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『タッチ』はなにからのバトンを受け取ったのか?|碇本学
2020-04-30 07:00550pt
ライターの碇本学さんが、あだち充を通じて戦後日本の〈成熟〉の問題を掘り下げる連載「ユートピアの終焉――あだち充と戦後日本の青春」。今回から、いよいよあだち充を国民的漫画家に押し上げた代表作『タッチ』の分析に入ります。漫画史に衝撃を与えた「上杉和也の死」をめぐる編集サイドの葛藤、そしてその背景にある戦後文化の転換と「劇画」の時代の終焉について、光を当てていきます。
ユートピアの終焉──あだち充と戦後日本社会の青春第12回 『タッチ』はなにからのバトンを受け取ったのか?
上杉和也が死んだ日
あだち充の代表作でもあり、野球漫画の金字塔のひとつである『タッチ』。老若男女いろんな世代に知っている「野球漫画」を聞けば、多くの人が挙げるのがこのタイトルだろう。 1970年に漫画家デビューしたあだち充が1981年から1986年まで「週刊少年サンデー」で連載をした作品であり、野球漫画において『タッチ』以前、以後という概念を作り出した漫画の歴史に燦然と輝く作品だ。
主人公の双子の弟の上杉和也が死んだ回「ウソみたいだろ…の巻」が掲載された「少年サンデー」’83新年1•2合併号が発売された日、編集部には非難轟々の電話が鳴り続けていた。その時、電話番として編集部に残されていたのは『タッチ』の二代目編集者の三上信一だった。 三上は一日中、「人殺し」「許さない」など罵詈雑言を浴びせ続けられることになった。罵られるよりも、受話器の向こう側で何も発さずに聞こえてきたすすり泣きを聞き続けた時に胸が張り裂けんばかりに締め付けられたという。
この和也の死が決定的になった「ウソみたいだろ…の巻」は、あだち充と三上とわずかな理解のある編集者を除いてはなんとか阻止したいものだった。人気漫画の主人公の一人を殺すことで人気が下がってしまうことを恐れていた編集部は、何度も担当である三上を通じて、あだちにそれだけはしないでほしいと伝えていた。
主人公がふたりいて、ひとりが亡くなるという設定だけを最初に決めて。適当に打ち合わせしながら、ふたりのうち才能があるほうがいなくなって、残されたでき損ないの話をやろうと考えた。「タッチ」というタイトルも、かなり早くから決めてたと思う。その他に決まってたことは……ないかな。何しろ「どうなってもいいや」で始めた連載ですから。
高校1年の夏、地区大会決勝戦の当日に和也が死ぬということは、早い段階から決めてました。 担当編集者以外、ほとんどの人間が反対でしたよ。でも、今さら引き返せない。この漫画はそこから始まると、最初から思ってたんで。もちろん先のことは考えてないけど、それをやらないと、この漫画を始めた意味がない。 もう少しラブコメを続けるという選択も、もちろんあったかもしれない。でもこれを描いてた頃は、「守り」の気持ちがまったくなかった。このままやっていけば人気がずっと続くだろうとか、別に攻めてたつもりはまったくなくて、こうしなくちゃダメだと思ったし、こういうことがやりたかったんだよね。 自分の選択に確信もなかったんですよ。やってダメだったら、それはそれでいいや。その程度の覚悟ですけど。とにかく、そのまま続けるのだけは嫌だった。 担当の三上からも、一度も和也を「殺すな」とは言われなかった。担当がそういう覚悟なら、編集長から言われることは気にしなかった。このことに関して、当時編集長と副編集長が事務所に来たことも一度あったような気がする。「転校させ」だの、「外国に行かせろ」だの言われるのを黙って聞いてました。でもこっちとしては担当編集者を信じてましたので。
あだち充がインタビューで語っているように、連載を始める最初から上杉和也を殺すことだけは決めていた。『タッチ』は主人公の一人である上杉和也が死んで、ほんとうの物語がはじまる。その後のことは決めていなかったが、そうすることでしか描けないものをあだち充は本能で嗅ぎとっていた。
「少年サンデー」編集部の多くの編集者の反対や心配をよそに、『タッチ』二代目編集者の三上はこの号の原稿をあだちから受け取り、校了をこっそり隠れて行い、編集部から二日間姿を晦ます暴挙に出た。携帯電話もない時代に、ほかの「少年サンデー」編集部の誰も逃げた三上を捕まえることはできずに、ましてや校了された原稿を差し替えることもできなかった。同時にあだち充も姿を晦ました。三上ではない編集者に見つかってしまえば、和也が死なない原稿を描かされる可能性があった。 編集部から逃げていた三上は最悪の場合は異動になるだろうと覚悟していた。しかし、編集部から命じられたのは、異動でも担当替えでもなく、「ウソみたいだろ…の巻」の回が掲載された「少年サンデー」発売日に編集部の電話の前で待機しろというものだった。
のちに「ヤングサンデー」編集長になった三上は、連載漫画だった浅野いにお『ソラニン』で主人公のひとりである種田が死んでしまったことに関して、「主人公のひとりを殺すことはほんとうに大変なことなんだぞ」と浅野いにおを怒ったというエピソードがある。『タッチ』連載時の和也が死んだ回の発売日の電話のことが脳裏に浮かんだに違いない。しかし、三上は描いてしまったものは仕方ないので、死んだ後の再開一話目は明るい感じで、葬式シーンはやめようと浅野いにおに提案したという。
三上のファインプレーによって成されたもう一人の主人公である「和也の死」がなければ、『タッチ』という漫画は「野球漫画」として始まることができなかった。そのためには、あだちとはある意味で正反対な初代担当編集者の白井康介と、二代目担当編集者の三上信一という「熱血」好きな編集者が必要不可欠だった。
「熱血」編集者が繋いだ「野球漫画」へのバトン
もともと「みゆき」に関しては、主人公にスポーツをやらせない、と最初に決めてたんですが、「タッチ」の場合、初めての週刊連載ということもあって、日常ドラマだけだと持たなそうだなと思って、保険として野球の要素も入れただけの話なんですけどね。
今では「野球漫画」の代表格である『タッチ』の「野球」の部分が、このように保険でしかなかったことを知ると驚きは隠せない。では、なぜその保険であった「野球」の部分が前面化して「日常系ラブコメ」から「野球漫画」になっていったのだろうか。
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『最高に素晴らしいこと』『ユニコーン・ストア』『マリッジ・ストーリー』──STAY HOMEにおすすめのNetflixオリジナル作品3選|加藤るみ
2020-04-28 07:00550pt
今朝のメルマガは、加藤るみさんの「映画館(シアター)の女神」、第4回をお届けします。今回は、映画館に行けない今だからこそ観ておきたい、るみさん厳選のNetflixオリジナル作品3本をご紹介します。ティーンエイジャーの心の傷に触れる繊細な恋愛映画『最高に素晴らしいこと』、夢かわいい世界観だけど力強いメッセージが込められたファンタジードラマ『ユニコーン・ストア』、そして愛を諦めたすべての人に観てもらいたい、切なくも優しい離婚劇『マリッジ・ストーリー』です。
おはようございます、加藤るみです。
最近は、スーパーか歯医者に出かける以外はお家で過ごす毎日を送っています。 私はもともと家に居るのが大好きな人間なので、そんなにストレスを抱えることなく、充実したお家時間を過ごしています。 むしろ、見逃していた映画を沢山観ることができて、フィルマークスの更新頻度が捗っています。
それと、この連載の第2回で言っていたスペシャルな体験ですが、この新型コロナウイルスの影響で、思いっきりなくなってしまいました……。 もうもったいぶる必要も何もないのですね。実は私、懸賞でLA旅行が当たっていたのです。 いやー、あれだけ匂わせておいてこのオチでございます。 こんなふうにアッサリここでお話しすることになるなんて……。 好きな映画会社のスタジオも見学する予定だったので、まさに痛恨の極みです。 ですが、いつかはリベンジするぞと燃えているので、その時はまた匂わせていきたいと思います。
さて、皆さんはお家時間いかがお過ごしでしょうか?
