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2018年2月の記事 23件

【特別寄稿】倉田徹「香港民主化問題:経済都市の変貌史」

来る2018年3月11日に、香港では立法会の補欠選挙が予定されています。香港衆志の周庭氏も立候補を予定していましたが、基本法に反することを理由に出馬無効を言い渡されました。なぜ香港の若者が活発に民主運動を行うことになったのか、なぜ政府は民主派を弾圧するのかーー。現在の状況に至るまでに香港が辿った歴史について、立教大学法学部政治学科の倉田徹教授に解説していただきました。  香港と聞いて、日本人がイメージするものは何か。グルメ天国、買い物天国、目もくらむような看板のネオンサインの洪水、あるいは林立する高層ビル、アジアの金融センター、はたまたブルース・リーやジャッキー・チェンのカンフー映画……。観光や文化、経済についての様々なキーワードが浮かんできそうだが、その一方で香港の政治は、従来注目されることが非常に少なかった。「香港人は金儲けにしか興味がない」が、自他共に認める香港人に対するお決まりの評価であった。  ところが2014年、その香港が国際政治の焦点になってしまう。「真の普通選挙」を求めて集会に殺到した人々が、79日間も道路を占拠して民主化運動を展開したのである。警察の催涙スプレーから、手持ちの傘でとっさ身を守ろうとする人々の姿から名付けられた「雨傘運動」は、「エコノミック・アニマル」とは全く異なる新たな香港人の像を世界に示したのである。  一体なぜ、このような大きな変化が生じたのか。  重要なのは若い世代の台頭であった。「雨傘運動」で活躍したのは、当時わずか17歳の黄之鋒(ジョシュア・ウォン)や周庭(アグネス・チョウ)などの若者であった。上の世代と全く異なる価値観を持つ世代の登場によって、香港の民主化運動は空前の盛り上がりを見せた。一方、巨大な運動は、北京の中央政府からの強力な弾圧も引き込むこととなった。そういう情勢の中で、香港の民主化運動は現在どういう状況にあり、将来どのような展開が見通せるであろうか。  現在を知り、将来を考えるため、ここでは香港の民主化問題を過去から遡って考えてみよう。 植民地期・「金儲けにしか興味を持てなかった」時代  香港は1842年にアヘン戦争によってイギリスの植民地となり、1997年に中国に返還された。その150年を超えるイギリス統治の歴史のうち、1980年代までの約140年の間、香港にはほとんど全くまともな民主主義はなかった。政治権力はほぼイギリス人の総督が独占し、反政府的な社会運動には厳しい弾圧もあった。しかし、香港市民の間では、強い民主化運動は起きなかった。これが香港市民は「政治に無関心」と評された主な理由である。  なぜ香港に民主化要求は起きなかったのか。イギリスの統治の巧みさや、政治を汚いものとして嫌う中国人の政治文化などが理由とされてきたが、近年言われているのは、政治に興味を持つことを許されなかったという、香港市民の置かれた環境条件である。選挙がほぼ存在せず、異民族支配の環境では、そもそも一般市民には議員や政府の高官や長になる手段がなく、政治家を職業とすることは不可能である。  もっとも、イギリス当局への批判は弾圧の対象であったが、中国を批判することは自由であり、政府に動員されたり、忠誠を誓わされたりする類いのこともなかった。その点では政治の面でも、毛沢東の中国や、蒋介石の台湾といった周辺の独裁体制よりもましでもあった。少なくとも、社会主義体制とは異なり、金儲けは自由にできた。特に戦後の香港は飛躍的な経済成長を実現したから、裸一貫から大富豪になる者もいたし、そこまでは無理でも、努力によって暮らしを改善させてゆくことは、多くの者にとって可能であった。香港市民の多数派は、こういう条件の香港という地を選んで、大陸から逃げてきた難民とその子孫たちなのである。当然ながら、彼らは政治に背を向けて、自身の生活のために日々努力を重ねる以外に生きる術がない。「金儲けにしか興味がない」というより、「金儲けにしか興味を持てなかった」のである。 ■PLANETSチャンネルの月額会員になると…・入会月以降の記事を読むことができるようになります。・PLANETSチャンネルの生放送や動画アーカイブが視聴できます。  

【特別寄稿】倉田徹「香港民主化問題:経済都市の変貌史」

猪子寿之の〈人類を前に進めたい〉第28回 新しい「シェア」を巨大デジタルアートで実現したい!

