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「紙の雑誌」を続けることで、「ゆっくり」考える場を守りたい。──宇野常寛責任編集・雑誌『モノノメ #2』クラファン実施中です
2022-01-31 08:00ただいまPLANETSでは、今春の刊行を目指して雑誌『モノノメ #2』クラウドファンディングを実施しています。
「検索では届かない」をコンセプトに昨年創刊した『モノノメ』、第2号も創刊号に引けを取らない内容の濃さを目指して制作に励んでおります。
第2号は「身体」についての特集をはじめ、「観光しない京都」のすすめや「水曜日は働かない」提案、映画『ドライブ・マイ・カー』に関する濱口竜介監督・佐渡島庸平さんとの鼎談、東京・小金井にある就労支援施設「ムジナの庭」への取材記事、47都道府県再編計画などの企画や、前号から続く連載など、盛りだくさんでお届けします。
ぜひご支援のほど、よろしくお願い致します。
目次・プロジェクト詳細はこちら。■編集長・宇野常寛より
改めて問います。いまの報道は、批評は、おもしろいでしょうか? それは果たして、考える場として機能しているでしょうか? 僕にはそうは思えません -
渋谷駅から渋谷リバーストリート、恵比寿へ |白土晴一
2022-01-31 07:00550pt
リサーチャー・白土晴一さんが、心のおもむくまま東京の街を歩き回る連載「東京そぞろ歩き」。今回は、渋谷の街並みを川沿いに歩きました。道玄坂や宮益坂などの高低差のある地形や渋谷川を暗渠化した道々から、河川地帯の名残が随所に垣間見える渋谷。再開発の歴史に触れながら、「若者の街」ではなく「谷の街」としての渋谷を歩きます。
◯お知らせ 明日2/1より、リニューアル準備のためDaily PLANETSの配信日を「水曜日を除く毎平日」と変更させていただきます。今後とも各媒体での記事・動画の配信や書籍刊行を含め、さらなるコンテンツの充実に努めてまいりますので、引きつづきPLANETSをよろしくお願いいたします。
白土晴一 東京そぞろ歩き第10回 渋谷駅から渋谷リバーストリート、恵比寿へ
その昔、渋谷を舞台にしたゲームの制作に関わったことがあって、渋谷という街には少し思い入れがある。何度も時間帯を変えて道玄坂を取材したり、ハチ公前で人の動きを見たり。 中でも、実写の映像で展開するゲームだったので、エキストラとして撮影に参加したことが一番記憶に残っている。混雑する日中に撮影するわけにはいかないので、ほとんど人がいない早朝のわずかな時間を利用していたが、撮影内容よりも人影がほとんどない早朝の渋谷が印象的で、谷間に出来た傾斜地という地形がより際立って見えた。 ご存じのとおり、JR渋谷駅は道玄坂や宮益坂、金王坂などの長い坂に囲まれた場所にある。これは渋谷川などの河川で出来た谷という地形だからである。 渋谷というとハロウィンやワールドカップがあると若者たちが集まってくる街というイメージが一般的かもしれないが、個人的には「日本で一番発展している谷の街」と思っている。 なので、「若者の街・渋谷」ではなく、「谷の街・渋谷」という観点で渋谷を見ているが、これがなかなか面白い。渋谷川やそれが作り出した谷、その痕跡を見つけると興奮してしまう。 例えば、下画像は 2016年に撮影したもので、渋谷駅北側、旧大山街道沿いにあった駐輪場。
微妙に曲がっているのが分かると思うが、実はこれは二級河川である渋谷川の上に蓋をした暗渠の上に造られた駐輪場だったのである。 東京の河川の多くは高度経済成長時代に多くが蓋をされて暗渠化されているが、川筋まで消すことは出来ないので、「この曲がり具合は元は川だな。ここは暗渠だな」などと、かつての水路を推測しながら歩くことが出来る。 ちなみに、現在この場所は、 新しくなった宮下公園の入り口として整備されて、駐輪場は無くなっている。ただ、それでも微妙な川の流れの曲線、痕跡は残っている。 こういう場所を見ると、水路好き、地形好きとしてはグッときてしまう。 渋谷はこういう場所が結構あるが、それは日本有数の新陳代謝が激しい地区、開発が繰り返されている渋谷のような場所でも、元々流れていた河川の歴史を完全に消し去るのは難しいということだろう。 そして、2013年には JR東日本と東京メトロが東京都に提出した「駅街区開発計画」に、現在暗渠化されている渋谷川の移設工事が行われると発表された。 「渋谷駅街区土地区画整理事業」のサイトに、渋谷駅と渋谷川移設の将来予想図があるので参照されたい。
これは河川マニアには大変に大きなニュース。渋谷駅のJR東地下広場を広げるにあたって、現在暗渠化されている渋谷川が邪魔になるので移設してしまおうという計画で、JR側の地下一階と、ヒカリエに向かう地下二階の東横・副都心線の改札口の間に人工的な水路が作られるというのである。 これは地形好き、河川好き、地下構造物好き、都市計画好きにはたまらない。渋谷のような繁華街で、川が移設されるという土木事業を見ることはそうそうない。なので、しばしば渋谷に出かけては、地下広場と渋谷川移設の工事の様子を見に行くようになった。下の画像は 2016―2017年にその工事を見に行って撮影したもの。
2022年1月現在は、この「駅街区開発計画」の工事も大きく進んで、渋谷でも最も高い230mの複合商業施設「渋谷スクランブルスクエア」も完成している。
渋谷川の移設もほとんど完成しているらしい。 さすがに表示されていないので、建物の形などから推測するしかないのだが、下画像の天井の上に移設された渋谷川があるのではないかと思う。
他の人間はあまり気にしないだろうが、私個人としては川の下を歩くというのは面白い。 しかし、わざわざこういう手の込んだ工事が行われたくらい、渋谷は「日本で一番発展している谷」と言えるかもしれない。 移設された渋谷川を見たので、もう少しだけ渋谷川沿いも歩いてみる。 なので、渋谷駅南の「渋谷ストリーム」へ向かう。 この高層複合商業施設は、東急東横線の渋谷駅が地下化されるにあたって、地上駅および線路跡地(及び周辺地域)の再開発の目玉として建設された。
渋谷川を見て歩くのに、なぜこの「渋谷ストリーム」に行くのかと言えば、その名前が答えになっている。 建設された当初、「なぜストリームなのか?」と思っていたが、英語のstreamは小川や水の流れという意味で、答えが下の画像。
これは「渋谷ストリーム」前の稲荷橋広場から渋谷川を撮影したものであるが、なにやら壁の上から水が出ていて、川に流れ込んでいるのが分かると思う。 実はこの壁からの水、「壁泉」が現在の渋谷川の水源になっているのだ。この「壁泉」だけでなく、稲荷橋広場下に別の放水口もあるのだが。
東京都内の河川の多くは、整理されたり、暗渠化されたりで、他の川との繋がりを失っていることも多い。こうなると川というよりも、雨水や排水などが流れるだけの水路になってしまうこともある。 渋谷川も同じで、大雨なので一次的に水が流入する以外、現在は上流で違う川と繋がりがない状態なのである。そこで平成7年(1995年)に東京都は清流復活事業の一環として、落合水再生センターからの再生水を流すことで、歴史ある渋谷川を復活させたのである。 ただし、清流復活事業当初は、この「渋谷ストリーム」よりも南にある 並木橋付近の放水口から再生水が放出されていた。
並木橋には、今でもこの事業開始時に設置された、渋谷川と下流の古川の清流が復活したことを記す表示板がある。ちなみに並木橋下にある、かつての放水口の現在は下に。今では放水されていないのが分かる。
