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記事 15件
  • トランスフォーマー(8)「ゴリラが守った時代、ティラノサウルスの描いた夢」(前編)|池田明季哉

    2022-02-28 07:00  
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    デザイナー/ライター/小説家の池田明季哉さんによる連載『"kakkoii"の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝』。玩具としての「トランスフォーマー」シリーズのプロダクト展開から、引きつづき時代の意志の変遷を読み解きます。「トランスフォーマー」の歴史を塗り替える存在として、1990年代後半に登場した「ビーストウォーズ」。ゴリラやティラノサウルスといった動物モチーフがどのような象徴だったかを、アニメーション制作の背景から解き明かします。
    池田明季哉 “kakkoii”の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝トランスフォーマー(8)「ゴリラが守った時代、ティラノサウルスの描いた夢」(前編)
    子供はなぜ「自動車」と「動物」が好きなのか
     動物が機械である、という主張は、一見突飛なものに聞こえるだろう。一般に動物は自然の象徴であり、機械は文明の象徴である。そのふたつは、長らく対立したものとして捉えられてきた。  これがどういうことかを説明するために、まず自動車が宿した成熟のイメージがどのようなものであったかをおさらいしよう。自動車は、近代的な主体による意思決定を、工業技術によって拡張する存在だ。精神が肉体を動かし、肉体は自動車を操作し、自動車は操作を受けて、生身では考えられない強大な力でこの世界を走り出し、物理的な作用を与える。それは主体が社会に、精神が物理に作用を与えるためのシステムであり、その構造こそが近代的な主体概念が仮構する理想の身体像であった。  だとすれば、逆に「身体とは機械である」ということもできる。精神による操作を受け、それを物理的な作用に変換する系として考えるならば、肉体と機械は同一の存在としてシームレスに繋がる。有機的であるか工業的であるかという違いは、単なる製造方法の違いにすぎない。肉体もまた、細かな部品が精妙に組み合わされた結果機能していることに異論はないだろう。  人間の肉体が、自動車がそうであるような「機械」だとするならば、同様に動物も「機械」であるといえる。肉体も自動車やその他の乗り物も、ある機能を果たすためにデザインされている。動物のデザインもまた、環境に適応した進化の結果である。それは「ある作用を及ぼすために最適化された身体」という意味で、相似のものなのだ。そう考えれば、たとえばブルドーザーが土を押し出すプレートを備えることと、キリンが高い場所の葉を食べるために長い首を持つことは、機能がビジュアライズされたデザインという意味で、玩具のモチーフとしては近似のものなのだ。  では、人間とのかかわりについてはどうだろうか。「乗り物」は、そこに人間がかかわることができるからこそ「乗り物」たりうる。トランスフォーマーが異星からやってきた超ロボット生命体でありながら乗り物という人間向けインターフェースを持つことで、人間とテクノロジーの関係を描き出していたことは、本連載ですでに分析した。  この論理でいえば、動物は一見人間からは独立した存在に見える。もちろん馬などをはじめとした家畜には人間とのかかわりを持つものもいるが、「ビーストウォーズ」の世界観において、そういった動物が特別の地位を与えられているということはなく、むしろ野生であることが強調されている。では、「ビーストウォーズ」の美学は人間をどのような存在として捉えているのだろうか。  これはやはり、両陣営のリーダーのモチーフによく表れている。G1時代のコンボイ(以下「初代コンボイ」)はトラックに、G1時代のメガトロン(以下「初代メガトロン」)は銃に変形した。これがテクノロジーの持つ進歩と破壊というふたつの側面を表しており、同時にフロンティアの記憶に根ざすアメリカン・マスキュリニティを象徴していることは以前指摘したとおりだ。  では、ビーストウォーズではどうだろうか。「ビーストウォーズ」におけるコンボイ(以下「ビーストコンボイ」)はゴリラに変身し、「ビーストウォーズ」におけるメガトロン(以下「ビーストメガトロン」)はティラノサウルスに変身する。こうしたモチーフと「人間」の関係は、どのように考えればよいのだろうか。
    ▲MP-32 コンボイ(ビーストウォーズ)。ゴリラからロボットに「変身」する。写真は後年設計されたリメイク版で、CGアニメ劇中の姿に忠実。(出典)
    ▲MP-43 メガトロン(ビーストウォーズ)。ティラノサウルスからロボットに「変身」する。コンボイと同じく写真は後年設計されたリメイク版で、CGアニメ劇中の姿に忠実。(出典)
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  • 中華圏ゲームの発展史:2000〜2010年代前半編(後編)|古市雅子・峰岸宏行

