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  • 更科修一郎 90年代サブカルチャー青春記〜子供の国のロビンソン・クルーソー 第3回 秋葉原・その2【第4水曜配信】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.763 ☆

    2016-12-28 07:00  
    550pt

    【お知らせ】
    本日12月28日( 水)の記事をもちまして、2016年のメールマガジン配信は終了となります。新年は1月5日(木)より配信を再開いたします。
    本年もご愛顧いただき誠にありがとうございました。皆さま良いお年をお迎えください。


    更科修一郎 90年代サブカルチャー青春記〜子供の国のロビンソン・クルーソー第3回 秋葉原・その2【第4水曜配信】
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.12.28 vol.763
    http://wakusei2nd.com



    今朝のメルマガは〈元〉批評家の更科修一郎さんの連載『90年代サブカルチャー青春記~子供の国のロビンソン・クルーソー』の第3回をお届けします。
    2000年代に秋葉原を席巻した「メイド喫茶」。「萌え」の3次元化を目論んだその流行の背後には、裏社会が絡んだ暗部が見え隠れしていました。昼下がりの電気街を散策しながら、秋葉原という街に刻み込まれた文化と事件の記憶を辿ります。

    ▼プロフィール
    更科修一郎(さらしな・しゅういちろう)
    1975年生。〈元〉批評家。90年代以降、批評家として活動。2009年『批評のジェノサイズ』(宇野常寛との共著/サイゾー)刊行後、病気療養のため、活動停止。2015年、文筆活動に復帰し、雑誌『サイゾー』でコラム『批評なんてやめときな』連載中。
    本メルマガで連載中の『90年代サブカルチャー青春記』配信記事一覧はこちらのリンクから。

    前回:更科修一郎 90年代サブカルチャー青春記〜子供の国のロビンソン・クルーソー 第2回 秋葉原・その1【第4水曜配信】

    ■第3回「秋葉原・その2」
     ジャンク通りをしばらく歩いていると、空腹を覚えた。
     最近、ヨドバシカメラAKIBAのレストラン街は改装され、フードコートも新設されたが、90年代の秋葉原駅周辺は食事処が少なかった。
     学生時代は貧乏だったので、秋葉原デパートの1階にある立ち食いお好み焼きで空腹を満たし、店を巡り歩いていたのだが、その秋葉原デパートも、今はJR東日本のアトレ秋葉原に建て替えられ、デリや弁当を売っている。
     それはそれで美味しそうだが、買っても食べる場所がない。銀座松屋のデパ地下のように、食事スペースを併設してくれれば良いのだが。
     話をジャンク通りの裏路地に戻すと、このあたりには地元民向けの蕎麦屋や弁当屋がいくつかある。どれも地味な佇まいだが、地元民専用と言わんばかりの素っ気なさで、妙に入りづらい。
     もっとも、いくつかの例外もあり、「サンボ」という牛丼屋は、秋葉原を訪れる人々の間でカルト的な人気がある。元は吉野家の初期フランチャイズ店舗で、1980年に倒産した際、独立したらしい。
     元々、日本橋の魚市場が発祥の吉野家が、1989年まで神田青果市場があった秋葉原に出店したのは自然の成り行きだが、食べたことはない。
     たぶん懐かしい味なのだろうが、偏屈なローカルルールとカルト的な人気で逆に近寄りづらくなったのだ。
     雑居ビルの店子はその時々の流行に合わせて入れ替わっているが、地元密着型の飲食店はしぶとく残っている。
     その一方で、秋葉原の客層の変化に合わせて、新しい飲食店も増えた。どれも脂っこい料理を売りにしていて、ラーメン二郎インスパイアと思しき店もある。
     あきばお〜、三月兎、まんだらけに囲まれたジャンク通りの角にある「野郎ラーメン」は巨大なラーメンの写真看板を掲げていて、見ているだけで胃もたれがしてくる。昔ながらの中華そばは好きだが、ギトギトの背脂系は苦手なのだ。
     しかし、友人いわく、二郎系ラーメンは「コストパフォーマンスが良い」らしい。秋葉原を訪れるオタクな人々は、基本的に快楽主義者で効率厨だが、それ故に、目的以外の諸要素は考慮しない。
     筆者は大病を患ったこともあり、身体への負担といった要素も考え、昼食を選択する。だが、友人はそういう細かいことを考えず、快楽と価格だけを天秤にかけ、「コストパフォーマンスが良い」という結論に至る。
     更に近隣の雑居ビルには、アダルトビデオのセクシー女優出演が売りのショーパブの看板が掲げられている。昼前なので、現在、営業しているかどうかも分からないが、こうなると歌舞伎町と変わらないギトギトの欲望の街だ。
     歌舞伎町と違うのは、内向きの欲望に特化されていることだが。

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  • 脚本家・井上敏樹エッセイ『男と×××』第23回「男とペット5」【毎月末配信】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.762 ☆

    2016-12-27 07:00  
    550pt

    脚本家・井上敏樹エッセイ『男と×××』第23回「男とペット5」【毎月末配信】
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.12.27 vol.762
    http://wakusei2nd.com



    今朝のメルマガは平成仮面ライダーシリーズの脚本家・井上敏樹先生のエッセイ『男と×××』第23回です。今回は「男とペット」の最終回です。敏樹先生が初めて飼った愛犬トナは放し飼いにされていましたが、ある日、突然行方をくらまします。一週間後、家の床下でうずくまっているところを発見されたトナの右前足は血塗れで……?


    【発売中!】井上敏樹 新作小説『月神』(朝日新聞出版)
    ▼内容紹介(Amazonより)
    「仮面ライダーアギト」「仮面ライダー555」をはじめ、
    平成ライダーシリーズの名作を送り出した脚本家による、
    荒唐無稽な世界を多彩な文体で描き出す、異形のエンターテインメイント! 
    (Amazonでのご購入はこちらから!)
    PLANETSチャンネル会員限定!入会すると視聴できる井上敏樹関連動画一覧です。
    (動画1)井上敏樹先生、そして超光戦士シャンゼリオン/仮面ライダー王蛇こと萩野崇さんが出演!(2014年6月放送)
    【前編】「岸本みゆきのミルキー・ナイトクラブ vol.1」井上敏樹×萩野崇×岸本みゆき
    【後編】「岸本みゆきのミルキー・ナイトクラブ vol.1」井上敏樹×萩野崇×岸本みゆき
    (動画2)井上敏樹先生を語るニコ生も、かつて行なわれています……!仮面ライダーカイザこと村上幸平さんも出演!(2014年2月放送)
    【前編】「愛と欲望の井上敏樹――絶対的な存在とその美学について」村上幸平×岸本みゆき×宇野常寛
    【後編】「愛と欲望の井上敏樹――絶対的な存在とその美学について」村上幸平×岸本みゆき×宇野常寛
    (動画3)井上敏樹先生脚本の「仮面ライダーキバ」「衝撃ゴウライガン!!」など出演の俳優、山本匠馬さんが登場したニコ生です。(2015年7月放送)
    俳優・山本匠馬さんの素顔に迫る! 「饒舌のキャストオフ・ヒーローズ vol.1」
    (動画4)『月神』発売を記念し行われた、敏樹先生のアトリエでの料理ニコ生です!(2015年11月放送)
    井上敏樹、その魂の料理を生中継!  小説『月神』刊行記念「帝王の食卓――美しき男たちと美食の夕べ」
    ■井上敏樹先生が表紙の題字を手がけた切通理作×宇野常寛『いま昭和仮面ライダーを問い直す』もAmazon Kindle Storeで好評発売中!(Amazonサイトへ飛びます)
    これまでPLANETSチャンネルのメルマガで連載してきた、井上敏樹先生によるエッセイ連載『男と×××』の記事一覧はこちらから。(※メルマガ記事は、配信時点で未入会の方は単品課金でのご購入となります) 
    ▼執筆者プロフィール
    井上敏樹(いのうえ・としき)
    1959年埼玉県生まれ。大学在学中の81年にテレビアニメの脚本家としてのキャリアをスタートさせる。その後、アニメや特撮で数々の作品を執筆。『鳥人戦隊ジェットマン』『超光戦士シャンゼリオン』などのほか、『仮面ライダーアギト』『仮面ライダー龍騎』『仮面ライダー555』『仮面ライダー響鬼』『仮面ライダーキバ』など、平成仮面ライダーシリーズで活躍。2014年には書き下ろし小説『海の底のピアノ』(朝日新聞出版)を発表。

