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偉大な先達の伝説を超えてゆけ!ヴィジュアル系の明日はどっちだ!?(市川哲史×藤谷千明『すべての道はV系に通ず』最終回)
2018-08-02 07:00
80年代以降の日本の音楽を「V系」という切り口から問い直す、市川哲史さんと藤谷千明さんの対談連載『すべての道はV系に通ず』。最終回となる今回は、ヴィジュアル系のこれからについてです。音楽性でも「お化粧」でもないV系の本当の定義。そして、成功体験を持たない新世代ヴィジュアル系バンドの課題と可能性について語ります。(構成:藤谷千明)
【告知】「すべての道はV系に通ず」が書籍になります!
本メルマガの内容に大幅な加筆を加えて、8月6日刊行予定。
『すべての道はV系へ通ず。』 著者:市川 哲史、藤谷 千明 発売日:2018年8月6日 価格:1944円 版元:シンコーミュージック Amazonでの予約はこちらから。
現代のヴィジュアル系は前ほど成功しなくてもいい?
藤谷 今回で連載の最終回になります。足掛け3年……その間にもヴィジュアル系シーンはいろいろなことがありましたが。なので最後に、2010年代のシーンの意味合い、そして《あしたのヴィジュアル系》はどうなっていくのかということについて、話していきたいと思います。
市川 燃え尽きて白い灰になったと思って油断したら、その中からまた何かが飛び出してくる感じなんじゃない?
藤谷 (ものすごく無視)。10年代のトピックというと、まずはゴールデンボンバーの大ブレイクですね。2009年に発表した〝女々しくて〟を契機に、2012年末には『NHK紅白歌合戦』にも出場しました。そんな金爆景気に連動してか、2011年あたりからνやHERO、ViViD、ダウトなど当時のシーンを牽引していたバンドのメジャー・デビューが続きます。
市川 そうなんだ? 世間一般には届いてなくても確実に胎動している、と。
藤谷 そのνもHEROもViViDも、いまは解散or活動休止していますが……。
市川 ほえ?
藤谷 その一方で、インディーズ・シーンではR指定や己龍らが頭角を現し、MEJIBRAYやDIAURAといった〈ダークなヴィジュアル系〉を現代の感覚で再解釈したようなバンドの勢いもあり、全体的に活気づいていた印象があります。
市川 そうなんだろうけどゴールデンボンバー以外、大衆性を獲得できていないわけだよね。なぜだと思う?
藤谷 うーん。象徴的な出来事としてまずは、ゴールデンボンバーの《メジャー行きま宣言》が挙げられますよね。
市川 制作も宣伝も流通も、インディーズで十分できちゃう時代だからな。メジャーでデビューするメリットは一切失くなった。むしろ自前のインディーズでやった方が全然儲かるのは、金爆が実証したし。そういえば前回書いた《hide20周忌記念ニコ生》で、ユニバーサル時代に生前のhideその後PIERROTの宣伝担当だった奴に久々に再会したのさ。で来週からの新しい職場の名刺貰ったら、某ユニバーサルに本部長で復帰ときたもんだ。
藤谷 それって大出世なんじゃないんですか。
市川 うん。だからちょうど知人から頼まれてた、某ユーミンの10月神戸公演のチケットを融通してもらおうと思って。ところが出社二日目の彼から来たメールが、「軽く断られました、びっくりです、まだ力不足です(泣)」だって。いやあ本部長が所属アーティストのチケットも融通できないだなんて、メジャーの権威も地に落ちたよ。
藤谷 チケットはチケ発して自分で勝ち獲るものです!!
市川 お、さすがのバンギャ脳。
藤谷 で、2010年にSIDとthe GazettEの東京ドーム公演以降、ドーム規模でライヴを行なったヴィジュアル系バンドは出てきていません。ゴールデンボンバーも人気から考えると数年前にやってて全然おかしくないけれど、むしろ自分たちのライヴ――《ゴールデンボンバー ホントに全国ツアー2013~裸の王様~》において、〈バンドを捨ててソロ・デビューした鬼龍院のドーム公演が大失敗〉みたいなネタをすでにやっているんですよね。
市川 「らしい」なぁ相変わらず。
藤谷 それに、去年だったかな――とある中堅V系バンドのリーダーに取材したら、「『高さ』ではなくて『距離』を目指したい」と。
市川 あん?
藤谷 つまり、一瞬の絶頂よりも長く続けたいみたいで。
市川 「太く短く」ではなく「細く長く」だとぉ? 男のくせに金玉ついてんのか、志が低いんだよコラてめワレたこ。でもV系に限らずどのポップ・カルチャーも、タコツボ化が甚だしい昨今だと思うよ。
藤谷 前々回の《ゼロ年代篇》でも言いましたが、いまや90年代のヤンキー的〈イケイケどんどん〉の価値観ではないというか。
市川 そりゃ当たり前か。考えてみれば数多の再結成バンドたちだって、ゼロ年代に復活するときは本人も周囲も「あの成功体験をもう一度!」と目指してたはずでさ。だけどいざ再結成してみたら、盛り上がりはしたけど「あの」熱量には及ばない。そしてその成功のサイズ・ダウンは、リスナー環境の変化や音楽市場のド低落とも無縁ではないから、「前ほど成功しなくてもいいんだよ」的な言い訳が成立する。〈言い訳〉と書くとネガティヴだけどさ、却って健全になってる証拠なんじゃないかな。だって再結成バンドの皆が皆、また武道館や横浜アリーナや東京ドームを目指してたら、絶対失敗するに決まってるじゃん、このご時世。
藤谷 なんせバブル自体がもう20年前の話ですよ、現場の人でもそこにリアリティーを感じる人もいないのでは。
市川 だって誰も幸福になってないもん、結局。やたら羽振りが良かったはずの各マネジメントも畳んでるか権利関係で細々と食べてるかだし、あんなに契約金や制作費や宣伝費を大盤振る舞いしてたレコード会社だって、外資系に吸収されたかと思ったら本社ごと消滅したり、軒並み失くなっちゃった。あのイケイケの活況は二度と訪れはない。そういう意味では、再結成ってV系の〈夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡〉感をより鮮明に映し出したのかもしれない。でも逆に〈夢の跡〉だからこそ、V系がいまの時代の音楽シーンと共存できたんじゃないかなぁ。
藤谷 なんとか軟着陸できた、と。
市川 みんな、欲望が人並みになったんだよ(←しみじみ)。
ヴィジュアル系とは〈バンギャル〉がついているバンドである
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10年後にたどり着いた〈幸福な関係〉? 復活バンドブームは何をもたらしたか(市川哲史×藤谷千明『すべての道はV系に通ず』第16回)
2018-07-12 07:00
80年代以降の日本の音楽を「V系」という切り口から問い直す、市川哲史さんと藤谷千明さんの対談連載『すべての道はV系に通ず』。近年、LUNA SEAやX JAPANなど、V系全盛期を築いたバンドの再結成が相次いでいますが、約10年ぶりの再起動をどう捉えるべきなのか。V系バンドの「再結成」のあり方を議論します。(構成:藤谷千明)
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LUNA SEAとX JAPANの再結成をどう考えるか
藤谷 そもそも〈復活バンド〉という呼び方そのものが失礼なんですけど、ゼロ年代後半、90年代に活躍したバンドたちが立て続けに復活しました。なかでも、2007年のD’ERLANGER再結成、LUNA SEAの一日限定復活ライヴ、X JAPANの再結成、09年には無期限活動休止状態だった黒夢の〈解散〉ライヴなどなど。この《再合体ムーヴメント》の契機は、私は間違いなくD’ERLANGERだったと思うんです。なんていうか……〈誰が観てもカッコいい再結成〉だったんです!
