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脚本家・井上敏樹エッセイ『男と×××』第28回「男とアレルギー」【毎月末配信】
2017-05-31 07:00
平成仮面ライダーシリーズなどでおなじみ、脚本家・井上敏樹先生のエッセイ『男と×××』。20代前半で生まれて初めてアトピーになった敏樹先生。その後、様々なアレルギーを経験することになりますが、最近敏樹先生を悩ませている意外なものとは……?
男 と ア レ ル ギ ー 井上敏樹
最近アトピーがひどい。脇腹やら鼠蹊部に蕁麻疹が出来てひどく痒い。痒みというのはなかなかの地獄だ。ある意味、痛みよりもタチが悪い。痒みにはなにかしら誘惑的な所がある。ボリボリバリバリと掻いていると思わず『あ~、気持ちいい~』と声を出してしまうのは私だけではないだろう。そうして結局肌を傷つけてしまって後悔する。そう分かっていてもやっぱり掻く。それくらい掻くという行為は快感を伴うのであって、だから悪魔的なのだ。肌を損なう事なく快感を得るにはシャワーを当てるのが良い。水量を最強にして熱めのシャワーを患部に当てると掻くのと同じ快感で、やっばり『あ~、気持ちいい~』と声が出る。誰かに聞かれたら困るような声だ。だから痒みが消えるとそれはそれで結構なのだがちょっと淋しい。『痒みよ、お前は一体どこに行ったのだ』と孤独を囲う事になる。生まれて初めてアトピーに襲われたのはまだ20代前半の頃で当時はなにがなんだか分からなかった。とにかくある日突然、両脚全体にびっしりと蕁麻疹が発症したのだ。『なんじゃこりゃ~』と思ったものの『ま、なにか変なものでも食ったんだろう』とさして気にせずボリボリバリバリやっていた。ところが一向に治らない。外で酒を飲んでいると発作的に痒くなり、慌ててトイレに駆け込みズボンを降ろし、『あ~、気持ちいい~』とやる。かと言って酒のせいとは思われない。酒を飲むと血流の関係でどんな蕁麻疹でも痒くなるのだ。そのうちにハタと思い当たった。
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更科修一郎 90年代サブカルチャー青春記〜子供の国のロビンソン・クルーソー 第8回 高田馬場・その4【第4水曜配信】
2017-05-30 07:00
〈元〉批評家の更科修一郎さんの連載『90年代サブカルチャー青春記~子供の国のロビンソン・クルーソー』は高田馬場編の4回目です。かつて「文化の発信地」だった高田馬場の白夜書房や芳林堂書店を巡りながら、2000年前後の出版業界・コンテンツ業界での記憶を辿ります。
第8回「高田馬場・その4」
結局、死に至ることはなく、現世へ戻ってきたが、退屈を持て余している。
病み上がりの暇潰しと称して、たまに東京を歩き回るしかない。
そして、何度も確かめるように歩き回っていると、白夜書房本社ビルの周辺も様変わりしていることに気づいた。
昨年までPLANETS編集部があったらしい、川べりのマンションの一階にあるローストビーフ丼の店には延々と行列が続いていた。
本社ビルの隣にあった、鉛筆みたいに狭小な雑居ビルは、半年ごとにテナントが入れ替わる風俗ビルで、通るたびに『ナニワ金融道』の肉欲棒太郎夜逃げ回を思い出した。
実際、『イメクラ性道会館』やら『カラオケ風俗マラんQ』やら、なんとも言えないユーモアセンスだった。
前者は正道会館の高田馬場支部が近くにあったからで、後者は言うまでもなくシャ乱Qが元ネタだが、「Q」の文字がローリング・ストーンズの舌出しロゴ風にアレンジされていた。二重の意味でロックンロールというか、正気の沙汰ではなかったが、現在はよくあるラーメン屋になっている。
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本社ビル一階に入っていた白夜書房直営の漫画専門店『まんがの森』も、現在はイオン系の小規模スーパー『まいばすけっと』になっている。アメコミマニアで知られ、『まんがの森』を切り盛りしていた店長のおしぐちたかし氏もとっくに退社している。
筆者は退社直前、担当していた雑誌の一般誌化を考えていた。これは『まんがの森』が成年コミック問題から、成人向け漫画の取り扱いを中止しており、自社出版物を売ることができないという本末転倒な問題があったからだ。藤脇氏とおしぐち氏からの要請もあり、筆者は成年コミックではない方向性を模索し、予定台割も作っていたが、それが周囲との軋轢を生み、退社へ繋がったことは否めない。
結局、筆者は成年コミック路線を続けた編集部からは裏切り者扱いとなったのだが、藤脇さんの好意もあり、退社後にパイロット版を作った。アンソロジー単行本という形で。
販売成績は良好だったが、雑誌化は見送った。編集作業の工程で、マンパワー的に編集プロダクション化しないと無理だと判明したからだ。しかし、ワンマンアーミーだった20代前半の若造が、独りで編プロ経営ができるとは思えなかった。
後に『電撃大王』など、いわゆる「成年向け少年漫画誌」の若い編集者たちから、「参考にしましたよ」と言われたが、苦笑いするしかなかった。