    前回:脚本家・井上敏樹エッセイ『男と×××』第22回「男とペット4」

    男 と ペ ッ ト  5 井上敏樹
    さて、長々とペットについて書いて来たが今回で最後である。読者に申し訳ないのはペットの死ばかり書いた事だ。さぞ憂鬱になったに違いない。が、これは仕方のない事なのだ。ペットを飼うという事は『死』を身近に置く事だ。だから仕方ない。で、今回もペットの死について書く。我が家で最初に飼ったペット――愛犬のトナの最期についてだ。前にも書いたがトナは素晴らしい犬だった。柴犬系の雑種だったが頭が良くイケメンで時代的にも放し飼いが出来るおおらか時代をのびのびと生きた。今や散歩となれば犬をリードで繋ぎご主人様も付き合わなければならない。しかも犬が糞などした暁にはあろう事かそれを持ち帰るというルールがある。これではどちらがご主人様か分からない。それに比べれば昔はまさに天国だった。なにしろ鎖を解けば犬は勝手に散歩に行き勝手に帰って来たのだ。楽なもんである。わが家のトナも夜、散歩に出掛け、私が朝、目を覚ますと、遊び疲れて犬小屋で前足に顔を乗せてぐっすり眠っている、そんな風であった。ところが、である。放し飼いにもまずい点がある。当然と言えば当然だが、ご主人様の目が届かないのだ。そのせいでトナは危うく命を落とす所だった。事故にあったのである。それに気づくまでに数日かかった。散歩に出掛けたまま、帰って来なかったからだ。それまでも2、3日家をあける事はよくあったが、一週間近く経っても帰って来ない。さすがに心配になりあちこち探し回っても見つからない。最初にトナの声に気づいたのは母だった。家族で夕食を取っていると『トナの鳴き声がする』と言う。私も弟も父も箸を止めて耳を澄ませた。確かに微かに声がする。それも床下から『クゥ~ン、クゥ~ン』と言う悲しげな声だ。

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  • 水野良樹×宇野常寛「歌謡曲/J-POPは成立するか――大衆音楽のゆくえ」(HANGOUT PLUS 12月19日放送分書き起こし)【毎週月曜日配信】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.761 ☆

    2016-12-26 07:00  
    550pt


    水野良樹×宇野常寛「歌謡曲/J-POPは成立するか――大衆音楽のゆくえ」
    (HANGOUT PLUS 12月19日配信分書き起こし)
    【毎週月曜日配信】

    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.12.26 vol.761
    http://wakusei2nd.com



    毎週月曜日夜にニコ生で放送中の宇野常寛がナビゲーターを務める「HANGOUT PLUS」。年内最後の放送となる2016年12月19日はいきものがかりの水野良樹さんをお迎えしました。情報から体験へと価値が移っている現代で、歌謡曲やJ-POPは成立するのか。異なる立場をとる水野さんと宇野常寛が音楽のゆくえを語りました。(※このテキストは2016年12月19日放送の「HANGOUT PLUS」の内容の一部を書き起こしたものです。)

    PLANETSチャンネルで、J-WAVE 「THE HANGOUT」月曜日の後継となる宇野常寛のニコ生番組を放送中!
    〈HANGOUT PLUS〉番組に関する情報はこちら
    ▼ゲストプロフィール
    水野良樹(みずの・よしき)
    1982年生まれ。ソングライター。99年に吉岡聖恵、山下穂尊と「いきものがかり」を結成。06年メジャーデビュー。
    作詞作曲を担当した代表作に「ありがとう」「YELL」「じょいふる」「風が吹いている」など。神奈川県出身。
     
    「HANGOUT PLUS書き起こし」これまでの記事はこちらのリンクから。

    前回:HANGOUT PLUSレポート 乙武洋匡×宇野常寛「もう一度この国が変わると思えるために」【毎週月曜日配信】

    12月19日の放送は、いきものがかりのリーダーで、ソングライターの水野良樹さんをお迎えしました。音楽ジャーナリストの柴那典さん、livetuneのkzさんとともに、水野さんがPLANETSのイベントに参加してくださってから2年が経ちました。(「ポストJ-POPの時代――激変する音楽地図とクリエイションのゆくえ」)
    この2年での変化、水野さんの音楽に対する想い、そしてこれからのJ-POPのゆくえをお聞きしました。
     
    ■ 国民的ヒットより、人の中に溶け込む音楽を
     
    水野 あのイベントも、もう2年前ですね。そんなに前なんだなあ。だいぶ状況も変わりましたけれど。2年前にイベントに参加させていただいて、「THE HANGOUT」に出させていただいて。刻一刻と状況が変わっていく中で、この放送のテーマでもある「歌謡曲・J-POPは成立するか」というのはすごく大きなテーマですね。ざっくりと言うと、宇野さんは「もう成立しないんじゃないか」と考えている。僕は「成立する」と思っていてそこに向けて頑張っている、というような立場ですよね。
    歌謡曲やJ-POPというものが、特に今の日本の文化圏でちゃんと成立するのか、それこそ国民的という単語で表されるようなかなり広いセグメントを包括してそこに届くようなものが成立しうるのかと考えると、僕は2年前より難しいんじゃないかと思っているんです。
     
    宇野 それは衝撃的な発言ですね。
     
    水野 いやいや、僕は必ずしもネガティブにはとらえていませんよ。日本というドメスティックな文化圏の中で成立していたエンターテインメントの理想像である「国民的ヒット」は確かに成立しづらくなったけれども、むしろ世界的ヒットにはアクセスしやすくなったと思っています。ドメスティックな文脈でできた作品やエンターテインメントを、今度はその枠を取り払って、世界に出していったらいいんじゃないかって。こういう議論は前からあったと思うんですけど、それがより明確になった2年間だったと思います。
     
