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  • ニューヨークのイノベーションシーンについて(後編)#1|橘宏樹

    2023-08-29 07:00  
    550pt

    現役官僚である橘宏樹さんが、「中の人」ならではの視点で日米の行政・社会構造を比較分析していく連載「現役官僚のニューヨーク駐在日記」。さまざまな人種、あらゆる分野の企業のるつぼであるニューヨークではどのようにイノベーションが起きているのか。今回はファッション業界で国際的なイノベーションをリードしている日本のプロジェクトを紹介していただきました。

    橘宏樹 現役官僚のニューヨーク駐在日記第11回 ニューヨークのイノベーションシーンについて(後編)#1
     おはようございます。橘宏樹です。8月のニューヨークは7月に比べて少し涼しく感じます。しかし、過ごしやすいなどと、のんきなことを言っていられる状況ではありません。現在、ニューヨークでは、移民の増加が大問題になってきています。中南米やアフリカからの移民は陸路でメキシコ側の国境を通り、テキサス州やアリゾナ州にたどり着くわけですが、これらの州の知事は共和党で、バイデン政権の移民受け入れ政策に「寛容過ぎる」と批判的です。なので、これらの州では移民たちをバスに乗せて、移民受け入れに寛容なニューヨーク市に送り込むということを行っています。ニューヨーク市は、在留資格を問わず、全ての人に、無料で、教育・医療・食料・住宅を提供することを法律で定めています。過酷な旅を経た貧しい彼らがほっと一安心できるという点ではよいのですが、その反面、移民たちのケアのために、ニューヨーク市の財政は超絶悲鳴を上げているという状況です。最近では、住宅の提供が追いつかず、路上生活者が溢れてしまっている状況です。私の住んでいるエリアでも間違いなくホームレスが増えています。炎天下が続いた7月など非常に過酷だったろうと思います……。
    NY市、移民殺到で施設がパンク 路上生活余儀なく(日経新聞 2023年8月3日)
    NY州のメディケイド、1000億ドル突破へ 流入移民で増加、史上空前規模(DailySun New York 2023年8月2日)
     アダムズNY市長はホークルNY州知事に財政措置を要求したり、ニューヨーク市近郊の他の街の受け入れを求めたりしていますが、治安悪化や財政負担への懸念から断る自治体も多く、上手くいっていません。
     また、移民に住宅を確保するために廉価なホテルやアパートを市が借り上げているため、マンハッタン内のホテルは軒並み値上がりし、ごく普通のビジネスホテルに泊まるだけで1泊3万円かかるような状況です。地価も上昇し、家賃が払えず潰れていくレストランが続出しています。我々のお気に入りの、比較的リーズナブルな和食レストランも立て続けに閉店してしまいました。テレワークの浸透でマンハッタンに出勤してくる人が減りお客さんがいなくなってしまっていることも背景にあります。住宅不足と空き店舗。非常にちぐはぐな状況です。
     人権尊重を重視するか。ハングリーで多種多様な移民が今日のアメリカを築いたと考えるか。治安悪化や財政負担を受け容れるか。国境コントロールは連邦政府が行いますが、共和党の現在最有力の大統領候補であるトランプ前大統領は、はっきりと移民受け入れに反対です。移民問題は、間違いなく、来年の大統領選挙の争点になってくることでしょう。
     
    ▲NY市の移民向けのガイド。日本語版もあります。全ての人に医療・教育・保育・食料・住居を与えるとあります。
     さて、今回は、ニューヨーク界隈のイノベーションシーン三部作の最終回です。前編ではジョンソン・エンド・ジョンソンの「帝国的」イノベーションエコシステムの凄味について、中編ではブルックヘブン国立研究所が基礎研究で世界を制し続けていることの意味についてお話ししました。
    ニューヨークのイノベーションシーンについて(前編)|橘宏樹(遅いインターネット)
    ニューヨークのイノベーションシーンについて(中編)|橘宏樹(遅いインターネット)
     最後に、ニューヨークでイノベーションを起こしている日本勢を2例ご紹介したいと思います。
    1 日本の伝統×海外のデザイン「サクラコレクション」
     一つ目はファッション業界からです。ニューヨークは、言うまでもなく、世界有数のファッショントレンドの発信地です。毎年2月と9月に開催される「ニューヨーク・ファッション・ウィーク」では、マンハッタン内のあちこちで世界の新進気鋭のデザイナーがコレクションを競い合い、新しい流行を作りだしています。もちろん、五番街に旗艦店がズラリと居並ぶセレブ向けのハイブランドも強い発信力を持っています。  そもそも、ニューヨークは、普段、街を歩く人々からして、だいぶ個性的な服装をしています。パーティー文化が盛んなので、日本人は到底着ないような非日常的な服装で街中を歩く人々はまったく珍しくありません。よくファッションショーの映像で奇抜なコレクションを目にするとき、僕を含む日本人は、こんなの普段着れるわけないよなあ、と思って見ていますが、ここでは違うのです。普通に「ああいう服」を着るのです。ニューヨークには、ああいう服を着て歩ける街、着ていく場所があるのです。このマーケット認識は日本国内の感覚と根本的に異なるので注意が必要です。
    2023年春夏ニューヨークSNAP──ファッションの歓びとエネルギーに溢れた、百人百様のストリートスタイル。(VOGUE Japan)
    https://twitter.com/H__Tachibana/status/1688047891351314432?s=20https://twitter.com/H__Tachibana/status/1688048181571989506?s=20https://twitter.com/H__Tachibana/status/1688048551517880320?s=20