チームラボ代表・猪子寿之さんの連載〈人類を前に進めたい〉。今回は、シンガポール、徳島、そしてオーストラリアで開催する最近の展示を中心に紹介していただきました。マリーナベイ・サンズで展示されている新作が体現する、新しい「シェア」のあり方とは? そして「歩く」ことがコンセプトの新作が切り拓いたチームラボ作品の新天地とは?(構成:稲葉ほたて) 国際的なデザイン・アートメディアで2017年トップ1をとった! 猪子 今日は早速、宇野さんに報告があるんだ。designboomというデザイン・建築・アートの世界最大のデジタルメディアが発表した2017年のアートインスタレーションのトップ10に御船山楽園での「かみさまがすまう森のアート展」が選ばれただけではなく、世界1位に選ばれたんだよ! ▲TOP 10 art installations of 2017(designboom, dec 05, 2017)  宇野 それは素晴らしいね。僕も足を運んだけれど、あれはここ数年のチームラボの集大成的な展示だったと思う。もっと行きやすいところにあればもっともっと話題になったのだろうけど、あの御船山というロケーションあっての展示だったからね……。しかし、こうしてきちんと評価されて嬉しいね。 猪子 本当に名誉なことだよね。2016年の1位がクリストの、島の周りを歩ける布で覆うアートなんだよ。これが、もうめちゃくちゃデカくてすごすぎるから、申し訳ない気持ちになるよ。 ▲TOP 10 art installations of 2016(designboom, dec 15, 2016)  宇野 でもさ、この作品の翌年に猪子さんが1位をとるのは不自然じゃないよね。このクリストの作品って本来歩けないところを歩けるようにすることによって−−つまり世界そのものに介入することによって、人間の空間感覚、地理感覚にも介入するというコンセプトのアートだと思うんだけど、それってまさにチームラボが情報技術を使ってやっていることでもあるからね。 前も言ったかもしれないけれど、チームラボって、この作品みたいにいずれ島や街を丸ごと使った大規模なアートに行き着くと思うんだよ。チームラボはいつか、人が住んでいる生活空間とかを、まるごと包み込むような作品を作るべきだと思う。 「Digital Light Canvas」が表現する、新しい「シェア」 猪子 それで言うと、シンガポールのマリーナベイ・サンズのショッピングモールに「Digital Light Canvas」という超巨大な作品が、去年の12月22日から常設されたんだよ。 この「Digital Light Canvas」は、直径15メートルのLEDでできた円形リンクと、その上空にLEDを立体的に配置して立体的に像を出現させる高さ20メートルのシリンダー(直径7m、高さ14m)で構成されているんだ。 リンクは、もともとはスケートリンクだった場所なんだよね。しかも、地下2階のフロアにあって、そこから地上3階まで吹き抜けになっているから、たくさんの人が大空間で作品を見下ろせるようになっているんだよ。 宇野 あわせると5階分の高さがあるんだね。迫力がありそう。 猪子 そう。「Digital Light Canvas」では、基本的に『Nature’s Rhythm』という作品になっているんだけど、30分に一度『Strokes of Life』という作品がはじまるんだ。 ▲『Nature’s Rhythm』 ▲『Strokes of Life』リンクの上は人が自由に歩けるようになっているんだけど、『Nature’s Rhythm』のときは、リンク上には数十万匹の魚の群れが泳いでいて、人が動くと魚が逃げていく。特徴的なのが、上を歩く人がそれぞれ「自分の色」を持つこと。魚が近くを通るとその人の色に変わっていく。たくさんの人がリンクの上にいると、魚はいろんな色になって、群れはどんどん色が混ざっていくだよ。 一方、上空に展示されているシリンダーには鳥の群れが立体的に飛んでいる。鳥は光でできているから、自由に飛び回っている鳥たちの群れの空間上の密度が上がれば上がる程に光輝くようになっている。この鳥がたまに下のリンクに向かって飛ぶんだけど、そうすると魚が反応するようになってて、2つの装置同士がインタラクティブになってるんだ。 宇野 僕はショッピングモールに溢れかえる欲望にまみれた大量の人間たちを目にするのが本当に嫌いなんだけど(笑)、この作品はそうした人間の醜いソーシャルな活動を乱数供給源として使って常に変化し続けるアートを繰り上げたわけだ。 個々の人間の自意識は多くの場合美しくないわけだけど、彼らの生物の群としての行動を引いたところから眺めるとなかなか美しかったり、面白かったりするからね。実にチームラボらしい作品だと思うよ。 猪子 実際にアイススケート場だったというのもあって、特に、もう1つの『Strokes of Life』という作品では、人が歩いたりするさまがフィギュアスケートを滑っているかのような作品になったらいいなと思って創ったんだ。リンクの光によって逆光になるから、人間は常にシルエットにしかならないのも大きいね。 その『Strokes of Life』では、リンク上に立つ人から『空書』が生まれて、描かれていくんだ。そして、書の筆跡に合わせて、花、鳥、蝶などが生まれていく。このとき、人間はもはや盤上に描かれる黒い書と一体化するわけだよ。実際には作品が描かれている空間を動かすことで、書を描いていて、これは新しい試みだと思ってる。 宇野 素晴らしいね。人間が作品の一部になって書の一部、ちょっと太めのトメハネみたいに見えるわけだね。そういう意味では、この作品は一番上の階から見下ろすのが良さそうだよね。仮にここで高校生カップルがいちゃついていても、一番上からだと小さな点にしか見えなくて「昼間から盛りやがって」とか思わないで済むわけでしょう(笑)。 猪子 ちなみに、これは50シンガポールドル払えば、特別なバージョン『Strokes of Life - Birthday / Anniversary / Marriage Proposal』もできるんだ。例えば、プロポーズをしたいとしたら、相手の名前をスマートフォンから送ると、リンクの上の人によってメッセージとその名前が空書によってリアルタイムに描かれるんだ。 ▲『Strokes of Life - Birthday / Anniversary / Marriage Proposal』宇野 これ、暇な人が絶対に卑猥な言葉とかを入れるよね。僕が大学生だったら50ドル払ってやるかもしれない(笑)。 (以降、50ドルで卑猥な言葉を入れる話で少し本筋を逸れる) 宇野 でも真面目な話、こうして個人の物語が全面化してしまうような作品をチームラボがやるというのは意外だなと思った。そういうの嫌いじゃなかったの? ■PLANETSチャンネルの月額会員になると…・入会月以降の記事を読むことができるようになります。・PLANETSチャンネルの生放送や動画アーカイブが視聴できます。  

