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  • [特別無料公開]「遅いインターネット」最大の危機(『水曜日は働かない』第3部第4話)|宇野常寛

    2022-09-30 07:00  

    本日のメルマガは、PLANETS編集長・宇野常寛の新著『水曜日は働かない』(ホーム社)から一部を特別無料公開してお届けします。今回お届けするのは、宇野の前著『遅いインターネット』執筆時のとあるエピソード。本書執筆中、なかなか筆が進まない時期があったという宇野に対して、脚本家・井上敏樹先生が送ったある「アドバイス」とは……?
    「遅いインターネット」最大の危機(『水曜日は働かない』第3部第4話)|宇野常寛
     去年の夏、僕は完全に『遅いインターネット』の執筆に行き詰まっていた。この本は僕にとってふたつの目的で書いた本だった。第1に、僕がこれからはじめる「遅いインターネット」計画についてのマニフェストと、そこに至る背景の分析を示して世の中に対して問題提起を行うこと。第2に、その背景となる分析として僕がこれまで考えてきたメディアや政治、あるいは経済についてのさまざまな思考を一冊にまとめることだ。後
  • 藤野可織――自覚する娘|三宅香帆

    2022-09-26 07:00  


    今朝のメルマガは、書評家の三宅香帆さんによる連載「母と娘の物語」をお届けします。東日本大震災の後、2012年以降に増え始めた「母娘」の対立を描いた諸作品。「父と息子」のように単純な構図では捉えきれない関係を象徴する作品として、藤野可織の『爪と目』を考察します。

    三宅香帆 母と娘の物語第十一章 藤野可織――自覚する娘|三宅香帆
    1.年齢を重ねてからも続く
    前章では、東日本大震災以後の2012年に『ポイズン・ママ 母・小川真由美との40年戦争』(小川雅代、文藝春秋)、『母がしんどい』(田房永子、KADOKAWA/中経出版)の二冊が出版されたことがきっかけで、「毒母」という言葉が流行し、母娘問題が注目されるようになったことを扱った。平成の文学作品について文芸評論家の斎藤美奈子と高橋源一郎が対談した『この30年の小説、ぜんぶ 読んでしゃべって社会が見えた』(高橋源一郎・斎藤美奈子、2021年、河出書房新社)においては、2012年に注目すべき文芸作品の変化についても以下のように指摘されている。

    斎藤 母なんですよ、3冊とも。『東京プリズン』『母の遺産』、芥川賞の『冥土めぐり』。どれも虐待する母とその母に抗う娘というか、母親によって抑圧された娘の話で、もっとザックリ言うと母殺しなんですよね。これまで近代文学はずっと父殺しをやってきたわけだけれども、今年はここにきて急に母殺しという。 高橋 そう、しかも、全部書いてるの女性だしね。女の子の母殺しですよね。 斎藤 そうなの、母と娘なんですよ。父と息子という構図がずうっと続いてきたわけですけど、なぜか今年は母と娘の葛藤の話が重なった。 高橋 だから父と息子の話なんかないんだよねえ。 斎藤 そうですね。もう父と息子はね――。 高橋 終わったの?(笑)。 斎藤 終わったでしょ(笑)。 高橋 ほんとにそう思いました。だって男性の書いてる小説もあるけど、父と息子の話なんか出てこない。っていうか父いないし(笑)。 斎藤 かつては近代の父が立ちはだかってたわけじゃないですか。特に文学をやろうなんていう人はさ、父は絶対に反対するもんね(笑)。けど、母と娘の対立は近代文学の誕生から150年たってやっとテーマになったって感じがする。 (『この30年の小説、ぜんぶ 読んでしゃべって社会が見えた』p89-90)

    『冥土めぐり』(鹿島田真希)が芥川賞を受賞した2012年、同年に『東京プリズン』(赤坂真理)、『母の遺産 新聞小説』(水村美苗)という母娘関係をテーマにした小説が続けて刊行されていた。エッセイやノンフィクション作品のみならず、小説においても「母娘の主題」が注目された年だったのである。2022年現在においては文芸誌『文藝』の2022年春季号で特集「母の娘」が組まれるなど、小説のテーマとして珍しいものではない。が、当時は斎藤が「やっとテーマになった」と述べるなど、新鮮な主題として受け取られていたことが分かる。 高橋は「父と息子の場合だったら、ある程度わかりやすい対決がある」と述べる。母を奪い合ったり、何かを得ようとする同士で対立が図られる。だからこそ「それを得ようとしない」という手で逃げることも可能である。だが、母と娘のほうは「逃げちゃえばいいじゃんと思うんだけどさ、そうはいかないんだよね」と語る。斎藤も「そこが母娘の難しさ」と頷く。

