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「山スカート」はなぜ生まれたのか? アウトドア誌「ランドネ」創刊編集長・朝比奈耕太に聞く ファッションとライフスタイルの接近(PLANETSアーカイブス)
2019-05-02 07:00550pt
今朝のPLANETSアーカイブスは、「ランドネ」の創刊編集長・朝比奈耕太さんのインタビューをお届けします。近年、レジャーの一環としてアウトドアはすっかり定着し、高機能の登山用ウェアを街中で着ている人たちも珍しくなくなりました。2009〜2010年ごろには「山ガール」という言葉も話題となり、ファッションとアウトドアの垣根はますますなくなりつつあります。今回はそのファッションとアウトドアという2つの「文化」を結びつけ、登山やキャンプ初心者のバイブルとなったアウトドア誌「ランドネ」の創刊編集長である朝比奈耕太さんに、文化としてのアウトドアウェアの歴史を聞いてきました。(取材:小野田弥恵 構成:小野田弥恵、中野慧) ※この記事は2015年6月24日に配信された記事の再配信です。本記事のタイトルに誤記があったため、修正して再配信いたしました。著者・読者の皆様にご迷惑をおかけしましたことを深くお詫び申し上げます。【5月2日22時30分追記】
▲「ランドネ」創刊編集長の朝比奈耕太さん
■ アウトドア不遇の時代だった90年代後半から、「フィールドライフ」の創刊へ
――ランドネは現在に続くアウトドアブームの火付け役だと思うのですが、その創刊を手掛けた朝比奈さんは、そもそもなぜ「女性向けのアウトドア誌」を作ろうと思ったんでしょうか。
朝比奈 僕が最初にアウトドアに興味を持ったのは、もう20年近く前の1997年、シーカヤック(*1)の雑誌を制作したことがきっかけです。取材で奄美大島諸島を一週間かけてシーカヤックで周ったんですが、それはもう震えるほどの体験でした。無人島にテントを設営して、薪を集めたき火をし、海に潜って魚を突いて、じゃんけんで負けたらカヤックを漕いで商店までビールを買いに行く。「こんなに楽しいことがあるんだ」とすごく感動して、それ以来「雑誌の力でもっと多くの人たちをアウトドアに巻き込みたい」と思うようになりました。
その雑誌は休刊となってしまったんですが、他ジャンルの雑誌をつくりつつ、「アウトドア誌を作りたい」と会社にプレゼンをし続けていました。ですがタイミングが悪く、90年代後半から2000年代前半ってアウトドアが下火になった時期だったんです。ショップもメーカーも規模を縮小して、90年代まではたくさんあったアウトドア誌も数えるほどになってしまっていました。
そんなときに「R25」(*2)が2004年に創刊してフリーマガジンのブームが起きたのを見て「同じように広告料だけで無料のアウトドア誌をつくれないか」と思い立って制作したのが、今年で12年目になる「フィールドライフ」です。それから数年後に「ランドネ」を創刊できたのも、この雑誌が支持されたことが大きいですね。
(*1)シーカヤック…カヌーの一種で、シャフトの両端に水をかくパドルがついており、カヌーに比べ小ぶりで小回りの効く艇のことを「カヤック」と呼ぶ。川や湖などフィールドによってタイプが異なり、海で利用するものを「シーカヤック」という。海上散策から数泊に及ぶキャンプツーリングまで、用途に分けて艇の型もさまざま。
(*2)R25…リクルートホールディングスが発行する、25歳以上の男性をターゲットにしたフリーマガジン。2004年7月に創刊し、首都圏の主要駅や都心10区のコンビニ、大手書店などで無料配布されている。同年3月に期間限定配布したところ人気が出たため、創刊に至った。
――「フィールドライフ」といえば、よくショップに置いてある、アウトドアユーザーにはお馴染みのフリーマガジンですよね。
朝比奈 はい。最初は2〜3万部のスタートでしたが、おかげさまで現在は平均10万部ほどを刷って、たくさんのショップに置いてもらっていますね。
▲「フィールドライフ」1号目では、キャンプ、カヤック、クライミングなどを取り上げている
――「フィールドライフ」では、どういう人をターゲットにしていたんですか?
朝比奈 本当の意味での「初心者のユーザー」をターゲットにしていました。エイ出版社は「趣味の雑誌」をキーワードにいろんな雑誌・本をつくっていますが、雑誌を買ってくれるのってその趣味にエントリーしてから1〜2年目の人たち、つまり「初級〜中級者」が多いんですよ。始めようか迷っている本当の初心者の人たちは、数百円出してまで有料の雑誌を買わない。でも「フィールドライフ」は無料にすることで、逆に初心者に向けてつくることができたんですね。
――なるほど、それまでアウトドア誌では「初心者向け」のものが作りづらかったんですね。
朝比奈 それともうひとつ「フィールドライフ」が良かったのは、広告費さえ集まれば好きなように特集を組めることでした。山の雑誌って普通は「初夏に北アルプス特集をして、秋前に八ヶ岳の特集をする」というように季節ごとの制約があるんですが、そういった縛りがないので自由に遊び方を提案することができたんですね。
■ アウトドア人口拡大のカギは「女性」
朝比奈 僕が「フィールドライフ」で目指していたのは「アウトドア人口の拡大」でした。でも、どうしても越えられない壁として「女性ユーザーが増えない」ということがありました。自然のなかには虫もいるし、お風呂に入れないし、日焼けもするし、トイレだって不自由しますし、それらを解決する術(すべ)は基本的にないわけです。
ただ、そのハードルさえクリアすればもっともっと楽しいことが待っている――そのことを伝えたかった。そこで女性をイメージキャラクターにして表紙に登場してもらい、2年間色んなフィールドでアウトドアを経験し、どんどんスキルアップしていく姿を紹介していきました。1年目は国井律子さんに、その次はモデルのKIKIさんに登場してもらいました。そうやって地道にやっていけば女性のアウトドア好きも増える……と思っていたんですが、でもなかなか右肩上がりというわけにはいきませんでしたね。ようやく変化が見られるようになったのは2007年ぐらいのことです。
▲アイコンとなる女性モデルはあらゆるアウトドアをおよそ2年かけて経験し、成長して、次世代へ交代していく
――それは、どんなきっかけだったんでしょうか?
朝比奈 アウトドア業界にも、自動車業界でいうところの「モーターショー」のような国際規模のショーがあるんですが、そこで2007年ぐらいに急に女性向けのアウトドアブランドやラインが一斉に増え出したんです。カラーリングも彩り豊かになり、機能の面でも、バックパックなら女性のバストを締め付けない構造のストラップが登場したり、ウエアならウエスト部分を細く、ヒップ部分に余裕を持たせるような女性の身体を考慮したものが目立つようになりました。
それまでの女性用アウトドアギアって、男性市場のおまけくらいの位置づけで、ウエアも男性用のダウンサイジング版でしかなかったんです。もともと北米やヨーロッパって、日本に比べると女性のアウトドア人口は多かったんですけど、この時期から明らかに女性市場を拡大しようとする動きが起きていましたね。
■ 「山スカート」の誕生(2006年頃)
――この時期に女性市場を開拓する動きが出てきたのはなぜなんでしょうか。
朝比奈 ひと昔前に流行っていた「LOHAS(ロハス)」の一環で、健康的な生活をするべく公園でヨガをしたり、森のなかをハイキングしたりする女性が急増したのを受けて、2005〜2006年ごろからアウトドアメーカーが動き出したんだと思います。
この動きに気づいてすぐ、アウトドアメーカーの人たちに「来季はもう少し女性向けのウェアを拡大できないか?」と言って回ったんですが、その時期はまだ「売り場にスペースがないから……」と断られてしまうことが多かったですね。
そうこうしているうちに、「クラウドベイル」というブランドの来季商品にランニング用スカートが出ているのを発見して、「このスカートで山登りをしてみるのはどうだろう」と思ったんです。
――数年後に、「山ガール」と呼ばれる女性たちが高尾山などでこぞって履くようになった「山スカート」の原型ですね。
朝比奈 他ブランドでも似たようなものはいくつかありましたが、当初は山専用ではなかったと思います。初めはなかなか受け入れられませんでしたね。誰に話しても反応は良くなかったし、結局女性用の商品が広く市場に出始めたのはそれから2年後のことでした。
――以前取材したスポーツ/アウトドアショップのオッシュマンズの角田さんも、ランスカートについて「最初は全然受け入れられなかった」とおっしゃっていました。今ではすっかり当たり前になりましたが、「山スカート」も同様だったんですね。
▲のちにランドネで紹介されるようになった山スカート。カラフルなタイツと組み合わせる
■「アウタージャケットを1week着回し!」参考にしたのは女性ファッション誌
――そんな空気のなかで朝比奈さんは2009年に「ランドネ」を創刊したわけですが、どうやってそこまで漕ぎ着けたんでしょうか?
朝比奈 2008年に「フィールドライフ」の書店売り版としてアウトドアギアのカタログ号を作って、そのなかで「Out Girls」という企画を綴じ込みでやったんです。友人の編集者・福瀧智子さんが「女性向けのアウトドア誌を作りたい」と提案してくれていたのを受けて作ったものです。これが好評だったので、ようやく会社で企画が通って、女性向けのアウトドア誌として「ランドネ」を創刊することになりました。
▲ランドネの原型は、フィールドライフの綴じ込み企画だった
――雑誌の当初のコンセプトはどういうものだったんでしょうか?
朝比奈 朝比奈 ショッピングや美味しいものを食べに行くのと同じくらいの感覚で、ピクニックやキャンプに行ってくれたらいいなと思っていて、女の子を振り向かせる手法としてカラフルな「アウトドアファッション」を取り上げました。
僕個人は実践的なアウトドアが好みなので「格好から入るというのはどうなんだろう」という思いはありつつ、でもファッションがきっかけで自然の中で遊ぶ魅力に気づく人が増えてくれたらいいなと。だから当初の「ランドネ」はあえてアウトドア誌らしい作り方はしていなくて、当時人気のあった女性ファッション誌を研究して参考にしていましたね。 記事ではウエアを中心に紹介しつつ、コスメについても扱ったり、登山のみでなくあらゆるアクティビティを広く紹介したりして、今までにない広がりのあるアウトドア誌になっていたと思います。
――女性ファッション誌の作り方というのは、たとえばどういう部分を参考にしたんでしょうか?
