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  • 真実一郎・宇野常寛の語る「サラリーマンコンテンツ」の現在――『島耕作』『パトレイバー』から『半沢直樹』『重版出来』まで ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.211 ☆

    2014-11-28 07:00  
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    真実一郎・宇野常寛の語る「サラリーマンコンテンツ」の現在――『島耕作』『パトレイバー』から『半沢直樹』『重版出来』まで
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.11.28 vol.211
    http://wakusei2nd.com


    今朝のほぼ惑は『文化時評アーカイブス2013-2014』収録の「サラリーマンはどこから来てどこへ行くのか 〜2010年代の働き系コンテンツの潮流〜」に真実一郎さんが加筆・修正を加えた原稿と、『半沢直樹』に関する宇野常寛との対談のお蔵出しをお届けします。
    初出:『文化時評アーカイブス2013-2014』(月刊サイゾー5月号増刊)に加筆・修正▼プロフィール真実一郎(しんじつ・いちろう)現役サラリーマン。広告から音楽、マンガ、グラビアアイドルまで幅広く世相を観察するブログ「インサイター」を運営。「SPA!」(扶桑社)などにてコラムを連載。著書に『サラリーマン漫画の戦後史』(洋泉社新書y)。
     
     
    ■「働き方」探しの時代に蘇った昭和サラリーマン
     
    いまほど「働き方」をめぐるバズワードが乱舞する時代もないだろう。ノマド、社畜、正規・非正規、グローバル人材、ワークシフト、セカンドキャリア、ブラック企業……。雇用環境が流動化し、従来のような正規雇用の中間層=サラリーマンが一枚岩ではなくなった結果、古い働き方への懐疑と新しい働き方の模索が大規模かつ同時多発的に起こっているというわけだ。
    だからこそ、極めて昭和的な会社員を描いたドラマ『半沢直樹』が爆発的にヒットし、社会現象化したのはちょっと意外だった。半沢は堅苦しい縦社会組織の中で、パワハラに耐え、深夜残業を厭わずモーレツに働き、飲みニケーションも頻繁に行い、献身的な専業主婦の妻を持つ。そんな古風なワークスタイルの主人公が2013年を代表するキャラクターになるなんて、誰も予想しなかっただろう。
    『半沢直樹』の原作を手掛ける池井戸潤【註1】の小説は、サラリーマンや中小企業経営者を主人公としたものが多く、特に2010年代になってから支持層を拡大している。池井戸が描く一見古臭いサラリーマンが、なぜ「働き方」探しの止まらない現代において支持されるのか。日本のサラリーマン・コンテンツの潮流を振り返りながら、その背景を考察してみたい。
     
    【註1】池井戸潤…大学卒業後、三菱銀行(現・三菱東京UFJ銀行)に7年間勤務。退職後、コンサル業の傍らビジネス書を執筆。98年に小説家デビューし、11年『下町ロケット』で第145回直木賞受賞。
     
     
    ■コンテンツが映し出すサラリーマンの軌跡
     
    サラリーマンが時代の主役に躍り出たのは1950年代半ばからだった。太平洋戦争で兵隊として国家の為に戦った人々が帰還し、会社の為に戦う企業戦士へと転身して、日本の復興に心血を注いで高度経済成長を牽引したのだ。戦没者に対して後ろめたさを引きずっていた彼らを肯定・承認するエンターテイメントとして、源氏鶏太【註2】の勧善懲悪的なサラリーマン人情小説や、底抜けに明るい東宝の映画「社長シリーズ」「日本一シリーズ」【註3】が量産され、サラリーマンものブームが巻き起こった。定年退職まで守られた家族的な会社に身を置き、会社のためにモーレツに働けば、誰もが豊かな未来を夢見ることができた、戦後日本の青春時代だ。
     
    【註2】源氏鶏太…戦前から財閥系企業の経理畑に勤め、終戦後本格的に作家デビュー。自身の25年にわたる会社勤めの経験をもとに、サラリーマン小説を多数発表した。51年に『英語屋さん』で第25回直木賞受賞。85年没。
    【註3】「社長シリーズ」「日本一シリーズ」…「社長シリーズ」は森繁久彌が社長役で主演する喜劇映画(195 6〜70年)。高度経済成長期の企業を舞台に、キャラのバラバラな部下や社員たちとてんやわんやの騒動を繰り広げる(『社長三代記』『『社長太平記』ほか)。後者はクレイジーキャッツ・植木等が主演した、歌って躍る喜劇映画(62〜71年)。「社長シリーズ」とは異なり、植木の役柄や働く企業・業界は毎回違うものになっているが、基本的に常にモーレツ社員として描かれる(『日本一のゴマすり男』『日本一のワルノリ男』ほか)。
     
    しかし1970年代になると、モーレツで非人間的な労働環境に対する疑問が拡大する。オイルショックが決定打となって高度成長が終わる頃には、賃金カットや人員整理が相次ぐサラリーマン受難の時代となり、会社に奉仕する人生への忌避感が蔓延。サラリーマンという存在を肯定的に描くコンテンツも消えていった。この時期に支持を集めた城山三郎【註4】の企業小説の数々は、悩めるサラリーマンを代弁して、組織に振り回される個人のリアリティ、無念さを徹底的に追求している。
     
    【註4】城山三郎…大学にて経済学の教鞭を執る傍ら、作家として活動を始める。第40回直木賞受賞作『総会屋錦城』のような企業小説と、吉川英治文学賞『落日燃ゆ』のような伝記・歴史小説それぞれにおいて、日本のエンタメ小説界にジャンルを確立した。07年没。
     
    「ジャパン・アズ・ナンバーワン」といわれて日本型経営が見直され、バブル景気に突入する1980年代半ばになると、サラリーマンに再び活力が漲り始める。その受け皿となったのが、いわゆるトレンディドラマの数々であり、更には源氏鶏太の漫画版ともいえる『課長島耕作』【註5】だった。大企業の正社員で、謙虚で勤勉。上司や女性から人柄を認められ、ひたすら会社のために奉仕して出世する献身的な好漢。こうした島耕作的なキャラクターが、高度経済成長期的な快活なサラリーマン像をセンスアップさせる形で甦らせ、働き盛りとなっていた団塊世代や新人類世代の会社員生活を肯定していく。
     
    【註5】『課長島耕作』…弘兼憲史/講談社「モーニング」83年〜現在にいたるまで続く「島耕作」シリーズの一発目。内容は言わずもがな、初芝電器に務める会社員・島が行動力と前向きさと強運で出世していく物語である。その後「部長」「取締役」「常務」「専務」「社長」「会長」「ヤング」「係長」と続き、終止符を打った……はずが「学生」編を現在連載中。
     
    1991年のバブル崩壊以降、状況は大きく変わる。終身雇用、年功序列といった会社神話が音を立てて崩れはじめたのだ。会社に依存できなくなったサラリーマンたちは、2000年の「明日があるさ」ブーム【註6】を最後に共通の夢を失い、分断されていく。ある者はプロジェクトXのような過去の栄光に救いを求め、またある者はライブドアのような若いベンチャーに希望を見いだしたが、どれも日本経済の低迷を打開はしなかった。コンテンツの世界では医者やホストといった特定職業を描いた職業ドラマや職業漫画が急速に増加し、サラリーマンはコンテンツの主役から姿を消していく。
     
    【註6】「明日があるさ」ブーム…脚本/高須光聖ほか 演出/李闘士男ほか 出演/浜田雅功、藤井隆ほか 放映/01年4〜6月(日テレ) 缶コーヒー・ジョージアのCMから発展したテレビドラマ。総合商社で働くサラリーマンを吉本興業の芸人たちが演じた。初回最高視聴率が30%を記録し、スペシャルドラマ、映画の続編が作られた。
     
     
    ■池井戸潤が描く「志のシェア」
     
    そこに現れたのが池井戸潤の作品群だった。池井戸の企業小説の特徴は、城山三郎的な「組織対個人」、さらには「大企業対中小企業」のリアリティをシビアに描きつつ、同時に源氏鶏太的な勧善懲悪ファンタジーも貫かれるところだろう。新しい働き方の模索で浮き足立つ世相に惑わされず、古い働き方のストレスを抱いたまま、大逆転劇で力強い未来を見せる。そんな戦後サラリーマン小説のハイブリッド的なプロットは、過渡期にある最大公約数の日本人の支持を集める必要条件を確かに満たしている。
    そしてもう一点、池井戸作品を大きく特徴づけるのは、組織や世代の壁を越えた共闘意識、チームワークだ。これは源氏鶏太、城山三郎から弘兼憲史に至るまで、これまであまり描ききれてこなかった部分だろう。
    吉川英治新人文学賞を受賞した『鉄の骨』【註7】では、中堅ゼネコンに務める四年目社員が「談合」という古い業界慣習と格闘するために先輩社員たちから多くを学んで成長し、年老いた大物フィクサーとまで気持ちを通い合わせる。直木賞受賞作品である『下町ロケット』【註8】でも、さまざまな部署の社員や弁護士がひとつの夢に向かってエネルギーの塊になっていく。『半沢直樹』の続編となる『ロスジェネの逆襲』【註9】では、バブル世代を忌み嫌うロスジェネ世代の部下が半沢と共闘し、友人のIT企業を買収から救う。
     
    【註7】『鉄の骨』…池井戸潤/講談社/09年 中堅ゼネコンで入社4年目にして配置換えを受けて、通称〝談合課〟に席を置くことになった主人公。建設業界における談合の持つ意味合いに葛藤する中、新地下鉄敷設計画という巨大案件が動き始める。07年に小池徹平主演でドラマ化された(NHK)。のちに『平清盛』を手がける磯智昭プロデューサーが制作統括を務めた。
    【註8】『下町ロケット』…池井戸潤/小学館/10年 ロケット開発の職を辞して町の製作所を経営する佃のもとに、ライバル企業から訴状が届く。法廷闘争に巻き込まれ会社存亡の危機に立たされる中、同社の特許技術がなくてはロケットが飛ばないことが判明し、大手製造会社・帝国重工が製作所にやってくる。
    【註9】『ロスジェネの逆襲』…『半沢直樹』の原作である「オレたちバブル入行組」シリーズの3作目となる小説。12年にダイヤモンド社より刊行。半沢が出向させられた証券会社を舞台に、ロスジェネ世代の部下たちと共に戦う姿を描く。
     
    池井戸作品は、トラディショナルな昭和サラリーマンを描いているようでいて、保身と社内政治に勤しむ大企業の社畜を決して肯定はしていない。かといって会社組織から完全に自由なノマドやグローバル人材が登場・活躍するわけでもない。単純な世代による善悪の仕分けも行われない。ワークスタイルやキャリアの違いを超えて、志をシェアする者同士が繋がり、本気で仕事に取り組む醍醐味をとことん味わい尽くす。チームの求心力となるのは「どう働くか」という表面的なスタイルではなく、「何をしたいか」「何のために働くか」という本質だ。
    旧来の会社組織に頼れない「個の時代」になりつつあるからこそ、組織や世代の壁を越えた熱く強固なチームの生成が、ビジネスを充実させる鍵を握る。そのことに自覚的なコンテンツとして、池井戸作品が浮上してきたというわけだ。
     
     
    ■〈スタイル〉から〈中身〉へ
     
    池井戸作品的な、働く現場におけるこうしたチームワークの充実感を、いま最も高揚感のある形でパッケージ化しているのが、松田奈緒子の漫画『重版出来』【註10】だろう。
     
    【註10】『重版出来』…松田奈緒子/小学館「スピリッツ」12年〜(既刊2巻) 大学まで柔道一筋で生きてきたが、就職で出版社の青年誌編集部に飛び込んだ女子の奮闘を描く出版業界モノ。13年3月に単行本1巻が刊行されると話題が広がり、書店で品切れが続いてまさに重版された。
     
    主人公は、大学まで柔道一筋で生きてきた黒沢心。子供の頃に感動した柔道漫画の話題で世界中の選手と交流できた体験を振り返り、「世界の共通語となる漫画作りに参加して、地球上のみんなをワクワクさせたい!」という思いを抱いて大手出版社に入社。漫画の編集部に配属され、新人特有の無邪気な行動力と愛され力で、上司の編集者や営業社員、漫画家、書店員、製版会社社員までを巻き込み、ひとつの方向に向かって突き進んでいく。
    出版社を舞台とした女性社員の奮闘記ということで、安野モヨコの『働きマン』【註11】と比較する人も多いだろう。しかし、無垢な新入社員の素朴な一石投入によって周囲の先輩社員や関連会社の人間が触発されチームが活性化する、というプロットは、バラバラの個人の群像劇だった『働きマン』よりも、むしろ百貨店を舞台とした高橋しんの『いいひと。』【註12】に近い。伝統的に日本企業を支えてきた体育会系のバイタリティに再着目し、斜陽といわれる業界にも根源的な働く喜びを見出し、サラリーマンの仕事とはチーム戦であることを炙りだす。その古くて新しい試みは、今のところかなり成功している。
     
    【註11】『働きマン』…安野モヨコ/講談社「モーニング」04年〜(既刊4巻)週刊誌編集部で働く松方弘子(28歳独身)を主人公に、女性がガツガツ働くことの難しさやそれぞれの仕事観が描かれる。作者体調不良による休業から、休載が続いている。
     
    【註12】『いいひと。』…高橋しん/小学館「ビッグコミックスピリッツ」(26巻完結)北海道出身の“ゆーじ”は高校大学と陸上長距離に打ち込み、その後スポーツメーカーに就職する。常に楽観的で人の好い彼と、周囲にいる会社の人々が感化されたりしなかったりしながら共に働く姿を描く。
     
    「働き方」を巡る論争は、有意義な落としどころが見つからないまま当分続くだろう。もともと働き方に万人を納得させる正解などないのだから。そんな<スタイル>を巡って漂流する議論を横目に、これからは労働の<中身>を輝かせるコンテンツがスポットライトを浴びることになるはずだ。
     
    (了)
     
     
    ■真実一郎×宇野常寛『半沢直樹』
     

    初出:『サイゾー』13年11月号(サイゾー)所収:『文化時評アーカイブス2013-2014』(サイゾー)
     
    ▼作品紹介
    『半沢直樹』
    原作/池井戸潤 脚本/八津弘幸 演出/福澤克雄ほか 出演/堺雅人、及川光博、上戸彩、香川照之、片岡愛之助ほか
    13年7月7日〜9月22日(毎週日曜21:00〜21:54/TBS)
    東京中央銀行の銀行員・半沢直樹が、銀行内部の腐敗とそれに伴う癒着と戦い、出世を目指す姿を描く。重厚かつ爽快感のある物語に加えて、映画や演劇、歌舞伎でも活躍する役者陣を揃え、初回から視聴率19%を達成。その後もうなぎ上りを続け、最終回は42.2%を獲得した。
     
    ◎構成・竹下泰幸(甘噛みマガジン)
     
     
    真実 ドラマ『半沢直樹』は、日本のサラリーマンを主題にした作品の集大成だなと思って、僕はとても面白く観ました。『半沢直樹』は小説原作(原題『オレたちバブル入行組』04年、『オレたち花のバブル組』08年)ですが、サラリーマンを描いた小説として、1950年代には源氏鶏太的【註1】な「戦後の社内政治を勧善懲悪でハッピーエンド」という前向きな素朴さが主流だったのに対し、景気が悪くなってきてそれがリアリティを失った70年代頃には、城山三郎【註2】とか山崎豊子【註3】に代表される、いわゆる「企業小説」で組織に振り回される個人の悲惨な戦いを描いたシリアスな作品が増えた。そして『半沢』シリーズは、悪く言うと新しさはないんだけど、城山三郎的な個人VS組織のシビアさの中で、源氏鶏太的に勧善懲悪で「正義は(たまには)勝つ」ところを描くという、日本のサラリーマンコンテンツのいいとこ取りをしている。そういう点で作者の池井戸潤【註4】は、源氏鶏太・城山三郎に続く直木賞サラリーマンもの作家の完成形だと思いました。それをドラマにするに当たって、プロットはほぼ原作そのままに、キャスティングと演出の妙で見せていた。大映テレビ【註5】的な大げさな演技を取り入れて、時代劇的な要素を取り込むことで、世代を超えたヒットにつながった。

