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記事 26件
  • 脚本家・井上敏樹エッセイ『男と×××』第31回「男と食2」【毎月末配信】

    2017-09-29 07:00  
    550pt

    平成仮面ライダーシリーズなどでおなじみ、脚本家・井上敏樹先生のエッセイ『男と×××』。「食」には人柄が表れるという敏樹先生。馴染みの大将と弟子の関係を見ながら、自分と弟子の関係に思いを馳せます。
    男 と 食  2   井上敏樹
    『あなたがなにを食べているかを言ってみたまえ。あなたがどんな人間か当ててみせよう』と、どこかの美食家が言っていたが、これはなかなか説得力がある。 確かに食生活はその人間を表現する。筒井康隆の小説に誰かの吐瀉物を嘗めて吐いた人間の性格、職業、肉体的な特徴までを当てるというエピソードがあったが、そこまでは無理としても、まあ、相手の趣味嗜好、生き方のセンスのようなものはなんとなく分かる。さらに言うと『なにを食べているか』を『どんな店に通っているか』に変えるとなお分かり易い。だから私は誰かを店に招待する時はいつも緊張する。また、招待される場合も同様である。相手のセンスはもとより相手の自分に対する評価が分かるからだ。
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  • 本日21:00から放送☆ 今週のスッキリ!できないニュースを一刀両断――宇野常寛の〈木曜解放区〉2017.9.28

    2017-09-28 07:30  

    本日21:00からは、宇野常寛の〈木曜解放区 〉最終回!
    〈木曜解放区〉は、宇野常寛が今週気になったニュースや、「スッキリ!!」で語り残した話題を思う存分語り尽くす生放送番組です。時事問題の解説、いま最も論じたい作品を語り倒す「今週の1本」、PLANETSの活動を編集者視点で振り返る「今週のPLANETS」、そして皆さんからのメールなど、盛りだくさんの内容でお届けします。
    ★★今夜のラインナップ★★メールテーマ「スッキリの思い出」and more…
    今夜の放送もお見逃しなく!▼放送情報放送日時:本日9月28日(木)21:00〜22:45☆☆放送URLはこちら☆☆
    ▼出演者
    ナビゲーター:宇野常寛
    ▼ハッシュタグ
    Twitterのハッシュタグは「#木曜解放区」です。
    ▼おたより募集中!
    番組では、皆さんからのおたよりを募集しています。番組へのご意見・ご感想、宇野に聞いてみたいこと、お悩み相
  • 鷹鳥屋明「中東で一番有名な日本人」第4回 なぜサウジアラビア人にレジ打ちをさせるのは難しいのか【第4木曜配信】