私はもっぱら映画三昧な日々を過ごしておりますが、この状況もあり友達から動画配信系サブスクリプションサービス(以下サブスク)のオススメを聞かれることが増えました。 いま、動画配信系サブスクがいくつかありますが、どれに入ったらいいかわからないという方も沢山いると思います。 そこで今回は、私が加入している動画配信系サブスクAmazon Prime Video、U-NEXT、Netflix、3つのそれぞれの特徴を映画好き視点で紹介していきたいと思います。
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我々の身体を"マリオ"化する企て――チームラボ猪子の日本的想像力への介入 宇野常寛コレクション vol.19【毎週月曜配信】
2020-04-27 07:00550pt
今朝のメルマガは、『宇野常寛コレクション』をお届けします。今回は2014年に開催された「チームラボと佐賀 巡る!巡り巡って巡る展」を取り上げます。海外ではすでに新世代のデジタルアートの旗手として大きな注目を浴びていながらも、チームラボにとって日本国内ではほぼ初めてだった大規模な展覧会。宇野にとっても彼らのアートと系統的に向き合っていくターニングポイントとなった異例ずくめの佐賀展は、情報技術と日本的想像力との関係を、どのように更新したのでしょうか? ※本記事は「楽器と武器だけが人を殺すことができる」(メディアファクトリー 2014年)に収録された内容の再録です。
※チームラボ代表・猪子寿之さんと宇野の対談を収録した「人類を前に進めたい チームラボと境界のない世界」(PLANETS刊)好評発売中です!詳細・ご購入はこちらから。
「超楽しいよ、佐賀」「佐賀、ハンパないよマジで」「福岡から電車で一時間しないよ。マジすぐだから」 打ち合わせにならなかった。 その日僕は事務所のスタッフと一緒に水道橋のチームラボに来ていた。チームラボとは猪子寿之が代表をつとめる情報技術のスペシャリストたちのチームで、近年はデジタルアート作品を数多く発表している。主催の猪子が掲げるコンセプトは情報技術による日本的な想像力の再解釈だ。西欧的なパースペクティブとは異なる日本画の空間把握の論理を現代の情報技術と組み合わせることで、猪子はユニークな視覚体験を提供するデジタルアートを多数産み出してきた。
僕はいま、彼らチームラボと2020年の東京オリンピックの開催計画を練っている。ほうっておけば高齢国家・日本が「あの頃は良かった」とものづくりとテレビが象徴する戦後日本を懐かしむだけのつまらないオリンピックが待っている。そこで、僕はいま仲間たちと若い世代が考えるあたらしいオリンピック・パラリンピックの企画を考えて、僕の雑誌(PLANETS)で発表しようとしているのだ。僕たちの考えではテレビアナウンサーが感動の押し売り的文句を連呼し、「同じ日本人だから」応援されることをマスメディアを通じて強要されるオリンピックの役目はもう、思想的にもテクノロジー的にも終わっている。僕たちが考えているのは最新の情報技術を背景にした、あたらしい個と公のつながりを提案するオリンピックだ。開会式の演出からメディア中継にいたるまで、実現可能な、そしてワクワクするプランを提案すべく日々議論している。だからこの日もそんな議論が行われるはずだったのだが、猪子の口から出るのはいつまで経っても「佐賀」の話題だった。
そう、その日(3月10日)佐賀県ではチームラボの展覧会「チームラボと佐賀 巡る!巡り巡って巡る展」が開催中だった。チームラボの評価はむしろシンガポール、台湾などアジア圏のアート市場で高く、国内での大規模な展覧会は今回が初めてのものとなる。今回の展示は佐賀県内の4ヶ所にも及ぶ施設にまたがる大規模なものだが、存命の、しかも弱冠36歳の若いアーティストの展示を県が主催するのは異例のことだ。この異例の開催については県庁内でもさまざまな議論が交わされたようだが、開催後は予想外の好評と来場者数の伸びに湧いているという。その日猪子は半分冗談まじりに、あと二週間足らずで終わるこの展覧会を僕に観ろ、と繰り返した。
たしかに一度、猪子の作品をまとめてじっくりと観てみたいという気持ちは以前からあった。しかし、観に行くとしたらその週末に弾丸ツアーを敢行するしかない。さすがにその展開はないだろう、と思っていた僕を動かしたのは何気ない猪子の一言だった。「会期延長しようぜ1ヶ月くらい。なら行ける」と口走った僕に、猪子はこう言ったのだ。「宇野さん、俺と宇野さんの一番の違いはね。なんだかんだで宇野さんは夢を生きている。でも、俺は現実を生きているんだよ」と。もちろん、これは冗談だったのだと思う。でも、僕はこの何気ない一言に猪子寿之という作家の本質があるような気がしたのだ。そして、僕は気がついたら答えていた。「え、じゃあ、行っちゃおうかな。うん、行くわ」と。
ここで猪子という作家の掲げる「理論」を簡易に説明しよう。猪子曰く、西欧的なパースペクティブとは異なる日本画的な空間把握は現代の情報技術が産み出すサイバースペースと相性がいい。全体を見渡すことのできる超越点をもたないサイバースペースは日本画的な空間と同じ論理で記述されるものだ、と猪子は主張する。そして、多様なコミュニティが並行的に存在し得る点は多神教的な世界観に通じる。猪子はこのような理解から日本的なものを情報技術と結びつけ、たとえば日本画や絵巻物に描かれた空間をコンピューター上で再解釈したデジタルアート(アニメーション)を多数発表している。
その題材の選択からオリエンタリズムとの安易な結託と批判されがちな猪子だが、実際に国内の情報社会がガラパゴス的な発展を続けていること/そしてその輸出可能性が検討されていることひとつをとっても、猪子の問題設定のもつ射程はオリエンタリズムに留まるレベルのものではないのは明らかである。
