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  • ゲームAIは〈人間の心〉の夢を見るか(後編)|三宅陽一郎×中川大地(PLANETSアーカイブス)

    2020-12-11 07:00  
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    今回のPLANETSアーカイブスは、先週に引き続き、ゲームAIの開発者である三宅陽一郎さんと、評論家・編集者の中川大地さんの対談をお届けします。日本のゲームとゲーム批評は、なぜダメになってしまったのか。圧倒的な技術力と資金力で成長を続ける欧米のゲームに、日本のゲームが対抗しうる方策とは?『人工知能のための哲学塾』『人工知能が「生命」になるとき』の三宅さんと『現代ゲーム全史』の中川さんが、日本のゲームと人工知能に秘められたポテンシャルについて語ります。(構成:高橋ミレイ)※本記事は2016年10月18日に配信した記事の再配信です。
    本記事の前編はこちら

    ゲーム論壇の衰退とゲーム実況の登場
    三宅 近年、日本のゲームが衰退していると言われています。その責任はもちろん開発者自身にありますが、ゲームを批評する言論の力の弱さも、原因の一端にあると思います。ゲーム産業が盛り上がった時期には、ゲームを語る文化も同時に盛り上がるのが常で、そうした時代には、ゲーム批評を担うスターが現れます。当時、『ゲーム批評』という雑誌がありましたが、今の時代にもそういうメディアや批評家の存在は必要です。
    その点、中川さんの『現代ゲーム全史』は、コンピューターの黎明期から現代の『Pokemon GO』までを網羅した、ゲームの歴史を俯瞰するマップとして使うことができる。僕はこのマップを足がかりに、ゲーム批評を再興できるのではないかと期待しています。批評が盛り上がって言論が面白くなると、ゲーム開発の現場もエキサイティングになります。そうしてユーザーとゲーム開発者が高いレベルで応答できるようになれば、もう一度、「文化としてのゲーム」を取り戻せるかもしれません。今のメディアは売り上げばかりを報じていて、商業色が濃すぎますからね。
    中川 ありがとうございます。ゲームがコンテンツカルチャーとして伸びていった2000年前後は、批評の文脈でゲームを語る人たちが、テキストサイト界隈で記事を書いていました。ところが、ちょうど三宅さんがゲーム業界に入った頃から、そういった論壇がどんどん弱くなっていった。日本のゲーム産業の停滞と共に、ゲームを批評的に語るモチベーションも衰退していって、2000年代後半に、その隙間を埋めるものとして現れたのが「ゲーム実況」でした。ニコニコ動画内で、ゲームをプレイしている動画を実況付きで放送する。このゲーム実況の登場によって、かつて批評の対象だったゲームが、ネット上のおしゃべりのネタとして共有されていきました。
    ゲーム実況でプレイされるゲームは、すでに多くの人が共通体験を持っているレトロゲームとか、あるいは『青鬼』や『ゆめにっき』といった「RPGツクール」などで制作されたフリーゲームです。あの辺の作品は、スーパーファミコン時代のゲームシステムを踏襲しながら、ストーリーテリングの部分に工夫を加えたものです。基本的にファンコミュニティが有する共通のコミュニケーションコードに即したかたちでプレイヤーの心情を揺さぶる手法で、ゲームそのものの本質としては新しい体験が生み出されていないし、求められてもいないように見えます。
    三宅 批評の役割のひとつは、その分野を他の分野とつなぐことです。例えば、ゲームと16世紀頃の絵画、あるいはゲームと別の産業のプロダクト、といったように、開発者が気付いていないような、他分野の事柄と関連づけることで新しい可能性を開拓します。確かに、ゲーム実況もこれはこれで興味深い文化なのですが、内輪の盛り上がりだけで終わってしまうのが難点です。
    なぜ日本のゲームは衰退したのか
    三宅 日本のゲームの衰退の背景には、コンピューターサイエンティストの少なさがあるように思います。ゲームプログラマーとして一流の人はたくさんいますが、ハイパフォーマンスのマシンに向けたゲームを制作する際に、コンピューターサイエンスの土壌の弱さが露呈してしまいます。その結果、相対的に欧米のゲームが伸びて、国内のゲームとその批評が衰退してしまうという連鎖が起きています。
    中川 日本のゲーム文化がピークに達した2000年代初頭ぐらいまでは、それまで蓄積したシステムを使って、いかに先進的な表現ができるかを突き詰めていくような試みがありました。ところが本格的な3Dエンジンを使う時代に入ると、技術力の不足も相まって、日本のゲーム業界全体が目的や発想力を失ってしまい、語るべき新しさを持ったゲームが現れなくなってしまったように思います。

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  • ゲームAIは〈人間の心〉の夢を見るか(前編)|三宅陽一郎×中川大地(PLANETSアーカイブス)

    2020-12-04 07:00  
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    今回のPLANETSアーカイブスは、ゲームAIの開発者である三宅陽一郎さんと、評論家・編集者の中川大地さんの対談をお届けします。デカルト以降の近代西洋哲学はどのように人工知能を定義するのか。欧米と日本のゲームの背景にある思想的な差異とは。『人工知能のための哲学塾』『人工知能が「生命」になるとき』の三宅さんと『現代ゲーム全史』の中川さんが、ゲームとAIについて徹底的に論じ合います。(構成:高橋ミレイ)※本記事は2016年10月18日に配信した記事の再配信です。

    実験物理学の研究からゲームAIの世界へ
    中川 今回、三宅さんとの対談をお願いしたのは、『現代ゲーム全史』をまとめてみて、ゲームと人工知能(AI)は車の両輪のような関係にあるなと感じたからなんですね。拙著の序盤の章でも述べたように、ゲームの数学的解析から始まるデジタルゲームとAIは、同じ起源を共有しています。以来、基本的には何か実用的な目的のために使うのではなく、純粋に人間がコンピューターで何ができるかの可能性を追求していくジャンルとして発展してきました。それが2012年あたりからAIではディープラーニング(深層学習)のブレイクスルーがあり、ゲームではOculus Riftなどが出てきてVRへの流れが全面化して、2016年現在はそれぞれに大きな歴史的転機が訪れています。
     そんな時流の中で、三宅さんはまさにゲームに活用するAIの専門家として、『人工知能のための哲学塾』と森川幸人さんとの共著『絵でわかる人工知能』を立て続けに出版され、AIという概念についての非常に本質的な思索を展開されていたのが印象的で、ぜひ深くお話をうかがってみたいと思ったわけなんです。
     それで、もともと三宅さんは物理学の研究をされていたそうですが、そこからどういう関心を持ってAIの研究に進まれたのかを、まずはお聞きかせ願えますでしょうか。
    三宅 最初は京都大学で数学と理論物理を勉強していました。修士課程で大阪大学に移って地下にある半径数kmという巨大な加速器でデータを取るような研究をやっていたのですが、装置を自分で作ってみたくなって、博士課程で東京大学に移り電気工学を学びました。そのうちに装置を自律的に動かすことに興味が出てきて、そこが人工知能の研究のスタートですね。「ひとつの知能を丸ごと作る」というのが僕の目標で、そういった技術はゲーム業界でこそ必要とされているはずだと思って、2004年頃にゲーム業界に入ったんです。でも、当時のゲームで使われていた人工知能は完全なものではなかった。今でも世間で人工知能と呼ばれるものの90%は、人工知能の一部を利用したものです。たとえばAmazonのレコメンドシステムやGoogle検索、ディープラーニング、画像認識などで、こういった単機能のAIの方がサービスにしやすいんですね。でも、僕が作りたいのは、ゲームの世界で本当に生きている、完全な人工知能でした。完璧でなくていいですが、知能として最低限必要な一揃いが作っているという意味で完全な人工知能です。そのためには、ゲームの中に「世界」そのものが存在しなくてはいけない。
    中川 なるほど。2000年頃といえば、ゲーム史的には2Dのドット絵の時代から、プレステ革命を経てポリゴンを用いた3DCG表現への主流の移行が完了したくらいの時期ですね。ゲーム世界が3D化すると、物理演算エンジンによって、現実の三次元空間に近い世界を作れるようになる。理念としてのAIは、特定の専門分野での用途に特化したものではなく、人間のような汎用的な問題解決のできる知能を目指すわけだから、知能に対して課題を与える環境の性格が人間のそれに近づくことが大きな意味を持つわけですね。言うなれば、AIがAIとして活動するための最も純粋なフィールドを用意しうる分野が、「世界」や「環境」を生成するテクノロジーとしてのゲームだったと。
      
    三宅 おっしゃる通りです。人間も含め、知能というのは外部の環境に合わせて相対的に生成されるので、単純な世界では知能を複雑にする必要がない。ゲームデザインが複雑になれば、人工知能もゲームを理解するために高い知能を持たなければいけなくなります。僕がゲーム業界に入ったのは、森川幸人さんがプレステで『がんばれ森川くん2号』(1997年)や『アストロノーカ』(1998年)を出した、そのちょっと後くらいでした。

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  • 【特別寄稿】三宅陽一郎「解題『正解するカド』」【PLANETSアーカイブス】