市川 このブームの口火を切ったのは、D’ERLANGER再結成だったと?
藤谷 ええ。D’ERLANGERの復活に関しては、06年の末に公式サイトで発表されたんですよね。たしか仕事の昼休みを待ちわびて、チケットのFC申し込みに郵便局へ突撃したのを憶えてます! それから再結成ライヴの前に復活第一作『LAZZARO』をリリースして、なんと17年前のラスト・ライヴと同じ日比谷野音で復活するというドラマチックさ! 何から何まで美しかったんですよ!!(口角泡)。
市川 うわ、D’ERLANGERらしい悪意に満ちた配慮がまた、いやらしいわ(苦笑)。それにしても藤谷さんの世代なら、それが初D’ERLANGERなんじゃない?
藤谷 そうです。リアルタイム世代ではなかったです。解散中のkyoのソロやCRAZEもFCに入るほど好きでしたから当然、既に伝説となっていたD’ERLANGERのライヴを観てみたいじゃないですか。だから正直、彼らが超恰好いい復活をしていなかったら、その後のLUNA SEAの復活も無かったと思うんですよね。
市川 そのLUNA SEAは最初の復活ライヴに際して、「本当に一回こっきり」って言及してたはずなんだけどなぁ。
藤谷 なんたって《One Night Déjàvu》でしたからね、最初のライヴ・タイトル。
市川 完璧主義を徹底的に貫いたあのLUNA SEAなら、「いくら一夜限りだろうといいかげんな復活ライヴを見せるはずがない」と皆が皆思ってたし、実際おそろしく〈ちゃんとした〉公演だったから、さすがだった。私の《輝け☆再結成ライヴ歴代完成度ランキング》の、堂々第2位に輝いてるからさ未だに。
藤谷 へ? あんな素晴らしいライヴだったのに、1位じゃないんですか!?
市川 第1位は、1995年5月18日キング・クリムゾン@英ロイヤル・アルバート・ホール公演に決まってるだろ。
藤谷 ……どうでもいいです。
市川 第一報を最初に知ったとき、私は正直「日和りやがったな」と失望したの。だってSUGIZOにせよJにせよ、20世紀末に空中分解しちゃうほどの、チョモランマより高い理想とプライドをLUNA SEAに抱いてたのを知ってるから、絶対再結成なんかしない――いや、できるわけがないと思ってた。実際、JもSUGIZOも終幕後、再結成を嫌がってたからそれだけに違和感があったよ。
藤谷 それでもすごくいい、これぞLUNA SEAなライヴでしたよね(嬉笑)。
市川 あの夜は楽屋打ち上げの場所がブルペンだったんだけど、すごくニコニコしてたJや清々しさ全開のSUGIZOの姿に、かつて頂点を極めたバンドマンの性(さが)というか業を見た気がしたな。
藤谷 裏側のことは知る由もないですが、SUGIZOが最後の最後までステージに残っていて、ずっとお辞儀をしていたことが印象に残っています。それが答えなのかな、と。
市川 かつて熱狂した元スレイヴたち全員が納得した出来で、しかも当事者であるメンバー5人がニコニコ笑えているのならいいじゃん、みたいなね。
藤谷 LUNA SEAの再結成はそれに尽きます。その後の2010年《REBOOT宣言》以降もずっと定期的にライヴ観ていますけど、相変わらず皆ニコニコがちで。
市川 再結成に至るまでの紆余曲折は大変だったけども、いざ踏み切ったら新作リリースに国内外ツアーと現役復帰に意味を見い出せたことが、本人たちを笑顔にしてるわけじゃない? に較べて同じケースでも、Xの方は〈笑顔なき再結成〉だったよね、しばらくの間は。
藤谷 またそんな。
市川 だってフロントマンの自己啓発洗脳問題は全っ然解決しておらず、頼みの綱のhideは二度と還ってこないうえに、そもそも再結成する大義も見当たらないまま、でも再結成せざるをえない諸事情を抱えた〈袋小路への見切り発車〉だったんだから、翌年のHEATH脱退未遂事件やらも含めて、そりゃ笑えないよなぁ。当時、日本で活動しづらい事情があって苦肉の海外進出だったとも聞いたし。
藤谷 ぱ、パスいち。
市川 結局、当のYOSHIKIが心から愉しめるようになれたのは、〈働き者の後輩〉SUGIZO正式加入や瓢箪から駒の海外〈visualkei〉ブームでやっと手応えが感じられた、2010年代突入以降なんじゃないかと思うよ。
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90年代は遠きにありて思ふものーーネオ・ヴィジュアル系の奮闘と哀愁(市川哲史×藤谷千明『すべての道はV系に通ず』第15回)
2018-06-21 07:00
80年代以降の日本の音楽を「V系」という切り口から問い直す、市川哲史さんと藤谷千明さんの対談連載『すべての道はV系に通ず』。2000年代中期に勃興したネオ・ヴィジュアル系は、先達の様式美を取り入れた大衆性で人気を集めますが、その一方で、かつてのV系にあった〈業〉は抜け落ちていました。V系カルチャーの2000年代以降の変質について語ります。(構成:藤谷千明)
ヴィジュアル系を「自ら名乗る」世代
藤谷 前々回、蟹めんまさんをお呼びしてネット以前以後の、ヴィジュアル系におけるファンカルチャーの変化の話をしましたけど、あの時期はV系バンドそのものも色々な意味で地殻変動が起きた時代だったと思うんです。例えばサイコ・ル・シェイム(02年にメジャーデビュー)以降、〈大型新人がメジャー・デビュー〉的な風潮は減っていったような気がします。
市川 ごめん、アレは大型新人だったんだ? シーンの停滞ぶりを逆説的に象徴したかのような終末感に、私は涙を誘われました。あのコントっぽい風体がまた、空虚だったんだこれが。
藤谷 ちなみに再結成してます。
市川 あ、そ。
藤谷 2002年にはcali≠gariが、03年にはMUCCがそれぞれメジャー・デビューしました。どちらも熱狂的なファンを抱えているバンドですが、〈そこからお茶の間に進出!〉的なバンドではありませんでしたし、シーンそのものの主戦場がインディーズに移っていったというのが、私の中でのゼロ年代初頭の空気感ですね。
市川 世間的にはブームが終わっていたなか、それでもインディーズがV系にとって一種の〈避難場所〉として機能していたと。それがゼロ年代以降のいちばんの特徴である、「V系を演りたくてやってるんだ!」的な自発性に繋がっている気がするね。外部の視線がないから社会現象までは至らないけれど、幸か不幸か偶然〈身近感〉が生まれたというか。
藤谷 マイナー感半端ないっスね、そう言われちゃうと。
市川 それ以前に、やはり自らV系と名乗るニュー・カマーたちの出現が、やはり私には衝撃的だった。だって20世紀の先人たちは決してV系バンドと呼ばれたかったわけではなく、その過剰な雑食性の赴くままに自己陶酔してたら、いつの間にか勝手にそう呼ばれるようになっちゃった。だから〈V系〉と自ら名乗ることに、抵抗と違和感があるんだよ。
藤谷 たとえばtheGazettEあたりが、邦ロックやメタルのフェスに出る場合に「僕らV系バンドが〜」と自己紹介するみたいな?