さて、その上で以前から僕が指摘しているのはむしろ猪子のキャラクター的なものへの態度についてだ。 猪子が度々指摘する主観的な、多神教的な、アニミズム的な世界観は同時にキャラクターというインターフェイスを備えている。たとえば私たち日本人は本来「人工知能の夢」の結晶であるはずの「ロボット」を「乗り物」として再設定している(マジンガーZ、ガンダム、エヴァンゲリオン)。「初音ミク」もまた集合知をかりそめの身体に集約して、作品を世界に問うための装置だと言える。要するに私たちは、日本人は自分とは異なる何かに、ときには集団で憑依して社会にコミットする(「世間の空気」を「天皇の意思」と言い換える)という感覚を強く有しているのだ。
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【特別対談】古川健介×ドミニク・チェン 事業者から見たポスト〈検索〉時代(前編)【PLANETSアーカイブス】
2020-04-24 07:00550pt
今朝のPLANETSアーカイブスは、古川健介さんとドミニク・チェンさんの二人の事業者による、インターネットの未来像についての対談をお届けします。 前編では「Snapchat」「MSQRD」「Slack」「Medium」など、ウェブサービス界隈にインパクトを与えたサービスを取り上げながら、テキスト情報よりも画像や動画が優位になりつつあるポストTwitter時代のコミュニケーションについて論じます。 ※本記事は2016年5月2日に配信した記事の再配信です。
◎司会:宇野常寛
◎構成:長谷川リョー
動画のSNS化による新しいリアリティの誕生
宇野 今回、お二人をお呼びしたのは、ウェブ事業者だからこそ見えるモノを、ちゃんと言語化してくれるのではないかという期待があったからなんですよね。
「ウェブサービスから社会へ」が当たり前になって一段落ついたことで、その話を誰もしなくなった気がするんですよね。今はそれよりも「シェアリングエコノミー」や「IoT」の話題を出す方がアンテナが高く見えちゃうところがある。
でも逆に、定着フェーズに入った今だからこそ、もう一度ウェブについて考えるべきではないのか。エッジの表明ではなく、定点観測的にやってみることに僕は意味があると思ったわけです。
ドミニク たしかにウェブの事業を運営していて、ユーザーの動向を人間観察的に深い目線で追っていると、「これは人類学的に興味深いよね」というようなことが日常的に起きてますよね。
宇野 普通の事業者は、それをビジネスに最適化することしか考えていないけど、もう少しジェネラルに照らし合わせたり、あるいは複数の人間で抽象化し、共有していくことに意味があると思うんだよね。
この企画は「Snapchat」を中心にする予定だったんだけど、そこに囚われずに、「今はこれがキテる」みたいなサービスを見ていくところから始めていきましょうか。
古川 最近の流行でいえば、「MSQRD(マスカレード)」というアプリが流行っていますよね。Facebookに買収されて話題になりましたが。カメラで顔を映すとマスクをつけた動画が撮れるというやつですね。
▲MSQRD(出典)
宇野 仮面を被るから「マスカレード」ね。
古川 二人でやるとお互いの顔が入れ替わるという機能もあって、これが異常にシェアされているんです。
Instagramで写真のフィルターがブレイクして以降、ビデオで同じような処理をやろうとしたアプリはたくさんあるんですが、動画はフィルターをかけても面白くならないんですよね。そういった中でこのアプローチが一番ウケた。
ドミニク Snapchatにしても、最初は「こんなものどうするんだ」と大人たちに言われていたものが、いつの間にかメディアになってますから。この先どうなっていくかは、分からないですよね。
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丸若裕俊 ボーダレス&タイムレス――日本的なものたちの手触りについて 第11回 (いまだからこそ)「一服」の価値を再考する
2020-04-23 07:00550pt
工芸品や茶のプロデュースを通して、日本の伝統的な文化や技術を現代にアップデートする取り組みをしている丸若裕俊さんの連載『ボーダレス&タイムレス──日本的なものたちの手触りについて』。今回は、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて丸若さんが始めた、茶のプレゼントをめぐる対話です。先行きの見えない今だからこそ、茶が提示することのできる可能性を探ります。(構成:石堂実花)
贈り物としての茶が持つメッセージ
丸若 最近、新型コロナウイルスの影響でなんだか人と会いづらくなっているじゃないですか。このタイミングに自分もなにかできないかと考えて、ぱっと浮かんだのが「炊き出し」なんですよね。災害が起きる度にどこよりも先に、その土地にあらわれるような存在ってすごいなと思っていて、それに近いことができないかと考えていて……。 そして最近1パックずつの茶を、近しい方々へまとまった数をセットしてプレゼントするということをやっているんです。もらった人は、自分で飲む以外にも、仕事先とか会社とかに渡すのも自由にしてくださいという形で送っています。正直、このご時世なので何をやっているんだとお叱りを受けることもあるかなと思っていたんですが、実際に送ってみると「はっとした」「そういうことだよね」と言われたという反応が多くて、ほっとしています。
宇野 これは面白いですね。というか、久しぶりに「粋な話」を聞いたな。いま、たしかに新型コロナウイルスの影響で人と会いづらくなっているけれど、多くの人はその埋め合わせを、インターネット上での過剰なコミュニケーションによって行っていると思う。寂しさを埋め合わせるために、とにかくインターネットでコロナウイルスについて話すことに夢中になっている。けれど、そういった寂しさの埋め方というか、不安の誤魔化し方を僕はあまりいいことだとは思わないんですよね。そういったコミュニケーションが、デマやフェイクニュースの温床になってしまうことを、僕らはあの震災でさんざん思い知ったはずですから。