    2022-02-25 07:00  
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    北京大学助教授の古市雅子さん、中国でゲーム・アニメ関連のコンテンツビジネスに10年以上携わる峰岸宏行さんのコンビによる連載「中国オタク文化史研究」の第11回(後編)。2010年代、日本風アニメ系MMORPGの誕生を皮切りに中国ゲーム市場が爆発的に拡大するきっかけを分析します。ネット環境や輸入制度の整備などが進んだ結果、巨大な消費者層として認知された「オタク」たちがゲーム市場に組み込まれていく過程を辿っていきます。(前編こちら)
    古市雅子・峰岸宏行 中国オタク文化史研究第11回 中華圏ゲームの発展史:2000〜2010年代前半編(後編)
    オタクがギーク主力の国産ゲームビジネスに組み込まれるまで
     オタクは当初、中国のゲーム市場ではほとんど注目されないユーザー層でした。あくまで、ネットカフェで遊ぶギークたちが主力であり、より課金もしていました。また、オタク層は国産ゲームにはあまり興味がなく、あったとしても、『剣網参』のようなBL色の強い、仲間がみんな遊んでいる作品にしか手を出さなかったので、二つの層が互いに交わることはほとんどありませんでした。
     オタク層は数字に表れることは少なく、イベントに人がたくさん来ようが、あるいは開発会社にオタクが数人いようが、あくまでも小規模なサブカルのファン、という認識でした。  2013年は中国においてゲーム産業のシンギュラリティが起こった年と言えます。今、日本人が親しんでいる中国ゲームが登場するために必要な要素は、ほとんど2013年に起こります。
     ビジネスの大きな流れは、市場、企業、政策に影響されます。 2000年インターネットの登場以降、ゲーム業界を含めた中国の各産業は非常に速いスピードで展開、変化しました。ゲーム業界がオタク層に目を向け始めた背景として、当時のゲーム市場がクライアントゲーム、ブラウザゲーム、携帯アプリゲームの3種類に分かれていたことを知る必要があります。
     PCで遊ぶゲームには、インターネットの接続を必要とするものとしないものの2つがありました。そして通信プレイも、身近な範囲で接続するローカル通信と、何千キロも離れた人と通信できるインターネット通信の2つがあります。  1990年代から発展した中国のゲーム界隈では、インターネットが普及する2000年前までは、ローカル通信が主流でした。例えば『Counter Strike』や『Age of Empire』など、ゲーム機を持ち寄り、比較的近い距離の仲間とプレイする、という形です。これはゲームソフトやデータなどを、PCにインストール、保存してプレイします。別のPCでは保存されたデータは使用できませんが、ローカル通信で完結していました。
     これが発展したのが、クライアントゲームと呼ばれるものです。PCにクライアントというゲーム起動ソフトをインストールし、ゲーム会社が運営するゲームサーバーに接続してゲームをプレイする、という形式で、それによって、多人数が同時に同じサーバーに接続し、同じ場所でプレイすることを可能にしました。これがMMORPG、大規模多人数同時参加型オンラインRPGと言われるものです。こちらはPCに一定のゲームデータを保存しますが、ゲームの進捗や所有状況をゲーム会社所有のサーバーに保存するため、友人のPCでも、自分のアカウントでログインさえすれば、自分のゲーム進捗を呼び出すことが可能です。
     この、「サーバーにゲームの進捗が保存」されることによって、中国のゲーム市場は大きく変化しました。海賊版ゲームの販売を大きく抑制することに成功し、中国のゲーム市場のマネタイズ化に大きく寄与したのです。  それまで、CD、DVD、BDのような物理的なメディアでソフトとして販売されているゲームは、一度データさえ手に入れば、遊ぶことができました。しかし、MMORPGでは、ソフトを通してサーバーに接続しなければプレイすることができないため、正式なルートでゲームを購入するか、あるいはサブスクリプションしなければ、サーバーにアクセスすることができません。何らかの方法でデータメディアを入手するだけではプレイできず、きちんと運営するゲーム会社に正規にお金を支払わなければならないのです。
    ▲夢幻西遊のログイン画面。IDとパスワードを入力してゲーム会社が運営するゲームサーバーにログインすることで始めてゲームをプレイできるため、海賊版問題が解決された。
     これは、単体ゲームをいくら作っても海賊版で販売され、収益化に悩む中華圏のゲーム会社に福音をもたらしました。台湾や大陸で制作された質の高いゲーム作品について安心してビジネスを構築できるようになったのは、サーバーとの連携が必要で、ソフトを複製するだけではプレイできないMMORPGのようなゲームが登場してからといえるかもしれません。  2000年以降、インターネットの普及とともに、持続的にビジネスになるクライアントゲームを多く作るようになり、CD媒体を購入して一人あるいはローカル通信で多人数でプレイするスタイルから、MMORPGが主流となっていきました。
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  • 中華圏ゲームの発展史:2000〜2010年代前半編(前編)|古市雅子・峰岸宏行

    2022-02-24 07:00  
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    北京大学助教授の古市雅子さん、中国でゲーム・アニメ関連のコンテンツビジネスに10年以上携わる峰岸宏行さんのコンビによる連載「中国オタク文化史研究」の第11回(前編)。ゼロ年代から2010年代前半の中国における、ゲーム産業の発展史を辿っていきます。当初は一部のコアユーザーによる消費に限られていた国内ゲーム産業でしたが、ネットカフェの普及とともに登場した、FPSやMMORPGに興じる「中国ギーク」たちがゲーム産業大衆化のきっかけを作ります。
    古市雅子・峰岸宏行 中国オタク文化史研究第11回 中華圏ゲームの発展史:2000〜2010年代前半編(前編)
     これまで10回にわたって、中国では日本のアニメ・コミック・ゲームを、テレビ・雑誌・インターネットなどのメディアや、個人・サークル・字幕組といった人々のムーブメントがリレーして繋げてきた歴史、そして1980年代から90年代の中国のゲーム業界の勃興の流れについて、触れてきました。  前章で述べたように、1993年に入ってきたコスプレや、1995年以降のネット掲示板とゲームセンター、VCDを通して日本のゲームを享受してきた中で、初めてオリジナル作品を発表した96年、97年は大陸にとって重要な転換期だったと言えるかもしれません。  しかし『血獅』の失敗により、自国のゲーム制作に対して大きく失望し、ユーザーは日本コンテンツに傾倒する人々、「オタク」層と、ネットカフェが生まれたことによって『Age of Empires』(1997年・Ensemble Studios/Microsoft)や『Half-Life』(1998年・Sierra Studio)、『カウンターストライク』(2000年・Valve Software)等をプレイする「ネットカフェ民」の二極化していきました。  その後の中国のゲーム市場はまずネットカフェ民が市場のベースとなり、その後いくつかの作品でオタクがゲーム市場に影響を与える、という構図になっていきます。
    二極化するゲームユーザー
     1990年代は、受動的な消費が主流でした。第5回「「鏰児厅(ゲーセン)」から「網吧(ネットカフェ)」へ〜中国ゲームコミュニティの勃興」でも紹介したように、作品に対してファンアートを描いたり、コスプレ写真を撮ったり、あるいは輸入されたゲーム筐体で遊んだりというのは、ほんの一部の人たちの動きでしかありませんでした。  実際にファンの動きが活発化するのは1999年中国がインターネット元年を迎え、フォーラムが誕生してからです。第6回「国家規制下の初期インターネットで発展した中国アニメコミュニティ」でも述べたように、一部のコアなユーザーはフォーラムの登場とともに、その層を広げ、日本の同人文化や字幕制作といった二次創作に近い行動をとるようになります。
     ゲームユーザーのオタク層は日本での情報をフォーラムや雑誌から得て、アニメなどの複合コンテンツがある「ポケットモンスター」シリーズ(任天堂・1996年~)や「英雄伝説 軌跡」シリーズ(日本ファルコム・2004年~)などの携帯ゲーム機、ハードゲーム機ゲームを遊ぶようになります。こうしたオタク層は、富裕層、そして大学生などのインテリ層が中心です。当時の平均収入を考えるととても高価だったうえ、国内での正規販売を許可されていなかったゲーム機を購入する財力やルートをもつ人のみが遊べたからです。2000年以降、日本旅行、日本留学に行く人口は徐々に増えていきますが、自力で行けた富裕層と、留学の機会をつかめたインテリ層が中国での日本コンテンツ普及に影響していきます。
     1999年までは、中国から日本への団体観光旅行ができませんでしたが、1999年1月から解禁。2000年9月から日本政府の中国人団体観光客、2009年には個人観光客へのビザ発給を開始しています。2000年の団体観光客へのビザ発給により、日本を直接訪問し、日本に直に触れるチャンスが少しずつ増えました。当時、日本へ行くためには年収25万元(当時のレートで約200万円)の財力証明が必要でしたが、中国統計局のデータ[1]によると、2000年の都市部の平均収入は6208元(当時のレートで5万円前後)、年収8万元にも満たない人が多く、あくまでも中国人口の中でも本当に一部の富裕層のみが日本観光できました。
     2000年当時の中国人日本留学生は全国で、4.4万人[2]。全日本留学生の55%を占めていました。その後2010年には8万人までに増えており、2019年の令和元年には12万人まで増加します。中国人留学生は1990年代の日本コンテンツに触れた人も多く、中国のネットフォーラムやQQを通して、日本のアニメや漫画をリアルタイムで中国に広めていきます。  その実例の一つが、行為自体は違法ですが、中国に多くのゲーム・アニメファンを作り上げた「漢化組」や「字幕組」です。以前の章でも紹介しましたが、字幕組はもともと、日本製18禁PCゲームを中国語化し布教することを目的にしていました。  また、以前紹介した「海南出版社」のような漫画単行本、或いは「画王」「二次元狂熱」「動漫基地」「動漫販」等の情報誌、海賊版などを見てもわかるように、香港・台湾などの中国本土以外の華人の存在も重要でした。
    ▲2000年創刊の「遊戯同志GAME月刊」日本のゲームアニメ情報誌の海賊版。だがこれらがなければ、いま日本の作品がここまで受け入れられたかどうか定かではない。
     こうした状況もあり、中国国内のオタク層にとって情報量はかなり増えましたが、情報を仕入れたとしても、実際に触れる機会はなかなかありませんでした。そこで運用されたのがBitTorrentのようなP2Pソフトウェアと、並行輸入商品を販売する実店舗、そして実店舗が販路を広めるためのECサイト、タオバオ(淘宝)などの存在です。 当時、信用社会ではない中国で、タオバオがネット上の物品売買を成立させ、プラットフォームとして成功した秘訣として、売買に際し、信頼の置ける「中立的な第三者」が契約当事者の間に入り、代金決済等取引の安全性を確保するサービス、「エスクロー」がありますが、この方式が出現したことで、2000年代のオタクのビジネス市場が大きく広がったので、まさに様々な環境、条件が重なった幸運な時期といえます。
     かくして2000年代初期には日本や台湾・香港あるいはその他の地域の華人が情報を提供するフォーラムと、日本国内のアニメ・ゲーム情報誌をもとに編纂した情報誌から最新情報を入手し、BitTorrentでダウンロードしたゲームソフトや、店舗で販売される並行輸入品を消費し、プレー体験をフォーラムで討論する、という流れが確立していきました。 オタクのコンテンツ消費の循環はこうして成り立ち、現在では、タオバオで店舗を開設する日本企業も増えています。ただ、こうしたオタク層がゲームの売上や企画に直接影響するのは、もう少し後のことになります。
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  • 水沢腹堅(さわみずこおりつめる)|菊池昌枝