    ▲ニューヨーク・ファッション・ウィーク2022のとある会場の様子。作品もさることながら、観覧者たちの服装の方がむしろ尖ってた印象……
     そんな個性が溢れる街ニューヨークですが、我らが日本も、当地で十二分に戦える強い個性を持っています。それは伝統織物です。日本の津々浦々には、西陣織、佐野正藍、遠州紬、加賀友禅などなど、非常に美しく高品質な伝統織物がたくさんあります。僕自身は、それほどファッションに詳しいほうではないですけれど、それでも、様々なセンスが入り混じる文化のるつぼニューヨークで暮らしていると、多少目が肥えてくるところはある気がしていて、日本の高級な伝統素材の持つ柄や質感のユニークさには、贔屓目を抜きにしても、あらためて際立つものを感じさせられます。個性の溢れる場所では、価値なき個性は埋もれるのでしょうが、価値ある個性はますます輝いて見えてきます。イブ・サンローランの言葉のひとつに、「ファッションは廃れる。スタイルは永遠だ。」というものがありますが、日本の伝統織物は、まさしくある種の「スタイル」を体現しているんだろうと思います。  実際、こちらのインテリアデザイナーの方が伝統織物を手に取って本当に感激しながら、半ば眩しそうな顔をして検分している様子を見たことがあります。おそらく、日本人が、国内でとても良質なペルシャ絨毯とか、フランスの本物のタペストリーなどを見かけたときに感動を覚えることがあるように、ニューヨーカーもまた、こうした日本の伝統素材に対し、文化の違いを超えた畏敬の念を抱くようです。
    ▲とあるクラブ内の一室。日本の伝統織物の柄や手触りに興味津々
     しかし、日本の織物をそのままニューヨークに持ってきて、軒先に反物を並べてみても 大したフィーバーは起きません。『鬼滅の刃』のコスプレイヤーなど余程の日本好きや日系人以外、和服は着ません。当然ですが、その地域の文化にカスタマイズさせて、定着させること。すなわちローカライズすることが重要です。ではいかにしてローカライズすればよいか。ここが超難題で誰もが悩んでいるポイントなのですが、正解への道筋自体はいたってシンプルです。その地域の人に使ってもらえばよいのです。
    ▲僕も参加しているNPO法人ZESDAが研究・イノベーション学会と共著で書籍「新版プロデューサーシップのすすめ」を出版しました。「和」を尊ぶ日本らしいイノベーション手法としての「プロデュース」について掘り下げています。以前PLANETSでの連載を取りまとめて出版した「プロデューサーシップのすすめ」を大幅リニューアルしたものです。幅広い分野でのプロデュース事例も豊富に所収しています。ぜひお手に取ってみてくださいませ。
     
  • 【特別掲載】ホモ・ルーデンスの夏休み、夏の夜の夢──アートとゲームの野生を解放する二つのドリームタイム|中川大地

    2023-08-22 07:00  
    550pt

    本日のメルマガは、PLANETS副編集長・中川大地がコンセプト監修を務める、現代アートとインディーゲームの今を発信する展覧会「art bit – Contemporary Art & Indie Game Culture- #3」(会期:2023年7月5日〜9月2日)の開催を記念し、前回につづき同展をめぐる解説論考をお届けします。 20世紀における現代アートとビデオゲームの発展をリマインドしながら、その歴史を打ち返すようなコンセプトを掲げて展示作品を選定してきた前2回のart bit展。その文脈を踏襲しながらも、2023年はコロナ禍による行動制限が緩和されたことを受け、〈ホモ・ルーデンスの夏休み、夏の夜の夢〉と題して、さらに多様かつダイナミックなキュレーションが試みられています。遊びやゲームの奥底にある「野生の思考」との再会を期した同展のコンセプトの模索過程とは? (初出:「art bit – Contemporary Art & Indie Game Culture- #3」展示フライヤー(ホテルアンテルーム京都、2023年))
    【告知】 ■art bit - Contemporary Art & Indie Game Culture - #3 会期:2023年7月5日(水)〜9月2日(土) 会場:ホテル アンテルーム 京都 GALLERY9.5 入場料:無料https://www.uds-hotels.com/anteroom/kyoto/news/17075/ 2011年の開業以来、「常に変化する京都のアート&カルチャーの今」を発信してきたホテル アンテルーム 京都と、2013年より続く日本最大級のインディーゲームの祭典「BitSummit」との出会いから生まれた本展では、現代アートのゲーム性とインディーゲームの芸術性という、合わせ鏡のような魅力とクリエイティビティのルーツに注目。互いのカルチャーの垣根や、アーティストやクリエイター、研究者といった立場を超えた人と人との交わりから、アートとゲームの新たな可能性を追求しています。 3年目となる本年は「ホモ・ルーデンスの夏休み、夏の夜の夢」をテーマに、わたしたち人間の持つクリエイティブな野生や遊び心を解き放つ多彩な作品を展示します。 ■ギャラリートーク&レセプション 「アート&ゲームの最前線 〜BitSummitとart bit から考える2025への道筋〜」 日時:2023年8月27日(日)19:00〜20:30 会場:ホテル アンテルーム 京都1F 出演(予定):村上雅彦、石川武志、尾鼻崇、中川大地、豊川泰行 11年目に踏み出したBitSummit Let’ GO、およびart bit #3の運営の舞台裏とゲームカルチャーをめぐる最新動向を振り返りつつ、大阪万博2025を控えた関西の地でアートとゲームに何ができるのかを展望します。
    ホモ・ルーデンスの夏休み、夏の夜の夢──アートとゲームの野生を解放する二つのドリームタイム|中川大地
