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記事 19件
  • 【緊急対談】石川善樹 × 安宅和人 人間は臨死体験せずに根性論を突破できるのか?(前編)【PLANETSアーカイブス】

    2020-05-29 07:00  
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    今朝のPLANETSアーカイブスは、本メルマガで連載していた「〈思想〉としての予防医学」著者の石川善樹さんと、『イシューからはじめよ』著者にしてヤフー・ジャパンCSO・安宅和人さんの対談記事の前編をお届けします。ビジネスと学術を股にかけて活動する気鋭の二人が語り合うのは、日本社会にはびこる「根性論」の撲滅について。対談の前編では「そもそも私たちは根性が好きなのだ」という仮説から始めて、その具体的な解決策を論じていきます。※この記事は2016年4月11日に配信した記事の再配信です
    予防医学研究者・石川善樹さんが6月9日(火)開催のイベント「遅いインターネット会議」に出演されます! 【イベント概要】 6/9(火)石川善樹「予防医学者の考えるコロナ危機から学ぶべきこと」 パンデミックをインフォデミックが補完する悪夢はいつ終わるのか。予防医学者でありながら、組織論から幸福論まで広く社会に提言を続けてきた石川善樹さんをお招きし、コロナ危機からいま人類が学ぶべきことについて議論します。 イベント詳細・お申し込みはこちらから。
    宇野 今日は石川さんと安宅さんのお二人に「日本社会にとっていかに根性論が有害であり、いかに撲滅すべきか」を徹底的に討論していただきたいと思っています。きっかけはある新年会での雑談なのですが、僕はお二人の話を伺っていて、これは日本の起業社会批判であると同時に、知的生産の効率を突き詰めていくと、どうも僕達が前提にしている人間観や知のイメージ自体の大幅な修正を要求するような、大きな話につながるように感じました。
    そこで改めてお二人に対談をお願いした次第ですが、話の取っ掛かりにしたいのは、安宅さんが『イシューからはじめよ』の帯に「根性に逃げるな」と書いていることなんですよ。まず、安宅さんが「イシュー本」を書くときに、根性論をひとつ標的に定めようと思った理由を聞いてみたいんですね。
    安宅 こと仕事という観点で、なぜ根性論がそんなに嫌なのかという話をするなら、やっぱり労働時間で勝負しようとするようになるからですね。で、根性があったからアイツは成功したんだ、みたいな言い方が世の中にまかり通っている。
    これの何が良くないかというと、実際に根性出して頑張ると、成功してしまうんですよ(笑)。
    ただ、そういう人たちはだいたい一度は身体を壊している。で、身体を壊したところで、はたとマズかったと気づく(笑)。逆に気づかなかった人は成功していません。つまり、成長したのは根性でやっていたからではなくて、途中で「あれ、もしかして重要なのは根性じゃないのかな?」と気づくことにあるわけです。大事なのは、根性を出して頑張る過程で気づくことにあるんです。
    石川 なるほど。
    安宅 でも、それって実にバカバカしい話だと思うわけですよ。
    あともう一つ言うと、根性論というのがあんまり役に立たないというのもあるんですよ。例えば、この国の人は習い事が好きですよね。なんとか検定とか。
    石川 まさに資格なんて根性論の最たるものだと思いますけど、本当に日本人は好きですよね。休日にカフェに行くと、資格の勉強をしている社会人が実に多い。
    宇野 サラリーマン時代、勤めていた会社の近くにある本屋に、昼休みなんかに行くじゃないですか。そうすると、近所の金融機関に務めているOLたちが、制服を着たまま思いつめた表情で語学のコーナーにいるんですよ(笑)。
    たぶん彼女たちは、なにか変わった自分になりたくて、とりあえず価値のあることをやろうと思った結果、その語学勉強テキストのコーナーにいたんだと思うんです。でも、本当にそうだったら、そんな語学や資格のコーナーになんていないで、むしろその周囲にある本をもっと立ち読みすればいいのに、と当時の僕は思っていましたね。
    安宅 僕が出席している集まりでも、とにかく「データサイエンティストの資格化はできないだろうか」みたいな話が繰り返し出てきます。ただ、例えば10億単位のデータの環境を構築する、あるいはそのレベルのデータをキレイにする、これらを使って意味合いを出す、というようなスキルが、試験で分かると言うのはいくらなんでも難しい、と思うのです。そもそも能力を見るために、特別な環境とデータハンドリングにかなりの時間が必要なスキルですので……。
    石川 結局、資格の勉強って、いま自分が着実に前に進んでる感じがあるんじゃないですかね。
    安宅 ですね。それはわかります。
    人間はなぜ根性論が好きなのか
    宇野 でも、今の話は、今日の「根性論」の話の結構重要なポイントなんじゃないでしょうか。
    そもそも根性論を撲滅するためには、なぜそれが世の中にこれほどはびこっているのかを考えなければいけないと思うんです。それで言うと、どうも僕が見るに「根性論」には、独特の快楽があるんですよ。
    つまり、イシュー本で安宅さんが「犬の道」と呼んだような道を人々が歩くのは、適度に刺激や負荷がかかった状態で、ダラダラと同じことを反復するときの、あの“ぬるま湯”に浸かるような麻薬的な快楽があるというのが大きいんだろうと思うんです。まずは、そこから議論を始めるべきなんじゃないかと思いますね。
    安宅 そういう側面はあると思います。
    特に日本人にそういう傾向があるのは、一つは幼少時の教育ですね。結果じゃなくて努力を褒めるように指導する教育論があるでしょう。もちろん、教育学的に正しい面も多々あると思いますが、あれをやられすぎると「何かをやること自体に価値がある」という価値観に近づいていくんです。
    宇野 でも、それはいわば工業社会下において、そういう教育が最適解だったからという話でしかない気もしますね。むしろ、今後の社会に対応した教育をしていく中で自然に解消していくような気もします。
    石川 もう一つ、そこに「レールの議論」というのもあるんだと思います。
    日本という国は社会にレールを敷いているじゃないですか。そこに乗れば、20年学んで、40年働いて、その後20年休めばいい、という安全な人生が一つあるわけですよ。その世界観の中では、人生は一本の細いレールであって、その上で努力しさえすればいい。
    でも、そのレールから外れたらヤバイことになる。どのくらいヤバイかというと、Googleで「日本 レール」と調べると、サジェスチョンに「外れる」と出てくるんです(笑)。
    一同 (笑)
    宇野 鉄道関係を検索している人よりも、それを検索する人のほうが多いってことですよね(笑)。
    安宅 マシンラーニング(機械学習)の結果にそれが現れているというのは、実に暗い結果ですね(笑)。
    ところが、本当は色々なレールが人生にはあるわけですよ。
    よく僕は事業戦略の講義なんかをやるんですが、そこで「戦略なんて手段にすぎないのであって、目的地に行く方法なんていくらでもあるんだ」と言うと、みんなビックリする。
    でも、そんなのは当たり前の話でしょう。人生だって同じことだと思うのだけど、「目的地に向かうレールは何本もあってもいい」という発想が出てきにくい社会になっているんでしょうね。でも、これは(かつて10年あまり過ごした)マッキンゼーのような会社のヒトでも、そういうところがありましたからね……。
    石川 前に映像作家の蜷川実花さんと話したときに、「数学なんて0点だったし、勉強なんてしたくなかった」と言っていたんですよ。ところが、話している最中に彼女が「私、今日息子に怒っちゃったんです」と言うから、理由を聞いてみたら「公文式をちゃんとやってないから」と言うんです(笑)。
    安宅 あなた、自分が数学は0点だったと言ってたじゃないか、と(笑)! ちなみに僕、蜷川さんの写真、大好きです。
    石川 彼女はアーティストして大成功した人ですけど、その道がいかに険しい道であるかもよくわかるわけです。周りの人がどんどん落ちていった姿も見ていたわけですし。そのときに、子供には「やっぱ公文やらせた方がいいのかな」となったんだと思います(笑)。やっぱり蜷川さんほどの人でも、レールから外れてアーティストの道を行ったあげくに、そこで失敗してしまうことには怖さがあるということだと思うんです。そのとき、レールに上手く乗って、あとは根性で努力を積み重ねるのが確実だという発想になったのだと思うんですよ。
    安宅 まあ、人間は無意味な時間を過ごしたくないというのはあるんです。
    そういう意味では、ちょっとずつ確実に前に進んでいる幸せというのはありますよね。真剣に考えれば、この場所に真っ直ぐ向かうことに価値があるという場合でも、なんとなく目の前の遠回りの道をコツコツ歩む、あるいは実はゴールから離れていく道を、そのことを意識することなく進んでいくことを選んでしまう。
    石川 遠くに目標を置くのは、人間は苦手ですからね。
    「根性論」の歴史学
    石川 少し歴史的な話をすると、「根性」という概念が初めて登場したのは近代のイギリスなんです。
    というのも、19世紀までの世界はほとんどが田舎で。田舎では「根性」よりも「規範に従うこと」の方がよっぽど大事だったんですね。根性論に通ずるような努力の概念は、そういう場所では生まれないんです。ところが、産業革命が起こって、都市が生まれると状況は変わってくる。
    都市というのは「頑張った者勝ち」の世界なんですよ。そうなると、人間は「規範」から抜け出して、そこで相手を出し抜こうとする。そういう状況下で登場したのが、サミュエル・スマイルズの『自助論』という本です。この『自助論』には偉人たちが300人ぐらい出てくるのですが、彼らが偉人になった理由の説明は、すべて「頑張った」から(笑)。
    安宅 (笑)
    石川 例えば、「どうしても朝起きられなかった人が、召使いに毎朝水をバシャーっとかけて起こしてもらうようになって、それで朝活の勉強を頑張ることで偉くなった」とか、もうそんな話ばかり(笑)。ちなみに、この本は日本にも『西国立志編』という題名で訳されて、明治時代の『学問のすゝめ』と並ぶ二大ベストセラーになっています。これはいわば日本人の道徳の教科書になった本でもあって、スマイルズの根性論は直接的に日本にも届いているんですね。
    安宅 でも、それって平和な時代の思想でしょう。
    頑張ればなんとかなるように道が見えているときは、それでもいいですよ。正しいあり方が一個しかないときは、まさに「頑張れ」で行けるんだと思うんですよ。でもイノベーションが起きて、変化が起きていく時代には、そういう発想は通じないでしょう。万単位のデータ処理がスプレッドシートで一瞬ででき、人工知能が高速で情報の自動処理をしていく時に、丁寧に人手で頑張っても勝ちようがないというか。
    石川 まさに、そうなんです。その意味で、この「根性論」のマズさに最初に気づいたのは旧ソ連でした。
    ナチスドイツの「スポーツ」「セックス」「スクリーン」という3Sがあって、国家の威信のためにスポーツを頑張るという文化が国際的に広まってから、かなりの長いあいだ「長時間、一生懸命練習して、たくさん競争すれば強くなる」というパラダイムが続いていたんです。でも、それをやると、けが人や燃え尽きる人が続出するんですね。
    そこで旧ソ連では1950年代に「スポーツサイエンス」の分野を始めたんです。そこで彼らが発見したのは、トップアスリートとそうでない人の違いは、実は根性論でストレスをいかにかけるかにはなくて、むしろ「リカバリー」の仕方にあるという事実だったんです。
    たとえばテニスって、一試合のうち実際にプレイしている時間は35%ぐらいなんですよ。
    安宅 残りの65%はなにをやっているんですか?
    石川 ポイントとポイントの間で、次のプレイの準備をしてるんですよ。
    そして、その間が実は一番長いんですね。そして、トップランクとそうでない人の違いは、このポイントの間にうまくリカバリーできているかなんです。ポイントで一喜一憂するのは仕方ないとして、どうやって元に戻るのか。そこでリカバリーのルーティンを持っている人は強いんです。
    宇野 なるほど。
    石川 たぶん、これって仕事でも同じなんですよ。我々が実際に仕事をしている時間も短くて、実は次の仕事をするための準備の時間のほうが長いでしょう。だからこそ、仕事の疲れのリカバリーをそこできちんと取っている人はパフォーマンスが高くなっていく。
    安宅 実際のところ知的ワークだと、いっぱい休んでいて、何に時間を使ってるかわからないヒトの方が生産性が高かったりするのはザラですよね。逆に、朝から晩まで働き詰めのタイプのヒトが知的にプロダクティブなのは見たことないです。
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  • 男と食 26 | 井上敏樹

