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2019年7月の記事 30件

脚本家・井上敏樹エッセイ『男と×××』第50回「男と食 21」【毎月末配信】

平成仮面ライダーシリーズなどでおなじみ、脚本家・井上敏樹先生のエッセイ『男と×××』。今年も大好物の鮎を食べ歩いている敏樹先生。形が大きな京都の鮎がお気に入りのようですが、一方、お椀については最近は、京都よりも東京の方が「いい」とのこと。東西のお椀をめぐる美食談義が繰り広げられます。 男 と 食  21      井上敏樹  東京に限っての事だが、今年は鮎がよくない。行きつけの店を何軒か回ったが、総じて形が小さ過ぎる。天ぷらにした方がいいようなサイズである。ハラワタの香りも頼りなく、食べていて情けない気分になって来る。食べ頃の鮎というのは、実は川によって大きさが違う。その川で捕れる鮎の平均サイズよりやや大きめの物がうまいのだ。鮎というのは川に縄張りを持ち、その川底の苔類を食する。小さな鮎は要するに栄養価の低い縄張りで育ったわけで、当然、餌である苔藻類の影響を受けるハラワタの香りも悪くなる。東京の割烹は、客の要望もあるだろうが、産地に関わらず小振りな鮎を選ぶ傾向があり、そこに問題があるのかもしれない。東京では、最近、お椀がいい。これは、かなり、いい。ここ一、二年でオープンした新店など、私の知る限り、悉くいい。どういうお椀がいいかと言うと、鰹節の味も昆布の味もせず、飲み終わった後にふわりと出汁の香りが胃袋から漂って来る。こういうのを返り味とか戻り味とか言う。いいお椀は腹の満ち具合に影響しない。食べた前と後で胃袋に影響がない。食べていながら食べていない、そういうのがいいお椀なのだ。 ■PLANETSチャンネルの月額会員になると…・入会月以降の記事を読むことができるようになります。・PLANETSチャンネルの生放送や動画アーカイブが視聴できます。  