朝比奈 「一週間の着回しをアウトドアウエアをベースに紹介する」というようなものです。中心は「街のアウトドアファッション」的なものでした。
▲女性ファッション誌ではよく見かける「1週間着回しコーデ特集」。”アウトドアウエアでハイキング”は、休日のお楽しみという位置づけになっている
――「アウトドアウエアを日常着としても活用しよう」という提案なわけですよね。
朝比奈 やっぱり「日常着でも使えるよ」ということをどうしてもアピールしないといけなかったんです。例えば登山の必須道具であるレインウエアは、高価なものだと5万円以上します。その値段だと購入までのハードルが高くなってしまう。だから、「日常使いもできます」というアピールが重要だったんですね。
■ 野外フェスから高尾山へ、そしてさらなる高みへ
朝比奈 それと初期の「ランドネ」の特徴のひとつに、さっき言った「山スカート」の提案があると思います。この頃にはメーカーさんも「女性のアウトドアブームの機運も高まっていますし、今度こそやりましょう」という流れになっていて、すんなり受け入れてもらうことができました。
僕達が最初に提案したのは、クライミングの聖地であるカリフォルニアのヨセミテで、80年代にクライマーたちの間で流行ったファッションでした。スカートやショートパンツに柄物のタイツを組み合わせた派手でクラシックなスタイルです。
▲サイケデリックなタイツを、スカートやショートパンツに合わせる
▲80年代のカリフォルニアのクライマースタイル。ヴィヴィッドカラーが眩しい。(40 Years of American Rock - Climbing | Climbing より)
――原色使いで、カラフルですね。女性としては、これを着て気分を上げたい気持ちがよくわかります。いつもの通勤服では地味に抑えている分、休みの日に自然のなかにいくなら、こういう色鮮やかな装いで気分を上げたいですよね。
朝比奈 当時の登山の世界ではこんなに派手な格好をする人はいなかったし、山のなかでおしゃれをするという発想自体が「あり得ない」ものでした。ただ、ウエアのデザインが派手なこと自体は悪いことではないんです。万が一遭難したとき、ウエアが派手なほうが発見されやすい。……という大義名分のもと、当時のランドネでは「カラフルな色の組み合わせでかわいくオシャレに登山を楽しもう」ということを提案していました。街のなかだと人目が気になるけど、山のなかでなら一層映えるし、何より「派手であればあるほど安全」という大義名分が背中を押してくれて、胸を張ってカラフルな格好ができるわけです。
▲「街中では人目が気になるけど、山中でなら…」という思い切りと、「派手なほうがリスク管理につながる」という大義名分が後押しする
――初期のランドネには、野外フェスのレポートも多いですよね。
朝比奈 朝比奈 ランドネが創刊した2009年ごろは、すでに野外フェスブームでした。音楽だけを楽しむのではなくて、よりアウトドア志向の、キャンプを伴ったかたちで行うフェスがある程度の市民権を得た時期ですね。
野外フェスでは雨具が必要だから、レインジャケットを購入する女性も多いし、バーナーやテントを購入する人もいる。これらはすべて登山でも活用できるものばかり。だから「山でも使ってみようよ」という提案ができる。そのため、当初はフェスの特集にもかなり力を入れてやっていました。
そうやってフェスに参加していた女性が、今度は一気に高尾山へ押し寄せた、という感じではないかなと思っています。つまり山に入った女性の第一波は、野外フェスですでにギアを揃えた人たち。第二波で、純粋に登山がしたくてウエアを購入した、という女性が入ってきたんだと思います。
▲野外フェスでも、登山でも、はじけるようにカラフルな装いが目立つ
――今見ると、彼女たちの装いは「森ガール」にも近い気がしますね。
朝比奈 「〜ガール」というのが流行ったのは2008年ごろからで、「山ガール」と言われだしたのもこのころです。
――「山ガール」という言葉を最初に使ったのは、やはりランドネなんですか?
朝比奈 いえ、ランドネでは一度も「山ガール」という言葉を使ってないんですよ。やっぱり流行り言葉になってしまうと消費スピードも早くなってしまいます。一過性のブームで終わらせたくはなかったんです。
■ ブーム定着後のネクストステップ――登山情報のニーズの高まり
――野外フェスを通じて登山を始めたり、アウトドアファッションを通じて登山を始めたりした女性は、どんな人たちだったんでしょうか。
朝比奈 普段は運動をまったくしない「文化系」の子たちが圧倒的に多かったですね。もともと運動が好きな子は自分でどんどん開拓していってしまいますから。あと、登山はウエアやギアを揃え、さらに交通費や宿泊費も含めるとどうしてもお金がかかるので、働いていて自分である程度自由にお金を使える、20代後半から40代前半の方が多かったですね。これは創刊から今も変わらない傾向です。
――20代後半以降なんですね。やっぱり、20歳すぎの女子大生くらいだと、なかなか山に登るところまでは行かないですよね。
朝比奈 アウトドアは街のなかで遊ぶことに飽きてきたころになってやっと「楽しいな」と思えるものなので、20代前半ぐらいだとまだその魅力に気づきにくいのかもしれません。
――メインの読者はやっぱり都市部に住んでいる方が多いんでしょうか?
朝比奈 最も多いのは関東近郊で、あとは大阪などの都市圏が中心です。大型書店があることも大きいと思いますが、そもそも山の近くに住んでいる人たちは外遊びを欲しないというのもありますね。実際、山が好きで麓に移住した人も、案外山に行かなくなっちゃうんですよ。ないものねだりというか、都会で仕事をしていてストレスを感じれば自然が恋しくなるし、その逆もまた然りなんでしょうね。
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音楽フェス、都市型バーベキュー、フリークライミング――〈アウトドア〉は社会をどう変えたのか(アウトドアカルチャーサイト「Akimama」滝沢守生インタビュー・後編) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.617 ☆
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音楽フェス、都市型バーベキュー、フリークライミング――〈アウトドア〉は社会をどう変えたのか(アウトドアカルチャーサイト「Akimama」滝沢守生インタビュー・後編)
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2016.6.14 vol.617
http://wakusei2nd.com
今朝のメルマガでは、音楽フェスからアウトドアまでを幅広く扱う情報サイト『Akimama(アキママ)』を運営する株式会社ヨンロクニ代表・滝沢守生さんへのインタビュー後編をお届けします。前編のテーマは「アウトドアと音楽フェスの歴史」でしたが、今回は「フェス以降」のアウトドアがどうなっていくのかについて、さらに深掘りして伺いました。
前編はこちらのリンクから。
▲Akimama アウトドアカルチャーのニュースサイト
▲Akimamaを運営する株式会社ヨンロクニ代表・滝沢守生さん(写真:編集部)
◎聞き手・構成:小野田弥恵、中野慧
■フェスのユーザーマッピングと、ブームのゆくえ
――いまの日本の各フェスのユーザー層は、それぞれどう色付けできるでしょうか。
滝沢 出演しているアーティストにかなり依存してますよね。フジロックに行く層は、洋楽好きなロック層ですからちょっと世代は上がりますし、J-POPを聞いているような若い子たちはなかなか参加しづらいかもしれません。
千葉と大阪で日替わりで開催されているSUMMER SONICは、洋楽も邦楽もメジャーアーティストのおいしいとこ取りができて、しかも都市型。日本で最もユーザーの年齢層の幅が広いフェスだと思います。ただ、会場の半分は屋内ですからインドアです。逆に言えば装備がいらないから参加しやすいんですね。
それと、洋楽は知らないけど日本人アーティストが好きな若い子たちが一番入って行きやすいのは、茨城県のひたちなか海浜公園で開催されているROCK IN JAPAN FESTIVALですね。日本人アーティストのみのラインナップで、天候もフジロックのように荒れることが少ないので装備もほとんど要らず、トイレ等の設備も整っているので敷居が低い。参加者も、どちらかというと街場のライブにも行くような子たちですね。他にも、中小規模のフェスはどんどん増えています。
――そうして成熟してきたフェスブームは今、もしかしたら曲がり角にきているのかなと思ったのですが。
滝沢 ええ、来ていると思いますね。イベントはすでに飽和状態で、特色を出せなければ淘汰されていくと思います。成功例でいえば「GO OUT JAMBOREE」などでしょうね。ここでやっているのはキャンプインに特化した、おしゃれキャンパーフェスというものです。買い物をメインにしつつ、ラインナップは多くはありませんが、今のフェスの中心にいるような旬なアーティストをブッキングしています。
昔は「夏フェス」と呼ばれていましたが、実は今、夏にやるイベントってそれほど多くなくて、それよりも、春や秋の方が多いんです。3月から11月の終わりまで、至るところでフェスをやっていますね。
地方フェスの場合は、全国的な知名度はないけれど地域でちょっと有名な先輩バンドをいっぱい呼んで、自治体とも組んで「地域のお祭り」へと押し上げようとしています。イベントは収支がないと立ち行かないものですが、それだけを追いかけていてもダメで、身の丈にあった規模で、町興しの側面にも気を配りながら時間をかけてファンを作っていくようなイベントは残っていくでしょうね。
野外フェスは、登山、カヌーなどのアウトドアアクティビティのいちジャンルとしてすでに定着したと思います。一方で、フェスがこれからどれだけ淘汰されるかはわかりません。フジロックだってなくなるかもしれない。けれど、フジロックがなくなったとしても、夏のアウトドアのイベントとして、これからもフェスは供給され続けていくと思います。
――アウトドア全般におけるユーザー層もどんどん変化していますよね。登山でも、以前に比べて親子連れをよく見かけるようになったし、フジロックでもファミリー層がぐっと増えてきています。
滝沢 フジロックは今年で20周年になるので、20年前に二十歳だった人はもう今は40歳。そうなると小学生くらいの子がいてもおかしくない世代だから、そろそろ「じゃあみんなでフジロックに行ってみようか」ということが当たり前に起きる。フェスとファンが一緒に成長して、次世代につながっていく。実は親子3世代で来ている人もいたりして、これは他のフェスでは見られない現象ですね。
――家族の恒例行事というか、まるで冠婚葬祭のようなものになり始めていると。
滝沢 やっぱり、フェスは新しい「お祭り」の形なのかな、と思います。フジロックがあと10年〜20年続けば、もっとトラディショナルなお祭りになる気もしますね。ただ、「アウトドアは不況のときに流行る」とよく言われるので、時代の流れ次第でどう変化していくかはまだまだわかりません。
▲フジロックのメインステージである「グリーンステージ」(写真:sumi☆photo)
――ちなみにフェスの新たな動きといえば、2015年にお台場で開催され3日で9万人を動員した「ULTRA JAPAN」のような試みもありますよね。
