の持ち物でも、盛大に散らかります。
    こうなったら少しだけ「だらしなさ」を寛容できるようになりたいです。
    どうぞよろしくお願いいたします。
     
     
    【2】「羞恥心がなく、もっと他人を意識できるようになりたいです」ぽてりん 29歳 男性 東京都 会社員
     
    國分先生こんにちは。いつも楽しく拝見させていだだいております。今回のテーマが『だらしなさ』と知り、思うことがございまして、メールをさせていだだきました。
    率直に申し上げまして私、あまり羞恥心がございません。現在、女性ばかり(熟女)の職場で事務仕事をしているのですが、何度も社会の窓が空いているやら、シャツが出ているなど注意されます。社会人としてダメだと思うのですが、直そうと思う意識があがりません。
    そもそも、未来において自分が存在すると仮定すると、現在は過去になります。常に過去を生きている。そんな風に考えているうちに細かいことが気にならなくなってしまいました。 あまり、羞恥心がない理由にはなっていませんが、どうすればもっと他人を意識できるか、ご助言いただければ幸いです。
     
     
    【3】「お酒を飲み過ぎるのをやめられません」ぱたぱた 26歳 男性 東京都 大学職員
     
    僕のだらしなさはお酒です。20代も後半になり体力も(相対的に)衰え、二日酔いになる頻度が上昇しているのにもかかわらず、適当なところで切り上げるということがどうしてもできません。二日酔いになった時の苦痛は筆舌に尽くしがたく、仕事にも影響するので毎回猛省するのですが、いざ飲みの場になると快楽が流されて飲みすぎてしまいます。そして後日「なぜ僕は愚かな過ちを繰り返すのだろうか」と強い自己嫌悪にさいなまれます。
    一方で飲みの場でそれこそ適当なところで切り上げている友人・同僚をみると「つまらないやつだ」という感想がぬぐえません。適切な飲み方を心得て無茶をしなくなったらそれこそ老いてしまうような気がします。
    ならば現状で良いのではないかと言う話ですが、この自分のスタンスの揺らぎをどのように解決すべきか、國分先生のご意見を聞かせていただければ幸いです。
     
     
    【4】「周囲の人に気を利かせたりすることができません」もしプロ 31歳 男性 奈良県 会社員
     
    國分先生こんにちは。
    以前転職についてご相談させていただきました。お陰様で現在、新たな職場で頑張らせていただいてます。その節は本当にありがとうございました。
    今回、だらしなさがテーマということなのですが。私はこれまで(幼稚園児の頃から)マイペースな性格と親や教員から言われ、整理整頓も得意ではありません。 たまに自分で「このくらいやっておけば良いだろう」と片づけてもみるのですが、周囲が満足するにはほど遠いようで、何かと文句を言われる事も少なくありません。
    周りが気になる事に無頓着で、気が利かない事も指摘されることが多く、意識もしているのですが長くは持たないのです。
    指摘してくれる方達のためにも、少しでも変わろうと意識をしているのですが。変わってるとしても、その程度がまだまだ少なすぎて周囲をイラつかせてしまっているように感じます。
    今後、できるだけ周囲と自分の感覚の差を埋めて、気がまわるように変わっていきたいと思うのですが、いまいち自信がもてません。
    どのようにすれば変われるでしょうか。何かヒントがいただけますと幸いです。
     
     
    【5】「だらしない自分を変えたいと思っていながらなかなか変えることができません」もちもち 29歳 女性 東京都 無職
     
    人生全体にだらしがなくて、困っています。部屋は片付けられず、いつも汚いです。ついクレジットカードで買い物をしてしまい、貯金もありません。昔はわずかながらも貯金できていたのに……。 無職になり、今就職活動をしていますが、「私は『本当に』なにがしたいのか?」と思うと、混乱し、「気分転換に」とインターネットの記事をダラダラと読んでは自己嫌悪に陥っています。本当にだらしない人生なのです。 こんなだらしない女じゃ結婚もできないし、子供ももてない、うまく人生を過ごせる自信がないです。
    とりとめがありませんが、このだらしない自分を変えたく思っています。どうしたらいいでしょうか。
     みなさん今日は。國分です。
     今回のテーマは「だらしなさ」ということなんですが、はっきりいってこんなテーマはやめておけばよかったと思っています。というのも、あまりにも難しいテーマであることが、考えれば考えるほど分かってきたからです。
     何か、誰か、手がかりになる哲学理論とかそういうのがないかと考えてみたんですが、どうも思いつきません。
     実は「だらしない」という言葉の意味もよくわからない。調べてみたところ、これは「しだら」が無いという意味だそうで、「しだらない」がなまって「だらしない」になったみたいです。
     とすると、「ふしだら」と「だらしない」は同義ということになりますが、ちょっとニュアンスが違いますよね。
     何というか、最初に考えたのは、こういう人生相談に寄せられてくる悩みのほとんどは、「だらしなさ」に還元されるのではないかということだったんです。
     つまり、自分で自分の人生のために「こうしよう」「ああしよう」と思っていることがいろいろありますよね。でも、それがうまくできない。だからうまくいかない。じゃあ、なぜ「こうしよう」と思ったのにできないのか。これは事例ごとに程度の差こそあれ、要するに「だらしない」ということじゃないかなと思ったんですね。
     でも、ちょっと違う気がしてきました。というのも、「だらしない」と言う時、そこには何か特殊な意味というか思いが込められているように思われるからです。単に、「きちんとしていない」「整っていない」「節度がない」「しまりがない」「体力や気力がない」「根性がない」──すべて辞書に書いてある「だらしない」の意味です──という意味じゃないんですね。
     難しい言い方をすると、だらしなさという言葉には、特殊な欲望が備給されているように思われるのです。
     それは何かというと、自分はこれでもいいと思っているけれども、同時にそれを強烈に拒否もする気持ちです。「だらしない」と言う時、人は、「それでもいいではないか」と思いつつも、外部から注入された何らかの規範の圧力に負け、この規範に必死に一致しようとしている、そういう感じがします。
     分かりやすくなるように、段階を追って説明してみます。 
  • 井上敏樹エッセイ連載「男と×××」第二回『男と女』 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.165 ☆

    2014-09-25 07:00  

    井上敏樹エッセイ連載「男と×××」
    第二回『男と女』
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.9.25 vol.165
    http://wakusei2nd.com


    あの井上敏樹先生がほぼ惑に降臨! 豪華書きおろしエッセイ連載、第二回目のテーマは『男と女』。さまざまなエピソードを参照しながら、「愛」について語ります。前回までの連載はこちらから。
    ▼プロフィール井上敏樹〈いのうえ・としき〉
    1959年埼玉県生まれ。大学在学中の81年にテレビアニメの脚本家としてのキャリアをスタートさせる。その後、アニメや特撮で数々の作品を執筆。『鳥人戦隊ジェットマン』『超光戦士シャンゼリオン』などのほか、『仮面ライダーアギト』『仮面ライダー龍騎』『仮面ライダー555』『仮面ライダー響鬼』『仮面ライダーキバ』など、平成仮面ライダーシリーズで活躍。2014年には書き下ろし小説『海の底のピアノ』(朝日新聞出版)を発表。
     
    ▲井上敏樹先生が表紙の題字を手がけた切通理作×宇野常寛『いま昭和仮面ライダーを問い直す[Kindle版]』も好評発売中!
     
    【関連動画1】井上敏樹さんも生出演したPLANETSチャンネルのニコ生です!(2014年6月放送)【前編】「岸本みゆきの ミルキー・ナイトクラブ vol.1」井上敏樹×萩野崇×岸本みゆき【後編】「岸本みゆきの ミルキー・ナイトクラブ vol.1」井上敏樹×萩野崇×岸本みゆき
     
    【関連動画2】井上敏樹を語るニコ生も、かつて行なわれています……!仮面ライダーカイザこと村上幸平さんも出演!【前編】「愛と欲望の井上敏樹――絶対的な存在とその美学について」村上幸平×岸本みゆき×宇野常寛【後編】「愛と欲望の井上敏樹――絶対的な存在とその美学について」村上幸平×岸本みゆき×宇野常寛


     
     
    男 と 女
     
    井上敏樹
     
     さて、男と女である。
     まずは知り合いのプロデューサーから聞いた話。
     男は女のマンションでテレビを観ていた。時は湾岸戦争の頃である。男はニュース番組に夢中だった。湾岸戦争を知る事はプロデューサーとしても興味がある。ところが女は勝手にチャンネルを映画に替えた。『薔薇の名前』である。男はムカッとしてチャンネルを戻した。今は映画など観ている場合ではない。湾岸戦争は歴史的な事件ではないか。大体『薔薇の名前』なら、女はDVDを持っているはずだ。だが、女はDVDとテレビでは味わいが違うのだと訳の分からないダダをこねて再びチャンネルを替えた。それからチャンネル争いになり怒り心頭に発した男は女に別れを宣告した。このアホ女、もうお前にはうんざりだ。
     その口の利き方はなんだ、と女は言い返した。大体勝手な別れなど許さない。私は女としての大事な時間をあなたに捧げて来たのだ。
     け、知るか、と言い残し、男は女の部屋を後にした。
     男は心の底からほっとしていた。考えてみれば男はとっくの昔に女にうんざりしていたのだ。未練はない。チャンネル争いで別れる事が出来たのだから安いものだ。湾岸戦争よ、ありがとう。
     エレベーターを降りマンションから外に出ると吹き渡る風が爽やかだ。
     これぞ自由だ、と男が思った瞬間である。
     男の頭をかすめてなにかが地面に落下した。駐車場のコンクリートが放射状にひび割れている。それはボーリングのボールだった。ボーリングが趣味のその女は、去り行く男を狙ってマンションの高層階からマイボールを落としたのだ。もちろんカッとなっての衝動的な行為だろうが女の殺意は明らかである。男は悲鳴を上げて走り出した。
     次は知り合いの役者から聞いた話ー。
     男と女はリビングの畳の上で正座の姿勢で向き合っていた。場所は男の家、男は売れない俳優で、女は深窓の令嬢である。女は一方的に男を責め立てている。それも無理のない話で男の二股がばれたのだ。 
  • ゲーム市場の生態系とネットワーク構造の変化をどう捉えるか ――Wii、DS、PSP以降の構造を考える(井上明人) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.164 ☆

    2014-09-24 07:00  

    ゲーム市場の生態系とネットワーク構造の変化をどう捉えるか
    ――Wii、DS、PSP以降の構造を考える(井上明人)
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.9.24 vol.164
    http://wakusei2nd.com

    本日のほぼ惑は、『「ヒットする」のゲームデザイン』(オライリー・ジャパン、2009年)に掲載されたゲーム研究者・井上明人さんの論考を配信します。コンピュータゲーム市場を「高速に変則的な動きをする生態系である」と捉えたとき、どのようなメカニズムでゲームの購入が決定されるのかを、様々なモデルを例にとって考えます。



    ▲Chris Bateman,Richard Boon(著)、松原健二(監訳)、岡真由美(訳)『「ヒットする」のゲームデザイン――ユーザーモデルによるマーケット主導型デザイン』オライリー・ジャパン、2009年
     