     現代アートのゲーム性とインディーゲームの芸術性を合わせ鏡のように展示することをコンセプトに掲げた展覧会「art bit – Contemporary Art & Indie Game Culture- 」も、今年で3回目を迎える。新型コロナウイルスのやり過ごし方に日本社会が一応のガイドラインを示した2023年の展示テーマは、当初は〈再会(Reunion)〉を軸に検討されていた。人と人とが集うことの制限がおおむね緩和された現在の状況を意識しつつ、異なる文化ジャンルとして発展を遂げながら、今ふたたび呼応しあっているアートとゲームの関係を改めて見つめ直そうというわけである。  その底意をもうすこし展開するなら、アートとゲームそれぞれの営みの根源にある「遊び」という共通の因子に溯りながら、それが現代の情報環境のもとで再び強固に結びついているさまを炙り出そうということに他ならない。かつて歴史家ヨハン・ホイジンガが「ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)」という語で示したように、遊びこそが人間の文化や社会を形成する原動力をなしているという立論は今日でも遊び/ゲーム研究の古典として参照され続けているが、20世紀後半から始まった情報技術とビデオゲームの相互発展は、まさにそんな文明の遊戯史観を圧縮して現代人の目の前に差し出すかのような経験だった。  そしてビデオゲームを差し出された現代人の側はと言えば、最初期の『ポケットモンスター』に出会った当時の人類学者・中沢新一の洞察を信ずるなら、かつてクロード・レヴィ=ストロースが見出した「野生の思考」──すなわち、長らく近代社会が「未開」だと見做してきた世界各地の狩猟採集民をはじめとする自然民族の精神性に通底する、原初的な神話的・芸術的思考を再活性化させつつある。  このようにしてホモ・ルーデンスたる人間が、パンデミックや現在進行中の戦争、それにグローバル資本主義の帰結としての富と力の非対称化といった世界の様々な分断をいずれ乗りこえ、せめて想像的にでも遊びの因子と野生の創造力のもとに「再会」を果たすイメージを思い描こう──そのような契機としてアートとゲームが出会い直す祈りのかたちを、「art bit #3」では浮き彫りにしようと考えた。
    アートとゲームの「再会(Reunion)」をめぐって
     さらにその「再会」のモチーフをアート史の脈絡に求めるなら、一昨年の初回展でもリマインドしたように凄腕のチェス・プレイヤーでもあった現代アートの祖マルセル・デュシャンが、盟友の前衛音楽家ジョン・ケージとともに1968年にカナダ・トロントで行ったチェス対戦イベントでのコラボレーション・パフォーマンス《REUNION》こそが、より直接的なイメージ源となっている。ケージが企画したこの伝説的なライブは、二人の対局するチェス盤に音響装置が仕掛けられており、両者の駒の動きによって会場に設置されたスピーカーから即興的にサウンドが発生し、勝敗を競うゲームとしてのチェスのゲームプレイの境界を内破して、より高次元に展開する一回性のアート体験を現出させようというものだ。  そのコンセプト性は、ちょうど同時代にケージも呼応するかたちで展開していたジョージ・マチューナスの主宰による同時多発的な芸術運動フルクサスとも呼応するもので、同運動に参画していたナム・ジュン・パイクやオノ・ヨーコらが1960〜70年代の世界的なカウンターカルチャーの機運のもとに模索していた「境界のない世界」を指向するモーメントとも軌を一にしている。このように2度の世界大戦の戦禍とも密接にかかわりながら発展した写真や映像といった「網膜的」なテクノロジーとの対峙の中で、既存の芸術文化の制度に対する「頭脳的」な価値転倒ゲームを創始したデュシャンから、音楽ライブや演劇などより「身体的」な回路での前衛を追求したフルクサスまでに至る前世紀の戦後現代アートの史的展開は、「現代アートとビデオゲームの父と母に捧げる展覧会」を掲げた昨年の「art bit #2」の大テーマとしても強く意識していた文脈であった。
    《REUNION》と1968年の「革命」
     したがって、〈再会(Reunion)〉を起点に3年目のart bitのキュレーション・コンセプトを起草しようということになったとき、〈理想の時代〉(1945〜59年)の代表的なムーブメントだった抽象表現主義への応答として「規則性・ミニマル」を筆頭に四つのテーマで現代アートとインディーゲームを接続した1年目、〈夢の時代〉(1960〜74年)を体現するフルクサス的な祝祭性・体感性を中核に据えた2年目から続く流れとして、いよいよ本格的にコンピューターの一般普及やビデオゲーム産業が興り、社会・文化と直接的に切り結ぶようになった〈虚構の時代〉(1975〜89年)の精神性とそのアート的な脈絡を振り返ってみる過程が、まずは必要だった。  そこからすると、デュシャンとケージが《REUNION》を実演した1968年という年は〈夢の時代〉の折り返し点にあたり、アメリカでの黒人公民権運動やパリの五月革命、日本での全共闘運動など、主に若い世代が主体となって既存の政治体制を覆そうと志した世界的な反体制ムーブメントがピークを迎える、いわゆる「政治の季節」の転換点とされている。この年の挫折を境に、西側先進国ではイデオロギーに基づく革命闘争によって人々が現実をドラスティックに塗り変えようと志した〈理想〉は破れ、政治運動への大衆的機運が徐々に退潮して経済成長による繁栄を目指す〈夢〉に呑み込まれつつ、やがて人々は高度消費社会のもたらす様々な〈虚構〉に淫するようになった──というのが、かつて社会学者・見田宗介が批判的なトーンで素描した第二次世界大戦後の社会心性史をめぐる時代区分の要諦だ。  ただし、その一方で1968年はその年末、サンフランシスコで行われたコンピューター会議の場で、情報工学者ダグラス・エンゲルバートが当時のコンピューターにまつわる様々な発明を集積して先駆的なGUI(グラフィカルユーザーインターフェース)システムのデモンストレーションが披露された年でもある。「すべてのデモの母」とも呼ばれるこのインパクトが、アラン・ケイなどを触発して1970年代のパーソナルコンピューターの登場や、その先のインターネットの普及といったIT革命につながっていく。その意味で、いわば現実社会の構造を変えていくための回路が政治革命から情報技術上の革命にシフトし、〈虚構の時代〉への変遷が始まる象徴的タイミングとして、1968年を捉え直すという見方も可能だろう。
