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  • 【特別寄稿】成馬零一 2019年の「現実 対 虚構。」――『全裸監督』をめぐって(前編)

    2019-09-30 07:00  
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    今朝のメルマガは、成馬零一さんによるNetflixドラマ論をお届けします。今日の劇映画において、以前にも増して肉薄しつつある「虚構」と「現実」の関係。それは、80年代の性風俗を描いたNetflixのドラマシリーズ『全裸監督』では、現実に対するフィクションの劣位として現れています。本作があらわにした「実話を元にしたフィクション」の問題点について考えます。
     現実 対 虚構。
     これは2016年に公開された庵野秀明監督の怪獣映画『シン・ゴジラ』のキャッチコピーである。ちなみに現実にはニッポン、虚構にはゴジラとルビが触られている。 東京に上陸した謎の巨大生物・ゴジラの暴走を止めようとする日本政府の戦いを描いた本作は、実査に謎の巨大生物が日本を襲来した際に、官僚組織や自衛隊がどのように動くのかという政治状況を精密に描いている。 1954年に作られた本多猪四郎監督の初代『ゴジラ』は、ビキニ環礁の核実験に着想を得ている。放射能を吐く怪獣ゴジラは核兵器とまだ日本人にとって生々しい記憶だった東京大空襲の暗喩だった。 『シン・ゴジラ』は2011年の3月11日に起きた東日本大震災による津波とその影響による原発事故の暗喩として『ゴジラ』を捉え直し、もしも東京で津波と原発事故が起きていた場合に日本政府はどう行動するかという、ありえたかもしれない3.11(と、その克服)を怪獣映画の形で表現されていた。 そんな『シン・ゴジラ』のキャッチコピーである「現実 対 虚構。」は、本作のテーマを言い表した優れたコピーであると同時に、3.11という圧倒的な現実を、ゴジラという荒唐無稽なフィクションの世界に凝縮した本作のあり様を現している。つまり膨大な情報を加圧縮したリアリスティックな作りこそが、庵野秀明たちフィクションの作り手による最大限の(現実に対する)抵抗だったと言えるだろう。
    『シン・ゴジラ』を筆頭に、国内外問わず、現在のフィクションの作り手は、日々世界中で起こる、次から次へと押し寄せてくる圧倒的な現実に対し、虚構の担い手としていかに振る舞うのかが、問われている。
     それは一見、純粋な虚構にみえるアメコミ映画やディズニーアニメ、あるいはファンタジー世界を描いた海外ドラマの『ゲーム・オブ・スローンズ』にしても同様だ。どれだけCGやアニメーションを駆使した荒唐無稽な作品であっても、否、むしろ虚構性が極まるほど、それらの作品は現代の神話として見られるようになり、フィクションの裏側にある現実の暗喩を読み解くための駒となってしまう。純粋なフィクションであるアメコミやファンタジーですらそうなのだから、いわゆる現代を舞台にした劇映画の担い手は、より現実に接近した作品を作らざるを得ないというのが現状だろう。
    賛否を呼んでいる『全裸監督』
     そんなフィクションの現状が大きく現れていたのがNetflixで8月8日に配信された『全裸監督』だ。 本作は本橋信宏がまとめた『全裸監督 村西とおる伝』(太田出版)を原作とするドラマだ。
    ▲『全裸監督 村西とおる伝』
    英会話教材の営業マンだった村西とおる(山田孝之)が、ビニ本販売を入り口にエロの業界に足を踏み入れ、やがてアダルトビデオ制作に乗り出す姿を描いた本作は、80年代の風俗や町並みを再現したピカレスクロマンとなっている。  地上波のテレビドラマと比べて破格の制作期間と予算を準備し、アダルトビデオの世界というグレーゾーンの世界(劇中では村西と警察の性表現にまつわるイタチごっこが続き、その時代の常識において行き過ぎた性表現を展開する度に村西が逮捕される)を描いた本作はNetflixという会員向け有料配信メディアだからこそ可能なドラマとして、SNSで話題となった。 主演の山田孝之も積極的に他メディアで精力的に宣伝している、窮屈な時代だからこそ人間のありのままを描いた作品だという逆張りを展開し、その挑発的な宣伝も話題だ。
    海外市場への目配せ
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  • 戦後史としてのロボットアニメと〈移体性〉――フランス人オタクと日本アニメ熱狂の謎に迫る 『水曜日のアニメが待ち遠しい』 著者 トリスタン・ブルネ インタビュー 前編(PLANETSアーカイブス)

    2019-09-27 07:00  
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    今朝のPLANETSアーカイブスは、日本史の研究者であり翻訳家でもあるトリスタン・ブルネさんのインタビューです。フランスにおける日本のサブカルチャー受容の過程をまとめた著書『水曜日のアニメが待ち遠しい』を下敷きに、オタク文化、特にロボットアニメのグローバルな視点から見た本質について語り合います。 ※本記事は2015年12月4日に配信した記事の再配信です
    なぜ日本のアニメはフランスで受容されたのか 
    宇野:ブルネさんのご著書『水曜日のアニメが待ち遠しい:フランス人から見た日本サブカルチャーの魅力を解き明かす』を読ませていただきました。本当に素晴らしかったです。たいへん勉強になりました。
    ブルネ:ありがとうございます。