    2020-06-12 07:00  
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    今朝のPLANETSアーカイブスは、2017年放送のアニメ『正解するカド』について、ゲームAI開発者の三宅陽一郎さんによる寄稿をお届けします。『2001年宇宙の旅』や『スタートレック』といったSF作品の系譜を継ぐ、正統的な「ファーストコンタクトもの」である本作。異方存在ヤハクィザシュニナの現代性、そして、この物語が最後に辿り着いた「正解」とは?(※注意:本記事には作品に関するネタバレがあります)※この記事は2017年7月12日に配信した記事の再配信です。
    カド
     『正解するカド』は、大ヒットとなったフル3D劇場アニメーション『楽園追放』(2014年)を放った東映アニメーションが、同作品の野口光一プロデューサーの指揮のもと、ユニークな作品群で注目を集める野崎まど氏を脚本に擁し、満を持して放つフル3Dテレビアニメーションである。ゲームエンジンUnity3Dを用いた計算による表現が「カド」の時間結晶運動の表現に用いられている。
     『正解するカド』は彼方からやってくる存在「異方」との出会いの物語である。それは極めて仕組まれた出会いであり、「ファーストコンタクト」と言ってもまったく一方的な出会いである。それは降臨と言ってもいいし「押しかける」と言ってもいいし、あるいは「取り立てる」と言うべきかもしれない。何百億年と異方から長らく宇宙を見守っていた存在が、満を持して会いに来た、そんな出会いなのである。

    図 「正解するカド」設定見取り図
     出現する異次元からの立方体は「カド」と呼ばれる、多次元の存在が幾重にも折りたたまれたフラクタル立方体である。第一話で飛行機をまるごと飲み込んでしまうが、乗客の安全は保障される。飛行機は一つの比喩であり、いつでも地球全体を飲み込めることを暗示している。「カド」は人類を超えた圧倒的な存在であることを証明したのだ。「カド」は3次元の空間ではなく、この宇宙とは異なる物理法則を持つより高次元の存在(3+37次元)である。「カド」によって「異方」より来たりしは「ヤハクィザシュニナ」一人である。その高次元の存在体は、人間の警戒心を抑えるために白い装束に身を包み、真っ白い髪を持つ男性として顕現する。人間の言語を一瞬で学習し、人間とのコンタクトを始める。物語はこのカドを代表する「ヤハクィザシュニナ」と、人類を代表して外務省 国連政策課の交渉官(ネゴシエーター)である「真道幸路朗(しんどう・こうじろう)」との交渉を軸として展開される。

    ヤハクィザシュニナ(1)
     ヤハクィザシュニナの東洋的な姿、そして彼がそこから来た場所である「異方」はその根底に東洋的神話を思わせる。一つの世界に、その世界に属さない客人(まろうど)、あるいは「まれびと」として現れる存在である。世界に新しい兆しをもたらし、去って行く存在である。
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  • 【インタビュー】森田創「差別」から生まれた自由空間としての戦前プロ野球・前編 (PLANETSアーカイブス)

    2019-04-05 07:00  
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    今朝のPLANETSアーカイブスは、草創期のプロ野球を描いたノンフィクション『洲崎球場のポール際』著者・森田創さんのインタビューです。戦前に始まったプロ野球の名勝負の舞台となったのが、現在の東京都江東区にあった「洲崎球場」でした。なぜ東京の東側でプロ野球文化が芽吹いたのか? 東京の都市構造やメディア環境の変貌が、大衆文化に何をもたらしたのかを語ってもらいました。(聞き手/構成:中野慧) ※この記事は2016年10月12日に配信された記事の再配信です

    森田創『洲崎球場のポール際 プロ野球の「聖地」に輝いた一瞬の光』講談社、2014年
    ■関東大震災、幻の「1940年東京五輪」と野球人気の高まり
    ――森田さんの『洲崎球場のポール際』は、草創期のプロ野球の歴史を、現在の東京都江東区にあった「洲崎(すさき)球場」を中心に描いていくというものでした。プロ野球は私たちにとっては生まれたときから当たり前にあったものであるがゆえに、どういう経緯を経て今の形になっているのかって、実はあまり知られていないのではないかと思います。
     そこで今回は、野球が文化や社会の状況とどのようにして絡み合いながら今のものになったのか、そこにどんな可能性があったのかについて伺っていければと思います。森田さんはもともとこの本を執筆する前から、戦前の野球に強く興味を持っていらしたんでしょうか?
    森田 もともと野球のなかでもプロ野球が好きでしたので、戦前に限らずどの時代も興味があったのですが、やっぱり戦前は記録も少なくてミステリアスですし、「伝説の大投手」沢村栄治【1】をはじめとして戦死してしまった選手も多くいて、悲劇的な部分もありますよね。そういうところに神話的な憧れを持っていた、ということはあるかもしれません。
     この本を書くに至った理由は単純で、それまでずっと狂ったように会社の仕事をしていたんですよ。劇場を作る仕事だったので、まさにプロ野球と同じ「興行」についてずっと考えている毎日で。その仕事がひと段落して、「何か違うことがやりたいな」と感じていたときにたまたまプロ野球の失われた球場についての本を読んで、「プロ野球は洲崎球場で始まった」ということを知ったんです。面白そうだからもっと調べてみようと思ったんですが、あまり資料も残っていないし、ほとんど何もわからなかった。それでムキになって調べているうちに、会社で本を作る仕事をしていた人に「そんなに調べているんだったら、本を書いてみれば?」と言われて書き始めた、という感じですね。

    【1】沢村栄治:1934年に行われた日米野球でメジャーリーグ選抜と対戦して好投し、その後始まったプロ野球では巨人でエースとして活躍したが、日中戦争・太平洋戦争に従軍し1944年に27歳の若さで戦死した。背番号「14」は巨人の永久欠番となっている。なお、漫画『ダイヤのA(エース)』の主人公・沢村栄純の名前は沢村栄治へのオマージュ。

    ――戦前から東京都内には野球場がいくつかあったようですが、洲崎球場のように戦後にはなくなってしまった球場って他にあるんですか?
    森田 戦前で消えたのは洲崎球場だけですね。もともと昭和15(1940)年に東京でオリンピックが開催されるはずだったんですよ。日本の戦前の都市計画って、そのオリンピック構想に縛られているところがあるんです。まず今の東京の原型となったのは、大正12(1923)年の関東大震災後の「帝都復興計画」ですね。そのときに、昭和通りとか地下鉄銀座線とか、今でも使われているインフラでももっとも古いものができました。その後、いわば「第二期」の都市計画のベースになったのが昭和15年の東京五輪です。この「幻の東京五輪」は、昭和11年の7月31日に開催が決定し、実は今の駒沢オリンピック公園――昭和39(1964)年の東京五輪でも使われたところです――にメインスタジアムを置く計画でした。ところが昭和13(1938)年、日中戦争の激化とともに泣く泣く中止となってしまいました。
    ――当時の駒沢って、今のように住宅街だったわけではないんですよね。
    森田 もう、ほとんど『北の国から』みたいな感じですよね。牛の鳴き声が聞こえるような。ただ、昭和15年の東京五輪計画って、昭和39年の東京五輪でも多くの部分が踏襲されていたりするんですよ。馬事公苑で馬術をやるとか、戸田公園でボートをやったのもそうですし、39年の東京五輪では女子バレーボールが「東洋の魔女」と呼ばれて金メダルを獲得したわけですけど、あれも駒沢の体育館で行われました。なぜ駒沢に巨大な体育館が作られたかというと、やはり昭和15年の東京五輪計画を踏襲したからですね。
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  • 近代都市・東京を再現する拡張型都市開発フィギュア「ジオクレイパー」とは? 製作者・内山田昇平インタビュー(PLANETSアーカイブス)

    2018-12-10 07:00  
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    今朝のPLANETSアーカイブスは「ジオクレイパー」の製作者・内山田昇平さんへのインタビューです。「都市開発トレーディングフィギュア」というユニークな発想の原点や、都市を8つのパーツに抽象化する中で見えてきたもの、そして「食玩ブーム」を基点とする日本ホビー文化の過去と現在について、宇野常寛がお話を伺ってきました。(聞き手:宇野常寛 構成:中野慧/構成協力:真辺昂) ※本記事は2015年11月25日に配信した記事の再配信です。