    ▼プロフィール井上明人(いのうえ・あきと)
    1980年生。国際大学GLOCOM客員研究員。ゲーム研究者および、ゲーミフィケーションの推進者。2010年日本デジタルゲーム学会第1回学会賞(若手奨励賞)受賞。2012年CEDEC AWARDSゲームデザイン部門優秀賞受賞。著書に『ゲーミフィケーション』(NHK出版)。
     
    【関連記事】
    ゲームと物語のスイッチ ――ゲーム研究者・井上明人が考える『ゲーム的快楽』の原理 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.119 ☆
    http://ch.nicovideo.jp/wakusei2nd/blomaga/ar582496
     
     

     原書の発行された後、2006年にはプレイステーション3やWiiがリリースされるとともに、携帯ゲーム機であるニンテンドーDSやプレイステーションポータブル(Play Station Portable : PSP)が大ヒットとなった。原書発行以後の4年間のこうした動きを考えると、4年前のアメリカ市場を念頭に置いての議論の一部は、そのままでは通用しにくいものとなってきていると言わねばならない。本稿では、こうした動きに対応して原書で提起されている枠組みをどう応用できるかを考えていきたい。
     この4年間の中でとりわけ大きかったのは、ニンテンドーDSの大ヒットである。ニンテンドーDSはすでに世界で1億台以上の売り上げを達成した(※1)。2006年以降のコンピュータゲーム最大の市場は、据え置き機型ゲーム機市場から携帯型ゲーム機市場へと交代したと言ってよい。

    (※1)任天堂株式会社2009年3月11日ニュースリリース「ニンテンドーDSシリーズ1億台販売」(http://www.nintendo.co.jp/corporate/release/2009/090311.html)。

     本書の内容と絡めて言えば、この事態から大きく2つのことを汲み取ることができる。
     1点目は、本書で比喩として使われたような生態系のモデルを用いて市場を語るという方法(13章)を再考せざるを得なくなった。生態系をモデルにして社会を語る観点にはさまざまなものがあるが、生態系を語る際に、本書のように生態系の「安定」に着目することを重要と考えるのか。それとも生態系の「変化」や「多様性」に着目することが重要だと考えるのか。その観点の差によって、同じ生態系の比喩を使うにしても、得られる結論は大きく変わってくる。生態系の安定は確かに重要な指標だが、変化がきわめて激しい環境の中で、生態系を考えるということはいったいどういうことだろうか?
     もう1点は、ハードコア層の影響力を重視した、エバンジェリストという発想の有効性(2章)だ。この数年間にわたって任天堂が掲げてきた基本戦略は「ゲーム人口の拡大」だった。これは必ずしも本書の提唱するようなハードコア層の影響力を考慮したものではない。むしろハードコア層を経由せずにカジュアル層にそのままアプローチしてしまうための戦略だ。そして、この戦略を用いた2000年代後半の任天堂は、誰が見てもゲーム産業で最も強いプレイヤーたりえていた。この事実を、本書の提起した視点からどのように捉えればよいのだろうか?
     
     
    ■A.1 ゲームマーケットはどういう生態系なのか?
     
     まず簡単に市場を生態系のモデルで捉えることの意義について確認しておこう。
     人間社会の全体性を、生態系で捉えるという発想自体は非常に古くからある。生態系の比喩で社会を捉える議論にありがちな展開の1つは、現状肯定的なもの言いの根拠付けとして生態系がダシにされる、というものだ。
     どういうことか。
     社会の中に存在するほとんどのシステムは、ほかのシステムとかかわる形で意味を持たされている。一見何のために必要なのかということがわかりにくかったり、非効率なものに見えたりしても、まったく意味のないものは珍しい。例えば、何のためにやっているか今ひとつ理解が及びにくい、判子を押すような事務仕事も、会計的な透明性を上昇させるために必要だということにされ、ひいては効率的な予算管理を可能にするための部分的な制度である、と言いうる。ほとんどすべての社会システムには、何かしらの意義が与えられ、社会システムの一部となっている。いま存在している社会システムや、社会的な方向性(クレオド)は、何かしらの点で意味があり、生態系の安定に寄与している、と捉えることができる。これは、きわめて古典的な論法であり、保守的選択が肯定される際には、過去に何度もこうした社会観が用いられてきた。
     この、当たり前ともいえるような伝統的な社会観には、伝統的な反論もある。1つは、本当に既存のシステムすべてが効率的なのか?という反論。もう1つは、あるサブシステムが関連づけられているメインシステムが変更されたら、サブシステムはただの非合理なシステムでしかなくなるでは?という反論だ。
     この2つの反論を象徴的に表すものが、「ピアノのふた」の話だろう(※2)。船の難破に遭った人が、海上を漂っているところでピアノのふたを見つける。そして、その人はピアノのふたにしがみついて一命を取り留める。そのとき、その人にとって、ピアノのふたは「あれがなかったら死んでいた。ピアノのふたは、欠かすことができない」というものになる。だけれども、本当はピアノのふたより浮き輪とか、ゴムボートが漂っていたなら、そっちのほうがずっとよい。だけれども、一度ピアノのふたを選んでしまった人は、ピアノのふたのすばらしさを説く人になってしまって、なかなかゴムボートや浮き輪を発見しようという気分になることがない。

    (※2)バックミンスター・フラー『宇宙船地球号操縦マニュアル』(バックミンスター・フラー著、芹沢高志訳、筑摩書房、2000年)

     これはたとえ話だが、社会にはこういうことがよくある。産業によっては、ある部品を調達するためにとても効率の悪いことをやっていたり、会計処理にすごく変なことをやっていたりすることがあるが、効率の悪いやり方であっても、一度それで物事が回るようになってしまうと、その方式で物事が回ってしまうということがよく起こる。選んでしまった後には、どうしても、一度選んでしまったことのシガラミというものから人は簡単には抜け出せない。ピアノのふたがどんなに非効率なものかが明らかにわかるような場合であっても、ピアノのふたにアイデンティティを重ねてしまうような人も出てくる。過去に行われた選択それ自体が、未来の別の選択に対して自己拘束性を持ってしまうということは頻繁に起こる。
     そのほかにも、さまざまな反論や、別の見方を体系的に語る切り口(※3)が登場した結果、ざっくりとまとめれば、近年の社会科学では現状肯定のために生態系を比喩として用いるという論法は、あまり重要なものではなくなっている。現状の生態系の安定のみを考えるのではなく、むしろ生態系における淘汰や変化といった事象が起こる点に着目し、生態系の変化がなぜ起こるかといった要素に説明を加えようとすることが重要性を増している。一見、安定的な生態系であっても、ほかの生態系と接触したときに、そこから持ち込まれた一種類の菌や虫によって生態系の維持が困難になったり、生態系の主役が大きく交代してしまったりということは歴史上きわめて頻繁に起こってきた。例えば、よく訓練された先進国の巨大な集権型軍事組織が、第三世界のネットワーク的な分散権力構造を持ったゲリラ部隊に必ずしも容易に勝利できないというような事例や、「破壊的イノベーション」という言葉で知られる産業における不連続な市場の主役の交代劇など、あげればいとまがない。

    (※3)社会科学において、こうした展開を持ち込んだのは、ジョン・メイナード=スミスによる進
    化ゲーム理論(『進化とゲーム理論―闘争の論理』ジョン・メイナード=スミス著、寺本英+梯正之訳、産業図書、1985年)の影響がきわめて大きい。こうした観点から、社会変化について述べたものとして、簡単に読めるものでは『銃・病原菌・鉄』(ジャレド・ダイアモンド著、倉骨彰訳、草思社、2000年)などはおもしろい。

     生態系的な社会観をバックグラウンドとする「進化」という概念と、一直線の発展を想定するような「進歩」という概念の違いはよく強調される。「進歩」という観念はドラゴンボールの戦闘力よろしく、強いものは強く、文明化された社会は野蛮な社会よりも進んだ社会だということになる。ベジータは絶対にクリリンよりも強い。しかし社会というものは当たり前だが、そんなに単純なものではない。かつて流行していたものが新しいものによって淘汰されて絶滅するということももちろん起こるが、それだけではない。同一の事象の繰り返し、予想外の不連続な展開……といったことが頻繁に起こる。こうした社会変化の中では、プレイヤー(生物)とプレイヤー(生物)同士のさまざまな組み合わせによっては、一見、「弱い」とされていたものが、「強い」とされていたものを駆逐するようなことが頻繁に起こる。再び、ドラゴンボールの例で言えば、ブルマの戦闘力がそこまで強くないにせよ、ブルマが物語展開の鍵を握り、戦闘力が中途半端なヤムチャなんかよりも、よっぽど重要な役割を果たしてしまうことがあるようなものだろうか。生態系の比喩というのは、複雑な要素が組み合わされ、新たな事象が引き起こされるプロセスを考えることに適している。繰り返しになるが、生態系という概念は、「絶滅と淘汰」という本書でも重視されている事象に対する説明力も持つが、「変化」や「多様性」といった要素に対して説明力を持ちうることにこそ醍醐味がある。
     さて、本書では2Dゲームが3Dゲームの登場によって絶滅の危機に追いやられ、恐竜が鳥類になることで生き残ったように、携帯ゲーム機市場へと展開することで絶滅を免れたという説明が登場する。だが、ゲーム市場で起こったことは、単なる2Dゲームの衰退ではなかった、ということがDSの大ヒットによって明らかになったと言えるだろう。据え置き型ゲーム機の開発規模の高騰や、コアゲーマー層の消費市場の先細りといった現象の対抗する解決策に近いものとしてニンテンドーDSのヒットという現象は起こった。そこに2Dゲームも再び市場を席巻するゲームデザインのスタイルとして世界中に復活を遂げることになった。これは、明らかに進歩という概念ではなく、進化的な生態系のモデルを通して観察したほうが適切な事態であったといえる。本書が採用している生態系のモデルによって市場を考えるという観点は生きている。だが、絶滅→淘汰という観点から生態系を考えるだけでは十分ではない、ということもまた明らかだ。2Dゲームは絶滅したのではなく、単に一時的に少し影を潜めただけで、2Dゲームが繁殖するのに適した環境が訪れれば、また再び生態系の中で巨大な力を持つに至った。競争優位となる要素の変化が激しい市場ではあるが、A→B→C→Dというような単純な交代劇で捉えられる生態系ではなく、A→B→C→A ́→Ć→Dというような、高速に変則的な動きをする生態系である、ということだ。
     また、もう1点は生態系の変化の問題に加えて、生態系の多様性の問題も重要になってきた。ゲームのジャンルの安定化や、シリーズタイトルの比率増加に対するオリジナルタイトル数の減少といった要素がしばしば取り上げられ、ゲームの多様性が減少した(=安定性が増した?)という側面はある。欧米の据え置き型ゲームの市場や日本の携帯ゲーム機といった個別の市場を観察すれば、確かにそうした側面はある。だが、個別の市場における内部での状況から、少し視野を広げてみると、性質の異なる市場のバリエーションが飛躍的に増加していることがわかる。具体的に言えば、欧米と日本という2つのゲーム市場だけでなく、中国と韓国を含む東アジアの市場が、既存の市場とはかなり異なる性質の市場としてさらに拡大してきた。加えて、据え置き機市場、携帯ゲーム機市場、携帯電話市場、PCゲーム市場などの市場の多面化も激しくなったし、流通形態も小売店やレンタル、中古販売といった流通経路に加えて、オンラインでのダウンロード販売などの新しい流通経路の影響力が一挙に高まりつつある。つまり、1つの閉じた生態系を構築していられる状況とは違い、多様な環境を持った生態系が、相互につながりあうような世界になってきている。これらのプレイヤーがすべてアメリカを中心に、あるいは日本を中心にして、生態系の一部となっているのならば生態系は安定するかもしれないが、そのような産業構造が自生的に組み上げられるかどうか、ということは現状では不透明な状況下にある。国際分業や、さまざまなレベルでのプラットフォーム競争、標準化争いなどが繰り広げられることで、こうした多様な生態系が全体としてどのようなバランスをとるかという方向性が決まってくるものと考えられるが、一国内の閉じた生態系の安定性を考える、という形でのアプローチでは難しい状況が当面は続くだろう。
    以上、簡単に要約すると次のようになる。
     
    ●主要なプレイヤーの交代と、プレイヤーの数の増加という現象がこの数年で顕著に起こってきた。
    ●すなわち、ゲームマーケットという生態系は、かなり高速に変則的な動きをするような性質を強めてきており、1つの大きな生態系が強い連結を保って存在しているというよりは、さまざまな特徴を持つ生態系がある程度のつながりを保ちつつ独立して散らばるようになってきた。
    ●このような状況下では、生態系の「安定性」に着目することの価値以上に、生態系の「変化」や「多様性」について考えることのほうが相対的に重要性を増してきた。
     
     
    ■A.2 影響力のあるユーザーとは誰なのか?
     