しかし、東急渋谷駅が地下化され、渋谷駅南側にあった地上の高架線路も撤去されるため、2015年にその跡地を利用した「渋谷駅南街区プロジェクト」が始まり、その中心となる「渋谷ストリーム」の建設が決まると、渋谷川のリバーサイドという立地条件を積極的に打ち出すために、わざわざここを新たな水源場所とすべく工事が行われたのである。 2017年の工事中の稲荷橋広場、そして 2021年現在の稲荷橋広場。
現在の正式な渋谷川は、この「渋谷ストリーム」脇の稲荷橋広場を起点に、広尾の天現寺橋で笄川に合流して古川になるまでの約 2.4kmほどの流れを指す。 再開発による高層ビル建築と同時に、河川らしい水源が作られ、川が少し伸びるというのも珍しいことだと思う。 ちなみに、「ここからが渋谷川ならば、渋谷駅前の移設される地下の渋谷川は、渋谷川じゃないのでは?」と思う人もいるかもしれないが、ここはちょっとややこしい。
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白土晴一「東京そぞろ歩き」──上野駅から上野公園、不忍池まで 〈後編〉
2022-01-28 07:00おはようございます。
今日はWebマガジン「遅いインターネット」の最新記事と、併せて読んでほしいおすすめ記事をご紹介します。
先日公開されたのは、白土晴一さんによる連載「東京そぞろ歩き」です。
リサーチャーの白土さんが、心のおもむくまま東京の街を歩き回る本連載。今回歩いたのは、上野・不忍池周辺です。かつては東京の玄関として機能した上野駅。博覧会など国家規模のさまざまな行事が行われるなかで、人工物と自然物がそれぞれ現れては消えていった歴史を、小さな「蛇のかみさま」と一緒に振り返ります。
今回の記事と併せて、こちらの記事も(もういちど)読んでみませんか?
食器や家具、日常のちょっとした道具が全然違うものに見えてしまう経験は、多くの人が共有できるものだと思います。そうした「見立て」の力をアートに落とし込むクリエイターの視点からは、世界はどのようにみえているのでしょうか。ミニチュア写真家・見立て -
いま必要なのは「実践」としての人類学だ(後編)|大川内直子
2022-01-27 07:00550pt
編集者・ライターの小池真幸さんが、「界隈」や「業界」にとらわれず、領域を横断して活動する人びとを紹介する連載「横断者たち」。今回は、文化人類学的調査手法を用いた行動観察に基づいてアイデアを生み出すアイデアファンド代表取締役の大川内直子さんに話を伺いました。後編では、大川内さんの新著『アイデア資本主義──文化人類学者が読み解く資本主義のフロンティア』に結実した、これからの資本主義システムの可能性と課題を展望しながら、人文知と企業社会の接点について考えます。(前編はこちら)
小池真幸 横断者たち第7回 いま必要なのは「実践」としての人類学だ(後編)
「脱資本主義」的言説への違和感
人類学とビジネスを横断した活動の背景にある、大川内さんの現代社会観をまとめたのが、2021年9月に刊行した初の著書『アイデア資本主義──文化人類学者が読み解く資本主義のフロンティア』だ。空間・時間・生産の領域でのフロンティアが消滅した現代、「アイデアが生産手段の前駆体としての位置づけを脱して、アイデアそのものが独立した投資対象になっている状況」である「アイデア資本主義」の時代になっていると論じている。
本書を読むとまず印象に残るのが、昨今の脱資本主義・脱成長的なトレンドに対して、明確に批判的なスタンスを取っている点だ。資本主義を「将来のより多い富のために現在の消費を抑制し投資しようとする心的傾向」と定義し、「入れ替え可能なシステムではない」と書いている。資本主義そのものを断罪するのでなく、できるだけ中立的にその功罪を評価していくべきだというスタンスは、学生時代より大川内さんの根底にあるという。
「私にもアンチ資本主義みたいな感覚はないわけではありません。もともとずっとアフリカに住んでみたいと思っていて、学生の頃からよく旅行していました。すると現実は、よくイメージされるような、自然に溢れて現地の文化が守られているアフリカ像とはやはり違っていて、伝統的な衣装やダンスが見世物になっている。観光客が来たときだけそれを着て踊ってお金をもらい、終わったら携帯で話しながらTシャツに着替えて帰る、ということが当たり前になっているんです。最初はとてもショックを受けて、『グローバル資本主義によって素晴らしい文化が売り物になってしまっている』という問題意識を感じました。その感覚は今もないわけではないですし、文化の多様性を維持することの重要性は感じています。ただ一方で、『この文化はずっとこうありなさい』と言うのもとても押し付けがましい、上から目線のスタンスだとも思いまして。別に変わりたければ変わればいいし、お金を稼ぎたければ稼げばいい。私が望む『古き良き時代』をずっと維持してくださいという考え方は、とても傲慢だなと考えるようになりました。アフリカに訪れている資本主義は、それはそれとして受け入れるのが自然なスタンスなのかなという感覚を、学生の頃から持っていたんです。ですから、資本主義の悪い側面ばかり見てしまうことにはとても違和感がある。実際にそのシステムを取り入れて発展させてきた面があるのだとしたら、功罪の『功』の部分もしっかりと評価すべきではないでしょうか」
そもそも「社会がこうあるべき」「これが正でこれが悪だ」という感覚自体、あまり強く持っていないという。むしろ大川内さんの根幹には「社会を観察していたい」という気持ちが第一にある。 例えば、著書ではフロンティア消滅後の資本主義の向かい先として「インボリューション(内へ向かう発展)」を挙げている。空間・時間・生産=消費そのものの拡大に限界が来ている現代、土地の再開発、高速取引、生産性の向上のように「内側」に向かう発展によって、経済拡大を志向するようになるということだ。ただ、株の高速取引などはわかりやすい例だが、直観的にはあらゆる領域で際限なくインボリューションが進行することは手放しで肯定しづらいようにも思える。しかし、大川内さんはそこに対する価値判断も慎重だ。
「もちろん、それによって心を傷つけられる人が出たり、公害が起きたり、環境破壊が起きたりするのは望ましくないという一般的な倫理感覚は持っています。でも、それ以外に『インボリューションの方向性はこうあるべきだ』みたいな思いは個人的にはあまり持っていなくて。良いと思おうが、悪いと思おうが、必然的に進んでしまうものであり、『ああ、無情』みたいな感覚があります。資本主義である限り避けようがないことだと思うんです」
詐欺と格差──アイデア資本主義が対峙する課題
ただ、客観視しているということは、もちろん手放しの肯定を意味しない。アイデア資本主義の時代になっているという現状認識こそあれ、大川内さんは決してそれを称揚しているわけではない。筆者がこの本を読んだ時に思い浮かんだ、アイデア資本主義下において生じうる二つの課題について見立てを聞くと、「私も間違いなく大きな問題だと思っていて、解決手段について自分なりに考えはじめています」と答えてくれた。
まずは、実態の伴わないアイデアに投資が集まってしまうリスク。著書でも、血液検査の画期的技術を開発したとして巨額の投資を集めたが、結局そうした技術は存在せず、詐欺罪で起訴されるに至った、アメリカのスタートアップ・セラノスの事例が紹介されていた。アイデアという、比較的実態の見極めづらいものが投資対象となっているがゆえに、セラノスの悲劇を繰り返すことになってはしまわないだろうか?