    ▲「ジオクレイパー」プロモーション動画
    https://www.youtube.com/watch?v=4Un0rQkw88k
    ジオクレイパーHP
    https://geocraper.localinfo.jp/
    Facebook
    https://www.facebook.com/geocraper/
    ■ Instagramの「#建物萌え」的な感覚から生まれた「ジオクレイパー」
    宇野 もともと僕はフィギュア全般が好きで、特に仮面ライダー関連の製品をよく集めているんです。メディコム・トイの「東映レトロソフビコレクション」や、竹谷隆之さんのS.I.Cシリーズにもハマっていて、このメルマガでメディコム・トイの赤司竜彦さんや竹谷さんにもインタビューしたりしています(笑)。
    (関連記事)
    日本の町工場から鮮やかに蘇る東映怪人たち――「メディコム・トイ」代表・赤司竜彦インタビュー
    "もし現実にいたら"を具現化する力――造形師・竹谷隆之に聞く三次元の〈美学〉と可能性
    内山田 なるほど、僕もその感覚はよくわかります(笑)。「東映レトロソフビ」は赤司さんの製品化のセンスがまたとてもいいですよね。
    宇野 僕は特撮フィギュアに限らず模型も含めたホビー全体が好きなのですが、秋葉原のホビー系の店を散策していたときに、たまたま店内に展示されていた「ジオクレイパー」を見て大変な衝撃を受けたんです。まず立体フィギュアとしての完成度がとても高いですし、6cm角でデザインされた建物のパターンを自由に組み合わせて遊べる「建築トレーディングフィギュア」というコンセプトも斬新ですよね。まずはこの発想の原点についてお伺いしたいのですが、内山田さんご自身はもともと建築がお好きだったんですか?
    内山田 うーん、「この建築家の作品が好き」という感覚は実はないですね。僕はキャラクター商品などの玩具・フィギュア業界でずっと仕事をしてきたんですが、もともと「建物萌え」というか、現代のビル群や高速道路のような東京の都市景観がすごく好きなんです。たとえば出張で大阪から新幹線で帰ってくると、新橋や品川あたりから急に建物がわあーっと立ち上がってきて、「あ、東京に帰ってきたな」と感じたりしますよね。高度成長以降に作られていったそういう「モダン」というか、近代都市としての東京の魅力を形にしたいという思いがありました。


    宇野 「ジオクレイパー」はどういうお客さんを想定して製作を始められたんでしょうか?
    内山田 当初想定していたのはInstagramを使っているような若い層ですね。僕はInstagramを初期の2010年頃からやっていたんですが、ビルの写真ばかり撮ってアップしたりしていました。「#高速道路」「#鉄塔」とか、あとは「#工場」というハッシュタグもあったりして、そういった様子を見ていて「建物のファンってたくさんいるんだ」ということに気付いて、その感覚を立体にしたら面白がってもらえるんじゃないかと思っていましたね。
    宇野 「ジオクレイパー」はうちの事務所にも置いているんですが、別に建築が好きというわけではないスタッフも「おしゃれでいいですね!」と言ってくれたりして、インテリアとしても優れた製品ですよね。
    内山田 やっぱりホテルとかに置いて、海外のお客様にお土産としてアピールしていきたいということは思っています。「都市」ってキャラクターフィギュアと違って文脈の理解がいらないですし、非常にわかりやすいコンセプトだとは思うので。
    宇野 これまで販売してきて、反響はいかがでしたか?
    内山田 やっぱり好き嫌いではなく、「理解してもらえるかもらえないか」ではっきりと分かれる、という感じですかね(笑)。
    宇野 単におもちゃ売り場で箱の中に1ピース置いてあるだけだと理解されにくいかもしれないですね。僕が秋葉原で見たときは実際に都市の景観としてディスプレイされていて、その問答無用の説得力にやられてしまったんです。
    内山田 僕も本当にそうだと思います(笑)。今年のワンダーフェスティバルでは3600個の巨大ジオラマを展示したんですが、そしたらやっぱり大反響でしたね。



    ▲ワンフェスでの展示写真
    宇野 具体的に、ユーザーはこの「ジオクレイパー」をどんなふうに楽しんでいるのでしょうか?
    内山田 モデラーの方が水没ジオラマを作ってくれてTwitterでバズったりしていましたね。あとは他のフィギュアと組み合わせて写真を撮っていらっしゃる方が多いです。特撮オタクの方など、比較的濃い人たちが買ってくれている印象ですね。

    ▲ジオクレイパーの水没ジオラマ(出典)
     


    (出典)
    宇野 実は僕も秋葉原で見かけたときにすぐに箱買いして、うちの事務所にあったウルトラマンとベムラーと組み合わせて写真を撮ったんです。それがこれなんですけど……。

    ▲ジオクレイパーと合わせたウルトラマンとベムラー(宇野撮影)
    内山田 おお、かなりよく撮れていますね! こんなふうに別のフィギュアと組み合わせて写真を撮ってアップしてくれている人が多いんですよ。楽しんでもらえて嬉しいです。
    ■「モダン」の結晶である東京のビル群・高速道路を再現したい
    宇野 「ジオクレイパー」の第1弾「東京シーナリー」は8つのパーツに限定して出されていましたよね。その「8つのパーツに限定する、それだけで街ができる」という発想もひとつのブレイクスルーだと思うんですが、なぜこういう形態で販売しようと考えたんでしょうか?

    ▲ジオクレイパー 東京シーナリー Vol.1 BOX
    内山田 発想の大元は食玩やトレーディングフィギュアですね。昔からトレーディングフィギュアって8個ぐらいの商品の定番セットでだいたい5000円〜6000円ぐらいの感覚なのですが、ジオクレイパーの第1弾として出した「東京シーナリー」もそのイメージで8つのパーツにしています。
    そもそも僕は今の会社を30歳で立ち上げて15年やってきたんですが、最初は『ファイナルファンタジー』のアクセサリーの販売代行からスタートしたんですね。そうこうしているうちに2000年代初めに「食玩ブーム」というものが起こって、ライト層を取り込むことにも成功してすごく盛り上がったんです。
    宇野 なるほど。実は食玩ブーム当時、僕は大学生だったのですが、「チョコエッグ」(海洋堂)の動物フィギュア、「名鑑シリーズ」(バンダイ)のウルトラマンや仮面ライダーのフィギュア、他にも「王立科学博物館」(タカラ)の宇宙ものとか、「タイムスリップグリコ」(海洋堂+グリコ)のレトロフィギュアを集めたりしていました(笑)。「ジオクレイパー」にはその食玩ブームの遺伝子が宿っているわけですね。
    内山田 ええ、「都市をフィギュアにしよう」という発想も食玩やトレーディングフィギュアから来ています。食玩のミニチュアには色んなものがあったわけですが、建物をモチーフにしたものもありました。そういった建物が並んだ「都市」の景観をフィギュアにしたいなあ、ということは昔からぼんやりと考えていたんですね。
    あとは、2009年にオリンピック誘致を目的に森ビルさんが作った1000分の1スケールの東京のジオラマをテレビで見たことも大きかったですね。「すごい」と思うと同時に「このジオラマ、欲しい」と思ってしまったんです(笑)。

    ▲森ビルが作った東京のジオラマ
    https://www.youtube.com/watch?v=4iGNTegpLZI
    宇野 その気持ち、ものすごくよくわかります(笑)。
    内山田 ただ、森ビルさんが作ったこのジオラマって5億円以上かかっているらしいんです。予算的に自分たちでは作ることはできないから、さすがに無理だよなぁとそのときは思っていました。でもテレビで都市の空撮の映像とかを見かけるたびに、「あの風景をジオラマにしたいなぁ……」という気持ちが蘇ってきて、その感情が抑えられなくなって、採算度外視でこの「ジオクレイパー」の開発を決意してしまいました。
    宇野 素晴らしいですね(笑)。他にも何かヒントになったものはあるんでしょうか?
    内山田 当然ながら『シムシティ』(注1)も発想の原点にありましたね。
    宇野 なるほど。『シムシティ』はゲーム内で建物や公共交通機関を作って自分の街を大きくしていくわけですが、「ジオクレイパー」は実際に立体のフィギュアで街を拡張できますからね。

    (注1)シムシティ:米マクシス社が販売するゲームソフト。交通と公共施設を作って街の発展を目指す。1989年に米国で発売され、その後日本でも初期PCゲームの定番ソフトとなり、その後はコンシューマー機でも展開されて都市経営シミュレーションゲームの雛形となった。


    ▲シムシティのプレイ画面(出典)
    内山田 ただ、モノづくりできる仲間にこの構想を話しても、最初は誰も理解してくれなかったんですよ(笑)。そもそも僕らは1/144の戦闘機のフィギュアを作ったり、もともと「シンメトリーな商品を作る」ということをやっていたんです。
    宇野 いまお話を伺っていて思ったんですが、昔700円くらいで売っていたブルーインパルス(航空自衛隊の戦闘機)ってもしかして……。
    内山田 あ、それはウチで出したやつですね。「J-wing」という雑誌とコラボさせてもらって出した商品なんですけど。
    宇野 やっぱり! 僕、これ買っています。そんなにミリタリー系に詳しいわけではないんですが、僕みたいなライトな模型ファンにとって、半彩色で接着剤無しで組み立てられるのってすごくちょうどよかったんです。

    ▲「Jウイング監修 MillitaryAircraftSeries vol.5 -航空自衛隊の戦闘機-」この号にブルーインパルスが付属していた 
    内山田 本当ですか! 嬉しいですね。この「ブルーインパルス」を作ったときに経験したことなんですが、戦闘機模型のユーザーって本当に目が肥えているんですよ。1/144スケールって当時としては先駆的なサイズだったんですけど、このスケールになってくるとリアル感がすごく問われてしまいます。当時うちの技術力はまだそこに追いついていなくて、ユーザーさんからは厳しい評価をいただいてしまいましたね。日本の濃いユーザーさんに満足してもらうためには本当にモールドの数ミリが生命線で、ちょっと太いだけでもうダメなんです。
    宇野 なるほど。普段から技MIX(注2)を愛好しているようなガチ勢のお客さんからしたらそうかもしれないですが、でも僕ぐらいのライトファンからしたらとても良い製品に思えたんですけどね。