猪子寿之の〈人類を前に進めたい〉第28回 新しい「シェア」を巨大デジタルアートで実現したい!

京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録 第19回 アイドルアニメと震災後の想像力(PLANETSアーカイブス)

今回のPLANETSアーカイブスは、本誌編集長・宇野常寛の『京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録』をお届けします。今回は「戦後アニメーションと終末思想」をテーマにした講義の最終回です。〈現実=アイドル〉に敗北したあと、〈虚構=アニメ〉は何を描くべきなのか? (この原稿は、京都精華大学 ポピュラーカルチャー学部 2016年6月10日の講義を再構成したものです/2017 年4月7日に配信した記事の再配信です) 【書籍情報】 本連載が『若い読者のためのサブカルチャー論講義録』 (朝日新聞出版)として書籍化することが決定しました! 〈現実=アイドル〉が〈虚構=アニメ〉を追い越した  こういった感覚は、アニメとインターネットの関係にも言えるわけです。アニメを含めた映像は原理的に虚構の中に閉じている。作家が演出し、編集したつくりものを視聴者はただ受けとることしかできない。しかしインターネットは原理的に半分は虚構だけれども半分は現実に接続してしまっている。どれだけ作り手が虚構の世界を完璧に作り上げても、受け手という現実がそれを打ち返すことができる。ニコニコ動画にコメントがつくように、虚構がそれ自体で完結できない。双方向的なメディアであるインターネットは、原理的に虚構の中に完結できず、現実に開かれてしまう。  震災後の日本に出現したのは、まさにこの感覚だったと思うんですね。「ここではない、どこか」、つまり完全な虚構に入り込んでしまうのではなく、現実の一部が虚構化している。日常の中に非日常が入り込んでいる、とはそういうことです。  この2011年頃は、アニメからアイドルへと若者向けのサブカルチャーの中心がはっきりと移行していった時期に当たります。AKBに先行して2006年頃にブレイクしたPerfumeにしても元は広島のローカルアイドルで、この時期にライブアイドルブームが起こり始めていました。インターネットの登場によって、アイドルというものがテレビに依存しなくても成立するようになってきた。小さい規模であればライブの現場+インターネットで盛り上がれるわけです。AKB48は2005年に結成されたわけですが、2008年ぐらいまでは今ほどテレビに出ておらず、そうしたライブアイドルとして着実に人気を伸ばしていました。  これ以前の80年代にもアイドルブームは起こりましたが、当時はテレビを中心とした「メディアアイドルブーム」でした。しかし21世紀のライブアイドルブームはテレビに依存せずに伸びてきて、同時にサブカルチャーの主役にも躍り出たわけです。  ここまで話してきたことを考えれば、それは当然の流れなわけです。そもそもアニメにアイドルを持ち込んだ80年代の『マクロス』でもライブシーンが重視されていました。当時のアイドルブームというものを意識して、実際の3次元のアイドルに負けないような映像を作ろうという意識がすごく強かったんですね。『マクロス』シリーズはその後も連綿と続いていくわけですが、近作『マクロスF』(2008年放映開始)の劇場版を観ると、それがより顕著になっていることがわかると思います。 ▲劇場版マクロスF~サヨナラノツバサ~ [DVD] 中村悠一 (出演), 遠藤綾 (出演), 河森正治 (監督)   2012年には、秋元康が企画・監修した『AKB0048』というアニメが放映されました。近未来の宇宙を舞台に、伝説のアイドルグループ「AKB48」の名を継承したアイドルたちが、戦場にやってきてライブをして戦争に干渉するというストーリーです。これは本当に『マクロス』そのままの内容ですが、実際にアニメ制作は『マクロス』のスタッフがかなり関わっているんですね。 ■PLANETSチャンネルの月額会員になると…・入会月以降の記事を読むことができるようになります。・PLANETSチャンネルの生放送や動画アーカイブが視聴できます。  

京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録 第19回 アイドルアニメと震災後の想像力(PLANETSアーカイブス)