「嘘のアイデアや実現詐欺は言うまでもなく、本当に実現するつもりで頑張ったけれど、結果的にポシャるという話ももちろんたくさんあります。というか、投資がどんどんモノづくりの前段階の、不確かなものに対して行われるようになっている以上、そうしたリスクは付き物です。全部のアイデアが成功するような社会になるわけはありません。ただ、そのリスクを和らげる手段はありうるなと思っています。例えば、アイデアのアナリストのような人たちが出てくるかもしれません。株式だって、個人がそれぞれの銘柄を分析するのはなかなか難しいので、アナリストがついて定期的にレポートするじゃないですか。その分析を見て、売り買いを考えたりする。それと同じように、アイデアについてもアナリストがいて、点数やレーティングをつけて評価されていくかたちはあり得るかなという気がしています。それから、アイデアのIPOのようなものもあり得ると考えています。アイデアにおける経営と資本の分離のようなことが起こり、アイデアがパブリックになり、監査が入ったりいろんな人の目に触れたりするようになる。そして、先ほど触れたアナリストの分析なども参照しながら、アイデアを直接評価できない人でもアイデアを理解して投資するかどうかを決められるようになる世界はあり得るのではないでしょうか」
たしかに、よいアイデアが正当に評価されるエコシステムが構築されれば、セラノスの悲劇は防げるかもしれない。ただ、そうなったときにより一層深刻化してくる恐れがあるのが、アイデアの格差の問題だ。結果的に引き起こされる経済的な格差はある程度再分配可能だとしても、アイデアの有無で社会的成功が左右される、ある種の実力至上主義社会が到来したときに、アイデアなき者たちの社会的承認が欠如してしまわないか。2021年4月に刊行されたマイケル・サンデル『実力も運のうち──能力主義は正義か?』でも主題として論じられていたが、メリトクラシー社会における承認の問題は、昨今のいわゆる先進国が対峙する重大な課題となっている。アイデア資本主義下においては、その課題がより深刻化してしまわないか?
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いま必要なのは「実践」としての人類学だ(前編)|大川内直子
2022-01-26 07:00550pt
編集者・ライターの小池真幸さんが、「界隈」や「業界」にとらわれず、領域を横断して活動する人びとを紹介する連載「横断者たち」。今回は、文化人類学的調査手法を用いた行動観察に基づいてアイデアを生み出すアイデアファンド代表取締役の大川内直子さんに話を伺いました。アカデミア外でも人類学への注目が高まっている昨今、その知はいかにして応用されていくべきなのか。これからの資本主義システムの可能性と課題にも目配せしながら、人文知と企業社会の接点について考えます。
小池真幸 横断者たち第7回 いま必要なのは「実践」としての人類学だ(前編)
人類学ブームの功罪
ここ数年、「人類学」という単語を目にすることが増えた。書店に足を運べば、「◯◯の人類学」というタイトルの書籍がいくつか目にとまる。デザインやリサーチといった領域を中心に、ビジネスの中でも人類学的思考の活用が模索されるようになった。
もちろん、日本において、人文系の学問領域がアカデミア外でも注目を集めること自体は新しいことではない。1980年代のニュー・アカデミズム、ゼロ年代の社会学ブーム……そうしたトレンドは定期的に訪れる。ただし、その先達たちの顛末を見ても、コマーシャリズムの中で持ち上げられることが、功罪どちらの要素も併せ持つことはたしかだろう。昨今の人類学への注目の高まりは、一体どのようなポジティブな変化を引き起こしていて、どのような問題点をはらんでいるのだろうか?
この問いについて考えるため話をうかがったのが、人類学的思考をアカデミア外に応用する挑戦の真っ只中にいる、大川内直子さんだ。彼女は東京大学大学院総合文化研究科で文化人類学を専攻し、修士課程修了後、日本学術振興会特別研究員(DC1)に内定し研究者の道を突き進むと思いきや、これを辞退。みずほ銀行での勤務を経て、文化人類学的調査手法を用いた行動観察に基づいてアイデアを生み出す、アイデアファンドを設立した。 現在は国際大学GLOCOM主任研究員も兼任しながら、アイデアファンドで企業向けのリサーチやコンサルティングに取り組んでいる。2021年9月には、初の著書『アイデア資本主義──文化人類学者が読み解く資本主義のフロンティア』も上梓した。文化人類学とビジネス、アカデミアと企業社会を架橋する〈横断〉者である。
大川内さんはなぜ、伝統的な文化人類学の世界から飛び出し、企業社会への応用という道を選んだのだろうか? アカデミア内外を架橋する張本人として、昨今の人類学への注目の高まりの功罪を、いかにして見ているのだろうか? 話をうかがっていると、彼女が考える「実践」としての文化人類学のあり方、さらには昨今の脱資本主義的トレンドへの違和感まで話題が広がり、これからの資本主義システムの可能性と課題が浮かび上がってきた。
「人類学とは実践である」国内外で広がる、アカデミア外への応用
「人類学者のフィールドワーク」と聞いて、どんなシーンを思い浮かべるだろうか。アフリカの奥地に数年間滞在し、現地住民と生活を共にしながら、その文化に深く入り込んで調査を進める──そんなイメージを持っているかもしれない。しかし、大川内さんの経営するアイデアファンドが実施してきたフィールドワークは、一般に思い浮かべられがちな伝統的な人類学のそれとは、少し趣が違っている。
「普通の人の家の部屋にお邪魔させてもらって、その中でずっと観察するんです。通勤通学の途中にずっと張り付いていることもあります。もちろん、許可は取っていますよ(笑)。また、人ではなく、場にフォーカスする形でフィールドワークを行うこともあります。例えばバーの調査だったら、私がお客さんを装ってずっとその店にいます。お客さんが最初はどういうものを頼むのか、どういう会話をしたタイミングで追加注文をするのか、店主との会話を楽しむのか……、そんなことをずっと観察していますね。コロナ以降はなかなか『家に行かせて』と言いづらくなったので、自分で家の中を撮ってもらったり、Zoomをつないで家の様子が見えるように何時間も映してもらったり、Zoomで何度もインタビューしたりと、スタイルを変えざるを得なくなってはいますが」
もちろん、このフィールドワークはあくまでも企業の事業開発や商品開発に活かすための知見を得ることが目的であり、論文を書くためのそれとは別物だ。ただし、大川内さんはこうしたフィールドワークも「人類学」の一つだと考えている。なぜなら、人類学とは「実践」だからだ。
「文化人類学者の船曳建夫先生も『人類学とは態度である』という旨のことをおっしゃっていましたが、私の考えでは、人類学は別に方法論がかっちり決まっているわけではなくて、調査の仕方も一人ひとり全然違います。その場その場で気になっていることを聞いているという側面が強いので、再現性も検証可能性もあまり高くなく、“技”としての性格がとても強くなっている。たまたま面白いフィールドに行けるかどうかにも左右されますし、事件が起こって突然面白くなることもあるので、運の要素に大きく影響を受ける。もちろん、分析や論文の切り口、まとめ方などに関する方法論もありますが、それはあくまでも人類学の一部に過ぎません。きちんと大学に勤めて調査をして、論文にすることだけが人類学的な正しい行いとして考えられがちですが、必ずしもそうでなくともいいのではないかと私は考えています。アウトプットが論文でなく、製品や会社の組織、ボランティア活動であっても、フィールドを自分の目線で関与しながら知ろうとする実践そのものを人類学として捉えてもいいのではないでしょうか」
■PLANETSチャンネルの月額会員になると…・入会月以降の記事を読むことができるようになります。・PLANETSチャンネルの生放送や動画アーカイブが視聴できます。
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【本日開催】「飲まない東京」サミット2022|小倉ヒラク×古谷知華×牧野圭太(リアル開催&生中継あります)
2022-01-25 07:00おはようございます、PLANETS編集部です。
(ほぼ)毎週火曜日の夜に開催中の「遅いインターネット会議」。今月も有楽町のコワーキングスペース・SAAIでのリアル開催を実施しています!
