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【春の特別再配信】『シン・ゴジラ』――日本が実現できなかった“成熟”の可能性を描く、“お仕事映画”としての『シン・ゴジラ』(真実一郎×宇野常寛)
2017-05-01 07:00
今朝のメルマガは、映画『シン・ゴジラ』をテーマに、真実一郎さんと宇野常寛の対談をお届けします。3・11以降の想像力を象徴する作品として高い評価を得ている『シン・ゴジラ』。本作を巡って、庵野秀明監督が見出した「お仕事映画」としての新境地、さらには、ポリティカル・フィクションの新しい可能性について議論します。(構成:須賀原みち/初出:「サイゾー」2016年10月号/本記事は2016年10月24日に配信した記事の再配信です)
(画像出典)
▼作品紹介
『シン・ゴジラ』
監督・脚本/庵野秀明 特技監督/樋口真嗣 出演/長谷川博己、竹野内豊、石原さとみほか 配給/東宝 公開日/16年7月29日
東京湾沖の海中で、突然謎の爆発が起きる。海中火山かと思われたそれは、出現した「巨大不明生物」によるものであると判断され、政治家たちは対応を迫られる。保守政党の若手議員である矢口蘭堂をリーダーに、各省庁や学識関係者の中から技能と知識を持った変わり者たちが集められ、「巨大不明生物特設災害対策本部」が設立。ゴジラと名付けられた生物の侵攻を食い止めるべく、奔走する。
真実 3・11の後、宇野さんにお会いした時「今後はフィクションにとって、厳しい時代になる。その代わり、“怪獣”的な想像力が蘇るかもしれない」とおっしゃっていたのを覚えているんですが、東日本大震災から5年たって、まさに『シン・ゴジラ』で、その通りになりましたね。怪獣好きにとっては、まさか21世紀に、オタクじゃない人たちと、こんなに怪獣のことを語れる日が来るなんて──と、それだけでうれしい。そもそも僕のような第二次オタク世代にとって、庵野秀明はDAICON版『帰ってきたウルトラマン』【1】などをリアルタイムで見ていたりして、もともと特撮の人というイメージでした。アマチュア特撮映画を作っていた人が『新世紀エヴァンゲリオン』を経由して、ついに日本を代表するゴジラというキャラクターで特撮映画を撮ったことは、非常に感慨深いです。
宇野 正直、公開前はそんなに期待していなかった。理由はいくつかあるけど、ひとつは『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』(12年)ですよね。『エヴァQ』では冷戦期にイメージされていた終末の風景、つまり世界を一瞬で焼き尽くす原爆的な破滅が大安売りされていて、そのセカイ系的な陳腐さに白けてしまった。その庵野秀明が、『シン・ゴジラ』では、この先半永久的に世界を内部から蝕んで壊死していくような原発的な破滅を描くことによって、新しい形で「ゴジラ」を再生させたのは、良い意味で意外だった。
真実 『エヴァ』でずっと10代の少年の自意識や承認欲求について描いてきた人が、 “働く”ということを真正面から描くようになったのは、僕にはものすごく大きな変化に思えました。『シン・ゴジラ』は “お仕事映画”だった。劇中では、ほぼ全部のキャラクターが、大事なシーンで「仕事」という言葉を使う。「仕事ですから」とか「総理の仕事って大変だなぁ」とか、「国民を安心させるのが我々の仕事だろ!」とか。組織の中での自分の使命を最優先にして働く大人たちというのは、これまで庵野さんが描いていたキャラクターとかなり違うものだな、と。それは、自分の会社として株式会社カラーを作った影響も大きいのかな、と思いました。
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『聲の形』――『君の名は。』の陰で善戦する京アニ最新作が、やれたこととやれなかったこと(稲田豊史×宇野常寛)【月刊カルチャー時評 毎月第4木曜配信】☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.759 ☆
2016-12-22 07:00
『聲の形』――『君の名は。』の陰で善戦する京アニ最新作が、やれたこととやれなかったこと(稲田豊史×宇野常寛)【月刊カルチャー時評 毎月第4木曜配信】
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2016.12.22 vol.759
http://wakusei2nd.com
今朝のメルマガは、映画『聲の形』について、稲田豊史さんと宇野常寛の対談をお届けします。
後半失速した漫画原作を、統一感のある劇場向けアニメとして見事に再構成した本作。聴覚障害者を記号的な美少女として描くことで、00年代的な「萌え絵」を生々しい「現実」と対峙させる、その試みの是非について論じます。(初出:「サイゾー」2016年12月号)
(画像出典:映画『聲の形』公式サイトより)
▼作品紹介
『聲の形』
原作/大今良時 監督/山田尚子 脚本/吉田玲子 制作/京都アニメーション 出演(声)/入野自由、早見沙織、悠木碧ほか 配給/松竹 公開/16年9月17日
聴覚障害を持つ硝子は、普通学級に転入したが、クラスメイトからいじめや嫌がらせを受ける。その中心になっていた男子児童・石田だったが、ある日学校側からいじめを指摘されたことをきっかけに、今度は石田がいじめられる側に回ってしまう。硝子はその後転校し、石田は心の傷を抱えたまま高校生になった。ある時、硝子と石田は再会し、周囲の友人たちも含めて徐々に関係を深めていく。原作は作者のデビュー作であり、2011年に「別冊少年マガジン」にて読み切り版が掲載された際に、大きな反響を呼んだ(その後連載化)。
▼プロフィール
稲田豊史(いなだ・とよし)
編集者/ライター。キネマ旬報社でDVD業界誌編集長、書籍編集者を経て2013年にフリーランス。『セーラームーン世代の社会論』(単著)、『ヤンキーマンガガイドブック』(企画・編集)、『ヤンキー経済 消費の主役・新保守層の正体』(構成/原田曜平・著)、評論誌『PLANETS』『あまちゃんメモリーズ』(共同編集)。その他の編集担当書籍は、『団地団~ベランダから見渡す映画論~』(大山顕、佐藤大、速水健朗・著)、『成熟という檻「魔法少女まどか☆マギカ」論』(山川賢一・著)、『全方位型お笑いマガジン「コメ旬」』など。「サイゾー」「アニメビジエンス」などで執筆中。
http://inadatoyoshi.com
◎構成/金手健市
『月刊カルチャー時評』過去の配信記事一覧はこちらのリンクから。
前回:『君の名は。』――興収130億円でポストジブリ作家競争一歩リード――その過程で失われてしまった“新海作品”の力(石岡良治×宇野常寛)
宇野 前提として、僕は原作(連載版)を読んでいたときに、後半になるにつれて舵取りに失敗した作品だと思っていたんですよね。聴覚障害を持つヒロインを萌え系の絵で描くというある種露悪性のあるギミックを使って、取り扱いの難しい題材にどこまで深く切り込めるか、少年マンガの枠組みの中で挑んだ、かなり偉大な冒険作ではある。具体的には、どうしてもどこかの部分で絶対的な断絶がある存在と、あるいはどうしても消せない過去とどうやって向き合っていくのかを描きたかったんだと思うんですよ。コンセプトも面白いし、志も高かった。
でも、原作マンガの後半は明らかに失敗している。あの『中学生日記』ならぬ『高校生日記』みたいな青春群像劇はないでしょう?この設定を用いている意味がない内容だし、描写も凡庸。そして何より、前半で提示したテーマが、この展開で雲散霧消してしまっている。