市川 なんでそうなっちゃったんだろうねえ。
藤谷 10代の頃から聴いて育ったもの、そのシーンでバンドとしてやってきたことの誇りというか自負というか、を〈あえて切り捨てる必要がない〉ですよ。私自身、ヴィジュアル系以外の仕事もやっていますけど、「藤谷さん、ヴィジュアル系のライターですよね?」と言われて、わざわざ否定する必要はないと思いますもん。
市川 うん、藤谷さんの世代だからそうなわけで、ここらへんに時代の経過と蓄積が見えて感慨深いな。
〈普通の人〉と多様化するシーン
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ヴィジュアル系の海外展開から〈クールジャパン〉を一方的に考える(市川哲史×藤谷千明『すべての道はV系に通ず』第14回)【不定期連載】
2018-06-06 07:00
80年代以降の日本の音楽を「V系」という切り口から問い直す、市川哲史さんと藤谷千明さんの対談連載『すべての道はV系に通ず』。今回のテーマは、ヴィジュアル系の海外進出です。90年代以降、積極的にアジア進出してきた日本のV系バンドですが、近年はK-POPの勢いの前に元気がありません。なぜ日本のエンタメは海外で勝てないのか、その原因について掘り下げます。(構成:藤谷千明)
ビジュアル系の海外進出の先駆者たち
藤谷 今回は、ヴィジュアル系と海外展開をテーマに話をしたいと思います。 ここ20年くらいの流れを簡単に説明しますと、90年代のX JAPANの海外進出宣言を始めた、90年代末からゼロ年代頭にあったGLAYやLUNA SEAのアジア公演などありましたよね。そことは別の流れ――インディーズのヴィジュアル系バンドたちが,インターネットを経由してアメリカのアニメ・コンヴェンションに参加するようになりました。 その一方で、DIR EN GREYやMUCC、MIYAVIらが単独ツアーを行うようになり、07年にはアメリカでYOSHIKIが関わり、MIYAVIらも出演した《J-Rock Revolution Festival》なんてイヴェントもありました。これ以降もラルクやX JAPANのMSG公演を筆頭に、定期的に海外ライヴを行うバンドは規模を問わず存在する……という形です。今年はX JAPANが《コーチェラ・フェスティヴァル》に出演しました。
市川 そもそも藤谷さんとは知り合ってもう長いけど、最初のころから不思議だなと思ってたのは、〈V系と海外進出〉みたいなことをやたら意識してるじゃない? V系シーンにおいて少なくともYOSHIKIだけは1990年前後から「海外進出する!」とずーっと一人で宣言し続けていたんだけれども、我々世代はV系のことをやたら独創的で面白いけどあくまでも〈日本独自のドメスティックなロック〉と捉えていたわけ。しかも商業的にもカルチャー的にも一大ムーヴメントを築いてたのだから、「なんでこのひとは海外の評判や評価を気にしてるのかしらん」と。
藤谷 気になるというか、X JAPANやDIR EN GREYの海外での活躍は勿論のこと、10年以上前から都内の小さなライヴハウスのイヴェントでも、海外からのお客さんを少なからず目にすることがありました。だから、「日本国内でもあまり知られてないバンドを、こんなスーパーの地下にあるライブハウス(※高田馬場AREA)まで観に来るなんてすごいなー!」みたいな。
市川 純真な童ですかあんたは。
藤谷 Instagramの〈J-ROCK〉のタグをみると、BABYMETALやONE OK ROCKと並んで、例えばMEJIBRAYだったりNOCTURNAL BLOODLUSTだったりとインディーズのヴィジュアル系バンドの名前が目立つんです。日本国内市場の規模を考えるとアンバランスですよね。実感としては「海外進出!」「クールジャパン!」というよりは「知らないうちに日常になっていた」というか。例えるなら、新宿のゴールデン街がここ数年外国人観光客が押し寄せてきてるのに近いというか……ドメスティックなことだからこそ、一部の人を惹き寄せているというか。
市川 需要があってこそ、だよなぁ(←しみじみ)。ただ海外進出に関して忘れちゃいけないのは、90年代というあのV系黄金時代においてバンド自らが「海外進出するぜ!」と積極的だったケースは、前述したYOSHIKI以外に実はほとんどいなかった気がするよ。実際に海外公演が目立ち始めたのはゼロ年代だし――最初はアジア圏でさ。 たとえばラルクだと、2005年にソウルと上海で、2008年には上海台北ソウル香港そしていきなりパリ(苦笑)。で2012年にはもう、香港→バンコク→上海→台北→唐突にマディソン・スクエア・ガーデン(爆笑)→ロンドン→パリ→シンガポール→ジャカルタ→ソウル→ホノルル……ほとんど実写版“アジアの純真”みたいな。
藤谷 ……刺しますよ?
市川 私の記憶ではあの当時、本人たちは誰一人「海外進出したい」なんて思ってなかったはず。TETSUYAなんか「行ったからって何になるんですかねー」と冷めきってたもの、心の底から。「事務所の社長が金儲けしたいだけ」とまで言ってたな。まあ実際、日本の音楽市場が完全に頭打ちどころか下落傾向にあっただけに、海外進出がビジネスチャンスというか打開策のひとつと期待されたのは事実だけど。豪華ライヴDVD出す小商いもできるし。ラルクに関していえば、何年かに一度の再稼働の際の〈わかりやすい手続き〉として重宝されてたんじゃない?
