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記事 22件
  • 井上敏樹エッセイ連載「男と×××」第三回『男と女2』 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.191 ☆

    2014-10-31 07:00  

    井上敏樹エッセイ連載「男と×××」
    第三回『男と女2』
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.10.31 vol.191
    http://wakusei2nd.com


    あの井上敏樹先生がほぼ惑に降臨!ここでしか読めない書きおろしエッセイ連載、第三回目のテーマは『男と女2』。前回に引き続き、「恋愛」のあり方について考えます。
    これまでの連載はこちらから。


    ▼プロフィール
    井上敏樹(いのうえ・としき)
    1959年埼玉県生まれ。大学在学中の81年にテレビアニメの脚本家としてのキャリアをスタートさせる。その後、アニメや特撮で数々の作品を執筆。『鳥人戦隊ジェットマン』『超光戦士シャンゼリオン』などのほか、『仮面ライダーアギト』『仮面ライダー龍騎』『仮面ライダー555』『仮面ライダー響鬼』『仮面ライダーキバ』など、平成仮面ライダーシリーズで活躍。2014年には書き下ろし小説『海の底のピアノ』(朝日新聞出版)を発表。
     

    ▲井上敏樹先生が表紙の題字を手がけた切通理作×宇野常寛『いま昭和仮面ライダーを問い直す[Kindle版]』も好評発売中!
     
    【関連動画1】
    井上敏樹さんも生出演したPLANETSチャンネルのニコ生です!(2014年6月放送)
    【前編】「岸本みゆきの ミルキー・ナイトクラブ vol.1」井上敏樹×萩野崇×岸本みゆき
    【後編】「岸本みゆきの ミルキー・ナイトクラブ vol.1」井上敏樹×萩野崇×岸本みゆき
     
    【関連動画2】
    井上敏樹を語るニコ生も、かつて行なわれています……!仮面ライダーカイザこと村上幸平さんも出演!
    【前編】「愛と欲望の井上敏樹――絶対的な存在とその美学について」村上幸平×岸本みゆき×宇野常寛
    【後編】「愛と欲望の井上敏樹――絶対的な存在とその美学について」村上幸平×岸本みゆき×宇野常寛
     
     
    男 と 女 2
     
    井上敏樹
     
     前回、男と女について書いた。ところがもっと書けと言う声が多く、一応要望に応えてみる。
     男と女の関係性も随分変わった。
     ロシアの有名な作家スタンダール(だったと思う)は『恋愛論』の中でなかなかに含蓄のある言葉を残している。男が女を愛した場合、あまりにも早く告白をしてはいけないと言うのだ。その時点で女の心は相手に対する情緒的な成長を止めてしまう。あまりに簡単に手に入った愛にしらけてしまうというのである。 昔の男たちはそれを知っていて、様々な手練手管を使って女を酔わせから口説いたものだ。そこのところはカサノヴァの『回想録』やラクロの『危険な関係』に詳しい。ちなみに前者はカサノヴァ本人の恋愛記録であり、後者は恋愛の骨格そのものを描いた傑作小説である。
     とにかく昨今では出会ってすぐに告白がなされ、された方も『ま、いいか』程度ですぐにセックスをする。これでは情緒もへったくれもあったもんではない。 
  • 國分功一郎「帰ってきた『哲学の先生と人生の話をしよう』」 第7回テーマ:「お金に関する悩み」☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.190 ☆

    2014-10-30 07:00  

    國分功一郎「帰ってきた『哲学の先生と人生の話をしよう』」 第7回テーマ:「お金に関する悩み」
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.10.30 vol.109
    http://wakusei2nd.com

    一昨年よりこのメルマガで連載され大人気コンテンツとなり、書籍化もされた哲学者・國分功一郎による人生相談シリーズ『哲学の先生と人生の話をしよう』。2ndシーズンの連載第7回となる今回のテーマは「お金に関する悩み」です。
    ▼連載第1期の内容は、朝日新聞出版から書籍として刊行されています。
    國分功一郎『哲学の先生と人生の話をしよう』(朝日新聞出版、2013年)
     

    ▼國分功一郎の人生相談「帰ってきた『哲学の先生と人生の話をしよう』」
    最新記事が読めるのはPLANETSのメルマガ「ほぼ日刊惑星開発委員会」だけ!
    過去記事はこちらのリンクから。

     
    それではさっそく、今回寄せられた「お金に関する悩み」をご紹介していきましょう。・・・・・・・・・・・・・・・ 
    【1】クレジットカードのリボ払いに苦しんでいます
    シックスマン 24歳 男性 京都府 大学生
     
    大学生です。クレジットカードでの買い物をやめたいです。大きな買い物をするわけではないのですが、KindleやAmazonで書籍を購入したり、メルマガの購読、Huluなどの月額課金制のコンテンツにお金を使うことに躊躇いがありません。その他に交通費をクレジットカードで払っているため、定期券で行ける範囲外に行くのにもどんどん交通費を払ってしまいます。その結果、毎月のアルバイト代はクレジットカードのリボ払いにほとんど消えてしまう生活となっています。今までクレジットカードに支払った金額を計算すると海外旅行へ行けたり、良い服を買えたりします。そのようなことにお金を使えば良かったと後悔するものの、クレジットカードのリボ払いを一括払いに替えられるほどの資金はありません。それに無形のコンテンツにお金を払うことを何度かやめようと試みたものの、ついついワンクリックで買い物をしてしまいます。このまま卒業するまでクレジットカードの決済のためだけにアルバイトをしていくしかないのでしょうか。
     
     
    【2】自分よりも収入の高い同世代の友人にコンプレックスを感じてしまいます
    ぱたぱた 26 男性 東京都 大学職員
     
     國分先生こんにちは。
     僕の悩みはお金に対する強い執着がないことです。有名私大の経済学部を卒業しているためか、大学の友人は「もっと高い年収」を目指す非常に意識が強く、スキルアップ・転職・年収アップに日々いそしんでいます。対して僕は正直350万円程度もらえて、ハードカバーの本とCDを気兼ねなく買えるだけの財力があれば十分で、結婚にも子どもにもあまり興味がないので、将来の家族のために働くという意識もありません。
     それで割り切れれば良いのですが、一方でキャリア志向の人々に会うとコンプレックスを感じている自分もいます。やっぱり高度資本主義社会の中で”Greed is Good”と刷り込まれているからなのかなあと推測しますが、お金を得て何に使いたいのかという根本的なところがわからないのです。
     國分先生のように博士号まで取られている方は、長く同世代の友人より収入が少ない時期が長かったと(失礼ながら勝手に)推測していますが、僕のように彼ら彼女らに対するコンプレックスみたいなものは抱きませんでしたか。
     何かアドバイスをいただければ幸いです。よろしくお願いします。
     
     
    【3】婚活サイトで相手の年収ばかりが気になってしまいます
    匿名希望 30歳 女性 神奈川県 会社員
     
    私は今年30歳になりましたが、彼氏と呼べるような人は長らくおりません。
    そこで、今は婚活サイトなどを利用して真剣に相手を探しています。
    いろんな方からコンタクトいただいたり、自分からしたり…そんな時に気になってしまうのが、相手の年収なのです。
    例えば30歳超えているのに500万円では低いんじゃないかとか、若いのに1000万円超えていたりすると、危険な人なんじゃないかとかそんなことばかり気になってしまいます。
    というか、婚活サイトに紹介されている人たちは男女問わずいろんな数字がくっついていて、全部が気になってしまうようになってしまったんです。年齢、身長、年収、異性からアプローチを受けている数など……。
    今までは男性の身長なんて気にしたことなかったのに、いつの間にか「高くなきゃ嫌だ!」とか思うようになってしまっています。それにアプローチを受けてる人数でも、少なすぎても多すぎてもいろいろ深読みしちゃうんです。
    さらにたちが悪いのは、婚活サイトでは次から次に新しいコンタクトがあるので、ちょっとでもつまらない人だと感じたらどんどん切ってしまう感じもあります。それは男性側も同じ様なかんじなのですが……。
    私はどうしても恋愛して好きな人となんの迷いもない心で結婚し、助け合って生きていきたいと強く思います。以前は自分一人でも構わないと思った時期もあったのですが、両親や祖父母夫婦の仲の良い様子を見ていると羨ましくてたまりません。
    婚活サイトで相手を探しているけど、こんなに相手の条件ばかり気にして、私のしたい様な恋愛、結婚はできるのでしょうか? 結局お金だけでなく他のことにも関わってしまってすみません。何かアドバイスいただけるとうれしいです!
     
     
    【4】学費のことを心配せずに勉強できる環境が欲しいです
    どんちゃん 20代 女性 東京都 大学生
     
    私立の美大に通っている大学生です。実家の家計が苦しく、奨学金とアルバイトで賄っていますが、毎日のアルバイトのために学業にあてられる時間が少なくてもどかしいです。 また、大学院の博士課程まで進学したいのですが、経済的にやっていけるのかとても不安です。 私は浪人をしたし、両親の結婚が遅かったので両親はすでに高齢で、身体障害もあります。本当なら私は普通に就職して家計を支えるべきなのだろうか、私のようなお金のかかる子どもがいなければ両親は楽だっただろうに、などと考えてしまいます。 それと同時に、経済的な事に疎くうまく立ち回れない両親に対して苛立つ事もあります。下着を二枚持っていたら、一枚も持っていない人にすぐあげてしまうような人達なのです。 お金のことを心配せずに勉強できる環境が欲しいです。
     
    ・・・・・・・・・・・・・・・
     
     皆さん、こんにちは。
     今月はお金に関する悩みを受け付けました。哲学というのはあまりお金の話をしないんですね。もちろん、経済を論じる哲学はあります。しかしそれは、抽象的な経済活動や経済構造を論じているのであって、ここにあるこのお金をどうするかという話ではありません。
     また文化人類学経由で、負債や贈与についても多くの研究があります。しかし、それもまたどうお金を使うべきかという話ではない。
     お金はとても大切なものです。ですからそれをどう使うべきかを考える倫理学が哲学的に打ち立てられるべきだと思うのです。僕は友人たちと「金融の哲学」という共同研究プロジェクトをゆっくりと進めていますが、これをやってみて分かったのは、哲学が驚くほどお金の使い方について考えてきていないということでした。
     お金をどう使うべきかという問題について僕は「買い物の倫理学」みたいなものを構想しつつあるんですが、基本的には拙著『暇と退屈の倫理学』(朝日出版社)の問題設定がベースです。すこし遠回りしながら書いていきたいと思います。
     お金を使う上で何よりも大切なのは満足です。満足は充実感をもたらすわけですから、それ以上の出費を抑える効果があります。お金を使っているのに満足がなければ出費は止まりません。きちんと贅沢すること、これこそがお金を使いすぎない最大のコツです。
     ところが、いまの社会ではこの満足というものが実に軽視されている。今の社会で幅をきかせているのは安さです。チラシに載っている商品価格が10円でも安いと、わざわざ車を運転してそこまで買いに行くなんてことがあるわけです。
     「とくし丸」という移動スーパー事業を始められた村上稔さんが、ご著書『買い物難民を救え!──移動スーパーとくし丸の挑戦』(緑風出版)の中で、安さに振り回されることのばかばかしさを語ってらっしゃいます。買い手はもちろんガソリン代を損しているわけですが、問題はそれだけじゃない。安売り競争は売り手を疲弊させます。
     商品を安さという基準でしか考えられないというのは本当に残念なことです。もう少し思想的に考えてみましょう。
     19世紀イギリスを生きた思想家・デザイナーであるウィリアム・モリス(1834−1896)は、商品を労働との関連で考えました。酷い労働条件で作られた商品にはどこかおかしなところがある。あるいはまた、酷い商品はやはり酷い労働条件で作られている。そう考えていたモリスは自分で友人たちと工房を経営し、芸術的価値の高い商品を市場に提供しようとしました。その事業にはうまく行った点もうまく行かなかった点もあるんですが、この考え方はとても興味深いし、重要だと思います(この辺り、最近、大学で出した『デフレーション現象への多角的接近』(日本経済評論社)という本に、「ウィリアム・モリスの「社会主義」」という論文を寄せてますので、よろしければお読みください)。
     モリスに決定的な影響を与えたのが、批評家ジョン・ラスキン(1819−1900)の思想でした。ラスキンの芸術批評というのは実に興味深いもので、なんと芸術作品を、実際にそれを作り出した仕事のありようから考えるというものなんですね(ラスキン、『ゴシックの本質』、みすず書房、を参照してください)。
     たとえば一般に建築はその形態から論じられます。ロマネスク様式は半円形アーチを利用した重厚な教会堂建築だが、それに続くゴシック様式は尖ったアーチ(尖頭アーチ)を利用した背の高い教会堂建築である云々。
     ところが、ラスキンは、そうした形態の問題はさらりと片付けてしまう。そして、そうした形態よりもむしろ、そうした形態の建築を実際に作っていた職人たちの仕事が当時どうであったかを考えようとするんです。
     

