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男と食 31|井上敏樹
2020-10-30 07:00
平成仮面ライダーシリーズなどでおなじみ、脚本家・井上敏樹先生のエッセイ『男と×××』。ある日、お茶漬けのCMを見た敏樹先生。母親が子供たちに朝食としてお茶漬けを出すそのCMから、幼稚園の頃の恐ろしいお弁当事件が頭をよぎります。
「平成仮面ライダー」シリーズなどで知られる脚本家・井上敏樹先生による、初のエッセイ集『男と遊び』、好評発売中です! PLANETS公式オンラインストアでご購入いただくと、著者・井上敏樹が特撮ドラマ脚本家としての半生を振り返る特別インタビュー冊子『男と男たち』が付属します。 (※特典冊子は数量限定のため、なくなり次第終了となります) 詳細・ご購入はこちらから。
脚本家・井上敏樹エッセイ『男と×××』第60回 男 と 食 31 井上敏樹
衝撃的なCMを見た。『朝はお茶漬け』というものである。極く普通の若い母親が、朝の食卓で子供たちにお茶漬けを出す。子供たちは美味しそうにお茶漬けをかき込み、『美味しかったよ、お母さん』とばかりに笑顔でランドセルをしょって学校に行く。『朝はお茶漬け』である。あんまりではないか。別に私はお茶漬けを否定しているわけではない。私だって時々食べる。寧ろ好きだ。だが、それはちょっと小腹が空いた時とか二日酔いの朝とかであって、育ち盛りの子供に与えるようなものではない。しかも朝食である。朝食というのはその日の勢いを決定づけるとても大事な食事である。この母親には愛がないのか。炊き立てのご飯と味噌汁、焼魚に納豆等を出すのが真っ当な母親というものではないのか。お茶漬けとは関係ないが、私はこのCMを見て、幼稚園の頃のお弁当事件を思い出した。私の母親が昼食として私に菓子パンを持たせたのである。焼きそばパンだがメロンパンだか忘れたが、モソモソと菓子パンを食べる私を見て当時の先生は眉をしかめた。そして私に言ったのだ。『井上君、もっとちゃんとしたお弁当を作ってくれるようお母さんに頼みなさい』と。帰宅した私は先生の言葉を母に伝えた。サッと母親の顔色が変わった。『本当に先生がそう言ったのかい?』と、私に迫った。しまったと私は後悔した。母のプライドが傷ついている。元々母は料理好きで、いつもは立派なお弁当を作っていた。おそらくたまたま体調が悪くてその日は菓子パンを持たせたのだ。
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完遂できなかった『陽あたり良好!』を進化させた青春群像漫画『ラフ』(後編)| 碇本学
2020-10-29 07:00
ライターの碇本学さんが、あだち充を通じて戦後日本の〈成熟〉の問題を掘り下げる連載「ユートピアの終焉――あだち充と戦後日本の青春」。『タッチ』に続く代表作と評される『ラフ』の分析の後編です。原作の連載終了から四半世紀を経て公開された実写映画版で、あだち的な「青春」像はゼロ年代にどう描き直されたのか。そして『陽あたり良好!』でやり残したテーマがどう昇華されたのかに迫ります。
碇本学 ユートピアの終焉──あだち充と戦後日本社会の青春第14回 完遂できなかった『陽あたり良好!』を進化させた青春群像漫画『ラフ』(後編)
漫画版の魅力を逆説的に浮き彫りにした実写映画版
「ラフ」はラストに向けて、つまらないエピソードを重ねながら盛り上げていきました。甲子園大会みたいに1回戦、2回戦と盛り上げられないから、それまで出てきた登場人物を総動員して使い切った。 そして最後、カセットテープを小道具に使うんですが、この思いつきに助けられたラストです。亜美の気持ちをどう圭介に伝えるか、どうふたりらしい終わり方にするか、最後の数話、煮詰まった中から出てきたアイデアだと思います。 「タッチ」は最終回の前の回で決着をつけて、最終回はあと始末で終わらせますが、「ラフ」は最後の1ページまでどうなるかわからないつくりになってます。結果的にはうまくいった気がします。〔参考文献1〕
『ラフ』の名シーンのひとつは、最終回「きこえますかの巻」において、亜美がカセットテープに吹き込んだ圭介への告白だろう。この最終回で、圭介は恋愛でも水泳でもライバルとなる仲西と、日本選手権の自由形決勝で直接戦うことになる。 最後のページでは、レースの前に亜美が圭介への思いをカセットテープに吹き込んでいたことが読者にはわかるようになっている。そして、圭介と仲西の勝敗の結果は漫画では描かれてはいない。しかし、最終回のふたつ前の「勝ちそうなほうよの巻」で亜美は大場のじいさんとばったり会った際に、「なんじゃ、本命は負けそうなほうなのか」と聞かれた際に、亜美は「勝ちそうなほうよ」と答えている。亜美のこのセリフから、読者は圭介が日本新記録を出して仲西に勝つのではないかと読者に想像させるのである。こうした説明をどんどん省略していくスタイルは、あだち充が自分の読者ならこの描き方で伝わるはずだとわかった上での選択だった。 このラストシーンがあるからこそ、『ラフ』はあだち充作品の中でも非常に高い人気を誇っており、ラブコメの名作のひとつとして残っているのではないだろうか。
2000年代になってから、『ラフ』は連載誌「少年サンデー」での前作『タッチ』とともに相次いで東宝系で実写映画化されている。『タッチ』のほうは犬童一心を監督に起用して2005年に公開されたのに続き、翌2006年に公開された『ラフ ROUGH』は、企画に川村元気、監督に前年に『NANA』を大ヒットさせた大谷健太郎、さらに脚本には『ナースのお仕事3』を手掛けた金子ありさを起用。デビュー以来ずっとテレビドラマの脚本をしていた金子が、はじめて映画の脚本を手掛けたのは『電車男』(2005年)だった。『電車男』の企画は川村元気であり、ここから彼の名がヒットメーカーとして知られていくことになったのだが、『ラフ ROUGH』はそれに続く企画・脚本家のタッグにもなっている。
この『タッチ』『ラフ ROUGH』の2作に共通するのが、製作が東宝の社内プロデューサー・本間英行であり、主演が長澤まさみであるということだ。『タッチ』の1年前の2004年には本間が製作に関わった行定勲監督の映画版『世界の中心で、愛をさけぶ』が劇場公開され、興行収入85億円を超える大ヒットになっていた。当時、高校生だった長澤まさみは主人公・松本朔太郎(森山未來)の高校時代の恋人役の広瀬亜紀を演じた。この役どころは聡明でスポーツ万能で親しみやすいという『タッチ』の浅倉南を彷彿とさせる存在だったが、彼女は白血病を患うことになる。 長澤まさみは白血病治療の副作用による脱毛症を演じるためにスキンヘッドになり、この時の好演で日本アカデミー賞最優秀助演女優賞など数々の賞を受賞し、『世界の中心で、愛をさけぶ』は彼女の出世作になった。 また、『世界の中心で、愛をさけぶ』は映画公開とほぼ同時期に堤幸彦が演出で参加した同名のテレビドラマも放映されていた。ドラマ版では朔太郎を山田孝之、亜紀を綾瀬はるかが演じている。ゼロ年代の青春映画ブームの嚆矢『ウォーターボーイズ』(2001年)の2年後を描いたドラマ版『WATER BOYS』(2003年)でブレイクしたのが山田孝之と森山未來の二人であり、若手俳優ブームとともに青春ものがゼロ年代の映画やドラマを牽引していくことになった。同時に彼らの相手役となる若手女優たちも台頭していくことになり、その中のひとりが長澤まさみだった。
そもそも彼女は「東宝シンデレラオーディション」のグランプリを受賞したことで芸能界入りした女優であり、東宝や本間としては『世界の中心で、愛をさけぶ』に続く大ヒット作を、長澤の主演ありきでやろうとしたのだろう。そのための知名度と話題性のある企画として、あだち充の人気上位作である『タッチ』と『ラフ』が選ばれたのだと考えられる。 実際、原作では『タッチ』は上杉達也、『ラフ』は大和圭介が主人公であるが、映画版では浅倉南と二宮亜美のヒロインが主人公という趣向に変更されているのが象徴的だ。