    斎藤 そう、共依存みたいになってるとこがある。父の要求って「おまえは出世しろ」とか「家を継げ」とかさ、シンプルでしょ。でも、母から娘への要求は複雑。ここに出てくる母は一応みんな近代人ですが、がんばって勉強しろって言ったかというと「早く結婚しろ」と言ったりする。矛盾するふたつの要求の中で娘は混乱するっていうのがまず基本で、さらに母はみんなお金持ちの娘だったりするので、強権的なんだけど、お嬢さんみたいなところがあって、庇護しないとダメっていう。そのへんが面倒くさい。受けた教育の差も反映している。 高橋 どうなんだろうね、母には、ある程度自分のことも投影されてるのかな。つまりさ、父と子の場合には他者であると同時に自分を投影している部分があるけど、母娘の場合、今の自分は若い頃の母親、あるいは母は何十年後かの自分みたいな、そういう感じはあるんですか。 斎藤 さあ、関係はあるんでしょうけど、もっと現実的で切実な問題が大きいと思う。この3冊についても言えることですけど、40~50代になって初めて、母娘問題に目がいくんですよ。介護問題とかが浮上するからです。今までこういう小説が少なかったのは、若い頃は女性が書く小説って、女性の自立や男との葛藤とかのほうがずっと大きな関心事だったからだと思うのね。20世紀はそっちが重要だったわけですし。それが少子高齢化社会になって母との葛藤が始まる。父と子の葛藤はもっと若いわけじゃない。 (『この30年の小説、ぜんぶ 読んでしゃべって社会が見えた』P91-92、太字と傍線は筆者が付した。)

    たしかに傍線部の斎藤の指摘の通り、小説に限らず、母娘問題をテーマとした作品は、30歳を超えている作者が書いていることが少なくない。前述した母娘のエッセイ『ポイズン・ママ 母・小川真由美との40年戦争』『母がしんどい』もまた同様である。本連載で扱ってきた『イグアナの娘』(萩尾望都)や『シズコさん』(佐野洋子)もまた、作者がキャリアを積み年齢を重ねた時期の作品である。 一方で父と息子の対立は、フロイトの言葉を参照するまでもなく、息子が大人になる通過儀礼――つまり思春期から青年期にかけての葛藤として描かれることが多い。父殺しの物語として著名である『スター・ウォーズ』シリーズや『海辺のカフカ』(村上春樹)の主人公はやはり、少年あるいは青年期までの年齢である。 娘にとって母の支配から逃れることは、どうやら思春期のテーマというよりも、もっと年齢を重ねた時期に重視される問題なのではないか。そこが父と息子との違いのひとつであることは確かだろう。 しかし一方で、斎藤が引用した対談においての太字部分で述べる通り、「出世と結婚、矛盾するふたつの要求の中で娘は混乱する」ことが母と娘の葛藤の本質であるならば、それは青年期までのテーマではないのだろうか。もちろん年齢を重ねてもなお出世や結婚を望まれることはあるだろうが、前述した作品たちは30歳を超えた作者によって、どちらかというと青年期以後のテーマとして描かれているのだ。そこに斎藤の述べるような「矛盾するふたつの要求にこたえること」以上の葛藤があるからこそ、父と息子のような若い時代に終わらない対立となっているのではないだろうか。 斎藤自身は、それについて「40~50代になって初めて、母娘問題に目がいくんですよ。介護問題とかが浮上するから」と説明している。が、挙げられた『冥土めぐり』を読んでも分かる通り、どちらかというと「若いころから年齢を重ねてなおずっと続く母の支配」というテーマが描かれており、年齢を重ねて突然浮上した、という形とも言い切れないのである。つまり斎藤の述べるような中年期に初めて目がいったというよりも、思春期や青年期から、そして中年期になってなお残っている、という言い方のほうがより実情に近いのではないか。そして2012年に出版されたエッセイや小説は、前章で語った通り東日本大震災等を通して、その問題を一気に取り上げ始めたのだろう。
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  • 東京で見つけて気になったもの|白土晴一

    2022-09-20 07:00  

    リサーチャー・白土晴一さんが、心のおもむくまま東京の街を歩き回る連載「東京そぞろ歩き」、今回が最終回です。今回はこれまでの連載では語り尽くせなかった、白土さんが街歩きをするなかで見つけた「何か変なもの」たちを紹介。「そぞろ歩き」の真の楽しみを語っていただきます。
    白土晴一 東京そぞろ歩き第18回 番外編 東京で見つけて気になったもの
     「東京そぞろ歩き」というタイトルをつけて、東京のあちこちを歩いてきたが、読み返してみると、東京は本当に広くて多種多様だと思う。高層ビルが立ち並んだ都心だけでなく、武蔵野原野の桑畑から新興住宅街になった土地、大きな河川の流域で水害対策がガチガチに施された下町、旧街道沿いに高層マンションが渓谷のように立ち並んでいる場所もある。  東京と一口に言っても、その景観や雰囲気は土地によってまったく違う。  大学入学を機に上京してから、かれこれ 30 年以上東京に住んでいることになるが、それでもいまだに行ったことがない場所もあるし、ずっと知らなかった東京の歴史的な事実というのもあるだろう。  この連載では街並みから行政の都市計画や住宅政策を考えるのも面白かったし、思わぬ場所にある歴史の痕跡を見つけるのも興味深かった。  しかし、私個人が楽しかったことは、道端で何か変なもの、奇妙なもの、違和感があるものを見つけた時だろう。そこまで目立つものではないけど、近づいて見てみると、ちょっと不思議な感じがするものである。  例えば、下の千駄木で見つけたコミュニティーゾーン表示の看板。