滝沢 今は世界的にEDMブームですから、遅かれ早かれああいった流れは日本にも必ず来ると思っていましたし、「ULTRA」のような音楽イベントは今後もっと大きくなる可能性はあると思います。ただ、EDMフェスは「踊る」という機能に特化したもので、そこにはアウトドア的なペーソスがもともとないですから、EDMとアウトドアが結びつく可能性は低いんじゃないかな、と思います。
――なるほど。当初、アウトドアと音楽という2つのジャンルが「フェス」という旗印のもとに合流することで大きなムーヴメントになっていったと思うのですが、その2つが今また分かれようとしている――「ULTRA」のようなEDMフェスの隆盛は、そのことを象徴しているのかもしれないですね。
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音楽フェス、都市型バーベキュー、フリークライミング――〈アウトドア〉は社会をどう変えたのか(アウトドアカルチャーサイト「Akimama」滝沢守生インタビュー・前編) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.595 ☆
2016-05-19 07:00550ptチャンネル会員の皆様へお知らせ
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音楽フェス、都市型バーベキュー、フリークライミング――〈アウトドア〉は社会をどう変えたのか(アウトドアカルチャーサイト「Akimama」滝沢守生インタビュー・前編)
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2016.5.19 vol.595
http://wakusei2nd.com
これまでPLANETSメルマガでは、スポーツ・アウトドア・ファッション・ライフスタイルが渾然一体となった新たなカルチャーの輪郭を描き出すべく、いくつかの記事を不定期で配信してきました。今回は、1970年代〜現在までのアウトドアの歴史を「野外音楽フェス」を軸に紐解いていこうと、音楽フェスからアウトドアまでを幅広く扱う情報サイト『Akimama(アキママ)』を運営する株式会社ヨンロクニ代表・滝沢守生さんにお話を伺いました。
《これまでの本シリーズのダイジェスト》
近年、都市住民を中心としてランニングやヨガやフリークライミング(ボルダリング)、登山などのアウトドア・アクティビティを生活やレジャーに取り入れる動きが活発化しています。かつてはスポーツといえば学校の球技系部活が中心となっていましたが、個人でも取り組めて、かつ「競う」のではなく「楽しむ」趣味の一貫として、または運動不足に悩むデスクワーカーたちが健康維持のために行うものとしてのスポーツが存在感を増しています。水面下で起こっているこの巨大な変化を私たちはどう捉えればいいのだろう――そんな問題意識から、このシリーズはスタートしました。
最初にPLANETS編集部は、「ライフスタイル化するスポーツとアウトドア」の様々なギアをパッケージングして販売し、好評を博しているスポーツセレクトショップ「オッシュマンズ」の営業計画・販売促進担当マネージャー・角田浩紀さんにお話を伺うことにしました。
都市生活とスポーツの融合が生み出す”新たなライフスタイル”とは!? ――「アメリカ生まれのスポーツショップ」オッシュマンズを取材してみた
角田さんによれば、「今の東京の都市生活者たちのライフスタイル・スポーツの文化は、アメリカの東海岸と西海岸の文化を融合させた独自のものだ」とのこと。さらに、アウトドアウェアのような機能性の高い服を日常着として着る文化はアメリカ発であるものの、そこにさらに「ファッションとしての文脈」を加えたのは、80年代の日本のファッション業界だったようです。
そこで今度は、アウトドア&スポーツウェアが日常着として日本社会で受容された経緯について「ファッション」の側から明らかにすべく、BEAMSの中田慎介さんにお話を伺いました。
「日常着としてのアウトドアウェア」はなぜ定着したのか? ――アメカジの日本受容と「90年代リバイバル」から考える(BEAMSメンズディレクター・中田慎介インタビュー)
中田さんによれば、カウンターカルチャー全盛の60年代アメリカでは、スーツをはじめとしたビジネススタイルへの反発からワークウェアがヒッピーたちの支持を得た、とのことでした。「文脈の読み替え」として、機能的な服がファッション文化において意味を持つようになったのでした。
さらに、アウトドアウェアの日本受容が進むなかで、日本の80年代以降の「DCブランド」的な感覚の延長線上で「ファッションアイテム的なモノ」として位置付けられたことが、文化の拡大において大きな役割を果たしたそうです。
一方で、純粋なアクティビティとしての「アウトドア」の側面からは、現在までの状況をどう捉えられるのだろうか、という疑問も浮かびます。そこで今度は、アウトドア誌「ランドネ」(エイ出版社刊)の朝比奈耕太編集長にお話を伺いました。
「山スカート」はなぜ生まれたのか? アウトドア誌「ランドネ」編集長・朝比奈耕太に聞くファッションとライフスタイルの接近
かつては男性の趣味と思われていたアウトドアが女性に人気となり、メディア上で「山ガール」と名付けられ話題になったのは2009〜2010年ごろのこと。もともと運動に無縁の「文化系女子」たちがカラフルなウェアに身を包み、続々とアウトドアに参入していくようになりました。その結果、昔ながらの登山者たちとの対立構図なども生まれつつ、アウトドア・アクティビティの楽しみ方は多様性を増していっている、とのことでした。
ここまで3人の方に取材を重ね、なかでもオッシュマンズの角田さん、「ランドネ」の朝比奈さんが口を揃えて語っていたのは「アウトドアブームの拡大にはフジロックが大きな役割を果たした」ということでした。
そもそも「文化系」のものである音楽フェスがきっかけとなってアウトドアへの入口が大きく開いたとすると、「フェスを中心としたアウトドアの歴史」も描くことができるのではないか。そんな関心から、今回は音楽フェスからアウトドアまで幅広く扱う情報サイト『Akimama(アキママ)』を運営する株式会社ヨンロクニ代表・滝沢守生さんにインタビューをお願いすることにしました。
*
『Akimama』は、フェスや登山、キャンプなど、アウトドアに関する情報を網羅するウェブメディアとして2013年よりスタートしました。運営は、これまで20年以上アウトドア業界に携わってきた編集者、ライター、カメラマンなど、その道のエキスパートたちによって行われています。自らの視点と自らの足で入手した一次情報をいち早くニュースとして配信、ビギナーからベテランまで幅広いアウトドアユーザーに、オンリーワンな情報ツールとして親しまれています。
サイトを立ち上げた代表の滝沢さんは、山岳専門誌を出版する「山と溪谷社」に勤務、その間、1976年に創刊された月刊誌『Outdoor』にて6年間編集デスクを務め、その後、独立。これまで数多くのアウトドアメディアに携わるだけでなく、フジロックのキャンプサイトの運営責任者を10年務めるなど、野外イベントの制作・運営などもを行うアウトドア業界の第一任者として広く活躍されています。そこで、アウトドアカルチャーの歴史と変遷を熟知する滝沢さんに、1970年代に日本にはじめて到来したアウトドアムーヴメントから2000年代のフェスの隆盛までを振り返っていただきながら、これからのフェスやキャンプ、アウトドアブームはどう変化していくのかについて、お話を伺いました。
◎聞き手・構成:小野田弥恵、中野慧
▲Akimama アウトドアカルチャーのニュースサイト
■思想と分離された70年代のアウトドアファッション
――『Akimama』は、アウトドアのなかでは気軽なフェスから、登山、クライミング、バックカントリー、女子も気になる “アウトドアごはん”に“ファッション”など、アウトドアカルチャー全体の旬な情報を発信していますよね。「なんとなくアウトドアに興味がある」という人でもとっつきやすい一方で、山岳ガイドや専門店のスタッフによる寄稿など、読み応えのある記事も多い充実したメディアだと感じています。
滝沢 ありがとうございます。もともとは、僕がアウトドア雑誌で編集をしていたときから一緒に仕事をしていた仲間のライターやカメラマンらと「ウェブで自分たちのアウトドアのメディアを作れないか」とよく話していたのがきっかけです。「出版不況だし、紙ではなく、自分たちの拾ってきたリアルな情報をニュースとして伝えるウエブメディアを作ってみよう」というようなノリで始めました。
誰もやっていないことをやりたかったので、今のところは非常に手応えを感じています。ただ、しっかりとお金を使って綺麗なデザインにしたり、SEO対策をしたりと、ウェブの世界で常套手段とされているようなことは、まだまだあんまりできていないんです。月に2回、編集会議と称して勉強会のような形で、いろいろな専門家の方を招き、サイトについての意見を聞きながら、ちょっとずつ自分たちも学びながらやっています。今も試行錯誤中、という感じですね。
――今日は「フェスを中心としたアウトドアの歴史」をテーマにお話を伺っていきたいのですが、まず滝沢さんが長年アウトドアメディアに携わってきたなかで、ご自身の印象としてアウトドア誌が最も盛んだったのはいつごろなんでしょう?
滝沢 雑誌『Outdoor』(山と溪谷社刊)が創刊されたのが1976年、『BE-PAL』(小学館刊)は81年ですから、70年後半から80年ぐらいが、日本のアウトドアの草創期ではないでしょうか。そもそも日本のアウトドアって1970年代のアメリカ西海岸のライフスタイルやグッズを紹介した『Made In USA Catalog』(マガジンハウス刊)の刊行をきっかけに、アウトドアグッズを組み合わせたファッションスタイル「ヘビーデューティー」の流行、つまりファッションの輸入によってもたらされたものなんです。
当時のカリフォルニアはカウンターカルチャーの絶頂期でした。もともと、1950~1960年代中盤のアメリカ西海岸では、ビートジェネレーションを背景に、資本主義やベトナム戦争に異を唱える学生や反体制運動家によって自然回帰を求める「バックパッキング革命」が起こっていました。東海岸のエスタブリッシュな人間が、自然への回帰やエコロジーの思想を求め、バックパックに荷物を詰めて都市から荒野へ旅に出よう、というものです。そういった思想を背景に広がったのがアメリカのアウトドアムーヴメントだったんです。
しかし1970年代に日本に輸入されたのは、アウトドアのなかのファッションやギアのみで、思想は二の次、ともいうべきものでした。アウトドアのアイテムは、当初は「新しいファッションアイテム」という側面が注目されたんですね。一方で、フライ・フィッシングやバックパッキングなどの目新しいアクティビティは、輸入されると同時に、スタイルとともに、その思想もしだいに広まっていきました。
▲Akimamaを運営する株式会社ヨンロクニ代表・滝沢守生さん(撮影:編集部)
■日本の元祖山ガールは、戦前の女学校登山?
――日本におけるアウトドア文化の受容の初期段階において、「ファッション」の部分が先行していたわけですね。独特でとても面白い現象のように思います。そもそも70年代まで、「アウトドア」という言葉は日本にはなかったということなんでしょうか?
