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脚本家・井上敏樹エッセイ『男と×××』第12回「男と男」 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.485 ☆
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脚本家・井上敏樹エッセイ『男と×××』 第12回「男と男」
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2015.12.29 vol.485
http://wakusei2nd.com
PLANETSチャンネルに敏樹先生が帰ってきた!
新作小説『月神』も好評の、平成仮面ライダーシリーズでおなじみ脚本家・井上敏樹先生。そのエッセイ連載「男と×××」が今月よりPLANETSチャンネルで連載を再開します。
復帰後の第1回となる今回は、敏樹先生が駆け出し時代に出会い、その後の私生活をも脅かすことになる「恐るべき男」について語ります。
【発売中!】井上敏樹 新作小説『月神』(朝日新聞出版)
▼内容紹介(Amazonより)
「仮面ライダーアギト」「仮面ライダー555」をはじめ、
平成ライダーシリーズの名作を送り出した脚本家による、
荒唐無稽な世界を多彩な文体で描き出す、異形のエンターテインメイント!
(Amazonでのご購入はこちらから!)
PLANETSチャンネル会員限定!入会すると視聴できる井上敏樹関連動画一覧です。
(動画1)井上敏樹先生、そして超光戦士シャンゼリオン/仮面ライダー王蛇こと萩野崇さんが出演!(2014年6月放送)
【前編】「岸本みゆきのミルキー・ナイトクラブ vol.1」井上敏樹×萩野崇×岸本みゆき
【後編】「岸本みゆきのミルキー・ナイトクラブ vol.1」井上敏樹×萩野崇×岸本みゆき
(動画2)井上敏樹先生を語るニコ生も、かつて行なわれています……!仮面ライダーカイザこと村上幸平さんも出演!(2014年2月放送)
【前編】「愛と欲望の井上敏樹――絶対的な存在とその美学について」村上幸平×岸本みゆき×宇野常寛
【後編】「愛と欲望の井上敏樹――絶対的な存在とその美学について」村上幸平×岸本みゆき×宇野常寛
(動画3)井上敏樹先生脚本の「仮面ライダーキバ」「衝撃ゴウライガン!!」など出演の俳優、山本匠馬さんが登場したニコ生です。(2015年7月放送)
俳優・山本匠馬さんの素顔に迫る! 「饒舌のキャストオフ・ヒーローズ vol.1」
(動画4)『月神』発売を記念し行われた、敏樹先生のアトリエでの料理ニコ生です!(2015年11月放送)
井上敏樹、その魂の料理を生中継! 小説『月神』刊行記念「帝王の食卓――美しき男たちと美食の夕べ」
■井上敏樹先生が表紙の題字を手がけた切通理作×宇野常寛『いま昭和仮面ライダーを問い直す』もAmazon Kindle Storeで好評発売中!(Amazonサイトへ飛びます)
これまでPLANETSチャンネルのメルマガで連載してきた、井上敏樹先生によるエッセイ連載『男と×××』の記事一覧はこちらから。(※メルマガ記事は、配信時点で未入会の方は単品課金でのご購入となります)
▼執筆者プロフィール
井上敏樹(いのうえ・としき)
1959年埼玉県生まれ。大学在学中の81年にテレビアニメの脚本家としてのキャリアをスタートさせる。その後、アニメや特撮で数々の作品を執筆。『鳥人戦隊ジェットマン』『超光戦士シャンゼリオン』などのほか、『仮面ライダーアギト』『仮面ライダー龍騎』『仮面ライダー555』『仮面ライダー響鬼』『仮面ライダーキバ』など、平成仮面ライダーシリーズで活躍。2014年には書き下ろし小説『海の底のピアノ』(朝日新聞出版)を発表。
男 と 男 井上敏樹
昨日、電車に乗ると向かいの席の男に見覚えがあった。さて、誰だったかとしばらく考えて思い当たった。それは本人ではなかったが、私を脚本の世界に引き込んだ男に似ていたのである。額が大きく、鼻が高く、なによりも顔全体がひどくでかい。よく「でかい顔するな」という脅し文句を聞くがそんな台詞が虚しくなるほど大きい。座っていると顎の先が膝に着きそうである。それはそのまま男の自己主張の強さを物語っているようだった。
その男は出会った当時、ある大手の映画会社のプロデューサーをしていた。仮りに名前をSとするが、Sは私の父親と一緒に仕事をしていてその関係で私と知り合ったのである。酔った父が真夜中にSを家に連れてきて、その時、私はまだニキビだらけの高校生だった。当時の父は脚本家しての終焉に差しかかっており、私が大学生になると完全に駄目になってそうして私が父の跡を継いだのである。全くの素人である私に脚本のイロハを教えてくれたSはある意味で恩人なのだがこれがテレビのキャラクターとしても無理があるほど強烈な個性の持主であった。まず、肉体的にも精神的にも体力が凄い。実際、大学生の私は四十代のSに常時圧倒されっぱなしだった。仕事の打合せが終わると飯を奢ってくれ、それは大変ありがたいのだが、まず大抵は焼肉で、ハラミだのミノだのカルビクッパなどをマッカリを飲みながら腹に詰め込み、その後で必ずクラブに行く。
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月曜ナビゲーター・宇野常寛 J-WAVE「THE HANGOUT」12月21日放送書き起こし! ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.484 ☆
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月曜ナビゲーター・宇野常寛J-WAVE「THE HANGOUT」12月21日放送書き起こし!
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2015.12.28 vol.484
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大好評放送中! 宇野常寛がナビゲーターをつとめるJ-WAVE「THE HANGOUT」月曜日。前週分のラジオ書き起こしダイジェストをお届けします!
▲先週の放送は、こちらからお聴きいただけます!