脚本家・井上敏樹エッセイ『男と×××』第50回「男と食 21」【毎月末配信】

池田明季哉 “kakkoii”の誕生ーー世紀末ボーイズトイ列伝 番外編『トイ・ストーリー4』(3)タイム・アフター・ザ・スペース・レンジャー

デザイナーの池田明季哉さんによる連載『"kakkoii"の誕生ーー世紀末ボーイズトイ列伝』、番外編『トイ・ストーリー4』論のラストとなる第3回です。ジェンダー論的な「政治的正しさ」(ポリティカル・コレクトネス)を体現する本作で、ウッディやバズに代わってマチズモを象徴する役割を与えられたキャラクター・カブーンから「新しい男性性」の萌芽を考えます。 ※注意:本記事には『トイ・ストーリー4』のネタバレが含まれています。 物語のレベルで「置き去り」にされるバズ 『トイ・ストーリー4』は、現代におけるジェンダーと結びついた美学の問題を、おもちゃという必然性あるモチーフによって整理し、ボーというキャラクターを中心に力強く描き出した傑作です。しかし本連載の立場からは、ふたつの問題点を指摘したいと思います。象徴的にいうなら、それはバズの立場が希薄化しているということに集約されます。  ひとつは、『トイ・ストーリー3』まで展開されていた、アニメーション映画史におけるコンピュータ・テクノロジーという主題が後退してしまったこと。これは3DCGがあまりにも当たり前になったという時代の変化に対応していますし、『トイ・ストーリー3』でアンディの物語と共に完結した主題であったので、脚本上の要素の取捨選択としてはむしろ正当なものであるともいえなくはありません。しかしウォルト・ディズニーが確立したアニメーションの伝統を、コンピュータ・テクノロジーで大胆に換骨奪胎し更新していくダイナミズムによって駆動されていた前3作に対して、こうした文脈での批評性は限定的なものに留まってしまっている印象はあります。  先述のように、バズはテクノロジーを象徴するキャラクターでした。バズが物語上積極的な役割を果たす立場でなくなっているのは、テクノロジーという主題がほぼ放棄されていることと関係しているでしょう。これには90年代にはまだギリギリ「新しいもの」としてのイメージを持っていた宇宙飛行士やギミック満載のアクションフィギュアというモチーフが、現在では「中途半端に古いもの」という非常に扱いにくい存在になってしまったという難しさもあると思われます。しかしそれでも「トイ・ストーリー」シリーズが、ポリティカリー・コレクトな世界以上の「未来」を語ることができなくなっている現状には、一抹の寂しさを感じてしまいます。  もうひとつ、より大きな問題は「新しい男性性」の描かれ方が不十分であることです。これまでの作品において「新しい男性性」を象徴してきたのはバズでした。本作において、バズはほとんど物語の中心から外されています。「旧い」「新しい」という縦軸と、「男性性」「女性性」という横軸によって区切られる四象限を定義するとき、『トイ・ストーリー4』は「新しい女性性」による「旧い男性性」の放逐と「旧い女性性」の救済を描いているのですが、「新しい男性性」については、ほとんどなにも描いていません。  ギャビーを通じて「旧い女性性」を救済しつつボーに「新しい女性性」を象徴させ、「旧い男性性」の象徴であるウッディを葬る物語を描いた『トイ・ストーリー4』が語り残してしまったもの、それはアニメーションの未来と「新しい男性性」ーーバズの物語であった。これまで論じてきた本作の問題点は、このようにまとめることができるでしょう。 デューク・カブーンとジョン・ウィック ■PLANETSチャンネルの月額会員になると…・入会月以降の記事を読むことができるようになります。・PLANETSチャンネルの生放送や動画アーカイブが視聴できます。  

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宇野常寛 NewsX vol.39 ゲスト:青木耕平「〈よみもの〉とECサイトの関係」【毎週月曜配信】

