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記事 20件
  • 脚本家・井上敏樹エッセイ『男と×××』第25回「男と怪我2」【毎月末配信】

    2017-02-28 07:00  
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    平成仮面ライダーシリーズなどでおなじみ、脚本家・井上敏樹先生のエッセイ『男と×××』。前回、ベンチプレス中にバーベルを落とし歯を負傷した敏樹先生でしたが、治療中のまま美食の街・京都へ赴くことになります。しかし出発当日、歯を固定していた針金が外れてしまい……?


    男 と 怪 我 2  井上敏樹
    前回、ジムで口にバーベルを落とし、歯を折った話をした。現在、まだ治療中でぐらぐらの前歯群を針金と接着剤で固定している。このまま折れた歯の根がくっつけば良いのだが前途は暗い。二ヶ月が経っても苺は噛めるがトマトは無理。トマトの皮を前歯で噛もうとすると痛いのだ。そんな状態で先日、京都に行った。観光はしない。京都と言えば『食』である。これは女性に多いように思うが、金閣寺だの清水寺だのあちこちまめに観光しながら食事はハンバーガーで済ます人々がいるがまったく理解に苦しむ。もったいない事この上ない。京都で『食』を堪能しないのは龍宮城に行って乙姫様にハグしないのと同じくらいもったいない。食にも色々あるが京都では特に和食――料亭か割烹がお勧めである。したがって金がかかる。財布にはち切れんばかりの札を詰め込む必要がある。通り魔にライフルで撃たれても貫通しない程度の厚さが目安だ。しかし、歯がいけないと言うのになぜわざわざ京都に? と思われるかもしれないが京都旅行は歯を折る前に友人たちと計画していたので仕方がない。私はキャンセルをしない。仕事の締切りは伸ばしても『食』のキャンセルはしない。仕事の打合せと『食』が重なった場合、断然『食』を優先する。私に言わせればこれは当然の事だ。大体、プロデューサーだの編集者だのは愛想のない会議室で腕組み足組みして鼻の穴越しに人を睥睨するように私を待っているだけだ。出してくれるのはコーヒーかお茶がせいぜいで、私が命を削った原稿に細かい難癖をつけ、人格まで否定するような輩である。

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  • HANGOUT PLUSレポート 西野亮廣×宇野常寛「なぜ、この国は西野亮廣の一挙一動に怯えるのか」(2017年2月20日放送分)【毎週月曜配信】

    2017-02-27 07:00  
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    毎週月曜夜にニコニコ生放送で放送中の、宇野常寛がナビゲーターをつとめる「HANGOUT PLUS」。2017年2月20日の放送では、お笑い芸人の西野亮廣さんをゲストにお迎えしました。絵本『えんとつ町のプペル』が25万部を突破し、その宣伝手法や炎上を恐れない言動に注目が集まる西野さんに、ご自身の活動に対する思いやこれから展望についてお聞きしました。(構成:村谷由香里)※このテキストは2017年2月20日放送の「HANGOUT PLUS」の内容のダイジェストです。

    『えんとつ町のプペル』騒動を総括する
    2人の話題は『えんとつ町のプペル』無料公開をめぐる一連の騒動からスタートします。
    西野さんに寄せられた「無料公開はエンタメの価格破壊を引き起こす」という批判に対して、宇野さんは「コンテンツの価値が限りなくゼロに近づく現象は、インターネットが登場した瞬間から宿命付けられていた」とし、その批判の根底にあるのは、既存のシステムとルールが通用しなくなることへの人々の〈怯え〉である。その〈怯え〉をいかに解除していくかを考えなければならないとします。
    西野さんは、『プペル』の無料公開に踏み切ったきっかけとして、子供の絵本を選ぶ親は必ず最後まで立ち読みしてから購入するという話を聞き、それなら自宅でも無料で読めるべきだと考えたそうです。無料公開は当初、出版元である幻冬舎の上層部の許可を取っておらず、もし自分の意図が理解されなかったら縁を切る覚悟で敢行したといいます。
    宇野さんは一連の炎上騒動について、ブログ論壇やTwitterのオピニオンリーダーは炎上によって支持を集めたが、そのほとんどが揚げ足取りやツッコミに終始していた。しかし西野さんは、炎上マーケティング的な手法を利用しながらもクリエイティブな活動を見失わない。なぜ西野さんだけが、他人へのツッコミを売りにしないキャラでいられるのか、と問いかけます。
    それに対して西野さんは、最近になってテレビでコメンテーターをする芸人が増えたのを見て、自分はツッコまれる側に立つことを決めたといいます。ツッコミたい人で溢れている社会では、ツッコまれる側に回った方が効率がいい。強度ある作品を作っているのだから、自信を持ってサンドバッグになった方が得られるものが多い、と。

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  • 【緊急対談】濱野智史×宇野常寛「〈沼地化した世界〉で沈黙しないために」

    2017-02-24 07:00  
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    元・アイドルプロデューサーにして社会学者の濱野智史さんと宇野常寛が、マーティン・スコセッシ監督の『沈黙 -サイレンス- 』を題材に、ポスト・トゥルースにおける〈沈黙〉の超克について議論します。〈沼地〉と化した世界で、我々は何を語るべきなのか?