    「職人が完全に奴隷にされているところではどこでも建物の各部分は当然絶対に画一的なものになるはずである。というのは、彼の仕事が完全なものになっているのは、彼にひとつのことをやらせて、ほかには何もさせないことによってはじめて可能になるからだ。したがって職人がどの程度までおとしめられているかは、建物の各部分が均一かどうかをみれば一目瞭然であろう。そしてもしギリシアの建物のように、すべての柱頭がおなじで、すべてのモールディングが変わりなければ地位の下落はきわまったといえる。もしエジプトやニネヴェの建物のようにいくつかの彫像を制作するやり方がつねにおなじであっても、意匠【デザイン】の様式がたえず変化していれば下落は行き着くところまではいっていない。もしゴシックの建物のように意匠と施工の両方に不断の変化がみられるのならば、職人は完全に自由にされていたにちがいない」(『ゴシックの本質』、54ページ)

     
     芸術作品の出来上がった形態を見比べて「あーだこーだ」言っているような批評はラスキンには物足りなかったわけです。まさに作品の発生する現場を具体的に論じるところにまで批評を推し進めた。それは、作品を実際に作っていた職人の労働についてまで考えることにつながったわけです。
     別に誰もが批評家になるべきではないので、ラスキンやモリスのようにモノを眺めることができなければならないわけではありません。しかし、こういう視点は参考になると思うんです。
     たとえば商品を買うときにこんなことを考えてみる。
     これはどうやって作られたのだろう? どこで作られたのだろう? 作った人は誰だろう? 作った人は何歳だろう? どうしてこの値段なのだろう? 思ったよりも安いだろうか? 思ったよりも高いだろうか? これを買った時に得られる満足はどれほどだろう? その満足は作り手の願ったものだろうか? もしも作り手に会えて、その満足を伝えたら作り手は満足してくれるだろうか?
     工場製品であっても、作り手がいます。僕は『シルシルミシルさんデー』というテレビ番組の工場レポートが大好きだったんですが、あれを見ていると様々な工場の方々が実に自信をもって製品を作っているのがよく分かる。
     もちろんテレビですから、いいところばかりを見せていたのかもしれません。しかし、そこには何かしらの真理もあると思います。やはり作ることは楽しいのです。そして、自信をもって、誇りをもって製品を作れることは何ごとにも代え難い喜びを与えるのだと思います。
     ですから、手作り製品でなくても、工場製品であろうとも、その商品を買う際に、その商品についていろんなことを考えられるはずです。
     友人の服飾デザイナーは、「服を作るには布が必要、布を作るには糸が必要、糸を作るには綿花が必要…」と言っていて、綿花農家と付き合いながらデザインをしています。デザインする側でなくても、買い手として同じように考えられることがあるはずですね。
     商品について想像を巡らすことは、楽しいことですし、また購入後に満足を得るためにも有効です。商品をより分析的に眺められるようになるからです。細かいところに目がいくようになるのです。
     そういうクセをつけることが現代では難しくなってきています。商品のことなんか全く分からない粗いサムネイルの画像で、テキトーに書かれた商品説明を読んで、ワンクリックで買うというのが増えてきていますから。
     しかし、若い頃から買い物に意識的になり、購入時にいろいろと考えるクセをつけ、少しずつ買い物のスキルをあげていくことはとても大切だと思います。
     すこし大きな話をしてしまいました。もうすこし身近な話をしましょう。
     現代社会においてお金の使い方が難しいのは、普及している消費モデルがいずれも、我々を「お金が足りない」という状態に至らせるようにできているからです。 
  • なぜネット時代にゼクシィは売れ続ける?――レッグス野林徳行氏の"顔が浮かぶ"マーケティング ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.189 ☆

    2014-10-29 07:00  

    なぜネット時代にゼクシィは売れ続ける? 
    レッグス野林徳行氏の"顔が浮かぶ"マーケティング
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.10.29 vol.189
    http://wakusei2nd.com


    本日のほぼ惑では、リクルート、ブックオフ、ローソンなどで数々のサービスを仕掛けてきた野林徳行さんへのインタビューをお届けします。結婚情報誌、新古書店、コンビニといった生活サービスの進化によって、現代のライフスタイルはどう作られてきたのか――!? ビジネスの最前線で変化を目の当たりにしてきた野林さんに、そのマーケティングの極意を伺いました。
    リクルートでは『とらばーゆ』や『ゼクシィ』、ブックオフでは都内1号店の出店戦略に関わり、ローソンでは執行役員としてローソンパスカードなどの商品や、リラックマ等の有名キャンペーンを仕掛けてきたマーケッター ――といえば、その重要性にピンとくる人も多いだろう。現在はレッグス社の常務執行役員兼CMOを務める野林徳行氏は、80年代から本格的に台頭してきたサービス産業の知る人ぞ知る重要プレイヤーであり、またその歴史の生き証人でもある。今回、PLANETS編集部は、そんな数々のヒット商品に関わってきた野林氏に、これまでに手がけてきた事業についてお伺いした。意外なことに、その最前線で戦ってきた氏は「アンケートの自由回答欄を重視する」と語り、現場に足を運んでカスタマーを徹底的に観察するという人物であった。冒頭のリクルートについての話題に続き、有料公開部分では、そんな長年のマーケティングの知見からコンビニ戦争の歴史における貴重な証言まで、盛りだくさんの内容を語っていただいた。

    ▼プロフィール野林 徳行(のばやし・のりゆき)
    早稲田大学政治経済学部卒業。1987年、リクルート入社。経営企画、事業戦略、商品企画、プロモーションプランニングなどを担当。2003年、ローソン入社。執行役員としてマーケティング、エンタテイメント、商品開発に携わる。現在、レッグス常務執行役員兼CMO。ブックオフコーポレーション社外取締役。著書に、自身の体験をもとに、現場とカスタマーの調査を重視するプランニングを記した『とことん観察マーケティング』(ビジネス社・2013)。
     
    ◎聞き手・構成:稲葉ほたて
     
     
    ■リクルートの歴史は誰も知らない?
     
    宇野 現在のリクルートの姿がどのように形成されたのかって、実は意外と整理されていないような気がします。しっかりとまとめた本も存在しないですよね。もちろん出身者の仕事術みたいな本は沢山ありますが、リクルートイズムを受け継ぎつつも、それを少し揶揄的に批評しながら自分の人生観を表現したようなものが、ほとんどだと思います。結果的に、歴史を交えてその本質を客観的に語ったような資料が存在していないんですよ。
    まあ、それこそがリクルート的だと思うんですけどね(笑)。苦笑いしながら批判的に継承していくような人材を大量に輩出していること自体が、リクルートイズムを体現しているとも言えますから。
    野林 確かに、歴史をちゃんとまとめた本はないかもしれません。おっしゃられるように、リクルート出身者って、どんどん外に出て、けっこう勝手に本を出してしまいますね(笑)。私も出してますし。実際、僕も39歳で定年退職していますしね。人事担当の時に早期定年退職者制度を推奨していたので、自分がその年齢になったときに、「自分は退職しないというのはおかしいよね」と辞めました。
     
    ▲野林徳行『とことん観察マーケティング』ビジネス社、2013年
     
    しかも、リクルートは進化し続ける企業なんです。だから、まだ残っている人と出た人が、ちゃんとコミュニケーションをとることが必要になると思います。これは不思議なくらいよくできていますね。
    ――そういうとき、まさに野林さんのように、その中心で長く目撃していた人は歴史を語るときのキーマンだと思うんです。そもそも、いま話に出た早期退職者制度にしても、なんとなくリクルート伝説みたいになってますが、本来どういう経緯で出てきた発想なのかは誰も知らないと思います。
    野林 私は昭和62年入社で、リクルート事件の2年前に入りました。まだリクナビもなくて、学生に「リクルートブック」という冊子をダイレクトメールでドカッと届けていた時代です。一番大きな「会社研究編」なんて、8冊くらいの20kgぐらいある冊子でした。たまに「(家の前に置かれていて)扉が開かない」なんてクレームも来ていたくらいですね(笑)。
    そういう中で当時、リクルートはどんどん新卒入社を増やしていたんです。なにせ僕の入社した昭和62年の同期は850人で、その次の新卒が1000人を超えて、平成元年には1500人になった。でも、事業の成長って徐々に鈍化していくものでしょう。そうなると、やはり「人が多いなあ」となったわけです。当時は、事件や事故で経営的に厳しいタイミングもありましたからね。
    ――早く出て行ってくれないかな、みたいな(笑)。ということは、事業の急成長で社員をどんどん入れたはいいけど成長が鈍ってきて……という”ベンチャーあるある話”がキッカケだったわけですね。もちろん、そこでこの施策が回ったのが凄いと思うのですが。
    野林 まあ、「多い」と言うのは、時代の変化の先を行くには新しい世代の投入が必要で、その層の取り込みをはかるのであれば新陳代謝が必要になるというのもありますね。
    ただ、辞めた連中もやはりリクルートが大好きだったから、リクルートのためになるように仕事をしてくれたんですよ。それに、今言ったように、若い社員が沢山入ってきて、常に上が出て行く状態ですから、いつまでもカスタマーの気持ちに合ったものが作り続けられます。このサイクルを気持よく続けられているからこそ、伸びているのだと思いますね。
    でもね、逆に言うと、リクルートは一つもシニアビジネスは成功していないんです。就職や結婚の最新情報には強いけれども、やはり自分が知らないものはわからないわけです。
    宇野 いきなりリクルートの「本質」をめぐる話に迫ってしまいたいのですが、一般的にはリクルートって結婚や就職のような、人生において絶対に避けられないもののプラットフォームを握って存在感を増してきた企業という評価になると思うんです。しかし、その文脈は一体どこから生まれたのでしょうか。
    野林 江副さん(※ リクルートの創業者である故・江副浩正氏)が大学広告社として「新卒と企業をつなぐ」ビジネスを始めた段階で、もう出来ていたと思いますよ。そこで、次は中途採用もできるんじゃないかと「就職情報」というビーイングの前身になる雑誌をやりました。その後に求人から住宅にもノウハウを広げます。
    僕らが入社した頃には「これはマッチングビジネスというものではないか」という話になっていましたね。このマッチングというのは、クライアントとカスタマーさえいれば全てに当てはまるわけでしょう。だから、エイビーロード、カーセンサー、じゃらん……と、どんどんビジネスが広がりました。この辺は、自分で手を挙げて事業が出来る制度が社内にあったのも大きいですね。
     