     では、こうした、多様性に満ちており、変化の激しい市場に対してどのようなアプローチを考えていくことができるのだろうか?
     そのアプローチは、実に多種多様な解がありうるだろうが、ここでは、初めに提出したもう1つの問題―コアゲーマーの影響力を起点とするエバンジェリストのモデルがどこまで有効なのか?―を考えるという形で、1つのアプローチを提示してみよう。
     さて、本書の中で紹介されているエバンジェリストモデルのベースとなっているものの1つは、おそらく『キャズム』(川又政治訳、翔泳社、2002年)のジェフリー・ムーアなどに代表される新製品の普及モデルだろう。普及論などの議論では、この段階的なモデルが新製品の普及を考える上ではよく知られている。
     
    I.新製品の発売初期にまっさきに購入を行う初期ユーザー(イノベーター)が最も数が少なく、
    II.その次に先端的な製品だと察知すると購入を行うユーザー(アーリーアダプター)、
    III.そしてクリティカルマスと呼ばれる一定規模を越えて普及が進むと一挙に大規模な数のユーザー(アーリーマジョリティー)を獲得することができる(※4)。 
  • よっぴーと宇野常寛が語り尽くす、「ネットではなく”ラジオ”だからできること」 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.163 ☆

    2014-09-22 07:00  

    よっぴーと宇野常寛が語り尽くす、
    「ネットではなく”ラジオ”だからできること」
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.9.17 vol.160
    http://wakusei2nd.com



    今日のほぼ惑では、今夜放送の「ラジオ惑星開発委員会」内の重大発表にあわせて、昨年11月にイベントで収録され、PLANETSチャンネルの旧メルマガで4回にわたってお届けした、吉田尚記さんと宇野常寛の対談記事をまとめてお届けします! インターネットが登場して以降、激変したと言われるメディア環境。この10年で「メディア」と、それを享受する「オタク」のアイデンティティはどう変わってきたのか。そして言論・ジャーナリズム、電波メディアの担いうる役割とは?

    ▼プロフィール

    吉田尚記(よしだ・ひさのり)
    1975年生、ニッポン放送アナウンサー。慶應義塾大学文学部卒業後、1999年にニッポン放送に入社、制作部アナウンサールームに配属。以来、「オールナイトニッポン」シリーズ、「ミューコミ」などの番組を担当。現在は「ミュ~コミ+プラス」などを担当しており、2012年にはギャラクシー賞DJパーソナリティ賞を受賞。自身のラジオ番組ではTwitterなどネットを積極的に活用し、さらには自らトークイベント「吉田尚記の場外ラジオ #jz2」を開催するなど、その先駆的な取り組みが注目されている。放送業界でも一、ニを争うアニメやゲームのオタクとしても知られる。愛称は「よっぴー」。
     
    ◎構成:中野慧 
     
     
    ■「オタク」というライフスタイルに宿る本質とは
     
    吉田 いきなりなんですが、宇野さんってなぜだかわからないけども、人前に出た瞬間に、オタクの人ってすぐに分かりますよね(笑)。
    宇野 そうですか(笑)。僕はね、20歳ぐらいのときに「オタクである自分を引き受けて生きよう」と思ったんですよ。そうやって開き直った結果、今こういう仕事をしてメディアに出ているという感じなんですね。
    吉田 その感覚、僕もよくわかります(笑)。「ニッポン放送のアナウンサー」というより、「ガチのオタクの人がうっかり人前に出てきてしまった」という感じなんですよ。「オタクであることを引き受ける」という言葉は面白いですね。それはどういった感覚なんでしょう?
    宇野 うーんと、まあ、僕が変わったというのもありますが、世の中全体のオタクを見る目が変わったのが大きいですよね。僕がアニメに興味を持ち始めた頃には、「オタク=いい歳してアニメばっかり見ている駄目なヤツ」という感じの空気は完成されていたんです。それが、だんだんオタク人口が増えていって、ネットを使った発言力も出てきて、ビジネス的な関心も集めて、高年齢化に伴ってコミュニティもしっかりしてきて、気がついたらもう昔のようなイメージをオタクに対して抱いている人が若い世代にはぐっと少なくなっていた。年々、オタクとして生きていくのがラクになっていった。
    吉田 僕の場合はオタクって、自分が子どもの頃から見ていた楽しいものからつながっているわけだから、すごくポジティブなものなんですよ。『Zガンダム』に代表されるような80年代のアニメブームのあと、宮崎勤事件が起こってオタクが劣勢になったと言われますが、その後の『ふしぎの海のナディア』だって面白かったし、僕の中では劣勢も何もなかった(笑)。
     僕の実感だと、オタクって「世の中から差別されている」側であるということが、ちょっと中二病的にカッコよく思えたりしていました。実際のところはオタクになったところでまったくモテないんですけど(笑)。
    宇野 なるほどね。まあご存じの通り、僕はオタクのカジュアル化のなかで青春期を過ごして評論活動も始めているので、オタクをカウンターカルチャー的なものとして捉える動きにはちょっと冷ややかなんですけどね(笑)。デビュー作の『ゼロ年代の想像力』のなかでは、「同時代で一番大事な作家は宮藤官九郎だ」って書いたんですよ。そうしたらまず文学やハイカルチャーを好きな人たちから「ま~た社会学系のチャラいサブカル評論が出てきた」といった扱いを受け、オタクの側からは「ジャニーズが主演しているドラマを肯定するなんてけしからん!」と叩かれた。
     彼らはやはり、「オタク文化はマイナーだから価値がある」という立場にずっと立っていたんです。でも僕はメジャーだろうがマイナーだろうが関係なく、ある作品に力があって、その作品から受け取ったものでユーザーたちが何か熱い運動を起こすとか、作品から受け取ったものから跳ね返すものがあるかどうかがすべてだと思ったんですね。
    吉田 なるほど。宇野さんは言論活動をサブカルチャーの批評から始めたと思うんですが……アニメや漫画を好きな人たちは、まず作品を見て、「また次の作品を見よう」となる人と、見た後にやたら何かを書く人とがいますよね。宇野さんは後者だったと思うんですが、それはどんな動機からだったんでしょう?
    宇野 僕の最初の動機は、「この作品の素晴らしさを世界に訴えないと俺は死ぬ!」みたいな、そういうよく分からない思い込みですね。
    吉田 あー、それわかるなー! 俺がいま「PSYCHO-PASS」とかに思っていることとかと近いよね……。何か使命が宿る瞬間ってありますよね。
    宇野 作り手にとっては余計なお世話かもしれないし、「評論が読みたいから作品を見る」という人はほとんどいないと思うんです。「ある作品を見て感動したから、それにまつわる評論を読みたい」という人は沢山いますけど。だから評論家の作品に対する思いって、すごく片思いで、ストーカーじみたものと言ってもいい。そういった妄想に近いものが原動力になって、評論を書かせるんだと思います。
     そのときに僕にとって一番大きかったのは、やっぱり「平成仮面ライダーシリーズ」なんですよ。平成ライダーは日曜朝の子ども向けの枠を使って、すごく面白いことを好き放題やっていると思ったんです。だから「この素晴らしさを世界に訴えないと俺は死ぬんじゃないか?」ということを思って書いたのが、僕の二冊目の単著『リトル・ピープルの時代』です。
    吉田 ということは、あの本の前半で村上春樹を扱っているのはギミックだったということですか?
    宇野 今だから言っちゃいますけど、ギミックですよね。
    吉田 やっぱり(笑)! 宇野さんはつまり、「たとえどんなギミックを使おうとも、自分が知ってしまったこの福音を、他の人に届けなければいけない」という使命感を持ったエヴァンジェリストであると。イエズス会から日本に派遣されて、日本にキリスト教じゃなくて仮面ライダーを広げるザビエルなんですね。でも、たとえば自分の力で誰かが何かにハマる対象――その一次情報みたいなものを作ろうと思ったりはしないんですか?
    宇野 もちろん、機会があれば小説も書いてみたいし、集団創作の現場にも参加してみたいと思っていますよ。でもいまは僕は雑誌を作ったり、イベントを開催したりという活動がそれに当たるのかなと思います。僕はもともと、少年時代にアニメ雑誌を入り口として雑誌が好きになったという過去があるんです。でも、いま面白いと思う雑誌が周りにないんですよ。そうなったとき、じゃあ自分が少年時代に古本屋で出会った感動みたいなものを、自分の手で再現したいな、と思ってやっているんですよね。
     雑誌で取り上げているものは、僕らが何らかの対象について語っているかもしれないけども、「今この問題をこういった面子でこう語るのが面白い」という企画や座組だったり、デザインや形式も含めてメッセージなんです。「自分でメディアを作っている」ということに関しては僕らは一次情報を出していると思っているんですよ。
     僕はもともと編集者出身というところがあって、半分プレイヤーで半分プロデューサーなんです。プレイヤーである評論家・宇野よりも、実はプロデューサー・宇野の方が「一次情報をつくる」というのが実現できている気がしますね。
     もちろん評論でも、僕らがなにか言葉を投げると、言葉を受け取った相手のものの見方が変わるということが起きる。この動きこそが本質的なことだと思っていて、その動きを起こす「素材」としては、スポーツでもアニメでも漫画でも何を使っていてもあまり変わらないと思うんです。だから僕は最近、「素材」に対してのこだわりみたいなものは薄れていて、「どれだけ世の中の見え方や世界の見え方を変えるような言葉を出せるのか?」というところに興味の比重が移ってきているんです。
    吉田 なるほど。もう大体の人が気づいちゃっているかもしれないけども、僕がやろうとしていることも似ていると思います。それがやりたくて僕も「吉田尚記の場外ラジオ #jz2」なんていうイベントをやっているわけですから。普通に考えれば、ラジオ局のアナウンサーが対談イベントをやる必要なんてないわけですからね。
     しかし宇野さんの話を聞けば聞くほど、僕らは似通ったところがあるな、と思います。それで僕が宇野さんを見ていて一番いいなと思うのは、「楽しそう」だということなんです。
    宇野 そうですね。ちょっと評論家っぽいことを言うと、日本の知識人って楽しくなさそうだからダメだと思うんですよ。
    吉田 ホントそうですよね! 俺もすごくそう思いますす。
    宇野 基本的に、彼ら知識人は大衆は馬鹿だと思ってるわけで、「でも、それでも諦めずに、メッセージを発信し続ける俺カッコいいでしょ?」と支持を訴え、自己陶酔しながら死んでいく。つまり、ナルシシズムと自己同一化しかメッセージがないんですよ。それだと熱心な信者は生まれるかもしれないけども、外へ向かって広がっていくような波及力が生まれない。
     だから僕は、知識人とかジャーナリストの語り口を変えなきゃいけないと思っていて、「ただ自分自身が楽しくて、ワクワクするからやるんだ」ということを出発点にして、それを恥ずかしがらずにやっていこうと思っているんです。
    吉田 まったく同意です。「世の中、大変だよね」みたいなことをいう人がすごく多いけど、「何でだろう?」と思っていたんです。冬になると寒いけど、今年は『THE IDOL M@STER』の映画が公開されるから楽しみじゃないですか。
     でも、僕に関しては、そういう「世の中の楽しさ」をみんなに伝えなきゃ! ということはあんまり思わないんです。「あまりにみんな暗い顔してるから、俺だけでも楽しく生きよう」ということに近いんですよね。
     さっき、オタクがどんどんカジュアル化していったという話がありました。僕がずっと思っていたのは、オタクって「楽しそう」なんですよね。悲痛なオタクってあんまりいないでしょ。AKBの総選挙で大量に投票したけど順位が低かったオタクは「こんな順位か……」という顔をしてるかもしれないけど(笑)、でもそれも楽しさのうちなわけですからね。
    宇野 まったくよっぴーさんのおっしゃるとおりですね。
    吉田 これも宇野さんと話してみたかったんだけど、僕らぐらいの世代だと、おそらく宮台真司にコンプレックスを抱いている人が多いと思うんです。で、宮台真司を読んでいると、師匠筋の見田宗介の話が出てきますよね。僕が大学生くらいの頃、見田さんが『現代社会の理論』という本を出していたんですが、これまでずっと人文社会系の学者や知識人の間で「資本主義ダメ!」みたいな風潮があったなかで、見田さんはその本のなかで「いやいや、資本主義いいじゃん」ということを言っていた。
     今でも覚えているんですけど、この本のなかで「システムの輪としての幸福は情けないということをよく言うが……」という記述があって、これを逆に読み解くと「幸福の輪のためにシステムがあるんじゃん。それの何がいけないの?」ということになるわけで、僕はまさにそのとおりだなと思って生きてきたんです。
     それと同じことが、オタクと、難しいことを考えている人との間で起きている気がするんです。難しいことを考えている人の方が頭良さそうに見えるけど、楽しくなさそうなんですよね。それに対して、オタクはみんな楽しそうなんです。事実、俺はすごく楽しい。だから難しいことを考えている人たちは放置でいいんじゃないかなと思ったりします。
     先週ちょうど「Anime Japan」っていう世界最大のアニメイベントのプロデューサーに会ったんですけど、その人がある難しい会社の人と話すところになぜか僕も一緒にいたんです。その時にプロデューサーが「彼らオタクは楽しむ天才なんです」ということを言っていた。まったくその通りだと思うんです。
     
