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記事 25件
  • 「2.5次元って、何?」──テニミュからペダステまで、「2.5次元演劇」の歴史とその魅力を徹底解説|真山緑(PLANETSアーカイブス)

    2020-12-18 07:00  
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    今朝のPLANETSアーカイブスは、「2.5次元演劇」の誕生から定着までを見守ってきた編集者・真山緑さんのインタビューです。2010年代以降に顕在化した「テニミュ」「ペダステ」ブームの背景にある歴史や文脈を辿りながら、新しい演劇文化としての「2.5次元」の魅力について、お話を伺いました。(聞き手:編集部)※この記事は2015年2月26日に配信した記事の再配信です。※インタビュー内容は、2015年当時の状況に基づいたものです。
    『舞台「弱虫ペダル」インターハイ篇 The First Result2014』
    2.5次元って、何?
    ──今回は、このところ話題になっている「2.5次元舞台」について、真山さんに解説をお願いできればと思います。まず2.5次元という概念についてお聞きしたいですが、そもそも「2.5次元」という言い方が定着したのはここ数年ですよね? 
    真山 そうですね。あくまで私が劇場に足を運んでいた体感的なところとデータから見たものでお話しますが、2012年あたりから……だと思います。その前にまず単語として説明すると、2.5次元というのは、マンガ・アニメ・ゲームが原作のものを舞台化──つまり2次元のものを3次元化したからその間をとって2.5次元、という認識でいいと思います。
    元々キャラ性の強い特撮作品や声優さんたちに対しても「2.5次元」という言葉は使われてきていましたが、ここ数年で一気に舞台化作品が増えメディアで紹介されたり、昨年「日本2.5次元ミュージカル協会」という組織ができたりしたこともあり、そういった舞台作品を総称して「2.5次元」舞台というジャンルで捉える動きが出てきています。
    ──2.5次元ブームというと、やはり『ミュージカル・テニスの王子様』(以下『テニミュ』)から『舞台・弱虫ペダル』(以下『ペダル』)の流れを中心に広がっている印象ですが、作品としてはやはり女性向けのものがメインなんですか?
    真山 観劇に足を運ぶ層に女性が多いのもあって過去の舞台化作品を見ても、女性ファンが多い作品が選ばれることが多いです。実は、ここ数年で作品数自体も相当増えていて、私は「PORCh」というテニミュを中心とした評論のZINE(=自主制作・自主流通の同人誌のこと)を作っているのですが、2012年に「おいでよ!2.5次元」という特集をしました。これを出した理由は、観劇に行く中で「最近、急に2.5次元作品が増えたよね」と体感したことなんです。「日本2.5次元ミュージカル協会」の資料をみると、数字的にも2011年は30作品以下だったのに対し、2012年は60作品を超える形で、2011年から2012年にかけて爆発的に作品数が増えたのがわかります。
    ──震災後に爆発的に増えているわけですね。
    真山 2011年がちょうど『テニミュ』の2ndシーズンが始まった年で、2012年は『ペダル』のシリーズ初演と、乙女ゲームの人気作の舞台化『ミュージカル薄桜鬼』(=薄ミュ)シリーズの初演と、『テニミュ』の関東立海公演──これは『テニミュ』のシリーズとして後半戦に入る直前の盛り上がる公演です──その三つが重なって観劇に行くお客さん自体も増えたように思います。2011年から2012年にかけては、動員数も60万人以下から120万人規模とほぼ倍に増えていることが協会の資料からもわかります。
    ── 一気に2倍以上になってるんですね。
    真山 資料には、2013年には160万人突破とまで書いてありますが、リピーターもかなりいるのでユニークユーザーがどれくらいかわかりませんけど(笑)。『テニミュ』は「Dream Live」という楽曲だけのガラコンサートをするんですが、昨年の2ndシーズンを締めくくるライブではさいたまスーパーアリーナが埋まりました。それまでは横浜アリーナ(最大収容人数17000人)で毎回公演をしていて、さいたまスーパーアリーナ(最大収容人数37000人)でやるという告知があったときに、ファンは「え、埋まるの!?」という感じでしたが、意外とチケットが取れない人もいたりしていて。
    ──スーパーアリーナぐらいの規模だとはむしろ「行ってあげる」くらいの気持ちでいたら、意外と取れなかったわけですね。
    真山 あんなに油断せずに行こうと言われてたのに(笑)! ただ、その公演で『テニミュ』2ndシーズンのキャストが卒業だったので、さいたまスーパーアリーナに最後を見届けようというのも大きかったと思います。
     ここまで爆発的にファンが増えたのは、『テニミュ』を中心とした観劇ファンだけでなく『ペダル』や『薄桜鬼』といった別の作品のヒットとその原作から劇場に足を運ぶファンが増えたことも大きいです。『テニミュ』は知っていたけど観たことはないという層が、原作の舞台化をきっかけに2.5次元の世界に入ってきた。その流れに合わせて作品数も増えたのではないかと思います。 
    ──『テニミュ』の成功を背景に、ネルケプランニングといった舞台の制作会社とその周辺の企業が動いたというわけですか。作品数が増えていくと同時に『テニミュ』で培われた人材が分散していったということなんでしょうか?
    真山 『テニミュ』出身のキャストを「テニミュキャスト」(ミュキャス)と呼んだりするのですが、彼らが卒業後別の2.5次元舞台に出ることはとても多いです。『テニミュ』は基本的に舞台経験の少ない若手俳優を役に据えるので、2.5次元舞台をやる上での若手俳優養成所的な役割も担っていると思います。
    「発明」から生まれるヒットシリーズ
    真山 ファン自体も『テニミュ』をきっかけとして舞台にハマって出演者を追いかけて他の作品を観に行ったりするファンや、2次元(アニメ・マンガ)を平行して追いかけている原作ファンもいるので、『テニミュ』で入ったファンがそのままずっと『テニミュ』を観続けるとは限らない。2012年からお客さんがどっと増えたのは、『ペダル』と『薄桜鬼』が舞台化されたことが大きいですけど、どちらも初演から満員だったわけではなく、シリーズを続けることで徐々に原作や役者のファンから作品のファンへと観客を増やしていった印象です。
     それに加えてこの2作は、演出に小劇場系の人を呼び、すでに2.5次元系の作品の出演歴があるキャストに演じさせることで、それぞれの作品にカラーが出たことも大きかった。それが結果的に「あの原作(2次元)がこうやって舞台(2.5次元)になりました」という驚きをあたえることができた。特に『弱虫ペダル』は驚きでしたね! まさかああくるとは(笑)。
    ──想像では、クロスバイクを持ち込んでみんなで漕ぐのかと思っていたら、実際はハンドルだけを持ってみんなで漕いでるアクションをやるという──衝撃でしたよね。
    真山 本当にあれは「発明」でした! 元をたどれば、演出の西田シャトナーさんが「惑星ピスタチオ」という劇団でやっていた「パワーマイム」と呼ばれるもので、小道具を極力使わずに役者の身体で表現をする、パントマイムを使った演出方法なんです。それを『弱虫ペダル』の原作に活かすことによってああいった表現になった。これは『テニスの王子様』も同じで、実際にボールを打っているわけではないんですよね。ただ、ラケットの振りに合わせて、スポットライトと音を効果的に使うことで、ちゃんと打っているように見える。映像だと全てをきちんと表現しないと描けない原作の要素が、舞台では観客の想像力で補われる。そこに「.5(てんご)」の部分が生まれる。そこが2.5次元のおもしろさだと思います。
    ──2.5次元演劇の魅力のひとつが「見立ての美学」であるというのは共有されつつある気がするのですが、『ペダル』のDVDを観たら、舞台としても洗練されているという印象を受けました。メタ視点の入れ方も良いし、原作のまとめ方も良いし、そこにさらにクレイジーな「見立ての美学」という要素が加わっていて。
    真山 これまで「舞台」というと「ちょっと高尚な趣味」という感じで、宝塚や東宝ミュージカルも含めて少し敷居が高い大人の趣味と思われがちでしたが、『テニミュ』や『ペダステ』といった2.5次元系の作品が増えたことで、観に行く敷居が下がったところはあると思います。昔は『テニミュ』ファンだけだったのが、作品数が増えることによって2.5次元舞台ファンが細分化して、広がっていった印象です。
    ──ちなみに『薄ミュ』は、『ペダステ』のようにぶっ飛んだものではないんですか?
    真山 『薄ミュ』は、意表をつく演出があるというわけではないですが、乙女ゲームが原作なので乙女ゲームにあるキャラクターの「ルート」をうまくシリーズに昇華させています。ゲームの『薄桜鬼』はキャラクターごとに主人公と結ばれるルートごとの物語があって、『薄ミュ』では、このゲームの1ルートを1作で見せる形式だったんです。
     『テニミュ』は、主人公の学校が全国大会優勝までを描く物語が一本筋で続いて、その対決を学校ごとに1作で見せていく形式なんですが、こちらは、パラレルワールドとしてストーリーを毎回見せる形でした。お客さんも「このキャラのルートが観たい」という形で原作ファンを定期的に呼び込めるのが上手い点だと思います。
     もうひとつ『薄桜鬼』の発明は、男性キャストは基本的に変えずに「沖田総司篇の千鶴(主人公)役はこの人で…」という形で、1作ごとに主人公を演じる役者さんを変えたことです。その理由は簡単で、パラレルワールドのストーリーになるので、毎回同じ人が演じたら、主人公が移り気過ぎに見えるじゃないですか(笑)。そのやり方で、結果的に「今回の千鶴は~」という風に話題にできたのも良かったと思います。
    ──なるほど。クラスタとして、「2.5次元ファン」というのが生まれつつあるんですか?
    真山 クラスタが生まれているかというと、中々むずかしいと思います。「2.5次元舞台だから追いかける」というとちょっと違う気がするんですよね。2.5次元作品から舞台を観るようになって、キャストのファンになったりすることも多いので、そうすると下北沢の小劇場だったり、もしその人が蜷川幸雄の作品に出ることになったら彩の国に行くことになるので(笑)。原作や俳優が好きで観に行くことはあっても、「2.5次元だから観に行く」というそれを中心としたクラスタはそこまで生まれてないと思います。
    ──たとえば「アイドルオタク」って、AKBだったり、ももクロだったり、もっとマイナーなアイドルもみんな好き、という人が多い気がするんです。自分が推しているグループはあるけれど、基本的にはアイドル全体が好きで、その時々によって好きなグループや好きなメンバーがちがう、という。そういう形にはなっていないということなんでしょうか?
    真山 それは若手俳優のファンが近い感じですね。『テニミュ』から好きになった若手俳優を追いかけて別の舞台を観に行って、さらに別の若手俳優を好きになってその人が出る別の舞台に行く……そういうおっかけ的な習性は、いわゆる「ドルオタ」と近いかもしれません。
    ──つまり、「2.5次元クラスタ」というよりは、観劇ファンの中に、オタク勢力の女性ファンが今いっぱい流れ込んできている。
    真山 そうだと思います。ただその中にも、そこから若手俳優を追う人もいれば、私のような考察するのが好きな人間もいて、自分の好きな作品が舞台化したら舞台も観るよという2次元に準拠したファンもいるので様々ですね。
    斎藤工も!? 役者育成機関としての2.5次元
    真山  「観劇」を趣味とする人の増加も大きな変化ですが、こういった2.5次元舞台が増えることで、若手俳優がデビューするための登竜門の役割が強まったことも大きな変化だと思っています。『テニミュ』以前は、スタイルや見た目の良い若い男の子が芸能活動をしてみたいと思ったときになかなか入り口がなかったところに、そういった2.5次元舞台を経由することでファンを付けられる。それが結果的に2.5次元舞台を盛り上げるところに還元されているんですよね。
    ──なるほど。男性アイドル文化ってジャニーズの存在で発展しづらいところがあるけれども、その分をこの2.5次元を登竜門とする若手俳優が代替しているとも言えるかもしれないですね。
    真山 『テニミュ』が広く知られるようになったとされる1stシーズンのキャストには、ナベプロ(ワタナベエンターテインメント)のD-BOYSという俳優集団のメンバーが多いんですが、彼らは俳優としての活動だけではなく、イベントで歌ったり握手会したりと、限りなくアイドルに近い活動をしているんです。いまでこそ若手俳優がユニットを組んで歌ったり踊ったり、握手会などのイベントをしたりしますが、アイドルとしては売り出しにくいものに対して、それとは別の男性「アイドル」的な回路をナベプロが作ったんだと思っています。2ndシーズンから握手やハイタッチなどの接触系イベントが増えたこともあって、『テニミュ』や他の2.5次元系舞台がそういった流れを組んで、いまの若手俳優の売り方に影響を与えているとは思います。
    ──ちなみに『テニミュ』の出世頭といえば、城田優と加藤和樹という感じなんでしょうか?
    真山 他には、斎藤工ですね。氷帝の忍足侑士役でした。
    ──なるほど、斎藤工!
    真山 いまや「情熱大陸」です! 『テニミュ』などの多くの2.5次元舞台を制作しているネルケプランニング自体も舞台経験なしの若手俳優を一から役者として育てるのでそういった育成機関としてうまく機能していると思います。そこから特撮や朝ドラ、東宝ミュージカルなどに出演する人も多いです。
    ──ネルケプランニングは芸能事務所として機能してたんですか?
    真山 いえ、あくまで舞台制作会社なんですが、何も知らない……事務所にも入っていないような子を採用しているので結果教えることになるんだと思います。役のイメージに合う男の子をスタッフがカフェでスカウトもしていたくらいなので(笑)。
    ──つまり普通の制作会社の域は超えていて、なかばプロデュースに近いこともしているAKSに近いのかもしれないですね。
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  • 『花子とアン』はなぜ「モダンガール」を描き切ることができなかったのか?|中町綾子×宇野常寛(PLANETSアーカイブス)