    宇野 「国民的なJ-POPは成立しない」と仮定するなら、いきものがかりは今後いったい誰に向けて曲を届けていくのでしょうか。
     
    水野 これは反省を込めて言うんですが、「J –POP」とか「歌謡曲」って、そういうものを表す単語がないから、よく使ってしまいがちなんですよね。でも、それらの理想像を実現することが僕の目的ではないんです。「こういう内容のメッセージです。このことについてはこういうことを思っています」ということが明確なメッセージソングを通して世の中の人の気持ちを変える、という形ではなくて、歌を歌ったり聴いたりすることを通じて、歌が生活の中に溶け込むことによって、その人が気づかないうちに恋愛への意識が変わるというようなことが自分の憧れているところなんです。そして、聴いてくれる人とか、その人のいる社会状況の中で、社会が求めている欲望や、こんなことを言いたい、こんなことを聞きたい、こんなことを見たいということが、巫女のように自分の中を流れていって、それが知らないうちに作品になっているーーそんな状況になったらすごくいいだろうなっていう気持ちがあるんですよ。僕らが憧れてきた歌謡曲、具体的には『上を向いて歩こう』のような曲は、すごくいろいろなことを実現していて、僕のような書き手に希望を与えてくれるような状況をたくさん成立させている曲なんですよ。
    作品は必ずメディアを通して人に届くので、そのメディアが変わっていく中でどうすればいいのか、それはよく悩みますね。

    ■ J-POPでも歌謡曲でもない、物語の器としての音楽
     
    宇野 『上を向いて歩こう』や『石狩挽歌』の頃は、社会の一部を歌うことによって全体を象徴する、という回路がしっかり存在していたんですよね。それがJ-POPになった時に自分の物語に変わっちゃったと思うんですよ。歌謡曲は社会の物語だったけれども、J-POPは「私はこんな瞬間にときめく」とか「人生のこんな瞬間にすごく心が動かされる」という、自分が主役の物語に変わったんです。これはたぶんカラオケと結びついていて、他人の物語や社会の物語を歌うよりも、自分の物語を歌う方が気持ちがいいからだと僕は思う。実際、この時期に同性が同性の曲を聴き始めてCDを買い始めたと言われていますよね。
    ところが僕はこれが終わりの始まりだったと思っているんです。つまり、他人の曲を聴いてそこに感情移入するよりも、自分が本当に主役になった方が気持ちがいいと思うんですよ。彼女と一緒にフェスに行って声出してワイワイ騒ぐとか、アイドルの握手会に行って会話をするとか、そういったことの方が、直接的に自分を主役にしてくれるんですよね。だから僕はJ-POPって生まれながらにしてその終わりが見えていたような気がする。音楽という装置は、実は自分の物語を味わうコンテンツとしてはそんなに向いていない。音楽って本来は他人の物語を聴くものであって、それが歌謡曲がJ-POPに変わった時に、ちょっと狂ってしまったところがあると思うんですよ。

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  • 月島、佃島、石川島――歴史をたどる埋立地散策(「東京5キロメートル――知ってる街の知らない魅力」第3回)【毎月配信】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.760 ☆

    2016-12-23 07:00  
    550pt

    月島、佃島、石川島――歴史をたどる埋立地散策(「東京5キロメートル――知ってる街の知らない魅力」第3回)【毎月配信】 
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.12.23 vol.760
    http://wakusei2nd.com


    「歩いてみることで、東京を再発見する」街歩き企画が、リニューアルして帰ってきました! 普段は気づかない、あんな場所やこんな場所に秘められた歴史だけでなく、各地の新しい魅力にもますます迫っていきます。今回は築地から月島、そして門前仲町まで歩きました。記事のご感想、お待ちしております!
    ◎協力:白土晴一
    ◎構成:松田理沙+PLANETS編集部
    ◎写真:宇野常寛、松田理沙
    「東京5キロメートル」過去の配信記事一覧はこちらから。
    前回:第2回 二子玉川――おしゃれベッドタウンに潜むアナーキースポット
    今回の街歩きでは、下町情緒あふれる東京の湾岸地域を歩きました。東銀座からスタートし、活気ある築地、もんじゃで有名な月島、そして最後は門前仲町までのコースです。
    また、リニューアルした今回から、歴史考察のアドバイザーとして、白土晴一さんに参加していただきます。白土さんと一緒に歩いてみると、このエリアには、東京のウォーターフロントとしての壮大な歴史が隠されていることがわかりました…! 今回は、その詳細を解き明かすとともに、下町の中に見つけた癒やしスポットをご紹介していきます。


    ▲白土晴一(しらと・せいいち)さん。1971年生まれ。リサーチャーとしてアニメやマンガの設定考証を手掛ける。アニメ『純潔のマリア』『ジョーカー・ゲーム』『ドリフターズ』などの設定考証を担当。マンガ『ヨルムンガンド』『軍靴のバルツァー』に設定協力で参加。
    寒さも厳しくなってきたとある休日。私たちは、東銀座駅の近くに集合しました。「東京駅から歩いてきましたよ」と白土さん。お散歩が趣味の一つだそうで、今回の街歩きでご一緒できることに、胸が高鳴ります!
    歌舞伎座に向かおうと歩き出したところ、道の途中、うっかり通り過ぎてしまいそうなほどこぢんまりとした神社がありました。立派な狛犬が座っています。


    ▲供えられていた油揚げは袋に入ったままで置いてありました。
    白土さんいわく、江戸時代、ここには深溝藩主板倉家があり、大名屋敷には中に家内安全・火除けなどの社が多く建立されましたが、明治維新後もこの神社だけが残ったのだそう。江戸時代には流行り神というものがあり、最も流行ったのが稲荷神社なんだとか。だから東京には稲荷神社が多いんだなあと納得しました。
    (1)歌舞伎座 屋上庭園
    最初に私たちは、歌舞伎座の屋上庭園に向かいました。小さいながらも心が落ち着く屋上庭園。歌舞伎座のビルには、それ以外にもカフェやたくさんの展示がありますが、あまり知られていない場所なのか人気がありませんでした。銀座の真ん中に、穴場スポット発見です!



    庭園から下の階へ下りるとき、歌舞伎座の屋根の瓦を間近に見下ろすことができます。とても貴重な経験でした! 一つ下の階へ下りると、歌舞伎座の歴史に関する展示スペースがありました。

    ▲明治時代の歌舞伎座の模型。欧米文化を取り入れようと、外観は西洋風の設計になったそう。

    ▲焼失後、1920年代に建て替えられた歌舞伎座。第二次世界大戦前の時代の雰囲気の影響か、反対に日本式を意識したデザインが採用されています。
     
    ▲現在の歌舞伎座(上部に複合ビルを建設する前)
    何度も建て替えが行われており、すべての模型が揃っていたので見応えがありました。銀座の人混みに疲れたときに、立ち寄ってみてはいかがでしょうか?
    次は、築地へ向かいます。歩いている途中に、築地川銀座公園がありました。

    白土さんいわく、この公園の下を通る高速道路は、築地川という大きな川を埋め立てて道路にしたもの。1964年の東京オリンピック開催を前にして、首都高をつくりたい、でも土地の買収がなかなかできない、となったときに、買収が不要である川を埋め立てて道路にしてしまったそうです。当時は、貨物の輸送手段が船からトラックなど車に交代した時期だったため、水運の要であった築地川も埋め立てが決まったそう。ほかにも、この地域には川だったところを埋め立てた道路がいくつも存在しているそうです。この周辺を歩くときは、ぜひ探してみてください。

    ▲公園の下を通るのは高速道路。昔は川でした。
     
    ▲さらに歩くと、松竹大谷図書館があります。演劇から映画、テレビドラマまで、様々な作品の台本や雑誌などの資料を読むことができます。
    (2)築地本願寺
    築地本願寺が見えてきました! こちらは有名なお寺ですが、目の前を通るだけで入ったことのない人が多いのではないでしょうか?