宇野常寛が火曜日のキャスターを担当する番組「NewsX」の書き起こしをお届けします。6月11日に放送されたvol.39のテーマは「〈よみもの〉とECサイトの関係」。株式会社クラシコム代表取締役の青木耕平さんをゲストにお招きして、『北欧、暮らしの道具店』が開拓した、読み物としてのECサイトの可能性と、クリエイティブとコミュニティの新しいあり方について議論します。(構成:籔和馬) NewsX vol.39 「〈よみもの〉とECサイトの関係」 2019年6月11日放送 ゲスト:青木耕平(株式会社クラシコム代表取締役) アシスタント:大西ラドクリフ貴士 読み物をECサイトのコンテンツにするということ 大西 NewsX火曜日、今日のゲストは株式会社クラシコム代表、青木耕平さんで、テーマは「〈よみもの〉とECサイトの関係」です。 宇野 青木さんの会社クラシコムは『北欧、暮らしの道具店』というECサイトを運営されているんですが、僕にはただのECサイトには見えないんですよね。読み物もすごく多いし、単に商品を売っているんじゃなくて、その商品が持つ価値観を売っているところがあると思う。僕自身もずっとウェブで読み物をつくってきた人間なんですよ。実はこの秋に新しくウェブマガジンを立ち上げようと考えていて、その参考になるサイトを探している中で、『北欧、暮らしの道具店』は気になるサイトのひとつだったんです。読み物にテキスト以上の価値を持たせていく。画面の中のテキストとその外側にあるリアルなものを連動させていく。そういう話をいろいろ聞けたらなと思って青木さんを呼んじゃいました。 大西 最初のテーマは「『北欧、暮らしの道具店』とは」です。 宇野 まずは青木さんの会社クラシコムが運営している『北欧、暮らしの道具店』がどういうサイトかを説明していただいた上で、僕がいろいろ質問責めにするセクションから始めたいと思っています。 宇野 『北欧、暮らしの道具店』は、基本的にはECサイトなんですか? 青木 そうです。お店という場所になっていますね。ただ多くのECサイトは基本的には通信販売の事業なので、新しいお客様を広告で獲得して、ポイント制度やセールのような販促を打っていくことで常連になっていただいて、収益を出していくというモデルなんです。でも、我々の場合は広告で集客するというより、僕ら自身が読み物をたくさんつくることで、お客様に自分で来ていただくことを念頭に置いているサービスになりますね。 宇野 まずトップページにある、大人ブラウスのところをクリックして見てみます。 宇野 これは今一番売り出している商品になるんですか? 青木 そうですね。昨日出たばかりの商品ですね。 宇野 僕がこの商品ページを見たときに真っ先に思ったのは、写真と文字が量的に多いことなんですよね。商品ページもひとつのコンテンツという認識なんですよね? 青木 そもそも人が一番楽しんでいるコンテンツって何だろうと考えていたときに、本屋さんで売れている雑誌のコンテンツをみると、ファッションや車、音楽について書かれているんですよ。要は商品の情報を伝えているコンテンツが楽しみのために買われている状況がありました。ECサイトのコンテンツも、商品の情報でしかない。だから、それを売るための情報というより、楽しむための情報として提示したらどうなるんだろうというのが、我々の根本的な発想のひとつなんですよね。 宇野 僕はオタクで、仮面ライダーのフィギュアを集めたりしていて、フィギュアがすごく好きなんですけど、たしかに実際にフィギュアを買って眺めたり、飾ったり、写真を撮ったりしている時間よりも、メディコムトイさんが運営しているサイト「Sofvi.tokyo」などを読んでいる時間のほうが長いですね。 青木 もしかすると買う前のほうが楽しいかもしれない。もちろん僕らはECサイトなので物が売れないと困るんですが、それ以上に物の情報を楽しく編集して、読んでいただくこと自体に価値を見出しています。たとえば、このブラウスは1万円以上するからしっかりページをつくっているんだと思われるかもしれませんが、実は250円の商品でも同じくらいガッチリ作り込んでいるんですよ。つまり、そもそも根本的な目的が、読む人を楽しませるためにつくるというコンセプトなので、ページ当たりの収益性が高かろうが安かろうが、最高におもしろくつくろうという発想です。 宇野 すべての商品でこのようなページがつくられているわけですか? 青木 すべてこういう感じですね。 宇野 純粋に読み物だけのページもありましたよね? 青木 新しい読み物の記事の投稿は、だいたい1日5記事ぐらいですかね。 宇野 朝ごはんの記事を見てみましょうか。 青木 これはいろんな人が朝ごはんを、どういうふうに効率よく快適につくっているのかをインタビューさせていただいている記事です。ライフスタイル誌のような記事を、我々の編集スタッフがつくっているかたちになりますね。 宇野 商品の紹介はわかるんですが、こういう読み物記事はどういう編集方針でつくられているんですか? ■PLANETSチャンネルの月額会員になると…・入会月以降の記事を読むことができるようになります。・PLANETSチャンネルの生放送や動画アーカイブが視聴できます。  

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【特別寄稿】成馬零一 私たちは何を見ているのだろうか?――名前をめぐる問題

