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記事 23件
  • 本日21:00から放送!宇野常寛の〈木曜解放区 〉 2019.1.31

    2019-01-31 07:30  
    本日21:00からは、宇野常寛の〈木曜解放区 〉

    21:00から、宇野常寛の〈木曜放区 〉生放送です!〈木曜解放区〉は、評論家の宇野常寛が政治からサブカルチャーまで、既存のメディアでは物足りない、欲張りな視聴者のために思う存分語り尽くす番組です。今夜の放送もお見逃しなく!
    ★★今夜のラインナップ★★メールテーマ「恋の話」今週の1本「メモの魔力 The Magic of Memos」アシナビコーナー「加藤るみの映画館の女神」and more…今夜の放送もお見逃しなく!
    ▼放送情報放送日時:本日1月31日(木)21:00〜22:45☆☆放送URLはこちら☆☆
    ▼出演者
    ナビゲーター:宇野常寛アシスタントナビ:加藤るみ(タレント)
    ▼ハッシュタグ
    Twitterのハッシュタグは「#木曜解放区」です。
    ▼おたより募集中!
    番組では、皆さんからのおたよりを募集しています。番組へのご意見・ご感想、宇
  • 脚本家・井上敏樹エッセイ『男と×××』第45回「男と食 16」【毎月末配信】

    2019-01-31 07:00  

    平成仮面ライダーシリーズなどでおなじみ、脚本家・井上敏樹先生のエッセイ『男と×××』。今回は、魅惑的な食材である牡蠣についての話題から、若かりし日の敏樹先生の思い出が蘇ります。友達のような彼女のような、微妙な関係の女性とのデート中に占い師に捕まった二人。しかし、敏樹先生はある理由から、急いでその場を切り上げようとします。
    男 と 食  16      井上敏樹 
    先日、深夜に咳き込んで目覚めた。しばらくの間、布団の中で咳をしていたが、なにか変だ。異臭がするし眼が痛い。飛び起きてびっくりした。部屋中に白煙が充満している。牛乳色である。一寸先が真っ白である。これは……火事だ。今や火の手はマンション全体に回り、泥酔して逃げ遅れた私は最早助からないーそんな想いが頭を巡りパニックになった。私が死んだら多くの人々がスキップをして喜ぶだろう。悲しんでくれる者は冬の松茸ぐらい少ないだろう。などと考えたのも束の間、すぐに真相に思い当たった。夜、酔っ払っらって帰宅した私は、前日作ったシチューを食べようと火にかけて、そのまま眠ってしまったのだ。私は白煙を掻き分けてキッチンに行き、ガスを止めると全ての窓を開け、ドアを開けた。当然、シチューは台無しである。真っ黒に炭化している。鍋ももう使い物にならない。私は『あっちっち!』と指を火傷しながら鍋に水を入れつつ、『よし、これはエッセイに書けるな』などと考えていたのだから物書きというのはなかなかに図太い。さて、前置きはこのぐらいにして、今回は牡蠣の話。牡蠣というのは、どうやら好き嫌いがはっきりと別れる食材のようだ。そして嫌う者は牡蠣に当たった事がある者が多い。
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  • 井上明人『中心をもたない、現象としてのゲームについて』第32回 行為と、行為を思惟するシステムーー心の存在を想定する

    2019-01-30 07:00  

    ゲーム研究者の井上明人さんが、〈遊び〉の原理の追求から〈ゲーム〉という概念の本質を問う「中心をもたない、現象としてのゲームについて」。今回は、前回登場した「叙述的共同注意」の概念を掘り下げます。注意の共有自体が目的となるにらめっこの不思議や、「ガチ勢」「エンジョイ勢」の関係性を参考にしながら、これまで紹介してきた「学習説」とは相容れない「遊び」の定義について思考を深めます。
    心の存在という前提 ―にらめっこ
     約十年ほど前に、「最もコンピュータ・ゲームにしにくい遊びの一つは、にらめっこではないか」ということを書いたことがある[1]。  コンピュータ・ゲーム全般というより、特に一人向けのコンピュータ・ゲームに限ったほうが適切かもしれない。にらめっこにはコンピュータ・ゲームという形式に変換することの難しさがある。  にらめっこがなぜ、コンピュータ・ゲームにしにくいのか、とその理由を問うたとき、直感的に多くの人が考えるであろうことは、ゲームの中のキャラクターにプレイヤーが心の存在を感じないから、ということだろう。一人用のRPGやAVGのなかでうごめくキャラクターは、知性をもっているらしき振る舞いはする。定義次第によっては知性をもっているとも言えなくはない。ただ、ほとんどのキャラクターはドラえもんやアトムのような、強いAIと呼べるほどまでの心をもった存在ではない。  そして、コンピュータ・ゲームのキャラクターが心をもっているように思えない、という前提を受け入れるにしても、この答えは新たな問いを生む。なぜ、相手が心らしきものを持っていないことが、遊びが成立するかどうかにとって重大な問題になってしまうのだろうか?レースゲームの対戦相手が心らしきものを持っていなくても問題にはならない。FPSも格闘ゲームも、遊びとして成立しないということはない。将棋やチェスのAIも、恥ずかしがったり、笑ったりしないが将棋やチェスのAI相手にゲームをすることは問題なくできる。多くのゲームは、相手が心らしきものを持っていなくてもいい。  心らしきものを持っているかという問題は、前回までに問題としてきた叙述的な共同注意の話と関わる。  前回も述べた通り、命令的共同注意が共同注意を利用してなにかを達成しようとするのに対して、叙述的共同注意は、共同注意それ自体を目的とするようなものだった。そして、ゲーム/遊びの区分をそれぞれ命令的/叙述的共同注意に対応させるという主張について紹介した。  にらめっこという遊びは、わかりやすく共同注意に関する遊びだ。  にらめっこの面白さは、勝利することに重点があるわけではない。なんだったら、負けたほうが楽しいところもある。  にらめっこは、相手が変な顔をすることだけが楽しいというわけでもない。お互いに真顔でも笑ってしまうことがある。いや、むしろ真顔のほうが笑えるということがある。  「いま、あなたを見ている」「いま、見られている」という事態にお互いに焦点化し、共同注意の存在そのものを顕わにすることこそが、「にらめっこ」という行為である。にらめっこは「見ている」ということを見ている。相手の真顔で笑ってしまうとき、共同注意の存在そのものを意識したとき、可笑しくなっているのだろう。  そしてまた、にらめっこは、自分が何をしているのかということを自分からは見ることができないという意味でも特殊な遊びだ。自らの武器となる「表情」は顔の筋肉を通じて概ね想像はつくものの、細かいところはわからない。自分の表情を見たければ、相手と自分の間に鏡を置く必要がある。しかし、鏡を置いてしまえば、にらめっこは成立しない。自分で何をやっているか、細かなところがわからない。武器をうまく使う方法を最適化させていくための手順が予め失われているという意味でも、にらめっこは勝利を効率的に達成するための仕組みとしては不完全な遊びである。  ふだん、我々は共同注意の存在そのものを、そこまで意識しているわけではない。相手と目を合わせて喋るということは、比較的まれなことだ[2]。この「目を合わせない」という慣習を変化させ、ふだん学習された視線のありようの外側に出ること。共同注意自体を楽しむこと。にらめっこは、そういう遊びである。  叙述的共同注意の遊び、それがにらめっこだと言えるのではないだろうか。そして、叙述的共同注意が成立するためには、もちろん共同して注意を払う相手に心があることが仮定されていなければならない。心をもたないと思える相手に対して、恥ずかしがったりすることは難しい。  一人向けのコンピュータ・ゲームとして、にらめっこを実装することが難しいことの理由はそれゆえである[3]。
    学習説の外側へ
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  • 【対談】五百蔵容×レジー 日本代表はロシアW杯で何を得たのかーーハリルホジッチ以降の日本サッカーを考える(後編)