    『沈黙』の何が沈黙を破らせたのか
    宇野 このたび濱野智史さんはマーティン・スコセッシ監督の映画『沈黙 -サイレンス- 』を観たことをきっかけに、約1年半に及ぶ沈黙を破る決意をしたということで、僕も連絡をもらって非常に驚いたんだけど。なぜそういう考えに至ったのか説明からお願いできますか。
    濱野 確かに『沈黙』は、沈黙を破るきっかけの1つになった作品ですが、同時に沈黙したくなるような作品で………………………。
    『前田敦子はキリストを超えた』という、クリスチャンの方々に喧嘩を売っているような、それでいて中身や心意気だけはガチのキリスト教信者丸出しみたいな本を出しておいて……本当は「超えた」ではなく「≒(ニアリーイコール)」くらいにしたかったのですが……しかしそれでは売れないので、すみません! という謝罪も含めて、諸々懺悔しながら話し始めるしかないんですけれども。
    僕自身はキリスト教徒ではないんですが、文学(テキスト)として、あるいは思想(の原点/原典)としての旧約・新約聖書は、素人なりに読んでいるつもりでいます。そういう立場から『沈黙』を観ると、あまりにも「沼」が深い。
    いきなり大きな話をすると、このご時世、みんな〈沈黙〉したほうがいいわけですよ。Twitterもニコニコ動画も2ちゃんねるも、全てのソーシャルメディアを使うピープルは、スコセッシの『沈黙』を観ていますぐ喋るのをやめろと。言葉の斧を沼に投げ捨てろと。映画では(踏み絵を)「踏め!」という意味で「トランプ(Tramp)」という言葉が出てきますが、まさにTwitterをトランプすることによって、今すぐトランプ(TRUMP)を引きずり下ろさなければならない、という気持ちになったし、なると思うんですよ、いまこのタイミングで観れば。
    もちろん世界的な状況だけでなくて、僕自身も、トランプに比べればはるかに小さな炎上とはいえ、地獄の炎に焼き尽くされて、ボロボロになってアイドルという《宗教》から転んでしまった。自ら作ったアイドルグループが、結局当初掲げた理念を達成できず、地下アイドルという沼に引きずり込まれ、根を張ることができず、僕自身もプロデューサーから棄教し、逃亡したにも関わらず、磔にもされていない………。
    俺は何をしているのか。
    とにかく失語症からのリハビリテーションを始めなくてはいけない。
    だから、Twitterとかに感想をつぶやくのではなく、キチジローのように告解すべきだと考えたんです。
    宇野 つまり『沈黙』は、現在のソーシャルメディア社会とトランプ現象を象徴する話になっていて、そこに触発されたと。
    濱野 はい。では、まずはこの映画のあらすじ的なところから話しを始めましょう。
    『沈黙』はトゥルース(真実)or トランプ(棄教)という映画です。
    まず、イエズス会の若い2人の宣教師が日本にやって来てくる。キリシタン狩りが始まっていて、もう危ないのにも関わらずです。
    なぜならキリスト教こそが普遍的な真理であるという教えを信じているし、だからこそ、その教えを広めにはるばる西方よりやってくる。しかし、最初のうちは隠れキリシタンに匿われて、なんとかやっていくんですが、やっぱりキリシタン狩りに捕まってしまう。
    当然、自分も磔にされるのかと思いきや、むしろ待遇はけっこういい。そのかわりに、目の前で隠れキリシタンたちが水刑、火刑、吊るし刑、ありとあらゆる手段で虐殺されていく。そして、かつて一緒に来た友人の神父もやはり捕まっていて、目の前で殉教していく。
    もうやめてくれ。もう目の前でそんなに虐殺しないでくれ。自分を早く殺してくれ(でもキリスト教徒なので、当然、自殺はできない)。殉教させてくれ……と主人公のロドリゴは懊悩する。
    ……もうこの時点で、実は主人公は「手のひらの内」なんですね。日本の権力者側は分かりきっていて、「農民の信者たちをどんなに殺しても、キリスト教徒は殉教でパライソ(天国)に行けると喜んで死ぬから、根絶やしにできないのだ、と主人公に説明する。そこで我々日本人は考えた。『宣教師を棄教させる』と絶大な効果があるのだ、と。そして主人公に「転べ」(棄教しろ)とじわりじわりと迫るわけです。
    そもそも主人公のロドリゴは、敬愛する師フェレイラが日本で棄教したという噂を聞いて、「俺たちの大尊敬する先輩が、教えを捨てるわけがない!」と立ち上がって、はるばる日本までやって来た。
    だが、紆余曲折の末、結局終盤でフェレイラと会えるわけですが、彼は仏教の研究者になって日本人の名前をもらい、「キリスト教がいかに日本にとってダメな宗教か」という本まで書かされている。当然、2人は論争になる。いや、論争にもならない。ロドリゴは「何か言うことはないのですか?」と静かに問う。それに対してフェレイラの答えは最初から決まっている。俺の後に続け、と。
    あえて、アイドル用語でいえば「流出せよ。他界せよ」というわけです。
    中学3年の『沈黙』論から全ては始まった
    濱野 僕は麻布中学の出身なんですが、実は中学3年の時に、現代文の授業で5人1組で修士論文を書くという課題があって、その時に僕が選んだのが遠藤周作の『沈黙』だったんです。理由は特になくて、なんとなく選んだんですが。
    それで、論文を書くために友達の家に集まったんですが、そいつの家にNEO・GEO(ネオジオ)があって『サムライスピリッツ』とかで遊びまくった。ラスボスの「天草四郎時貞」を倒したりして(笑)。で、最終的に「俺が全部書いておくわ」という話になって、1万字くらいの評論をパッと書いたんです。だから、僕が初めて書いた評論のテーマは『沈黙』なんですよね……。
    しかも、その時たまたまロラン・バルト的な「日本の中心は空虚である」とか、構造主義的な「ゼロ記号こそが中心として機能する」いった、いわゆる否定神学的なコンセプトを知ってしまった。それで僕は、「『沈黙』という作品は、最後に「声が聞こえる」のはおかしいけど、ゼロ記号による否定神学的構造とは理論的には整合性が取れていると思います」というような論文を書いて提出した。そしたら、「引用文献に引っ張られすぎているのでB判定」と返ってきて、「あれ〜? 結構自信作だったのにな〜」と少し悔しかった。
    もうひとつ決定的だったのが、その後高2のとき、これはクラス全員で、夏目漱石の『こころ』について30×30字原稿用紙で900字くらいの小論を書く課題があったんです。これは50人のクラスの中でトップ3に選ばれ、全員の前で読み上げられたのですが、内容は「腹を切った乃木大将はバカだと思うし全く共感できない。しかし、それに感染して手紙を書いて自殺した先生の情熱は確実に何かを残したし、正直嫉妬するレベルだ」と。
    この『沈黙』論と『こころ』論を書いた時点で、『前田敦子はキリストを超えた』を書くのは必然だったのだな、とようやく自らを振り返ることができました…。そして、アイドルプロデューサーになって大失敗し、いよいよ本当に沈黙を破って公的に謝罪しなければ……と思ったタイミングで、なんとも偶然にもスコセッシ監督による『沈黙』が公開された。僕の半生のタイムラインが全てつながった、偶然と必然の重なる瞬間でした。