     
    ■「『頭の良さ』を『楽しさ』に投資する」ということ
     
    宇野 昔のオタクって、いい意味でルサンチマンのパワーだったと思うんです。世間が訴える「男らしさ」みたいなものにストレートに憧れられない人たちが、ロボットアニメとかを好きになって、日本独自の文化として豊かに進化していくということがたくさんあった。
     でも今は、それだけにとどまらない別の可能性が生まれているでしょう。それがまさにオタクのカジュアル化が象徴する、オタクの「楽しさ」なんですね。僕が考えるオタクの面白いところって、ある種の性的な屈折だけではなくて、「自分の外側にすごく好きなものがある」ということなんです。自分を着飾ることよりも、自分の外側にある美しいものを愛したいとか、そういったかたちで自分の外側にナルシシズムを渡してしまって、それをもう一度自分のなかに受け取る。これはやっぱり、普通の人とはナルシシズムの持ち方が違っていて、そのことがいろいろ面白い文化を生んでいると思うんです。
    吉田 昔の評論家の人たちの「自分が好き」とは違いますもんね。
    宇野 そうそう。たとえば、僕はあまり好きな議論ではないんだけど、サブカル対オタクみたいな文脈ってあるじゃないですか。僕が思うに、80~90年代にはいわゆるオシャレカルチャーが渋谷を中心に東京の西側にあったけど、今は特定の土地と結びついていない、ネットワークを中心としたアニメとか漫画のほうが力が強いというだけで、それって流行の流行り廃りの話でしかないと思うんです。ただ、そこで一点だけ分析的なことが言えるとすれば、サブカルはファッションだけど、オタクってパッションなんですよ。
    吉田 おお……! なるほど!!
    宇野 ちなみにこれはツイッターで僕がこういう話をしたときにリプライを送ってきてくれた人の言葉で、著作権が彼にあることを明言しておきます(笑)。話を戻すと、これからのオタクは、自分の外側に面白いものがあるとか、同じキャラクターが好きとか同じメカが好きとかいうことで無限にいろんな人とつながっていって、二次創作がいっぱい生まれていくとか、そういう独特のコミュニケーション様式を武器にして面白いものを作っていくという方向を追求してもいいと思うんです。まあ、現実も、勝手にそうなっているわけですが。
    吉田 たしかに、そういう動きは自然に起きていますよね。僕が思うに、昔のオタクの人が言うようなルサンチマンって、要するに楽しくないじゃないですか。誰かに対する恨みを持って生きていても……。俺からすると、もう「楽しむ」という方向しかないし、その方向性が勝っていくのは自明でしかないと思うんですけど。
    宇野 これは難しい問題ですよね。もちろん僕らからすると、それは自明のことだし、その世界を信じてガンガンやっていく。そういう人たちが若者を中心にたくさんいます。ところが、やはり日本は高齢社会で、特に年上の人たちを中心に、今僕らがしゃべっているようなことを、まるでまったく別の国のファンタジーのように聞く人のほうが、数でいえば圧倒的に多い。濱野智史の言葉で言えば、「昼の世界」の住人ですよね。
    吉田 でも、その二者が山手線で隣に座ってたりするわけでしょ?
    宇野 そういった人たちにもう一つの「夜の世界」があるということをわかってもらうのは、すごく難しいんです。例えば「インターネット上には地理に囚われないコミュニケーションの可能性がどんどん広がっていて、そこにクリエイティビティがある」という話を、僕らは体感的に知っているし信じているんだけど、それをおっさんたちにわからせるのはすごく難しい。「ネットって言ってもどうせ効率化とコストカットにしか役に立たないでしょ?」とか言われちゃうんですよ。
    吉田 でも、その人たちにわかってもらう必要ってあるのかなと……。こう言っちゃなんですけど、30年したらみんな死んじゃっているわけだし。
    宇野 だから最近の僕は、説得とか関係なく、「できるかぎり彼らにスルーされながら勝手に幕府みたいなものを築くにはどうしたらいいか」ということを考えていることが多い。
    吉田 そう考えたとき、それを実現可能なプランにしなきゃいけないわけじゃないですか。僕に関して言えば、「自分一人が楽しければいい」という戦略はほぼ完成しているんです。僕が仮にラジオのアナウンサーの仕事をしていなかったとしても、一生楽しく生きていくだけのものがある。要するに僕が持っている録画メディア、DVD、Blu-rayだけで、平均余命を絶対に超えている自信があるということです(笑)。
    宇野 僕もですね(笑)。死ぬまでに10回見たいと思う作品だけで超えてしまいそうですね。
    吉田 だから僕はもう自分の人生は面倒を見きったと思っている。しかも、どんどん新しくて面白い作品が生まれてくるわけですよ。もう楽しくて、自分のなかでは「あがりー!」って感じなんですね。あとは、普通に仕事ができるような健康だけ確保できれば、おそらくもう大丈夫です。
     でも、だとすると、まず自分の楽しさが第一にあったとして、じゃあ次に何かをしようとしたとき、何かしっかりとしたプランが必要になるんじゃないでしょうか。
    宇野 僕が思っているのは、今の世の中って、能力があって面白いことを考えている奴ほど生きづらい世の中になっているんじゃないかということなんです。そういう奴らが能力を発揮したほうがもっと面白い世の中になると思うし、そのためには積極的に外の世界と分離して、新しい世界を作らなきゃいけない。
     そう考えたとき、AKBって一番うまく表の世界と付き合っているように思えるんですよ。「夜の世界」から生まれてきた人たちが、どうやってお役所や大メディアのような「昼の世界」と関係していって、かつ自分たちの世界を守ってきたのか、というお手本を秋元康さんに見ているんです。
    吉田 なるほど。いま初めて宇野さんと意見が違うかなって思ったのは、僕は逆に、本当の意味で頭のいい人って、頭の良さを楽しさに使うんじゃないかと思うんです。 
  • プレステ初期に築き上げられた新たなゲームカルチャー ――ポリゴン表現が可能にした「メディアアート」「映画」への漸近 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.162 ☆

    2014-09-19 07:00  

    プレステ初期に築き上げられた新たなゲームカルチャー
    ――ポリゴン表現が可能にした「メディアアート」「映画」への漸近
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.9.19 vol.162
    http://wakusei2nd.com


    今日のほぼ惑は、大好評の中川大地さんによるゲーム史連載。今回は1990年代後半、プレイステーションの初期ソフト群の画期と、CGを駆使して「映画」に近づいていくさまを解説します。
    ▼「中川大地の現代ゲーム全史」
    前回までの連載はこちらから

     
     

    第8章 世紀末ゲームのカンブリア爆発/「次世代」機競争とライトコンテンツ化の諸相
     
    1990年代後半:〈仮想現実の時代〉盛期(2)
     