    2019-01-29 07:00  

    今朝のメルマガは、サッカー評論家の五百蔵容さんとレジーさんによる、ロシアW杯以降のサッカー日本代表をめぐる対談です。後編では、森保監督の戦い方が今後の日本サッカーに与える影響や、海外クラブが潜在的に持つルーツに基づいた多様性とJリーグの人工性との対比など、サッカーを軸にしながら日本人のあり方についての議論が展開されます。※この記事の前編はこちら
    レジーさんの『日本代表とMr.Children』のインタビューはこちら【インタビュー】レジー 日本代表の「終わりなき旅」はどこにたどり着いたのか?
    森保式ポジショナルプレーはJリーグに還元されるか?
    ーー前編では、森保さんが日本代表で展開している、日本サッカーの言語に基づいたポジショナルプレーについてお話を伺いしましたが、その戦術が、Jリーグに還元される可能性についてはどうお考えですか?
    五百蔵 そこについては若干の絶望感があります。というのも、森保さんがサンフレッチェ広島の監督だった時期のJリーグの試合分析は、ゲーム構造から逆算して戦術の骨格を浮き彫りにするのではなく、局面ごとのデータを使って分析していたと思うんですよね。その中で、高いレベルの抽象化能力を持った監督がたまにいて、相手の戦術が機能しなくなる特定のポイントを見つけて、そこを突くようなことをやっていた。 広島が全体的なやり方をほとんど変えずに三度も優勝しているのを見る限り、あの5年間、他のクラブは森保さんが何をやっているのか分析できていなかった気配があるんですよ。同じようなプレーで同じようにやられ続けて、最後の年になってようやく攻め込まれた局面の分析ができるようになった。 具体的に言うと、3バックのウイングハーフが押し込まれて5バックの状態になったときに、ボランチの青山敏弘さえ動かせれば中盤がガラガラになるので、相手はそこを狙おうとするんです。でも、森保さんはそこに罠を張っていて、青山が釣り出されたら、そのスペースに入ってきた相手をCBの千葉和彦が前に出て確実に潰す。そのボールを森﨑あたりが拾って、フリーになっている青山に渡すと、敵ボランチは前に出ているから裏にスペースがある。そこに入り込んだ佐藤寿人にボールを当てて、フリックなりポストプレーなりでシャドウと連携しながらワイドに展開する。このパターンで延々やられ続けていたんです。 それが5年目になってやっと、青山を動かした上で、CBにFWを1枚貼り付けて動きを封じ、そこで生まれたCBの周囲のスペースに選手を入りこませる、という戦術を多くのチームが取るようになって、それで中央を割られる試合が増えてきた。 それに対して森保さんもいろいろ修正はするんですが、守備の考え方の枠組みはバレているのですぐに対策されて、3バックの脇のスペースを使われるとウィングハーフの負荷が高くなり、戻りが間に合わずにガンガン失点するようになって、それで森保さんは打つ手がなくなっていった。でもそれも結局、ある特定の局面を攻略したに過ぎないし、それまでに5年もかかったことを考えると、僕らが思っている以上に、日本サッカーの分析の手法は古典的な段階で止まっているのかなと。 それは近年のコンペティションを見ても感じるんですよね。むしろJ2の方がレベル的には進化している気もします。そういう意味で、森保さんのやり方を継げる監督がいるのかといえば、日本人監督ではベガルタ仙台の渡邉さんとか。あとは柏レイソルの監督だった下平さんも思考的には近いところがあったと思いますが……。
    レジー そもそも日本代表のサッカーがJリーグにフィードバックされていたことが、過去どれだけあったかという疑問もあって。ハリルホジッチ以降、一対一のデュエルが増えたにしても、それは局面の話であって、ハリルホジッチ的な考え方が導入されたというわけではなかったと思うんです。
    五百蔵 目に見える形で変化があったのはトルシエの時代ですよね。海外の趨勢に反して3バックのチームが増えたしショートカウンターも多くなった。あの頃は日本代表からJリーグへの戦術面でのフィードバックは非常にあったと思います。ただ、はっきり目に見えてたのはあの頃くらいで。ザッケローニ時代にポゼッションサッカーが増えたかといえばそうではなく、当時のJリーグでは、ミシャ式や森保さんのやり方、リトリート中心のサッカーが猛威を振るっていましたよね。ハリルホジッチが前に出る守備で相手を制圧する自分に近いサッカーを、レベルは違えどJリーグでやっていると認めたのは川崎フロンターレくらいですよね。
    戦術的均衡は多彩かつ動的に進化する
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  • 宇野常寛 NewsX vol.16 ゲスト:黒井文太郎 「戦争と平和の再定義」【毎週月曜配信】