■オープニングトーク
宇野 時刻は午後11時30分を回りました。みなさんこんばんは、宇野常寛です。もうすぐクリスマスですね。今宵はちょっと趣向を変えて、恋の相談メールからいきましょう。
ラジオネーム、なつみかんさんです。
「宇野さん、相談です。私は中学2年生のとき、隣の席だったSくんを好きになってしまいました。変顔をしたりバカにしあったり、毎日とても幸せでした。しかし、Sくんが同じ部活の先輩に恋心を抱いていることがわかり、私は友達として『自分の気持ちを伝えなよ』と背中を押してしまいました。結果は両思い。でも、その後もSくんは普通に私と接してくれました。毎日Sくんに惹かれていき、それからしばらく経って、Sくんから、先輩と別れたという話を聞きました。そして私は告白を意識しました。しかし、ほかの人から、まだ付き合っているという話を聞き、私はとっさに冷たい態度をとってしまいました。Sくんはとても傷ついた表情をしていました。それからしばらく私たちは話すこともありませんでした。そして、Sくんが中体連のときに、『3年間おつかれさま』という手紙と、お菓子を渡してきました。それでも私たちの間には壁がありました。そして、夏休みの作文でSくんが私のことを書いていたのです。嬉しかったです。でも3ヶ月も話すことはありませんでした。それでつい3日前に、テストの席が近くなり、会話をしました。なんか私の目薬を気に入ったらしく、欲しいと言ってきました。『やだ!』というと、『お菓子のことバラすぞ』と気まずくなった話を持ち出してきました。宇野さん、どうしたら彼と元の関係に戻れますか? アドバイスをください。」
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井上明人『中心をもたない、現象としてのゲームについて』 第2回 理性を喚び起こすもの――複数の合理性と向き合う ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.483 ☆
2015-12-28 07:00220ptチャンネル会員の皆様へお知らせ
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井上明人『中心をもたない、現象としてのゲームについて』第2回 理性を喚び起こすもの――複数の合理性と向き合う
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2015.12.28 vol.483
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今朝のメルマガは井上明人さんの『中心をもたない、現象としてのゲームについて』の第2回です。『伝説のオウガバトル』や『シムシティ』を題材に、社会的倫理とは別の回路で発生する価値判断の葛藤と調停、ゲームが促す「理性的な思考」の可能性について考察します。
▼執筆者プロフィール
井上明人(いのうえ・あきと)
1980年生。関西大学総合情報学部特任准教授、立命館大学先端総合学術研究科非常勤講師。ゲーム研究者。中心テーマはゲームの現象論。2005年慶應義塾大学院 政策・メディア研究科修士課程修了。2005年より同SFC研究所訪問研究員。2007年より国際大学GLOCOM助教。2015年より現職。ゲームの社会応用プロジェクトに多数関っており、震災時にリリースした節電ゲーム#denkimeterでCEDEC AWARD ゲームデザイン部門優秀賞受賞。論文に「遊びとゲームをめぐる試論 ―たとえば、にらめっこはコンピュータ・ゲームになるだろうか」など。単著に『ゲーミフィケーション』(NHK出版,2012)。
■1−2.理性を喚び起こすもの――複数の合理性と向き合う
『伝説のオウガバトル』(クエスト、1993、SFC)というゲームがある。
このゲームの際だった特徴は、「カオスフレーム」と呼ばれる民衆からの評判を常に気にしながら軍を運営しなければならないことだ。民衆からの評判が低ければ、毎月の軍資金を民衆から寄附してもらえず武器も供給も兵士の給料もままならなくなる。民衆から見放されて軍資金を調達できなくなった軍隊は、当然とても弱い軍隊となってしまう。
では、民衆から支持されるためにはどうすればよいのかというと (1)弱い者を殺す戦い (2)僧侶など聖職者を殺す戦い (3)都市を戦場にした戦い、などを民衆の眼前で繰り広げないことだ。たとえば、強そうなバーサーカーが弱い僧侶を何人も虐殺するような戦い都市の真ん中で見せてはいけない。「人は見た目が9割」ではないが、軍隊の見え方が「民衆から見た正義」を決定する。
一方、軍隊を率いる事情からは、民衆ウケのよい戦闘ばかりでは軍に十分な戦闘経験を積ませることができず、次第に敵に勝てなくなる。民衆からの支持を得るような戦いだけを行おうとしすぎてもいけないということだ
それゆえ、プレイヤーは「戦闘に勝利する」という欲望と、「民衆の支持を得る正義の戦いをしよう」という引き裂かれた二つの欲望を同時に達成するように誘い込まれる。
結果、ほとんどのプレイヤーは同じ選択にたどり着く。それは「民衆から見えないところで汚い戦闘を続けよう」というものだ。民衆はあくまで限定合理的[1]な存在でしかないため、民衆の「視力」の限界よりも向こう側――つまり町から遠く離れた場所――ならば、いくらでも汚い戦争ができるのだ。そうして、プレイヤーは自らの創意工夫の結実として「汚くてキレイな戦争」を遂行することになる。
キラキラとした聖騎士と僧侶が街を解放しに訪れ、その一方で魔法使いやバーサーカーで構成された殺戮部隊が市街地から遠く離れた場所で敵を殲滅する。オモテでいい顔をしながら、裏でとても見せられないような戦いを展開する。こういった戦争を行うことこそが、このゲームを攻略するうえで、もっとも効率的でバランスのとれた方法なのだ。
*
前回挙げた例は、目の前にいる相手が敵か味方かがわからないようななかで、反射的にそういった道徳的な逡巡を打ち破って発砲をしてしまう、という話だった。
いわゆる理性的で反省的な思考ではなく、即座の感覚的判断こそが重要になるような状況を理解するうえで、ゲームというメディアが表現できることはことのほか大きいということだった。今回、挙げるのもまた、一種の道徳的ジレンマのような話だが、そういったジレンマ状況において感覚が果たす役割ではなく、理性的な理解を促すのにもゲームは独特の仕方で機能する。最初に例に挙げた、伝説のオウガバトルはこうしたものの最たる例だろう。これは、ある意味では前回と反対のことを言っていることになる。
*
理性的にものごとを考え、討論するために2015年現在、最もポピュラーなツールは間違いなく、文章によるものだ。
長い間、新聞は教養の象徴だったし、今はその機能の何割かがインターネットへの移りつつあるが、思弁的な議論の極めて多くのものが文章を介して行われているし、学術的な議論は何よりも論文という形態が重視されるし、そもそも今書いているこのテキスト自体が文字によるものである。文字という思考ツールは、その生産コストの低さ、論理性、多様な問題の扱いやすさからいっても、とても有効なツールである。
理性的思考ツールとして「文章」に対するポピュラーな対抗馬の一つは、「数式」だろう。数式は、日常言語からはどうしても距離があるため使いこなすのにトレーニングを要するのが難点だが、自然科学のようないわゆる理系とされる学問だけではなく、経済学、政治学、社会学のような社会科学諸分野においても、数学は重要視されるツールだ。経済政策、選挙制度の設計、外交政策、教育問題など、社会のさまざまな分野で数学的な理論ツールが使われ、その制度設計や運用が行われている。