今回のテーマは「『飲まない東京』サミット2022」です。
PLANETSチャンネルなど各スタンドでは生中継もありますが、気になる方はぜひ会場へ遊びに来てください。
1月25日(火)19:30〜「飲まない東京」サミット2022|小倉ヒラク×古谷知華×牧野圭太
現代人の「あそび」は、「飲む」ことに限定されすぎている。むしろ「飲みニケーション」の外側にある文化に注目することで、東京の夜の新たな楽しみ方が発見できるのでは?そんな着想から、宇野常寛とPLANETSが進めている「飲まない東京」プロジェクト。新雑誌『モノノメ 創刊号』でもキックオフ特集を掲載しましたが、2022年も各分野のキーパーソンとともに、プロジェ -
喪失を抱えるヒロインとその姉妹たちを描いた『クロスゲーム』| 碇本学
2022-01-24 07:00550pt
ライターの碇本学さんが、あだち充を通じて戦後日本の〈成熟〉の問題を掘り下げる連載「ユートピアの終焉──あだち充と戦後日本の青春」。今回は、あだち充の2000年代後半の少年誌連載作品『クロスゲーム』のヒロイン・月島若葉の人物像を掘り下げます。代表作『タッチ』とは逆に、主人公の相手役姉妹が喪失を抱える図式で描かれた本作で、あだち充が『ナイン』以降の蓄積の上に見出した新たなヒロイン像とは?
碇本学 ユートピアの終焉──あだち充と戦後日本社会の青春第20回 ② 喪失を抱えるヒロインとその姉妹たちを描いた『クロスゲーム』
月島四姉妹の原型となった「居候」シリーズ
「居候よりひとこと」は、もろ今に繋がってますね。なんか掴んだんじゃないかな。描きながら楽しかったし、こんな漫画を描けていけたらいいなぁと思いながら描いてた。
群像劇でコメディ色が強いラブコメ。これは都築とじゃないとできなかった作品ですね。のちの『陽あたり良好!』の元になってるし、四姉妹が出てくるところは『クロスゲーム』にも近い。
この話、実はモデルがいて、実名をもろに使ってます。キャラクターがすごく動いた、そういう手応えがあった作品。こいつらだったらもっと話ができるなと思ったから、続編も描くことになります。〔参考文献1〕
『クロスゲーム』のヒロインとなる月島青葉は四姉妹の三女だった。 月島家には長女・一葉(連載開始当時高校一年生)、次女・若葉(連載開始当時小学五年生)、三女・青葉(連載開始当時小学四年生)、四女・紅葉(連載開始当時幼稚園児)の四人の娘がいた。父は「月島バッティングセンター」と「喫茶店クローバー」を経営している娘想いの月島清次。四姉妹の名前をつけたのは母の洋子だったが、若葉が小学二年生の時に他界しており、物語が始まった時点ですでに故人だった。
物語は第一部【若葉の季節】(コミック第1巻)、第二部【青葉の季節】(コミック第2巻~第14巻)、第三部【四つ葉の季節】(コミック第15巻~第17巻)に分かれており、第一部【若葉の季節】の最後で次女の月島若葉は小学五年生で亡くなってしまう。若葉が亡くなった第10話のラスト2ページではバッティングセンターで泣きながらバットを振る青葉が描かれ、そのあとにおそらく洋子が名づけたであろう「喫茶店クローバー」の店名だけが描かれる。その次の最後のページでは「マメ科多年草……」「──江戸時代オランダ船が荷詰用に用いたことから、和名ツメクサ(詰草)。」「四つの葉は幸福をもたらすという──」というナレーションと共に水際とそこに生えたクローバーが描かれていた。月島四姉妹のひとりが亡くなってしまったことで四つ葉のクローバーのひとつの葉が欠けてしまったというとわかりやすいが、読み手に染み入ってくる描写がなされている。あだち充による省略の美とでも言える、余計なものは描かない風景描写によって、若葉と関わっていた人たちが彼女を失ったという喪失とともに生きていき、このあとも物語は続くのだと感じさせる効果を出している。ここで読者も登場人物たちと同様に月島若葉を失ったものとして物語に併走し、より深く物語の世界観に入り込んでいけるものとなっていた。
「『タッチ』で困ったのが、中学時代から物語を描き始めたため、幼少期の回想シーンを描くと、どうしても唐突な感じが否めず苦労した。だから、『クロスゲーム』では、ファーストヒロインが死ぬまでをちゃんと描こう。ただ、そうすると最初は人気が出ないかもしれない。それでも、10話で中学生編にいけば、読者はついてきてくれるはず。」
あだちの狙い通り、中学生編に突入すると、「クロスゲーム」の人気は急上昇し、単行本も次々と重版がかかった。〔参考文献1〕
『クロスゲーム』は「逆『タッチ』」をやるというものだったので、本来であればヒロインになるであろう次女の若葉が小学五年生で亡くなってしまうことは最初から決まっていた。若葉の幼馴染であり相思相愛だった主人公の樹多村光(コウ)と、若葉のことが大好きでいつも一緒にいたがった三女の青葉という、本人たちは気づいていないが周りから見ると似た者同士だった二人が成長して大人になっていく手前までを描いた作品だった。そして、前回書いたようにあだち充作品でずっと描かれてきた「喪失」をめぐる物語であり、「あだち充劇場」の集大成となっていた。コミックス1巻分を使った小学生編はスローテンポになりやすく、話も地味になってしまうとあだちも危惧した部分ではあったが、ここをしっかり描いたことで他のあだち作品とは少し肌触りの違う作品となった。人気や知名度で言えば、あだち充作品として一番最初に挙がるのはやはり『タッチ』だろう。しかし、ストーリーの展開と作品の完成度として一番の出来はこの『クロスゲーム』になるのではないだろうか。
「四姉妹が出てくるところは『クロスゲーム』にも近い」と引用した箇所であだち充が答えているように、「居候」シリーズともいえる「居候よりひとこと」(1978年)、「続・居候よりひとこと」(1978年)、「居候はつらいよ」(1979年)という作品が『クロスゲーム』を遡ること27年前に描かれていた。「居候よりひとこと」「続・居候よりひとこと」「居候はつらいよ」の三作品は現在では『ショートプログラム ガールズタイム』に収録されているのでそちらで読むことができる。また、『ショートプログラム ガールズタイム』では「恋人宣言」(1979年)という短編も収録されており、若い男女が一つ屋根の下で暮らすという内容だった。「少年ビッグコミック」でいきなり人気トップになってしまい、そのことでこれを原型として『みゆき』がのちに連載されることになった。そして、この「居候」シリーズが原型となって『陽あたり良好!』が描かれていることになる。あだち充がブレイクするきっかけとなった『ナイン』が1978年から1980年に連載されていた時期と並行してこれらの短編が描かれていた。明らかにこの1978年から1980年に現在へと続くあだち充的なもの(「あだち充劇場」)の原型ができたと言えるだろう。