    2019-01-28 07:00  

    宇野常寛が火曜日のキャスターを担当する番組「NewsX」(dTVチャンネル・ひかりTVチャンネル+にて放送中)の書き起こしをお届けします。12月18日に放送されたvol.16のテーマは「戦争と平和の再定義」。軍事ジャーナリストの黒井文太郎さんをゲストに迎えて、非人道的な事態が起きている中東シリアの実態と、超大国のパワーバランスの変化の中で、日本が取り組むべき国際貢献のあり方について議論しました。(構成:籔 和馬)
    ☆PLANETSチャンネルでのNewsXアーカイブ動画に関するお知らせ 2019年1月以降、NewsXのアーカイブ動画は、本チャンネルではアップされないことになりました。 番組は、ぜひdTVチャンネルで【リアルタイムご視聴を】お願いします! 詳しいご登録方法はこちらのページに掲載しています。
    書き起こし記事は継続して配信して参りますので、ぜひお読みいただけると幸いです。
    宇野常寛 News X vol.16 「戦争と平和の再定義」 2018年12月18日放送 ゲスト:黒井文太郎(軍事ジャーナリスト) アシスタント:加藤るみ(タレント)
    宇野常寛の担当する「NewsX」火曜日は毎週22:00より、dTVチャンネルで生放送中です。 番組公式ページ dTVチャンネルで視聴するための詳細はこちら。 なお、弊社オンラインサロン「PLANETS CLUB」では、放送後1週間後にアーカイブ動画を会員限定でアップしています。
    黒井文太郎さんの過去記事はこちらソーシャルネット時代のリアリティと「イスラム国」――日本人は"ヤツら"とどう向きあうべきなのか(軍事評論家・黒井文太郎インタビュー)東京オリンピックでテロは難しいのか?――イスラム系の人々をリストアップする警察の監視力(黒井文太郎)
    シリアの軍事独裁政権と安保理常任理事国ロシアの関係性
    加藤 NewsX火曜日、今日のゲストは軍事ジャーナリスト、黒井文太郎さんです。黒井さんは『PLANETS vol.10』で軍事安全保障の専門家の人たちと座談会に参加されたんですよね?
    黒井 そうです。宇野さんが司会の座談会に参加しました。
    ▲『PLANETS vol.10』
    宇野 ちょうど戦争特集の巻頭に載っている座談会です。戦争と平和について考えるときに、どうしても日本国内の自衛隊や憲法どうするんだという話に終始しちゃう傾向にありますよね。それは端的によくないと思うんですよ。もともと戦争は外国とするものなので、世界の中での戦争と平和について語らないといけない。なので、今回の特集は安倍晋三も憲法9条もほぼ出てこない戦争特集と銘打っていたので、最初に黒井さんのような外国のテロや紛争を取材してきた人をお呼びして、そもそもの問題設定を今回はワールドワイドでいきますよということをやりたかったんですよ。そこに参加していただいたご縁で、今日はちょっとそこの続きの話をお願いしたいなと思っています。
    加藤 今日黒井さんに語ってもらうテーマは「戦争と平和の再定義」です。宇野さん、こちらのテーマに設定した理由は?
    宇野 これはまさに『PLANETS vol.10』のテーマでもあったんです。あと戦争というテーマを聞いたときに、どうしても日本人は第二次世界大戦を思い出しちゃうんですね。みんな徴兵されて、空襲で全土が焼け野原になってみたいなね。でも、あれは総力戦と言われている20世紀前半独特の戦争の形態で、あの基準で安全保障や平和活動の話をしてもほとんど通用しない。そこをしっかりアップデートしたい思いがあって、今回黒井さんにそのアップデート作業を手伝ってもらおうと思います。
    加藤 では、今日も三つのキーワードでトークをしていきます。一つ目は『シリア情勢の「いま」』です。
    宇野 黒井さんをテレビや雑誌などでご存知の方は、シリア情勢の専門家と思っている人が多いと思うんですよ。実際に黒井さんは、シリアについて精力的な取材と啓蒙に努められています。それは単に黒井さんがシリアに縁があって、シリアにくわしいこと以上の意味がある。やはり黒井さんの発言を追っていると、今のシリア情勢に21世紀の安全保障の課題が全部つまっている。その象徴的な場所なんだという意図がすごくあると思うんですね。なので、シリア情勢のアップデートから議論を始めていきたいと思っています。
    黒井 今、宇野さんがおっしゃったような問題意識でいうと、シリア情勢は人道危機がひどいんですね。ポルポト派の時代などとあまり変わらないことがあります。ただそれを冷戦が終わってから、安保理を中心にして抑える動きがあったんですけれども、それがやはりこの時代にきて機能しなくなっています。そういった人道的なものが誰も止められないという象徴的な事件ですね。
    宇野 シリアの内戦は8年間近く続いていますよね。そのなかで、日本人の感覚からするとISが巨大勢力をのしてきて、それをどのプレイヤーも抑えられなくなってきた。そのときが一番報道されていたと思うんですよ。ただ、この半年から1年の情勢はだいぶ違いますよね。
    黒井 ISはひとつの時代の流行だったんです。今はほとんどもう力がなくなっていますけどもね。シリアで起こっていることは、基本的には独裁者がいて、それに対する「アラブの春」が2011年にあったんですけども、その流れの延長です。ただ、それを抑えることができていないんですね。2018年の春に、化学兵器などを使っている大変に悲惨な映像がいっぱい出てきたんです。夏にかけて、政府軍対反政府軍の戦闘で、政府軍がロシア軍の支援を受けてだいぶレジスタンス側を凌駕してきた流れがあったんですね。ただ、そのあと反体制派の人たちがトルコの近くにあるイドリブ県という小さな県に逃げて行って、そこに集結しているんですね。2018年の夏から、次はそこに攻勢をかけるだろうと言われていました。10万人ぐらいの、どこにも行く場所がなくなったゲリラが立てこもっています。なので、悲惨な大殺戮が起こるだろうとみんなが思っていたところ、トルコがそのすぐ上にいますから、トルコとロシアが2018年の9月に会談をして、10月から停戦はできています。だけれども、ここ最近の流れとして、停戦違反が起こってきて、また殺戮が起こるんじゃないのかと危惧されている状況ですね。
    宇野 つまりISを中心としたムーブメントはもう完全にひと段落ついていて、今ロシアの中央アジア戦略を中心としたパワーポリティクスに局面が移ってきているということですよね。
    黒井 しかも、イラク戦争の後の米軍、今のトランプさんの前のオバマさんのときからですけども、やはり海外ではあまり動こうとしないというのがあります。実はシリアも2013年に化学兵器を使ったときに、オバマさんは「レッドラインを超えたからやるぞ」と宣言したんです。けれども、やはり国内やヨーロッパの支持がなくてできなかった。ISの問題はもちろん大きいんですけれども、もっと大きな問題は、ロシアを率いるプーチンさんがイケイケの人ですから、シリア問題の表舞台に出てきている。アメリカが引いていくなかで、そういった人道危機を抑えることができなくなっているのが、今の状況ですよね。
    宇野 ここ半年から一年の状況を象徴するような、映像資料や画像資料も黒井さんから用意していただいているので、ちょっとそれを見ながらもう少し解説していただきたいと思うんですけども、出せますか?