今朝のメルマガは、成馬零一さんの特別寄稿です。私たちはテレビドラマの登場人物を、なぜ演者の名前で呼ぶのか。〈虚構〉と〈日常〉の中間に位置する日本のテレビドラマの特性と、それを逆手にとった『マジすか学園』や山田孝之のドキュメンタリードラマなどの作品について考えます。 ※初出:『美術手帖』2018年2月号(美術出版社)  テレビドラマの話をする時、いつも気になるのは登場人物の呼び名についてだ。  SNSでドラマの感想を読んでいると、多くの視聴者はドラマの登場人物を役名で呼ばずに、木村拓哉や松たか子といった演じる俳優の名で呼んでいる。  筆者はドラマの記事を書く時、例えば『HERO』(フジテレビ系)だったら久利生公平(木村拓哉)という風に役名の後で俳優名を括弧に入れて記載し、可能な限り役名(この場合は木村ではなく久利生)を主語にして書くようにしている。これはテレビドラマを映像表現として批評しているという意識があるからだ。 しかし、知人とドラマの話をしているときは、役名がすらすらと出てくるということはとても少なく、ついつい「木村拓哉が」とか「松たか子が」と、俳優を主語にして語ってしまう。 そのたびになんだか軽い罪悪感を抱いてきたのだが、最近は、そうやって俳優名で呼ばれてしまうこと自体に「テレビドラマの本質」のようなものがあるのではないかと思い始めている。  なぜ、テレビドラマでは、役名よりも俳優の名前の方が存在感が大きいのだろうか? おそらくテレビドラマは、映画やアニメといった映像メディアと比べた時にきわめて虚構性が薄い映像表現なのだろう。多くの視聴者はテレビドラマを純粋なフィクションとしてではなく、俳優が役をいかにうまく演じられるのか、そしてその演技力が高く評価されるか? という俳優たちのドキュメンタリーとしても楽しんでいる。 ドラマの役名をめぐって ■PLANETSチャンネルの月額会員になると…・入会月以降の記事を読むことができるようになります。・PLANETSチャンネルの生放送や動画アーカイブが視聴できます。  

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池田明季哉 “kakkoii”の誕生ーー世紀末ボーイズトイ列伝 番外編『トイ・ストーリー4』(2)シェパーデス・オン・ザ・フロンティア

デザイナーの池田明季哉さんによる連載『"kakkoii"の誕生ーー世紀末ボーイズトイ列伝』の番外編、『トイ・ストーリー4』論の第2回です。今作では、伝統的な男性性の頓挫が描かれ、フェミニズムを意識した目配せも各所にあります。その背景を、本作の製作中に起きたジョン・ラセターの不祥事による退陣を含めて読み解きます。 ※注意:本記事には『トイ・ストーリー4』のネタバレが含まれています。 新たな「カウボーイ」としてのボー・ピープ 『トイ・ストーリー4』で衝撃的な再登場を果たすのが、羊飼いを象った陶器製のランプであり、かつてウッディの恋人であったボー・ピープです。物語はボーとウッディの別れのシーンからはじまり、その後ボーがアンティークショップの棚の売れないアイテムという立場から逃げ出して、特定の子供との関係を求めない、自立した「ロスト・トイ」として生きてきたことが語られます。 劇中において、ボーは野で暮らしてきたワイルドで力強い女性として描かれます。身体能力が高く、折れた腕も動じずテープで直せばいいと言い切る豪快さを持ち、その知性であるときはウッディを論破しさえするし、強い意志で計画を実行するリーダーシップもあります。ある意味では「羊飼い」である以上に「カウボーイ」的といってもいい。『トイ・ストーリー4』の物語は、美学の上ではボーを中心に語られていきます。 ▲ボー・ピープ(出典)  ボーの相棒であり、同じく「ロスト・トイ」である小さな人形ギグルも女性で、かつ警察官というアメリカ的な男性性と強く結びついた職業をモチーフにしています。ギグルはおそらく80年代に展開されたブルーバード社(後にマテル社)のポーリー・ポケットという玩具をモデルにしていますが、ポーリー・ポケットは伝統的に女児向けのおままごと遊びという文脈のもとで開発されたおもちゃで、警察官のものはおそらく存在しないか、存在しても主流商品であったとはいえません。このモチーフの改変は、意識的になされたと見ていいでしょう。 ▲ボーの肩に乗っているのがギグル・マクディンプルズ(出典)  また同じ「ロスト・トイ」仲間であるコンバット・カールはハズブロ社のG.I.ジョーをモデルとしたキャラクターで、こちらも本連載で触れたとおり、軍人というアメリカ的男性性と強く結びついたおもちゃです。コンバット・カール(厳密にはそのバリエーション)は、後にある重要な役割を果たしますが、それは本稿の最後に改めて触れます。  ともあれここで注目したいのは、「ロスト・トイ」には、(羊飼い改め)カウボーイ、警察官、軍人というアメリカにおいて男性性と強く結びついたモチーフが導入されているということです。もちろん、90年代に流行した空飛ぶ妖精のおもちゃ「スカイダンサーズ」なども登場しますから、すべてがそういったイメージで占められているわけではありませんが、印象的なキャラクターにこうした要素が配置されていることは重要です。その中心であるボーは、24年の間に育まれたフェミニズムの達成が作り出した、強く美しい「新しい女性性」の象徴だといってもよいでしょう。 ギャビー・ギャビーと母性の救済 ■PLANETSチャンネルの月額会員になると…・入会月以降の記事を読むことができるようになります。・PLANETSチャンネルの生放送や動画アーカイブが視聴できます。  