     
    【註1】源氏鶏太…戦前から財閥系企業の経理畑に勤め、終戦後本格的に作家デビュー。自身の25年にわたる会社勤めの経験をもとに、サラリーマン小説を多数発表した。51年に『英語屋さん』で第25回直木賞受賞。85年没。
    【註2】城山三郎…大学にて経済学の教鞭を執る傍ら、作家として活動を始める。第40回直木賞受賞作『総会屋錦城』のような企業小説と、吉川英治文学賞『落日燃ゆ』のような伝記・歴史小説それぞれにおいて、日本のエンタメ小説界にジャンルを確立した。07年没。
    【註3】山崎豊子…去る9月29日、88歳で没したことが報じられた女性作家。毎日新聞記者を経て、吉本興業創業者をモデルにした『花のれん』で第39回直木賞受賞、作家活動に専念。『不毛地帯』『沈まぬ太陽』『大地の子』『運命の人』『白い巨塔』『華麗なる一族』と、大半の作品が映像化され、ヒットしている。
    【註4】池井戸潤…大学卒業後、三菱銀行(現・三菱東京UFJ銀行)に7年間勤務。退職後、コンサル業の傍らビジネス書を執筆。98年に小説家デビューし、11年『下町ロケット』で第145回直木賞受賞。
    【註5】大映テレビ…時代劇映画を得意とした大映の流れをくむ制作会社。70年代に『スクール☆ウォーズ』『不良少女とよばれて』(共にTBS)、『ヤヌスの鏡』(フジ)などでヒットを飛ばし、大げさな芝居や泥沼の展開といった特徴的な路線を確立した。近年は2時間ドラマなどを制作している。

     
    宇野 僕がまず思ったのは、『半沢直樹』の放送枠であるTBS日曜劇場で演出の福澤克雄【註6】さんがやってきたことって、「戦後を時代劇として描く」ということだったんですよね。つまり、松本清張や山崎豊子の有名原作が近過去やリアルタイムの時代の精神を表す共感コンテンツとして描いてきた「戦後」を、徹底して「時代劇」として描いたことだと思うんです。時代劇って本質的にはコスチュームプレイで、だからこそほとんど「キムタク」のコスプレをしているような状態の木村拓哉の主演【註7】こそがハマっていたりした。ただ、それがさすがに一回りしてネタ切れになり、キムタクのコスプレにも飽きが来てしまった。『南極大陸』はその顕著な例でした。
    そうしたとき、次のステージに行くにはどうしたらいいかという答えが『半沢』だったんだと思います。コンセプトは2つあって、ひとつは思い切って「現代劇にしてしまう」ということ。それも、時代は現代日本なんだけど、都市銀行という戦後の古いサラリーマン社会が一番色濃く残っているところを舞台にすれば、"時代劇"をやってきた彼らのノウハウを活かすことができる。これは原作自体がもともとそういうコンセプトで、そこを活かしたつくりにしたんでしょうね。もうひとつは主にキャスティング面にいえることで、いわゆる舞台俳優や映画俳優を中心に組み立てるということ。これは、これまでのノウハウを動員すれば、有名俳優にコスプレさせるのではなくて、舞台俳優のアクの強い魅力を引き出すことができるという自信の現れでしょうね。このキャスティング戦略を背景に、これまでの時代劇的テイストが、真実さんが指摘したように、その延長線上にあるかつての大映や東映のB級ドラマの流れに進化している。この2つによって、行き詰まってきていた日曜劇場をアップデートさせることに成功したなと感じています。

     
    【註6】福澤克雄…TBSのドラマプロデューサー、演出家。『3年B組金八先生』シリーズや、「日曜劇場」での『白い影』『GOOD LUCK!!』『砂の器』『華麗なる一族』『南極大陸』などを手がけ、視聴率を獲る演出家。福沢諭吉の玄孫。
    【註7】木村拓哉の主演…『ビューティフルライフ』『GOOD LUCK!!』『華麗なる一族』『南極大陸』と「日曜劇場」で実に4度の主演。そしてこの秋から『安堂ロイド〜A.I. knows LOVE?〜』がスタート。

     
    真実 同時期にNHKで同じく池井戸潤原作の『七つの会議』【註8】をやっていて、これも実は面白かったんですが話題にはならなかった。それはやっぱりキャスティングと演出の問題で、こちらは抑えめな演技のハードボイルド路線だったから、話題の広がり方がすごく限定的だったんでしょう。『半沢』を観て、キャスティングって大事だなとすごく思いました。

     
    【註8】『七つの会議』…脚本/宮村優子 演出/堀切園健太郎 出演/東山紀之ほか 放映/13年7月(NHK土曜ドラマ/全4回)中堅電機メーカーを舞台に、社員各自の思惑が不祥事を巻き起こしていくさまを描く群像劇。演出の堀切園は『ハゲタカ』『外事警察』などを手がけている。

     
    宇野 『半沢』制作陣は、すごくクレバーだと思うんです。大和田(香川照之)をはじめとした悪役の描写って、絶対に笑わせようと思ってやってるじゃないですか(笑)。ネット的なネタ消費のことを、かなり演出側が意識していて。片岡愛之助や石丸幹二も、水を得た魚のように楽しそうに演じてましたよね。
    真実 第一部から第二部で、演出が明らかにエスカレートしていきましたね(笑)。でも個人的には、小木曽(緋田康人)や藤沢未樹(壇蜜)をはじめ魅力的なキャラクターが登場した第一部のほうが面白かった。それと、最初は「倍返し」がキャッチコピーじゃなかったんですよね。開始当初のコピーは「クソ上司め、覚えていやがれ!」で、あの決め台詞をそこまでフィーチャーしていたわけじゃなかった。
     
  • 『リトル・ピープルの時代』その後――「ヒーローと公共性」のゆくえ(宇野常寛)☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.210 ☆

    2014-11-27 07:00  
    220pt

    『リトル・ピープルの時代』その後――「ヒーローと公共性」のゆくえ(宇野常寛)
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.11.27 vol.210
    http://wakusei2nd.com


    本日のほぼ惑は、宇野常寛の単著『リトル・ピープルの時代』(幻冬舎)電子版399円セール記念! 「ユリイカ」2012年9月特別増刊号(平成仮面ライダー特集)に掲載されたインタビュー記事「『リトル・ピープルの時代』その後――「ヒーローと公共性」のゆくえ」のお蔵出しです。『仮面ライダーW(ダブル)』『オーズ/OOO』『フォーゼ』の近作3本を宇野が批評的に読み解いています。『リトピ―』と併せて読み直せば、平成仮面ライダーシリーズへの理解が深まること間違いなし! 

    ▲宇野常寛『リトルピープルの時代』
    定価 2,376円のところ、11月限定で電子版のみ399円(83%OFF)で発売中! 紙書籍版を持っている方も、持っていない方もこの機会にぜひどうぞ。セールは11月30日まで!
     

    ▲初出:「ユリイカ2012年9月臨時増刊号 総特集=平成仮面ライダー 『仮面ライダークウガ』から『仮面ライダーフォーゼ』、そして『仮面ライダーウィザード』へ・・・ヒーローの超克という挑戦」青土社、2012年
     
    ◎聞き手:ユリイカ編集部
     
     
    ■『リトル・ピープルの時代』その後――「ヒーローと公共性」のゆくえ
     
    ――宇野さんが昨年刊行された『リトル・ピープルの時代』(幻冬舎)は平成仮面ライダーシリーズにほとんど特権的とも言える位置を与えて、執筆時点までに放映されていた『仮面ライダークウガ』から『仮面ライダーW』までの歴代作品を非常に細やかに論じられています。しかしやはり、その後の作品についてのお考えも気になるところですので、今回は同書では取り上げられていない『仮面ライダーオーズ/OOO』と現在放送中の『仮面ライダーフォーゼ』を中心に「続・リトル・ピープルの時代」といったようなかたちでお話をうかがえればと思います。
    宇野 では、『リトル・ピープルの時代』での議論を前提にお話ししますね。
    奇しくも仮面ライダーが誕生してからの四〇年間は世界中で「こんな時代だからこそ(勧善懲悪の)物語を」と考えている人たちがうまくその気持ちを社会にぶつけられなくて暴走してしまうことが、社会を脅かす最大の暴力のひとつとしてずっと問題視されてきた時代だったんですよね。実際、連合赤軍やオウム真理教や「新しい歴史教科書を作る会」やアルカイダに走ってしまった人たちは主観的にはそう考えていたはずです。 
    こうなったときに、「こんな時代だからこそ勧善懲悪を描く」のが正しい現実批判としてのファンタジーだ、というような単純なロジックは成り立たないと思うんです。むしろ「正義」というものが基本的には成立しない世界について考えることのほうがフィクションのなかでしかできないことであり、ファンタジーの役目になるのかもしれない。『リトル・ピープルの時代』での整理では前者が『クウガ』や『仮面ライダー響鬼』や『W』で、後者が『仮面ライダーアギト』や『仮面ライダー龍騎』や『仮面ライダー555』になる。もちろん、表現を生む方法論として考えたとき、このふたつの考え方はどちらかが正しくて、どちらかが間違っているというわけじゃなくて、どっちもあっていいと思うんですよ。ただ、僕は個人的には後者のほうに圧倒的に刺激を受けて、一〇年くらい考え続けて、その結果長々と評論を書いてしまったんですけどね。
    そして『リトル・ピープルの時代』の結論というのは、どちらも難しいところに乗り上げてしまっている、ということなんですよ。前者については、端的に縮小再生産になっていっていると思うんです。世界の平和を守るヒーローが胡散臭くても、街の平和を守るヒーローならまだ成立する、というのが『W』です。でもある街の正義と別の街の正義は違うかもしれない、というのが現代におけるヒーローが直面している問題だと思うので、そこを回避しちゃったら何か肉が入っていないカレーを食べさせられているような気になっちゃう。
    『仮面ライダーディケイド』のほうはあそこまでやってしまうともう物語が維持できなくなることを露悪的に証明してしまった。下手に小賢しいメタ物語を紡ごうとするよりも、徹底して考えれば考えるほど物語を語れなくなる現実を、創作物ならではの切り口で表現している。
    だから僕は単純に「仮面ライダーは平成初期の白倉路線に戻るべき」だなんて絶対に思わない。『W』は現にそういう視点から作られていると思う。じゃないとわざわざ『仮面ライダー×仮面ライダー  W&ディケイド  MOVIE大戦  2010』であんな嫌味な『ディケイド』の茶化し方はしない。ダミー・ドーパントをヒロインが「マネっ子なんてカッコ悪い」と罵倒するシーンのことですね、念のために付け加えると。
    ちなみに『オーズ・電王・オールライダー レッツゴー仮面ライダー』のときに白倉(伸一郎)さんが「昭和まで戻らないと仮面ライダーは正義の味方だとは言えなかった」ってコメントを出していたでしょう? 僕もまったくそう思うんですよ。だからあの映画はむしろ『ディケイド』では「~ではない」という言い方で表現していたものを「~である」という言い方に変えているだけ、いやその逆なんですよね。
    ――『ディケイド』まである種の構図を突き詰めることによってなにか極端な境界線に触れてしまった。そこからの展開(転回?)としての『W』になるわけですね。
    宇野 『W』のキーマンって(左)翔太郎だと思うんです。ハードボイルドというのは社会の承認なんか要らない、自分だけの正義というか信念を貫けばそれでいい、という態度ですよね。でも翔太郎はハードボイルドじゃなくてハーフボイルドでいいじゃないか、というキャラクターじゃないですか。世界の平和を守る大文字の正義は成立しない、かといって自己完結してハードボイルドにもならない。じゃあどうするのかっていうときに自分の街とか、仲間内とかの狭い世界に限定すれば「正義」は成立するというのはとても正しいと思うのだけれど、わざわざフィクションで描かなきゃいけないことだとも思えなかったんです。だって、むしろみんなそういう前提で生きているでしょう? だからこそ翔太郎にはもっと嘘くさくてもいいから積極的なハーフボイルドのビジョンを示してほしかったと思うんですよね。もちろん、なにもかもに目をつぶって大文字の正義のもとに世界の平和を守ります、って見栄を切る方向じゃなくてね。でも『W』ってそれくらいのポテンシャルのあるモチーフを内包していたと思うんです。
    これはもう、半分は批評でもなんでもない個人的なキャラクターへの願望なんですけれど、翔太郎は最終回でフィリップと再会しないほうがよかったのかもしれない、とも思うんですよね。もちろん、これはハッピーエンドを見せられてホッとした後だからこそ出てくる注文というか、二次創作的な妄想(笑)なんですが翔太郎はひとりになったほうが「正義」という問題と向き合えたのかもしれないし、もっと魅力的なハーフボイルドのビジョンを示すことができたんじゃないかなって思うんですよね。
    ―― たしかにフィリップの復活はどうしても翔太郎を「居場所」に回収してしまう。自らをハードボイルドのハーフとしての存在に留めてしまうような側面があったかもしれません。
    宇野 いま、「財団X」というすべてを影であやつる秘密結社の存在が『W』以降の第二期平成仮面ライダーシリーズの共通の黒幕として設定されていますよね。僕はあれ、あんまり興味がもてないんですよ。たとえば昔かわぐちかいじが『沈黙の艦隊』という漫画を連載していましたけど、あれって要するに小沢一郎が当時提唱していた手段としての国連主義を実践したらどうなるかというシミュレーションだったと思うんですよ。でも、終盤で物語をまとめられずに、「アメリカの軍需産業こそが黒幕だ」という展開になって一気に白けてしまった。あの作品が面白かったのは、そんな「世界を裏で操る秘密結社」みたいな陰謀論で説明できない世界、明確な「悪」が設定できない世界で、どう平和を実現するかという難題に向き合っていたからだと思うんですよね。その緊張感があってはじめて成立していた。僕は「財団X」設定はうまく使わないと、『沈黙の艦隊』と同じような落とし穴にはまってしまうような気がするんです。「大ショッカー」はパロディだからこそ機能したわけですからね。
    ――なるほど。新しく黒幕(財団X)を創出しなければならなくなったことの意味というのはやはり重要なものだと思います。その財団Xをいわば劇場版における縦軸とする『W』『オーズ/OOO』『フォーゼ』の第二期のなかではどの作品に惹かれるものを感じられますか。
    宇野 第二期の三部作でいちばん「好き」なのは『オーズ/OOO』ですね。人間の欲望がメダル=貨幣に変化して、その集積からグリード=キャラクターが生まれるという設定にはゾクゾクしましたよね。終盤のアンクの死をめぐるエピソードは、実にキャラクターという、言ってみれば僕らが愛さないと存在しない半透明の存在だからこそ描ける展開で、素晴らしかったと思います。資本主義の中から生まれた幽霊、貨幣の交換が生む余剰の結晶としてのキャラクターという存在を突き詰めたエピソードですよ。あれは2・5次元で描くからこそ活きた物語だったはずです。
    ただ、『オーズ/OOO』は放送コードの関係なのか個々のエピソードや表現にこの作品のヤバいところがきれいに隠蔽されていたのが惜しいんですよね。 
  • なぜチャットは「部屋」なのか(稲葉ほたて『ウェブカルチャーの系譜』第3回)☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.209 ☆

    2014-11-26 07:00  
    220pt

    なぜチャットは「部屋」なのか(稲葉ほたて『ウェブカルチャーの系譜』第3回)
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.11.26 vol.209
    http://wakusei2nd.com


    本日のほぼ惑は、好評連載『ウェブカルチャーの系譜』をお届けします。前回連載では「現代のネットカルチャーの成り立ちを考えるために、その前史として『電話ユーザーたちのコミュニケーション』を考えるべき」という問題提起がなされました。今回は、80-90年代に一世を風靡した「ダイヤルQ2」「伝言ダイヤル」を振り返りつつ、富田英典・吉見俊哉らによる「電話コミュニケーション」批評の可能性と限界を考えます。
    稲葉ほたて『ウェブカルチャーの系譜』これまでの連載はこちらから。
     