    2017-09-28 07:00  
    550pt

    鷹鳥屋明さんの連載『中東で一番有名な日本人』。今回のテーマは仕事です。あまり働かないイメージがあるというサウジアラビア人の若者たち。その背景には、石油産出国ならではの事情がありました。サウジアラビア人はレジ打ちにも一苦労? 期待の星、皇太子殿下の指揮下で進む国家戦略とは? 鷹鳥屋さんが現地のレポートを交えてお伝えします。
     今回、著者の鷹鳥屋はサウジアラビア皇太子殿下麾下の財団に関する案件でサウジアラビアに滞在しておりますので、この原稿は、サウジアラビアのリヤドよりお届けさせて頂きます。
    サウジアラビアで働く人々とサウダイゼーションの今
     サウジアラビアは世界有数の入国しにくい国とは言われていますが、それは旅行やバカンスで訪れることが難しいという意味であり、3200万人近くいる人口のうち約800〜900万人近くは移民人口(経済移民)であると言われています。その移民人口の構成は非産油国のアラブ諸国、東南アジア、アフリカなど、数多くの地域からサウジアラビアへ働きに来ている人々です。この出稼ぎ労働者とも言える層がサウジアラビアのブルーカラー及びホワイトカラーの多くの部分を占めておりました。これはサウジアラビアだけでなくUAEやカタールなど中東の産油国で主に見られる光景だと言えます。私はこの5年ほどの間に1年に1〜2回ほどサウジアラビアを訪れる機会がありましたが、毎年行く度に感じることの一つに、ホワイトカラーだけではなく、様々な分野においてサウジアラビア人が就業する比率が全体的に増えているという点が挙げられます。ここまで読んで、自国の経済を回すには自国民が働くのは当然では? と思うお方もいるでしょう。しかし、今まで産油国の経済(特にブルーカラーや一部ホワイトカラー)を支えていたのは移民労働者が主だったのです。
    ▲現地の移民労働者(バングラデシュ人)と著者 リヤドにて
    あまり働かない?アラブの若者達
     ですが、経済を全て移民任せにするわけにもいきませんので、サウジアラビアには「サウダイゼーション」と呼ばれる制度が存在しています。サウジアラビアで営業活動、業務を行う会社では雇用する労働者の一定数をサウジアラビア人により構成しなければならないという制度です。この制度は現地に進出をする企業にとってはなかなか難しい制度の一つです。優秀な人材はやはり現地政府や公社、企業に勤めたがるため、場合によってはスキルが高くない、もしくは勤労意欲がそこまで高くないサウジアラビア人を雇わなければならないという現実があります。実際いざ雇っても、一日中新聞を読むか同僚とおしゃべりをするか、携帯をいじるだけなのに高給取り、というサウジアラビア人労働者に悩まされた日本企業の方々の怨嗟の声は過去多くありますし、現在進行形の問題とも言えます。ちゃんと会社に来ればまだいい方で、会社にも来ない社員まで存在しています。 サウジ以外のとある某産油国で国立病院の人事部に勤務している私の友人は 「今日は英語のメールを5件書いて送ったから疲れたよ」 と一日の就業時間内における自身の圧倒的な業務パフォーマンスを私に自慢気に話してくれたりしました。朝職場へ行って新聞を読み、Facebookを投稿してアプリゲームに興じた後にメールを確認して返信し、昼の2〜3時に帰宅する彼は年収900万円近くでした。(産油国の多くでは所得税がかからないため年収=手取りの収入になります) これはサウダイゼーションの比率維持のためだけに雇っているというケースになります。この制度は勤労意欲に乏しいサウジアラビア人をさらに甘やかすだけの制度とも言えるのですが、そうでもしないとサウジアラビア人が進んで雇用されるということは決してありません。現地進出企業・外資系企業は必要コストとして甘んじて受けるしかなく、サウジアラビア人社員を名ばかりの管理職や重要ではないポストに置く、もしくは中央政府や現地企業の血縁や2世などを採用してビジネスを円滑に進めるための存在として確保するなどの方法を対策として取ってきました。もちろん産油国でもエリート層、もしくは超エリート層の方々の知力、見識は素晴らしいものがあり、そのような方々を雇えればいいのですが、現地進出企業がサウジアラビア政府の高級官僚並みの給与提示ができない、またそのようなエリート層は民間企業に行きにくいという事情があります。このサウジ政府や公社などがもたらす高給はサウジアラビアが原油を軸とした鉱物資源から得られる莫大な収入をベースにしたものであり、資源高が続く限り維持されるものでありました。 
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  • 更科修一郎 90年代サブカルチャー青春記~子供の国のロビンソン・クルーソー 第12回(最終回)「子供の国で青春が終わった後に」【第4水曜配信】