そして、論理的な文章も、数学もひっくるめて、それらを理性的思考のツールとするのであれば、アンチ理性的な仕方で世界を理解する手立てとして脚光を浴びやすいのが、芸術諸分野だろう。バカっぽい言い方をすると「考えるな!感じるんだ!」というものが理性的討論に対する伝統的なカウンターであった。前回の話は、そういう話である。ゲームは、理性的討論に対する重要なカウンターとしての役割を果たしうるということだ。それゆえ、ゲームはカウンターカルチャーとも相性がよかった。[2]
「考えるな!感じるんだ!」を実現するための手立てとしてゲームが重要であると言っておきながら、舌の根も乾かないうちに反対のことを言っているようだが、ゲームは理性的な思考にとっても、時に驚くようなクリアな理解を与える。
もっと、よく知られたゲームでいえば『シムシティ』がそうだろう。効率的なプレイを追求すると、多くのプレイヤーがまず原子力発電所を建てて、交通は碁盤目状に道路を敷き詰めて、税金は住民が出て行かない範囲で高額にしていく。人口を増やし、資金を増やすということをそもそもの前提としたときに、原子力発電所が補うことのできる単位コストあたりの世帯数はそのリスクを考慮したとしてもパッと見に圧倒的に割安に見えるし、少しぐらい税金を高くしてでもインフラまわりの施設をドンドンと建てていかなければ市の発展は見込めないので、住民が耐えられる範囲で税金はとっていかないと都市計画が成立しない。
小学生の子供でもこのことは理解することができ、ゲームをはじめて数時間で、子供がいきなり「工業税率を下げよう」[3]「住宅税率を下げよう」などと言い出すので、驚いたという話もある。
もちろん、シムシティにおいて原発政策が効果的だからといって、現実世界においても原発政策が効率的であるというわけではない。シムシティにおける効率的プレイは、シムシティ世界を成立させている前提となるプログラム群によって規定されている。そして、シムシティの前提が、一定の偏りをもっており、その前提をいじれないということはしばしば批判を受けてきた。たとえば、パソコンの父と言われるアラン・ケイは教育用ツールとしてのシムシティは最低だと批判している[4]。
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魔法の世紀を迎えるための助走 後編(落合陽一『魔法使いの研究室』) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.482 ☆
2015-12-27 17:00550ptチャンネル会員の皆様へお知らせ
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【全文無料公開】魔法の世紀を迎えるための助走 後編(落合陽一『魔法使いの研究室』)
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2015.12.27 vol.482
http://wakusei2nd.com
本日は、12月2日にブックファースト新宿店で行われた特別講演「魔法の世紀を迎えるための助走」の後編をお届けします。近代以降のメディア史とコンピュータ史を踏まえながら、目前に迫っている「魔法の世紀」の訪れと、デジタルネイチャーの可能性について論じます。
【発売中!】落合陽一著『魔法の世紀』(PLANETS)
☆「映像の世紀」から「魔法の世紀」へ。研究者にしてメディアアーティストの落合さんが、この世界の変化の本質を、テクノロジーとアートの両面から語ります。
(紙)http://goo.gl/dPFJ2B/(電子)http://goo.gl/7Yg0kH
取り扱い書店リストはこちらから。http://wakusei2nd.com/series/2707#list
▼プロフィール
落合陽一 (おちあい・よういち)
1987年東京生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程を飛び級で修了し、2015年より筑波大学に着任。コンピュータとアナログなテクノロジーを組み合わせ、新しい作品を次々と生み出し「現代の魔法使い」と称される。研究室ではデジタルとアナログ、リアルとバーチャルの区別を越えた新たな人間と計算機の関係性である「デジタルネイチャー」を目指し研究に従事している。
音響浮揚の計算機制御によるグラフィクス形成技術「ピクシーダスト」が経済産業省「Innovative Technologies賞」受賞,その他国内外で受賞多数。
※『魔法の世紀』の内容をフォローアップすべく、PLANETSチャンネルでは落合さんがこれまでに登場した記事を無料公開中! 無料で読める記事一覧はこちらのリンクから。
本記事の前編はこちらから。
■ 「映像の世紀」の終わりとコミュニケーション消費
ここまで、ざっとメディアの歴史をおさらいしてきました。18世紀までのメディアの中心は絵画でした。19世紀から20世紀にかけては、マス(大衆)を対象とした「映像」というメディアが現れました。
そして、今の時代を象徴するメディアは「コンピュータ」です。これをあえて別の言葉で言い直すなら、「魔法」と呼べるのではないか、というのが僕の考えです。
19世紀までのコミュニケーション消費は、全体不便性の中で行われていました。例えば、井戸端会議という言葉が生まれたのは、当時は井戸でしか洗濯や水汲みができなかったからです。井戸が空くのを待つ暇な女性たちが、ペチャペチャ喋ってたわけですね。
それが20世紀に入って洗濯機などの家事をするための機械が家庭に普及したことで、生活の中に自由な時間が生まれ、それを埋め合わせるメディアとして映画やテレビが普及しました。これらのメディアは誰もが同じように紋切り型でコンテンツを消費できるところに特徴がありました。その価格は年代を追うごとに下がり、人々が大量の映像をコンテンツとして消費する時代が訪れたわけです。
しかし、21世紀の僕たちは、コンテンツよりもコミュニケーションを消費するようになっています。それは、19世紀以前の全体不便性の中で行われていたコミュニケーション消費とは根本的に異なっています。
現在の僕たちは自分の時間を確保し、それを個人の判断であらゆることに使えます。そういう状況下では、個人のコンテクストは多様化し、人々は同じコンテンツを消費しなくなっています。
例えば90年代までは、1人のアーティストのCDが100万枚売れていました。しかし現在のAKB48では、数百人のアイドルそれぞれにお金を投じるファンがいて、握手会を開けば個人的な文脈によって100万枚のCDが売れるような時代になっています。
ここ数年、日本でもイベント化するようになったハロウィンも、コミュニケーション消費のひとつです。それぞれ好きなコスプレをして、街頭に集まっている様子をTwitterやFacebookで共有する。ここでSNSは、ハイコンテクスト化を促すインフラとして機能しています。
旧来の映画やテレビといったメディアでは、単一のコンテンツをn人で観ていましたが、現在の文化の特徴は、n人 × n人で世界を捉えるところにあります。これは阿部先生の資料をお借りしたものですが、このように定式化することもできます。
リアルとバーチャルの境目が無くなってきた現在、画面の中を飛び越えて、この現実の中にいかにして物語を生み出すかが、次なるテーマです。メディアを意識することなくコンテンツに触れられるようになると、虚構が画面を隔てた向こう側ではなく、生活内のありとあらゆるところに溶け出してくる。今あるこの現実と虚構が溶け合い唯一のモノとなることで、やがて、虚構という概念は消失していくことになるでしょう。
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大見崇晴『イメージの世界へ 村上春樹と三島由紀夫』第一章 イメージの世界へ ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.481 ☆