「少女コミック」で短編読み切りとして描いた「居候」シリーズと「少年ビッグコミック」で短編読み切りとして描いた「恋人宣言」は主人公とヒロインが同居するものの原型(『陽あたり良好!』『みゆき』)となっていた。また、『ナイン』は野球漫画に少女漫画的な要素を持ち込んだ新しいラブコメとして受けいれられ、1980年代を代表する漫画『タッチ』に繋がっていった。そのあだち充が手応えを摑んだそのふたつの形式がひとつになった最終形とも言えるのが現在「ゲッサン」で連載中の『MIX』である。『MIX』は主人公の立花投馬と血は繋がらないが親が再婚して妹になった音美の同居ものになっており、さらには『タッチ』の明青学園を舞台にした野球漫画である。『クロスゲーム』は「あだち充劇場」としての集大成だったが、『MIX』が最終形と言えるのは、あだち充的なものであるその二つのラインが共存しているからである。
「居候」シリーズは地方都市で「亀の湯」という銭湯を営んでいる清水家を舞台に展開される。主人公の掛布銀次(通称・サイの目銀次)が清水家に転がり込んで、銭湯のボイラーマンとして働きながら、姉妹と交流を重ねていく。清水家には父母すでに他界しておらず、長女の洋子(おそらく20代中ごろから後半、長い髪で眼鏡をしていて、いつもたばこを咥えている。何事にも動じない性格。以前は東京にいたことがあり、その時に銀次と知り合っている。一家の大黒柱)、次女の雅子(おそらく20代前半、セミロングのウェーブがかった髪。銀次とはよく言い合いになる。エリートで金持ちの健一と付き合っている)、三女・弘子(おそらく十代後半、ショートヘアで『みゆき』など以降のヒロインの感じに一番近い。空手初段、柔道二段でめっぽう強い)、四女・セツ(おそらく小学校低学年から中学年、一番早く銀次になつく)の四姉妹と銀次は一つ屋根の下で暮らすようになる。内容はドタバタコメディであり、後に出てくる作品の要素がいくつか入っている点も今読み返すと発見できる。たとえば雅子の恋人の健一は二枚目でさわやかな印象だが、実は清水家に来たときには姉妹の下着を盗んでいるような人物で、キャラクター造形としては『陽あたり良好!』の美樹本伸の原型だろう。彼の正体が暴かれたことで、最初に家にやってきた泥棒で下着を盗んでいたと雅子に誤解されていた銀次は疑いが晴れる。その後、銀次と雅子は喧嘩をするほど仲がいい、というようなラブコメの主人公とヒロインの関係性になっていった。また、三回目となる『居候はつらいよ』では清水四姉妹と銀次が雪山にスキーに行き、そこで銀次のかつての幼馴染でスターとなっている山内百美(山口百恵をイメージしている)が映画の撮影をしているところに出くわしたことで、最終的に銀次と雅子が互いの思いを伝えあうという展開になっている。あだち充作品では何度かアイドルが出てくることはあるが、この時点でそれはすでに描かれていたことになる。また、終盤に雪山でトラブルが起こって物語が終焉していくのは超能力とアイドル(兼女優)を描いた『いつも美空』を彷彿させる。
清水四姉妹の長女の名前が洋子であり、『クロスゲーム』の月島四姉妹の母親の名前も洋子だった。「居候」シリーズにはモデルがいて、実名を使っているとあだちが言っているので、彼は四姉妹というと浮かんでくる名前が清水四姉妹たちだったはずだ。『クロスゲーム』はクローバーがモチーフにあり、四姉妹それぞれが「葉」がつく名前にしようと考えた時に、亡くなっていて物語には出てこないが、母親の名前にはかつて描いた四姉妹の長女の名前を無意識に使ったのではないかと思われる。また、『クロスゲーム』以外では、『H2』の明和第一のマネージャーの小山内美歩が実は四姉妹の末っ子だったという設定であり、小山内美歩は四姉妹の中で上の三人とは年が離れていた。小山内四姉妹も清水四姉妹も月島四姉妹も四女だけが上の三人と年が離れている。あだち充が清水四姉妹のモデルとした四姉妹もおそらく一番下の末っ子だけが年が離れていたのではないかと想像できるのだが、清水四姉妹と月島四姉妹で考えると年の離れた四女の存在があだち充作品における「喪失」を体現していたのではないだろうか。長女がどちらとも四女に対しては、ある種「母」的な存在であり、幼い四女は姉である姉妹たちに庇護されるべき立場である。そして、幼児の時点で母親が亡くなってしまっていることで、母親の思い出がほとんどないという部分も共通している。つまり清水セツも月島紅葉も物心ついた時点で「母」が死んでしまっているという「喪失」と共に、それを抱えて生きていく人生とも言える。
以前にも書いたがあだち充や兄のあだち勉は戦後生まれであり、兄弟姉妹が多い家庭が多かった。また、同時に戦後には戦争孤児などもたくさんいた。団塊の世代とも言えるあだち充にとっては、現在よりは人が病気や栄養失調などで亡くなることが身近なものとしてあったと考えられる。その時のイメージの反映がもしかしたら無意識のうちに四姉妹の四女に反映されていた可能性もあるかもしれない。つまり、上の姉妹たちに庇護を受けながら成長していく四女はある種、母から直接的な愛を受けなかった「孤児」として描かれているようにも感じられる。どんなに姉たちに愛情を注がれても四女だけは、彼女たちが母親から受けた愛情を得られることは今世ではないことだけがはっきりしている。つまり、あだち充作品の幼い四女は最初から「喪失」を受け入れる存在であり、そのせいか幼児にしてはやけに大人びているという特徴を持つ。もちろん、それは寂しさの裏返しであるのだろう。
そして、あだち充自身も三男一女の末っ子、四番目の子供である。あだち充は両親とは不仲ではないが、兄の勉の漫画の手伝いをすることで漫画の描き方を覚え、麻雀にハマって学校にもあまり行かないような学生時代を過ごしていた。彼にとっては実の父よりも、次男である勉が父的な存在(メンター)だった。そういう経験も四姉妹の四女のキャラクター造形に影響を与えているのだろう。今作における四女の月島紅葉は作中で時間が進み、幼稚園児から小学生になって学年が上がっていくと亡くなった次女の若葉に似ていると周りから言われるように成長をしていく。
『クロスゲーム』であだち充は亡くなった次女の若葉が成長したら、こんな女性になっていたのではないかという人物の滝川あかねというキャラクターをいきなり登場させた。このことによってコウと青葉の関係性も変化し、王道ラブコメにおける三角関係のような展開にもなっていく。コウや月島家だけではなく、若葉のことを知っていた誰もが滝川あかねを見て若葉の幽霊だと思うほどだった。そのあかねは「喫茶店クローバー」でアルバイトを始めるようになり、若葉の死によって欠けた四姉妹にあかねが加わることで補完されたような形となった。あかねはあり得たかもしれない可能性としての月島若葉として描かれ、同時に四女の月島紅葉は亡くなるまでの月島若葉を後追いするような存在となっていく。つまり、小学五年生で時間が止まっていた月島若葉の人生が未来と過去のどちらでも展開していくような設定になっている。しかし、月島若葉は月島若葉でしかなく、月島紅葉は月島紅葉でしかなく、滝川あかねは滝川あかねでしかない。そのことをコウをはじめ、あかねに懐くようになっていた青葉もしだいに理解することで、若葉を失った「喪失」は他の誰かが代わりになるものではないと認めることになる。これもひとつの成長として描かれていく。