■■■
そんなことを思い出しつつ、本社ビルの前で呆けていたら、向かいの韓国料理店の若者が「まだランチやってますよ!」と声をかけてきた。
スマートフォンの時計表示を見ると、15時をとうに過ぎている。
この時間でもランチをやっているのか。
途中、『BOOK OFF』高田馬場北店にも寄り道していたので、思ったよりも時間が経っていた。早い昼食でモヒンガーを食べたが、微妙に腹が減っていたので、誘われるまま店へ入った。
「最近、開店したのかい?」
「はい。本店は新大久保なんですが、今年から。お客さんはこのあたりの方ですか?」
「いや。20年前、向かいの会社に勤めていた。今日は久しぶりに来た」
「ああ、あの出版社ですか。20年前、此処は何の店だったんですか?」
とうに忘れてしまったが、たぶん、平凡な居酒屋や食堂だったはずだ。
周囲を見回すと、真っ昼間から、いかにも高田馬場の住人と思しき「ちょいワル」風の老人たちが肉を焼いていた。
店の看板メニューは980円で肉300グラムのランチ盛り合わせらしく、自分以外の全員がそれを注文し、更に酒やビビンバを追加していた。
さすがに肉を喰うほどの気力はなかったので、スンドゥブチゲとハイボールを注文した。
味は良かった。スンドゥブチゲは自分でもたまに作るが、どうしても韓国料理店で食べる味にならない。
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【春の特別再配信】 『この世界の片隅に』――『シン・ゴジラ』と対にして語るべき”日本の戦後”のプロローグ(中川大地×宇野常寛)
2017-05-29 07:00
第7弾となりました「2017年春の特別再配信」、話題のコンテンツを取り上げて批評する「月刊カルチャー時評」をお送りします。今回のテーマはアニメ映画『この世界の片隅に』です。戦時下の一人の女性の視点を通して個人と世界の対峙を描き、大好評を博した本作。しかし、その出来の良さゆえに逆説的に明らかになった「戦後日本的メンタリティの限界」とは?(構成:須賀原みち/初出:「サイゾー」2017年1月号/この記事は2017年1月26日に配信した記事の再配信です)宇野常寛が出演したニコニコ公式生放送、【「攻殻」実写版公開】今こそ語ろう、「押井守」と「GHOST IN THE SHELL」の視聴はこちらから。
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(出典)
▼作品紹介
『この世界の片隅に』
監督・脚本/片渕須直 原作/こうの史代 出演(声)/のん、細谷佳正ほか アニメーション制作/MAPPA 配給/東京テアトル 公開/16年11月12日より全国順次
1944年の広島県呉市。広島市で育ったすずは、知らない青年のもとに嫁いできた。戦争が激化し、呉もたびたび激しい空襲を受ける中で、絵を描くことが好きで得意だったすずが生活を守ろうとする姿と、ある出来事によってふさぎ込んでゆくさまを描く。
08年に単行本が刊行された、こうの史代の代表作のアニメ化。劇場版製作に至るまでのクラウドファンディングという手法も話題となった。
中川 本作は、『シン・ゴジラ』と対にして語るのに今年一番適した作品だと思いました。『シン・ゴジラ』は日本のミリタリー的な想像力が持ってきた最良の部分をリサイクルして、従来日本が苦手といわれてきた大局的な目線での状況コントロールに対する夢を描いていた。一方で、『この世界の片隅に』は『シン・ゴジラ』で一切描かれなかった庶民目線での大局との向き合い方を描ききった。この両極のコンテンツが2016年に出てきたことは、非常に重要です。
すでに多くの人が語っていますが、雑草を使ってご飯を作るような戦時下の生活を“3コマ撮りのフルアニメーション”に近い手法で丹精に描くことにより、絵として表現できる限りの緻密さと正確さで日常描写を追求するという高畑勲の最良の遺産を、見事に現代的にアップデートしていた。そうした虚構の力によって、劣化していく現実へのカウンターを打てていたのは、素晴らしいと思う。
宇野 片渕さんは高畑勲的な「アニメこそが自然主義的リアリズムを徹底し得る」というテーゼを、一番受け継いでいる人なんだと思う。高畑勲が前提にしていたのは、自然主義とは要するに近代的なパースペクティブに基づいた作り物の空間であるということ。だからこそ、作家がゼロから全てを生み出すアニメこそが自然主義リアリズムを貫徹できるという立場に立つ。対する宮﨑駿は、かつて押井守が批判した「塔から飛び降りてしまうコナン」問題が代表する反自然主義的な表現、彼のいう「漫画映画」的な表現こそがアニメのポテンシャルであるとする。
片渕さんの軸足は高畑的なものにあるのだけど、『アリーテ姫』【1】や『マイマイ新子と千年の魔法』【2】がそうであったように「アニメだからこそ獲得できる自然主義リアリズム」をストレートに再現するのではなく、常に別の基準のリアリズムと衝突させることでアニメを作ってきた。比喩的に言うと、本作はその集大成で、“高畑的なもの”と“宮﨑的なもの”がひとつの作品の中でぶつかっていて、しかもそれがコンセプトとして非常に有効に機能している。そういう意味で、戦後アニメーションの集大成と言ってもいいんじゃないかと思いますね。