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  • 『真田丸』――『新選組!』から12年、三谷幸喜の円熟を感じさせるただただ楽しい大河の誕生(木俣冬×宇野常寛)【月刊カルチャー時評 毎月第4木曜配信】

    2017-02-23 07:00  
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    近年低迷している大河ドラマは2016年、12年ぶりとなる三谷幸喜作品によって大人気を博しました。話題のコンテンツを取り上げて批評する「月刊カルチャー時評」、今回は大河ドラマ『真田丸』をめぐる木俣冬さんと宇野常寛の対談です。三谷作品の変遷を追いながら、作家の円熟を読み解きます。(構成:金手健市/初出:「サイゾー」2017年2月号)



    ▼作品紹介
    『真田丸』
    脚本/三谷幸喜 演出/木村隆文ほか 出演/堺雅人、大泉洋、草刈正雄、長澤まさみほか 放送/NHKにて、2016年1月10日~12月18日
    真田信繁(幸村)を主人公に据えた16年大河ドラマ。信繁の青年期に主君・武田家が滅び、父と兄らと右往左往する様子から、大阪の陣で破れ去る最期までを描く。出演者たちの演技はもちろん、『信長の野望』などで知られるコーエーテクモゲームスが劇中背景CGを提供していることや、大阪の陣における真田丸の戦いで超大型オープンセットを組んだ撮影なども話題に。

    木俣 『真田丸』は本当にただただ楽しく観ていて、褒めることしかできなくて、「それでいいのか?」と自分で思うくらいでした。三谷幸喜さんの新たな代表作になったんじゃないでしょうか。
    宇野 僕も、三谷幸喜という作家の円熟を感じさせた作品だったと思います。三谷さんはおそらくはその中核にあるであろうシットコム的なものをやると空回ってしまう一方で、そのエッセンスをキャラクターものに応用すると評価される、ということを繰り返してきた作家だと思うんですよね。多分『HR』【1】のほうが三谷さんにとっては自分のやりたいことをストレートに出しているのだけれども、やっぱりシットコムの手法を別ジャンルに応用した『古畑任三郎』【2】のほうがずっとハマっている。それって多分「笑い」から政治風刺的なものを脱臭してきた、この国の文化空間の問題が根底にあるんだと思うんですよ。三谷さんはもっと欧米の政治風刺的なシットコムに憧れているところがあると思うんですが、それを日本のテレビは受け付けない。だから空気を読んで脱臭してやると『HR』みたいに無味乾燥になって、無理して押し通すと『合い言葉は勇気』【3】や『総理と呼ばないで』【4】のように空回ってしまう。どこが空回っているかというと、三谷さんの考える「正義」というのは基本的に戦後民主主義的というか、学校民主主義的な優等生っぽい「正義」で、端的に言えば淡白でダサい美学に基づいた正義感なんですよ。それを笑いで包むことによって粋に見せたいのだけど、政治と笑いを結びつける回路がこの国のテレビを中心とした文化空間では死んでしまっているわけです。
     そこで発見したのがキャラクターものとしての「歴史」という回路だったと思うんですよね。要するに、歴史ものという解釈のゲームに退避することによって、三谷さんの抱えてきた「笑い」と「正義」が初めてちゃんとかみ合うようになった。それが例えば『新選組!』【5】だったはずで、あの1話が劇中の1日になっていて、全50話をかけて近藤勇の人生で重要な50日を描く、なんてやり方なんかは、三谷さんがそれまでやってきたシットコム的なものの応用がハマった例ですよね。あのコメディの枠組みがあるから、新選組という敗者の側に立つことで学校民主主義的なイノセンスを浪花節的に見せる、というベタベタなものが逆に気持ちよく観れる。毀誉褒貶はあったみたいだけれど、僕は『新選組!』はアクロバティックな手法がうまくハマった作品だと思っていて、だから『真田丸』で今更やることがあるのかな? とまで思っていたわけです。しかし蓋を開けてみたらものすごくアップデートされていてびっくりしました。
    木俣 本当に、三谷さんの集大成になったな、と思いますね。『新選組!』に対しては、絶賛の一方で、「史実に沿っていない」などの批判もかなりあったじゃないですか。実際はそんなことなかったようで、その誤解に対する悔しさもあったかもしれませんね。それから12年、『真田丸』を描くまでに、三谷さんは結構いろんなことに挑んでいます。以前から好きだった人形劇に挑戦したり(『連続人形活劇 新・三銃士』【6】)、その発展形で文楽をやってみたり(『其礼成心中』【7】)。
     演劇の方面から三谷さんを語ると、彼は1980~90年代のいわゆる小劇場ブームの頃に人気があった東京サンシャインボーイズの主宰で、座付き作家であり、ときには俳優もやっていました。その頃は夢の遊眠社と第三舞台が小劇場界の二巨頭で、どちらの主宰も、イデオロギーというか、70年代的な社会問題意識みたいなものを隠し持った劇団だった。その中にあって、唯一全然思想を感じさせない、非常にウェルメイドで誰もが楽しめるお芝居を始めた珍しさを持っていたのがサンシャインボーイズで。それもあって、三谷さんはあまり政治色を出さない人だと思っていたんです。代表作である『笑の大学』(96年)は太平洋戦争開戦前の検閲の話ですが、あくまで2人の人間の関係性を描いた作品で。
     それが、13年にゲッベルスを中心にした群像劇『国民の映画』【8】をやったんですね。この舞台は世界が緊張状態にある中でのさまざまな立場の人たちの関係性を描いたもので、「ナチス」とか「ヒットラー」という言葉を一切出さないにもかかわらず、その巨大な抑圧みたいなものも感じさせ、作家としてかなり円熟味を増していた。『真田丸』はこの作品で突き抜けた先にあったと思います。この12年間の経験値が、『真田丸』を充実したものにしたんでしょうね。深みがある上、子供やお年寄りが観ても楽しめるような、すごくオーソドックスな構成でもあった。