    『ネット起業! あのバカにやらせてみよう』岡本呻也(文藝春秋・2000)という本の中に、iモード開始直前の時期に交わされたという、こんな会話が登場する。



     「浦島太郎みたいに浮世離れした人ですねえ。でも僕らは今、携帯電話に情報配信する商売をやってるんですよ。今からやるんなら携帯ですよ」
     真田はすばやく計算して言った。Q2の経験で、スポーツで売れる情報は競輪競馬、プロレスと、サーファー用の波情報のみ、と相場が決まっていたからだ。サーフィン人口はごく少数に過ぎないのだが、海岸にどのような波が立っていて、人出がどのくらいあるかという情報を求めている人は確実にいる。
     「携帯電話? なんじゃそりゃ。おおっ、これはいいかも」
     「サーフポイントの波の情報はどうやって取るんですか」
     「それは簡単だよ。藤沢にあるサーフレジェンド社が"波伝説"というのをファクシミリで流しているから、それをそのまま流せばよい。
     ところで何で堀君が真田君と一緒にいるの?」
     実は彼は、大学時代の堀の兄貴分でもあった。この浦島太郎は金の卵を持ってきてくれた。
     ドコモに持っていくと、「やってみよう」ということで、企画が通った。サーフレジェンドの、ダイヤルQ2時代以来の長年の実績がモノを言った。
    (出典:http://www.nin-r.com/uneisha/netbaka/511.html )

    この本が書かれたのは、20世紀末に巻き起こったITバブルの末期。いわゆるビットバレーの担い手の姿を活写したこの本は、現在インターネット上で全文公開されている。ここに出てくる真田とは、実は現在ソーシャルゲーム『ラブライブ!』などが大人気のKLabの創業者・真田哲弥である。そして、この真田が堀主知ロバートらと共同で設立した会社が、iモードなどへの携帯コンテンツ提供で大きく名を上げたサイバード社である。
     

    出典:http://lovelive.bushimo.jp/
     
    1985年の電気通信事業法の改正以降、民営化されたNTTは新規事業の展開を迫られる中で、矢継ぎ早に電話事業に関する新しい施策を繰り出してゆく。その中で起きたのが、電話の「多機能化」であった。
    電話を使ったテレホンサービスには、それ以前にもキャッチホン(1970年)や転送でんわ(1982年)などの利用者の利便性にフォーカスしたサービスが既に存在していた。しかし、この時期から矢継ぎ早にNTTが繰り出したのは、伝言ダイヤル(1986年)などの人間のコミュニケーションのあり方そのものに介入していくサービスであった。
    そんな「多機能化」が臨界点を迎えたのが、1989年に登場したダイヤルQ2(以下、Q2)である。それは、現代風に言えばテレホンサービスの「オープンプラットフォーム化」であった。Q2はそれまでの事業とは違い、利益をNTTが独占するのではなくて、電話回線を登録者に開放してサービスを開かせ、その決済代行の手数料徴収で回していくビジネスだった。そこでは教育や育児相談、あるいはコールカウントと呼ばれる世論調査システムなど、多彩なテレホンサービスが提供されており、株式やスポーツの速報を、新聞やテレビより早く伝えるチャンネルなども、高い人気を博していた。
    このビジネスモデルを聞けば、多くの人がお気づきだろう。音声による提供になっているものの、これは後にNTTドコモが携帯電話において、データ通信で行った「iモード」における情報提供サービスの原始的な形になっている。実は、真田はかつてこのQ2事業における風雲児だった。そして、そんな真田が社会的バッシングの中で会社を潰すものの、当時の知識を活かしながらiモードで再起してゆくというのが、先の本のクライマックスを成している。実はQ2で人気があったコンテンツは、波情報のサービスがiモードでも成功したように、後にガラケーで人気を博すようなコンテンツに似通っていたところがある。女性向けの占いサービスなどはその良い例だし、そもそもQ2上がりの人間が係るサービスも少なくなかったと聞く。
    とはいえ、多くの人はダイヤルQ2に対して――iモードとは違って――おそらく「出会い系」のイメージがあるのではないか。それもあながち間違っていない。実際、最終的にQ2で大きく収益を得たのは、そうした健全なインフォメーションサービスではなかったと言われている。そもそも、そうした単方向サービスはシステムの構築も運営もコスト体質で、ビジネス的な旨味には乏しかった。
    代わりに大きく発展したのは、「場所代」を取るサービスである。複数人の同時通話を可能にするパーティーラインや、相手に番号を知らせず電話をかけられるツーショットなどの、「多機能化」した電話サービスを利用した、コミュニケーションの場を提供する事業こそが人気を得た。それこそが、まさにここから取り上げていく、NTTの意図を大きく裏切って発展した、「出会い厨」のユーザーたちに向けられた「電話コミュニケーション」の場であった。
     
     
    ■「電話論」の限界とその可能性
     
    前回に予告したように、これから私は80年代の後半から可視化されていった電話ユーザーの生態を紹介していく。私が注目するのは、彼らが受話器の向こう側にイメージした匿名の「他者」と取り結ぶ関係のありようである。
    電話とは、本来は電話番号を知っている知人と一対一で通話するためのツールに過ぎなかった。しかし1985年以降、NTTは電話を多機能化させる中で、結果的に後のインターネットに通じる二つの機能を導入した。一つは、電話番号を互いに知らせず、匿名性を保ったままで互いに電話する機能。これを一対一で行えたのが、後に社会問題となり「公営のテレクラ」とまで非難されたダイヤルQ2のツーショットである。また、NTTは一対一で通話を行うだけでなく、複数人で回線を共有して、リアルタイム(=同期型)にコミュニケーションを行えるパーティーライン(1989年開始)や、バラバラの時間(=非同期型)に録音メッセージを吹き込んでコミュニケーションできる伝言ダイヤルの機能も提供した。
    つまりは、コミュニケーションにおいて匿名/実名、一対一/多人数、同期/非同期などを選択できるようになった結果、受話器の向こうにイメージする他者との関係が多様化したのである。そして、驚くべきことに、そうした各々のシチュエーションにおける電話のコミュニケーションは、現代のネットユーザーの姿によく似ているのである。これがインターネットとは関係のない場所で成立したがゆえに、それは示唆的であるし、まさにそれ故にこそ私はここから議論を始めるのだ。
    ここからは、以下の3つの本の著者の議論を紹介しながら、どのように電話ユーザーたちが「他者」との関係を取り結んだと、彼らが考えたかを紹介していく。まず、一人目はダイヤルQ2研究を行った『声のオデッセイ―ダイヤルQ2の世界 電話文化の社会学』(恒星社厚生閣・1994)の富田英典、二人目は電話論の古典となった『メディアとしての電話』(弘文堂・1992)共著者の一人で都市論や万博の研究でも有名な吉見俊哉。そして、三人目は伝言ダイヤルのナンパについて論じ、後年『「携帯電話(モバイル)的人間」とは何か―"大デフレ時代"の向こうに待つ"ニッポン近未来図"?』(宝島社・2001)を著した浅羽通明である。彼らは三者三様のやり方で、80年代後半から登場した電話ユーザーたちに光を当てた。
     

    ▲『制服少女たちの選択』宮台真司(朝日文庫・1994=2006)
     
    ただし、彼らの論を見て行く前に、そこに孕まれたある種の限界を指摘しなければならない。社会学者の宮台真司は『制服少女たちの選択』(講談社・1994)で、電話にまつわる既存の社会学的言説を数十ページにわたって徹底的に批判している。宮台の苛立ちは、おそらく多くの「電話論」がそのコミュニケーションを、現実と切り離された仮想的な共同体として描くことで、背景にあるリアルの社会的文脈に目を向けないばかりか、その問題を温存してさえいる点である。強烈な調子の批判が延々と続いた最後に、宮台はこう言い放つ。

    わたしは、電話や「電話風俗」にかかわるコトバは、一種の踏み絵かリトマス試験紙のようなものだと感じている。そこには、メディア周辺に生じる一見新奇な現象を、「メディアが開く新たな身体性」(という神話!)に帰責したり、「理解不能な若者」(という他者性!)に帰責したりするような、陳腐で怠惰な物言いがあふれかえっている。そこでは「ニューアカ的共同体」と「赤提灯的共同体」がともに臆病に温存されるばかりで、問題の本質はいつまでたってもおおい隠されたままだ。「電話風俗」や「ブルセラショップ」や「アダルトビデオ」の取材で出会った何十人もの「普通の」――メディアが煽り立てる「フツーの」では断じてない!――女の子たちは、そのことをわたしに教えてくれるのである。
    (『制服少女たちの選択』宮台真司,講談社・1994,p116-p117)

    宮台のこの指摘は、まさに3人の論に見事に当てはまる。実際、匿名の電話コミュニケーションが基本的にリアルでの出会いを目的とした「電話風俗」であったことに対して、特に富田と吉見に顕著であるが、彼らはそこに言及しながら、しかし理論に組み込むのを奇妙に拒絶する。そのことが、いま読むと彼らの論に一種の"ニュータイプ論"的な若者論にありがちな寒々しさを与えているのもまた否めない。
    現実問題、今となってはネットのヘビーユーザーやサービス事業者であれば、匿名の、それも一対一を基調としたコミュニケーションが「出会い系」の温床であるのはほとんど常識に近い。その意味では、この宮台の指摘こそが、現代のネットユーザーの本質に迫っているという言い方もできるだろう。だが、これは奇妙な逆説なのだが――実はこの「出会い系」の側面を否認することで彼らの論に生じた歪みこそが、かえって当時の電話よりも、後世のインターネットユーザーを上手く映しだしてしまった面もあるのである。
    もちろん、そこには今なおネットの多くの場所が匿名的な、リアルと切り離された「仮想空間」としてイメージされている事情もある。「イメージされている」というのは、いかに「仮想空間」で匿名のコミュニケーションに興じているように見えようと、必ず全てのコミュニケーションは「現実空間」に通じているからだ【註】。なにせ会話の中で待ち合わせ場所や連絡先を教えてしまえば、その瞬間にすぐさま「出会い」という「現実空間」へと繋がる穴が穿たれる。故に人気のSNSやメッセンジャーの運営はカスタマーサポートコストが悩みのタネになる。そもそも優れたコミュニケーションサービスとは、人間と人間を効率的にマッチングする仕組みのことであり、それは常に優れた出会いを提供する仕組みたらざるを得ないのである。
    この全ての"バーチャルな"コミュニケーションにぽっかりと開く「出会い系」という穴に対して、そしてナンパ師を自称して「何十人もの」フィールドワークを重ねたと豪語する宮台のリアリティに対して、以下の3人はあまりに無防備である。だが、そこから目を背けた故に記述された、彼らの議論に秘められたポテンシャルもまた存在する。なぜなら彼らの知性は結果的に、一種の不可知論としての他者が、いかにコミュニケーション過程で把握されるかという、対面でのそれにすら孕まれる高度に普遍的な課題に挑んでいたからである。その確認から、まずは私たちは始めよう。
     
    【註】逆に言えば、コミュニケーションが自然に生じさせるリアルへの穴を無理矢理に塞いだときに、そのプラットフォームは「仮想空間」へと近づいていく。アバターサービスやオンラインゲームの企業で、カスタマーサポート部署が果たす大きな役割は、ある意味でそこにある。彼らは、いわば現代のアトラスである。後に私たちはアバターサービスの発展史を記述する際に、この「仮想空間」と「出会い系」の関係を再び見ることになるだろう。
     
     
    ■富田英典:インティメイト・ストレンジャー ――1.自己を反射する鏡としての「声」
     
    私たちは前回、電話の戦後史を文芸批評家・江藤淳の「閉された言語空間」を出発点として記述した。その江藤淳が田中康夫の小説『なんとなく、クリスタル』を絶賛したのは1980年。それから5年後の85年のプラザ合意の頃から始まった円高基調は、そこで田中康夫が描いた享楽の消費社会の風景を日本に本格的に展開してゆく。同時にこのプラザ合意の年は、電電公社がNTTに民営化された年でもあった。
    社会学者の富田英典がQ2の研究を行った著作『声のオデッセイ ダイヤルQ2の世界――電話文化の社会学』(以下、『声のオデッセイ』)の冒頭は、そんな電話の「多機能化」と消費社会の進展が歩みを揃えた時代背景を、こう表現する。
     

    ▲『声のオデッセイ』富田英典(恒星社厚生閣・1994)

    ダイヤルQ2のリカちゃんダイヤルは、ダイヤルQ2の本質を突いている。ダイヤルQ2で人気をよんだ「アダルト番組」「パーティーライン」「ツーショット」などは、大人向け、あるいは青少年向け「リカちゃん電話」なのである。ポルノ雑誌のグラビアで微笑む若い女性の声が聴けたり、AV女優が、直接、電話でしゃべってくれる。それは、着せ替え人形の「リカちゃん」の声が電話で聞ける「リカちゃん電話」と同じ構図である。
    (『声のオデッセイ』p4)

    「リカちゃん電話」とは、1967年に始まった老舗テレホンサービスで、普段は聞くことのできないリカちゃんの声が聴けるサービスだった。この文章は、消費社会の中で流通するシミュラークルとしての商品に対して、人々が求める現実的な手触り――例えば、好きなグラビア女優の声を実際に聴きたい、というような――への欲求に擬似的に応えるものとして、当時のQ2があったことを示唆している(ちなみに21世紀の日本人は、そんな欲望を「握手会」という大変にアナログな形で満足させている)。
    しかし一方で、2014年にこの文章を目にする私は、この富田の言葉たちを単純に奇妙に思う。例えば、パーティーラインという機能は、本当にリカちゃん電話に喩えられるべきものなのか。少なくとも、こちら側からも話しかけていくのを基本とする「能動的」な双方向メディアであるパーティラインを、録音された声を流す「受動的」な単方向メディアにすぎない「リカちゃん電話」と同列に語るのは、やはり座りが悪くはないか。匿名での一対一の通話であるツーショットにも、やはり同様の指摘は可能である。そもそもを言えば、先にも記したような実際に出会う「電話風俗」の側面を考えても、虚構の音声にすぎないリカちゃん電話と比較するのはおかしい。
    この冒頭に象徴される奇妙な「受動性」は、実は富田がこの本で展開する、多岐にわたるQ2文化の紹介と分析のあらゆる場面を覆う基本的な態度である【註】。とにかく、この本は「声の消費者」としての聞き手の立場からのQ2分析が多い。もちろん、電話における会話の分析が、どうしても聞き手のインプレッションを問うものになるのは仕方ない面はある。だが、実はこれは富田の、匿名的なコミュニケーションを行う電話ユーザーに対する理論的立場が要請するものでもある。
    富田の電話ユーザーに対する理論的立場――それを一言でいうならば、「互いの声を自分に都合よく消費し合う関係」である。だが、問題はそこにおける消費の内実である。
    その彼の理解が最も鋭く現れているのは、この本の最後に登場する、途中でリサーチを辞退したという、とある調査対象者の女性の告白ではないだろうか。そのQ2ユーザーの女性は、あるとき「相手の男性が、全部同じ人の声に聞こえてきて怖い」というメッセージを残して、富田の調査を突如辞退したという。それを富田は、耳を澄まして消費しなければいけないような微妙な声の差異がどうでもよくなったからこそ、彼女には全てが同じ声として聞こえるようになったのではないかとする。そして、こう言い放つのである。

    彼女が恐怖を感じた「電話の声」とは、現代の高度化した消費社会と情報社会に魂を売り渡してしまった私たち自身の声だったのである。
    (同書p149)

    Q2の匿名的なコミュニケーションにおいて、人々は発話に微妙な差異を見出そうとするが、本質的にはそこで人々が耳を澄ましているのは自分たち自身の声にすぎないという、結論だけ聞くと奇怪でさえある認識がここにはある。つまり富田にとって匿名での「電話の声」とは、究極的には自分を映し出す鏡のようなものとしてある。そのことを論証してゆくのがこの本なのだ。いわば富田にとって聴き取られた声とは、そのまま私の話す声でもあり、故にこそ聞き手としての立場に固執することが要請されるとも言える――しかし、なぜそうなるのか。
     