【1】『アリーテ姫』:01年公開の、片渕監督の出世作。制作はSTUDIO 4℃。
【2】『マイマイ新子と千年の魔法』:09年公開。片渕監督の代表作。制作はマッドハウス。
中川 そうした大前提の上で、原作が持っていたコンセプトとのズレや違和を語るなら、こうの史代の幻想文学性とでもいうべきものが、映画では児童文学性に置き換えられて失われてしまった部分もある。片渕さんは「子どもだから見ることのできる世界」といった児童文学的なものへのこだわりが非常に強く、これはむしろ“宮崎的なもの”に近い。
『この世界の片隅に』は、周りから大人になることを押し付けられて嫁に行ったすずさんの日常の鬱憤が、最終的に戦争という理不尽さの受け止め方につながる構造になっている。映画では周作と水原哲に対するすずさんの目線は、子どもでいたかった人が大人の性愛関係を拒絶するように描かれている。それは、片渕さんがすず役の声優として、『あまちゃん』以来ユニセックスなイノセンスを持ち続けているのんという女優にこだわったことにも表れています。でも、こうのさんはミニマムな人間関係の中で表出する世界の残酷さに対する感性が非常に高い人で、『長い道』【3】でも描かれたように、こうの作品のヒロインは大人の性愛関係を前提に織り込んだ上で、男性との間の丁々発止のバーター関係を築いている。その違いが、片渕さんによるこうの史代解釈の限界とも感じました。
【3】『長い道』:訳ありで結婚した夫・壮介と妻・道の、穏やかだが奇妙な生活を描いた短編連作集。01~04年連載。
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神話構造論を揺り動かすCLAMPキャラクターの物語生成力/『石岡良治の現代アニメ史講義』第5章 今世紀のロボットアニメ(7)【不定期配信】
2017-05-26 07:00
「日本最強の自宅警備員」の二つ名を持つ批評家・石岡良治さんによる連載『現代アニメ史講義』。今回は、『コードギアス』が今もなお男女双方から人気を集めている要因を、「CLAMP原案キャラクターがもつ機能」に着目して読み解きます。(※5/29(月)20:00より、石岡さんの月1ニコ生「最強☆自宅警備塾」も放送予定! 2017年の春映画をがっつり総括します。視聴ページはこちら)
いまだ根強い人気を誇る『コードギアス』と『カードキャプターさくら』
2017年は日本のアニメーション100周年にあたり、歴史を振り返る企画が色々立てられています。1917年の『なまくら刀』(現存する最古作品)など貴重な作品を見ることができるアーカイブサイトの「日本アニメーション映画クラシックス」、そして初期アニメーション史についての現在の成果を知ることができる京都国際マンガミュージアムの「にっぽんアニメーションことはじめ~「動く漫画」のパイオニアたち~展」を挙げることができるでしょう。
そしてNHKのサイト「ニッポンアニメ100」の関連企画でweb投票が行われ、5月3日に集計結果が発表されました。同一タイトルであってもシーズンごとに別集計、劇場版もそれぞれ別作品とみなすというルールのためもあってか、ベスト10に『TIGER & BUNNY』と『ラブライブ!』が3つずつ現れるという結果になってしまい、そこに歪みをみた人も少なからずいたようです。本連載の観点から注目されるのは、『コードギアス反逆のルルーシュ』(一期)が総合7位にランキング入りしていることで、男性だと10位、女性だと8位になります(『R2』は総合15位、男性31位、女性9位)。様々なバイアスが予想されるとはいえ、これはかなり高い順位であり、本連載の観点からも興味深い結果です。
このランキングで示唆的なのは、『コードギアス』と『カードキャプターさくら』の高評価が連動しているように思われることでしょうか。『カードキャプターさくら』は総合8位、男性20位、女性7位となっており、NHKで放映された魔法少女ジャンルものということもあって、CLAMP作品では最も広範な層に受け入れられた作品です。かつては主人公さくらが「萌え」の典型として語られたこともありましたが、現在振り返ってみると最も興味深い要素は、作中に現れる「カップリング」が、性差や年齢など、考えうるあらゆる組み合わせから成り立っていて、それらがすべて「当たり前」のものとして成立しているところだと思います。CLAMP作品ではしばしば「必然」が強調されるため、「いったいなんの必然性が主張されているのか」の内容次第では「自由」の余地が狭まるように思えるかもしれません。けれども『カードキャプターさくら』が明確に示しているように、実質的には「実社会では周縁化させられてしまう関係性」もまた必然だと主張しているわけで、多様な関係性のあり方が肯定されていたわけです。