    2020-05-28 07:00  
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    平成仮面ライダーシリーズなどでおなじみ、脚本家・井上敏樹先生のエッセイ『男と×××』。本連載を元にした単行本『男と遊び』の刊行を経て、待望の再開です。今回は、初めて訪れた鮨屋でのエピソードです。普段は二ヶ月先まで行きつけの店の予約をとっているという敏樹先生ですが、このコロナ禍で予約していた店が次々と休業してしまいます。そんな中、営業を続けているとある鮨屋に行ってみることにしますが……?
    「平成仮面ライダー」シリーズなどで知られる脚本家・井上敏樹先生による、初のエッセイ集『男と遊び』、好評発売中です! PLANETS公式オンラインストアでご購入いただくと、著者・井上敏樹が特撮ドラマ脚本家としての半生を振り返る特別インタビュー冊子『男と男たち』が付属します。 (※特典冊子は数量限定のため、なくなり次第終了となります) 詳細・ご購入はこちらから。
    脚本家・井上敏樹エッセイ『男と×××』第55回 男 と 食  26                          井上敏樹 
    さて、『男と遊び』が上梓され、二回も連載をさぼってしまった。誠にもって申し訳ない。脚本の仕事が忙しかったせいもあるが、コロナ騒ぎで少々鬱になっていたのだ。なにしろ飲食を生きる喜びとしている私である。コロナが憎い。もし私がこよなく愛する店が閉店に追い込まれれば心にぽっかりと穴があく事、明白である。概ね、いつも私は二ヵ月先まで行くべき店の予約をしておく。それが、次々と連絡があってしばらく店を休むと言う。こんなのは空前絶後だ。だが、あちこち調べてみると、いいか悪いかは別にして営業を続ける店もないではない。そこで、いいか悪いかは別にして、行ってみる事にした。初めての鮨屋である。だが、私はマスクなるものが嫌いである。ひどい花粉症でありながら、花粉の時期にもした事がない。あの、蒸れる感じがいやだ。息苦しい。また、私見によれば、顔を隠すという行為は、指名手配犯ではあるまいし、真っ当な人間のする事ではない。しかし、今回ばかりは仕方がないーマスクを買った。立体型の黒いマスクである。これが、ひどく評判が悪い。黒いシャツにスーツ、そこに黒いマスクとなると殺し屋にしか見えないと言う。だが、そこは考え方次第で、コロナ禍の昨今にあっては好都合だ。
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  • 『タッチ』②:二つのヒロイン像を内面に抱えていた「浅倉南」| 碇本学