【新連載】宇野常寛『観光しない京都』はじめに――「観光しない」ほうが京都は楽しい【不定期配信】

本誌・編集長の宇野常寛による新連載『観光しない京都』が始まります。世界有数の観光地である京都。しかし、この街を内側からも外側からも見つめてきた宇野常寛は「観光しない」ほうが京都は楽しいと提案します。本連載と一緒に、あなたなりの京都の過ごし方を探しに行く旅を始めてみませんか? はじめに――「観光しない」ほうが京都は楽しい  そうだ京都、行こう――これは鉄道会社の有名な広告のコピーです。  京都は1200年以上の歴史を持つ、世界有数の観光地です。  毎年5000万人前後のもの観光客が国内外から訪れ、特に近年は海外からこの街を訪れる人が増えています。  京都は長い間この国の歴史と文化の中心だった街で、そしてここ数百年は大きな戦争の被害に遭うこともなくその蓄積が数多く現存しています。こうした蓄積を背景に、京都は21世紀の現在も文化と学術の都であり続けています。長い時間をかけて継承されてきた伝統的な工芸や芸能、そして食ーーこれらの文化は大切に守られている一方で、現代的な感性と出会うことで少しずつ、ゆっくりと更新されてもいます。  こうした京都という街の魅力がいま、世界中の観光客の心をとらえてつつあります。しかし――  しかし、京都には観光に行くべきではない―――それがこの本の結論です。  そして、観光しないほうが京都の旅は楽しい。これがこの本の提案です。  僕はかつて七年ほど、京都に住んでいました。そしてここ数年は仕事で年の1/3は京都に隔週で出張しています。こうして半分外側から、そして半分は内側から京都を眺めていて、気づいたことがあります。  それは京都にやって来た観光客たちの、それも結構な割合の人が楽しそうな顔をしていないことです。どちらかと言えば、疲れた顔をしている人がとても多い。  いったい、なぜこんなことになるのでしょうか。  僕の考えでは理由はふたつあります。  まずひとつは、京都が「深すぎる」ことです。  清水寺、南禅寺、平安神宮、銀閣、金閣、そして嵐山……京都に来たら一度は見たいと大抵の人が考えるであろう、誰もが知っているような定番の観光地をめぐるだけでも、しっかり見ようと思うととても1日や2日では不可能です。これに三大祭などの伝統行事や、桜や紅葉の名所を加え、そして「せっかく来たのだから」と膨大な数の魅力的なレストランを選んで予約すると、数日間の滞在でもあまり余裕のないスケジュールになってしまいます。京都は見るべきもの、体験すべきもの、食べるべきものがあまりに多い、「深すぎる」街なのです。  そしてもうひとつは、観光という文化自体の問題です。  みなさんの中にも、絵葉書と同じ景色を肉眼で確認して移動中にWikipediaを引いてその背景を調べる――そんな旅に「何か違うな」と思った経験がある人も多いと思います。もちろん、こうした旅にも面白さがあるでしょう。ただ、僕はそうした体験は旅に出なくても得られるものだと考えています。こうした観光旅行は時間とお金をかけた読書のようなものです。それは、実際に足を運んだという「きっかけ」と「アリバイ」にすぎなくて、たぶん本当は部屋の中にひここもっていてもできることなのだと思います。こうした旅になってしまったとき、僕は自分がまるで写真をFacebookやInstagramにアップロードするために行動しているような、違和感を覚えます。  しかし旅の醍醐味は決して絵葉書と同じ景色を確認することではない。僕はそう考えています。  旅をすることで、僕たちは普段とは違う土地の、違う街で食事をして、寝起きして、そしてものを考える。普段とは違う日常を過ごす。そうすることで、普段は気がつかなかったことに気づく。それが旅の醍醐味だと思います。  自分が少し硬いベッドのほうがよく眠れること。普段は食べないものが意外と美味しいと感じること。歴史も文化も構造もまったく違う街を歩くことで、目に写り、耳に入るものごとから受ける様々な刺激。こうしたものを旅から戻ってきたときに、旅に出る前の自分と少しだけ、それも自分でも気づかないうちに変わってしまう。それが僕の考える旅の面白さです。  どうせ旅に出たのならば身体を日常生活の場所から切り離して移動することではじめて得られるものを体験したい。僕はそう考えています。  しかし観光という文化はこの旅の経験をときに大きく損ないます。  それは僕たちを特別な場所に実際に足を運ぶという目的に縛ってしまいます。  その結果、目当ての史跡名勝やレストランを訪ねること自体が目的となり、意識がその目的に集中してしまいます。そして、過程から受け取ることができる雑音の数々が結果的にあまり心に残らなくなってしまいます。  そして僕の考えではいま京都を訪ねてくる観光客のうちかなりの割合の人が、まるで位置情報ゲームのように限らてた時間内に目当ての場所を訪ね歩く(観光)という目的にしばられてしまっていて、この京都という街の与えてくれる豊かさをまったく受け取れていないように思えるのです。  僕はそんなゲームのような旅をしている観光客たちの、何かに急かされていて、そして少し疲れた顔を見るたびにもったいないな、と思います。 ■PLANETSチャンネルの月額会員になると…・入会月以降の記事を読むことができるようになります。・PLANETSチャンネルの生放送や動画アーカイブが視聴できます。  