そのため映画版と漫画版とでは主人公の視点が変わっている。このことが、漫画版を知っている読者にとって、より違和感を増している部分もあった。 そういう影響もあったのか、原作ファンにはどちらの映画版も評判は芳しくなく、駄作のイメージがついてしまっている。主人公視点の変更だけではなく、映画版と漫画版の違いを考えていくと漫画『ラフ』の魅力がよくわかる。
映画版『ラフ』の冒頭では、速水もこみち演じる圭介が試合開始前までウォークマンで音楽を聴いているシーンから始まる。これはラストシーンである亜美のカセットテープの告白への伏線になっている。 余談だが、『世界の中心で、愛をさけぶ』でも、大人になった朔太郎が引っ越し準備中に、ダンボールの中から一本のカセットテープを見つけるところから物語が始まる。そのテープに声を吹き込んでいたのは、高校時代の亜紀だった。長澤まさみは『世界の中心で、愛をさけぶ』と『ラフ ROUGH』において、彼女自身が生まれる前の1980年代初頭の高校生たちにとっての必需品だったカセットテープが、冒頭から大きな意味を持っている作品に出演していたことになる。
ここから、中学生の圭介とすでに自由形の世界では日本で一番早い仲西との対決が描かれ、圧倒的な強さで仲西が勝利する。 しかし漫画版ではこのような対決は中学時代にはなく、圭介は一方的に仲西に水泳選手として憧れている設定であった。漫画版の冒頭は、飛び込み台が描かれ、そこから水面に飛び込みをする亜美のシーンから始まる。そこから圭介、北野京太郎、関和明、緒方剛、久米勝といった寮生たちに同じ寮の先輩で番長である成田が「口の利き方も知らねえ一年坊主はお前か」と先輩風を吹かせに行こうとする。しかし、成田が圭介たち一年生の実力や噂話にびびってしまい、結局誰ひとり文句を言えないまま帰っていくことで主要人物が紹介されていくという、初回らしい1話だった。
この時点では、あだち充はラストのカセットテープはもちろん、亜美をめぐる三角関係の決着を描くことはまったく決めていなかった。このフリージャズ的な手法で物語を進めていくあだちのスタイルは、連載が始まってしばらくは、どうしてもゆるやかな展開になりがちである。どこか手探りに近いものがあるためか、設定なども曖昧なまま進む。だが、そのある種の自由さと週刊連載というスピードがうまく噛み合ったときに、あだち充自身も思いもしなかった展開になり、すべてが最初から仕組まれていたようにも思える物語へと膨らんでいく。これがあだち充の漫画の魅力のひとつだ。
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「プロデューサーシップ®」とは何か|桜庭大輔
2020-10-28 07:00
NPO法人ZESDAによる、様々な分野のカタリスト(媒介者)たちが活躍する事例を元に、日本経済に新時代型のイノベーションを起こすための「プロデューサーシップ®」を提唱するシリーズ連載。第11回目の最終回は、NPO法人ZESDA代表の桜庭大輔さんが、連載の総括を行います。
プロデューサーシップのススメ#11 「プロデューサーシップ®」とは何か
本連載では、イノベーションを引き起こす諸分野のカタリスト(媒介者)のタイプを、価値の流通経路のマネジメント手法に応じて、「inspire型」「introduce型」「produce型」の3類型に分けて解説しています。(詳しくは第1回「序論:プロデューサーシップを発揮するカタリストの3類型」をご参照ください。)今回は連載の最終回として、NPO法人ZESDA代表の桜庭大輔氏から、連載の総括とともに、プロデューサーシップとは何かについて論じていただきます -
音楽とハリウッド映画からBLMを読み解く|柴那典・藤えりか
2020-10-27 07:00
今朝のメルマガは、イベント「遅いインターネット会議」の冒頭60分間の書き起こしをお届けします。本日は、音楽ジャーナリストの柴那典さんと朝日新聞経済部兼GLOBE編集部記者の藤えりかさんをゲストにお迎えした「文化現象としてのBLM」の後編です。白人警官の取り調べで黒人男性ジョージ・フロイド氏が死亡した事件をきっかけに改めて広がったBLMムーブメントの中で、とりわけ音楽の世界はいち早く反応し、直接的な「怒り」を示しました。一方、『ブラックパンサー』の大ヒットに結実するメジャー映画のシーンでは、どのようなアプローチの積み重ねがあったのでしょうか。(放送日:2020年9月8日)※本イベントのアーカイブ動画の前半30分はこちらから。後半30分はこちらから。
【本日開催!】10/27(火)19:30〜山口真一「正義を振りかざす『極端な人』から 社会を守る」」計量経済学を利用したメディア論の専門家である山口真一さん。SNSにおける誹謗中傷の問題はどこにあるのか? コロナ渦において出現した「自粛警察」と呼ばれる人たちの背景とは?9月に刊行する山口さんの新著『正義を振りかざす「極端な人」の正体』をテーマにしながら、SNSユーザーの実情と、課題の解決方法を考えます。生放送のご視聴はこちらから!
遅いインターネット会議 2020.9.8音楽とハリウッド映画からBLMを読み解く|柴那典・藤えりか
BLM下で音楽はいかに反応したか
得能 ここまでは映画の話をしてきましたが、続いては柴さんに挙げていただいた楽曲の話にいきたいと思います。DaBaby & Roddy Ricchの楽曲「Rockstar」(2020年)について、まずこちらの曲の概要からお伺いしたいと思います。
柴 今回のBLMに関しては、映画と音楽の違いがフォーマットの違いとして表れています。映画って単純に作るのに何年もかかるんですけど、音楽は1日〜1週間あればできる。だから、今回のジョージ・フロイドさんの事件を受けた映画作品はまだ1本も出てきていませんが、事件を受けた曲はもう山ほど出てきている。
宇野 なるほど、ステイホーム下では映画は撮れないけれど、音楽は録れますよね。
柴 かつストリーミング配信なのでCDを刷ったりする時間もかからず、Dropboxに上げるのと同じタイム感でクラウド上で公開できるので、めちゃめちゃ早いんです。なので、アイロニーもなく建前もなく、ただただダイレクトな怒りの表現が出てきている。このDaBabyは2019年にメジャーデビューした若手のラッパーなんですけど、4月ごろからずっと全米1位になっている。この曲を選んだのは、ヒップホップ、ラップミュージックの世界では今最も勢いのあるラッパーであるということと、BLMリミックスが出ているからです。
原曲は4月17日に出たんですが、5月26日にジョージ・フロイドさんの事件が起こった。それを受けて、6月12日に曲の冒頭に新たなラップを加えたバージョンを発表した。DaBabyはもともとはあんまり政治的でも、コンシャス的な人でもなくて、どちらかと言えばファニーでキャッチーで、いわゆるエンターテイナーのタイプだったんです。この曲は「俺はギターの代わりに銃を持っている」という、ある種警察に対して中指を立てるような曲だったんですが、BLMリミックスでは曲の冒頭で「警察の横暴に対して俺は怒ってる」っていうことを加えています。さらに、6月28日にBET Awards 2020という、ブラックミュージックのグラミー賞と言われているような賞の授賞式が行われて、祭典自体が完全にBLM一色で。DaBabyがそこで何をやったかというと、いつもはホールとかでやるんですけど、コロナだからスタジオ収録やリモートだったんですよ。リモートでそれぞれが自分の場所でビデオを撮って送るって言うものなんだけど、曲の冒頭で頭を膝で押し付けられた状態でラップしているビデオを撮った。つまり、ジョージ・フロイドさんの殺害された状況を再現して、バックにはちゃんとパトカーとかもあるというパフォーマンスをやったんです。だから事件が起こってまだ1ヶ月もしないときに、全米で最も勢いがあるラッパーが直接的に反応したという意味で、カルチャーから考えるBLMっていうトピックで言うならば、一番ダイレクトで早い反応があったのがこの曲です。
良くも悪くもこの「Rockstar」って思索的な考えを深めるようなタイプのラップじゃなくて、もっと即物的なんですよね。普段は「俺はかっこいい車に乗っている」とか「イカしたおねーちゃん連れてる俺はすごいんだ」みたいなことを言っているんだけれども、そういうラッパーが怒りをここまでストレートに出していることがすごく象徴的だと思います。