    2020-05-27 07:00  
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    ライターの碇本学さんが、あだち充を通じて戦後日本の〈成熟〉の問題を掘り下げる連載「ユートピアの終焉――あだち充と戦後日本の青春」。代表作『タッチ』の分析の第2回目は、物語全編で展開されるキャラクタードラマのあらましを辿るとともに、作品の看板とも言えるヒロイン「浅倉南」が果たした革新的な役割について掘り下げます。
    ユートピアの終焉──あだち充と戦後日本社会の青春 第12回『タッチ』②: 二つのヒロイン像を内面に抱えていた「浅倉南」
    80年代「少年サンデー」的スポーツ漫画の系譜
    前回は「上杉和也」が死んだ日とそれをめぐる編集者とあだち充の関わり、そして連載前から決まっていた彼の運命について考察した。 「上杉和也」という存在は1970年代「劇画」ヒーローたちの系譜にあったために最初から死ぬことが運命づけられていた。物語の主人公である「上杉達也」は彼らからのバトンを引き継ぎながらも、80年代という新しい時代を象徴するヒーローとなった。
    上杉達也というニューヒーロー像は、1988年に同じく「少年サンデー」で連載された河合克敏『帯をギュッとね!』にも引き継がれた。こちらは高校柔道を舞台にした作品だったが、従来のスポ根的で汗臭いイメージの強かった柔道を爽やかなスポーツ競技として描いた点が画期的で人気作品となった。主人公の粉川巧は第17回全国高等学校柔道選手権大会のポスターになるほど当時の高校柔道においては影響力のあるキャラクターになっていった。 どちらも中学時代から始まり、高校三年間がメインで描かれる。主人公も強力なライバルの前では限界値を超える力を出すが、そうでもない相手には簡単にホームランを打たれたり、いとも簡単に試合で負けたりする部分も共通している。 『帯をギュッとね!』においてのヒロインである近藤保奈美はずっと柔道部マネージャーとして主人公の粉川巧を応援し続ける。もう一人のヒロインと言える海老塚桜子は当初は保奈美同様にマネージャーであったが、後輩の女性選手の練習相手をするようになったため、自身も柔道を始めることになった。浅倉南を野球部マネージャーと新体操選手に分けたものが彼女たちに見えなくもない。
    「少年サンデー」で70年代のスポ根漫画からのバトンをも引き継ぎながらも、80年代ラブコメとの融合によって新しいスポーツ漫画の金字塔となった『タッチ』。そこからラブコメにはあまり寄せないで、さらに新しいスポーツ漫画の可能性を模索しアップデートしたのが『帯をギュッとね!』だった。 どちらも主人公を陰から見守る従来の劇画的なヒロイン像からは遠く離れて、ヒロイン自身の自我もしっかりと描かれていくあたりも80年代的な新しい時代と呼応していた。
    主人公を含め登場人物たちはほぼ顔の見分けがつかない「あだち充劇団」とも揶揄されるあだち充作品において、『ナイン』『みゆき』『タッチ』と主人公の顔はほぼ変わらないのにも関わらず、『タッチ』のヒロインの浅倉南だけはそのパターンからは少しズレているキャラクターだった。 『ナイン』の中尾百合は典型的な70年代劇画的なヒロイン像だった。そのせいもあって動かしにくいことからもう一人のヒロイン安田雪美が投入されることとなり、ラブコメ要素が増してヒット作となっていった。ショートカットでスポーティで元気な妹キャラである雪美によって物語が展開しやすくなったことは、あだちの中でも大きな意味をもった。ただ、『ナイン』においては中尾百合と主人公の新見克也は両思いでそのまま恋人となっていく。 『みゆき』においてはそのふたつのヒロイン像はそのまま引き継がれるが、メインヒロインは安田雪美の後継になる若松みゆきになった。もう一人のヒロインが中尾百合の後継となる鹿島みゆきである。ここでは主人公の若松真人と若松みゆきが結ばれることになった。 『タッチ』のヒロインである浅倉南は、前述した従来的な劇画ヒロインの系譜と活発で自我をしっかりだしていく新しいヒロインの系譜それぞれをミックス、あるいはフュージョンさせた存在だった。浅倉南についてはキャラクター紹介のあとに後述したい。
    「あだち充劇団」のメジャー化
    原作付きの漫画から自身のオリジナル作品となった『ナイン』、大ブレイク作『みゆき』、そして今回の『タッチ』においてあだち充作品の登場人物のパターンはほとんど完成されていた。 あだち自身が「あだち充劇団」というほどに見分けのつかない各作品の主人公や脇役たちの第一期完成形としての『タッチ』を見ることができる。 『タッチ』のあとに連載された『スローステップ』におけるメイン男性キャラや『ラフ』の主人公の大和圭介には、『H2』のメインキャラとなる橘英雄への萌芽が見られる。そして、その二作品が終わった後に連載された時代劇×SFというコメディ寄りな『虹色とうがらし』はそれまでの第一期総集編のようにそれまでのキャラクターが一堂に会するものとなった。 『タッチ』の登場人物たちについて、コミックス全26巻を五章に分けたものの流れに沿って触れていく。
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  • 分断を埋める「洒落」をアップデートする | 丸若裕俊

    2020-05-26 07:00  
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    工芸品や茶のプロデュースを通して、日本の伝統的な文化や技術を現代にアップデートする取り組みをしている丸若裕俊さんの連載『ボーダレス&タイムレス──日本的なものたちの手触りについて』。今回のテーマは「洒落」です。新型コロナウイルスによって多くの分断が露呈してしまった現状を前に、茶が提供する「和やかさ」は、人々にどんな影響をもたらすのでしょうか。日本的な美意識と、そのアップデートをめぐる対談です。

