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記事 22件
  • 碇本学 ユートピアの終焉――あだち充と戦後日本社会の青春 第11回 「恋人としての妹」の発見(後編)

    2020-03-31 07:00  

    ライターの碇本学さんが、あだち充を通じて戦後日本の〈成熟〉の問題を掘り下げる連載「ユートピアの終焉――あだち充と戦後日本の青春」。『みゆき』の結末で描かれた日常からの旅立ち。それは高橋留美子的なユートピアからの離脱を意味していました。心地よいラブコメの世界にあえて切断線を引こうとするあだちの志向は、次作『タッチ』へと引き継がれていきます。
    あだち充版『うる星やつら』としての『みゆき』
    あだち充を一躍、人気漫画家へと押し上げた大ヒット作『みゆき』は、連載開始から一年ほど『陽あたり良好!』と並行で連載され、その後は『タッチ』と同時連載される。『みゆき』で注目を浴びたあだち充は、『タッチ』でかつて放逐された週刊少年サンデーに、エースのような扱いで復帰することになった。 その煽りを受けたのが、少女コミックで連載していた『陽あたり良好!』だった。第一部の野球部編を終えた後、第二部のラブコメ主体の物語で人気作となっていたが、『タッチ』のために急遽、物語を畳む形となってしまった。
    『陽あたり良好!』は高校二年の途中で最終回を迎え、主人公の勇作とヒロインのかすみ、ライバルの克彦の三角関係の結論は、先延ばしにされたまま終わっている。しかし最終回ではその代わりのように、勇作たちの同級生であり、同じ下宿で暮らす有山と美樹本が、もう一人のヒロインである関圭子を巡って殴り合いの喧嘩をするシーンが描かれた。 かすみに喧嘩を止めるように言われた勇作は、二人を止めに入ることなく、自分の気持ちをかすみに伝えるかのようにつぶやく。
    「戦うべきだ」 「ほんとに好きでだれにも渡したくないのなら」
    この台詞には、この先に訪れるであろう、かすみを巡る克彦との対決を見据えた決意が感じられる。しかし、物語はそのシーンを描くことなく終わっていき、週刊少年サンデーで『タッチ』の連載が始まることになる。
    ▲『タッチ』
    『タッチ』については次回以降取り上げるので詳しくは書かないが、国民的漫画としてあまりにも有名な作品である。多くの人が「野球」と「双子」というキーワードから本作を思い浮かべるはずだ。『タッチ』では双子の上杉達也と和也、幼なじみ浅倉南の三角関係を主軸に物語が展開されていく。 幼い頃に浅倉南が「甲子園に行きたい」といったことで、弟の和也は甲子園を目指すようになり、その一方で、兄の達也はそれを応援するボンクラな学生として過ごしている。しかし、南が好きなのは達也の方であった。南はなぜ和也ではなく達也のことが好きなのか、理由は明かされないが、和也の事故死によって物語は急展開し、そこから本当の意味で『タッチ』の物語が始まる。 『タッチ』の序盤では、だらだらとした日常が続き、主人公である上杉達也が何かに対して本気になったり、戦う意志を感じさせるシーンはほとんどない。この部分は『みゆき』に近い、というより初期の『タッチ』は同時連載中の『みゆき』の世界感に引っ張られていたという印象がある。
    『みゆき』の主人公である若松真人も、ヒロインの若松みゆきやサブヒロインの鹿島みゆきに好かれる理由は、最後まで明かされない。終盤に物語を終結に向かわせるための恋敵として沢田優一が投入されるものの、それまでは真人が特に理由もなくひたすら可愛い女の子に好意を寄せられるだけのパラダイスが展開される。 この「訳もなくモテる主人公」は、同時期に週刊少年サンデーで連載されていた高橋留美子『うる星やつら』の主人公・諸星あたるを彷彿させる。 80年代初頭のラブコメブームを牽引した『みゆき』と『うる星やつら』の共通項はここにある。努力もしないで可愛い女の子にひたすらモテ続ける若松真人や諸星あたるの姿は、妄想を抱きがちな思春期の男子が憧れる究極の夢である。その強烈な魅力は時代を越えて受け継がれ、後の多くの作品に影響を与える、ある種のテンプレになっていった。
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  • 鳥は重力に抗って飛ぶのではない 『風立ちぬ』 宇野常寛コレクション vol.15【毎週月曜配信】