    ▲築地本願寺。お寺と聞いて思い浮かべる建築とはかけ離れています。
    現在の築地本願寺の本堂は、伊東忠太さんという建築家がデザインしたもの。明治時代に新たな建築を探ろうと、当時の常識の西洋留学とは反対に「それならまずはシルクロードを遡ればいいんだ!」と、中央アジアあたりを参考にしてしまった変わった人なんだとか。そのため、アジャンター様式という、古代インドの建築様式が取り入れられています。
    そして、伊東忠太は怪物が大好きな人だったそうです。たしかに、あちこちに見られる動物の像は全て一味違いました。本願寺を訪れるときには、そこにいる動物たちにも注目してみてください。

    ▲伊東忠太流の怪物(牛?)。とても愛らしいです。
    本堂を出ると、敷地の端に、言われなければ気づくことが難しそうな石碑がありました。「これは説明しないと誰もわからない碑です(笑)」と言いながら、白土さんがこんな話をしてくれました。

    ▲凱旋釜。エピソードを一緒に聞いた瞬間、ただの石碑にしか観えなかったものがとても面白いものに見えました。
    「この石碑は、日露戦争のときに参謀総長だった児玉源太郎と、夢野久作のお父さんである政界のフィクサー・杉山茂丸という二人の親友のお茶目なやり取りの痕跡です。源太郎が戦争に行くとき、茂丸が『勝ったらお前の好きなものをなんでも買ってやる』と言いました。源太郎は『良いお茶の釜が欲しい』と言い残し、無事戦争に勝利して帰って来ました。そこで茂丸は約束を果たしますが、『お前が欲しかった釜はこれだろう!』と源太郎にプレゼントしたのは、豆腐屋さんが大量に大豆を煮る用の、家一軒分くらいの大きな釜だったんです。源太郎はせっかくもらったんだけれどもどうしようもないから、それを本願寺に奉納したと。戦争から帰ってくることを『凱旋』と言うので、これは『凱旋釜」と言うんです」
    お茶用の釜が欲しいと言ったら家一軒分ほどの大きさの釜をプレゼントされ、その出来事がいまもこうして築地本願寺の敷地内に記されているとは、スケールが大きすぎて笑ってしまいました。そんなに大きな釜を奉納された後、本願寺が釜をどう処理したのかも気になります。築地本願寺には、明治時代の軍人と政界のフィクサーとの、ちょっとしたお茶目な逸話も隠されていたんですね。
    (3)築地魚河岸
    すぐ近くには、豊洲に市場が移転したあとも築地に活気を残していく…という目的だった商業施設「築地魚河岸」がありました。ちょうどこの街歩きをした日が施設のプレオープン当日だったため、多くの人で賑わっていました。

    ▲迫力の赤身!
    (4)かちどき橋の資料館
    築地市場から海の方へ歩いていくと、勝どき橋の入り口付近に、「かちどき橋の資料館」があります。資料館は入館無料の施設で、小さい場所でしたが多くの人が訪れていました。
    勝どき橋の歴史や、はねあげ橋(橋の真ん中が開いて、船が通れるようになる仕組みの橋)として活躍していた時代の機械がたくさん展示してあります。普段立ち入ることのできない橋脚内を見ることができるツアーも受け付けているようでした。

    ▲はねあげ橋のモデル。


    ▲とても大きな発電機や、動力機械。橋をはねあげるための装置です。
    (5)勝どき橋
    そのまま私たちは、橋を渡って歩きました。勝どき橋は、昭和15年に開催予定だった万博博覧会のメインゲートとして利用するために、日本では数少ないはねあげ橋として計画されたのだそうです。日中戦争により、いったん建設は中止になったものの、1940年には無事に完成しました。
    どうしてこの場所かというと、近くには石川島播磨重工(当時・石川島重工)の造船ドックがあり、工業の発達した一帯だったから。白土さんによると、月島はまさに近代日本のテクノロジーが生まれるところだったそうです。埋立地ゆえに土地の利権者がおらず、非常に安い土地だったために新興の鉄工所などがたくさんできて、工場で働くというライフスタイルが生まれた地域でもありました。
    かつて、この隅田川は渡し舟で行き来していました。今ではこの橋のおかげで行き来しやすくなった銀座と月島ですが、昔はすごく遠い街だったんですね。

    ▲開発が進む月島、勝どきの街を一望。昔は工業の発信地でした。
    橋から対岸の月島や勝どきエリアを眺めると、続々とタワーマンションが建っている様子がわかります。明治以来、工場労働者層の住む地域だった月島が、いまではニューリッチ層の街に変わったことがわかる景色です。なんだか歴史の変化に思いを馳せてしまいます。

    ▲ここから往来する船の様子を見て、橋の開け閉めを指示していたそうです。
     
    ▲真ん中から下を覗くと川が見えます…!
    橋のちょうど真ん中に立って下を覗くと、川の水がゆらゆら揺れているのがわかります。この橋は、二つのパーツが組み合わさったはねあげ橋なのだと実感できます。車が通ると振動がとても大きくてびっくり。あの振動は、皆さんにも体験していただきたいです……! 立ち止まらずに渡ってしまうと気づくことのできないポイントでした。
    (6)月島西仲通り商店街
    勝どき橋を渡り、月島に入ると、街並みが一気に直線的になります。月島は、埋め立てられた新しい土地であるため、明治以降の、きれいに整備された区画であることがわかります。
    「もんじゃストリート」の異名を持つ月島西仲通り商店街は、その名の通りもんじゃ屋さんがたくさんありましたが、それだけではありませんでした。

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  • 『聲の形』――『君の名は。』の陰で善戦する京アニ最新作が、やれたこととやれなかったこと(稲田豊史×宇野常寛)【月刊カルチャー時評 毎月第4木曜配信】☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.759 ☆

    2016-12-22 07:00  
    550pt

    『聲の形』――『君の名は。』の陰で善戦する京アニ最新作が、やれたこととやれなかったこと(稲田豊史×宇野常寛)【月刊カルチャー時評 毎月第4木曜配信】
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.12.22 vol.759
    http://wakusei2nd.com



    今朝のメルマガは、映画『聲の形』について、稲田豊史さんと宇野常寛の対談をお届けします。
    後半失速した漫画原作を、統一感のある劇場向けアニメとして見事に再構成した本作。聴覚障害者を記号的な美少女として描くことで、00年代的な「萌え絵」を生々しい「現実」と対峙させる、その試みの是非について論じます。(初出:「サイゾー」2016年12月号)