    2017-09-27 07:00  
    550pt

    〈元〉批評家の更科修一郎さんの連載『90年代サブカルチャー青春記~子供の国のロビンソン・クルーソー』、今回で最終回となります。神楽坂から文京区の印刷博物館へ向かった更科さん。神田川沿いを歩きながら、90年代というサブカルチャー青春時代の終わりに思いを馳せます。
    第12回(最終回)「子供の国で青春が終わった後に」
     神楽坂を登り切り、東西線の神楽坂駅前まで来た。今回はJR飯田橋駅から歩いてきたが、『カラフルピュアガール』編集部があった頃は、この駅から当該のビルへ通っていた。  ぼんやり眺めていると、駅の出入口の小さな雑居ビル――おそらくは東西線が開通した頃の建物が未だ健在であることに驚いた。1階のテナントはシャッターが降りていたが、地下の古い喫茶店「フォンテーヌ」は当時と変わらず、営業している。  狭い上に常連客が多く、打ち合わせには向いていないので、数えるほどしか入ったことはないが、懐かしくなったので、午後の用事の前に少し休憩することにした。  トーストサンドやサンドイッチが売りの古色蒼然とした純喫茶だが、焼魚や麦とろなど和食な定食もある。浅草や錦糸町あたりではよくあるタイプだが、神楽坂だと珍しいかも知れない。もっとも、昼食を取ったばかりなので、コーヒーだけ頼んだ。  手描き風書体のマッチや黒猫の影絵のような時計は、店主の手作りだと聞いた。それらのガジェットは独特の雰囲気を醸し出しているが、禁煙という概念がない昔の純喫茶なので、長居には向いていない。  コーヒーを啜り、地上へ戻ると、駅の出入口の外壁に立て看板が掛かっていることに気づいた。神楽坂の商店街マップのようだが、余白に『コボちゃん』のキャラクターたちが描かれている。パチモノや無断使用ではなく、正規の許可を取っているようだ。  手元のスマートフォンで調べると、どうやら、作者の植田まさし氏が神楽坂在住らしい。確かに、竹書房、双葉社、芳文社などの4コマ漫画誌が主戦場なら、神楽坂に家を構えるのはちょうどいい。家賃や地価は高いと思うが。  そういえば、かつて『カラフルピュアガール』編集部が入っていたビルの斜向かいに妙な造形のブロンズ像が建てられていたが、あれはコボちゃんの像だったのだ。
    ■■■
     神楽坂駅の西側――早稲田方面は商店もまばらで、人通りはほとんどないが、ワイレア出版やピーズサイテックなど、小規模なアダルト系出版社がいくつかあり、そちらの用事で来ることもあった。  筆者が「更科修一郎」という名前で「批評家」ということになったのは、たぶん、90年代の終わりに、ワイレア出版の『クリーム』というグラビア雑誌で永江朗氏にインタビューされてからだが、度重なる引っ越しで現物が手元にないので、何を喋ったのかはまったく覚えていない。  時期的には、コアマガジンを辞める前後だったと思うが、インタビューされた経緯も覚えていない。心当たりがあるとすれば、編集作業と並行して『漫画ホットミルク』で連載していた「雑誌事評」の読者だったのかも知れない。  学生時代の同人誌がそのまま雑誌連載になったこのコラムは、最終的に毎月8ページまで膨れ上がっていた。  毎月の創刊、休刊、廃刊雑誌を片っ端からレビューし、出版業界にモノ申すという狂気の沙汰は、同業者から絶賛されたり憎悪されたりしていたから、永江氏が嗅ぎつけたとしても不思議ではない。とはいえ、退社より前に連載は終わっていたが。

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  • お申込は9/29(金)まで! 〜SKE48の皆さんと、アイドルと地域活性化の可能性を考えるシンポジウム開催〜

    2017-09-26 19:30  

    10月20日(金)、札幌学院大学でアイドルと地域活性化の可能性を考えるシンポジウムが開催されます!
    地域に根づいたアイドル活動を通じて、地元企業や行政と連携した、新しい地域活性化の形がありえるのではないか?本シンポジウムでは、愛知県に本拠地を置きながら全国でも活躍するアイドルグループ・SKE48のメンバー4名が登場!メディア発信に関わる有識者とともに、その可能性を考えます。
    参加費無料・事前申込制です!
    ☆参加お申込みフォームはこちらから☆
    お申込締切:9月29日(金)23:59
     
    ▼イベントタイトルアイドルと地域活性化の可能性
    SKE48と考える「北海道を元気にするプロジェクト」(SKE48×竹中優介×宇野常寛×札幌学院大学)※学園創立70周年記念・大学開学50周年記念 シンポジウム▼出演者大場美奈(SKE48)熊崎晴香(SKE48)惣田紗莉渚(SKE48)谷真理佳(SKE48)竹中
  • 三宅陽一郎 オートマトン・フィロソフィア――人工知能が「生命」になるとき 第三章 オープンワールドと汎用人工知能(1)【不定期配信】