【新連載】宇野常寛『観光しない京都』はじめに――「観光しない」ほうが京都は楽しい【不定期配信】

井上明人『中心をもたない、現象としてのゲームについて』特別編 認知的作品 〈いま・ここ〉を切り取ることをめぐって・前編

ゲーム研究者の井上明人さんが、〈遊び〉の原理の追求から〈ゲーム〉という概念の本質を問う「中心をもたない、現象としてのゲームについて」。今回は特別編として、「早稲田文学増刊 U30」に掲載された井上明人さんの論考をお届けします。ゲームが「作品である」とき、それはどのような事態か。その問いに答えるべく、前編では「切り取られた〈いま・ここ〉」について論じます。 (初出:「早稲田文学増刊 U30」、早稲田文学会、2010年) コンピュータ・ゲームのようなメディアが「作品である」というとき、それはどのような事態だろうか。 コンピュータ・ゲームというメディアは、コントローラーを手にして直接に遊ばなければ作品として楽しむことができない、とふつう考えられている。 しかし実は、直接手にしなくともゲームが楽しまれる経路は存在する。例えば、ニコニコ動画における「ゲームプレイ実況」と呼ばれる一群の動画が、最近大きな支持を得た。いまや、国内で一四〇〇万アカウントを抱える動画サービス、ニコニコ動画の中でも非常に人気のある動画ジャンルの一つとなっている。 「ゲームプレイ実況」の動画とは、その名の通りゲームプレイヤーがゲームを遊びつつ、ゲームの展開について実況を交えて解説したり、驚きの声をあげたりする声が吹き込まれている動画だ。『スーパーマリオブラザーズ』シリーズなど、よく知られたゲームについては、概ねこうした実況の動画が存在している。動画の閲覧者は、自分自身がゲームを遊ぶわけでもないのに、二時間も三時間も食い入るように、どこかの誰かがゲームをしている風景を眺める。彼らはみな自らの手でゲームを遊ぶわけではない。ゲームというメディアを「遊ぶ」ことだけに焦点化して考えようとするとき、この事態は説明ができない。 ゲームとは、百人が遊べば、百様のプロセスが生じる。そこには、無数の展開が生まれ、『スーパーマリオブラザーズ』(以下、『マリオ』)や『テトリス』といった「作品」はそれらの展開を媒介するようなものとして機能しているだけだとも言える。プレイ実況の動画は、ゲームを遊ぶプロセスを一つの物語として見せている。実況動画という形で成立した、ゲームを介した物語を紡ぐ動画を一つの「作品」として数えるとき、ゲームというメディアは、それ自体も「作品」でありながら、それを媒介とした無限の「作品」を可能にするものだ。将棋というゲームがほとんど無限に近いプロセスを持つものだと語る人は多い。将棋は宇宙であるという人もいる。ゲームが無限をたずさえるメディアなのであるとすれば、無限の在り様について語ることは容易ではない。『マリオ』が生み出す一つのプロセスを経験することから、帰納的に『マリオ』のことを語ることはできても、未だ見たことのない『マリオ』の物語は無限に存在する。 さらには、どこかの誰かが勝手に『マリオ』のプログラムを改造した『改造マリオ』も大人気の動画の一つだ。この動画で遊ばれているマリオは、もはや任天堂がリリースした『マリオ』そのものではない。多くの部分で『マリオ』の要素を借りてはいるが任天堂の『マリオ』には存在しないマップ、存在しない効果音などが様々に埋め込まれている。しかし、これは確かに『マリオ』として楽しまれている動画だ。これが『マリオ』であると認識するとき、『マリオ』であるとは一体どういうことを指しているのだろうか? ■PLANETSチャンネルの月額会員になると…・入会月以降の記事を読むことができるようになります。・PLANETSチャンネルの生放送や動画アーカイブが視聴できます。  

井上明人『中心をもたない、現象としてのゲームについて』特別編 認知的作品 〈いま・ここ〉を切り取ることをめぐって・前編

【特別対談】加藤貞顕(cakes)×宇野常寛「テキストコミュニケーションとかつて〈本〉と呼ばれたものの未来について」(PLANETSアーカイブス)