作者としては、読者の感情移入の装置として群像劇にすることで、この物語を他人事じゃなくて自分事として捉えられるようにしようとしたんだと思うんだけど、結果、それが作者に対して高いハードルからの逃避として機能してしまったというのが、僕の原作理解です。その原作をどう映像化するのかというときに、劇場版では取捨選択がそれなりにうまくいって、結果として『聲の形』という作品自体をかなり救済したんじゃないか。
稲田 長めのコミック原作モノの映画化でありがちなのが、原作を読んでいなくても、エピソードを端折った部分がなんとなくわかっちゃうということ。「このシーンの前後が本当は描かれていたけど、尺の都合でカットした結果、描き込みが足りなくて説得力がなくなってるな」とか。でも、『聲の形』にはそれが全然なかった。僕は原作を読まずに劇場に行ったんですが、1本の映画として過不足なくまとまっていて、いくつかのエピソードは端折ったんだろうけど、そのことが作品の本質をまったく傷つけていないのが伝わりました。
観る前は、「障害者差別の話とそれに関する贖罪の話なのかな」程度の認識だったんですけど、実際はその数段上をいっていた。それをはっきり感じたのは、高校生になった植野【1】と硝子【2】の観覧車のシーンです。聴覚障害者の硝子を疎ましく思っている植野が、硝子に対して「あんたは5年前も今も、あたしと話す気がないのよ」と言う。「障害者を差別する側が100%悪い」という一般的な認識が絶対多数である中、ともすれば「いじめられていた障害者側の“非”を糾弾する」とも取られかねない、なんなら炎上しかねない展開ですが、ものすごく説得力がありました。
実際、硝子はなんでもすぐに謝ってしまうし、態度はずっと卑屈です。植野が示した不快感は「健常者だろうが障害者だろうが、卑屈なのは良くない」という、現実社会においてはなかなか口に出しては言えない心の叫びだった。だから終盤に硝子が飛び降り自殺を図ったときに、観客はそれが彼女の絶望から来る行動というよりは、「人として身勝手な行動」だという解釈に納得できる。それまでに説得力あるシーンを重ねたからこそ、そこに到達できるんです。
もうひとつ、若者コミュニケーション論的な部分にも目がいきました。この作品、とにかく登場人物がすぐ謝るんですよね。「ごめんなさい」のセリフがすごく多い。登場人物たちも含む“さとり世代”以降の世代に特有の、「深い人間関係を築いて不協和音に苦しむよりも、さっさと謝って距離を取ったほうが楽」というやつです。それに対して、「もっと深く関わらないと駄目なんだ」ということを描いている点は、非常に批評的だと感じました。
こういった主張や批評を実写でやったら、主張が剥き出しすぎて実に空々しくなってしまうと思うんですよ。でもアニメという様式美を通すことで、観客はストレートな主張や批評にも聞く耳を持つ。素直に受け入れられる。今後、いわゆる“文芸”と呼ばれるような、人間を描こうとする映像ジャンルは、実写よりアニメで伝えたほうが伝達効率がいいんじゃないか、とすら思いました。少なくとも若者層に対しては。
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『君の名は。』――興収130億円でポストジブリ作家競争一歩リード――その過程で失われてしまった“新海作品”の力(石岡良治×宇野常寛)【月刊カルチャー時評 毎月第4木曜配信】☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.740 ☆
2016-11-24 07:00チャンネル会員の皆様へお知らせ
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『君の名は。』興収130億円でポストジブリ作家競争一歩リード――その過程で失われてしまった“新海作品”の力(石岡良治×宇野常寛)【月刊カルチャー時評 毎月第4木曜配信】
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2016.11.24 vol.740
http://wakusei2nd.com
今朝のメルマガは、映画『君の名は。』について、石岡良治さんと宇野常寛の対談をお届けします。コアなアニメファン向けの映像作家だった新海誠監督が、なぜ6作目にして大ヒットを生み出せたのか。新海作品の根底にある“変態性”と、それを大衆向けにソフィスティケイトした川村元気プロデュースの功罪について語ります。(初出:「サイゾー」2016年11月号)
(画像出典)
▼作品紹介
『君の名は。』
監督・脚本・原作/新海誠 製作/川村元気ほか 出演(声)/神木隆之介、上白石萌音、長澤まさみほか 配給/東宝 公開日/8月26日
東京都心で暮らす男子高校生・瀧と、飛騨の山奥の村で暮らす女子高生・三葉は、ある時から、互いの肉体が入れ替わる不思議な現象を体験する。入れ替わって暮らす際の不便の解消のために、別の身体に入っている間に起こった出来事を互いに日記にし、その記録を通じて2人は次第に打ち解けていく。だがある日、突然入れ替わりは起きなくなり、瀧は突き動かされるように飛騨へ三葉を探しに行く。そこで彼は意外な事実を知り──。新海誠の6作目の劇場公開作品にして、まれに見る超メガヒットとなった。
▼プロフィール
石岡良治(いしおか・よしはる)
1972年東京生まれ。批評家・表象文化論(芸術理論・視覚文化)・ポピュラー文化研究。東京大学大学院総合文化研究科(表象文化論)博士後期課程単位取得満期退学。青山学院大学ほかで非常勤講師。PLANETSチャンネルにて「石岡良治の最強☆自宅警備塾」を放送中。著書に『視覚文化「超」講義』(フィルムアート社)、『「超」批評 視覚文化×マンガ』(青土社)など。
◎構成:金手健市
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前回:『シン・ゴジラ』――日本が実現できなかった“成熟”の可能性を描く、“お仕事映画”としての『シン・ゴジラ』(真実一郎×宇野常寛)
宇野 まあ、身もふたもないことを言えば、よくできたデート映画ですね、という感想以上のものはないんですよね。本当に川村元気って「悪いヤツ(褒め言葉)」だな、と思わされました。新海誠という、非常にクセのある作家の個性を確実に半分殺して、メジャー受けする部分だけをしっかり抽出するという、ものすごく大人の仕事を川村元気はやってのけた。
新海誠の最初の作品である『ほしのこえ』【1】は、二つの要素で評価されていた作品だと思う。ひとつは、キャラクターに関心が行きがちな日本のアニメのビジュアルイメージの中で、背景に重点を置いた表現を、それもインディーズならではのアプローチで再発掘したという点。もうひとつは、後に「セカイ系」と言われるように、インターネットが普及しつつあった時代の人と人、あるいは人と物事の距離感が変わってしまったときの感覚を、前述のビジュアルイメージと物語展開を重ね合わせてうまく表現していたところ、この二つです。ただ、それ以降の新海誠は、背景で世界観を表現しようというのはずっと続いていたけれど、ストーリーとしてはそうした時代批評的な部分からは一回離れて、ある種正当な童貞文学作家というか、ジュブナイル作家として機能していた。
今回、久しぶりに過去作を見返したんですけど、意外とというかやっぱりというか、あの気持ち悪さがいいんですよね(笑)。例えば『秒速5センチメートル』【2】でのヘタレ男子の延々と続く自己憐憫とか、『言の葉の庭』【3】の童貞高校生の足フェチっぷりとか。どっちも女性ファンを自ら減らしに行っているとしか思えない(笑)。でもそんな自分に正直な新海先生が愛おしいわけですよ。1万回気持ち悪いって言われても自分のフェティッシュを表現するのが『ほしのこえ』以降の新海誠作品であり、基本的に彼はそこを楽しむ作家だったと思う。