    2017-09-26 07:00  
    550pt

    ゲームAIの開発者である三宅陽一郎さんが、日本的想像力に基づいた新しい人工知能のあり方を論じる『オートマトン・フィロソフィア――人工知能が「生命」になるとき』。東洋的な思想を通じて「存在としての人工知能」について論じた前回を踏まえて、今回はビッグデータやアルファ碁を例に取りながら、高度化していく人工知能の現状と未来について考察します。
    (1)果てのない世界のための人工知能
     前章までは、人工知能の内部構造について、東洋的知見に基づいて議論を展開して来ました。要点としては、西洋的な問題特化型が機能的な性質の実現を目指すことに対して、存在としての根を持とうとする人工知能を、東洋的人工知能という言葉によって表現したい、ということでした。この章では、その議論を踏まえつつ、方向を変えて、世界に人工知能を展開していくことを考えてみましょう。  2015年から始まる、第三次人工知能ブームの特徴は、インターネットを通じて蓄積された膨大なデータ、ビックデータと呼ばれる集積されたデータを使って人工知能を学習させることで、人工知能のクオリティを向上させることです。しかし、それでも、人工知能はフレーム問題が解決されたわけではありません。フレームとは人工知能が物事を考える設定のことであり、たとえば将棋のような要素とルールからなります。しかし、人工知能は自らがフレームを作り出すことはできず、拡大して行く人工知能の活躍の場に際しても、問題ごとに一つの人工知能を割り当てているのが現状です。  現在のビックデータの解析においても、大変なのはビックデータ解析そのものよりも、ビックデータとしてデータをきれいに整備する、いわゆる「洗浄」という操作です。解析そのものはアルゴリズムですから、いったん開始すれば人間は待つしかありません。知的な解析と解釈をアルゴリズムが実行してくれるという意味で、時にビックデータ解析は人工知能と言われるわけですが、しかし、その人工知能に与えるデータは、その人工知能がきちんと解析できるように、余計なデータを省いたり、データを簡単な関数で変換したり、結合したり、スケールを変えたりする必要がある場合が多くあります。最終的には、そういった操作も、解析プログラムの中で仕込んでしまえば良いのですが、そのデータが作られた「人間的な事情」があり、それを加味してデータを整備することもあります。たとえば、あるデータはその日、8分間の停電があったため、時刻が飛んだデータになってしまったとします。せっかくナンバリングしているファイル名も変える必要があり、そのように時刻が飛んだデータを解析することによる影響がどれぐらいあるか、といったことはそのアルゴリズムを実行する人工知能ではなく、アルゴリズムの性質を知る人間にしか判断できないという問題があります。そうやって純粋なアルゴリズムの周囲に、アルゴリズムをうまく動かすための「工夫」を積み重ねて行くときに担当者が感じるのは「世話がやけるなあ」ということです(図3.1.1)。
    ▲図3.1.1 人間、人工知能、人間という処理の順番
     かつて画像処理のアルゴリズムは、画像の特徴に応じて様々な手法を人間が組み合わせて探求する分野でした。色々な前処理、アルゴリズム、後処理などです。ディープラーニングは、そのような画像の特徴を自動的に抽出する「折り畳みニューラルネットワーク」という技術が織り込んであるために、自動的に特徴を抽出する機能を持っています。ここではニューラルネットが画像や映像の特徴を自動的に、マルチスケールで抽出してくれます。これを行動決定に使うと、画像処理のプログラムから人工知能のプログラムになります(図3.1.2)。
    ▲図3.1.2 画像処理から人工知能
     このように、人間が、世話をする部分が減り、人工知能の担当する部分が増えると便利になります。世話をするのは人工知能の実行前だけでなく、人工知能の実行後の部分も同様です。前の部分に対しては、人間は「準備が面倒だな」と思いますし、後の部分に関しては「ここまでやってくれたらなあ」と思うわけです。お掃除ロボットのために、最初にロボットが掃除をしやすいように家具を片付け、掃除の後に家具を元の位置に戻したりしながら、そう思われた方も多いかと思います。つまり、人工知能はできることが決まっており、また行う領域も決まっており、その舞台は人間が整えなければなりません。つまり人工知能を運用するには、人間がした方がよい領域と、人工知能がした方が良い領域をよく知って運用する必要があります。そして、人工知能技術の発展はその境界を変化させます(図3.1.3)。
    ▲図3.1.3 人間、人工知能の住み分け、そしてその拡大  ■PLANETSチャンネルの月額会員になると…
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  • 戦後史としてのロボットアニメと〈移体性〉――フランス人オタクと日本アニメ熱狂の謎に迫る 『水曜日のアニメが待ち遠しい』 著者 トリスタン・ブルネ インタビュー 前編(PLANETSアーカイブス)