     初めて見た時は「なぜ亀が描いてあるの?」と疑問に思ってしまった。  こういうものを見つけると、調べずにはいられない性分なので、ネットで検索してみる。  すると、国土交通省道路局が行っている、大きな幹線道路に囲まれている住宅地などを対象に、警察と連携して車両の流入を制限し、歩行者・自転車優先の道路環境を整備し、商店街などの活性化を目指す「くらしのみちゾーン」という事業が見つかった。  東京都文京区千駄木三、四、五丁目地区は、この事業の対象地域で、特にたまり空間なども設置するコミュニティ道路整備に力を入れているとのこと。  そして、この亀はこの千駄木三、四、五丁目地区「くらしのみちゾーン」のシンボルマークで、「ゆっくり歩こう」という意図があるらしい。こういう小さなものに気づき、その背後にどういう意図があるのかを調べるのは楽しい。これこそが街歩きの醍醐味と思う。  しかし、「東京そぞろ歩き」という連載でその地域を語っていくと、どうしても枝葉末節になってしまうこともあるので、泣く泣く小さなものは省いてしまう。何だか勿体無い感じがするが、字数と時間に限りがあるので仕方がない。  私の街歩きはこういう街の中に潜んだ瑣末なものを読み解くことが喜びなので、今回は、連載では書かなかったが個人的に気に入っている、東京で見つけた目立たないがよくみると変わっている、興味深いものを紹介していこうと思う。  では、さっそく、水害対策取材で葛飾区亀有を歩いていたときに、見性寺というお寺の中で見つけたものから。

     「狢塚」とある。  狢はアナグマやハクビシンなどのことだが、地域によっては狸のことを狢と呼ぶところもある。狸や狢は日本の伝承では妖怪の一種とするのはご存じだと思うが、そういう妖怪じみた狸や狢の遺骸を祀ったり、塚にしたりすることは、全国でよく見られる。  しかし、ここの「狢塚」の由来は、ちょっとだけ近代的である。  明治時代の都市伝説の一種に「偽汽車」というものがある。これは存在するはずのない場所や時間に、線路の上を謎の汽車が走っているという怪現象。  明治 20〜30 年代の常磐線が開通した時期に、汽車の走っていない筈の夜中に謎の汽笛が聞こえたり、走行中の汽車の機関士が前方から突っ込んでくる謎の汽車を見つけて緊急停止したが、その汽車が忽然と消えてしまったということがあったらしい。  これこそ「偽汽車」なのだが、ある日、常磐線の線路脇に汽車に轢かれた狢の死骸が見つかる。人々は「これが偽汽車の正体か」と驚き、このお寺に塚を作って供養したとのこと。  こう考えると、江戸から続く伝承怪異の動物と鉄道という近代インフラの接触した痕跡と言えると思う。 動物といえば、小金井市の小金井公園桜遊歩道で見つけた、服をきた小鳥付きの車止めも面白い。

     この小鳥が上に乗った車止め自体は、あちこちで見かける。しかし、普通は服を着ていない。

     実はこの車止めの小鳥が服を着せられているのは、神奈川県の江ノ電江ノ島駅の前に設置されたものでも見たことがある。

     この小鳥付きの車止めは、旗ポールや車止めなどを製造している株式会社サンポールさんの「ピコリーノ」という製品。  この「ピコリーノ」自体は人気製品で全国各地に設置されているが、なぜか関東でこの小鳥に服を着せられることが多いらしい。ここ小金井公園の他に、東京では等々力陸上競技場などで服をきた「ピコリーノ」を見ることが出来る。  これは東京に限らないが、銅像やモニュメントに服を着せるという習慣(?)はあちこちで見かける。  例えば、 宿区神楽坂には四コマ漫画「コボちゃん」の主人公のコボちゃんの銅像が立っている。これは原作者の植田まさし先生が神楽坂に長年居住していて、「コボちゃん」の連載も神楽坂で始めたことを記念しての銅像である。  しかし、ご近所の方が季節に合わせてコボちゃんの服を着せ替えている。


     こういう銅像や彫像に着せ替えを行う文化がどこから出てきたかは分からないが、民間信仰などで神仏の像の服を着せ替える「お召し替え」という風習はあるので、人や動物の姿をしている造形物に服を着せたいという意識が日本にはあるのかもしれない。
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  • 日本は武の国なり、古来武を以て国を建つ!? 押川春浪・天狗倶楽部の(実は健康的な)身体思想(後編)|中野慧

    2022-09-16 07:00  

    ライター・編集者の中野慧さんによる連載『文化系のための野球入門‌』の‌第‌24回「日本は武の国なり、古来武を以て国を建つ!? 押川春浪・天狗倶楽部の(実は健康的な)身体思想」(後編)をお届けします。阿部磯雄や押川春浪ら、比較的外来文化にも寛容だった明治期の野球人たちが体育教育に見出していた重要性を、スペンサーの社会ダーウィニズムと三育思想を手がかりに分析します。前編はこちら。
    中野慧 文化系のための野球入門第24回 日本は武の国なり、古来武を以て国を建つ!? 押川春浪・天狗倶楽部の(実は健康的な)身体思想」(後編)
    理想のヒーローはジェイソン・ステイサム!?
     春浪はテクノロジーの進歩とは裏腹に進行する「健康」の退歩を批判した上で、以下のように続ける。