でも、このやり方ならちょっと違う人間同士のつなぎ方ができるように思う。インターネットを使って言葉だけで過剰につながろうとすると、目の前の不安から逃げ出したい気持ちに負けてしまうけれど、言葉じゃなくてモノを渡されるとちょっとそこが違ってくる。しかも、iPhoneとか宝石とかじゃなくて、茶が送られてくる。それってモノのプレゼントじゃなくて、実は時間のプレゼントなんですよね。「一拍間をおいて、一服しませんか」というメッセージになっている。このタイミングだからこそ、このメッセージはとても意味がある。不安から安易な言葉のつながりに逃避するのではなくて、一服してきちんと不安を受け止めようということですよね。
丸若 たとえば、こんなご時世だから宅配サービスみたいなサービスを利用しようという人も増えていると思います。でも、ああいうサービスは良くも悪くもですが、人と人との関係を切ってしまいがち。でも、同じ遠隔のコミュニケーションでもこういうかたちなら、遠隔のコミュニケーションだからこそ伝わる真心があると思うんです。だから今回は、茶のプレゼントを通じて、みんなを共犯者にしようと思って……。
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與那覇潤 平成史──ぼくらの昨日の世界 第11回 遅すぎた祝祭:2009-10(後編)
2020-04-22 07:00550pt
今朝のメルマガは、與那覇潤さんの「平成史──ぼくらの昨日の世界」の第11回の後編をお送りします。政権交代以降、鳩山民主党政権が様々な幻滅を振りまく一方で、地方では橋下徹らのタレント首長がSNS環境を背景に「躁的」なムーブメントを引き起こします。2010年に政権を継いだ菅直人首相の誕生は、「後期戦後」の社会課題に対応したニューレフトがついに国政のトップを握った瞬間でしたが、21世紀の国際情勢の変化を前に無力を露呈していきます。
軽躁化する地方自治
「わたしを次期総裁候補として、次の衆院選を戦う覚悟があるのか」
時計を政権交代前の2009年6月に戻します。目玉候補として口説くため、わざわざ会談に訪れた自民党の政治家にこう言い放った地方首長をご記憶でしょうか。言われた相手は当時、選対委員長を務めていた古賀誠。党内派閥・宏池会(現在は岸田派)の会長にして、短期間ながら森喜朗政権の後半(2000~01年)に幹事長も務めた大物です。
正解は、宮崎県知事だった東国原英夫。元々は芸名を「そのまんま東」というビートたけし門下のタレントでしたが、第一次安倍政権下の2007年1月に無所属で知事に当選。往年の人脈も活かして積極的なTV出演をこなし、地域おこしのシンボルとして人気を博していました。もっとも自民党の側はさすがに冷静で、当日のうちに細田博之幹事長が「知事が総裁候補を条件にしたのは、(出馬打診を)断るための冗談だろう」と一蹴します[22]。
そういう有権者がどれだけいたかはともかく、私にはこれはある昭和の挿話を思わせ、哀愁をそそる光景でした。1977年の12月、現職の横浜市長のままで飛鳥田一雄が社会党委員長に就任(翌年3月に市長辞職)。都市部のニューカマーの票を共産党や公明党に食われ(第6回)、退潮傾向が続く社会党が、革新自治体のエースとして声望の高かった飛鳥田を担いだものです。もともと60年安保に前後して同党の衆院議員だったこともある飛鳥田は、市長時代には政令に基づきベトナム戦争を支える米軍車両の通行を阻止するなど、精力的な活動で左派系市民の共感を得ていました。逆にいえば、名物首長にすがる2009年の自民党は、当時の社会党にも通ずる凋落過程に入ったとも見えたわけです。
このころ私がよく、仕事でつきあう人に口にしていたジョークは、「革新自治体とネオリベ自治体は順番がだいたい同じ」。前者は飛鳥田一雄・横浜市長(初当選は1963年)→美濃部亮吉・東京都知事(67年)→黒田了一・大阪府知事(71年)→本山政雄・名古屋市長(73年)。後者は石原慎太郎・東京都知事(1999年)→中田宏・横浜市長(2002年)→橋下徹・大阪府知事(08年)→河村たかし・名古屋市長(09年)。要は首都圏から始まったうねりに少し遅れて関西が食いつき、最後に東海地方が乗っかるというオチですが、ゼロ年代末のタレント首長ブームは国政での二大政党化が行き止まりを迎える中で、誰も予想しなかった風雲の震源地となっていきます。
なかでも台風の目となったのは、元々は自公の府連の支援(ただし公明は「核武装容認」など過去の問題発言を危惧し、推薦でなく支持のみ)で当選しながら、2010年4月に「大阪維新の会」を結成、やがてそれを国政政党に育てる橋下徹さんでした。1969年生で、政治家デビュー時はわずか38歳。小学校高学年で80年代を迎え、平成の訪れとともに新成人になった世代ですから、地方政治といえば「オール与党」が当たり前で、革新自治体の記憶はほぼないでしょう[23]。橋下現象にいたる地域史を長い視野で捉えた、砂原庸介さん(政治学)の『大阪』を参照すると、そのことが持つ大きな意味が見えてきます。
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與那覇潤 平成史──ぼくらの昨日の世界 第11回 遅すぎた祝祭:2009-10(前編)
2020-04-21 07:00550pt
今朝のメルマガは、與那覇潤さんの「平成史──ぼくらの昨日の世界」の第11回の前編をお送りします。2009年9月、ポスト小泉期の自民党政権の迷走を打破するかたちで発足した鳩山民主党政権。それは平成初期からの政治改革勢力の悲願だった二大政党型の政権交代の実現として大いに歓迎されますが、この国の〈成熟〉を促す契機としては、何重もの意味で「遅すぎた」ものでした。
【イベント情報】4月21日(火)のイベント「遅いインターネット会議」に與那覇潤さんがご出演されます。自らの『中国化する日本』は「間違いだった」と述べる與那覇さんが、その反省からいま改めて現代史を整理するパースペクティブを再提示します。詳細・お申し込みはこちらまで!