    ■初期プレステが牽引したアーティスティックゲームのカルチャー
     
     32ビット機時代の業界三国志の構図を形成するに至ったプレイステーションの初期ラインナップには、3D化のインパクトを前面に打ち出すことで、従来とは異なるゲームのカルチャーを築き上げようとするタイトルが数多くみられた。
     まず3D化の最も素直なアプローチとしては、『ウィーザードリィ』の系譜を継ぐストイックな一人称視点でのダンジョン探索型のアクションRPG『キングスフィールド』(フロム・ソフトウェア 1994年)や、SF世界のFPS『キリーク・ザ・ブラッド』(開発:GENKI 発売:SME 1995年)といった、新進ディベロッパーによるタイトルが挙げられる。いずれも、同時期に海外で始動していた『The Elder Scrolls』シリーズや『DOOM』シリーズなどと同様の基本ゲームデザインで、のちにグローバルスタンダードとなるきわめて3Dゲームらしいオーソドックスで硬派なジャンルに、この時点の国産ゲームが遅れることなく挑戦していたことがわかる。
     海外ゲームからの流れでは、WindowsやMacintoshで人気を博していた静謐でミステリアスな雰囲気の3Dアドベンチャー『MYST』が、かつてハドソンの懐刀としてPCエンジンの屋台骨を支えたアルファ・システムによる高い完成度で移植されて鮮烈な印象を放った。これはちょうど、スーパーファミコンの最初期に『シムシティ』や『ポピュラス』の移植が強烈なインパクトをもたらしたのに近い。
     一方で、PCエンジンやメガドラの時代からそうだったように、オーソドックスなストーリー体験型のターン制RPG(ないしシミュレーションRPG)のオリジナルタイトルこそが家庭用ゲーム機の雌雄を決する花形ジャンルという意識も、この時期のプラットフォームホルダーには根強かった。そのためのタイトルとして、SCEは『アークザラッド』(ジークラフト開発 1995年)『ビヨンド ザ ビヨンド』(キャメロット開発 1995年)、『ポポロクロイス物語』(シュガーアンドロケッツ開発 1996年)といった独自シリーズをリリースしている。あるいは『I.Q. インテリジェントキューブ』(シュガーアンドロケッツ開発 1997年)のようなクールなテイストの3Dパズルが登場したこともまた、スーファミ時代までの任天堂ハードに伍するラインナップの総合性とプレステ独自のブランドイメージを確立する上で貢献したと言えるだろう。
     加えて、飯田和敏の『アクアノートの休日』(アートディンク 1995年)や『太陽のしっぽ』(アートディンク 1996年)のような、ゲームというよりも仮想世界の疑似環境の中でのインタラクションの雰囲気を味わうメディアアート風の作品、あるいは人工知能学者の森川幸人がニューラルネットワーク技術を応用してデザインした育成シミュレーション『がんばれ森川君2号』(SCE 1997年)など、クリエイター色が強く既存のゲームの概念に挑むような実験的な作品が、プレステのラインナップを特徴づけるようになる。
     こうしたアーティスティックな雰囲気をまとったタイトルの中で、特にキャッチーな作品としてヒットしたのが、ミュージシャンの松浦雅也や伊藤ガビンらが手がけた『パラッパラッパー』(SCE 1996年)であった。イラストレーターのロドニー・アラン・グリーンブラッドがデザインしたペラペラの紙のようなキャラクターを、お手本となる音楽のリズムに合わせてラップさせるというシンプルなアイディアは、従来のゲームファン層を越える幅広い層に受け入れられ、音ゲーないしリズムアクションゲームと呼ばれるゲームジャンルを切り拓く。同時に、プレステをファッショナブルなサブカルアイテムとして認知させ、子供向けの任天堂やマニア向けのセガとは異なる、特に大人のライトユーザー層にリーチする初期プレステのカルチャーを象徴するタイトルともなった。
     こうしたラインナップ傾向は、ゲームの内容ではなくそのゲームをプレイする人々の風景をコミカルに映し出す統一感あるテレビCMの宣伝戦略などとも相まって、それまでのゲーム文化にはなかった新たなカルチャーとしてのプレステのブランド性を強烈に印象づけることに成功する。既存のゲームらしさから逸脱しようとするアイディア先行のタイトルの数々は玉石混淆で、単にクソゲーと切り捨てられても仕方のない完成度のものも少なくなかった。
     しかしながら、中小のディベロッパーやクリエイター陣が参入しやすい開発環境をSCEが整えたことで、プレステがポリゴン表現の試行錯誤によるゲームデザインのカンブリア爆発をこの時代にもたらす牽引役となったことは、間違いのないところだろう。
     
     
    ■『バイオハザード』に至る「映画的」ホラーゲームの台頭 ゲームがマルチメディアコンテンツとして「何だかわからないが子供の遊びではないらしいテクノロジカルで凄そうなクリエイティブジャンル」としての新たなイメージを得ていくのと呼応して、その担い手であるゲームクリエイターが脚光を浴びていく潮流が巻き起こっていくが、その象徴的な存在が、ワープの飯野賢治であった。ちょうど一昔前の映画監督やロックミュージシャンを戯画化してコスプレするかのような天才然とした立ち居振る舞いで、自作やゲームの未来像についてビッグマウスを振るうといった飯野のキャラクター性もまた(長髪で巨体の不健康そうな風貌も含めて)メディアによる消費の対象となり、時代の寵児としてもてはやされたのある。 
  • アッシュ・リンクスは、 それでも生き延びるべきだった――『海街diary』 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.161 ☆

    2014-09-18 07:00  

    アッシュ・リンクスは、
    それでも生き延びるべきだった――『海街diary』
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.9.16 vol.159
    http://wakusei2nd.com

    本日のほぼ惑は、「ダ・ヴィンチ」に掲載されている宇野常寛の批評連載「THE SHOW MUST GO ON」のお蔵出しをお届けします。今回取り上げる題材は、『海街diary』と吉田秋生。

    近年、ますます円熟の極みに達しつつある吉田秋生のここまでの作家性の変遷と、初期作『河よりも長くゆるやかに』などに見られた「もうひとつの成熟の可能性」を読み解きます。初出:『ダ・ヴィンチ』2014年9月号(KADOKAWA)


    ▲吉田秋生『海街diary(6) 四月になれば彼女は』
     
     吉田秋生の『海街diary』の最新刊(今年の7月に発売された『四月になれば彼女は』)を読んでまた鎌倉に行こうと思った。以前にもこの連載で取り上げたことがあるのだけど、僕は鎌倉が好きで年に何度も足を運ぶ。たいていはよく晴れた日に、思いつきで出かける。こういったことができるのが自営業の特権だ。半日かけて、由比ヶ浜から極楽寺にかけてのゾーンをぶらぶらして、途中、目についたお店に入って休憩する。そして必ずお土産に釜揚げのシラスを買って帰るのだ。観光ガイドには一時期、このマンガの舞台になった場所を紹介する「すずちゃんの鎌倉さんぽ」を使っていた。映画やドラマのロケ地めぐりが趣味の僕がどこかの街を気に入るときはたいていこういったミーハーなきっかけだ。
     そんなミーハーな人間が、こんなことを言うといわゆる「鎌倉通」の人たちに怒られるかもしれないが、僕は実際の鎌倉は吉田の描くそれよりも、つまり昔ながらの人情下町コミュニティが残っていて、都心部とは違った時間のゆっくり流れるスローフード的な空間よりも、もう少し猥雑でスノッブな街だと思う。一年中昭和の日本人が観光客として群れを成しているし、夏のビーチはファミリー、カップルそしてエグザイル系のお兄さんたちで溢れている。こういっては失礼だが彼らはスローフードのスの字もない人々だけれども、こうした人々がいるからこそこの街に僕のような人間にも居場所があるのだと思っている。
     だから正直に告白すれば、僕はこの『海街diary』に出てくる鎌倉にはちょっと住めないな、と思っている。もちろん、それは否定的な意味ではない。この作品に出てくる鎌倉はそういった猥雑さを排したことで、とてつもなく優しく、そして強靭な磁場を備えた空間として成立している。そしてその淀みのなさに、自分はちょっと住めないな、と憧れるのだ。
     吉田秋生という作家を語るときは、かつてこの作家が用いた「川」というモチーフを中心に考えるとその変遷がクリアに浮かび上がってくる。
     かつての吉田秋生は当時のアメリカン・ポップカルチャーの絶大な影響のもと、戦後日本的「成熟と喪失」を正しく引き受けた作家だった、と言えるだろう。同時代の少年マンガが戦後日本的未成熟の肯定に開き直り(反復される強敵との戦いで成熟を隠蔽しながら、実は幼児的遊戯を継続し続けるバトルマンガと、終わりなき日常をてらいなく描き続けるラブコメマンガ)、先行する先鋭的な少女マンガ(24年組等)がむしろヨーロッパ的意匠とファンタジーへの傾倒で戦後少女文化ならではの深化を見せていったのとは対照的に、吉田は同時代の少女マンガ家としては珍しく戦後日本人男性の「成熟と喪失」の問題を正面から引き受けていたのだ。
     初期の吉田作品において少年は(たとえ舞台がアメリカであってもどこか戦後日本的な屈折を抱えた、マチズモを引き受けることができない主人公の少年は)思春期にアイロニーを、偽善/偽悪を、社会の淀みを受け入れることでイノセンスを失う。そしてそのイノセンスと引き換えに彼は成熟を遂げていく。
     たとえばこの時期の吉田の代表作『河よりも長くゆるやかに』は80年代初頭の基地の街(福生)を舞台にした青春群像劇だ。主人公の男子高校生・季邦(としくに)は父親の浮気が原因で両親が離婚し、病死した母親の代わりに季邦を育てる姉は進学を断念して水商売をしながらアメリカ兵と付き合っている。そして季邦もまた、生活費と進学資金のためにアメリカ兵への売春あっせんや麻薬密売に手を染めている。しかしそんな季邦もまた、昼間はバカでお気軽で、性欲と食欲を持て余したいち男子高校生であり、物語はそんな季邦とその周囲の人々の日常のドラマを、過酷なものと気楽な他愛もないものを織り交ぜながら描いていく。
     『河よりも長くゆるやかに』の後半、アンチクライマックス的にさり気なく描かれる主人公とその友人の会話に前述の世界観は凝縮されている。
     その場面で、主人公の季邦とその友人の深雪は橋の上から川を眺めている。深雪は問う。この川は、上流は流れが早くて水も綺麗だけど、海に近づくにつれて汚れていく。でも川幅も広まって、流れはゆるやかになっていく。どっちがいいか、と。そのとき季邦ははっきりとは答えない。しかし彼の回答が後者であることはタイトルからしても明らかだ。
     しかし、吉田はその後長期連載を開始した『BANANA FISH』で転向する。季邦的な河口の広く深くゆるやかな流れから、同作のヒーローであるアッシュ・リンクス的な上流の澄んだ、清く速い流れに転向したのだ。リバー・フェニックスをモデルに造形されたアッシュは、絶対的な美貌と頭脳と運動神経を持つ完璧超人として僕たちの前に現れた。したがって彼には成熟の必要はなく、物語はその心の隙間(トラウマ)を埋めてくれる承認(ボーイズ・ラブ的な関係性)をめぐるものに終始し、そして承認を獲得すると同時に若くして死んでいった。彼は喪失を経て成熟して大人になることはなかったのだ。
     ある意味、吉田はここで近代的な人間の成熟と喪失の物語を諦め、ポストモダン的な人間(キャラクター)の承認の物語にシフトしたという言い方もできるだろう。
     絵柄的にも、『河よりも長くゆるやかに』『吉祥天女』から続く大友克洋的な(劇画的な)絵柄から次第にシャープなボーイズ・ラブ風の絵柄に変化していっている。この絵柄の変化は同時に前述の人間観の変化でもある。物語当初は象徴的な「父」であるゴルツィネへの復讐譚、つまり少年の成長物語のひな形である「父殺し」の物語から、相手役の少年・英二を対象としたボーイズ・ラブ的な承認獲得の物語への移行とこの絵柄の変化はほぼ符合している。こうして吉田は変化していったのだ。
     そして『BANANA FISH』の続編的性格を持つ『YASHA─夜叉─』『イヴの眠り』を経て吉田が開始した『海街diary』は、その題名が示す通り上流の速く清い流れでもなく、河口のゆるやかに淀んだ流れでもなく、まさに満ちて引く反復運動があるだけの「海」の物語として登場した。吉田の本作におけるテーマはかつての成熟ではなく、「死」もしくは「老い」だ。長くゆるやかな河口すらも突破して、海に出たあとの物語が、ここには描かれているのだ。
     同作の主人公は鎌倉に住む四姉妹だ。かつての季邦のように壊れた家庭をもつ彼女たちだが、(四女のすずをのぞけば)思春期を既に通過しており成熟と喪失をめぐる葛藤は昇華してしまっている。むしろ彼女たちが直面しているのは、既に海に出た世界でいかに老い、死んでいくのかという問いだ。実際に、本作はすずを中心とした青春群像劇を基調にしながらも、常に死の影がまとわりついている。たとえばすずが所属するサッカーチームのエースストライカーの少年は小児がんで足を切断し、いきつけの食堂のおばちゃんもあっけなく病死する。そしてその後の遺産をめぐるトラブルに主人公たちも巻き込まれていく。これらのエピソードで描かれているのは取りかえせない人生の選択を、その過ちも含めていかに引き受けるかという問いであり、絶対に許せない存在や出来事とどう折り合っていくのかという問いだ。言いかえれば「これから」の人生よりも「これまで」の人生のほうが(少なくとも可能性のレベルでは)長くなってしまった人々が、その生の終わりまでの時間をいかに受け入れるのか、という問いだと言える。
     看護師を務める四姉妹の長女は劇中でホスピスに異動になるが、この設定は本作それ自体の性格を示しているといえるだろう。吉田にとって海は、海の街は言葉の最良の意味において、人生の終わりと向き合うこと、可能性の限界と向き合ってそれを受け入れることに挑戦する場所、つまりホスピスなのだ。
     同作には繰り返し「絶対に許せない人」──生前には何の愛情も示さず遺産だけをむしり取ろうとする親戚──や、理不尽すぎる運命──夢をつかみかけたときに襲い、すべてを奪い去る病魔──が繰り返し登場する。これは吉田が本作で、こうした個人の力ではどうにも抗えない世界の欠損とどう向き合うか、という問題に正面から対峙していることを意味する。思春期であればそれは、運命を跳ね返す可能性と、欠落を受け入れる成熟でそれを乗り越えることができる。しかし、終わりが近づいた人々にはそれはない。死ぬ間際まで納得できないような欠落と、人々はどう向き合うのか。それが「海」の問題なのだ。そして吉田は、いまのところ、こうした欠落と対峙し続け、ぎりぎりまでその痛みを緩和するまさにホスピス的な優しい「強さ」を、静かに提示し続けているように思える。決して大上段に構えない、静かな語り口──まるで毎日の食事を一食ずつ大切に経ていくような確かさ──をもって、しかし確信をもって、この優しい「強さ」を提示する吉田の姿勢と手腕を、僕は本当に貴重に思う。吉田秋生という作家は円熟の極みを迎えつつある、と断言してもいいだろう。
     しかし──僕はこの作家が完成に近づくからこそ、鎌倉の海が完成に近づくからこそ、そこで吉田が選び取らなかったもうひとつの海の可能性について考えてしまう。
     かつて福生(『河よりも長くゆるやかに』)を流れていた川はたぶん、あの鎌倉の海には(少なくとも直接は)つながっていない。なぜならば前述したように季邦たちの眺めていた川は一度「逆流」し、清く澄んだ清流に浄化されているからだ。その結果、『河よりも長くゆるやかに』の福生と『海街diary』の鎌倉は、つながっていない。いや、もちろん別の時代に描かれた別の作品なのでつながっていないのは当たり前なのだが、それ以上にこのふたつの街はその世界観のレベルで異なっている。それは何か。 
  • 現代の魔術師・落合陽一連載『魔法の世紀』 第3回:「心を動かす計算機をつくる」 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.160 ☆