    2017-09-25 07:00  
    550pt

    今回のPLANETSアーカイブスは、日本史の研究者であり翻訳家でもあるトリスタン・ブルネさんのインタビューの再配信です。フランスにおける日本のサブカルチャー受容の過程をまとめた著書『水曜日のアニメが待ち遠しい』を下敷きに、オタク文化、特にロボットアニメのグローバルな視点から見た本質について語り合います。 (2015年12月4日に配信した記事の再配信です)
    なぜ日本のアニメはフランスで受容されたのか 
    宇野:ブルネさんのご著書『水曜日のアニメが待ち遠しい:フランス人から見た日本サブカルチャーの魅力を解き明かす』を読ませていただきました。本当に素晴らしかったです。たいへん勉強になりました。
    ブルネ:ありがとうございます。

    ▲トリスタン・ブルネ『水曜日のアニメが待ち遠しい』誠文堂新光社
    宇野:フランスで日本のアニメやマンガがポピュラリティーを得ているというのは、日本国内でも有名な話です。ただその紹介のされ方は、「フランス人にもわざわざ日本のアニメを追いかけている変わった人がいる」という文脈で、面白おかしくデフォルメされている場合がほとんどだった。また、これは僕自身が日頃から感じていることですが、日本のアニメが海外で支持されている、という話を過剰に解釈して安易なナショナリズムに結びつけてしまう日本人のファンも少なくありません。その中でこの本は、その受容の実態を、フランス人個人の経験とアカデミックな視点の両面からまとまって紹介した、初めての例だと思います。
    ブルネ:まさにそれが、この本で目指したことです。僕自身はこれまで計6年ほど日本に住んでいますが、1976年に生まれてから20代半ばまでは、日本アニメを浴びるように見て育った一人のフランス人オタクでした。それが2004年の初来日の際、たまたま日本の踏切の音を聴いて、初めて触れたはずのその音にノスタルジーを感じたことから、自分の人格形成における日本アニメの大きさに気づき、この問題を歴史的に考え始めたんです。ただ状況はフランスでも同じで、日本のアニメやマンガを深刻なイシューとして語ろうとしても、「単なる社会現象だ」と済まされてきた。今回の本の出発点は、「僕たちが生きてきた時代は何だったのか?」ということを、アカデミックな観点を含めて、個人の経験からわかりやすく追おうとしたことにあったんです。
    宇野:ご自身が強く惹かれてきた日本アニメの奇妙な魅力と、その結果生まれた、フランスでのポピュラリティーの謎を解き明かしたい、と? 
    ブルネ:そうですね。「解き明かしたい」と同時に、そもそもそこにある巨大な「謎」の存在を多くの人に知ってほしい、という気持ちでした。誰もが当然のように「日本のアニメはフランスで人気がある」と言いますが、それ自体がすでにおかしな話でしょう。日本とフランスは、社会も文化のあり方も、基本的にはまったく異なる国ですから。
    宇野:この本の面白さの最大のポイントは戦後の日本のアニメが結果的にですが、戦後の西側諸国が広く共有していた中流家庭、アッパーミドルのライフスタイルや価値観を表現するものになっていて、それが世界的なポピュラリティーの源泉になった、ということを指摘しているところだと思います。日本アニメのポピュラリティーを語ろうとするとき、アニメが好きな人も嫌いな人も、むしろ逆に日本の独自性に結びつけて考えがちですよね。つまり、アニメ肯定派は、日本の伝統的な価値観が現代の映像文化に引き継がれて開花した、と主張する。一方の否定派は、それをオリエンタリズムと批判する。どちらもグローバルな評価の根拠に、一種の日本性を見ていることは変わりません。が、ブルネさんの本は逆です。むしろ、戦後の先進国に薄く広く共有されていた、アッパーミドルの価値観に注目をされている。
    ブルネ:おっしゃったように、日本でもフランスでも、すべての先進国は、戦後の20世紀後半に、それまでの価値観が大きく変わる経験をしました。高度経済成長で物質的に豊かになっただけでなく、人々の人間関係や、日常生活のあり方が変わったわけです。たとえば僕は、パリ郊外の新興住宅地の生まれですが、この「郊外生まれ」という経験も、戦後の先進国ではありふれたものになっていきました。しかし問題は、こうして厚みを増した中間階層の存在を、歴史の上で位置付ける視点がない、ということです。