宇野 ハリウッドはやはりリベラルの力の方が相対的に強くて、トランプ的なインターネットポピュリズムのファストなアプローチに対して自分たちは映画というどちらかというとスローなアプローチで抵抗を続けてきたわけですよね。ただ、そういったスローなアプローチでつくられる建前的なものではもう止められない切実なものが噴出していているのが今の状況で、クラウドにアップすれば公開できる即時的な反応としての音楽が、ハリウッドのスローな方法では賄えないもの、補えない感情を表現していくというのは、すごく現代的な現象だと僕は思いますね。
藤 もともとスタジオで大味にマス向けに作っていたものがウケづらくなっているっていう流れにも乗っていると思うんですよね。やっぱり万人にウケるのも難しい。だから、いわゆるスターがいいことを言って、それをみんなが支持するような構図が難しくなっている。でも、これだけ分断して罵詈雑言が飛び交っていると、多少まとめるようなリーダー的なステートメントも欲しくなるときもありますけどね。
宇野 トランプ的な右派ポピュリズムに対してオールドリベラル的な熟議で対応しようっていうのが、近年のハリウッド的な立場だったわけですよね。ところがそれでは何も止まらないし、問題解決は解決しない。なので、いわゆる左派ポピュリズム的なアプローチで対抗しているのが今、柴さんが話した音楽の世界の流れだと思うんですよ。
柴 そうですよね。だからこの「遅いインターネット会議」に対して、BLMって良くも悪くも速いインターネットなんですよね。
宇野 完全にね(笑)。
柴 ハッシュタグアクティビズムから始まっていることもその通りだし、やっぱりある意味ポピュリズムの流れであるとも言えてしまうものでもありますが、ここまで大きなうねりになると良くも悪くも無視できない強烈な力を思っています。だからDaBaby & Roddy Ricch「Rockstar」が象徴するのは、5月26日から6月28日にかけてまずは立ち止まってゆっくり考えようぜって言える人が誰もいなかったということだと思います。この曲の表現自体はそこまで良くも悪くも深いものではないんだけれど、すごく重要なのは警察だと思っていて。BLMを語るときに何がポイントかって言うと、人種差別もその通りなんですけど、警察解体、警察が不必要な暴力を行なっているという異議申し立てのところが大きいんです。さっきの『ドゥ・ザ・ライト・シング』(1989年)もそうだし、80年代、90年代、そして2012年、14年、15年、18年、20年と何度も何度も運動に火がつくきっかけって、警官が黒人を射殺したり、ジョージ・フロイドさんのように絞殺したり、といったことなんです。
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文化現象としてのBLM|柴那典・藤えりか
2020-10-26 07:00
今朝のメルマガは、イベント「遅いインターネット会議」の冒頭60分間の書き起こしをお届けします。本日は、音楽ジャーナリストの柴那典さんと朝日新聞経済部兼GLOBE編集部記者の藤えりかさんをゲストにお迎えした「文化現象としてのBLM」の前編です。今年5月、白人警官の取り調べで黒人男性のジョージ・フロイド氏が死亡した事件に対する抗議活動は、2012年の同種の事件から連綿と続く「Black Lives Matter」運動と合流し、世界中に広まっていきました。アメリカを、そして世界を揺るがすこのムーブメントを、文化の視点から読み解きます。(放送日:2020年9月8日)※本イベントのアーカイブ動画の前半30分はこちらから。後半30分はこちらから。
【明日開催!】10/27(火)19:30〜山口真一「正義を振りかざす『極端な人』から 社会を守る」」計量経済学を利用したメディア論の専門家である山口真一さん。SNSにおける誹謗中傷の問題はどこにあるのか? コロナ渦において出現した「自粛警察」と呼ばれる人たちの背景とは?9月に刊行する山口さんの新著『正義を振りかざす「極端な人」の正体』をテーマにしながら、SNSユーザーの実情と、課題の解決方法を考えます。生放送のご視聴はこちらから!
遅いインターネット会議 2020.9.8文化現象としてのBLM|柴那典・藤えりか
宇野 こんばんは、宇野常寛です。
得能 「遅いインターネット会議」では、政治からサブカルチャーまで、そしてビジネスからアートまでさまざまな分野の講師の方をお招きしてお届けしております。本日も、有楽町にある三菱地所さんのコワーキングスペースSAAIからお送りしています。それでは早速ですが、ゲストの方をご紹介したいと思います。今日のゲストは、音楽ジャーナリストの柴那典さんと朝日新聞経済部兼GLOBE編集部記者の藤えりかさんです。よろしくお願いします。
柴 よろしくお願いします。
藤 よろしくお願いします。
得能 さて、本日のテーマは「文化現象としてのBlackLivesMatter(BLM)」です。今年5月、黒人男性のジョージ・フロイドさんが白人の警官によって殺害された事件をきっかけに、BLMの運動が大きく広がったかと思います。この運動はハリウッドスター、著名アーティストといったトップのエンターテイナーをはじめ多くの人々を巻き込みながら、いまだ大きなうねりとして世界中で展開されているかと思います。アメリカのみならず世界を揺るがすこのムーブメントについて、今夜は文化の視点から読み解いていきたいと思っております。
宇野 最初に僕、言っておきたいことあるんですが、僕はこの問題はまったく詳しくなくて、本当に何も知りません。もちろん、大事な問題だと思っているからこそ取り上げていますし、報道とかもそれなりには見ています。
ただ、この問題の背景にあるアメリカの人種差別の問題や、現代アメリカの政治力学みたいなものに関しては当然詳しいとは言えないですし、この問題が世界中に波及して語られていく中で、別の問題に半分変化してしまっているところがあると思うんです。たとえば日本では、デモという評判の悪い手段を肯定するのかというどうでもいい問題の方がやたらと大きくクローズアップされてしまっていて、問題そのものに対してあまり語られていないような気がしています。いや、確かに語られてはいるんですが、情報が錯綜していて、語る人の立ち位置や意見も様々で、どう距離を詰めていけばいいのかがよくわからないままになっている。そんな中で、ずっと文化批評という切り口から世の中を見てきたこのPLANETSだからこそ、ちょっと変わった方面からこの問題に距離を詰めていけるような企画ができないかなと思って、僕の信頼するお二人をお呼びいたしました。そういうことで、今日の僕はマジで聞き役です。よろしくお願いいたします。
得能 かなり珍しい展開になりそうな予感がしますね。私もあまり詳しくないところがありますので聞き役に徹するところがあるかもしれませんが、今日はぜひ詳しく、深い視点でお二人からお話が伺いできれば大変嬉しく思います。
『ゲット・アウト』が突きつけたクリエイティブ・クラスの欺瞞
得能 それではさっそく議論に入っていきたいと思います。今日はBLMを考える上で重要と思われる映画を藤さんから3つ、柴さんからは音楽作品を3つ挙げていただいております。それらをきっかけに、関連した他の作品にも言及していただきつつ、カルチャーの領域からBLMという運動を考えていきたいと思います。
まずはお二人にそれぞれ挙げていただいた作品を見てみたいと思います。藤さんからは『ゲット・アウト』(2017年)、『フルートベール駅で』(2013年)、『義兄弟』(2010年)の3つの映画を挙げていただいております。そして、柴さんからはDaBaby & Roddy Ricch「Rockstar」、Kendrick Lamar「Alright」、Pharrell Williams「Entrepreneur ft. JAY-Z」のこの3つの楽曲を挙げていただきました。
それでは藤さんにあげていただいた映画『ゲット・アウト』からお伺いしていきたいと思いますが、こちらの作品はどんな作品なのでしょうか?