    2020-11-13 07:00  
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    今回のPLANETSアーカイブスは、2014年放送の朝ドラ『花子とアン』をめぐる、中町綾子さんと宇野常寛の対談をお届けします。現在は木曜ドラマ『七人の秘書』脚本を手がける中園ミホ。彼女が『やまとなでしこ』『ハケンの品格』で描いてきた「強い女性」像や、「ハードボイルド」と「乙女ちっく」を両立させることの困難、そして「朝ドラ」というフォーマットの今後について考えます。(構成/金手健市)(初出:「サイゾー」2014年12月号)※本記事は2015年1月9日に配信した記事の再配信です
    Amazon.co.jp:連続テレビ小説「花子とアン」
    脚本家・中園ミホが追求してきた「ハードボイルド」なヒロイン像
    宇野 世間では視聴率的にも内容的にも絶賛が多くて戸惑っているんですが、僕ははっきり言って『花子とアン』がそこまでよかったとは思っていません。確かに、2000年代半ばの本当に朝ドラが低迷していた時期の作品に比べれば数段上です。でも、『カーネーション』(11年後期)、『あまちゃん』(13年前期)、『ごちそうさん』(同年後期)があり、”朝ドラ第二の黄金期”といわれるような最近のアベレージからすれば、二段近く落ちる作品だったことは間違いない。これが名作扱いされるような状況には物申さないといけないだろう、という気持ちがある。
     いろいろ言いたいことはあるんですが、まず前提として触れないといけないのは視聴率問題です。いまの”朝ドラ黄金期”って、視聴率があまり意味をなしていないんですよね。ドラマファン以外も巻き込む力の強かった『あまちゃん』が、『梅ちゃん先生』というあまり見るべきところのなかった作品と大して変わらない視聴率しか取れていなかった。結局のところ、マイルド化された『おしん』とでもいうような「昭和の女の一代記」をやると、昭和の日本人がなんとなくいい気分になって視聴率が上がるという、それ以上のものではない。だから視聴率が20%を超えたからといって、それはなんの指標にもならないと思うんですよね、前提として。その上で、中身を吟味するところから始めたい。
    中町 正直、私もなかなか熱くはなれないドラマでした。先入観として、中園ミホ【1】さんの脚本のテイストと朝ドラ枠の世界観とは合わないだろうと思っていて、実際そうだったんです。中園さんは、最近の作品でいうと『ドクターX〜外科医・大門未知子〜』(テレビ朝日/12年〜)や『ハケンの品格』(日本テレビ/07年〜)が有名ですが、どちらも決めゼリフがあってキャラ立ちしている人物が主人公。等身大の人物に共感させるのではなく、ヒーロー的な、観ている人をスカっとさせる爽快感のあるキャラ作りが持ち味です。達観しているというか、世を捨てているキャラクターであることも多い。
     一方で、朝ドラのキャラクターは、基本的に前向きですし、身近な存在というイメージが強い。感情移入できることも重要ですよね。その点で相容れないと思ったし、やっぱりうまくいっているようには見えなかった。それでも半年間の放送を通して、最後は多少強引にでもひとつのメッセージを伝えるという朝ドラのスタイルはやっぱりすごいな、と思わされました。

    【1】中園ミホ 1959年生まれ。88年に脚本家デビュー。手がけた作品は、『やまとなでしこ』(フジ)、『anego』『ハケンの品格』(日テレ)、『はつ恋』(NHK)、ほか多数。女性を主人公にした作品が多い。

    宇野 中園さんは、世捨て人的なヒロインの造形を通じて、”女性のハードボイルド”の語り口を探求してきた人だと思うんですよね。そのことによって、地味な題材をリアルに描いてもドラマ全体は地味にならずに済んでいた。これによってある意味、80年代フェミニズムの批判力を通過した後の「強い女性」のイメージをいかに出すのかということを結果的に引き受けたとも言えるはずです。だから、中園さんが『花子とアン』をやるとなったら、絶対にジェンダー的なテーマが前面化してくると思った。村岡花子【2】と白蓮【3】は、当時としてはモダンガール中のモダンガールだったはずですからね。でもそんなテーマは微塵も現れることがなく、「理解ある夫やイケメンにかこまれて、幸せに過ごしました」みたいな話が延々と続いていて。ちょっと意外だったんですよね。

    【2】村岡花子 1893年生まれ、1968年没。『花子とアン』の主人公のモデル。山梨県甲府市のさほど裕福でない家に生まれるが、利発だったため父が期待をかけて東洋英和女学校に入学させる。そこで英語を身につけ、同時に文学を学び、英語教師を務めた後に女性・子ども向け雑誌の編集者となる。1932年から41年までラジオ番組『子供の時間』に出演し、「ラジオのおばさん」として広く世に知られた。戦中は大政翼賛会後援団体に参加するなど戦争協力者としての立場を取る。終戦後の52年、『赤毛のアン』の訳書を刊行。
    【3】白蓮 1885年生まれ、1967年没。フルネームは柳原白蓮(本名・宮崎燁子)。伯爵の妾の子として生まれ、育つ家庭を転々としたのち、望まぬ結婚をさせられる。離婚して実家に戻った後、東洋英和女学校に編入、そこで花子と出会い、互いを「腹心の友」と呼ぶようになる。卒業後、再び家の意向で年齢・身分共にかけ離れた筑紫の炭鉱王と結婚させられるが、不幸な生活から短歌を詠み始める。その活動の中で知り合った年下の社会活動家と出奔し、「白蓮事件」と称された。

    中町 中園さんの描くヒロインは、基本的に”乙女ちっく”なんです。ハードボイルドと乙女ちっくが、違う意味じゃない、というのがすごいところなんですが。『やまとなでしこ』(フジテレビ/00年)でいえば、「私は美貌も持っているしCAだし、ちょっとテクニック使えば合コンでも男性は私のものです。男性なんてそんなもんだとわかっている。だけどね、」っていう、この「だけどね」から始まるところが大事なんです。「私は男性なんてそんなもんだとわかっている」というのはハードボイルドなんですが、クールなだけではダメで、一抹の弱さや優しさ、人間味を持っているのが、乙女ちっくでもあり、真のハードボイルドなんじゃないかと……。
    宇野 なるほど(笑)。宇田川先生【4】なんかはまさに、ハードボイルド的な自己完結と乙女ちっくのハイブリッドを体現したキャラクターですよね。