市民参加の果てに
双極性障害の最重度の病態に、ラピッドサイクラー(急速交代型)と呼ばれるものがあります。躁とうつのサイクルを1年間に4回以上繰り返す症例を指す概念ですが、平成21~22(2009~10)年の日本政治は、ほとんどこれに近かったかもしれません。
ポスト小泉期の信用失墜とリーマンショックの直撃もあり、自民党の麻生太郎政権の支持率は2009年8月時にわずか22%(『東京新聞』)。同月の衆院選を経て9月に発足した民主党首班の鳩山由紀夫内閣(社民党・国民新党との連立)は、自民党寄りの講読者の多い『読売新聞』の調査ですら、当初75%の圧倒的支持率を記録します。これが翌10年5月には19%まで急降下するものの、しかし首相を菅直人に交代するや64%に回復。ところが菅氏の唐突な消費増税発言を受け、7月の参院選で民主党は大敗。とはいえ9月に同党の代表選で菅が小沢一郎を破ると、世論は好感して再び支持率が66%に戻り、しかしその後の政局で、11月にはリベラル派の『朝日新聞』の調査でも27%に再降下──[1]。短命政権の多さで知られる平成の政治史でも、ここまで極端な民意のぶれ方は空前のものでした。
なぜ、発足時には国民に歓迎された二度目の──小選挙区制による「直接対決」を経て生まれた点では最初の、非自民政権はかくも不安定だったのか。平成冒頭からの歩みをふり返ってきたいま、ひとことでその理由をまとめるなら、この2009年の政権交代が何重もの意味で「遅すぎた」からだと言うほかはありません。
「反自民」だけが共通点の寄せ集めと揶揄された民主党ですが、しかし鳩山由紀夫・菅直人・小沢一郎らはいずれも1993年に細川非自民連立を作ったメンバーで、実際にこの連立を「第一次民主党政権」とする見方もあります(2009年の相違点は、公明党が自民側へと抜けていたこと)[2]。当時、小沢氏がビジョンとして掲げた『日本改造計画』は、北岡伸一や竹中平蔵など後に自民党政権を支えるブレーンも動員して作られており(第3回)、その点で「非自民」の側に政権のボールが返ってきたとしても、ある程度の安定性を持った政策の遂行は可能なはずでした。
最初のつまずきは、麻生政権の意外な不人気と経済危機で衆院解散が引き延ばされていた2009年3月、民主党代表だった小沢一郎の資金管理団体「陸山会」に検察のメスが入ったことでした。建設会社から裏金を受領したとするのが主な嫌疑で、仮に事実としても小沢本人の責任をどこまで問えるかなど、疑問点の多い事件ですが、同月の世論調査でも66.6%が「代表を辞めるべき」と答える厳しい声が相次ぎ(共同通信調べ)[3]、秋の政権交代時には同党代表=首相は鳩山由紀夫に替わっていたのです。総選挙の遅れによるこのボタンの掛け違いは、やがてハレーションのように民主党政権の不安定要因となっていきます。
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フル・フロンタルこそ真の「可能性の獣」である『機動戦士ガンダムUC』宇野常寛コレクション vol.18【毎週月曜配信】
2020-04-20 07:00550pt
今朝のメルマガは、『宇野常寛コレクション』をお届けします。今回取り上げるのは『機動戦士ガンダムUC』です。ファースト・ガンダム世代の作家・福井晴敏をストーリーテラーに迎え、架空歴史=宇宙世紀への本格的な改変・介入を、富野由悠季以外の作家がはじめて行い、富野批評的な側面を負うこととなった本作。主人公バナージやミネバといった新世代のニュータイプたちの成長劇として描かれたはずの物語の陰で、「説教リレー」に淫する中年世代の危うい本音とは? そして彼らが対峙する「悪役」フル・フロンタルが抱く、作者にも見過ごされた可能性とは? ※本記事は「楽器と武器だけが人を殺すことができる」(メディアファクトリー 2014年)に収録された内容の再録です。
今からさかのぼること33年前──1981年2月22日今やそこはまったく別の意味で「聖地」となりつつある新宿東口のスタジオ・アルタ前はアニメファンでごったがえしていたという。70年代末からのアニメブームは『宇宙戦艦ヤマト』などのヒット作を中心に、国内におけるアニメーションを児童向けのいわゆる「ジャリ番」から、大人まで楽しめるサブカルチャーの1ジャンルに押し上げていった。その流れの中核にあったのが、79年にテレビアニメ第一作が放映開始された『機動戦士ガンダム』だった。テレビでの本放送時は玩具の売り上げ不振等の理由からいわゆる「打ち切り」の憂き目を見た『ガンダム』だが、その革新的な世界観と重厚な物語などで折から形成されていたアニメファンのコミュニティで大きな支持を受け、アニメブームの主役となっていった。
そして加熱するファンコミュニティの空気に応えるかたちで『ガンダム』劇場版三部作の公開が決定され、その宣伝イベントして企画されたのがこの「アニメ新世紀宣言」だった。 「私たちは、アニメによって拓かれる私たちの時代とアニメ新世紀の幕開けをここに宣言する」壇上に立った富野喜幸(現:由悠季)はそう宣言した。『ガンダム』の生みの親として、今でこそ広く知られている富野だが当時はまだ知る人ぞ知る存在だった。この時期の富野の発言にはたびたび、自作を中心とするアニメを子供向けの低俗な娯楽としてではなく、独立した1つの文化ジャンルとして受け入れる若者たちの感性を、新世代の感性として肯定する内容が見られる。80年代の後半から富野はどちらかといえばサブカルチャーに耽溺し、情報社会に適応した若者を現代病の患者として否定的に言及することが多くなったので、現在の富野を知る読者はこうした発言を知るとむしろ驚くかもしれない。
さて、ここで注目したいのは『機動戦士ガンダム』の作中で登場する「ニュータイプ」という概念が、当時の新世代─アニメ新世紀宣言に賛同した若いファンたちの世代─と重ね合わされていたということだ。「ニュータイプ」とはファースト・ガンダムと呼ばれる初代『機動戦士ガンダム』の作中で、新兵のアムロがエースパイロットとしてわずか数カ月の間に急成長する根拠として与えられた設定である。それは人類が宇宙環境に適応することで発現する一種の超能力である。しかしそれはテレキネシスやテレポーテーションといったものではなく、極めて概念的で、抽象的な超能力で超認識力ともいうべきものだ。「ニュータイプ」に覚醒した人類は、地理や時間を超えて他の人間の存在を、それも言語を超えて無意識のレベルまで感じることができる。これは富野による極めて個性的な超能力設定だと言える。宇宙移民時代に人類が適応し始めたとき、その認識力がこのようなかたちで拡大していく、と考えた作家は古今東西他にいないはずだ。
そしてこの「ニュータイプ」という概念は、作品外のムーブメントと結果として重ね合わされることになった。後にメディアを賑わせる「新人類」の語源のひとつがこの「ニュータイプ」であるという説もあるが、おそらくは「新世紀宣言」が代表する当時のアニメブームが、前述のように世代論と深く結びついていたことがその説の背景にあると思われる。当時物語の中で描かれた「ニュータイプ」とは人類の革新であり、社会的にそれは「アニメ新世紀宣言」が掲げたように、新しいメディアに対応した新世代の感性の比喩だったのだ。