    ▲江副浩正『かもめが翔んだ日』朝日新聞社、2003年
     
    ――ただ、江副さんたちの本を読んでいると、実は色々とやっていく中で、マッチングビジネスに強みが絞り込まれていったようにも見えます。実際、通信事業なんかにも江副さんは手を出されていますよね。
    野林 とはいえ、全くの別分野だったのは通信と不動産だけですよ。江副さんも大きな利益を生み出し、それを次に活かす野望がいろいろあったのだろうと思います。当時、リクルートコスモスなんて「女の子がアイスクリームを買いに来るくらいの感覚で、リクルートが不動産を買いに来る」なんて陰口を言われたと聞きました。
    通信の方は"第三電電"を創るくらいの勢いで着手したのですが、失敗してしまいましたね。その結果、私の同期には沢山の優秀な理系の方々がいたのですが、営業部署に異動になってちょっと切なかったです。結局、今までのナレッジを何も活かせないビジネスだったんですね。もちろん、この辺は直接やったわけではないですから……「たられば」とか本当の意図とか、自分にはわからないこともあるとは思いますけれども。
    ――でも、そういう歴史を語り直すことは「リクルート神話」を崇めるより有益だと思います。今やクレバーに経営しているイメージのリクルートも、実は色んなベンチャーが経験するような失敗をやらかす中で、コアコンピタンスを認識していったのだな、と思いました。
    宇野 それにしても、根本的すぎて身も蓋もない質問なのですが、なぜマッチングビジネス以外はうまくいかなかったのでしょうか? それは「リクルートとはなにか」という本質に迫る問いのような気がします。
    野林 その辺は難しいところですが……ただ、リクルートはメディアの会社である以前に、営業の会社なんです。江副さんは新卒採用にとんでもなく力を入れた人で、武道館で入社式やるわ、採用部隊に人材開発部150人を突っ込んで日本中から最高の学生をとるために動きまわるわで、入社後は研修もみっちりとやる。
    そこで採用されていたのは、単なる出版社の広告取りの営業ではなくて、コンサルしてニーズから生み出していくのが好きな連中でした。そして、そういう連中が下の世代に同じように教育をして、同じように採用をしていった……それだけとしか言いようがありません。そうなると、もはや言語化しにくいところがありますね。
     
     
    ■ゼクシィは”ポスト雑誌”から”モノとしての本”へ
     
    ――ただ、野林さんはむしろ営業部に対して、消費者の声を拾い上げる部署にいたんですよね。
    野林 ええ、マーケティング局にいましたから、基本的には営業には行ってません。私がいたのは情報誌が花盛りで、ちょうどホットペッパーのようなフリーペーパーが出始めた頃でした。とらばーゆからゼクシィくらいまでの時期ですね。宣伝・販売を扱っている部署で、当時の全ての事業を見ていました。
    私のリクルートでの改革は、メディアにカスタマー意識を徹底したことに尽きます。
    カスタマーとクライアントの意識の比率を50:50に……いや、可能なら51:49くらいにしよう、と。始めた頃は、せいぜいクライアント80に対して、カスタマー20くらいのものだったのですよ。営業が非常に強いので、受注が多い企業を増やそうとしてしまうんです。でも、それではカスタマーにとって無価値なメディアです。
    実際、企業だって最初は「採用に1億円かけてもいい」なんて思っても、効果がなければ次は出してくれません。特にリクルートはテレビCMと違って、応募とか資料請求という形で効果が見えるメディアでしょう。
    例えば、ゼクシィで一番売れるのは「結婚式 絶対しちゃいけない失敗100」みたいな特集なんです。これでもう、セレブ婚をやる読者たちではないとわかるでしょう?
    一生に一回だけの結婚だから失敗したくない。でも、どうしたらいいかわからなくて不安。調べ方もわからない。そんな人がある日、本屋でゼクシィを見つけるんです。そして中を開いてみると、今度はしっかりと編集された記事が載っていて、「あなたのような人を、私たちはこんなプランでお迎えします」と結婚式場が言っている――そうなれば、応募しますよね。
    ―― 単に情報を与えるだけではなく、編集記事でニーズを掘り起こすわけですね。
    野林 単なる一覧表や検索ではなかなか気づけない話だとか、人の失敗・成功を比較した記事だとかがあると、やはり選び方が変わります。
    例えば、転職の際には、女性でも転職事情や給料の比較表を非常によくチェックするとわかっています。それで「勉強しなければ、この給料は得られないのか」となれば、そこには勉強のニーズが生まれます。そうなれば、今度は「ケイコとマナブ」に繋げる手もあるでしょう。
    宇野 とても面白いですね。僕からすると、80年代や90年代のいわゆる「雑誌文化」って、東京なり海外なりにまだ読者が知らない文化や情報があると言い募って、読者の欲望を作っていたのだと思うんです。でも、リクルートの欲望の作り方は全く違いますね。もっと"プレ・インターネット"的だと思いました。「外部」へのあこがれを掻き立てるのではなくて、むしろ「内部」の人間や会社同士の比較によって欲望を作っていくわけで、現代風に言えばソーシャルネットワークの整備による欲望の生成装置ですよね。
    野林 そういう意味では、氾濫している情報を整備して「ステキ」を加えたんですね。海外旅行のパンフレットがあちこちに散らばっていたので、エイビーロードという1冊の本に集約する。しかも、インデックスや値段で調べられる。常にコンセプトはそういうところにありました。
    宇野 ただ、そんなリクルートマジックは「ゼクシィ」が最後だった気がします。インターネットビジネスが大衆化したときに、やはりその社会的役割というのは、半ば終わってしまったように見えるんです。
    野林 確かに、全体としては終わっていっているのかもしれません。でも、ゼクシィは全然終わっていませんよ。結婚式のカスタマーの9割以上がゼクシィを見ているんです。
    ――このネット時代に、ゼクシィはなぜこれほど強く生き残ってるのでしょうか?
    野林 「夢」を持てるんです。
    結婚式を挙げるというとき、カチャカチャと検索するよりも、「どこにしようかしら」と紙のページをめくっていく方が幸せなんですよ。だって、関東版なんて4kg以上ありますから、もう米を本屋から持って帰るみたいなものです(笑)。でも、幸せだったら、彼女たちには重くなんてない。むしろ嬉しいんです。
    ――もはやゼクシィを買う行為が、結婚に至る一連のイベントの一つに組み込まれたわけですね。
    宇野 なるほどなあ。結婚業界のインフラそのものになることで、生き残ったわけですね。
    よく僕は、雑誌のような紙媒体がネットに置き換えられるのは、ランプが電灯に変わるようなもので避けられないと話すんです。その喩えでいうなら、いわばゼクシィは"アンティークのランプ"として生き残ったわけですね。つまり、照明としての需要を超えて、むしろアンティークとして支持されている。
    あの形、重さ、質感、そして何よりも――大変な思いで持ち帰ったゼクシィが部屋に置かれている事実。もはや、それ自体が幸福の象徴であり、憧れになっている。ゼクシィはいち早く「嗜好品としての雑誌」という領域に辿り着いたのですね。
    野林 ええ、そういう面はあると思います。ゼクシィの担当者は「他社のフリーペーパーなんて怖くない」と言っていました。ある意味では、リクルートのマーケティングにおける最高傑作かもしれません。
    でもね、やはり徹底的にカスタマーを見ているのが大事なんですよ。ロゴ入りの婚姻届の付録なんかは有名ですが、他にも例えば、非協力的な彼氏の机の上に置くための付録があったりします。「あなたも考えないと」みたいな。
    ――怖すぎですね(笑)。
    宇野 よく雑誌みたいな紙媒体が生き残っていくには、もはや紙というオブジェクトそれ自体に価値を持たせるしかないと言われます。その一つが「宝島商法」なんて言われる付録ビジネスですが、ゼクシィはとうの昔にそれを実現していたのですね。
    これはもう、海外やアンダーグラウンドの最新情報の紹介を雑誌の役目だと思っている古い雑誌編集者たちからは出てきませんね。端から氾濫する情報を整理することで欲望を作ってきた、リクルートだからこそ辿りつけた領域なのだと思います。
    野林 それに、リクルートは広告収入で成り立ってるので、極端な話を言えば販売収入はゼロでも構いません。そもそも普通の雑誌とは、モデルが違うわけですね。しかも、当時の一部の雑誌は、書店にラックを渡して「自分たちで持ってきて、持って帰るんで」とやるわけです。もう本屋からすれば、雑誌だとすら思っていないんじゃないですか。「クライアントに効果を出すために置かせてくれ」と言っているようなものですから。
    ――日本の取次や本屋を、いわば情報を配るための便利なプラットフォームとして見ているのですね。
    宇野 傍から見ると、リクルートは情報誌からフリーペーパー、インターネットと媒体を変えていった歴史に思えてしまう。でも、野林さんからすれば、それは表層の変化に過ぎなくて、本質は別のところにある。
    要は、ユーザーにとってのブラックボックスにリクルートが比較・検討するプラットフォームを整備すれば、ニーズが生まれて売上も上がっていくから、それをガンガン企業に営業すればいい。それこそがリクルートの強みなのであって、そこは一貫しているわけですね。
     
  • 都市生活とスポーツの融合が生み出す”新たなライフスタイル”とは!? ――「アメリカ生まれのスポーツショップ」オッシュマンズを取材してみた ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.188 ☆

    2014-10-28 07:00  

    都市生活とスポーツの融合が生み出す”新たなライフスタイル”とは!?
    ――「アメリカ生まれのスポーツショップ」オッシュマンズを取材してみた
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.10.28 vol.188
    http://wakusei2nd.com


    今日のほぼ惑は、独特のファッションやライフスタイルを提案してきたスポーツショップ「オッシュマンズ」に取材した記事をお届けします。今冬発売予定の「PLANETS vol.9(東京2020)」にも関連する、昨今のランニングなどの「ライフスタイル型」スポーツのブーム、そして「これからの都市生活」について聞きました。
    PLANETSの次号「PLANETS vol.9(特集:東京2020)」関連記事はこちらから。1985年に日本に登場して以来、都市生活者のスポーツライフを支えてきた「オッシュマンズ」。以後30年に渡り、ランニングやヨガ、サーフィン、トレッキングなど、あらゆるスポーツブームのニーズに応えてきたセレクトショップです。85年の原宿店を皮切りに、町田、新宿、吉祥寺、千葉、池袋、二子玉川、そして最近ではアウトレットの軽井沢と、少しずつ店舗を拡大しています。
    今回、宇野常寛とPLANETS編集部はこのオッシュマンズ発祥の地である原宿店を訪問。同店の魅力と歴史に加え、スポーツを取り込んだこれからのライフスタイルについて、株式会社オッシュマンズ・ジャパン営業計画・販売促進担当マネージャーの角田浩紀さんにお話を伺ってきました。
     
    ◎聞き手・構成:小野田弥恵、中野慧
     

    ▲オッシュマンズ原宿店。
     
     
    ■西海岸とNYのライフスタイルが合流して生まれた、東京独特のアウトドアウェア文化
     
    ――原宿にたくさんある他のお店と比べると、オッシュマンズさんの立ち位置って独特だと思うんです。ファッションとして考えると、例えば原宿界隈にあるセレクトショップやデザイナーズブランドとは明らかに系統が違う。かといって、たとえばB&Dなどのような、機能性を重視したスポーツ店というわけでもない。そこで、まずはお店づくりのコンセプトについてお伺いしたいのですが。
     