    (注2)技MIX(ギミックス):トミーテックが販売する彩色済み戦闘機プラモデルのシリーズ。

    内山田 もちろん、そう言ってくださる方もたくさんいて、それは嬉しかったですよ。一方で、厳しいユーザーさんのリクエストに必死に応えていく過程で僕らの技術力が鍛えられたという部分もあったんです。そうして技術力が向上した結果として、「ジオクレイパー」の構想がだんだん具体化できるようになっていきました。仲間のCGデザイナーの人にラフを出してもらったらドンズバなものが上がってきたりとかですね。それで2012年ぐらいに仮試作を作り始めて、2014年の9月にようやく発売することができました。
    宇野 食玩のフォーマットでガチ勢と戦ってきた結果、技術が鍛えられていったんですね。
    内山田 「ジオクレイパー」の製作過程でも、東京タワーの方とライセンスの関係でお話しをしたときに「ここまで作りこまなくてもいいんじゃないですか?」って言われたんです(笑)。もちろん担当の方も大変理解のある方で、「ホビーメーカーさんってここまで作り込みますよね」という前提で冗談を言ってくれたんですけど、やっぱり「ここまでやる」のが日本のホビー文化なんです。タワーの中を通るエレベーターの支柱とか、省略してもいいんじゃないかという箇所はいくつかあったんですが、「そこで妥協したら文化じゃない」という思いでやりきってしまいましたね(笑)。
    ■ 「東京中の建物をサンプリングする」という発想
    宇野 「ジオクレイパー」は6cm角というこのサイズ感も絶妙だと思うんです。どういった経緯でこのサイズに決めていったんでしょうか?
    内山田 もともと「単にビルだけを作っても売れないだろうな」ということは思っていて、東京のランドマークといえば東京タワーなのでこれは絶対に入れようと決めていました。東京タワーの高さ333mを手頃なサイズにしようとすると高さ13cmがちょうどいい。そのまま縮尺していくとだいたい平面が6cm角に収まるんですが、そのスケールがちょうど2500分の1だった。「ジオクレイパー」が2500分の1サイズなのは東京タワーが基準になっているからなんです。
    宇野 なるほど。「ジオクレイパー」は東京タワー以外にも色々なビルをモデルに、ある種の類型化・抽象化を行ったキットになっていますが、その「パターン化」という視点が面白いですよね。この発想がどのようにして生まれたのかが気になっていたんです。
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  • 日本の町工場から鮮やかに蘇る東映怪人たち――「メディコム・トイ」代表・赤司竜彦インタビュー(PLANETSアーカイブス)

    2018-11-19 07:00  
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    今朝のPLANETSアーカイブスは、トイメーカー「メディコム・トイ」代表の赤司竜彦さんへのインタビューです。ソフビに関するディープな趣味の話題から、日本の「ものづくり」の本質と未来像。さらに、文化の世代継承をめぐる対話が繰り広げられました。怪人やヒーローたちのレトロな造形と鮮やかな色彩にも注目です。(構成:有田シュン) ※この記事は2015年2月27日に配信した記事の再配信です。
    ■日本の地場産業「スラッシュ成型」を活用すべく誕生した
     
    宇野 僕は普段、評論家として活動しつつメルマガの編集長としていろいろな記事を出しているんですが、時々完全に自分の趣味の世界の記事を出しているんです。そんな僕が今一番ハマっているものが「東映レトロソフビコレクション」シリーズです。ほぼ毎月買っています!
    赤司 本当ですか?(笑)
    宇野 そのくらいハマっているんです。それに「ハイパーホビー」(徳間書店)が休刊になったことが非常にショックで、僕はこれからどうやって「東映レトロソフビコレクション」の最新情報をゲットすればいいのだろうと途方に暮れていたんですが、「もう自分で取材に行くしかない」という結論に至り、今日お伺いした次第です。
     

    ▼メディコム・トイの運営するソフビ総合情報サイト「sofvi.tokyo」
     
    赤司 なるほど! ありがとうございます。
    宇野 今日はこの「東映レトロソフビコレクション」シリーズを手掛けてらっしゃる、赤司さんのお仕事について伺っていきたいと思います。そもそもこの「東映レトロソフビコレクション」シリーズを立ち上げたきっかけは何ですか?
    赤司 まずちょうど三年くらい前に、いわゆる日本の地場産業であるソフビを作る上でのスラッシュ成型を持つ工場の仕事がない、というお話をひんぱんに聞くようになってきたんです。当時は、大体ソフビ商品の9割が中国で生産されていたという時期だったのですが、その話を聞いて改めて「今、日本の工場はそんなに大変なんだ」「じゃあ日本の工場でできる仕事を何か考えないと」と考えるようになりました。
     ただ、弊社も日本での製造自体は、会社の創業当時以来12年くらいブランクがあったんです。そんな時にとあるメーカーの同世代の方からソフビ工場をいくつか教えてもらい、「東映レトロソフビコレクション」を作りたいんだけど、と相談したんです。
     そしたら、皆さん「えっ、メディコムさんってうちでやるんですか?」と意外にもびっくりされていました。もちろん中国と比べて、日本の方は製作費が高いというような背景はあったものの、「こんな小さなソフビフィギュアを作れるんだ」という技術力の高さもあって、ちょっとずつ仕事を始めたんです。
     そして一番最初に出たのが、『仮面ライダー』の「ドクガンダー」と『人造人間キカイダー』の「グレイサイキング」の2つです。2011年の発売です。なぜ『キカイダー』かというと、「なんで『キカイダー』のスタンダードのソフビはないんだろう」っていう夢を見たからなんです(笑)。 
     

    ▲東映レトロソフビコレクション グレイサイキング(『人造人間キカイダー』より)
     
    宇野 なるほど(笑)。 
    赤司 なんで当時作られていなかったんだろう……。まあ多分、20時台のオンエアだったとか、あんまり子供が観てなかったとかいろんな理由があったのかもしれないですけど、あったら欲しいなぁ、から始まっているんです。そこからライセンス周りで半年くらいかけて何とか東映さんにご尽力いただいて、ライセンスをオープンしていただけるような環境ができてきて。そこから、やっと実際に商品を作り始めることになったわけです。 
    宇野 全国のソフビオタクにとってはなるほど、っていう感じのお話ですよね。最初に雑誌で見た時は、「あ、なんか変わったものが始まったな」と思っていたんですが、実際に現物を見てみるとびっくりするくらいクオリティが高くて、「ああ、これはもう集めるしかないぞ!」と思いました。僕はたぶん『仮面ライダーV3』の「ガマボイラー」ぐらいから買い始めました。(2013年10月発売)
     

    ▲東映レトロソフビコレクション ガマボイラー(『仮面ライダーV3』より)
     
    赤司 そこから遡るのは結構大変ですね。
    宇野 大変でした。だから中古ショップで買い漁ったり、ヤフオクを駆使して集めました。ザンブロンゾあたりが結構大変でしたね。
     
     
    ■「東映レトロソフビコレクション」シリーズの制作体制
     
    宇野 どういう体制で制作されているのでしょうか。
    赤司 熊之森恵という原型師さんを中心に据えて、その他の6人の原型師さんチームにオペレーションを任せます。当然原型師さんごとに技術的な差やスピードの違いもあるのですが、その辺を熊之森さんがうまくコントロールしてくれています
    宇野 レトロ感のあるスタンダードサイズでありながら、造形の精度は21世紀のレベル。当時のスタンダードソフビが結果的に持っていたデフォルメの面白さというものを、ものすごく引き出しているアイテムになっていると思います。
    赤司 あまり具体的に定義したことはないんですけど、ネオレトロとか言われているようなジャンルなんだろうとは思うんですよね。当然マーケットには、レトロをレトロのまま再現することしか認めない!という方もいらっしゃるんですが、実はレトロという方向性で商品の構成とアレンジを詰めていくと、意外と物足りなく感じるようになったり、色々な玩具を見た上でレトロな方が物足りないって感じる方が多いのも事実なので、そこらへんのさじ加減はさすが熊之森アレンジといったところですね。
    宇野 本当にそうですよね。でも、僕はこのスタンダードサイズのソフビの頃はまだ生まれていなくて、スカイライダーの方の『仮面ライダー』(1979年放送)の一年前に生まれているので、後からビデオで70年代の特撮とかを見て好きになった世代なんですよ。
     ですので、スタンダードサイズのソフビとか全然知らないで育っているんです。同サイズの500円ソフビとか700円ソフビしか知らないで生きているのですが、この「東映レトロソフビコレクション」を見た時に、70年代の東映キャラクターの良さというものが150%引き出されていると非常に感動したんです。本当にそれぞれのキャラクターの魅力というものを、とてもうまく引き出すデフォルメになっていると思います。
     他のスタンダードサイズのレトロソフビというのは、言ってしまえば当時の思い出をリフレインしているだけの商品になっていると思うんです。でも「東映レトロソフビコレクション」シリーズは、明らかにこのサイズでデフォルメすることを利用して、元のキャラクターの魅力を引き出すというゲームを戦っています。
    赤司 ありがとうございます。私もキャラクターの魅力を引き出すという点では、このアレンジは有効だと感じています。 
    宇野 現代の造形センスとすごく合っていて、特にこの「ドクガンダー」のカラーリングとか……!
     