     世人かくもすれば、強壮頑健、石上に寝ね猛虎を撲殺すがごとき体力を、野蛮人の特色のごとく云うなれど、青白き顔色と疲労しやすき身体とは、文明人の特有物として誇るに足るか。肺病と脳病と蚊のごとき脛と火箸のごとき細首とは、第二十世紀の産物として欠くべからざるものなるか。余輩は三間(引用者注:約5.4m)の小河にも鉄橋のかかる今日を誠に目出たく思えど、それよりは人類一同しかる物質の発達すると同じく、その肉体も驚くべき自然力の発達を遂げ、三間ぐらいの小河は平気で飛越し得る程の体力となる方が、一層便利にはあらざるか。十里(引用者注:約40km)の道を一時間にして達しうる汽車の発明は、文明の産物として余輩の大いに歓迎するところなれど、人類も汽車と同じほどの速力を持って十里の道を走り得るごとき体力とならば、その方がさらに愉快にはあらざるべきか。我らの祖先には日に百里を走り、月に千里を歩み、獅子を蹴殺し鰐魚を引き裂くごとき勇者もありけるが、片輪の文明の進歩するに従い、我らの体力は次第次第に柔弱となり、これよりますます柔弱を加えんとす。もしこの傾向にして底止するところなくんば、今より幾百年後余輩の子孫は何人も空中飛行艇に乗じ、自由自在に天外を飛行して、あるは天女を唸らす新体詩を朗吟し、あるは無より有を生ずるがごとき魔術然たる事を成すなど、いわゆる物質的文明の発達の極致を見するやもしれずといえども、恐らく万人皆その身体は幽霊の如くなり、一事語るにもまず肺病の血を吐いて、この美しき世界を汚すに至らん、かくのごときに至っても世人はなお片輪の文明を謳歌しうるか。

     第17回で、一高生・魚住影男が、個人主義を説いて野球部を始めとした体育会系の野蛮を批判する議論が生まれたことに触れた。魚住論文が発表されたのが1905年の10月末で、『最近野球術』の出版が11月であることを併せて考えると、春浪の「強壮頑健、石上に寝ね猛虎を撲殺すがごとき体力を、野蛮人の特色のごとく云う」という記述は、魚住をはじめとした個人主義論・体育会系批判論の台頭を意識したものであると考えられる。  そしてこの文章からは、春浪の身体観・ヒーロー観が見えてくるのも面白い。「我らの祖先には日に百里を走り、月に千里を歩み、獅子を蹴殺し鰐魚を引き裂くごとき勇者もありける」とあるが、これはのちのターザンやコナン・ザ・グレートのようなヒーローを彷彿とさせる描写だ。春浪はおそらく、現代のハリウッド映画でいえばアーノルド・シュワルツェネッガーやシルヴェスター・スタローン、ヴィン・ディーゼルやジェイソン・ステイサムのようなヒーローを理想としていたのだろう。というのも春浪の「海底軍艦」シリーズでは、段原剣東次という剣客ヒーローが世界を舞台に見せる大立ち回りが見どころとなっていたりもするからだ。  ただし、春浪自身は運動は好むものの、ジェイソン・ステイサムのような身体ではなく、華奢で青白い文学青年然とした佇まいで、野球もそれほど上手くないのにピッチャーやショートなどの花形ポジションをやりたがる男であったという。運動能力はさておき、「元気」や「気合い」に関しては、突出していたらしい。
     そして春浪は、藤村操の華厳の滝への投身自殺事件以降、若者たちのあいだで沸き起こった「煩悶ブーム」、哲学・文学ブームに対して強烈な違和感を抱えていたらしいことが、以下の記述から伺える。

     夫(そ)れ人類は研究と錬磨とによって、その智力の驚くべき発達を成し得るごとく、その体力もまたある理法に従って鍛錬を成せば、真に驚くべき発達を成し得る者なり。しかるに物質的文明にのみ酔える人々は、智力の宿る肉体、自然力の発達を度外視す、愚昧と言わんか滑稽と言わんか、余輩その真意を解する能(あた)わず。かの「健全なる精神は健全なる身体に宿る」との格言は、世人のすでに耳に胝(たこ)の出るほど聞きしところならんも、この格言を守りて健全なる身体を養わんとする者まれなるは何故なるか。智力もあまり発達しすぎてかえって愚となりしにはあらざるか。たとえ多少の智力を有すとも、頑健なる体力を有せざるもの、いずくんぞ天下の大事に当るを得ん。今日の世界は表面才人の舞台と見ゆれども、その実は猛者の舞台なり。今より後はますます奮闘乱戦の舞台とならん。強き者はすなわち勝ち、弱き者はすなわち敗る。智力もとより欠くべからずといえども、蛮勇なくんば不可なり、胆力なくんば不可なり、エネルギーなくんば不可なり、しかして蛮勇、胆力、エネルギーは、多くの場合において頑健なる体力の産物なり。体弱く気従って弱く、恋歌を唸って滝壺に身を投ずるが如き輩、何をか成し得ん。

     「恋歌を唸って滝壺に身を投ずるが如き輩」は、明らかに藤村操のことである。だが春浪が文学ぎらいかというとそういうわけでもないようで、そもそも自身が(SF・冒険小説というエンタメ寄りとはいえ)小説を執筆しており、『海底軍艦』の直接の続編『武侠の日本』のはしがき(文武堂版)では、恋愛小説への共感を表明していたりもする。  おそらく春浪のなかで、哲学・文学と体育は対立するものではなかったのだろう。藤村の死に深い共感を示し体育への傾倒を痛烈に批判する魚住らの個人主義論・体育会系批判論は、春浪自身が対立するものと考えていなかった文学とスポーツを引き裂く試みに感じられ、それゆえ強い反発を覚えたのではないだろうか。
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  • 日本は武の国なり、古来武を以て国を建つ!? 押川春浪・天狗倶楽部の(実は健康的な)身体思想(前編)|中野慧