    1980年代を再照射する出展アートたち
     そのように俯瞰してみると、ロジカルな完全情報ゲームとしてのチェスのゲーム性をテクノロジー・ガジェットの介入によって別種の遊びへと組み換えてみせた《REUNION》は、まさに先端的なコンピューター技術とプリミティブな遊びの感性とが結びつき、多種多様なビデオゲームが爆発的に世に出ていく〈虚構の時代〉の風景の本質を先取りしていた営みだったという構図が見えてくる。特にオイルショック後の日本では安定成長を背景に様々なポップカルチャーが開花し、バブル景気に向かって消費社会を謳歌する「遊び」のモードが全面化していたこともあり、そうした気分をインテリ層が知的に正当化するためのエクスキューズとして、当時のフランス現代思想を輸入したニューアカデミズムのようなムーブメントが起きたりもした。本展が依りどころにしているホモ・ルーデンスや野生の思考といったキーワードもまた、実のところは当時のそうした浮き足だった気分の中で広く知られるようになった概念でもある。  それゆえ、今回のキュレーション過程で現代アート側の出展作が具体化していくにつれ、しだいに1980年代的な玩具ガジェットをフィーチャーしながら、その行為性を現代的な観点や問題意識から組み換えようとするタイプの作品群が肩を並べるようになってきたのは必然だった。ともに1982年から発売されている動力付き自動車模型「ミニ四駆」を素材としつつ、片や資本主義的な速度と競争の原理への価値転倒を図ったやんツーの《遅いミニ四駆》、片や擬似プリミティブアート的な造形で直截に人類学的な土俗の現出に挑むFunny Dress-up Labの《Mask Series》の両作は、まさにそんな姿勢のストレートな顕れと言える。スケートボードにエレキギターの弦を張るなどの工夫を凝らした創作楽器《滑琴(かっきん) + 響筐(きょうきょう) + 擬似耳(ぎじじ)》および動力付き鉄道玩具「プラレール」の挙動を音源化する《ぼくのDTM》で生活空間との予測不能なインタラクションを可聴化するおおしまたくろうの2作品、かつてのファミコンがRF(高周波)変調方式で電波ジャックするかのようにテレビの映像に介入していた本質性を今日のゲーム実況のように可体験化する毛原大樹の《ビデオゲーム傍受者の受像機「Telephono Scope」》とあわせ、子供たちには愉しさを、大人たちには童心に立ち返る懐かしさを呼び起こすだろう、過年度に増してキャッチーかつ遊戯性の高いラインナップが固まってきたのである。
    やんツー《遅いミニ四駆》 Funny Dress-up Lab《Mask Series》 おおしまたくろう《滑琴 + 響筐》 おおしまたくろう《ぼくのDTM》 毛原大樹《ビデオゲーム傍受者の受像機「Telephono Scope」》 こうなってくると今回のart bit展には、もはやアートとゲーム、野生とテクノロジーの「再会(Reunion)」といった広漠とした描像よりも、さらに輪郭のはっきりしたアグレッシブなイメージが宿りつつあるのではないか。インディーゲームの祭典「BitSummit」の併催イベントとして恒例化し、日々の責務を離脱して毎年の夏ごろに泊まりがけで手ずから味わうことのできる、ノスタルジックなホビーや自由研究の工作のような遊びと創造性の解放。そう、多くの人々の記憶の奥底に原体験として刻まれる、「夏休み」のイメージが。
     
  • 【特別掲載】art bit展が投げかけるもの ──世紀をこえた「20年代」のリフレインに向き合うために|中川大地

    2023-08-15 07:00  
    550pt

    本日のメルマガは、PLANETS副編集長・中川大地がコンセプト監修を務める、現代アートとインディーゲームの今を発信する展覧会「art bit – Contemporary Art & Indie Game Culture- #3」(会期:2023年7月5日〜9月2日)の開催を記念し、同展をめぐる解説論考を2週連続でお届けします。 世界中のクリエイターが集う日本最大級のインディーゲームの祭典「BitSummit」の関連イベントとして、ホテルアンテルーム京都にて2021年から毎年開催されている「art bit」展。COVID-19のパンデミック下で延期された東京五輪2020とともにはじまった初回展につづき、ロシアによるウクライナ侵攻や安倍元首相の銃殺事件といった衝撃が社会を揺さぶる中で開催された翌2022年の第2回展では、何が問いかけられていたのか。 映像と戦争の世紀だった20世紀における現代アートとビデオゲームそのものの成り立ちに立ち返りながら、その展示キュレーションに込められたアクチュアルな文脈を読み解きます。 (初出:「art bit – Contemporary Art & Indie Game Culture- #2」展示フライヤー(ホテルアンテルーム京都、2022年))