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大見崇晴『イメージの世界へ 村上春樹と三島由紀夫』第一章 イメージの世界へ
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2015.12.27 vol.481
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今朝のメルマガでは大見崇晴さんの『イメージの世界へ 村上春樹と三島由紀夫』第2回をお届けします。三島由紀夫が「楯の会」を結成した1960年代末、日本は大量消費社会へと移行しつつあり、三島はそのポップ的な感性に飲み込まれようとしていた――。三島と春樹、2人の文学者の時代の空隙を埋める論考です。
▼プロフィール
大見崇晴(おおみ・たかはる)
1978年生まれ。國學院大学文学部卒(日本文学専攻)。サラリーマンとして働くかたわら日曜ジャーナリスト/文藝評論家として活動、カルチャー総合誌「PLANETS」の創刊にも参加。戦後文学史の再検討とテレビメディアの変容を追っている。著書に『「テレビリアリティ」の時代』(大和書房、2013年)がある。
第一章 イメージの世界へ
三島由紀夫は一九七〇年に割腹自殺を遂げた。一九六〇年代末の三島は「楯の会」という軍服を模した制服を身に纏った青年たちを率いていた。その光景を見て三島から慕われていたフランス文学者であり作家である石川淳は、三島がポップ・アートを始めたと思った。そう信じようとした。大衆消費社会に対して批評的なアートとして、楯の会を運動しているのだと思っていた。そのことを石川淳が口にすると三島は喜ばなかったという。
だが、実際のところ楯の会はポップ・アートとして捉えられてもおかしくはなかった。
三島自身が「この軍服はド・ゴールの軍服をデザインした唯一の日本人デザイナー五十嵐九十九氏のデザインに成る道ゆく人が目を見張るほど派手なものだ」と胸を張る制服について、三島由紀夫の弟子でもある編集者・椎根和は次のように回想する。
軍服のデザインも、後で調べてみると、米国コロラド州にある米軍空軍士官学校の制服によく似ていた。一九六五年の夏発売の平凡パンチ誌に、その士官学校の写真が三頁にわたって掲載されていた。
(椎根和『平凡パンチの三島由紀夫』)
このように回想する椎根和が「popeye」、「Olive」、「relax」といったバブル期日本の「大衆消費社会」を象徴する出版社であるマガジンハウスの雑誌の創刊に立ち会った編集長であることが、ポップ・アートとして解釈されることを嫌った三島にとって何よりの皮肉だろう。
江戸文化の評論家として知られ、またモダニストとして前衛芸術に明るかった石川淳にしてみれば、楯の会の制服は大衆消費されるべく雑誌に掲載されたアメリカの軍服をそのままデザインしたのだから、ポップ・アートでないこと自体が驚きであったはずだ。
付け加えれば、何せ三島由紀夫による楯の会立案書(「祖国防衛隊基本綱領(案)」)は次のような檄文だから、天才作家と祭り上げられた三島由紀夫による質の悪い冗談、キッチュ(俗悪趣味)としか思っていなかったはずだ。
祖国防衛隊は、わが祖国・国民及びその文化を愛し、自由にして平和な市民生活の秩序と矜りと名誉を守らんとする市民による戦士共同体である。
(三島由紀夫「祖国防衛隊はなぜ必要か?」)
石川淳にとってみれば「わが祖国・国民及びその文化」といった文章に合致するとは思えない楯の会の制服は、三島による大衆消費化された戦後日本に対する皮肉(ポップ・アート)にしか思えなかったろう。日本文化は既にしてアメリカナイズされているという、一流小説家ならではの皮肉というわけだ。
こうした事情を知る読者には微笑を誘う「祖国防衛隊基本綱領(案)」と題された檄文は「一九六八年一月一日」に発せられたものである。この檄文が世に問われてから三島が自害を果たす一九七〇年までは二年ほどの猶予がある。その前後の日本に待ち受けていたのは、一層の大衆消費社会の展開(大江健三郎が代表作『万延元年のフットボール』で「スーパーマーケットの天皇」を登場させている)であり、脱工業化社会と呼ばれる社会の到来だった。
この時期の日本において「時代と寝た」文化は、のちに「ニューミュージック」とも呼ばれることにもなるフォークソングだった。「帰ってきたヨッパライ」を発表したフォーク・クルセダーズも、「自衛隊に入ろう」を歌った高田渡も画期的だったが、よしだたくろう(現アーティスト名・吉田拓郎)はフォークソングの流れにおいて決定的に画期的な存在だった。三島が死んだ一九七〇年に発表された「イメージの詩」は、よしだたくろうの代表曲と言え、日本歌謡曲史においてもメルクマールとなるものだ。注意しなければいけないことはこの曲にはメロディにおいては目新しいものは何も無い。それはボブ・ディランの「廃虚の街」を借りた以上のものではない。戦中戦後日本歌謡曲史が替え歌の歴史であるように、メロディを追うだけでは新しさには気づけない。よしだたくろうには歌詞にこそ新しさがあった。
「イメージの詩」は、世界がイメージに覆われてしまったことを歌詞にした曲である。
この曲で歌われる「イメージ」とは目に見えるものといった単純なものではない。
一九六二年にダニエル・J・ブーアスティンが『幻影の時代―マスコミが製造する事実』(原題"The Image")で扱った情報消費社会における幻影(イメージ)、実体験ではなくマスコミを通じて疑似的に経験したものを指し示している。イメージに覆われた世界では真実も正しさも美しさも、実際に体験したものか疑似的に経験したものか区別がつかなくなっている。真善美を模した真実らしさ・正しさらしさ・美しさらしさ。これらが世界を覆い尽くし、真善美と区別がつかなくなる。場合によってはそういった「らしさ」をも疑似的に体験してしまい、「「真実らしさ」らしさ」をも経験するような世界となるのだ。
フランス現代思想の用語に換言すれば、ジャン・ボードリヤールが提示した概念である「シミュラークル」の循環が到来したことを、七〇年代日本のフォークソングは提示してみせたのだ。信じられるものがあるかは判らず(真理の喪失)、着飾る意味も理解できなくなり(美の喪失)、戦い続けるひとの心も判らず(善の喪失)、真善美に触れることができた「自然」に戻ることもできず、ただただ「自然」ではない事態に気づく「不自然」に慄いてみせる。残されているのは「らしさ」というイメージで覆われた世界のみだ。「イメージの詩」で歌われているのは、そのような内容である。日本のポップ・ミュージックは一九七〇年の時点で、このような高い頂に達していた。よしだたくろうが一九七〇年代に日本のポップ・ミュージックを領導していたのは、このような水準を高く飛び越えた才能によるものだ。
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【無料公開】「現代の魔法使い・落合陽一 ――彼だけが、本物の中二病である」宇野常寛「THE HANGOUT」2014年12月8日オンエア書き起こし(2014-12-15配信) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 号外 ☆
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「現代の魔法使い・落合陽一――彼だけが、本物の中二病である」宇野常寛「THE HANGOUT」2014年12月8日オンエア書き起こし
(2014-12-15配信)
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2015.12.25 号外
http://wakusei2nd.com
ネットでもリアル書店でも話題沸騰中の落合陽一さんの著書『魔法の世紀』 -