    2020-03-30 07:00  

    今朝のメルマガは、『宇野常寛コレクション』をお届けします。今回取り上げるのは、2013年夏に公開された映画『風立ちぬ』です。東日本大震災以降、「いまファンタジーを描くべきではない」とし、宮崎作品の中でもっともファンタジー要素の薄い作品となった本作。「美しい飛行機(=ゼロ戦)をつくること」を夢見た主人公・堀越二郎を通してえぐり出された、宮崎駿という作家の中核にあるものとは? ※本記事は「楽器と武器だけが人を殺すことができる」(メディアファクトリー 2014年)に収録された内容の再録です。
     この夏公開された宮崎駿の新作長編アニメ映画『風立ちぬ』は、試写の段階から数多くの作家や批評家、編集者等の絶賛を集めていた。アニメ監督の細田守、特撮監督の樋口真嗣など試写で観た専門家の中には宮崎駿の最高傑作だと評する声も少なくない。この文章を書いている7月某日の時点ではまだ専門家の評価は出そろっていないし、興行成績の行方も分からない。しかし宮崎駿の5年ぶりの監督作品ということもあり注目度は極めて高く、今年最大の話題作になることは間違いないだろう。(かくいう僕も試写で数週間前に鑑賞している。)
     論を進める前に、簡単にその内容を要約しよう。東日本大震災以降、宮崎駿は「いまファンタジーを描くべきではない」とする旨の発言を行なっている。その発言通り本作『風立ちぬ』は宮崎作品の中でもっともファンタジー要素の薄い作品となった。ゼロ戦の設計者として知られる軍事技術者・堀越二郎の半生を、堀辰雄の同名小説に着想を得て脚色したという本作の舞台は戦前から戦中にかけての時代である。主人公の二郎は比較的裕福な家庭に生まれ、優しい母親に慈しまれて育ち、弱いものいじめを見過ごさない高潔な精神をもった少年として登場する。二郎はこの少年期から飛行機の魅力に捉われている。しかし近眼の二郎は自分がパイロットにはなれないことを知り、その夢は飛行機をつくる技術者になることに傾いてゆく。とくに二郎はイタリアの技術者カプローニへの憧憬を募らせるようになり、いつかカプローニのような「美しい飛行機」をつくることが目標になってゆく。  そんな二郎が学生の折、関東大震災を経験する。このとき二郎と偶然出会うのがヒロインの菜穂子だ。二郎は菜穂子とその侍女の避難を誘導し実家まで送り届ける。その後、二郎は希望通り飛行機の設計者になり、戦闘機の開発に従事するようになる。そしてドイツ留学から帰国後に避暑地にて菜穂子と運命的な再会を果たし、恋に落ちる。菜穂子は重い結核にかかっていることを告白するが、二郎はそれを受け入れてふたりは婚約する。その後、二郎は主力戦闘機(のちのゼロ戦)の設計者に抜擢され、仕事に没頭する。一方の菜穂子の病状は悪化し、先が長くないことを悟った彼女は病院を抜け出して無理を押して二郎のもとにかけつけ、ふたりは結婚する。ちょうどゼロ戦の開発が佳境にさしかかったころ、ふたりの短い結婚生活が送られることになる。そしてゼロ戦の開発は成功し、菜穂子は間もなく亡くなったことが示唆される。「美しい飛行機」をつくるという夢を叶えた二郎だが、それが戦争の道具として使用され、巨大な殺戮と破壊の象徴になってしまった現実に直面するが、菜穂子の存在を支えに「生きねば」と決意する。
     本作については、その完成度を評価する声が集まるその一方で「美しい飛行機をつくる」ことを追求する二郎と、菜穂子との恋愛の二つの物語が乖離して、噛み合っていないという批判も多く寄せられている。たとえば先日、僕はアニメ作家の富野由悠季監督と対談後、食事をしながらこの映画について語る機会があった。宮崎駿と同年齢である富野はこの映画の肝はカプローニの解釈、つまりテクノロジーと文明を巡る物語にあり、菜穂子との恋愛物語は添え物に過ぎないと語った。もちろん、富野はそれを否定的に語ったのではなくそれゆえに同作は傑作だと主張した。しかし、僕の考えは少し違う。僕の考えでは、むしろこのふたつの物語は根底で深くつながっているのだ。
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  • 【対談】與那覇潤×宇野常寛 「鬱の時代」の終わりに――個を超えた知性を考える(後編)(PLANETSアーカイブス)

    2020-03-27 07:00  


    今朝のPLANETSアーカイブスは、前回に引き続き『知性は死なない――平成の鬱をこえて』を上梓した、歴史学者の與那覇潤さんと宇野常寛の対談の後編をお届けします。平成初期の「啓蒙の時代」、2000年代初頭の「インターネットの理想」が頓挫した後に、ソーシャルメディアによる「言葉のインスタ化」の時代が始まります。平成の30年間を総括しながら、次世代を担うであろう知性の萌芽について語り合いました。
    ※この記事は2018年5月1日に配信した記事の再配信です。
    この記事の前編はこちら