藤谷 相変わらず身も蓋もないおっさんですね。当初はそうだったかもしれませんが、世界ツアーのドキュメンタリー映画『Over The L' Arc-en-Ciel』内のインタヴューでも、メンバーが「海外での動員の少ない地域」を明確に意識した発言をしていたし、課外活動ですがHYDEのVAMPSが尋常じゃないほどの海外ツアーを繰り返していたのは、ある種の使命感の発露でもあるのでは。
市川 うーん。でもゼロ年代末期に再開幕してしばらくの頃のLUNA SEAは、まだ本人たちも再始動の意義や大義を見い出せなくて、「欧州ライヴとかの海外公演を目的に仮設定したことで、とりあえずベクトルを収束できた」とSUGIZOが漏らしてたしなぁ。
藤谷 どうして市川さんの時代のひとたちって、海外も活動範囲に入れることに対してネガティヴなんですか。悲観的すぎるというか。
市川 うん、猜疑的というか価値を見い出せないんだよ昔からずっと。90年代には、V系以外でも海外ライヴに積極的なバンドがいたことはいた。THE BLANKEY JET CITYもTHE MAD CAPSULE MARKETSもそうだった。ただし「向こうでひと旗あげるぜ!」という海外進出願望ではなく、「俺らの音を聴いた本場のガイジンが、どんな反応するか見たいんだわ(←ベンジーの物真似)」的な腕試し、道場破り的なライヴハウス廻りだったわけ。それはそれで美しかったなぁ(←遠い目)。 同じ頃だと思うんだけど、ロンドンでTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTが何本かライヴ演るってんで同行したのよ。そのときたまたまGLAYのTAKUROもオフで現地に来てたので、一緒に観に行ったの――トラファルガー広場で待ち合わせしてさ。
藤谷 おのぼりさんですか。
市川 当時のTAKUROはまだまだ発展途上中だったから、そうかもなぁ(苦笑)。でミッシェルのスーパー・モッズな轟音は、小さなライヴハウスだったけど初見の英国人を一瞬で叩き潰したんだけど、その光景を目の当たりにした〈史上最大のいいひと〉TAKUROは「俺こんなとこでライヴ演る勇気ないっス」と言ってたよ(苦笑)。あれから四半世紀以上の時が過ぎ、いつの間にか当たり前のようにV系バンドたちが渡航するようになるとはなぁ。
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ネットはV系の何を変えたのか?バンギャル漫画家と語るファンとバンドの変化・後編(市川哲史×藤谷千明『すべての道はV系に通ず』第13回)【不定期連載】
2018-04-06 07:00
80年代以降の日本の音楽を「V系」という切り口から問い直す、市川哲史さんと藤谷千明さんの対談連載『すべての道はV系に通ず』。後編では、TwitterなどのSNSの普及が、ヴィジュアル系カルチャーにもたらした変化について、ゲストの蟹めんまさんと一緒に考えます。(構成:藤谷千明)
今のバンギャルは解散を恐れてお布施する
市川 めんまさんがいま中高生だったとしたら、バンギャルになっていたと思う?
めんま なっているとは思うんですけど、現代のバンギャルって私が中高生の頃のそれより、ずっと大変だと思うんですよ。
市川 あ、そっか。現代の子たちは〈商品を買うこと〉をまず、要求されてるもんね。
めんま そうなんですよ。「買わなきゃいけない」なんて義務はもちろん無いし、みんな好きで買ってるんですけど、「買わないと解散しちゃうんじゃないか」みたいな〈圧〉は私たちの頃よりずっとあると思うんですよ。「バンギャルはこういう気持ちでCDを買ってます!」ってひとくくりにするのは良くないんですけど、明らかに90年代とは空気が違います。
市川 圧かぁ。V系黄金時代だった90年代と較べれば、明らかにバンギャル一人ひとりに対するバンドの依存度は増したと思うよ。たしかに。
藤谷 分母が減ってるんで、それは仕方ないとは思うんですが。だってジャンル問わず、ミュージシャン自身が「活動を続けたいからCDを買って欲しい」「チケットを買ってライヴに来て欲しい」ということを公言する機会も増えましたし。
めんま 私が中高生の頃は、自分の好きなバンドが「(売れなくて)解散するかも」って考えたことなかったのに。現代で中高生バンギャルでいるということは、思春期に好きなバンドの解散をたくさん経験するってことなので、きっと辛いだろうなぁ。
藤谷 たとえば90年代のブーム期の解散の理由って、〈売れないから〉というより〈売れ過ぎて〉解散みたいなケースの方が印象に残っています。人気が出て急激に環境が変わって、いろいろなものが狂ってしまった上での空中分解ってパターン。
めんま 私は「人気過ぎるとミーハーなファンがつくから嫌だ」とか、「売れると誰かがソロ活動始めてバンド活動に支障が出るし嫌だ」とか本気で思ってた世代ですね。いまそういうバンギャルさんは、年齢問わず見なくなりました。
藤谷 インディーズならともかく、メジャー・デビューしている人たちが「CDを買わないと活動が立ち行かなくなりますよ」なんて言う状況、当時は考えたこともなかったんです。メジャー・デビュー後のインタヴュー記事で、皆が「外車買った」って話をしていた時代……(←遠い目)。
市川 V系に限った話じゃないよ。もうバンドブーム以前から続く、日本人のいじましい伝統だから。売れるとまず、収入が増えます。収入が増えると、バンドに大した貢献をしてない奴に限って外車買ったりするんだよ。大体、ドラマーとかベーシストに多い現象なんだけども(失笑)。するとそいつはさらに仕事をしなくなり、にもかかわらず「(印税が欲しいから)俺にも曲を書かせろ」だの「バンドは全員平等だから(曲を書いてようが書いてなかろうが)印税は均等割りだ」だの「表紙は全員写真、インタヴューは全員同じページ数で」だのと権利ばかり主張し始めて、あとはモメるだけとくらぁチョイナチョイナ。
藤谷 それはそれで大変でしょうけど! でもそれがゼロ年代以降、「もっと売れてたら解散しなかった」みたいなことを公言するバンドが増え始めるようになったんです。
市川 鉄道の廃線とか飲食店の閉店とか動物園や遊園地の閉園とか、営業終了をアナウンスしたらバーっと群がる身勝手な客を見て、「普段から来てくれていれば、もっと続けられたのに」みたいなね。
藤谷 そういう声がステージの上の人から聞こえるようになったのは、CDバブルが終わったゼロ年代からかなって思いますね。
SNSの普及でバンドマンは弱くなった?