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  • 更科修一郎 90年代サブカルチャー青春記〜子供の国のロビンソン・クルーソー 第5回 高田馬場・その1【第4水曜配信】

    2017-02-22 07:00  
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    〈元〉批評家の更科修一郎さんの連載『90年代サブカルチャー青春記~子供の国のロビンソン・クルーソー』、今回からは高田馬場編が始まります。学生街と盛り場が奇妙に入り混じった街を歩きながら、90年代雑誌文化の片隅で存在感を放った「エロ本」文化圏を振り返っていきます。

    第5回「高田馬場・その1」
     いつの間にか、冬になっていた。
     フリーランスの生活は昼夜逆転になりがちで、用事以外で朝から外出するのは辛い。
     今日は巣鴨から山手線に乗り、高田馬場へ行く。
     いくつも会社を転々としていた中でも、もっとも長く通っていた街だ。
     かつての職場──白夜書房がある街で、辞めた後に入った別の会社もまた高田馬場だったからだが、15年ほど前、完全にフリーランスとなってからは、ほとんど訪れていない。
     東京都内──中央線沿線に住んでいるのに、巣鴨から向かったのは、カプセルホテルやビジネスホテルに泊まることが、気分転換を兼ねた趣味だからだ。
     とはいえ、会社勤めをしていた頃、巣鴨に泊まったことはない。
     会社勤めをしていた頃は、「グリーンプラザ新宿」という西武新宿駅横の巨大カプセルホテルによく泊まっていたが、建物の老朽化なのか、昨年のクリスマスに閉店してしまった。
     新宿でも池袋でも良かったのだが、考えてみると、大半の安宿は制覇していたから、わざわざ巣鴨のカプセルホテルに泊まっていた。
     3000円以下でコトブキシーティングのSPACE Dカプセルベッドに泊まれることには驚いたが、ごく一部のマニアにしか面白くない話なので、省略する。
    ■■■
     JR高田馬場駅の発車メロディは、いつの間にか『鉄腕アトム』のテーマになっていたが、早稲田口の風景自体はそれほど変わっていないように思えた。
     たぶん、高架橋周辺の煤けた暗さが昔のままだったからだ。
     覆い隠すように手塚治虫の漫画のキャラクターたちを壁画にしているのだが、低くて暗いガード下のどんよりした空気は変わらない。
     かつては、徹夜明けの早朝に通ると、土建屋のトラックが日雇い労働者を運んでいく光景もよく見かけた。
     高田馬場から小滝橋通りの坂を登り、新大久保へ向かう中間地点の西戸山に日雇い労働者向けの職業安定所があり、その周辺がドヤ街になっていたからだ。
     山谷や釜ヶ崎ほど有名ではなかったが、敗戦直後から昭和の終わり頃まで、戸山ヶ原──百人町のドヤ街は、それなりの規模だったらしい。
     戦前、このあたりには帝国陸軍の施設が立ち並んでいたのだが、戦時中の空襲で焼け野原になり、跡地はまるごと巨大な貧民窟と化した。
     やがて、新大久保側は1950年に建設されたロッテ新宿工場を中心にコリアンタウン化していくのだが、高田馬場側には戸山ハイツなどの都営住宅が建設され、急速にスラムクリアランスされていった。
     両者の中間地点である西戸山の一角だけが、ドヤ街として取り残されていたのだが、それも平成に入ると、徐々に縮小されていく。
     早朝のトラックはその時代の名残りだった。もっとも、高田馬場側に残っていたのはそれくらいなのだが、駅前のガード下はいつもどんよりとしていた。
     だからこそ、手塚治虫キャラクターの壁画で明るくしようと思ったのだろうが、小学生時代の夏休みをまるまる使って講談社の手塚治虫漫画全集を全巻読破していた筆者は、シュマリが祭り好きの陽気なおっさんであるかのように描かれていることに毎朝、苦笑いを浮かべていた。
     それ以前に、完全に手塚ダークサイドの住人である、奇子や結城美知夫といったキャラクターは描かれていない。
     スラムクリアランスと「死者の聖化」という利害の一致から描かれた壁画も、結局、どんよりとした空気を払拭することはできず、中途半端に風景の一部となっている。
     なお、西戸山の職業安定所──ハローワークはその役目を終えたのか、労働基準監督署になり、ロッテ新宿工場も2013年に閉鎖された。チューインガムの生産ラインはマリーンズの二軍本拠地でもある浦和工場へ集約されたらしい。
     大型タワーマンションも次々と建てられ、往時の風景はすっかり消えたと思っていたが、昨年秋、西戸山公園で寄せ場のショバ代を脅し取ろうとした極東会系の暴力団員が逮捕されていた。
     ということは、早朝のトラックも残っているのだろうか。