    【4】宇田川先生 『花子とアン』劇中に登場する女性作家。花子と白蓮のことを好ましく思っておらず、高慢な態度を取る。戦中は従軍記者として戦地に赴いた。モデルは諸説あるが、宇野千代や吉屋信子ら、原案に登場する当時の人気女性作家たちのイメージが複合されているものと思われる。

    中町 『花子とアン』にハードボイルドがあったとすれば、今回は仕事でも恋でもなくて、最後に語られていた「友情」がそうだったんだと思います。わかりやすい助け合いではなく、それぞれが個々の人生を女も男も生きているし、つながっているようなつながっていないような世の中を私たちは生きているけど、一緒の時代を生きるってこういうことなんじゃない?という。
    宇野 だとするとなおさら、戦時中にもっと花子と白蓮はやりあっていないといけないでしょう。時節柄、刺激したくないのもわかるけど、村岡花子を主人公にする以上、戦争との距離感についてはもっとシビアに描くべきだったんじゃないのかな。というか、中園さんが本当にやりたかったのは、花子じゃなくて白蓮のほうだったんじゃないか。■PLANETSチャンネルの月額会員になると…・入会月以降の記事を読むことができるようになります。・PLANETSチャンネルの生放送や動画アーカイブが視聴できます。
     
  • ショッピングモール&テーマパークの発想でつくる東京五輪「選手村計画」――デザイナー・浅子佳英が考える”職住近接”の都市生活の未来(PLANETSアーカイブス)

    2019-03-22 07:00  
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    今朝のPLANETSアーカイブスは、デザイナーの浅子佳英さんによる都市論です。2020年の東京オリンピックの中心となる東京湾岸部はいかに再開発されるべきか。ショッピングモールとテーマパークの発想を持ち込んだ、新しい都市空間の構想を伺いました。(聞き手:宇野常寛/構成:真辺昂+PLANETS編集部) ※この記事は2014年10月7日に配信した記事の再配信です
    ■タワーマンションが立ち並ぶ今の東京湾岸部に足りないもの――浅子さんは、新国立競技場の問題から、都市設計の問題まで、オリンピックに関する建築の問題についてシンポジウムやソーシャルメディアで発言されていますよね。そこで今日はデザイナーあるいは建築家である浅子佳英が、2020年の東京をどうしたいと思っているのかをダイレクトに聞かせてください。
    浅子 選手村をはじめとするオリンピック各種施設の計画案を見ていると「小規模でお金をかけずやればいいんじゃないか」という消極的なメッセージしかなくて、非常につまらないなと思います。今さら「そもそもオリンピックは東京でやるべきではなかった」と言っても、開催が決まってしまった以上は意味がないし、それよりも「東京を世界のなかで戦っていける都市にするための機会として、オリンピックを活用しよう」というふうに発想を切り替えるべきだと思っているのですが、実際に新しい都市のビジョンを出そうと動いている人はなかなかいない。一方で新しいビジョンがない状態のまま、オリンピックに向けた開発だけは進むという状態になっています。
    たとえば2020年の東京五輪では、選手村や競技施設・メディアセンターなどが建設されていく東京湾岸部のまちづくりが焦点になるわけですよね。実際に湾岸の街を歩いてみたんですが、勝鬨(かちどき)ぐらいまではまだしも、豊洲、東雲のあたりまで行くと歩いていてもまったく楽しくない。湾岸部は完全な埋立地にゼロから都市計画をして作っているわけですが、広く公開空地をとってタワーマンションが20個ぐらい並び、その間にショッピングモールが1個あるというつくりです。結局、今は郊外も湾岸のような都心部も、タワーマンションとショッピングモールだけで作られるようになっていて、この状況に対するオルタナティブが出せていないわけです。
    ――湾岸ってこの20年の日本の迷走の象徴だと思うんですよ。国や都はずっと湾岸に新都心をつくろうとして、その度に失敗してきた。直近では90年代の、まさにアフターバブルの新しい日本の「つくりなおし」の象徴としての開発計画があって、それが見事に頓挫した。その結果、フジテレビがその代表だけど中途半端に現代的なデザインの建築物と、バブリーなタワーマンションと原野が点在するちぐはぐな空間になっている。まるで、行政改革だ、構造改革だと旗を振ったけど、ポスト戦後の社会モデルについては結局中途半端な軟着陸しか残せなかったこの二十年の日本社会の姿、そのものですね。
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  • ゲームと物語のスイッチ ――ゲーム研究者・井上明人が考える『ゲーム的快楽』の原理 (PLANETSアーカイブス)

    2019-03-01 07:00  
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    今朝のPLANETSアーカイブスは、井上明人さんによる論考です。ビジネスへの応用可能性でも注目を集めている「ゲーミフィケーション」研究の観点から、小説や映画のような「物語」と、「ゲーム」というジャンルの違い、そして、物語の快楽をときに凌駕する「ゲーム的な快楽」の正体について、哲学的に解き明かしていきます。 ※この記事は2014年7月23日に配信された記事の再配信です。
    井上明人さんの連載はこちら 『中心をもたない、現象としてのゲームについて』
    ゲームと物語のスイッチ
    「ゲーム」と「物語」という二つの相性の悪さは、コンピュータ・ゲームの歴史においてしばしば大きな問題となってきた。「映画的ゲーム」「一本道RPG」「自由度」「ゲーム性」といったゲームに関わる評価の形容が使われるとき、この二つの相性の「悪さ」について言及されることが極めて多い。 本稿は、物語とゲームという二つの現象をどのように整理することができるのか。その問題についてささやかな整理を試みたい。物語とゲームという概念は思われているほどに相性が悪いものではなく、むしろ連続した概念である。そのことを、素描してみたいと思う。 なお、本稿で「物語」という術語を使うとき、narrativeとよばれることの多い領域を意識している。storyやシナリオといった領域は本稿の範囲を超えていることを予め述べておく。*1
    I.物語(Narrative)と、ゲーム。二つの連続について
    物語と、ゲームはしばしば、同じようなものとして語られることがある。たとえば、次のような二つの表現を考えてみよう。
    A お金持ちになって成功することが全て、という物語の中を生きている人 B 資本主義の金儲けのゲームの構造の中で勝ち抜くことこそが全てだと考える人
    AとBの二つの表現から想像される人物像は、「物語」と「ゲーム」という二つの異なる表現を用いながら、ほとんど似たようなものを表現しているように思えるはずだ。何よりもお金を大切にしている人。お金を自分自身の人生にとって最も重要なものだと考えているような人。「物語」と「ゲーム」という別のものを介して表現されながらも、素描される人格は似たようなものだ。 一方で、ゲームと物語は全く別の現象でもある。また別の二つの事例を挙げる。
    C ビル・ゲイツの伝記を読んで、マイクロソフトの成長プロセスを知ること D ビル・ゲイツの人生をモデルにしたゲームをプレイし、ゲームの中のマイクロソフトを成長させること
    この二つはビル・ゲイツとマイクロソフトに関わる知識を与える、という点では同様のことを可能にしているが、CとDでは様々な点が違っている。ビル・ゲイツの伝記を読めば、彼がどこの大学に入学していたのか、マイクロソフトが成功するまでのプロセスでどういった困難に直面したのか、といったことがわかるだろう。一方で、ビル・ゲイツのゲームを遊べば、どういった構造的な困難を持っていたかということが理解できたりもするだろうし、もしかしたらマイクロソフトがアップルを買収したり、Googleを買収したりすることもできるかもしれない。または、ゲームをスタートさせた初期にIBMに買収されてしまってゲームオーバーになるかもしれない。マイクロソフトがこの30年の間にどれだけスリリングな状態にあったのかを、構造的に理解するという点ではゲームの方が優れた理解を与えるかもしれない。ただし、現実に存在するマイクロソフトがどのような選択を実際に行ったのか、という確定した歴史を知るという意味ではビル・ゲイツの伝記を読んだ方がいいだろう。ニ〇〇九年現在のマイクロソフトは、Googleを買収していないし、IBMに買収もされていない。それは、歴史のifに過ぎない。
    「ゲーム」も「物語」も、ともに何かの対象を描き出すことのできる手段だと捉えられる。同じものを描き出すこともできるが、その描き出し方には大きな違いがある。その違いがほとんど問題にならないような場合もあれば、大きく問題になるような場合もある。
     いかなるときに、ゲームと物語は同一のものであり、いかなるときにゲームと物語は異なるものとなるのだろうか。
    II.出来事の連なり、繰り返す出来事の連なり
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  • 宇野常寛「"絆"なんか、いらない――『半沢直樹』でも『あまちゃん』でも"炎上マーケ"でもなく」(PLANETSアーカイブス)