    【告知】 ■art bit - Contemporary Art & Indie Game Culture - #3 会期:2023年7月5日(水)〜9月2日(土) 会場:ホテル アンテルーム 京都 GALLERY9.5 入場料:無料https://www.uds-hotels.com/anteroom/kyoto/news/17075/ 2011年の開業以来、「常に変化する京都のアート&カルチャーの今」を発信してきたホテル アンテルーム 京都と、2013年より続く日本最大級のインディーゲームの祭典「BitSummit」との出会いから生まれた本展では、現代アートのゲーム性とインディーゲームの芸術性という、合わせ鏡のような魅力とクリエイティビティのルーツに注目。互いのカルチャーの垣根や、アーティストやクリエイター、研究者といった立場を超えた人と人との交わりから、アートとゲームの新たな可能性を追求しています。 3年目となる本年は「ホモ・ルーデンスの夏休み、夏の夜の夢」をテーマに、わたしたち人間の持つクリエイティブな野生や遊び心を解き放つ多彩な作品を展示します。 ■ギャラリートーク&レセプション 「アート&ゲームの最前線 〜BitSummitとart bit から考える2025への道筋〜」 日時:2023年8月27日(日)19:00〜20:30 会場:ホテル アンテルーム 京都1F 出演(予定):村上雅彦、石川武志、尾鼻崇、中川大地、豊川泰行 11年目に踏み出したBitSummit Let’ GO、およびart bit #3の運営の舞台裏とゲームカルチャーをめぐる最新動向を振り返りつつ、大阪万博2025を控えた関西の地でアートとゲームに何ができるのかを展望します。
    art bit展が投げかけるもの ──世紀をこえた「20年代」のリフレインに向き合うために|中川大地
     「あれ、今って21世紀だよね……?」 2022年に入ってからの衝撃的な出来事の連続に、そのような思いにとらわれている人も少なくないのではないだろうか。およそ100余年前のスペイン風邪が2度の世界大戦をまたぐ20世紀の世界史ドミノの倒列の端緒近くにあったことと同様、COVID-19のパンデミックで幕を開けた2020年代の世界は、各国での対策をめぐる社会の分断、ロシアによるウクライナ侵攻、金融危機化を懸念されながら進む世界同時株安、そして日本社会を震撼させた先の安倍元首相の惨劇と、これでもかというほどに前世紀への先祖返りを志向しているかのようだ。  昨年、現代アートのゲーム性とインディーゲームの芸術性を合わせ鏡にするという趣旨で初めて開催されたart bit展では、マルセル・デュシャンが同時にチェス・プレイヤーでもあったという脈絡のリマインドから、そのコンセプトの図解きが始まっていた。そしてデュシャンがレディメイドの小便器を使った《泉》を1917年のニューヨーク・アンデパンダン展に出展しようとした騒動が現代アートのスタート地点となったこともまた、目下の情勢の変化から振り返ると、1世紀前の時代状況との奇妙な符合の一つだったようにも思えてくる。  とはいえ、一見「かつて来た陰惨な道」をリフレインしているかのようにもみえる現在の世界の展開も、螺旋を描くようにして未知のベクトルを進んでいる。未曾有の世界大戦に翻弄された人類の危機へのニヒリスティックな抵抗が、あらゆる権威や既成概念を疑うダダイスムにつながり、そして現代アートという価値転倒のゲームを産み出したように、いま世界を覆いつつある巨大な不安と無力感を受け止めながら、そこに少しでもハッキング余地を見つけていくという芸術表現の役割が、これよりは改めて切実化してゆくことになるだろう。そうした現在進行中の時代変化のベクトルの正体と、そこに付けいる隙を見つけていくための営みとして、2年目を踏み出すことにしたart bitに何が問われているのかを見定めていきたい。
    「現代アートのゲーム性」と「ビデオゲームの芸術性」
     デュシャンをメルクマールとする現代アートが何を成し遂げたかを改めて言い直せば、写真や映像技術、あるいは工業製品の氾濫といった産業革命以降の表現にまつわるテクノロジーの発展が、絵画や彫刻といった従来の伝統的な芸術表現の存在意義を脅かしていく中で、それでも人間が創造する「美」とは何かという規範を様々なイズムの更新闘争として展開してきた近代美術のモーメントを徹底させ、高純度の「文脈のゲーム」(落合陽一)を抽出したことだ。  そこでは、従来の「美」における自明の前提だった人の目に心地よく感じられる「網膜的」な快楽の要件は相対化され、むしろ不快や困惑すらもたらす認知負荷の高い「頭脳的」な鑑賞体験を通じて、従来の美をめぐる既成概念をいかに揺るがしたかという問題提起性こそが、作品価値の根幹となるシーンが現出していくことになる。  言い換えればこれは、それまでの美術史の脈絡や流通マーケットでの慣習というゆるやかな「ルール」の存在を前提に、個々の「プレイヤー」としての作家や鑑賞者がそれぞれに能動的な参加意識をもって制作や読み解きに「挑戦」し、コレクターやギャラリスト、批評家たちが形成するアートワールドの文脈での評価や影響力を勝ち取ることを「競う」という近代芸術の「ゲーム」としての側面が、デュシャン以降は特に先鋭化したことを意味する。とりわけ第二次世界大戦後のアメリカが発展の中心地となったことで、アートの流通価値の形成がグローバルな金融資本主義という定量的な評価システムと結びつき、現代に至るまで巨大化していったことが、「文脈のゲーム」としての現代アートの本質に他ならない。  他方、今日のビデオゲームのあり方が、現代アートの合わせ鏡のように位置づけられるとすれば、どのような意味においてか。そのルーツをやはり1世紀前に溯るのであれば、コンピューターゲームの最初の先駆例とされる、人間を相手にチェスのエンドゲーム(終盤局面)を指せる自動機械「エル・アヘドレシスタ」が1912年に発明されたことを思い起こさないわけにはいかない。これは奇しくもデュシャンが裸婦の連続写真から受けたインパクトのもとに人体運動のイマジナリーをキャンバスに定着させた絵画《階段を降りる裸体 No.2》を制作したのとも同年にあたり、彼が生涯をかけてチェスがもたらす「プレイ中に思考されている、不可視の方向へと広がる、実際には指されなかった局面の総体」(中尾拓哉)にインスパイアされた芸術制作を追求していったこととの見事な照応があるからである。  そして、このような「実際には指されなかった局面の総体」を数学的にシミュレートしていく知の追求こそが、第二次世界大戦期のコンピューター技術やゲーム理論の発展を促進。そうした論理機械の性能を検証するためのテストベッド・アプリケーションとして、ニムや三目並べといった相互手番制の論理ゲームがコンピューターに導入されていくことから、ディスプレイ装置を盤面表示に使うインタラクティブなビデオゲームの原型が生まれていくことになる。 このことは、デュシャンの芸術に始まる現代アートがテクノロジーとの対峙によって「網膜的」なものから「頭脳的」なものへと向かったのとは逆に、テクノロジーの側は、純然たる「頭脳的」な産物としての論理処理のエレメントを複合させていくことで、人間の認知と情緒に作用する「網膜的」な芸術としての原初性を獲得していったのだとも言えるだろう。 