池田明季哉 “kakkoii”の誕生ーー世紀末ボーイズトイ列伝 番外編『トイ・ストーリー4』(2)シェパーデス・オン・ザ・フロンティア

【新連載】小山虎 知られざるコンピューターの思想史──アメリカン・アイデアリズムから分析哲学へ 第1回 フォン・ノイマン、ゲーデル、タルスキと一枚の写真

今回から、分析哲学研究者の小山虎さんによる新連載「知られざるコンピューターの思想史──アメリカン・アイデアリズムから分析哲学へ」がスタートします。インターネットや人工知能など、現代の情報テクノロジーを築いた知の根幹には、アメリカに流れ着いた意外な哲学的潮流の開花があった…? 二度の大戦をまたぐ20世紀社会の激動を背景に、その知られざるルーツに迫る壮大な思想史絵巻が、いま紐解かれます。 1946年、プリンストン  一枚の写真がある。1946年9月にアメリカのプリンストン大学創立200周年を記念して開催された「The Problems of Mathematics(数学の諸問題)」という数学の会議での、参加者たちの記念撮影だ。 写真出典:https://albert.ias.edu/handle/20.500.12111/4685  当時の代表的な数学者が多数参加している。なかには読者が名前に記憶がある参加者もいることだろう。例えば、右端から5人目、中段にいるジョン・フォン・ノイマン。ノイマン型のコンピューター・アーキテクチャにその名を残すだけでなく、ENIACを元にしたコンピューターをアメリカ各地に建造することを推進したことでも知られている彼は、第二次世界大戦で日本に投下された原子爆弾の開発計画であるマンハッタン・プロジェクトにも参加していた「応用」数学者だった。現在のコンピューター・サイエンスの全貌は「応用数学」の名前が与えるイメージよりはるかに巨大なものになっているのに対し、当時のそれはまだ数学との繋がりがかなり大きかったのである。フォン・ノイマンはこの会議で「新分野」と題されたセッションの座長を担当していた。  あるいは、フォン・ノイマンとは逆の左端から5人目、前から2列目にいるクルト・ゲーデル。不完全性定理という、あまりにも知られすぎたために多くの誤解を生み出したあの定理を証明した20世紀、あるいは史上最大の数学者・論理学者である彼もまた、この会議に参加していた。  他にも著名な数学者、論理学者、物理学者、そして哲学者の顔が見られる。例えば、ポール・ディラック、ヘルマン・ワイル、W. V. O. クワイン、アロンゾ・チャーチ、スティーブン・クリーネ、J. C. C. マッキンゼー、A. W. タッカー、……本連載のどこかでまた彼らに触れることになるかもしれないが、まずはフォン・ノイマンとゲーデルの間、フォン・ノイマンから左に5人目、ゲーデルから右に10人目に当たる、ある人物に焦点を当てたい。彼の名はアルフレッド・タルスキ。ゲーデルと並ぶ20世紀最大の論理学者とも呼ばれ、タルスキ型真理定義(意味論)やバナッハ・タルスキのパラドックスにその名を残し、幾何学の完全性証明やモデル論の基礎を築いたことで知られる彼のことは、哲学(とりわけ分析哲学)を学んだことのある人であれば聞いたことがあるはずだ。タルスキもまた、この会議に主要な参加者として招待されていたのである。  当時、1903年生まれのフォン・ノイマンは42歳、1906年生まれのゲーデルは40歳、1901年生まれのタルスキは45歳。この20世紀を代表する数学者・論理学者である3名は同年代でもあった。