    ▲トリスタン・ブルネ『水曜日のアニメが待ち遠しい』誠文堂新光社
    宇野:フランスで日本のアニメやマンガがポピュラリティーを得ているというのは、日本国内でも有名な話です。ただその紹介のされ方は、「フランス人にもわざわざ日本のアニメを追いかけている変わった人がいる」という文脈で、面白おかしくデフォルメされている場合がほとんどだった。また、これは僕自身が日頃から感じていることですが、日本のアニメが海外で支持されている、という話を過剰に解釈して安易なナショナリズムに結びつけてしまう日本人のファンも少なくありません。その中でこの本は、その受容の実態を、フランス人個人の経験とアカデミックな視点の両面からまとまって紹介した、初めての例だと思います。
    ブルネ:まさにそれが、この本で目指したことです。僕自身はこれまで計6年ほど日本に住んでいますが、1976年に生まれてから20代半ばまでは、日本アニメを浴びるように見て育った一人のフランス人オタクでした。それが2004年の初来日の際、たまたま日本の踏切の音を聴いて、初めて触れたはずのその音にノスタルジーを感じたことから、自分の人格形成における日本アニメの大きさに気づき、この問題を歴史的に考え始めたんです。ただ状況はフランスでも同じで、日本のアニメやマンガを深刻なイシューとして語ろうとしても、「単なる社会現象だ」と済まされてきた。今回の本の出発点は、「僕たちが生きてきた時代は何だったのか?」ということを、アカデミックな観点を含めて、個人の経験からわかりやすく追おうとしたことにあったんです。
    宇野:ご自身が強く惹かれてきた日本アニメの奇妙な魅力と、その結果生まれた、フランスでのポピュラリティーの謎を解き明かしたい、と? 
    ブルネ:そうですね。「解き明かしたい」と同時に、そもそもそこにある巨大な「謎」の存在を多くの人に知ってほしい、という気持ちでした。誰もが当然のように「日本のアニメはフランスで人気がある」と言いますが、それ自体がすでにおかしな話でしょう。日本とフランスは、社会も文化のあり方も、基本的にはまったく異なる国ですから。
    宇野:この本の面白さの最大のポイントは戦後の日本のアニメが結果的にですが、戦後の西側諸国が広く共有していた中流家庭、アッパーミドルのライフスタイルや価値観を表現するものになっていて、それが世界的なポピュラリティーの源泉になった、ということを指摘しているところだと思います。日本アニメのポピュラリティーを語ろうとするとき、アニメが好きな人も嫌いな人も、むしろ逆に日本の独自性に結びつけて考えがちですよね。つまり、アニメ肯定派は、日本の伝統的な価値観が現代の映像文化に引き継がれて開花した、と主張する。一方の否定派は、それをオリエンタリズムと批判する。どちらもグローバルな評価の根拠に、一種の日本性を見ていることは変わりません。が、ブルネさんの本は逆です。むしろ、戦後の先進国に薄く広く共有されていた、アッパーミドルの価値観に注目をされている。
    ブルネ:おっしゃったように、日本でもフランスでも、すべての先進国は、戦後の20世紀後半に、それまでの価値観が大きく変わる経験をしました。高度経済成長で物質的に豊かになっただけでなく、人々の人間関係や、日常生活のあり方が変わったわけです。たとえば僕は、パリ郊外の新興住宅地の生まれですが、この「郊外生まれ」という経験も、戦後の先進国ではありふれたものになっていきました。しかし問題は、こうして厚みを増した中間階層の存在を、歴史の上で位置付ける視点がない、ということです。
     意外かもしれないんですが、フランスは国家の力が強い国で、いまもエリートを頂点にした階層的な価値観がある社会です。そして国の物語である歴史も、「エリートと民衆の対立」という構図で記述されてきました。ところがこの構図には、支配層であるエリートとも、従来の民衆とも違う、戦後に増えた中間階層の位置がない。歴史から自身の正当性を与えられないことは、不安です。僕は、日本アニメの人気の背景には、こうした中間階層の不安や不満を解消したという点があると思っているんです。
    宇野:ただ、ここで素朴な疑問として浮かぶのは、それがなぜアメリカのホームドラマやハリウッド映画ではなかったのか、ということです。これについてはいかがですか?
    ブルネ:西ヨーロッパとアメリカは、いつもセットで「西洋」と呼ばれますよね。しかし、ヨーロッパの社会の基本的なユニットは「村」ですが、新大陸であるアメリカにはそれがない。ただ、荒野が広がっているだけです。人の経験の出発点となるものが違うので、フランスからアメリカに行くと違和感があるんですね。一方、一見かけ離れた日本には、フランスと同じような村のユニットがある。その意味で、じつは日本の方が、空間のあり方や、そこでの人々の営みの形態が近いんじゃないでしょうか。
    宇野:ユーラシアとアメリカでは、根本的に地理感覚や空間感覚が異なるせいで、ハリウッド映画やアメリカのテレビドラマは、フランスの中産階級のカルチャーを表現するツールになり得なかった、と。
    ブルネ:フランスも日本も、郊外の広がりによって何かが失われるという経験をしています。でもアメリカの郊外は、いわばゼロから作られたものでしょう。
    宇野:郊外化もモータリゼーションも、日本やヨーロッパにとっては、トラディショナルなものの喪失だったけれど、アメリカにはその喪失感がないということですね。中流化や郊外化を言い換えると、アメリカ的なライフスタイルの受容でもあったと思います。もっとはっきり言うと、ヨーロッパではマーシャル・プランによって、日本ではGHQの占領政策の中で、既存のスタイルを上書きしながら進行したものだった。
    ブルネ:実際、日本アニメでは、その喪失感がよく主題になりますよね。たとえば『となりのトトロ』も『平成狸合戦ぽんぽこ』も、埼玉の郊外や多摩ニュータウンで失われたものをテーマに扱っている。しかし同じ経験をしたはずのフランスには、なぜかこの種の物語があまりないんです。フランス人が求めるものがそこにはあったんですね。
    宇野:僕は本州で生まれたのですが、10代の頃何年か、北海道に住んでいたんです。今の話で言うと、北海道はアメリカですね。100年前から人が住んでいなかったところがほとんどなので、一見、本州と同じような郊外都市が広がっていも、今おっしゃったような喪失感はありません。しかし本州は違う。中流化を支えた郊外都市はクリーンで明るい一方でどこか物悲しい喪失感が漂っている。国外に住んだことはないですが、北海道と本州の両方を住んだ経験から、その違いは非常に共感できます。
    「偽の成熟」としての巨大ロボット
    宇野:その一方で、アニメというのは風景を絵に置き換えるわけで、現実より一段、抽象性が高いですよね。そのことによっても、共感性は高まったと思うのですが? 
    ブルネ:抽象性も大事な要素ですよね。たとえば、フランスで初めて大人気になった日本アニメは、1978年に放送が開始された『UFOロボ グレンダイザー』でした。このグレンダイザーのような巨大ロボットも、抽象性の高いひとつのモチーフです。
    宇野:そしてロボットは定義上、人工知能を持つもののはずですが、日本の巨大ロボットは、なぜか乗り物です。ここには直接何かにコミットするのではなく、間接的なコミットでありたい、という欲望があると思うんです。
    ブルネ:そうですね。操縦者が必要です。
    宇野:日本のロボットアニメはマーチャンダイジングと関係があって、小さい男の子の成長願望に訴えかける表現でした。非常に力強く、大きな身体への憧れでもあった。しかしその一方、どこかであれは偽物だ、という感覚があります。同様に、日本でもヨーロッパでも、アメリカのライフスタイルを取り入れて郊外に家を持ち、中流的な生活を築くことが憧れであると同時に、偽物でもあるという感覚があると思うんです。
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  • 本日20:00から放送!オールフリー高田馬場 2019.9.26