    2014-09-17 07:00  

    現代の魔術師・落合陽一連載『魔法の世紀』 
    第3回:「心を動かす計算機をつくる」
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.9.17 vol.160
    http://wakusei2nd.com


    大好評!  落合陽一さんの連載第3回をお届けします。メディアとコンテンツの関わり方を定めていった「映像の世紀」のあと、「魔法の世紀」では、そのふたつの関係はどう変わろうとしているのでしょうか?


    ▼落合陽一による『魔法の世紀』
    前回までの連載はこちらから
     
     
     
    ■「流れよ我が涙、と計算機は言った」
     
    前回の終わりに、ここからは「魔法の時代」における「メディア・アート」の変容について考えていくと宣言しました。ここまでは僕の作品や研究の紹介や、研究者的側面からコンピュータと人間の関わりについて論じて来ましたが、ここからは僕のアーティスト的な側面から、コンピュータとアート文化の関係について論じていくことになるでしょう。
    いきなりですが、皆さんは計算機に心を動かされたことはありますか?
    ギョッとする言い方かもしれませんね。「心を動かす絵を描く」や「心を動かす映画を撮る」なら普通の印象を受けるのに、「心を動かす計算機をつくる」には違和感を覚えるのはなぜでしょうか。計算機という言葉と、我々の感性がかけ離れている印象を持つからでしょうか。それとも計算機に心を動かされるということに抵抗感があるからでしょうか? 実は、ここでの計算機(コンピュータ)はメディアアートのことを指しています。ですから、僕は何度も計算機に心を動かされてきました。常に多感な年ごろの僕は、何度かコンテンツ装置(メディアアート)で泣いたことがあります。
    例えば、以前「うなずきん」というおもちゃがありました。ダルマのような小さな人形に話しかけると、相づちを打つように頷いてくれるのです。このおもちゃで遊ぶためには、独り言を言い続けるしかありません。そうなると、独白装置として機能する訳です。懺悔をきいてくれる自動神父さん、みたいなものです。
     

    ▲うなずきん NatureVer. Rainbow 
     
    人間は、何を言っても肯定してくれる存在を欲する生き物です。しかし、そういう存在と出会うことは滅多にないでしょう。恋人でも夫婦でも男女に意見の相違はつきもので、完全にわかりあえる友だちですらも全てを肯定してくれることは少ない。でも、この小さな機械は全てを肯定してくれるのです。気がついたら真面目に話し込んで、なぜか機械に心を許して、そして泣き出す自分がいました。実に不思議な体験でした。
    人はコンテンツで涙したり笑ったりしますが、メディアで笑ったり泣いたりはしないと考える人は多いでしょう。映画館に入った瞬間に泣き出す人、一眼レフを見て涙が止まらなくなった人、本の表紙に触ると泣き出してしまう人……そういう人は、だいぶおかしな人間と見られることだと思います。さすがに僕もそんな体験はありません。なぜなのでしょうか。
    実際、例えば自分が乳幼児だったときのことを思い出してみましょう……いや、無理でしょうか。では、周りの乳幼児のことを思い浮かべてみてください。
    おもちゃを使って大人が乳幼児をあやしているとき、乳幼児は簡単に機械に泣かされていると気づくはずです。彼らは、泣かされるだけでなく、機械に笑わされたりもします。しかし、乳幼児はテレビのコンテンツを見て笑ったり、泣いたりすることは少ないはずです。それは、乳幼児が文脈やストーリー自分の感情で涙するわけではなく、原初的な快/不快のような感覚で泣くことにあります。
    僕は、現代の大人たちが乳幼児のようにメディアで涙したり笑ったりできないのは、彼らの生きてきた20世紀が「映像の世紀」だったからだと思います。「映像の世紀」とは、コンテンツとメディアが分離していた時代です。しかし、今世紀はメディアとコンテンツの境目がどんどん曖昧になって行く時代なのです。映像の世紀は本質的にメディアとコンテンツの関わり方を定めていきましたが、それがどう定められて、そして今どう変わろうとしているのか。
    今回は、これを議論をしていきましょう。キーワードは、先程の乳幼児の例で出てきた「原初的な感覚」です。ここにはメディアアートの現在を巡る大きな問題が横たわっています。冒頭に記したように「魔法の時代」における「メディアアート」の変容について考えていく必要があるのは、このキーワードから見えてきます。
     