    2022-02-22 07:00  
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    滋賀県のとある街で、推定築130年を超える町家に住む菊池昌枝さん。この連載ではひょんなことから町家に住むことになった菊池さんが、「古いもの」とともに生きる、一風変わった日々のくらしを綴ります。滋賀県もいよいよ冬本番。今回は冬至から元旦にかけて、厳しい寒さを乗り切るため菊池さんが手掛けたさまざまな試みをお届けします。
    菊池昌枝 ひびのひのにっき第7回 水沢腹堅(さわみずこおりつめる)
    冬と暮らす
    これを書いているのは七十二候でいう「水沢腹堅(さわみずこおりつめる)」である。 つまり沢の水が凍ってしまう一年で最も寒い時期。二十四節気では「大寒」だ。 12月に入り冬至を中心にして「小雪、大雪、冬至、小寒、大寒」と続くこの期間が日本の冬である。この時期の自然の移ろいや行事を見て、聴いて、味わって、触って全身を使って享受すると頭や理屈だけの蓄積だけでないことがストーンと落ちてくるのがわかったのだ。
    冬ってなんだろう。
    12月に入り小雪(11月下旬から12月上旬)に入ると、だんだんと日も短くなり寒さも増す。夕暮れになると寂しさも増して個人的には好きではない。都市の気密度の高いマンションでは感じられないのは、ちょっとした風の動き、日差し、虫もほとんどいなくなった庭に鳥たちが降り立つ頃。対して古家にいると、冬の匂いがするような毎日の変化がわかる。自分の立っている地点から全ての自然を相手にして暮らしているのだ。田舎びとにとっては人づきあいも自然の一部。「寂しいなぁ」なんて言って何もしないと、自然に飲み込まれてしまうのだ。この感覚は東京にいるときにはなかったものだ。人が住まなくなった家や地域は、植物や動物すなわち生物の進入度が高くなる。そして長い時間をかけて取り込まれ自然の一部になって(戻って)しまう。それだけ強烈なものがそして毎日の自然の営みなのだ。 それを感じる生活を送っていると、自然との関わりを保っていくのが日々の暮らしだとわかってくる。冬はそれを最も感じる時期だ。
    ▲冬の青空は平ったい感じ
    ▲もう夜が来たとやるせなくなる日々
    そこで、冬眠生活を始める前に、庭の片付けをして少し先のことをする。
    庭の落ち葉をかき集めて土中コンポスト(堆肥)を試してみた。肥料を使わずに庭を植物や他の生物をその土に戻す作業だ。土を少し掘って、分解しやすそうな柔らかい枯れ葉を収めて滋賀県の無農薬の農家さんからもらった米糠を混ぜて土を被せる。それだけ。引っ越す前に納屋があった場所は土が建物の重さで固まっているためか雑草すら遠慮がちなので、そこで試してみる。春はどうなっているかな、と楽しみにしつつ、イチゴの苗を植えてみた。これから雪も降るのに枯れないのだろうか? 答えは枯れない。1月25日の今日でもガッツリ生きている。
    ▲12月1日に植えたイチゴ 
    ▲落ち葉米糠を加えて土に埋めるだけ
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  • 中野駅から四季の森公園、平和の森公園へ〈前編〉 |白土晴一