    2019-09-26 07:30  
    本日20:00からは、オールフリー高田馬場

    今夜20時から「オールフリー高田馬場」生放送です!「オールフリー高田馬場」は、既存メディアや世間のしがらみにとらわれず、政治、社会からカルチャー、ライフスタイルまで、魅惑の週替わりナビゲーターとともにあらゆる話題をしゃべり倒す〈完全自由〉の解放区です!今夜の放送もお見逃しなく!
    ★★今夜のラインナップ★★今週の1本「HELLO WORLD」北村匠海主演、伊藤智彦監督、グラフィニカ制作のアニメーション映画。主人公が10年後の自分と共に、事故死するするヒロインを助けるため、未来を変えようと奔走するSF青春ラブストーリー。2027年の京都が舞台である今作について、京都を愛する宇野常寛が語ります!週替りナビゲーターコーナー「制作への雑談」現在「作ること、生きること ― 分断していく世界の中で」を弊社で連載中の上妻世海さんが、日々の随想を深く掘り下げてい
  • 突然の逮捕から保釈、そしてドイツ・オーストリアへの旅|周庭

    2019-09-26 07:00  

    香港の社会運動家・周庭(アグネス・チョウ)さんの連載『御宅女生的政治日常――香港で民主化運動をしている女子大生の日記』。8月30日の朝、周庭さんは無許可の集会への参加容疑で逮捕されました。翌日には保釈されたものの、拘置中は香港警察によるこれまでにない理不尽な扱いに晒されたといいます。(翻訳:伯川星矢)
    御宅女生的政治日常――香港で民主化運動をしている女子大生の日記 第30回 突然の逮捕から保釈、そしてドイツ・オーストリアへの旅
    香港の活動はまだ続いています。香港人はまだ「五つの要求」を求め、政治的・暴力的な弾圧に反抗しています。現時点(9月18日)で、この活動によって、すでに1400人以上の市民が逮捕され、100人以上が起訴されています。
    そして8月30日、わたしは逮捕されました。
    8月30日の朝、わたしはまだ自宅の部屋で寝ているところを、騒がしい音に起こされました。部屋を出た瞬間、5人
  • 宇野常寛 汎イメージ論――中間のものたちと秩序なきピースのゆくえ 最終回 「汎イメージ」の時代と「遅いインターネット」(3)