    書籍情報
    『知性は死なない――平成の鬱をこえて』 平成とはなんだったのか!? 崩れていった大学、知識人、リベラル…。次の時代に、再生するためのヒントを探して―いま「知」に関心をもつ人へ、必読の一冊!
    「95年の思想」と「啓蒙の時代」
    與那覇 2014年から長期連載になる予定だった、宇野さんと一緒にベストセラーを読み解きながら平成史を語る企画を、自分の病気でだめにしてしまって本当に申し訳なかったと思っているのですが…。そこで考えたかったことのひとつが、「平成の啓蒙主義」はいかに挫折したか、ということだったんです。 たとえば1994年に、東京大学出版会から東大駒場の名物教授たちのオムニバスという形で出された『知の技法』が、数十万部売れるということがありました。「象牙の塔から開かれた濃密さへ」みたいなコピーだったと思うけど、昭和の頃はエリート限定で閉ざされていた知性が平成にはオープンになり、国民全体の知的な底上げが起きる、いや起こすんだといったムードがあったと思うんです。東大教授がベストセラーを出すどころか、ジャーナリストの立花隆さんが「知の巨人」と言われて、「いまの東大生は教養がない。もっと上を目指せ」みたいに煽って、ますます人気が出るといった現象も起きました。 宇野さんの『ゼロ年代の想像力』では、「95年の思想」とその破綻が論じられていましたよね。95年に発生したオウム真理教事件に集約される問題と格闘して、処方箋を模索するすごく真摯な試みが宮台真司・小林よしのり・庵野秀明の各氏によってなされたけど、それらは発表されると同時に行き詰まってしまってもいたと。にもかかわらず、なのか、まさにそれゆえに、なのかはわからないのですが、ぼくはその後の1996年から2001年くらいまでが、いわば「啓蒙2.0」――そういう表記はこの頃まだなかったですが――の時代だったと思うんです。 右派であれば「新しい歴史教科書をつくる会」が96年末に記者会見をして(翌年初頭に発足)、小林さんがその主張を漫画で描きまくった。賛否は別にして、少なくとも戦前世代の軍国老人どうしでなれあうんじゃなくて、若い人たちを「啓蒙」して国民的な主体にするんだという意識があったわけです。左派的な側でも、やはり96年の丸山眞男の死を一つの契機として、姜尚中さんや高橋哲哉さんによって、「戦後啓蒙」の死角になっていたところに光を当てていこうと。たとえば旧植民地の視点をもっと取り入れて、連帯して、よりバージョンアップした市民社会を下から築いていこうという試みがなされました。 いわばここまでは、戦後民主主義と同様に「啓蒙」は続けようと。ただし、戦後日本が見落としたものを拾う方向で、という空気が言論の世界で広く共有され、育成されるべきは「国民」か「市民」かをめぐって、識者が争った時代だったと思うんです。しかしそれが2000年代前半に、左右ともガタガタッとコケていき、啓蒙へのエネルギーがむしろ「自己啓発」に向かうようになる。2007年から一世を風靡しはじめた勝間和代さん的な、国民でも市民でもなく「自分」が賢くなって、もっと稼ぎましょう、という潮流に傾いていった。
    宇野 「95年の思想」と「啓蒙の時代」はシームレスに繋がっていると言えます。「95年の思想」には、80年代的な「ネタ」の時代からの90年代前半のバックラッシュとしての「ベタ」への転換が背景にあった。中身のないこと、意味のないことに意味があるというモードの80年代に対して、90年代になると文学者たちが湾岸戦争反対の署名運動をやり、『それが大事』や『愛は勝つ』がミリオンセラーになるベタソングブームがあった。この「ベタ回帰」に対して、ためらいや試行錯誤を受け入れて、あえて迷い続けることを選ぶ態度。「80年代の相対主義には戻れないが、かといってベタ回帰に陥るのも避けたい」というある種の良心が「95年の思想」には込められていたわけです。しかし、それはニーチェ主義的な超人思想でもあったわけです。小林よしのりさんの変節が体現するように、人間はその状況には耐えられず、やがて「人は物語なしでは生きられない」という開き直りの方が強くなっていく。平成初期の時点では、まだ啓蒙という理念が生きていて、それが右では「新しい教科書をつくる会」、左ではカルチュラル・スタディーズやポリティカル・コレクトネスの動向として現れていた。どちらもイデオロギー回帰的な運動体ですが、與那覇さんのお考えでは当時のこれらの運動にはまだ動員のロジックに負けない啓蒙主義の強さがあった、というわけですね。
    與那覇 もちろん動員は動員なのだけど、「最初から味方」な人たちを動かせばそれでいいんだ、というのではなく、ニュートラルな人たちに訴えかけて、新しく味方を作っていくことを真剣に考えてはいた。それが啓蒙ということではないでしょうか。政治的にも1996年にオリジナルの民主党が結成されたときは、「自民党・対・小沢一郎」みたいな、どっちもプロどうしの札束合戦、既存の組織票の積みあいはもう嫌だと。健全なアマチュアリズムをめざそうじゃないかという、時代の空気をつかんだ面はあったと思う。 木村幹さんの『日韓歴史認識問題とは何か』での「つくる会」評に感嘆したのは、そこを描かれているところでした。直前までむしろリベラルだった小林さん、もとは共産党系の教育学者だった藤岡信勝さんが前面に出て、アマチュアに訴えかける手法を持ち込んで展開した点が、それまでの保守系の運動とは違っていた。いまの若い方は知らないと思うけど、『教科書が教えない歴史』みたいなタイトルって、昭和時代にはむしろ左翼的な人たちが、「自国に都合の悪いエピソードを隠す、文部省の教科書検定に抗おう」というニュアンスで使ったものだったんですよ。ぼくなんかそういう本だと思って立ち読みして、全然正反対で驚いた記憶がある。 しかし、初代会長を務めた西尾幹二さんが『保守の怒り』という本で怒っていましたが、2000年代の前半を通じて運動がいわゆる日本会議系統の「昔ながらの保守」の人たちに主導権をとられていき、西尾さんも2006年に手を引くことになる。その後は要するに、自民党の地方議員を動かして、国会議員をつき上げましょう、経済系の親睦団体をつうじて、地場産業の保守オヤジで結束しましょうといった「ありがちな昭和の風景」に戻っていった。 「家のPCでインターネットにつなぐ」のが、富裕層や先進的な趣味人に限定されない普通の生活スタイルになっていったのが、孫正義さんの参入でブロードバンド(ADSL)が普及した2001年ごろからかと思うのですが、そこにも当初は、いい意味でのアマチュアリズムの残り香があったと思います。同年にローレンス・レッシグの『CODE インターネットの合法・違法・プライバシー』を山形浩生さんが訳して、その解釈をめぐって池田信夫さんと論争したりもしましたが、どちらも「ネット発の論客」という新しさがあった。もちろん、それぞれ翻訳家・経済学者としての業績はお持ちでしたけど、それまで多かった「すでにテレビや本で有名な人が、ファンサービスでホームページも開きました」というのとは違っていた。 かつ、この頃はまだ、そうしたインターネットの新しさが、のちに「ネットde真実」と揶揄されるような、書籍中心の知識人に対するいわゆる反知性主義的な攻撃という形をとってはいなかったんですよね。書物的な教養には敬意を払った上で、相互に補完していこうというスタンスだった。2000年にベストセラーになったジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』の日本語版で、Further Readings (参考文献リスト)が削除されていたことに怒って、山形さんたち有志が復刻版を公開したりとかもありましたよね。
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  • 丸若裕俊 ボーダレス&タイムレスーー日本的なものたちの手触りについて 第10回 都市のダウナーな快楽を求めて

    2020-03-26 07:00  

    工芸品や茶のプロデュースを通して、日本の伝統的な文化や技術を現代にアップデートする取り組みをしている丸若裕俊さんの連載『ボーダレス&タイムレスーー日本的なものたちの手触りについて』。意識の高い層によるアッパー系の文化が主流を占めた近年ですが、最近はサウナ、シーシャ、純喫茶といったダウナー系のサービスが注目を集めています。2020年代の都市空間でダウナーな快楽を呼び起こすための条件を探ります。