CLAMPキャラクターが起こした化学反応
『コードギアス』をロボットアニメとしてみたときの興味深い異質性として、アッシュフォード学園要素があることについてはすでに触れました(猫のアーサーに仮面を奪われるピンチで話を作るなど)。要するに、戦争をしながら学園生活を送るという、一見無茶な設定から生まれるエクストリームな展開が、本作に独自の魅力を与えているわけです。近作『ID-0』(2017)を含めた他の谷口悟朗監督作品が、基本的には手堅い人間ドラマを繰り広げるものであるために、『コードギアス』のキャラクターたちの「相関図」の錯綜ぶりが際立っています。その理由としては、先に『カードキャプターさくら』についてみたような、CLAMP原案であるがゆえに可能となったキャラクター配置があるのではないかと考えています。
『コードギアス』は時期的には『xxxHOLiC』の頃のデザインで作られていますが、スザクに『カードキャプターさくら』の李小狼のような「正統派ヒーロー」を期待した人は放映前には(放映中も)けっこう多かったように思います。けれども実際にはご覧の通りで、「ダークヒーローのルルーシュと正統派のスザクが対峙する」という展開にはなりませんでした。むしろスザクのほうが「闇」が深いキャラだったため、いい意味でトリッキーな展開を生んでいたわけです。これはCLAMPがシナリオをやっていたらまずありえないことで、また他の谷口悟朗監督作品でも起きていないことです。シリーズ構成の大河内一楼やシナリオの吉野弘幸が『コードギアス』以後に担当したアニメには、一部「ポストギアス」的なエクストリームな人間ドラマもみられますが、必ずしもうまくいったとはいえません。つまりここにはある種の「ケミストリー」が生じているわけです。そこにはCLAMP的な「必然性」を主張するキャラクターたちが織りなすドラマの力が大きく作用しているのではないでしょうか。
▲「週刊少年マガジン」で2003年から連載開始したCLAMPの『ツバサ―RESERVoir CHRoNiCLE』では、小狼のCLAMP的ヒーローキャラクターとしての側面が強く出ている。(画像はAmazonより)
▲『コードギアス』の枢木スザク。『ツバサ』連載初期の小狼のキャラクター造形からの影響を感じさせる。(画像はアニメ公式サイトより)
例えばスザクの乗るランスロットのメカニック担当のロイドは、この種のアニメによく出て来る、すべてをモノ扱いする一種のサイコパスじみた科学者ですが、その信念が徹底されている結果、「イレヴン」である日本人のスザクを差別することもなく、フラットに能力主義で評価する好人物となっています。他方ロイドの弟子となる同じく眼鏡キャラのニーナは、名字が「アインシュタイン」であることに始まり、ロイドと対比的に造形されており、科学的天才であるとともに明確に「イレヴン」を憎悪するレイシストでもあり(とはいえそこには日本人に暴行されかかったという明確な理由があるのですが)、大量破壊兵器「フレイヤ」を開発し、日本に投下するに至ります。このように明らかに視聴者の感情を逆なでする役割を担うキャラなのですが、他のアニメであれば無残な最期を遂げてもおかしくないにもかかわらず、終盤ではルルーシュと手を結ぶという展開が控えています。
▲『コードギアス』のロイド・アスプルンド。(画像はアニメ公式サイトより)
▲『コードギアス』のニーナ・アインシュタイン。(画像はアニメ公式サイトより)
『コードギアス』のキャラたちには、すべてある種の「類型」が期待されており、多くの場合はその期待に沿って動いていきます。けれども重要な場面では「テンプレ」的なシナリオから逸脱していくために、正負の両面で強い印象を残すのではないでしょうか。典型的なのは扇要の扱いでしょう。初期は優柔不断ながらも抵抗運動の良心を担い、無力でやや「無能」ながらも優しい良心派キャラに落ち着くとみられていましたが、最終的にブリタニアのヴィレッタと結婚し、日本の首相になるという「一人勝ち」状態に至る過程における数々の「クズ」なふるまいもあり、おそらく作中最も嫌われたキャラです(新シリーズにおける扇の扱いがいったいどうなるのかは、興味を惹くポイントの一つです)。ニーナや扇をめぐる『コードギアス』ファンの感情の揺れは、他のアニメであれば作品人気そのものを危機に晒すおそれのあるタイプのものですが、政治的要素のシャッフルも含めて、特定タイプのキャラに対する好悪感情をも「等しく逆なで」しているのが興味深い特徴となっています。つまり、どんな人であっても作中キャラの誰かの言動に苛立ちを覚えるように人間関係が構築されているわけです。
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多忙を極めた4月を振り返る|周庭
2017-05-25 07:00
香港の社会運動家・周庭(アグネス・チョウ)さんの連載『御宅女生的政治日常――香港で民主化運動をしている女子大生の日記』。第8回の今回は、周庭さんが最も大変な時期であるという4月の忙しさを振り返りながら、香港の政界で起きている事件を解説します。(翻訳:伯川星矢)