    黒井 今の戦争は当局がいくら抑えてもみんなスマホを持っていますから、映像を撮って出していくんですよね。これは二日前の16日なんですけども、最後に残ったイドリブ県がいわゆる民主化運動の最後の砦ということで、こういったものがまだ最後やっているんですけども、これがいつまで続くのかなというと、なかなか収拾がつかないんです。おそらく近い将来、また政府軍の大攻勢があったら、この人たちはかなりきびしい状況になりますね。
    宇野 きびしい状況とは具体的には?
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  • 『もののあはれ』の実装は可能か――「necomimi」作者・加賀谷友典が師・江藤淳から継承した思想(PLANETSアーカイブス)

    2019-01-25 07:00  

    今朝のPLANETSアーカイブスは、新規事業開発専門のプランナーである加賀谷友典さんのインタビューです。脳波で動く猫耳「necomimi」などの開発を手がける加賀谷さん。一見キャッチーなプロジェクトの先に浮かび上がる、「もののあはれ」という意外な言葉の真意とは――?(構成:構成:稲葉ほたて・池田明季哉) ※この記事は2014年7月9日に配信した記事の再配信です
     
    ■necomimiの作者は何をつくろうとしているのか
     
    宇野 僕は加賀谷さんを人に紹介しようと思う時に、いつもどう紹介したらいいか悩んでしまうんですよ。加賀谷さんのような立場でものづくりに関わっている人って、僕の知る限りほとんどいない。効率化と最適化を行うコンサルティングだけでもないし、単に表層的なアイディアを出すのでもない。何か思想を含めた、トータルなビジョンを提案しているように感じるんです。
    加賀谷 そうですね。僕のやっていることは説明が難しいんです。最近自分のことを「新規事業開発専門のプランナー」と言えばなんとなく耳慣れていて納得してもらいやすい、ということを覚えたんですが……(笑)。もっと本質的なことですよね。
    僕は情報ジャンキーなんで、純粋に知りたい欲求で動いているんです。だからたまたま物事がメジャーになる手前でキャッチすることが多くて、それをプロジェクトにしていく感じです。例えばphonebookはまだガラケー全盛のスマホ黎明期に、タッチパネルを使って絵本を作ったプロジェクトでした。
     
     
    その後はiButterflyという、ARとGPSを組み合わせて、ある場所にしかいない蝶を捕まえてクーポンをゲットするアプリケーションを作りました(参照)。
    それでスマホはだいたいやったな、と思ってシリコンバレーに遊びに行ったら、脳波テクノロジー・ベンチャーのニューロスカイ社と仲良くなり、それでnecomimiに繋がっていったわけなんです。
     