  • 第五章 エスとしての日本(後編)|福嶋亮大

    2023-08-08 07:00  
    550pt

    本日のメルマガは、批評家・福嶋亮大さんの連載「世界文学のアーキテクチャ」をお届けします。本日のメルマガは、批評家・福嶋亮大さんの連載「世界文学のアーキテクチャ」をお届けします。 日本で最初の著述家と言われる曲亭馬琴の作品には、中国文学からの影響がありました。彼がどのように中国文学を捉えていたかを通じて、小説の「文体」が持つ表現の幅を分析します。 前編はこちら。
    福嶋亮大 世界文学のアーキテクチャ
    5、中国の文学的知能の相続――曲亭馬琴
     繰り返せば、中国小説には文化のエスに潜り込み、その原則を明らかにするという精神分析的な性格があった。特に『水滸伝』は、カーニヴァル的な沸騰状態において規範を解体し、人間たちの秘められた欲望をリリースする。中国小説の変異株(変態)である秋成の物語にも、それに近いことが言えるだろう。そこでは悪霊や悪漢を主人公として、エス的な「呪われた部分」へのアクセスがしきりに試みられていた。  この秋成の手法を別のやり方で引き継いだのが、一七六七年に生まれ、黒船来航を前に亡くなった曲亭馬琴である。日本で最初に商業作家として生計を立て、実に半世紀にわたって第一線で書き続けた馬琴は、明治期を含めても一九世紀日本の最大の小説家と言えるだろう。一八一四年に初輯が刊行され、一八四二年に完結した『南総里見八犬伝』は、彼のマラソン・ランナーのような作家人生を象徴する大作である。  しかも、その汲めども尽きない旺盛な語りの力は、中国由来の小説批評への強い関心と切り離せなかった。馬琴は秋成と同じように、先進的な中国小説といわば「アフィリエーション」(養子縁組)の関係を結んだ。しかも、洗練された美文家であった秋成とは違って、馬琴は脱線を恐れず、テクストにさまざまな学問的知見や批評を盛り込んだ。特に、その小説論は同時代の誰よりも卓越している。彼は『八犬伝』の作家であるだけではなく、日本の「小説批評家の元祖」でもあった[12]。  そもそも、流行作家であった馬琴は、作品を眼で見ても、声に出しても楽しめるように多様な読者サービスに努めた。葛飾北斎らとコンビを組んで上質のイラストを用い、朗読に向いたリズミカルな文体を導入した彼の読本は、文字テクストを視聴覚メディアに変える実験場となった。馬琴の文学が家庭内で女性や子どもたちにまで読み伝えられたのは、まさにその実験の成果である[13]。その一方、より高尚な議論を期待する読者に対しては、馬琴は文芸批評を提供した。  馬琴は宣長および秋成の学問を敬愛しつつも、彼らがやらなかった小説批評という新しい分野にチャレンジした。その際に、彼がモデルにしたのは、金聖嘆や李漁のような近世中国の批評家=思想家たちである。中国小説がそのメタ言説(批評)を含むハイブリッドなテクストであったように、馬琴の読本(稗史)は文芸批評や雑学を、その語りの余白において展開した。彼の最も名高い物語論である「稗史七則」――物語の制作にあたって心得るべき七つの技術をマニュアル化したものであり、金聖嘆や李漁の影響を強く受けている――も、『八犬伝』第九輯中帙附言として記されたものである。物語の仕組みを、当の物語のなかで解き明かすというこのメタゲームは、中国小説との接触なしにはあり得なかった。  さらに、馬琴は自らの批評を読者との双方向のコミュニケーションに仕立てた。彼の熱烈なファンであった殿村篠斎が、まだ完成途上の『八犬伝』について質問や批評を送ってきたとき、著者はそれに快く応じた。この両者のやりとりをまとめたのが『犬夷評判記』である[14]。『八犬伝』を二〇年以上も書き続けるのに並行して、その創作の秘密の一端を解き明かすような自作批評も公にする――ここからは、馬琴が批評というコミュニケーションを戦略的に活用していたことがうかがえるだろう。  こうして、小説と批評を交差させた中国の新しい文学的知能は、一九世紀日本の馬琴によって相続された[15]。しかも、彼は中国小説の単純な形態模写をしたわけではなく、ときに中国にもないような先進的な文芸批評も試みた。特に、われわれの目を引くのは、その文体論である。例えば、馬琴は建部綾足の『本朝水滸伝』が雅語を用いていることを厳しく批判し、中国小説(稗史)を「父母」として小説を書こうとするならば、俗語を用いなければならないと力説した。
    稗史野乗の人情を写すには、すべて俗語によらざれば、得なしがたきものなればこそ、唐土にては水滸伝西遊記を初として、宋末元明の作者ども、皆俗語もて綴りたれ、ここをもて人情を旨として綴る草紙物語に、古言はさらなり、正文をもてつづれといはば、羅貫中高東嘉もすべなかるべく、紫式部といふとも、今の世に生れて、古言もて物がたりふみを綴れといはば、必ず筆を投棄すべし。[16]