    ▲東映レトロソフビコレクション ドクガンダー(※成虫。『仮面ライダー』より)
     
    赤司 ニヤっとしちゃいますよね。 
    宇野 個人的なエピソードになりますが、中古ショップでまず「ドクガンダー」の「ワンフェス2012冬開催記念モデル」を買ったんです。これは素晴らしいなと思って飾っていたんですが、カタログ見てたらオリジナル版もどうしても欲しくなって、そっちはそっちでまたヤフオクに出た瞬間を狙って落札。以来、毎日眺めてます。どうやったらこのカラーリングにたどり着くことができるんでしょうか。
    赤司 たぶん、世代的なものもあるのかもしれないですね。自分たちからすると、意外とナチュラルなカラーリングなんですよ。劇中に出てきた「ドクガンダー」を、70年代のフィルターに通すとこんな感じになるだろうなあと。ソフトビニールという素材を使ってキャラクターをどうディフォルメ、カリカチュアするかというメソッドに、70年代風でありながら、そこだけではないみたいなところがきっとあるんでしょうね。
    宇野 そこがやはり、このシリーズの魅力だと思います。ただ当時のスタンダードサイズのソフビを再現しました、っていうシリーズだったら、たぶん僕は買ってないと思います。
    赤司 なるほど。その辺りはさじ加減の問題ですよね。一個一個の商品を見てみると、原型師さんによって微妙にテイストは違うんですけど、最後に熊之森さんがうまくアレンジをしてくれるんです。
     生産の方のメソッドになって、ちょっとテクニカルな話になっちゃうんですけど、元々作った粘土原型を一度蝋(ワックス)に置き換えるんですが、この作業は全部熊之森さんがやっていて、そこで彼独自のテイストとかアレンジが施されます。そうしながら最後に蝋を落としているんですが、その工程が一番シリーズとしての統一感を出しているところなんじゃないかな、という気がします。
    宇野 なるほど。ちなみに、このラインナップはどう決められているんですか?
    赤司 僕と熊之森さんが、ほぼ一日かけて半年分くらいを決めます。
    宇野 第一弾が「ドクガンダー成虫」という恐ろしい決断を下されたわけですが、結果的に大傑作だったと思います。このセレクションはどこから生まれてきたんですか?
    赤司 意外とここは明快です。当時、バンダイさんが出していたソフビの中で、頭から消していって、たぶん一番最初に欠けているのが「ドクガンダー 幼虫」なんです。そこで、「幼虫はダメだろう!」という話になって、最終的に成虫になったという感じだった気がします(笑)。
    宇野 そうだったんですね! その後の「スノーマン」、「ザンブロンゾ」という2号編の怪人が最初に来てるのもそういう理由ですか?
    赤司 そうですね。この辺も、やっぱり最初は立体化に乏しいものを作っていこうという発想からだと思います。 
    宇野 「ガニコウモル」とかは有名怪人だし、なんとなくわかるんですけど、「スノーマン」「ザンブロンゾ」、「イソギンジャガー」って結構すごいラインナップですよね。
     

    ▲東映レトロソフビコレクション イソギンジャガー(『仮面ライダー』より)
     
    赤司 なぜ「イソギンジャガー」を選んだかというと、この回は石ノ森章太郎先生が監督をされているんですよ。

     
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  • もはやサブカルチャーは「本音」を描く場所ではなくなった――『バケモノの子』に見る戦後アニメ文化の落日(宇野常寛×中川大地)(PLANETSアーカイブス)

    2018-07-09 07:00  
    550pt

    今朝のPLANETSアーカイブスは『バケモノの子』をめぐる評論家の中川大地さんと宇野常寛の対談をお届けします。『サマーウォーズ』『おおかみこどもの雨と雪』などでヒットを飛ばし、ポストジブリの最右翼と目される細田守監督とスタジオ地図。その最新作が逆説的に示してしまった戦後アニメ文化の限界とは? 初出:「サイゾー」2015年9月号(サイゾー) ※この記事は2015年10月7日に配信した記事の再配信です。
    Amazon.co.jp:バケモノの子
    大作化で発揮されなくなった細田守の批評性
    中川 どうしても面白いとは思えない作品でした。「“夏休み映画”を作らなければ」という形骸的要請ばかりが先だって、ワクワク感が全然なくて。異世界ファンタジーとしての体裁が、ほとんど機能してなかった気がします。
    宇野 僕はちょっと評価が複雑で、観ている間はそんなに気にならないんですよ。でも、観終わったあとに何か言おうと思うとまぁ、誰も傷つけずによくできていたな、ということしか浮かばない。
    中川 基本的には、シングルマザーの子育てを描いた前作『おおかみこどもの雨と雪』【1】と対の構造になっている。つまり、親が一方的に子を導くのではなく、親の側が子から教えられる相互性とか、熊徹【2】だけではなく、友人の多々良と百秋坊【3】らにも子育てのタスクを分散させるとかで、細田守監督なりの新たな父性や家族像を追求しようとしたわけですね。そのメッセージ性自体にはなんら異論はないのだけれど、『おおかみこども』とセットだと「母にはあれだけ苛酷な運命を押しつけといて、父はここまでユルユルに免責すんのかよ!」という見え方になってしまう(笑)。

    【1】『おおかみこどもの雨と雪』
    公開/12年7月 
    細田守のオリジナル長編2作目。
    “おおかみおとこ”と結婚し子どもを産んだ女性と、その娘と息子の“おおかみこども”の物語。シングルマザーとなった主人公の花を通じて描かれる母性信仰の強さが、一部から批判を集めた。
    【2】熊徹
    熊の容姿をした半獣人で、武道家。バケモノの世界で次期宗師の座を猪王山と争っている。人望が厚い猪王山に比べ、荒くれ者で我が強い。蓮を拾い、名前を名乗らなかった9歳の彼を「九太」と名づける。
    【3】多々良と百秋坊
    どちらも熊徹の幼なじみで、多々良はヒヒの半獣人、百秋坊は豚の半獣人で僧侶。多々良は大泉洋、百秋坊はリリー・フランキーが声を当てている。

    宇野 『おおかみこども』では「女性賛美の形をとった女性差別」の典型例みたいなことをやってしまって、ちょっと過剰に叩かれすぎた面もあるけど、まあ、さすがにあれは今の40代男性の自信のなさと、屈折した男根主義が悪い形で全面化して作品を狭くしていた側面は否めない。その反省か、今回、現代的な家族観・コミュニティ観を最小公倍数的にきれいに描いていて、こういう関係が美しいという美学はわからなくもないけれど、今度はその分、批判力のあるファンタジーではなくなってしまった。
    中川 まぁ『おおかみこども』での批判に誠実に対応した結果、たまたま男性側の免責に見えてしまっただけかもしれないからジェンダー論的な批判は留保するとして。もっと問題なのは、「渋天街」のイメージの弱さでしょう。『千と千尋の神隠し』的な、この世とは違う理で動く摩訶不思議な異界としての設定も映像的快楽も希薄で、ただステレオタイプな都会としての渋谷に対比させるためだけの、素朴な共同体社会でしかなかった。
    宇野 あそこで描かれているものって、完璧に正しくてそこそこ美しいと思うんですよ。でも、いま期待をかけられているスタジオ地図【4】の新作アニメーションで、夏休みの最大のごちそうとしてみんなが観に行って、この作品が出てきた時の物足りなさは否めないと思う。ポスターから想像できるストーリーの半歩もはみ出ていない。
     結局細田さんって、美少年というモチーフに一番興味があると思うんですよ。『サマーウォーズ』【5】を観ると明らかじゃないですか。一番思い入れがあるのはカズマだったでしょう。カズマは脇役だったのが『おおかみこども』で“雨”を経て、『バケモノの子』では完全に少年が主役になっている。モチーフレベルでは正直になってきているんだけど、その間に細田守の社会的地位が上がって、表現レベルではどんどん丸くなってしまって、とうとう誰も傷つけない代わりに何もない作品になってしまった。
     特に九太が青年になって以降、後半のシナリオが完全に“段取り”になってしまっている。一郎彦【6】が実は人間の子どもだというのは観ていればすぐにわかるし、クライマックスのアクションシーンが必要だからという理由だけで渋谷に出るのも……。あと、九太の社会復帰が、勉強して高認をとって大学に行くことを決意する【7】って展開に到っては、だったらなんのためにファンタジーが存在するのかよくわからなくなってしまう。異世界で修行をすることで、大学では学べないような世界の豊かさを学んできたんじゃなかったのか、と(笑)。この映画の中でいちばん豊かに描けているのって、少年期の修行時代の擬似親子+2人の傍観者(多々良・百秋坊)というあのコミュニティですよね。