滝沢 そうですね。1978年に出版された子ども用のキャンプ読本などを読んでも、「アウトドア」の「ア」の字も出ていないんですよ。ただ、「アウトドア」という言葉がなくても、すでに行為そのものは成立していました。今でこそ、山に登る女性を「山ガール」と呼んだりしてちょっと特別な現象のように言いますけど、実はそのルーツは戦前の「高等女学校【1】」なんですよ。今でも地方の学校で、年に一度、“学校登山”を行事として行っている学校もありますが、あれはもともと戦前の女学校でちょっとしたブームになって定着したものなんです。
【1】高等女学校:戦前の日本で、女子に対して中等教育(現在の日本の学校制度における中学校・高等学校の教育課程)を行っていた教育機関。主に12〜17歳の5年間を修業年限としていた学校が多い。
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「幸福」を再定義するための覚書(石川善樹『〈思想〉としての予防医学』第10回)【毎月第2火曜配信】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.536 ☆
2016-03-08 07:00220pt
本日は予防医学研究者・石川善樹さんの連載『〈思想〉としての予防医学』の最終回です。最終回のテーマは、やはり「幸福論」です。新しい学問を生み出したいと語る石川善樹氏の考える、新しい時代の「幸福」とは、一体どんなものなのでしょうか。
▼執筆者プロフィール
石川善樹(いしかわ・よしき)
(株)Campus for H共同創業者。広島県生まれ。医学博士。東京大学医学部卒業後、ハーバード大学公衆衛生大学院修了。「人がより良く生きるとは何か」をテーマとして研究し、常に「最新」かつ「最善」の健康情報を提供している。専門分野は、行動科学、ヘルスコミュニケーション、統計解析等。ビジネスパーソン対象の講演や、雑誌、テレビへの出演も多数。NHK「NEWS WEB」第3期ネットナビゲーター。
著書に『最後のダイエット』、『友だちの数で寿命はきまる』(マガジンハウス)など。
本メルマガで連載中の『〈思想〉としての予防医学』これまでの記事一覧はこちらのリンクから。
前回:無印良品に見る人生100年時代の生き方(石川善樹『〈思想〉としての予防医学』第9回)
来月のこの連載は、『イシューからはじめよ―知的生産の「シンプルな本質」 』の著者であり、ヤフーCSOでデータサイエンティスト協会の理事を務める安宅和人さんと石川善樹さんの特別対談をお届けします。お楽しみに!
今回で、この連載は最終回となります。
ここまでの連載で、私は21世紀の医学としての「予防医学」の話をしてきましたが、最後となる今回は私自身が予防医学に懸けている夢を語るところから始めたいと思います。
私は、新しい「学問」を作りたいと思っています。
学問を生み出すときには三通りのやり方があります。一つは既存の学問に少しずつ「微修正」を加えていくようなやり方で、とてもオーソドックスなものです。
もう一つは、「再構成」とでもいうべき手法で、複数の学問分野をくっつけて新しいジャンルを作る方法です。最近、量子論と生物学を組み合わせた量子生物学という学問の本を読んで大変に刺激を受けましたが、これなどはその典型だと思います。他にも近年、コンピュータサイエンスとソーシャルサイエンスを組み合わせたり、脳神経科学と経済学をくっつけたり、という学問が登場してきました。「境界領域」と言われるような学問ジャンルに、まさにこのタイプのものが多いといえるでしょう。
しかし、この二つのような既存のジャンルの組み合わせではない学問の生み出し方もあります。それが三つ目の「再定義」とでも言うべき手法です。例えば、クロード・シャノンは情報理論を生み出すにあたって、「情報とは何か?」を再定義しました。そんな抽象的なことに対して、「これは間違いないだろう」と思える原理原則から一歩ずつ歩みを進め、最終的には「情報量というものはこの数式以外では表現できない」といえるものを産み出して自分の学問を練ったのです。
無論、そんな学者は学問の歴史に数えるほどしかいないのですが、私なりに少々よこしまな考えを言ってしまうと、自分もそのような物事の「再定義」をする人間の一人になりたいものだと思っています。
では、私は何を再定義したいのか? ――それは、やはり「幸福」について、です。
第三回で私は、現代の幸福を考える際に従来の「幸せ/不幸せ」の一元的な「幸福」ではない、5つの指標の組み合わせで表現される「幸福」として、「Well being」という概念が登場しているという話を少しだけしました。
予防医学が考える「幸福論」(予防医学研究者・石川善樹『〈思想〉としての予防医学』第3回)
このWell beingを構想したのは、ポジティブ心理学の開祖として有名な、ペンシルバニア大学のセリグマン教授です。
▲マーティン・セリグマン (著), 宇野カオリ (監修, 翻訳)『ポジティブ心理学の挑戦 “幸福"から“持続的幸福"へ』ディスカヴァー・トゥエンティワン
彼は元々はうつ病や無力感を研究していたのですが、あるときにポジティブな心理についての研究をするようになりました。そうして彼が見つけたのが、まずは「Pleasure」「Meaning」「Flow」の3つの指標でした。「Pleasure」は「快楽」、「Meaning」は「意味」、「Flow」は行為に対する「没頭」で、最後の「Flow=没頭」がもっとも幸せ度が強い瞬間であると言われています。
ただ、その後の彼はこの3つからさらに拡張して、指標を5つに増やしました。具体的には、「Pleasure」を「Positive Emotion(肯定的な感情)」へと呼び方を変えて、さらに「達成」と「人間関係」を付け加えました。現在の彼はこの5つのバランスをとるのが「Well Being」であると考えているそうです。
セリグマンは、この5つの中で「人間関係」だけは他の4つの基礎であり欠かせないと言うのですが、残りの4つに関しては「自分にしっくり来るものを大事にすればいい」とも言っています。私はこの「Well Being」の考え方を聞いたときに、とても納得した覚えがあります。どれか一つを最大化させるよりも、自分がどういうバランスで各々の要素が配分されていれば心地よいのかが大事なのだというわけです。
実際、調査をしてみると、日本人は「意味」を大事にするひとが多いのですが、米国人は「没頭」を大事にする人が多くなります。おそらく、アメリカ人に幼少期から「個室」の文化があることの影響ではないかと思います。
また、年代によっても、各要素の重要性が変わっていく傾向があるように見えます。若いうちは「快楽」を大事にする人が多いですが、30代のあたりになると、多くの人が刹那的な感情の「快楽」よりも「意味」を大事にするようになります。そして老年期に入ると、人生の「意味」を考えるよりはむしろ「没頭」できる趣味を持つことこそが幸せにつながります。
この年代ごとの切り替えというのはとても難しいもので、どうも私には10年ほどの移行期が各々であるように見えます。しかも、現代では「快楽」から「意味」への移行がとても厄介です。これまでは会社や国家が若者に目標を与えることで、「意味」を授けることができました。しかし、現在は各々が自ら「意味」を見つけていかざるを得ません。この作業をいかにスムーズに行えるようになるかは、まさに今後の「幸福」を考える上で大事な課題です。
■ 幸せの再定義がなぜ必要になるか
その一方で、私は現在の「幸せ」という概念の根底を、しっかりと考え直したいとも思っています。
例えば、経済学の前提には「幸福は直接に測定は出来ないが、人間はそれをマキシマイズするように行動するはずだ」という考え方があります。人々の消費行動を追いかけることで最適化できるように、市場を作ろうという考え方は、まさにここに由来していると思います。
しかし、こういう「幸福」についての考え方は、私には現代の都市文化成立以前の発想であるように思えるのです。昔のように、定期的に開かれるバザールをぐるりと回って購買するような状況では、確かに人間が合理的に自分の行動を最適化していくのは難しくありません。しかし、現代はモノやサービスが溢れかえる時代です。到底、しっかりと見比べることなど出来ません。さらに、現代ではグローバルな取引がネットで瞬時に行われるようになりました。こうなると、もはや当時の状況とは前提がだいぶ違うのだと言わざるを得ません。
そう考えると、やはり現代の都市での生活を強く前提に置いた形での「幸せ」や「豊かさ」の再定義が求められます。
学問というのは、実はその時代時代で人々が求めるものの中で発達するものです。その意味で、世界はすでに人口の半分以上が都市に住むようになっています。そのような時代に、「都市」をベースに考える学問が大きな価値を持っていく可能性は高いはずです。
しかも、その都市部に住んでいる人が100年くらい生きるようになっていくわけです。そんな昔の人から見れば「奇跡」としか言いようのない状況で、私たちは上手いロールモデルを見つけられていません。
でも、それを見つけて、多くの人が知るだけでも、色々な人が変わっていく気がしています。
かつて「Health」という言葉が日本に入ってきたとき、福沢諭吉はそれに「精神」という訳語を当てました。以前にも話したように『養生訓』が、健康の定番の一冊としてありがたがられる国ですから、その影響もあったはずです。
しかし、こと長寿を目指すとなると、「精神」のありようこそが大きく影響をおよぼすのも事実です。これは冗談に聞こえるかもしれませんが、100歳を超えて生きる日本人が増えたのは、きんさん・ぎんさんがテレビで話題になって、一種のロールモデルを提供したから、という面もあるのではないかと私は思っています。それほどに生き方のモデルを知ることは、精神にとって甚大な影響を与えることなのです。
そう思うと、「幸福」「豊かさ」「よい生き方」などをこの時代に真剣に再定義していくのは、とてもワクワクする課題ではないでしょうか。
その意味で一つ重要になるのは、セリグマンがすべてのWell beingの根底にあるとした「人間関係」の、インターネットによる変化です。これもまた、現代の都市文化同様の、とても大きな変化であると思います。
実はこの話題、私自身が『友だちの数で寿命は決まる』という本や講演で、いかに「つながり」が人間の健康に影響を及ぼすかを語ってきたこともあり、とても多くの人から聞かれます。そこで私自身も一度しっかりと調べてみたのですが、その結果は――大変に驚くべきものでした。
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無印良品に見る人生100年時代の生き方(石川善樹『〈思想〉としての予防医学』第9回)【毎月第2火曜配信】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.515 ☆
2016-02-09 07:00220pt
今朝のメルマガは予防医学研究者・石川善樹さんの連載『〈思想〉としての予防医学』の第9回をお届けします。今回は、人間の他の霊長類との違いは何かから始まり、本当の豊かさとは何かを考察していきます。
▼執筆者プロフィール
石川善樹(いしかわ・よしき)