     
    宇野 加賀谷さんのプロジェクトって、言ってしまえば全てコミュニケーションなんです。でもその捉え方が普通と少し違っているのが興味深い。
    そもそも情報機器によるコミュニケーションって、文字とハイパーリンクによって人間の内面を陶冶していくような話が多いじゃないですか。しかも、現在のネット空間を見ていると、その可能性を語るのはかなり厳しくなっている。ところが、加賀谷さんのプロジェクトはそんなふうに人間を文字で内面から陶冶する可能性なんて一度も検討したことがないような気さえする(笑)。
    加賀谷 まさに、そういうところからは距離をおいてますね……。だって、動物の生態系なんて、非言語的ではあっても、情報のやりとりはなされているわけでしょう。別に言語に拘る必要はないじゃないですか。

     
     
    ■文芸評論家・江藤淳がコンピュータ・サイエンスについて語った"予言"
     
    宇野 プロフィールを見て気になったのですが、加賀谷さんはSFCにいたときに、文芸評論家の江藤淳のゼミにいらっしゃっいましたよね。
    加賀谷 そこに目をつけますか(笑)。江藤先生のことを話すのは初めてですよ……。僕が先生と出会ったのは、ちょうど江藤さんが学部での講義を再開した頃でした。後継者として文芸評論家の福田和也さんを連れて来られる数年前ですね。
    僕の方は当時大学の一年生で、SFCに政治哲学をやりたくて入ったばかりだったのですが、あの頃は現実の政治体制の分析みたいなことしかやっていなくて……もう正直なところ、退学しようと思っていたんです。でも、そんなある日、ちょうど病気の療養から回復してきたばかりの江藤淳さんが、それでまでに一度も話したことがないという「現代思想」の講義をするという機会があったんです。
    じゃあ、それだけは聞いて辞めようと足を運んで……僕は人生で最も興奮する講義を聞いたんです。
    宇野 それは、とんでもなく貴重な機会に恵まれましたね。
    加賀谷 その講義で一つ忘れられないのが、江藤さんがコンピュータについて言及して、「おそらくコンピュータサイエンスから、言語を否定するような言語理論が生まれてくるだろう」と言ったことなんです。
    正直なところ、当時は何を言ってるのかわからなかった(笑)――でも、なぜかめちゃくちゃに興奮したんですね。
    その後、僕は彼の日本文学のゼミで、言語哲学のようなことを始めました。周囲が坪内逍遥の作品だとかを研究している中で、「言語という秩序体系が、なぜ非秩序である"心"を表現しうるのか」みたいな思想的問題を、一人で延々と考えていたんです。そこで興味を持ったのが本居宣長でした。彼は「漢字の輸入によって、言語を文字として定着させられるようになったけれども、"もののあはれ"が失われてしまった」と「漢意」を批判しているわけですね。
    宇野 それは、江藤淳という人が近代日本のニセモノ性に極めて自覚的だったことと大きく関係してると思います。一般的には戦後日本の文化空間が敗戦とその後のアメリカによる統治によってもたらされたニセモノである、ということを批判した人だと江藤さんは思われている。それは正しいのだけど、より正確にはそんなニセモノであることに自覚的であることによってしか、現代人は成熟できないし、その自覚にしか文学は生まれない、という考えがあったと思うんですよね。そして同時にそれは日本語という日本の近代化が生んだ装置の不完全性への対峙こそが、現代文学であるという理解にもつながっていたと思うんです。
    ところが、加賀谷さんのアプローチというのは、言語が世界を表せないのなら、最初から言語以外のツールを使えばいいという発想になっている。だからそもそも言語の不完全性に向き合う必要がない。
    加賀谷 まさにそうなんです!
    だから、そういう話を江藤先生にしたら、「さすがに日本文学の研究室は違うよね」と言われて「どうしますかねえ」となって、一緒にお酒を飲んでました(笑)。
    宇野 江藤淳の弟子筋からこういう人が生まれたのは、いい意味で歴史の皮肉だと思うんですよ。
    加賀谷 でもね、それから僕は大学を出たあとに大学院にも行かずぶらぶらしていたのですが、その頃に江藤さんにお会いしたら「とりあえず、生き延びろ」と言われたことがあるんです。「俺なんて初めて給料をもらったのは30歳を過ぎたときだ。君はまだ8年もあるだろう」と(笑)。 ■PLANETSチャンネルの月額会員になると…・入会月以降の記事を読むことができるようになります。・PLANETSチャンネルの生放送や動画アーカイブが視聴できます。
     