森と干潟の流域を歩く「小網代の森」探訪記・後編(毎週金曜配信「宇野常寛の対話と講義録」) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.480 ☆
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森と干潟の流域を歩く「小網代の森」探訪記・後編(毎週金曜配信「宇野常寛の対話と講義録」)
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2015.12.25 vol.480
http://wakusei2nd.com
今朝は、神奈川県の三浦半島にある「小網代の森」の保全活動を推進している進化生態学者・岸由二さんのインタビューの後編をお届けします。岸さんが「小網代の森」に関わるようになったきっかけ、さらには〈流域の思考〉によって培った、新しい自然環境保護の思想について、語ってもらいました。(本記事の前編はこちらから。)
▼プロフィール
岸由二(きし・ゆうじ)
慶應義塾大学名誉教授。1947年東京生まれ。横浜市大、東京都立大大学院を経て、1976年より慶應義塾大学経済学部助手。助教授、教授を経て2013年退職。進化生態学専攻。流域思考の防災・環境保全型都市再生に関心をもち、三浦半島小網代や鶴見川流域で、NPOの代表として理論・実践活動を続けている。共訳書に『利己的な遺伝子』、著書に『流域地図のつくり方』など。
◎聞き手・構成:宇野常寛、PLANETS編集部
■ 「見る」ための地図と「住まう」ための地図
―― 僕はいま高田馬場に住んでいるんですが、距離的には雑司ヶ谷や目白台はすごく近いはずなんですけれど、体感的には渋谷や九段下の方が近く感じるんです。それは多分、電車のせいなんですが。そこにずっと違和感を感じていたんですよね。
岸 前回も話しましたが、宇野さんもほとんどすべての現代人も、普段はリアルな流域の地形に沿って暮らしているわけじゃなく、自分の住んでいる駅の沿線の住人として生きていますからね。ある意味で当然です。一方で、そこに違和感を感じる人と感じない人がいる。たとえばいま『ブラタモリ』のような番組が面白がられるのは、ちょっと違和感のある人があの番組にひっかかるからでしょう。ずっと都市に暮らしていても宇野さんのように違和感を持つ人はいるわけで、そんな人は自分の感覚の中に、前回お話ししたような、二次元のデカルト的な行政地図だけじゃなく、3次元の大地の凸凹マップが本人のマザーマップとして残っているのかもしれない。流域地図は、その基本単位なんですね。
―― 僕自身、東京に来る前は自転車移動が中心でした。それが東京に来てからというものすっかり電車移動ばかりになってしまって、そしてずっとこの街が好きになれないでいました。東京が少しは好きになれそうだな、と思えるようになったのは散歩を趣味にするようになってからですね。歩くことで、随分と街の見え方が変わったように思えます。
岸 原始の狩猟採集民のように徒歩か、あるいは自分で重力の負担を感じられる自転車での移動じゃないと、生物としての人間がリアルな地形を体感し、流域地図を自身のマザーマップとして獲得することは難しいでしょうね。自動車や電車や飛行機での移動は、地形をすっとばしてしまうから、あくまで景色としてしか外観を認識できない。
―― 僕も『ブラタモリ』は大好きな番組だし、あとは中沢新一さんの『アースダイバー』にも強い衝撃を受けたクチです。しかし、岸さんのおっしゃる〈流域の思考〉はそのふたつとはちょっとずれたところにあるように思えます。
岸 『アースダイバー』は、現代の行政地図ではなく、地形や歴史を踏まえた数千年前の縄文海進時代の地図を持って街を歩く、という視座を提供しました。その意味ではとても面白かったのですが、学術的なものではないので自然科学や防災のようなリアルな仕事にはいまひとつ使えない。
―― 『ブラタモリ』は江戸と東京、ふたつの時代の文脈の差異で、『アースダイバー』は土地の歴史と作家・中沢新一の文学的想像力との間の差異で世界の見え方を変える、という試みだと思います。対して、〈流域の思考〉を身につけるということは、実際にその土地に住み、資本主義の中で暮らしている僕らの生活の中で世界を見る目を二次元から三次元へと拡大する、というか三次元的に捉える目を取り戻すものに思えますね。
岸 『ブラタモリ』や『アースダイバー』の地図は、過去の歴史と戯れるためのもの、という側面がある。最近のタモリさんは、『ブラタモリ』の軽井沢の回で、とある峠が2つの川の分水嶺で、水を流すと片側は日本海に、片側は東京湾に流れる、なんてことをやったり、『タモリ倶楽部』で荒川上流の施設にある立体流域地図で遊んだりと、現代・未来の「流域」に明らかに興味を持ち始めているな、と思いますが。
いずれにせよ、日常の「住まう」ことの基礎に大地のリアルな凸凹地形に対する感覚をベースにした流域地図があって、その流域地図が個々人のマザーマップになる、というのが常識になるのには、まだまだ時間がかかるでしょう。だから、前回もお話ししたように、まずは「流域地図」を具体的な道具として、役立ちそうなところならどこででも使ってほしい。防災や街づくりや自然保全の仕事には絶大な効力を発揮するはず。
ここ小網代では、まさに流域のかたちを明確に認識し、流域のかたちに沿って、自然の維持や保全、管理を行っています。ここに水を流そう。ここに湿地をつくろう。ここに土砂を貯めよう。ここの川幅を広げよう。「流域思考」を持って、小網代の流域のかたちを具体的に利用して、作業しています。それを繰り返しているうちに、現場で作業しているひとの体の中に、哲学としての「流域思考」だってインストールされていく。
話は変わりますが、現代生態学には、1980代からアメリカで流行りだしたランドスケープエコロジー【1】という概念があります。空間的な構造を基礎においた生態学ですが、ここで使われている「ランドスケープ」(landscape)という言葉は、定義を辞書で引くと「風景画」「景観」と出てくる。つまりあくまで「見る」地形のことであって「住まう」地形のことじゃない。英語圏においては、”live in landscape”、ランドスケープの中に生きる、という文章は本来成立しないんですね。
にもかかわらず、欧米では「ランドスケープエコロジー」なんて概念を提唱し始めちゃった時期がある。この単語、本来おかしいわけです。エコロジー=生態学には、具体的なジオグラフィー(地形)がセットに決まっている。そこで生きものが暮らすわけですから。ランドスケープエコロジーじゃ、風景の中に生きものが暮らしていることになっちゃう。だから、専門家があわてて「要素生態系を複数繋げたものをランドスケープと呼ぶ」なんて馬鹿な定義をしちゃったりもした。
ところが、それから20〜30年経つと、自然保護や環境保全の領域から「ランドスケープ」という言葉の意味が変化してきた。現在では”live in landscape”という文章は、それらしい英語の本を読めばいくらでも登場するし、ネットで検索しても出てくる。出版物でも普通に使える表現になってきたんですね。
つまり、この30年くらいで、ランドスケープは「見る」と同時に「住まう」ものになったんです。こういった言語的転換を前提にすれば、この「小網代の森」こそが、ランドスケープエコロジーを具現化した場所とも言える。人々が見る場所でもあるし、生きものが住まう場所でもある。そしてもちろん、私たちNPOがまるでそこに住まうかのように、自然の世話をする場所でもあります。
■ あらゆる土地に現れる「流域」の構造
――岸さんは進化生態学者として大学でキャリアを積まれていますが、「小網代の森」の保全活動のように、大学とは関係のないところで、実践的な環境保護活動に関わり始めたきっかけは何だったのでしょうか?