あれから約30年、当時ティーンだった「ニュータイプ」たちは今や40代の堂々たる中年になっている計算になる。その後『ガンダム』は81年から上映された劇場版三部作と、小中学生の間でのプラモデル商品の大ヒットを通じて社会現象化していった。そしてそれから30年、何度か下火になりながらも断続的に続編が発表され、その広がりはアニメに留まらず、プラモデル、ゲームなどにもおよび「ガンダム産業」と呼ばれる現在においては国内最大級のキャラクター・ビジネスを生み出すシリーズに成長している。
そのシリーズ展開は多岐にわたり、ティーンを対象とした続編が制作され続ける一方でファースト・ガンダムのファン層をターゲットにした中年向け作品も存在する。いや、正確にはこの「ガンダム産業」はこうした中高年市場に大きく依存していると言っても過言ではないだろう。
さて、そんな中高年向けガンダム市場の中核にここ数年君臨しているのが今回取り上げる『機動戦士ガンダムUC』である。本作はストーリーテラーに『終戦のローレライ』などの歴史SF、『亡国のイージス』などのポリティカルフィクションで知られる福井晴敏を迎え、『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』の続編的な物語を展開している。本作ではこれまで事実上の原作者であった富野のみが許されていたファースト・ガンダムから続く架空歴史=宇宙世紀への本格的な改変・介入をはじめて富野以外の作家が行い、作中にはブライト・ノア、カイ・シデンといったファースト・ガンダム以来の人気キャラクターが多数登場する。要するに高齢の原作者に代わり、40代のファーストガンダム世代の作家が「正史」を紡ぐ権利を手に入れた、と言えなくもないだろう。その結果、本作はファーストガンダム世代の「ファン代表」である福井による、富野批評的な側面を否応がなく負うことになった。そして、結論から述べれば本作をもって、富野由悠季が築き上げてきた「ガンダム」シリーズの、特に物語面での達成はほぼ引き継がれることなく失われてしまうであろうことがはっきりしたように思う。
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【特別寄稿】「香港雨傘運動——リトル・ピープルの宴会にようこそ」/香港中文大学講師・張彧暋【PLANETSアーカイブス】
2020-04-17 07:00550pt
今朝のPLANETSアーカイブスは、香港中文大学講師で社会学者の張彧暋(チョー・イクマン)さんの寄稿を掲載します。2014年9月に行われた「雨傘運動」と呼ばれる、香港の普通選挙を求める抗議運動を、張さん自身のリアルタイムの体験とオタクならではの喩えをまじえつつ、メディア論と社会学の観点から徹底解説します。※本記事は2014年11月7日に配信した記事の再配信です。
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・東アジアのネット受容を探る――社会学者・張彧暋に「香港的インターネット」事情を聞いてみた
・2020年、押し寄せる大量の中国人観光客にどう対応するか? 6年後の東京に迫られる課題 ――社会学者・張彧暋(チョー・イクマン)インタビュー
▼関連動画
・香港の社会学者・張彧暋(チョー・イクマン)が現地から語る「雨傘革命」の現在(2014年10月6日放送)
・香港の社会学者・張イクマンが現地から日本のアニメに例えて語る「雨傘革命」、その後(2014年10月21日放送)※日本の各メディアでは、このたびの香港でのデモ運動を「雨傘革命」「傘の革命」と呼ぶケースが多いですが、本記事では張イクマンさんの現地の感覚をそのままお伝えして「雨傘運動」と表記いたします。
──平和を愛する香港市民たちが、87発の催涙弾を打たれた。そして、ビッグ・ブラザーがガタガタと壊死していくのを、目の前で目撃した──
9月28日。マスクをつけ、七色の折り畳み傘を持った無数のリトル・ピープルたちが、蜂起した。日曜日だから、彼らは多分お昼ぐらいまで寝ていて、起きぬけの午後1時半に、警察が学生に暴行したことを新聞で読み、ニュースで発表された警察による脅迫的な声明の中継を見て、びっくりしたことだろう。それから、ゆっくりランチを食べ、午後3時ごろに、オクトパスカード(※日本のSuicaやPiTaPaのような、多くの交通機関で使える共通のカード)で地下鉄に乗り、学生たちを助け、支援するために香港政府本部の近くに殺到した。催涙スプレー(胡椒成分で作られたペッパースプレー)は怖いから、みんな予めキッチンでラップを、シャワー室でタオルを拾い、折り畳み傘を準備した(警察が「長い傘は武器と見なす」と言ったからだ)。どれも日常生活用品だ。やる気のある人は、レインコート、水、医薬品なども用意した。もちろん、スマートフォンで数人の友人たちにLINEやFacebookで連絡してから、である。
そして3時半を過ぎると、人が多くなりすぎて、政府本部の前の高速道路に溢れ始めた。ちょうどその頃、筆者も起きたところで、LIVE中継で行政長官(※香港の首長は行政長官であり、首相や知事のような存在にあたる)の記者会見をみた。まったくの無駄話だったせいか、ニュースは10分の後に、そのうんざりした顔は飛ばされ、LIVE画面は道路に人が溢れているシーンに移った。めでたしめでたし。
▲催涙弾の初日、リトル・ピープルの勇戦(ニュース)
人がゴミのようだ。
警察の鉄壁の防御を前に、インチキな卵たち(※この表現は村上春樹のエルサレム賞受賞時のスピーチに由来している。ここで村上は体制を「壁」、抵抗する民衆を「卵」に例えた)は勝てる気がしない……はずだった。警察は防御線から一方的に催涙スプレーを射撃した。それはあたかも、『銀河英雄伝説』の大艦隊のシーンのようだった。七色に彩られた平和主義者のリトル・ピープルたちは、傘とマスクとラップを装備し、多少の痛みを耐えながら、顔面にスプレーを受けた。
そろそろ午後6時になろうとしていたとき。なんと、催涙弾が発射された。香港のお茶の間の前に、みな一緒に汚い広東語の言葉を発しただろう(※香港での日用語は広東語)。逃げ回る七色の傘を持った小人たち。ちょうど各テレビ局のニュースタイムに、ハリウッド映画の迫力シーンにも負けないスペクタクルな中継が行なわれていた。(政府の対応のタイミングの悪さはもはや定番となっている。同じミスは延々と2週間以上に続いている。まったく懲りていない。)
散ったはずのリトル・ピープルは、夜になってもずっと現場近くをうろうろして回っていた。マックで休憩して、同じ「島宇宙」(※これは宮台真司の言葉で、同じ趣味や価値観を持ったものだけの小さなコミュニティのこと)の友達と話して、Facebookのリアルタイム情報を見てから、なんとまた鉄壁の前に戻った(えぇ!?)。
▲当日、無限に湧いてくる絶対平和主義者のリトル・ピープル。恐ろしい(無数の坂田銀時が増殖している)。特に28:00から。夜7時のニュース現場中継。