それが『君の名は。』では、その新海の本質であるところの気持ち悪さの残り香が、三葉の口噛み酒にわずかに残っているだけで、ほぼ完全に消え去ってしまった。おかげで興行収入130億円を達成したわけだけど、あの愛すべき、気持ち悪い新海誠はどこにいってしまったのか。まぁ、それも人生だと思いますが(笑)。
【1】『ほしのこえ』(公開/2002年):宇宙に現れた知的生命体を調査する艦隊に選ばれ宇宙へ旅立った少女と、地上の同級生男子の、ケータイメールを通じた超遠距離恋愛を描く。宇宙ゆえに、ケータイという身近なツールで連絡を取り合いながらも、それぞれの過ごす時間がズレていくという設定になっている。新海誠にとって初の劇場公開作品であり(短編)、本作で高い評価を受けたことが現在につながっている。
【2】『秒速5センチメートル』(公開/2007年):新海誠の3作目の劇場公開作。3話の短編で構成される連作。小学校時代に惹かれ合っていた3人が、転校後も文通を重ねて一度は再会するものの、離れ離れになって時が経ち、思春期を過ぎて大人になり……という長い時間が描かれる。
【3】『言の葉の庭』(公開/2013年):『君の名は。』の前作にあたる5作目。靴職人を目指す男子高校生が、雨の庭園で出会った大人の女性に惹かれてゆき、2人が近づく過程を描く。
石岡 僕が新海作品でずっと興味を持っているのは、エフェクトや背景の描写です。彼が日本ファルコム在籍時に作った、パソコンゲーム『イースⅡエターナル』のオープニングムービーは、ゲームムービーを刷新した。この当時から空や背景の描写はとんでもなく優れているんですが、自然に迫る美しさとは違っていて、ギラギラした光線をバシバシ見せつけるような、人工的なエフェクトの世界を高めていくものだった。宇野さんが言った「気持ち悪さ」でいうと背景自体も気持ち悪いというか、その方向へのフェティッシュも濃厚でした。なぜ彼の作品が童貞文学的になってしまうかというと、圧倒的な背景描写に対して、キャラクターをあまり描けなくて動かせないからなんですよね。でもその結果、豊かな背景を前に、キャラクターが立ち尽くす無力感が背景そのものに投影されて、観る人はそれに惹かれる仕組みがあった。
一方で今回は、キャラクターがよく動く作画でありながら、新海監督には由来しない別の気持ち悪さが生まれていると思う。去年この連載で『心が叫びたがってるんだ。』を取り上げた時、田中将賀【4】さんのキャラデザは中高年以上を描けないんじゃないか、という話をしましたよね。『君の名は。』も田中さんなんだけど、作画監督・安藤雅司【5】の力によって、三葉の父親や祖母はさすがにうまく描かれていた。だけどその代わりに、日本のアニメーター特有の病というか、演出的にはいらないはずのシーンでついパンチラを描いているあたりには、また別種の気持ち悪さがあるんじゃないか。
【4】田中将賀:アニメーター/キャラクターデザイナー。『とらドラ!』や『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』シリーズのキャラクターデザイナー・作画監督を務める。
【5】安藤雅司:アニメーター。『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』などのジブリ作品や、『東京ゴッドファーザーズ』『パプリカ』など今敏作品ほか、数々の人気アニメ作品の原画・作画監督を務めている。
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『シン・ゴジラ』――日本が実現できなかった“成熟”の可能性を描く、“お仕事映画”としての『シン・ゴジラ』(真実一郎×宇野常寛)
2016-10-24 19:00
今朝のメルマガは、映画『シン・ゴジラ』をテーマに、真実一郎さんと宇野常寛の対談をお届けします。3・11以降の想像力を象徴する作品として高い評価を得ている『シン・ゴジラ』。本作を巡って、庵野秀明監督が見出した「お仕事映画」としての新境地、さらには、ポリティカル・フィクションの新しい可能性について議論します。(構成:須賀原みち/初出:「サイゾー」2016年10月号)
(画像出典)
▼作品紹介
『シン・ゴジラ』
監督・脚本/庵野秀明 特技監督/樋口真嗣 出演/長谷川博己、竹野内豊、石原さとみほか 配給/東宝 公開日/16年7月29日
東京湾沖の海中で、突然謎の爆発が起きる。海中火山かと思われたそれは、出現した「巨大不明生物」によるものであると判断され、政治家たちは対応を迫られる。保守政党の若手議員である矢口蘭堂をリーダーに、各省庁や学識関係者の中から技能と知識を持った変わり者たちが集められ、「巨大不明生物特設災害対策本部」が設立。ゴジラと名付けられた生物の侵攻を食い止めるべく、奔走する。
真実 3・11の後、宇野さんにお会いした時「今後はフィクションにとって、厳しい時代になる。その代わり、“怪獣”的な想像力が蘇るかもしれない」とおっしゃっていたのを覚えているんですが、東日本大震災から5年たって、まさに『シン・ゴジラ』で、その通りになりましたね。怪獣好きにとっては、まさか21世紀に、オタクじゃない人たちと、こんなに怪獣のことを語れる日が来るなんて──と、それだけでうれしい。そもそも僕のような第二次オタク世代にとって、庵野秀明はDAICON版『帰ってきたウルトラマン』【1】などをリアルタイムで見ていたりして、もともと特撮の人というイメージでした。アマチュア特撮映画を作っていた人が『新世紀エヴァンゲリオン』を経由して、ついに日本を代表するゴジラというキャラクターで特撮映画を撮ったことは、非常に感慨深いです。
宇野 正直、公開前はそんなに期待していなかった。理由はいくつかあるけど、ひとつは『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』(12年)ですよね。『エヴァQ』では冷戦期にイメージされていた終末の風景、つまり世界を一瞬で焼き尽くす原爆的な破滅が大安売りされていて、そのセカイ系的な陳腐さに白けてしまった。その庵野秀明が、『シン・ゴジラ』では、この先半永久的に世界を内部から蝕んで壊死していくような原発的な破滅を描くことによって、新しい形で「ゴジラ」を再生させたのは、良い意味で意外だった。
真実 『エヴァ』でずっと10代の少年の自意識や承認欲求について描いてきた人が、 “働く”ということを真正面から描くようになったのは、僕にはものすごく大きな変化に思えました。『シン・ゴジラ』は “お仕事映画”だった。劇中では、ほぼ全部のキャラクターが、大事なシーンで「仕事」という言葉を使う。「仕事ですから」とか「総理の仕事って大変だなぁ」とか、「国民を安心させるのが我々の仕事だろ!」とか。組織の中での自分の使命を最優先にして働く大人たちというのは、これまで庵野さんが描いていたキャラクターとかなり違うものだな、と。それは、自分の会社として株式会社カラーを作った影響も大きいのかな、と思いました。
【ここから先はチャンネル会員限定!】
PLANETSの日刊メルマガ「ほぼ日刊惑星開発委員会」は今月も厳選された記事を多数配信します! すでに配信済みの記事一覧は下記リンクから更新されていきます。
http://ch.nicovideo.jp/wakusei2nd/blomaga/201610