岸 小網代は1960年代までは田んぼがあって、斜面は薪炭林として使われていた。おそらく何百年も稲作が営まれていた。河口の干潟では貝なんかをとっていた。地元の人たちにとっては、食をつくり、燃料を得る場所で、徹底的に人が手入れし、利用してきたところです。
それが、1964年の東京オリンピックの頃を境に、電気やガスが普及して、燃料をとる必要がなくなり、わざわざ稲作をやる人もいなくなった。一方、三浦半島は日本で最初のリゾート開発の場となりました。ヨットハーバーが葉山から油壺、小網代までできました。小網代にはリゾートマンションまで建った。そこで小網代の森も湿地も将来はリゾート開発をという声も聞かれるようになり、1970年の都市計画の線引きで市街化地域となった。でも、こんな深い谷に、地権者は誰も家を建てなかったんですね。その間、小網代の薪炭林は明るい広葉樹林の林になり、水田は深い湿地にかわっていきました。そして80年代に入ると具体的なゴルフ場建設を含む大規模な開発計画が立ち上がったんですね。
83年、慶応大学の教員仲間が小網代の近所に住んでいてこの森を偶然見つけ、「おい岸、三浦半島に原生林があるぞ」と連絡してきたのがきっかけです。翌年、実際に小網代に足を運んだら、原生林じゃないけど、もっともっと貴重な場所、ということが直感的にわかった。山のてっぺんから河口の干潟までがまるごと守られている。流域生態系の保全に理想的な環境だ、と。
ゴルフ計画を含む総合的な開発計画(三戸・小網代開発)が発表されたのは翌年の1985年。よし、流域思考の方法にそって、あくまで都市計画への代案提示という線で、小網代の谷の保全をめざそうと、運動(ポラーノ村運動)に参加したのです。それから全力で小網代通いをはじめ、自然の調査もすすめました。
1987年には、小網代の中央の谷を前面保全することを基本の要素として開発計画全体をみなおそうと呼びかける「小網代の森の未来への提案」という記念碑的な冊子を出版し、同時に、小網代ファンをふやすため、またアカテガニと一緒に森をまもる運動の戦略書として『いのちあつまれ小網代』という著書を出版しました。
その後、激動の紆余曲折はありながら、1995年には神奈川県が小網代の谷の全面保全の方針を明示するにいたり、開発主体だった企業も賛同して、三戸・小網代開発は、70haの小網代流域全体を保全する新たな開発計画に改定されることになりました。農地造成、道路、宅造計画などはそれとして進んでおりますが、小網代の谷そのものは、2005年、国土交通省の国土審議会の審議をへて、近郊緑地保全区域に指定されました。
ただし、保全の決まった当時は、まだ土地収用が済んでいなかったため、水田から、見事な湿地帯へ、さらにそこから乾燥したササ原、そしてササヤブへと荒れ放題になっていく小網代の自然の手入れをすることはできませんでした。2009年になって、神奈川県が保全事業に必要な土地の買収が順調にすすみ、可能な場所から順に、やっと手入れをしていいことになりました。そこで、かつて湿原だったのに乾燥してササヤブになっていたところを湿原に戻す作業から始めたんです。
それから足掛け6年。今、皆さんが歩いてきた湿原は、すべて僕らがササヤブになってしまった場所を湿原に戻したものです。
柳瀬 そもそも三浦半島において、川沿いの湿地という環境は、自然のままにほったらかしにしていたら、本来存在しないんです。
ここは標高80メートルの最上流のてっぺんから、わずか1.3キロで海抜ゼロメートルまで下っている。それだけ急な川だと、人が手を入れなかったら深い深い渓谷になって、一気に海に流れ落ちる。実際、三浦半島の葉山や逗子のあたりの川は、深くて暗い谷を形成し、湿原も平野も作らずに、一気に海に流れこんでいる。
では、なぜ、小網代は真ん中あたりから下流部にかけて広く平らな湿原が谷の低地にあるかというと、それはここでは昔から人間が何百年もかけて、川をせき止め、土砂を溜め、水路を工夫して田んぼをつくり、ゆっくりゆっくり水が流れ、土が堆積し、湿地構造ができるように手入れをしてきたからです。いま手付かずの自然に見える小網代の湿原こそは人間の手入れによってできた地形なんですね。
―― なるほど。私たちは「ありのまま自然」といった、人の手が一切介入しない環境を尊びがちですが、それが必ずしも「豊か」であるとは限らないんですね。人間の手を経ないと、このように森から湿地、干潟と続くグラデーションは生まれなかったと。
柳瀬 人間が関わったことによって、小網代には三浦半島ではレアな湿地環境が生まれたんです。元々、人間が作った田んぼの環境の隅っこにあった自然を、かつての田んぼの面積全部で展開しようというのが小網代の自然維持の発想です。逆にいえば、人間が常に手入れをしないとこのかたちの自然は維持できない。
―― ひとつ気になっていたのが、「流域」の大きさについてです。〈流域の思考〉は人間が体感できる空間の規模に制限されるようにも思えます。ここ小網代ではウォーキングできる距離に流域が収まっていますが、例えば何十キロも続く大きな河川の場合、流域全体を体感的に把握するのは難しいですよね?
岸 どこかの場所で流域を体感し、理解できれば、構造は一緒、水理学的な必然も一緒だから、大小にかかわらずどこに行っても応用が効きます。流域は、雨の水の集まり、流れる、大地の基本単位。表面流になれば、浸食、運搬、堆積作用は必然、定常流なら、瀬淵のリズムができるし、乾燥すれば池・土手構造の大地のリズムができることも、流域の大小に関係なし。そんな流域構造が雨の降る大地をうめつくしているんですね。
ここは小網代流域、隣に三戸浜の流域があって、さらにその横に別の流域があって、半島主尾根の東側には東京湾に注ぐ流域があって、その横にはまた別の流域があって、広げていくと三浦半島が全部いくつもの流域で区分できて、さらに西に行けば相模川の流域があって、東に行けば鶴見川の流域が、多摩川の流域が、荒川の流域が、利根川の流域が、と大地をどんどん流域で区分できていける。日本を飛び出して、アジアに行っても、アフリカに行っても、アメリカに行っても、みんな同じです。
さらに、ひとつの流域の中には入れ子構造でフラクタル【2】に流域が重なっている。いま、僕たちは小網代の浦の川本流ぞいの中間地点、真ん中広場の横にいます。この流れには、源流からすでに3つの支流が合流している。つまり今いる地点から上手は、3つの支流の流域がつブドウの房のように本流に接続した複合流域だということですね。
この下手では、大きなものだけでさらに4つの支流が合流します。それぞれの小流域は、さらに小さな、沢や窪地といった流域構造の複合ですので、小網代の谷全体が壮大な小流域のフラクタル、複合ということですね。
たとえば、いま私たちのいる足元の地面に、棒切れで溝を作る。これでもう、小網代の流域の中にもう一つフラクタクルな小さな流域ができた。ここに雨が降れば、この溝に向かって雨水が集まり、低い方へと流れて、最後は浦の川に合流する。
こんな具合に世界を「流域の構造の入れ子」として感じることができれば、後は伸縮自在です。雨が降る大地は全て流域で区分できるわけですから。区分できない大地は、水の重力で土地が削られ、浸食・運搬・堆積の構造で地形ができない氷河と大砂漠くらい。それ以外の場所はすべてどこかの川の流域なんです。
柳瀬 ただ、流域については、「すごくわかる人」と「全然わからない人」がいるんです。意外と知識人が全然ダメだったりする。下手に勉強している人はさっぱりわからないことがある。逆に、普通の子供やおばちゃんのほうが理解が速かったりします。これは、空間の印象を身体的に感じられるかどうかにかかっていて、理屈で頭に入れても、体感で感じられないと訳がわからなくなっちゃう。
―― 身体的に三次元の地図が読める人と読めない人が世界にはいる、という話ですね。この違いが生まれる背景には、確かに子供の頃の経験があるのかもしれない。大人になると、どうしても慣れ親しんだ平面的なマップの概念に引きずられて、立体的に土地を見る感覚が働きにくいんですよね。普段から、車や電車での移動が多い生活を送っているとなおさらです。