    (画像出典:映画『聲の形』公式サイトより)
    ▼作品紹介
    『聲の形』
    原作/大今良時 監督/山田尚子 脚本/吉田玲子 制作/京都アニメーション 出演(声)/入野自由、早見沙織、悠木碧ほか 配給/松竹 公開/16年9月17日
    聴覚障害を持つ硝子は、普通学級に転入したが、クラスメイトからいじめや嫌がらせを受ける。その中心になっていた男子児童・石田だったが、ある日学校側からいじめを指摘されたことをきっかけに、今度は石田がいじめられる側に回ってしまう。硝子はその後転校し、石田は心の傷を抱えたまま高校生になった。ある時、硝子と石田は再会し、周囲の友人たちも含めて徐々に関係を深めていく。原作は作者のデビュー作であり、2011年に「別冊少年マガジン」にて読み切り版が掲載された際に、大きな反響を呼んだ(その後連載化)。
    ▼プロフィール
    稲田豊史(いなだ・とよし)
    編集者/ライター。キネマ旬報社でDVD業界誌編集長、書籍編集者を経て2013年にフリーランス。『セーラームーン世代の社会論』(単著)、『ヤンキーマンガガイドブック』(企画・編集)、『ヤンキー経済 消費の主役・新保守層の正体』(構成/原田曜平・著)、評論誌『PLANETS』『あまちゃんメモリーズ』(共同編集)。その他の編集担当書籍は、『団地団~ベランダから見渡す映画論~』(大山顕、佐藤大、速水健朗・著)、『成熟という檻「魔法少女まどか☆マギカ」論』(山川賢一・著)、『全方位型お笑いマガジン「コメ旬」』など。「サイゾー」「アニメビジエンス」などで執筆中。
    http://inadatoyoshi.com
    ◎構成/金手健市
    『月刊カルチャー時評』過去の配信記事一覧はこちらのリンクから。
    前回:『君の名は。』――興収130億円でポストジブリ作家競争一歩リード――その過程で失われてしまった“新海作品”の力(石岡良治×宇野常寛)
    宇野 前提として、僕は原作(連載版)を読んでいたときに、後半になるにつれて舵取りに失敗した作品だと思っていたんですよね。聴覚障害を持つヒロインを萌え系の絵で描くというある種露悪性のあるギミックを使って、取り扱いの難しい題材にどこまで深く切り込めるか、少年マンガの枠組みの中で挑んだ、かなり偉大な冒険作ではある。具体的には、どうしてもどこかの部分で絶対的な断絶がある存在と、あるいはどうしても消せない過去とどうやって向き合っていくのかを描きたかったんだと思うんですよ。コンセプトも面白いし、志も高かった。
     でも、原作マンガの後半は明らかに失敗している。あの『中学生日記』ならぬ『高校生日記』みたいな青春群像劇はないでしょう?この設定を用いている意味がない内容だし、描写も凡庸。そして何より、前半で提示したテーマが、この展開で雲散霧消してしまっている。
     作者としては、読者の感情移入の装置として群像劇にすることで、この物語を他人事じゃなくて自分事として捉えられるようにしようとしたんだと思うんだけど、結果、それが作者に対して高いハードルからの逃避として機能してしまったというのが、僕の原作理解です。その原作をどう映像化するのかというときに、劇場版では取捨選択がそれなりにうまくいって、結果として『聲の形』という作品自体をかなり救済したんじゃないか。
    稲田 長めのコミック原作モノの映画化でありがちなのが、原作を読んでいなくても、エピソードを端折った部分がなんとなくわかっちゃうということ。「このシーンの前後が本当は描かれていたけど、尺の都合でカットした結果、描き込みが足りなくて説得力がなくなってるな」とか。でも、『聲の形』にはそれが全然なかった。僕は原作を読まずに劇場に行ったんですが、1本の映画として過不足なくまとまっていて、いくつかのエピソードは端折ったんだろうけど、そのことが作品の本質をまったく傷つけていないのが伝わりました。
     観る前は、「障害者差別の話とそれに関する贖罪の話なのかな」程度の認識だったんですけど、実際はその数段上をいっていた。それをはっきり感じたのは、高校生になった植野【1】と硝子【2】の観覧車のシーンです。聴覚障害者の硝子を疎ましく思っている植野が、硝子に対して「あんたは5年前も今も、あたしと話す気がないのよ」と言う。「障害者を差別する側が100%悪い」という一般的な認識が絶対多数である中、ともすれば「いじめられていた障害者側の“非”を糾弾する」とも取られかねない、なんなら炎上しかねない展開ですが、ものすごく説得力がありました。
     実際、硝子はなんでもすぐに謝ってしまうし、態度はずっと卑屈です。植野が示した不快感は「健常者だろうが障害者だろうが、卑屈なのは良くない」という、現実社会においてはなかなか口に出しては言えない心の叫びだった。だから終盤に硝子が飛び降り自殺を図ったときに、観客はそれが彼女の絶望から来る行動というよりは、「人として身勝手な行動」だという解釈に納得できる。それまでに説得力あるシーンを重ねたからこそ、そこに到達できるんです。
     もうひとつ、若者コミュニケーション論的な部分にも目がいきました。この作品、とにかく登場人物がすぐ謝るんですよね。「ごめんなさい」のセリフがすごく多い。登場人物たちも含む“さとり世代”以降の世代に特有の、「深い人間関係を築いて不協和音に苦しむよりも、さっさと謝って距離を取ったほうが楽」というやつです。それに対して、「もっと深く関わらないと駄目なんだ」ということを描いている点は、非常に批評的だと感じました。
     こういった主張や批評を実写でやったら、主張が剥き出しすぎて実に空々しくなってしまうと思うんですよ。でもアニメという様式美を通すことで、観客はストレートな主張や批評にも聞く耳を持つ。素直に受け入れられる。今後、いわゆる“文芸”と呼ばれるような、人間を描こうとする映像ジャンルは、実写よりアニメで伝えたほうが伝達効率がいいんじゃないか、とすら思いました。少なくとも若者層に対しては。

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  • わたしの学校生活|周庭

    2016-12-21 07:00  

    御宅女生的政治日常――香港で民主化運動をしている女子大生の日記第3回 わたしの学校生活【毎月第3水曜配信】
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.12.21 vol.758
    http://wakusei2nd.com


    今朝のメルマガは、香港の社会運動家・周庭(アグネス・チョウ)さんの連載「御宅女生的政治日常――香港で民主化運動をしている女子大生の日記」の第3回をお届けします。香港浸会大学の学生でありながら、立法会議員事務所の非常勤政策研究員と政党の副秘書長を兼任している彼女は、どんな学生生活を送っているのでしょうか。今月誕生日を迎えたばかりの周庭さんが、キャンパスライフや高校生活の思い出、20歳の抱負を語ります。
    ▼プロフィール
    周庭(アグネス・チョウ)
    1996年香港生まれ。社会活動家。17歳のときに学生運動組織「学民思潮」の中心メンバーの一員として雨傘運動に参加し、スポークス
  • invitation to MAKERS 第3回 V-Sido――ロボットの〈居場所〉をつくる アスラテック株式会社 吉崎航【不定期連載】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.757 ☆

    2016-12-20 07:00  
    550pt

    invitation to MAKERS 第3回V-Sido――ロボットの〈居場所〉をつくるアスラテック株式会社 吉崎航【不定期連載】
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.12.20 vol.757
    http://wakusei2nd.com


    今朝のメルマガは「invitation to MAKERS」をお届けします。第3回は、アスラテック株式会社でチーフロボットクリエイターを務める吉崎航さんのインタビューです。
    多彩なロボットを制御するソフトウェア「V-Sido」が開発された背景には、「ロボットが普通に存在する社会を作りたい」という吉崎さんのヴィジョンがあります。ロボティクスの最前線から考える、ロボット社会の未来像についてお話を伺いました。
    『invitation to MAKERS 』、過去記事一覧はこちらのリンクから。
    前回:invitation to MAKERS 第2回 Pyrenee Drive――ネットワークが運転を支援する 株式会社Pyrenee 三野龍太
    ▼プロフィール
    吉崎航(よしざき・わたる)
    ロボット制御システム「V-Sido」開発者。2009年、経産省所管のIPA(独立行政法人情報処理推進機構)が実施した「未踏IT人材発掘・育成事業」において「V-Sido」を発表。その成果により、特に優れた人材として経産省から「スーパークリエータ」に認定される。その後、水道橋重工の「クラタス」など数多くのロボット制御に携わり、2013年にアスラテック立ち上げに参画。2014年に安倍晋三首相主宰の有識者会議「ロボット革命実現会議」の委員として任命され、翌2015年からは「ロボット革命イニシアティブ協議会」の参与に選任される。
    ◎構成:長谷川リョー