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ネットはV系の何を変えたのか?バンギャル漫画家と語るファンとバンドの変化・前編(市川哲史×藤谷千明『すべての道はV系に通ず』第12回)【不定期連載】
2018-04-05 07:00
※本記事は2018年4月5日7時に公開されましたが、弊社の設定間違いにより、ご購読者の皆さまへメールでの配信ができておりませんでした。ご購読者の皆さまへご迷惑をおかけし、メールでの配信が大変遅くなってしまいましたことを深くお詫び申し上げます。【2018年4月6日20時追記】80年代以降の日本の音楽を「V系」という切り口から問い直す、市川哲史さんと藤谷千明さんの対談連載『すべての道はV系に通ず』。今回は、バンギャル漫画家の蟹めんまさんをゲストに、ヴィジュアル系ブームのピークでありネット黎明期でもある90年代後半のファンコミュニティについて語ります。(構成:藤谷千明)
1999年のメジャーデビューラッシュ
藤谷 今回はゲストに『バンギャルちゃんの日常』シリーズで知られる、バンギャル漫画家の蟹めんまさんをお呼びして、「90年代からゼロ年代にかけてのV系シーン・バンギャルの変化」について伺いたいと思います。 要するに、90年代以前は情報がいわゆるトップダウン型でバンドが発した情報をメディアを通してファンに届けていた。もちろんファン同士のミニコミ活動や私設ファンクラブ活動もありましたが、それを広める手段は限られていました。 それがゼロ年代以降、iモードに代表されるモバイルインターネットの浸透から、ファン、バンギャル側も積極的に発信できるようになりました。バンド側もバンギャルのネタを取り入れるようになって……。例を挙げると人格ラヂオの“バンギャル症候群”、つまりファンの動きが創作にも影響を与えるようになったじゃないですか。ゴールデンボンバーの“†ザ・V系っぽい曲†”などです。そういう時代の境目だったのかなと思います。
市川 はいはいはいはい(←遠い目)。
藤谷 なんですかその〈心ここにあらず〉感は。
市川 だってV系最前線の現場からは撤退してた時期だもん♡
藤谷 (無視)そういうとてもとても重要な過渡期である1999年から2003年の間、私は自衛隊にいたので現世の出来事は雑誌とネットでしか知らないんですね。
市川 〈現世〉って何?
藤谷 いったん入隊したら届け出無しでは外に出られませんから、もう世間から隔絶されてるんです。なので、その時期に既にバリバリにバンギャルをやっていた蟹めんまさんをお呼びしたというわけです。めんまさんは98年前後のヴィジュアル系ブーム直撃世代ですよね。 蟹めんま(以下・めんま):はい。ヴィジュアル系に目覚めたのがまさにそのへんです。お呼びいただけて嬉しいです。
市川 めんまさんは藤谷さんが彼岸に幽閉されてたころ、いくつだったの?
めんま 99年に14歳、中学2年生でした。99年ってすごい年なんですよ。1月から7月くらいまでヴィジュアル系バンドのメジャー・デビューが続いたから、怒濤のリリースラッシュで。まず1月20日にDir en greyがメジャー・デビューして……。
市川 ちょっと待ちなさい。日付まで憶えてるのかあんたは。
めんま 普通憶えてません?
藤谷 (黙って頷く)。
市川 ひーっ。
めんま 5月にはJanne Da ArcとLAREINEが、7月にRaphaelがメジャーデビューしたんです。当時はまだお小遣い世代だから、やりくりするのが大変でした。一度に全部買う財力は無いので、CDショップの店員さんに取り置きをお願いしたり(苦笑)。1999年は《ノストラダムスの大予言》ってあったじゃないですか。私はそれ1月から7月までのリリースラッシュのことだと思ってたんです、本当にお財布が破滅したんで。
市川 ばははは。大丈夫かこのひと。
▲『バンギャルちゃんの日常』4巻©KADOKAWA
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驕れる者は久しからず!? 「春の夜の夢」V系バブルの後先を振り返る・後編 (市川哲史×藤谷千明『すべての道はV系に通ず』第11回)【不定期連載】
2017-08-08 07:00
80年代以降の日本の音楽を「V系」という切り口から問い直す、市川哲史さんと藤谷千明さんの対談連載『すべての道はV系に通ず』。今回も引き続き全盛期V系カルチャーの総括がテーマです。そのとき、わずかに顔をのぞかせた「氷河期への萌芽」とは?(構成:藤谷千明)
バンドマンのキャラクターに起こった変化
市川:話を戻すと、TVの音楽番組もV系に乗っかり始め、そうすると一般大衆にも届きだすからCDも売れるし、ライヴにも人が集まるようになる。となれば、それまでV系と積極的に縁が無かったメジャー・レーベルや芸能事務所までどんどん参入してくる、と。
藤谷:バブル期は、それこそホリプロなんかも手がけてましたからね。
市川:天下のソニー・レコードだって、Xを扱ってたのは《STAFFROOM 3rd》というあくまでも実験的な小部署(←後のキューンソニー)で、本隊はV系なんかやってなかった。で94年にようやく初めて本格的に手掛けたV系バンドが――BODY。もう破格の制作費&宣伝費を投下して、他社に出遅れた分を取り戻さんとばかりの全力投球でさ。
藤谷:D'ERLANGER(デランジェ)のギターCIPHER(瀧川一郎)とドラムのTetsu(菊地哲)による新バンドということで、たしか新宿アルタ前のヴィジョンで告知もしていて、当時そこまでV系を知らなかったのですが、「明星」に記事が掲載されていたのを覚えています。アイドル誌にも出ていたというのは今考えると本当にプロモーションに力を入れていたのでしょうね。
市川:うん。雑誌広告も大量出稿だったし、メジャー・デビュー・ライヴはいきなり武道館だし、アルバムとシングルを各1枚リリースしてすぐ解散したもんなぁ。デビュー2ヶ月後ぐらい? あの見事な<やらずぼったくり>ぶりは伝説だよね。
藤谷:当時の曲自体は今でもD'ERLANGERのライブで演奏していたりするんですよ。ほかに大手レコード会社が力を入れていたというと、東芝EMIのZI:KILLでしょうか。
市川:Xの後継バンド最右翼的存在で91年3月にメジャー・デビューしたのに、所属事務所のトラブルで年末には早くも活動休止。あとなぜか私の仲介でYOSHIKIがソロ契約したのも東芝なんだけど、結局どうでもいいクラシック・アルバム1枚以外になーんも出なかった。笑えないわぁ悲劇の東芝EMI。そんな度重なる悲劇を乗り越えて――94年に黒夢、そしてPIERROTか。
80年代の名古屋大須に《円盤屋》という名古屋一英国ロックに長けた輸入盤店があって、この街で構成作家兼タウン誌編集長だった頃、開局当時のFM三重で喋ってた洋楽番組のスポンサーがこの店でね。社長の鰐部さんには御世話になったんだけど『ジャパン』でB-TやXをやってた頃に再会したら、「そんなんに日寄っとっちゃあかんてー(←原名古屋弁)」とクソミソに言われたわけ。ところが数年経ち東芝からの熱烈な誘いで黒夢のメジャーデビュー前の渋公でのライブを観に行ったら、関係者受付に鰐部さんがいて「黒夢よろしく頼むでよ」。いつの間にか黒夢も含め、FANATIC◇CRISISとかSleep My DearとかMERRY-GO-ROUNDとかいわゆる<名古屋系>の連中推しで、東京事務所なんか造っちゃってメジャー・レーベルに売り込むのをメインの仕事にしてたんだから。そしたら円盤屋も、いつの間にかV系専門店に生まれ変わってたよ(苦笑)。