    2019-09-25 07:00  
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    本誌編集長・宇野常寛による連載『汎イメージ論 中間のものたちと秩序なきピースのゆくえ』。ジャン・ジュネの論考から明らかなように、吉本隆明の「関係の絶対性」の根底にあるのは、自身の無性化、他者の風景化であり、その〈非日常〉と〈日常〉の境界を溶解する想像力は、チームラボのアートと共鳴します。父権的な〈テキスト〉の零落により、〈イメージ〉が氾濫する「母性のディストピア」に堕したインターネット。そこに投じるオルタナティブとは……?(初出:『小説トリッパー』 2019 春号 )
    6  無性と風景
     ここで私たちは、吉本隆明が『書物の解体学』で展開したジャン・ジュネについての論考を思い出すことができる。たとえば宇野邦一は「〈無性〉化に適するとは、自己の生理を、あるいは他者の肉体を〈風景〉とみなすことができるという、あの視線と距離とを意味している」と述べる吉本が、当時悪と同性愛の体験をナイーブに描いた〈外道の〉作家として読まれていたジュネについて人間の肉体を無性的に捉え、風景として描いた作家だと位置づけ直したと解釈する。 「意志した革命者はいつか革命者でなくなるにきまっている。なぜなら〈意志〉もまた主観的な覚悟性にすぎないからである。ただ〈強いられた〉革命者だけが、ほんとうに革命者である。なぜならば、それよりほかに生きようがない存在だからである」――これは吉本が「関係の絶対性」を主張した「マチウ書試論」の一節だ。  宇野はこの一節を引用しながら、こうした吉本のジュネ解釈背景には、道徳や性愛の境界を侵犯することは決して自由意志の選択ではなく、「関係の絶対性」の産物であるとする吉本の人間観の存在があると指摘する。 (当時のマジョリティの社会通念上の)性的な逸脱を非日常的な越境と捉える感性を、吉本は頓馬なものとして批判する。そうではなく、それは自身を無性化し、他者の肉体を風景とみなすことであり、性的なものを非日常ではなく日常の中に組み込むことなのだ。  宇野の吉本解釈は、すなわち「日常性のなかに非日常性を、非日常性のなかに日常性を〈視る〉ことができないとすれば、この世界は〈視る〉ことはできない」とまで述べる解釈は、本連載で展開した情報社会論として吉本隆明を読む視座から得られた解釈と一致する。世界視線と普遍視線の交差とは、すなわち臨死体験の比喩で吉本が予見し、ハンケらがGoogleMapで実装した新しい社会像とは、「日常性のなかに非日常性を、非日常性のなかに日常性を〈視る〉」視線と言い換えても過言ではない。そしてこの日常性の中に非日常性を組み込むために、ジュネ的な無性化が必要とされるのだ。  当時その同性愛的モチーフから〈外道の〉〈非日常の〉行為と位置づけられていたジュネの文学を、むしろ人間の肉体を無性化し、自己と世界との境界線を無化し、風景の一部にすること。非日常性を日常の中に組みこむこと。世界視線を普遍視線に組み込むこと。この無性性こそ、肉体を風景の一部にする想像力こそが、今日における有り得べき対幻想の姿を提示してくれるのではないか。後期の吉本は、「母」的な情報社会に対し楽観的にすぎた。しかし、この時期の吉本には来るべき「日常性のなかに非日常性を、非日常性のなかに日常性を〈視る〉」世界(後の情報社会)に対し、母性的なものではなく無性的なものを発見していたのだ。ここに、後期の吉本が陥った隘路を回避する可能性があったのではないか。  今日におけるフェイクニュース(イデオロギー回帰)とインターネット・ポピュリズム(下からの全体主義)の温床となる夫婦/親子的な対幻想ではない、もうひとつの対幻想――今日においてはローカルな国民国家(共同幻想)よりもグローバルな市場(非共同幻想)と親和性の高い、兄弟姉妹的な対幻想――を根拠に、いまこそ私たちは大衆の原像「から」自立すべきなのだ。そしてこのとき有効に働くのが、従来の多文化主義リベラリズム的な他者論ではなく、「語り口の問題」でつまずく(グローバルな情報産業のプレイヤー=世界市民だけを「仲間」として語りかける)カリフォルニアン・イデオロギー的(なものを誤って用いた)他者論でもなく、そのアップデートであるチームラボ的他者論ではないだろうか。自己を(比喩的に)無性化し、他者を一度「風景」と化すこと。そうすることでその存在自体を前提として肯定すること。そうすることではじめて、私たちはこの新しい「境界のない世界」に古い「境界のある世界」を取り込むことができるはずだ。「自己の生理を、あるいは他者の肉体を〈風景〉とみなすことができるという、あの視線と距離」を、チームラボのデジタルアートは私たちにもたらしてくれるのだ。
    7  「汎イメージ」の時代と「遅いインターネット」
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  • 今夜20:00から生放送!菊池昌枝×岸本千佳×宇野常寛「これからの京都の話をしよう」2019.9.24/PLANETS the BLUEPRINT