     ふつう日本文学史では、書き言葉を話し言葉に近づけようとする俗語化の試みを、明治期の言文一致運動に求める。しかし、馬琴は早くも一九世紀前半に、「人情を写す」には俗語の力が不可欠であり、それは『水滸伝』や『西遊記』はもとより、日本の『源氏物語』も変わらないときっぱり述べていた[17]。このような方法論的な自覚は、中国で大量の白話小説が刊行され、文学環境をラディカルに変化させたことに裏打ちされている。  馬琴にとって、先進的な中国小説のプログラムを日本語の環境でいかに利用するかは、一貫したテーマとなった。それは俗語化だけではない。彼は『八犬伝』以前に大きな人気を博した『椿説弓張月』(一八〇七~一一年)において、すでに中国小説の趣向を借りている。『椿説弓張月』は鎌倉時代の『保元物語』を下敷きとしつつ、弓の名手である亡命軍人・源為朝をその悲劇の運命から救済しようとする架空の物語である。保元の乱で敗北し、伊豆大島に流された馬琴版の為朝は優れた統治者となるが、その後朝廷に追われて琉球にまで落ち延び、そこで独立王国の父祖となる。この後半部のアイディアが一七世紀中国の陳忱の小説『水滸後伝』から得られたことは、つとに指摘されてきた。  もともと、『水滸伝』を部分訳し、『水滸伝』の好漢のジェンダーを反転させた『傾城水滸伝』をも世に送り出した馬琴は、陳忱の『水滸後伝』にも強い批評的関心を寄せていた。ゆえに、この小説が『椿説弓張月』の設計に利用されたのも不思議ではない。では、『水滸後伝』とはいかなる小説なのか。少し回り道になるが、簡単に紹介しておこう。
    6、遺民=亡霊のユートピア的想像力
     一六世紀の中国はドラマティックな出版革命を経験したが、それから一世紀も経たない一六四四年に、漢民族王朝の明は満州族に攻略されて滅亡する。このトラウマ的なショックを強く受け取ったのが、明の「遺民」たちである。彼らは新しい異民族王朝(清)に仕えるのを潔しとせず、前王朝の記憶を保ち続けた。一七世紀中国の文学や美術を考えるのに、遺民という亡霊的な存在を欠かすことはできない。  この遺民の志をもつ知識人の一人であった陳忱は、梁山泊の水軍を率いた李俊が後年シャムに逃れて王になったという『水滸伝』の一文をふくらませて、『水滸後伝』という新たな小説に仕上げた。そこでは、李俊をはじめ梁山泊のサバイバーたちが、腐敗した宋王朝――やがて女真族の金に蹂躙される――から逃走し、シャムに理想の政権を樹立するまでの物語が語られる。この亡命者たちの活躍には明らかに、異民族に蹂躙された明の遺民の苦境および願望が投影されていた。  著作権の概念のなかった当時、小説は一種のオープンソースとして用いられた。都市の盛り場でのパフォーマンスを母胎とする『水滸伝』や『三国志演義』はもとより、その『水滸伝』のエピソードをもとにした『金瓶梅』、さらには『水滸伝』の続書(続編)である『水滸後伝』は、いずれも間テクスト的なネットワークから派生したものである。ゆえに、これらの中国小説は、単独の作者の所有物としては理解できない(なお、二一世紀の中国においても、劉慈欣のベストセラーSF小説『三体』の「続書」が、インターネット上のファンによって書かれた――これは、近世的な伝統がネットワーク社会で復活したことを意味する)。  そのことと一見して矛盾するようだが、ここで面白いのは、この匿名的なオープンソースからときに固有の「作家性」が産出されたことである。この現象はしばしば、続書において認められる。現に、『水滸伝』や『西遊記』の著者の実態があいまいであるのに対して、その続書である陳忱の『水滸後伝』や董説の『西遊補』には、作者の遺民=亡霊としての境遇が投影された。オリジナルよりも二次創作において作家性がより鮮明になるという逆転現象が、ここには生じていた。  特に、一六六〇年代――ちょうど明の遺臣である鄭成功が、オランダ人から台湾を奪取しようとした時期にあたる――に書かれたと思しき『水滸後伝』には、遺民=亡霊の立場からの政治批評という一面がある。そこでは、オリジナルの『水滸伝』に引き続き、奸臣に牛耳られた宋王朝の衰退のシミュレーションが試みられ、政治家や僧侶の堕落が次々とあばかれてゆく。国家の中枢がすでにすっかり腐敗しきっていたところに、強力な異民族が襲来し、ついに宋は滅亡のときを迎える……。陳忱がここに、明の滅亡というトラウマ的体験を重ねていたのは明白である。  この致命的な内憂外患のなかで、『水滸後伝』の好漢たちには中国の「文化防衛」という役割が与えられた。シャムに亡命した彼らは、その地の奸臣と敵対するのみならず、何と「関白」の率いる日本軍とも交戦し、魔術によってその全員を凍死させる。粗野でずるがしこい異民族に対して、それを遥かに上回る中国人の叡智が誇示されるのだ。ここには、漢民族王朝の宋の自滅に対する一種の償い(redemption)という意味がある。  もともと、あらゆる社会的職種が戦争に差し向けられるオリジナルの『水滸伝』は、一種の総動員体制のような様相を呈していた。『水滸後伝』は好漢たちに再び動員をかけて、海外のシャムでユートピア建設に乗り出すが、物語が進むにつれて原作のカーニヴァル性はどんどん希薄になってゆく。かつての荒くれのピカロ――悪漢にして好漢――たちは、最終回に到ってついに礼楽の担い手となり、優雅な詩会を開催するまでになった(第四〇回)。こうして、李俊の統治するシャムは、中華文明のミニチュアとして再構築された。  ただし、ここには、無力な遺民=亡霊の文学ならではのアイロニーがある。というのも、李俊たちの「文明化」とその全面勝利は、あくまで限界を刻印されていたからである[18]。現に、この詩会の後に、宋江や燕青らの登場する芝居(水滸戯)が上演され、李俊らがそれを楽しむというメタフィクション的な場面が続くが、これは『水滸後伝』の虚構性に対するアイロニカルな自己言及である。李俊たちがシャムにユートピアを築いたところで、それはせいぜい上演された虚構にすぎない。ゆえに、トラウマ的な破局の歴史は何も変わらない。『水滸後伝』の末尾では、やがて南宋の滅亡が訪れることが仄めかされる。 そして、一八世紀に入ると、このようなアイロニーを含んだ文明の再建は、シャム(想像上の外国)ではなく中国の内部に向かった。『水滸後伝』のおよそ一世紀後の『紅楼夢』では、ジェンダー表象にも巧みな操作が加えられた。陳忱が『水滸伝』のエネルギーを呼び覚まして、男性優位のホモソーシャルな国家を海外に再建したのに対して、没落した名家の出身である曹雪芹は、むしろ反国家的な女性優位のユートピア(大観園)を国内に設計してみせるが、それも結局は崩壊する。この二つの小説はまさに好一対のユートピア小説であり、その夢はいずれ現実に屈することが示唆されていた。
     
  • 第五章 エスとしての日本(前編)|福嶋亮大