    丸若裕俊 ボーダレス&タイムレス――日本的なものたちの手触りについて第12回 分断を埋める「洒落」をアップデートする
    コロナであらわになった「分断」
    丸若 まず、先が見えないなかの話にはなるんですが、ある程度視野を広く持っている人ってこのコロナ禍が起きたことって、すごく大きな転換期として捉えていると思うんです。   僕も、今まではまずはとにかく「1人でも多くの人にお茶を飲んでもらいたい」と考えていたけど、正直言うとそれだけではいられなくなってしまった、というのが今の正直な心情です。  たとえばいま、何事もなかったかのように街に出ている人たちがたくさんいる。もちろん、理由があって街に出ている人もいると思うんですが、そうじゃなくて、単に気にせずに、いつも通り徘徊してしまう人もたくさんいるじゃないですか。そしてそういう人とどうコミュニケーションを取っていいか、僕にはわからないなって痛感しちゃったんです。同じ日本人で同じ地域に暮らしてるってところは一緒でも、こうも違うんだっていうのがもろにわかってしまった。
    宇野 今回のできごとで、いわゆる社会の分断というものが大きく加速してしまったことは間違いないと思います。まず受動的にテレビやTwitterを眺めている人たちと、もう少し能動的に自分から公的な情報と専門家がそれにどう反応し、議論が別れているかを調べている人たちに大きく別れている。そして前者の人々の中にも、自粛していない人々をまるでウイルスのように警戒する人々もいれば、逆にびっくりするくらい気にせずに「今日はよく晴れてるから鎌倉に行こう」と出かけてしまう人々もいる。  もちろん、最低限の知識が共有できていなくて、無防備に出かけてしまう人たちはベタに、そして徹底的に啓蒙しなきゃいけないと思うんだけれど、それがいわゆる「自粛警察」的なインターネットリンチによってなされるのは、後世のために絶対に認めちゃいけない。しかしこの警鐘自体が、リンチの対象になりかねないところまで事態はエスカレートしているように思えます。
    丸若 だから僕も、以前は本心で「より多くの人にお茶を」って思ってたんだけど、もうそれが変わってしまって。
    宇野 たとえばいまアメリカでは健康保険に入っていない人たちが困ってると言われています。その人たちの何割かは確実にトランプに投票してるわけです。彼らはトランプが「アメリカらしいアメリカを取り戻す。お前たちの仕事がなくなっているのは移民のせいだ、だからグローバル化を制限して、壁を作ります」って言ったから、投票したわけです。要するにこれって、みんな承認の問題を解決するためにトランプに投票しているわけですよね。トランプの政策が自分たちの生活にプラスになるかどうかを、彼らは冷静に判断してなかったと思うし、その能力もなかった。その結果、彼らは実際にオバマケアを外されて、生命の危機に瀕しているわけですよ。  言い換えれば彼らは効率と安全よりも、承認と安心を取ったわけですよね。同じようなことがおそらく世界中で起こっていると思う。ウイルスってよくわからないものが流行っていて、不安だからテレビ、Twitterを見る。情報を探しているときだけは不安を忘れられる。その結果として不確かな情報をいっぱい吸収して、うち何割かは再拡散する。  つまり、同じようなことがいまも繰り返されているわけです。人間って心の安定のためだったら平気で命も売るんだ、ということがよく分かる。このような状況に、丸若さんがコミットしてきた日常に句読点を打つ行為がどうコミットできるのか、を今日は考えたいです。
    日本の美意識は「和やかさ」にある
    丸若 日本の美意識って、よく「繊細さ」「研ぎ澄まされてる感じ」「緊張感」「引き算」という言葉で語られますけど、最近「ちょっと違うな」と思っているところもあるんです。いま僕が注目しているのは「和やか」というキーワードです。茶道にせよ、日本美術といわれているものにせよ、緊張感だけじゃなくてちょっと笑顔になるとか、気持ちが安らぐというところが、美しさの頂点にあるんです。  それは日常的に飲まれてきた茶の話でも同じで、茶は安らぎや穏やかさを与える飲み物だったからこそ、みんなに重宝されてきたと思うんですよね。もちろん、茶の美味しさが美食家の舌を唸らせることもあるんだろうけど、世の中には他にいくらでも舌に対してアプローチする飲み物がある。この和やかさが、いま日本人だけじゃなく世界中にすごく求められていると思っています。  でも、この「和やかさ」は実は経済と反比例したところにあるのかもしれない。みんなその感覚を麻痺させられてきたから、どうやってそれを取り戻していいのかわからなくなってしまった。
    宇野 「和やかさ」は確かにいま、もっとも求められているけれど、もっとも足りていない成分かもしれないですね。でもこれは難しい問題で、たとえば戦争中に「お前、なんでスカート履いてるんだ。もんぺ履けよ」みたいなことを注意して回るおばちゃんがいたと思うんですよ。あの人たちは別に本当に彼女が空襲にあったときにスカートだと逃げられないから注意してるんじゃなくて、空気を読んで我慢しない人がいるのが嫌で攻撃してるんだと思う。そしてそういう、本当はどうでもいい他人の人生に干渉することによって自分が死ぬかもしれない不安から逃げたかったんだと思うんです。  この、スカートを履いて歩いているお姉ちゃんを注意するもんぺのおばちゃんみたいなものと、「和やかさ」を大事にする日本的な美って実はコインの裏表なんだと思うんです。そして残念ながら、このコロナ禍は日本的なものの悪いところの方が出ちゃってる気がしている。なんとかして恒常性を維持したいという気持ちが、ソーシャルネットワークではデマの温床になっているし、休日の小町通りはごった返すということにつながっている。  そこに対して、和やかであることを求める日本的な美のポジティブな面でいかに対抗するかですよね。「毒を以て毒を制す」じゃないけれど。
    丸若 だから僕はこの前お話したとおり、茶を配って「みんな家で飲もうよ」というところから、その次のステップのティータイムというものを考えたいと思っていて。「間」っていうのは和やかさのことだと思うんです。良い間があるということは、和やかな状態のこと。今は隙間のないところに無理やり隙間を作ろうとしてるから、みんな変に必死になっている。それって滑稽じゃないですか。
    宇野 はい、滑稽ですよね。
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  • 「絆」なんか、要らない『半沢直樹』と『あまちゃん』とのあいだで 宇野常寛コレクション vol.21