    2019-09-24 07:30  
    今夜20時から生放送!「PLANETS the BLUEPRINT」では、 毎回ゲストをお招きして、1つのイシューについて複合的な角度から議論し、 未来の青写真を一緒に作り上げていきます。 年間5000万人以上の観光客が訪れる、日本随一の観光都市・京都。2020年東京五輪を前にして、多くの外国人観光客の訪日が予想される今、京都には果たしてどんな観光戦略が必要とされているのでしょうか。今回は、京都での宿泊事業立ち上げに携わり、現在は某リゾート・リート 投資法人でIRをご担当される菊池昌枝さんと、京都を拠点に活躍する不動産プランナーの岸本千佳さんをお迎えし、「観光しない京都」を提唱する宇野常寛とともに、京都のこれからについて考えます。▼放送日時2019年9月24日(火)20時〜☆☆放送URLはこちら☆☆https://live.nicovideo.jp/watch/lv321656191▼出演
  • 【特別寄稿】中川大地 ゲーム学からみた人類史──ルールとフィクションが織りなす文明の発展

    2019-09-24 07:00  
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    今朝のメルマガは、ゲーム評論家の中川大地さんによる論考をお届けします。近年勃興しつつある「ゲーム学」は、人類史・文明史をいかに読み替えるのか。ホイジンガやロジェ・カイヨワの〈遊び〉の議論を、ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』『ホモ・デウス』と接続することで切り開かれる新たな地平を展望します。 ※本記事は、上海・澎湃新聞の日中韓ゲーム批評特集に掲載された「中川大地:规则与虚构交织的人类文明发展」(中沢新一・中川大地編『ゲーム学の新時代』(NTT出版)掲載の論考を改稿)の翻訳前の原稿を転載したものです。
    ▲『ゲーム学の新時代 遊戯の原理 AIの野生 拡張するリアリティ』
    情報技術(IT)が現代社会のインフラとして普及して以降、遊びとゲームは、急速に人々のライフスタイルや社会の在り方を変えつつある。それは、人々が日常的に接するモバイルゲームやeスポーツといったデジタルゲーム産業が拡大しているということだけに留まらない。かつてオランダの歴史家ヨハン・ホイジンガやフランスの文芸批評家ロジェ・カイヨワが指摘したように、遊びという営みには本質的に、人間が生成する文化や文明を駆動する作用としての側面がある。その遊び本来の力が、第二次世界大戦を機に20世紀後半から飛躍的な発展を遂げたコンピュータテクノロジーによって大きく押し進められ、現代のゲーム産業の隆盛に結実していく様子を、筆者は日米のデジタルゲームの発展史を辿った著書『現代ゲーム全史 文明の遊戯史観から』にて素描した。 そのようなデジタルゲームの発展を背景に、現在の世界では北欧圏などを中心に、ホイジンガやカイヨワの問題意識を継承して、ゲームが持つ人文学的な本質をより精緻に探求しようとする「ゲーム・スタディーズ」という学問分野が盛んになっている。
    まず、文明とテクノロジーをめぐる現在の世界の思潮動向を確認しよう。 筆者が〈複合現実の時代〉(注1) の幕開けと位置づけている2020年を間もなく迎えようとする現在、インターネットの普及がもたらしたディープラーニング以降の第三次AIブームによって、現在の社会思想では未来学者のレイ・カーツワイル等のシンギュラリティ論への是非が共有されるようになり、幅広く人口に膾炙するようになっている(注2) 。米欧主導のリベラル・デモクラシーの理念の結晶としての解放的なIT思想であるカリフォルニアン・ イデオロギーが、資本主義のオルタナティブ運動としてのマルクス主義に代わって世界を変えてきたのがこの半世紀の流れだったが、卑近な流れとしては中国の国家主導のIT化で「デジタル・レーニン主義」(セバスチャン・ハイルマン)が台頭しようとしていることが、テクノロジーのもたらす将来像に不安を与えている。
    こうした当世の未来学のスタンダードになっているのが、『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』で世界的ベストセラーとなったイスラエルの歴史家ユヴァル・ノア・ハラリの議論であろう。人類学を中心とする最新の人間諸科学の知見を総合し、文明の発展と人類の過去と未来を巨視的なスパンで見据えた彼のアジェンダ・セッティングの洞察は有益だ。そこで提示された、7万年前に起きた認知革命以来の農業革命、科学革命といったいくつかの転換点を経て、人類の多くがテクノロジーの管理者としての「ホモ・デウス」か、ビッグデータの提供者として管理される「無用者階級」かに分断されるといったペシミスティックな描像は、たしかに容易に否定しがたい説得力を持っている。 ただ、今世紀になってから蓄積されている世界のゲーム学における様々な議論や知見は、そうした未来像とは別のシナリオを示唆する方向にも接続可能な芽を懐胎しているようにも思う。よって、本稿ではハラリの枠組みを批判的に検証し、人類史の根源的な捉え直しを行っていきたい。
    1 認知革命から始まったフィクションとルール構築の相互作用
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  • 大西ラドクリフ貴士 世界の〈境界線〉を飛び越える――Q&Oサイト「ヒストリア」の挑戦(後編)(PLANETSアーカイブス)