    2022-02-21 07:00  
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    リサーチャー・白土晴一さんが、心のおもむくまま東京の街を歩き回る連載「東京そぞろ歩き」。今回歩いたのは中野周辺です。数々の災害や戦災に見舞われ、形を変えながらも現在まで歴史を紡いできた東京。その基盤となる近代インフラはどのように作られたのか、中野の街を歩きながら振り返ります。
    白土晴一 東京そぞろ歩き第11回 中野駅から四季の森公園、平和の森公園へ〈前編〉
     こんな連載をやらせてもらっているので、お分かりの方もいるだろうが、都市論の本を読むのが相当に好きである。  都市論というのは、一つの都市を歴史だけでなく都市工学や社会学の知見などを横断的に論じること。英語ではUrban studiesと言い、近代都市論は欧米の都市とその郊外の発展を研究したものから始まったらしい。  日本でも、イタリアの建築や都市史研究から現在は東京の都市論の著作も多い陣内秀信さんや、東北大学院教授であり現代都市の諸相をユニークな視点で論じる五十嵐太郎さんなど、読んでいて刺激を受ける都市論の論者はたくさんいる。  最近読んで個人的に面白かった都市論は、ケンタッキー大学人類学助教授であるクリスティン・V・モンローの著作である『The Insecure City: Space, Power, and Mobility in Beirut』という本。
    ▲出版元のサイトより
     長年の内戦が続いたレバノン首都ベイルートの住民たちのインタビューとフィールドワークを重ねて、安全確保が難しい社会情勢の中で都市空間がどうなったかを追った労作である。激しい暴力の中で、都市がどう情景を変え、住民がどんなライフスタイルを形成し、どんな交通手段が生まれていったかを論じている。  実に面白い本なので、誰か日本語訳を出版してくれないだろうかと思う。読後はちょっと興奮したが、やや頭が冷えてくると、「こういうリスクを前提とした都市生活は、東京都民にはまったく想像がつかない」などと漫然と思ったりした。  現在の東京は、問題がないわけではないが、内戦の勃発した都市に比べれば、地域コミュニティー崩壊の危機もないし、命の危険を日々感じるようなリスクもないだろう。しかし、もうちょっと深く考えてみると、こういう安心で安全な東京が自然に出来たわけではないと思い至る。  東京の歴史を考えれば、大震災や戦災、戦後の混乱などの危機に何度も見舞われている。そうした危機を乗り越えて、なんとか今の状態を維持してきたのだ。ベイルートは内戦という悲劇によって、モンロー氏が言うところの「Insecure city」(安全ではない都市)になったが、現在の東京がそれなりに安定した「Secure city」(安全な都市)なのは、東京という都市をそうなるように設計維持したからである。社会学などで「社会統制」という言葉があるが、これは人類が社会の秩序を築くために、その社会の構成員に一定の同調と行動の規制を促すメカニズムを指している。倫理の共通化を行う教育や規範を助長する生活環境なども含む大きな概念だが、より具体的には行動を規定する法律、法律違反を取り締まる警察、容疑者を裁く裁判所、犯人を収監する刑務所、より大きな暴力に対応する軍隊などは、「社会統制」の直接的な手段であるだろう。例えば、内戦などで社会が崩壊した地域の国連PKO(平和維持活動)などでは、警察や刑務所などの再建が最重要視されている。無秩序な地域に「法の秩序」を回復させるのが、地域安定には必須だからである。  巨大な人口の東京の治安を安定させ、「法の秩序」を維持するためには、かなり強固な「社会統制」インフラを構築する必要がある。  そうしたインフラによって、東京は「Secure city」になるような努力が行われている。では、そうした「社会統制」の歴史を東京で感じたいと思うならばどこだろうか? あれこれ考えて、これは東京では中野区が最適ではないかと思い当たった。 なので、今回は中野駅から街歩きを始めてみる。
     JR中野駅を下車し、駅北口から出ると、巨大な「中野サンプラザ」が目に飛び込んでくる。

     建物の上層が宿泊施設、下層はコンサートホールや大型イベント会場なども行える複合施設であり、新宿から近い交通の便の良さと収容人数2000人程度という使い勝手もあって、アイドルのコンサートやアニメ、ゲーム系のイベントがよく開催されている。建物前の広場では、それに参加する人々が列を作って並んでいる姿をよく見る。  こうしたイベントなどの参加で中野を訪れる人と、出勤などで駅に向かう人が交差するのは、実は歴史的に繰り返されてきたこと。大正11年刊の東京近郊の観光ガイドである「東京近郊めぐり」には、中野についてこう記述されている。

    「新宿の西は中野町で、此地も電車が通ふやうになつてからずんずん開けて行く。江戸時代には六阿彌陀詣、又は新井の薬師や堀之内のお祖師さまへ詣る善男善女の影がつづいたものだが、今は市中に勤める洋服姿の勤人が朝夕に往来する数が日に増加してゆく」

     江戸時代の中野村は石灰を運ぶ道として始まった青梅街道沿い、大都市江戸の近郊を利用した農業や産業で栄えていたが、明治22年(1889年)に甲武鉄道の中野駅が開業(その後のJR中央線中野駅)したことで人の流れが大きく変化し、明治30年(1897年)の東京市豊多摩郡中野町の町制施行などを経て、明治後期には急激な宅地化、都市化が進んでいた。  しかし、厄除け大師で有名な堀之内妙法寺、眼病平癒で有名な新井山梅照院など、江戸時代から人気のあった参詣寺もなくなったわけではなく、参拝者が中野駅で下車することも多かったとのこと。

    ▲著者撮影 新井薬師こと新井山梅照院
     つまり、明治後期の段階で、まだ中野は観光地と近郊住宅街が入り混じった土地だったのである。 こうした参拝客と、通勤で駅に向かう住民が中野駅で交差するという構図は、100年以上が経った現在では、アイドルのコンサートに向かう人(推しのアイドルを見にくるのも参拝と言ってもいいのでは)と都心に向かうサラリーマンに変わっただけで、同じような形で続いていると言える。
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  • 分断に対抗する選挙制度改革:勝者がルールを決めるのか。ルールが勝者を決めるのか(後編)|橘宏樹