    2020-05-25 07:00  
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    今朝のメルマガは、『宇野常寛コレクション』をお届けします。今回は、宇野常寛によるメディア論をお届けします。2012年に大ヒットしたドラマ『半沢直樹』『あまちゃん』と、そこに象徴される団塊ジュニア世代のメンタリティを読み解きながら、「テレビの時代」の終わりと、「正しい断絶」に基づいたインターネットの新しい可能性について探ります。 ※本記事は「楽器と武器だけが人を殺すことができる」(メディアファクトリー 2014年)に収録された内容の再録です。
     昨2013年は国内のテレビ放送開始から60年目の節目にあたる。そのため、この一年は各媒体でテレビ文化を総括する企画が数多く見られた。そしてテレビ文化に対しての批評をデビューから多く手掛けてきた僕は、その手の企画に呼ばれることの多い一年だった。新春に放送されたNHKの「朝ドラ」の歴史をさかのぼる番組から、『三田文學』誌のテレビの行く末を案じる座談会まで実にバラエティに富んだ企画に出席したが、そこで問われているものは本質的にはひとつしかないように思える。  それは、もはやテレビの役割は終わったという現実にどう対応していくのか、という問いだ。こう書いてしまうと、実際にこの手の企画で僕と同席することの多い研究者やもの言う制作者たちは不愉快に思うかもしれない。じっさいにこの種の企画の席上でも、僕は彼らとぶつかり合うことが多かった。曰く「とは言え、今はまだ国内最大メディアとしてのテレビの訴求力は大きい」「とは言え今はまだインターネットを情報収集の主な窓口とするライフスタイルは都市部のインテリ層に限られている」……もちろん、その通りだ。しかし、彼らの反論の「とはいえ今はまだ」という語り口が何より雄弁に近い将来にそうではなくなることを、誰もが予感していることを証明しているのではないか。  ある座談会でたぶん僕とは親子以上に年齢の離れた学者先生はこう言った。「とは言え、あの頃のように国民全体に共通の話題を提供するテレビのようなものは必要なのではないか」、と。僕はすぐにこう反論した。「いや、そんなものはもう要らない」と。  人間の想像力には限界がある。目の前で産気づいている妊婦を助けようと考える人も、遠い知らない街が災害に見舞われたと知ってもいまひとつピンと来ない、なんてことはそう珍しくない。この距離を埋めるためにマスメディアが機能したのが、20世紀の歴史だった。遠く離れたところに生きる人間同士をつないで、ひとつにすること。ばらばらのものをひとつにまとめること。こうして社会を成立させるために、マスメディアは有効活用された。そして、有効活用されすぎてファシズム(ラジオの産物と言われる)のようなものが発生し、世界大戦で危く人類が滅びかけたのが20世紀前半の歴史だ。そしてその反省から20世紀後半はマスメディアは政治から独立することを前提に運用されるようになった。しかし、その結果マスメディアは第四の権力として肥大し政治漂流やポピュリズムの温床と化している。  僕はこう考えている。もはやばらばらのものをひとつにまとめる装置としてのマスメディアの役割は、少なくともこの国においては終わっている。会社員男性の大半がプロ野球に興味を持ち、巨人ファンかアンチ巨人だという時代を回復しなくても、社会が破綻することはないだろう(現に破綻していない)。たしかに国家の、社会の成熟の過程でマスメディアが誰もが同じ話題に関心を持ち、重要だと考える「世間」を機能させることは有効だったに違いない。しかし、敗戦から70年に達しようとしているこの老境の近代国家・戦後日本はもはやその段階にはない。現に、インターネットを当たり前に存在するものとして受容している若い知識人層を中心に、「テレビ」の体現する公共性は大きく疑問視され始めている。  僕は社会人になってから一度も新聞を購読したことがない。そしてテレビのニュースはほぼ完全に、見ない。なぜならばそこで話題にされていることが、ほとんど自分の生きている社会のようには思えないからだ。政治報道は政局中心、経済報道は昔の「ものづくり」中心、科学と海外ニュースは割合自体が極端に低い。街頭インタビューで「市民の声」を拾えば、ねずみ色のスーツに身を包んだ新橋のサラリーマンと東京西部のベッドタウンの専業主婦を選ぶ。特にひどいのが文化面で、文化的存在感においても経済規模においても、ほとんど意味のないものになっている芥川賞を一生懸命報道するにもかかわらず、夏冬それぞれ50万人の動員をほこる世界最大級のイベントであるコミックマーケットは会場で事故が起きたときしか扱わない。
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  • 【インタビュー】柴野大造 「世界一のジェラート」はなぜ能登から生まれたのかーー地方の職人の世界との戦い方【PLANETSアーカイブス】

    2020-05-22 07:00  
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    今朝のPLANETSアーカイブスは、石川県能登町でジェラートショップ「マルガージェラート」を営む柴野大造さんへのインタビューをお届けします。ジェラートの世界大会でアジア人初の世界チャンピオンとなるなど職人として国際的な評価も高い柴野さんにとっての地元・能登の価値とは? 地方から新しい「モノ」と「コト」を生み出していく方法について、柴野さんに伺いました。(取材:PLANETS編集部 構成:友光だんご)※この記事は2018年11月28日に配信した記事の再配信です。
    柴野さんも登場する石川県能登町「春蘭の里」の旅のレポートはこちら 奥能登の知られざる魅力を満喫!奇跡の地方創成モデル「春蘭の里」訪問記(前編・後編)
    外の世界へ出て気づいた、実家の牧場でつくる生乳の価値
    ―― まず、柴野さんはなぜ能登でジェラート作りを?
    柴野 僕は能登で生まれ育ったんですが、実家が牧場だったんです。東京農大で勉強したあと、家業を継ぐために能登へ戻ってきました。当時は農産物自由化や生産調整など、酪農家を取り巻く環境が非常に厳しい状況で、なんとかしたいという思いがありました。乳加工品のなかで一番幅広い年代の方に好まれる食品を考えた時に、アイスクリーム、とりわけジェラートだったんです。
    ―― 家業を継ぐにあたって、葛藤みたいなものはなかったんですか?
    柴野 はい。というのも、牛乳の価値に衝撃を受けた経験がありまして。大学3年の夏休みに実家の牧場を手伝っていて、冷蔵庫に入ってる牛乳を何気なく飲んだら、驚くほど美味しかったんですよ。
    ―― それは、今まで意識したことはなかった?
    柴野 ええ。当時は実家を離れて、一人暮らしをしていた時期。近くにいたら見えないけれど、外に出て改めて価値に気づかされることってあると思うんです。僕にとっては、それが牛乳でした。その時の「このおいしさをもっと多くの人に知ってもらいたい」という気持ちが原点にありますね。
    ―― 実家で搾る生乳のポテンシャルを活かそうと思って、その手段がジェラートだったと。
    柴野 あとは、牧場を継いだときに「生産者と消費者の遠さ」を感じたんです。僕たちが情熱をかけて搾った生乳が、飲んだ人にどんな感想を持たれているのかなかなか伝わってこない。当時ブームになり始めていた「6次産業化」のように、酪農家自身がブランドを立ち上げて消費者に直接届けることで、消費者と近づくことができるメリットもありました。

    「組成理論」との出合いがジェラートを変えた
    ―― 柴野さんのジェラートを先ほどいただきましたが、本当においしかった。ただ、それだけではなく、ジェラートの世界大会で入賞したり、「世界ジェラート大使」にアジアから初めて選ばれるなど、国際的にも高い評価を受けていますよね。先ほどの「実家の牛乳の素晴らしさを知ってもらいたい」という動機から、ここまでのレベルのジェラートをつくってしまうことの間には、相当な距離があると思うのですが。
    柴野 独学で始めて、10年目くらいでジェラートの本場であるイタリアを意識し始めたんです。地方でやっていると情報も回ってきづらいし、自分オリジナルの味が本場でどう評価されるのか知りたくて、イタリアの大会へ出場するようになりました。ただ、箸にも棒にもかからないわけです。それで3回目か4回目になぜ自分の味が通用しないのか、一から研究し始めました。
    ―― その原因はなんだったんでしょうか?
    柴野 エクセレントなジェラートをつくるためには、組成理論(composizione gelato finito) に裏付けされた基本ルールがあったんです。つまり、ベストなジェラートの水分率・固形分率・空気含有率の配合比率は既に決まっており、もっと言えばイタリアで通用する固形分の中の脂肪分のパーセンテージも実は化学的根拠のもとに決まっている。その基本ルールの中で既存の素材同士をどう組み合わせるかが職人の想像力の見せ所です。そこに自分のエッセンスを少し加えることが、世界で通用する日本のジェラートを生み出すコツ。そのことが、イタリアの職人と交流してわかってきました。 日本人はここのfantasia(ファンタジー)の世界がどうしても弱い。どの食品の組み合わせでどのような味わいを目指すのか。イタリアの職人たちは普段の何気ない感性に至るまで圧倒的に上の領域にいましたね。 そこからイタリアで売られている分厚い専門書を買って、自分で翻訳して勉強しました。新しい味を生み出す基礎となる構成理論が身についてくると、どんな素材がきても食品成分データベースに照らし合わせて、固形分やたんぱく質の割合を調べて、そこに自分の感性をぶつけることができるようになってきました。すると、世界大会で次々とタイトルをとることができたんです。
    ―― ジェラート作りには化学理論が必要というのは面白いですね。どんな素材が出て来ても取り入れられるのはすごいと思うのですが、何かロールモデルのような人はいるんですか?
    柴野 「ガストロノミージェラートの父」と呼ばれるクラウディオ・トルチェという人がローマにいるんです。その人がアンチョビのジェラートやモルタデッラハムのジェラートを作っていて(笑)。しょっぱい味でもおいしいジェラートになるんだと衝撃を受けて、ジェラートの概念が変わりました。
    ―― それはちょっと、味が想像もつかないですね。
    柴野 全部に砂糖が入って、ジェラートの固形分を構成するんです。本当に奥深いんですよね、ジェラートの世界は。