藤谷:黎明期からV系雑誌に広告をよく出していたので、よく覚えています。残念ながらゼロ年代に閉店してますが。
市川:ありゃりゃりゃ。そういえば想い出したけど、V系に限らずあの頃は大型新人のデビューや推しバンド節目のライヴに地方のディーラーやマスコミをアゴアシ込みで御招待して、終演後は懇親会兼打ち上げパーティーがレーベルの黄金御接待だった。さっきまで♪堕胎云々と吐くように唄ってた清春が、笑顔で「お願いしまーす」と挨拶して廻ってた姿が象徴的だったな。
初期のV系は殺気というかメンチというか、中の人の実際の性格はどうであれ声をかけにくいバンドが多かった気がする。そんな気配がたぶん、黒夢あたりから失くなったね。
藤谷:本人のインタビューを読んでも、生い立ちからして不良ではなかった、ある意味<普通>だったからこそ今でもシーンにフォロワーが生まれているような普遍的なカリスマ性があるのではとは思います。
市川:「実は人が好くて話がわかる」みたいな。でも、話がわかっちゃ駄目なのよ。
藤谷:PENICILLINとかも、<シリアス(美形)><お笑い>の担当メンバーが分かれていたりしましたよね。『うたばん』や『HEY!HEY!HEY!』のような90年代の音楽番組で、「話すと実は面白いメンバーもいる」とか「この人たちも普通の人間だよ」って紹介がされて、アーティストの素の姿がメディア上でも見えてくるようになり……。
市川:これは90年代を通じてV系連中にインタヴューしてて思ったんだけど、90年代半ばには無口な奴がいなくなった気がする。特にV系は皆、やたら饒舌になった。
藤谷:MALICE MIZERのmana様みたいなキャラは別にして、ですよね。「ヴィジュアル系って見た目は怖いけど実は〜」みたいな奇を衒う方向性だったのに、皆がそうなっちゃった。でも、そういうフックがなかったらブームにもならなかったし、小学生にまで届かなかったとも思うんです。
私の周囲のバンギャルの子たちに訊くと大体、「小学生のときにSHAZNAをみてヴィジュアル系を知って〜」となるので、今だとゴールデンボンバーがその役目を果たしているのでしょうね。その一方でDIRやPIERROTのような<『Mステ』で喋らない人たち>が現れたのは、反動なんでしょうか。
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驕れる者は久しからず!? 「春の夜の夢」V系バブルの後先を振り返る・前編 (市川哲史×藤谷千明『すべての道はV系に通ず』第10回)【不定期連載】
2017-08-03 07:00
80年代以降の日本の音楽を「V系」という切り口から問い直す、市川哲史さんと藤谷千明さんの対談連載『すべての道はV系に通ず』。ここから前後編にわたって、数々のムーヴメントを生み出した90年代後半V系シーンの功罪を総括します。今回は前編です。(構成:藤谷千明)
90年代V系の功績はCD売上ではなくライブ動員数を上げたこと?
藤谷:今回は、連載の本筋に戻って<90年代のV系ブーム>が何を残したのか? という話をしたいと思います。96年くらいから徐々に世間的にヴィジュアル系が浸透し始め、97年のSHAZNAのメジャー・デビューで完全に全国津々浦々の<お茶の間>まで届き、様々なバンドが音楽番組だけではなく、『笑っていいとも!』のようなTVバラエティ番組に出演することも少なからずありました。やはりピークは98年前後だと思うのですが、その時期はまだ市川さん、失踪はされてませんでしたよね。
市川:まだいたんだなーこれが。
藤谷:私、今ひどい質問しましたね。
市川:別に。だってV系にとどまらない90年代超CDバブルに密接に関係してたから、私の失踪は(←得意げ)。
藤谷:自慢してどうするんですか。
市川:まあ、SHAZNAはともかくMALICE MIZERなんかも一般の人たちからは充分イロモノとして扱われていたし、その一方で黒夢とかはメジャー・デビューを果たしてるにもかかわらず、マニアでコアな層にウケてて――と言いながらアルバム30万枚近く売れてたんだから、現在のスモール・マーケットっぷりが嘘みたいだよ。カルト的な存在でもそれだけ売れたんだから。でそうしたマニアなバンドたち(失笑)の上にLUNA SEAやXがいて、さらにミリオンを軽く超越してラルクやGLAYがいたわけだから。
藤谷:ちなみに98年のシングル・ランキングはGLAY「誘惑」が1位(約160万枚)、5位「SOUL LOVE」(約140万枚)、ラルクの「HONEY」(約120万枚)が7位ですね。後にも先にもヴィジュアル系がヒット・チャートを席巻したのは、この年だけだと思います。
市川:うん、ピークだよね。でもここで俯瞰してみると――我が国の歴代トリプルミリオンセラー・アルバム(300万枚以上)は全20作品、歴代ダブルミリオンセラー・シングル(200万枚以上)は全23曲を数えるんだけど、V系バンドはGLAYの97年のベスト盤『REVIEW~BEST OF GLAY』が500万枚弱でアルバム3位に入ってる以外は、全然ランクインしてなかったりする。ダブルミリオンに到達したシングルは1枚もないわけ。
つまりあのCDバブルの時代を牽引したのはV系ではなく、明らかに小室哲哉やミスチルなんだよね。だからV系が日本音楽シーンにインパクトを与えたとしたら、それはCDセールスによってではなく、ライヴの動員数だと思うんだなぁ。
藤谷:「ヴィジュアル系はCD売上と動員数が同じ」って言われていたという話を以前、業界の方から聞いたことがあります。「1万枚売れるバンドは武道館できる」みたいな。
市川:そりゃまた乱暴な(失笑)。でもたしかに、CDを買ったユーザーの<ライヴ絶対観に行くぞ>率が、他ジャンルより劇的に高いのがポイントなんだよね。だから要するに、V系が90年代音楽シーンにもたらした最大の功績とは、YOSHIKIによる<アーティストの独立性とビジネスシステムの確立>を別にすれば、ホール・ロックからアリーナ・ロック、そしてドーム・ロックにスタジアム・ロックへと、ロック・バンドのライヴの規模を圧倒的に拡大した点だと思う。で規模とキャパが大きくなれば、それに伴って演出のスケール感もデカくなるし、各バンドの口うるさい妄想家たちが「アレ演りたいコレ演りたい」と無理難題をオーダーしまくることで、大道具やらサウンドシステムやら照明やらコンサートに関するあらゆるノウハウが、加速度的に進化するという副産物も生んだんだから。結果的に。
クリエイティヴィティーと侠気さえあれば、冒険的な企画ができた
藤谷:明らかにそれは良い面ですけど、よく市川さんもおっしゃるのが、バンドにインタヴューしても原稿チェックとか必須になって、アーティスト側が我儘になっちゃった、と。私自身は最初からそれが当たり前だったので、そこまで抵抗はないんですけど。
市川:それはきみらが飼い慣らされてしまったから。わははは。
藤谷:身も蓋もない。
市川:私の出身誌『ロッキング・オン・ジャパン』は、<日本唯一の国産ロック批評誌>を標榜してたからこその《NO原稿チェックNO写真チェック》で、その後独立して創刊した『音楽と人』も当然、同じ前提だったわけ。それまでというか『ジャパン』『音人』以外のメディアは、雑誌もTVもラジオも皆提灯と忖度が基本なわけだよ。だってプロモーション道具以外の何物でもないんだから。
藤谷:そんないよいよ身も蓋もない(呆笑)。