今度は私も、友人のリトル・フォー(小四)さんらと連れ立って5人一緒に、半分ゲーム感覚で、地下鉄に乗り駅を出てから補給駅で防具を貰い、戦場に行った。
「壁と卵」の有名な比喩を使った村上春樹も愕然とすることだろう。壁に面した卵は、別に自分が壁にぶつかって犠牲になるわけでもなく、蹂躙され無駄に死ぬ覚悟もなく、卵は単に自分の命を守りながら、命懸けでも、あくまで「100%平和」的なやり方で戦う。精神論的に革命を唱えるのでもなく、ネットでリアルタイムの情報を拾っているだけ。「民主」という理想に尽くしながらも、ゲーム的な遊び精神半分、やる気満々で、自分たちの合理な判断で、香港の市街地で「安全な遊撃戦」を4週間以上も続けている。撤退を繰り返しながらも、またどこかから沸いてくる。まるで『人類は衰退しました』で描かれた妖精のようだ――奇跡も混乱も起こしながら、絶対に自分の命を守り、命に関わる暴力が振るわれれたら即退散する。或いは、果敢で暴力の前に怯えずに立っている。
▲当日のニュース詰め合わせ。画面だけでも楽しめるはず。初日はハリウッド映画級大製作。実は夜11時ごろは、銃撃の警告を受けてまじでびびり……ながらも、占領はすでに他の中心部に絶賛拡散中。馬鹿じゃないの? 香港政府と警察は。ちなみに、この日からみんな催涙弾に適応した。スタートレックのボーグのように。
銀時とスネークの香港人――隠れていても、催涙弾を浴びても、ビデオだけは忘れずに
香港人はまるで『銀魂』の主人公・坂田銀時そのものだ。リトル・ピープルたちは100%平和(暴力が大嫌いで、インチキな妖精たち)と愛(自己を守るエゴイストで、フレキシビリティのあるエコノミック・アニマル)を信じ、ユーモアのセンスにあふれ、精神論的な革命を信じないようだ。気楽に友人と遊んでいて、万事(よろず)屋=市場万能主義者の香港人は、普段は政治に無関心に見えるが、なぜか時にハリウッド映画の小さなヒーローのようにもなれるのだ。
▲ビック・ブラザーの暴走:逃げる卵も許されない。そのおじさんは、まるで少林サッカーに出そうなとりかかったヒーロー。まだ警察を説得するぜ。英字幕つき。
または、雨傘運動の参加者はみんな『メタルギア・ソリッド』の主人公・スネークそのもの。絶対に戦わず、NO KILLで、隠れて無線情報を見ながら、いたずらしながら、ユーモアのセンスも忘れずに、カメラで写真とビデオを撮りながら、次々と不可能なミッションを達成している。ただ、香港人のアイテムはダンボールではなく、折り畳み傘だ(これは、絶対平和主義のシンボルである)。
両者の共通点は「ユーモアのセンス」、そして隠し持っている「燃えたぎる熱血」。戦場でも、パロディー精神を忘れるな。後で振り返ると、この運動は、ずっとこの香港的なユーモアによって支えられてきた。そして、N次創作によるパロディと、ネットを象徴する流通性・フレキシビリティによって、政治とマスコミによって作られた現実をハッキングした。
そう、キーワードは、スマートフォンとネット。
情報社会とは何か:香港版
みな手を上げ(スマートフォンもしっかり握っているが)、降参しながら「ビッグ・ブラザー」たる警察に圧迫をかけた。この現場を目撃していたのは、マスメディアだけではなく、携帯電話のカメラたちであった。無数のスマートフォンを通じ、画像とビデオがネットに拡散していった。
誰でも、この情報化の時代の中で「画像こそ真相」という、香港ネット文化の中心である「高登フォーラム」(Golden Forum)の決めゼリフを知っている。政府と親北京派のマスコミも「自演自作」の脚本を100%コントロールしきれず、ネットで繰り広げられている無数の情報と画像とビデオによって、彼らの嘘と暴言が無残にも暴露された。悪いことをした警察も、暴力をふったチンピラも、学生の中に潜り込んだスパイも、ネットの追跡板で身元がばれ、彼らの家や店は、もはやネットでの「ギャグ」の対象──「絶対あいつらの家に、ピザとワンタンメンの出前を注文するなよ!」「絶対あいつらの店に悪戯の予約を入れるな!」などなど──になっていた。こういうネットの注意スレはやはり恐ろしい。例えば、チェーンショップのアルバイトさんが「警察から、1000個のハンバーガーの注文が殺到したんだけど、どうしよう?」とスレで書けば、「絶対胡椒を入れるな!」という返事が返ってくる。本当かどうかはわからないが、少なくとも「警察が集団で下痢になった」という記事は、3回ぐらい読んだ。こうして、破綻した政府の茶番劇は、半月も「ダダ漏れ」状態が続いている。
ブルース・リー(李小龍)氏が言う「友よ、水になれ」のように、人の波が、情報の「透明な嵐」が、形のない水のように、時にかたちになって滝になり、市街地という無尽に変化する容器に入り、香港の都市空間全体がネットをフル活用して「無敵の巨人」を溺れさせた。Facebookのウォールという歴史に刻まれていく時間の流れの中で、巨人が簡単に死ぬわけではないが、日常と非日常の境がのない空間にやがて溶解していってしまうだろう。
香港の都市生活とは?――催涙弾を浴びても、終電で帰る前にデザート屋でマンゴープリン
もともと、政府と親北京派は「『占領中環』(※この「雨傘運動」より以前にも起こっていた、米ウォール街占拠行動に呼応した、香港の政治・経済の中心である中環=セントラルを占拠しようという運動のこと)が、経済と都市生活を麻痺させる」と、繰り返しプロパガンダで脅迫してきた。しかし、実際に一番恐ろしいのは、香港人の経済合理性と柔軟性である。そして、もともとの社会運動ももはや形はなく、24時間都市である香港では、地下鉄ネットワークとミニバスがあれば「ここではない、どこか」でもバリケードされた占領地になりうる。
結果として、もともと中年インテリによって始められた、セントラルという金融街でただ座り込みをするだけの「占領中環」キャンペーンも、警察が一年以上にわたって対策を練っていた「アンチ・占領中環」計画も、あっという間に無意味なものになった。実際この運動の主戦場は、中環(セントラル)から歩いて10分、金鐘(ガムチョン)という無機質な乗換駅にある政府本部周辺だ。人々は政府本部を包囲し、催涙弾に攻撃され、銃撃の警告をうけ、もはや機能していない「大会」によるネットの撤退宣言で刺激され、全員が逃げた(これは多数の市民が犠牲になった1989年の天安門事件の教訓でもあるが)。
香港都市の地理知識がポイントになる。当日はこの金鐘という乗換駅は一時的に閉鎖されていた(余談だが、香港の鉄道オタクはおそらく全員、この史上最初の快速運転に乗りに出ていた。私も含む)。リトル・ピープルたちはやむを得ず、西なら中環(セントラル)へ、東なら湾仔(ワンチャイ)の駅へ歩いて拡散。中環では、重装備された警察に勝てないので、全員東に行った。私ももともと中環に歩いて行ったつもりだが、100メートル前方での催涙弾の発射を見て、あわてて逆方向の東の湾仔に歩いていった。11時ごろに、湾仔駅前に帰ろうと思ったら「『銅鑼湾』(コーズウェイベイ)でも占領があるよ』というネットの呼び掛けを見た。女性の参加者を帰していたので、好奇心で友人と二人で歩いて見に行った。もともと「とりあえずデザートでも食べてから12時45分の終電で帰ろう」と、普段通りの香港友達との遊びのパターンを考えていたのだった。