    2019-01-11 07:00  
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    今朝のPLANETSアーカイブスは、「ダ・ヴィンチ」2013年2月号に掲載された、宇野常寛によるメディア論をお届けします。2012年に大ヒットしたドラマ『半沢直樹』『あまちゃん』と、そこに象徴される団塊ジュニア世代のメンタリティを読み解きながら、「テレビの時代」の終わりと、「正しい断絶」に基づいたインターネットの新しい可能性について探ります。 ※本記事は2014年2月に配信された記事の再配信です。
     昨年2013年は国内のテレビ放送開始から60年目の節目にあたる。そのため、この一年は各媒体でテレビ文化を総括する企画が数多く見られた。そしてテレビ文化に対しての批評をデビューから多く手掛けてきた僕は、その手の企画に呼ばれることの多い一年だった。新春に放送されたNHKの「朝ドラ」の歴史をさかのぼる番組から、『三田文學』誌のテレビの行く末を案じる座談会まで実にバラエティに富んだ企画に出席したが、そこで問われているものは本質的にはひとつしかないように思える。
     それは、もはやテレビの役割は終わったという現実にどう対応していくのか、という問いだ。こう書いてしまうと、実際にこの手の企画で僕と同席することの多い研究者やもの言う制作者たちは不愉快に思うかもしれない。じっさいにこの種の企画の席上でも、僕は彼らとぶつかり合うことが多かった。曰く「とは言え、今はまだ国内最大メディアとしてのテレビの訴求力は大きい」「とは言え今はまだインターネットを情報収集の主な窓口とするライフスタイルは都市部のインテリ層に限られている」……もちろん、その通りだ。しかし、彼らの反論の「とはいえ今はまだ」という語り口が何より雄弁に近い将来にそうではなくなることを、誰もが予感していることを証明しているのではないか。
     ある座談会でたぶん僕とは親子以上に年齢の離れた学者先生はこう言った。「とは言え、あの頃のように国民全体に共通の話題を提供するテレビのようなものは必要なのではないか」、と。僕はすぐにこう反論した。「いや、そんなものはもう要らない」と。
     人間の想像力には限界がある。目の前で産気づいている妊婦を助けようと考える人も、遠い知らない街が災害に見舞われたと知ってもいまひとつピンと来ない、なんてことはそう珍しくない。この距離を埋めるためにマスメディアが機能したのが、20世紀の歴史だった。遠く離れたところに生きる人間同士をつないで、ひとつにすること。ばらばらのものをひとつにまとめること。こうして社会を成立させるために、マスメディアは有効活用された。そして、有効活用されすぎてファシズム(ラジオの産物と言われる)のようなものが発生し、世界大戦で危く人類が滅びかけたのが20世紀前半の歴史だ。そしてその反省から20世紀後半はマスメディアは政治から独立することを前提に運用されるようになった。しかし、その結果マスメディアは第四の権力として肥大し政治漂流やポピュリズムの温床と化している。
     僕はこう考えている。もはやばらばらのものをひとつにまとめる装置としてのマスメディアの役割は、少なくともこの国においては終わっている。会社員男性の大半がプロ野球に興味を持ち、巨人ファンかアンチ巨人だという時代を回復しなくても、社会が破綻することはないだろう(現に破綻していない)。たしかに国家の、社会の成熟の過程でマスメディアが誰もが同じ話題に関心を持ち、重要だと考える「世間」を機能させることは有効だったに違いない。しかし、敗戦から70年に達しようとしているこの老境の近代国家・戦後日本はもはやその段階にはない。現に、インターネットを当たり前に存在するものとして受容している若い知識人層を中心に、「テレビ」の体現する公共性は大きく疑問視され始めている。
     僕は社会人になってから一度も新聞を購読したことがない。そしてテレビのニュースはほぼ完全に、見ない。なぜならばそこで話題にされていることが、ほとんど自分の生きている社会のようには思えないからだ。政治報道は政局中心、経済報道は昔の「ものづくり」中心、科学と海外ニュースは割合自体が極端に低い。街頭インタビューで「市民の声」を拾えば、ねずみ色のスーツに身を包んだ新橋のサラリーマンと東京西部のベッドタウンの専業主婦を選ぶ。特にひどいのが文化面で、文化的存在感においても経済規模においても、ほとんど意味のないものになっている芥川賞を一生懸命報道するにもかかわらず、夏冬それぞれ50万人の動員をほこる世界最大級のイベントであるコミックマーケットは会場で事故が起きたときしか扱わない。
     この人たちの頭の中は20年くらい前で時間が止まっているのではないかと本気で思う。彼らの頭の中ではまだ20世紀が、下手をしたら「昭和」がまだ続いているのだ。このニュースをつくっている人たちは、未だに郊外のベッドタウンに一軒家を買って、そこから正社員のお父さんが一時間半かけて都心の職場に通い、その家を専業主婦が守りながら子供を育てる、なんてライフスタイルが日本人の「標準」だと思っているのだろうか。どれだけオリコンと通信カラオケのヒットチャートをアイドルとV系バンドとアニメソング歌手とボーカロイドが席巻しようと「そんなものは一部のマニアックな人たちのもの」と切って捨てるのだろうか。(後者については、実際に対談の席で言われたことがあるが。)
     私見では、これからのマスメディアが負うべき公共性はひとつしかない。それは、国民に対して知らなければ決定的に不利益になる情報を公開、周知することだ。重要法案のゆくえや、伝染病の予防接種まで──伝えるべきことは山のようにあるはずだ。マスメディアは限られた条件の中で、いかに効率よくこれらの物事を周知させるかだけを考えていればいい(それだけでも極めて困難なことだ)。
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  • 『騎士団長殺し』――「論外」と評した『多崎つくる』から4年、コピペ小説家と化した村上春樹を批評する言葉は最早ない!(福嶋亮大×宇野常寛)(PLANETSアーカイブス)

    2018-12-17 07:00  
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    今朝のPLANETSアーカイブスは、福嶋亮大さんと宇野常寛による、村上春樹『騎士団長殺し』を巡る対談をお届けします。いまや自己模倣を繰り返すだけの作家となりさがった村上春樹の新作は、顔を失い、読者も見失い、批評すべき点の全くない小説でした。『ウルトラマンと戦後サブカルチャーの風景』を刊行した福嶋亮大さんと宇野常寛が、嘆息まじりに語ります。(構成:金手健市/初出:「サイゾー」2017年4月号) ※この記事は2017年4月27日に配信した記事の再配信です・前編はこちら
    【告知1】 福嶋亮大さんの新刊『ウルトラマンと戦後サブカルチャーの風景』が本日、発売になりました。PLANETSオンラインストア、Amazon、書店で販売中です。ぜひお買い求めください(書籍情報)。
    【告知2】 福嶋亮大さんが、12月19日(水)に開催されるオンラインサロン・PLANETS CLUBの第8回定例会で、ゲストとして登壇されます。イベントチケットはこちらで販売中。PLANETS CLUB会員以外のお客様も購入可能です。ご参加お待ちしております!
    ▲村上春樹『騎士団長殺し』
    福嶋 『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(2013年/文藝春秋)が出たときにもここで対談をして、あのときは村上春樹の小説史上、これ以上のワーストはないと思っていた。今回の『騎士団長殺し』は、主人公が自分と同じ36歳ということもあって、最初は少し期待して読み始めたんですが、結論から言うと何も中身がない。あまりにも中身がなさすぎて、正直何も言うことがないです。村上春樹におけるワースト長編小説を更新してしまった。
     構成から具体的に言うと、前半に上田秋成や『ふしぎの国のアリス』、あるいはクリスタル・ナハトや南京虐殺といった伏線が張られているけれど、どれも後半に至って全く回収されない。文体的にも、ものすごく説明的で冗長になっている。村上春樹は、その初期においては文体のミニマリズム的実験をやっていた作家です。デビュー当初に彼が敵対していたような文体を、老境に至って自分が繰り返しているような感じがある。ひとことで言うと、小説が下手になっているんですよね。彼くらいのポジションの作家として、そんなことは普通あり得ない。
    宇野 まったく同感です。『1Q84 』(09~10年/新潮社)「BOOK3」以降、後退が激しすぎる。あの作品も伏線がぶん投げられていたり、後半にいくに連れてテーマが矮小化されていて、まぁひどいもんでした。村上春樹は95年以降、「デタッチメントからコミットメントへ」といって、現代における正しさみたいなものをもう一度考えてみようとしていたわけですよね。「BOOK3」も最初にそういうテーマは設定されているんだけど、結局、主人公の父親との和解と、「蜂蜜パイ」【1】とほぼ同じような、自分の子どもではないかもしれないがそれを受け入れる、つまり春樹なりに間接的に父になるひとつのモデルみたいなものを提示して終わる。村上春樹にとっては大事な問題なのかもしれないけど、物語の前半で掲げられているテーマ、つまり現代における「正しさ」へのコミットメントは完全にどこかにいってしまっているのはあんまりでしょう。ここからどう持ち直していくんだろう? と思っていたけど、『多崎つくる』も『騎士団長殺し』も、「BOOK3」の延長線上で相も変わらず熟年男性の自分探し。自分の文章をコピペしている状態に陥ってしまっていて、しかもコピーすればするほど劣化していて、目も当てられない。これでは最初から結論がわかっていることを、なぜ1000ページも書くんだろうという疑問だけが、読者には残されるだけです。
    福嶋 手法的には『ねじまき鳥クロニクル』(94~95年/新潮社)あたりからの自己模倣になっていて、その終着点が『騎士団長殺し』だったということなんでしょうね。村上春樹が抱えているひとつの問題は、読者層を想定できなくなっていることだと思う。つまり、今の彼の読者層は『AKIRA』の鉄雄のように際限なく膨張して、もはや顔がなくなっている。例えば宮﨑駿だったら、知り合いの女の子に向けて作るというような宛先を一応設定するわけだけど、村上春樹にはそれがない。結果として、大きなマスコミュニケーションの中に溶けてしまって、自分の顔がない小説になってしまっている。村上春樹は本来、消費社会の寵児と言われつつも、顔がない存在・顔がない社会に対して抵抗していたわけでしょう。それが、ついに自分自身がのっぺらぼうになってしまった。とても悲しいことだ、と思います。
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  • 『逃げるは恥だが役に立つ』――なぜ『逃げ恥』は視聴者にあれほど刺さったのか?そのクレバーさを読み解く(成馬零一×宇野常寛)(PLANETSアーカイブス)

    2018-12-03 07:00  
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    今朝のPLANETSアーカイブスは、2016年10月から年末にかけて放送されていたヒットドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』をめぐる成馬零一さんと宇野常寛の対談です。「恋ダンス」の流行でも話題を呼んだ本作が、いかにしてテレビドラマの文脈の中で優れた作品となりえたのかを論じます。(構成:橋下倫史/初出:「サイゾー」2017年3月号) ※本記事は2017年3月23日に配信した記事の再配信です。