    ▲オッシュマンズ・ジャパン営業計画・販売促進担当マネージャーの角田浩紀さん
     
    角田 オッシュマンズは元々、1932年にアメリカ・テキサス州のヒューストンで生活雑貨店としてスタートしました。その後、経済成長とともに人々の間に芽生えた「スポーツを取り入れた快適なライフスタイル」へのニーズに応える形で、スポーツショップへと進化していきます。
    オッシュマンズが日本に進出したのは1985年で、株式会社イトーヨーカドー(現:セブン&アイホールディングス)と業務提携した当初から「アメリカ生まれのスポーツショップ」というコンセプトが前提としてありました。ここでいうスポーツというのは、ランニングやサーフィン、トレーニング・フィットネスなどの生活に組み込めるスポーツのことですね。
    日本では90年代にアメカジブームが起きたこともあり、“アメリカのショップにありそうなもの”というのは重要な基準だったんです。2000年代半ばからは視野を広げて、カナダやヨーロッパのメーカーも幅広く扱うようになり、アメリカだけにこだわらなくなりました。しかし今でも、アメリカのカルチャーを発信するという部分は根強く残っていますね。
    ――ここでいう“アメリカのカルチャー”って、具体的にはどういうものなんですか? 発祥の地のヒューストンがあるアメリカ南部の文化ともだいぶ違うように思うのですが。かといって、サンフランシスコやポートランドのような西海岸の文化とも少し違うような気がします。
    角田 意識しているのは、アメリカの「西と東の文化」ですね。西はワシントン州からカリフォルニアまでのいわゆる“西海岸沿い”、東はニューヨーク。特にニューヨークは東京と似ているんです。オフィス街があって生活意識が高い人たちが住んでいて、公園はランナーで溢れかえっていて、ヨガをやっている人もすごく多い。西海岸では上半身裸でランニングをしている人も多いので、ランナーのスタイルもニューヨークのほうが日本にはなじみ深い。この、都市とスポーツが融合したニューヨークのライフスタイルと、いわゆるアメリカを象徴するような西海岸のサーフィン文化やアウトドア文化、大きく分けてこの二つのカルチャーを取り込んでいます。
     

    ▲店内にはアウトドアグッズがいっぱい。
     
    ――なるほど。つまりここ東京で、アメリカの西と東、両方の文化とスタイルを融合させた、独特な流れが作られてきているということなんでしょうか?
    角田 バイヤーも、東海岸に買い付けにいくときはニューヨーク経由で行くことが多いので、ニューヨークのランナーが集まる公園だったり、付近のランニングショップの様子はチェックしています。ニューヨークはランニングの文化が非常に盛んですから、定点観測の場所として非常に重要ですね。
    ちなみに当店では最近、ナイトラン向けのマナーグッズを展開しているんです。なぜかというと、東京のランナーは社会人の方が多いので、夜遅くに走る人が多いからです。そのため、安全面やドライバーへの配慮として、反射板や光るものをつけるのもひとつのマナーなんじゃないか、という提案ですね。例えばこの「POWER Stepz」はシューズの紐部分に装着すると、ランニング中に足が地面に着地するたび、光るようになっているんですよ。こういった商品をアメリカから直輸入しているんです。
     

    ▲「ナイトラン」向けのグッズコーナー。
     

    ▲「POWER Stepz」。叩いて衝撃を与える(=ランニング中に靴が地面に着地する)とそのたびごとに光ります。
     
    ――シューズと合わせて紹介することで、マナーを啓蒙していくんですね。
    角田 ヨガコーナーでも、ウエアやグッズを販売するだけでなく、ヨガがどのようなものなのかを知って頂くために、開店前に先生を呼んで朝ヨガ教室を行うなどしています。また、「いつでも・どこでも・だれでも」をキーワードに無料のヨガアプリも作成して、気軽にヨガが行える環境も提供しています。今後はヨガグッズから派生する、オーガニック食品やスムージーを作るミキサー、アロマなど、ヨガから広がる生活様式の提案も視野に入れていますね。
     

    ▲「朝ヨガ」の様子
     
    ――ヨガを取り入れたライフスタイルの提案、ということですね。
    角田 そうですね。“スポーツショップで展開している”という説得力を活かせればいいなと。例えばこの「Backjoy」という腰カバーも非常によく売れているんですよ。オフィスなどで椅子とおしりの間に敷くことで、骨盤と背骨が自然な状態で座れるようにしてくれるんです。
     

     ▲「Backjoy」。
     
    ―― 一見スポーツと関係なさそうですが、確かに“スポーツショップに置いてある腰カバー”ってすごく効き目がありそうな感じがします。先ほどもお話されていますが、確かにいずれも生活のなかに取り込まれたスポーツや、その延長線上にあるライフスタイルを提案しているという印象を受けました。 
     
     
    ■ヨガブーム、ランニングブームはどのようにして起こっていったのか
     
    ――長年このお仕事をされている角田さんからは、これらのライフスタイル型のスポーツのブームやトレンドがどう移り変わってきたように見えているんでしょうか?
    角田 一号店である原宿店がオープンした1980年代中頃は、ちょうどアメリカで起きたフィットネスブームが日本にも到来していたころでした。当時はエアロビクスと呼ばれていて、原宿にはスタジオや専門店がたくさんあったんです。このころ、爆発的に売れたのがReebokのフィットネスシューズ「フリースタイル」ですね。もともとエアロビをする人たちから支持されて、ファッションとしても人気に火がついた。で、90年代になるとサーフィンブームが到来する。男性はショートのサーフボード、女性はボディーボードで海に入るようになった。このころは「QUIKSILVER」というサーフブランドから登場した女性向けの「ROXY」が大人気でした。茶髪のロングヘアをくくって、シープスキンのブーツを合わせるのが流行っていましたね。
    ヨガブームが始まったのは2000年代前半ですね。フィットネスブームのときの「体づくり」の延長として始めた人が多かったんじゃないでしょうか。一時は爆発的ブームになって、ナイキのヨガマットが飛ぶように売れた時期が2000年代半ばです。それまではヨガをやるスタジオもそれほど多くなかったですし、ウェアやマットがどこでも売っているわけではなかったので、すごく売れましたね。今はネット通販はもとより、ファストファッションのお店や、ホームセンターでもヨガグッズが売っていますので、ブームというよりは完全に定着していますね。
    さきほどお話しした「朝ヨガ」は、「やってみたいけどどこでやればいいかわからない」という人への入り口としてやっている部分があります。やっぱりヨガスタジオやスポーツクラブのヨガ教室にいきなり行くのは、初めての人にはハードルが高かったりしますからね。
    ――そうなんですね。ランニングブームに関してはどのように見ていらっしゃいますか?
    角田 ランニングブームが始まったのは、ヨガブームよりも少しあとの2004、5年ぐらいでしょうか。最初にバイヤーが、東海岸で「ランスカートというものがある」という情報を持ってきたんですが、最初は「さすがにこれはちょっとないかなぁ」と我々も思っていたんです。でも、いまはランスカートもすっかり市民権を得ていて、ランニングでオシャレも楽しむというスタイルが定着していますよね。
    そういった流れが大きくなってきたタイミングで東京マラソンも始まったりして、ランニングを生活のなかに取り入れている人がすごく多くなっていますね。
    ――ランニングブームはなぜこんなにも定着したんでしょうか?
    角田 やっぱり健康意識が高まってきたからでしょうね。それと、これはまったく個人的な意見なんですが、消費の仕方そのものが変わってきているように思います。「モノを買ってそれを所有して満足する」というよりも、生活の中身のクオリティに対する意識が強くなってきているように感じていて、その表れのひとつとしてランニング文化の定着があるのかなと思います。
     
     
    ■アウトドアウェアをファッションとして着る文化は日本特有のものだった!? 
     
    ――アウトドアのブームに関してはいかがでしょうか。
    角田 アウトドアブームが起きたのは2006、7年ごろからでしょうか。もちろん80年代後半から90年代ごろにもブームになっていて、L.L.Beanなどが流行りましたが、当時は実際にそれを着て登山に行く人はそこまで多くなかったんじゃないでしょうか。
    本格的にブームになってきたのは、男性向けアウトドアファッション誌の「GO OUT」(2007年創刊、三栄書房)が創刊されたころでしょうね。その頃から「アウトドアウエアを街でも着る」というのが流行り始めた。
     

    ▲「GO OUT」創刊第2号(2008年3月28日発売、三栄書房)この時期が面白かったのは、アウトドアウエアのトレンドを受けて、実際に登山に行く人が増えたことですね。それまで中高年の聖地だった高尾山が、カラフルなウエアを着たいわゆる「山ガール」でいっぱいになった。
    そうそう、「山ガール」文化に関しては女性向けアウトドア誌の「ランドネ」(エイ出版社)の影響も大きかったと思います。 
  • 月曜ナビゲーター・宇野常寛 J-WAVE「THE HANGOUT」10月20日放送全文書き起こし! ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.187 ☆

    2014-10-27 07:00  

    月曜ナビゲーター・宇野常寛 J-WAVE「THE HANGOUT」
    10月20日放送全文書き起こし!

    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.10.27 vol.187
    http://wakusei2nd.com


    大好評で放送がスタートした、宇野常寛がナビゲーターをつとめるJ-WAVE「THE HANGOUT」月曜日。毎週月曜日は、前週分のオンエアの全文書き起こしをお届けします!

    ▲前回放送はこちらでもお聴きいただけます!
     