  • 與那覇潤 平成史ーーぼくらの昨日の世界 第1回 崩壊というはじまり:1989.1-1990

    2019-01-24 09:00  

    今朝のメルマガは、昨日に続いての連続配信、與那覇潤さんによる「平成史」の第1回をお届けします。昭和最後の年となった1989年は、奇しくも「昭和天皇の崩御」や「東西冷戦の終結」といった歴史的事件が重なった1年でした。それは、保守革新の両陣営における擬制的な「父」の死と、それにともなう抑圧なき時代ーー「平成」の始まりを告げるものでした。
    ツヴァイクの「ダイ・ハード」
     「昨日の世界」ということばをご存じですか。オーストリアの作家シュテファン・ツヴァイクがアメリカ大陸での亡命行のさなか、ナチス台頭により崩壊しつつあった「古きよきヨーロッパ」への郷愁をつづった回想録の標題です(1942年に著者自殺、44年刊)。近年ではウェス・アンダーソン監督の映画『グランド・ブダペスト・ホテル』(2014年)が、同著をモチーフに作られていますので、ご覧になると雰囲気が伝わるかもしれません。
     みずからが生きていると思っていた「同時代」が、いつの間にか決定的に過去のもの――「昨日」へと反転してしまう。そして(亡命作家のような繊細さを欠く)多くの人は、そのことに気づかない。そうした体験は、必ずしもツヴァイクの時代に特有のものではないと思います。否むしろ、全体主義と世界大戦という「誰の目にも衝撃的な」できごとによって時代が書き換わっていった1930年代と比べて、秘かに、しかし確実に社会のあり方が変わっていった21世紀への転換期をふり返る際にこそ、直近の過去を「昨日の世界」として見る視点が必要ではないでしょうか。
     たとえば1988年、つまり冷戦終焉の前年にして昭和63年のヒット作である『ダイ・ハード』(監督ジョン・マクティアナン)。舞台となるのが当時、米国市場を席巻中だった日本の企業や商社をモデルに造形された「ナカトミ・プラザ」であることは、ご記憶の方も多いかもしれません。しかし何人が、同ビルを占拠した武装集団の目的が金だったと知った時に発せられる、以下の台詞を覚えているでしょうか。
    What kind of terrorists are you? (君らはどんな種類のテロリストなのかね)
     イスラム国(IS)ほか宗教原理主義の武装組織による「身代金目的の誘拐」が日常茶飯事となった今日、ハリウッド大作に登場するテロリストの目的がお金なのは、むしろ当たり前だと思われるでしょう。しかし共産主義の理想が生きていた冷戦下では、テロとは「富裕層が私腹を肥やす資本主義や帝国主義を倒すために、損得を度外視した『純粋』な青年が起こすもの」――過激化した学生運動のようなものとされていました。だからこそ、上記の問いかけに対するギャングの首魁(アラン・リックマン)の答えも「テロリストを名乗った覚えはないね(Who said we were terrorists?)」だったのです。
     『ダイ・ハード』はシリーズ化されて2013年の5作目まで続いているので、相対的には「いまも現役」の映画ですが、こうした目でふり返ると、モチーフのひとつひとつが「昨日の世界」の息吹のように見えてきます。ポリティカル・コレクトネス(PC)が進展した現在では、たぶんヒロイン(主人公の妻)はもっと聡明で、主体的に事態の解決に乗り出す女性として描かれているでしょう。高層ビルの奪還にむけて主人公をサポートする黒人警官にしても、閑職の巡査ではなく知性派の上級職が割り振られる気がします。
     そしてなにより、同作はキャリアウーマンの妻に愛想を尽かされていた凡庸な刑事(ブルース・ウィリス)が、武装集団との死闘を通じてその愛情と社会的な名声を取り戻す「男性性の回復」の物語でもありました。かつクリスマスが舞台なために、みごと勝利して迎えるエンドロールでは、劇中でもスコアの各所に旋律が埋め込まれていたベートーヴェンの「第九」(歓喜の歌)が鳴り響きます。
     60年代後半以降、外にはベトナム戦争の敗北、内には公民権運動とフェミニズムの高まりでゆるやかに衰弱しつつあったアメリカという国家のマチズモ(男らしさ)は、1989年の冷戦の勝利によってまさしく映画と同様の、奇跡的な復権をとげることになります。同年11月にはベルリンの壁が崩壊、高まる東西ドイツ統一への熱気(90年10月に実現)のなかで、両国の統一歌として愛唱された「第九」のファンファーレは世界中に響き渡りました――しかしそうした現実もまた、虚構としての『ダイ・ハード』の復活譚と同様、いまやリアリティを追体験しえない「昨日の世界」の一挿話にすぎません。
    「昭和の崩壊」と「ソヴィエト崩御」
     世界史には「冷戦終焉の年」として刻まれるその1989年の1月7日、昭和天皇が亡くなります。前年9月の吐血以来、連日のように病状が報道されていたため、その死はあらかじめ予想されたものであり、その点では2016年7月に「退位のご意向」が突如報じられて始まった「平成の終わり」のほうが、より衝撃的だったとも言えます。しかし「終わり」の後に遺されたインパクトに関して、昭和は平成の比ではありませんでした。
     「平成元年」となった89年1月8日以降に、ポーランドでの自主管理労組「連帯」の選挙圧勝(6月)、ハンガリーの社会主義放棄(10月)、チェコスロヴァキアのビロード革命(11月)、米ソ両国の冷戦終結宣言とルーマニアの独裁者チャウシェスク処刑(12月)と、国際政治でも劇的なニュースが続きます。ソヴィエト連邦自体の解体はもう少し後(91年12月)ですが、実質的にはこの年に「社会主義が終わった」ことは、広く認められていると言ってよいでしょう。
     かくして平成は「ポスト冷戦」とともに始まった――とは、この時代を扱うほぼすべての論説に記されています。しかし昭和天皇と社会主義の「死」がともに同じ年に起きたことの意義を、ほかならぬ日本人の視点から掘り下げる作業は、意外にもあまりなされてこなかったのではないでしょうか。
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  • 本日21:00から放送!宇野常寛の〈木曜解放区 〉 2019.1.24

    2019-01-24 07:30  
    本日21:00からは、宇野常寛の〈木曜解放区 〉

    21:00から、宇野常寛の〈木曜放区 〉生放送です!〈木曜解放区〉は、評論家の宇野常寛が政治からサブカルチャーまで、既存のメディアでは物足りない、欲張りな視聴者のために思う存分語り尽くす番組です。今夜の放送もお見逃しなく!
    ★★今夜のラインナップ★★メールテーマ「試験」今週の1本「FACTFULNESS 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣」アシナビコーナー「ハセリョーPicks」and more…今夜の放送もお見逃しなく!
    ▼放送情報放送日時:本日1月24日(木)21:00〜22:45☆☆放送URLはこちら☆☆
    ▼出演者
    ナビゲーター:宇野常寛アシスタントナビ:長谷川リョー(株式会社モメンタム・ホース 代表)
    ▼ハッシュタグ
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    番組では、皆さん
  • 【新連載】與那覇潤 平成史ーーぼくらの昨日の世界 序文 蒼々たる霧のなかで