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プロデューサーシップのススメ #02 データシティ鯖江から始まったウェブ新時代
2020-04-16 07:00550pt
NPO法人ZESDAによる、様々な分野のカタリスト(媒介者)たちが活躍する事例を元に、日本経済に新時代型のイノベーションを起こすための「プロデューサーシップ」を提唱するシリーズ連載。第2回目は、福井県鯖江市で様々なイノベーションの仕掛け人として活躍する福野泰介さんです。現在、「新型コロナウイルス対策ダッシュボード『COVID-19 Japan』」のネット公開でも注目を集める福野さんの「inspire型カタリスト」としての先進性とは?その実践の来歴と目の醒めるような着想の数々をご紹介します。
初回では、イノベーションを引き起こす諸分野のカタリスト(媒介者)のタイプを、価値の流通経路のマネジメント手法に応じて、「inspire型」「introduce型」「produce型」の3類型に分けて解説しました。(詳しくは第1回「序論:プロデューサーシップを発揮するカタリストの3類型」をご参照ください。)
今回はカタリストの第1類型、すなわち、イノベーターに「チエ」を注ぐ「inspire型カタリスト」の事例の第1弾として、株式会社jig.jpの福野泰介会長をご紹介します。
福野さんは、イノベーティブなプログラマーとして、また鯖江を拠点としたIT起業家として、傑出した実績をお持ちです。その一方で、オープンデータをフル活用する「データシティ鯖江」構想を市長に提案して実現したり、鯖江の小学生にプログラミングを教えたりと、「データ活用のスキル」という「チエ」を鯖江市民に注ぐ「inspire型のカタリスト」としても非常に活発に活動されています。
特に、ITスキルをそのままサービスとして提供するのではなく、国際組織から学んだオープンデータという概念の導入を鯖江市長に促したり、安価なコンピュータ(IchigoJam)を開発して提供しながらプログラミングを子供たちに分かりやすく教えたりと、最先端の思想やスキルをかみ砕いて伝達することによって付加価値を生んでいる点が、カタリストとしての福野さんに刮目するべきポイントです。
そして、政府の「オープンデータ伝道師」として、また優れたアプリを世に発信することを通じて、福野さんの「チエ」は鯖江に限らず、世界に発信されているところではありますが、「鯖江から世界を変える」の言葉を体現するかのように、鯖江を変革のドミノの最初の1枚とするべく、福野さんの「チエ」は、鯖江(市役所や子供たち)に、特に意識的に集中投下されています。近い将来、福野さんからinspireされた鯖江のイノベーターたちが、データの可能性をますます開拓して、イノベーションをどんどん興していくことでしょう。(ZESDA)
▲福野氏はカタリストとして鯖江に「チエ」を注いでいる。
ウェブ新時代の地域活性化とは
株式会社jig.jpという会社の社長をしております、福野泰介と申します。 まずは簡単に自己紹介です。本業はjig.jpというスマートフォンのアプリを作る会社の社長です。政府CIOから、オープンデータ伝道師ということで、オープンデータを日本中に広めてきなさいという命を受けていたり、各種NPOをやったりしております。
あとCode for Sabaeという、いわゆる地域活動をやっております。地域のゴミ拾い、ドブさらい、いろんな貢献の形がありますけど、Code for Sabaeはプログラムを作って地域に貢献する、そんな活動を地元鯖江で始めております。2017年からは鯖江市商工会議所の常議員を始めまして、一世代上の方々と遊ぶことも増えてきました。
福井県鯖江市は、東京から新幹線で3時間ちょっとの場所にあります。鯖江市は色々と面白いところで、近年のトピックスとしては「最強の地下アイドル」と呼ばれている仮面女子が挙げられます。何が最強かと言うと、Facebook、Twitterのフォロワーが数百万単位でいるのです。なので、一般向けのメディアとは違うチャンネルですごい影響力がある、そんなアイドルと、なんと鯖江市が提携をしました。鯖江市と仮面女子をYouTubeで検索いただくと、市長が仮面女子のライブで一緒に踊っていたりと、なかなかぶっ飛んだまちになっています。
いろいろな活動をしていますが、原点はコンピューターに出会ったことと、ウェブに出会ったことにあります。人類とテクノロジーの歴史において、人間とそうでないものが分かれたのは10万年前に言葉というものが生まれた時だと思っています。それまでDNAでしか伝えられなかった情報が言葉として、瞬時に伝えられる。これはすごいことです。 その後、9万5千年かけて発明された文字もまた画期的です。「この先に行くと死ぬぞ」と書いておけば、みんなそこで止まることができます。さらに4千年経って、文字は活字としてコピーできるようになり、拡散を始めました。
続いて放送。テレビ、ラジオ、当たり前のようですが、わずか100年前にできた技術です。放送は、あたかも語りかけるように、時に映像と共に世界中に対してコミュニケーションできる、非常に強力なツールとなりました。ただ、活字も放送も無料ではないため、発信できる人は限られます。
そして25年前に誕生したウェブは、この活字や放送の特徴を併せ持った機能を、すべての人に無料で開放するという、非常にインパクトのある技術です。自分はそんなウェブが大好きなので、14年前、ウェブをどこでも見られる、ガラケー向けのアプリ「jigブラウザ」を開発しました。
現在の主力事業は、スマートフォン向けのC to Cで物を売買できるプラットフォームや、動画配信するためのプラットフォームなどです。これも強力なメディア、ウェブがあるからこそできることです。ウェブを駆使すればあたかも誰もが放送局になれることに匹敵する凄さに、まだ人類は慣れていないかもしれません。
ウェブにより、様々なローカルなアイドルが多数誕生し、うちのサービスでもトップの人間は一月に1000万以上稼いでいます。テレビと違って、見ていておもしろかったらダイレクトに投げ銭するという、ストリートのミュージシャン的なモデルです。人気な人は1000万円以上稼いでしまうのです。実に100人以上の人がこのサービス上で、生活できるレベルを稼いでいます。
弊社、jig.jpは、東京代々木に本社があり、福井県鯖江市に本店があります。「利用者に最も近いソフトウェアを提供し、より豊かな社会を実現する」という目標を掲げています。
オープンデータがもたらす変革
会社の転換期は、実はガラケーからスマホに変わった時です。社会全体がガラッと変わりました。日本は様々な携帯電話があって非常に良かったのですが、今はもうスマホ一色ですよね。そんな地殻変動に結構翻弄されていたわけですが、幸い、この鯖江にいたということが一つ大きなきっかけとなって乗り越えてきました。
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