     
    ■オープニングトーク
     
    宇野 時刻は午後11時30分を回りました。皆さんこんばんは、評論家の宇野常寛です。冒頭から悲しいお知らせがあります。高田馬場にある宇野事務所の一階のサンクスが、月末で閉店することになりました。張り紙が張ってあって、棚の物もどんどん消えていっています。そのサンクスは高田馬場、神田川沿いの、駅からちょっと北に行った所にあるんですけど、そのマンションの上に僕が事務所を構えたのが震災のちょっと前、2010年の12月なので、もう4年くらい経ちましたね。本当に、僕のこの4年間はあのサンクスと共に歩んだ4年間だったんですよ。なので今、サンクスの前を通りかかるたびに、思い出がもう走馬灯のように頭をよぎっていきますね。
    閉店を知って僕は本当に悲しくなってきて、今日事務所の若いスタッフ達に聞いたんですよ。「ちょっとさ、一階のサンクス無くなるって知ってた? 超不便じゃね?」って言ったら、なんか反応が薄いんですよ。「いや宇野さん、そんなことないっすよ」と。「俺、ぶっちゃけ二軒となりのファミリーマートにしか行ってないんで」とか、若い女の子のスタッフとかは、「セブンイレブンになったらいいですねー」とか言っていて、うちの若者達が意外とサンクスに愛情がないんですよ。しまいには、そのサンクスのちょうど向かいぐらいに、このまえ「まいばすけっと」が出来たんですけど、そこのチルドのグラタンが美味しいとか美味しくないとか、そんな話で盛り上がってるんですよ。なんか、お前らもうちょっとサンクスにリスペクトしろよ! みたいなことで、ちょっと僕はジェネレーションギャップみたいなものを感じましたね。
    あのサンクスに愛情を持っていたのって僕だけだったんだなって、ちょっと孤独を味わっています。なので、僕の悲しさ、もののあわれ、そういったものを、自分の事務所内で共有するのは失敗したので、今日は電波に乗せてね、ラジオの前の皆さんと共有できたらなと思います。それではJ-WAVE 「THE HANGOUT」今夜もスタートです。
    ~♪
    宇野 J-WAVE 深夜の溜まり場「THE HANGOUT」改めましてこんばんは、月曜担当ナビゲーターの宇野常寛です。いや本当に、僕はあのサンクスに思い出があるんですよ。昔、AKBの缶コーヒーとか出たじゃないですか。いろんなメンバーの写真が缶にプリントアウトされているやつ。それを、全23種だか30種だかをコンプリートしようとした時に、すごく馴染みのあるアルバイトの店員の人が、奥からいっぱい在庫出してくれて、「ありましたか~?」とか聞いてくれたりとかね、いろんな思い出があるんですけど。まぁでも……正直に告白すると、僕は実はセブンイレブン派です(笑)!
    実は、我が家の最寄りのコンビニがセブンイレブンなんですよ。いやー、セブンイレブン、やっぱり神ですよ。正確に言うと、セブンプレミアムが神ですね。コンビニって、本当にここ数年、食品がどんどん美味しくなっていってるじゃないですか。氷だけ売っていてその場で煎れてくれるアイスコーヒーとか、超美味しいですよね。でね、僕がそのことに気付いたのが3、4年ぐらい前で、一時期、深夜に原稿書いている時とか本当にセブンプレミアムばっかり食べてた頃があるんですよ。冷凍ブルーベリーとかもカロリー低くて美味しいし、つけ麺とか角煮とかも「これより不味いラーメン屋いっぱいあるだろうな」っていうぐらいのハイクオリティなんですよ。それが200円とか300円ぐらいの値段なんですよね。で、ハンバーグとかもすごくて、下手な洋食屋よりも美味しいし。で、そんな中で特に僕がハマっていたのがハヤシライスなんですよ。レトルトパックでずっと置いておけるタイプじゃなくて、冷蔵庫の中に保存しておかなきゃいけない、ちょっと高級なやつです。で、それがもうデミグラスソースも美味しいし、牛肉もいっぱい入っているもんだから、毎日のように食べていたんですよ。でも、この世には永遠なんて無いんですよね……本当に、ある日突然生産中止というか、リニューアルされて僕たちの目の前から姿を消しましたね。
    もう、なんで買い溜めしておかなかったんだろうって本当に後悔して、その後もしばらくいろんなメーカーのレトルトハヤシライス食べてたんですよ。次の出会いを探さなきゃいけないと思って、次の僕の恋人を探すためにね。で、一生懸命リサーチしてたんですけど、あのセブンイレブンのハヤシライスに匹敵するハヤシライスには、僕はついぞ出会えてないんです。もちろんセブンプレミアムでも、リニューアルされた後のハッシュドビーフがあるんですけど、それはあまり僕は好みじゃないんですよ。美味しいんだけど前の方が良かったなって、そういうふうに思ってるんですよね。
    そういうわけで、うちの若いスタッフ達は「早くセブンイレブン来い」とか「ぶっちゃけローチケあったら便利だよね」みたいな話しかしてないんですけど、僕は、残されたサンクスとの日々を、大切に生きたいなと思っております。永遠なんて無いですからね、本当に。
    はい、この番組はですね、夜更かし族の皆さんの溜まり場です。ツッコミや質問も大歓迎。皆さんの積極的な番組参加をお待ちしております。ハッシュタグは#hang813です。メールの方はですね、この番組のホームページのメッセージボタンがあるので、そこから送ってください。今日は多めにメールを読みたいなと思っています。そして、番組のホームページではYouTube Liveでこのスタジオの様子を同時生配信中です。楽曲は聞けませんけどトークは全部聞けるんで、何か作業しながらとか、パソコンを立ち上げている人はこっちでも聞いてくれたらいいかなと思います。
    そして、更にこの毎週月曜日に限っては、番組終了後ニコニコ生放送のPLANETSチャンネルで延長戦をやります。PLANETSチャンネルというのは、僕が自分の事務所でやっているニコニコ生放送のチャンネルのことです。番組内で語りきれなかったこと、読みそびれたメールなどをどんどん取り上げていって、ディープに語っていきたいと思います。延長戦のURLは「THE HANGOUT」のホームページにリンクが貼ってあります。更にこのPLANETSチャンネルではですね、毎週月曜日の朝に、なんとこの番組の全文書き起こしをメールマガジンとして配信していますので是非チェックしてください。
    というわけで、宇野常寛がナビゲートしておりますJ-WAVE「THE HANGOUT」今夜の一曲目はですね、僕とサンクスとの思い出を振り返るため、そして、それでも前を向いて進むためにこの曲を選びました。宇野事務所とサンクスはズッ友です。それでは聴いてください、アニメ『少女革命ウテナ』のオープニングテーマ、奥井雅美で「輪舞-revolution」。
    〜♪
    宇野 はい、お送りしましたのはアニメ『少女革命ウテナ』のオープニングテーマ、奥井雅美で「輪舞-revolution」でした。宇野事務所とサンクスは離ればなれになっても心はずっと一緒です。はい、改めましてこんばんは、J-WAVE深夜の溜まり場「THE HANGOUT」月曜担当の宇野常寛です。twitterのハッシュタグは#hang813です。メールはこの番組のホームページのメッセージボタンから送っちゃってください。この後、11時55分からは南沢奈央ちゃんのNIPPON SEKIJUJISHA ”GAKUKEN” THE  REASON WHY のコーナーです。そして、J-WAVE「THE HANGOUT」各曜日のナビゲーターが毎週共通のテーマや旬のトピックを語る、シェア・ザミッションのコーナーもあります。そしてですね、アナーキー・ミュージックシェアのコーナーでは、J-WAVEの他の番組ではまずかからないであろう、アニメソング、特撮ソング、アイドルソング、映画やドラマの主題歌や劇伴などなど、アナーキーな一曲をリスナーの皆さんの選曲でお届けしちゃうというコーナーです。メールのほうまだまだ受け付けております。宇野常寛がこの後深夜1時まで生放送でお届けします。深夜の溜まり場「THE HANGOUT」ここで一旦お知らせです。
    ~♪
     
     
    ■フリートーク
     
    宇野 J-WAVE深夜の溜まり場「THE HANGOUT」六本木ヒルズ33階J-WAVE Bスタジオから生放送、月曜日は宇野常寛がお届けしております。メール沢山頂いております~。読んじゃいますよ。これはラジオネーム、しょうまこさん。
    「宇野さんこんばんは。10月、11月といえば学祭シーズンですよね。僕の大学も昨日、一昨日と学祭がありました。と言っても僕は特に何もなかったので学祭には行きませんでした。なんなら大学に入学してから一度も学祭に行ったことがありません。宇野さんは学祭の思い出はありますか?」
    そうですね~、僕も学校行事とかあんまり積極的に参加するタイプじゃなかったので、思い出らしい思い出はないですね。ただ、講演会に行くのは好きだったんですよ。学者とか評論家とか作家さんとかのね。僕の好きな人が呼ばれて来ることが多かったので、わりとこの季節は楽しみにして、自分の大学だけじゃなくていろんな大学の講演会巡りをしていましたね。
    後に僕のデビュー作『ゼロ年代の想像力』の帯を書いてもらうことになる社会学者の宮台真司さんとか、僕が一番好きな作家である「ガンダム」の富野由悠季監督とか、あとは仮面ライダーV3を演じた宮内洋さんとか、あとは最近まで東工大の世界文明センターにいた橋爪大三郎さんとかね。まぁいろんな人の講演に行って、そういった意味では結構満喫していたかもしれないですね。ちなみに僕は今年の早稲田祭に出ますので、日が近づいたらまた告知します。じゃあ次のメール、これはラジオネーム、なおきさん。
    「宇野さんこんばんは、質問なのですが、宇野さんはお仕事でやらかしてしまった失敗とかはありますか?会社員時代があるということですが、何でもそつなくこなせそうなイメージなので、何となく失敗談を聞いてみたくなりました。差し支えない範囲で教えて頂けるとありがたいです」
    いや~、いっぱいありますよ。僕はね、特に最初に就職した会社で、毎日先輩と喧嘩してましたね。 
  • 2作目のハリウッド版ゴジラは「日本的怪獣映画」をどう再解釈したのか? ――切通理作と宇野常寛が語る映画『GODZILLA/ゴジラ』 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.186 ☆

    2014-10-24 07:00  

    2作目のハリウッド版ゴジラは「日本的怪獣映画」をどう再解釈したのか?
    ――切通理作と宇野常寛が語る映画『GODZILLA/ゴジラ』
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.10.24 vol.186
    http://wakusei2nd.com


    本日のほぼ惑は、「サイゾー」10月号に掲載された、映画『GODZILLA/ゴジラ』をめぐる切通理作さんとの対談をお届けします。これまで「特撮」についての数多の評論を世に問うてきた2人の批評家は、ハリウッドによるこの2度目のリメイク作をどう観たのでしょうか――?
    初出:『サイゾー』2014年10月号(サイゾー) 


    ※上記Blu-rayは北米版です。
     
    映画の公式サイトはこちら。
     
    《作品紹介》
    『GODZILLA/ゴジラ』
    監督/ギャレス・エドワーズ 脚本/マックス・ボレンタインほか 出演/アーロン・テイラー=ジョンソン、渡辺謙ほか 配給/東宝 公開/7月25日(日本)
    1999年、日本の雀路羅市に建設された原子力発電所で働くジョーとサンドラ夫妻の間には、一人息子のフォードがいた。ある日突然原発付近で異常振動が起き、発電所が崩壊。サンドラは事故に巻き込まれて死んでしまう。そして15年後、軍の爆発物処理班に勤務する海軍大尉となったフォードは、家族を残して日本を訪れる。日本に残っていた父のジョーが、立入禁止地区に踏み行って逮捕されたためだった。サンドラの死の理由を探るべく、原発崩壊事故の深層を調べていたジョーと共に雀路羅市を訪れたフォードは、原発の跡地で研究機関・モナークによって囚われている怪獣ムートーの姿を見る。やがてムートーは縛めを解いて暴れ出し、海を渡ってハワイ経由でアメリカ本土を目指そうとする。そこに立ちはだかるのが、モナークの芹沢博士(渡辺謙)たちが長年調査してきた”生態系の王”ゴジラだった──。
     
    ▼プロフィール
    切通理作(きりどおし・りさく)
    1964年生まれ。90年代からアニメ、特撮含め文化時評の領域で活躍する。メルマガ『映画の友よ』主宰。10月、昭和ゴジラの監督に迫る『本多猪四郎 無冠の巨匠 MONSTER MASTER』刊行予定。
     
    ◎構成:佐藤大志
     
    切通 今回の『GODZILLA』、面白かったです。本作では、人間の目線の切り取り方がメインになっていて、ずっとゴジラが小出しにされているんですよね。従来の怪獣映画だと、出現の予兆は尻尾だけ映したりして小出しにするけれど、一度登場してしまうとあとはひたすら前面に映され続けていました。それが今回は、ゴジラは登場した後も霧の向こうやビルの陰にいて、少しずつしか見せない。一番すごいと思ったのは、ハワイでゴジラとムートー【1】が戦い始めたら場面が変わって、アメリカ本土の主人公の家庭で奥さんが子どもに「テレビを消しなさい」なんて言ってるのが映されるところ。今はCGでどんな場面も作れてしまいますよね。だからはっきり言って、ゴジラとムートーの戦いをずっとやっていても飽きてしまう。それが本作では、2者が戦い始めて「おっ」と思っている間に画面が変わって、それからまた、建物や空の隙間から戦いが垣間見える、という繰り返しにすることで解消されている。そうしたON/OFFの効いた見せ方は新鮮な感じがしました。これはギャレス・エドワーズ監督の前作『モンスターズ/地球外生命体』【2】でも用いられていた手法だったので、その監督を抜擢してゴジラでこの撮り方をするというのは正解だったと思います。
    それから、ラストシーンもよかったですね。海にゴジラが去っていって、その背中を見送った途端にあっさり映画が終わる。僕は平成ゴジラ【3】の、海の底で死んだと思われたゴジラが最後の最後で「ヤツはまだ生きていた!」と終わるエンディングには「またか」と思っていたので「これだよ!」と。
     