    【4】スタジオ地図
    『時をかける少女』『サマーウォーズ』を手がけたプロデューサーが、細田守と共にマッドハウスから独立して設立したアニメ制作会社。
    【5】『サマーウォーズ』
    公開/09年8月
    17歳の健二が、ふとしたことから憧れの先輩の田舎に共に帰省し、
    大家族の仲間入りをする。同時進行でインターネット上の仮想世界「OZ」ではサイバーテロが発生。田舎の大家族とネット上の仮想世界での出来事がリンクしながら進んでゆく。
    【6】一郎彦
    熊徹と宗師の座を争う猪王山の長男。実は拾われてきた人間の子ども。少年期はさわやかで聡明な子どもだったが、成長するにつれて心に闇を宿し、最後に暴走する。
    【7】勉強して高認をとって~
    17歳になってから人間社会に再び足を踏み入れた九太は、図書館で出会った楓(後述)の存在をきっかけに勉強を始め、楓の勧めもあって大学受験を考えるようになる。結果、熊徹とぶつかり、渋天街を飛び出してしまう。

    中川 映像的には、細田さんが自分の本当に得意な表現を純粋抽出して組み合わせることで構築されてますよね。要は『サマーウォーズ』でも好評だった対戦格闘アクションを核に、『おおかみこども』での人獣のメタモルフォーゼの要素を盛り込むなどの手法で、ドラマの軸線を作った。熊徹からの見取り稽古をアニメーションのシンクロで示した修行時代や、猪王山とのバトルなどは、すごく良かった。
     渋天街のイメージの弱さも、肯定的に捉えるなら、これまでの細田作品における現実社会と異世界──『デジモンアドベンチャーぼくらのウォーゲーム!』【8】や『サマーウォーズ』ならデジタル空間だったり、『おおかみこども』なら狼たちの自然世界だったり──とを等価に描く表現の延長線上に発想されたがゆえの帰結ともいえる。渋天街って、設定上は人間界の渋谷の地形と対応している〈拡張現実〉的な世界ということなので。そういう感じで、異世界を人間社会とフラットに捉えて特別視しない点が、自然/空想賛美的なジブリ作品に対する、細田守の現代的な作家性だったわけです。
     しかし今作については、画面を見ていても2つの世界の対応が全然伝わらないし、作劇上も活かされていない。結局、世界観構築に際しての批評性が弱いので、前半と後半でファンタジー世界と現代社会を対置するプロットが作劇意図ほどには機能していないんですよ。それが“段取り”感につながっているのだと思う。
    【8】『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』
    公開/00年3月 
    細田守監督作品。ネットに出現した新種のデジモンの暴走を止めるべく、少年たちが戦いに乗り出すストーリーで、『サマーウォーズ』公開当初から類似性が指摘されていた。

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  • 「男と女」を描くことで〈社会〉が描ける――『問題のあるレストラン』が示した画期(成馬零一×宇野常寛)(PLANETSアーカイブス)

    2018-05-21 07:00  
    550pt


    今回のPLANETSアーカイブスは、2015年に話題となったドラマ『問題のあるレストラン』をめぐる、ドラマ評論家・成馬零一さんと宇野常寛の対談をお届けします。ドラマ界で「男と女の対立」というフレームを描く作品が重なったなか、なぜ本作は突出できたのか? 脚本家・坂元裕二の作品歴をヒントに考えていきます。(文:橋本倫史)
    初出:「サイゾー」2015年5月号(サイゾー)
    画像出典:問題のあるレストラン Blu-ray BOX※この記事は2015年5月26日に配信した記事の再配信です。


    ▼作品紹介
    『問題のあるレストラン』
    脚本/坂元裕二 演出/並木道子、加藤裕将 出演/真木よう子、YOU、東出昌大、松岡茉優ほか 放送/1月15日~3月19日、毎週木曜22:00~22:54(フジテレビ系) 
    大手飲食チェーン企業に務めていた田中たま子(真木)は、同僚が受けたセクハラ事件をきっかけに会社を退職、裏原宿のビル屋上で「ビストロ フー」を開く。集まったのは、ゲイのパティシエと、対人恐怖症のシェフ、離婚したてのシングルマザーほか女性スタッフ。ビストロ フーの裏手には元勤務先が経営するレストランもあり、そこにはたま子の元恋人で同僚でもあるシェフらが在籍している。この店に戦いを挑むつもりで、彼女たちは店を軌道に乗せるべく奮闘する。脚本は、『東京ラブストーリー』、『それでも、生きてゆく』『最高の離婚』『Mother』『Woman』等々を手がけてきた坂元裕二。
    成馬 今期のドラマは豊作でしたけど、『問題のあるレストラン』は群を抜いて面白かった。脚本は坂元裕二さんで、彼がこれまで積み重ねてきた総合力で勝った、という感じがしました。セクハラや男女の働き方といった、ジェンダー問題が中心のハードなテーマなので、テーマにドラマが負けてしまうかな、と最初は思ったんです。でもフタを開けてみたら、テレビドラマとしてちゃんと面白かった。
     放映当初、ネット上では批判も結構あったんですよ。「男性の描写がキツすぎる」とか、逆にフェミニズム的な意識がある人からは「描写が甘い」というダメ出しだとか。確かに最初は、男は内面がない人のように描かれていたところがあった。だから、男が圧倒的に悪くて、セクハラ被害者やシングルマザーといった、女性差別に傷ついた人たちがチームを組んでレストランを作って戦っていく、みたいな内容になるのかと思っていたら、どんどん話が展開していく。今までのドラマだと、女性たちがレストランを作って癒されて終わり、という話になっていたと思うんです。でもそうはならなくて、前半で受けた批判を、後半にいくにつれてドラマが打ち返して盛り上げていった。
    宇野 僕も最初は「カリカチュアライズしすぎじゃないか」と思ったけれど、まったくの杞憂だったね。最初はわかりやすい極端な例を出して視聴者を引き込むんだけど、そのわかりやすさにあぐらをかいて安直な描写に走るのではなく、そこから細かい人物描写や背景をフォローしていく構図になっていて、実によく考えられていた。だから、このドラマに対してジェンダー的な観点から批判しているのは、ちゃんと観ていない人が多かったんじゃないかというのが単純な感想です。
     坂元裕二という作家は基本的に、耳目を集める現代的な社会問題を扱って、それによって発生するユニークな状況や奇妙な人間関係を使って芝居のニュアンスや人間関係の面白さを見せていくのだけど、今回の『問題のあるレストラン』ではそういう社会的なテーマを、作者にとって面白い状況設定を生むための道具に使っているのではなくて、最初から最後までメッセージ性で強烈に貫くということを本気でやっていた。だから結果的に、裁判をやって相手のレストランを潰すという、ある種のちょっとした後味の悪さにまでつながる結末になっていたと思う。
    成馬 第6話が転換点でしたね。YOU演じる烏森さん【1】が実は弁護士だと告げ、セクハラを受けてライクダイニングサービス【2】を辞めた五月(菊池亜希子)の裁判を始める。セクハラ事件の話は第1話以降姿を消していて、そのまま終わるのかとも思っていたので、この問題を最後までやるんだというのは驚きでした。
     

    【1】烏森さんYOUが演じた「ビストロ フー」のソムリエール。たま子とは前職の仕出し会社で同僚だった。【2】ライクダイニングサービス物語当初、たま子が勤めていた大手飲食チェーン企業。ビストロ フーの裏手に位置し、門司らが勤務する「シンフォニック表参道」を経営している。

     
    宇野 『問題のあるレストラン』を全話観ると、結局坂元裕二が何を信じているのかが透けて見えて、それがよりこの作品を面白くしていたと思う。つまり、最終回でたま子(真木よう子)が、理想のレストランを夢見るシーンがあるじゃない? 理解ある社長のもとに男女が和気あいあいと働くレストランを夢想するんだけど、現実には女だけの「ビストロ フー」を再興させることを選ぶし、男たちは男たちで別のレストランで働いていて、どうやらまた闘う関係になりそうだ、と。つまり、本当にすべての問題が解決することよりも、男と女がそれぞれのレストランをつくって、一種スポーツのように競い合って潰し合う空間のほうが魅力的だと、実は坂元裕二は思っているんだと思う。『問題のあるレストラン』の魅力って、現実をよりわかりやすくデフォルメしたハードな状況があって、やるかやられるかのシビアなところで男女が闘っているからこそ、その中で発生するホモソーシャルな気持ち良さにあるんだと思う。結局、「ビストロ フー」で仕事が終わった後にみんなでだらだらアイスクリームを食べているシーンや、スタッフ間の隠語を冗談みたいに言いながら楽しく働いているシーンが、いちばん生き生きと描写されていたしね。
    成馬 坂元ドラマの最終回は、基本的に“断絶”で終わります。絶対に相容れないもの同士がぶつかり合う瞬間──『それでも、生きてゆく』【3】の殺人犯との対話もそうだし、今回のたま子と雨木社長(杉本哲太)【4】もそうで、その瞬間に生まれる何かにドラマ性を託している。ただ、そこから先はわからない。もしかしたら人と人が理解し合うということを信じていないのかもしれない。たま子にとっての理想は男と女が一緒に働ける社会だけど、結果的に出来上がったのは男を排除したレストランだった。だから、明るい終わり方だけど、たま子にとっては挫折の話なんですよね。
     