藤 これはご覧になった方もけっこういらっしゃるんじゃないかと思うんですが、概要を語るのがとても難しい映画ではあります。簡単に言えば、少なくともアメリカで黒人として生きることはホラーだ、というコンセプトのもとに作られたホラー映画です。脚本と監督を務めたのはジョーダン・ピールというコメディアンで、私がロサンゼルスにいた頃にはキー&ピールというコンビを作っていて、すごく好きだったんです。オバマのマネをしてみたり、弾丸トークで面白いんですよね。その彼が、なんと人種問題に切り込むホラー映画を撮った。しかも、かなり画期的だったんです。オバマ大統領が誕生してから、アメリカ国内に限らず、国外でも「オバマ大統領が誕生したから人権問題は解決した」とか「オバマ大統領を支持しているから人種差別はしませんよ」と言うような人がすごく増えたんですが、それは違うだろうと突きつけた作品です。たいていBlack Movieでの黒人差別というと、白人至上主義者の人が出てきたり、KKK(クー・クラックス・クラン)の人たちが出てきたりと、右翼との戦いみたいな感じなんですが、この作品は、白人リベラルエリートにも実は差別心があるでしょう、ということを突きつけました。実はこの作品にはタナカという人が出てきて、在米日本人なのか日系人なのかわからないんですが、「自分は黒人側ではなくて白人側である」というふうに振る舞っていて、勘違いしていませんか、ということを突きつけられる。黒人の視点で撮られているので、この映画を観ると白人が怖く感じるんです。こんな怖い思いをしてるんだっていう疑似体験ができる映画でもありますね。
得能 日常の中に潜んでいる様々な差別が出てきたり、意識されないようなコメントが実は差別的な発言であるといったことも絡んでくるのかなと思いますけれども。
藤 そうですね。これは3年前の映画なんですけど、製作中にちょうどトランプ大統領が誕生したことで、ラストを変えたそうなんです。ご覧になった方はラストがわかると思うんですけど、本当はあのラストじゃなかったんですよ。ジョーダン・ピール監督にはこの作品と、『アス』(2019年)っていう作品でも電話インタビューをしたんですけども、オバマ政権下だったら警鐘を鳴らす意味で、元のラストのままで良かったけれど、トランプ大統領誕生となると、あまりにも悲惨なラストに見えてしまうから、希望と言っていいのかわからないんですけど、それを見出したいから変えた、というふうにおっしゃっていましたね。ご覧になった方、これから観る方はその点を注視していただけるといいな、と思います。
得能 ありがとうございます。柴さんはこちらの作品はご覧になられましたか?
柴 はい、『ゲット・アウト』も『アス』も当然観まして、いわゆるジャンルムービーであるホラーにおいて人種差別をモチーフにすること自体がかなり挑戦的なことだったと思います。
藤 これ、かなりセンシティブですよね。
柴 その社会の暗部というか、あまり触れてはいけないところを掘り起こすような作業だと思いますね。
藤 アメリカのコメディアンって、白人が黒人差別をネタにすることはないんですけど、当事者である黒人が、自分自身も含めて人種差別もネタにしちゃうことがけっこうあるんです。その延長とはいえ、かなり冒険だったと思います。
得能 作中で描かれる怖さは、実際にゾンビとかが出てくる怖さとかではないんじゃないかと予想していますが、どうでしょうか?
藤 正直、ゾンビの方が怖くないですね。実生活において、一見普通に暮らしている隣人である白人が怖いということがいかに恐ろしいか、ということです。ジョーダン・ピール監督ご自身は白人のお母さんにも育てられていて、奥さんは白人です。ちなみに奥さんはBuzzFeed創業者の妹なんですけども。白人の家庭との遭遇を多く経験してきて、そのたびに怖い思いをしていることがベースにあるとおっしゃっていましたね。
得能 実体験も含めて描かれているんですね。
宇野 『ゲット・アウト』は、えりかさんが挙げた3つの映画の中で、僕が唯一観ている作品です。この作品とは違って、もっとストレートに人種差別はよくないことで、黒人には苦難の歴史があるのだと訴えている映画は山ほどあるじゃないですか。でも、そういったものは2008年以降のオバマ政権下においては、今日のクリエイティブ・クラスだったら当然ダイバーシティを擁護するでしょう、という白人エリートのアクセサリーに回収されてしまったんだと思うんです。こうした状況下では普通のやり方ではちょっと描きづらい領域を、このコメディホラーというファンタジックな手法で掴み出そうとしたのがこの映画なのかなと思って観ていたんですよね。
藤 まさにそうですよね。ちょうどこの映画をめぐってアフリカ系アメリカ人の男性と話をしたときにリベラルの話が出たんですけど、リベラルはレイシストだということをもっとちゃんとわかってほしいって言っていて、すごくそういう認識があるんだと思います。白人至上主義者がレイシストっていうのはすごくわかりやすいし、広く認識されているけれども、リベラルの人が持っている差別心はなかなか認識してもらえないんですよね。
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三宅陽一郎 オートマトン・フィロソフィア──人工知能が「生命」になるとき〈リニューアル配信〉第十章 人と人工知能の未来 -人間拡張と人工知能-(後編)
2020-10-23 07:00
(ほぼ)毎週金曜日は、ゲームAI開発者の三宅陽一郎さんが日本的想像力に基づく新しい人工知能のあり方を展望した人気連載『オートマトン・フィロソフィア──人工知能が「生命」になるとき』を改訂・リニューアル配信しています。今朝は第十章「人と人工知能の未来 -人間拡張と人工知能-」の後編をお届けします。今回は、人工知能が人類の芸術や歴史に及ぼす影響について考えます。ネット空間で人間に代わり活動を始めるAIたち。そして「余暇」を得たAIが文化を生み出す可能性とは──?
【新刊情報】本連載をベースにした三宅陽一郎さんの新著が発売決定しました!
三宅陽一郎『人工知能が「生命」になるとき』
※ビジュアルは制作中のイメージです
人工知能に、存在の〈根〉を与えるには?