さらに、3人とも第一次世界大戦前、民族自決の激動に翻弄されていた中欧の生まれであり、母国で学位を取得した後、安定したポストに就く前の30代の時に、ナチス台頭によるユダヤ人迫害の影響でアメリカへ移民したという点でも共通している。  彼らのうち一人でも違う世代に生まれていたならば、あるいは、アメリカに移民してこなかったならば、20世紀の数学の歴史だけでなく、コンピューターの発展にも大きな影響が出ていたに違いない。フォン・ノイマンだけでなく、ゲーデルもタルスキも初期のコンピューターの発展と無関係ではない。コンピューターは20世紀前半に大きく発展した数理論理学なしに生まれることはなく、ゲーデルとタルスキはフォン・ノイマン以上にそれに貢献したと言っても差し支えないからである。  本連載では、この3人の邂逅に象徴されるアメリカのコンピューター・サイエンスの原点をめぐって、まだあまり知られていない思想史的背景を紐解いていく。  現在のコンピューターやインターネット、あるいは人工知能といった情報技術の発展のルーツには、先述したマンハッタン・プロジェクトに代表される第二次大戦期の巨大軍事科学開発があることは、言うまでもないだろう。また、それが戦後にハッカー文化やヒッピーイズムといったカウンター・カルチャーの機運と結びつき、アラン・ケイやスティーブ・ジョブズなどによって体現されるような西海岸的なIT思想を生み落としていったという「物語」も、今ではよく知られるようになってきている。  しかし、分析哲学を専門とする筆者の視点では、それはあくまで一面に過ぎない。分析哲学とコンピューター・サイエンスは、その名を知っている人の多くにとってはまったく無縁なものだろうし、両者の共通点が指摘されることなどめったにないが、じつはどちらも19世紀ヨーロッパで生まれた数理論理学を源泉とし、戦後アメリカで本格的に発展した分野である。じっさい、戦後しばらく、まさにこの写真が撮影された1946年ごろまでは、分析哲学とコンピューター・サイエンスは互いに影響しあいながら発展してきた。例えば、「コンピューターの父」と称されるアラン・チューリングはウィトゲンシュタインの講義に出席しており、二人の間で熱心な議論がなされていたことがわかっている。第二次大戦期の巨大科学と西海岸のカウンター・カルチャーの結びつきにしても、その背景に分析哲学の発展と通底する契機が見られるのである。  加えて、本連載が進むにつれて明らかになっていくだろうが、その背景に、20世紀初頭の近代科学にキリスト教的世界観との衝突など様々な「危機」が生じていたことを受け、そのありかたを問い直す営みとして当時生まれつつあった新たな分野である科学哲学の存在があったことも無視できない。そして彼ら3人の結びつきもまた、数理論理学と科学哲学を介してのものだったのだ。  ところで、当然ながら、著名な数学者であるこの3人はこのプリンストンの会議で初めて出会ったわけではない。ただ、この3人が揃ったのはこの会議が最初かもしれない。少なくともアメリカでの公式な場としては、おそらく間違いない。3人のうち最後に移民したゲーデルがアメリカにたどり着いたのはすでに第二次世界大戦が始まっている1940年であり、この1946年のプリンストンでの会議は、アメリカでの戦後初の大規模な数学の会議として企画されたものだからである。 1930年、ケーニヒスベルクとウィーン ■PLANETSチャンネルの月額会員になると…・入会月以降の記事を読むことができるようになります。・PLANETSチャンネルの生放送や動画アーカイブが視聴できます。  

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