    「地方だからこそ」のアドバンテージがある
    ―― 柴野さんのお話を伺っていると、地方だからこそのアドバンテージみたいなものを感じます。結果論かもしれませんが、ジェラートが好きだったからではなく、「自分の持っている手持ちのカードを最大限活かす方法」としてジェラートを選んだことが、マルガージェラートのユニークさになったのかなと。
    柴野 なるほど。本場のイタリアで言葉の壁を超えていろんな理論を教えてもらえたのも、僕のジェラートへの情熱ゆえだったと思うんです。その情熱も、情報が少ない地方にいるからこそ生まれたのかなと。
    ―― マルガージェラートは石川県内の2店舗のみですよね。メディア露出も多いですし、県外出店の話は来たりしないんですか?
    柴野 たくさんありますが、すべてお断りしています。東京や大阪に行った時に、大量消費の波に飲み込まれるんじゃないかっていう怖さもあるし。味の監修などの店舗プロデュースや期間限定のデパート出店は時々実施しますが、やはり”出来たての生きているジェラート”は石川県に来ないと食べられない状況ですね。
    ―― 能登のお店も金沢近郊のお店も、ずいぶん駅から遠いですよね。車でないとたどり着けないような。それでも、遠方からお客さんがいらっしゃっていると聞きます。
    柴野 僕が狙っていた状態ですね。これはFC展開していたら起こっていなかったと思うんです。「ここに来なければ体験できない」「ここに来なければ食べれない」「ここに来なければ会えない」……これらがすべてのキーワードかなと思ってます。僕のジェラートをきっかけに、世界中から能登へ人が集まってくる仕組みを生む起爆剤になるんじゃないかと。
    地域素材をジェラートに加工することもできますから、地域の生産者さんと連携することで、彼らに自信を取り戻してほしい。顔の見える生産者さんとお付き合いして、農産物の背景を知り、その人の空気に触れることで、お客様にジェラートとして提供する際にそのストーリーを語りたいですよね。そこが商品の価値だと思うので。
    ―― 猫も杓子も「地方創生」と叫ばれて、どこにでもあるようなご当地コロッケやゆるキャラを作るような現状がある。そこには実は東京の同じ代理店が関わっていて、東京のシーンに合わせて地方が背伸びをしている。この状況は、絶対に間違いだと思うんです。地方で何かしようとしている人たちが「東京からいかに人と金を引っ張ってくるか」を考えすぎている。でも、本当はマルガージェラートのように、東京や大阪の人たちをいかに地方に来させるか、合わさせるかのゲームをやらなければいけない。
    柴野 体感してる時間も流れている空気感も都心と地方ではまったく違うので、こちらのペースで自分たちが継続していける仕組みができればいいと思いますね。
    ―― これだけインターネットも流通も発達すると、鮮度は落ちるけど遠方のモノを食べるハードルは下がっている。そこで、いかに実際に足を運んで人に会う経験を作るか。そこには物語が必要です。モノではなくてコト込みで人に価値を提供するということがないと、独自性は存在し得ないと思うんです。「Amazonでポチれるものに人は物語を感じられるのか」って話ですよ。
    柴野 マルガージェラートに来ないと、この圧倒的に美しい能登の風景には出会えませんから。面白いことに、金沢近郊のお店と能登のお店で食べるのでは、ジェラートの味が違うって言われるんです。ミルクもレシピも使ってる機械も同じなのに。雰囲気や空気感も、味を作る大きな要素なんだなと思います。

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  • 番外編『愛の不時着』| 加藤るみ

    2020-05-21 07:00  
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    今朝のメルマガは、加藤るみさんの「映画館(シアター)の女神」、番外編をお届けします。今回は番外編として、映画作品ではなくNetflixで配信中の韓国ドラマ『愛の不時着』をご紹介します。不慮の事故で北朝鮮に不時着してしまった韓国人の女性と北朝鮮軍人との恋の行方を、南北軍事境界線にまつわるリアルな緊張を交えて描き、いまネトフリきっての話題になっている本作。普段はあまりドラマを観ないというるみさんが、どっぷりと「不時着」沼にハマってしまったその理由とは?
    明日夜20時より、加藤るみさんをゲストにお迎えする生放送、「『愛の不時着』をとことん語る会」があります!
    5/22(金)20時〜『愛の不時着』をとことん語る会(加藤るみ×井本光俊×宇野常寛) 大人気の韓国ドラマ『愛の不時着』。 韓国で会社を経営するエリートの主人公は、予期せぬ事故で北朝鮮へ不時着し、運命の人と出会う──。 このドラマにドハマリしてしまった、タレントの加藤るみさん、編集者の井本光俊さん、そして評論家・宇野常寛が、その魅力について語り倒します。 ネタバレ全開・胸キュン度200%でお届けします!生放送のご視聴はこちらから
    加藤るみの映画館(シアター)の女神 3rd Stage 番外編『愛の不時着』
    皆さん、おはようございます。加藤るみです。
    今回は加藤るみの映画館の女神番外編とさせてください。
    前回、Netflixオリジナル作品の映画を3本紹介したんですが、今回はNetflix独占配信作品のドラマを紹介したいと思います。 前回からNetflixの回し者みたいになっていますが、もちろん違います。
    今回はもはや「映画館の女神」ではないのですが、どうしても語りたい作品を見つけてしまったのです。
    実は私、今までドラマをあまり観ない人生を送ってきたんです。 毎週テレビの前で待機して観るということが性に合わなくて、盛り上がってきたかと思えばまた来週…というジレンマに気持ちが萎えてしまうんですね。 それならHDDの容量を大量に確保して撮りだめして一気に見ればいいのですが、それはそれで面倒くさくて……。
    小学生の頃は、友達からの「昨日あれ観た?」に答えるため毎週しっかり観ていた気もするんです。が、この前、再放送していた『野ブタをプロデュース』をたまたま観たんですが、「こんな内容だったっけ?」と、ビックリするほど内容を覚えていなかったんですよね。 夢中になったドラマを思い返しても片手に収まる程度の本数で、私自身、根本的にドラマに対する興味がないんです。 「ドラマを観るなら一回で完結する映画を観ちゃおう」ってなるんですよね。 だから私がドラマにハマることなんて、よっぽどのことがないかぎり、まずないと思ってたんです。
    が……!!!
    ハマったーーーーー!!! 沼に!!! 大沼にハマってしまったーー!!!
    ちょっと取り乱してしまうほど、面白いドラマがあったんです。Netflixに。 韓国ドラマで、タイトルは『愛の不時着』。最初は「演歌の曲名かよ!」というぐらい渋いタイトルだなと思ってスルーしていたんです。 そしたら、このドラマ大人気のようで、なんとNetflixのTOP10リストで第1位(5/5時点)。 私のフォローしているインスタ映え女子たちもやたら「#愛の不時着 観てます♡」と、やたらストーリーに上げまくっているではありませんか。 いつもなら「ちょっと人気すぎて手を出したくないな」と思ってしまうだろう、あまのじゃくでひねくれ者な私ですが、なんせ今は時間に余裕がありまくり。 なので試しに1話を観てみたんです。
    で。 「何コレ! めちゃくちゃ面白いんですけど!!!」と、昼夜逆転しつつ、全16話を一気に完走。 いやー、どっぷりと。ハマってしまいました。
    そんなこんなで、長い前置きになりました。 今回は、私が韓国ドラマ『愛の不時着』の沼にハマったワケを、じっくり解説していきたいと思います。
    ▲『愛の不時着』予告編
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  • 『自粛の上手な活用法』| 高佐一慈