    2019-09-20 07:00  
    550pt

    今朝のPLANETSアーカイブスは、Q&O(クエスチョン&オピニオン)サービス「historie(ヒストリア)」を立ち上げ、国際情勢や歴史認識に関する議論を、新しい切り口で可視化しようとしている大西ラドクリフ貴士さんのインタビューです。後編では、多民族が参加するオンラインスクール事業のアイディアや、物語性を超えた歴史観をいかに子供たちに教育するかについて、お話を伺いました。※本記事の前編はこちら。 ※本記事は2017年7月11日に配信された記事の再配信です。
    CGMの限界とオンラインスクールの可能性
    宇野 ただ、一つ聞いてみたいのは、いま世界には民主主義の限界を意識せよ、という考え方のほうが説得力を持つ局面があるのは間違いないと思うんですよね。端的に言えば、バカにインターネットをもたせるとロクなことをしない。だから、ネット時代に民主主義は究極的には成立しない。民主主義で決められる範囲をなるべく狭くし、立法ではなく行政、デモクラシーではなくガバナンスで問題解決を試みる方が「賢い」と考えるほうが優勢だと思うんですね。
     そんな中で、このhistorie(ヒストリア)はまだ素朴なインターネットへの信仰、つまり発信力を与えることで人間が「群」として賢くなるという幻想に基いているように思えるんですよ。もちろん、それができるなら越したことはないと僕は考えているからこういうことを聞くわけですが、そんな状況の中で、あえてボトムアップのCGM的なサービスに期待するのは、なぜでしょうか?
    ラド CGMといっても正直なところ、historieの議論のレベルを維持するためには、一般コンシューマーよりも、いわゆる「プロコンシューマー」の意見の方に期待しています。プロコンシューマーというのは専門性や知識を持ってるユーザーのことです。やっぱりある程度の専門性や知識がないと、発言しにくいし支持されるものになりにくいですからね。でも、その一つ一つの意見をジャッジするのは実は一般コンシューマーの方です。現代の世界を解剖するには「プロコンシューマーの意見がどのように一般コンシューマーに支持されているのか?」の集積と分析が重要だと思うんです。
     例えば、米国大統領選でのトランプの支持層を見ても、プロコンシューマーではない一般コンシューマーのVote(投票)が最終的な決定権を握っていたわけじゃないですか。こういったネット上では大騒ぎしなくて目立たないような、サイレントマジョリティやサイレントマイノリティの声の受け皿が、いま世の中に必要で。彼らのVote(投票)を受け付けるようなCGMが、非常に重要になると考えています。そういう意味では、ネット上の民主主義にはまだまだ大きな可能性があると僕は捉えています。
     少し話が飛びますが、よくインターナショナルとグローバリセーションを対比する議論があるじゃないですか、インターナショナルとは「寛容になる」ということであって、どちらかを選ぶという話ではない。ここにCGMを持ち込めないかなと。
    宇野 あえてざっくり整理するならインターナショナルは境界のある世界でお互い頑張って交流しよう、グローバルは境界そのものをなくしてしまおう、という考え方ですよね。前者ではいかに人々が「寛容」になっていかに他者に手を伸ばすかが大事になって、後者では自動的に接続されてしまったものの間をいかに調節するか、もっと言ってしまえばいかに手を離すか、が大事になっていく。具体的には画一化されたプラットフォームの上でどう多様性を実現するかが問われることになる。
    ラド まだ上手く言語化できてないですけど、インターナショナルでもない、そしてグローバリゼーションでもない、そのもうひとつ先にある世界があると思っていて、そしてそれを描きたくて、そこにCGMの可能性を見ているんです。世の中にはたくさんの境界線があり、人々は色眼鏡やフィルターを通して世界を見ている。そういった状況に対して、僕らのアプローチは3つあって、「1.境界線を超える」、あるいは「2.境界線を溶かす」、そしてもうひとつ、「3.境界線を上書きする」があると思っています。1はインターナショナル的、2はグローバリゼーション的と言ってもいいかもしれない。そして3は、つまりは、境界線を爆発的に増やすことで、実質的に人々の色眼鏡を無効化するようなものかと。
     例えば「中国のことはあまり好きじゃない」というレイヤーに重なるかたちで「でも、中国のFintech(フィンテック)とかって超すごい」みたいなレイヤーで内側に入れる。たとえば「韓国のことはあまり好きじゃない」というレイヤーに重なる形で「K-POPは好き」という発想があってもおかしくない。それって、「K-POPアイドル好き」という趣味性の領域において、境界線の内側に入り込んでいる状態なんですよね。これは、ネット上で動画がシェアされファン層が急激に拡大していくような動きとして現れますが、そのことによって境界線が爆発的に増えて、誰もがお互いに相対化されれば、境界線の内側同士になれるんです。ただし、この方法は、ちょっとだけ境界線が増えても意味がない。爆発的に増えないと意味が出にくいんです。狙いとしては、国籍の上にさらにいろんな境界線がひかれまくってしまうと、わけわかんなくなってきて、その興味分野に関しては自分がナニジンかとかどうでもよくなってしまう瞬間があると思いますから、その演出です。そういう意味でも、CGMのアプローチは未だに有効であると考えています。
    宇野 境界線をあえて「増やす」というアプローチですね。「日本人とそれ以外」という境界線を心のなかに持っている人に対して、自分自身がもっとたくさんの、複数の境界線が複雑に絡み合ったところに浮かんでくる存在だということを知ってもらう。国民というアイデンティティを相対化することで、ナショナリズム回帰を乗り越えよう、という議論はずっとあったと思うんですが、それをCGMサービスのようなかたちで実践するという発想はなかなかなかったと思います。
    ラド CGMの本質はそこにあると思っていて、トップダウンでは方向性が決まってしまって打破できない状況を、ボトムアップの集合知で高速に無効化していく。境界線を跨いでどうしても気になっていたことが、別の境界線が上書きされて囲われることで、無効化、希薄化、中和されて、いつのまにか気にならなくなっていく。そういう意味で象徴的なのは日本のネット文化です。
     わかりやすい例としてよく話すのは「初音ミク」とか。こういうことを言うと実際の初音ミクのファンの方は嫌がると思うし、僕自身は純粋なファンではないから言えるんだと思うんですが、僕はウェブサービスの設計者として、初音ミクをあくまでウェブサービスやプラットフォームとして捉えたい。
     プロコンシューマーによって、楽曲数という点では、B’zやサザン、秋元康さんといった天才たちをはるかに凌ぐ勢いでが数が増加していくわけですが、そのプロコンシューマーたちって、全然一つの文化圏に収まりきってなかったりして。初音ミクというCGMの前では、自分がナニジンかとかどんな職種だとか、そんなあらゆる境界線が上書きされて、どんどん内側へと入り込んでいく。
    ――ニコニコ動画では、動画数が増えすぎると逆に閉塞的になる。初音ミクの話でも、曲が増えすぎて素人にはどれが良い曲かよくわからない。つまり、情報量がある閾値を超えたときに、ピックアップや編集を加えて全体性を仮構しないとオープンな場を維持することが難しいという問題がありますが、そこについてはどうお考えですか?
    ラド おっしゃる通りだと思います。ただ、このhistorieは、プロコンシューマーが中心となって、世界から有益な情報を吸い上げる装置として機能すればいいと考えています。やっぱりウェブである以上、気になってGoogleで検索するとか、historieをSNSでシェアするような友人が周りにいるとか、興味やコミュニティが無い人々にはなかなか届かないので。意見を吸い上げる装置が、もともと興味ある人とか知識人に閉鎖的になってしまう部分は、ある程度仕方ないと思っています。でも、そこから生まれたいわゆる「良い曲」をしっかりと編集して「アルバム」の形にして届けるのは、また別の作業だと思っていて。
     historieで得られた素材を編集して子供たち(大人かもしれませんが)に届けるのは、「バベルスクール」というオンラインスクール事業を計画しています。もちろん、編集が入る時点で公平さを維持できるのかという議論はありますが、僕らはたとえば右翼にも左翼にもフラットで、あくまでも複数の意見を立体化させるためのプラットフォームとして情報を届けていきたい。それが、historieの向こう側にある、国境をまたいだ次世代の教科書や学校事業です。