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  • 山本寛監督インタビュー「いまだからこそ語るべきアニメのこと」第5回 アニメのなかに真実がある【不定期連載】

    2017-02-21 07:00  
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    『らき☆すた』や『かんなぎ』で知られるアニメ監督・山本寛さんの、これまでの活動を総括するロングインタビュー「いまだからこそ語るべきアニメのこと」。第5回では、『らき☆すた』以降の諸作品、『かんなぎ』、『私の優しくない先輩』、そして震災をテーマにした『blossom』についてお話を伺いました。(取材・構成:高瀬司)

    ――また『ハルヒ』はYouTube、『らき☆すた』はニコニコ動画と、新しいWebサービスの登場と同期するかたちで人気が拡大したと思います。ああいった同時代的なシンクロニシティは、当時どのように感じられました?
    山本 以前から2ちゃんねるの反響や、YouTubeでのハルヒダンスの盛り上がりは見ていましたから、『らき☆すた』のときは伊藤プロデューサーと「ネットで突っこまれるような作品にしたいですね」とよく話していたんですよ。そうしたら、2ちゃんのひろゆきが関わり、YouTubeを利用した、コメント付き動画サービスがはじまった(笑)。あのころは、時代が僕の背中にある感覚がありましたね。
    ――あわせて京都アニメーションのフィルモグラフィ自体が、セカイ系の『AIR』にはじまり、セカイ系から日常系への移行を象徴する作品として『ハルヒ』があり、日常系の『らき☆すた』、そして『けいおん!』シリーズ(2009-2011年)と、時代の変遷を体現していたと思います。
    山本 ただ、美学的観点から見れば、アニメが劇的に変化してしまったのは、そのパンドラの箱を開けてしまったのは『けいおん!』だと思います。『らき☆すた』は日常系ではありますが、きちんと人間ドラマを組みこんでいた。オリジナルエピソードとして、柊一家の人間模様を描いた第17話「お天道様のもと」や、修学旅行に行く第21話「パンドラの箱」、こなたの亡くなった母親・かなたをめぐる第22話「ここにある彼方」を加えるなど、必ず家族や異性、社会を意識させるようにしていたんです。女子校ではなく共学であることを強調するために、白石みのる(CV:白石稔)を目立たせたりもしました。
    ところが『けいおん!』では男性は徹底的に排除されているし、両親も出てこないか、映画でやっと出てきても顔が見切れている。ついにここまで来たかと思いましたね。アニメのポストモダン化は『けいおん!』で極まったと思います。
    ――京都アニメーション時代に関する最後の質問になりますが、『ハルヒ』『らき☆すた』と、実際に責任あるポジションを務められてみていかがでしたか? 各話演出時代に武本監督から言われたように、何か意識の変化などはあったのでしょうか。
    山本 やはり見え方が大きく変わりましたね。僕は本当に生意気だったんだなと痛感しました(笑)。よく自分が2人いればいいのにと言う人がいますけど、もし僕が2人いたら確実にもう1人を殺しますね(笑)。なのでいろいろありましたが、京都アニメーションには強い恩義を感じています。これだけ生意気で半狂乱の男をよくここまで育ててくれたなと。 
    Ordetと悲劇
    ――メインテーマに関して一通りうかがったところで、後半では京都アニメーションを辞められたのちのご活躍も簡単に振り返らせてください。山本監督はその後、新たにOrdetを立ち上げられますが、どのような意図があったのでしょうか。
    山本 僕が京都アニメーションを辞めたときというのは、社内もかなり揉めたんですね。実際、僕と同じタイミングで、守りに入った会社の方針に嫌気がさして辞めていったスタッフが何人かいて。Ordetはその受け皿というつもりで立ち上げました。なので必ずしも会社である必要はなかったんですが、そのときの落ちこんでいた気持ちを切り替えるいいきっかけにもなるかなと、軽い気持ちで大阪で起業を。でもこの選択が最悪でしたね。その後の10年にわたる悲劇のはじまりです。
    ――悲劇というのは?
    山本 経営者になってしまうことで、監督としてうまく暴れることができなくなってしまったんですよ。それまでは会社に文句を言う側だったのが、経営者として文句を言われる側へと立場が変わってしまったわけですから。結局、社長であるということを、自分のなかでうまく咀嚼できなくて……それでスタッフもみんな離れていってしまいました。自分で自分の首をどんどん締めていったのがこの10年でしたね。
    ――Ordetでの監督第1作は『かんなぎ』(2008年)ですが、このころというのは?
    山本 『かんなぎ』のころはまだぜんぜんよかったんです。会社を立ち上げた直後ということで、ていねいに作ろうという一心で臨んだ作品でした。それに武梨えり先生の原作は、自分探しのドラマの要素もあるし、ギャグも萌え要素もある、パロディもいける。つまり多方面で自分にとってやりやすい題材で、自分の持ち味を活かせばいいだけだったので、本当に楽しく取り組めて、リスタートにはもってこいの一作でした。