    2022-09-12 07:00  

    ライター・編集者の中野慧さんによる連載『文化系のための野球入門‌』の‌第‌24回「日本は武の国なり、古来武を以て国を建つ!? 押川春浪・天狗倶楽部の(実は健康的な)身体思想」(前編)をお届けします。精神主義一辺倒だった近代日本野球に対して痛烈な批判を浴びせた橋戸信の『最近野球術』。現代のスタンダードにもなっているコンディショニングや練習法が記された本書が伝えたかったこととは何なのでしょうか。
    中野慧 文化系のための野球入門第24回 日本は武の国なり、古来武を以て国を建つ!? 押川春浪・天狗倶楽部の(実は健康的な)身体思想」(前編)
    「科学」を標榜する野球技術書
     1905年のアメリカ遠征から帰国した早稲田の主将・橋戸信は、野球技術書『最近野球術』を執筆し、アメリカの野球技術を広く世に伝えた。この本には、「科学」という言葉が頻出する。橋戸が意図したのは、それまでの日本野球界のメインカルチャーだった一高式武士道野球、つまり精神力ですべてを突破しようとする文化に風穴を空けることであった。  一高野球部は、本来彼らが持っているはずの頭脳を活用せず、過剰に精神主義的であることをアイデンティティとしていた。その背景には、当時の日本でメインカルチャーとして君臨していた武道のプレッシャーに対抗するため、あえて猛練習を演じて「頑張っている感」を演出し、野球文化を守るという側面もあった。またそれは、一高生たちが受験勉強の際に行った「猛勉強」のエートスを応用したものでもあっただろう。そこでは「野球を楽しむ」という感情は、外側に向かって表現されるのではなく、あくまでも個々人の内面へと封じ込められていた。  その一高式野球を打破するために持ち出されたのが、「科学」という概念だった。たとえば橋戸の『最近野球術』では、「ピッチャーは肩を大事にしよう」「休みはきちんととろう」「練習や試合をする前にはウォーミングアップをしよう」というような、コンディショニングの重要性が説かれている。ユニフォームの下にアンダーシャツを着用する方法もこのときもたらされたものだ。暑い日に沢山汗をかいたときにアンダーシャツを着替えることは、今では野球文化のなかで当たり前のこととなっている。練習法に関しても、闇雲に猛練習をすることが否定され、「アメリカの選手の練習時間は1時間半〜2時間程度で、効率よくやっている」ということが強調されている。 現代では野球における科学というと、スポーツ医学の成果を活用した科学的トレーニング、ウェアラブルデバイスやトラックマンなどを活用した動作解析、ビッグデータを用いたプレイ分析(=セイバーメトリクス)がイメージされるが、120年前には当然そのようなテクノロジーが存在しない。当時の「科学」というのは、要するに「論理的思考」のことであった。一高式の「肩が痛いのであれば精神力で突破せよ」という精神主義を排して、「肩が痛くなるのは投げすぎだと考えられるから、あまり投げすぎないようにしよう」と論理的に考え実行するという、現代の一般市民の感覚からすれば何でもないようなことが、当時の日本野球界にとってはイノベーションだった。 もっとも、つい最近まで日本の高校野球にはピッチャーの球数制限ルールが存在しなかったので、「精神力ですべてを突破しよう」という一高イズムの生命力は非常に力強かったとも言える。早稲田のアメリカ遠征と橋戸信の『最近野球術』は、日本の野球界(といっても今のように大きいものではなく、非常に小さなコミュニティだったが)を支配していた、そうした一高式武士道野球論に最初に楔を打ち込む試みだった。
     『最近野球術』には日本児童文学のオリジネイターである巖谷小波、そして冒険・SF小説の祖である押川春浪が序文を寄せており、当時の一大出版社であった博文館から出版されている。巖谷小波は、1900年の春浪のデビュー作『海底軍艦』を博文館に紹介した人物でもある。また博文館は、1904年に始まる日露戦争で写真付きの戦争報道に新しいメディアの可能性を見出して雑誌「日露戦争写真画報」を創刊し、春浪は巖谷の推薦で編集者として博文館に就職、のちに「写真画報」と改題した同誌の主筆となった。『最近野球術』が博文館から刊行され、巌谷と春浪が序文を書いているのは、そうした縁もあったのであろう。 そして春浪が『最近野球述』のために書き下ろした序文「最近野球術に序す」からは、後の天狗倶楽部の活動に通じる、現代から見ると不思議な──だが、それゆえに可能性に満ちた──身体観・文明観を見て取ることができる。
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  • 『2つの人生が教えてくれること』──正反対のifストーリーに共通する幸福|加藤るみ