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妖怪ウォッチはいかにして〈ポケモン〉に挑んだか(石岡良治×真実一郎×宇野常寛) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.255 ☆
2015-02-04 07:03※メルマガ会員の方は、メール冒頭にある「webで読む」リンクからの閲覧がおすすめです。(画像などがきれいに表示されます)
妖怪ウォッチはいかにして〈ポケモン〉に挑んだか(石岡良治×真実一郎×宇野常寛)
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2015.2.4 vol.255
http://wakusei2nd.com
本日のメルマガは、真実一郎さん・石岡良治さんと『妖怪ウォッチ』を語った鼎談です。なぜ妖怪ウォッチはここまでのメガヒットコンテンツになったのか? レベルファイブの過去作や水木しげる、『おぼっちゃまくん』『クレヨンしんちゃん』『ポケモン』といった他の児童向け作品と比較しながら考えます。
初出:サイゾー2015年1月号(サイゾー)
▼作品紹介
『妖怪ウォッチ』
企画・シナリオ原案/日野晃博 監督/ウシロシンジ シリーズ構成/加藤陽一 制作/OLM 放映/テレビ東京
『レイトン教授』『イナズマイレブン』など多数のヒット作を生んできたゲームメーカー・レベルファイブが手がけるクロスメディア展開作品。さくらニュータウンに住む小学5年生・天野景太(ケータ)と、妖怪執事ウィスパー、ネコの地縛霊妖怪・ジバニャンを中心に展開するギャグタッチの妖怪アニメ。ネットスラングや他作品のパロディネタが多く含まれ、大人でも笑える。
▼座談会出席者プロフィール
真実一郎(しんじつ・いちろう)
広告から音楽、マンガ、グラビアアイドルまで世相を観察するブログ「インサイター」運営。著書に『サラリーマン漫画の戦後史』(洋泉社新書y)。
石岡良治(いしおか・よしはる)
1972年生まれ。跡見学園女子大学ほかで非常勤講師。専門は表象文化論。近著に『視覚文化「超」講義』(フィルムアート社)。
◎構成:藤谷千明
宇野 今年は、黄色いネズミ(=ピカチュウ)が赤いネコ(=ジバニャン)に食われた年として記憶されるんじゃないかというくらい、『妖怪ウォッチ』の勢いがすごかった。
真実 ここまで急速にビッグなコンテンツになるとは、予測されていなかったんじゃないでしょうか。僕には小学生の子どもがいるんですけど、子どもたちを見ていて思うのが、ほかのコンテンツと比べて『妖怪ウォッチ』はメジャーになるスピードが速い。『妖怪ウォッチ』のマンガ版が載っている「コロコロコミック」(小学館)も、それまでは60万部くらいだったのが、付録に妖怪メダルをつけた途端130万部が完売になったそうで、今でも安定して100万部は売れているようです。妖怪メダルは2014年末までに1億5000万枚出荷と聞きます。あの大ヒットした『仮面ライダーオーズ』のメダルでも3300万枚といわれているので、その凄さが分かりますね。
宇野 アウトドア雑誌でも親子向けのグッズ付録を付けたり、セブン-イレブンやピザーラなど、企業コラボの節操なさもすごい。
真実 ヒットしているコンテンツって、普通は売れれば売れるほどタイアップ先選びに慎重になるんですけど、『妖怪ウォッチ』はなんでもありですよね。経営不振のマクドナルドが、妖怪ウォッチとコラボしたことでハッピーセットの売り上げが3倍くらいになったらしく、「神風が吹いた」と言われています【1】。「hulu」のような動画配信サイトも、どこもこぞって『妖怪ウォッチ』の配信を売りにしている。12月公開の映画も特別協賛がサントリーや花王、日本生命など大企業が8社もついている。これはもう、日本経済を動かしているといえるかもしれません。
【1】マクドナルドと『妖怪ウォッチ』
日本マクドナルドでは、ハッピーセットなどで『妖怪ウォッチ』グッズを展開しており、今年9月には開始5日間で当初予定の3倍となる販売数を達成。11月には「妖怪ウォッチ カレンダー2015」を発売した。
宇野 今年発売された3DSソフト『妖怪ウォッチ2 元祖/本家』も、累計300万本を超えた。玩具の妖怪ウォッチも品薄が続いています。もはや国民的タイトルになっているにもかかわらず、特にアニメ版は、あそこまで好き勝手にやっていいのかと思ってしまう。21世紀の夕方にこういうアニメが放送されているって、奇跡的なことに思える。ゲームも工夫されているとは思うけど、『妖怪ウォッチ』の直接のブレイクのきっかけはアニメでしょう。徹底的に俗悪に風俗と一体化するような形で、キャラクターを新しく作っている。同じ幼年向けコンテンツでゲーム原作の『ポケモン』と比べても、アナーキーさが違う。むしろ今の『ポケモン』アニメは、上品にまとめようとしていてつまらない。
石岡 ジバニャンの可愛さを盾にして、好き放題やっている感じがいいですよね。『ポケモン』も初期は“ユンゲラー”【2】みたいなパロディに代表されるように、黒い要素が満載だったけど、今はそうではなくなっている。『妖怪ウォッチ』にはまだ、「子どもに見せたくない感じ」があります。あのパロディの節操のなさは異常でしょう。39話がネット配信休止になった時も「ピンクレディーのパロディが原因じゃないか」とかいろいろ理由が推測されてましたが、「ほかの話のほうがヤバイだろ!」と思いました(笑)。
【2】ユンゲラー
ねんりきポケモン。当然モデルはユリ・ゲラーで、当の本人から損害賠償を求める裁判を起こされた。
宇野 23話でロボニャンがアナル開発される回【3】や、27話のスティーブ・ジョブズをパロったスティーブ・ジョーズの回【4】なんか、特にひどかった(笑)。ジョブズなんて、まだ亡くなって3年くらいしか経っていないのに、容赦なくネタにしてしまっている。しかもあの回って、玩具の「妖怪ウォッチ零式」の発売直前で、視聴者に対して「零式もiPhoneみたいに並んで買えよ」と暗に言っているわけで、悪意がすごい。
【3】ロボニャンがアナル開発される回
ロボニャンは、ロボットのような外見をした「未来のジバニャン」。決め台詞は「I’ll be back」。27話では妖怪「からくりベンケイ」と戦い、剣で体を突かれて頬を赤く染め「さぁ、もっと来い!」と叫ぶドMぶりを発揮した。
【4】スティーブ・ジョーズの回
妖怪世界で「妖怪ウォッチ零式」を開発したとされる「スティーブ・ジョーズ」が登場。ジーパンに黒いタートルネックでプレゼンする姿は、完全にスティーブ・ジョブズだった。「妖怪ウォッチ零式」買いたさに、多くの妖怪がガラス張りのショップに長蛇の列をなし、ウィスパーも「乗るしかないです、このビッグウェーブに!」とケータを連れて参戦。
真実 昔の『飛べ!孫悟空』【5】的なパロディというか、『サウスパーク』的な風刺というか、サブカルチャー的な過去のネタ引用がめちゃくちゃ豊富ですからね。アニメというより、まるでバラエティ番組です。石岡さんが「子どもに見せたくない感じ」とおっしゃいましたが、『妖怪ウォッチ』のあのブラックさは、教育上はよろしくないかもしれないけど、親も一緒に観ていて楽しめてしまう。うちの子供もニャン八先生の真似とかしてますよ。
【5】『飛べ!孫悟空』
77~79年にTBS系列で放送された、ザ・ドリフターズの人形劇。ドリフのメンバーそれぞれを『西遊記』の登場人物に見立て、よく似た人形を登場させて声をあてていた。毎回ゲストを招き、そのタレントとギャグを展開するつくりになっていた。