『タッチ』では上杉和也が亡くなってから、上杉達也と浅倉南が相思相愛であるということは誰もが気づいており、そこにライバル未満としかならない新田明男や西村勇が登場したが、上杉達也のライバルはずっと双子の弟である上杉和也でしかなかった。『クロスゲーム』ではヒロイン候補だった若葉が亡くなっており、男女が反転しているが、こちらでは実際の肉体を持った「もう一人の月島若葉」としての滝川あかねを登場させていた。何の前触れもなく滝川あかねを出したネームを読んだ担当編集者の市原はかなり衝撃を受けたという。あだちは『タッチ』ではできなかったことであり、担当編集者の市原を驚かすために若葉そっくりの滝川あかねを登場させたのだろう。そして、若葉の代わりとしてあかねを月島姉妹と出会わすことでもう一度、偽りでも四姉妹という形で残された彼女たちを描きたかったのかもしれない。
月島青葉はあだち充のヒロインの系譜のどこに位置するか
月島青葉はあだち充作品におけるヒロインの系統ではどういう位置になるのだろうか。基本的にはブレイク作で、再デビューのようになった『ナイン』以降の作品で、主人公が女性ではない作品のヒロインたちから考えてみたい。
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菊池昌枝「ひびのひのにっき」──季節の暮らしわけ
2022-01-21 07:00おはようございます。
今日はWebマガジン「遅いインターネット」の最新記事と、併せて読んでほしいおすすめ記事をご紹介します。
先日公開されたのは、菊池昌枝さんによる連載「ひびのひのにっき」です。
この連載ではひょんなことから築130年を超える町家に住むことになった菊池さんが、「古いもの」とともに生きる、一風変わった日々のくらしを綴ります。
今回は季節とともにある古民家ならではの暮らし方についてです。気温や天気に合わせて生活様式をかえていく「暮らしわけ」について、季節折々の写真とともにお届けします。
今回の記事と併せて、こちらの記事も(もういちど)読んでみませんか?
テクノロジーを用いて都市のオルタナティブを追求していくプロジェクト「風の谷」。この連載では、そんなプロジェクトに関わるメンバーの横顔を紹介していきます。今回お話をうかがったのは、慶應義塾大学教授の小林博人さん。建築家として活躍 -
加藤るみの2021年映画ベスト10|加藤るみ
2022-01-20 07:00550pt
今朝のメルマガは、加藤るみさんの「映画館(シアター)の女神 3rd Stage」、第24回をお届けします。今回は(年明けですが)昨年を振り返り、2021年公開映画から加藤るみ的トップ10を発表。連載中に紹介しきれなかった作品も含め、ぜひチェックしてみてください!
加藤るみの映画館(シアター)の女神 3rd Stage第24回 加藤るみの2021年映画ベスト10
あけましておめでとうございます。加藤るみです。
新年一発目の「映画館の女神」は、デロリアンでタイムスリップして昨年の振り返りをしたいと思います(笑)。計画性がないわたしのせいです。お付き合いいただけますと嬉しいです!
毎年思うんですが、昨年は1年がとびきり早いように感じました。そういえば、いつも映画の話は熱量多めに書いているんですが、ドラマの話はしてないなぁと。やはり、映画とドラマと比べると比率は9対1くらいになってしまうのですが、少し語らせてください。一昨年の『愛の不時着』からはじまり、わたしはもっぱら韓ドラ派なんですが、昨年は『ヴィンチェンツォ』がめちゃくちゃ面白かったです。あらすじは、イタリアのマフィアで韓国にルーツを持つヴィンチェンツォ・カサノが、巨額の金魂を掘り起こすために韓国にやってくるところからはじまります。しかし、その金魂が眠る雑居ビル・クムガプラザは、大企業バベル建設が違法な手段で開発を進めたことで取り壊しが迫られており、ヴィンチェンツォの計画は妨げられてしまいます。
とっとと大金を手に入れてイタリアに戻る予定が、クムガプラザをめぐる争いや悪徳カルテルの対立に巻き込まれ、法では裁けない悪を悪でなぎ倒していく、頭脳派サスペンスコメディです。
『梨泰院クラス』のパク・セロイは正義で戦い、『ヴィンチェンツォ』のヴィンチェンツォは悪で戦う。「復讐」という一言では済ませられないほど、スリルのある戦いを見せてくれる痛快なドラマでした。
韓ドラあるあるなんですけど、1話から面白いっていうのはあまりなくて、だいたい5話くらいから本気出してくるんですよね……。『ヴィンチェンツォ』に関しては、1話観てあまりピンと来なかったから、2話観るまでの間が2ヶ月空いたという(笑)。でも、周りがあまりにも面白いって言うもんだから、頑張って観てよかったなぁと思います。本当に4、5話くらいから面白くなるんで、お願いします。耐えてください。
それと、『ヴィンチェンツォ』の良いところは、悪役が徹底して悪役なところ!「こんなヤツいる?」ってツッコミたくなるくらい腹立たしい悪役が最後までキッチリ悪を貫いてくれるから、胸糞悪いんだけど清々しい。これは、韓ドラでも韓国映画でも共通して言えることかもしれないです。最近の韓国映画だと、マ・ドンソク主演の『犯罪都市』('17)に出演していたユン・ゲサンの悪役っぷりが最高でした。わたしが観た韓国映画のなかでも1・2を争う、超絶のワルでした。ぜひ、気になる方は観てください。しかも、『ヴィンチェンツォ』には『愛の不時着』や『梨泰院クラス』にも出演していたクセの強い脇役たちが登場しているのが、このNetflix韓ドラブームの流れで観ているわたしにとっては推せるポイントでした。『ヴィンチェンツォ』も『愛の不時着』で名を馳せたスタジオドラゴン制作作品なので、わたし的に「韓ドラ観るならスタジオドラゴン」という指針ができつつあります。韓ドラって1話90分で、全20話くらいあるからめちゃくちゃ長い!けど、その時間を捧げるだけの価値があるんですよね。「長いけど面白い! 韓ドラはマラソン! 達成感がセット!」ということで、わたしの2021年ナンバーワンドラマは『ヴィンチェンツォ』ということで発表を終えたいと思います。
さて、前置きはこのくらいにして……、昨年の映画総括を発表したいと思います。毎年、このベストを考える時間が最高に楽しいです。わたしのベスト10は、"好き"をテーマに、2021年に劇場公開された作品の中から選んでいきます。
では、10位からどんどん発表していきたいと思います!