柳瀬 先日、江東区の人たちを小網代の森を案内したときに、小網代の流域と江東区が属する荒川の流域をなぞらえて、地形をイメージしてもらったんです。江東区は荒川の流域の河口部にあたり、荒川を遡ると秩父の奥まで繋がっている。そこで、秩父から始まる荒川の流域を、小網代でシミュレーションしながら実際に歩いてみる。
入り口は標高1000メートルの秩父山脈で、そこから川沿いに下っていって、海抜1メートルのここは門前仲町、あそこにある州が豊洲あたり、という風に、自分が住んでいる土地の形とリンクさせて考える。つまり小網代のたった1.3キロの浦の川でも荒川でも利根川でもアマゾン川でも基本は同じ。面積や形は違うけど、構造としてはひとつの集水域に水が流れて最後は海に出る。これは自然界の法則だから、どんな土地でも重ね合わせて見ることができます。
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『心が叫びたがってるんだ。』のヒットが示すもの――深夜アニメ的想像力の限界と可能性(石岡良治×宇野常寛)【月刊カルチャー時評 毎月第4水曜配信】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.478 ☆
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▲『心が叫びたがってるんだ』公式サイトより
今朝のメルマガでお届けするのは、アニメ映画『心が叫びたがってるんだ。』をめぐる石岡良治さんと宇野常寛の対談です。『とらドラ!』『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』の長井龍雪・岡田麿里・田中将賀が手掛け、興行収入10億円突破のヒットとなった本作と、それを取り巻くアニメ市場の状況について語りました。
現在放映中の長井・岡田コンビによるテレビアニメ最新作『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』の展望も語っています。(初出:「サイゾー」2015年12月号(サイゾー))
▼対談者プロフィール
石岡良治(いしおか・よしはる)
1972年生まれ。跡見学園女子大学ほかで非常勤講師。著書に『視覚文化「超」講義』(フィルムアート社)、『「超」批評 視覚文化×マンガ』(青土社)。
▼作品紹介
『心が叫びたがってるんだ。』
監督/長井龍雪 脚本/岡田麿里 出演(声)/水瀬いのり、内山昂輝、雨宮天、細谷佳正ほか 制作会社/A-1 Pictures配給/アニプレックス 公開/9月19日
幼い頃に憧れていたお城(=ラブホテル)から父と女性が出てくるのを見て、それを母親に話したことから、両親が離婚した順。そのとき、妖精によって順は「しゃべると腹痛が生じる呪い」をかけられ、そのまま成長する。高校生になっても、そのせいで携帯のメールでしか会話できない。あるとき彼女は、クラスメートの坂上拓実、田崎大樹、仁藤菜月と共に「地域ふれあい交流会」の実行委員を担当するよう担任に指名される。それぞれが事情を抱えながら、交流会のミュージカル上演に向けて進んでゆく。大ヒット作『あの花』のメインスタッフが最集結し、同作と同じ埼玉県秩父市を舞台にした高校生の青春群像劇。
■ 深夜アニメブームが生み出してしまった「お約束(コード)」
石岡 『心が叫びたがってるんだ。』(以下、『ここさけ』)は、予告編の段階では、舞台が秩父だったりで『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』【1】(以下、『あの花』)の二番煎じという印象でしたが、結果的には別物でしたね。
『アナと雪の女王』以降、日本のアニメ業界は『アイドルマスターシンデレラガールズ』【2】や『Go!プリンセスプリキュア』【3】など、プリンセス要素を表面的に取り入れた。『アナ雪』は本当はむしろ、プリンセスモチーフが無効になったことを示していたはずなんだけど。一方、『ここさけ』ではヒロインが憧れるお城を「ラブホテル」というペラペラな空間に設定した。「聖地巡礼」というけれど、実際、北関東でランドマークになるものなんて、こうしたラブホテルぐらいしかないわけです。まず、そうしたところから心をつかまれた。
登場人物たちの才能が高校生としてちょうどいい、というあたりも重要だと思う。つまり、ありもののミュージカルナンバーに歌を乗せる程度の才能というか。実際にこんな子がいたら高校生としては才能ありすぎなんですが、とはいえあり得なくない程度の才能になっていて、『ウォーターボーイズ』的な“みんなでミッションを成し遂げる”系の部活ものとして作られていた。同時に、あからさまなまでにアメリカの王道ハイスクール映画的な、野球部員とチアリーダーをメインキャラに配置してスクールカーストを取り入れたりして、最後は「順ちゃん、まさかその野球部と付き合うのかよ!?」と、ある種のオタクが怒るような(笑)エンディングになっていた。そこまで含めて、よく研究されていると思いました。
一方で、深夜アニメというオタクコンテンツ発の作品がどこまで一般向けにリーチするかの、ある意味マックスの限界がここにあると思った。学園ものアニメでシビアなスクールカーストを描くと、『響け! ユーフォニアム』【4】みたいに「実写でやれ」と言われてしまったりするけど、『ここさけ』を実写にすると、ヒロインの成瀬順がイタすぎて見てられないだろうな、と(笑)。『あの花』の実写版はわりと評判が良かったですが、やっぱりヒロインのめんまだけはコスプレにしかなっていなかった。『ここさけ』では順がそういうキャラクターで、どう考えてもアニメの住人。だからこのキャラがいければOKなんだけど、全然受け付けないと完全にアウトっていう。
【1】『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』放映/フジテレビ系にて、11年4~6月放映、13年劇場版公開:幼い頃は一緒に遊んでいた「じんたん(仁太)」「めんま(芽衣子)」「あなる」「ゆきあつ」「つるこ」「ぽっぽ」の6人。しかしめんまの突然の死をきっかけに距離が生まれ、高校進学時には疎遠になっていた。ひきこもりになった仁太のもとにめんまが現れ、「願いを叶えてほしい」と告げる。アニメファン以外からも人気を獲得し、秩父は「聖地巡礼」の代表格として扱われるようになった。
【2】『アイドルマスターシンデレラガールズ』放映/TOKYO MXほかにて、15年1月~:バンダイナムコによるソーシャルゲームを原案に、今年1月からアニメ化。「シンデレラ」をキーワードに、アイドル養成所に通う少女たちの奮闘を描く。
【3】『Go!プリンセスプリキュア』放映/テレビ朝日にて、15年2月~:2015年の『プリキュア』シリーズ作品(10代目プリキュア)。「プリンセス」をキーワードにした、全寮制の学園モノ。
【4】『響け! ユーフォニアム』放映/TOKYO MXほかにて、15年4~6月:シリーズ3作累計18万部発行のティーンズ小説を、京都アニメーションがアニメ化。弱小高校の吹奏楽部で部活に励む高校生たちの姿を、リアルな青春ドラマとしてシリアスに描くことを志向していた。
宇野 『ここさけ』は、岡田麿里【5】がこれまでやってきた10代青春群像劇の集大成だと思うんですよ。例えば『true tears』【6】では、オタクが持っている“不思議ちゃん萌え”の感情を利用して、自意識過剰な女の子の成長物語を効果的に描いてきた。あのヒロインが主人公にフラれることで、逆説的に自己を解放するというストーリーは今回も若干アレンジされて使われている。あと「鈍感なふりをすることが大人になること」だと勘違いしちゃったハイティーンの青春群像劇、という要素は『とらドラ!』【7】の原作にあったもので、それを岡田さんはうまく自分のものにした。そして『あの花』では、近過去ノスタルジーを描くには、実写よりも抽象度を上げたアニメのほうが威力が高い、ということをマスターしたんだと思う。『あの花』の路線でもう一回劇場作品をやってみた、くらいの企画かと思って観に行ったら、そういう意味で非常に集大成的な作品になっていて、よくできていましたね。