     意外かもしれないんですが、フランスは国家の力が強い国で、いまもエリートを頂点にした階層的な価値観がある社会です。そして国の物語である歴史も、「エリートと民衆の対立」という構図で記述されてきました。ところがこの構図には、支配層であるエリートとも、従来の民衆とも違う、戦後に増えた中間階層の位置がない。歴史から自身の正当性を与えられないことは、不安です。僕は、日本アニメの人気の背景には、こうした中間階層の不安や不満を解消したという点があると思っているんです。
    宇野:ただ、ここで素朴な疑問として浮かぶのは、それがなぜアメリカのホームドラマやハリウッド映画ではなかったのか、ということです。これについてはいかがですか?
    ブルネ:西ヨーロッパとアメリカは、いつもセットで「西洋」と呼ばれますよね。しかし、ヨーロッパの社会の基本的なユニットは「村」ですが、新大陸であるアメリカにはそれがない。ただ、荒野が広がっているだけです。人の経験の出発点となるものが違うので、フランスからアメリカに行くと違和感があるんですね。一方、一見かけ離れた日本には、フランスと同じような村のユニットがある。その意味で、じつは日本の方が、空間のあり方や、そこでの人々の営みの形態が近いんじゃないでしょうか。
    宇野:ユーラシアとアメリカでは、根本的に地理感覚や空間感覚が異なるせいで、ハリウッド映画やアメリカのテレビドラマは、フランスの中産階級のカルチャーを表現するツールになり得なかった、と。
    ブルネ:フランスも日本も、郊外の広がりによって何かが失われるという経験をしています。でもアメリカの郊外は、いわばゼロから作られたものでしょう。
    宇野:郊外化もモータリゼーションも、日本やヨーロッパにとっては、トラディショナルなものの喪失だったけれど、アメリカにはその喪失感がないということですね。中流化や郊外化を言い換えると、アメリカ的なライフスタイルの受容でもあったと思います。もっとはっきり言うと、ヨーロッパではマーシャル・プランによって、日本ではGHQの占領政策の中で、既存のスタイルを上書きしながら進行したものだった。
    ブルネ:実際、日本アニメでは、その喪失感がよく主題になりますよね。たとえば『となりのトトロ』も『平成狸合戦ぽんぽこ』も、埼玉の郊外や多摩ニュータウンで失われたものをテーマに扱っている。しかし同じ経験をしたはずのフランスには、なぜかこの種の物語があまりないんです。フランス人が求めるものがそこにはあったんですね。
    宇野:僕は本州で生まれたのですが、10代の頃何年か、北海道に住んでいたんです。今の話で言うと、北海道はアメリカですね。100年前から人が住んでいなかったところがほとんどなので、一見、本州と同じような郊外都市が広がっていも、今おっしゃったような喪失感はありません。しかし本州は違う。中流化を支えた郊外都市はクリーンで明るい一方でどこか物悲しい喪失感が漂っている。国外に住んだことはないですが、北海道と本州の両方を住んだ経験から、その違いは非常に共感できます。
    「偽の成熟」としての巨大ロボット
    宇野:その一方で、アニメというのは風景を絵に置き換えるわけで、現実より一段、抽象性が高いですよね。そのことによっても、共感性は高まったと思うのですが? 
    ブルネ:抽象性も大事な要素ですよね。たとえば、フランスで初めて大人気になった日本アニメは、1978年に放送が開始された『UFOロボ グレンダイザー』でした。このグレンダイザーのような巨大ロボットも、抽象性の高いひとつのモチーフです。
    宇野:そしてロボットは定義上、人工知能を持つもののはずですが、日本の巨大ロボットは、なぜか乗り物です。ここには直接何かにコミットするのではなく、間接的なコミットでありたい、という欲望があると思うんです。
    ブルネ:そうですね。操縦者が必要です。
    宇野:日本のロボットアニメはマーチャンダイジングと関係があって、小さい男の子の成長願望に訴えかける表現でした。非常に力強く、大きな身体への憧れでもあった。しかしその一方、どこかであれは偽物だ、という感覚があります。同様に、日本でもヨーロッパでも、アメリカのライフスタイルを取り入れて郊外に家を持ち、中流的な生活を築くことが憧れであると同時に、偽物でもあるという感覚があると思うんです。
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  • 宇野常寛『汎イメージ論 中間のものたちと秩序なきピースのゆくえ』第一回 中間のものについて(5)【金曜日配信】