    【3】『それでも、生きてゆく』
    放映/フジテレビ(11年)
    瑛太に満島ひかり、柄本明、安藤サクラ、大竹しのぶらが出演し、少年による幼女殺人事件の加害者家族と被害者家族を描いた話題作。
    【4】雨木社長(杉本哲太)
    ライクダイニングサービスのトップ。飲食に対して愛はなく、家庭も顧みない金儲け至上主義の前時代的な男性経営者として描かれる。

    宇野 あと、坂元裕二は今回、意図的にマンガ的な描写を入れていたと思う。例えば、松岡茉優演じる雨木千佳【5】が天才シェフになれた理由が、ひきこもりのお母さんのために幼い頃から毎日料理を作っていたから、という設定なんてかなり少年マンガ的でしょう。烏森さんが実は弁護士だったというのもそう。今までの坂元裕二のリアリズムにはなかった、超展開といってもいいような描写が相当入っている。そういうある種のご都合主義的な、もしかしたら自分の世界観を壊してしまうかもしれないような冒険をやっていたのは間違いない。敵側の、男社会レストランとの対決も、どこかゲーム的というかスポーツ的だしね。
     根底にあるジェンダー後進国・日本への怒りは本物だと思うけれど、そこから出発してたどり着いたホモソーシャル・ユートピアはどこかマンガ的で、そこが物語の中で「救い」として機能していた。
     

    【5】雨木千佳
    ビストロ フーの天才シェフで、ライクダイニングサービス雨木社長の実娘。

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  • 宇野常寛「1993年のニュータイプ──サブカルチャーの思春期とその終わりについて」(PLANETSアーカイブス)

    2018-05-07 07:00  
    550pt


    毎週月曜日は「PLANETSアーカイブス」と題して、過去の人気記事の再配信を行います。 傑作バックナンバーをもう一度読むチャンス! 今回は『ダ・ヴィンチ』に掲載された宇野常寛の批評連載「THE SHOW MUST GO ON」をお届けします。『ニッポン戦後サブカルチャー史』『アオイホノオ』という2つの作品から、この国のサブカルチャーの〈思春期の終わり〉と〈向かうべき未来〉を、雑誌『Newtype』を手がかりに考えます。 初出:『ダ・ヴィンチ』2015年1月号(KADOKAWA) ※本記事は2015年1月14日に配信した記事の再配信です。

     先日、テレビをつけたら劇作家・宮沢章夫を講師に迎えた『ニッポン戦後サブカルチャー史』という番組がNHKで放送されていた。それは、よく考えると奇妙な光景だった。まだ関係者の大半が生存している、たかだが数十年前のことが「歴史」として語られているのだ。現代社会の爆発的な文化発信量の増大、情報そのものの肥大がこのような近過去の文化史の受容を生んでいるのは間違いない。そこには確実に必要性がある。だが、僕にはここにそれだけに留まらない意味があるように見えた。
     そしてほぼ同じ時期に、僕はテレビ東京系で放映されていたテレビドラマ『アオイホノオ』を毎週楽しみに観ていた。これは、漫画家の島本和彦の自伝的マンガを福田雄一が脚色、自ら監督を務めたテレビドラマで、島本が在籍した1980年代初頭の大阪芸術大学を舞台に、漫画家を目指す主人公(島本自身がモデル)の奮闘を、そして同時期に在学した庵野秀明、赤井孝美、山賀博之らが岡田斗司夫ら在阪のインディーズ作家たちと合流し、後のアニメ制作会社「ガイナックス」につながる活動(自主アニメ制作)で台頭していく過程を描いている。そして僕は、まるで戦国時代を扱った大河ドラマを見るような気持ちで、このドラマを毎週楽しんでいた。島本和彦や岡田斗司夫といった「歴史上の人物」たちがかかわる、かつて彼らの著作で知った「歴史上の事件」が、どう解釈されて描かれるのかをWikipediaを引きながら待ち構えていた。
     そう、同作は奇しくも『ニッポン戦後サブカルチャー史』の、いや、正確には同番組の下敷きになった宮沢の著書『80年代地下文化論講義』と同時代の大阪の、もうひとつのサブカルチャーが勃興していく時代を描いているのだ。そう、東京の渋谷でモンティ・パイソンのローカライズが行われていた時代、大阪の片隅ではやがて海をわたってファンの心をつかんでいく『エヴァンゲリオン』につながるアニメ作品が産声を上げつつあったのだ。

     《メインカルチャーとメジャーの権威をも文化資本は解体しつつあり、マイナーが分衆として資本に取り込まれるにはまだ間があった七六~八三年という転形期にあった、低成長下のサブカルチャーは奇妙な活性化をみせていたのだ。『すすめ!!パイレーツ』に『マカロニほうれん荘』。『LaLa』に『別マ』に『花とゆめ』。萩尾望都、大島弓子、山岸凉子。『JUNE』に『ALLAN』。諸星大二郎、ひさうちみちお。『ビックリハウス』『POPEYE』『写真時代』に『桃尻娘』に糸井重里。椎名誠。藤井新也。つかこうへいに野田秀樹。タモリとたけし。鈴木清順。異種格闘技戦に新日本プロレス。パンクにレゲエ、テクノ・ポップ、ニューウェーヴ、サザン、RCサクセション。YMO、『よい子の歌謡曲』『スター・ウォーズ』。ミニシアター。『ガンダム』に新井素子。世界幻想文学大系やラテンアメリカ文学。メジャー不在の大空位時代にあっては、あらゆる新しいものがマイナーのままメジャーであった。正義も真理も大芸術も滅び、世の中は、面白いもの、かっこいいもの、きれいなもの、笑えるもの、ヒョーキンなものを中心に回るしかない。この幸福な季節を、橋本治と中森明夫は八〇年安保と呼ぶ。》 浅羽通明『天使の王国 平成の精神史的起源』

     これらの番組で描かれていた80年代初頭は、後に「80年安保」と呼ばれるポップカルチャーの量的爆発が発生した時代だった。そして、宮沢の紹介する「サブカル」と、島本が描く「オタク」が明確に分離していく時代だった、と言える。
     紙幅の関係でものすごく大雑把な整理をすることを許してほしい。「一般的には」前者はインターナショナルなライブカルチャーで、後者はドメスティックなメディアカルチャーだとされている。前者は基本的に輸入文化であり欧米のユースカルチャーに対して敏感であり、その洗練されたローカライズを競うものだったと言えるだろう。ジャンル的にはその中心に音楽があり、そして演劇が独特の位置を占めていた。対して、マンガ、アニメ、ゲームなどを中心とする後者は「一般的」には国内の漫画雑誌とテレビアニメを基盤とする国内文化だったと言える。僕が思春期の頃は前者こそがサブカルチャーであり、後者は80年代末の幼女連続殺人事件の犯人がいわゆる「オタク」だったことの影響もあり、ほとんど犯罪者予備軍のようなイメージで見られることも多かった。それが、世紀の変わり目のあたりで逆転した。インターネットの普及を背景に、若者のサブカルチャーの中心は後者に移動し、国の掲げる「クールジャパン」は政策的に空回りしているが、日本のオタク系サブカルチャーがグローバルに支持を集めている現実が広く知られるようになり、ドメスティックだと思われていた後者の文化はむしろグローバルな輸出文化としての期待を帯びるようになった。
     このヘゲモニーの移動には様々な背景が想定されるが、ここでは特に前回論じた情報社会化による地理と文化の関係性の変化に注目してみたい。
     たとえばこの20年の原宿のあり方を考えてみよう。90年代に歩行者天国を中心にコミュニティが発生し、そこから育っていった少女文化(いまでいう原宿「カワイイ」系文化)は、歩行者天国の廃止や地価の高騰などにより一度衰退する。しかし現在においては、同文化のグローバルな拡散を背景に、まるでかつての原宿的なものを「コスプレ」するかのように登場したきゃりーぱみゅぱみゅがアイコンとなり、現在の原宿もまた同時にかつての原宿を「コスプレ」し始めている。同じような指摘が、2005年の『電車男』ブーム以降の観光地化していった秋葉原にも可能だろう。
     要するにかつては地理が文化を生んでいたのに対し、ここでは文化が地理を生んでいるのだ。このパワーバランスの変化はインターネットがもたらしたものだ。2008年に秋葉原連続殺傷事件が発生した際、秋葉原の一時的衰退はオタク系文化そのものの衰退につながる可能性はなくはなかった。しかし、そうはならなかった。理由は明確で、当時既にオタク系文化のコミュニティはインターネット上に移動していたからだ。当時の秋葉原は、むしろインターネット上のオタク系文化を「コスプレ」する観光地になりつつあった。そう、情報化はボトムアップの文化を生む場をストリートからソーシャルメディアに移動させたのだ。その結果、地理が文化を生むのではなく、文化が地理を決定するようになったのだ。
     こうして考えてみたとき、メディア上の表現に基盤を置くオタク系文化の量的な優位は当然発生することになる。その結果、前者(サブカル)の側は自分たちを正当と見做す「正史」を主張することでのヒーリング(『ニッポン戦後サブカルチャー史』)を求め、後者(オタク)はミーハーに歴史上の人物たちの偉業に目一杯「萌え」狂うこと(『アオイホノオ』)になったのが現代のサブカルチャー状況であるとひとまずは言えるだろう。
     以上が、非常に大雑把な僕流の戦後日本サブカルチャー史(のごくいち側面)だ。そしてこのサブカルチャーの「歴史化」を象徴する二つの番組の魅力、特に後者の福田雄一によるアプローチの素晴らしさについては語り尽くしても尽くせないものがあるが、僕がここで問題にしたいのはもう少し別のことだ。
     それは、これらの番組が支持される背景に存在するのは、はっきり言ってしまえば日本社会自体が中年に、いや「熟年」になろうとしているということなのではないかと僕は思うのだ。■PLANETSチャンネルの月額会員になると…・入会月以降の記事を読むことができるようになります。・PLANETSチャンネルの生放送や動画アーカイブが視聴できます。
     