御宅女生的政治日常──香港で民主化運動をしている女子大生の日記第8回 多忙を極めた4月を振り返る
やっと大学生活で最も忙しい時期を耐え抜きました。レポートを4本提出し、数え切れないほどの課題とプレゼンをこなし、3科目の試験を受け終わり、あともう1科目の試験でこの学期が正式に終わります。こういう時期には、立法会のパートタイム政策研究員、英語の家庭教師、政党業務、そして学生を兼任する辛さを深く感じてしまいます。
▲香港衆志は1周年を迎えました。
香港の大学は9月から始まります。9月から12月が第1学期で、1月から5月が第2学 -
【特別配信】落合陽一 〈近代〉を更新するテクニウムたち――ジャパニーズテクニウム展ガイド
2017-05-24 07:00
落合陽一さんのメディアアート作品を展示した展覧会「ジャパニーズテクニウム展」が、東京都千代田区紀尾井町のヤフー本社内で開催されています。日本で生まれたテクノロジーの生態系は、いかにして〈近代〉という概念を更新するのか。出展作品の中から8点を取り上げ、落合さん自身が解説を行います。
ジャパニーズテクニウム展
開催期間:2017年4月28日(金)~5月27日(土)
開館時間:平日16:00~21:00/土日祝13:00~21:00 (最終受付は20:30)
開催場所:東京都千代田区紀尾井町1-3 東京ガーデンテラス紀尾井町 紀尾井タワー 18F
ヤフー株式会社 東京ガーデンテラス紀尾井町オフィス
https://about.yahoo.co.jp/info/event/japanese_technium/
落合 みなさん、ジャパニーズテクニウム展へようこそ。このタイトルにある「テクニウム」とは「テクノロジーの生態系」という意味です。元WIRED創刊編集長ケヴィン・ケリーの言葉で、彼は「テクノロジーは発展の過程で、自然淘汰のように環境に最適化されたものが残っていく。そこには進化論に似た遺伝子的な文脈があるのではないか」というようなことを言っています。
日本におけるテクノロジーの生態系――ジャパニーズテクニウムは、僕たちの周囲に満ち溢れています。たとえば、温かい状態で出て来るおしぼり、湯切りの穴の空いたカップ焼きそば、トイレに付いているウォシュレット、触れるだけで開く自動ドアのボタン。工業化社会によって一般化した技術は、日本的な美的感覚や身体性と結びつくことによって、新しい非言語的な表現として現れています。こういったテクニウムの登場によって、我々の世界認識は大きく変化してきたはずです。
たとえば、江戸時代に確立された日本特有のアートである「浮世絵」、これは凸版方式の印刷技術によって作られています。そして、日本画の伝統的な「雨」の表現は、このテクノロジーによって際立って洗練されました。
このように、表現に関わるテクノロジーが再発明されたときに、それがメディアなどを通じて、どのような構造を新たに生み出すのかを思考する、その行為自体が、ひとつのメディアアートとして成立するのではないか、というのが本展覧会の趣旨です。
僕たちはもれなくジャパニーズテクニウムに属しています。それはこの展覧会の作品を見ていくことで自然と理解できるはずです。それでは、さっそく作品を紹介していきましょう。
Optical Marionette/オプティカルマリオネット
ヘッドマウントディスプレイ(HMD)を用いて「現実とやや異なった現実」を見せることにより、外部から人間の歩行方向を操作するシステムです。
HMDには3Dカメラで撮影した装着者の前方の風景が表示されていますが、その映像に特殊な処理を施すと、真っ直ぐに歩いているつもりなのに、勝手に歩く方向が曲がっていきます。本人はA地点に向かって歩いたつもりが、気付いたらB地点に着いてしまう。人間の行き先をラジコンのように遠隔操作できてしまうわけです。
人間の脳は、身体の方向感覚よりも視覚の方を優先します。だから、視覚をちょっといじるだけで、足は意図しない方向に向かってしまう。その実験を何度も繰り返し、結果に逆行列を掛けることで、人間を遠隔操作して狙った方向に向かって歩くようにできます。
VRの分野では、プレイヤーの知覚を操作して、狭い部屋をぐるぐる回っているのに、広大な空間を歩いているように感じさせる、Redirected Walkingなどの研究が数多くありますが、それを応用して、現実空間の人間の動きをコントロールできるようにしたのが、この研究の面白いところです。
この技術は車椅子で移動している人にも効果があるので、車を運転している人にも使えると思います。こうなると人間とロボットの区別は、ほとんどつかなくなってきますよね。
Telewheelchair/テレウィールチェア
この展覧会の重要なテーマに「脱近代」があります。「障害を持った人間」という概念が現れたのは近代以降で、それは工業化社会が「均質的な人間」を規定したときから始まっています。