    2017-09-22 07:00  
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    本誌編集長・宇野常寛による連載『汎イメージ論 中間のものたちと秩序なきピースのゆくえ』。東日本大震災の爪痕生々しい石巻で行われた〈Ingress〉のイベントを通じてジョン・ハンケとGoogleの思想を論じた前回に引き続き、世界を席巻した〈ポケモンGO〉を通じて世界と個人、公と私を接続する想像力がどのように更新されたのかを見ていきます。(初出:『小説トリッパー』2017夏号)
     同じように遠くウクライナでは紛争地域である国境線を越えて、エンライテンドとレジスタンスが協力し、紛争地域のマップ上に「STOP WAR」という文字形を陣地で表現し、反戦をアピールしたケースが報じられている。
     こうした「社会活用」がリリース直後から展開されていたことは、〈Ingress〉の、そしてハンケが代表するGoogleのアプローチの、高いポテンシャルを証明している。〈Ingress〉の成果は控え目に言っても、私たちが世界の情報化(データベース化)と適切なゲーミフィケーションによって、あくまで自分の物語として公共の価値にコミットすることができる可能性を示しているのだ。
     二〇世紀とは世界と個人、公と私を接続するために物語を用いた時代だった。より正確には世界と個人とを接続することは、この時代においては他人の物語に感情移入させ、自分の物語だと錯覚させることと同義だった。たとえばこの錯覚によって、「個人」は「国民」化されていった。
     しかし今日において、その技術的な限界は取り払われている。人々はごく自然に自分の物語を享受することでいつの間にか世界に接続されてしまう。そしてその自動的な接続によって一定の確率で、公共の価値にコミットする人々が出現する。あとはその発生確率を上昇させるためにゲーミフィケーションの精度を上げるだけだ。それがGoogleの、ハンケの、〈Ingress〉の「思想」なのだ。そしてその思想的な実験は相応の成果を収めた、と言って良いだろう。〈Ingress〉はこのとき大きな物語ではなく、大きなゲームで世界と個人が接続され得る可能性を示したのだ。国民国家という物語(歴史)に規定された共同体よりも、市場というゲームのルールにしたがって駆動するシステムが、接続されるべき世界として重要度が増す今世紀において、この世界と個人の非物語的(ゲーム的)接続方法のもつポテンシャルは計り知れない。
     問題があるとすれば、それは〈Ingress〉の実験的な性格それ自体のもつ限界だ。〈Ingress〉のプレイのためには、一定の余暇を相応の経済的な余裕を持って過ごすことのできる環境と、そして、それぞれの土地の自然と歴史を観賞し得る知性と教養をプレイヤーに要求する。要するに〈Ingress〉とは、先進国の都市部のアーリーアダプターを対象にした実験的なゲームであり、その目的もこの時期のGoogleの進めていた現実そのものの検索サービスのテストと、そのためのデータ収集であったことも明白だ。ハンケも前述のインタビューなどで、〈Ingress〉がGoogle Maps上の自然物、人工物情報の強化にあったこと、将来的にここで収集されたデータベースが他社にも開放されたゲーム制作プラットフォームに活かされる計画であることを述べている。実験的な性格の強い〈Ingress〉は、境界なき世界を前提としながらも、その先進性ゆえに、ユーザーの高い能動性とスペックを要求するがゆえに、むしろ境界を再生産するというカリフォルニアン・イデオロギーのジレンマをものの見事に内包していたのだ。そしてハンケもまた、この〈Ingress〉の抱え込んだジレンマに敏感であり、より大衆性の高いゲームの制作をナイアンティックのミッションとして設定することになった。
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  • 本日21:00から放送☆ 今週のスッキリ!できないニュースを一刀両断――宇野常寛の〈木曜解放区〉2017.9.21