    ▼作品紹介

    『逃げるは恥だが役に立つ』
    原作/海野つなみ 脚本/野木亜紀子 演出/金子文紀、土井裕泰、石井康晴 出演/新垣結衣、星野源、石田ゆり子ほか 放送/TBS系にて、毎週火曜22:00~22:54(16年10~12月/全11話)
    心理学の大学院まで出たが就職活動に失敗し、派遣で働いていた森山みくり(新垣)。派遣契約を切られて嘆いていたところ、父親の知り合いである津崎平匡(星野源)の家の家事代行として働くことになる。その後両親が東京を離れることになり、困ったみくりは就職としての結婚を平匡に提案。2人の奇妙な契約結婚生活がスタートする。最終話の視聴率は20・8%に到達。原作は「Kiss」(講談社)にて連載されていた。


    成馬 本作の感想は「良いドラマだった」の一言に尽きます。2016年にこの作品があって本当に良かったと思いました。今のテレビドラマは、物語が複雑で敷居の高いドラマと、『ドクターX』(テレビ朝日)のような単純でわかりやすいドラマの二極化が進んでいる。その中にあって、『逃げ恥』はちょうど中間だった。「ガッキー可愛い」「星野源可愛い」「恋ダンス楽しい」という軽いノリで入ってくる人たちでも楽しめる敷居の低さで視聴者を引きつける一方、深く観ていくとフェミニズムや今の社会問題を扱っていることがわかってくる。大絶賛する人もいる一方で、「この程度の作品」と低く見る人もいるけど、この幅の広い観られ方が、最終的に視聴率20%に到達した理由だと思う。だから単純に「面白い」とか「好き」というより、「正しいドラマ」という感じがします。「今面白いドラマを作りたいなら、最低限これはやらないといけない」ということをちゃんとやっていた。旬の俳優である新垣結衣と星野源を主演に起用して、脚本は『重版出来!』で注目されつつある野木亜紀子【1】、演出家は金子文紀・土井裕泰・石井康晴【2】というTBSのエースを3人揃えるという座組みの見事さ。
     それとやっぱり「恋ダンス」ですよね。1話放映後に完全バージョンをYouTubeでオフィシャルに公開して、「踊ってみた」をやる人のために星野源の所属レーベルが「ドラマの放映期間中は音源の使用を認める」と発表したことで爆発的に広がった。これも、アニメの世界では『涼宮ハルヒの憂鬱』で10年前に起きていたことだけど、ドラマの場合は芸能界的なしがらみがありすぎてできなかった。そういう、今の時代に作品を観てもらうために、やらなくてはいけないことをちゃんとやったことが、勝因だったと思います。
    宇野 そのあたりは、嫌な言い方になるけど、民放ゴールデンタイムのドラマがやっと21世紀基準に追いついたともいえる。堀江貴文さんやひろゆきさんが「もっとわかっている人がネット回りをやれば、『恋ダンス』は『恋するフォーチュンクッキー』になれたのに、テレビ局や芸能事務所は頭が固くてそこまでいかなかった」と批判していたけど、その通りだと思う。TBSのアナウンサーが恋ダンスに出てきたのは、本当にサムいからやめたほうがいいと思ったし。
     『逃げ恥』自体の感想は僕も、とにかく良くできたドラマだと思った。キャストもいいし演出も適切だし、しっかり作り込んである。原作を読んでなかったので、第1話を観たときはちょっと良妻賢母思想への回帰というか、保守反動的じゃないかと思ったんですよ。高学歴ニートみたいなヒロインが家事代行をやるうちに本当の恋愛に発展する、というような。それがアイロニーでわざとやっているということが1話を観たときにはあまりわからなかったんだけど、観ていく内に、これはフェミニズムの成果を一通り受け止めた上で、それをどう現代に軟着陸させるかという話なんだ、とわかった。フェミニズムへの距離の取り方と取り込み方が、いい意味でクレバーでいやらしくて、非常に感心した。

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  • 『心が叫びたがってるんだ。』のヒットが示すもの――深夜アニメ的想像力の限界と可能性(石岡良治×宇野常寛)(PLANETSアーカイブス)

    2018-08-27 07:00  
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    今朝のPLANETSアーカイブスは、アニメ映画『心が叫びたがってるんだ。』をめぐる石岡良治さんと宇野常寛の対談です。『とらドラ!』『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』の長井龍雪・岡田麿里・田中将賀が手掛け、興行収入10億円突破のヒットとなった本作と、それを取り巻くアニメ市場の状況。さらに、当時放送が始まったばかりの『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』の展望についても語りました。(初出:「サイゾー」2015年12月号) ※この記事は2015年12月23日に配信した記事の再配信です。
    Amazon.co.jp:『心が叫びたがってるんだ。』 ■ 深夜アニメブームが生み出してしまった「お約束(コード)」
    石岡 『心が叫びたがってるんだ。』(以下、『ここさけ』)は、予告編の段階では、舞台が秩父だったりで『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』【1】(以下、『あの花』)の二番煎じという印象でしたが、結果的には別物でしたね。
    『アナと雪の女王』以降、日本のアニメ業界は『アイドルマスターシンデレラガールズ』【2】や『Go!プリンセスプリキュア』【3】など、プリンセス要素を表面的に取り入れた。『アナ雪』は本当はむしろ、プリンセスモチーフが無効になったことを示していたはずなんだけど。一方、『ここさけ』ではヒロインが憧れるお城を「ラブホテル」というペラペラな空間に設定した。「聖地巡礼」というけれど、実際、北関東でランドマークになるものなんて、こうしたラブホテルぐらいしかないわけです。まず、そうしたところから心をつかまれた。
     登場人物たちの才能が高校生としてちょうどいい、というあたりも重要だと思う。つまり、ありもののミュージカルナンバーに歌を乗せる程度の才能というか。実際にこんな子がいたら高校生としては才能ありすぎなんですが、とはいえあり得なくない程度の才能になっていて、『ウォーターボーイズ』的な“みんなでミッションを成し遂げる”系の部活ものとして作られていた。同時に、あからさまなまでにアメリカの王道ハイスクール映画的な、野球部員とチアリーダーをメインキャラに配置してスクールカーストを取り入れたりして、最後は「順ちゃん、まさかその野球部と付き合うのかよ!?」と、ある種のオタクが怒るような(笑)エンディングになっていた。そこまで含めて、よく研究されていると思いました。
     一方で、深夜アニメというオタクコンテンツ発の作品がどこまで一般向けにリーチするかの、ある意味マックスの限界がここにあると思った。学園ものアニメでシビアなスクールカーストを描くと、『響け! ユーフォニアム』【4】みたいに「実写でやれ」と言われてしまったりするけど、『ここさけ』を実写にすると、ヒロインの成瀬順がイタすぎて見てられないだろうな、と(笑)。『あの花』の実写版はわりと評判が良かったですが、やっぱりヒロインのめんまだけはコスプレにしかなっていなかった。『ここさけ』では順がそういうキャラクターで、どう考えてもアニメの住人。だからこのキャラがいければOKなんだけど、全然受け付けないと完全にアウトっていう。

    【1】『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』放映/フジテレビ系にて、11年4~6月放映、13年劇場版公開:幼い頃は一緒に遊んでいた「じんたん(仁太)」「めんま(芽衣子)」「あなる」「ゆきあつ」「つるこ」「ぽっぽ」の6人。しかしめんまの突然の死をきっかけに距離が生まれ、高校進学時には疎遠になっていた。ひきこもりになった仁太のもとにめんまが現れ、「願いを叶えてほしい」と告げる。アニメファン以外からも人気を獲得し、秩父は「聖地巡礼」の代表格として扱われるようになった。
    【2】『アイドルマスターシンデレラガールズ』放映/TOKYO MXほかにて、15年1月~:バンダイナムコによるソーシャルゲームを原案に、今年1月からアニメ化。「シンデレラ」をキーワードに、アイドル養成所に通う少女たちの奮闘を描く。
    【3】『Go!プリンセスプリキュア』放映/テレビ朝日にて、15年2月~:2015年の『プリキュア』シリーズ作品(10代目プリキュア)。「プリンセス」をキーワードにした、全寮制の学園モノ。
    【4】『響け! ユーフォニアム』放映/TOKYO MXほかにて、15年4~6月:シリーズ3作累計18万部発行のティーンズ小説を、京都アニメーションがアニメ化。弱小高校の吹奏楽部で部活に励む高校生たちの姿を、リアルな青春ドラマとしてシリアスに描くことを志向していた。

    宇野 『ここさけ』は、岡田麿里【5】がこれまでやってきた10代青春群像劇の集大成だと思うんですよ。例えば『true tears』【6】では、オタクが持っている“不思議ちゃん萌え”の感情を利用して、自意識過剰な女の子の成長物語を効果的に描いてきた。あのヒロインが主人公にフラれることで、逆説的に自己を解放するというストーリーは今回も若干アレンジされて使われている。あと「鈍感なふりをすることが大人になること」だと勘違いしちゃったハイティーンの青春群像劇、という要素は『とらドラ!』【7】の原作にあったもので、それを岡田さんはうまく自分のものにした。そして『あの花』では、近過去ノスタルジーを描くには、実写よりも抽象度を上げたアニメのほうが威力が高い、ということをマスターしたんだと思う。『あの花』の路線でもう一回劇場作品をやってみた、くらいの企画かと思って観に行ったら、そういう意味で非常に集大成的な作品になっていて、よくできていましたね。
     一方、集大成なだけに弱点も出てしまっている。それはどちらかというとクリエイターの問題ではなくて、今のアニメ業界やアニメファンといった環境の問題なんだけど。つまり、今やアニメにおいては「消費者であるオタクとの間にできたお約束(コード)を逆手に取る」というアプローチ以外、何も有効ではなくなってしまっている、という息苦しさがあった。この映画はヒロインが順のようなキャラクターだから成り立っているわけであって、“リア充”感の強い女の子が主役だったら、絶対キャラクター設定のレベルで拒否されてしまう。あるいはエンディングで、ヒロインが野球部の男と付き合うかもしれない、という描写なんて、お約束を逆手に取った明らかな悪意なんだけど、あれがギリギリだと思うんだよね。岡田・長井龍雪【8】コンビくらいの能力があるんだったら、もっと自由にやってほしいなと思うところは正直あった。