     
    ■「文脈のチェス盤の上から」
     
    そのために、まずはメディアアートが登場した20世紀にメディアアートが置かれていたアート観を知る必要があります。それは、コンテンポラリーアートという潮流です。
    コンテンポラリーアートとはなにか? 
    人によって意見は様々ですが、大枠のコンセンサスがとれるところは、さながら「文脈のゲーム」と化している点でしょう。例えば、日本の現代アーティストに村上隆さんという人がいますが、彼は国内芸術の文脈にある浮世絵やマンガ、アニメなどの平面性を再構成して、「スーパーフラット」という文脈を作り出すことで、世界的に評価されました。
    奇麗な絵を見て「傑作だ!」と思う一般人の価値観に対して、コンテンポラリーアートはそうした感覚をゆさぶる作品に必ずしも高い評価を与えてきませんでした。一つには、写真技術の到来とともに、技巧的なもの(うまい絵、写実的な美しさ)が評価された時代は過ぎ去ったのが大きいでしょう。その結果として、従来の芸術観が崩壊してしまい、文脈による評価が高くなったとも言えます。これは20世紀美術の大きな潮流でもあります。
    実際、美術史の教科書には、20世紀のコンテンポラリーアートを説明する際に、必ずマルセル・デュシャンの『泉』という作品が挙げられているはずです。男性用小便器を寝かせて置いただけのこの作品は、レディメイドの芸術の始まりだとか、現代アートの夜明けだとかと言われています。
    なぜこんな作品が重要なのかでしょうか。それは、マルセル・デュシャンがこの作品を通じて、「これは芸術足るか」という問いを投げかけたからなのです。20世紀のコンテンポラリーアートとは「芸術の文脈そのもの」に対する問いかけそれ自体が文脈を形成する時代であり、この作品はその幕開けに相応しかったのです。
    ……少々、わかりにくいでしょうか。つまりは、「芸術表現とはなんだろうか」と考えた時代なのです。芸術表現のあり方それ自体を探求する試みこそが高く評価されていく流れが、20世紀には大きくあったのだと思っていただければいいでしょう。
    その際に一つ大きな評価の基準となったのは、「西洋芸術史の中における文脈の構築」でした。例えば、アメリカの芸術家にジャクソン・ポロックという人がいます。彼は「抽象表現主義」と呼ばれる手法を代表する画家で、アクション・ペインティング(寝かせたキャンバスの上に絵の具を撒く)という独特の技法で、同時代にはモダンジャズのインプロビゼーションなどと比較されながら、ニューヨークのギャラリーを中心に高く評価されました。
    この技法をコンテンポラリーアートの視点から見ると、彼の絵画は「絵を描く」という行為そのものの刷新になっています。それは「描くという芸術行為はキャンバスを打ち立てて、そこに描いて行くものだ」という「文脈」に対する大きな逸脱なのです。この立場からは、彼は独自の抽象絵画の世界を切り拓きながら、「文脈のゲーム」に新しいゲームを仕掛けてきた作家と言えるでしょう。
    こうした世界では、やや単純化して言ってしまうと、「美しい絵を描くことなどよりも、新たな文脈を構築することの方が重要であり、感覚的なものは評価されにくかった」と言えます。そして、メディアアートも大きくはコンテンポラリーアートの一種として評価されることが多く、私たちが普段触れている映像装置というメディアに対する文脈への関わり方、つまり「文脈のゲーム」の中で評価されてきた面が強くあります。
    以上が、美術史における教科書的な説明です。
    しかし、別に写真の登場で不要になった技巧的な表現技術以外にも、心を動かすような表現は存在するはずです。とすれば、そうした軸が低く評価され、20世紀を代表的する潮流であるコンテンポラリーアートが「文脈のゲーム」になってしまったのはなぜなのかという新しい疑問が湧いてきます。
    それに対する僕なりの解答は、まさに20世紀が「映像の世紀」、すなわちマスメディアの時代だったから、というものです。
    そもそも、アートとアートでないものの境目を作っていたのは何だったのでしょうか。それは、美術館という制度の存在です。例えば、現代アートでは中心地にあるニューヨークのギャラリーが、現代アートの文脈を作り出しています。その周囲にいる専門家や画商のコミュニティの中で評価された現代アートは、高い値段でやり取りされます。彼らは、現在の資本主義市場の中心地である米国で、雑誌やテレビなどの様々なマスメディアと、その中で活動する批評家たちのような権威を上手に駆使しながら、アートの流れを生み出してきたのです。
    もちろん、これもまた教科書に載っている程度の説明で、そもそも『泉』という作品の出展の中にその問いかけは含まれています。だから、ここではもう一歩踏み込んで考えます。そうした美術館の権威の源泉は、一体どこから生まれたのでしょうか。
    結論から言えば、それは「鑑賞可能性」にあったと僕は考えています。
    世界中でも限られた場所にしか存在していない美術館やギャラリーというスペースに、多くの人が鑑賞しにやってくる。その構造こそが、アートをアート足りえさせていたのではないでしょうか。つまり、一部の発信者の作品に注目が集まるような仕組みとしての「美術館」こそが、重要だったのではないかと思うのです。
    しかも、その集客効果は、「映像の世紀」のマスメディア技術を抜きに語れません。ニューヨークのギャラリーの権威ある大きな声が、資本主義市場の中心地であるアメリカのマスメディアに乗せられて、世界中に届いてゆく。これによって、共通の文脈が共有され、権威の声は世界全体の文脈と合致することが可能になっていたのだと思います。
    しかし、この「魔法の世紀」には、作品はそのようには受け取られません。なぜなら、インターネットが台頭してしまったからです。
     
     
    ■「島宇宙の共通言語を探して」
     
    そこでは、誰もがあらゆるものを鑑賞できるようになりました。
    例えば、現在TwitterやFacebookなどのメディアは、コンテンツに対する巨大な鑑賞装置――すなわち、大きな美術館として機能していると言えます。民主的かつ巨大なコンテンツ鑑賞空間がネットに広がっていていて、あらゆるコンテンツ(コンテンツ的なメディア装置も含む)が、万人によってキュレーションされ(=選び取られシェアされ)、万人によって鑑賞されているのです。
    しかも、最近はメディアアートやインタラクティブ作品のプレゼンテーションに、映像が用いられ,それが広告などにも使われるようになっています。リアルな場でしか鑑賞できないスケール感、ディテイル、五感への表現などはあれど、やはり時間と空間を超えて誰もが鑑賞可能になったのも事実です。
    何よりも重要なのは、これがメディアアートのみに留まる話ではないことです。最新のプロダクトもニュースもメディアアートも、メディア装置上のコンテンツを鑑賞する同様のプロセスで消化され、拡散されていくのです。世界中のありとあらゆるリアルの事物が、美術館に置かれた作品のような「鑑賞可能性」を持つ時代がやってきたのです。
    その結果、たとえニッチな興味であったとしても、小さなコミュニティを保つことが可能になっています。
    これまでメディアコンシャスの消失を語ってきましたが、それはマスメディアの相対化ももたらしたわけです。共通の文脈を展開するのは難しくなり、ニューヨークのギャラリーのような一部の権威者が文脈を制定することも、マスメディアがマスメディアとして機能しないために、不可能になりました。島宇宙としてバラバラになってしまった興味のコミュニティには、共通言語も共通文脈も存在しなくなり始めています。全員に受容される作品は、もはやつくりにくくなってしまいました。
     
    こうした情報拡散を中心にした文化において、集約型である前世紀の権威者の威光は徐々に陰りつつあります。20世紀とは「代理表象」の時代でした。表現はマスメディアに乗る際に、感覚を代理する文脈に置き換えられ、文脈のゲームが戦わされたのです。しかし、魔法の世紀には、もう「代理表象」による文脈のゲームで戦うのは難しい。文脈のゲームプレーヤーは、実はロールモデルを失いつつある時代になっていると言えるでしょう。
     
     
    ■「人間という感覚装置の内と外」
     
    こうした状況の中で、メディアアートは既存の芸術の枠組みから変わりつつあります。
    具体的には、二つの道に分かれているように僕は感じています。一つは、「文脈のゲーム」として、20世紀の延長線上でメディア装置に関する文脈で戦う芸術。もう一つは、より「原初的な感覚」を対象とした芸術です。
     
  • ありきたりの「ファスト風土」論にはもう飽きた!「新しい郊外論」のためのマスタープラン――國分功一郎×濱野智史『常磐線から考える』 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.159 ☆

    2014-09-16 07:00  

    ありきたりの「ファスト風土」論にはもう飽きた!「新しい郊外論」のためのマスタープラン――國分功一郎×濱野智史『常磐線から考える』
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.9.16 vol.159
    http://wakusei2nd.com


    Twitter上での会話をきっかけに、「人生」を考える哲学者・國分功一郎×「情報環境」を考える研究者・濱野智史という、千葉出身の二人の思想家の「ジモト」を巡る企画がほぼ惑で実現。そのダイジェストをお届けします! 
    Twitter上での熱いやりとりをきっかけに、7月のとある休日を使って行なわれたこの対談企画。濱野さんの生まれ故郷である新松戸を出発点に、途中PLANETSのエグゼクティブ・サポーターである「モウリス」の助力と提案で、つくばエクスプレスの駅周辺にあるショッピングモールを訪問し、最後に國分さんの故郷である柏を巡りました。
    二人の思想家の「ジモト」を巡りながら見えてきた、「新しい郊外論」のためのマスタープラン(基本計画)とは――? 本日の「ほぼ惑」では、ダイジェスト版のレポートをお届けします。対談の全容は、何らかのかたちで全文公開を予定しています。今回の「ほぼ惑」ではその「新しい郊外論」のイントロダクションをお見せします!
     
    ▼プロフィール
    國分功一郎(こくぶん・こういちろう)
    1974年生まれ。柏出身の哲学者。高崎経済大学経済学部准教授。専門は17世紀のヨーロッパ哲学、現代フランス哲学。また、哲学、倫理学を道具に「現代社会をどう生きるか」を「楽しく真剣に」思考する。著書に『暇と退屈の倫理学』(朝日出版)、PLANETSメルマガでの人気コーナーを書籍化した『哲学の先生と人生の話をしよう』(朝日新聞出版)、自らが積極的に関わった小平市の住民運動について書かれた『来るべき民主主義──小平市都道328号線と近代政治哲学の諸問題』(幻冬舎新書)などがある。今回の「柏論」は國分さんたっての希望で実現することになった。
     
    濱野智史(はまの・さとし)
    1980年生まれ。新松戸出身の情報環境研究者/アイドルプロデューサー。慶應義塾大学大学院政策•メディア研究科修士課程修了後、2005年より国際大学GLOCOM研究員。2006年より株式会社日本技芸リサーチャー。2011年から千葉商科大学商経学部非常勤講師。著書に『アーキテクチャの生態系』(NTT出版)、『前田敦子はキリストを超えた 宗教としてのAKB48』(ちくま新書)など。2014年より、新生アイドルグループ「PIP」のプロデュースを手掛ける。
     
    ◎構成:立石浩史、中野慧
     
     
    ■新松戸〜流山を歩く
     
    7月12日、午後過ぎ。前日までの台風の影響が心配されましたが、この日は予想を覆す快晴となりました。暑すぎるくらいの天気の中、JR常磐線の新松戸駅前に集合。
     

    ▲駅の東側は住宅や畑が広がり、のんびりとした雰囲気です。
     

    ▲新松戸駅前にて。この日、國分さんはツイキャスで実況しながらの収録でした。
     
    國分さん、濱野さん、P編集部2人の4人でまずは濱野さんの生まれ故郷である新松戸を歩きます。國分さん曰く『暇と退屈の倫理学』の延長線上の仕事であるとのこと。
     
     
    ■今一度、郊外論を問いなおす
     
    國分 この20年くらい「郊外」が注目を浴び続けていますよね。僕は柏生まれ柏育ちなんですけど、柏はこの郊外というものの純粋形態ではないかと思っているんです。今日はその直観を、実際に濱野さんと街を歩きながら検証してみたい。
     論壇では2000年代半ばから「ファスト風土」という言い回しが流行しました。けれども僕は、「今さら何を言っているんだ」という気持ちでした。「遅いよ」と。僕は自分が幼い頃から「ファスト風土」で生活してきて、そのことについてとても苦しいという感覚があった。ですから、その感覚に気づいてそれを理解しようとするひとがこれまでいなかったことに端的に驚いたのです。論壇なるものはなんと鈍感なのかと思った。
     僕が感じていた苦しさというのは、幼い時の感覚であることもあってなかなか描写しづらいんですけれど、歴史の欠如と関係しているように思います。歴史の無い土地、荒野に、家だけが建てられて人が住んでいるというイメージですね。
     都内に通勤しているサラリーマンの家庭であれば、親と子どもは週末以外顔を合わせない。土地にある歴史やコミュニティと人間が切り離されて、アトム化されて生きている場所――今からあの時の感覚を言葉にしてみるとそのように言えるかと思います。
     90年代より積極的に郊外に言及されている論客に宮台真司さんがいらっしゃいます。以前、宮台さんとお話ししたときに出身地を聞かれたんです、「國分さんは小平の出身なんですか?」って。「いえいえ、今住んでいる小平ではなく、柏ですよ」と答えたら、「あんまりいいイメージがないな」とおっしゃっていた。その時、なんとなく「なるほど」って感覚があったんです。現代の新しい空虚を生きる若者についてずっと考えてこられた宮台さんが「なんとかしなければならない」と思われている街の典型が柏なのかも知れない、と。
    濱野 テレクラが駅前にあって、援交が盛んで……というイメージですね。しかし、何故かはわからないですけど(笑)、國分さんが郊外出身というイメージがなかったんですよ。PLANETSの人生相談連載を読んでいると、失礼ですが地方の強固なコミュニティがあるところで育った方なのではないかと思っていました。だから柏出身と聞いたとき意外だったんですよ。
    國分 そうなんだね。僕がそのような印象を与えるのはなぜだかよく分からないけど、『暇倫』で扱った問題、たとえば、消費社会の問題とか、何をしていいか分からないアイデンティティの不安の問題については、自分が柏のようなところで生まれ育ったからこそ敏感でいられたんじゃないかと思っているんだ。
     街とそこに住む人とのアイデンティティについて考えたいというのが今回の課題です。その時に重要なのは、もともと荒野だったところに家を建てたようなイメージで捉えられる郊外にも、当然ながら歴史があるってこと。つまり「郊外」というレッテル貼りによって、町の歴史の地層を見えにくくしていることがある。これをはじめに言っておきたい。
     そういう「見えにくくなっている歴史」の話を出すと、どうしても「ふるさとのよさを再発見する」的なノスタルジックなものになってしまいがちなんだけど、そうじゃない方法で街の歴史にアクセスできないか。それが僕自身の課題なんですね。
     もう僕は柏には住んでいないけれど、そのアクセス方法についての考えを作って、自分の気持ちに対する決着をつけたい。要するに……僕は柏があまり好きじゃないんです。生まれ故郷だから愛着はあるんだけど、同時に強い違和感も持っている。そんなことを考えているときに濱野さんがお隣の新松戸出身であり、かつニュータウンの問題を真剣に考えていることを知りました。それで今回の企画にお誘いしたんですよ。
    濱野 この企画に誘ってもらったきっかけは僕が藻谷浩介さんの『しなやかな日本列島のつくりかた』(新潮社)のブックレビューをネット上に書いたことですよね。僕も以前は國分さんと同じように、生まれ育ったニュータウンを空虚な場所だと思ってきました。新松戸で生まれ、小学校高学年からは千葉ニュータウンと「郊外から郊外」へと移り住みました。
     当時は生き辛いとまでは思っていませんでしたが、確かにこの場所で生きている人間はアトム化されるしかないというか、國分さんがおっしゃるように自分の住んでいる町には歴史もなければコミュニティもないと思っていました。松戸と柏という町は兄弟という感じがしていて、國分さんとは同じバックグラウンドだと思います。
     