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  • HANGOUT PLUSレポート 森直人×宇野常寛「日本映画は復活するか――〈川村元気以降〉を考える」(2017年2月13日放送分)【毎週月曜配信】

    2017-02-20 07:00  
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    毎週月曜夜にニコニコ生放送で放送中の、宇野常寛がナビゲーターをつとめる「HANGOUT PLUS」。2017年2月13日の放送では、映画評論家の森直人さんをゲストに迎えました。『君の名は。』などのヒット作が続き日本映画復活の年といわれた2016年。しかし映画界の業界構造は以前のまま、ブームはアニメと川村元気作品に支えられている状態です。日本映画の現在と未来について、2人の間で熱い議論が交わされました。(構成:村谷由香里)
    ※このテキストは2017年2月13日放送の「HANGOUT PLUS」の内容のダイジェストです。

    川村元気は日本映画の何を変えたのか
    2人の議論は、2016年のキネマ旬報ベストテンから始まります。上位10位内にランクインした川村元気プロデュース作品は、10位の『怒り』のみ。通例のベストテンなら本作品は1位になってもおかしくないとする森さんは、2016年の日本映画を「佳作は驚くほど大量にある。しかし突出した作品のない団子状態」と評します。
    森さんによると、この日本映画の充実の端緒は、中・小規模やインディペンデント作品で『SRサイタマノラッパー2』『さんかく』『川の底からこんにちは』といった若手監督の注目作が次々と公開された2010年にあり、東宝の川村元気作品でいえば同年の『告白』と『悪人』が象徴的に巨大なインパクトを残した。そして、2010〜11年の『告白』『悪人』『モテキ』のそれぞれに対応するのが、2016年の『君の名は。』『怒り』『何者』であり、この6年間で川村元気作品は成熟を迎えたが、それは一方で「緩やかな後退」でもあったかもしれないといいます。
    宇野さんは、2000年代前半の日本映画は、『ウォーターボーイズ』(2001年)の成功をモデルとした「メジャーと単館の中間でスマッシュヒットを狙える」という夢を見ていた時代がまずあり、その夢が一度破綻したあとに出現したのが東宝という大手配給会社の内部で前衛的な作品制作を試みる川村元気プロデューサーだったと指摘します。
    そして2010年というターニングポイントにおける川村元気のプロデュース作『告白』の重要性を訴えます。中島哲也監督によるCM的・PV的なカットの「つながらない」演出は、映画評論家の間では賛否両論だったが、それは日本映画の射程距離を更新しようとする試みであったと評価します。しかしその一方で2016年の川村元気作品にはこうした射程を持ち得た作品はなかったという批判を加えます。

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  • 山本寛監督インタビュー「いまだからこそ語るべきアニメのこと」第4回 『ハルヒ』『らき☆すた』演出ノート【不定期連載】

    2017-02-17 07:00  
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    『らき☆すた』や『かんなぎ』で知られるアニメ監督・山本寛さんの、これまでの活動を総括するロングインタビュー「いまだからこそ語るべきアニメのこと」。第4回では、『ハルヒ』のライブシーンやダンスEDの誕生秘話、そして『らき☆すた』降板の舞台裏について、深掘りしてお話を伺いました。(取材・構成:高瀬司)


    ――なるほど……。いまのお話で、これまでなんとなく曖昧だった『ハルヒ』の経緯に関して、いろいろと腑に落ちました。では事実上の初監督作品として、『ハルヒ』の具体的な内容・演出に踏みこんでうかがわせてください。まずそもそも、第1話に「朝比奈ミクルの冒険 Episode00」を持ってくるという構成が衝撃的でした。
     
    山本 『涼宮ハルヒの憂鬱』をアニメ化するときのコンセプトは「超監督・涼宮ハルヒ」だったんですね。つまりあのハルヒが『涼宮ハルヒの憂鬱』というTVアニメを作るとなれば、時系列シャッフルだろうとなんだろうと、ありとあらゆる訳のわからないことをするだろうし、当然一番頭に持ってくるのは自分が監督した自主映画に決まってるだろうと(笑)。
    ただ、それを視聴者に受け入れてもらえるかどうかは、僕らにとっても冒険でした。だから、最速となる東京の初放映時には、2ちゃんねるの実況スレに張りついて反響を見ていたんですよ。そうしたら案の定、最初は大騒ぎなわけです。ネットが動揺している瞬間をはじめて見ました。みなが混乱している。それでいよいよ「これは炎上してしまうかもな……」と思いはじめたころ、原作ファンから「これが『ハルヒ』だよ!」という声があがったんですよ。第1話はOPも「恋のミクル伝説」ですから、通常のOPには出る「超監督・涼宮ハルヒ」というクレジットもなく、メディアにも事前には非公開にしていた情報だったんですが、にもかかわらず僕らが意図したコンセプトを見抜いたんです。やはり『ハルヒ』のファンは頭がいいなと思いましたね。この第1話を受け入れてもらえたことが、その後の僕らの勢いにもつながっていきました。
     