    【註】富田は本書で複数の電話ユーザーが通話するパーテイーラインにも紙幅を割いているが、その際に注目しているのも、やはり後のネット用語でいうところのROM専にあたる、会話に参加せずにただ受動的に聴くことだけを目的としたユーザーたちなのである。彼らは「モニター君」「無言クン」と呼ばれていた。余談だが、富田によれば聴くだけでありながらも同意や不満だけは電話のピッピ音で表明する「ピッピ君」と呼ばれたユーザーたちもいたという。これなどは、Twitterのふぁぼやいいね!ボタン程度の中間的な会話への参加を、当時のユーザーたちも欲望の水準で求めていたという事例になっているであろう。なお、パーティーラインについて、本稿では扱わない。しかし、それがどういう場であったかは、以下の2chスレを読めば、おそらく"(察した)"となるのではなかろうか……と思う。
    http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/mukashi/1335389029/
     
  • 東洋の〈個人〉の在り方に根差したアートのかたちとは——?「初音ミクの生みの親」クリプトン・フューチャー・メディア伊藤博之インタビュー ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.208 ☆

    2014-11-25 07:00  
    220pt

    東洋の〈個人〉の在り方に根差したアートのかたちとは――?「初音ミクの生みの親」クリプトン・フューチャー・メディア伊藤博之インタビュー
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.11.25 vol.208
    http://wakusei2nd.com


    いよいよ来年1月末に発売が迫った「PLANETS vol.9(特集:東京2020)」。オリンピックの裏で開催される文化祭計画を徹底的にシュミレーションする「Cパート=Cultural Festival」ではメイン記事として、KADOKAWA代表取締役専務の井上伸一郎さん、グッドスマイルカンパニーの安藝貴範さん、クリプトン・フューチャー・メディアの伊藤博之さん、そして夏野剛さん(慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科特別招聘教授)が参加した座談会「世界を大いに盛り上げるための文化祭計画2020」が収録されます。
    今回はその先取り記事として、「初音ミクの生みの親」であるクリプトン・フューチャー・メディア代表、伊藤博之さんへの単独インタビューをお届けします。初音ミクとN次創作の連鎖から見えてきた「評価経済」へのパラダイムシフト、そして東洋の〈個人〉の概念に根差したアートのかたちとは――? 札幌を拠点として活動する伊藤さんにスカイプを繋ぎ、宇野常寛が徹底的にお話を伺いました。


    これまでにお届けしてきた「PLANETS vol.9(東京2020)」関連記事はこちらから。▼プロフィール伊藤博之(いとう・ひろゆき)
    北海道大学に勤務の後、1995年7月札幌市内にてクリプトン・フューチャー・メディア株式会社を設立、代表取締役に就任、現在に至る。アメリカ、ヨーロッパなど世界各国に100数社の提携先を持ち、1,000万件以上のサウンドコンテンツを日本市場でライセンス販売している。会社のスローガンは、『音で発想するチーム』。DTMソフトウエア、サウンド配信サービス、音楽アグリゲーター、3DCGコンサートシステムなど、音を発想源としたサービス構築・技術開発を、フラットな社内体制のもと日々進めている。「初音ミク」の開発会社としても知られており、2014年5月にはLady Gaga北米ツアーのオープニングアクトに抜擢。同年10月にはMIKUEXPO in ロサンゼルス/ニューヨークを開催し、CBSテレビ、New York Timesなど大手のメディアにて特集される。2014年10月にクリエイティブ活動のハブを目指す「MIRAI.STカフェ」を札幌市にオープン。北海学園大学経済卒。北海道情報大学客員教授も兼任。2013年11月に新産業創造が評価され藍綬褒章を綬章。
     
    ◎聞き手:宇野常寛/構成:中野慧
     
     
    ■東京の「東側」を活用せよ
     
    伊藤 このあいだの座談会企画(『PLANETS vol.9』収録の「世界を大いに盛り上げるための文化祭計画2020」)は面白かったですよね。「コンテンツ業界は2020年に向けて、企画やアイデアを出し惜しみしていないで全部出してしまうべき」というのは本当にそのとおりだな、と思いました。
    宇野 この五輪の裏で開催される文化祭計画については実際の誌面で細かく発表していて、五輪で中心地となる湾岸エリアが盛り上がっていることが考えられるから、逆にそこで置いていかれる池袋や原宿、秋葉原のような旧市街を盛り上げようということを考えています。
    この地域では、2014年現在すでに中バコがたくさん整備されつつあるので、そういうハコを使って2週間から3週間、どこに行ってもヴィジュアル系、アニソン、ボカロのコンサートが何かしらやっているというようなイメージで誌面では提案しているんです。
    伊藤 僕は仕事でしょっちゅう東京に来ていますが、あえて歩き回ったりして土地の雰囲気を味わうのがけっこう好きなんですよ。そこで思ったのは、東京の東側ってけっこう面白いですよね。このあいだも馬喰町のあたりで打ち合わせがあったので少し周辺を歩いてみましたが、川に停泊している屋形船だったり、昔から続いている靴屋さんだったりとか、歴史の古層を感じさせるものがたくさんあります。その部分はもう少し有効に活用できるんじゃないかと思ったりするんですよ。
    宇野 僕の友人の張イクマンという香港の社会学者が「日本人は東京の文化は西側にあると思っているけど、外国人にとっては浅草、秋葉原、ビッグサイトを南北につなぐラインこそが東京の観光地なんだ」と言っていて、それがすごく印象に残っているんです。伊藤さんがおっしゃっているのは、そのラインの湾岸より北側、つまり隅田川周辺のエリアのことですよね。
    伊藤 そうですね。それと、東京って地図上では平坦に見えるんだけれどもアップダウンがけっこうあったり、埋立地があったりと地形も変化に富んでいますよね。時系列で街の構造自体がすごく変化していて、そういう東京のダイナミックさをもっと味わえたら面白いんじゃないかと思いますね。
    ヨーロッパのパリとかロンドンみたいな街って「ここは200年もの長いあいだ続いていて……」という場所がたくさんあるけれど、それと対照的に東京って「変わる」ということに対してすごく寛容で、長期でみた構造的な変化が面白い街なんじゃないかな。その「動き」を、たとえばテクノロジーを使って感じられるようにできたらな、と。
    宇野 『機動警察パトレイバー』の映画版第1作で押井守が――ちなみに彼は大田区出身なんですが――「東京は次から次へと塗り替えすぎていて、風景がすぐに変わっていってしまう」と批判的に描いていましたが、今の伊藤さんのお話ってその状況を逆手に取ってエンターテイメントにしてしまおうということだと思うんですよ。
    実際、今はIngressのような位置情報を使ったゲームアプリが出てきていて、その技術を上手く使えば、スマホを使ってアースダイバーやブラタモリみたいなことができる。たとえば高田馬場だったら「駅からこれぐらい離れた場所に実際に『馬場』があったんだ」とか、隅田川周辺だったら「ここは今はただの高架下だけど、昔は賑やかな船着場だったんだ」とか、そういう「過去の東京」を情報技術を使って味わわせていく。そういったアイディアは面白いかもしれないですね。
     
     
    ■今のサブカルチャーは「文化財」として残っていく?
     
    伊藤 このあいだ東京デザイナーズウィークに行ったら、いろんなクリエイターが葛飾北斎をオマージュして作品を出している場所があったんですね。そこで改めて思ったのは、北斎のあのとんでもない構図のチョイスとかって、やっぱりギャグというか、一種のユーモアでやっていたんじゃないかな、と。そういったセンスって現代の漫画のなかにも必ず受け継がれていると思うんですよね。
    宇野 北斎の浮世絵って今でこそ重要文化財のように扱われているけれど、江戸時代当時は庶民の娯楽、サブカルチャーだったわけですよね。『P9』で収録される座談会でも話したことですが、戦後のキャラクター文化はこの先サブカルチャーとしてのリアルタイムの力を失って文化財になっていく。そのときに残すべきものをどう残し、日本文化史のなかに位置付けていくかが課題になってくると思うんです。
    伊藤 その意味では、芸術作品のクオリティだけではなく、クリエイトする側の人のプレゼン能力がすごく重要になってきます。いかに「この丸めたティッシュが一億円の価値があるか」をプレゼンしていくかによって、人々に受け入れられて残っていくか、そうでないかが変わってくる。
    日本って、どうしても「◯◯道」とか言って、「何も言わないでコツコツつくる職人的なあり方が美しい」とされていて、モノ言うクリエイターが評価されづらいんですよね。
    やっぱり浮世絵は、それに影響を受けたゴッホやロートレックのような画家たちが評価されることによって、その起源として間接的に評価されましたよね。つまり日本から自分たちでその価値を発信したものではないわけです。
    宇野 日本発でグローバルに評価されているカルチャーって、浮世絵や民芸、現代ならアニメがあると思いますが、基本的には大衆文化なんですよね。その大衆文化が「アート」として振る舞うには基本的に「西洋から発見される」という回路しかなかった。でも、それだと自己発信ができなくなってしまう、というのが伊藤さんが持っていらっしゃる問題意識なんですよね。
    伊藤 「国がバックアップしよう」という話もよく出てきますよね。もちろんそういうことは戦略的には重要なんですが、確信犯的に自分たちのやっていることをブランディングしていく意識を持っている、たとえば猪子寿之さんのような人がもっと出てきてくれたらいい。今後は世界に向かってプレゼンできるスターをいかに育てられるかが重要だと思います。
     
     
    ■MIKU EXPOでのプレゼンテーションは「いかに創作の裏側を見せるか」
     
    宇野 だとすると、同時にこの2020年というタイミングは、日本のキャラクター文化にとって自画像を描かされるタイミングになると思うんです。そしてその自画像は、しっかりと伝統的な日本文化と接続されていないと海の向こうに出て行くことはできない。
    伊藤さんのクリプトン・フューチャー・メディアは、今年も様々な場所で初音ミクの海外公演を行ったりしていますよね。そこではいまおっしゃられたような問題意識は反映されていたりするんでしょうか? 
  • 月曜ナビゲーター・宇野常寛 J-WAVE「THE HANGOUT」11月17日放送全文書き起こし! ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.207 ☆

    2014-11-24 07:00  
    220pt

    月曜ナビゲーター・宇野常寛 J-WAVE「THE HANGOUT」11月17日放送全文書き起こし!
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.11.24 vol.207
    http://wakusei2nd.com


    大好評放送中の、宇野常寛がナビゲーターをつとめるJ-WAVE「THE HANGOUT」月曜日。毎週月曜日は、前週分のオンエアの全文書き起こしをお届けします!

    ▲前回放送はこちらでもお聴きいただけます!
     
     
    ■オープニング・トーク宇野 刻は午後11時30分を回りました。皆さんこんばんは、宇野常寛です。はぁ……みなさん、ここで一つ悲しい報告があります。私、宇野常寛は、本日11月17日をもちまして36歳になってしまいました。いやー、誕生日だからといって特に変わったことはしませんでしたね。単に、また一つ、言い訳の出来ない年に近づいていったっていう感じですね。30代後半はもう青年とは呼ばれないわけですよ。現に、僕は今日もずっと仕事していましたからね。誕生日にいつも行っているレストランがあるんですけど、今日は月曜日で、そのお店も休みだったんですよ。なので、唯一考えていた誕生日らしいこともせずに、黙々と夜まで仕事をしていました。
    で、先週と同じように、今日も僕は高田馬場から六本木まで1時間半くらいかけて歩いてきたんですけど、J-WAVEのスタジオに入ったら、スタッフの机にでかいものが置いてあるんですよ。「うわっ! これもしかしてもしかする!?」みたいな感じで、2個置いてあって……はい、1個はスタッフからのプレゼントです! 本当にありがとうございます! 僕が常に黒いジャージを着ているから、新しいジャージを買ってあげよう的な運動がスタッフに起こったらしくて、僕がたまに履いている靴の色と合わせることを意識してくれたと思うんですけど、灰色に蛍光グリーンのラインが入った、アディダスのジャージをもらいました。本当にありがとうございます! 鈴木D、日浦P、トニーさん、本当にありがとう! ということで、スタッフからプレゼントもらいましたよ。あと、もう1個でっかいのがあるなと思って開けてみたら、なんとリスナーさんからお花を頂きました! メッセージを読みますね。これは、ラジオネーム、宇野ZERO改め宇野HANG補完委員会さんです。
    「こんばんは。そしてお誕生日おめでとうございます! また、宇野さんのトークが聞ける時が来るなんて嬉しすぎます。これからも宇野さんらしいラジオを期待していります」
    これ、僕が前にやっていたラジオの熱心なリスナーさんのグループが送ってくれたみたいです、すごく立派な花ですね。本当にありがとうございます! こんなに誕生日祝ってもらったことって、久しく無いですね。たしか、2011年の震災の前くらいに、ニコニコ生放送の大きい番組の出演が誕生日とかぶっていて、その番組終了後にサプライズで祝ってもらったとき以来ですね。震災後初って感じですよ。正確に言うと、その間に一回、編集仲間みたいな人たちがサプライズで、僕の誕生日を高田馬場のコットンクラブというカフェで祝うっていう企画が動いていたらしいんですけど、そのときは、僕が普通に風邪をひいて「ごめん、今日風邪ひいて飲み会行けない」ってLINEを一言入れて終わらせてしまったというね、本当に駄目なエピソードがあるんですけどね(笑)。はい、本当に、久しぶりに嬉しいです! 今日はひたすら地味なフリー文筆業者として36歳最初の一日を過ごした僕ですが、ここ六本木ヒルズ33階のJ-WAVEから、残り30分の誕生日を、自主的に誕生日っぽく盛り上げていきたいと思います。それではJ-WAVE「THE HANGOUT」今夜もスタートです。
    J-WAVE深夜のたまり場「THE HANGOUT」月曜担当ナビゲーター、宇野常寛です。36歳はもう中年ですからね。言葉の定義上……僕がドラマとか小説の評論を書いていて、36歳の登場人物が出てきたとしても、そいつを「青年」とは表現しませんからね。36歳って、あのシャア・アズナブルが逆襲した年よりも2歳も上なんですよ。あいつ、34歳で反乱を起こして、アクシズを落とそうとして失敗して死んでいるんでね(『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』)。もうその年よりも2歳上になっちゃったわけですからね。
    はい、それでは僕は公共の電波を使って、36歳の抱負を発表したいと思います。まずひとつ! 体重を50キロ台に戻します。昨日、落合陽一くんっていう僕が最近プッシュしている若手アーティストと日本橋でトークイベントをやったんです。イベント終わりで友人の結婚式にも行って、その日は、すごく写真を撮られた一日だったんですよ。それで、今朝Facebookを見ると、昨日の写真がバーっと公開されているんです。それを見た時に、「誰だこいつは……?」って思うわけですよ。「顔、丸っ! お前アンパンマンかよ!」みたいな。「僕の顔、おたべかよ……あんこ詰まってんのかよ……」みたいな感じなんですよ。これはね、ヤバいなと思って。僕、一時期は58キロだったんですよ。身長が181cmくらいなので、結構やせ形だったんですよ。それが2012年くらいのことだから、3年くらいで7、8キロ太っちゃっているんです。
    みなさん、7、8キロの肉を想像してみて下さい。あなたがスーパーのお肉コーナーに行く。そして、ショーケースの中に8キロの肉を発見する。さぁ、その体積はどれくらいでしょう。ゾッとするでしょ? 僕はそれをどう削ぎ落とそうかと思って、僕は最近本当に、1日7kmくらい歩こうと思っています。今の僕にできことは二つですね。目の前にあるものを食べないこと。そして、1日7km歩くことですね。僕は高田馬場に住んでいるので、山手線の内側の用事なら、ほぼ対角線上にある東京駅までで7、8kmなんですよ。だから、山手線の中を歩くってルールにしようかなって思っていますね。
    はい、宇野常寛36歳の抱負、二つめは、一分一秒を無駄にしない。36歳になると、自分の人生の残り時間とかを考えちゃいますね。自分が絶対やりたいことを成し遂げるためにも、時間を無駄にしちゃいけないなと思って。なので、夜寝る前に、意味もなくWikipediaで「マリー・アントワネット」とか「クリミア戦争」とかについて調べて、だらだら3時間とかつぶすのはやめようと思いました。あと、「あんかけ焼きそば」ってどこで発祥したんだろう? とか、時々気になって調べるんですよね。「レッサーパンダ」って具体的には何の仲間なのか? とか。ちょっと寝付けないときにWikipediaと見ると、気がついたら2、3時間経っているんですよ。あの時間をもっとクリエイティブにしようと思っています。
    はい、これで最後、三つめの抱負は、楽しむことです。やはり、人間楽しそうにしないと能力を発揮できないんですよね。ほら、『ダークナイト』のジョーカーがなぜ強いかというと、あいつが楽しんでいるからじゃないですか。真面目に正義を実行しようと思っているバットマンとかトゥーフェイスとかよりもジョーカーの方が強いんですよね。あいつは悪さをすること自体が楽しくて、手段と目的がイコールだからあんなに能力を発揮できるんですよ。僕らだって、ゲームにはまっている時とかそうじゃないですか。人間、手段と目的がイコールの時に、いちばん能力が発揮されるので、僕は楽しいことをどんどん仕事にしていこうと思うし、自分が楽しいと思えないことはなるべく断ろうって思いました。なので、僕は人生、仕事を楽しむ。これが一番大事な気がしますね。以上、これが僕の、36歳の抱負です。
    はい! とか言いつつ、毎週YouTube Liveの中継でだんだん僕が膨らんでいったら、僕は物書き、言論人としての信頼を失っていくんでしょうね。まぁ、そんなことも思いつつ(笑)、この番組は夜更かし族のみなさんのたまり場です! ツッコミや質問も大歓迎。皆さんの積極的な番組参加をお待ちしております。ハッシュタグは#hang813です。メールの方はこの番組のHPのメッセージボタンから送って下さい。YouTube Liveではスタジオの様子を同時生配信中です。そして、毎週月曜日は番組終了後、ニコニコ生放送のPLANETSチャンネルで延長戦をやります。番組内で語りきれなかったことなど、さらにディープに語ります。
    と、いうことで、宇野常寛が今夜もナビゲートJ-WAVE「THE HANGOUT」
    今夜の1曲目は、初心に戻るという意味を込めて、僕の原点とも言えるこの1曲をお聴きください。石原慎一で「仮面ライダーAGITO」。
    ~♪
    宇野 「目覚めろ、その魂」はい、お届けしましたのは、石原慎一で「仮面ライダーAGITO」でした。
    はい、あらためましてこんばんは。月曜担当の宇野常寛です。このあと11時55分頃からは、南沢奈央ちゃんのNIPPON SEKIJUJISHA "GAKUKEN" The Reason Whyのお時間です。そしてJ-WAVE「THE HANGOUT」各曜日のナビゲーターが毎週共通のテーマを語る、シェア・ザ・ミッションのコーナー。今週は睡眠について語ります。そして、アナーキー・ミュージックシェアのコーナーでは、J-WAVEの他の番組では絶対かからないであろうアニメソング、特撮ソング、アイドルソング、映画やドラマの主題歌や劇伴などなど、アナーキーな1曲をリスナーの皆さんのセレクトでお届けしちゃいましょうというコーナーです。メールの方、まだまだ受け付けていります。J-WAVE「ワコーズ」のメンバーが様々なベンチャー企業をリポートする「ワーカーズ・ディライト」のコーナーもお楽しみに。宇野常寛が深夜1時まで生放送でお届けします、深夜のたまり場「THE HANGOUT」ここで一旦お知らせです。
    ~♪
     