    ◼︎アイデアとロボットの間を仲介する技術「V-Sido」
    ――吉崎さんが開発された「V-Sido」についてですが、これはロボットを操作するためのOSという理解でよいのでしょうか?
    吉崎 簡単にいえば、ロボットの制御部分についての技術と理解していただくとわかりやすいと思います。アイデアをロボットで実現するための仲介機能としてのソフトウェアを提供するのが「V-Sido」です。
    私たちは基本的に、自社のロボットは持ちませんし、ロボット本体の製造もしていません。ロボットというと、災害救助や老人介護や家事といった、人間がやりたくないことを何でもやってくれる存在を夢想しがちですが、研究所で何億円もかけて人型ロボットの開発を進める方法では、そういった現場で使えるような実用的なロボットはつくりにくいところもあります。そこで、災害救助なら救助用の器具、介護なら介護用の器具を作られている企業さんがロボットの企画を立てて、それを私たちがお手伝いするという形であれば、お互いのよいところを引き出せるのではないかと考えています。たとえば、車椅子を作っているメーカーでは、ロボットの腕や指の機能だけが必要になるかもしれない。そういったニーズをいかにソフトウェア的な面からサポートできるか、ということをやっています。そのために開発されたのが「V-Sido」なので、具体的にどの技術という話ではなく、さまざまなアイデアをロボットで実現するための仲介機能、もうちょっと狭い意味で言うとロボットの制御部分に関するソフトウェアを提供しています。
    ――「V-Sido」の従来のロボット制御とは違う、新しい部分はどのあたりになるのでしょう。
    吉崎 従来のロボット、特にホビー系のロボットの操作は、あらかじめ動きをプログラミングしておいて、それをボタンで呼び出す方式が一般的です。しかし、このやり方ではリアルタイム性に欠けます。私たちの技術であれば、直感的な操作によって、その場でロボットを好きな姿勢に動かすことができます。操作方法はさまざまで、ジョイスティック、ゲームパッド、Kinectなど、あらゆるインタフェースで動かすことが可能です。

    ▲V-Sido x Songle 

    https://www.youtube.com/watch?v=sw8qGIvjPXQ
    これは、国立研究開発法人産業技術総合研究所の「Songle」という音楽解析技術と「V-Sido」を連携させて、音楽に合わせてロボットがダンスするようにしたものです。動画を見てもらえれば分かりますが、大きさもデザインも異なる三種類のロボットが同時に踊っています。それぞれ違うメーカーの別々のロボットであるにもかかわらず、仲介機能に互換性を持たせることで、まったく同じように動かすことができます。イメージとしては、人間の小脳や脊髄にあたる部分を我々が制作し、そこにメーカーさんのサーボモーターや油圧・空圧といったアクチュエーターを動かすためのノウハウを加える。そのシステム全体を総称して「V-Sido」と呼んでいます。

    ▲J-deite Quarter
    これは、「J-deite Quarter」という、歩行したり車に変形したりして走行できるロボットで、全長は1.3メートルあります。これと同じような歩行や変形ができるロボットで、これよりもはるかに小さい全長20センチの小型ロボットも、商品化に向けてタカラトミーさんと試作を行っていますし、3.5メートルの2人乗りのロボットを作るという話も進んでいます。
    「V-Sido」の大きな特徴として、サイズがまったく異なるロボットを、同じソフトウェアで動かすことができる点が挙げられます。本来、小さいロボットと大きなロボットで完全な互換性を実現するのは非常に難しい。サイズによって駆動に使われる部品が違うので、それに合わせた調整が必要になるのですが、そのためのノウハウはかなり蓄積されています。私はこれを「ロボット同士の架け橋」という言い方をしていますが、その最適解を見つけるための施策のお手伝いを、さまざまなメーカーさんとやらせてもらっています。
    ◼︎現実世界のロボットが「人型」であるべき理由
    ――吉崎さんがロボットの製作に興味を持ったのは、どのようなきっかけがあったのでしょうか?
    吉崎 ロボットアニメの影響が大きいですね。私は1985年生まれなのですが、『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』(1988年)や『機動戦士ガンダムF91』(1991年)のあたりからガンダムにハマって、最初に作ったプラモデルもF91でした。同時期の『機動警察パトレイバー』(1989年)も大好きでしたね。
    中学生の頃から、ノートにロボットの絵を描いていて、「全長4メートルなら実現できるか?」「エンジンの出力で可能か?」「歩いていると仮定したときの無次元速度はどれくらいか?」とか、そんなことばかり考えていました。現在V-Sidoで使われている技術や考え方も、このときのアイデアから来ているものが少なくありません。

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  • HANGOUT PLUSレポート 乙武洋匡×宇野常寛「もう一度この国が変わると思えるために」(2017年12月12日放送分)【毎週月曜配信】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.756 ☆

    2016-12-19 07:00  
    550pt


    HANGOUT PLUSレポート
    乙武洋匡×宇野常寛
    「もう一度この国が変わると思えるために」
    【毎週月曜配信】

    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.12.19 vol.756
    http://wakusei2nd.com



    毎週月曜日夜よりニコ生で放送中の、宇野常寛がナビゲーターをつとめる「HANGOUT PLUS」。2016年12月12日の放送では、乙武洋匡さんをゲストに迎えて対談を行ったほか、視聴者の皆さんから寄せられた質問メールに宇野が答えました。今回は放送内容をレポート形式でお届けします。

    PLANETSチャンネルで、J-WAVE 「THE HANGOUT」月曜日の後継となる宇野常寛のニコ生番組を放送中!
    〈HANGOUT PLUS〉番組に関する情報はこちら
    ▼ゲストプロフィール
    乙武洋匡(おとたけ・ひろただ)
    1976年、東京都生まれ。大学在学中に出版した『五体不満足』がベストセラーに。卒業後はスポーツライターとして活躍。その後、教育に強い関心を抱き、新宿区教育委員会非常勤職員「子どもの生き方パートナー」、杉並区立杉並第四小学校教諭を経て、2013年2月には東京都教育委員に就任。教員時代の経験をもとに書いた初の小説『だいじょうぶ3組』は映画化され、自身も出演。続編小説『ありがとう3組』も刊行された。おもな著書に『だから、僕は学校へ行く!』、『オトことば。』、『オトタケ先生の3つの授業』など。2014年4月には、地域密着を目指すゴミ拾いNPO「グリーンバード新宿」を立ち上げ、代表に就任する。2015年4月より政策研究大学院大学の修士課程にて公共政策を学ぶ。
    「HANGOUT PLUS書き起こし」これまでの記事はこちらのリンクから。