    ペットボトルと茶の湯
    宇野 今日は喫茶文化が日本の都市圏において、どう変わっていくのかをテーマに議論したいと思います。かつて街の喫茶店がカフェに変わっていったことが、都市のライフスタイルを規定したように、2020年代には茶を中心に日本の喫茶文化が変貌を遂げていくのではないか。 もう少し具体的に言うと、緑茶の大衆化のターニングポイントになったのは、1990年代に伊藤園が始めたペットボトルの「おーい、お茶」ですよね。ペットボトルによって淹れる手間なくコンビニでお茶を買えるようになって、さらにあれが90年代後半には小型化されて持ち運べるようになった。あれは日本の茶の文化を書き換えた出来事でしたが、それと同じレベルの変化がこの先、お茶系飲料に起きることで、日本の喫茶文化にも大きな影響があるのではないか。これまでは「ペットボトルのお茶」と「茶の湯」の中間の領域について議論してきましたが、そのペットボトルのお茶も、30年ほど前に開発されたものでしかない。まずはそこから議論をはじめてみたいと思います。
    丸若 考えてみたいのは、なぜ日本では商品を良くしようとしたとき、プロダクト自体にしか考えが向かないのか、ということです。たとえばペットボトルのお茶がコンビニで売れだしたときに、コンビニはどういう背景でその商品を仕入れたか。当時の人々の嗜好やどんなテレビ番組を見ていたか。それらを踏まえた上で、どうすれば次の段階に行けるのか、という風には考えない。漆のお椀であれば「お椀自体がカッコよければ売れるはずだ」となる。
    宇野 商品をどうやって売るのかにはフォーカスしても、商品の周辺についてはあまり見えていない。前提の深堀りが足りないというか、システムの一部だけを見て話しても意味がないんですよね。
    丸若 そういった発想では、ペットボトルと茶の湯が同じ「茶」として一緒くたにされてしまう。たとえば、ニューヨークで砂糖入りの抹茶が流行っていますが、あれが良いとか悪いとかではなく、何を変えて何を残せば本質の強度が保たれるのかを考えないといけない。それができないと、タピオカミルクティーみたいにブームとして消費されて終わってしまう。逆にそこを確保できれば、変に面倒な説明をしなくても「イエス」と言ってもらえる。本来あるべきシーンを作って、そこにはめ込めば、知識がない人でもお茶を飲むだけで「美味しいね」となる。それがないから過剰なプレゼンをして、本当か嘘かわからないような話に持っていくしかない。これは茶に限らず、文化全般に対して言えることだと思います。 これはF1とプリウスを並べて、車のあるべき姿を議論しているようなもので、茶の湯の話をしてる風なのに、実はペットボトルの話をしていたり、ペットボトルの話をしていたはずが、すごく高尚な話になっていたりする。
    大航海時代という物語性
    丸若 以前、コーヒーについて掘り下げて考えてみたことがあって。そのときに辿り着いたのは、もちろん味も重要ですが、それよりも大事なのはストーリーだということです。コーヒーの場合はそれが明確で、背景にあるテーマは大航海時代なんです。『ONE PIECE』のように、いろんな土地を旅して手に入れたものを皆で飲むことが、コーヒー文化の大本のコンセプトとしてある。日本の茶の場合はそれとは違っていて、もちろん静岡の土壌はいいとか鹿児島はこうというのはあるんですが、狭い国内での文化なので、土地や自然環境から極端な差は生まれにくい。それもあって、ストーリーを上手く作り切れていないんです。 GEN GEN ANはサードウェーブっぽいとよく言われますが、それはアウトプットの話であって、本質は違います。その一番の理由は、日本の歴史には大航海時代がないからで、サードウェーブのストーリーをそのまま日本の茶に適用するのは無理があるんです。コーヒーが土地の文化で横軸に展開しているなら、日本茶は歴史を縦方向に深堀りする文化。そのストーリーを上手く構築できれば、コーヒーに匹敵するドキドキ感を伝えられるはずです。
    宇野 産地に紐づいた物語作りは、植民地経済のスケールがないと作りづらい。だったら横軸ではなく縦軸でストーリーを作ることを考えたほうがいいということですね。
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  • 與那覇潤 平成史──ぼくらの昨日の世界 第10回 消えゆく中道:2007-08(後編)