    2022-09-09 07:00  

    今朝のメルマガは、加藤るみさんの「映画館(シアター)の女神 3rd Stage」、最終回をお届けします。今回紹介する作品は、Netflixで配信中の『2つの人生が教えてくれること』です。「母としての人生」「自らの夢を叶えた人生」2つのifストーリーを歩む女性を描いた本作。同じ女性として、今後の人生を見据えたるみさんは主人公・ナタリーの姿に何を思うのでしょうか。
    加藤るみの映画館(シアター)の女神 3rd Stage第31回 『2つの人生が教えてくれること』──正反対のifストーリーに共通する幸福
    おはようございます、加藤るみです。
    この前、知らない番号から電話がかかってきて「わし!! わしやて、わし!!」と言われ、声を聞いてもまったくピンと来ず、本当に誰かわからなくて、恐る恐る「誰ですか?」と聞いたら、まさかの母親からの電話でした。 最初は、あまりにも「わしわし」言うもんだから、人生初のオレオレ詐欺ならぬ、わしわし詐欺を疑いました。 どうやら、母は旅行中に携帯電話を忘れたらしく、もし旅先で何かあったらいけないからと友達に電話を借りて電話してきたみたいです。 そういや、昔から母は自分のことを"わし"と呼ぶんですが、そのことについて不思議に思った幼少期のわたしは「なんでお母さんは自分のことを"わし"って呼ぶの?」と、聞いたことを覚えています。 その時の母は、「"わたし"って言っているけど、早口だから"わし"って聞こえるだけだよ」って言ったんですね。 子供ながらに聞き間違いだという理由が意外すぎて、そのエピソードを強烈に覚えていたわたしは、わしわし詐欺事件(詐欺ではない)があってから、その昔言われたことを話したんです。 そしたら、母はその出来事をまったく覚えてないらしく、純粋に信じたわたしが可哀想になりました。 やはり、母は色んな意味でさすがだと思いました。 わたしも普段は思わず自分のことを"わし"って言ってしまう瞬間があるので、そこだけは似たくないなと思う所存でございます。
    さて、今回紹介する作品は、Netflixで配信中の『2つの人生が教えてくれること』です。
    もしあの時、妊娠していたら、していなかったら、という"If"の人生を2つ同時進行に描く物語。
    ドラマシリーズ『リバーデイル』のリリ・ラインハートが主演、プロデュースを務めています。 リリ・ラインハートは『リバーデイル』で一気に名を馳せた若手俳優ですが、2020年のAmazonプライム・ビデオ映画『ケミカル・ハーツ』で初めてプロデューサーを務め、その成功から今後プロデューサーとしても期待される有望株です。
    『2つの人生が教えてくれること』はこんなあらすじです。 大学卒業式のパーティーで妊娠試験薬を使うナタリー。 妊娠が発覚し、実家で親のサポートを受けながら子供を育てる人生。 妊娠は発覚せず、LAへ飛び立ちアニメーターの道を進む人生。 彼女の人生は2つに分かれて、それぞれの物語へ……。
    これ、「アラサーが深夜に観るんじゃなかった案件」でした。 シンプルにめちゃくちゃ刺さってしまい、その夜は今までの自分の人生を振り返ってしまい朝まで寝れなくなっちゃいましたね。 なので、アラサーは深夜以外に観ることをオススメします(笑) 現在27歳のわたしですが、30歳が近づくにつれ、妊娠や育児というキーワードが急に身近になった気がします。 周りの友達との会話でも、「果たしてわたしたちは子を授かり、育てることができるのだろうか?」とか、「妊娠したら今まで積み上げてきたキャリアがなくなってしまうんじゃないか?」とか話したり。 そんな将来についての漠然とした不安や悩み、妊娠・出産を経験する女性の繊細な心情をリアルに描いていて、この作品に共感せずにはいられませんでした。
    2007年に公開された『JUNO/ジュノ』もこの作品と同じく予期せぬ妊娠を描いていますが、10代のあの頃に観た『JUNO/ジュノ』と、令和のアラサーなうのわたしが観るこの作品とじゃ、そりゃあ響き方が違うよなぁと。 今のわたしにとって、『2つの人生が教えてくれること』はがっつり芯を食らった感じでした。
    主人公のナタリーは大学卒業パーティの夜に妊娠検査薬を使うんですが、その妊娠検査薬に示された結果によって、2つの異なる人生を歩んでいくようになります。
    妊娠検査薬を使ったことがある女性は、線が浮かぶのを待つあのなんとも言えない瞬間に自分を重ねてしまうんじゃないんでしょうか。
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  • 無駄な記憶を消す冒険|高佐一慈

    2022-09-05 07:00  

    今朝のメルマガは、お笑いコンビ、ザ・ギースの高佐一慈さんが日常で出会うふとしたおかしみを書き留めていく連載「誰にでもできる簡単なエッセイ」。今回が最終回です。身体の「老化」を嘆く高佐さん。年齢を重ねてから思う、「昔の思い出」との付き合い方について綴っていただきました。

    高佐さんの連載が本になりました!
    高佐一慈(ザ・ギース)『乗るつもりのなかった高速道路に乗って』
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    車は高速道路を爆走する。 インターで降りようにも、降りる恥ずかしさを考えると、このまま高速を進んでいった方がマシなように思う。 こうして僕は、周りの目を気にするがあまり、引くに引けなくなってしまうのだ──。
    「こんなに笑えるエッセイは絶滅したと思っていました。自意識と想像力と狂気と気品。読んでいる間、幸せでした。」 ピース 又吉直樹さん、推薦!
    誰にでも起こりうる日常の出来事から、誰ひとり気に留めないおかしみを拾い集める、ザ・ギース高佐一慈の初のエッセイ集が待望の刊行。
    『かなしみの向こう側』で小説家としてもデビューしたキングオブコント決勝常連の実力派芸人が、コロナ禍の2年半で手に入れた言葉のハープで奏でる、冷静と妄想のあいだの27篇です(単行本のための書き下ろし2篇と、あとがきを収録)。