    2022-02-18 07:00  
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    現役官僚である橘宏樹さんが、「中の人」ならではの視点で日米の行政・社会構造を比較分析していく連載「現役官僚のニューヨーク駐在日記」。選挙制度改革について論じる第2回の後編です。近年、採用が進められている「順位選択式投票」。深刻化する社会の「分断」を解決する手段となり得るのか、そして日本人の政治不信解消にはどのような議論が必要なのか考察しました。(前編はこちら)
    橘宏樹 現役官僚のニューヨーク駐在日記第2回 分断に対抗する選挙制度改革:勝者がルールを決めるのか。ルールが勝者を決めるのか(後編)
    民主主義の本質は手続きに宿る:選挙の「5W1H」を見直す
     さて、第1回の後半では、NY市が市政選挙の投票権を外国人移民にも与えたニュースを取り上げつつ、権力闘争のルールそれ自体が、権力闘争の対象となる、アメリカの民主主義というゲームのダイナミックさ、ある種の不安定さについて、議論しました。今回も、もう少しその続きをお話ししたいと思います。
     民主主義とは、選挙による多数決を基本原則として集団の意思を決定する制度です。そして、選挙には5W1Hがあります。①誰が(who)②なぜ(why)③いつ(when)④どこで(where)⑤何に(what)⑥どうやって(how)投票するのか。「神は細部に宿る」と言うように、これら5W1Hを具体的にどうするかが、どのような民主主義を実現したいのかを決定づけます。前回のNY市外国人参政権拡大は、まさしく①誰が(who)が変革された話でした。
     日本の選挙においては、もっぱら、②なぜ(why)と③いつ(when)と⑤何に(what)が議論されますよね。争点はなにか。解散はいつか。どの政党・誰に投票するか。2016年に18歳へ選挙権年齢を引き下げた際には、珍しく①誰が(who)が議論されましたが、⑥どうやって(how)はほとんど議論されたことはありません。
     一方、アメリカでは、大統領等に議会の解散権はなく③いつ(when)は固定されているのであまり議論になりません。その代わり、現在、全米規模で、⑥どうやって(how)が大変革されています。2つの大きなhowの変革をご紹介します。
    一度に5人に投票:「順位選択式投票」とは
     2000年の大統領選挙でブッシュとゴアが歴史的大接戦を演じて以来、全米各地で投票制度の見直しの議論が始まりました。あまりにも真っ二つに分かれている状況で、真に選ばれるべき勝者は誰であるべきなのか。実は、みんなが2番手に選んでいる人の方がふさわしいのではないか。「分断」をなんとかできる、より妥当な方法は何だろうか。と模索が進んできました。
     そこで、採用が進んでいるのが、「順位選択式投票(Ranked-Choice voting:RCV)」です。RCVとは、有権者が上位5名の候補者を選び、1位から5位までの選好順位とともに投票し、全員の1位票を集計するものです。1位票を50%以上得票した候補者が勝利します。1位票を50%以上獲得した候補者がいない場合は、1位票の得票が最も低かった候補者の票を、その候補者に投じられていた2位票の数に応じて、他の候補者に再分配します。このプロセスを、50%以上の票を獲得する候補者が現れるまで繰り返します。
     RCVは、アイルランド大統領選挙、ロンドン市長選挙、オーストラリア下院議員選挙でも採用されており、米国内でも、サンフランシスコ市やオークランド市を先駆にNY市など50か所が導入しています。2021年には、NY市を含む20か所でRCVによる選挙が実施されました。現在も約20州で導入キャンペーンが行われています。
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  • 分断に対抗する選挙制度改革:勝者がルールを決めるのか。ルールが勝者を決めるのか(前編)|橘宏樹

    2022-02-17 07:00  
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    現役官僚である橘宏樹さんが、「中の人」ならではの視点で日米の行政・社会構造を比較分析していく連載「現役官僚のニューヨーク駐在日記」。今回は、コロナ禍での政府の意思決定のあり方について。未曾有のパンデミックを前にどの国でも臨時的な対応が迫られるなか、米国ではそれがある程度許容されているようですが、そこには意思決定プロセスの「透明性」に鍵があるようです。
    橘宏樹 現役官僚のニューヨーク駐在日記第2回 分断に対抗する選挙制度改革:勝者がルールを決めるのか。ルールが勝者を決めるのか(前編)
     おはようございます。橘です。みなさまいかがお過ごしでしょうか。2月上旬のNYの気温は、ちょっと暖かくなったり、吹雪の日もあったりと、寒暖差がちょっと激しいです。
    ▲殉職警官を悼むNYPDの追悼パレード。最近のNYは、銃撃事件が相次ぎ治安の悪化が深刻です。
    銃弾に倒れ殉職の22歳NY警察。「あの日喧嘩をしたまま…」新妻のスピーチに全米が涙(安部かすみ氏 2022年1月30日)
     日本では、新型コロナウイルスの新規感染者数は増加中で、まん延防止等重点措置の適用拡大がなされるなど、厳しい状況と聞いておりますが、NY州では、新規感染者数や陽性率の増加傾向という点では、ピークを過ぎて下り坂です。2月16日時点で、入院者数は、NY州がコロナ行政において最も重要な指標のひとつとしてきたICUの空きベッド率は目安の30%を割り込んで22%となっています。NY州の発表によれば、2月6日までのサンプルにおいて、ワクチンを完全に接種した人のうち、ブレークスルー感染して陽性反応が出た割合は8.6%、入院した人の割合は0.29%とかなり少ないですから、つまり、入院者・死亡者のほとんどが、ワクチン未接種者であると推定されます。
    ▲ニューヨーク州の直近3か月の新規感染者数推移の状況。すっかり山は越えました。(2月15日時点。ニューヨーク・タイムズより)
    (ちなみに、これらの数値はNY州のウェブサイトで公開され日々更新されています。英語が苦手な方も、昨今のブラウザの自動翻訳機能は優秀ですので、ご活用いただきながら、参考までにちょろっとご覧になってみてはいかがでしょう。)
    NY州の新規感染者数・死者数・ワクチン接種者数(NYタイムズ)ブレイクスルー感染者数のデータ(NY州政府)NY州の病床数のデータ
     なので、州・市政府のコロナ政策は、マスク着用義務、ワクチン接種拡大に完全にしぼりこんでいます。NY市のアダムズ新市長も、NY州のホークル知事も、年始に足並みを揃えて、オミクロン対策は、「経済と公衆衛生のバランス」に配慮して行っていく、と述べており、かつてのようなロックダウンは考えていないようです。
     一方、「公衆衛生と自由のバランス」については、揺り戻しが起きています。昨秋から、国全体や州で、公衆衛生を重視しワクチン接種やマスク着用義務を課していく行政命令が出ていましたが、最近は、ワクチンを打たない自由、マスクをしない自由を尊重するべきという司法判断が続いています。例えば、昨年11月にバイデン政権が定めた従業員100人以上の企業に対して従業員に対するワクチン接種義務を課す規則が、1月13日、連邦最高裁が違憲と判断して差し止め命令を出しました。米最高裁、バイデン政権の企業向けワクチン義務化規則を差し止め(2022年01月14日 JETRO)
     NY州でも、州知事が昨年末に出した屋内公共スペースでのマスク着用義務命令について、州最高裁が、知事の命令だけではダメで、州議会の承認が必要であり、違法だと判断しました。米NY州のマスク着用義務化に違法判決、州最高裁が判断(2022年1月24日 ロイター)
     このように、行政・立法・司法の三権がひっきりなしに係わり合って、短期間に判断を二転三転させながら試行錯誤を重ねていく模様は、以前『現役官僚の滞英日記』でも触れた、無戦略を可能にする5つの「戦術」の4つ目「トライ・アンド・エラー」を彷彿とさせます。米英共通のアングロサクソン流ということなのでしょう。「無戦略」を可能にする5つの「戦術」~イギリスの強さの正体~(ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.381 橘宏樹『現役官僚の滞英日記』第11回)