僕たちの社会には「障害」を顕在化させる装置がいくつもあります。たとえば、街中でよく目にする点字ブロック。視覚障害者をサポートするための設備ですが、利用していると周囲の人に「あの人は目が不自由なんだ」とすぐ分かります。こういった技術を環境ではなく人間側で備えることができれば、障害の有無というのは気にならなくなるはずです。
これは自動運転機能を備えた車椅子です。これまでの車椅子は介護者が安全を確認しながら動かしていましたが、それを全天球カメラとAIに置き換えて自動運転で走行するようにしています。もちろん危険性もありますが、そのときはVRでの遠隔操作によって第三者がコントロールに介入できます。もっとも遠隔操作が必ずしも安全とはいえません。『マリオカート』みたいにクラッシュしたら大変なことになります。そこでVR側にも障害物感知と環境認識を組み込んで、AIで常に動きを監視するようにしています。コンピュータの監視のもとで、人間と人間が良好な関係を築けるようなモビリティとして設計しました。
僕も開発中に何度も乗っていますが、何も操作せずに本を読んでいても、勝手にどこかへ連れて行ってくれるので非常に楽しいですね。こういった自動運転技術が当たり前になって、皆が座った状態で他の作業をしながら移動するのが普通になったら、足が不自由だとかは分からないし誰も気にしなくなる。多くの人が当たり前に眼鏡をかけている現代は、伊達メガネなのか本当に視力が悪いのかいちいち気にしませんよね。点字を利用していれば目が不自由だと分かりますが、OCR(文字認識)による自動読み上げが普通になれば最初から気にならない。このように近代が規定した「障害」という概念の更新、テクノロジーによる「脱近代」を意識しながら取り組んでいます。
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古川健介『TOKYO INTERNET』第9回 東京における金銭的資本と文化的資本の交差点はどこなのか
2017-05-23 07:00
「けんすう」こと古川健介さんが日本的/東京的なインターネットの特質に迫る連載『TOKYO INTERNET』。今回は、日本のモバイルゲーム特有の課金システム「ガチャ」と、この国に脈々と受け継がれる「キャラクター文化」の接点について考察します。
東京における金銭的資本と文化的資本の交差点はどこなのか
(イラスト:たかくらかずき)
さて、今回のTOKYO INTERNETから、いよいよ「東京が生み出すべき次のネットサービスは何か」というところを考えていきたいと思います。
その前に、まず連載の目的である「都市の土壌を使った次のネットサービスを作る」のには何が必要かという整理をしたいと思います。
結論からいうと
・金銭的資本
・文化的資本
の2つが必要であり、この2つが交差する点に、次のネットサービスの種があるのではないかと思っています。金銭的資本は「雨」のようなもので、文化的資本は「土」のようなものです。雨がきちんとふっていて、かつ豊かな土壌があってはじめて、ネットサービスという芽がでるのです。
この連載の前半では、様々な角度から東京にある、ネットサービスを作る上で活用できそうな文化的資本について考えていきました。なぜ文化的資本についてから考えていったかというと、「日本から世界に出ていくサービスがほとんどないのは、ベンチャーへの投資金額が少ないからだ」という結論になりやすいからです。
もちろんネットサービスを大規模に立ち上げるとしたときにはお金の問題は避けて通れず、どれだけイノベーションに大規模に投資できるか、というところで勝負が決まったりしがちなのです。
しかし、日本において「グローバルサービスは全世界に広がるものなので地域差はない。なので、どこの国からも生まれる可能性がある」という前提に立ちすぎているせいで、文化的資本に関する議論が日本においてあまりに少なく、結果としてネットサービス作りにおいて参照となる言論がない、という課題感を感じています。この連載ではまずそこを埋めたかったのですね。
この連載の初期のあたりで言及したとおり、GoogleやFacebookなどのグローバルサービスが普遍的であるため、どこの地域から生まれてもおかしくなかった、というわけではありません。むしろ、あのようなサービスは「アメリカのシリコンバレーだからこそ生まれた&育った」というほうが的確だと考えています。なので、日本がシリコンバレーで作られるようなサービスを作るのは難易度があがってしまうのです。
というわけで、連載の前半でテキストサイト文化や絵文字、匿名でのコミュニケーションサービスについて深く考察していったわけです。
そして、後半で、i-modeをはじめとするモバイルでの課金の強さなどを元に金銭的資本についても考えていっていきました。そして、今回、そして次回の記事で、本連載の結論部分に入っていきます。その結論に入るということは、前述の通り「金銭的資本と文化的資本が交差するのはどこか」というところを考えていく必要があると思っています。
まず、本記事では、その交差するうちの、大きな1つの点について考えていきたいと思います。
東京ではエコシステムをどう回せるか?