    2020-05-20 07:00  
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    お笑いコンビ、ザ・ギースの高佐一慈さんが日常で出会うふとしたおかしみを書き留めていく連載エッセイ。外出自粛により家で過ごす時間が増えた高佐さん。時間の使い方をどうしているかというと……。
    高佐一慈 誰にでもできる簡単なエッセイ第5回『自粛の上手な活用法』
     「コロナウイルスの影響により予定していたライブは中止となりました」  2020年1月に中国の武漢で発生した新型コロナウイルスは、今この原稿を書いている4月14日現在まで日増しに猛威を奮い、感染者は増え続け、世の中の殆どの人が家で自粛する状況へと追い込まれている。  いつまでこの状態が続くのかはわからないが、僕個人としてはコロナに対するワクチンができるまでと考えている。つまり少なくとも1年間はこの状態が続くと思っているし、それを覚悟している。勿論、アビガンなどの薬がコロナウイルス感染者に効くことがわかってきたり、一度感染した人が治る事例が徐々に出て来てもいる。もしかしたら夏に向けてコロナウイルスの勢いは衰えてくるかもしれない。だとしてもこれは未知のウイルスなので、最悪のケースを考えるに越した事はない。
     僕の職業は芸人であり、お客さんの前に立ってパフォーマンスをすることを主な活動としているため、当然のことながら予定していた仕事はほぼキャンセルとなった。残った仕事といえば、本当にこのエッセイくらいだ。  とはいえ仕事は無くなってしまったが、なぜだかやることは沢山ある。  芸人とは不思議なもので、仕事ではない事がすべて仕事に結びついてしまう。  よく「休みの日は何をされてるんですか?」という質問を受けるが、いつも答えに困ってしまう。例えばネタを考えることはその時点ではお金は発生しない。けどそれがいつかお客さんの前で形になって現れることで仕事へと変化する。同じように、映画を見たとしよう。これは遊びと捉えられるかもしれないが、この映画から何か着想を得て、それがネタへと昇華し仕事へと変貌を遂げる。新しいゲームをやるとしよう。これは完全に遊びっぽいが、やはり何か知識を得たり、人によってはこのゲームを極めることで仕事へと結びつく。考え出すと仕事になり得ないものはないのではないかと思ってしまう。  料理をする、英会話を始める、楽器を習う、写真を撮る。何だってそうだ。  そんなわけで、僕が今抱えている仕事はとてもじゃないが、緊急事態宣言の効力が切れる5月6日(4月14日時点)までには、とてもじゃないが終わりそうにない。
     この1ヶ月でやらなければいけない仕事をざっと挙げてみよう。
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  • すべては『エヴァ』から始まった~『エヴァンゲリオン』を巡るカラー・ガイナックスの25年史 | 山本寛

    2020-05-19 07:00  
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    アニメーション監督の山本寛さんによる、アニメの深奥にある「意志」を浮き彫りにする連載の第8回。今回取り上げるのは、新劇場版完結編の公開を控える『エヴァンゲリオン』について。日本アニメの転換点となった巨大なインパクトの一方で、以降の歴史を狂わせた拭いきれない負の側面とは?
    山本寛 アニメを愛するためのいくつかの方法第8回 すべては『エヴァ』から始まった~『エヴァンゲリオン』を巡るカラー・ガイナックスの25年史
    2019年の年末、「ガイナックス」の社長が逮捕された。僕には寝耳に水のことで、え、山賀(博之)さんが!?と一瞬戦慄したが、件の社長は、どこの誰だかまったく解らない人だった。ここに改めて、ガイナックスという会社が抱え続けてきた「闇」を感じた。
    その直後、現「カラー」の庵野秀明監督が手記を発表した。
    【庵野監督・特別寄稿】『エヴァ』の名を悪用したガイナックスと報道に強く憤る理由
    そこには赤裸々に、『新世紀エヴァンゲリオン』(1995~)を巡る、庵野監督を含めたガイナックス経営陣・メインスタッフの激しい葛藤が語られている。
    とうとう『エヴァ』が泥仕合に巻き込まれていたことが白日の下に晒されてしまったのだが、僕はその時既に、「さもありなん」と思っていた。
    僕は既に、この空気に気付いていた。
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  • 僕たちはもっともっと深く潜ることができる『あまちゃん』 宇野常寛コレクション vol.20