    前回:HANGOUT PLUS 宇野常寛ソロトークSPECIAL(11月28日放送分書き起こし)【毎週月曜日配信】

    ※このテキストは2016年12月12日放送の「HANGOUT PLUS」の内容のダイジェストです。◎構成:村谷由香里
    ◼ クリーンなイメージが壊れたからできること
     12月12日の放送は、8ヶ月ぶりにメディア復帰を果たした乙武洋匡さんをお迎えし、この8ヶ月のこと、そして「これから」についてのお話を伺いました。
     乙武さんはフジテレビの『ワイドナショー』への出演をきっかけとしてメディアに復帰しました。宇野さんは番組スタッフの心意気が感じられると評価しつつも、その裏にある「テレビが裁く人を決めてよい」という思想には賛同できない、乙武さんがそこに参加することは、テレビのいじめ文化の延命につながってしまうのではないかと危惧します。
     『五体不満足』以降、乙武さんはメディアによってつけられた「障害者」のイメージと戦ってきました。今回の騒動で乙武さんが激しく非難された一因には、障害者である乙武さんに、クリーンなイメージが期待されていたことがあると言えるでしょう。ある意味では障害者のイメージを壊すきっかけになった今回の騒動を経験して、乙武さんは空気を読んだり、求められていることに応えようとするのは止めたと語ります。
     そんな乙武さんは、これから取り組みたいことについて、障害者スポーツを挙げました。これまで乙武さんは、障害者スポーツを扱うことを避けてきたと言います。障害者がスポーツジャーナリストをしているという意外性がなくなってしまうためです。しかし、クリーンなイメージがなくなり、これまで関わりたいと思っていた教育や政治から距離を置かざるを得ない今だからこそ、障害者スポーツに真正面から取り組むことが有効なのではないかと語ります。
     
    ◼ 「同じように生きさせろ」から「好きに生きさせろ」へ

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  • 大見崇晴『イメージの世界へ 村上春樹と三島由紀夫』第8回 あなたが純文学作家になりたいならば——ロベルト・ボラーニョ『野生の探偵たち』と『2666』を中心として【不定期連載】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.755 ☆

    2016-12-16 07:00  
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    大見崇晴『イメージの世界へ 村上春樹と三島由紀夫』第8回 あなたが純文学作家になりたいならば――ロベルト・ボラーニョ『野生の探偵たち』と『2666』を中心として【不定期連載】
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.12.16 vol.755
    http://wakusei2nd.com


    今朝のメルマガでは大見崇晴さんの連載『イメージの世界へ 村上春樹と三島由紀夫』第8回をお届けします。近年注目を集めているラテンアメリカ文学の代表的作家ロベルト・ボラーニョ。その代表作『野生の探偵たち』『2666』における、ひたすら間延びしていく記述と有名作品のパロディから、村上春樹との共通項を見出していきます。
    ▼プロフィール
    大見崇晴(おおみ・たかはる)
    1978年生まれ。國學院大学文学部卒(日本文学専攻)。サラリーマンとして働くかたわら日曜ジャーナリスト/文藝評論家として活動、カルチャー総合誌「PLANETS」の創刊にも参加。戦後文学史の再検討とテレビメディアの変容を追っている。著書に『「テレビリアリティ」の時代』(大和書房、2013年)がある。
    本メルマガで連載中の『イメージの世界へ』配信記事一覧はこちらのリンクから。

    前回:大見崇晴『イメージの世界へ 村上春樹と三島由紀夫』第7回 三島の終焉 その美的追求によるパフォーマンス原理(後編)

     二〇〇九年ごろ、ラテンアメリカ文学の歴史を変えた小説家として、ロベルト・ボラーニョの名前が日本でも喧伝されはじめた。その噂はボラーニョ最後の著作となる『2666』の英訳が全米批評家協会賞を受賞したことがきっかけだった。まず、短編集の『通話』が翻訳され、次いで大作として前評判が高かった『野生の探偵たち』が二〇一〇年に翻訳された。
     『野生の探偵たち』の翻訳は、それまで土着的な、それでいて幻想的な世界を表現していると――それは近代的な表現である小説に、前近代的な世界観を織り込むという矛盾を含む表現方法であるのだが――思われてきたラテンアメリカ文学の印象を一新させた。小説に登場するのはラテンアメリカの文壇だ。小説中の前衛詩人をめぐって五十三人のインタビューが収録されている。インタビューされた人物にはノーベル文学賞を受賞した詩人オクタビオ・パスの秘書もいる。描かれるのはラテンアメリカの土着的な風景ではなく、都市生活者である詩人や作家たちの楽屋裏である。
     近年、紹介者として八面六臂の活躍をしている寺尾隆吉が『ラテンアメリカ文学入門』で説明するところによれば、ボラーニョ登場の直前は回想録(そこには「大御所作家の友人という特権を頼みに私生活を切り売りしたような」ものが混ざっていたという)が氾濫する状態であり、閉塞感があったようである。寺尾によれば『野生の探偵たち』は「批評界から高い評価を受けたほか、販売面でも好成績を収め、作家の道を模索する新世代の純文学作家たちにとって道標」になったという。
     ところで筆者は、翻訳されて間もない『野生の探偵たち』を読んで鼻白んだ。この小説は数十頁で収まる内容を邦訳にして八百頁程度に引き伸ばしたものだったからである。だが、翻訳当初は訳者である柳原孝敦が「めっぽう面白くて紛れもない傑作なのだけれど、何しろ長くて難解なこの小説」と「訳者あとがき」に記しているように、ボラーニョは前衛的な、それも難解な小説家と思われていた。しかし、これは途方もない誤解であると筆者は断じる。ボラーニョの小説は難解なのではなく、ただひたすら頁数を消費しており、読者が読み解こうとする苦労が報われない――読み解こうとした所で謎がないためだ――小説であり、その報われ無さを難解さとして納得しようとする読者に向けた小説なのである。
     つまるところ、それは難解さを装った書物であり、頁を捲るという肉体労働を続けるだけで、難解さと対峙したと誤解できる書物なのである。そのような小説を求める読者とは難解を受容している自分に酔いしれるために書物を消費しようとしている読者である。
     この悪質な作者と読者の結託による構造的な欠陥を持った小説がボラーニョ文学の特徴と言える。日本の海外文学におけるボラーニョの紹介は、そのような構造欠陥を知って知らぬかのようになされたと言えよう。
     たとえば、三島賞作家小野正嗣と英米文学者である越川芳明との対談は、ある意味では欺瞞に満ちたものと言える。

    小野 ストーリーが明確な構造を持っていて、透明に意味が伝わってくるものを好むようです。スピードと透明さに価値を置く読者が明らかに増えていて、小説を「享受」というより「消費」している。でも小説は「言葉でできた芸術作品」ですから、「そういう読み方ってまずいんじゃないか」って思っている読者も実はけっこういると思うんです。だから、そうした人たちは、あっという間に消費される作品とは対極にある『2666』のような作品を待ち望んでいて、いまこの本を読みながら、わからないものに時間をかけて取り組む喜びを感じているのではないでしょうか。もちろん、わからないって言っても、決して難解なわけではないですから。読み手にある程度の負荷をかけてくる作品を、読者もどこかで希求しているんじゃないでしょうか。
     そうは思うのですが、おそらくこの小説を本屋で見て手に取る人は、やっぱり一般的な読者の方ではないですよね。
    越川 村上春樹が好きな人は手に取らないよね。
    (「この小説は「砂漠」だ」)


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  • 前世紀ロボットアニメを支えた「ホビー」としてのプレイアビリティ(『石岡良治の現代アニメ史講義』第5章 今世紀のロボットアニメ(2))【不定期配信】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.754 ☆

    2016-12-15 07:00  
    550pt
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    前世紀ロボットアニメを支えた「ホビー」としてのプレイアビリティ(『石岡良治の現代アニメ史講義』第5章今世紀のロボットアニメ(1))【不定期配信】
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.12.15 vol.754
    http://wakusei2nd.com