    【1】ムートー
    本作の敵怪獣。見た目は昆虫に似ている。フィリピンの炭鉱で発見された化石に繭の状態で寄生しており、一匹は日本へ、一匹は卵の状態でアメリカ本土に保管される。日本にやってきた雄は雀路羅市の原発を破壊し、そこで研究機関・モナークの管理のもと隔離されていた。目覚めた二匹は、生殖のためにアメリカ西海岸を目指す。
    【2】『モンスターズ/地球外生命体』
    監督・脚本/ギャレス・エドワーズ 公開/11年
    地球外生命体のサンプルを積んだ探査機がメキシコ上空で大破してから数年後、近辺に謎の生物が多数発生。危険地帯となったメキシコに、カメラマンがスクープを狙って乗り込む。
    【3】平成ゴジラ
    後述の84年版『ゴジラ』から『ゴジラVSデストロイア』までの7作を指す。
     
    宇野 僕は実際に観るまで、正直に言うとあまり期待していなかったんですね。だけど観てみたら意外とよかった。脚本はもう少し整理できたと思うし、手放しでは絶賛できないですが、全体としてはそれなりに満足している。
    今回の『GODZILLA』は、初代『ゴジラ』【4】でも84年版『ゴジラ』【5】でもなく、「VSシリーズ」【6】のリメイクになっていて、それが正解だった気がします。
    怪獣映画のルーツにはハリウッドで生まれたキング・コングがあるけれど、日本の怪獣はそこから隔世遺伝的に派生して、ほぼ別物になってしまっている。だからアメリカで再びゴジラを撮ろうとしたら、「怪獣とはなんなのか」を問い直す映画にならざるを得ない。
    日本において怪獣は、当初は戦争の比喩として誕生した。ゴジラは原爆や水爆といった国民国家の軍事力の比喩だったし、それが街を襲うのは空襲の比喩だった。戦後日本では直接的に戦争映画を描けなかったので、怪獣というファンタジーの存在を投入することでイマジネーションを進化させていったのが特撮映画だったわけです。それが70年代には戦争の記憶が薄れ社会が複雑化して、その比喩が説得力を持たなくなり、怪獣なのに正義の味方になってしまったり公害の比喩になったりと迷走してしまった。その後、90年代に、当時のリアリティを取り入れる形でゴジラを作り直そうとしてVSシリーズが作られ、そのコンセプトをより徹底させたものとして「平成ガメラ」【7】が生まれた。善でも悪でもなく、敵となる怪獣がやってきたら地球の生態系を守るために戦う「地球の白血球」的存在としてガメラを描こうとしたのだけど、さまざまな理由からスタッフはコンセプトを徹底できなかった。象徴的なのは『ガメラ2 レギオン襲来』のラストですね。瀕死のガメラが子どもたちの祈りによって復活し、結局ヒーローになってしまう。当時のスタッフは、そうしないと怪獣映画をまとめられなかったんだと思うんですね。物語的なカタルシスを、そうしないと作れなかった。だから90年代は日本の怪獣映画にとって、怪獣をシステムとして描こうとして失敗していった時期だった。
    そして本作では、ラストシーンで、去ってゆくゴジラを見て「神だ」と言うわけです。今作のゴジラは自然界のバランスを壊すムートーと戦うために現れて、自然の摂理そのもの=神として描かれている。これは日本人にはできない言い切りで、アメリカ人が怪獣というものを真正面から受け止めると、「神」という結論にならざるを得ないんだな、と思いました。だからこそ、ラストでただ去っていくゴジラを見て、VSシリーズを下敷きにした意味がよくわかった。一周回ってベタな設定になっているとは思うけれど、非常に説得力があった。システムとしての怪獣ではなく、「神」としての怪獣王としてゴジラを捉えることで、平成ガメラシリーズの罠を回避しているわけです。まあ、映画全体のつくりは、特に脚本がざっくりしすぎていて、全体的な完成度を考えると、VSシリーズはともかく、平成ガメラを超えたとはちょっと言い難いような気もしますが……。
     

    【4】『ゴジラ』
    1954年に公開された第一作目。日本の怪獣映画の始祖。海底に潜む太古の怪獣が水爆実験によって目を覚まし、東京を襲撃するという設定。今回の『GODZILLA』で渡辺謙が演じた芹沢猪四郎博士の名は、この作品のキーマン・芹沢大助博士の苗字と、監督・本多猪四郎の名前から付けられている。
    【5】84年版『ゴジラ』
    84年公開、ゴジラシリーズ16作目。54年版から時間軸が繋がっており、ゴジラは人類の敵として描かれる。
    【6】「VSシリーズ」
    89年『ゴジラVSビオランテ』を皮切りに、キングギドラ(91年)、モスラ(92年)、メカゴジラ(93年)、スペースゴジラ(94年)、デストロイアとゴジラが戦う一連シリーズ。
    【7】「平成ガメラ」
    『ガメラ 大怪獣空中決戦』(95年)、『ガメラ2 レギオン襲来』(96年)、『ガメラ3 邪神〈イリス〉覚醒』(99年)の3部作。すべて金子修介監督、樋口真嗣特技監督、伊藤和典脚本。

     
    切通 僕は今作は、今までのすべてのゴジラシリーズを肯定していると思いましたね。初代から『ゴジラ対メガロ』、あるいは84年版『ゴジラ』まで、どれに繋がってもおかしくない。誕生の理由は大きく異なるけれど【8】、それ以外、実はゴジラという存在そのものはベールに包まれていていじってないんです。ムートーは放射能を食べているし、雌雄があって生殖もするけれど、ゴジラは何を食べているか、オスかメスかもわからない。人間に攻撃されるとムートーは反撃するけど、ゴジラは意に介さない。「スターさん」なんだな、と。 
  • 「プリクラ」「電車でGO!」「音ゲー」ブームは何を変えたか ——“最後の都市文化”としてのストリートカルチャーとゲーセンの交錯 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.185 ☆

    2014-10-23 07:00  

    「プリクラ」「電車でGO!」「音ゲー」ブームは何を変えたか
    ――“最後の都市文化”としてのストリートカルチャーとゲーセンの交錯
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.10.23 vol.185
    http://wakusei2nd.com


    今日のほぼ惑は、大好評の中川大地さんによるゲーム史連載。今回は1990年代後半に流行した「プリクラ」「電車でGO!」「音ゲー」通じて、ゲームセンターとそこをめぐる社会的状況を解説します。

    「中川大地の現代ゲーム全史」前回までの連載はこちらから

     
    第8章 世紀末ゲームのカンブリア爆発/「次世代」機競争とライトコンテンツ化の諸相
     
    1990年代後半:〈仮想現実の時代〉盛期(3)
     
     
    ■ストリート文化の変容の中のゲームセンター
     

     家庭用ゲーム機でのプレイステーションの登場によるゲームのライトコンテンツ化と同じ傾向の変化は、アーケードゲームの領域においても進行していく。もともと1985年の風営法改正以降のゲームセンターは、営業時間の短縮と家庭用ゲーム機の伸長によって緩やかに市場規模を縮小しつつ、女性ターゲットやカップル層に訴求する愛らしいぬいぐるみなど提供してクレーンゲームのスタイルを一新した「UFOキャッチャー」の登場などを機に、徐々にカジュアル化していく流れにあった。
     1990年代前半に一世を風靡した対戦格闘ブームは、そんな長期的傾向の中で、久々にゲーマーらしいゲーマーたちが集って腕前を競い合う濃密なゲーセン文化の一時的な再興としてあったわけだが、90年代後半時点では社会現象的なムーブメントとしての全体性はほぼ拡散している。『ストII』『バーチャ』の二大シリーズがマイナーチェンジを重ねて一定の人気を維持しつつ、『THE KING OF FIGHTERS』(SNK)や『ヴァンパイア』(カプコン)といった追随シリーズ群によって多様化が進み、ちょうどシューティングゲームとならぶマニアックな愛好家向けジャンルとしてのニッチ化の段階に入りつつあったと言える。
     対して、この時代のゲーセン空間の変貌を最も端的に示す風景となったのが、1995年の「プリント倶楽部」(アトラス)の登場だろう。証明写真撮影機のようにユーザーが自分の姿を撮影し、そこに様々なフレームやデコレーションを加えた小さなシール状の紙焼きを提供するプリントシール機は、追随した他社の製品も含めて「プリクラ」と略称され、女子中高生を中心に口コミで爆発的な人気を獲得。友達や恋人と一緒に撮ったプリクラシールを交換・収集し、「プリクラ帳」にストックしたり身の周りの小物のデコレーションに用いるといった特異なコミュニケーションカルチャーが発達していくことになる。
     おりしも同時代的のコミュニケーション環境としては、ポケベルからPHSや携帯電話への移行期にあたり、それにまつわる若者たちの独自の符牒や装飾術などが話題を呼んでいたおりにあたる。加えて、ルーズソックスやガングロといったファッションアイコンで識別される「コギャル」の席巻や、ブルセラ・援助交際の社会問題化など、女子中高生たちが大人たちの理解を超越した都市風俗の主役として認知されていく大きな動きが、プリクラ流行の背景になっていたと言える。
     こうしてUFOキャッチャーとプリクラが、女子主導のカジュアル層に向けてゲーセンの入口近くを占めるようになる一方で、その少し奥側のスペースに男性サラリーマン客などを集めていたのが、『電車でGO!』(タイトー 1996年)であった。その名の通りリアリスティックな列車運転シミュレーターとして登場したVR的な志向は、ちょうど実在の自動車の運転感覚の再現を目指したプレステの『グランツーリスモ』の方向性に近い。

     

    ▲タイトー『電車でGO!』
     

     ただしカーレースのような非日常ではなく、駅間を運行する列車の発車や停止といった日常から半歩だけズレた状況を運転士となって疑似体験する点にゲームとしての価値を見出した点が、本作の際立った特徴だ。コアな鉄道マニアによる支持も強かったものの、『電車でGO!』は総じて普段あまりゲームをプレイしない層にも訴求するヒットに成長し、実在の乗り物や職業のシミュレーターゲームの登場も相次ぐ。
     これは従来からのゲーマー層に受けるシューティングや対戦格闘といったジャンルが、マニア化するにしたがって、SF的・ファンタジー的な物語性やキャラクターデザインの意匠性を強めていったのと、まったく対照的な変化であった。
     続いて、さらに大きくゲームセンターの空間性を変えていったのが、『beatmania(ビーマニ)』(コナミ 1997年)や『DANCE DANCE REVOLUTION(DDR)』(コナミ 1998年)の登場によって起こった「音ゲー」ブームの到来であろう 
  • 大リーグボール養成ギプスは元祖拡張スポーツだ! 「超人オリンピック」仕掛け人・稲見昌彦教授インタビュー ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.183 ☆

    2014-10-21 07:00  

    大リーグボール養成ギプスは元祖拡張スポーツだ!
    「超人オリンピック」仕掛け人・稲見昌彦教授インタビュー
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.10.21 vol.183
    http://wakusei2nd.com


    本日のほぼ惑は、今冬発売予定の「PLANETS vol.9(特集:東京2020)」先取り記事をお届けします。今まで、まったく別のものだと思われていた「ゲーム」と「スポーツ」をつなぐものとは――? 慶應大学の稲見昌彦教授が仕掛ける「超人オリンピック」構想についてお話を伺ってきました。

    2014年2月28日~3月1日にかけて、慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科(KMD)の稲見昌彦教授が「超人オリンピック」をテーマにしたシンポジウム「Augumented Sports」を開催した。人と機械を融合させテクノロジーの力で「超人」と化した人間がプレイする未来のスポーツの姿を
  • 月曜ナビゲーター・宇野常寛 J-WAVE「THE HANGOUT」10月13日放送全文書き起こし! ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.182 ☆

    2014-10-20 07:00  

    月曜ナビゲーター・宇野常寛 J-WAVE「THE HANGOUT」
    10月13日放送全文書き起こし!