ゲームAI開発の第一人者が、コンピュータサイエンスと東西哲学の叡智、 そしてポップカルチャーの想像力を縦横無尽に融合させながら構想する、 次世代の人工知能と未来社会をつくりだすためのマニフェスト。
▼目次 第零章 人工知能をめぐる夢 第一章 西洋的な人工知能の構築と東洋的な人工知性の持つ混沌 第二章 キャラクターに命を吹き込むもの 第三章 オープンワールドと汎用人工知能 第四章 キャラクターAIに認識と感情を与えるには 第五章 人工知能が人間を理解する 第六章 人工知能とオートメーション 第七章 街、都市、スマートシティ 第八章 人工知能にとっての言葉 第九章 社会の骨格としてのマルチエージェント 第十章 人と人工知能の未来──人間拡張と人工知能
2020年11月下旬〜12月上旬 PLANETS公式オンラインストアおよび全国書店にて発売予定
三宅陽一郎 オートマトン・フィロソフィア──人工知能が「生命」になるとき〈リニューアル配信〉第十章 人と人工知能の未来 -人間拡張と人工知能-(後編)
(5)時代と文化に干渉する人工知能
これまで歴史や文化を作ってきたのは人類だけでした。シュールレアリスム(超現実主義)のように無意識の領域さえ使って、われわれ人類は芸術を作り上げ、文明の歴史を積み重ねてきました。 しかし、大袈裟な言い方をすれば、人工知能を作るということは、人工知能という人外の存在を後継者として、もう一つの文明を作り上げることでもあります。なぜなら、人工知能に息吹を与えようとする根源的な欲求の中には、我々人間全体をそこにコピーしておきたい、という本能的な衝動があるからです。個人、集団、そして文明は、長い目で見れば「人工知能社会に写されていく=人工知能に模倣されていく」ことになります。
人工知能を作り出すことは、人間の内にあるものを一度外部化することで眺めていく、ということでもあります。外部化の究極の形は、人工知能の自律化であり、人工知能と人間の対等化です。人工知能開発者にとっては、人間を超えるまで開発を進めることこそが目標になります。 個人の知能を人工知能に移していく試みと並んで、人間社会を人工知能社会に移していく試みも進展していきます。この分野は、前章で説明したように「マルチエージェント」とか「社会シミュレーション」と言われる分野です。この分野の成果はやがて、現実世界に人工知能社会を実現するために用いられることになります。 我々は自分自身を知るために、人工知能を作り続けます。デジタルゲームが作られる動機の一端も、そこにあります。画家が風景を写すように、ゲーム開発者は世界の運動(ダイナミクス)をゲームに移し、人をプレイヤーとして招き、人間の行為をゲームのプレイヤー行為として再現するのです。
すでに物理世界とデジタルネットワーク世界の二重世界を生きている我々は、二つの世界が分かちがたく結びついていることを知っています(図10.9)。しかし、我々はデジタル世界ではあまりにも無力です。そこで人工知能エージェントの助けを借りて活動しているのが、現在のネットの在り方です。本来ネットワークの世界は、人間よりも人工知能が活躍しやすい世界だからです。 ここからは人工知能開発者の中でも意見が分かれるところですが、私は最大限の自由度を人工知能に与えたい、と考えています。人工知能が作る社会、人工知能社会が生み出す文明を、そして芸術を見たい、という欲求があります。そして、それを自分自身の手で生み出したい、と思っています。
▲図10.9 物理空間とネット空間の二重構造
(6)人工知能エージェントの作る世界
ネットの世界が人工知能エージェントの世界になるのは、それほど遠い先ではありません。それはマクロなプラットフォーム運営のレベルにおいても、エッジ(個人の端末)においても、です。人間の保守活動によってようやく保たれているネットの世界も、やがてエージェントたちによって自動的にメンテナンスされるようになります。荒れ放題のSNSも、人工知能の介入という見えざる手によって調停され、目の離せないソーシャル・ゲームの運営も、エージェントたちに任せることができるようになります。 現在は、運営側もユーザー側も、人がネット世界に張り付いてネット世界を動かしています。人は今、直接ネットの世界に参加しているような感覚ですが、それはインターネットの過渡期の一時的な状況に過ぎません。やがて、自分の分身であるエージェントを介して、ネットに参加するようになるでしょう。 そして、物理世界はネット世界とますます連動の度合を高め、現実世界と同等のスケールのネット世界ができることで、あらゆる場所は物理世界とネット世界の座標を持つことになります。現実世界を変えることはネット世界を変え、ネット世界を変えることは現実世界を変えることになる。そんな未来が待っています。
2010年以降、IT企業がネットビジネスで得た資金で、ロボット企業を買収しています。工場ロボット以外のロボットはビジネスの目算が立てにくかったところに、ネット産業がドローンやロボットの企業を買収することで、ネット世界から現実世界へと干渉の領域を広めつつあります。エージェントという視点から見れば、ネットやアプリ内の見えないネットエージェントから、現実世界で活動する見えるエージェントへと変化したことになります。あるいは人工知能という視点から見れば、チェス、囲碁、将棋、デジタルゲームという揺籠で育まれてきた人工知能が、いよいよボディを持って現実世界に進出するということになります。 現実世界への人工知能エージェントの進出は、まだたどたどしい一歩です。しかし、ロボットやエージェントたちは、単なる労働力にとどまりません。人工知能を持った存在として、現実の中で知的活動を果たすことができます。スマートシティという観点からすれば、それは街全体を管理する人工知能の手足となります。人間が目指す社会のデザインは、人間だけで成しうるのではなく、人工知能と共にデザインしていく必要があります。
人工知能企業の中には、エージェント技術を前面に出す企業も現れるでしょう。実はこの動きは、00年台前半にも「エージェント指向」という名前で盛り上がろうとしていた分野でした。しかし、あまり世間では流行ることなく、地味な基礎技術の一つとしてブームは終わってしまいました。『エージェントアプローチ 人工知能』(1997年、第二版2008年、Stuart Russell 、Peter Norvig 著、古川 康一監訳、共立出版)をはじめ、たくさんの良書も出ましたが、ユーザーのレベルまで普及することはありませんでした。 しかし、どんな技術にもブームの周期があります。だからこそ、エンジニアは技術を公開し積み上げておく必要があります。エージェントはこれからの人工知能社会を構築する単位となるはずです。
(7)芸術と人工知能
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【今夜21時から見逃し配信!】門脇耕三×齋藤精一×南後由和「都市の未来を(コロナ禍を通して)考える」
2020-10-22 12:00今夜21時より、建築家の門脇耕三さん、ライゾマティクス・アーキテクチャーの齋藤さん、社会学者の南後由和さんをお迎えした遅いインターネット会議の完全版をライブで再配信します。
ライブ配信を見逃した、またはもう一度見たいという方は、ぜひこの期間にご視聴ください!