一方、集大成なだけに弱点も出てしまっている。それはどちらかというとクリエイターの問題ではなくて、今のアニメ業界やアニメファンといった環境の問題なんだけど。つまり、今やアニメにおいては「消費者であるオタクとの間にできたお約束(コード)を逆手に取る」というアプローチ以外、何も有効ではなくなってしまっている、という息苦しさがあった。この映画はヒロインが順のようなキャラクターだから成り立っているわけであって、“リア充”感の強い女の子が主役だったら、絶対キャラクター設定のレベルで拒否されてしまう。あるいはエンディングで、ヒロインが野球部の男と付き合うかもしれない、という描写なんて、お約束を逆手に取った明らかな悪意なんだけど、あれがギリギリだと思うんだよね。岡田・長井龍雪【8】コンビくらいの能力があるんだったら、もっと自由にやってほしいなと思うところは正直あった。
【5】岡田麿里:1976年生まれ。脚本家。近年では『黒執事』『放浪息子』『花咲くいろは』『AKB0048』『Fate/stay night』などの話題作・人気作の脚本・シリーズ構成を手がけている。
【6】『true tears』放映/08年1~3月:複雑な家庭に育った少年が、あることから涙を流せなくなった少女と出会い、自身や周囲との向き合い方を考えながら成長していく──という青春成長譚。
【7】『とらドラ!』放映/08年10月~09年3月:当時圧倒的な人気を誇っていた同名ライトノベルのアニメ版。長井・岡田コンビの初タッグ作。高校生のドタバタ青春ラブコメもの。
【8】長井龍雪:1976年生まれ。アニメーション監督・演出家。『ハチミツとクローバーII』で監督デビュー、『とある科学の超電磁砲』などを制作。
石岡 それはさっき僕が言った、深夜アニメ発の想像力は最大限に拡張して『ここさけ』が限界、という話と同じことですよね。
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▼プロフィール
落合陽一 (おちあい・よういち)
1987年東京生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程を飛び級で修了し、2015年より筑波大学に着任。コンピュータとアナログなテクノロジーを組み合わせ、新しい作品を次々と生み出し「現代の魔法使い」と称される。研究室ではデジタルとアナログ、リアルとバーチャルの区別を越えた新たな人間と計算機の関係性である「デジタルネイチャー」を目指し研究に従事している。
音響浮揚の計算機制御によるグラフィクス形成技術「ピクシーダスト」が経済産業省「Innovative Technologies賞」受賞,その他国内外で受賞多数。
※『魔法の世紀』の内容をフォローアップすべく、PLANETSチャンネルでは落合さんがこれまでに登場した記事を無料公開中! 無料で読める記事一覧はこちらのリンクから。
こんにちは、落合陽一です。まずは自己紹介からさせてください。私は筑波大学の落合陽一研究室・デジタルネイチャーグループを主宰しながら、メディアアーティストとして活動しています。そのほかにも、ピクシーダストテクノロジーズという、超音波スピーカーやホログラムを開発している会社の社長業と、VRコンソーシアムという組織の理事もしています。最近では電通のISID(電通国際情報サービス)のイノラボにも所属していて、広告関連のイノベーション事業でも働いています。
世の中には「リサーチ」「プロトタイプ」「マーケット」という3種類のモノづくりの場があります。だいたいの製品はこの3つの過程を経由して世の中に出ますが、このうちのリサーチを大学研究、プロトタイプをVRコンソーシアム、最後のマーケットを会社で行っています。そして、アーティストとしては、この3つの間の立ち位置で作品を作っています。
そんな人間ですので、『魔法の世紀』は、リサーチ・プロトタイプ・マーケットの3要素すべてが含まれた言説となっています。
先日「ワールド・テクノロジー・アワード」という大きな賞をもらいました。青色発光ダイオードを作った中村修二さんに続く日本人の受賞ということで大変恐縮しています。過去にはインテルの創設者であるゴードン・ムーアさんやGoogle創業者の方々も受賞していますね。
今年の注目すべき受賞者は生物部門のジェニファーとエマニュエルです。彼女たちはCRISPER/Cas9というシステムに関わる技術技術を発明しました。これはDNAの特異的な部位を特定のDNAの鎖で置き換え発現させるというもので、私の予想では、彼女たちはいずれノーベル賞を受賞するでしょう。いまMIT(マサチューセッツ工科大学)でバイオが流行っているのは、このCRISPER/Cas9という因子のおかげだと僕は思っています。
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月曜ナビゲーター・宇野常寛 J-WAVE「THE HANGOUT」12月14日放送書き起こし! ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.476 ☆
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月曜ナビゲーター・宇野常寛J-WAVE「THE HANGOUT」12月14日放送書き起こし!
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■オープニングトーク
宇野 時刻は午後11時30分をまわりました。みなさんこんばんは、評論家の宇野常寛です。ついこあいだ、自分が仮面ライダーに近づきつつあることに気づいてしまいました。というか僕はもう、ほぼ仮面ライダーなんです。
最近、iPhoneのOSをiOS 9にアップデートしたんですが、iOS 9にするとカメラロールのところに「セルフィー」というフォルダが自動生成されるのを知っていますか? iPhoneを使っている人は知っていると思うんですけれども、要するに、プログラムが顔認証をして所有者の自撮り写真だけを自動的に選別したフォルダをつくってくれるという機能なんですよね。昨日か一昨日にその存在に気づいたんですが、カメラロールに僕の自撮りばかりが集まっているのをつらつらと見て、「俺、この2〜3年で太ったなあ……」という、ちょっと忸怩たる思いを抱えたりしていたんですよ。
そんなふうに見ていると、途中にどう考えても変な画像が混じっているんですよね。本来ならば僕の顔だけが並んでいるはずの画像フォルダなんですが、なぜか僕が撮ったフィギュアの写真が混じっているんですよ。「あれ、おかしいな」と思ってスクロールしていくと、ある法則に気づいたんですよ。そこに混じっている変な写真は、全部仮面ライダー旧1号を写したものだったんです。藤岡弘、さんが40年前くらいにやっていた、初代仮面ライダーの番組初期のコスチュームのフィギュアです。
仮面ライダー旧1号というのは、僕がこの世でもっとも美しいと思っている、一番好きなキャラクターなんです。このキャラのフィギュアだけで20〜30個くらいは持っていて、それらの写真を趣味として撮りまくっているんですよね。でも、あまり頻繁にこの仮面ライダー1号の写真を撮っているせいか、どうやらiPhoneのプログラムに、仮面ライダー旧1号の顔も僕の顔だと判別されたっぽいんですよ。
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