10.『スウィート・シング』
大きな衝撃はなくとも、素朴で優しい映画に出会いました。
米インディーズ映画のアイコン、アレクサンダー・ロックウェル監督25年ぶりの日本公開作。行き場を失った子供たちが彷徨い旅に出る逃避行ムービー。「育てる」という責務を放棄した親の身勝手さには怒りや悲しみが込み上げてくるんですが、自分たちの足で歩き出す子供たちの強さや輝きに心が洗われます。誰もが子供時代に感じたことのある、永遠に続くんだと錯覚するような楽しかった思い出を蘇らせてくれる。それと、ノスタルジーな感覚に包まれるモノクロとフィルムの質感の映像は息を呑む美しさでした。悲しみと輝きが混在する世界を色の変化で魅せる監督のさすがの手腕。この物語を最大限に引き出す、映像の演出は秀逸でした。ちなみに、本作の監督であるアレクサンダー・ロックウェル監督の教え子は『エターナルズ』('21)や『ノマドランド』('20)を撮った、今をときめくクロエ・ジャオ監督なんですね。ただ好きな監督同士の繋がりを知れて単純に嬉しいという映画オタクのプチ情報でした。
9.『モロッコ、彼女たちの朝』
異国情緒溢れる街並みや可愛い洋服やインテリア、香ばしい匂いが漂ってくるパンなど、映画を通して文化に触れる、モロッコに行きたくなる魅力が詰まった、視覚的にも楽しい作品でした。そして、この映画を観てほしい一番の理由は、婚前交渉や未婚の母がタブーとされるイスラム社会問題を背景に、「普通」からはみ出してしまった女性の連帯を描いた、静かに力強いシスターフッドムービーであること。監督のマリヤム・トゥザニは元々ジャーナリストで、映画監督としてのキャリアをドキュメンタリーからスタートしたそうで、ドキュメンタリー映画のような顔の寄りのカットが多いのが印象的でした。それに加え、女性だけの空間を中心とした密室劇として描くことによって、心の閉塞感が痛切に感じられました。わたしにとって映画は、知らないことを学ぶ教科書的存在です。日本では大きく報じられないニュースがわたしたちにとってとても重要で、同じ地球に生きる人間として女性として知るべき事実がたくさんあるような気がします。この『モロッコ、彼女たちの朝』と同じくイスラム教下で女性の生きづらさを描いた映画では、パレスチナの『ガザの美容室』('15)やトルコの『裸足の季節』('15)、アフガニスタン『ブレッドウィナー/生きのびるために』('17)も併せて観ると理解が深まると思います。この複雑な世界で、私たちはどうしていくべきか、どう生きるべきか、観ている者に解釈の余地を残し、考えるきっかけを与えてくれる作品でした。
8.『tick,tick…BOOM!:チック、チック…ブーン!』
35歳の若さでこの世を去った、大人気ミュージカル『RENT』の作曲家ジョナサン・ラーソンの自伝映画。Netflix作品なんですが、この映画の肝は「音楽」だという事前情報があったので、なんとしてでもスクリーンで鑑賞したく、映画館で観ました。これ、まだ上映しているかは微妙なラインですが、観れるならぜひ映画館で観てもらいたいです。特に、いろいろとくすぶってる20代後半の人が観たらブッ刺さると思います。なんといっても、この作品の一番の魅力はアンドリュー・ガーフィールドの超熱演です。アンドリュー・ガーフィールドというと、『アメイジング・スパイダーマン』('12)で名を馳せた、スパイダーマン三兄弟の次男。最近は『メインストリーム』('20)でSNSが生み出したサイコ男や、『アンダー・ザ・シルバーレイク』('18)では迷走したオタク青年と、ある意味話題作に出演していたものの、わたし的には役にも作品にもイマイチ恵まれていない印象でした。(『タミー・フェイの瞳』という待機作は、2021年のTIFで上映されてこちらは良さげな予感。)でも、『tick,tick…BOOM!』を観てわたしは思いました。「やっとアンドリュー・ガーフィールドが長く暗いトンネルを抜けた……!」と。スパイダーマン以降潜っていた長いトンネルを駆け抜けるような、全力疾走の演技。まるで、生まれ変わったような情熱を放っていて、わたしが見たかったアンドリュー・ガーフィールドをこれでもかと魅せてくれました。この物語の主人公は、30歳の誕生日目前にアーティストとして何も成し遂げていない自分に対して打ちひしがれるジョナサン。ジョナサンと年齢的にドンピシャな20代後半のわたしは、30歳になる前に何かを成し遂げたい焦りや悔しさが痛いほどわかるから、じわりと涙が。それに加え、焦燥感に囚われながらも人生を疾走していくジョナサンの姿は、アンドリュー・ガーフィールドのキャリアと重ねてしまい、オタク目線でもはたまたお節介涙。自伝物としてもミュージカル映画としても魂のこもった作品です。
全体の順位としては8位ですが、2021部門別「この俳優が凄い! ランキング」1位は確実に『tick,tick…BOOM!』のアンドリュー・ガーフィールドです!