門脇耕三×齋藤精一×南後由和「都市の未来を(コロナ禍を通して)考える」アーカイブ期間:10/22(木)21:00〜
2020年、新型コロナウイルスの影響により世界の主要都市が次々と封鎖され、グローバルなメガシティ化の影で見過ごされてきた問題が明らかになりました。それは同時に、人々が当たり前だと思っていた働き方や住まい方を、足元から見つめ直す機会でもあったと思います。これから先の「都市」は、どんなふうに変わっていくべきなのか。 この、ちょっと大きな問いを、建築家の門脇耕三さん、ライゾマティクス・アーキテクチャーの齋藤さんと一緒に考えてか -
アメリカでのタルスキ〜幻の「タルスキ型」コンピューター|小山虎
2020-10-22 07:00
分析哲学研究者・小山虎さんによる、現代のコンピューター・サイエンスの知られざる思想史的ルーツを辿る連載の第12回。ナチス・ドイツのポーランド侵攻で第二次世界大戦が勃発する直前、統一科学国際会議への出席のために渡米したタルスキ。もはや帰国もかなわず、アメリカの研究機関に職を求めて東西海岸を流転した大数学者の足跡が、分析哲学という知の端緒になったほか、フォン・ノイマンのそれと競うかたちで、「幻のコンピューター構想」を生み落とします。
小山虎 知られざるコンピューターの思想史──アメリカン・アイデアリズムから分析哲学へ第12回 アメリカでのタルスキ〜幻の「タルスキ型」コンピューター
1939年、マンハッタン
前回はマンハッタンのユダヤ人哲学者の話だった。若きアシモフが初めてマンハッタンに足を踏み入れてから4年後の1939年の8月、別のユダヤ人が初めてマンハッタンに足を踏み入れる。タルスキである。今回は、アメリカにやってきた後のタルスキに焦点を当てたい。 その前に、本連載でこれまでに見てきたタルスキの足跡を振り返ろう。タルスキはゲーデルと並ぶ20世紀最大とも呼ばれるほどの大論理学者である。また、哲学でも、分析哲学を学んだものならその名を知らないものはいないと言ってよいほどの知名度を誇る。なぜなら、分析哲学では「意味論(Semantics)」というものがあちこちで登場するのだが、それは普通、「タルスキ型意味論(Tarskian Semantics)」と呼ばれるものであり、タルスキの業績に由来するものだからである。
タルスキはゲーデルにとって、数少ない親友の一人でもあった。彼ら二人が初めて出会ったのは1930年のウィーンだ。タルスキは1918年、生まれ故郷のワルシャワ大学に進学し、若くして数学の天才として知られるようになるのだが、1929年にウィーン学団の先輩数学者であるカール・メンガーが父親の出身地であるポーランドを訪問した際にタルスキと出会い、ウィーンに招待したのだ(本連載第1回)。 それ以降、タルスキはウィーン学団、およびウィーン学団が推進する統一科学運動に関わることになる。タルスキが渡米するのも、アメリカ・ハーバード大学で開催される第5回統一科学国際会議に参加するためだった。友人であり分析哲学を代表するアメリカ人哲学者クワインの強い勧めがあったからだ。だが、タルスキがポーランドを発ってすぐ、ナチス・ドイツがポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が始まる。無事アメリカについたものの、戦乱に陥った祖国、そしてそこに残してきた家族や友人たちを案じることで頭がいっぱいだったタルスキの前に現れたのは、ベルリン・グループと呼ばれるドイツの科学哲学者(本連載第5回)の一人、カール・グスタフ・ヘンペルと、フォン・ノイマンだった(本連載第6回)。
ニューヨークのポーランド人〜渡米直後のタルスキの奮闘と様々な出会い
ヘンペルは以前の統一科学国際会議でタルスキと面識があり、また先にアメリカという土地にやってきたヨーロッパ人ということもあり、様々な不安を抱えるタルスキを安心させようとニューヨークを案内した。また、ヘンペルは、彼と同じくナチスの迫害を受けドイツからアメリカへと渡ってきた論理学者のオラフ・ヘルマーをタルスキに紹介している。ヘンペルもヘルマーも、アメリカに来たはいいものの職を探すのに苦労していた。当時のアメリカは、彼らと同じくナチスの手を逃れて移住したヨーロッパからの知識人で溢れていたからだ。幸い彼ら二人にはあてがあった。ロックフェラー財団だ。ロックフェラー財団は、フォン・ノイマンのゲッティンゲン留学を支援し(本連載第6回)、またタルスキのウィーン滞在も支援するなど(本連載第1回)、科学哲学や論理学を積極的に支援していた。ヘンペルとヘルマーはフォン・ノイマンやタルスキほどの知名度はなかったが、ニューヨークにあるロックフェラー財団本部の恩恵を受け、一足先にアメリカへと移住し、シカゴ大学の哲学教授になっていたウィーン学団の科学哲学者カルナップのアシスタントをして糊口を凌いでいたのである。
だが、タルスキには、彼ら二人のドイツ人とのんびりニューヨークを観光している時間はなかった。統一科学国際会議のために、ハーバード大学のあるマサチューセッツ州ボストンにすぐさま移動しなければならなかったからだ。そして会議にも戦争が暗い影を落としていた。大会プログラムを見ると、氏名の後に「?」がついた発表者が少なからずいる。これは、戦争により参加できるかどうかが不明になったヨーロッパからの参加者を表すしるしである。タルスキの名前にもそのしるしがあった。タルスキは幸運にも発表することができたが、ベルリン・グループの論理学者クルト・グレーリンクは、もはやアメリカへ行く船がなくなっていたドイツからベルギー、フランス、スペインと大陸を移動し、スペインから渡米しようとしたが、結局果たせなかった(本連載第5回)。また、タルスキとルヴフ大学論理学教授の席を争ったレオン・フヴィステクや、タルスキの教え子のアドルフ・リンデンバウム、その妻であり同じく論理学者のヤニーナといったタルスキの近しいポーランド人も、会議に姿を現すことがなかった。
会議終了後もタルスキにはすべきことがあった。まず、そもそも彼は会議の参加だけのための短期ビザでアメリカに入国しており、そのままでは帰国しなければならなかった。ナチス・ドイツに占領されたポーランドにユダヤ人のタルスキが戻ることは、当然ながら死を意味する。それを避けるにはアメリカの永住権が必要だ。クワインやカルナップ、ラッセルらの尽力により、タルスキは無事に永住権を手に入れることができたが(そのために一度キューバまで行かなくてはいけなかったのだが)、次の問題は職だ。タルスキの知名度はヘンペルやヘルマーより上だったが、ヨーロッパから逃げ延びてきた知識人であふれていたアメリカで、高い名声を持つ大学の教授職を得るのは容易ではなかった。第5回統一科学国際会議開催に関わったハーバード大学の面々の尽力により、ハーバード大学での非常勤研究員のポストは確保できたものの、給与はわずかであり、他の収入源が必要だった。結局タルスキは、ニューヨーク市立カレッジ(シティ・カレッジ)での半年間だけの教授職に就くことになる。こうしてタルスキは、またマンハッタンに戻ることになるのである。1940年のことだった。
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明日からできる「私の働き方改革(My WX)」その2|坂本崇博
2020-10-21 07:00
「働き方改革アドバイザー」の坂本崇博さんが、「My WX(私の働き方改革)」の極意を説く異色のワークスタイル指南。坂本さんがこれまで自ら実践してきたやり方を応用可能にしていくメソッド編。今回は、誰かに与えられた“働かされ方改革”ではなく、もっとわがままに自分の「やりたい事」のためにパワーを使えるようにするためのセルフマネジメント手法を紹介します。
坂本崇博『(意識が高くない僕たちのための)ゼロからはじめる働き方改革』第11回 明日からできる「私の働き方改革(My WX)」その2
前回は、コロナ禍を経験した社会においても誰かに与えられた“働かされ方改革”ばかりが進んでいること。それはこれまでの働き方改革ブームにおいての強制早帰りやツールの導入と本質的に変わりがないこと。本来の私の働き方改革(My WX)とは、自分なりに自分のやる事・やり方・やる力を見直して、もっとわがままに自分のやりたい事(志事)に時間を注ぐこと。そのためには、自分のやりたい事を見出すための時間と場所を設けてじっくり考えたり、虚構の世界への没入することなどによって普段は得られない「経験拡張」を体験することで、自分を客観視する機会を設けることが必要であるとご紹介しました。
ここからは、そうして見出したやりたい事に時間を注ぐために、今の自分の状況(やる事・やり方・やる力)を変えていくためのセルフマネジメントの手法を解説していきます。
私の働き方改革(My WX)のコツ2 “今を変えるためのセルフマネジメント”
セルフマネジメントという概念については、クレアモント大学院大学のピーター・F・ドラッカー・スクールで准教授を務めるジェレミー・ハンター氏の著書『ドラッカー・スクールのセルフマネジメント教室 ── Transform Your Results(2020年 プレジデント社 )』の中で詳しく解説されています。 2017年、ご縁あって京都の禅寺「春光院」で開催されたジェレミー・ハンター氏のセッションに参加し、セルフマネジメント論の本質をお聴きして非常に共感し、それ以来私が登壇する働き方改革セミナーでもよく紹介させていただいています。
ハンター氏は、成果(Result)を高めるには、決められた行動(Action)レベルでもがくのではなく、選択肢(Choice)を変えるべきであると提唱しています。これを私の働き方改革(My WX)に当てはめれば、成果とは「やりたい事に時間を注げるようになること」です。そして、やりたい事にもっと時間を注げるようになるためには、今の仕事内容やその進め方を見直し、新たなやる事・やり方・やる力へと選択肢をシフトさせることが不可欠ということです。
彼はさらに、選択肢を変えることができる人は、いろいろな選択肢候補のアイデアを浮かべることができる人であると述べています。 アイデアの浮かべ方については、1940年に出版された『アイデアの作り方』の著者であるアメリカの実業家ジェームス・W・ヤングは、「アイデアとは既存の要素・知の組み合わせである」と断言しています。 ハンター氏も、選択肢のアイデアを広げるためには、いろいろな事柄を経験・認識(Perception)し、アイデアの素材として活用できることが重要であり、そのためには様々なことに意識・注意を払う(Attention)ことが不可欠であると論じています。 さらには、世の中にあふれる多様な情報に意識的に注意を払えるようになるには、「自分がどうなりたいかという意図(Intention)」が明確でなければならないとも紹介されています。
つまり、前述の通り、自分のやりたい事(志事=意図)が見つかれば、いかにそこに時間やパワーを注げる自分になれるかに意識・注意が払われ、結果、常に「今の自分の状態を変えるきっかけ」にアンテナが張られることになるわけです。 世にあふれる様々な情報を「今の自分には関係ないこと」と流すのではなく、「これからの自分のやる事・やり方・やる力の見直しに関係があるかもしれないこと」という視点で注意して観察し、1つひとつ自分なりに解釈する。こうして自分の頭で反芻され解釈された情報たちは、脳内の記憶領域(海馬)に「知」として長期間記憶されやすくなると言われています。 こうして多様な情報が脳内に記憶されることで、今のやる事・やり方・やる力を見なすために有効なアイデアが生まれ、もっとやりたい事に時間が注げる、すなわち私の働き方改革(My WX)が進むというわけです。 私が提唱する働き方改革にあえて「私の(Self)」とつけているのは、このセルフマネジメント論に大いに共感しているからでもあります。
セルフマネジメント論においても、何かを成すためには「やりたい事=意図(Intention)」を見出すことが重要と謳われています。その手法については、前述の通り私なりのやり方をご紹介させていただきました。 そして以降は、セルフマネジメント論の残りのフェイズにおいて不可欠な力として、注意力(アンテナ)、認識・記憶力、アイデア創出力、行動力の4つの力の高め方について、私なりに心がけているコツをご紹介します。やりたい事にますます多くの時間とパワーを注ぎ込むための、やる事・やり方・やる力の見直しを進める上でのヒントになれば幸いです。
1 注意力(アンテナ)を高めるには?