    2019-01-23 07:00  

    今朝のメルマガは、與那覇潤さんによる新連載「平成史」です。昭和のような、誰しもが共通して抱く時代のイメージを、最後まで持ち得なかった「平成」。インターネットという巨大なアーカイブを擁しながら、全体像を見通すことができない、晴れ渡りながら同時に霧が立ち込めたような、奇妙な時代のあり方について考えます。
    與那覇潤さんの過去の記事はこちら 【対談】與那覇潤×宇野常寛「鬱の時代」の終わりに――個を超えた知性を考える(前編 ・後編)
    歴史を喪った時代
     青天の下の濃霧だ――。平成の日本社会をふり返るとき、それが最初に浮かぶ言葉です。
    いま多くの人びとが終焉に際して、平成という時代を嘆いています。しかし、たとえば改革の「不徹底」が停滞を招いたと悔やむ人がいる傍で、逆に「やりすぎ」が日本を壊したとこぼす人もいる。ネットメディアの普及が知性を劣化させたと咎める人の隣に、オールドメディアの持続こそが国民を無知にしていると苛立つ人がいる。正反対の理由で、しかし共通に失望される不思議な――ある意味で「かわいそうな時代」として、現在進行形だった平成はいま、過去になろうとしています。
     昭和史(ないし戦後史)を語る場面であれば、私たちは自身が体験していないことも含めて、今日もなお共有されたイメージで話すことができます。悲惨な戦争と焦土からの復興、高度成長と負の側面としての公害、学生運動の高まりと衰退、マネーゲームとディスコに踊ったバブル……。美空ひばり・田中角栄・長嶋茂雄といった組みあわせを口にするとき、背後には「豊かさを目指してがむしゃらに駆けていったあの頃」のような、統一された時代像がおのずと浮かびます。
     ところが「平成史」には、そうした前提がありません。安室奈美恵と小泉純一郎と羽生結弦の三人を並べても、共通するひとつのストーリーを創ることはできそうにない。あるいは、「あの戦争」という言い方を考えてもよいでしょう。昭和史の文脈で「あの戦争」が指すものは自明ですが、平成史ではどうか。たとえば中東に限ってすら、90年代の湾岸戦争か、ゼロ年代のイラク戦争なのか、10年代のIS(イスラム国)との戦争を指すのか、ぴたりと言い当てることは至難ではないでしょうか。
     まるで霧のなかに迷い込んだかのように、全体像を見渡しにくい時代。しかし奇妙なのは、空が晴れていることです。たとえば安室さんのヒット曲は、ほぼすべてのビデオをYouTubeで見ることができます。1999年の第145回国会からインターネット中継が始まったおかげで、小泉政権以降の政治家の主要な発言は、大量のコピーがウェブ上に拡散しています。政治がオープンになり、文化がアーカイブされたいま、私たちはかつてなく「見晴らしのよい社会」に住んでいるはずなのです。
     それなのに、共有できる同時代史が像を結ばない。こうした困難は、ふだん歴史をふり返ることのない人たちにとっても、日常に影を落としているように思います。
    知識人凋落の根源
     たとえばいま、社会の「分断」が進んでいるとされます。平成に展開した雇用の自由化により、正規雇用者と非正規雇用者のあいだで生まれた経済的な格差は、やがて結婚できる/できない、子供をつくれる/つくれない人びとの差異へと発展し、人生観や価値体系さえもが異なる文化的な断絶へと深まっていった。インターネット上ではサイバーカスケード(=同じ嗜好のサイトにしか接続しない傾向)が進展し、異なる意見の人どうしでは対話がなりたたない。そういったことが言われます。
     しかしながら裏面で、この社会は確実に「画一化」もしています。昭和の時代には「政治家なら裏金くらいあって当然」「芸能人だもの、不倫のひとつふたつ当たりまえ」ですまされたことが、よし悪しは別にしてもう通らない。ローカルな慣習や暗黙の合意で処理されてきた事案が、ひとたび白日の下にさらされるや、非常識きわまる利権として糾弾が殺到し、だれも弁護に立つことができない。コンフォーミズム(順応主義)を色濃く帯びたマス・ヒステリーは、いまや定期的な祭礼として定着した観さえあります。
     晴れた空の下を塗りこめる霧のように、引き裂かれながら均質化してゆく社会という不思議。その逆説を解けないことがいま、私たちにとって「知ること」や「考えること」をむずかしくしています。
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  • 【対談】五百蔵容×レジー 日本代表はロシアW杯で何を得たのかーーハリルホジッチ以降の日本サッカーを考える(前編)