    【5】岡田麿里:1976年生まれ。脚本家。近年では『黒執事』『放浪息子』『花咲くいろは』『AKB0048』『Fate/stay night』などの話題作・人気作の脚本・シリーズ構成を手がけている。
    【6】『true tears』放映/08年1~3月:複雑な家庭に育った少年が、あることから涙を流せなくなった少女と出会い、自身や周囲との向き合い方を考えながら成長していく──という青春成長譚。
    【7】『とらドラ!』放映/08年10月~09年3月:当時圧倒的な人気を誇っていた同名ライトノベルのアニメ版。長井・岡田コンビの初タッグ作。高校生のドタバタ青春ラブコメもの。
    【8】長井龍雪:1976年生まれ。アニメーション監督・演出家。『ハチミツとクローバーII』で監督デビュー、『とある科学の超電磁砲』などを制作。

    石岡 それはさっき僕が言った、深夜アニメ発の想像力は最大限に拡張して『ここさけ』が限界、という話と同じことですよね。
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  • 3.11が発見した新しい消費者像――コンビニエンスストアの商品戦略と展開から(坂口孝則)(PLANETSアーカイブス)

    2018-08-16 07:00  
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    今朝のPLANETSアーカイブスは、調達・購買コンサルタントの坂口孝則さんによる論考です。テーマは「コンビニの文化地図」。すっかり私たちの生活に浸透し、プライベートブランド商品の開発や地域インフラ化などでも注目されるコンビニ業界。消費者ターゲティングのトレンド、商品開発、そして各社ごとの今後の取り組みまで、「文化としてのコンビニ」について考えます。 ※この記事は2015年5月28日に配信した記事の再配信です。
    ■ 社会のインフラとなったコンビニ
     
    ビジネスパーソンがスーツ姿でスーパーに行くのは躊躇しても、コンビニエンスストアならば行ける。パジャマ姿の女性がスーパーに行くのは逡巡するものの、コンビニエンスストアになら行ける。ちょっとした買い物から、日用品まで、私たちの生活はコンビニエンスストアと切り離せない。
     
    コンビニは現在1年間で約25,000人ものひとたちがストーカー被害、DV、不審者などから逃げ込むインフラとしての役割もある。さまざまな意味で私たちに身近なコンビニでは、どのような取り組みが行われ、コンビニはどこに向かおうとしているのか。
     
    そこで本稿では、まずはコンビニ各社が行う消費者ターゲティングの現在を分析した上で、各社の今後をめぐる展開の、その背後に見える大きなトレンドを探していく。
    高齢化と少子化、世帯の共働き化によって、消費者は近くの店舗で、仕事帰りに手間のいらない多様な食品を買い求める。コンビニは「冷蔵庫のアウトソーシングから」「キッチンのアウトソーシング」までを請け負うために、各社は日本最高の物流システムと、POSデータ等による商品企画を進めてきた。
    セブン-イレブンやローソンの戦略を見るのは、日本流通先端の状況を見ることでもある。
     
     
    ■ コンビニを取り巻く状況
     
    個別の戦略を見る前に、まずはコンビニ業界を取り巻く状況を確認したい。
     
    昨年末(2014年12月末)のコンビニ店舗数を見てみよう。日本全体に5万5139店ものコンビニエンスストアがある。業界1位はセブン-イレブンの1万7206店。そこからだいぶ差があり、2位はローソンの1万2119店、3位はファミリーマートの1万1170店だ。その後、サークルK、サンクス……と続く。ただし、それ以下は桁数も異なるため、コンビニ3強と称される場合が多い。
    コンビニは現在、市場規模約10兆円だ。これから、スーパーとの競争激化のすえ、スーパー(GMS含む)の市場規模20兆円弱の1割をさらに奪えば、まだ2兆円ほどの成長余地が残されている。消費税増税後は伸びが鈍化しているとはいえ、コンビニ3強の鼻息は荒い。
     
    コンビニの発祥については、大阪マミーとする説(昭和44年)、ココストアとする説(昭和46年)、セブンイレブンとする説(昭和49年)がある。
    マミーはスーパーマーケットとする向きもあるため、有力なのはココストアとする説だ。当時、スーパーマーケットの台頭で酒屋がどこも経営的な不調に呻吟していた。ココストアはいわば、彼らの救済を目的として組織され、酒屋の活性化を志向した。そして日本におけるコンビニエンスストアは他の小売フォーマットを凌駕して成長してきた。
     
    しかし、コンビニは、もちろん安穏とした状況にはない。
    これまで勝利してきたスーパーマーケットからの攻勢もある。とくにイオン「まいばすけっと」はコンビニエンスストアなみの敷地面積で、プライベートブランド「トップバリュ」を武器に低価格帯で闘いを挑んでいる。「まいばすけっと」を含む戦略的小型店事業の経営状況は良く、イオン本体との圧倒的なボリュームで、低価格・低コストを実現させてきた。イトーヨーカドーもこの小規模、低価格帯で進出を加速している。
     
    その中で、コンビニ業界各社が近年重視しているターゲティング戦略から、話を始めたい。それは、3.11をキッカケにしたものだった。
     
     
    ■ 3.11が引き寄せた新しい消費者――1.「女性」
     
    2011年の大震災時、これまでコンビニと縁遠かった層が来店し、それがリピートにつながった。同時にコンビニ各社も女性やシニアに焦点をあわせて集客戦略を練ってきた。全国の約5000万世帯のうち、共働き世帯が1000万世帯に至り、構成員が減少するなか、時短かつ少量をもとめる消費者にコンビニが照準を合わすのは当然だった。
     
    大手各社とも、戦略に違いはあるものの、前述の理由から、ターゲット消費者として大きく「女性」「シニア」を外すチェーンは見当たらない。そしてそのターゲティングゆえ、商品トレンドとしては、必然的に「健康」志向となっている。また、その「健康」志向の徹底ぶりとしては、ローソンが先行し、セブン-イレブン、そしてファミリーマート、他チェーン店とつづく。
     
    現在、女性客を増やすために講じられている施策は、「主菜」「スープ」「スイーツ」のいった三本柱が多い。
     
    まずは、「主菜」である。
     
    コンビニエンスストアの商品ラインアップとして少量かつ主菜の商品が目立ってきた。この変化こそ、コンビニ各社が女性向けを意識している特徴だ。というのも男性の消費者と違って、女性は複数食品を食卓に並べたいニーズが高い。具体的には、男性は一品でもじゅうぶんとするひとがいるいっぽうで、女性は三品以上を並べたいと志向する。おかずではなく、食卓の主役としての三品が求められる。
    セブン-イレブンは煮物の魚だけではなく、焼き魚も用意しだしているし、冷凍中華だけではなく麻婆豆腐のような商品に力を入れている。さらに、タンシチュー、牛肉煮などもある。面白いのは、食卓の主役になるものの、かといって、まな板が汚れるほど本格的調理は不要な点だ。焼き魚は皿に乗せて温めればいいし、麻婆豆腐もボウルに入れればいい(そして温めるだけでは再現できないもの。たとえばトンカツなどは商品化されていない)。
    また、ローソンも店内調理商品を意識的に拡大しており、惣菜にくわえ、レジ横で調理する揚げ物等の販売が伸びている。これも女性たちの調理代替需要を狙う。
     
    また、サークルKサンクスでは女性客のニーズをつかむために、「ごちそうデリカ」を拡充している。これは季節ごとの食材を使った惣菜で、店舗にあるフライヤーを使ってカウンター前で販売する。家庭の食卓にそのまま並ぶ食材を目指し、スーパーからの需要を取り込む。これは小口需要も同時に狙っていて、1パック100~200円ていどで、重量は約100gとしている。これからも同社は、女性を中心とした客層拡大を目論む。
     
     
    次に、「スープ」である。
    また、このところ、とくに冬場においてコンビニ各社は、コーヒーとスープで女性客を惹きつけようとしている。当初はコンビニ各社とも試験的に導入したスープだったものの、ローソンの「海老のビスク」「北海道コーンのポタージュ」、サークルKサンクスの「三元豚の豚汁」「10品目のミネストローネスープ」「あさりと野菜のクラムチャウダー」などが、いずれも好調だった。スープ市場が好調な理由は、女性の昼食が変化していることにある。お弁当や定食屋でのランチから、具材を工夫しスープを昼食として消費されるケースが多くなった。
     
    そして、最後は「スイーツ」だ。
    おなじく、これまで男性客比率が大半だったチェーンは、スイーツを活用し女性客を獲得しようとする。この傾向は、ほぼすべてのチェーン店で見受けられる。
    たとえばミニストップはポップなロゴマークのいっぽうで、ほとんどの来客(約7割)は男性となっていた。そこで女性客の取り組みが急務だったため、スイーツに注目した。同社は2012年からアイスクリームを見直し、ソフトクリームの材料を改善したり、夕張メロンソフトを発表したり、プリンパフェなどを発売した。実際に女性客からの評判が上々だったため、これからも高付加価値型スイーツを志向していくだろう。
    また、セブン-イレブンは人気アイスクリームチェーンのコールド・ストーンとアイスクリームを共同開発し限定発売した。同社はコールド・ストーンとの連携でこれまでも商品を発売してきた。これはとくに10代~20代の若年女性層をねらったものだった。
     