    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.10.20 vol.182
    http://wakusei2nd.com


    大好評で放送がスタートした、宇野常寛がナビゲーターをつとめるJ-WAVE「THE HANGOUT」月曜日。毎週月曜日は、前週分のオンエアの全文書き起こしをお届けします!

    ▲前回放送はこちらでもお聴きいただけます!
     
    宇野 時刻は午後11時30分を回りました。みなさんこんばんは、評論家の宇野常寛です。いやー、やばいですね。外が。ここは、J-WAVEの入っている六本木ヒルズの33階です。33階の窓から見たら、嵐がビジュアル化されているんですよ。すごく強い風で雨粒が舞っていて、その様子が可視化されているんです。ゴォーッと音がしていて、ゲームのエフェクトみたいになっているんですよ。そんな状態で今日の放送をお届けしています。随時台風情報とかも交えながらになると思いますが、きっと帰れなくなっている人もいますよね。関東はどうなるか分からない感じなんですけど、ちょうど終電のころに台風がぶつかってしまった中部地方では、足止めを食らっている人がいると思います。ちょっと想像するのは、そういった人たちが偶然、ラジオを聴いてくれていないかなとか、そんな都合のよいことを考えてしまいました。ちょっと不謹慎ですけね。
    昔、『台風クラブ』なんて映画もありましたけど、台風が来るときって、シャレにならないような災害を引き起こす一方で、ちょっとしたワクワク感もあると思うんです。非日常がやってくる。学校が休みになるとか、職場が半休になるとか、そうした、運命的に生まれた空白の時間に何気なくラジオをつけて、「面白いじゃん」とか思ってもらえたら、ラジオ冥利に尽きるなあ、と思うんですよね。アンラッキーをラッキーに変える、そんな放送を今日は目指していきたいなと思っています。それでは、深夜の溜まり場J-WAVE「THE HANGOUT」月曜日、今夜もスタートです。
    ~♪
    宇野 改めましてこんばんは。月曜ナビゲーターの評論家・宇野常寛です。先週ですね、この番組が始まったわけなんですけれど、僕は思った以上にやれた気がするんですよ。最初はもう、FM局のレギュラーなんて僕に出来るんだろうかとかね。FMって、独特のDJっぽいしゃべりが世界に存在するじゃないですか。サラサラ流れていって、日本語なのに英語をしゃべってるような謎のイントネーションだったりとかしていて。そんなの僕は絶対できないよなーとか思って、でもさんざん悩んだあげく、ほぼ開き直って「うん、六本木ヒルズに来ようがJ-WAVEに来ようが、僕は僕だな」と思って、いつも通りの放送をやったんですけど、思った以上に回せた気がするんです。はい、メールもらってます。ありがとうございます。ラジオネームボットペトルさん。
    「宇野さんこんばんは。初回放送を聴いて、何だこの人は! と思い、びっくりしました。しゃべるスピードがとにかく早いんです」これ、僕気にしてるんですよね。すごく昔から早口で、直そう直そうと思って、おしゃべりしてお金もらうような仕事にまでなったのに直らない。でもね、意外と高評価なんですよ。メール続き読みますね。
    「なのに、不思議とスラスラと内容が頭に入ってきて、すごく面白い番組でした」僕もそう思います(笑)。
    「まさに、宇野さんが繰り返し言っていた、交通事故が起きたような衝撃でした。今夜の放送では、どんなことをしゃべるのか今から楽しみです。ちなみに、僕は三国志が好きなので、三国志トークも聴いてみたいです。これから毎週聴きます。それでは。」
    さっそくですよ。リスナーひとり捕まえましたよ。三国志トークもご期待ください。僕、先週も話しましたけどね、『三国志7』が大学で一番時間使ったことですし、小学校5、6年も三国志のことだけ考えて生きてましたね。横山光輝さんの漫画版『三国志』をちまちま買ってずっと集めていて、それをクラスで友達と回し読みとかしていて。三国志の武将を細かく覚えることに命をかけていた人間ですからね。今もうかなり忘れちゃっていますけど。
    ということでですね、いまのメールにあったようにこの番組は、夜更かし族のみなさんの溜まり場というのがコンセプトです。なので、単に聴き流してもらってもいいんですけど、ちょっとひっかかることとか、これを投げかけてみたいなと思うようなことがあったら、気軽にメールとかTwitterで投げちゃって下さい。僕はね、よっぽどプライベートに影響があるような質問以外は基本答えますよ。さすがに僕も私生活というものがあるんで、答えにくい質問というのは世界に存在するんですが、それ以外の質問はなるべく打ち返していきたいなというふうに思っています。なので、みなさんの積極的な番組参加を、大歓迎していく姿勢でいきたいなって考えております。Twitterハッシュタグは#hang813をつかってください。メールのほうは、この番組のホームページの右上のところに「MESSAGE TO STUDIO」っていうボタンがあるので、そこから送っちゃってください。そしてですね、この番組はYouTube Liveでスタジオの様子を同時生配信中です。これ、けっこう画期的ですよね。さすが21世紀って感じがします。おっ、今も映像に写ってますね、いま手振ってます。そしてですね、毎週月曜日は、番組が終わった後に、僕のやっているニコニコ生放送の「PLANETSチャンネル」から、延長戦をやります。番組内では語りきれなかったことや、読み切れなかったメールなどを素材に、さらにディープに語っていきます。延長戦のURLは、「THE HANGOUT」の番組ホームページにもリンクがありますので、そちらをご参照ください。
    それで、僕ね、思いついたんですよ。この番組が夜の1時に終わって、タクシーで帰りますよね。でも、そのタクシーが、こういった悪天候のときってつかまらないんですよ。東京都内でいうと、この前の2月の大雪のときとか大変でしたよね。なので、もしタクシーもつかまらないくらい荒れていたら、この延長戦ニコ生を夜通しでやってしまおうとかね、そんなことまで僕はいま考えています(笑)。僕、しゃべりたいこととか、皆さんに伝えたいことが、評論家なんで山のように持ってるんですよ。膨大にしゃべりたいことのリストって抱えて生きている人間なんで、たぶんネタは大丈夫です。なので、あとはみなさんの覚悟次第です。ラジオの前のあなたの覚悟次第で、朝までこの番組は延長することになるかもそれません(笑)。
    というわけで、宇野常寛がナビゲートしますJ-WAVE「THE HANGOUT」。天候次第では朝までのノンストップニコニコ生放送が行われることに僕の脳内で勝手になったわけなのですが、今夜の1曲目ではですね、そんな僕の決意とテンションを表現したいと思います。もうね、これぐらい強いテンションで、アゲアゲのテンションで、この台風の夜を乗り切りましょう。それでは聴いて下さい。今夜の1曲目はザ・コレクターズで、「ゴーゴー・キカイダー REBOOT2014」。
    ~♪
    宇野 はい、宇野常寛がナビゲーターとしてお届けしております、「THE HANGOUT」月曜日。今日の一曲目はザ・コレクターズで、「ゴーゴー・キカイダー REBOOT2014」でした。僕すごく特撮オタクなんで、キカイダーが復活するってめちゃめちゃ楽しみにしてたんですよね。で、本当に何ヶ月か前から、企画発表の段階から指折り数えて待っていたんですよ。で、映画館で見たんですけど、映画の方は「……うん」っていう感じだったんですけど(笑)、最後のね、ザ・コレクターズバージョンの「ゴーゴー・キカイダー」がもう感動的なぐらいかっこよくて、しかもそこで1972年のオリジナルのキカイダーの映像が流れるんですよ。もうそれだけで深夜のタクシー代往復プラス1800円のもとはとれたなっていうぐらい、僕はすごい目頭が熱くなって、またラジオをやったら絶対にかけようと思っていて、もう2回目でいきなりかけました(笑)。Twitterでもけっこう反応ありますね。これはですね、ラジオネームの大キリンさん。
    「あれま。『台風クラブ』つながりで、BARBEE BOYSをかけてほしい気持ちなのだ」
    あー。それね、僕一瞬頭よぎったんですよ。でもさすがにおじさんすぎるかなと思って。僕来月で36歳なんですけど、『台風クラブ』ってちょっと世代ではなくて、わりと教養として見ている、みたいな感じなんですよね。「相米慎二とかやっぱり観なきゃいけないのかな」とか思って観て、「ああなるほどなー」みたいなね。まさにさっき僕がしゃべった、台風っていうものがね、何かこう思春期の代わり映えしない学園生活を送ってる、しかもちょっと田舎のほうでね。それでちょっとモヤモヤしている少年少女の外側の世界、非日常的な外側への憧れというものを台風に象徴させたみたいな映画なんですけどね。これはTwitterネームのいりやまこさん。
    「休校になることを願い続けている高1です」
    気持ちはわかりますけどね。ただ、僕が高校生のころはまずそれはなかったですね。なぜかというと、僕は寮に入っていて、建物が学校と物理的に接続されていたんですよ。なので、自宅生が来れないぐらいのよっぽどすごい災害だったらともかく、ほぼ授業やってましたね。3分の2ぐらいは寮生なんで、休校はほぼなかった記憶がありますね。なかなか残酷ですよ。もう、ほぼ学校の中に住んでいるようなものですからね。非日常的な出口なんて物理的に存在しないっていう、そういう世界ですね(笑)。これはですね、ラジオネームのまことJBOYさん。
    「宇野さん。今日はAKB48の握手会でしたが、宇野さんはこともあろうに、今日の握手券を捨ててしまったそうですね。確かに、今日の握手会は岩手の事件の影響で6月1日分が今日に振替されたものでしたが、捨ててしまうとは。マジレスすると、既に3ヶ月ほど前に今日の変更は公表されていましたよ。宇野さんらしからぬ、脇の甘さが私は逆に好きです」
    僕ね、今日握手会があるっていうことも完璧に忘れていて。で、この前部屋の掃除したときに、もうこれはいらないなと思って握手券を捨てちゃっていたんですよ。振替があるってこともすっかり忘れていて。で、今日は天気も悪いことがわかっていたし、夜にラジオもあるので、家で仕事してたんです。連休最後の日なんですけどね。で、ラジオの構成とか選曲とかを考えながら、カタカタとパソコンの前に向かっていて、Twitterとかふと見るじゃないですか。そうすると、僕のオタク仲間たちが「何々ちゃんの握手はここがよかった」とか、「こんな話をした」とか。個別握手会のときって、メンバーは基本私服なんですけど、「今日の何々ちゃんのコーデがよかった」みたいなことをみんな書いていて、「ふーん、楽しそうでいいよね」みたいな。「早く台風とか来くればいいのになー」とか、ぶっちゃけそんなことを思っていましたね。まあでも、いいんじゃないですかね。結局、台風が来たのは夜中で、握手会はつつがなく終わってみなさん帰っていったわけですよ。すぐ風で止まることで有名な京葉線も無事動いてね。で、これはある意味、僕が人柱になったとみなさんは考えてください。僕の尊い犠牲によって、みなさんの今日一日の幸福な握手は保証されたわけです。もうね、みなさんの笑顔があれば僕は本望です。
    はい、ということで、ひきつづきみなさんのメールおよびTwitterのツッコミ、超絶お待ちしております。ハッシュタグは#hang813です。番組ホームページから、メッセージのほうも超絶お待ちしております。そしてですね、この後11時55分からは南沢奈央ちゃんのNIPPON SEKIJUJISHA "GAKUKEN" THE REASON WHY というコーナーがあります。そしてですね、その後はJ-WAVE「THE HANGOUT」の各曜日のナビゲーターが毎週共通のテーマや旬のトピックを語る、シェア「ジャ」ミッションというコーナーがあります。……この、シェア「ザ」ミッションというコーナー、これを少し考えてほしいんですよ。僕はね、ガラスの向こうの日浦プロデューサーに強く言いたい。この番組は、いわゆるプロのDJがナビゲーターを務め「ない」というコンセプトの番組ですよね。なのに、なんでこんな高いハードルを要求するのか僕には全くわからないです(笑)。シェア・ザ・ミッションとか言わないで、問題をみんなで共有しようコーナーとかでいいじゃないですか。そこはストレートにいきましょうよ。だってここで僕が噛んでしまって、この後の放送でずっとつっかえ続けたら、放送事故とかにつながりますよ。僕ね、こういうことは意外と大事だと思いますね(笑)。えーと、今日のシェア・ザ・ミッション、問題をみんなで共有しようコーナーはけっこう旬の話題を用意します。まさにこのタイミングだからこそっていう話題をね、用意してますんで楽しみにお待ちください。そしてですね、皆さんお待ちかねのアナーキー・ミュージックシェアのコーナーでは、J-WAVEの他の番組ではまずかからないであろうアニメソングやアイドルソング、あるいは特撮ソングね。映画とかドラマの主題歌とか、サントラなんかもいいですね。そういったものを、リスナーのみなさんからガンガン募集しちゃいます。東京の深夜に轟く、コアな選曲のほうをお待ちしております。
    はい、ということで評論家・宇野常寛がこの後深夜1時まで生放送でお届けします。深夜の溜まり場「THE HANGOUT」ここでいったんお知らせです。
    ~♪
    宇野 はい、評論家の宇野常寛がお届けしております、J-WAVE深夜の溜まり場「THE HANGOUT」六本木ヒルズ33階J-WAVEのBスタジオから生放送中です。YouTube Liveもやってますよ。じゃあメールいきますかね。うわ、いきなりヘビーなの来ましたね(笑)。これはラジオネーム、メロンパン好きなクルミ餅さんです。
    「宇野さん、いまニュースで話題になっているシリアでの戦闘に学生が参加するということを宇野さんはどう思われますか」
    どう思われますかもなにも、学生が戦争に参加するとか、いわゆるチャイルド・ソルジャーみたいなものっていうのは今に始まった話でもなくて、世界にはずっとあることですよね 
  • 〈失われた未来〉を取り戻すために――『STAND BY ME ドラえもん』 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.181 ☆