    2017-09-21 07:30  

    本日21:00からは、宇野常寛の〈木曜解放区 〉生放送です!
    〈木曜解放区〉は、宇野常寛が今週気になったニュースや、「スッキリ!!」で語り残した話題を思う存分語り尽くす生放送番組です。
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    ★★今夜のラインナップ★★メールテーマ「友達」今週の1本「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」アシスタントナビゲーター特別コーナー…「たかまつななの木曜政治塾」 and more…
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    ▼出演者
    ナビゲーター:宇野常寛
    アシスタントナビゲーター:たかまつ
  • 【特別対談】岸本千佳×宇野常寛 京都の街から〈住み方〉を考える――人と建物の新しい関係(後編)

    2017-09-21 07:00  
    550pt

    人と建物の関係を結び直す“建物のプロデュース業”=不動産プランナーとして京都を拠点に活動する岸本千佳さん。 かつて京都に住み、現在も京都へ通う宇野常寛とともに、東京と京都、地方における「住むこと」への意識の課題、そして多様なグラデーションの町・京都の可能性について語り尽くす、これからの「住」を考える対談です。(構成:友光だんご) ※本記事の前編はこちら
    ■京都は町が拡大している
    ▲京都駅
    宇野 後編では、岸本さんが拠点を置く「京都」についてお話を伺っていきます。東京で不動産の会社に勤めたあと、独立する土地として京都を選んだのはなぜだったんでしょう? 
    岸本 京都という町については、他の都市とは違うという印象があるんです。東京に比べて建物が圧倒的に魅力的ですし、それを掘り起こしているプレーヤーも少ない。そこに可能性を感じたのが理由ですね。
    宇野 僕も京都に7年間ほど住んでいましたが、京都の人々の気質については、難しい人が多いなという印象があります。
    岸本 確かに悪い噂が広まりやすい面はあるかもしれませんね。でも逆に、いい評判も数珠繋ぎで広がるので、きちんとした仕事は評価されやすい土地柄だと思います。  それに京都は、東京とは違った意味で、京都は世界中から一目置かれている都市なんです。でも、そのブランド力に、生粋の京都人はあまり気付いていません。京都を客観的に見ることのできる人の方が価値を付与しやすいので、その点において、私にもできることがあるのかな、と思っています。
    宇野 岸本さんが京都に戻られたのはいつ頃ですか?
    岸本 2014年の11月でしたね。
    宇野 今起きている観光バブルが始まる直前ですね。京都が大きく変わり始めたタイミングで、不動産プランナーという新しい仕事を始めたんですね。
    岸本 今思うと凄いタイミングです。あの頃からの京都の変わりようは凄いですから。以前は市バスで外国人を見ることなんてありませんでした。よく地元の人たちは適応できているなと感じます。
    宇野 僕が京都に住んでいたのは1999〜2006年頃ですが、当時はこんなに海外からの観光客が町を歩いていませんでしたからね。ここ4、5年、京都精華大学で教えている関係で、頻繁に京都へ来ているんですが、「京都も変わったな」と感じながら、変な居心地の良さもあるんです。大人の男が昼間からラフな格好で歩いていても、大陸からの観光客だと思ってもらえる(笑)。いい意味で、放っておいてくれる町になりました。
    岸本 仕事柄、町中でよく写真を撮るんですが、そういう行為も以前と比べて許されるようになりましたね。私が住んでいるのは西陣で、観光地エリアではなく住むための町なのですが、今では路地にたくさんの観光客が来ますし、宿のあるエリアも、どんどん外へ広がっているんです。
    宇野 京都は今、町が拡大しているんですね。
    岸本 この2、3年で確実に変わっています。その一方で、誰も京都のことをきちんと見ていないとも感じるんです。観光地としてのミーハーな見方ばかりで、生活の場所としての視点がない。
    宇野 たとえば、僕は桂や久世橋のあたりが結構好きだったりする。京都の西側は東側と比べてるとファミレスやブックオフが点在する普通の住宅地なのだけど、その中に突然、1000年以上の歴史を持つ寺があったりする。あのハイブリット感が魅力だと思うんですよね。日常空間の中に、非日常が入り込んでいるような面白さがある。  岸本さんの著書『もし京都が東京だったらマップ』は、不動産業の経歴がある人ならではの本だと思いました。町というのは総論で語られがちなんだけど、この本では固有の建物にアプローチし、一駅一駅、建物一つ一つの個性に向き合っている。
    ▲出町柳
    岸本 ひとつのイメージでは括れない、モザイク状で多様性のある町が京都なんです。それがこの本で一番伝えたかったことです。
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