     
    ■フリートーク
     
    宇野 J-WAVE深夜のたまり場「THE HANGOUT」六本木ヒルズ33階、J-WAVE、Bスタジオから生放送。月曜日は宇野常寛がお送りします。メールたくさん頂いております。誕生日メッセージです、本当にありがとうございます。ラジオネーム、やーのさんです。 「宇野さんこんばんは。そしてお誕生日おめでとうございます。いつも人生の先輩として、ラジオのトークを聞かせて頂いております。誕生日と言えば、僕は今年で30歳になったのですが」この人30歳で、36歳の人を人生の先輩ってちょっと大げさですよね。でもね、悪い気はしないです(笑)。
    「10代の頃に思っていた30歳に比べて、大人になれていないような。でも、体は老けていないような。良くも悪くも若い気がしています。宇野さんは若い時の自分から見て、どんな感じでしょうか」
    うーん、そうだなぁ……時間が経つのが思ったよりも早いですね。これは死んでもやらなきゃいけないなとか、やりたいとか、この球は絶対に打ち返さなきゃいけないってやっているうちに、2年も3年も経って、そのことが心地良い緊張感にもなっているし、プレッシャーにもなっているって感じですね。ただ、やーのさんが言っている「自分が思ったほど大人になっていないな」って感覚は、誰でも思っているものだと思いますよ。というのも、大人になるとか成熟するっていうのは、僕は幻想だと思っていて、自分は年をとったらこんな境地にたどり着けるんじゃないかってぼんやりと浮かべているだけだと思うんですよね。そして、いつの時代も自分は大人になりきれていないというか、昔はちゃんとした大人がいたけど今はいないんだって幻想を追いかけながら、人は世代を重ねていくってことなんじゃないかと思うんです。
    みんな、40代や50代になると、最近の若者は未成熟だって話をするんですよねでも、そいつらが20代や30代のときは、自分たちは大人になれていないんじゃないかって話をするんですよ。ここから導きだされる結論は一つで、大人っていう概念自体が、幻想なんじゃないかということですね。僕はそう思っています。どちらかというと、年をとるとか大人になるってことは、36歳の僕の考えですが、何かを失っていく過程で見た方がいいですね。何か積み上げて立派になるんじゃなくて、だんだん人生の残り時間が少なくなっていって、これからできることよりも、できなかったことや、自分がやらなかったことの方が重くなってくることを、どう受け入れていくかという過程として捉えた方がいいんじゃないかなと思います。次のメールいきます、ラジオネーム惰弱野郎さん。
    「宇野さんは先日、朝ドラへの出演を人生の目標の一つに加えたっておっしゃっていましたが……」これあれですね、『花子とアン』に茂木健一郎さんが出た時に、俺も出たいなってことをツイッターに書いたんですけど、そのことですよね。みんなよく覚えてるなあ(笑)。
    「仮に大河ドラマに出演するとしたら、どんな役がいいでしょうか。『平清盛』でいうと、藤原信西の弟子で、後に清盛と決裂し、怒濤の清盛キックでボッコボコにされながらも罵声を浴びせ続け、最後は極刑に処された西行法師みたいな役をもし宇野さんが演じたら、いい意味でヤバいことになるんじゃないかなって思っております」
    これ嬉しいですね。なぜかというと僕は、西行演じた加藤虎ノ介さんの大ファンだからです。朝ドラの『ちりとてちん』にイケメン落語四兄弟が出てくるんですけど、加藤さんはそのなかで徒然亭四草っていう、ちょっとニヒルな感じの、何かあるたんびに「きつねうどんかけますか?」って口癖の、九官鳥だけを自分の友にしている孤独なイケメンの、すごく味のあるキャラクターをやっていて、僕は大好きだったんです。『ちりとてちん』が完結して2、3年経ってから、「PLANETS」っていう自分の雑誌で「ちりとてちん再放送記念特集」って超強引な特集を組んで、彼を取材してグラビアまで載っけていますからね。本当に嬉しいです。36歳の宇野は、加藤虎ノ介力を身につけて、西行法師を演じられるだけのオーラを手に入れますよ。本当に、『平清盛』で西行を演じる加藤虎ノ介さんが、松ケンにボッコボコに蹴られていていたんですけど、その時にカツラが外れないように、自分の頭を剃っていたんですよ。このプロフェッショナルの意識、すばらしいですね。僕はこうありたいです。本当に誕生日にラジオやっていてよかったなあ。これは本当に嬉しいです、あと1枚くらい読みましょう、ラジオネームおしゃべりオムライスさんです。
    「今日初めてメール投稿させて頂きます。私はいま大学生で、卒論に追われているのですが、宇野さんの『リトル・ピープルの時代』を読ませていただいてから、父性をテーマにした作品に興味を持ちました。とりわけアメリカ映画作品の父性の編成に興味を持ち調べている最中です」これ、普通に僕も興味ありますね。調べたら教えてほしいです。
    「前置きが長くなってしまいましたが、父性が喪失した、もしくはしているというテーマがあたり前に描かれていますが、2014年の今、これからハリウッド作品や日本のポップカルチャーで描かれるべき父性はどのような形だとお考えでしょうか?」
    これ、超大きいテーマで、これを語りはじめると10分くらいになってしまうので、超さくっと言いますね。それは、父親になること、父親であること、家長であることを、自分の存在意義に結びつけない。そういう父性ですね。お父さんになることとかお母さんになることを、あまり特別に感じないっていうことが、僕の考えです。人間は、自分は家長なのだから、父親なのだから、責任ある振る舞いをしなければと思うことによって、むしろ子供や奥さんを自分のプライドを保つための所有物にしてしまう。自分の人生を絶対に否定しないための、自分の人生に意味を与えるための、道具のように扱っちゃうことが僕はすごく多いと思うんですよね。なので、家族を愛するとか守るっていうことと、自分が存在する意味っていうのを、ある程度切り離した方がいいと思う。少なくともそこに100パーセント預けてしまうのは、僕はよくないなとずっと考えていて、なので、子供を産んで再生産していくんだけど、その一方で自分の存在意義はあまり家庭に置いていないっていう、そういった父性を考えることは出来ないかなって僕はずっと思っています。
    はい、この番組はあなたの参加をお待ちしております。 
  • 『アオイホノオ』『おやじの背中』『昼顔』からクドカン新作まで ―― 岡室美奈子×成馬零一×古崎康成×宇野常寛による夏ドラマ総括と秋の注目作 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.206 ☆

    2014-11-21 07:00  
    220pt

    『アオイホノオ』『おやじの背中』『昼顔』からクドカン新作まで―― 岡室美奈子×成馬零一×古崎康成×宇野常寛による夏ドラマ総括と秋の注目作
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.11.21 vol.206
    http://wakusei2nd.com



    テレビドラマファンの皆様、今回もお待たせしました! 3ヵ月に1度、日本屈指のドラマフリークたちが、前クールのドラマと次クールの注目作を語り尽くす「テレビドラマ定点観測室」。様々なドラマを見尽くしてきた目利きたちのコメントで、毎週の楽しみが倍増することをお約束します。


    ▶これまでの「テレビドラマ定点観測室」記事はこちらから。
     
    ▼プロフィール

    岡室美奈子(おかむろ・みなこ)

    早稲田大学演劇博物館館長、早稲田大学文学学術院教授。早稲田大学大学院博士課程を経て、アイルランド国立大学ダブリン校にて博士号取得。専門は、テレビドラマ論、現代演劇論、サミュエル・ベケット論。共著書に『ドラマと方言の新しい関係――「カーネーション」から「八重の桜」、そして「あまちゃん」へ』(2014年)、『サミュエル・ベケット!――これからの批評』(2012年)、『六〇年代演劇再考』(2012年)など、論考に「時間の国のアリス――逆回転の物語としての『あまちゃん』」、「不穏な身体からはにかむ身体へ――タモリと『テレビファソラシド』」、「ゾンビと『はけん』――メタ歌舞伎としての宮藤官九郎作『大江戸りびんぐでっど』」などがある。

     
    古崎康成(ふるさき・やすなり)
    テレビドラマ研究家。WEBサイト「テレビドラマデータベース」
    (http://www.tvdrama-db.com)
    主宰。1966年生まれ。編著に『テレビドラマ原作事典』(日外アソシエーツ)など。2011年〜13年度文化庁芸術祭テレビドラマ部門審査委員。
     
    成馬零一(なりま・れいいち)
    ライター・ドラマ評論家。主な著作は『TVドラマは、ジャニーズものだけ見ろ!』(宝島社新書)、『キャラクタードラマの誕生:テレビドラマを更新する6人の脚本家』(河出書房新社)。週刊朝日、サイゾーウーマンでドラマ評を連載。
     
    ◎構成:大山くまお
     
     
    宇野 それでは「テレビドラマ定点観測2014 autumn」を始めていきたいと思います。この番組では、三か月に一回、ドラマフリークが集まって前クールの総括と今クールの注目作に関して、皆さんと一緒に語っていきます。前回に引き続き、テレビドラマ研究家の古崎康成さん、ドラマ評論家の成馬零一さん、早稲田大学教授で演劇博物館館長の岡室美奈子さんをお招きしています。僕も含めてこの4人で熱く語っていきたいと思います。さっそく前クールの総括から入っていきましょう。みなさんにはいつも通り、夏ドラマのベスト3を選んでいただきました。
    古崎 『アオイホノオ』『昼顔』『聖女』です。
    成馬 『東京スカーレット』『アオイホノオ』『テラスハウス』です。
    岡室 『おやじの背中』『アオイホノオ』『ペテロの葬列』です。
    宇野 僕が『アオイホノオ』『ペテロの葬列』『昼顔』ですね。では、4人全員が挙げた『アオイホノオ』から取り上げましょう。
     