(株)Campus for H共同創業者。広島県生まれ。医学博士。東京大学医学部卒業後、ハーバード大学公衆衛生大学院修了。「人がより良く生きるとは何か」をテーマとして研究し、常に「最新」かつ「最善」の健康情報を提供している。専門分野は、行動科学、ヘルスコミュニケーション、統計解析等。ビジネスパーソン対象の講演や、雑誌、テレビへの出演も多数。NHK「NEWS WEB」第3期ネットナビゲーター。
著書に『最後のダイエット』、『友だちの数で寿命はきまる』(マガジンハウス)など。
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前回:「人生百年」時代、社会は二層構造になっていく?(石川善樹『〈思想〉としての予防医学』第8回)
さて、今回でこの連載も9回目になりました。
前回までは、予防医学とはどんな学問であり、そこからどんな社会の姿が見えてくるかを語ってきました。今回は少し私と予防医学の関わりから話してみたいと思います。
以前、私はハーバード大学に留学していたとき、心臓病の研究をしている先生に、こんなことを尋ねたことがありました。
「今の研究が全て上手くいって、心臓病がなくなったとする。そうすると次に人類はどうなるんですか?」
先生は少し驚いた表情になって、こう答えました――「そんなこと考えたこともないし、考える必要もない」と。しかし、本当にそうなのでしょうか。目の前の患者の治療がどう影響をおよぼすのかについて、やはりイマジネーションがないと言わざるをえないのではないでしょうか。当事の私は、「病気と戦っている自分を正義だと思い込んで思考停止しているのではないか」と思った記憶があります。
実際、予防医学でよく出てくる問題として、「一体、なにを予防しているのか」問題というものがあります。何かの病気を予防した結果が、かえって次の病気を呼び寄せる結果につながることは往々にしてあるのです。
例えば、タバコを吸っていると肺がんになって死ぬ確率が高まる――これはよく知られた事実です。しかし、たばこをやめた途端に今度は、心臓病で死ぬ確率が高まることはあまり知られていません。しかも、死ぬときの苦痛は心臓病のほうが遥かに大きいものです。ガンは一般的にずっと元気を保ったまま、最後の数ヶ月を苦しむというものですが、心臓病は死ぬまでに何度も苦痛を繰り返します。さらに言えば治療費も大量にかかるので、社会のコストの観点からは、正直なところタバコを吸って亡くなってもらったほうが“ありがたい”ということさえ言う経済学者もいます。
もちろん、だから喫煙を推奨したいというのではありません。つまりは何が害で何がメリットになるのかというのは、そう簡単に判断できないということです。実際、研究の場では、○○をすると「健康によい」という結果も「健康に悪い」という結果も両方出ることがしばしばです。一個一個の情報だけを追いかけていても、その情報がどこまで正しいのかはわからないのです。
ちなみに、そこで生まれたのが「メタアナリシス」という概念です。これは予防医学の現在の研究を考える上で最重要とも言える概念です。簡単にではありますが説明しましょう。
といっても、まさに名前の通り、メタに研究結果を分析するのがこの手法です。
これを使うと、一個一個の研究結果はバラついていても、それらを統合して分析することで各々の効果がどの程度のものかを理解することが出来ます。しかも、このメタアナリシスには「回帰分析」を適用することが出来ます。すると、この「メタ回帰分析」によって、ある予防方法がA人では効くがB人では効かないとか、大人には効くけど子どもには効かない、とかのように「誰にどのくらい効くか」が回答できるようになるのです。
言わば、「人間」に関する現象について何が本質的に正しく、何が間違っているかをかなりの精度で教えてくれる手法なのです。そして、この手法が重要なものとなってることからも分かるように、予防医学とは様々な分野の学問の成果を利用して判断を下すための学問なのです。
かつて、まだ科学者が自然哲学者と名乗っていた頃、アイザック・ニュートンにしてもガリレオ・ガリレイにしても、いろいろな学問を総合的に捉えることで世の中を理解しようとしました。専門分化が進んだのは、科学という概念が出てきてからのことです。しかし、今や総合や統合のほうが価値を持つ場面が世の中で登場し始めているのも事実です。予防医学とはまさにその典型であり、そういう時代の要請の中で注目を浴びている学問なのだと思います。
その意味で、私は科学者であるよりは哲学者でありたいと思っています。
一方で、そんな学問である予防医学に私が惹かれるのは、ある意味で性格の問題もあるように思います。
私は子供の頃から、「普通の人が何気なくやること」がよくわからない苦しみを抱えてきました。なぜ自分には毎日食事が三食当然のように出てくるのか、なぜクリスマスプレゼントやお年玉やお小遣いがもらえる家庭があるのか(私自身は一度ももらおうと思ったことがありませんでした)、そういう基本的なことがどうしても分からなかったのです。
「欲しいものはある?」と聞かれても、「自分が欲しいもの」が何かわかりませんでした。人に対して「ちゃんと考えろ」と言う人をみると、「ではこの人は“考える”ということを真剣に考えているのか」と思いました。端的に言って、私はどうも「人間がよくわからない」というところがあるのだと思います。
そう考えてみると、私自身の予防医学に懸ける情熱の根幹には、ただ「健康」を考えるだけではなくて、「人間とはなにか?」を知りたいという問いがあるように思います。
1.人間の本質は共同体間の贈与にある
人間とは何か?――この問いについては様々なアプローチがありますが、霊長類の研究から一つ面白い報告があります。それは300種類くらいいる霊長類の中で、人間だけが自分の子供でもなく同じコミュニティでもない、外のコミュニティに対してエサを「贈与」できるということです。
現在の研究では、初期の人類が長距離移動を可能にしたのは、この性質があったためだという仮説が立てられています。というのも、長距離移動を続けるためには立ち寄ったコミュニティで、食事を貰う必要があるからです。そして、この複数のコミュニティを長距離移動で繋いでいくことで、人は新しいアイディアを伝播させて、知性を発達させたのではないかと考えられているのです。
この話は大脳生理学からも裏付けられるものかもしれません。実は人間の脳は「困っている人を助ける」ことで、気持ちがポジティブになるという研究結果があるのです。
ちなみに、この研究結果の面白いところは、単に困っている人に「かわいそうに」と思うだけでは、むしろ気持ちがネガティブになってしまうことです。同情や共感だけでは、気持ちが落ち込むだけなのです。ところが、「この困っている人を助けてあげたい」と思うとき、人間の脳はとてつもなくポジティブに働き出すのです。
もしかしたら、人間の脳は「見ず知らずの赤の他人に贈与する」ことを喜びと感じるように進化していくことで、最適な生存戦略を獲得していたのかもしれません。
そもそも種としての人類の特徴は、必ずしも弱肉強食の社会ではないことです。霊長類の中でもサルなどは弱肉強食そのものですが、ゴリラなどは強者と弱者が対峙した場合でも食べ物やメスを譲りあうことがしばしばあるそうです。人間の社会もそういう「優しい社会」としての側面は、やはりふんだんにあるように思います。
面白いのは、この「困った人を助けることに喜びを覚える」機能をお坊さんたちが活かしていることです。
彼らは脳内でわざわざ苦しんでいる人々の姿を思い浮かべて、彼らを救いたいと考えます。そのことによって、実は非常に喜びにあふれたリラックスした状態を得ているのです。このリラックスした状態は、以前にもこの連載で書いた「マインドフルネス」そのものなのです。
しかし、近年の大脳生理学の研究でもう一つの面白い結果が浮かび上がってきました。
それは、お坊さんのような生活とは最もかけ離れたところにいる、エクストリームスポーツの選手たちが、どうもお坊さんと同じ脳の状態をつくりあげているようだということなのです。
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「人生百年」時代、社会は二層構造になっていく?(石川善樹『〈思想〉としての予防医学』第8回)【毎月第2火曜配信】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.492 ☆
2016-01-12 12:00220pt
今朝のメルマガは予防医学研究者・石川善樹さんの連載『〈思想〉としての予防医学』の第8回をお届けします。第7回で問題提起された「人生百年」時代の話題をさらに深めて、「個人」の生き方のみならず「社会」はどうなっていくかを考えます。
▼執筆者プロフィール
石川善樹(いしかわ・よしき)
(株)Campus for H共同創業者。広島県生まれ。医学博士。東京大学医学部卒業後、ハーバード大学公衆衛生大学院修了。「人がより良く生きるとは何か」をテーマとして研究し、常に「最新」かつ「最善」の健康情報を提供している。専門分野は、行動科学、ヘルスコミュニケーション、統計解析等。ビジネスパーソン対象の講演や、雑誌、テレビへの出演も多数。NHK「NEWS WEB」第3期ネットナビゲーター。
著書に『最後のダイエット』、『友だちの数で寿命はきまる』(マガジンハウス)など。
本メルマガで連載中の『〈思想〉としての予防医学』これまでの記事一覧はこちらのリンクから。
前回:「人生100年」時代にどう生きるべきか(石川善樹『〈思想〉としての予防医学』第7回)
まずは前回のまとめから始めましょう。
私は前回、人間の寿命が百年ほどに伸びる時代はそう遠くないと書きました。そのとき、私たちの人生設計は大きく変わらざるを得ません。なぜなら、これまでの人間にまつわるあらゆる思想や社会制度が、もっと人間の寿命が短い時代に作られたものだからです。
今回はその社会制度における変化のあり方について書きますが、前回は個人の生き方にフォーカスして話をしました。そこで私が比喩として出したのは、人生の季節です。まずは、そのおさらいです。
▲人生百年のカーブ
まず0歳から25歳までの人生は「春」です。以前に書いた『友だちの数で寿命は決まる』という本で、私はこの時期を「肉体的成長の時期」と名づけています。この時期は気力も体力も右肩上がりの時期で、正直なところ健康なんて言ってるよりも、どんどん仕事や遊びに打ち込むのでいいくらいの時期です。
続く25歳から50歳の時期は「夏」でした。人生の「盛り」にも当たるこの時期の役目は、「人生五十年」時代と同様にしてキャリアを充実させる時期であると同時に、「人生百年」時代ならではの“セカンドキャリア”の準備も求められてきます。
この時期を先の本では「精神的成長の時代」と書きました。気力や体力は、ここからどんどん衰えていきます。しかし、精神の成長はこの時期も上昇を続けます。だからこそ、ただ休養を取るだけではなくて、自分の精神的成長に繋がっていくような休養の取り方も大事になってきます。
■ 瞑想が誘う“デフォルト・モード・ネットワーク”
前回は自分で調べてくださいと書きましたが、せっかくですのでここで瞑想のやり方を教えたいと思います。と言っても、特に難しい方法ではないので、ご安心ください。
長いあいだ第一線で活躍している人に話を聞くと、驚くほど多くの人が瞑想を生活の中に取り入れています。それは、まさにこの「精神的成長」を持続的に続けていく上で、自分と向き合う必要が出てくるからです。また、このあとで解説するような「デフォルト・モード・ネットワーク」という、新しいアイディアが浮かびやすい状態に脳を持っていく効果もありますし、脳の疲れを取る効果もあります。