    ▲2021年11月に2年ぶりに開催された、全米最大規模のコミケイベント「アニメNYC」の様子。コスプレは『鬼滅の刃』と『イカゲーム』が圧倒的な人気。
    社会の許容度を支える2つの「透明性」
     判断が右に左に振れ続ければ、日本では、そのこと自体について、朝令暮改だとか、一貫性がないとか、批判しがちです。そして釈然とせずブツブツ文句を言いながら、指示には一応従いつつ、そのうちに「喉元過ぎれば熱さを忘れ」ていくことを繰り返していく、というパターンが多く見られる気がします。一方で、アメリカ社会は、判断が右に左に振れ続ける不安定さに対して、かなり許容度が高い気がします。ことコロナだからしょうがないという諦めも大きいとは思いますが、僕は、少なくとも2つの意味での透明性が社会の許容度を支えているように思います。
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  • 俺より少し弱い奴に会いに行く──消極的な自己研鑽|簗瀨洋平・消極性研究会 SIGSHY

    2022-02-15 07:00  
    550pt

    消極性研究会(SIGSHY)による連載『消極性デザインが社会を変える。まずは、あなたの生活を変える。』。今回は簗瀨洋平さんの寄稿です。終わりそうで、なかなか終わる見通しの立たないコロナ禍の生活。もはや対面とリモートコミュニケーションの環境が共存していくことは避けられないだろうなか、簗瀨さんがハマった格闘ゲームでのオンライン対戦の経験を通じて、これからの社会にふさわしい「消極的な自己研鑽」のあり方を考えます。
    消極性デザインが社会を変える。まずは、あなたの生活を変える。第23回 俺より少し弱い奴に会いに行く──消極的な自己研鑽
    オンラインとオフラインのグラデーション
     みなさんお久しぶりです。消極性研究会の簗瀬です。  毎回、あと数ヶ月もしたらコロナ禍は終わるだろうと思ってこの原稿を書いているのですが、なかなか終わりませんね。それでも今年の1月後半になって第6波が来る前までは、だいぶ収束には近づいてきて、昨年末にはかなり久々に対面形式での学会が開催されていました。同じく消極性研究会の栗原一貴さんも参加されており、2年ぶりの対面はなかなか感慨深いものでした。
     一方で、せっかくオフラインでイベントができるようになったのだからもう戻りたくないという意見があるのも重々承知しています。実際私もオフラインの学会に久々に出て感じたのは、他人の目に触れている間は何かしらの体力を消費しているということでした。オンラインの場合、誰かの発表中はビデオもマイクもオフにし、発表を邪魔しないよう気を遣うのが通常ですね。同時に、相手から見えない、聞こえない状態ですので発表に集中していればどれだけぐったりしていても、くしゃみや咳をしていても良いわけです。リラックスして発表を聞けるという点では直接会場にいるよりも良い状態かも知れません。自宅参加の場合は日頃仕事で使う椅子と高さが調整されたデスクを使うわけですからかなり疲れにくいですね。  また、最近はオンライン学会のノウハウもだいぶ溜まっており、私と栗原さんが出席したWISS2021ではそれぞれのセッションに座長(そのセッションの司会者)の他、チャット座長を務める参加者がおり、用意されたSlackのチャンネルから意見や質問を拾い上げて質疑の時間に発表者に伝えてくれます。参加者はリアルタイムに意見や質問を書いておけば良いし、直接手を上げたり前に出たりして質問をするというプレッシャーからも開放されるので便利です。発表者から見ると反応がなかなか見えないのでそこがデメリットとなります。  前回、西田さんが書かれていたようにオンラインで問題となるのはインフォーマルなコミュニケーションですが、WISS2021ではオフライン参加者が休み時間にトイレに行ったりコーヒーを飲んだりしている間、オンライン参加者はさかんに意見交換や議論をしていたようで、それぞれ別なコミュニケーションが発生していました。
     このようにそれぞれメリットとデメリットがあるわけですが、今後はオンライン/オフラインという二択ではなくそれらを両極としたグラデーションをすべての人々が選べるようになると良いのではと思います。私自身はオフライン学会をホテルの部屋で聴講し、休み時間になったら部屋を出て議論するみたいなことができるとベストなんじゃないかと思っています。
     実際のところ学会でも授業でもオンラインとオフラインのハイブリッドはなかなかたいへんなのですが、そのあたりは機器やソフトウェアの発展によって解消できる部分です。会議室や教室にはカメラとネットワークが標準装備されていて、使う人がわざわざ設定する必要ない状態にしていきたいですね。
    テレワーク下でのオンラインコミュニケーション、その後
     オンラインでのコミュニケーションという点で、以前の記事に会社のチャット運用の話題を書きました。「ググれと言われず誰でもどんな質問でも書いて良いチャンネル」と「褒めて欲しい、褒めたいことを書くチャンネル」ですね。どちらも未だに活用されており、特に前者はコロナ禍で人が増え続けている弊社にとって良い試みだったなと思っています。後者は私が意図したのとは少々違う方向で他人に対する感謝を述べるチャンネルとなりつつあります。これはこれで悪くはなく、特に活躍が見えにくい方にスポットが当たるのは良かったと思います。「褒めてもらう」という意図で書き込むのは人数が多くなり必ずしも親しい間柄の人ばかりではなくなると難しいのかも知れません。
     ただ、必ずしも業務とは関係のない単一用途のチャンネルを作るという文化自体は割と定着しており、私が特に何かしなくても様々なチャンネルが作られるようになりました。  ちょっと気持ちが落ち込んだ、落ち込むようなことがあったときに書き込むと誰かがはげましてくれる(ただしアドバイスは禁止の)「はげましチャンネル」や、自分はこういうことに気をつけていますという「健康チャンネル」、育児で「こういうことに苦労している」というような話をする「育児チャンネル」などです。育児チャンネルはお子さんがいない参加者も多く、私も入っていますが子育て中の同僚にどういう配慮が必要かということも自然と耳に入ってくるので、なかなか有益だと思います。
     また、テレワーク化での入社人数が増えたということで社内のイベント配信担当者が非公式なイベントとして自己紹介LT(Lightning Talk)大会を始めました。有志が集まって5分の枠で好きに話すというゆるい内容ですが、入社してから一度も出社したことがないというようなメンバーにとっては特に業務で直接つながりのない同僚を知るのに良いイベントとなっています。なお、弊社はこういうイベントを業務時間中にやって良いことになっています。定時後は家事をしたり家族と過ごしたりする時間ですからね。方向として、インフォーマルなコミュニケーションのために何かをするわけではないけれども、それを作ろうとする試みは邪魔しないというスタンスです。
     テレワーク化で忘年会などの飲み会がなくなったことの是非なども議論されていますが、私のいる会社は2021年は忘年会を開催せずにちょっと良いすき焼きの肉を希望者に送ってくれました。これはなかなかのアイディアで、我が家は自宅で家族といただきましたが、みんなで肉を持ち寄って忘年会をしたチームもあったようです。
     私はたまたまコロナ禍前からオンラインコミュニケーションが活発な会社にいましたが、テレワークを基本とした会社が増えた今、インフォーマルなコミュニケーションをどうするかという点で組織の個性が出てきそうですね。私自身はまったくないのは嫌と思いつつも、組織にそういったものを押し付けられるのも好まないので、セキュリティの許す範囲で各自のスタンスに任せてくれるような組織が増えると良いと思っています。
    e-Sportsへの消極的参加
     さて、長く書いてきてようやく今回のタイトルに関わる話なのですが、実はe-Sportsを始めました。そもそもe-Sportsってなんだという話を本格的にするとそれだけでかなり長くなってしまうので簡単に説明すると、多くのプレイヤーがいて大会などがある程度成立し、プロがいるようなゲームをそう呼ぶというのが現状ではないかと思います。
     e-Sportsは一つのタイトルの対戦モードなどが長く多くのプレイヤーによって遊ばれることによって成立します。長く遊ばれるためには必勝法などがなく、ある程度の奥深さと駆け引きがある事が重要で、書くと簡単ですが作るのはなかなか難しいものです。  これまでの連載で私はゲームについていろいろ書いてきましたが、ゲームの良さとしてプレイヤーのために作られた世界とキャラクターが徹底的にプレイヤーの行動をほめてくれる、クリアできると保証された目標があって適度な困難があり、乗り越えたときの喜びがあるということを書いてきたかと思います。ただしこれはほとんど一人で遊ぶゲームの話です。
     私はこれまで『スプラトゥーン』や『フォートナイト』、『APEX Legends』、『オーバーウォッチ』など世界で多くの人がプレイしている対戦ゲームは一通り遊んでいます。どれも3ヶ月〜半年くらいは遊んでいたので、すぐに飽きてしまうというわけではないのですが、なんとなく対戦ゲームにははまりきれない、やった時間に対してオフラインゲームのような楽しさはないなと感じていました。
     そこで出会ったのが『ストリートファイターV』です。きっかけは身も蓋もないですが、仕事でe-Sport漫画『東京トイボクシーズ』の監修を務めるようになったからです。
    ▲うめ『東京トイボクシーズ』(出典)
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  • 究極の幸せ|高佐一慈