    今朝のメルマガは『石岡良治の現代アニメ史講義』をお届けします。今回は、アニメ史におけるロボットアニメのプレゼンス確立に貢献した2つの要素、「プラモデル」「ゲーム」に着目して解説します。
    ▼プロフィール
    石岡良治(いしおか・よしはる)
    1972年東京生まれ。批評家・表象文化論(芸術理論・視覚文化)・ポピュラー文化研究。東京大学大学院総合文化研究科(表象文化論)博士後期課程単位取得満期退学。青山学院大学ほかで非常勤講師。PLANETSチャンネルにて「石岡良治の最強☆自宅警備塾」を放送中。著書に『視覚文化「超」講義』(フィルムアート社)、『「超」批評 視覚文化×マンガ』(青土社)など。
    『石岡良治の現代アニメ史講義』これまでの連載はこちらのリンクから。

    前回:20世紀のロボットアニメを概観する(『石岡良治の現代アニメ史講義』第5章 今世紀のロボットアニメ(1))

    ■『エヴァ』『コードギアス』で視聴者が注目するのは「ロボット」ではない
     前回は簡単に前世紀のロボットアニメ史の流れを一瞥してみました。予告でも触れた論点ですが、今世紀のアニメファンにとってロボットアニメの存在感はかなり低下しています。それでは、かつてアニメを代表するジャンルとされ、今でも精力的に作られ続けているロボットアニメの魅力とはなんだったのでしょうか? 「カッコイイ」「全能感を満たせる」等、個別の説明はそれぞれ重要ですが、興味深い事実として、今なおロボットアニメについては、大張正己をはじめとした職人アニメーターの匠の技を賞賛する文化が生きていることが挙げられます。『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』(2015、2016年)でも、メカ作画が重要になる要所要所で、1980年代から活躍している大張正己が参加していることは有名です。彼は『スパロボ』でもしばしばメカ作画を担当していますが、前回『スパロボ』プレイヤーの固定化・高齢化傾向に触れたように、クリエイターも消費者も、今なお80年代からの流れを受け継いでいるところは否めません。
     さて、前回、80年代前半のロボットアニメの多くがポストガンダムとしての性格をもち、90年代後半〜00年代前半はポストエヴァとしてまとめられると指摘しました。ではそれ以降現在に至るロボットアニメはどうでしょうか?「ポストガンダム」「ポストエヴァ」というまとめが、個々のタイトルに愛着を持つ人の強い反発を起こすことは承知の上で(例えば私自身は『イデオン』を「ポストガンダム」と呼ぶことについては、違和感もありますが、便宜的な大枠ではそう呼んでも良いという感覚を持っています)、00年代後半〜10年代のロボットアニメをあえてまとめるならば、「ポストギアス」と呼べるのではないかと考えています。
     2017年から『コードギアス』の続篇企画が動くことが発表されていますが、このことは、逆説的にここ十年の新規オリジナルタイトルの中では最も存在感があった事実を示しています。「今世紀のロボットアニメ」を考えると、ガンダムやマクロスなど定番タイトルを除けば、今世紀初頭は「ポストエヴァ系のタイトル」そして2006-2008年の『コードギアス 反逆のルルーシュ』、そして「ポストギアスの模索」とまとめられるように思います。大半の「ポストギアス」狙いタイトルが挫折するなか、当のギアスの新シリーズが動き出したというイメージです。もちろんいくつかランダムに上げるだけでも『交響詩篇エウレカセブン』(2005年)、『ゼーガペイン』(2006年)、『天元突破グレンラガン』(2007年)、『銀河機攻隊マジェスティックプリンス』(2013年)等々、一定のファンを得たタイトルがありますが、ロボットアニメファンプロパーを超えた影響力という点ではやはり、『コードギアス』の存在感が際立っています。
     ただ、同時に触れなければならないのが、『エヴァ』の時点ですでに、多くの視聴者の関心がロボットにはなかったという事実です。1990年代に典型的なサイコドラマとしての側面が、爆発的ヒットとなった理由としては重要でしょう。『コードギアス』に関しても、ロボットである「ナイトメアフレーム」の存在感としては、メインキャラクターの一人枢木スザクが操る「ランスロット」の発進ポーズが最も有名で、他の印象はそこまで大きくないのではないでしょうか。個人的には紅月カレンが乗り込む「紅蓮弐式」なども興味深いのですが、もっぱら『DEATH NOTE』の夜神月を彷彿とさせる主人公ルルーシュをはじめとするキャラ、そしてルルーシュが床を崩したりギアスで他人に命じる描写の印象が顕著です。しかしもちろん、『コードギアス』は突然変異的に出てきたわけではなく、ロボットアニメとしての系譜も見逃すわけにはいきません。実際のところ、『コードギアス』には、野心的ながらも一般にはアピールしなかった高橋良輔監督の『ガサラキ』(1998-1999年)のリベンジとしての性質をみることができます。『ガサラキ』は途中で反米クーデターのモチーフが肥大化してしまった感があるのですが、同作では副監督を努めた谷口悟朗が、『コードギアス』では諸勢力の政治的利害関係をひたすらシャッフルした結果、例えば日本にとっての敵国をアメリカではなく架空の「ブリタニア帝国」とすることで、政治的読解という点では右派も左派も「等しく逆撫でする」ことに成功しました。
     けれども一般的にみるならば、ロボットアニメの人気作をロボットの魅力のみから語ることが困難であるという、一見逆説的な状況が当たり前となって久しいといえるでしょう。しかし前回予告したように、ここで一旦、『ガンダム』がもたらしたロボットへの関心がどのような展開を辿ったのかについて、様々な「男児向けホビー」の観点から見ていきたいと思います。
     なお、ホビーを性差で規定することについては議論の余地がありますが、以前キッズアニメの章で「女児向けアニメ」の射程について述べたときと同様の便宜的な区分と考えていただけると幸いです。私自身は男女に明確に向けられたコンテンツを出来る限り「両方」触れるようにしていますが、過去に遡れば遡るほど、アニメにおける性差の規定が大きなものであったことを思い知らされます(かつてはアニソンの歌詞に「男の子だから」「女の子だから」がしばしばみられたものでした)。
     以下、前回「ロボットアニメ」に関して前世紀から今世紀に至る流れを簡単に見てきたのと同じ時代を、主としてプラモデルとゲームに即して辿っていきたいと思います。
    ■ガンプラ市場の大きさが「宇宙世紀ガンダム」の続編企画を支えた
     ガンダムシリーズ最新作『鉄血のオルフェンズ』の反響についてひとつ興味深いことがあります。視聴率やソフト売上という点では必ずしもブランド力に見合っていないという見解もあるのですが、主役機「ガンダム・バルバトス」をはじめとして、「ガンプラ」の売上という点ではかなり好調であるという事実です。
     そもそも80年代のロボットアニメブームはほぼ『ガンダム』の存在や、再放送中に爆発的に売れた「ガンプラブーム」の余波という側面があるのですが、プラモデルというホビーの世界が、アニメから半分自律した世界を形成していたことが、興味深い展開を生みました。
     現在に至る『ガンプラ』のクオリティの奇形的ともいえる発展についてはよく知られていますが、前回「リアルロボットアニメ」の典型として挙げた『太陽の牙ダグラム』は、もっぱらプラモデルの売上の力によって放送延長となり、75話という長期アニメとなりました。現在では後続の『装甲騎兵ボトムズ』の方がアニメ作品としての存在感は大きいのですが、80年代のガンプラブームの直撃世代である私の印象としては、『ダグラム』のプラモデルは、デザイナー大河原邦男の無骨なデザインがいい感じに出ていて、ガンダムをよりリアル寄りにしたメカが魅力的でした。

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