では、瞑想とはなにか。それは自分の脳を自在にコントロールするためのテクニックです。ダイエットのときなどの精神状態が分かりやすいですが、人間は基本的に自分の脳に騙されながら生きています。それをこちら側から制御していくテクニックと言ってもいいかもしれません。
瞑想でまず大事なのは椅子に座って背筋を伸ばして、姿勢を正すことです。その上でゆっくりと呼吸を整えます。理想は1分ほどかけて息を吐きだして、またスーッと吸い込む。これを繰り返すことに尽きます。とはいえ、実際には初心者には難しいので、明治大学の齋藤孝教授が推奨している、3秒で息を吸い込み、2秒息を止めて、15秒かけて息を吐き出すという「3-2-15法」あたりから始めていくのが良いのではないかと思います。
こうやって瞑想をしていると、頭の中に考えが湧いてきます。そこで重要なのが、何か一つのことを集中して考えるか、あるいは湧いてきた考えを次々に流すか、をすることです。
自分の考えを次々に流していくと、脳が先ほども言った「デフォルト・モード・ネットワーク」という状態に入ります。これはシャワーを浴びているときや、ランニングをしているときのように、普段だったら繋がらない記憶がパーンと繋がっていく状態です。
普段の私たちは理屈で物事を考えています。しかし、それは狭いネットワークの記憶を使って、何かに集中している状態でもあるのです。だから、自分の考えを次々に受け流せるようになると、頭の中で思わぬ繋がりが生まれてきて、クリエイティビティが上がっていきます。突然パッとアイディアが浮かぶ時というのは、基本的には特定の物事に集中していない状態なのです。
ただし、この状態は瞑想を通じてでなければ入っていけないものではありません。たとえば、ニッポン放送アナウンサーの吉田尚記さんは、喋ったり自転車を漕いでいるときにそういうモードに入りやすいと言っていました。吉田さんは決まったコースを自転車で走っているとそうなりやすいと言っていましたが、これも「デフォルト・モード・ネットワーク」の視点からは納得がいきます。いつもと違うコースを進むと頭を使うので、むしろこの状態に入りにくいのです。
瞑想を上手に使うと、集中したいのかアイディアを出したいのかに応じて、自分の脳のモードの切替がスムーズに行えるようになります。最初は疲れたときに10分か20分程度行えばいいと思いますが、最終的には一呼吸しただけでフッとそのモードに入ることも可能になります。スポーツや頭脳格闘技の選手などはかなり前から瞑想を活用していて、何かが起きるとすぐに気持ちを切り替えられるように、普段から訓練している人も多いです。
ちなみに、頭の切り替えという点では、自分のルーティーンの記録も効果的です。人間の思考のモードは感情と紐づいていて、さらに感情は身体の動作と紐づいています。しかし、その動作は一人ひとりが違うものです。なので自分がうまくいったときの動作を記録しておくと、そのモードに入りやすくなるのです。
■ 社会制度は二層構造化していくのか
さて、こんなふうに「精神的成長の時代」を通り抜けた先にあるのは、50歳から75歳の時期に当たる「秋」です。
ここからの50年間が今回の話題にも重なってくる、寿命が伸びたことで生じてきた人生の“セカンドキャリア”に当たる時期です。この時期に重要なのは、気の合う仲間を見つけて彼らと一緒に行動したり、そんな仲間たちと、ファーストキャリアとは違う自分にとって楽しい仕事を見つけていくことです。これを私は先の本で「衰退的成熟の時代」と書いています。そういう仕事の中で、次に訪れる人生の最期の「冬」の時代に備えて、自分自身を成熟させていくのが重要になるのです。
そして訪れる「冬」の時代は、自分の人生の終わりを準備することになります。この時期は「機能的喪失の時代」です。肉体も精神もどんどん機能を失っていき、人間は淡々と毎日を過ごすようになります。しかし、それは人間が自分の行いに意味を求めるのを辞める時期でもあります。この時期には、まるで禅宗の曹洞宗が教えるところの「只管打坐」のように、淡々とルーティーンをこなすことで、毎日を過ごすのが大事です。逆に言えば、この時期までのまだ気力が充実している時期に、しっかりと人生のルーティーンを持っておくことが大事である、とも言えるでしょう。
さて、簡単にここまで人生の四季を振り返ってみましたが、これはあくまでも「個人」がどう生きるかというレベルの話です。その一方で、私たちの社会がどんなふうに、この「人生百年」時代、人生が“二毛作”になった時代を運営していくのかは、また別に考えられていくべき問題です。
少し簡単にシミュレーションをしてみましょう。
たとえば、「相続」の問題はどうなるでしょうか。
現在の相続は、年老いた老人がまだ壮年期の息子や幼年期の孫たちのために財産を残すようなイメージだと思います。でも、人生百年時代になっても、子供が生まれる時期は変わりません。人生の最初の「春」~「夏」の時代でしょう。すると、自分が100歳になって大往生を遂げたとして、そのときの息子は下手をすると70歳から80歳の老人だったりします。孫でさえも、50歳から60歳くらいかも知れません。
その状態の人に自分の財産をしっかりと残しておく――という発想は、どういう形になるにせよ、だいぶ現在の我々とは捉え方が違うものになるのではないでしょうか。
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「人生100年」時代にどう生きるべきか(石川善樹『〈思想〉としての予防医学』第7回)【毎月第2火曜配信】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.467 ☆
2015-12-08 07:00220pt
毎月第2火曜は、予防医学研究者・石川善樹さんの『思想としての予防医学』をお届けします。今回は、前世紀には予想もされていなかった「人生100年」時代を迎え、私たちがこれから考えるべきライフプランの「基本思想」について解説します。
▼執筆者プロフィール
石川善樹(いしかわ・よしき)
(株)Campus for H共同創業者。広島県生まれ。医学博士。東京大学医学部卒業後、ハーバード大学公衆衛生大学院修了。「人がより良く生きるとは何か」をテーマとして研究し、常に「最新」かつ「最善」の健康情報を提供している。専門分野は、行動科学、ヘルスコミュニケーション、統計解析等。ビジネスパーソン対象の講演や、雑誌、テレビへの出演も多数。NHK「NEWS WEB」第3期ネットナビゲーター。
著書に『最後のダイエット』、『友だちの数で寿命はきまる』(マガジンハウス)など。
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前回:「面白い」を科学の眼でとらえるには(石川善樹『〈思想〉としての予防医学』第6回)
前回、私は20世紀に、人類はほとんど別の生き物のような存在になったということを書きました。
これまで私たちは「人生50年」と考えて、とにかくがむしゃらに仕事をして、その後は年金暮らしをすればいいじゃないかと考えていました。しかし、20世紀の人類は、「飢えと貧困」というこれまで人類を苦しめてきた二大要素にある程度の解決を着けて、爆発的に平均寿命を伸ばしてしまいました。その傾向は今後も続いていくはずです。おそらく現在の現役世代の人々が高齢者になる頃には、平均寿命が100歳になっている可能性は決して少なくありません。
私は、この「人生100年」時代に突入する可能性を真剣に考えて、この文章を読んでいる20代~40代の皆さんは自分の仕事や生活を設計していくべきだと考えています。高齢者になってから考えるのでは、もう遅い問題です。おそらく年金支給の年齢だって、その頃には引き上がっています。現在の制度は、よもや年金給付者がその後数十年を当たり前に生きていくなんてことを想像だにしていない時代の産物だからです。
私はこういう時代のキャリアプランとして、ひとまず50歳を節目にすることを提唱しています。それはこの年齢が、まだ人間が新しいことに挑めるだけの体力がある、ギリギリの年齢だからです。そうして、この50歳を節目にした第二のキャリアの中で、人生の終末期にあたる最後の時期の生活を、金銭的にも健康的にも支えるための様々な準備をするのです。
現在、定年退職後の男性サラリーマンで、特にやることがなく、日々を手持ち無沙汰に暮らしているという人は沢山います。残念ながら、いくら人生100年の時代が近づいていても、65歳などになってしまった人間にはなかなか新しいことが出来ないのです。だからこそ、この50歳という年齢を意識して、自分のふたつ目のキャリアプランを考えるのが重要です。
さて、それではこの50歳以降の二つ目のキャリアプランとは、いったいどんなものでしょうか。
それは、やはり若い人間の考えるものとは大きく違ってきます。この50歳という年齢に入ると、もう精神的にも肉体的にも若い頃のようには行きません。
そうなったとき、どうやら人は気の合う仲間と仲良く暮らしたりして、朝起きてから夜寝るまで一瞬一瞬をいかに幸せに生きていくかが大事になるようです。
しかし、そういうプライベートな幸せが大事になっていく一方で、「世の中を変革したい」などのパブリックな夢はしぼんでいきます。若い頃のようにムチャな働き方をして、気の合わない人間とでも仕事をして、社会を良くしようと考える――という発想はやはり取れなくなってしまうようです。
これはどっちが良いか悪いかというものではなく、そういうものなのです。
ですから、こういうことを踏まえると、人生の最初の50年は社会の幸せになる仕事に邁進して、セカンドキャリアの25年程度は自分や自分と気の合う仲間の幸せを大事にした仕事をやって生きていく、というのは人生のライフステージに合った考え方なのかもしれません。
また、こんなふうに考えることも出来ます。
私たちはこれまで人生のキャリアを考えるときに、自分という「個人」のやりたい夢と、「社会」の中で求められる価値の二つをいかに整合させるかに悩んできました。しかし、いまや人生は「一毛作」ではなくて「二毛作」になっている……と考えると、ファーストキャリアでは社会のために生きて、セカンドキャリアでは自分の夢に生きる、ということも選択肢の視野に収められるようになるはずです。
■ 主婦は「人生二毛作」をすでに生きている
こうした問題について私たちの社会は、あまり真剣に考えてきませんでした。しかし、現状でも100歳とまでは言わなくとも、80歳や90歳まで生きる人は決して少なくないのです。彼らは、子育てを終えて定年退職をしてからも、何十年という時間を生き続けます。
そのとき、どういう生き方が幸せなのかを、私たちは考える必要があります。
ところで、実はずっと前からこういう生き方を実践してきた人たちがいます――それは、日本の専業主婦の人々です。
こういう仕事で高齢者の人々と会うと、すぐに気づかされるのが日本の女性の高齢者の元気さです。男性の高齢者は、皆それぞれに若い頃にエネルギッシュに働いていたのだろうと思いますが、どこかシュンとしていて、趣味も少なく淋しげにしている人が多い。それに対して、女性の高齢者の方は趣味や友人づきあいを持っている人も多く、旅行に出かけたりして、とても元気です。僕もこういう仕事で健康セミナーなどを始めた頃、なぜ「おばあさんたちばかりが、こんなに元気なのだろう?」と不思議に思ったものでした。
その後、徐々に分かってきたのは、彼女たちがまさに50歳の頃にセカンドキャリアを真剣に考えていたことでした。