    高佐一慈 誰にでもできる簡単なエッセイ第30回 無駄な記憶を消す冒険
     久々にロールプレイングゲームをやった。『ファイナルファンタジーⅨ』。元々プレステのソフトだったが復刻版としてNintendo Switchで出ていて、急に思い立ち始めてしまった。20年以上前に発売されたゲームではあったが今でもとても楽しく、あっという間にクリア。剣でモンスターをバサバサ倒していく感覚も楽しい上、ストーリーのプレイ後感も良かったので、他の懐かしゲームにも手を出そうかなと思っている。
     話は変わるが、最近人の名前を思い出せなくなってきた。  おじさんあるあるとして聞いてきてはいたが、ついに自分にも訪れたようだ。この事実を受け入れたくはなかったが、そんなこと言っても思い出せないものはしょうがない。「やあ、いらっしゃい。まあどうぞどうぞ」と、お茶の一つでも出しながら笑顔で迎え入れるしかない。  そういえば、“焼肉屋に行ったらカルビよりもハラミの方が美味しく感じられるようになった”は2年前に迎え入れたし、“筋肉痛が遅れてやってくる”も5年前に迎え入れた。“いびきの音がうるさくなった”が僕のところに来たのは、もうかれこれ8年前にもなる。「ずいぶん来るのが早いじゃない。もうちょっと経ってから来てよー」と軽く愚痴りながらも渋々迎え入れてやったし、風呂にも入れてやった。  こうやって僕は徐々におじさんの完全体へと移り変わっていくのだろう。
     しかし、このままおじさん要素を受け入れる一方でいいのだろうか。  脂分の少ない肉の方が好きになったことや、運動した翌々日に体が痛くなること、睡眠中の発声ボリュームが大きくなったことは、僕の意志ではどうにもできないことなので受け入れるしかないが、こと記憶に関してはまだ抵抗の余地はあるんじゃないか。  何かの記事で読んだが、ヒトの記憶容量は17.5TBほどあるらしい。1TBは1000GB。現代のスマホの容量が128GBとか256GBとかなので、とにかく相当な情報が頭に詰められる計算になる。  スマホの処理速度が遅い時に、いらなくなった写真を削除したり、アプリをアンインストールすることで容量を整理する。すると元の速度に戻ったり、新たな情報を取り入れやすくなる。久々にスマホの記憶を遡ってみると不必要なものでいっぱいになっていることがよくある。  この形で僕も記憶を整理することにした。たまにあるのだ。なんでこんなこと覚えてるんだろうという毒にも薬にもならない記憶が。そういう無駄な記憶が少しずつ蓄積され、容量をいっぱいにしているのだ。必要な記憶だけ残すように整理すれば、仕事先の大事な人の名前、いちいち財布からカードを出して確認する銀行の口座番号、面白かったことだけは覚えているけど何が面白かったのか忘れてしまった映画の内容などスルスルと思い出せるに違いない。
     僕は無駄な記憶を消す冒険に出かけることにした。  背中に大剣を担ぎ、過去の記憶を自由に遡る。無駄な記憶に出くわしたら、剣を振りかざしズバッと情景ごと切り裂く。そうやって不必要な情報を消していくのだ。  いたいた、早速見つけた。小学生の僕だ。水泳の時間が終わり、水道で目を洗っている。蛇口が二股に分かれ上向きになっているプールでしか見ない水道。右の蛇口、左の蛇口からピューと飛び出してくる水道水を指の腹で止めたり離したりしている。右を止めると左から出る水の勢いが強まる。逆もまた然り。  これはあれだ。どうも両方から出ている水の高さが違うために、バランスを合わせようと左右を指で押さえながら調節しているところだ。なんでこんな記憶があるのだろう。無くて全然いいやつだ。  目を洗っている僕の背後に近づき、剣でバッサリと斬りかかる。
     
  • 東京ディープチャイナ研究会『攻略! 東京ディープチャイナ~海外旅行に行かなくても食べられる本場の中華全154品』|井本文庫

    2022-09-02 07:00  

    NHK出版の編集者・井本光俊さんが「暮らし」や「自然」にまつわるおすすめの本を紹介する連載「井本文庫」。今回ご紹介するのは、『攻略! 東京ディープチャイナ~海外旅行に行かなくても食べられる本場の中華全154品』です。近年東京近郊で話題を呼んでいる「現地系中華」。多くのガイド本とは一味違うかたちで「中華」を紹介・解説してくれる本書の魅力について語ります。(「井本文庫」のこれまでの連載はこちら)
    井本光俊 井本文庫東京ディープチャイナ研究会『攻略! 東京ディープチャイナ~海外旅行に行かなくても食べられる本場の中華全154品』」
    この書評コーナーでは、暮らしにまつわる本を紹介しています。アウトドアとか自然とか、そういったものを含めた「暮らし」です。今回ご紹介するのは、『攻略! 東京ディープチャイナ~海外旅行に行かなくても食べられる本場の中華全154品』です。
    記事化している段階で、この本の新版刊行のアナウンスがなされました。当記事公開時には、新版が刊行されているはずです。サイトの告知によれば、閉店や新規店などによる掲載店の刷新が主な変更点だそうで、「この1年で地図掲載5エリアだけでも、約70店以上新しい店が増えていたことです。特に西池袋や高田馬場では各20店ほど、また上野も相当増えていて、その事実には驚きを禁じ得ませんでした」とのことです。https://deep-china.tokyo/press-release/8931/ ますますクールチャイナ(ダサい)が勢いを増しているのではないかと、新版を手にするのを楽しみにしています。
    横浜や神戸、長崎にあるような昔ながらの中華街ではない「ネオ中華街」とも言えるような町が、近年、日本に登場してきているのをご存じですか。いや、「近年」っていうほど最近の話でもないのですが、近年それらの町が「注目を集めるようになってきている」ぐらいでしょうか。ネオ中華街は、一見するとそれとわかりづらいところがあります。伝統的な中華街はいかにも「中華ですよ」といった町並みをしていますが、ネオ中華街には、そこまでわかりやすい都市表象もありません。その町の中華料理店に入ってみると、「あれ、ここ店員さんもお客さんも中国の人で、メニューにもほとんど日本語はないし、並んでいる料理のラインナップもみたことないものばかりだぞ」と気づくような、そんな店の集まるエリアがあるんですね。ネオ中華街をかたちづくっている、日本にいる中国の人たちが日本にいる中国の人たち相手に営んでいる中国料理店……自分のまわりでは「現地系中華」とか「ガチ中華」って呼んでますが、ネットを検索すると「マニアック中華」とか「マジ中華」なんて言葉も出てきますね。まだ落ち着いた呼び名はないようですが、この本では、それを「チャイニーズ中華」と名付けています。この『攻略! 東京ディープチャイナ』は、チャイニーズ中華を巡るためのガイド本なんです。