    2020-03-25 07:00  

    今朝のメルマガは、與那覇潤さんの「平成史──ぼくらの昨日の世界」の第10回の後編をお届けします。ソーシャルメディアが普及し、インターネットに新しい可能性が期待されていた一方、リーマンショックが世界経済を直撃。政治や社会の様々な領域で歴史的な文脈が失われていってしまいます。
    セカイから遠く離れて
     いよいよ世の中が本格的に壊れてきたなぁ──。2007年7月、ちょうど安倍退陣をもたらす参院選のころに博士号をとり、10月から准教授として地方の公立大学に赴任した私は、ずっとそんな風にひとりうめいていました。
    『論座』の同年1月号に載って話題を席巻したのは、当時フリーターだった赤木智弘さん(1975年生)の「『丸山眞男』をひっぱたきたい。 31歳フリーター。希望は、戦争」。特集「現代の貧困」の一環をなすもので、掲載号では表紙にタイトルの入らない地味な扱いでしたが、あまりの反響の大きさに4月号には福島瑞穂(社民党首)、若松孝二・森達也(映画監督)、佐高信(評論家)など錚々たる左派論客による反論が掲載。赤木氏が6月号で応答した際には「続『丸山眞男』をひっぱたきたい」と堂々表紙に刷られたあたりに、同時代の空気が反映されています。さらに翌2008年6月には、元派遣工の青年(1982年生)が通り魔で7名を殺害、10名を負傷させる秋葉原事件が発生。これがなんと「格差社会に対する怒りの叫び」として奇妙な共感を呼び、岩波書店は3か月後、大澤真幸氏を編者とする論集まで緊急出版するほどでした[20]。
     ここから見ていくように、これらの出来事にはそれぞれ、論ずるべき意味や価値があるものです。しかし歴史学という専攻も災いしてか、博士号をとり常勤の研究職となってもなにひとつ社会的に発言する機会が訪れず、教室では「高校までの日本史と違うから、あの先生はオカシイ」と嗤われていた当時の私(1979年生)にとって、レトリックで戦争待望を叫んだり、じっさいに人を殺したりする営為の方が「メッセージ」として機能するメディアの状況は、異様そのものに映っていました。私がいま、リベラル派の諸氏の反知性主義批判に冷淡なのは、彼らがこのとき示した、格差社会を叩くためなら「反知性主義でもなんでもありだ」とする態度をずっと覚えているからです。
     赤木さんの論旨はシンプルです。新卒採用と長期の正規雇用を中軸に置く日本的雇用の体系のもとでは、大学を卒業した時期が「好況か、不況か」でその後の人生が決まってしまう。彼のような就職氷河期世代──文中の表現では「ポストバブル世代」──は最初から、非正規の道しか選べないハンデを負わされていたのに、目下の論壇で展開される「格差社会論」はそうした世代の差を無視して、「リストラで失業した人はかわいそうだが、ずっとフリーターなのは自助努力の不足だ」といった扱いさえしてくる。本稿でも先に触れた佐藤俊樹『不平等社会日本』なども引用され、中途までの論の運びはむしろ理性的です。
     もっとも反響を呼んだ最大の理由は、苅部直『丸山眞男 リベラリストの肖像』(2006年)で知ったという、戦時下で徴兵された丸山が農村出身の兵卒に殴打された挿話に「中学にも進んでいない一等兵にとっては、東大のエリートをイジメることができる機会など、戦争が起こらない限りはありえなかった」[21]とコメントし、世代間の不平等が放置される現状が続くなら、自分はむしろ新たな戦争を望むとする結論でしょう。丸山眞男といえば「戦後知識人の頂点であり、絶対善」だとする感覚がある程度通用した、最後のタイミングで偶像破壊を──それもリベラルな朝日新聞系の媒体で──行ったことが[22]、衝撃を与えたわけです。しかし今日再訪したとき引用に残るのは、むしろ左派論客からの批判に応答した続編の末尾にある、以下の一節です。
    「戦争は、それ自体が不幸を生み出すものの、硬直化した社会を再び円滑に流動させるための『必要悪』ではないのか。……成功した人や、生活の安定を望む人は、社会が硬直化することを望んでいる。そうした勢力に対抗し、流動性を必須のものとして人類全体で支えていくような社会づくりは本当に可能だろうか?」[23]
     もういちど戦争を始めて丸山を殴ってやりたいという「反・戦後」的な煽りとは異なり、ここで表明されているのは、①「戦争か平和か」は実際には疑似的な命題にすぎず、本当の対立軸は②「硬直化か流動性か」にあるのだとする価値観でしょう。同じことを裏からいうと、社会の硬直性を解きほぐすことさえ可能なら、もちろん平和なままでいいし、逆に戦争のようなカタストロフへの待望が生まれる理由は、いまの日本が硬直化しきって身動きできないからだというわけです。翌2008年は宇野常寛さん(1978年生)が『ゼロ年代の想像力』、濱野智史さん(80年生)が『アーキテクチャの生態系』でそれぞれデビューした年ですが、これらはともに期せずして、上記した赤木さんの「真意」のほうを引きとって発展させる内容を持っていました。
     前者は2000年代初頭にマンガやアニメを席巻したセカイ系──「凡庸な主人公に無条件でイノセントな愛情を捧げる少女(たいてい世界の運命を背負っている)がいて、彼女は世界の存在と引き換えに主人公への愛を貫く」[24]タイプの、自己承認を引き立たせるために世界像の崩落を描く諸作品を内向きのナルシシズムだと批判し、別個の想像力を対置する評論。後者は、すでに触れた2004年のFacebookから07年のiPhone(ともに日本版は08年から)にいたるソーシャルメディアの台頭を総括しつつ(第8回)、日本独自のIT環境がもたらした新しい「人とのつながり」の形を探る研究です。言い換えれば、宇野さんの本は「もう①の問題系に引きずられるのはやめよう」と主張し、濱野さんの方は「②の命題をテクノロジーで解決しよう」と呼びかけている。
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  • 與那覇潤 平成史──ぼくらの昨日の世界 第10回 消えゆく中道:2007-08(前編)