     
    ■オタク文化が歴史化したから描けた『アオイホノオ』
     
    古崎 『アオイホノオ』は、庵野さんなども実名で出てきたりして80年代はじめの様々な事象が雑多に出て来る原作をどうやって映像としてみせるのか、正直、見る前はなかなか難しい素材じゃないかと思っていたんですが、蓋を開けてみたら、見事に映像化されていてちょっと驚きました。むしろ原作を超えているのではないかとさえ思えました。スラップスティックでシュールな誇張描写でひきつけつつ、マンガを描くことの苦しみや葛藤、このうえない喜びと快感、といった心情が素直な心情でリリカルに描かれ、その両者の行ったり来たりする振幅の幅が大きくて画面に引き付けられました。ギリギリ、スレスレのところをうまく最後まで渡っていく。そのさじ加減が絶妙です。
    成馬 みなさんがTwitterなどで褒めているのは、原作をちゃんと映像化している部分じゃないですか。固有名や再現フィルムを使っているとか。僕の評価はちょっと違っていて、むしろ原作を変えた部分がすごく良かったです。もっと言うと、一番すごいのは(話を)終わらせたことだと思います。福田雄一さんは(原作者・島本和彦の)弟子だと自称するぐらいですから、原作の弱点をちゃんとわかっていて、いろいろなところを変えたんですね。しかも、その変え方がうまかった。それでいて原作者にも原作ファンにも嫌われないやり方ができていいる。あと、やっぱり俺にとっては黒島結菜が演じた津田さんですよね。
    宇野 俺も圧倒的に津田さん派。トンコ先輩にいくやつの気持ちがマジでわからない(笑)。
    成馬 原作漫画のミューズはトンコさんなんだけど、実はテレビドラマのミューズは津田さんになっているんですよ。だから、津田さんが消えた瞬間にこのドラマがガラガラガラっと崩れて、最後はきれいに終わるという構成になっているんだけど、その構造についてオタクの人たちが意外とわかってなかったのが、すごく面白かった。
    宇野 これ、アンケート採りたいよね。「あなたはトンコさん派ですか、それとも津田さん派ですか?」って。
    スタッフ じゃあトンコ派と津田さん派で、二択アンケートやりましょう。
    宇野 さあ、みなさんどっちでしょうか? 僕、この結果を写メって福田雄一さんにLINEしますよ。
    スタッフ 津田さん派が7割です。
    宇野 やっぱり津田さん派が7割だよねえ。
    成馬 焔くんの津田さんに対する半分馬鹿にしたぞんざいな扱いがすごくリアルですよね。オタクって、普通のミーハーな女の子をすごくぞんざいに扱っちゃう時期があるんです。本当は、ああいう子を一番大事にしなくちゃいけないのに。学生はみんな津田さんを大事にしなさいと言いたい。
    宇野 そう、まさに若さゆえの過ちだよね。
    成馬 いろいろ思い出して……「津田さんごめん!」って思いながら見てました(笑)。
    岡室 私は80年代にサブカルがどうやって出来てきたかがリアルにわかって、しかもドラマのつくり自体もすごくサブカル的で、自己言及的なところが良かったです。個人的には濱田岳の岡田斗司夫が大好きで(笑)。また岡田斗司夫本人が手塚治虫役で出てきたりするじゃないですか。そういう遊びもありつつ、安田顕とかムロツヨシなどのおっさんが大学生役をやっているのが妙にハマっていて(笑)。でも、何か切ない感じもあったり、絶妙な感じが面白かったですね。すごくハマりました。
    宇野 僕は挙げないでおこうかと思ったけど、やっぱり前のクールで一番楽しみに見ていたのは『アオイホノオ』なんです。言いたいことはいっぱいあるんですよ。ひとつは、仕事の先輩とかからさんざん聞かされてきた80年代のサブカルチャー史がもう歴史になっているという感動がありますよね。一方で、宮沢章夫的なサブカル史観がある。NHKの『ニッポン戦後サブカルチャー史』という本当にクズみたいな番組があって。まあ、それは置いておきますが。
    岡室 いや、それはちょっと置いておきたくない。私は素晴らしい番組だったと思っています。
    宇野 その話は後でまたしましょう(笑)。まず、『逆境ナイン』(映画)はそんなに好きじゃなかったんですよ。島本和彦のどこまで照れていてどこまで本気かわからないけど、やっぱり本気だというテイストを福田雄一さんはあまり処理できていなかった。8割はギャグだけど2割が本気で、その2割の方に本音があるのが島本和彦の見栄の切り方ですよね。当時はあまりうまく処理できていなかった。そんな福田雄一さんが、『THE3名様』と『33分探偵』と『勇者ヨシヒコ』を経て『アオイホノオ』をやった時に、もう完璧にマスターしているどころか乗り越えていた。福田雄一がずっと持っていた、堂本剛や山田孝之のようなナルシストっぽい役者を、愛をもって弄るテクニックで、島本和彦のテイストを映像の中で表現することに完璧に成功している。あれはもうヤバイぐらい高いレベルだと思うし、僕はそれが何よりすごかったと思う。
    成馬 少しフォローすると、福田さんは『逆境ナイン』では脚本だけですよね。笑いって、テンポや見せ方のさじ加減一つで大きく変わるので、福田監督のドラマは、脚本だけの場合は、どうしてもニュアンスが伝わらない場合が多い。そんな中、『勇者ヨシヒコ』シリーズと『アオイホノオ』が突出しているのは、福田監督が全話監督したことが大きくて、監督の良さが100%出ている。
    宇野 本質的に演出家だと思う。脚本家であると同時に。
    古崎 脚本の段階で、映像化されることの計算が入っているんですね。『なぞの転校生』の時も思いましたが、「ドラマ24」は映像としてどう見せるのかを先に考えて脚本を組み立てていく色彩が強い枠です。テレビドラマと映画との違いとして、昔からテレビドラマは脚本家のもの、映画は監督のもの、と長年言われてきました。これはテレビドラマがラジオドラマや生ドラマから生まれた存在であるがゆえ、映像より先に言葉(脚本)を優先する傾向が強いのです。80年代前半にはそれが行きつくところまで行って、テレビドラマの脚本が独立した文学作品であるかのように「シナリオ文学」とまで称され、倉本聰や山田太一、向田邦子などの脚本家のテレビシナリオが書籍として販売されていた時代があったほどです。しかし、4:3の小さな画面から今は16:9の大きな画面サイズになり、「ことば=シナリオ優先」のままでいいのか? 言葉の力よりもう少し映像側、演出側の力を生かしたほうがドラマが活性化するんじゃないの? という思いが多くの映像の作り手側の意識にはあり、そこをこの枠は制約も少ないがゆえに実現し、刺激を与えてくれている。今回はとりわけ福田さん自身が脚本だけでなく演出も担当されているのでそれが徹底して実現できています。『なぞの転校生』もそれを実践して成功していたけどまだ演出と脚本が別人だったのでここまではできなかった。それゆえ、脚本だけみると「隙」だらけなんですよね。「ここは映像化するとき考えよう」というような部分をあらかじめ用意している。あるいは「長さの関係から番組内には収まらないかも知れないが入れておこう」というようなこともなされていてそこはテレビドラマ放映版ではボツになってもDVDになったときに復活させている。したがって独立したシナリオ文学というものとはまったく異質の作りです。ですがむしろ映像とシナリオとが渾然一体として機能するにはこの方法のほうが優れているのではないかという、以前からフツフツとあった仮説が正しいと思わせてくれました。
    成馬 ただ、福田さんは基本的にめちゃくちゃ脚本はうまい人ですよ。仕事の関係で、放送が始まる前に全話読ませてもらったんですけど、やっぱり原作のいいところをちゃんと抜き出しつつ、弱点を補っている。
    宇野 原作より面白いというのは僕も同感です。原作は出たばかりの頃に読んでいたけど、ちょっとたるいと思っていたんです。普通に「へー、当時、大阪芸術大学ってこんなだったんだ」という伝記物としての面白さがほとんどで、表現として面白いとは全然思ってなかった。
    成馬 島本さんって基本的に自分に甘いですよね。それが作品の弱点になっていて、心地よいモラトリアム空間をなかなか先に進めることが出来なかった。でも、ドラマの脚本は、焔くんの女性に対する対応も含めて、「お前のここがダメなんだよ」と指摘している。そこから一気に中央突破した感じがします。
    岡室 私、さっきから柳楽くんのことを語りたくてしょうがないんですけど(笑)。ちょっと異様な存在感ですよね。
    宇野 もう瞬きしないし鼻の穴広げるしもう……福田雄一が三人目の逸材を見つけたって感じでしょう。あと、福田さんは今回、細かい武器の使い方がうまかった。たとえば小嶋陽菜が演じた凩マスミって、ちょっと美人なんだけど、見ようによっては微妙な感じですよね。あて書きで小嶋陽菜を使っているのに、地方の美大で主役をやっちゃいそうな女の子の感じが完璧に再現されている。あれってテレビ的なノウハウなんですよね。
    一同 うんうん。
    宇野 演出に凝れない分、キャスティングのうまさとか、あるある感によって、演出していくというノウハウを使っている。福田さんのテレビバラエティ作家としての能力がすごく活かされていたと思います。昔のフジテレビ的な、楽屋落ちやタレントいじりを基板としたテレビバラエティはこの10年で崩壊していると僕は思うんですけど、その中から細かいテクニックを抽出して、うまくドラマの中に散りばめている。あれは、みんな出来ているようで出来ていないテクニックですよね。
    あと、これはさんざん言われていることだろうけど、テレビドラマがなんちゃってだと、原作へのリスペクトとか背景となるジャンルへのリスペクトが全然ないんだけど、『アオイホノオ』は徹底的に調べ尽くして、関係者を巻き込んで版権も全部許可とっている。あれは地味に偉いと思う。なかなかできないよ、やろうと思っても。
    成馬 NHKの『あまちゃん』とか、TBSのクドカンドラマで磯山晶さんがやった権利関係の処理とか、そういうレベルの仕事ですよね。
    宇野 ただ、僕は『アオイホノオ』を見たとき、もうオタク文化は一段落ついたと思ったんです。オタク文化って戦後後半の一つの結晶なんだよね。戦後民主主義プラス消費社会の産物の一つがオタク文化。でも、今時のオタクって、ああいう屈折は抱えてないでしょう。二次元のキャラクターもカジュアルな趣味の一つになっている。勃興期だからこそ、ああいった才能が煌びやかに地方から出てくる状況があったわけで、そういう季節は終わっていく。だからこそ『アオイホノオ』のような歴史ものが作られるわけで、なんか寂しさを感じたな。まさに最終回に島本和彦本人が気のいい親父役で出てくるけど、あれはオタク文化の思春期が終わった瞬間だと僕は思うんですよ。みんな気づいていたんだけど、『アオイホノオ』であらためて思い知らされたんじゃないかな。福田雄一さんという、必ずしもオタクではない人間が、あそこまですごいものを作ってしまうということは、もう歴史だからなんだよね。フランス人でもなければフランス革命を生きていない池田理代子が『ベルばら』を描けるのは、フランス革命が歴史化されているからで、それと全く同じだと思うんです。
    岡室 すごい例え(笑)。
     
     
    ■最終話で火遊びをやめた? 『昼顔』古崎 『昼顔』は放送がすすむにつれて、マスコミや巷で話題にのぼっていきましたが、もともと井上由美子さんらしい緻密な構成が発揮され作品の質が高かった。これは前回の定点観測でも言いましたが、演出が『白い巨塔』の西谷弘さんで、黄金コンビの復活ということになるので最初から期待していたんですよ。ただ、井上さんも最近、中園ミホさんや大石静さんなどの華々しい女性脚本家の台頭の中でちょっと地味な扱いが続いていたのです。今回ようやく不倫ドラマというセンセーショナリズムで勝負に出て、再び注目が集まってきた形になっています。もともと井上ドラマは理詰めな構成が評価される人なんですけど今回はそこに登場人物の「情動」的な動きまでを計算に入れたことが新境地でしょう。中園さんや大石さんはどちらかといえば「情動」中心で人物を動かす傾向があるのですが、そういう他の作家の良い部分も自分の作風の中にとりこめた。しかも、単なる不倫ドラマじゃなく、社会の閉塞感からドロップアウトする人たちの姿を描いているという井上さんらしいクールな社会批評にもなっている。特に前半は「もう、こんな社会やめてみましょうよ」というような誘惑を視聴者向けにも発信していたところがすごかったですね。最後はテレビドラマとしてよくある無難な結末に収束させてしまってそこは賛否両論あるのでしょうけど。
    宇野 なるほど。『昼顔』は、ひたすらうまいってのが僕の感想です。井上さんはものすごくテクニックのレベルが高い人だし、西谷さんより映画が撮れない同世代の映画監督なんていっぱいいる。『容疑者Xの献身』はもちろん、『真夏の方程式』は原作が面白くないからあの程度のヒットだったけど、もう絵作りも芝居の見せ方も隙がないでしょう? 原作次第では傑作になっていた可能性がある。そういうメンツを筆頭に、美術もロケも含めて、すごく丁寧なつくりでをしていた。
    岡室 私は、あの最後が許せないんですよ。最後に上戸彩と吉瀬美智子が両方とも、なんで家庭に戻るのかがさっぱりわかんなかったですね。私は『金曜日の妻たちへ』で育ってきた世代ですが、『金妻』だと元に戻るにしても、やむにやまれぬ切なさがあって、切なさの中でみんな泣いたんですよね。でも、『昼顔』にはそういうのがない。
    成馬 僕、結婚していないんでわからないんですけど、なんで不倫ものってみんな好きなんですか?(笑) 「好きな人いるんだったらとっとと別れろよ、お前ら」って思いながら見ていました(笑)。
    岡室 そうなんです。最終話は「別れろよ、お前ら」という話なんですよ。どうしてあそこで家庭に戻れるのか。上戸彩夫婦なんて元サヤに収まろうとしても結局は別れるわけだし、一緒にいる根拠が何もない。子供もいないわけだし、今、結婚、離婚に関しては社会的な倫理って強くないじゃないですか。
    成馬 大石静さんの『クレオパトラな女たち』を見た時も、社会的なモラルに反することを何でも肯定しているのに最終話で「不倫だけは絶対だめ」みたいな部分が強烈に出てくるから、そのあたりがよくわからなかった。
    宇野 僕、『昼顔』の不倫はもっと大きなものの比喩だと思っているんです。上戸彩の旦那はいまどきの草食系男子で、超常識人で、結局不倫もしない。斎藤工の奥さんも、キャリアウーマンという言葉も馬鹿馬鹿しいくらいの普通に働いている女性で。すごく正しい人たちが描かれている。僕、『昼顔』が描きたかったのはそこだと思うんですよね。「政治的にも正しいし、倫理的にも正しいんだけれど、そんな連中の作る社会は超つまんねえよ」という。木下ほうかの編集長もそう。正論を言う程つまらない方向に向かっていく今の日本みたいなものを『昼顔』から僕は感じていた。
    古崎 書き手は、もっとすごいものを描いているつもりだったと思うんですよ。それは不倫じゃなくて、例えばこの世の中を変えてしまいましょう、もっと人間が気持ちよく生きていくような社会にしましょう、というぐらいのことを書いていたつもりなんですよ。テレビという誰でも見られる媒体を通じてそれを語ることの影響を重く感じて、ある種の気負いすらあったのですよ。だからこそ最後は異様に自粛しちゃったんだと思います。作り手にとっては物語がどこに帰着しようが究極のところはどうでも良かったぐらいなのかも知れない。かつて山田太一さんもドラマの結末というものは所詮は予定調和的なものになるもので、何を最終回に至るまでに描いてきたかが重要なのだ、と言っていましたがそれを地で行くような考え方だったのではないでしょうか。
    宇野 でも、『昼顔』はそれで良かったのか、という話なんですよ。
    成馬 冒頭と最後で火をつけることが象徴的に描かれているんだけど、むしろその放火で何かをぶっ壊したかったってことですかね。
    宇野 社会に火をつけたかったはずですよ。でも、「放火? 火遊びってよくないよね」みたいな感じで終わったから、ちょっとがっかりで。普通に考えたら上戸彩が焼身自殺して終わりでしょ? という。
     
     
    ■小泉孝太郎が才能を開花させた『ペテロの葬列』
     
    宇野 あと、みなさんが挙げているのが『ペテロの葬列』ですね。
    岡室 私、これまで小泉孝太郎をいいと思ったことがあまりなかったんだけど、あれを見ちゃうと原作を読んでも、小泉孝太郎の顔でしか出てこなくなる。それくらいハマりました。もちろん宮部みゆきの原作が面白いんですけど、それをドラマ化するにあたって全然失敗していない。構成もうまくいっていたし、リズムとかテンポとか、いろいろな意味で良かったですね。
    宇野 小泉孝太郎が気の弱い入り婿の役をやるということで出オチのキャストかと思いきや、すごい役者に成長したことをみんなに思い知らせたシリーズですね。
    古崎 『ペテロ』は良かったと私も思いますが、小泉孝太郎のキャラの造形は『名もなき毒』の時に既にできあがっていたものだと思うのです。そこはやはり続編ドラマ的な良さだと。0から1を創りだしていないということで私は3本のセレクトからは外したんですけどね。むしろ前作『名もなき毒』が「原石」のおもしろさがありました。平幹二朗の存在感が今作以上に立っていて作品の総括がしっくりしていました。またお話も数話ごとに転換する仕組みでこれはトータルとしてのまとまりという点では難点かも知れませんが、飽きさせなかった。
    岡室 『名もなき毒』と違った点として、井出さん役の千葉哲也がすごかったと思うんです。あれだけ嫌な人をやれるってちょっとすごい。
    宇野 あんな奴が職場にいたら、出社拒否になりますよね。
    岡室 小泉孝太郎演じる主人公の良いところに触れても、絶対更正しないところがすごい。そこがドラマの強度になっている。
    成馬 あの人もあの人で会社人間として生きてきた人生があって、上司に対しては泣いたり、家族を大事にしたりしている。そのあたりが嫌ですよね(笑)。
    宇野 『名もなき毒』になくて『ペテロ』にあるのは女優の良さだと思う。ハセキョー(長谷川京子)と清水富美加は両方ともすごく良かった。ハセキョーは基本的に演技が出来ないんです。特にちょっと漫画っぽいキャラをやると、照れちゃって全然演技にならない印象がある。でも、『ペテロ』では本人のイヤらしいところと結びついているのかわからないけど、すごくハマり役でしたね。
    成馬 でも、最終話はいらなくないですか? 最終話1話前で、細田善彦がバスジャックを起こして「御厨を連れてこい」と言うところが最高だった。存在しない謎のカリスマみたいな存在を「連れてこい」と言うわけですからね。それが、宮部みゆきが描きたかった宗教や自己啓発セミナーと企業が結託している恐さだと思うので、そこで俺の中では終わっているんです。最終話は正直、蛇足だと思った。
    宇野 でも、あのシリーズ自体が「凄みを帯びない悪」というか「凡庸な悪」みたいなものに対して、どう人が向き合っていくのかというテーマなので、一般市民である小泉孝太郎が結局、身の丈に合わない生活を捨てていく部分は、ストーリー的には必要だと思うんだよね。あとは構成とか配分の問題でしかない。僕はあのエピソード自体はあったほうがいいと思う。
     