    2020-05-18 07:00  
    550pt

    今朝のメルマガは、『宇野常寛コレクション』をお届けします。今回取り上げるのは2013年のNHK朝の連続テレビ小説『あまちゃん』です。『木更津キャッツアイ』『タイガー&ドラゴン』等で「地元」や「家族」のイメージを一新し続けてきた宮藤官九郎が、初めて朝ドラ脚本を手がけ、社会現象を巻き起こした本作。2010年代の朝ドラ再生の起爆剤となった歴史的作品で、クドカンは何を描き、何を描けなかったのか? ヒロイン・アキの体現する「アマチュアリズム」の可能性の中心を探ります。 ※本記事は「楽器と武器だけが人を殺すことができる」(メディアファクトリー 2014年)に収録された内容の再録です。
     社会現象にまで発展したNHK朝の連続テレビ小説『あまちゃん』が去る9月28日についに完結した。ご存知の読者も多いだろうが、僕は本作を担当した脚本家の宮藤官九郎の大ファンであり、デビュー作の『ゼロ年代の想像力』では、宮藤を同時代で最も重要な作家として位置づけた。当時の宮藤はまだジャニーズ事務所所属の美少年タレントを主役に据えた若者向けのテレビドラマでカルトな人気を博していた存在だった。(お陰で、当時年長の批評家やその読者からは、馬鹿じゃないのかとさんざん罵られた。)  同時に、僕はいわゆるこの「朝ドラ」のマニアの一人であり、たとえば2007~8年放映の『ちりとてちん』については放映3年後に自分の雑誌(『PLANETS』)で特集を組んだほどだ。(今年の正月にNHKで放送された『テレビ60年 連続テレビ小説“あなたの朝ドラって何!”』にも、若い朝ドラファンの代表として出演している。)  要するに僕はクドカンと朝ドラ、双方の大ファンであり、この『あまちゃん』という企画は言ってみれば盆と正月が一緒に来たようなものだった。放送中は毎回かじりつくように、ほぼリアルタイムで視聴していたし、主宰する雑誌では『あまちゃん』特集の別冊まで出した。  実際、『あまちゃん』は素晴らしい作品だったと思う。仮にこの作品を「採点」するのなら、100点満点で90点をつけるだろう。スタッフにキャスト、そしてそれを支えたファンコミュニティも含めて、かかわったすべての人々に心から敬意を表したいと思う。しかし勇気を出して書くとその高い完成度とは裏腹に、僕は最後までこの作品に強く心を動かされることはなかった。
     劇団「大人計画」所属の作家兼俳優である宮藤官九郎は、当時同劇団の若手としてカルトな人気を博していた。個人的には90年代の小劇場ブームにあまり関心を持てなかったこともあり、僕は宮藤の存在をほぼ知らなかった。そんな宮藤を最初に意識したのは、2000年放映のドラマ『池袋ウエストゲートパーク』だった。そこには、石田衣良の同名原作に描かれていたカラーギャングなど90年代のストリートカルチャーの(やや遅れてきたがゆえに可能だった)批評的な取り込みがあり、堤幸彦が小劇場やアニメからテレビドラマに持ち込んだ実験的な演出があった。しかし僕が一番心惹かれたのは、クドカン一流の「地元」への視線だった。    クドカンが描く「地元」は、それこそ多くの「朝ドラ」が描いてきたような「消費社会で忘れ去られようとしている人間の温かみのある歴史と伝統の街」とは明らかに一線を画していた。むしろそんな「物語」がもはやまったく通用しないという前提から出発したと言っても過言ではない。  たとえば2002年放映の『木更津キャッツアイ』の舞台は当初は同じ千葉県の柏が想定されていたと言われている。要するに、東京からキャストとスタッフがロケに通うことのできる郊外都市ならば「どこでもよかった」のだ。ここで言う「郊外都市」の要件とは何か。それはかつて三浦展が「ファスト風土」と名付けた、消費社会の進行とともに画一化していった風景を持つことだ。北は北海道から南は九州・沖縄までロードサイドにファミレスとパチンコ屋とマクドナルドとブックオフと、そしてイオンのショッピングセンターが並ぶ……。主に左派論壇で否定的に扱われるこうした光景を、(少なくとも)宮藤は決して否定的には捉えなかった。当時『木更津キャッツアイ』で描かれたのは、そんな歴史や伝統と切断されたフラットな空間に、同世代のサブカルチャーや内輪受けの「ネタ」を投入することで、自分たちが生きている街を、何もない街を、自分たちのコミットで自分たちの歴史(偽史)をもつ自分たちの街に変えていく、というアプローチだった。(たとえばクドカンの描く池袋や木更津には、川㟢麻世や哀川翔、そして氣志團などが本人役で登場し、物語に関わっていく。)  2003年放映の『マンハッタンラブストーリー』では、六本木のテレビ局の関係者が集う喫茶店「純喫茶マンハッタン」での恋愛模様が描かれた。タイトルに含まれるニューヨークの地名はまったく物語に関係せず、「マンハッタン」とは主人公たちのたむろする六本木の喫茶店の名称に過ぎない。それどころか、彼らのコミュニティと、六本木という土地の歴史と物語との関係はほぼ存在しない。主にテレビ局関係者が占める彼ら登場人物のコミュニケーションはテレビや芸能界、懐メロを中心としたサブカルチャーのデータベースの共有によって成り立っている。(ちなみに、本作の登場人物たちはロマンチック・ラブ・イデオロギーをかたくなに信仰しながらも、次々と気持ちに変化が訪れてパートナーをとっかえひっかえし、家族もどんどん流動化していく。同作は、土地にも歴史にも家族にも根拠がなくなってしまい、誰もが信じたいものを信じるしかなくなった流動化しきった世界を限界まで追求した作品に他ならない。)  あるいは2005年の『タイガー&ドラゴン』はどうだったか。同作の舞台となるのは浅草という古い、歴史と伝統の強く作用する街だ。そこに現れた孤児の青年・虎児が落語家の大家族と出会うことで、そこに居場所を見つけていく。おそらく『あまちゃん』の基本モチーフの由来の一つがここにある。
     同作では、浅草に根付いた(比較的に)伝統ある落語家の大家族=「土地」や「家族」といった既に古びた概念を、これまで培ってきたノウハウを駆使して(たとえばサブカルチャーのデータベースとの戯れと、それに支えられた血縁を伴わない疑似家族的共同体への期待、など)再生し、その概念を拡張する。『池袋ウエストゲートパーク』や『木更津キャッツアイ』で培った新しい「地元」への視線を交えることで、「歴史」と「伝統」に支えられた古い「地元」を再生していくのだ。今どきの「地元アイドル」によって過疎の地元が再生していく『あまちゃん』と同作の構造は相似形を成していく。一見何もない「地元」でも、自分たちの力で歴史をつくり、文脈をつくり「潜る」ことができる。『あまちゃん』のルーツは間違いなくここにある。東京では「地味で暗くて向上心も協調性も個性も華もないパッとしない」子だったヒロイン=アキが、祖母の住む北三陸に赴くことで、生まれ変わる。付け焼刃の東北弁を操り、ミーハーな思い付きから海女としてデビューすることで居場所を見つけていくのだ。
     近年のクドカンはこうした既存の概念(地元、家族)の新しい想像力による「拡張」という手法を、もっぱら「家族」というテーマで展開してきたように思える。  たとえば東野圭吾による有名原作を大胆にアレンジした『流星の絆』について考えてみよう。同作では、主人公兄弟が血のつながらない妹に抱く疑似近親姦的な愛情や、主人公と昔なじみの刑事との疑似的な父子関係がクローズアップされる。(これはほとんど東野原作では追求されていない要素だ。)そして同作は、過去の犯罪で家族を失った主人公たちがこうした要素を乗り越えて/用いて、いかに「家族」のイメージを拡大していくのか、伝統的共同体や家父長制的イデオロギーを超えた多様であたらしいイメージの家族に拡張していくのか、を描いていく。  また、2011年の末に放映された『11人もいる!』では、東京近郊の大家族が、叔父や祖父はもちろん、最終的には新妻の元彼や死んだ前妻の幽霊まで包摂し、無限拡張してゆく「拡張家族」のイメージを提出した。(また、本作は震災後にクドカンがはじめて手がけた連続ドラマで、劇中では震災をテーマにしたエピソードも存在する。)
     それではここで『あまちゃん』を考える上でクドカンと並ぶもう一つのファクター「朝ドラ」の過去と現在について考えてみよう。
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