    2020-03-24 07:00  

    今朝のメルマガは、與那覇潤さんの「平成史──ぼくらの昨日の世界」の第10回の前編をお届けします。自民党から民主党への政権交代への期待が高まっていた2007年〜2008年。小泉ブームの中で後継指名を受け、順風満帆に船出したはずの第一次安倍内閣が失速します。その後継であった福田康夫内閣では民主党に「大連立」を持ち掛けますが、その大連立構想も挫折。その背景には、二大政党化にともなう「中間派の消滅」という大きな課題が横たわっていました。
    現在の鏡のように
    平成19~20(2007~08)年ほど、いま私にとって懐かしく、また多くの人には「理解しがたい」時代も珍しいに違いありません。平成の最末期からの安倍長期政権下、「安倍さんを好きでもないけど、野党がダメすぎるから支持せざるを得ない」有権者は少なくありませんね。2007年夏から09年秋までの2年間は、ちょうど鏡像のように正反対の「野党(民主党)を信じるわけではないが、自民党がオワコンなので期待するしかない」とする気分が、国民のあいだに満ちていました。
     すべては、安倍晋三という宰相の「子供っぽさ」が招いたつけでした。前任の小泉政権の五年半にスキャンダルで去った大臣は2名のみでしたが、第一次安倍内閣(2006年9月~翌年同月)では約1年で5名が交代(うち1名は改造後)。それも現職閣僚として史上二人目の自殺となった松岡利勝農相、「原爆投下はしょうがなかった」の失言で引責した久間章生防衛相など[1]、あぜんとさせる体たらくは学級崩壊にたとえられたほどでした。直後に行われた07年7月の参院選で、自民党は30議席減の大敗を喫し、公明党と足してもなお過半数を割る「ねじれ国会」に追い込まれます。おまけに安倍氏が当初続投を表明し、内閣改造の後に「官房長官(与謝野馨)すら会見で初めて知る」前代未聞の投げ出し辞任を行ったことで[2]、政権政党としての信頼は地に堕ちました。
     なにがまちがっていたのか。小泉自身の後継指名もうけて順風満帆に船出したはずの安倍政権を躓かせたのは、直接には争点形成の失敗でした。憲法改正につながる国民投票法の制定や、戦後初めての教育基本法の改正は、コアな保守層にはアピールしても国民全体の関心とはずれていた。くわえて親しい保守系議員の多かった「郵政造反組」の大部分を自民党に復党させたことで、民営化を応援してきた小泉改革の支持層が離反。「小泉はかつて革新と呼ばれていたような『野党的』な層を多く惹きつけていたが、これらの人々は安倍政権の方針や政策とは相容れなかった」[3]というのが、鋭い同時代のデータ分析で知られる菅原琢さん(政治学)の総括です。
     しかしその小泉氏の郵政民営化への執念も、合理的な政策というよりは多分に私怨だとみられる以上(第7回)、安倍さんについてだけ「幼さ」を嗤うのはフェアではないでしょう。小泉・安倍の両氏が属した自民党の派閥である清和会(現・細田派)の前身は、佐藤栄作の後継となることを期して、福田赳夫が1970年に旗揚げした紀尾井会。しかし72年の総裁選で田中角栄に敗れ、角福戦争と呼ばれた熾烈な抗争に突入するのですが、平成前半の1995年に福田が著した回顧録を読むと、その独自の思想は派閥の後継者にも影響していることに気づきます。
    「東京中のあちこちがオリンピック施設や道路建設のため取り壊され……代わりに補償金がころがりこんだ『にわか成金』たちが、そこら中に誕生した。セックス映画が氾濫し、朝から晩まで『お座敷小唄』など浮かれ調子の流行歌が流れている。どこもかしこも物と金の風潮に覆われて、『謙譲の美徳』や『勿体ない』という倹約の心掛けといった古来からの日本人の心が失われかけていた。」[4]
     福田は主計局長まで勤めた大蔵省の大物OBですが、こうした描写に見られるのは「よき戦後」のシンボルとされる高度経済成長の否定(!)です。省の先輩にあたる当時の池田勇人首相を、「池田氏の消費美徳論は、私に言わせればまさに暴論」・「池田さんの『物と金優先』の考え方は、私には到底受け入れ難いもの」と酷評している点からみても、単なるレトリック上の詠嘆ではありません。安倍さんは最初の首相への就任直前、流行中だった『ALWAYS 三丁目の夕日』を「東京タワーが戦後復興と物質的豊かさの象徴だとすれば、まぼろしの指輪はお金で買えない価値の象徴である」[5]と、中学生の感想文のように評論してインテリの嘲笑を浴びますが、実はそれは戦後史の裏面で脈々と流れてきた情念だったのです。
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  • 〈失われた未来〉を取り戻すために 『STAND BY ME ドラえもん』宇野常寛コレクション vol.14【毎週月曜配信】