今回のPLANETSアーカイブスは、cakesやnoteを運営する株式会社ピースオブケイク代表取締役CEOの加藤貞顕さんと宇野常寛の対談をお届けします。「メディアビジネスの未来」をテーマに、『PLANETS』の歴史を振り返るとともに、情報環境の変化や、その中でこれからの時代に求められるコンテンツの形について語り合いました。(構成:大山くまお/初出:「cakes」メディアビジネスの未来【特別編】)※この原稿は2016 年4月29日に配信した記事の再配信です。 最初は自己実現、能力の証明の手段だった 加藤 今回は、「メディアビジネスの未来」というテーマで、宇野さんにお話をお伺いできればと思います。現在は評論家としての活動のほか、PLANETSという会社を立ち上げて、雑誌『PLANETS』の刊行や有料メルマガ「ほぼ日刊惑星開発委員会」の発行など、さまざまな活動をされています。 まずは、『PLANETS』というメディアの始まりから、今に至るまでのお話を教えていただけますか? 宇野 雑誌の『PLANETS』を最初に作ったのは、もう10年くらい前ですね。当時、京都で普通に会社員をしていたんです。でも物書きをしたい、自分でメディアを作りたいという気持ちが強くなっていて。東京の出版業界に強いコネクションがあったわけでもなく、地方にいるので情報発信の仕事に就くのは難しい。でも、もし自分で雑誌を作って、それが売れたら、自分たちの能力の証明になるんじゃないかと考えたんです。 それで、僕がおもしろいと思っている書き手の人たちに声をかけて、ウェブサイトで評論活動を始めました。その集大成として作った雑誌が『PLANETS』です。 加藤 当時は、宇野さん、27歳くらいですよね。僕、『PLANETS』が創刊されたころのことを覚えています。いきなり、おもしろいことをやっているコンテンツ群がネット上に現れて、雑誌まで出してしまう。ぼくは当時、出版社の編集者だったんですが、なんだこれは、と思いましたよ。『PLANETS』は、最初からビジネスにするという気持ちで立ち上げたのですか? 宇野 いや、そういうわけでもないですね。当時は「自分たちの方が東京の業界人よりアンテナも高いし、おもしろいものが作れるんだ!」という強い気持ちがあって作ったんですけど、今思うと、若さゆえの過ちですよね(笑)。でもね、案外間違ってなかったとも思います。実際、本屋に並んでいる雑誌に同世代の書き手がちらほら載り始めて、まあ、端的に言ってまったく面白くなかったんですよね。だから「これは自分たちでやった方がいい」と思ったんです。僕は昔から、文句ばっかり言って自分では手を動かさないという人たちが一番嫌いなので、自分たちでやってみようとすぐ思ったわけです。 じつは『PLANETS』を作る前、学生の頃の同人サークルのつながりで知り合った編集者に「僕はそこらへんの人たちより、おもしろいものが書けるので仕事をください。その証明のために、僕たちはこれからホームページを立ち上げるし、雑誌も作ります」とメールしたんですよね。 加藤 メールでそんな宣言をしてから『PLANETS』を作ったんですか! かなり気合いが入ってますね。しかも当時、会社員だったんですよね。 宇野 会社員です。出版に関してはほとんど素人でした。当時の直属の上司が、やはり会社員しながらペンネームでずっと本を書いている全共闘世代の人で、彼の影響も大きかったですね。 加藤 へええ。その創刊号は売れたんですか? 宇野 最初は、形になればいいというくらいの気持ちでした。創刊号は200部刷って売り切れたので150部増刷して、これも売り切れました。「よかったよかった、これで次の号も作れるね」くらいの話しかしていなかったと思います。 その後、部数を増やしていき、中身もどんどんやりたいことを妥協せずに放り込んでいった。制作費は全部僕が出していましたけど、最初の頃はみんな手弁当で、儲かったお金は全部他の号につぎ込むという形でしたたね。 加藤 それから『SFマガジン』の編集者から声がかかって、最初の単著『ゼロ年代の想像力』につながったんですか? 宇野 はい。『PLANETS』が売れ始めて、東京の出版社からお仕事をもらうようになった頃、以前に僕がメールを出した編集者の方が『SFマガジン』の塩澤編集長を紹介してくださったんです。そのとき、かなりゴツい企画書を持ち込んで売り込みました。字数的には1万字近い連載プランのような企画書でした。 ■PLANETSチャンネルの月額会員になると…・入会月以降の記事を読むことができるようになります。・PLANETSチャンネルの生放送や動画アーカイブが視聴できます。  

【特別対談】加藤貞顕(cakes)×宇野常寛「テキストコミュニケーションとかつて〈本〉と呼ばれたものの未来について」(PLANETSアーカイブス)
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