    ――第1話の次に山本監督が担当されたのが第9話「サムデイ イン ザ レイン」です。これも極めて異色なアニメオリジナルのエピソードでした。
    山本 「サムデイ イン ザ レイン」のコンセプトは第三者視点、「定点観測」です。『ハルヒ』の原作というのはつねにキョンによるモノローグ、一人称視点で統一されているのですね。そのせいで、原作ファンのあいだでは、ハルヒではなくキョンこそがこの世界を司る真の神であって、キョンが見ていない世界というのは存在しないのではないか、といった推論も出ていて。だから原作者の谷川(流)先生との打ち合わせのとき、「キョン以外の、第三者視点のエピソードを作りましょうか」と提案してみたところ乗っていただけて、それで最終的に定点観測というコンセプトを立てました。キョンのいないSOS団の部室を、三点からの監視カメラのような映像で延々ととらえる。設定へのエクスキューズとして、コンピ研が仕返しに盗撮していたとか、部室にある太陽のオブジェが実はキョンでもハルヒでもない第三の神だったとか、そういう深読みできる理屈も用意していましたね。
    ――EDでも目立つオブジェですが、本編でも2度ほど意味深にアップでとらえられていましたね。またこのエピソードは、ショット数がものすごく少なく、150ほどしかない点も特徴的です。長回しがすごく多い。
    山本 定点観測ものというのは、同ポ(同ポジション)が多いのでレイアウトこそ楽ですが、引きの画ばかりになるので、登場人物の全身を描かなくてはいけなくなって作画がすごくハードなんですね。一般視聴者からすると楽そうに見えるかもしれませんが、作画カロリーはむしろすごく高い回になっていて、だからどこかで思いっきり手を抜いておこうと。それで長門が本を読んでいるだけの画をずっとリピートするカットを入れたんです。最終的に一番長いカットで2分17秒、さらに一度別のカットを挟んで、もう一度同じ画を1分間という長回しになりました。
    ――作画という点では、その後の第12話「ライブアライブ」のライブシーンも大きな話題を呼びました。
    山本 あの演奏シーンはロトスコープですね。「God knows...」は、当時人気だったアイドルバンド「ZONE」の曲をモデルに神前に作・編曲を発注していて。あがってきた曲をプロのミュージシャンの方に演奏してもらい、その様子をビデオ撮影したうえで、映像をキャプチャした画像をプリントアウトし、それを上からなぞるという手順で作りました。ハルヒのアップの表情は、平野綾さんの歌う映像をもとにリップシンクさせるようにしています。ハルヒのカットの原画は全部西屋(太志)くん、彼は本当にうまかった。それと高雄(統子)さん(※編注:のちに京都アニメーションを退社し『アイドルマスター シンデレラガールズ』『聖☆おにいさん』を監督)のパートもいいんですよ。ハルヒが「God knows...」を歌い終わったあと、大受けの会場を見て安心したようにため息をついて、ドラムのほうを振り向くというカット。あそこの原画は、あがってきたのを見た瞬間に大泣きしてしまいました。僕は基本的に、タイムシートは全カット自分で直していたんですが、あそこだけはもう涙でシートが読めず、そのままスッと戻すよりほかなかったですね。
    また演奏シーン以外にも、文化祭の日のエピソードということで、参加している全員が主役というコンセプトを立て、背景のモブも全部動かすようにしています。キョン視点の物語の背後で、モブの一人ひとりが文化祭を楽しんで、またさり気なくハルヒとバンドメンバーたちの物語も進んでいく。だから結果的に、作画枚数はほかの話数の2倍使うことになりました。


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  • 90年代的な「燃え」を巧みに更新した『ガンダムSEED』『スクライド』『ガン×ソード』(『石岡良治の現代アニメ史講義』第5章 今世紀のロボットアニメ(4))【不定期配信】

    2017-02-16 07:00  
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    「日本最強の自宅警備員」の二つ名を持つ批評家・石岡良治さんによる連載『現代アニメ史講義』。今回は、ゼロ年代前半〜半ばに人気を博し、今世紀のロボットアニメ的イマジネーションの基調を作り出した『ガンダムSEED』『スクライド』『ガン×ソード』を考察します。
    (※来週2/23(木)20:00より、石岡さんの月1ニコ生「最強☆自宅警備塾」が放送予定! 続編制作も発表され話題の『コードギアス』を取り上げます。視聴ページはこちら)