    2023-08-01 07:00  
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    本日のメルマガは、批評家・福嶋亮大さんの連載「世界文学のアーキテクチャ」をお届けします。今回は日本文学が受けた中国小説からの影響について分析します。あくまでも傍流的立ち位置だったという「小説」が隣国の文化に何をもたらしたのか、18世紀に国学を興した本居宣長の研究から明らかにします。
    福嶋亮大 世界文学のアーキテクチャ
    1、エスとしての日本/小説
     文芸批評家のテリー・イーグルトンはアイルランドをイギリスの無意識(エス)と見なす立場から、エミリ・ブロンテの『嵐が丘』(一八四七年)のヒースクリフが、わけのわからない言葉を話す薄汚れた黒髪の孤児として登場することに注目した。彼の考えでは、リヴァプールの街角で飢えていたところを拾われたヒースクリフは、一八四〇年代後半に未曽有のジャガイモ飢饉に襲われたアイルランドの難民のアレゴリーである。イーグルトンはこの黒々とした難民的存在のもつ不気味さに、イギリスにとって目を背けたいエスの露呈を認める。
    われわれは、エスの領域にあっては自我にとって許容しがたい行為に耽る。それと同じように、十九世紀のアイルランドという場所にあっては、イギリス人たちは、自らの意識的な信念の否定あるいは逆転という形で、自分自身の諸原則を明るみに出してしまうことを余儀なくされたのである。[1]
     この見解を応用して言えば、日本にも中国のエスとしての一面がある。つまり、中国から見ると、日本は(イギリス人にとってのヒースクリフのように)意味のわからない言葉を話しながら「許容しがたい行為」に耽り、ついには道徳的な信念を「逆転」させるミステリアスな存在ではなかったか。しかも、一九世紀後半以降の日本は急速に軍事化し、中国に戦争を仕掛けるまでに到ったのだから、その存在はなおさら不気味に映るに違いない。  現代の日本研究者である李永晶は、まさにこの不気味さを「変態」と言い表した。それは性的な「変態」を指すとともに、日本が中国から文化的影響を受けつつ、思いがけない方向に自らを「変異」させてきたことも意味する。中国のコピー(分身)である日本は、ときにオリジナルを凌駕するような文化的変異株を作成した。李によれば、中国人はこの捉えどころのない日本に対して、潜在的な「情結」(コンプレックス)を抱いてきた[2]。私なりに言い換えれば、この固着した感情は、日本が中国の意識を脅かす「エス」であることと等しい。  その一方、中国の内部にも私生児的なサブカルチャーがあったことも見逃せない。それはほかならぬ「小説」である。『水滸伝』にせよ『金瓶梅』にせよ『紅楼夢』にせよ、そこには儒教的な規範意識によって抑圧されたもの(カーニヴァル性、性愛、少女性……)が回帰している。前章で述べたように、李卓吾をシンボルとする明末以降の批評家は、中国のオーソドックスな文化の「変態」であるサブカルチャー=小説に積極的な価値を認めた。  のみならず、このエスとしての中国小説は、同じくエスとしての日本にも多面的な影響を及ぼした。中国小説と早期に接触した思想家として、ここで空海の名を挙げておこう。空海が『聾瞽指帰』(七九七年)の序文で、唐の張文成(張鷟)の小説『遊仙窟』――運命の行き詰まりを感じていた著者が、仙女のいる家に迷い込み、詩の巧みな応酬によって彼女の心をつかんで一夜の性的な交歓にふけるエロティックな小説――に言及していたことは興味深い。
    中国に張文成という人がいて、疲れやすめの書物を著した。その言葉は美しい玉をつらぬくようで、その筆力は鸞鳥や鳳凰を高く飛ばすようである。ただし残念ながら、むやみに淫らなことを書きちらして、まったく優雅な言葉[雅詞]がない。その書物にむかって紙面を広げると、魯の賢者柳下恵も嘆きをおこし、文章に注目して字句を味わおうとすれば僧侶も動揺する。(原文は漢文)[3]
     『聾瞽指帰』とは空海の思想書『三教指帰』――中国の「賦」をモデルとする対話体の作品であり、儒教・仏教・道教の三教を競わせた末に、仏教の優位性を示す――の原型になったテクストだが、『三教指帰』のヴァージョンでは序文が書き直され、この引用部は削除された。それだけに、この小説論には、どこか過剰で不穏なものが感じられる。空海は確かに『遊仙窟』の「淫らさ」は文章の標準にならないと見なすが、そのような不埒な小説=サブカルチャーが僧侶の心を動揺させるだけの魔力をもつことも、はっきり認めている。小説を批判しつつその幻惑的な美しさにも言及するという両義性が、この序文には忍び込んでいる。  なぜ空海は宗教者でありながら、自身の信条とは無関係のフィクションにわざわざ言及したのか。仏教学者の阿部龍一が指摘するように、それは恐らく、若き空海がエリート的な立身出世コースからドロップアウトした私度僧、つまり律令体制のアウトサイダーであったことと関わるだろう[4]。その濃厚なエロスによって信仰心をかき乱す『遊仙窟』は、あくまで非公式的なサブカルチャーにすぎない。しかし、日本の律令国家を支える政治的・宗教的な言説に飽き足らなかった空海には、そのような異国のサブカルチャーに感応する余地が大いにあった。「文」(エクリチュール)に対する空海の態度は、当時の日本の誰とも似ていない。彼は『三教指帰』のような護教論的著作のみならず、中国の詩学を体系化した『文鏡秘府論』も残しているが、これも後にも先にもほとんど類例のない仕事であった。  象徴的なことに、遣唐使によって持ち帰られた『遊仙窟』は、中国では早くに散逸し、日本でしか現存していない(それを再発見した中国人は『中国小説史略』を書いた魯迅である)。しかも、日本人はこの舶来の『遊仙窟』を神聖視し、その影響は『万葉集』や『源氏物語』のような日本文学の中枢にまで及んだ。中国では抑圧されたエス的なサブカルチャーが、かえって日本では文化の表面に堂々と現れ、空海や紫式部のような優れた知識人をも魅了する――ここには日本の文化体験の原型があると言えるだろう。