    ――「バベルスクール」では、子供たちに向けてどのようなコンテンツを提供するのでしょうか?
    ラド まだ構想段階ですが、バベルスクールでは、「オンラインインターナショナルスクール」にチャレンジしたいなと思っています。具体的には、文化圏をまたいだ同世代の子供たちを、オンラインで時差が合う時間帯に集めて、ディスカッションさせる場を作ろうとしています。多民族の小さなクラスルームを作って、たとえば原爆についてのクエスチョンで、「最低限こういうことは調べてきてね」と事前課題も与えた上で議論を行う。そうやって学校や家族に教えられた自分たちの常識的な歴史観が、実は国ごとに全然違っていることを体感できる場を、提供していきたい。
     historieという名前で「歴史を教える」と話すと、どうしても歴史上の「過去」を引っ張り出して議論しているように聞こえるかもしれないんですが、むしろ逆だと思っていて、バベルスクールは現代史も含めて「今」や「未来」の世界を考える時間を提供していけると思っています。
     History(歴史)って、ほんとは、過去の出来事を教える科目じゃなくて、未来を考える想像力を育てる科目なはずだと僕は思っているので。だから、歴史を学ぶことは、未来を考えること。歴史を教える仕事は、未来をつくる仕事です。歴史って暗記科目じゃないですよ、超クリエイティブです。


     近年、シリコンバレーでは、子供にリベラルな教育を与えたいと考える親が増えています。21世紀型のグローバルシティズン力、つまり地球市民としての力がビジネスにおいても問われ始めている。それを教育によって伸ばしていこうという動きがあります。
     そういう教育を望んでいる親は、カリフォルニアのリベラル層や富裕層を中心に、世界中、日本にもいます。でも、完全にインターナショナルスクールに通わせるのっていろいろハードル高くて、それをオンラインで私塾的につまみ食いできる場所があればいいなと、ファーストステップとしてはそう思っています。
     本当は、届ける人を最大化するためにも、公教育に落とすところまでやっていきたいんですが、それはとてもパワーもかかることだと理解しているので、公教育を進めてこられた有識者の方々のご支援やご指導を受けながら、時間をかけてしっかりと進めて行きたいと考えています。日本国内だけでもディスカッションの場を提供することには意味がありますし、スクールとして非常に価値があることだと思ってます。
    物語的な歴史観の限界をいかに乗り越えるか 
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  • 本日20:00から放送!オールフリー高田馬場 2019.9.19