宇野 『サウスパーク』は社会風刺としてのパロディだけど、『妖怪ウォッチ』にはそれすらない。同じ幼年向けアニメの『ケロロ軍曹』は大人のオタクの想像の範囲内、安全圏でパロディをやっているけど、『妖怪ウォッチ』は原作に配慮がないというか、ある種、殺伐としているのが面白い。もちろん、幼年向け作品の中でパロディというのは昔からあって、『ドラえもん』だって、ミニ四駆やガンダムが流行ればそれを取り入れたエピソードを出していた。けれど、それは児童誌で連載しているから流行を追わなければならないということであって、『妖怪ウォッチ』のあの節操のなさとは全然違う。
石岡 1970~80年くらいの子ども向けのドラマだと、古典落語や時代劇の教養を前提としていて、大衆演芸の歴史を意識した脚本家は結構多かったと思うんですよ。話の中で忠臣蔵パロディが突然始まる、みたいな。今それをやろうとすると、ネタの参照源としてちょっと前のハリウッド映画や海外ドラマ、日本の『金八先生』みたいな作品が古典として出てくる。数十年前の日本のドラマやマンガといったものが、古典としてリサイクルされている感じがある。各話完結で話数がめちゃくちゃ多い幼年向けアニメは、どうしても穴埋め回が増えてしまう。だからその分、脚本家の素のネタがバンバン出てくるわけです。話数が膨れ上がると、そういう穴埋めや引き延ばしが出てくるのは避けがたい。大人が幼年向けアニメーションを見ることの厳しさの理由のひとつとして、穴埋めによる物量の極端な水増し感にあると思うんですよね。『妖怪ウォッチ』はその水増しも穴埋めも、まったく考え抜かれていないがゆえに、かえって結果的にコンテンツとして面白いものになっているのが興味深い。
そういえば水増しという意味では、古典妖怪【6】の存在はどんどん使い倒していくのかなと思いきや、そうでもなかったのが意外でしたね。現代の子どもに怖がられなくなった古典妖怪たちがホラーDVDを見て、怖さを学習して子どもたちをビビらせるというエピソードはいいなと思いました。現代メディアを活用しない懐古性みたいなものは一切持ち合わせていないところが徹底している。
【6】古典妖怪
『妖怪ウォッチ』内で、伝統的な妖怪につけられた種別名。「一つ目小僧」「ろくろ首」「唐傘お化け」などが登場する。ウィスパーがへりくだる。
宇野 古典妖怪も、ジバニャンの持っている「ニャーKB」【7】のチケットで買収されるしね。
【7】「ニャーKB」
『妖怪ウォッチ』作中に登場する、国民的アイドルグループ。ジバニャンが大ファン。
真実 全体を通じて、『クレヨンしんちゃん』につながる猥雑さがありますよね。
宇野 『ドラえもん』『ポケモン』『妖怪ウォッチ』というラインで考えると、『クレヨンしんちゃん』は補助線として大事ですね。もしかしたらアニメから風俗を感じる作品って、『クレしん』以来かもしれない。90年代に『クレヨンしんちゃん』が出てきたときに、『サザエさん』世代でもない、ポストバブルの核家族のリアリティが強烈にあった。そういった作品群の現代版が『妖怪ウォッチ』なのかもしれません。
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「ドラえもん的想像力」は21世紀に生き残ることができるのか?――真実一郎、宇野常寛の語る『STAND BY ME ドラえもん』 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.216 ☆
2014-12-05 07:00
「ドラえもん的想像力」は21世紀に生き残ることができるのか?――真実一郎、宇野常寛の語る『STAND BY ME ドラえもん』
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2014.12.5 vol.216
http://wakusei2nd.com
本日のほぼ惑は、『サイゾー』11月号に掲載された『STAND BY ME ドラえもん』をめぐる真実一郎さんとの対談をお届けします。「ドラ泣き」大ヒットの背景にあるもの、そしてこれから「ドラえもん的想像力」が真に向き合うべき課題とは――? 少子化の時代にも成立する国民的コンテンツの条件を考えます。
初出:『サイゾー』2014年11月号(サイゾー)
■作品紹介
『STAND BY ME ドラえもん』
原作/藤子・F・不二雄 監督/八木竜一、山崎貴 脚本/山崎貴 制作プロダクション/白組・ROBOT・シンエイ動画 出演(声)/水田わさび、大原めぐみ、かかずゆみ、妻夫木聡ほか 配給/東宝 公開/8月8日より
東京郊外に暮らすダメ小学生のび太のもとに、22世紀から来た自分の子孫を名乗る少年・セワシが現れる。のび太の所業で迷惑を被っている彼が、世話係にネコ型ロボット・ドラえもんをつけてどうにかしようということらしく、のび太はドラえもんと暮らすことになる。国民的名作である『ドラえもん』を初めてフル3DCGアニメで映画化。監督は、『friends もののけ島のナキ』の八木竜一、『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズや『SPACE BATTLESHIP ヤマト』などの山崎貴が共同で務めている。
▼プロフィール
真実一郎(しんじつ・いちろう)
広告から音楽、マンガ、グラビアアイドルまで幅広く世相を観察するブログ「インサイター」を運営。「SPA!」(扶桑社)などにてコラムを連載。著書に『サラリーマン漫画の戦後史』(洋泉社新書y)。
◎構成:清田隆之
■3Dドラえもんは日本版ピクサーを目指した!?
真実 僕はまんまと泣かされました。物語として非常によくまとまっているな、という印象です。僕は「コロコロコミック」を創刊号【1】から読んでいた『ドラえもん』直撃世代なんですよ。しかも子どもの頃は海外にいて、その頃は『ドラえもん』で日本の学校文化のすべてを学んだといっても過言ではないんだけど(笑)、その目線で観ても今回の3D映画に違和感はなかった。表現的には、例えば雪山のシーンとか『モンスターズ・インク』(01年)を彷彿させて、ピクサーをかなり意識しているのかなという印象も持ちました。
今回批判があるのは、「成し遂げプログラム」の設定なんですよね。セワシくんがセットしたこのプログラムでドラえもんはイヤイヤ現代にいる、という。否定派は「ドラえもんとのび太は友情で結ばれていないと」ということなんでしょうけど、『トイ・ストーリー』のバズとウッディみたいに、当初仲が悪かったからこそ最後に仲良くなることに意味があるのはよくある話だし、個人的にこの改変はそんなに気になりませんでした。あと、このCGのクオリティで静香ちゃんのお風呂シーンが見たかったです。
【1】「コロコロコミック」(小学館)創刊号
創刊年は77年。69年より小学館の学年誌で連載が開始されていた『ドラえもん』をまとめて読むことができるように、という総集編的位置づけで創刊された。
宇野 僕は、完成度は高いし、企画としては満点だと思いました。これまで3DCGの作品ではなかなかかわいいキャラが作れなくて、人間に似せれば似せるほどうまくいかなくなるという”不気味の谷”問題があったんだけど、今回はそれがほとんど気にならなかった。その問題を乗り越えて、この規模でヒットしたものって、日本でおそらく初めてですよね。しかもそれがいわゆるオタク系のアニメ文化とは少しズレたところであるROBOT・山崎貴ラインから出てきた。彼らの作ってきたものは全部メジャー路線だし、オタク的なフェティッシュとも切り離されたところにあるのでちょっとマニアには敬遠されがちなところもあるんだけど、全然馬鹿にしたもんじゃないな、というのが第一印象です。さらにそういうテクニカルな部分に加え、シナリオ的な泣かせ演出も優れていた。あれは真実さんの指摘通り、完全にピクサーですよね。対象喪失の使い方や、子ども向けにわかりやすい物語を提示しつつも、大人になってしまった親世代の郷愁を誘う構造なんかは完全にゼロ年代ピクサーのノウハウで、非常に良くできていた。