    『無限のリヴァイアス』と『伝説巨神イデオン』のミッシング・リンク
     今世紀のロボットアニメの位置付けを理解する上では、90年代末のポストエヴァ作品群の要素がどのようにして21世紀に流れ込んでいったかを整理することが重要です。そこで今回は『機動戦士ガンダムSEED』のキャラクターデザイナーで知られる平井久司が関わったアニメの系譜と、谷口悟朗監督作品との関係を検討していきたいと思います。
     『無限のリヴァイアス』については前回も触れましたが、そのとき考察したのは、ティーンズの人間関係では当然生じる「性と暴力」をめぐるテーマ系についてでした。『ガンダムSEED』や『蒼穹のファフナー』にもこのテーマ系は受け継がれており、平井久司絵のアニメについて、「ドロドロした人間関係が繰り広げられる」という漠然とした印象を持つ人もそれなりにいるのではないでしょうか。
     ただ、そこに入る前に前回語り残したこととして、『リヴァイアス』の別の側面、すなわちロボットアニメとして興味深い点についてまず考えてみたいと思います。先日『リヴァイアス』を見返してみたところ、思いのほか『伝説巨神イデオン』テレビシリーズ(1980-1981年)の後半と近い、という感触を持ちました。一般に『リヴァイアス』は『イデオン』と関連付けられることはあまりありませんが、たとえば本船リヴァイアスとロボットのヴァイタル・ガーダー、そのどちらにクルーが乗り込むのかによって、分かれたクルーのそれぞれが疑心暗鬼に駆られ、権謀術数がうごめくという作劇は、『イデオン』のギスギス感と似た性質があります。『イデオン』では地球人とバッフ・クランのいずれもが、閉鎖された環境でなかなか結束できず相互不信に陥っていく描写がしばしばみられました。
     また、『リヴァイアス』も『イデオン』もともに、ロボのパワーが実質的に無敵に近そうでありつつも、だからといって相手の攻撃をひたすら無双状態で倒すというわけにはいかず、弱点を的確に突かれることで苦戦を強いられる展開が目立ちます。その結果バトルにつねに悲壮感が漂う点でも、『リヴァイアス』と『イデオン』は共通しています。『イデオン』の場合は登場人物が全滅する結末がよく語られますが、『リヴァイアス』の最終話付近のバトルを見ていると、「外側に大人社会があるがゆえにかろうじて全滅を免れた」という印象を拭えないのですね。
     もちろん、大人社会から隔絶されたティーンズ集団内での抗争と協力のドラマには、ゴールディング『蝿の王』というダーク版『十五少年漂流記』の傑作や、楳図かずお『漂流教室』といった先行作品があります。ロボットアニメにおいても、当初の『機動戦士ガンダム』のプランをよりジュブナイルものとして展開した『銀河漂流バイファム』(1983-1984年)という佳作がありますが、無茶を承知で『リヴァイアス』を過去のロボットアニメと関係付けるならば、「ダーク版バイファム」に「マイルド版イデオン」の味付けをほどこしたもの、という見立てが成り立つと考えています。
     こうした要素が、『リヴァイアス』をポストエヴァ期ロボットアニメの中でも興味深いものにしているのではないかと思います。私見では、『リヴァイアス』では敵サイドの戯画化が過剰なところが惜しまれるのですが、敵が送り込んでくるユニット群には、若干『エヴァ』の使徒のような「様々な可能性を一つずつ試し、潰していく」感覚があります。
     以上の見立てを踏まえた上で、『リヴァイアス』における谷口悟朗監督の達成を次のようにまとめることができると思います。高橋良輔監督『ガサラキ』の副監督を努めた後、初監督作となった『リヴァイアス』において、まさにエヴァンゲリオン風の演出や作劇がロボットアニメを席巻していた時期に、『エヴァ』の原点の一つである『イデオン』の構成要素にまで遡り、かつ「少年少女が戦うことの意味」を、戦闘行為のみならず「サヴァイヴァル」すなわち「生き抜くこと」として捉え直し、そこで生じる諸問題を繰り広げたたのではないか? ということです。『リヴァイアス』および『ガサラキ』に含まれる様々なモチーフが、後の『コードギアス』で展開されていることを考えると、非常に興味深いのではないかと思っています。
    『ガンダムSEED』と平井久司のキャラクターデザイン
     すでに指摘してきたように、今世紀のロボットアニメの基調を生み出した二人の重要人物として、キャラクターデザイナーの平井久司と、演出・監督の谷口悟朗を挙げることができるでしょう。この二人は『無限のリヴァイアス』、『スクライド』(2001年)で共に仕事をしており、まさに世紀転換期のこの二作こそが、その後二人が活躍する基礎になったのではないかと考えています。そこで、厳密にはロボットアニメとは言えない『スクライド』も併せて考察することにしましょう。
     谷口悟朗の監督作品は『リヴァイアス』、『スクライド』、『プラネテス』(2003-2004年)、『ガン×ソード』(2005年)という順番で続き、この流れで得た経験値がすべて『コードギアス 反逆のルルーシュ』(2006-2007年)に投入され、今世紀のオリジナルロボットアニメ最大のヒットとなりました。

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  • わたしの日本文化愛|周庭

    2017-02-15 07:00  


    日本のアニメやアイドルが大好きだという、香港の社会運動家・周庭(アグネス・チョウ)さん。日本に興味を持つきっかけになったアニメや、ファン歴8年にもなるモーニング娘。などのアイドル、今期期待の映画など、日本文化について熱く語りました。(翻訳:伯川星矢)

    御宅女生的政治日常──香港で民主化運動をしている女子大生の日記第5回 わたしの日本文化愛
     これまでは、香港の政治情勢やわたしの考え方についてお話をしてきました。しかし、わたしがどうして日本文化を好きになったのかは、まだお話していませんでした。今回はそれをお伝えしたいと思います。

    ▲香港衆志のメンバーと、ヴィクトリアパークの旧正月祭りにて。
     わたしが日本のアニメに興味を持つようになったのは、小学校6年生か中学校1年生の頃でした。それまでも、ときどき香港テレビ局が放送していた吹き替えアニメを観たことはあったのですが、あまり夢中になるこ