     
    ■時代を嗅ぎ取れる作家の明暗がはっきり分かれた『おやじの背中』
     
    岡室 実は前回、『おやじの背中』をみなさんが評価していた中で、私だけあまり推していなかったんですけど、最終的には応援したいという気持ちになりました。視聴率が取れなかったがために、応援したいという気持ちになったところもありまして。とにかく今すごく活躍している脚本家を集めてドリームチームを作ったのに、脚本家の名前ではもはや視聴率が取れないことが素朴にショックでした。
    宇野 めちゃめちゃおもしろかった回とクソだった回が、はっきりしましたよね。
    岡室 私は山田太一の回がすごいと思いました。一話完結で親子の関係を描こうとするとファンタジーになってしまうんですけど、山田太一はそのことに自覚的で、逆手にとって力技でもっていくような脚本を書いていたんです。この回だけ、実の親子じゃないんですよね。親子を描くシリーズの主人公に独身の中年男性をもってきたというアイデアもすごい。
     
  • 『ポケモン』『ファイナルファンタジーVII』がもたらした歴史的転機 ――新時代の脈動と巨大な成熟と ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.205 ☆

    2014-11-20 07:00  
    220pt

    『ポケモン』『ファイナルファンタジーVII』がもたらした歴史的転機――新時代の脈動と巨大な成熟と
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.11.20 vol.205
    http://wakusei2nd.com


    今日のほぼ惑は、大好評の中川大地さんによるゲーム史連載。今回は1990年代後半に登場した『ポケットモンスター』がもたらした、日本のゲーム文化の影響を解説します。さらに、現在も名作として根強いファンをもつ『ファイナルファンタジーVII』が示した「成熟」とは?「中川大地の現代ゲーム全史」 第8章 世紀末ゲームのカンブリア爆発/「次世代」機競争とライトコンテンツ化の諸相
    1990年代後半:〈仮想現実の時代〉盛期(4)
    ▶前回までの連載はこちらから。
     
     
    ■『ポケモン』というゲーム次世代の地殻変動
     
     コンシューマー据え置き機の華々しい世代交代劇や、アメリカでのパソコンゲームシーンでのオンラインゲーム市場の勃興とちょうど並行する時期、日本では意外なプラットフォームとユーザー層を母体にして、まったく様相の異なる「ネットワークゲーム」の土壌が形成されていた。1996年、当時すでに寿命を終えつつあるハードとみなされていた携帯ゲーム機・ゲームボーイに忽然と登場した、『ポケットモンスター』シリーズである。
     かつてゲーム攻略同人誌として伝説を築いた田尻智のゲームフリークが制作した本作は、戦闘で遭遇するモンスター(ポケモン)を捕獲して仲間にしていくタイプのRPGだ。こうした単体ゲームとしての骨格は、すでに『女神転生』シリーズや『ドラゴンクエストV』などで一般化していたシステムのバリエーションに過ぎないといえば過ぎない。だが、緻密に属性分けや生態系における棲息域などが設定された151種類のポケモンを収集して「ポケモンずかん」のコンプリートを目指すという目的設定と、そのために同一のゲームシステムながら収集できるポケモンの種類に違いがある『赤』『緑』という2種類のパッケージを発売した点。そして、もともとは『テトリス』の対戦プレイのような使用法を想定されていたゲームボーイの「通信ケーブル」という枯れたアクセサリーに新たな用途を見出し、プレイヤー同士が自分の集めたポケモンを交換できるという仕様の組み合わせが、従来のスタンドアローン型のタイトルとの決定的な違いをもたらすことになった。
     つまり、二つのパッケージで得られるポケモンを互いに交換しなければ「ポケモンずかん」をコンプリートさせることができないため、友達同士の協力が必然的に促進されていく。どこにでも持ち出せるゲームボーイの特性とも相まって、『ポケモン』は子供たちのリアルな交遊関係をベースに、口コミで燎原の火のように広まっていったのである。
     
    ▲「ポケットモンスター」(緑)
     
     本作の主人公であるポケモンマスターは、自らが戦うのではなく捕獲したポケモンを場に出して使役する者として設定されており、このゲームをプレイする子供たち自身の立場に近い。その意味で、『ポケモン』は単なるビデオゲームの一種に留まらず、野球カードや「ビックリマン」シールといった、昔ながらのコレクションホビーの系譜に連なるものでもある。それはさらに突き詰めれば、田尻智が自身の子供時代に興じた昆虫採集の体験をデジタル環境に置き換えようとする企図のもとにデザインされていたことが、様々なインタビュー記事などで明らかにされている。
     つまり、本作の舞台として設定されている「カントー地方」の世界観は、田尻が生まれ育った自然と人工が隣接する東京郊外の原風景が刻み込まれたものでもあった。RPGとしての『ポケモン』は、糸井重里の『MOTHER』の薫陶のもとに作られているが、糸井が映画『スタンド・バイ・ミー』のようなアメリカ地方都市におけるジュブナイル冒険物語への憧れを込めていたのに対し、田尻は同種のモチーフを自分たち自身のドメスティックな風景に対応させて展開したのである。
     ここには、進駐軍カルチャーの延長線上に発展した都市の祝祭空間であるアーケードゲームの時代から、何もない郊外の日常空間の性格すら変えてしまうウェアラブルな携帯ゲームの時代へと、デジタルゲームのトレンドが動き始める大きなメルクマールとしての意味があったと言えるだろう。すなわちそれは、本書において〈仮想現実の時代〉の次なる時代区分として規定している〈拡張現実の時代〉の懐胎に他ならない。
     このように武蔵野の郊外が育んだ『ポケモン』で遊ぶ子供たちの心性について、中沢新一は著書『ポケットの中の野生』において、レヴィ=ストロース的な「野生の思考」の発露があると指摘している。つまり、現実の風景に重ね合わせられる携帯ゲーム機の擬似自然の中に、子供たちは互いの贈与を通じて何百種類もの擬似生命についての自前の博物学を育み、ポケモン図鑑を完成させてゆく。この行為の底に、農耕文明を築く以前の人類が身の周りの自然を高度な象徴操作を通じて体系化する原初的な知性の作動があることを、中沢は感受したのである。
     これ以前にも中沢は、アーケードゲーム全盛期に『ゼビウス』の攻略に夢中になっていたゲーマーたちの協働的なムーブメントに対して、原初的な精神性を見出したことがあった(「ゲームフリークはバグと戯れる」)。すなわち、隠れキャラやバグなど、ゲームの表面的なルールには顕れない、システムの外にある世界にアクセスしようとする能動性である。そんなゲームフリークの一人であった田尻が、今度は体験の提供者側に回って、ゲームハードの外側にプレイヤーたちの経験が増殖していく『ポケモン』の遊び方を生み出すに至った。ちょうどアメリカのパソコンゲーマーたちが、『Ultima Online』のような先進的なオンラインゲームの登場によって出現した仮想の大地の上に社会契約的な秩序を創り上げていったのとまったくパラレルなかたちで、日本の子供たちは、『ポケモン』というローテクノロジーのブリコラージュによって現出したプリミティブな人類学的原理に基づく共同性を、リアルな生活空間の上に拡張していったわけだ。 
  • 「人体の自由な軌跡を拡張することで巨大なロボットが作れる」 ――スケルトニクス社代表取締役CEO・白久レイエス樹氏インタビュー ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.203 ☆

    2014-11-18 07:00  

    「人体の自由な軌跡を拡張することで巨大なロボットが作れる」――スケルトニクス社代表取締役CEO白久レイエス樹氏インタビュー
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.11.18 vol.203
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    本日のほぼ惑は、来年1月末に発売が迫った『PLANETS vol.9(東京2020)』の先取り記事をお届けします。子どもの頃に誰もが一度は夢見る「パワードスーツ」。それを本当に実現するべく、プロトタイプとなる「スケルトニクス」を開発中の若き技術者・白久レイエス樹さんにインタビューしてきました。

    「人間が乗って操れるロボット」として、いま様々なメディアから注目を集めている、3メートル近い高さの外骨格パワードスーツ「スケルトニクス」。「人機一体」を地でいくこの機体は、2020年に向けて稲見昌彦氏を中心に進められている、テクノロジーを駆使した拡張スポーツ
  • 月曜ナビゲーター・宇野常寛 J-WAVE「THE HANGOUT」11月10日放送全文書き起こし! ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.202 ☆

    2014-11-17 07:00  
    220pt

    月曜ナビゲーター・宇野常寛 J-WAVE「THE HANGOUT」11月10日放送全文書き起こし!
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.11.17 vol.202
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    大好評放送中の、宇野常寛がナビゲーターをつとめるJ-WAVE「THE HANGOUT」月曜日。毎週月曜日は、前週分のオンエアの全文書き起こしをお届けします!

    ▲前回放送はこちらでもお聴きいただけます!
     
     
    ■オープニングトーク
     
    宇野 時刻は午後11時30分をまわりました。皆さんこんばんは、評論家の宇野常寛です。
    いや〜、僕は結構恐ろしい体験をしてきましたよ。いろいろ考えさせられましたね。土曜日に愛知県に行ってきたんですよ。愛知県立大学で公開授業があって、一泊二日で出かけてきたんですが、もうてっきり僕は愛知県立大っていうのは名古屋にあるのかなと思ってたいら、違うんですよね。「名古屋だったら新幹線で一時間半だから楽勝じゃん、なんなら日帰りでもいいよ」くらいに思ってたんですけど、違うんですよ。愛知県立大っていうのは名古屋から、電車を結構いくつか乗り継いで一時間の、長久手市にあるんですね。皆さん「長久手」は知っていますか? 歴史好きな人だったら「小牧長久手の戦い」とかで記憶にあると思うんですけどね。織田信長が本能寺で殺された後に、豊臣秀吉と徳川家康がその後の信長の後継者を巡って争った戦いの、あの古戦場があるところですね。最近だと2005年の『愛・地球博』の会場になったのが長久手市ですね。僕も開催当時に仕事で取材に行ったりしたこともあって、それ以来ですね長久手に行ったのが。
    なので、僕は新幹線で名古屋まで行ったところで「ここから地下鉄に乗り換えるんだなー」とか思って、終点の藤が丘ってところまで行ったんですよ。で、そこからさらに「リニモ(Linimo)」っていう鉄道に乗り換えるんですよ。このリニモっていうのは名前からわかる通り、リニアモーターカーの親戚か何かっぽいんですよ。同じような技術が使われているらしくて、リニアモーターカーそのものではないらしいんですけど。だから、きっとすごくハイテクで、最新設備で、めっちゃめちゃ速いんだろうなとか思いながら結構ワクワクしてたんですよ。で、ちょっと藤が丘で休憩しながらジュースとか飲んで、そろそろ行こうかと思ってGoogleの路線検索かけると、びっくりなんですよ。結構時間かかるんですよね、そんな本数も多くないし、「やばっ! 遅刻じゃん!」とか思って、慌ててリニモの駅まで地下深くにダーっと降りてくんですよ。それで、急いで改札に降りてICカードをピッて、いま関東圏使える鉄道のICカードでバスとかも全部それで乗れるSuicaっていうやつがあるわけじゃないですか。あれ、関西圏だとICOCAって名前だったりして、当然東海圏でも使えるんですよ。新幹線から降りてからずっとそのICカードで移動してたわけですよ。そのICカードを、いかにも「ICカードをタッチしてください」って感じのパネルにタッチして通り過ぎようと思ったら、「ピンポーン」とか鳴って通れないんですよ。通せんぼのシャッターみたいなやつが下りてきて、はぁっ!? とか思ったんですけど、これはきっと残高不足だなと思って別のカードを出したんですよ。僕いつも5,000円ぐらいチャージしてるカードをもう一枚持ち歩いてるんで、そっちでピッてやってもまた「ピンポーン」とか鳴って引っかかるんですよね。これ何事かと思ってすっごく動揺してたら、後ろの方から「お客さーん、それ使えないっすよ」みたいな声がして、ふと振り向いたら改札の窓口から職員のおっちゃんが僕を見て叫んでいるんですよ。えっ!? とか思ってよく見ると、僕がさっきから何度もタッチしていた改札には「ここにICカードをタッチしてください」ではなくて、「ICカードは使えません」ってラベルが貼ってあるんですよ。はぁーーっ!? とか思って愕然としましたよ。だって、リニモっていかにもハイテクの象徴じゃないですか、愛・地球博の開催に合わせて敷設されたローカル線なんで、まさに科学技術の象徴ですよね。「未来の日本の交通はこうあるべき」って象徴なのに、ICカード使えないんですよ。
    ICカードが今どれだけ普及してるかっていうと、今時「嵐電(あらでん)」ですらカードが使えるんですよ。皆さん嵐電ってご存知ですか? 嵐電っていうのは、京都市右京区の交通網の覇者ですよ。はっきり言って「右京区の交通は嵐電に始まり、嵐電に終わる」ぐらいの存在感のある路面電車なんです。嵐山とか太秦の映画村とか、金閣寺の近くとか京都の西側の観光地をだいたいカバーしていて、観光客+ローカル住民の足みたいなものなんですよね。でも、基本スピードが遅すぎて、急いでる時は全く使えないんですよ。JRの駅の一駅分を6等分ぐらいしてちんたら進んでいく、超スローな路面電車なんです。嵐電っていうのは正確にいうと「京福電鉄嵐山線」の略称で、漢字で書くと「嵐の電車」で嵐電なんですけどね。これ、時代に取り残されてるっていうか、むしろ時代に取り残されれることがアイデンティティーのような電車なんですよ。「都会ではファストな時間が目まぐるしく過ぎていきますが、こと京都ではスローな時間が……」的な電車なんですよ。言ってしまうとビジネススローライフ電車なんですよ。その嵐電ですらも今はICカードに対応していて、ピッてやったら降りられるんですよ。もうほんとに、この21世紀に『じゃりん子チエ』の世界観で生きているようなおばちゃんとかが普通に「はーい降りるで~」とか言いながらピッてやって降りてるわけですよ。
    にもかかわらず、10年前とはいえ科学万博の一環で敷設された電車でICカードが使えないんですよね。僕は本当に悩みましたね。「この電車のアイデンティティーはいったいどこにあるんだろう?」とかそんなこと思いながら、仕方ないから切符を買って改札くぐって乗ったんですよね。その時に、僕は忘れられないのんですけど、駅員さんが僕を可哀想な生き物を見るような目で見てるんですよね。なんというか、「アフリカゾウはここ数十年でめっきり個体数が減り、絶滅の危機に……」みたいな感じのテレビを見ている時の目をして僕を見ているんですよ。これね、ちょっといろいろ考えさえられましたね。「文明とは何か?」とか「地方ってこうやって空回りして衰退していくんだな」とか、いろんなことを思いましたね。はい、愛知の話はまだ微妙に続きますが、ここでオープニングは終わりです。まだまだ僕の愛知の話は続きます。ということで、J-WAVE「THE HANGOUT」今夜もスタートです。
    〜♪
    宇野 J-WAVE深夜の溜まり場「THE HANGOUT」。月曜担当ナビゲーターの宇野常寛です。リニモって、正確に言うと「リニアモーターカーの原理の一部は使っている」らしいんですよ。でも、そのことによって特に速くはなっていないらしいです。特にスピードとかには活かされていないらしいんですよ。本当に僕は悲しくなりましたね……(笑)。僕は、いろいろ疑問に思って調べて中途半端に詳しくなってるんで、リニモについて話していくと、本当にそれだけで一時間半くらい使っちゃうので、ちょっとサクサク次に進んでいこうかなと思います。
    はい、この番組はですね、夜更かし族の皆さんの溜まり場です。ツッコミや質問も大歓迎です。皆さんの積極的な番組参加の方をお待ちしております。ハッシュタグは#hang813です。メールのほうはこの番組のホームページのメッセージから送ってください。番組ホームページではYouTube Liveでスタジオの様子を同時生配信中です。そして、毎週月曜日は番組終了後ニコニコ生放送PLANETSチャンネルで延長戦をやります。番組内で語りきれなかったことなどさらにディープに掘り下げていきます。延長戦のURLは「THE HANGOUT」の番組ホームページにリンクしてあります。というわけで宇野常寛がナビゲート、J-WAVE「THE HANGOUT」今夜の一曲目は電車の話題で始まったということでこの曲を選曲しました。アニメ『ジムボタン』のオープニングテーマです。堀江美都子で「ジムボタンの歌」。
    〜♪
     