社会に出ると「もっと世の中の情報にアンテナを張れ」と精神論的な指導がされることがあります。そうした指導に対して「どうやって?」と具体論を聞くと、たいていは新聞を読め、いろんな本を読め、人の話を聞けといったわかりきった答えが返ってきてモヤモヤすることはないでしょうか。 ただ、これは質問する側が悪いのかもしれません。私は、アンテナを活発に張ることができていない人が本来着目すべき問いは「どうすれば日頃できていない行動習慣を、自然にやれるようになれるか?」であると考えます。
日頃からアンテナを張って様々な情報を収集できている「意識の高い人」は、そういった問いを立てるまでもなく、様々な情報をキャッチして自分の認知に加え、アイデア出しに生かしています。 しかし、私のようにそんなに意識高く生きてこなかった人間は、自分の興味のないことにわざわざアンテナを張るなんて「面倒だ」と感じるものです。もはやこれは習性・感性といってもよいでしょう。 ですので、たとえやりたい事がある程度明確になったとしても、日頃からアンテナを張るという行動に慣れていない私たちは、染みついた引き篭りの習性・感性を切り替えることに注力をしなければなりません。
その1つとして私が実践していることが、「ドーパミン・コントロール」です。
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読書のつづき[二〇二〇年六月上旬] 「明るいニヒリズム」の喪われた国で|大見崇晴
2020-10-20 07:00
会社員生活のかたわら日曜ジャーナリスト/文藝評論家として活動する大見崇晴さんが、日々の読書からの随想をディープに綴っていく日記連載「読書のつづき」。ジョージ秋山の訃報から随想する「明るいニヒリズム」の喪失、BLM運動の騒乱、GoToキャンペーンの迷走など、コロナ禍の軋みが社会の空気を鬱屈させていく中で、大政翼賛会プロパガンダに遡る昭和メディアミックス史の探求をはじめ、淡々と読書は捗ります。
大見崇晴 読書のつづき[二〇二〇年六月上旬] 「明るいニヒリズム」の喪われた国で
六月一日
このコロナで騒ぐ時世に電車を乗り継いで出勤。人混みを避けるように普段より早く出掛けたが日本中が同じように行動しているらしく、品川駅に着いてみるとテレビで見ていたように人でごった返していた。
大河ドラマの『麒麟がくる』[1]を毎週愉しんで見ているのだが、どうも本当に明智光秀を天海僧正[2]とする説を採用するような画作りになっているように思えてならない。もし、私の思い込み通りであれば、斎藤道三と明智光秀が関わり合いを持つシーンが多いことも合点がいく。本来なら浮世を離れ僧職にある人間が俗世の危機に際しては還俗して泰平に駆け付けるというドラマである。
ジョージ秋山[3]死去。昭和を代表する「明るいニヒリズム」の持ち主だった。代表作となった『浮浪雲』[4]も、それをパスティーシュした『銀魂』[5]も共に連載自体は終了してしまっている。平成も遠くになりにけり、だ。
『浮浪雲』が平成の終わり頃に連載を閉じたときは、ニュース番組でも放送され、大きな話題となった。今日日の若者は『浮浪雲』が連載されていた「ビッグコミックオリジナル」[6]という雑誌の性格を知らないだろうから念の為書くが、「ビッグコミックオリジナル」というのは勤労男性が日常をやり過ごすために読まれていた雑誌である。あの雑誌で描かれていたのは、泰平な社会でうだつが上がらない大の大人が、日常の破れ目を探しては日常の有り難みを確認して、泰平な世の中(あちら側からは娑婆と呼ばれる)に回帰するための物語である。そのような処方箋としてマンガが連載されていたのだ。
『浮浪雲』の主人公・浮浪が幕府転覆の陰謀を察知して未然に防ごうとも、『三丁目の夕日』[7]で登場人物がふとしたきっかけで異界を覗き込んでも、『あぶさん』[8]でアルコール中毒(としか思えない)の景浦[9]が代打で燻っても、景浦の所属する南海ホークスがダイエーに買収されても、景浦の所属するダイエーがソフトバンクに買収されても、景浦が不惑を超えても、景浦がDH制度があるパシフィック・リーグにも関わらず投手として登板することになっても、不惑を過ぎて正選手となっても、平成唯一人の三冠王となった松中[10]を退けて四番打者として景浦が君臨しても、王貞治監督重病のため景浦がヘッドコーチを兼任することになったとしても、日本中のほとんどのひとが関知しない日陰者たちの物語であって、自分は日向の側にいると思っている(か信じたがっている)多くの人々が盲信的に愛しているのは「永遠に不滅」の巨人軍と高度成長期の日本であって、たまさか退屈に思えて倦み飽きたとしても、その豊かさを手放してはならないと気づくために「ビッグコミックオリジナル」は存在し機能してきたのだ。泰平であることに、それ故に娑婆で這い上がるチャンスに巡り会えないなどと、大の大人が嘯くこともないように、「ビッグコミックオリジナル」はそこにあり続けた。「明るいニヒリズム」とは、何をしても世の中が変わらないような泰平の世で、そこから脱落することを恐れるものの諦念である。
しかし、そうしてみると日本という国が、かつて福田赳夫[11]が「昭和元禄」[12]と揶揄したような自由と豊かさを手放しつつある現在、「ビッグコミックオリジナル」のようなコンセプトの雑誌が成立するか否か。そのような不信を携えて日々私は生き始めている気もする。そうと知っているひとも案外にいないかもしれないが、『総務部総務課山口六平太』[13]は作画担当の高井研一郎の病死によって四年前に連載を終了しているのである。
三省堂有楽町店で飯田隆『分析哲学 これからとこれまで』[14]を買う。
ロラン・バルト『S/Z』、『エッセ・クリティック』を注文。
リリアン・ロス『パパがニューヨークにやってきた』と小野田博一『13歳からの作文・小論文ノート』が届く。
[1]『麒麟がくる』 二〇二〇年一月一九日から放送されているNHK大河ドラマ。明智光秀を主人公に据え、戦国時代を描く。主演は長谷川博己。光秀の主君である織田信長の正室・帰蝶を演じる予定だった沢尻エリカが違法薬物の使用によって逮捕されたことで放送開始が延期された。代演は川口春奈。新型コロナウイルス感染症の流行から放送を一時中止していた。『ウルトラセブン』を強く意識したサブタイトルが毎回採用されていることで話題を呼んでいる。
[2]天海僧正 安土桃山時代・江戸時代の僧侶。徳川家康の参謀を務めたとされる。前半生の経歴が不明瞭なため、明智光秀など武将が出家して名乗ったという説が残っている。これらの説は史実とはされていないが、多くのフィクションで採用されている。