    2014-10-17 07:00  

    〈失われた未来〉を取り戻すために――『STAND BY ME ドラえもん』
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.10.17 vol.181
    http://wakusei2nd.com

    本日のほぼ惑は、「ダ・ヴィンチ」に掲載されている宇野常寛の批評連載「THE SHOW MUST GO ON」のお蔵出しをお届けします。今回取り上げる題材は、大ヒット映画『STAND BY ME ドラえもん』。藤子・F・不二雄の原作から「のび太の成長物語」としてのエッセンスを抽出し、大きな支持を得た今作が描かなかった"もう一つのテーマ"について考えます。
    初出:『ダ・ヴィンチ』2014年10月号(KADOKAWA)


    ▲[STAND BY ME ドラえもん]予告篇3
     

     札幌市の札幌琴似工業高の社会科教諭・川原茂雄さん(57)が16日、弁護士を招いて集団的自衛権を学ぶ授業を行った。「2学期から憲法を学ぶ前に、憲法が生活と身近にあることを感じてほしい」という考えからだ。大人にも分かりにくい集団的自衛権の問題を、どう高校生に伝えるか。絵や図を多くし、例え話で 身近な事例に近づけて教えた。
     授業は、2年生の現代社会。札幌弁護士会の伊藤絢子弁護士(32)が担当した。まず生徒が伊藤さんに仕事や趣味について質問し、空気がほぐれてきたところで、話は本題に移った。川原さんと伊藤さんは、「ドラえもん」を例に話を進めた。米国は「ジャイアン」、日本は「のび太」。安倍晋三首相は集団的自衛権の行使容認で「日本が戦争に巻き込まれる恐れは一層なくなっていく」と胸を張ったが、「のび太が武装して僕は強いといっても、本当に自分を守れるかな」と川原さん。生徒はみな顔を上げ、考えこんだ。伊藤さんは「武装してけんかをするか、何も持たずやられるのか、選択肢は二つじゃないよね」と、話し合いでの解決法を示した。》(朝日新聞7月19日刊)

     
     先日、ラジオのニュース番組にゲスト出演したとき、集団的自衛権をめぐる議論について意見を求められた。曰く、札幌市の高校の授業で「ドラえもん」を例に集団的自衛権についてディスカッションを行うものだったという。番組を担当する局のアナウンサーは僕に尋ねた。「集団的自衛権の是非はひとまず横においておいて、サブカルチャーの例でこうした話題を説明する授業についてどう思うか」と。僕は迷わず答えた「それは当然のことだ」と。戦後社会は、軍事について、戦争について、安全保障について正面から語り、議論し、描くことを忌避する文化空間を維持して来た。戦後社会の繁栄と安定がアメリカの核の傘の下に成り立っていることを隠蔽し、破壊と暴力には恐怖と嫌悪と同じくらい憧れと快楽が伴うという現実をも隠蔽して来た。だからこそ、油断するとすぐに安易に戦争の道を歩みかねない人間には理性による戦争抑止が必要なのだという論理にたどりつくことなく、単に忌避し、隠蔽して来た。しかしサブカルチャーだけが戦争という現実を子どもたちに伝えて来た。いくら、戦中派の実体験を拝聴しても、いくら社会科見学で戦争の傷跡をめぐっても伝えられない戦争の側面について、人間の業の本質について伝えてくれたのは、ファンタジーや幼児番組のかたちをとったサブカルチャーだった。核という人類には過ぎた力への憧れと恐れは『ゴジラ』が、安保体制下における正義の不可能性は『ウルトラマン』が、そして第二次世界大戦で悪の側に置かれたことで拭えぬ傷を負った男性性の迷走は『宇宙戦艦ヤマト』が、それぞれ結果的に、あるいは自覚的に引き受けていったのだ。僕たちは戦争のもつほんとうの恐ろしさも、そして魔性の魅力も、サブカルチャーから教わって来た。だから「ドラえもん」が集団的自衛権のたとえに用いられるのは至極当然のことだ。実際、のび太という自力では何もなし得ない非力な主人公は、自分たちの力では平和と安定を守れない戦後日本の似姿に他ならない。
     僕は集団的自衛権の安易な行使容認には反対だし、安倍政権の立憲主義を踏みにじる解釈改憲にも批判的だ。しかし、それ以上に、こうしてアメリカの核の傘に守られている現実から目を背け、憲法九条があったからこそ戦後日本の平和が保たれて来た、なんて見え透いた嘘をこの期に及んで振りかざす左翼の愚かさと、それで安倍晋三が止められると思っている能天気さに軽蔑を禁じ得ない。野暮を承知で札幌の高校教諭のたとえ話に突っ込むなら、ジャイアンはアメリカではなくかつてはソビエト、今は中国であり、そしてドラえもんはアメリカに他ならない。そしてドラえもんの力で幸福(戦後復興と平和)を享受しながらも、それゆえに成長できないのび太=日本が自立するには対米従属の時代を終わらせるしか、ドラえもんにさよならを告げるしかないのだ。もちろん、こうした構造自体がグローバル化が進行し、日本に限らずあらゆる国家にとって一国防衛が現実的ではなくなった今となっては過去のものだ。「その意味においては」ドラえもんで集団的自衛権のたとえとするのはもはや「旧い」のかもしれない。
     だから、この夏公開された映画『STAND BY MEドラえもん』を見たときは、ひどく悲しくなった。映画の出来が悪かったわけではない。むしろその逆で、本作が原作のエピソードを巧みに再構成し、アレンジし、今は亡き藤子・F・不二雄がなし得なかった『ドラえもん』の(事実上の)完結をなし得たのはまぎれもない達成だと思う。本作において、のび太は成長する。ドラえもんに甘やかされてきたのび太は、その環境に甘えることなく、ドラえもんがいなくても強く前向きに生きていける青年に成長する。それもジャイアンのように単に強くなるのではなく、むしろドラえもんに甘やかされたことで得られた環境の中で、自分の持っている「優しさ」を武器に生きて行くすべを獲得する。これはまさに、戦後民主主義が目指した価値そのものだったと言えるだろう。アメリカのように強くなるのではなく、日本的な優しさの価値で、武力ではなく文化と経済で、世界に価値を認められる──本作は藤子が生前描き遺したいくつかのエピソードをつなぎ、そして要所要所をアレンジして、彼にできなかったのび太の成長物語としての『ドラえもん』を見事に完結させたのだ。しかし、いやだからこそ、映画を見終えた僕は悲しくなった。なぜか。それは藤子・F・不二雄が、『ドラえもん』をむしろ完結「させなかった」ことで描こうとしたものが、未来が、この2014年の日本ではほぼ崩れ去ろうとしていることが分かってしまったからだ。そして、この映画が描いているもの、すなわち「戦後的な成熟」のモデルは既にノスタルジィとしてしか成立しない過去の存在でしかないことが分かってしまったからだ。
     原作の『ドラえもん』はある時期からのび太の成長を描くことを、そして作品を「完結」させることを半ば意図的に放棄していたと思われる。実際、この映画『STAND BY ME』に採用されたエピソードの多くは、原作に登場し、『ドラえもん』の世界観や設定の根幹をなす重要なエピソードだが、藤子はこれらのエピソードを経ながらも、翌月の『コロコロコミック』では、あるいは小学館の学年誌ではこうしたのび太の感動的な成長をリセットして、まるで「なかったかのように」して、通常のギャグ編を展開し続けた。そこでのび太は欲望のままに生きる小学生男子であり、あらゆる困難を自力ではなくドラえもんのひみつ道具で解決しようとする他力本願主義者であり、そしてそのたびに最後はしっぺ返しを食らうトラブルメーカーであり続けた。そしてそれ故に、『ドラえもん』は科学の力で不可能が可能になることの純粋な喜びを、憧れを描くマンガであり続けることができた。
     たとえばドラえもんのひみつ道具に「おこのみボックス」というものがある。これは一見、何の変哲もない手のひらサイズの薄い「箱」だ。しかし、この箱にひとこと「テレビになれ」と話しかけると箱はテレビ放送を受信して映像をクリアに映し出す。「レコードプレイヤーになあれ」と話しかけると、レコードを回し音楽を流し始める。「インスタントカメラになあれ」と命じると、コンパクトカメラとして機能する。少し前にインターネットで話題になっていたので、覚えている人も多いだろうが、これはどう考えても現在におけるスマートフォンに他ならない。藤子は今から何十年も前に、その想像力で僕たちの未来を、世界を変える道具を描いていたのだ。それも他力本願で欲望のままにいきるダメ小学生の「夢」として。
     そう、藤子がのび太を成長させなかったのは、こうした夢を、欲望を実現するための想像力としての(SFギャグマンガとしての)「ドラえもん」を殺したくなかったからではないか──そう僕は考えている。