市川:だけどせっかくロック不毛の日本にバンド・カルチャーが芽生え始めたんだから、海外同様、ジャーナリズムとアーティストが正面から対峙して衆目の中で切磋琢磨することが、アーティストの創造力や覚悟を高める触媒になると確信してたのね我々は。口はばったいけどリスナーの少年少女だって、我々の正直なやりとりを読むことでロックの愉しみ方を無限に拡げられるだろうし。そのためには、アーティストもしくはマネジメントやレーベルが「恰好悪い」「恥ずかしい」「都合が悪い」と勝手に判断して削除や修正を求める原稿チェックなんて、論外でしょ。そもそもアーティスト・サイドの判断はあくまでも主観であって、客観的な視点が欠落してるよね。でも客観的に見た方が、相手本来の良さや個性が見えやすいのが世の常。ま、往々にして自分じゃ自分のことは見えないから。だから<他人の話を聞けよ!>ってことで、原稿チェックは論外なわけ。
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我々はなぜ「生身のX」に居心地の悪さを覚えるのか?――X JAPANのドキュメンタリー映画『WE ARE X』を語る(市川哲史×藤谷千明『すべての道はV系に通ず』第9回)【不定期連載】
2017-05-17 07:00【配信日変更のお知らせ】 毎月第2水曜日更新の古川健介さん『TOKYO INTERNET』は、諸般の事情により今月は配信日程を変更してお送りいたします。楽しみにしていた読者の皆さまにはご迷惑をおかけしますが、次回の更新まで今しばらくお待ち下さい。
80年代以降の日本の音楽を「V系」という切り口から問い直す、市川哲史さんと藤谷千明さんの対談連載『すべての道はV系に通ず』。今回は、現在公開中のX JAPANのバンド・ヒストリーを追うドキュメンタリー映画『WE ARE X』を取り上げます。(構成:藤谷千明)
▲『WE ARE X』劇場パンフレット
映画公式サイトはこちら
〈雑誌〉の機能を代替し始めた音楽ドキュメンタリー
藤谷 今回は市川さんたってのご希望として、番外編的にX JAPANのドキュメンタリー映画『WE ARE X』について語りたいと思います。
市川 こらこら誰のたっての希望だよ(馬鹿負笑)。
藤谷 (無視)この『WE ARE X』、初週の興行収入は3日で7432万円、ランキングは初登場10位とロックバンドのドキュメンタリー映画としては非常に良い滑り出しでした。「キネマ旬報」によると3〜40代の女性が中心とのことです。邦楽ミュージシャンのドキュメンタリー映画は「2週間限定上映」的な短期間公開のものも少なくないわけですけど、つまり短期間の間に劇場まで足を運んでくれる、DVDになったら購入するコア層に向けた映画ということですよね。この作品は3月に公開されて以降今でも局地的ではありますが上映が続いているのも、異例です(編注:東京や大阪では終了しているものの、それ以外の地域では上映が続いています。詳細は映画公式サイトの劇場情報をご覧ください)。《サンダンス映画祭》をはじめ各国の映画祭にも出品され、台湾やタイでの上映も決まっているそうです。
市川 私は映画の存在をすっかり忘れていて、藤谷さんのメールで想い出したのが3月末。慌てて観ることにしたけど、もはや近場では大阪ぐらいでしか上映しておらず。それも一日1回の上映でしかも朝の8時20分スタート――週イチで教えてる女子大がある神戸から、「何が哀しくて月曜の早朝から、サラリーマンで満員の阪急電車に揺られ梅田まで行かなきゃならんのか」という。よりにもよって『WE ARE X』を鑑賞するために(醒笑)。
藤谷 それはそれはお疲れ様でした(←おざなり)。
市川 うわ、心ねぇぇ。ま、これはこれで私にとってはXに相応しいシチュエーションではあったんだけどね。
藤谷 では『WE ARE X』本編の話に入る前に、まずは現在の音楽ドキュメンタリー映画にまつわる状況を整理させてください。
市川 <無敵の議事進行マシーナ>と化しております。
藤谷 <ましーな>?
市川 ん、<マシーン>の女性形。適当に思いついた造語だから人前で遣っちゃ駄目だよ、きみが恥かくから。
藤谷 ……近年、映画会社はODS(other digital stuff=非映画コンテンツ。映画館で上映される映画以外のコンテンツのこと)に力を入れており、ゼロ年代以降コンサートのライブビューイング中継やドキュメンタリー映画の上映が増えています。例えば『DOCUMENTARY of AKB48』シリーズや『Born in the EXILE ~三代目 J Soul Brothersの奇跡~』もODSですね。
市川 うん。2011年から毎年公開されている<ODSの先駆け的存在>AKBシリーズに関して言えば、「総選挙やフランチャイズ化ばっか目立つけど、AKB48はこれだけ必死で頑張ってるんです!」的なCI戦略だよね。泣いたり倒れたり挫けたりいがみ合ったり励まし合ったり、のあの戦場ドキュメント感は。
藤谷 ジャンルを邦楽ロックバンドに絞りますと、2010年公開の『Mr. Children / Split The Difference』、『劇場版DIR EN GREY -UROBOROS-』あたりから増え始め、12年に『劇場版 BUCK-TICK ~バクチク現象~』、14年にはSEKAI NO OWARI『TOKYO FANTASY』とか、『Over The L' Arc-en-Ciel』、15年にはhideの生誕50周年を記念して制作されたドキュメンタリー「JUNK STORY」も公開されています。
この<ドキュメンタリー>には大きく分けて二種類あります――「映画館でライブを追体験する」タイプのものと「雑誌のインタヴュー記事の実写版」というようなタイプのもの。『WE ARE X』はどちらかといえば後者寄りの作品ですね。
市川 かつては我々音楽評論家や音専誌が担ってきた機能が、アーティスト自前のドキュメンタリー映画で賄われるようになっちゃったね。EXILEの『月刊EXILE』みたいなもんで、第三者的視点や批評性が排除される分、アーティストの一方的な美化・神格化が過度に進行してしまった感はある。
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ヴィジュアル系「差別」の歴史を考える(市川哲史×藤谷千明『すべての道はV系に通ず』第8回)【不定期連載】
2017-03-30 07:00
80年代以降の日本の音楽を「V系」という切り口から問い直す、市川哲史さんと藤谷千明さんの対談連載『すべての道はV系に通ず』。今回は、ヴィジュアル系バンド・ファンに対する「差別」がテーマです。90年代の「J-ROCK」からゼロ年代の「邦ロック」へと至る過程で起きた〈分断〉とは――?(構成:藤谷千明)
「90年代V系はアリ」という空気になってきた2010年代
藤谷 前回予告したとおり、今回は〈ヴィジュアル系と差別〉といいますか、「ヴィジュアル系」という言葉やジャンルそのものに対しての反応の変遷を追ってみたいんですよ。
昨年秋に開催された『VISUAL JAPAN SUMMIT』三日目にMUCCの逹瑯(Vo)がMCで「いつからヴィジュアル系がかっこ悪いとされるようになったんだろう」と言ってたじゃないですか。「ファンやミュージシャンもヴィジュアル系やってるって胸張って言えるような未来にしていきたい」とも。
市川 うん。使命感を背負った者って、常に美しいねぇ(←遠い目)。
藤谷 MUCCのメンバーと私は多分ほぼ同世代だと推測するのですが、私くらいの世代からしたら「よくぞ言ってくれた!」みたいな感覚なんです。けれども私よりずっと若い人、いわゆる〈ネオV系〉世代のファンの知り合いが「ちょっと言ってる意味がわかんない、だって私はこれまでヴィジュアル系をかっこ悪いと思ったことがない」ということを言ってて。
市川 それは戦後生まれか戦中生まれで戦争の解釈が異なる、みたいな話なんじゃないの?