    2022-02-14 07:00  
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    お笑いコンビ、ザ・ギースの高佐一慈さんが日常で出会うふとしたおかしみを書き留めていく連載「誰にでもできる簡単なエッセイ」。今回は高佐さんの思い描く「究極の幸せ」について。夜眠る前にある料理を思い浮かべることが、キングオブコント優勝にも匹敵するほどの幸福なんだとか。
    高佐一慈 誰にでもできる簡単なエッセイ第26回 究極の幸せ
     夕食におでんを作った。
     月に一度くらいのペースだろうか、時間に余裕のある日に作る傾向がある。  食材費は安く、簡単にできるので、週に一度でもいいくらいなのだが、これからも長く付き合っていきたいので、飽きないように月一くらいに収めている。  土鍋に水を入れ、昆布でダシを取り、白だしとめんつゆを入れ、火にかける。沸騰したら、大根、ちくわ、糸こんにゃく、たこ天、じゃがいも、ロールキャベツを鍋いっぱいに敷き詰め、蓋をして弱火でコトコト。  自分の好きなメンバーで具材を固め、できるだけたくさん作る。次の日の朝も食べれるようにだ。  土鍋の蒸気口から湯気がフンフン噴き出すのを横目に、箸や食器をこたつの上に並べる。冷蔵庫から缶ビールを取り出し、グラスに注ぎ、こたつに入って、一口、二口と飲む。苦味のある爽やかな炭酸が喉を通っていく。  そうこうしている内に、おでんは出来上がる。  蓋を開けると、真っ白な湯気の塊で、一瞬視界が遮られる。その直後、さっきよりも膨らんだ具材たちがぎゅうぎゅうになりながら、大きな鍋の中でグツグツと踊っているのが目に入る。  僕は火を止め、器に装う。  食べる。つゆの染み込んだ大根、ホクホクのじゃがいも、ブヨブヨに膨らんだたこ天。  美味い。特に冬の寒い日に食べるおでんは格別だ。
     奥さんが帰ってきた。玄関のドアを開けるなり、鼻をクンクンと鳴らす。 「おでんだ!」  つゆが滴るちくわ、食感の良い糸こんにゃく、少しほつれたロールキャベツ。 器に装い、奥さんも食べる。  テレビを見ながら、二人でダラダラと過ごし、寝る時間に。 パジャマに着替えた僕は、電気を消して布団に入った。  目をつむると、土鍋に半分残ったおでんのことで頭がいっぱいだ。 おでんのつゆは、熱が冷めた時に、具材にぎゅーっと染み込んでいく。だから一晩寝かせると美味しくなるのだ。 「ああ、朝起きたら、鍋におでんがある!」
     人生で一番幸せだなと感じる瞬間は、どんな時ですか? と問われれば、僕は間違いなく 「二日目のおでんを残して布団に入った時」 と答える。考えれば考えるほど、この瞬間が最強なんじゃないかと思う。これ以上幸せな瞬間なんてあるだろうか?
     例えば、子供の頃。クリスマスイブの夜、布団に入った時。  明日の朝、目が覚めたら枕元にプレゼントがあることを想像し、ワクワクして眠りにつく。希望に満ちた幸せな瞬間だ。  しかし、どうだろう。サンタさんからのプレゼントが、確実に自分の欲しているものである保証はどこにもない。ガッカリする可能性だって孕んでいる。  現に僕が子供の頃、サンタさんに当時流行っていた「人生ゲーム」をお願いしたのだが、彼からのプレゼントは、「人生ゲーム平成版」という、僕が思っていたものとは少し違うものだった。友達の家で夢中になって遊んだそれとは、色や形、仕様が違っていることに「これじゃないんだよなあ」と、首をひねりながら遊んだ記憶がある。  その点、【二日目のおでんを残して布団に入った時】には絶対的な安心感がある。台所の、コンロの上の、鍋の中に鎮座するおでん。まるで聖母マリアのようだ。次の日の朝、蓋を開けたら、中におでん平成版が入っていた、なんてことはない。思い描くおでんがちゃんと入っている。
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  • 『ブルー・バイユー』『白い牛のバラッド』──時代に共通する生きづらさ|加藤るみ