    2020-03-23 07:00  

    今朝のメルマガは、『宇野常寛コレクション』をお届けします。今回は、2014年夏に公開された映画『STAND BY ME ドラえもん』を取り上げます。 原作のエピソードを再構成・アレンジし、のび太の成長物語として『ドラえもん』の(事実上の)完結をなし得た本作。しかし、のび太の成長物語として描かれたことで浮かび上がる、かつて藤子・F・不二雄が描こうとした、現代日本では失われてしまった未来とは何だったのでしょうか。 ※本記事は「楽器と武器だけが人を殺すことができる」(メディアファクトリー 2014年)に収録された内容の再録です。
     《札幌市の札幌琴似工業高の社会科教諭・川原茂雄さん(57)が16日、弁護士を招いて集団的自衛権を学ぶ授業を行った。「2学期から憲法を学ぶ前に、憲法が生活と身近にあることを感じてほしい」という考えからだ。大人にも分かりにくい集団的自衛権の問題を、どう高校生に伝えるか。絵や図を多くし、例え話で 身近な事例に近づけて教えた。  授業は、2年生の現代社会。札幌弁護士会の伊藤絢子弁護士(32)が担当した。まず生徒が伊藤さんに仕事や趣味について質問し、空気がほぐれてきたところで、話は本題に移った。川原さんと伊藤さんは、「ドラえもん」を例に話を進めた。米国は「ジャイアン」、日本は「のび太」。安倍晋三首相は集団的自衛権の行使容認で「日本が戦争に巻き込まれる恐れは一層なくなっていく」と胸を張ったが、「のび太が武装して僕は強いといっても、本当に自分を守れるかな」と川原さん。生徒はみな顔を上げ、考えこんだ。伊藤さんは「武装してけんかをするか、何も持たずやられるのか、選択肢は二つじゃないよね」と、話し合いでの解決法を示した。》(朝日新聞7月19日刊)
     先日、ラジオのニュース番組にゲスト出演したとき、集団的自衛権をめぐる議論について意見を求められた。札幌市の高校の授業で「ドラえもん」を例に集団的自衛権についてディスカッションが行われ、批判を浴びているのだという。番組を担当する局のアナウンサーは僕に尋ねた。「集団的自衛権の是非はひとまず横においておいて、サブカルチャーの例でこうした話題を説明する授業についてどう思うか」と。 僕は迷わず答えた。「それは当然のことだ」と。戦後社会は、軍事について、戦争について、安全保障について正面から語り、議論し、描くことを忌避する文化空間を維持して来た。戦後社会の繁栄と安定がアメリカの核の傘の下に成り立っていることを隠蔽し、破壊と暴力には恐怖と嫌悪と同じくらい憧れと快楽が伴うという現実をも隠蔽して来た。だからこそ、油断するとすぐに安易に戦争の道を歩みかねない人間には理性による戦争抑止が必要なのだという論理にたどりつくことなく、単に忌避し、隠蔽して来た。しかしサブカルチャーだけが戦争という現実を子どもたちに伝えて来た。  いくら、戦中派の実体験を拝聴しても、いくら社会科見学で戦争の傷跡をめぐっても伝えられない戦争の側面について、人間の業の本質について伝えてくれたのは、ファンタジーや幼児番組のかたちをとったサブカルチャーだった。核という人類には過ぎた力への憧れと恐れは『ゴジラ』が、安保体制下における正義の不可能性は『ウルトラマン』が、そして第二次世界大戦で悪の側に置かれたことで拭えぬ傷を負った男性性の迷走は『宇宙戦艦ヤマト』が、それぞれ結果的に、あるいは自覚的に引き受けていったのだ。  僕たちは戦争のもつほんとうの恐ろしさも、そして魔性の魅力も、サブカルチャーから教わって来た。だから「ドラえもん」が集団的自衛権のたとえに用いられるのは至極当然のことだ。実際、のび太という自力では何もなし得ない非力な主人公は、自分たちの力では平和と安定を守れない戦後日本の似姿に他ならない。
     僕は集団的自衛権の安易な行使容認には反対だし、安倍政権の立憲主義を踏みにじる解釈改憲にも批判的だ。しかし、それ以上に、こうしてアメリカの核の傘に守られている現実から目を背け、憲法九条があったからこそ戦後日本の平和が保たれて来た、なんて見え透いた嘘をこの期に及んで振りかざす左翼の愚かさと、それで安倍晋三が止められると思っている能天気さに軽蔑を禁じ得ない。野暮を承知で札幌の高校教諭のたとえ話に突っ込むなら、ジャイアンはアメリカではなくかつてはソビエト、いまは中国であり、そしてドラえもんはアメリカに他ならない。そしてドラえもんの力で幸福(戦後復興と平和)を享受しながらも、それゆえに成長できないのび太=日本が自立するには対米従属の時代を終わらせるしか、ドラえもんにさよならを告げるしかないのだ。もちろん、こうした構造自体がグローバル化が進行し、日本に限らずあらゆる国家にとって一国防衛が現実的ではなくなった今となっては過去のものだ。「その意味においては」ドラえもんで集団的自衛権のたとえとするのはもはや「旧い」のかもしれない。
     だから、この夏公開された映画『STAND BY MEドラえもん』を見たときは、ひどく悲しくなった。映画の出来が悪かったわけではない。むしろその逆で、本作が原作のエピソードを巧みに再構成し、アレンジし、今は亡き藤子・F・不二雄がなし得なかった『ドラえもん』の(事実上の)完結をなし得たのはまぎれもない達成だと思う。  本作において、のび太は成長する。ドラえもんに甘やかされてきたのび太は、その環境に甘えることなく、ドラえもんがいなくても強く前向きに生きていける青年に成長する。それもジャイアンのように単に強くなるのではなく、むしろドラえもんに甘やかされたことで得られた環境の中で、自分の持っている「優しさ」を武器に生きていくすべを獲得する。これはまさに、戦後民主主義が目指した価値そのものだったと言えるだろう。アメリカのように強くなるのではなく、日本的な優しさの価値で、武力ではなく文化と経済で、世界に価値を認められる──本作は藤子が生前描き遺したいくつかのエピソードを中心に、それらをつなぎ、そして要所要所をアレンジして、彼にできなかったのび太の成長物語としての『ドラえもん』を見事に完結させたのだ。しかし、いやだからこそ、映画を見終えた僕は悲しくなった。なぜか。それは藤子・F・不二雄が、『ドラえもん』をむしろ完結「させなかった」ことで描こうとしたものが、未来が、この2014年の日本ではほぼ崩れ去ろうとしていることが分かってしまったからだ。そして、この映画が描いているもの、すなわち「戦後的な成熟」のモデルは既にノスタルジィとしてしか成立しない過去の存在でしかないことが分かってしまったからだ。
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  • 『コロンバス』──モダニズム建築の宝庫で魅せる「観る目薬」|加藤るみ