    さて、僕は現地系中華のお店が好きでよく行くんですが、その存在を知ったのは東浩紀さんと北田暁大さんの『東京から考える』という対談本です。その本の池袋をめぐる章で、北田さんが「なるべく中国人が作る中国料理を食べたい」という理由で池袋にたどり着いたと述べてるんです。「いまは北口のあたりが明確に中国人のニューカマーズにとっての集合所」になっているという話をされていて、「永利」とか「知音食堂」とかって店名が登場するんですが、たしかに池袋北口を訪ねてみると、今で言う現地系中華の店がいっぱいあったんですね。池袋も駅そばで、そのエリアを通ったことは何度もあるんですが、さきほども言ったとおり分かりやすい中華街っぽさがあるわけではないので、自分はそれまでは気づいていなかったんです。『東京から考える』が刊行された2007年ごろの話です。『攻略! 東京ディープチャイナ』によれば、池袋の現地系中華、この本の用語で言えばチャイニーズ中華のはしりは、『東京から考える』でも名前の挙がっている「永利」で、1998年オープンだそうです。そこから現地系中華の店が増え、池袋は現在では都内でも有数の現地系中華が集まるエリアとなっています。
    この本によれば、池袋のほかにも高田馬場、新大久保、新宿をくわえた「埼京線沿線エリア」、小岩、新小岩、錦糸町などの「総武線沿線の城東エリア」、「上野・御徒町エリア」、「蒲田エリア」、「西川口・蕨(埼玉)エリア」の5エリアが都内および近郊でチャイニーズ中華の集まっている場所だそうです。西川口は、近年、メディアでも取り上げられていますよね。井本文庫で以前取り上げた『自炊力』の著者で、西川口在住の白央篤司さんによる紹介で自分は知ったのですが、世間的にも、西川口のチャイニーズ中華に注目が集まったのは白央さんの紹介が大きかったんじゃないでしょうか。自分も何度か西川口に足を運びました。西川口という町は、「NK(西川口)流」なんて言葉があったぐらいで、2000年代半ばまで風俗街として有名だったそうです。それが2004年からの埼玉県警による浄化作戦で2000年代後半には一掃され、風俗店だったテナントが空いてしまいます。一時は、かなり寂れた町になってしまったそうなんですが、家賃も下がったそんな空きテナント群に入り込んでいったのがチャイニーズ中華のお店だったわけです。
    『攻略! 東京ディープチャイナ』の本の紹介に話を戻しますが、この本はチャイニーズ中華を巡るためのガイド本だと述べました。というと、いろいろなチャイニーズ中華の店が紹介されているグルメ・ガイド本を想像しませんか。ところがそうじゃないのが、まずこの本の面白いところなんです。というのも、この本の著者おふたりは、「地球の歩き方」の編集に携わっていた方だそうなんです。この『攻略! 東京ディープチャイナ』は、いわゆるレストラン・ガイドというよりは、自分の力でチャイニーズ中華を開拓するときの手助けになるような書き方がされているんです。「地球の歩き方」シリーズが、海外の名所案内ではなく個人旅行者が自力で旅するための手助けとなることをコンセプトとしているように、この本も、あくまで自力でチャイニーズ中華をめぐるための手助けとして、チャイニーズ中華は中国のどこのエリアからきている料理なのかとか、今の流行、料理の種類やメニューの頼み方といった基礎情報がメインなんですね。個別のお店の情報も載ってはいますが、これもまさに「地球の歩き方」ぐらいの文字数しか割かれていない(笑)
    さて、それでこの本で、個人的に面白いなと思った部分を紹介したいと思います。この本の前書きには、いまの東京には〈中国語圏の最新の外食トレンドや現地仕込みの地方料理が体験できる〉食のシーンがあり、この本はそのシーンのガイドなのだということが記されています(〈〉内、本書からの引用。以下同)。
    高佐一慈『乗るつもりのなかった高速道路に乗って』PLANETS公式ストアで【オンラインイベントのアーカイブ動画&ポストカード】の特典付で販売中!