    2022-02-10 07:00  
    550pt

    今朝のメルマガは、加藤るみさんの「映画館(シアター)の女神 3rd Stage」、第25回をお届けします。今回紹介するのは『ブルー・バイユー』と『白い牛のバラッド』。移民問題や死刑制度など、矛盾を抱えた社会制度が描かれた映像作品から、現代における「生きづらさ」について加藤さんが分析します。
    加藤るみの映画館(シアター)の女神 3rd Stage第25回 『ブルー・バイユー』『白い牛のバラッド』──時代に共通する生きづらさ
    おはようございます、加藤るみです。 最近は、Netflixで配信中の韓ドラ『その年、私たちは』にダダハマりしています。 このドラマが好きすぎて、終わってしまうのが悲しい。 美味しすぎるから食べるのがもったいない、とっておきのスイーツのような。 わたしは今までドラマをリアルタイムで追うことがあまりなかったのですが、こんな気持ちになるんですね……。
    実はこの作品、宇野さんにオススメしてもらったんです。 めちゃくちゃ宇野さんに感謝しています。 今のわたしの生きがいですから。
    物語は、高校生だったときに撮影したドキュメンタリーが人気となった元恋人同士が5年後再会するという、初恋をめぐる青春ラブストーリーで、再び出会ってしまったふたりの複雑な恋心や切ない過去にわたしは頭を抱えながら観ています。
    高校時代から、大学、社会人になってからの挫折や葛藤、10年間の今と過去を行ったり来たり、現時点で12話まで更新されているんですが、耐えて耐えて耐えての激甘を見せてくれる韓国ドラマがわたしは大好きです。
    しかも、各話のタイトルが名作映画のタイトルオマージュなのも、洒落てるんですよねぇ。 キャストは、『梨泰院クラス』のイソことキム・ダミと『パラサイト』の半地下一家の長男チェ・ウシクが元恋人同士を演じるんですが、ヴィジュアルもそうだけどふたりの演技力が高いからこその塩っぽさが素直になれない恋人同士という役柄にものすごくハマっているんですよね。
    なんと言ってもふたりともモデル並の高身長だからゆるいファッションの着こなしが全部ステキに見える。
    もう、ふたりが愛おしくてしょうがないです。
    キム・ダミの主演映画『The Witch/魔女』('18)で、ゴリゴリに戦っていたふたりがラブストーリーになるとこんなにも可愛いだなんて……。
    『その年、私たちは』、いよいよ終盤になってきて、ふたりの行く末がどうなるのか楽しみです。 まだ観てない方が羨ましい。今一番のオススメです。
    さて、前回は2021年の振り返りだったので、今回が正真正銘2022年1発目の映画紹介になります。 今回は、映画の窓を通して世界のリアルを知る、社会の不条理に切り込んだ新作2本を紹介します。
    まず1本目に紹介するのは、アメリカで国外追放を命じられた男性とその家族の運命を描いた物語、『ブルー・バイユー』です。
    昨年のカンヌ国際映画祭に出品され、8 分間におよぶスタンディングオベーションで喝采を浴びた話題作で、映画『トワイライト』シリーズで名を馳せた韓国系アメリカ人ジャスティン・チョンが主演・監督・脚本を務めています。 移民の国アメリカで実際に起きている問題をセンセーショナルに描いた、ジャスティン・チョンの意欲作です。
    韓国で生まれ、3歳の時に養子としてアメリカに連れてこられたアントニオは、シングルマザーのキャシーと結婚し、娘のジェシーと貧しいながらも幸せに暮らしていた。 ある時、スーパーへ買い物に行くとキャシーの前夫である警官と些細なトラブルを起こし逮捕されてしまった。 30年以上前の養父母による手続きの不備で移民局へと連行されてしまい、国外追放令を受ける。 アメリカの移民政策で生じた法律の"すき間"に落とされてしまった彼は、愛する家族との暮らしを守れるのか……。
    この作品の特筆すべき点は、16mmフィルムの映像とジャスティン・チョンの演技力だと思います。 フィルム独特の映像のザラつきが、映画で描かれるどうにもならない現実とマッチしていて、焦燥感を煽ってきます。

    それと、アントニオの過去が描かれるシーンでは水を使い、より深く暗く見せる演出や、映像のブレを見せることによりドキュメンタリーのような臨場感を醸し出す演出も独特で、監督としてのジャスティン・チョンの熱意が感じられました。
    それに加えて、アントニオを演じる彼の俳優としての顔。 前科を持ち、生きるために過ちを起こしてしまう愚かな一面もあるけれど、家族想いの優しい男を真っ直ぐに演じていて、この作品については彼の演技が素晴らしいとしか言いようがないです。

    そして、なんと言ってもラストシーン。 これを観て泣けない人はいるのでしょうか? 映画を観て、ちゃんと泣いたの久しぶりかもしれない。 ただただ、泣きました。 ラストで描かれる、主人公のアントニオが家族の為を思った決断は、多分大体の人は途中で予想がついてしまうベターなストーリー展開ではあるんですが、それでも泣けます。 ラストは、ジェシー役のシドニー・コウォルスケちゃんの演技力が爆発するシーンで、やっぱり子供の涙はズルいです。
    そんなん、泣くに決まってる。 キャシーと前夫の娘であるキャシーは、血の繋がりはないけれど、娘という事実には変わりない。 血の繋がりを超えた、父と娘の愛に泣かされます。

    容赦ないアメリカの司法制度に怒りが込み上げてくる、エンドロールにも注目です。 2月11日全国公開予定です。
    ぜひ、劇場にてご覧ください。
    2本目は、気鋭の女性監督が描く、イランの冤罪サスペンス『白い牛のバラッド』です。
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