ただ一方で、「これは果たして『ドラえもん』なのかな?」という気持ちがどうしても残ってしまった。一番大きいのは、ひみつ道具によるワクワク感というか、センス・オブ・ワンダーの感覚がほぼ消滅している点。『ドラえもん』のメインテーマって、「あんなこといいな、できたらいいな」じゃないですけど、「科学する想像力」ですよね。でも、今回の映画では「のび太の成長物語」が主題になっていた。原作だと、のび太の成長物語は”方便”にしか使われていなかったと思うんですよ。『さようならドラえもん』や『帰ってきたドラえもん』だって、一旦連載を終わらせることにしたけどやっぱり再開するってことで、便宜的に藤子・F・不二雄が描いたもの。その方便でしかなかったはずの成長物語が全面化していた点が、僕は非常に気になった。むしろ『ドラえもん』は本来、のび太を成長させないことによって無限反復を可能にしていた作品で、藤子・F・不二雄はある時期までは、大長編ですらのび太をいかに成長させないかというゲームを戦っていた。だから成長するのはいつもジャイアンやスネ夫だったし、物語の解決も「のび太が勇気を出して皆が感動して危機に立ち向かう」とかではなくて、『のび太の大魔境』(82年)や『のび太と鉄人兵団』(86年)みたいにひみつ道具のアクロバティックな使い方によって勝ったり、『のび太の日本誕生』(89年)みたいにタイムパトロールが勝手に助けに来て勝つとかだったわけです。あれは、いかにのび太を成長させないまま、日常的なセンス・オブ・ワンダーの話を描くか、フロンティアが消滅しつつあった20世紀後半の社会の中で、どう子どもに冒険を提供するかということだったはず。そういう藤子・F・不二雄の知的格闘がすべて忘れ去られ、のび太のウェルメイドな成長物語になってしまったことが、僕は結構ショックだった。
■「電通のドラえもん」としての”ドラ泣き”
真実 今回、いちサラリーマンとして思ったのは「これは”電通のドラえもん”だな」ということ。今まで『ドラえもん』というコンテンツはアサツーディ・ケイ(ADK)がアニメの版権を独占していて、ほかの広告代理店が手を出せない構造になっていた。でも聞いた話では、「2D(平面)のドラえもんはADKのものだけど、3Dはまた別コンテンツのはずだ」というアクロバティックな理屈を考えた天才がいて(笑)、「3Dは電通の版権」ということになったようなんです。 -
真実一郎・宇野常寛の語る「サラリーマンコンテンツ」の現在――『島耕作』『パトレイバー』から『半沢直樹』『重版出来』まで ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.211 ☆
2014-11-28 07:00
真実一郎・宇野常寛の語る「サラリーマンコンテンツ」の現在――『島耕作』『パトレイバー』から『半沢直樹』『重版出来』まで
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2014.11.28 vol.211
http://wakusei2nd.com
今朝のほぼ惑は『文化時評アーカイブス2013-2014』収録の「サラリーマンはどこから来てどこへ行くのか 〜2010年代の働き系コンテンツの潮流〜」に真実一郎さんが加筆・修正を加えた原稿と、『半沢直樹』に関する宇野常寛との対談のお蔵出しをお届けします。
初出:『文化時評アーカイブス2013-2014』(月刊サイゾー5月号増刊)に加筆・修正▼プロフィール真実一郎(しんじつ・いちろう)現役サラリーマン。広告から音楽、マンガ、グラビアアイドルまで幅広く世相を観察するブログ「インサイター」を運営。「SPA!」(扶桑社)などにてコラムを連載。著書に『サラリーマン漫画の戦後史』(洋泉社新書y)。
■「働き方」探しの時代に蘇った昭和サラリーマン
いまほど「働き方」をめぐるバズワードが乱舞する時代もないだろう。ノマド、社畜、正規・非正規、グローバル人材、ワークシフト、セカンドキャリア、ブラック企業……。雇用環境が流動化し、従来のような正規雇用の中間層=サラリーマンが一枚岩ではなくなった結果、古い働き方への懐疑と新しい働き方の模索が大規模かつ同時多発的に起こっているというわけだ。
だからこそ、極めて昭和的な会社員を描いたドラマ『半沢直樹』が爆発的にヒットし、社会現象化したのはちょっと意外だった。半沢は堅苦しい縦社会組織の中で、パワハラに耐え、深夜残業を厭わずモーレツに働き、飲みニケーションも頻繁に行い、献身的な専業主婦の妻を持つ。そんな古風なワークスタイルの主人公が2013年を代表するキャラクターになるなんて、誰も予想しなかっただろう。
『半沢直樹』の原作を手掛ける池井戸潤【註1】の小説は、サラリーマンや中小企業経営者を主人公としたものが多く、特に2010年代になってから支持層を拡大している。池井戸が描く一見古臭いサラリーマンが、なぜ「働き方」探しの止まらない現代において支持されるのか。日本のサラリーマン・コンテンツの潮流を振り返りながら、その背景を考察してみたい。
【註1】池井戸潤…大学卒業後、三菱銀行(現・三菱東京UFJ銀行)に7年間勤務。退職後、コンサル業の傍らビジネス書を執筆。98年に小説家デビューし、11年『下町ロケット』で第145回直木賞受賞。
■コンテンツが映し出すサラリーマンの軌跡
サラリーマンが時代の主役に躍り出たのは1950年代半ばからだった。太平洋戦争で兵隊として国家の為に戦った人々が帰還し、会社の為に戦う企業戦士へと転身して、日本の復興に心血を注いで高度経済成長を牽引したのだ。戦没者に対して後ろめたさを引きずっていた彼らを肯定・承認するエンターテイメントとして、源氏鶏太【註2】の勧善懲悪的なサラリーマン人情小説や、底抜けに明るい東宝の映画「社長シリーズ」「日本一シリーズ」【註3】が量産され、サラリーマンものブームが巻き起こった。定年退職まで守られた家族的な会社に身を置き、会社のためにモーレツに働けば、誰もが豊かな未来を夢見ることができた、戦後日本の青春時代だ。
【註2】源氏鶏太…戦前から財閥系企業の経理畑に勤め、終戦後本格的に作家デビュー。自身の25年にわたる会社勤めの経験をもとに、サラリーマン小説を多数発表した。51年に『英語屋さん』で第25回直木賞受賞。85年没。
【註3】「社長シリーズ」「日本一シリーズ」…「社長シリーズ」は森繁久彌が社長役で主演する喜劇映画(195 6〜70年)。高度経済成長期の企業を舞台に、キャラのバラバラな部下や社員たちとてんやわんやの騒動を繰り広げる(『社長三代記』『『社長太平記』ほか)。後者はクレイジーキャッツ・植木等が主演した、歌って躍る喜劇映画(62〜71年)。「社長シリーズ」とは異なり、植木の役柄や働く企業・業界は毎回違うものになっているが、基本的に常にモーレツ社員として描かれる(『日本一のゴマすり男』『日本一のワルノリ男』ほか)。
しかし1970年代になると、モーレツで非人間的な労働環境に対する疑問が拡大する。オイルショックが決定打となって高度成長が終わる頃には、賃金カットや人員整理が相次ぐサラリーマン受難の時代となり、会社に奉仕する人生への忌避感が蔓延。サラリーマンという存在を肯定的に描くコンテンツも消えていった。この時期に支持を集めた城山三郎【註4】の企業小説の数々は、悩めるサラリーマンを代弁して、組織に振り回される個人のリアリティ、無念さを徹底的に追求している。
【註4】城山三郎…大学にて経済学の教鞭を執る傍ら、作家として活動を始める。第40回直木賞受賞作『総会屋錦城』のような企業小説と、吉川英治文学賞『落日燃ゆ』のような伝記・歴史小説それぞれにおいて、日本のエンタメ小説界にジャンルを確立した。07年没。