[3]ジョージ秋山 一九四三年生、二〇二〇年五月一二日没。日本の漫画家。戦後の貸本漫画時代から活動した。丸い絵柄を生かした子供向けの作風だったが、劇画ブームと相前後して、『銭ゲバ』、『アシュラ』、『ザ・ムーン』と問題作を次々と発表。同時期に『浮浪雲』の連載を開始し、四十四年間の長期連載となった。
[4]『浮浪雲』 一九七三年から二〇一七年まで「ビッグコミックオリジナル」に連載されたジョージ秋山のマンガ。幕末を舞台に、元武士の問屋の日常を描く。徳川慶喜や新選組と交流を持っているという設定などは、影響下で執筆された空知秀秋『銀魂』にも流用されている。渡哲也やビートたけしを主演とした実写ドラマ化がなされている。
[5]『銀魂』 空知秀秋のSF日常マンガで、二〇〇四年から二〇一八年まで「週刊少年ジャンプ」で連載され、二〇一九年に専用アプリで完結した。アニメは人気となり、何度となく制作され、放送された。実写映画化もされた。長期連載ということもあり、BL二次創作の需要が長命だった。
[6]「ビッグコミックオリジナル」 一九七二年に創刊。月二回発行する小学館のマンガ雑誌。「右手に朝日ジャーナル、左手に週刊少年マガジン」という言葉が生まれたように、週刊少年誌が青年層も読者として掴んだ六〇年代後半を承けて、小学館が刊行した青年マンガ雑誌。一九六八年に刊行を開始した「ビッグコミック」の増刊誌という位置づけだった。
[7]『三丁目の夕日』 西岸良平のマンガ。一九七四年から連載を開始。二〇一三年からは月一回の連載へと切り替わった。架空の街である夕日町を舞台にしている。絵柄に比して暗めの物語であるため若年層からは存在はそれほど知られていなかった。長期連載となり連載を知る世代が増えた九〇年代にアニメ化、二〇〇〇年代になって実写映画化された。
[8]『あぶさん』 水島新司の野球マンガ。一九七三年から二〇一四年まで「ビッグコミックオリジナル」で連載された。酒豪の大打者・景浦安武を主人公にしている。実際のプロ野球選手が登場する野球マンガであるが、いわゆる水島マンガと呼ばれる固有の世界で野球の物語は進行している。作者が愛してやまないホークスのシーズンを描いた大河マンガ。主人公・景浦は、『野球狂の詩』などのマンガでも重要な役割を担う岩田鉄五郎(作者水島を投影した人物)のスカウトで、野球界に入る。一九七三年に高校卒の選手として入団したため、景浦は選手として脂が乗った一九九〇年代には三〇代後半だった。連載当初は『野球狂の詩』と同様に、野球にまつわるヒューマンドラマが描かれることが多く、そのためもあってか、景浦は大酒飲みの代打専門の選手として描かれた。走攻守にわたって万能で、人格も優れ、ビートたけしが水島新司に史上最高の野球選手を尋ねた際に「景浦」と答えたとされている。現実と虚構の境目がなくなっていく水島新司作品らしいエピソードである。
[9]景浦 『あぶさん』の主人公、景浦安武。一九七三年から二〇〇九年までホークス一筋の野球選手だった。大酒飲みの自己管理ができない野球選手という設定は、連載前半までで、後半になるにつれ万能選手という位置づけがなされていく。一九九〇年から一九九三年まで三季連続の三冠王に輝いている。
[10]松中 松中信彦。一九七三年生の野球選手。平成唯一(二〇〇四年)の三冠王に輝くなど、平成を代表する大打者。ホークスを退団した二〇一五年以後、自由契約となるが契約を結ぶプロ野球球団がなく、現役を引退した。
[11]福田赳夫 一九〇五年生、一九九五年没。日本の政治家。大蔵省の官僚であったが、一九四八年に戦後を代表する疑獄事件の一つ、昭電疑獄で逮捕される。一九五二年に衆議院選挙に当選し、政治家となる。一九五三年に自由党に入党。自由党の議員らによって自民党が結党された際には、これに参加。一九六〇年に主流派から外れそうになっていた岸派を糾合する形で党風刷新運動を始める。いわゆる派閥解消を掲げているが、実際には新たな派閥運動であった。佐藤栄作政権下では、保利茂・田中角栄とともに政権の要石となる。岸信介は自派閥を継承した福田に政権の禅譲を促したが、絶頂期にあった佐藤はみすみす機会を失ってしまう。この結果、福田は田中に総裁選で破れる。福田が田中角栄よりも十歳以上年長であったことを考えると、この時期の敗北は政権奪取の途が閉ざされる可能性があった。人口に膾炙するキャッチコピーを生むことが多く、「昭和元禄」やインフレ・デフレを名指した「狂乱物価」などがある。タカ派が多いイメージの旧岸派にあって平和主義を唱え、日本赤軍がハイジャックをした際には、人質交渉など過酷な出来事があったが、「人命は地球よりも重い」という言葉を残している。福田の派閥である清和会は平和主義と旧岸派のタカ派政治が主義として混在している、対外的には奇妙な派閥である(福田の息子である福田康夫は、A級戦犯合祀を回避するため靖国神社に替わる国立追悼施設の創設を支持するなど、イデオロギー的に派閥が一枚岩ではない)。田中角栄がロッキード事件によって首相を辞任したのち、大平正芳と密約を結んで福田が先に首相に就いたが、のちに総裁選で二人は争うことになる(大福戦争)。この権力闘争の中、現役の首相のまま大平正芳が急死し、福田は党内でも微妙な立場になる。党内抗争が一息ついた一九八〇年代になると、昭和の黄門を名乗るようになり、日本テレビなどで放映された元首相を囲む会などで、現役最長齢の元総理として怪気炎を上げていた。息子はのちに首相となった福田康夫、孫は衆議院議員の福田達夫である。
[12] 「昭和元禄」 好景気に浮かれている状況を諭した福田赳夫の造語である。
[13]『総務部総務課山口六平太』 「ビッグコミックオリジナル」で連載された凄腕の総務課社員を描いたマンガ。原作は林律雄、作画は高井研一郎。一九八六年から二〇一六年の三〇年間連載が続いたが、作画の高井が死去したため、連載を終了した。
[14]飯田隆『分析哲学 これからとこれまで』 二〇世紀の英米圏で主流となった哲学を分析哲学と呼ぶことが多いが、その潮流の過去と現在について触れた(哲学論文と比すれば)軽めのエッセイをまとめた書籍。分析哲学のイメージからは従来遠かった文学や美学で成果を収めたスタンリー・カヴェルについてのエッセイなど、碩学ならではの文章を読むことができる。出版社が設けた『分析哲学 これからとこれまで』読者のための分析哲学ブックリストには日本の研究者による分析哲学の重要な著作が集められている。
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