ましてや私のようなV系における〈戦前生まれ〉だと、きっとそれ以上に違うわけで。
(参考:金爆は「最後のV系後継者」!? "V系の父"市川哲史ロングインタビュー)
藤谷 《J-ROCK》と呼ばれていた90年代のことを思い出すと、大概のリスナー側はXもLUNA SEAもイエモンもミッシェルもブランキーも普通に聴いてたと思うんですけど、これがゼロ年代に入って《邦ロック》と呼ばれる時代になると、分断されてしまったというか。そもそもゼロ年代ヴィジュアル系がインディーズばかりで外のジャンルから見えにくくなったからなのか、逆に「ジャンルの壁を超えていこうぜ!」みたいな話が出てくるようになるんですよ。〈異種交流〉的に銘打ったイベントで、V系とそうでないジャンルが同じステージに立ったり――でもぶっちゃけ、「どっちのCDもタワレコで売ってるじゃん?」ってことじゃないスか!
市川 どーどーどー。というかその話、私にはぴんと来んなぁ。その昔、ジャパメタだったりV系だったりアイドルロックだったりが差別された時代はたしかにあったけども、そうした差別を生んだ諸悪の根源は雑誌メディア――音楽誌の存在だったと思う。総合系も専門系も「○○は本誌に合う/合わない」「載せる/載せない」と勝手に垣根を作ったからこそ、ファンもバンドもレコード会社もマネジメントも〈区別〉するようになった。でも時は流れて音楽誌文化もすっかり廃れ、強いて言うならフェスの時代なんだろうな。だってV系とその他のロックを未だに区別してるメディアは、もはや『ロッキング・オン・ジャパン』だけなんじゃない? その『ジャパン』が自社フェス頼みの現状っていうのがまた、象徴的だったりするんだけども。
だから話は逸れちゃったけども単純な話、『ロッキング・オン・ジャパン』に載ることだったバンドやレーベルやマネジメントのかつてのゴールが、「フェスに出てるロックバンドが恰好いい」に変わっただけのことなんじゃないのかなぁ。風潮的に。
藤谷 ヴィジュアル系バブルが終わった直後は、ヴィジュアル系に影響を受けたミュージシャン、たとえばORANGE RANGE(の周囲)がV系に影響を受けていることを伏せさせていたというエピソードが、市川さんの『私が「ヴィジュアル系」だった頃。』にもあったじゃないですか。それが2010年代に入ると、見るからに90年代V系の影響が濃く、後にLUNATIC FEST.(本連載第2回参照)にも出演することになる凛として時雨や9mm Parabellum Bulletだけじゃなく、Base Ball Bearみたいな一見音楽性も離れているようなバンドのメンバーも、Twitterで2010年のX JAPAN東京ドーム3DAYS公演やLUNA SEAのREBOOT宣言についてつぶやいたんですよ。さっきのORANGE RANGEの話のようにV系は黒歴史扱いされてたからこそ、凛として時雨のピエール中野さんのTwitter上での発言「LUNA SEAは日本のバンドマンに1番影響を与えているかもしれない」をよく憶えています。そして世の中的に、LUNA SEA・Xみたいな90年代V系はアリという空気になっていたわけですよ。
市川 すべてが水に流れちゃったというか、流されちゃったというか。
藤谷 そしたらメディアも掌くるりんぱしたというか。なんだかゼロ年代のヴィジュアル系冷遇時代を耐えてきたこちらとしては、「へぇ〜〜」みたいになるわけですよ。
90年代、週刊誌によるV系茶化し記事の横行
市川 実は見落としがちなんだけどそもそもバンドブームの時点で、化粧してるバンドは沢山いたわけ。しっかり化粧してたもの、BOΦWYだってRED WARRIORSだってTHE STREET SLIDERSだって。たしかに日本のロック黎明期からRCサクセションとかYMOとか化粧してたけど、それまで洋楽畑で仕事してた私としてはびっくりぽん(←死語)だったね、「なんで?」と。だってあのデヴィッド・ボウイですら、地方都市の中高校生から〈化粧してる男はオカマ〉呼ばわりされてたのが日本の70年代の実情だもの。
ところがやがて、メイクはヤンキー少年たちにとって〈希望〉そのものになった。だってどんなに細い目だって地味な顔だって化粧したら綺麗に見えるじゃん、女子みたく。まあ未だに全国で流行ってるYOSAKOIとかソーラン節とか、メイクすれば非日常に簡単に行ける素敵なヤンキー文化なわけでさ。誰だって恰好よくなれちゃうんだから。
藤谷 それはわかるんですけど、「化粧をしてる」っていうことと「ヴィジュアル系というジャンルである」ってことって、微妙に重なってないと思うんですよね。中性的なメイクもですけど、ある種のナルシシズムが分水嶺になっているというか。
ちょうど手元に1997年の『週刊プレイボーイ』の《いーかげんにしとけよ〈ヴィジュアル系〉自己陶酔バンド》というV系茶化し記事があるんですけど、いきなりリード文から〈BOΦWYまでは許せたけどRYUICHIのような自己陶酔ロックはダメ〉みたいな(苦笑)。合計4ページに渡って〈愛用ブランドはゴルチエとルナマティーノ〉〈少女漫画ロック〉と、今となってはDisなのかよくわからないDisが続く内容です。
市川 内容以前に、よくそんなもんまで見つけてくるよねぇ藤谷さんは……。
藤谷 違うんですよ違います違います! 国会図書館で〈ヴィジュアル系〉で雑誌検索するとこういうのばっかり出てくるんです!! 好きで探してるわけじゃないんです……。
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