7.『ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結』
DCファンのわたしとしては、コレを語らずには2021年は終われませんでした。マーベルの『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』('14)シリーズを大ヒットに導いたジェームズ・ガン監督がある事件によりディズニーから追放され、DC作品を撮る……!この革命に興奮しないアメコミファンはいなかったんじゃないでしょうか。最初から最後までエンジンフルスロットルの超エンターテイメント映画。まさに、ファンが観たかった『スースク』を実現してくれたと思いました。サプライズの散りばめ方も、キャラクターや怪獣に対するリスペクトも、愛のこもった『スースク』に大感動しました。わたし的には「自分を欺くヤツは女でも子どもでも許さない」といった、弱者を虐めようとするハーレイ・クインの新恋人候補を叩きのめすシーンが大好きでした。本作は、単作で公開された『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY』('20)より遥かにハーレイ・クインの華麗なる覚醒でしたし、このジェームズ・ガン版の『スースク』の成功によって、2016年に公開された元祖『スーサイド・スクワッド』は完全に闇夜に葬られた気がします。ありがとう、ジェームズ・ガン。
6.『藁にもすがる獣たち』
こちら、わたしが2021年に観たなかで一番面白かった韓国映画です。日本の小説家・曽根圭介さんの小説を韓国で映画化。ロッカーに忘れられた10億ウォンをめぐり、欲に目が眩んだ"獣"たちの大金バトンリレーが繰り広げられるクライムサスペンス。この作品、人間の欲望にまみれた汚い部分が凝縮されているのに、とにかく軽快なテンポで進んでいくので胃がもたれません。誰が大金を手にするのかゾクゾクするスリリングな展開に、最後は「なるほど……!」と唸る伏線の散りばめ方も完璧でした。ザ・韓国ノワールらしいエグみのある過激さもあり、ユーモアもあり、エキサイティング。これぞ、韓国エンターテイメントの理想系!友達同士で集まってワイワイ観たら、絶対に楽しい一本です。
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【新連載】現役官僚のニューヨーク駐在日記 ニューヨークはなぜ力強いのか|橘宏樹
2022-01-19 07:00550pt
今月から、現役官僚である橘宏樹さんによる新連載「現役官僚のニューヨーク駐在日記」が始まります。これまでPLANETSでは「現役官僚の滞英日記」や「GQ(Governement Curation)」の連載を通して、「中の人」ならではの視点から政界の裏側や政治と生活との結びつきを紹介してくれた橘さん。本連載では、ニューヨークへの赴任から1年を経たタイミングで、橘さんが改めて感じたアメリカの政治風土を日本の読者向けに紹介していきます。第1回は連載全体の見通しと、外国人参政権が可決されたことに対する橘さんならではの見解について。
橘宏樹 現役官僚のニューヨーク駐在日記第1回 ニューヨークはなぜ力強いのか
ご無沙汰しております。橘宏樹です。国家公務員をしています。ニューヨークに赴任して1年が経ちました。マンハッタンの、とあるオフィスで働いています。
僕は以前、イギリスに留学していた2014~16年の2年間、PLANETSで「現役官僚の滞英日記」を連載させてもらいました。イギリスの老獪さの秘密を解き明かすことを目標に、毎月、半ば途方に暮れながらも掴んだものを書き綴り、書籍化もしてもらいました。その後もニューヨークに来る直前の2020年9月まで約3年間、「GQ(Governement Curation)」という、あまり報道されないけれど非常に重要な行政の動きを解説する連載をさせてもらっていました。 そして今回のニューヨーク赴任にあたって、せっかくだから、また何か書かないかと宇野編集長からお声がけいただきました。一応、1年間働いて仕事のペースもつかめてきたところで、任期もまだあと2年はありそうですし、連載を始めることにしました。
▲着陸寸前の飛行機の窓から臨むニューヨーク。セントラル・パークが見えます。
ニューヨークは、言うまでもなく世界最大の経済・文化の中心都市のひとつです。日本からの観光客も多く、たくさんの日本語の報道やコラムで取り上げられている街だと思います。なので、本連載では、「現役官僚の滞英日記」や「GQ」と同様、なるべくそうした記事とは、角度の異なる内容を書いていければと考えています。時事的なトピックを扱う際も、事実の紹介を踏み越えて、なるべく本質的で普遍的な何かに対する洞察に努めたいですし、なにより、この地で、日本人や日本社会にとって真に学ぶべき何かを掴みたいと考えています。なので、現地で暮らすがゆえに得られる肌感覚を重視した記述が主になると思いますから、自然、語尾は「感じる」「思う」といった主観的な表現が多くなるかもしれません(ちなみに、仕事のことは一切書きません)。
さて、目下のニューヨークでは、オミクロン株が猛威を振るっており、一日当たりの新規感染者数は史上最高値を更新中です。しかし、ワクチン接種者の重症化事例はかなり少ないので、行政は昨冬のようなロックダウンは考えていないようです。街も大勢の人出があります。 冬のマンハッタンは、クリスマスのイルミネーションがとても美しかったです。ライトアップされた5番街、クライスラービル、エンパイヤ・ステートビル、ロックフェラーセンターなどをみんながインスタグラムにアップしています。ハイセンスできらびやかです。
しかし、その足下では、マンホールから立ち上る蒸気のなかを、ボロボロな黒ずくめの服装で無灯火の電動自転車にまたがるUber EatsやAmazonの配達員が、猛スピードで逆走しています。銀行のATMにホームレスが泊まり込み、超巨大トレーラーが狭い路地を横切り、渋滞にいらだつドライバーたちのクラクションは鳴りやみません。地下鉄も落書きやゴミがそこら中に目につき、古くて汚くてあんまり乗る気になりません。都市インフラの老朽化はかなりひどいと思います。映画『ジョーカー』で描かれた「ゴッサムシティ」そのもの。世紀末的な格差社会が広がっています。
どこから何を学び、どう切り出して、何をみなさんにお伝えしようか、にわかに戸惑うほど、ネタの宝庫です。
▲様々な様式の建築が立ち並ぶ。エンパイア・ステートビルはクリスマス仕様。
▲銀行のATMで寝泊まりする人々
ニューヨークの「力強さ」の秘密を解き明かしたい
ニューヨークは、政治も行政も経済も文化も、本当に面白いです。ブロードウェイのミュージカルのように、すべてがエンタメなんじゃないかとすら思えるほどに、飽きさせない魅力があります。そして、ニューヨークは、その魅力によってあらゆる人々を惹きつけ、全米のみならず全世界の中心都市のひとつであり続けています。
この度のパンデミックにおいて、ニューヨークは毎日大勢の死者を出す世界最悪の状況を経験しましたが、比較的短期間で不死鳥のごとく復活しました。この1年間、僕が当地で目の当たりにした経済や社会の回復には、胸をすくような、ダイナミックな「力強さ」がありました。なぜニューヨークにはこのような回復が可能だったのでしょうか。ワクチン接種の急速拡大政策などを展開したクオモ前知事の強力なリーダーシップが大きかった、などと、プロセスを評価・分析することは可能なのですが、僕の関心は、むしろ、ニューヨークは、なぜクオモ氏を知事に選出できるのか、なぜ彼を活かせるのか、といった、もっと根本的な、もっと茫漠とした何かにあります(もちろん、ご承知のとおり、クオモ前知事はセクハラスキャンダル等で訴追された、毀誉褒貶のある人物ではあります)。
そこで、今回の連載では、ニューヨークのそんな「力強さ」の秘密を解明することをテーマにしていきたいと思っています。
現時点でおぼろげに抱いている仮説としては、この「力強さ」は、なんというか、ニューヨークでは、問題を解決することに対する苛烈なほどの執着心が、個人や組織や社会に徹底的に沁みついているような印象があることと、関係がある気がしています。
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