     
    ■ 3.11が引き寄せた新しい消費者――2.「シニア」
     
    くわえて各社が力を入れるのは、シニアマーケットだ。おなじく各社の施策のうち代表的なものを抜粋してみよう。
     
    セブン-イレブンはネオ「御用聞き」サービスを開始した。これは買い物弱者ともいわれる高齢者層にたいして食事などの宅配を行うものだ。セブンミールから注文すれば近隣店舗が届けてくれる。セブン-イレブンでは、リアル店舗とネットなどをシームレスにつなぐ「オムニチャネル」化を進めている。ネットで注文したものをリアル店舗で受け取ったり、リアル店舗に欠品していた商品もその場で注文し自宅で受け取ったりできる仕組みを作っている。米ウォルマートが先行するオムニチャネルだが、今後、セブン-イレブンも同種の施策を進めていくだろう。
    また、ローソンは有料老人ホームに併設した店舗で高齢者向けサービスを開始した。佐賀市にあるローソンミズ木原店では、調剤薬局を抱え、商品ラインナップとしては介護関連商品や杖(!)、そしてカツラ(!!)までを揃える。
    ファミリーマートも高齢者向け宅配事業で先行するシニアライフクリエイトを買収し、ファミリーマートの弁当などをあわせて届ける仕組みを構築している。ローソンも佐川急便とタッグを組み、買い物弱者対策を進めている。
    その他の動きとして、サークルKサンクスは、女性とシニア(とくに高級志向をもつシニア層)向けに弁当販売を拡大するために、2013年よりデパ地下の惣菜売り場を手本とした施策を展開している。文字通り、手に取った瞬間にデパ地下のような高級感を醸成する目的で、デパ地下に強い業者とも連携した。
    またシニア層をターゲットにしたコンビニ各社は、おせち料理も変容させている。コンビニ各社は年末に「お一人さま用おせち」を発売して話題になった。セブン-イレブンがはじめた当コンセプト商品は、ファミリーマートとサークルKサンクスにもひろがった。これは単身者需要だけではなく、シニア層をターゲットにしたものだった。セブン-イレブンは、セブンミールなどを通じて高齢者からの注文を集め、またサークルKサンクスは「華GOZEN」という1980円の低価格おせちで訴求した。
     
     
    ■ 明確化した商品トレンド「健康志向」
     
    チェーン店を限定しないプライベートブランド商品でこのところ顕著なのが、パッケージに特徴を大きく表示方法だ。
    とくに女性層は食品にたいして比較優位性を求めるといわれるため、同層にアピールできるように「生きて腸まで届く乳酸菌入り」といったようにフォントを大きく表示する。これもおなじく健康志向の消費者にたいして、その健康メリットを強調するための工夫だ。
    実は、これまで述べたとおり、コンビニ各社が女性とシニアをターゲットに据えたとき、商品全体の健康志向トレンドが必然となったのである。各社とも、カロリーオフ商品、有機栽培、オーガニック、といったキーワードを全面に出すようになった。
     
    そのなかでも、この動きを意識的に加速しているのはローソンだ。「マチのほっとステーション」から「マチの健康ステーション」へと、ローソンはセルフメディケーションを事業の柱に打ち出した。医薬品の販売を開始する店舗を増やしたり、テレビ電話による健康相談も行ったりしている。さらには一部自治体と提携し、健康診断の受付窓口も担っている。ローソンは、事業そのものを健康主体に切り替えるという、きわめて成熟社会的企業と評することができる。
     
    その特徴は商品にも表出している。ローソンは2014年末に特定保健食品の許可を受けたパンやざるそばを発売した。糖質を抑えたパンや、血糖値を抑えるそばで、それら「ブランシリーズ」は同社のヒット商品となっている。これらは調理方法の工夫にくわえて、製粉会社と組んだ材料開発のたまものでもある。糖質制限の必要な消費者からの人気は高く、圧倒的なリピート率を誇る(公正に付け加えれば、これはローソンだけではなく、たとえば人気の商品として、糖質を抑えたファミリーマートの「国産小麦のブランロール」などがある)。
     
    これからも健康志向商品はたえまなく開発されていくだろうし、ファミリーマートが薬局とコンビニを併設するように、業態や店舗設計としても健康をキーワードとしたものが増加していく。
     
     
    ■ トレンドメーカーとしての覇者セブン-イレブン
     
    上の分析を見ても分かるように、既にコンビニ業界は独自の商品開発をはじめている。その先頭を一見して常に切っているように見えるのが、セブンイレブンだ。
     
    実際、コンビニエンスストア業界ではセブン-イレブンが先行した商品を、他社が後追いする傾向が続いてきた。たとえば、サラダをカップ状にしたのも、赤飯をおにぎりにしたのも、ツナマヨネーズを売りだしたのも、セブン-イレブンだった。これは本社の企画力としてセブン-イレブンが優位性を誇っていることを示す。
     
    ただし、生鮮食品を取り扱ったのは、ローソンが先行したし、惣菜もファミリーマートやローソンが先立った。その意味ではセブン-イレブンの優位性とは、先行していても後追いであっても、商品の改善力で圧倒的な品質の商品を具現化するところにある。むしろ我々はセブン-イレブンの改善力の高さにこそ注目したい。
     
    まず、セブン-イレブンの商品開発は同社主導でおこなわれる。
    たとえばセブン-イレブンではセブンカフェで100円コーヒーを販売しており、これがそれまでコーヒーチェーンに向かっていた需要を取り込みはじめた。この圧倒的な成功は、本社主導によって、複数メーカーを共同開発させたことにあった。カフェの豆は味の素ゼネラルフーヅが担当しており、コーヒー機は富士電機が担当していた。ほんらいは別々で開発が進むところを、本社主導で富士電機とともに味の素ゼネラルフーヅが最高の味が実現できるように徹底的に作りなおされた。さらに本社は富士電機にたいして2万台のコーヒー機をまとめ交渉し、導入コストを最適化したうえで全国のセブン-イレブンに納入した。
     
    このようにセブン-イレブンの手法は、まず商品コンセプトを提示し、手をあげたメーカー各社を競合させる仕組みだ。セブン-イレブンはメーカーの技術力をリサーチのうえで最大限の提案を引き出す。また、厳しい目標コストを提示する。高いレベルの商品仕様が決定しており、競争も激しいため、必然的にコストはギリギリまで抑えられる。
    コストの多寡によって売価を決定する方法を原価主義といい、逆に理想売価からコストを逆算する方法を非原価主義と呼ぶ。つまり「コストがいくらかかるか」を考えるのではなく「コストをいくらに抑えねばならない」と考える方法だ。
    セブン-イレブンは非原価主義によって、取引メーカーから最大限の強みを引き出しているといえるし、その徹底した状況からセブンプレミアムなどの高価値商品が生まれているともいえる。
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  • 「2.5次元って、何?」――テニミュからペダステまで、「2.5次元演劇」の歴史とその魅力を徹底解説(PLANETSアーカイブス)

    2018-08-14 07:00  
    550pt

    今朝のPLANETSアーカイブスは、「2.5次元演劇」の誕生から定着までを見守ってきた編集者・真山緑さんのインタビューです。2010年代以降に顕在化した「テニミュ」「ペダステ」ブームの背景にある歴史や文脈を辿りながら、新しい演劇文化としての「2.5次元」の魅力について、お話を伺いました。(聞き手:編集部) ※この記事は2015年2月26日に配信した記事の再配信です。 ※インタビュー内容は、2015年当時の状況に基づいたものです。
    Amazon.co.jp:『舞台「弱虫ペダル」インターハイ篇 The First Result2014』
     
     
    ■ 2.5次元って、何?
     
    ――今回は、このところ話題になっている「2.5次元舞台」について、真山さんに解説をお願いできればと思います。まず2.5次元という概念についてお聞きしたいですが、そもそも「2.5次元」という言い方が定着したのはここ数年ですよね? 
    真山 そうですね。あくまで私が劇場に足を運んでいた体感的なところとデータから見たものでお話しますが、2012年あたりから……だと思います。その前にまず単語として説明すると、2.5次元というのは、マンガ・アニメ・ゲームが原作のものを舞台化――つまり2次元のものを3次元化したからその間をとって2.5次元、という認識でいいと思います。
    元々キャラ性の強い特撮作品や声優さんたちに対しても「2.5次元」という言葉は使われてきていましたが、ここ数年で一気に舞台化作品が増えメディアで紹介されたり、昨年「日本2.5次元ミュージカル協会」という組織ができたりしたこともあり、そういった舞台作品を総称して「2.5次元」舞台というジャンルで捉える動きが出てきています。
    ――2.5次元ブームというと、やはり『ミュージカル・テニスの王子様』(以下『テニミュ』)から『舞台・弱虫ペダル』(以下『ペダル』)の流れを中心に広がっている印象ですが、作品としてはやはり女性向けのものがメインなんですか?
    真山 観劇に足を運ぶ層に女性が多いのもあって過去の舞台化作品を見ても、女性ファンが多い作品が選ばれることが多いです。実は、ここ数年で作品数自体も相当増えていて、私は「PORCh」というテニミュを中心とした評論のZINE(=自主制作・自主流通の同人誌のこと)を作っているのですが、2012年に「おいでよ!2.5次元」という特集をしました。これを出した理由は、観劇に行く中で「最近、急に2.5次元作品が増えたよね」と体感したことなんです。「日本2.5次元ミュージカル協会」の資料をみると、数字的にも2011年は30作品以下だったのに対し、2012年は60作品を超える形で、2011年から2012年にかけて爆発的に作品数が増えたのがわかります。
    ――震災後に爆発的に増えているわけですね。
    真山 2011年がちょうど『テニミュ』の2ndシーズンが始まった年で、2012年は『ペダル』のシリーズ初演と、乙女ゲームの人気作の舞台化『ミュージカル薄桜鬼』(=薄ミュ)シリーズの初演と、『テニミュ』の関東立海公演――これは『テニミュ』のシリーズとして後半戦に入る直前の盛り上がる公演です――その三つが重なって観劇に行くお客さん自体も増えたように思います。2011年から2012年にかけては、動員数も60万人以下から120万人規模とほぼ倍に増えていることが協会の資料からもわかります。
    ―― 一気に2倍以上になってるんですね。
    真山 資料には、2013年には160万人突破とまで書いてありますが、リピーターもかなりいるのでユニークユーザーがどれくらいかわかりませんけど(笑)。『テニミュ』は「Dream Live」という楽曲だけのガラコンサートをするんですが、昨年の2ndシーズンを締めくくるライブではさいたまスーパーアリーナが埋まりました。それまでは横浜アリーナ(最大収容人数17000人)で毎回公演をしていて、さいたまスーパーアリーナ(最大収容人数37000人)でやるという告知があったときに、ファンは「え、埋まるの!?」という感じでしたが、意外とチケットが取れない人もいたりしていて。
    ――スーパーアリーナぐらいの規模だとはむしろ「行ってあげる」くらいの気持ちでいたら、意外と取れなかったわけですね。
    真山 あんなに油断せずに行こうと言われてたのに(笑)! ただ、その公演で『テニミュ』2ndシーズンのキャストが卒業だったので、さいたまスーパーアリーナに最後を見届けようというのも大きかったと思います。
     ここまで爆発的にファンが増えたのは、『テニミュ』を中心とした観劇ファンだけでなく『ペダル』や『薄桜鬼』といった別の作品のヒットとその原作から劇場に足を運ぶファンが増えたことも大きいです。『テニミュ』は知っていたけど観たことはないという層が、原作の舞台化をきっかけに2.5次元の世界に入ってきた。その流れに合わせて作品数も増えたのではないかと思います。 
    ――『テニミュ』の成功を背景に、ネルケプランニングといった舞台の制作会社とその周辺の企業が動いたというわけですか。作品数が増えていくと同時に『テニミュ』で培われた人材が分散していったということなんでしょうか?
    真山 『テニミュ』出身のキャストを「テニミュキャスト」(ミュキャス)と呼んだりするのですが、彼らが卒業後別の2.5次元舞台に出ることはとても多いです。『テニミュ』は基本的に舞台経験の少ない若手俳優を役に据えるので、2.5次元舞台をやる上での若手俳優養成所的な役割も担っていると思います。
     