この時期、女性たちはちょうど子育てを終えて、また肉体的にも閉経期や更年期障害などに悩まされます。しかし、それが結果的に彼女たちに、自分の人生と真剣に向き合わせているように思います。ここで多くの主婦の女性たちは、人生に一区切りをつけます。そして主婦として家族のために生きてきた自分の人生を見つめなおして、今後の自分の人生を考えるようになります。
一方で、男性の方はというと、50歳の頃に女性のような問題に直面することは、良くも悪くもありません。そうして定年退職まで必死で会社のために働くのですが、65歳になってはたと気づいてみれば、特に趣味もなければ仕事を離れた友人もいない――そんな人はざらにいます。しかも、先ほども言ったように、この年齢まで行ってしまうと、もう新しいことを始めるのも難しい。そうして、多くの男性はただ燃え尽きていくのです。
しかし、本当に大事なのは、絶好調のときにこそ次の準備をしておくことです。
棋士の羽生善治さんは七冠のときに「将棋の五手目に何を指せばいいか」について書いた研究本を出して、当時の多くの人を不思議がらせました。こういうふうに自分が良い時期にしっかりと視点を変えていく姿勢は、とても大事なことです。
50歳の頃に女性のような悩みに直面しない男性は、かえってこの時期に羽生さんのように視点を自ら大胆にずらすのが必要になります。そして、むしろ女性たちからこそ、その後の人生の生き方を学んでいく姿勢が大事になるのだと思います。
■ 長く活躍する研究者は“分野を変える”
とはいえ、これからの50歳以降の人生は、趣味に遊ぶだけでなく、しっかりと稼いでいく必要もあります。もはや現行の年金制度がそのまま持続するのは難しいからです。こういう時代に上手にセカンドキャリアを築くためには、何が必要なのでしょうか。
以前、価値ある研究を続けられた人(ノーベル賞受賞者も含む)と、そうではなかった人について研究した論文がありました。それによれば、長く活躍を続けた研究者は平均して5回、大胆に自分の研究分野を変えていたのだそうです。それに対して、一発屋のような業績しか残せなかった研究者は、一つもしくはせいぜい二つの研究分野に固執して一生を終えていたそうです。
▲遺伝子の研究でノーベル生理学賞を受賞した利根川進氏は、受賞後に記憶の研究に分野を変えた。(出典)
日本の利根川進さんなどはその典型と言えます。彼は自分がノーベル賞を受賞した途端に研究分野をガラリと変えて、神経科学の道へと転向しました。また、若き日のアインシュタインなどもそうでしょう。彼は相対性理論の研究をする前に、ブラウン運動や流体力学などの様々な分野の論文を執筆しています。
この研究結果は、私たちがまさに自分の分野を上手く切り替えて、長く活躍を続けていくためのヒントになるように思います。
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「面白い」を科学の眼でとらえるには(石川善樹『〈思想〉としての予防医学』第6回) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.459 ☆
2015-11-26 07:00220pt
今朝のメルマガは予防医学研究者・石川善樹さんの連載『〈思想〉としての予防医学』の第6回をお届けします。20世紀から進行してきた長寿化のなかでいま問われているのは〈人間観〉のアップデート。今回は、そのために必要となる「遊び」や「面白い」という感覚について考察します。
▼執筆者プロフィール
石川善樹(いしかわ・よしき)
(株)Campus for H共同創業者。広島県生まれ。医学博士。東京大学医学部卒業後、ハーバード大学公衆衛生大学院修了。「人がより良く生きるとは何か」をテーマとして研究し、常に「最新」かつ「最善」の健康情報を提供している。専門分野は、行動科学、ヘルスコミュニケーション、統計解析等。ビジネスパーソン対象の講演や、雑誌、テレビへの出演も多数。NHK「NEWS WEB」第3期ネットナビゲーター。
著書に『最後のダイエット』、『友だちの数で寿命はきまる』(マガジンハウス)など。
本メルマガで連載中の『〈思想〉としての予防医学』これまでの記事一覧はこちらのリンクから。
1.「驚き」を定量化したアルゴリズム?
前回の最後に、私は「未来の人間を考えるためには、“遊ぶ”ということを本気で考える必要がある」という話をしました。
しかし、「遊び」や「面白い」などの領域はまだ科学のメスが十分に入ってる段階にはありません。ただ、これは予防医学のような分野では現実に重要な問題となり始めています。
例えば、不健康な人に運動を奨めるとして、ただ「運動をしろ」と伝えるだけでは、なかなか実行に移してもらえません。私たち予防医学者は、そこで「うわあ! それっていいですね!」となるような「面白い」提案をしなければいけないのです。これは、なかなかにクリエイティブな思考を必要とします。
この「面白い」という問題については、一般的な形式化はまだ出来ていません。それがこれまでも不可能だったのだから、今後も不可能だと思う人もいそうです。でも、そういう話をするのならば、医学だって少し前までは、人間には理解できない「魔術」の領域にあったのです。この問題も、いずれは自然科学の手法で解かれていくはずだと私は考えています。
ちなみに、科学の世界における「面白さ」のベースになる要素については、かなり見当がついています。
それは、「驚き」と「納得」です。
例えば、赤ちゃんは「いないいないばあ」が大好きです。あの遊びには、手で顔を隠すことで、赤ちゃんが顔が消えたと思って「驚き」、手が開くと顔がまた出てきたことに安堵して「納得」する、という非常にプリミティブな面白さの構造が隠されています。これが大人に向けた面白さとなると、お笑い芸人の方々がよく使うように、いきなり驚かせるのではなくて、前段階で興味を引くための「ツカミ」を入れたりするわけです。しかし、彼らの面白さの基本構造が「驚き」と「納得」――すなわち、「ボケ」と「ツッコミ」にあることは変わりありません。
面白いことに近年、「驚き」についてはベイジアン・サプライズという手法で定量化が行われています。これはベイジアン確率の事前分布と事後分布を利用した、とてもシンプルな数理モデルです。簡単に言ってしまうと、事前に考えた「予想」の分布に対して、事後に起こった現象の分布があって、それを積分して面積を求めると、驚きの指標となる数字が出るというものです。
この数理モデルは学術研究においては、人間の視覚における「注意」を研究する際などに使われてきました。しかし、より広く人間の「驚き」にまつわる分析で利用できる数理モデルなのではないかと期待されています。
特に近年、このベイジアン・サプライズの利用例として面白かったのが、料理レシピの開発です。IBMの開発した人工知能ワトソンにレシピを計算させて、トップシェフに調理してもらったところ、イベントでそれを食べたユーザーから高い評価を受けたというニュースが昨年、話題になりました。これをベイジアン・サプライズの数理モデルを使って行ったのがバーシュニーという若き研究者で、現在の私の共同研究のパートナーです。
▲ワトソンはレシピ以外にも、クイズやチェスなどの分野で人間を超える活躍を示してきた。
IBM Watson (ワトソン) - Japan(出典)
これはまさに前回お話ししたコンピューテーショナルクリエイティビティの、近年の目覚ましい事例の一つとも言えます。こんなふうに、人間の創造性がある程度解明されていくと、徐々に「面白い」の領域が科学的に捉えられてくるのではないでしょうか。
2.自然科学の手法と人文科学の手法
ここで大事になるのは、自然科学とはどんな手法の学問なのかということです。自然科学の領域とされてこなかった分野に踏み入るからこそ、その基本を押さえることが大事です。
わたしたち研究者は、まず問いを立てることから始めます。
しかし、その問いを立てる前に不思議に思うこと――「ワンダー」の瞬間が必要です。一体、どんな仕組みでこうなっているんだろう? という素朴な疑問を抱いて、興味をもつことが大事です。すると、その驚きが、やがて「問い」になるのです。
ちなみに、ここで大事なのは性急に調べないことです。ワンダーの段階で、答えを求めて調べてしまうと、自分なりの独自の問いを育てていくことがなかなかできなくなります。それに、そうなると悪い意味で問題解決型の発想になっていくように思います。
例えば、ユーチューバーの人などは、ユーザーの離脱率のデータを元にして「面白い」動画を制作しようとしていますが、そういう性急な調査が必ずしも「面白い」に繋がるのかは難しいと思います。人間の「want」に対応したコンテンツを作るのには向いている可能性はありますが、本当に面白い文化が生まれてくるかは疑問であるように思います。
あくまでもじっくりと自分の興味を育てていくのが、まさに面白い研究には大事です。そうしてあるとき問いが立てられれば、あとは帰納法か演繹法で、仮説を検証していくだけです。
では、そこで自然科学者は、問いをどう答えへと導いていくのか。
端的に言えば、自然科学とは仮説でしかない「問い」という一種の“暴論”をきちんと理論立てる術です。特に重要なのは「方程式」の存在です。
例えば、何かについて調べてパターンを見つけて、それをデータにして活かしていく。すると、データの中にそのパターンに当てはまらないものが見つかってくるので、さらに一般的なパターンにしていく。これだけであれば、人文科学でもやっていることです。でも、自然科学はそこからさらに方程式の探求に向かいます。
例えば、惑星の動きを見て、ヨハネス・ケプラーは「楕円軌道の法則」というパターンを見つけました。それに対して、「万有引力の法則」という方程式で説明をつけたのがニュートンです。そこに、さらに新しい実験で見つかったデータを元にアインシュタインが「一般相対性理論」の方程式を作りました。この一般相対性理論は時間と空間と重力についての方程式で、まだ発見されていない様々な現象について予言を行うものでした。たとえば、一般相対性理論を解いていくと、それまで想像もしていなかった「ブラックホール」があるらしいと予測することができました。
これが、方程式の威力です。パターンがさらに新しいパターンの存在を予測するということが可能になるのです。ですから、ベイジアン・サプライズのようなモデルの先に「面白さ」の方程式が発見されれば、「面白さ」の予測が可能になるはずなのです。
ちなみに以前、この話をアナウンサーの吉田尚記さんにしたところ、彼から落語の「死神」のオチを分析してみてはどうか、という提案を受けました。
「死神」という落語は、死神と契約を交わした男が、人間の寿命を表現したローソクのある部屋に連れて行かれて、お前のローソクはいま燃え尽きかけている、と告げられるという物語です。吉田さんが言うには、この物語は落語の世界における古典であるにもかかわらず、いまだ誰もが納得の行く「サゲ」、つまり話のオチのつけ方を見つけた人がいないそうです。
これなどは、典型的なコンピューテーショナル・クリエイティビティの効力が発揮できる分野であるように思います。落語というのは、「緊張と緩和」のような言葉で面白さがある程度は言語化されていて、しかもサゲの種類の分類も出来ています。IBMのワトソンが新しい味覚を発見したような、コーディネートによる問題解決がかなり効きそうな分野だと思います。