     
    ■フリートーク
     
    宇野 はい、お送りしましたのは、堀江美都子で「ジムボタンの歌」でした。
    改めましてこんばんはJ-WAVE深夜の溜まり場「THE HANGOUT」月曜担当の宇野常寛です。なんか意外と、リニモと「ジムボタンの歌」に反響が多いですね。これはラジオネームのしのすけさん。
    「速くないリニアモーターなら地下鉄大江戸線もそうでは?」
    あれも結構リニアモーターカー的な技術を使っているんですかね? 僕は全然電車のことは詳しくないので知らないですけど、意外とメジャーな技術なのかもしれないですね。えーっとこれはですね、Twitterネームのほごたのまっちゃんさん。
    「長久手町、長久手市になっていた」
    そうなんですよね。たぶん平成の大合併的な何かで市になったんだと思うんですよね。だから本当にこの、愛・地球博からの10年間で地方の大合併もあり、財政的な苦しさがあったりとか、過疎化の問題があったりとかして、いろいろ変貌していってるじゃないですか。はっきり言うと立ちいかなくなっているんですよね。その象徴として、リニモとその赤字があると思うんですよね。なんというか、誰も幸せになってない感じというかね。
    はい、Twitterのハッシュタグは#hang813です。メールのほうはこの番組のホームページのメッセージから送ってください。11時55分からは、南沢奈央ちゃんのNIPPON SEKIJUJISHA “GAKUKEN” THE REASON WHYのコーナーがあります。そしてJ-WAVE「THE HANGOUT」各曜日のナビゲーターが毎週共通のテーマを語るシェア・ザ・ミッションのコーナー、今週は「アート」について語ります。そしてアナーキー・ミュージックシェアのコーナーではJ-WAVEの他の番組ではまずかからないであろうアニメソング、特撮ソング、アイドルソング、映画やドラマの主題歌や劇伴などなど、アナーキーな一曲をリスナーのみなさんの選曲でお届けしちゃいます。メールはまだまだ受け付けていますからどんどん送っちゃってください。J-WAVE WACODES(ワコーズ)のメンバーが、さまざまな企業訪問をして、リポートするワーカーズ・ディライトのコーナーもあります。宇野常寛が深夜1時まで生放送でお送りします。深夜の溜まり場「THE HANGOUT」ここでいったんお知らせです。
    〜♪
    宇野 J-WAVE深夜の溜まり場「THE HANGOUT」六本木ヒルズ33階J-WAVE Bスタジオから生放送中、月曜は宇野常寛がお届けしております。ちょっとメールとTwitter見ましょう、これはTwitterネームじゅんいちつちやさん。
    「ジムボタンの原作って『モモ』のミヒャエル・エンデなんだよな」
    そうなんですよ。原作は『ジムボタンの機関車大旅行』っていう児童文学なんですよね。曲を聴くかぎり、おそらくアニメはかなりアレンジしてますよね。ミヒャエル・エンデは絶対に「ボタンパンチ!」とか言ってないと思うんですよ(笑)。僕はアニメを見たことないんですけど、かなりアレンジされてるんじゃないかなと想像しています。じゃあメール行きましょうか、ラジオネームのナカガワンさん。
    「宇野さんこんばんは、日付が変わって11月11日は、ちまたではポッキーの日とか言われていますね。そこで宇野さんは、お菓子にまつわる思い出とかはありますか?」
    僕、新製品のCMにすごく弱い人間で、青リンゴガムとかロッテが出した時とかCM見てすぐにコンビニに行ったりとかしていましたよ。テレビとかのCMに弱くて、カルピスとかのCMが流れるとすぐカルピス飲みたくなるし、たぶんサブリミナル効果とかに弱い人間なので、本当に気をつけないといけないなと思っています。洗脳とかにたぶん弱いと思いますよ、すごい影響されちゃうんで(笑)。はい、次のメールいきましょう、これはですね、ラジオネームともちゃんさん。
    「今日、会社の後輩の女の子(22歳)が『結婚するなら旦那さんに養ってもらいたい』という発言をしていて驚きました。しかし、たしかに僕もそのくらいの年齢の時に『金持ちの女性のヒモになりたい』と友人と話していたので、これくらいの年齢の子たちは必ず通る道なのかと感じてしまいました。ただ、ある一定の年齢を過ぎるとそれが夢物語だと感じてしまいます。おそらく彼女もいつかそれに気づくのかもしれません。宇野さんはこのような経験はありますか? また、それが幻だったと気づいたのはいつですか?」
     
  • レゴが世界の見え方をビルドする――レゴ認定プロビルダー・三井淳平インタビュー ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.201 ☆

    2014-11-14 07:00  
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    レゴが世界の見え方をビルドする――レゴ認定プロビルダー・三井淳平インタビュー
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.11.14 vol.201
    http://wakusei2nd.com



    世界中で大人気のブロック玩具、レゴ。今年は映画『LEGO ムービー』が公開され大ヒット、さらに書籍『レゴはなぜ世界で愛され続けているのか――最高のブランドを支えるイノベーション7つの真理』が翻訳され、さらに勢いを増しています。これほど人を惹き付けるレゴの魅力とはなんなのか、世界で13人目、日本人初のレゴ認定プロビルダー、三井淳平氏にお話を伺いました。レゴビルディングにおける微分派・積分派のふたつの流派とは。そして日本画とレゴの意外な関係性とは――?

    ▼プロフィール
    三井淳平(みつい・じゅんぺい)
    1987年生。世界で13人目、日本人初のレゴ認定プロビルダー。東京大学大学院工学系研究科を卒業後、大手鉄鋼メーカーに入社。代表作に、およそ全長6mに及ぶ1/40スケールの戦艦大和、東京大学安田大講堂、等身大ドラえもんなど。著作に「空間的思考法ーー世界が認めた、現役東京大学大学院生の頭の中!」。印象派絵画•日本画壁画をレゴで再現したモザイクアートを三井淳平アートミュージアム
    (http://hakusan-fukushikai.com/?cat=11)
    にて展示中。
    twitter
    https://twitter.com/JUNLEGO/
     
    ◎司会・構成:池田明季哉
     
     
    ■微分と積分、見立てと積層
     
    宇野 僕は最近レゴがすごく面白いなと思って、子供の頃以来にキットを買って作っているんですが、今年はレゴがすごく大人に注目されている一年だと思うんです。『LEGO ムービー』も公開されましたし、『レゴはなぜ世界で愛され続けているのか』という書籍が翻訳されてビジネスマンの間で盛り上がりました。
    でもその現状に対して、ひとりのレゴファンとして不満もあるんです。『LEGO ムービー』はすごく大好きな映画で傑作だと思っているんですがあの映画の中核にあるのは、言ってみればレゴを取り巻く状況に存在するイデオロギー対立ですよね。レゴをめぐる「思想」に焦点を当てている。そして書籍の方は「最高のブランドを支えるイノベーション7つの真理」というサブタイトルがついていて、ビジネスとしておもちゃメーカーが頑張った話に終始している。
    もちろん、そういった視点も興味深いのだけど、個人的にはレゴブロック自体の魅力や、組み立ての魅力に踏み込んだ議論があまりないことが不満だったんです。そこで世界で13人目、日本初のレゴ認定プロビルダーである三井さんに、そうしたところも含めていろいろお話を聞こうと思ってお呼びしました。今日はよろしくお願いいたします。
    三井 ありがとうございます。よろしくお願いします。
    ――まずは三井さんの作品作りについてお伺いしていきたいと思います。三井さんはいろいろな作品を作っていますよね。一番最初にレゴに興味を持ったきっかけはなんなんですか。
    三井 小さいときからずっと遊んではいたんですが、本格的なものを作ろうと思ったのは、中学生くらいのときにインターネットで作品を見たのがきっかけです。ブロックをたくさん使って模型に近いようなものを作っている人がいたんですね。それが大人としてのレゴのはじまりです。
    ――模型に近いような、ということは、精巧さに感動したということでしょうか。
    三井 精巧さももちろんそうなんですが、発色の感じとか、敢えてデジタルな感じとか、素材をさらに面白く見せることができるという印象を持ったんです。
    ――言わば大人のレゴとしての最初の作品は何を作ったんですか。
    三井 戦艦大和の小さい模型ですね。
    ――戦艦大和のどこに魅力を感じて選んだのでしょう。
    三井 やはり形が魅力的だったことが大きかったです。機能美と言いますか、洗練された使いやすさや性能を求めた結果、形が綺麗になっていくものに面白さを感じていて。いくつか候補はあったんですけども、戦艦大和の形は、ぜひレゴで表現したいと思いました。しかもまだ誰も手をつけていなかったので、これは作りたいなと思ったんです。
    ――それからどんどんレゴビルディングをしていくことになるわけですね。一番最初にレゴで周りに認められたのは、どういった作品だったのでしょうか。
    三井 それも戦艦大和で、6m近くある巨大なものを、マンションの一室をまるまる使って作りました。レゴファンが画像をアップする「ブリックシェルフ」というサイトがあるのですが、そこにアップしたらランキングに乗ったりして、海外の方にもたくさん見ていただきました。
     

    ▲The Creators - LEGO minifig movie
     
    ――僕もレゴは昔からすごく好きで、三井さんの作品もたくさん見てきたのですが、他のレゴビルダーさんと違う独自の世界観や方法論があると思ったんです。ご自分では、レゴビルダー三井淳平の作品の特徴は、どのようなものだと思われますか。
    三井 できるだけ基礎的なブロックを使っているところでしょうね。カーブしているパーツとか、ある程度形が出来上がっているパーツは使わないようにしています。表現がちょっと極端になっても、そこは基礎パーツを使って表現したいという思いがあります。
    ――なるほど。三井さんの限定されたピースで作るという作風が、レゴの魅力とマッチして素晴らしいものになっているんですね。どうしてそういった手法に辿り着いたのでしょう。
    三井 辿り着いたと言えるかどうかわかりませんが、自分の中で整理されるきっかけになったのは、日本の方が作ったスヌーピーのモデルを見たことです。その方はウェブサイトを運営していて、制作過程も全部掲載されていたんですね。そこで紹介されていたのは、レゴを形作るとき断面を意識して重ねていくという手法で、「積分モデル」という表現がされていました。自分も断面図を常に意識して、断面を縦からも横からもCTスキャンのように積み重ねていく手法を使っていたので、それが「積分」という形で整理されたという経験はありました。
     

    ▲こちらも三井氏による球体の制作動画。さまざまな方向に積層したパーツを最終的にひとつにまとめている
     
    宇野 僕は模型も好きなんですけど、コンピュータ上で3Dデータを使って設計したり、固まりから原型を削りだすような手法ではそういった発想にならないはずですよね。僕はレゴだからこそ表現できる快楽は、リアルなモデルとは別にある気がするんです。レゴと他の立体物は、どう決定的に違うと思われますか。
    三井 いくつか要素はありますね。ひとつはさきほど言いました、積分的な手法です。粘土だと全く同じものを作るのは指先の器用さがかなり必要ですが、レゴの場合はコピーを作ろうと思えば簡単に作れます。特にブロックを積み重ねる積分型の作品の場合、形状の再現性が高いんです。だから試行錯誤がしやすいというのが大切です。断面を意識しながら形を作るという方法に、レゴが最も合っている部分ですね。
    これとは別に、見立てによって対象を近似的に置き換えていくという作業も出てきます。これは言わば微分的な手法と言えます。対象を細かく分解して、それぞれの部分を最も合ったパーツで置き換えていくわけですね。さらにパーツ同士を組み合わせて、このパーツとこのパーツを組み合わせればこうなる、というパターンがある程度あって、あとはそれを空間的に配置していく、というイメージです。これもレゴの再現性に関わる良い部分だと思います。
    ――なるほど、レゴのユニークさには、単位を積み重ねて行く積分的な手法によるものと、細部に分解していく微分的な手法によるものがあると。この積分的な作り方と微分的な作り方というのは、結構はっきり分かれるものなんですか?
    三井 はい、これは結構はっきり分かれています。ビルダーもふたつの方向にだいたい分かれていますね。
    宇野 以前カーデザイナーの根津さんとレゴについて対談したときに、「レゴというのはディフォルメと見立てだ」という話をしたんです。そのときには、今三井さんがおっしゃったような、積分的な手法と微分的な手法のふたつをあまり厳密に区別していなかった。でも今日お話を聞くと、明確にふたつの対立した流派があるということですね。北斗神拳と南斗聖拳みたいな(笑)。
     
    (参考:【特別対談】根津孝太(znug design)×宇野常寛「レゴとは、現実よりもリアルなブロックである」 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.090 ☆)
     
    三井 そうですね(笑)。積分派というのは、作りたい対象を機械処理的に分析していくところがあります。使うブロックも基礎ブロックが中心です。対して微分派の人はパーツありきで始めます。このパーツはこういうカーブを描いているから、このカーブと言えばエイリアンの映画に出てきたエイリアンの頭の形だな、みたいなそういう発想になっています。だからパーツも、特殊なパーツを多く使う傾向があります。
    宇野 つまり三井さんの属する積分派というのはレゴドットによる構造把握の面白さを出す、構造批評のような方に向かって行くと。対して微分派というのは対象の表層を別のものに近似していくことによって、ユニークな模型を作る方向であると言えるわけですね。どちらが多いとか少ないとかあるんですか?
    三井 日本の住環境として狭いというのがあるので(笑)、積分派の方はひたすらにブロックを必要とするということもありまして、微分派がやや多いかもしれないですね。
    ――解像度を上げるためにはスケールが必要になってきますからね。
    三井 解像度という意味では、実はスケールを大きくする以外にも、多次元的に積層を行うという方法もあるんです。普通は下から積み上げて行くのですが、ブロックの向きを縦にも横にも使っていくと、単に積み上げるのではないモデルを作ることができます。例えばホワイトタイガーはまさにその考え方で、多次元的な積層をした結果、動物の姿を作っているといった感じです。
     

    ▲ホワイトタイガー。「TVチャンピオンレゴブロック王選手権2010」の番組内で制作。ブロックのポッチの部分が様々な方向を向いているのがわかる
     
     
    ■ディフォルメの批評性――層の再構築
     
    宇野 僕はレゴの魅力というのは、独特のディフォルメにもあると思うんです。三井さんはそれについてはどう思われますか。
    三井 それは私も常日頃から感じているところです。対象をレゴのモデルとして構築していくときにディフォルメをしていくわけですが、その中で本質に近づく機会はいくつもあります。
    例えば建築物だと「構造上この部分が芯になっている」という部分があります。こうしたキーになる部分をしっかり作ると、当然その部分が強調された作りになります。こうした鍵になる部分というのは、多くの場合対象物を外から見てもふんわりとしかわからないのですが、レゴにすることによってより明確になることがよくあります。
    彫刻家の方がよく使われる表現ですけど、「人を考えるときにはまず骨格を考えて、それから形を作って行くとリアルなものが作れる」と言います。そこはレゴにも通じている部分があって、表面的な肉のつき方から入るのではなくて、骨格がこうなっているからこうなっているはずだ、というところから考えた上で作って行くと、非常に良いものができる、ということはあります。
    宇野 これはとても大事な話だと思います。絵画や彫刻の場合は、あくまで表層にリアリティを出すために骨格を仮定しようということですよね。でもレゴはそもそも骨格を想定して構築しない限りモノができない。なぜなら構造がしっかりしていないと崩れ落ちてしまうからです。このふたつは似ているようだけれども、レゴの方が圧倒的にその条件に支配されている。レゴによる優れて批評的、本質的なディフォルメをするためには、積分的な思考によって構造というものを把握して再構築しないといけないということですよね。
    三井 そうだと思います。私は実際に設計図というのは全く書きません。