文化的資本と金銭的資本が交差するところはどこか?を考える前に、まず、日本 / 東京という地理において、金銭的資本をどうするのか、という点をもう一度整理してみましょう。それには「エコシステム」が必要です。
エコシステムとは生態系、といった意味ですが、インターネットベンチャー業界では、よく「世代を超えてお金や知識などのリソースが回ることで、ビジネスの生態系が回っていること」という意味で使われます。
たとえば、もっともエコシステムがうまくいいっているシリコンバレーでは、
・テック企業が成功をする
・そこで得た資金を次の世代に投資する
・新規参入社たちが多産多死の状態で様々なイノベーションを試むようになる
と言う形でまわっています。そうして生まれた企業の一部が生き残り、巨大企業になっていったり、M&Aをされることで大企業のイノベーションの源泉になったりしています。
いわば、GoogleやFacebookのような圧倒的に成功したインターネット企業のお金が、同じ地域内でぐるぐる廻ることで、地域全体が巨大なラボのようになっていっているのがシリコンバレーの強さなのです。
この連載のテーマである、地域からサービスが生まれる、という主張の背景には、文化面以外にも、このような金銭面での理由もあるということです。
このような、エコシステムがあってはじめて、その地域からイノベーションを起こす企業がたくさん生まれるようになるわけです。
一方で、日本ではまだ地域のエコシステムが回り始めたくらいなので、まだまだという状態です。
筆者の話でいうと、2009年にnanapiというハウツーメディアの運営する会社の創業をするのですが、その時にエンジェル投資家として投資してくれたのが、小澤隆生氏という、楽天にビズシークという自分の会社を売却した人でした。そして、nanapiも2014年にM&Aをされています。
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【春の特別再配信】京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録 第3回 〈週刊少年ジャンプ〉の終わりなき日常
2017-05-22 07:00
「2017年春の特別再配信」、第6弾は本誌編集長・宇野常寛による連載『京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録』の第3回です。今回からは少年漫画がテーマ。敗戦国のマチズモの否定と〈アトムの命題〉の影響下にある少年漫画は、トーナメントバトルという成熟なき成長の形式を生み出しました。80〜90年代の〈週刊少年ジャンプ〉黄金期とその終焉から、戦後日本人の男性性の内実を解き明かします(この原稿は、京都精華大学 ポピュラーカルチャー学部 2016年4月29日の講義を再構成したものです/2016年6月17日に配信した記事の再配信です )。
宇野常寛が出演したニコニコ公式生放送、【「攻殻」実写版公開】今こそ語ろう、「押井守」と「GHOST IN THE SHELL」の視聴はこちらから。
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戦後日本と男性性の問題
今回の講義は「少年漫画」がテーマです。みなさん、少年漫画というと何を思い出しますか? 今時の学生だと『ONE PIECE』『NARUTO』『名探偵コナン』といったあたりですかね。『ドラゴンボール』も再編集版アニメを放送しているので馴染みが深いかもしれませんね。
これらの作品を産んだ週刊少年ジャンプ、週刊少年マガジン、週刊少年サンデーといった週刊少年誌は、発行部数を見れば一目瞭然だと思いますが50年代末から現代に至るまで日本の漫画シーンの中心にあり続けています。老舗の〈サンデー〉はこの10年で大きく部数を減らして潰れかけていますが、〈ジャンプ〉と〈マガジン〉は最盛期にくらべればだいぶ減りましたがまだまだ健在です。ざっというと〈ジャンプ〉が約245万部で〈マガジン〉が115万部くらいかな? これは同じ漫画週刊誌でも〈モーニング〉が約26万部、〈ビッグコミックスピリッツ〉が17万部くらいなので、どれくらい週刊少年誌が大きな存在か分かると思います。そして、これら週刊少年誌の人気漫画はだいたいアニメ化されるので、より大きなポピュラリティを獲得することが多いです。とくに、60年代から90年代まではテレビの支配力が今とは比べ物にならないくらい大きかったので、この時代に子供だった世代は最大の共通体験が少年漫画だと言っても過言ではありません。戦後社会において漫画はある時期からずっと雑誌を基点とした少年少女文化の中核に位置していました。
そこで出てくるのが、「成熟」をいかに描くかという問題でした。戦後日本では1960年代頃すでに漫画文化が普及していたのですが、多くの場合は少年少女向けの雑誌に掲載されていたことになるのだけれど、それは媒体の対象読者の年齢層的に登場人物の成長を描かざるを得なかったことを意味します。その結果、「成熟」をいかに描くかという問題が戦後漫画の、とくに少年漫画の中核には存在し、その性格を決定づけたと言えます。