  • ディズニー/ピクサー的CGアニメは「宮崎駿的手法」を取り込むことができるか?――落合陽一、宇野常寛の語る『ベイマックス』(PLANETSアーカイブス)

    2018-04-23 07:00  
    550pt



    今朝のPLANETSアーカイブスは『ベイマックス』をめぐる落合陽一さんと宇野常寛の対談です。『アナ雪』大ヒット以降のディズニー/ピクサーが、「CGテクノロジーの進化」と〈宮崎駿的なもの〉という2つの課題にどう向き合ってくのかを考えます。(初出:『サイゾー』2015年3月号(サイゾー)/構成:有田シュン) ※この記事は2015年3月24日に配信した記事の再配信です。
    ▼作品紹介
    『ベイマックス』
    監督/ドン・ホール、クリス・ウィリアムズ 脚本/ジョーダン・ロバーツ、ドン・ホール 原作/『ビッグ・ヒーロー6』 製作総指揮/ジョン・ラセター 配給/ウォルト・ディズニー・ピクチャーズ 公開/14年12月20日
    “サンフランソウキョウ”に住む天才少年ヒロ・ハマダは、兄タダシに見せられた工科大学のラボや、彼が作ったケアロボット「ベイマックス」に衝撃を受け、飛び級入学のための研究発表会に参加する。見事合格を勝ちとるが、直後に会場で火災事故が発生。残されたキャラハン指導教授を助けるべく、タダシは火の中に飛び込んでいった。兄を亡くした失意からヒロは心を閉ざしてひきこもるが、タダシが残したベイマックスと再会し、さらに自身が研究発表会のために製作したマイクロボットが何者かに悪用されていることを知り、タダシの死に隠された真相があるのではないかと疑問を抱く。ベイマックスのバージョンアップと、兄のラボの友人たちにパワードスーツや武器等を製作し、共に敵の陣へと乗り込んでゆく。
     東京とサンフランシスコを合わせたような都市が舞台だったり、主人公たちが日本人とのハーフだったり、設定からして日本の要素が多く取り入れられた、ディズニーアニメ。
    落合 『ベイマックス』は予告編の印象と全然違って【1】、『アイアンマン』(08年)万歳! と思っているような理系男子の話をアニメで作るとこんな感じかな、と思っておもしろく観ました。ヒロがキーボードを叩いて、3Dプリンタとレーザーカッターでなんでもつくれる万能キャラという非常にコンティニュアスに成功したナードとして描かれているのは新しいし、研究と開発が一体化していることに誰も疑問を抱かないところを見ると、観る人の科学に対する意識がアップデートされているのかなとも思えた。頭のいい奴が手を動かせば、そのままモノをつくれるというイメージがつくようになったのはすごくいいなと思う。登場人物たちが、極めてナチュラルにモノをつくっているんですよね。ディズニー映画の製作期間はだいたい4~5年くらいと聞くから、『ベイマックス』はちょうど2010年代前半につくられたとすると、ちょうどプログラマーという人が簡単に社会変革を起こすものをアウトプットできるようになった時期なんですよね。だから、このタイミングでこういう作品というのは必然なのかもしれない。
    【1】予告編の印象と全然違って:日本で公開されていた予告編では「少年とロボットのハートフルストーリー」のように見せられていたが、実際のところはアメコミ原作だけあってヒーローものになっている。
    宇野 ゼロ年代のディズニー/ピクサーだったら、兄貴がラスボスになっていたと思うんだよね。対象喪失のドラマという要素をもっと前面に出して、科学のつくる未来に絶望した兄貴と、科学の明るい未来を信じるヒロ君が対決する。単純に考えたらそっちのほうが盛り上がったと思うけど、今回のスタッフはその方向を取らなかった。個人的な動機に取りつかれた教授が暴走【2】する話になっていて、ヒロと科学をめぐる思想的な対立をしていないんだけど、そこは意図的にそうしたんじゃないかな、と。ピクサーの合議制のシナリオ作り【3】の中で兄弟対決が挙がらなかったわけはないんだよね。そういうあえて選択された思想的な淡白さが、今回のひとつのポイントだと思う。

    【2】教授が暴走:事故で兄タダシと一緒に死んだと思われていたラボの指導教官。ロボット工学の天才博士が、ある個人的な動機に基づいてヒロの発明品を悪用しようとしていた。
    【3】合議制のシナリオ作り:ディズニー/ピクサー作品においては、複数のスタッフがストーリー会議を行って脚本をつくり上げているのが有名。

    落合 もういまや科学技術批判が意味を持たない、ということが重要なんだと思う。科学技術批判、コンピューター批判してられないだろうっていうのは、『ベイマックス』のひとつの重要なファクター。今までの流れだったら、ヒロ君が作ったナノボットが知恵を持って暴走して人間に攻めてくる、みたいなシナリオもありだったと思うんですよ。でもそっちにはもういけないよね、と。
    宇野 ピクサーは、特にジョン・ラセター【4】は『トイ・ストーリー』(95年)から一貫してイノセントなもの、たいていそれは古き良きアメリカン・マッチョイズムに由来する何かの喪失を描いてきた。アニメでわざわざ現実社会に実在する喪失感を、それも一度過剰に取り込んで見せて、そして作中で限定的にそれを回復してみせることで大人を感動させてきたのがその手口。『バグズ・ライフ』(98年)も『ファインディング・ニモ』(03年)も『Mr.イングレディブル』(04年)も『カーズ』(06年)も全部そう。そして『トイ・ストーリー3』(10年)は、そんなラセターのドラマツルギーの集大成で、あれは要するに観客=アンディにウッディとの別れを告げさせることで、ピクサーが反復して描いてきたものが映画館を出たあとの現実社会には二度と戻ってこないことを、もっとも効果的なやり口で思い知らされる。
     しかし、その後のディズニー/ピクサーはこの達成を超えられないでいると思う。『シュガー・ラッシュ』(12年)はガジェット的にはともかく内容的にはほとんどセルフパロディみたいなもので、『アナと雪の女王』(14年)は、保守帝国ディズニーでやったから現代的なジェンダー観への対応が騒がれたけど、要は思い切って非物語的なミュージカルに舵を切ったものだと言える。そしてこの流れの中で出てきた『ベイマックス』は、ラセターが持っていた強烈なテーマや思想を全部捨ててしまって、ほとんど無思想になっている。単にこれまで培ってきた「泣かせ」のテクニックがあるだけで、これまで対象喪失のドラマに込められてきた「思想」がない。そこで足りないものを補うために、今回はアニメや特撮といった日本的なガジェットをカット割りのレベルで借りてきている。言ってしまえば、定式化された脚本術と海外サブカルチャーの輸入だけで、ピクサー/ディズニーの第三の方向性としてこれくらいウェルメイドなものがつくれてしまったということにも妙な衝撃を受けたんだよね。

    【4】ジョン・ラセター:ピクサー設立当初からのアニメーターであり社内のカリスマ。06年にディズニーがピクサーを買収し、完全子会社化したことでディズニーのCCOに就任。ディズニー映画にも多大な影響を及ぼしている。

    3つに分岐したCG表現の矛先
    落合 『モンスターズ・インク』(01年)の頃までのピクサー映画は、いかに新しいレンダリング技術を取り入れて映画を作るかがサブテーマだったんです。『トイ・ストーリー』の頃はツルツルしたものしかレンダリングできなかったけど、『モンスターズ・インク』はモッサリした毛の表現ができるようになった。そこからしばらくはそうした技術の進化を楽しむ作品がなかったんだけど、『アナ雪』では雪のリアルな表現ができるようになった。あの雪の表現をつくるために書かれた論文があって、それなんか本当にすごい。雪をサンプリングして一個一個の分子間力を分析することで自然のパウダースノーをレンダリングするっていう。またこれで技術を見せる作品が続くのかな、と思ったら『ベイマックス』には何もなかった。だから、またそういう時代が数年続いて、その後にまったく新しいものが出てくるんだろうと思っています。
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