「ジャパン・アズ・ナンバーワン」といわれて日本型経営が見直され、バブル景気に突入する1980年代半ばになると、サラリーマンに再び活力が漲り始める。その受け皿となったのが、いわゆるトレンディドラマの数々であり、更には源氏鶏太の漫画版ともいえる『課長島耕作』【註5】だった。大企業の正社員で、謙虚で勤勉。上司や女性から人柄を認められ、ひたすら会社のために奉仕して出世する献身的な好漢。こうした島耕作的なキャラクターが、高度経済成長期的な快活なサラリーマン像をセンスアップさせる形で甦らせ、働き盛りとなっていた団塊世代や新人類世代の会社員生活を肯定していく。
【註5】『課長島耕作』…弘兼憲史/講談社「モーニング」83年〜現在にいたるまで続く「島耕作」シリーズの一発目。内容は言わずもがな、初芝電器に務める会社員・島が行動力と前向きさと強運で出世していく物語である。その後「部長」「取締役」「常務」「専務」「社長」「会長」「ヤング」「係長」と続き、終止符を打った……はずが「学生」編を現在連載中。
1991年のバブル崩壊以降、状況は大きく変わる。終身雇用、年功序列といった会社神話が音を立てて崩れはじめたのだ。会社に依存できなくなったサラリーマンたちは、2000年の「明日があるさ」ブーム【註6】を最後に共通の夢を失い、分断されていく。ある者はプロジェクトXのような過去の栄光に救いを求め、またある者はライブドアのような若いベンチャーに希望を見いだしたが、どれも日本経済の低迷を打開はしなかった。コンテンツの世界では医者やホストといった特定職業を描いた職業ドラマや職業漫画が急速に増加し、サラリーマンはコンテンツの主役から姿を消していく。
【註6】「明日があるさ」ブーム…脚本/高須光聖ほか 演出/李闘士男ほか 出演/浜田雅功、藤井隆ほか 放映/01年4〜6月(日テレ) 缶コーヒー・ジョージアのCMから発展したテレビドラマ。総合商社で働くサラリーマンを吉本興業の芸人たちが演じた。初回最高視聴率が30%を記録し、スペシャルドラマ、映画の続編が作られた。
■池井戸潤が描く「志のシェア」
そこに現れたのが池井戸潤の作品群だった。池井戸の企業小説の特徴は、城山三郎的な「組織対個人」、さらには「大企業対中小企業」のリアリティをシビアに描きつつ、同時に源氏鶏太的な勧善懲悪ファンタジーも貫かれるところだろう。新しい働き方の模索で浮き足立つ世相に惑わされず、古い働き方のストレスを抱いたまま、大逆転劇で力強い未来を見せる。そんな戦後サラリーマン小説のハイブリッド的なプロットは、過渡期にある最大公約数の日本人の支持を集める必要条件を確かに満たしている。
そしてもう一点、池井戸作品を大きく特徴づけるのは、組織や世代の壁を越えた共闘意識、チームワークだ。これは源氏鶏太、城山三郎から弘兼憲史に至るまで、これまであまり描ききれてこなかった部分だろう。
吉川英治新人文学賞を受賞した『鉄の骨』【註7】では、中堅ゼネコンに務める四年目社員が「談合」という古い業界慣習と格闘するために先輩社員たちから多くを学んで成長し、年老いた大物フィクサーとまで気持ちを通い合わせる。直木賞受賞作品である『下町ロケット』【註8】でも、さまざまな部署の社員や弁護士がひとつの夢に向かってエネルギーの塊になっていく。『半沢直樹』の続編となる『ロスジェネの逆襲』【註9】では、バブル世代を忌み嫌うロスジェネ世代の部下が半沢と共闘し、友人のIT企業を買収から救う。
【註7】『鉄の骨』…池井戸潤/講談社/09年 中堅ゼネコンで入社4年目にして配置換えを受けて、通称〝談合課〟に席を置くことになった主人公。建設業界における談合の持つ意味合いに葛藤する中、新地下鉄敷設計画という巨大案件が動き始める。07年に小池徹平主演でドラマ化された(NHK)。のちに『平清盛』を手がける磯智昭プロデューサーが制作統括を務めた。
【註8】『下町ロケット』…池井戸潤/小学館/10年 ロケット開発の職を辞して町の製作所を経営する佃のもとに、ライバル企業から訴状が届く。法廷闘争に巻き込まれ会社存亡の危機に立たされる中、同社の特許技術がなくてはロケットが飛ばないことが判明し、大手製造会社・帝国重工が製作所にやってくる。
【註9】『ロスジェネの逆襲』…『半沢直樹』の原作である「オレたちバブル入行組」シリーズの3作目となる小説。12年にダイヤモンド社より刊行。半沢が出向させられた証券会社を舞台に、ロスジェネ世代の部下たちと共に戦う姿を描く。
池井戸作品は、トラディショナルな昭和サラリーマンを描いているようでいて、保身と社内政治に勤しむ大企業の社畜を決して肯定はしていない。かといって会社組織から完全に自由なノマドやグローバル人材が登場・活躍するわけでもない。単純な世代による善悪の仕分けも行われない。ワークスタイルやキャリアの違いを超えて、志をシェアする者同士が繋がり、本気で仕事に取り組む醍醐味をとことん味わい尽くす。チームの求心力となるのは「どう働くか」という表面的なスタイルではなく、「何をしたいか」「何のために働くか」という本質だ。
旧来の会社組織に頼れない「個の時代」になりつつあるからこそ、組織や世代の壁を越えた熱く強固なチームの生成が、ビジネスを充実させる鍵を握る。そのことに自覚的なコンテンツとして、池井戸作品が浮上してきたというわけだ。
■〈スタイル〉から〈中身〉へ
池井戸作品的な、働く現場におけるこうしたチームワークの充実感を、いま最も高揚感のある形でパッケージ化しているのが、松田奈緒子の漫画『重版出来』【註10】だろう。
【註10】『重版出来』…松田奈緒子/小学館「スピリッツ」12年〜(既刊2巻) 大学まで柔道一筋で生きてきたが、就職で出版社の青年誌編集部に飛び込んだ女子の奮闘を描く出版業界モノ。13年3月に単行本1巻が刊行されると話題が広がり、書店で品切れが続いてまさに重版された。
主人公は、大学まで柔道一筋で生きてきた黒沢心。子供の頃に感動した柔道漫画の話題で世界中の選手と交流できた体験を振り返り、「世界の共通語となる漫画作りに参加して、地球上のみんなをワクワクさせたい!」という思いを抱いて大手出版社に入社。漫画の編集部に配属され、新人特有の無邪気な行動力と愛され力で、上司の編集者や営業社員、漫画家、書店員、製版会社社員までを巻き込み、ひとつの方向に向かって突き進んでいく。
出版社を舞台とした女性社員の奮闘記ということで、安野モヨコの『働きマン』【註11】と比較する人も多いだろう。しかし、無垢な新入社員の素朴な一石投入によって周囲の先輩社員や関連会社の人間が触発されチームが活性化する、というプロットは、バラバラの個人の群像劇だった『働きマン』よりも、むしろ百貨店を舞台とした高橋しんの『いいひと。』【註12】に近い。伝統的に日本企業を支えてきた体育会系のバイタリティに再着目し、斜陽といわれる業界にも根源的な働く喜びを見出し、サラリーマンの仕事とはチーム戦であることを炙りだす。その古くて新しい試みは、今のところかなり成功している。
【註11】『働きマン』…安野モヨコ/講談社「モーニング」04年〜(既刊4巻)週刊誌編集部で働く松方弘子(28歳独身)を主人公に、女性がガツガツ働くことの難しさやそれぞれの仕事観が描かれる。作者体調不良による休業から、休載が続いている。
【註12】『いいひと。』…高橋しん/小学館「ビッグコミックスピリッツ」(26巻完結)北海道出身の“ゆーじ”は高校大学と陸上長距離に打ち込み、その後スポーツメーカーに就職する。常に楽観的で人の好い彼と、周囲にいる会社の人々が感化されたりしなかったりしながら共に働く姿を描く。