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猪子寿之の〈人類を前に進めたい〉第20回「都市生活者が忘れてしまった時間感覚・位置感覚を取り戻したい!」
2017-05-19 07:00
チームラボ代表・猪子寿之さんの連載〈人類を前に進めたい〉。今回は、まもなく北京で開催される大規模な展覧会での新作から、現在計画中という「森のアート展」についてまで語りました。彷徨いながら、自分すら失うアート体験とは?(構成:中野慧)
「彷徨(さまよ)って、そして自分すら失う」展覧会
猪子 この5月から10月までの5ヶ月間、北京で大規模な展覧会をやるから、今回はその紹介をしたいのね。中国語でのタイトルは「花舞森林与未来游乐园」。つまり、花舞森林と、未来の遊園地の展覧会。
今回初公開の『花の森、埋もれ失いそして生まれる』(以下、『花の森』)が、会場全体を、まるで覆うように花が咲いている。場所によって咲いている花が異なっていて、とある場所では最初は5月の花が咲いているけれど、やがて6月、7月の花になり、逆に手前の空間が5月の花になり……というふうに、空間全体で花の分布が変わっていくの。
▲『花の森、埋もれ失いそして生まれる』
猪子 会場では、『花の森』が全体に展示されているなかに、他の作品が展示されている小さな空間や大きな空間があるの。花の分布は移り変わるから、ある作品の空間に入って、そこから戻ってきたら、景色が変わっているのね。さっきまでは目の前に咲き渡っていたヒマワリが、いまは向こうの方で咲き渡っている、といったような。
全体の花の分布が動いていくことによって、鑑賞する人は方向感覚を失って森に迷い込んでしまったようになる。まるで彷徨うように、そして彷徨っていくなかで、自分と作品の境界すら失っていく中で、いろいろな作品を見たり体験したりしてほしい、と思っているんだ。
宇野 なるほど。展示自体をひとつの作品で包み込むって、チームラボの作品では意外と今までやってこなかったよね。複数の作品を同じ空間に展示するもの(『teamLab: Transcending Boundaries』(London, Jan 25 - Mar 11, 2017))はあったけれど。
猪子 『花の森』が、その他の作品たちをゆるやかに包み込んでいて、鑑賞する人はその世界を彷徨いながら、作品の中に埋もれていくようなかたちにできたらいいな、と思う。
それと今回のメインになる新作は「Fleeting Flower」シリーズといって、『菊虎』、『牡丹孔雀』、『向日葵鳳凰』、『蓮象』という4つの連作なんだ。
▲『菊虎』
▲『牡丹孔雀』
▲『向日葵鳳凰』
▲『蓮象』
猪子 たとえば『菊虎』は、小さな菊の花がびっしりと咲ていくの。咲いていく菊の花々の中に、虎のイメージが描かれていく。花が咲き渡るにつれ、虎のイメージが明瞭に浮かび上がってくる。そして、花はやがて散るんだけど、それぞれの花は、散る瞬間にそのイメージを固定し、イメージの一部ごと散っていく。散った花とともにイメージの一部は消えんだけど、再び咲いてくる花によってイメージの部分は再び補われて、他の花々とともに、イメージ全体を描き出していくんだ。
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【最終回】加藤るみの映画館(シアター)の女神 2nd Stage ☆ 第12回『カフェ・ソサエティ』『スウィート17モンスター』【毎月第2木曜配信】
2017-05-18 07:00
バラエティに富んだ趣味を生かして活躍中のタレント・加藤るみさんの映画コラム『映画館(シアター)の女神』は、今回で最終回を迎えます。紹介するのは現在上映中の2作品、ジェシー・アイゼンバーグの出演作『カフェ・ソサエティ』と、アメリカン青春コメディが大好きなるみさんが「傑作」と太鼓判を押す『スウィート17モンスター』です。
どうも、初夏という言葉が好きです。加藤るみです。
最近、夏はもうすぐそこにあるというくらい、温かい気温に恵まれた日が続いていますね。
私は田舎で生まれ育ったせいか、すでに半袖一枚で過ごす日があるほど……。
早すぎ? 夏が待ち遠しい、今日この頃です。
さて、
今回のコラムは、私の“好き!!”が詰まった2本をオススメします。
ウディ・アレン監督最新作『カフェ・ソサエティ』と、
こじらせ女子に贈りたい青春コメディー映画『スウィート17モンスター』をご紹介。
只今、劇場で上映中の新作映画。
ぜひ、観に行ってもらいたい私のイチオシです。
~大人のためのおとぎ話~
『カフェ・ソサエティ』(出典)
ここ最近のウディ・アレン作品の中で最もゴージャスな仕上がりとなったのが、本作『カフェ・ソサエティ』である。
豪華なキャストはもちろんのこと、ハリウッドとニューヨークを舞台にビター&スウィートな世界に酔いしれることは間違いない。
そして、毎度ながらのお楽しみであるウディ・アレン節が炸裂する人生&恋愛の教訓はクスクス笑えるポイントが満載だ。
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