    2019-01-22 07:00  

    今朝のメルマガは、サッカー評論家の五百蔵容さんとレジーさんによる、ロシアW杯以降のサッカー日本代表をめぐる対談です。日本代表をテーマに、独自の知見と切り口と基づいた書籍を刊行し話題を呼んだ2人が、就任から半年が経過した森保ジャパンの現状をどう捉えているのか。高度かつ複雑に進化し続けている欧州サッカーの潮流と、日本サッカーの今後のあり方について議論します。
    レジーさんの『日本代表とMr.Children』のインタビューはこちら【インタビュー】レジー 日本代表の「終わりなき旅」はどこにたどり着いたのか?
    代表監督就任から半年の森保監督の評価
    ーー今回の対談は「ロシアW杯以降の日本代表」がテーマです。ロシアW杯直前にハリルホジッチを更迭した日本代表は、8年ぶりの日本人監督である西野朗の指揮の元、ベスト16という成果を残し、森保一監督に引き継がれました。 一方、ロシアW杯は、欧州のトップリーグを席巻する「5レーン」や「ポジショナルプレー」といった概念が各国代表に浸透し、最新の戦術理論が、人間の認知能力を超えるほど複雑に発達しつつある現状を、強く印象付ける大会となりました。 『砕かれたハリルホジッチ・プラン 日本サッカーにビジョンはあるか?』『サムライブルーの勝利と敗北 サッカーロシアW杯日本代表・全試合戦術完全解析』で、ハリルホジッチの戦術とロシアW杯の日本代表の戦い方を精緻に読み解いた五百蔵容さんと、『日本代表とMr.Children』で、90年代以降の日本のサッカーカルチャー史に新しい視点を提示したレジーさん。お二人が、現在の日本サッカーをどのように捉えているのか、さまざまな側面から議論できればと思います。 まずは、日本代表監督の森保一監督についてです。就任から約半年が経過した現時点で、お二人は森保監督をどのように評価されているのでしょうか?
    五百蔵 今、日本人に任せるのであれば、能力的にはあの人以上はいないですね。僕は、森保さんのサッカーについては、サンフレッチェ広島時代から見て分析もしてきましたが、サッカー監督としてのインテリジェンスはずば抜けているんですよね。
    レジー 西野ジャパンは結果的には「雨降って地固まる」になって、森保監督はそのいい部分をちゃんと引き継いでいると思います。今までの日本代表は、4年ごとにそれまで積み上げてきたものを全部ひっくり返すということを繰り返していましたが、今回、初めて継続性がある代表になった感じがします。そこにロシアW杯の一個下の世代のアタッカーが上手くはまっていて、そういった活気があるところも含めてすごくいいなと。
    ーー広島時代の森保監督は、前監督のペトロビッチ(現札幌監督)の特異な戦術を、攻守にバランス良く発展改良させることで、5年半で3度のJ1優勝という黄金時代を築き上げました。この森保ジャパンは、森保監督が以前監督だったサンフレッチェ広島の戦術をそのまま継承していると考えていいのでしょうか?
    五百蔵 最初は継承するのかなと思ったんですが、していませんね。そこはちょっと腰を据えて考えてみないといけないところです。 広島時代の森保さんは、ペトロヴィッチ(ミシャ)からチームを引き継いだときに、彼独自の考え方を持ち込んで短所を補ったわけです。攻撃的で一見ミシャ式に見えるけれども、全然発想が違うサッカー。再現性が高く底堅いサッカーに変えて勝ちまくった。ボールを失った後、最初のプレッシングからリトリートに入るときのルートが整備されているので、相手からすると、なかなかショートカウンターが決まらない。さらに、持ち込んできた相手を潰した上で、そこに空いたスペースにトップやシャドーが降りてきて、そこに一回ボールを当てて、カウンターに持ち込む循環、攻撃と守備とカウンターと、さらにカウンターがダメだったときの対応まで、全部ぐるぐる回るようなメカニズムができているチームで、だから強い。特にリーグ戦にはすごく向いているチームでした。 その弱点があぶり出されたときに、4バックにするとかミッドフィルダーを増やすとか、ミドルゾーンのプレッシングから逆カウンターを仕掛けるといった試みを毎シーズン序盤に試しているんだけど、どうしても上手くいかずに、結局、元のメカニズムに戻って勝ち点を重ねて優勝したり上位に入ったりを繰り返していたチームで、それを見る限り、新しいやり方に移行できないのは、クラブが適切な選手を補強できないからなのか、それとも森保さん自身に機能させる能力が欠けていたからなのか、すごく微妙だったんですよね。 基本的に広島の選手の質は高いし、他クラブを見ても、多少選手の質が落ちても3バックと4バックを併用させられる監督はいるので、森保さんのコーチングとか構想力になにかの問題があるのかなと思っていたんですね。 それが日本代表監督になってフタをあけてみると、4-2-3-1だしミドルゾーンでプレッシングやってるし、実は対戦相手側にも問題はあって、森保さんのやり方で発生する弱点をまだ狙われてない部分はあるんですが、広島のときのような全然形にならないないということはなくなっています。森保さんの中で何が変わったのか、今度のアジアカップでサンプリングできたら何か見えてくるかもしれません。兼任している五輪世代のチームでは、彼は従来通りの3バックをやっているので、なぜA代表で森保式4バックが上手くいくようになったのか、そこも面白いところかなと。
    ーーアジアカップ直前の現段階では、森保ジャパンは非常に高く評価できると。
    五百蔵 W杯直前の解任劇という、ある種のカタストロフが起きた後の事態としては、一番良い方向に進んだと思います。西野さんは基本的に、いろんな選手の組み合わせの中からベストチョイスを探して戦う監督で、それが見つかるかどうかには結構ブレがある。すぐ見つかるときもあるし、いつまでも見つからないときもあって。それが早く見つかれば面白いんですよ。ハリルが解任されて西野さんになった現実を虚心坦懐に捉えるなら、こういう状況だから守りに入るのではなく、むしろ自分たちのサッカーをガンガンやるべきだと割り切ったのが良かった。そこで初めて、ハリルが持ち込んだものが日本のサッカーにとって良かったのか悪かったのかがはっきりするし、いろんな検証もできる。
    レジー 僕がnoteでインタビューさせていただいたときも(参照)そういう話がありましたよね。ザックジャパンの2018年バージョンでいいんだと。
    五百蔵 それで蓋を開けてみたロシアW杯は、本当に日本サッカーそのものだった。『サムライブルーの勝利と敗北』でも分析していますが、良いところも悪いところも全部が白日の下に晒された。対戦相手も日本サッカーの長所・短所を浮き彫りにするのに最適な相手ばかりで。だから結果としては良かったと思っているんですよね。感情的な問題とかガバナンス的な問題とかはいったん置いておいて、中長期的な視点で内容面に注目して考えてみると、かなり良かった。特に悪い面がはっきりと出てきたのは、すごく良いことだと思っています。
    ーーその悪い面というのは、例えばどのような部分が挙げられるのでしょうか?
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