    2020-03-19 07:00  

    加藤るみさんの「映画館(シアター)の女神」、第3回では『コロンバス』を取り上げます。インディアナ州コロンバスのモダニズム建築を背景に、年齢差のある男女の心の触れ合いを描いた本作。その静謐な映像美は建築好きのるみさんの琴線に触れたようです。
    皆さま、おはようございます。加藤るみです。
    少し前にTwitterにも書いたのですが、最近感動した出来事があったので、ここにも書かせてください。
    とある試写会での出来事なんですが、いつものように試写会場に着いて受け付けを済まそうと思ったら、 携帯電話の電源を切っているか、スタッフの方から一人一人へのチェックがあったんですね。 その次に、シール付き(これがポイント!)の封筒を渡されて、その中にスマホを入れてくださいとの指示があったので、みんなスマホを封筒にIN。 上映中には暗視ゴーグルの警備があり、万全なセキュリティのなかで映画を楽しみました。  マスコミ試写でこのレベルのセキュリティチェックを実施することは少ないのですが、その作品が全米公開前につき、盗撮・情報漏洩を防ぐために実施されたそうです。 この完璧すぎるセキュリティチェックに、終始感動しっぱなしでした。
    なぜかというと、試写会という場でさえスマホをいじる業界人がいて(ほんと消えてほしい!)、私は上映中にそういう場面に遭遇することが多いんです…。そんな人にはすかさず注意していますが。 とあるアニメ映画の試写では、上映中にスタッフがスマホでメールの確認をしていたらしく、それを見た某超大物声優さんが試写室に響き渡るくらいの声で叱責していた場面に遭遇したこともあります。その怒った声も、めちゃくちゃ美声だったんですよね。 もともと好きな声優さんだったのですが、さらに好きになってしまいました。
    現実的に、完璧なセキュリティチェックを試写場や映画館で毎回実施することは難しいと思うのですが、入場前にスマホの電源を切っているかチェックすることくらいは、すぐに対策として実施できるのではないのかなぁと考えさせられました。 映画館に行くすべての人たちが、心地よく映画を観れますように。 そして、スマホいじりする人はサノスに消されればいいのにと日々願う私でした。
    さて、今回紹介する作品は『コロンバス』です。
    ▲『コロンバス』
    サンダンス映画祭をはじめ、28の映画祭にノミネートされて8冠を獲得し、アメリカの有名映画評論サイト「ロッテントマト」での満足度は97%の高評価。私はロッテントマトの評価については正直どうでもいいと思っているタイプの人間なので、そこにはあまり触れませんが、シネフィルたちの間でもジワジワ話題となっている作品です。
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  • 新型コロナウイルスと政府の欺瞞|周庭

    2020-03-18 07:00  


    香港の社会運動家・周庭(アグネス・チョウ)さんの連載『御宅女生的政治日常――香港で民主化運動をしている女子大生の日記』。早くから新型コロナウイルスの脅威に直面した香港。感染を隠蔽しようとして拡大を招いた中国政府のみならず、日本政府が行った一連の対応についても、香港の人々の目には不合理なものに映っているようです。(翻訳:伯川星矢)

    周庭 御宅女生的政治日常――香港で民主化運動をしている女子大生の日記第33回 新型コロナウイルスと政府の欺瞞
    [編集部より] 周庭さんによる本稿の翻訳前の原稿は2020年3月1日の段階で提出されています。時々刻々と変化する現在進行形の事象を扱っている内容のため、判明している事実関係や著者の視点による見解は、あくまで当時の情報に基づくものであることをお断りいたします。
    ここでみなさんとお会いするには久しぶりになります。みなさんは元気に過ごされていますでしょうか
  • 『消極性デザインが社会を変える。まずは、あなたの生活を変える。』第16回 対面は最高の体験だろうか?接客レス時代のデザイン(渡邊恵太・消極性研究会 SIGSHY)

    2020-03-17 07:00  

    消極性研究会(SIGSHY)による連載『消極性デザインが社会を変える。まずは、あなたの生活を変える。』。今回は渡邊恵太さんの寄稿です。宅配ボックスやセルフレジなど、最近増えている人と対面せずにサービスを利用する仕組みについて、その体験としての可能性を考察します。
    今回の担当は明治大学の渡邊恵太です。
    新型コロナウィルスの影響で対面や集合にリスクがある状況になってしまいました。あらゆるイベントや活動が休止状態になり、リモートワークやWeb技術を利用しての仕事やイベント開催が積極的に行われています。さて今回はそれに合わせたわけではないのですが、人を通じた接客やコミュニケーションを少し考え直してみようというものです。不完全なデジタル技術やソフトウェアの時代では対面、face to faceが最高!という意識がありましたが、それは本当だろうか?と問います。そこで、セルフレジ、無人店舗、宅配ボックス、LINEスタンプを題材に「一見消極的に見える方法が、対面以上に都合のよく計らいのある世界を作ってるのではなか?」というお話をしたいと思います。
    一般レジが空いていてもセルフレジへ行く?
    人口減少とテクノロジーの発展が相まって、接客サービスの無人化に注目が集まっています。たとえば、身近ではコンビニやスーパーではセルフレジ、ガソリンスタンドでもセルフ給油を導入しています。ユニクロでもセルフレジが導入されています。私の職場の近くのローソンではセルフレジが3台あります。私はセルフレジをよく利用しています。このセルフレジは数年前からあったのですが、最初利用客はまばらでしたが、現在ではセルフレジ側にも客が並ぶようになりセルフレジという方法は一般化しつつあるように感じます。
    私自身もやるのですが、一般レジが空いていてもセルフレジを利用する人も出てきています。ここに消極性デザインがあると思います。私の場合、まず「ポイントカードはお持ちでしょうか」と聞かれたり人とやりとりするのが少し億劫なことがあります。さらに接客する店員がもし態度が悪い場合、私が不愉快な気持ちになる可能性があり、そのリスクを回避したいという意識が働きます。他にも買った商品を触られたくない衛生的な気持ち、買ったものと私が紐付いてしまう視線的なものなどが「買う」という行為には含まれています。その点セルフレジは、人に比べれば、毎回同じ挙動をしますし、何を買ったかはシステムは知り得ても誰が何を買ったかの情報は店員は直接体験しません。
    またセルフレジ機器自体の設計が以前に比べてより良いものができるようになった状況もあるでしょう。画面は大きく、UIも比較的わかりやすく、バーコードもすぐ認識します。昔々のATMのような反応の悪さや単色の画面みたいなものではなく、ユーザーフレンドリー設計が意識されたフルカラーのものです。ユーザーインターフェース(UI)に改善の余地はたくさんありますが、異常に使いにくいわけではないということがとても大事なことです。
    これらの状況が、べつにセルフレジでもいい、何ならセルフレジのほうがいい。という意識を作ります。そしてよくよく振り返ってみると「そもそもなぜ人が接客する必要があったのか?」という状態へ進もうとしているのが現代でしょう。こうした新しい方法が生まれ発展したことで対面以外の方法が選択できるようになると、対面がもっとも素晴らしいコミュニケーションとは限らない状況が訪れています。
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