もちろん、この「サゲ」の面白さを「緊張と緩和」のような言語に頼らずに、上手く定式化できるかが鍵になるとは思いますが、まさにこういう発想で僕たちは「面白さ」の問題に踏み込んでいけるように思います。
それにしても、こういう問題について考えていくと、人間の問題についてこれまで自然科学はあまり扱ってこなかったという事実を改めて考え込みます。
やはり人文の方が一歩先んじた認識を持っているな、と感じる場面が多いのも事実です。以前に僕が大好きな小説家はヘルマン・ヘッセだと書きましたが、彼のようなハッとするような発想を与えてくれる小説や漫画作品が、自然科学の外側にはいくつもあるように思います。
近年、個人的に最も瞠目したのは『ジョジョの奇妙な冒険』の漫画家・荒木飛呂彦先生が自らの創作手法を明かした『荒木飛呂彦の漫画術』でした。ここでは詳述しませんが、あの本には我々、自然科学の人間が取らないような発想が数多く書かれていて、大変に刺激を受けました。特にあの本に掲載されていたキャラクターが行動する際の「動機」をリストアップした表には、打ち震えるほどの驚きを覚えました。荒木さんがあそこでリスト化した動機には、まだ充分にわれわれ研究者が重要性を認識して、研究を進められていないものがいくつも含まれていました。
いずれこの連載でも一度、この本はしっかりと読んで分析する回を設けてみたいと思います。
▲荒木飛呂彦『荒木飛呂彦の漫画術』集英社新書、2015年
3.プロゲーマーの「遊び」への洞察
そういう意味で、自分の研究分野の外側にいる人と会って、思考に刺激を受けて「驚き」を自分の中に生み育てていくのが、とても大事なことだと僕は思っています。
最近で面白かったのは、プロゲーマーの梅原大吾さんとの対談です。彼からは、この「遊び」や「面白い」について、とても大きなヒントになる言葉をもらいました。
▲梅原大吾さんの対戦動画
▲梅原大吾『勝ち続ける意志力』小学館新書、2012年
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人工知能は予防医学を支援するか?(石川善樹『〈思想〉としての予防医学』第5回) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.419 ☆
2015-09-30 07:00220pt
今朝のメルマガは予防医学研究者・石川善樹さんの連載『〈思想〉としての予防医学』の第5回です。今回は人間の脳における「大脳新皮質」と「大脳辺縁系」の違いに触れつつ、人間の創造性を支援する装置としての〈人工知能〉の可能性について考察します。
石川善樹『〈思想〉としての予防医学』前回までの連載はこちらのリンクから。
まずは前回の議論のおさらいから始めます。
前回記事:わずか6年で日本人の寿命は25年伸びた――私たちが知らないGHQの人類史的偉業(石川善樹『〈思想〉としての予防医学』第4回)
私は前回、GHQがトップダウンで日本中に保健所を作り、衛生状態を改善する施策を行うことで、日本人の寿命をたった6年のあいだに25年も延ばすことに成功したことを述べました。しかし、1990年代に入り、状況は大きく変わりました。「地域保健法」が改正されてトップダウン型ではないボトムアップ型での保健行政が日本でも敷かれることになったのです。
この新しい保健行政への転換は、地方分権の流れから来たものであると同時に、現代の予防医学が直面している問題に対応したものでもありました。
前回に述べたように、予防医学には5つの柱があります。まずは、病気の原因を調査する学としての「疫学」と「統計学」、そして上下水道や都市デザインなどの都市計画に関わる「環境保健」、それから法律の制定や保健所システムの構築などの「政策の策定・運営」――この4つは昔ながらの公衆予防医学で、まさに戦後にGHQがトップダウンで行って、国民の健康管理の土台を作りあげたものです。
しかし、現代の予防医学の抱える問題において重要なのは、5つ目の「行動科学」に関わる要因です。これは自由に個人が生活する際の「行動」に関わってくるものであり、トップダウンで国が命じるような健康の施策ではサポートしきれないものです。
20世紀における予防医学は、まさに戦後日本のGHQの手法に典型的なように、トップダウン型の施策によって、感染症や脳卒中などの身体の健康における大きな課題を解決してきました。その結果、先進国の人々の問題意識は徐々に、人間の精神における「健康(health)」に移っています。
その一方で消費社会の発展は、人々に自由な生活と多くの選択肢を与えました。行動科学にまつわる問題は、こういう状況でいかに予防医学の課題を遂行していくかに関わっています。しかし、そのための明確な手法はまだ確立していません。日本に関して言えば、地域保健法の改正から約20年の月日が経ったものの、このトップダウンではない保健についての明確なビジョンは現在もなく、混乱は続いているのです。
■ 人間の「快楽」は2パターンしかない
この問題を考えるために、前回の最後に話したダイエットの問題から議論を始めましょう。
ダイエットにおいては、「脂肪」と「糖」を中心とした「アッパー」な味覚の快から、日本のお出汁の文化のような「ダウナーな味覚」の快への変化が重要であるという話をしました。
人間が感じる「快」というのは、脳の構造を見るに意外と単純なものです。大きくは、まさにこのダウナーとアッパーの二通りです。しかし、そのように人間の快楽が大きく二通りであり、前者から後者への移行が必要であったとしても、そのプロセスは決して単純なものではありません。
というのも、私たちは各々の生活環境などから形成された「習慣」に縛られる生き物だからです。そのことは人間の脳の構造を見ると、よくわかります。
人間の脳は三層構造になっています。まず、人間の大脳の外側にあるのは大脳新皮質と呼ばれる、新しい刺激に反応する部位です。これは理性やクリエイティビティを司る場所で、「人間らしい」と言われる活動の多くに関わっています。その内側にあるのは大脳辺縁系と呼ばれる部位で、ここでは人間の感情が司られています。
▲大脳辺縁系(Limbic System)(出典)
この部位の役割は、さらにその内側にある大脳基底核と呼ばれる部位の役割を知ることで見えてきます。
この大脳基底核は、人間の「習慣」を司っている脳の中でも最も古い部位です。そして、大脳辺縁系はこの大脳基底核を大脳新皮質から守るようにして包み込んでいます。大脳辺縁系の大きな特徴は、変化を嫌っており、それを本能的に恐れるようになっていることです。これは大脳新皮質が変化を好む部位であることを考え合わせると、習慣とはいかなるものかが見えてきます。
▲脳の構造(出典)
脳という臓器は数億年をかけて進化してきた、人体の中でも非常に特異な臓器です。最も古い大脳基底核と、最も新しい大脳新皮質の登場の間には数億年の時間差があります。人間が環境に適応しながら、常に新しい事柄を学習して創造していく生き物になったとき、大脳新皮質はそれを司るものとして登場してきました。
しかし、最も古い大脳基底核は「習慣」を司ります。これは人間ほど大きく環境が変化する中を生きていない多くの生物にとって、もっとも重要な機能です。自分の生息する環境において生存に適した習慣を日々繰り返していくことこそが、生き延びるために重要だからです。だから、そんな簡単に習慣が変化してはいけないのです。
このふたつの矛盾の間で、大脳辺縁系は大脳新皮質の変化を好む影響が大きくなり過ぎないようにしています。変化を恐れるように感情をコントロールすることで、大脳基底核の「習慣」を守っているのです。
以上のことを考えたときに、いわばダイエットにおける痩せる行動習慣の変化というのは、この数億年のジェネレーションギャップを超えて、未知の味覚を試したりすることで、新しい習慣を大脳基底核に与えていく作業であるといえます。
■ 行動習慣とコーディネート問題
では、その新しい行動習慣に変えていく作業とはどういうものなのでしょうか。
ダイエットの問題に即して言えば、最近の私が興味を持って研究しているのは、新しいレシピの可能性です。
実は、「脂肪と糖分」と「うま味」の美味しさは、料理としてはかなり離れたところにあります。いきなり習慣を変えるのが難しいのは、そのためです。こういうときに行動科学の観点で重要になるのは、大脳辺縁系が抵抗感を覚えない程度に、徐々に習慣を変えていくことです。つまり、脂肪と糖分を中心にした食事と、うま味の食事の間を上手く橋渡しをするようなレシピができれば、人々を徐々にそっちの方向に誘導することができる可能性があるのです。
ここで面白いのが、食文化においてはまだ多くの食材の組み合わせが試されていないことです。というのも、これほど膨大な食材が流通するようになったのは近年の出来事にすぎないからです。「脂肪と糖分」と「うま味」の美味しさの間には、実は膨大な新しい味覚が隠されている可能性があるのです。
もちろん、これは食における習慣をどう変えるかという問題にすぎませんが、「人間はいかにして習慣を変えるのか」というより一般的な問題の一例でもあります。
これについては、ある一つの問題に答えさえすれば、食にかぎらずファッションから住居、健康、あるいは音楽などの娯楽に至る様々な問題が一挙に解決していく可能性があります。それが――「コーディネート問題」です。
例えば、ファッションを例に取りましょう。
クローゼットの中にたくさんの服が入っていたとき、一体どの服を選べば自分はときめくのか……その問いに答えるロジカルな分析方法は、現在もまだ確立していません。
食事についても同様です。
冷蔵庫の中にいま存在している食材で、どんな組み合わせで料理を作るのが最も美味しくて健康的なのか……これもロジカルな分析方法は存在していません。
世の中に言うクリエイティビティやイノベーションというものの多くは、組み合わせの妙で生まれると言われます。しかし、その組み合わせをいかに上手く行うかという研究はほとんどされてこなかったのです。
これは「幸福」を考える上でも重要です。従来のテクノロジーは、人間が「早く目的地に着く」だとか「コスト低く情報にアクセスする」だとかの「効率化」を重視した観点から開発が行われてきました。
しかし、現在の世の中で多少の効率化で生活を便利にしたところで、私たちがかつてほど幸福の度合いが上がることはあるのでしょうか。それよりも、普段の生活のなかで直面する、様々なコーディネートにまつわる意思決定を支援してくれるテクノロジーのほうが、よほど私たちの幸福に大きく貢献するのではないでしょうか。
そして、ここで私が注目しているのが、近年の人工知能の発展なのです。
■ 人工知能は人間の創造性を支援するか?
――というのも、人工知能におけるフロンティアになっているのが、この大量の組み合わせのパターンを試していく領域だからです。特にこの大量の組み合わせのパターンを作ることで、機械が人間のクリエイティビティをどれだけ助けられるかという問いはとても重要なものとして認識されています。
もちろん、最終的なクリエイティビティの判断は結局のところ、「これはイケてる」だとか「美味しい」だとかという感覚の問題に行き着くので、最後は必ず人間による判断に行き着くのだと思います。しかし、そこに至る無数の組み合わせの試行錯誤は、人間にはなかなか出来ないものです。
この、人間の創造性にまつわる能力をコンピュータに補助・代理させていく発想を、「コンピューテーショナル・クリエイティビティ」といいます。
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