     
    ■かつて疎外的だった郊外は、意外といい町になっている!?國分 柏と松戸は、地理的にも千葉県の北部で隣接しているし、東京に通勤する人が多いという点でも似ている。でも、濱野さんと新松戸を歩きながら違いも見えてきたね。たとえば道路の作り方が全然違う。新松戸の豊かな街路樹のある道には落ち着きを感じる。こういう道は柏にはあまりないと思います。
     当然だけど、柏より松戸の方が東京に近いので開発が早い。駅前に関して言うと、松戸はうまく開発できなかった。柏はゆっくり開発できたからダブルデッキなどを作れて割とうまくいった。けれども道路に関して言うと、落ち着いた街路樹のある松戸の道路のようなものはうまく作れていない。松戸には、全国的に有名な桜の通りもありますよね。
     

    ▲新松戸の「けやき通り」の入り口。
     

    ▲並木道が整備されています。
     
    濱野 僕が子どもの頃の80年代〜90年代にかけては、あんなに木が立派では無かったと記憶しています。20年かけて木が育ったのではないでしょうか? 『しなやかな日本列島のつくりかた』の書評にも書いたのですが、欧米などでは、街路樹が育ち景観がよくなり町が成熟すると、地価が下がらないらしいんですね。詳細を調べてみる必要はありますけれども。今日訪れた新松戸なんかは地価は下がっているでしょうけど、街路樹が育って、いい雰囲気の街になっていますよね。
    國分 僕はこの景観を見て、なんとも言えない町の成熟を感じました。新松戸は予想以上にいいところでビックリ。
    濱野 もう少しサバサバした「郊外」というイメージだったんですが、僕もいい意味で予想を裏切られました。
    國分 新松戸を歩いてみて一番面白かったのは濱野さんの新松戸のイメージが変わったということだな(笑)。
    濱野 「郊外」と言うとどうしても「疎外されている」という感覚を生みやすい。僕もこれまでの論客のように「疎外されたものへのひねくれた愛着」みたいなものを持っています(笑)。今日は「相変わらずサバサバしてんな〜」とか言って懐かしむのかと思いきや、ほぼ20年ぶりに訪れてみると町が成熟していて驚きでした。「新松戸は意外にいい町じゃん! 俺、ずっとここ住んでりゃよかったじゃん!」と逆に「疎外」されましたね(笑)。
     町のビルがほとんど増えていないのも面白いと思いますね。新松戸って、開発時に家もマンションも区画を余らせずに作っちゃったので、今は街の流動性が下がっているんじゃないでしょうか。駅前の風景もあまり変わっていない。逆に言うとこれから再開発してもいいぐらいの、ある種穏やかすぎるぐらいの景観だと思います。
     

    ▲新松戸駅前の風景。奥には流鉄流山線の幸谷駅付近の踏切。赤いビルはかなり古そう。
     
     
    ■鉄道が変える町の歴史
     
     駅周辺をしばらく歩いてから、2人は常磐線と並行して走る「流鉄流山線」(単線鉄道)にもぶらりと乗車しました。流山線の幸谷駅は、常磐線の新松戸駅に隣接しています。
     

    ▲流鉄流山線の車両。
     

    ▲流山線の路線図。幸谷駅とJR常磐線の新松戸駅はすぐそば。國分 さきほど流山線に乗りましたが、二人とも乗るのは初めてだったね。新松戸から北部の方に行って戻って来ましたけど、途中の風景は、農村風景→ニュータウン→農村風景→ニュータウンのようになっているんですね。つまり流山は、新しいマンションやキレイな家が最近どんどん建設されている一方で、昔は柏や松戸よりも栄えていた土地なので、古い大きな農家なんかも残っている。それが交互に現れる。
     それにしても、新松戸(幸谷駅)からちょっと電車に乗っただけで、大きな農家があるような場所に行けるというのは、大きな発見だったね。
    濱野 この辺りは流山電鉄のロジックで町が作られていないんですね。普通は電車が通ると、町が付帯されてできあがるんですが、全くそういう感じではない。
    國分 100年前に敷かれた電車だからね。それにしても歴史的に見ればこの辺りの町は栄枯盛衰がすごいよね。
     流山は明治のはじめあたりはとても栄えた街だった。少し離れてるけど鰭ヶ崎(ひれがさき)なんかもそうですね。でも、常磐線の建設計画が出てきた時、流山や鰭ヶ崎はそれに反対したんですね。蒸気機関車からはき出される火の粉で火災が発生するのを恐れてのことだったらしいです。当時はかやぶき屋根だからそういう気持ちがでるのも当然かもしれない。
     でも、柏はそれを受け入れたんですね。僕は松戸の方はよく知らないんだけど、実際、常磐線は松戸や柏の地域を通っている。その後、常磐線の沿線は発展を続けるわけだけれど、鉄道を拒んだ地域は発展から取り残されてしまった。
     ところが最近は逆に、つくばエクスプレスが通ったことによって流山が活気づいている。マンションもバンバン建って、盛り上がっているね。つまり流山というのは明治以来、鉄道の敷設に関連する形で町が変動してきた。
     

    ▲流鉄流山線の車窓からの風景。新興の住宅も目立ちます。
     

    ▲流鉄流山駅にて。駅の改札では駅員が切符を切っており、ICカード式の改札はおろか、磁気乗車券の自動改札機も導入されていませんでした!ちなみに駅奥の森林は駅員さん曰く空き地とのこと。ほんの近くに流山市役所がある「旧」市街地です。
     
     
    ■郊外は使い捨て?
     
    濱野 僕の郊外のイメージは「使い捨て」なんですよ。僕は家族で、手狭だった新松戸のマンションから千葉ニュータウンの一軒家に90年ごろに引っ越したんですけど、引っ越したときは空き地だらけで、コンビニもろくにありませんでした。「この町は明らかに失敗だ。マイホームなんていらねえよ!」と思ったんですよね。僕は千葉ニュータウンの都市計画は失敗していると思いますが、その理由は、当時人口が20万人ほどに増えていないといけないのに全然達しておらず、そこに電車を引いてしまたったことにあると思っています。
     僕はその後中学受験して都内の学校に2時間かけて通っていたから、青春時代は千葉ニュータウンにほとんどいませんでした。だから何の思い入れもないんですよ。大人になってからも4回しか帰省していない。なぜなら帰りたくないから。何もないし、遠いし、親もうるさいから(笑)。
    國分 少年時代の濱野さんはそういう思いだったんだ。俺も「何かおかしい」って感覚があったな。人間のそういう感覚は大事なんだと思う。でも、やはり新松戸の街路樹は象徴的だよ。「町というものがこうやって育っていくんだ」といういい感じがした。
    濱野 樹って、植えてみるもんなんですね。他にも、駅から歩いて数分のところに流通経済大のビルができたりしていましたね。大学ができることで町はまた成熟するものだと思います。反面、新松戸は子どもの数が劇的に減っている印象を受けました。象徴的だったのが、住んでいたマンションの近くに妹が生まれた産婦人科があったのですが、その医院が看板を取り外していたことです。
     つまり、産婦人科の病院がマンションの側からひとつ無くなることが意味していることですよね。これまたマンションのすぐ近くの「新松戸中央公園」で遊ぶ子どもの数が、土曜の昼下がりという時間帯にも関わらず、昔と比べて少なかったことも印象的でした。
     

    ▲流通経済大学・新松戸キャンパス。
     

    ▲左手前の屋上のある白い建物が濱野さんの妹さんが生まれた元・産婦人科の病院。濱野さんが住んでいたマンションの10階から望む風景です。
     

    ▲新松戸中央公園。広大な運動場ではスポーツチームの子供たちがクラブ活動のスポーツに興じていました。でも、子どもの数はまばら。
     
     
    ■幼少期のアーキテクチャが情報環境研究者・濱野智史を生成した濱野 今日10何年ぶりに新松戸に来てみて、郊外は意外と残っているものだなと感じました。逆に千葉ニュータウンのような町が今後どうなっていくのかにも興味があります。アメリカ風の車社会に最適化していくのだと思いますけど。 それにしても人間というものは環境ひとつでこんなにもどうにもこうにもなってしまうものなのかと。僕はもともとアーキテクチャが人に与える影響を社会学的に研究してきたわけですけれども、そういうことを研究するようになったのには、自分の出自や生育環境が多いに関係していると思います。僕は新松戸ではマンションの10階に住んでいて、4、5歳までエレベーターの10階のボタンを押せなかったんですね。だから家から下の階へは行けずに、上の階に住んでいた一つ年上のお兄さんの家に遊びに行ってファミコンをして、「ゲームすげえ!」と衝撃を受けたりしていました。「ブランコよりこっちだ!」みたいな感じで(笑)。
     そこでの生活環境がこうして今の研究につながっていたりするわけです。単に10階に住んでいただけなんですけどね。環境が僕の幼少期の行動を決め、ゲームの環境が人をハマらせ……とか、先ほどの「郊外で生まれ育つと人間が疎外されていく」という話も、環境があっさり人間を作ってしまう典型例だと思います。
    國分 街を考える上では、当然のことながらアーキテクチャの視点が重要になってくるということだよね。