     
    ■「発明」から生まれるヒットシリーズ
     
    真山 ファン自体も『テニミュ』をきっかけとして舞台にハマって出演者を追いかけて他の作品を観に行ったりするファンや、2次元(アニメ・マンガ)を平行して追いかけている原作ファンもいるので、『テニミュ』で入ったファンがそのままずっと『テニミュ』を観続けるとは限らない。2012年からお客さんがどっと増えたのは、『ペダル』と『薄桜鬼』が舞台化されたことが大きいですけど、どちらも初演から満員だったわけではなく、シリーズを続けることで徐々に原作や役者のファンから作品のファンへと観客を増やしていった印象です。
     それに加えてこの2作は、演出に小劇場系の人を呼び、すでに2.5次元系の作品の出演歴があるキャストに演じさせることで、それぞれの作品にカラーが出たことも大きかった。それが結果的に「あの原作(2次元)がこうやって舞台(2.5次元)になりました」という驚きをあたえることができた。特に『弱虫ペダル』は驚きでしたね! まさかああくるとは(笑)。
    ――想像では、クロスバイクを持ち込んでみんなで漕ぐのかと思っていたら、実際はハンドルだけを持ってみんなで漕いでるアクションをやるという――衝撃でしたよね。
    真山 本当にあれは「発明」でした! 元をたどれば、演出の西田シャトナーさんが「惑星ピスタチオ」という劇団でやっていた「パワーマイム」と呼ばれるもので、小道具を極力使わずに役者の身体で表現をする、パントマイムを使った演出方法なんです。それを『弱虫ペダル』の原作に活かすことによってああいった表現になった。これは『テニスの王子様』も同じで、実際にボールを打っているわけではないんですよね。ただ、ラケットの振りに合わせて、スポットライトと音を効果的に使うことで、ちゃんと打っているように見える。映像だと全てをきちんと表現しないと描けない原作の要素が、舞台では観客の想像力で補われる。そこに「.5(てんご)」の部分が生まれる。そこが2.5次元のおもしろさだと思います。
    ――2.5次元演劇の魅力のひとつが「見立ての美学」であるというのは共有されつつある気がするのですが、『ペダル』のDVDを観たら、舞台としても洗練されているという印象を受けました。メタ視点の入れ方も良いし、原作のまとめ方も良いし、そこにさらにクレイジーな「見立ての美学」という要素が加わっていて。
    真山 これまで「舞台」というと「ちょっと高尚な趣味」という感じで、宝塚や東宝ミュージカルも含めて少し敷居が高い大人の趣味と思われがちでしたが、『テニミュ』や『ペダステ』といった2.5次元系の作品が増えたことで、観に行く敷居が下がったところはあると思います。昔は『テニミュ』ファンだけだったのが、作品数が増えることによって2.5次元舞台ファンが細分化して、広がっていった印象です。
    ――ちなみに『薄ミュ』は、『ペダステ』のようにぶっ飛んだものではないんですか?
    真山 『薄ミュ』は、意表をつく演出があるというわけではないですが、乙女ゲームが原作なので乙女ゲームにあるキャラクターの「ルート」をうまくシリーズに昇華させています。ゲームの『薄桜鬼』はキャラクターごとに主人公と結ばれるルートごとの物語があって、『薄ミュ』では、このゲームの1ルートを1作で見せる形式だったんです。
     『テニミュ』は、主人公の学校が全国大会優勝までを描く物語が一本筋で続いて、その対決を学校ごとに1作で見せていく形式なんですが、こちらは、パラレルワールドとしてストーリーを毎回見せる形でした。お客さんも「このキャラのルートが観たい」という形で原作ファンを定期的に呼び込めるのが上手い点だと思います。
     もうひとつ『薄桜鬼』の発明は、男性キャストは基本的に変えずに「沖田総司篇の千鶴(主人公)役はこの人で…」という形で、1作ごとに主人公を演じる役者さんを変えたことです。その理由は簡単で、パラレルワールドのストーリーになるので、毎回同じ人が演じたら、主人公が移り気過ぎに見えるじゃないですか(笑)。そのやり方で、結果的に「今回の千鶴は~」という風に話題にできたのも良かったと思います。
    ――なるほど。クラスタとして、「2.5次元ファン」というのが生まれつつあるんですか?
    真山 クラスタが生まれているかというと、中々むずかしいと思います。「2.5次元舞台だから追いかける」というとちょっと違う気がするんですよね。2.5次元作品から舞台を観るようになって、キャストのファンになったりすることも多いので、そうすると下北沢の小劇場だったり、もしその人が蜷川幸雄の作品に出ることになったら彩の国に行くことになるので(笑)。原作や俳優が好きで観に行くことはあっても、「2.5次元だから観に行く」というそれを中心としたクラスタはそこまで生まれてないと思います。
    ――たとえば「アイドルオタク」って、AKBだったり、ももクロだったり、もっとマイナーなアイドルもみんな好き、という人が多い気がするんです。自分が推しているグループはあるけれど、基本的にはアイドル全体が好きで、その時々によって好きなグループや好きなメンバーがちがう、という。そういう形にはなっていないということなんでしょうか?
    真山 それは若手俳優のファンが近い感じですね。『テニミュ』から好きになった若手俳優を追いかけて別の舞台を観に行って、さらに別の若手俳優を好きになってその人が出る別の舞台に行く……そういうおっかけ的な習性は、いわゆる「ドルオタ」と近いかもしれません。
    ――つまり、「2.5次元クラスタ」というよりは、観劇ファンの中に、オタク勢力の女性ファンが今いっぱい流れ込んできている。
    真山 そうだと思います。ただその中にも、そこから若手俳優を追う人もいれば、私のような考察するのが好きな人間もいて、自分の好きな作品が舞台化したら舞台も観るよという2次元に準拠したファンもいるので様々ですね。
     
     
    ■斎藤工も!? 役者育成機関としての2.5次元
     
    真山  「観劇」を趣味とする人の増加も大きな変化ですが、こういった2.5次元舞台が増えることで、若手俳優がデビューするための登竜門の役割が強まったことも大きな変化だと思っています。『テニミュ』以前は、スタイルや見た目の良い若い男の子が芸能活動をしてみたいと思ったときになかなか入り口がなかったところに、そういった2.5次元舞台を経由することでファンを付けられる。それが結果的に2.5次元舞台を盛り上げるところに還元されているんですよね。
    ――なるほど。男性アイドル文化ってジャニーズの存在で発展しづらいところがあるけれども、その分をこの2.5次元を登竜門とする若手俳優が代替しているとも言えるかもしれないですね。
    真山 『テニミュ』が広く知られるようになったとされる1stシーズンのキャストには、ナベプロ(ワタナベエンターテインメント)のD-BOYSという俳優集団のメンバーが多いんですが、彼らは俳優としての活動だけではなく、イベントで歌ったり握手会したりと、限りなくアイドルに近い活動をしているんです。いまでこそ若手俳優がユニットを組んで歌ったり踊ったり、握手会などのイベントをしたりしますが、アイドルとしては売り出しにくいものに対して、それとは別の男性「アイドル」的な回路をナベプロが作ったんだと思っています。2ndシーズンから握手やハイタッチなどの接触系イベントが増えたこともあって、『テニミュ』や他の2.5次元系舞台がそういった流れを組んで、いまの若手俳優の売り方に影響を与えているとは思います。
    ――ちなみに『テニミュ』の出世頭といえば、城田優と加藤和樹という感じなんでしょうか?
    真山 他には、斎藤工ですね。氷帝の忍足侑士役でした。
    ――なるほど、斎藤工!
    真山 いまや「情熱大陸」です! 『テニミュ』などの多くの2.5次元舞台を制作しているネルケプランニング自体も舞台経験なしの若手俳優を一から役者として育てるのでそういった育成機関としてうまく機能していると思います。そこから特撮や朝ドラ、東宝ミュージカルなどに出演する人も多いです。
    ――ネルケプランニングは芸能事務所として機能してたんですか?
    真山 いえ、あくまで舞台制作会社なんですが、何も知らない……事務所にも入っていないような子を採用しているので結果教えることになるんだと思います。役のイメージに合う男の子をスタッフがカフェでスカウトもしていたくらいなので(笑)。
    ――つまり普通の制作会社の域は超えていて、なかばプロデュースに近いこともしているAKSに近いのかもしれないですね。
    ■PLANETSチャンネルの月額会員になると…・入会月以降の記事を読むことができるようになります。・PLANETSチャンネルの生放送や動画アーカイブが視聴できます。