「働き方」を巡る論争は、有意義な落としどころが見つからないまま当分続くだろう。もともと働き方に万人を納得させる正解などないのだから。そんな<スタイル>を巡って漂流する議論を横目に、これからは労働の<中身>を輝かせるコンテンツがスポットライトを浴びることになるはずだ。
(了)
■真実一郎×宇野常寛『半沢直樹』
初出:『サイゾー』13年11月号(サイゾー)所収:『文化時評アーカイブス2013-2014』(サイゾー)
▼作品紹介
『半沢直樹』
原作/池井戸潤 脚本/八津弘幸 演出/福澤克雄ほか 出演/堺雅人、及川光博、上戸彩、香川照之、片岡愛之助ほか
13年7月7日〜9月22日(毎週日曜21:00〜21:54/TBS)
東京中央銀行の銀行員・半沢直樹が、銀行内部の腐敗とそれに伴う癒着と戦い、出世を目指す姿を描く。重厚かつ爽快感のある物語に加えて、映画や演劇、歌舞伎でも活躍する役者陣を揃え、初回から視聴率19%を達成。その後もうなぎ上りを続け、最終回は42.2%を獲得した。
◎構成・竹下泰幸(甘噛みマガジン)
真実 ドラマ『半沢直樹』は、日本のサラリーマンを主題にした作品の集大成だなと思って、僕はとても面白く観ました。『半沢直樹』は小説原作(原題『オレたちバブル入行組』04年、『オレたち花のバブル組』08年)ですが、サラリーマンを描いた小説として、1950年代には源氏鶏太的【註1】な「戦後の社内政治を勧善懲悪でハッピーエンド」という前向きな素朴さが主流だったのに対し、景気が悪くなってきてそれがリアリティを失った70年代頃には、城山三郎【註2】とか山崎豊子【註3】に代表される、いわゆる「企業小説」で組織に振り回される個人の悲惨な戦いを描いたシリアスな作品が増えた。そして『半沢』シリーズは、悪く言うと新しさはないんだけど、城山三郎的な個人VS組織のシビアさの中で、源氏鶏太的に勧善懲悪で「正義は(たまには)勝つ」ところを描くという、日本のサラリーマンコンテンツのいいとこ取りをしている。そういう点で作者の池井戸潤【註4】は、源氏鶏太・城山三郎に続く直木賞サラリーマンもの作家の完成形だと思いました。それをドラマにするに当たって、プロットはほぼ原作そのままに、キャスティングと演出の妙で見せていた。大映テレビ【註5】的な大げさな演技を取り入れて、時代劇的な要素を取り込むことで、世代を超えたヒットにつながった。
【註1】源氏鶏太…戦前から財閥系企業の経理畑に勤め、終戦後本格的に作家デビュー。自身の25年にわたる会社勤めの経験をもとに、サラリーマン小説を多数発表した。51年に『英語屋さん』で第25回直木賞受賞。85年没。
【註2】城山三郎…大学にて経済学の教鞭を執る傍ら、作家として活動を始める。第40回直木賞受賞作『総会屋錦城』のような企業小説と、吉川英治文学賞『落日燃ゆ』のような伝記・歴史小説それぞれにおいて、日本のエンタメ小説界にジャンルを確立した。07年没。
【註3】山崎豊子…去る9月29日、88歳で没したことが報じられた女性作家。毎日新聞記者を経て、吉本興業創業者をモデルにした『花のれん』で第39回直木賞受賞、作家活動に専念。『不毛地帯』『沈まぬ太陽』『大地の子』『運命の人』『白い巨塔』『華麗なる一族』と、大半の作品が映像化され、ヒットしている。
【註4】池井戸潤…大学卒業後、三菱銀行(現・三菱東京UFJ銀行)に7年間勤務。退職後、コンサル業の傍らビジネス書を執筆。98年に小説家デビューし、11年『下町ロケット』で第145回直木賞受賞。
【註5】大映テレビ…時代劇映画を得意とした大映の流れをくむ制作会社。70年代に『スクール☆ウォーズ』『不良少女とよばれて』(共にTBS)、『ヤヌスの鏡』(フジ)などでヒットを飛ばし、大げさな芝居や泥沼の展開といった特徴的な路線を確立した。近年は2時間ドラマなどを制作している。
宇野 僕がまず思ったのは、『半沢直樹』の放送枠であるTBS日曜劇場で演出の福澤克雄【註6】さんがやってきたことって、「戦後を時代劇として描く」ということだったんですよね。つまり、松本清張や山崎豊子の有名原作が近過去やリアルタイムの時代の精神を表す共感コンテンツとして描いてきた「戦後」を、徹底して「時代劇」として描いたことだと思うんです。時代劇って本質的にはコスチュームプレイで、だからこそほとんど「キムタク」のコスプレをしているような状態の木村拓哉の主演【註7】こそがハマっていたりした。ただ、それがさすがに一回りしてネタ切れになり、キムタクのコスプレにも飽きが来てしまった。『南極大陸』はその顕著な例でした。
そうしたとき、次のステージに行くにはどうしたらいいかという答えが『半沢』だったんだと思います。コンセプトは2つあって、ひとつは思い切って「現代劇にしてしまう」ということ。それも、時代は現代日本なんだけど、都市銀行という戦後の古いサラリーマン社会が一番色濃く残っているところを舞台にすれば、"時代劇"をやってきた彼らのノウハウを活かすことができる。これは原作自体がもともとそういうコンセプトで、そこを活かしたつくりにしたんでしょうね。もうひとつは主にキャスティング面にいえることで、いわゆる舞台俳優や映画俳優を中心に組み立てるということ。これは、これまでのノウハウを動員すれば、有名俳優にコスプレさせるのではなくて、舞台俳優のアクの強い魅力を引き出すことができるという自信の現れでしょうね。このキャスティング戦略を背景に、これまでの時代劇的テイストが、真実さんが指摘したように、その延長線上にあるかつての大映や東映のB級ドラマの流れに進化している。この2つによって、行き詰まってきていた日曜劇場をアップデートさせることに成功したなと感じています。
【註6】福澤克雄…TBSのドラマプロデューサー、演出家。『3年B組金八先生』シリーズや、「日曜劇場」での『白い影』『GOOD LUCK!!』『砂の器』『華麗なる一族』『南極大陸』などを手がけ、視聴率を獲る演出家。福沢諭吉の玄孫。
【註7】木村拓哉の主演…『ビューティフルライフ』『GOOD LUCK!!』『華麗なる一族』『南極大陸』と「日曜劇場」で実に4度の主演。そしてこの秋から『安堂ロイド〜A.I. knows LOVE?〜』がスタート。
真実 同時期にNHKで同じく池井戸潤原作の『七つの会議』【註8】をやっていて、これも実は面白かったんですが話題にはならなかった。それはやっぱりキャスティングと演出の問題で、こちらは抑えめな演技のハードボイルド路線だったから、話題の広がり方がすごく限定的だったんでしょう。『半沢』を観て、キャスティングって大事だなとすごく思いました。
【註8】『七つの会議』…脚本/宮村優子 演出/堀切園健太郎 出演/東山紀之ほか 放映/13年7月(NHK土曜ドラマ/全4回)中堅電機メーカーを舞台に、社員各自の思惑が不祥事を巻き起こしていくさまを描く群像劇。演出の堀切園は『ハゲタカ』『外事警察』などを手がけている。
宇野 『半沢』制作陣は、すごくクレバーだと思うんです。大和田(香川照之)をはじめとした悪役の描写って、絶対に笑わせようと思ってやってるじゃないですか(笑)。ネット的なネタ消費のことを、かなり演出側が意識していて。片岡愛之助や石丸幹二も、水を得た魚のように楽しそうに演じてましたよね。
真実 第一部から第二部で、演出が明らかにエスカレートしていきましたね(笑)。でも個人的には、小木曽(緋田康人)や藤沢未樹(壇蜜)をはじめ魅力的なキャラクターが登場した第一部のほうが面白かった。それと、最初は「倍返し」がキャッチコピーじゃなかったんですよね。開始当初のコピーは「クソ上司め、覚えていやがれ!」で、あの決め台詞をそこまでフィーチャーしていたわけじゃなかった。
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