    2019-09-19 07:30  
    本日20:00からは、オールフリー高田馬場

    今夜20時から「オールフリー高田馬場」生放送です!「オールフリー高田馬場」は、既存メディアや世間のしがらみにとらわれず、政治、社会からカルチャー、ライフスタイルまで、魅惑の週替わりナビゲーターとともにあらゆる話題をしゃべり倒す〈完全自由〉の解放区です!今夜の放送もお見逃しなく!
    ★★今夜のラインナップ★★今週の1本「全裸監督」
    山田孝之主演、 武正晴監督作のNETFLIX限定ドラマ。
    1980年代の日本を舞台に“アダルトビデオの帝王”と称された
    AV監督・村西とおるの生き様を描き、様々な論議を起こした
    話題作について、ついに宇野常寛が語ります!
    週替りナビゲーターコーナー「加藤るみの映画館の女神」
    映画イベントも開催するほどの映画フリークな加藤るみさんに、
    今見るべきオススメ映画を紹介してもらいます!and more…今夜の放送もお見逃しなく!
  • 鷹鳥屋明 中東で一番有名な日本人 第22回 日本のゲーム産業を誘致できるか?飛び交う中東各国の思惑

    2019-09-19 07:00  
    550pt

    鷹鳥屋明さんの連載『中東で一番有名な日本人』。東京ゲームショーで存在感を増しつつある中東の国々。ドバイやアブダビは日本など海外の企業と協業するのみならず、中東のコンテンツ制作の拠点となる野心を抱いているようです。加えて今回は、9月14日にサウジアラビアの石油施設に対して行われたドローン攻撃、その政治的背景についても考察します。
    TGS、東京ゲームショーが9月12日から15日までの間、開催されました。2日間のビジネスデイと2日間のパブリックデイで構成されており、今年の2019年はビジネスデイ2日間で約7万人近く、パブリックデイは約19万人近くの、合わせて約26万人の来場者だったそうです。

    実は去年に比べて若干の落ち込みがありましたが(去年は29万人の来場)それでも盛んであり、世界中からのゲームビジネスのハブであり、世界に向けて最新情報を発信する国際展示会の規模であると言えます。 様々な国の人たちが行き交う中で、ここ最近増えている地域に中東があります。これは私のポジショントークではなく、実際中東からのお客様が増えていると同時に、中東で行われるゲーム開発だけでなく、イベントなどで日本企業と一緒に何かをやりたい、コンテンツを持ってきて欲しいという中東企業が増えている証左と言えます。

    去年はゲームショーではなくアニメジャパンで、サウジアラビアの会社がブースを出して、SNKとのコラボレーションで『キング・オブ・ファイターズ』の新作に、中東からのデザインコンテストで優勝したキャラクターが起用された内容で、実装されたものが体験できるコーナーまで設けられていました。
    ▲『キング・オブ・ファイターズ』の新作と、左にサウジ公募選抜のキャラクター
    サウジアラビアではこちらかなりのニュースとなりましたが、残念ながらそこから弾みをつけて格闘ゲームが次々と生まれる、という展開にはならず、中東キャラクターを出す『ストリートファイター』『鉄拳』の新作に圧されて話題性は埋もれてしまいました。 まだまだプロジェクトベースや企画に関してはやはり大手には勝てないですが、徐々に「委託して作らせる」という段階から「日本企業や海外企業と協力して作品を作る」を経て、そろそろ自分たちで作品を作る段階まできているのではないかと考えさせられます。 第13回の「中東に本当に廃課金ユーザーは多いのか?」の記事で書いたように、eスポーツの分野において中東が日本に向ける目は熱いものになっています。第13回の記事にも書いた2018年8月17日に調印された「日本・サウジアラビアeスポーツマッチ」は、本来なら2019年の1月に開催される予定でしたが、例のジャーナリストが色々あった某事件の影響を受けてこちらは延期となり、未だ開催されておりませんし、なかなか進む気配もなさそうです。 日本との交流は上記理由により一度なくなってしまいましたが、だからといって交流がゼロになったわけではなく、ゲーム人口が人口比率の中でなかなか高い中東産油国諸国のゲーマーの方々は、かなりの腕前を持っています。『FIFA2018』の優勝者は当時18歳のサウジアラビア人、モサード・アルドラーシ氏でした。eスポーツ関連のイベントは中東全域で大規模、小規模を含めて毎年様々な場所で開催されています。今回の東京ゲームショーにもサウジアラビア政府、バーレーン政府、バーレーン商工会議所、アラブ首長国連邦ドバイ首長国、エジプトなどなどの中東諸国から東京ゲームショーへの視察、参加が多くありました。
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